Facebook、Twitterを生み出したアメリカと、日本が抱える「ソーシャル(社会)」の大きな違い

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『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球
時代>の構想力』(講談社)
 チュニジアで起きたジャスミン革命、映画『ソーシャル・ネットワーク』の上映などで、日本でも話題を集めているFacebook。世間一般でもTwitterやFacebookといったソーシャル・ネットワークの利活用は盛り上がりをみせている。そんな中で注目度が高まっている書籍が、ソーシャル・ネットワークという存在を、アメリカの社会や歴史、はたまた工学やデザインといった多分野から考察した池田純一氏著の『ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力』(講談社現代新書)だ。今回、池田氏に本書のテーマでもある「ウェブと社会」について、あらためて話を聞く機会を得た。 ――本書のあとがきにもありますが、出版社から「ウェブと社会」というテーマで書いてほしいということで執筆されたようですが、そうした大きなテーマを扱うにあたって、まず考えたことはどういうことですか? 池田 まずは、一般によくいわれるカウンターカルチャー(1960年代から70年代に、主にアメリカ西海岸で盛り上がりをみせた、既存の体制や価値観などに対抗する文化活動の総称)が、PCやウェブを作ったとされる見方への素朴な疑問です。2つ目は、日ごろ、私たちが使っているGoogleやFacebook、Twitterはいずれもアメリカで生まれたものですが、それらが一体どのような経緯で成立したのかという話をユーザーである私たちも一度はきちんと知っておいたほうがいいと思っていたこと。そして、3つ目は、ソーシャル・ネットワークのソーシャルの意味が、日本とアメリカでどうも異なることを指しているのではないかと感じていたこと。大きくはこの3つでしょうか。 ――世間一般では、反体制的なカウンターカルチャーが、PCやウェブの発展を推し進めたということはよく言われます。 池田 そのことについて、実は以前から疑問に思っていました。まず、アメリカ人の場合、カウンターカルチャーがPCやウェブを作ったと主張する人たちは、カウンターカルチャーの愛好家であるか、あるいは、そもそもカウンターカルチャー世代であることが多いわけです。アップル社に関しては、CEOのスティーブ・ジョブズがカウンターカルチャーの影響を公言してはばからないので確かにそうなのでしょう。けれども、他の人たちはどうなのか。Google社のエリック・シュミットのようなネットワークビジネスが出自の人たちや、MIT(マサチューセッツ工科大学)を出発点とするハッカーたちと、カウンターカルチャーはダイレクトにつながるのか、疑問でした。もうひとつは、日本の場合、おそらくは同時代に起こったという理由から、カウンターカルチャー時代を全共闘時代とつなげてしまいがちなのですが、それも本当にそうなのだろうかと。1968年のパリの五月革命との連想で、68年に起きたカウンターカルチャーも同じようなものとして捉えている。しかし、60年代のアメリカは経済的にすでに豊かな時代であり、日本やフランスとは社会環境が違っていたのではないか、だから「カウンター」といっても想定される内容は実はかなり違うのではないかと感じていました。 ――確かにアメリカの60年代は、いわゆる映画で描かれるような中産階級が増えてきた時代ですね。 池田 そうなんです。ですから、PCやウェブをカウンターカルチャーが作ったと言い切ってしまうことで見えなくなることも多いのではないかと感じたわけです。カウンターカルチャーがすべての起源になってしまい、常にそこに戻って考えなければならなくなり、時に思考停止に陥ってしまう。そうするとカウンターカルチャーをかつて現在進行形で経験した世代だけが特権的な語り手になってしまい、それ以外の解釈を許さなくなる。けれども、アメリカでカウンターカルチャーを明らかに経験していない若い人たちが続々とウェブで起業している現実を見ると疑問を感じないではいられない。だから、確かにカウンターカルチャーの影響はあるのだろうけれど、それだけではない、もう少し相対化することで、むしろいい意味でカウンターカルチャーの財産を今の時代につなげることができるのではないかと考えました。 ■アメリカのウェブサービスの独自性は「街づくり」経験から ――2つ目の、我々が使っているGoogleやTwitterなどの来歴についてですが。 池田 Googleにしても、Twitterにしても、アメリカに本社があり、アメリカで開発資金を得て成長したサービスなわけですが、私たち日本人はそのことを意識することはなく、いわばフリーライドして使っている。ミクシィや楽天、Yahoo!Japanとは違う文脈で開発されたことを忘れている。でも、その仕組やサービスがどのような経緯で成立していて、どのような方向に向かおうとしているのかということぐらいは、日々のユーザーである以上、知っておいても悪くないのではないかと思いました。過去において日本とは異なるロジックで開発され、今後も引き続き、異なるロジックで開発が進められるわけですから。 ――アメリカ発のこのようなウェブサービスは独自のものが多いですが、アメリカに住んだ経験のある池田さんは、どうしてこのようなものを生み出す力がアメリカにあると思われますか? 池田 本書の6章にも書きましたがやはり、アメリカ人の場合、自分たちで街をゼロから作った経験が大きいのではないかと思います。たとえば、CityやTownなど新たに行政区域として街を作ることも、会社や法人を作ることと一緒で英語では"incorporate"と言います。"corpo"は体という意味なので、「人にする」というのが元々の意味でまさに擬人化なわけです。人に模して何かを作るという発想は共通です。街を作るのも、会社を作るのも、何かの団体や趣味の組織を作るのも、発想としては基本的には全部同じです。街はいまだに作ることができて、例えば、ある政治や宗教上の信念に基づいてコミュニティとしての街を作りたいとなれば、その土地を管轄している州の政府が認めれば、それで街ができてしまい、自治権を得ることもできる。どうも、そうしたリアルの世界でもゼロからコミュニティを作ってきた経験がウェブの中で、ビジネスに限らず、彼らアメリカ人が何か新しいことを行ってしまう理由の一つなのではないかと。ソーシャル・ネットワークがウェブの話題の中心になったところで、そのような経験や伝統の日米での違いが際立ってきているように思えます。 ――3つ目の、日本で使われているソーシャル・ネットワークのソーシャルと、アメリカで使われているソーシャルとのギャップとは? 池田 日本でソーシャルというと、主には抽象的な「社会」の理念、もしくは行政区域としての「社会」をどうするか、という話題が前提になりがちです。しかし、アメリカ人がソーシャル・ネットワークから連想するのは、第一には社交や人間関係です。ソーシャルという言葉も、見知った人たちの間でのつながりぐらいのニュアンスです。ところが、日本の場合いきなりネットワークで社会をどのように変えるか、あるいは作るか、という具合に、はじめに統治対象としての社会ありきの議論になりがちです。けれども、FacebookやTwitterのようにアメリカで生まれたソーシャル・ネットワークの場合は、人をつなげていった結果生じるネットワークの集団が、そもそも社会のようなものになるのか、それとも会社のようなものになるのかはケースバイケースです。いずれにしても、社会は目的ではなく、結果の側で捉えられるように思えます。発想が逆といいますか。 ■「ソーシャル・ネットワーク」もバズワードとして終わるのか ――そういうことは、ニューヨークで生活しているときに感じられましたか? 池田 そうですね。たとえば、何か大きな社会的事件起きるとバザーをやってお金を集めましょうということになる。実際、そのような話を熱心に行うご婦人たちの集団が隣のテーブルに陣取っていた経験をカフェでしたことがあります。ところが興味深いことに、それだけ相互扶助的な活動がボトムアップで生じる現実があるにも関わらず、アメリカではソーシャリズムという言葉は否定的に使われることが多いわけです。オバマ大統領がヘルスケア改革法案を出した時も、ソーシャリストだと言われて共和党支持者から非難されました。保守が自由を尊ぶアメリカの伝統では、言葉の上ではソーシャリズムは全体主義のイメージと結びつき、自由を損ねるものとして捉えられることが多いわけです。ですから、アメリカでは言葉としてのソーシャリズムは定着していない。しかし、ソーシャリズムという言葉を聞かないからといって、会社や政府、自治体が人々を助けることをやっていないかというと先ほどお話ししたようにそんなことはないわけです。むしろ、バザーやチャリティーを行ったり、そのための非営利法人もある。このような、言葉の流通の程度と現実とのギャップは、実際に生活してみてはじめて実感としてわかったことです。 ――今後、ソーシャル・ネットワークはどうなっていくと思われますか? 池田 いつまでウェブをソーシャル・ネットワークと言い続けるかですね。Googleが出てきた時にこれからはサーチだと言われたのと同じように、ソーシャルという言葉もバズワードとして終わるのかどうか。ただ、先進国を中心に多くの人々がネットワークにアクセスできる環境が整ってきていて、個々の社会がソーシャル・ネットワークとどう寄り添うのかという方が重要になってきています。ですから、ソーシャル・ネットワークという言葉は表向き消えるかもしれないけれども、サーチ同様、ウェブの基本機能として環境になってしまうのかもしれません。少なくともアメリカは、その方向に向かっているように感じます。 ――出版後の反響としてはいかがでしょうか? 池田 読者の立場によって、いろいろな読み方ができると思いますが、もともとはビジネスマン向けの本で、という依頼から始まったもので、実際、そのことを意識して書き進めました。ですので、「イノベーションの本ですよね」って言っていただけると非常に嬉しいですね。これから新しくものを作ろうとか、問題解決のヒントを得たいとか、いずれにしても何か新しいことを自ら試みたいと思っている人に、イノベーションの文脈で読んでいただけるのは率直に言って嬉しいです。実際、ウェブの世界でイノベーションを先導している起業や個人はアメリカに多いわけですが、おそらく、今回の震災の影響で、日本のビジネスマンも大手になればなるほど日本の外でどうビジネスを展開するかに関心が集まると思います。そのような、日本の外で何か新しいことをしようと考える人たちが、そのためにウェブとどう付き合い、どう活用していったらいいか、そのような視点で読んでいただけると嬉しいです。10年代は改めて日本の外に目を向ける時だと思います。もっとも、外に学び何でも取り入れる姿勢は日本人が昔から行ってきて得意としてきたお家芸のはずですから、むしろ原点に戻るのだと感じています。 (文=本多カツヒロ) ●池田純一(いけだ・じゅんいち) 1965年静岡県生まれ。FERMAT Inc.代表。コンサルタント、DesignThinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)。早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通にてデジタル・メディア関連のコンサルティング・政策調査研究業務に従事後、ニューヨークのコロンビア大学大学院に留学。メディア・コミュニケーション産業政策・経営を専攻。帰国後、コミュニケーション分野を専門とするFERMAT Inc.を設立。
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メイドアイドル・森川真羽ちゃんがDMMライブチャットに登場!

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 今年4月にデビューしたばかりのAV女優、森川真羽ちゃん。実は真羽ちゃん、秋葉原のメイド喫茶で働いており、「第1回AKIBA萌キュングランプリ」で準優勝をした超萌え~♪なメイドアイドルさんなんです!そんな真羽ちゃんが話題沸騰中の「DMMライブチャット」に、6月17日(金)に登場することに。真羽ちゃんとおしゃべりできるなんて滅多にない機会! ということで、プライベートからお仕事のことまで、直撃インタビューして来ました♪ ――本日はよろしくお願いします! 真羽ちゃんは今年4月にAVデビューをしたばかりですが、きっかけは何だったの? 秋葉原でメイドさんをしてたんだよね? 真羽 そうなんです~。メイド服を着てみたいなあって思って、秋葉原のメイド喫茶で働いていたんです。それで去年、「第一回AKB萌えキュングランプリ」で準優勝をいただき、その副賞として着エロに出させていただいて。それで、AVに出ないかって声をかけられて。今までやったことなかったし、プライベートでエッチの経験も少ないし、自分で良いのか不安だったけど......でも自分の幅を広げるにはいいかなって。 ――なるほど。最初の撮影はどうだった? 真羽 撮影前に控え室でひとりで待機してたんですが、緊張でもう泣きそうになっちゃいました(笑)。本番が始まって、こんなに明るい場所で、こんなにスタッフがいるなかでエッチするなんて~! ってすごくびっくりしました。 ――今まで一番印象に残っている撮影はある? 真羽 そうだなあ、どれもすべて印象に残っています。ほとんどやったことないことばかりだし......フェラとかも最初よくわかんなくて......。 maumorikawa002.jpg ――え、そうなの!? じゃあ撮影前に監督や男優さんにフェラの仕方を説明してもらったり? 真羽 ううん、監督からは、「思ったまま、本能のままにやってごらん。君がしたのが正解だから」って言われて。こんな感じかな? ってドキドキしながらがんばっちゃいました。 ――初々しくてかわいいなあ~うーん萌える! やっぱり男性はリードしてくれるようなタイプが好き? 真羽 そうですね、引っ張っていってくれるような人が好き。デートの時とかも、ドライブに連れてってくれたり、アクティブな男の人が良いです♪ ――秋葉原で働いていたということは、アニメや漫画が好きな男性も好き? 真羽 好きですよ~一緒に部屋でゲームするのもいいですね♪最近は忙しくて見てないんですけど、メイド喫茶で働いていたときは、よく学園モノのアニメは好きで見ていました! ――ところで、今週17日に「DMMライブチャット」がありますが。真羽ちゃんはプライベートでチャットとかしたりするの? 真羽 この前、「DMMライブチャット」さんで「トリプルセクシー」って言う、AVの子が3人でエッチなトークとかゲームしちゃう企画があって、そこに晶エリーちゃんとまりかちゃんと一緒に出させてもらいました! でも、今回は全部ひとりでやらなくちゃいけないので、ちょっと緊張しています! ――ファンの人たちとどんな話がしてみたい? 真羽 なんだろう~色んなことを話してみたいな♪どんなことでも良いので話しかけてほしいし、いろいろ質問して欲しいデス。 ――じゃあ、真羽ちゃんのエッチな話とかも聞いちゃっていいの? 真羽 うーん......恥ずかしいけど、一生懸命がんばって答えます!わたしもライブチャットを楽しみにしていますので、ぜひ遊びにきてください☆ ●DMMライブチャット <http://dbirth.dmm.co.jp/hit.html?ID=hv01-2>

「僕は一生懸命頑張っている」作家・前田司郎が"反・脱力系"宣言!?

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撮影=後藤匡人
 「脱力系」「自然体」と言われる、その独特の空気感に定評のある劇団「五反田団」主宰で作家の前田司郎氏。2009年に小説『夏の水の半魚人』(扶桑社)で三島由紀夫賞を獲得するなど、近年、劇作家としてだけでなく小説家としても高く評価されている。そんな彼の最新刊『ガムの起源 ~お姉さんとコロンタン』(光文社)が上梓された。辛酸なめ子氏による奇抜な装丁も話題の本書だが、その摩訶不思議な前田ワールドの原点に迫る! ――『ガムの起源』は、お姉さんと謎の生物・コロンタンが「ゴルフのはじめて」や「地獄のはじめて」、「ガムのはじめて」などさまざまなモノの起源を探すために時空を駆けめぐるお話ですが、どのようなコンセプトで書かれたんですか? 「光文社のPR誌『本が好き!』と『小説宝石』で連載していたものなんですが、当初は『まんがはじめて物語』(TBS系)の小説版を書こうと思っていたんです。1話完結で毎回いろいろなモノの"はじめて"を書こうとしていたんですが、1回目から1話完結にならずにどんどん続いていってしまって......。もっと短い予定だったんですが、気が付いたら長編になってしまいました」 ――お姉さんとコロンタンというモチーフも『まんが――』からですか? かなりアレンジが利いているようですが。 「『まんが――』は幼稚園のときに見ていたので、アレンジをしたというよりは記憶の彼方にあったものだから、あんまりはっきりとは覚えてないですね」 ――作中に、「直木賞を取りたい」とか「『ゴルフ』の章がちょっと長過ぎた」といった会話のやりとりが出てきますが、これは前田さんご自身の本音なんですか? 随所に散りばめられたこの"ぶっちゃけ"感が、独特のスパイスになっているように感じます。 「直木賞は取れないと思うんですが(笑)、"話がちょっと長過ぎた"というのは本音です。なんでもありだったんで、その時その時で思いついたことを書いた、という感じですね。きりがないから無理やり終わらせましたけど、どこまででも続けられるような感じでした」 ――「前田」や「前田2」というキャラクターも登場しますが、これは前田さんご本人なんですか? 「そうですね。厳密に言えば違うのかもしれませんが、ほとんど同じです。最初から考えていたわけじゃなかったんですが、途中からストーリー展開に困ってしまって、それで登場させたんです。お姉さんとコロンタンが同じ方向を向いていたので、別の視点を持った人物として書いています」 ――そもそも、いつごろから小説を書こうと思っていたんですか? _MG_8382.jpg   「幼稚園の時から空想をするだけでいいような仕事がしたくて、ずっとどんな仕事があるかと探ってたんですが、小4の時に物語を書いてみようという国語の授業があって、これはいけると思ったんです。そこから小説家になれたらいいなと思っていました」 ――前田さんが一番好きな小説はなんですか? 「『赤毛のアン』ですね。16、17歳のころに読んだと思うんですが、登場人物に『どこかにいそう』な感じがするんです。別段いいやつもいないし、すごく悪いやつも出てこない。そういう、ちょっといいやつかちょっと悪いやつが出てくるというところに共感が持てるんです。僕は芝居もやっているので、リアリティーのことはよく考えます。物語を進めようとすると、作者に都合のいいすごく悪いやつとかがいた方が話を進めやすいから、どうしてもそういう人物を作ってしまいがちなんですが、そうじゃないだろうって気がしていて。それは小説にしても同じです。僕、『はぐれ刑事純情派』に出てくるような不良がすごく嫌なんですよ。女がいると必ず絡んできたり、チーマーだったら大声で怒鳴りながら絡んできたり......そんなやついないじゃないですか」 ――今回の本に限らず、前田さんの小説を読んでいると、カッコいいことに対して恥ずかしがるというか、"照れる"という感覚を大事にされているように感じます。 「照れはすごく大事だと思っていますね。照れずにやっちゃうと気持ち悪いんです。カッコいいことを照れずにやると、見ている側が恥ずかしくなってしまいます。テレビドラマなんかでカッコいい人がカッコいいことを言っているのを見ると、自分はいったい何を見ているんだろうと思ってしまいます」 ――演劇にしても小説にしても、前田さんのスタイルはよく「脱力系」と評されますよね。 「よく言われるんですが、僕としては一生懸命頑張ってるつもりです。劇評家の方とかがカテゴライズしたがる気持ちはよく分かるけど、そんなきれいに分けられるものじゃないし、意味がないと思うんです。『ゼロ年代』と言われても、それって2000年代のことじゃないですか。そんなのバカでも分けられますよ(笑)。よく"『五反田団』はゼロ年代の脱力的な日常を描いている"とか言われますけど、僕にとっての日常は同世代の人と比べたら非日常のものかもしれないですし。そういう評価は、あまり信用していないです」 ――では、前田さんは何を書いているのですか? 「頭や言葉で考えても考えられないことを書けたらと思ってます。死ぬことや生きることについて、芝居や小説を使って考えることで、言葉で考えるよりもう少し深く、違った角度から考えられるんです。書いて何かを伝えたいということではなくて、書くことで何かを考えていますね。それが、お客さんや読者にとっても考える道具になったらありがたいと思います。老人だったり子どもだったり、いろいろな設定で書いていますが、何を題材にしても、自分としては同じことを書いているつもりです。『愛』とか『生きる』『死ぬ』といったことを考えるために書いているんです」 ――あわよくば、それを誰かが面白がってくれたらいいと。 「ただ書くだけでは"商品"として成り立ちづらいから、ストーリーを付けたり、最初と最後を作ったりして、一応そういう体裁を保っているんです。糖衣みたいなもんです。薬に砂糖をまぶすみたいに食べやすいように甘くしているだけで、薬本来の効用は変わらないんです」 ――小説と戯曲を書く際の違いは、どこに付けているんですか? 「戯曲の場合は生身の人間がしゃべるので、小説より恥ずかしいですよね。シリアスなことが恥ずかしくなるので、それをどう処理するかというところを小説よりも考えます。どちらもお客さんを驚かすことが必要だと思っているんですが、肉体があるのとないのでは違うので、そこに差がありますね。また、自由の方向が違う、という点もあります。例えば「男がいる」って書いたときに、舞台は一人立たせておけば大体こういう男だっていうのが明確ですが、小説の場合はその情報がすごく広いから、いくら「制服を着た30代の男」って書いても、そのとらえ方は人それぞれ違う。だから文章を重ねていって、その情報を狭めていくんです」 ――では、小説と戯曲、どちらの方が書いていて面白いですか。 「それは小説ですね。戯曲は書いただけでは完成していなくて、そこに俳優が入って、演出が入って、照明や美術が入って、上演してお客さんが見て、初めて完成する。小説も読者が読んで完成するものだけれど、自分も読者として読めるからそこで完成しますよね。だから小説の方がすっきりするというか。でも、芝居と小説どっちが面白いのかは言えない。戯曲は芝居の一部でしかないですから」 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●まえだ・しろう 1977年、東京生まれ。劇作家・演出家・俳優・作家。和光大学在学中に劇団「五反田団」を旗揚げ。2005年『愛でもない青春でもない旅立たない』で小説家デビュー。08年『生きてるものはいないのか』で岸田國士受賞。09年『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞受賞。
ガムの起源 ~お姉さんとコロンタン 「アニメ化狙ってます」(編集担当談) amazon_associate_logo.jpg
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「ランドセルを背負ったリアル"のび太"」金子良a.k.a.のびアニキって一体どんなアーティスト!?

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リアル"のび太"、渋谷に現る!
 「ド〜ラ〜え〜も〜ん! なんか出して〜」といつも泣きながらドラちゃんの未来道具を頼りにするさえない少年、それはみなさんよくご存じの野比のび太。一方でこの写真に写っている大きな男、丸眼鏡に黄色いトレーナー、黒いランドセル、小学生しかはかないような短パンに水色の運動靴(実は風呂用のビニール靴だったが)、その名を「のびアニキ」という。身長185センチのデカイのびアニキは、もちろん小学生ではなく職業はアーティスト。現在、トーキョーワンダーサイト本郷でTWS Emerging「金子良/のびアニキ[のびアニキのザッツエンターテイメント!]」が開催中だ。この男、話を聞いたり作品を見たりしてみると、勉強嫌いののび太の皮をかぶってはいるがどこかクレバーな工学系男子のにおいがする。しかも、岡本太郎現代芸術賞を受賞している期待の若手作家だ。しかし、どうやらドジっ子なのはのび太と共通しているらしい。うーむ、なにやら得体の知れないアーティスト・金子良a.k.a.のびアニキとは一体どんな人物なのだろうか。ざっくばらんに話を聞いてみた。 ──えーっと(笑)。その格好で渋谷駅から編集部まで歩いて来たんですか? 絡まれたりしませんでした? のびアニキ(以下、のび) はい。もう慣れてますから、別に大丈夫ですね。たまに職質されることもありますが、おまわりさんも結構笑ってくれます。 ──まあ、そうですよね。今回はのびアニキさんのことを知らない読者に向けて、まずはのびアニキって誰なんだ? そして、どんなアート作品を作っている人なのかということをお話しいただければと。 のび はい、分かりました。あの、まず、その雑誌(「月刊サイゾー」本誌)を伏せてもらっていいですか? ちょっとそういうの......苦手で......。 ──ああ、お姉さんの表紙が刺激的過ぎましたかね(笑)。失礼しました。では始めましょうか。まずは、いつのびアニキが誕生したんですか? IMG_3472_.jpg のび え、えー、まず、なんとなく話していて分かると思いますが、僕はそもそもすごく不器用な人間なんです。不器用なので人と話していると、ちょっとうまくコミュニケーションが取れないんです。急におしゃべりになったりとか、もごもごしたりとか。それで、工学系の大学を卒業した後にIMI(グローバル映像大学/旧彩都IMI大学院スクール)という専門学校に入ったんです。(現代美術作家の)ヤノベケンジさんが好きだったので。在学中から卒業して少したつまでの間は、ヤノベさんのスタジオでスタッフをしていました。でも、僕はすごくドジで、作品を倒しちゃったり、モノを壊しちゃったりして毎日のようにヤノベさんに怒鳴られていて。でも、いくらやってもドジが直らないから、最終的には掃除係になっちゃいまして。みんなが「ジャイアント・トらやん」(http://www.yanobe.com/aw/aw_g_torayan.html)とかを一緒になって作っている時に、僕は一人で棚をふいたり掃除機をかけたりして、みんなの作業を遠くから見てました。すると、自然とヤノベさんともみんなとも距離が離れていくんですよね。で、そろそろ実家に帰るべきかな、とも考えてたり。 ──確かに。せっかくアトリエで働いていても作品制作にかかわれないとつまらないですよね。それで? のび ある日、ドジな自分に嫌気が差して、この格好でアトリエに行ったんです。最初はみんなから嫌われるかなと思ったんですが、みんなが笑ってくれたんですよ。いつもの仕事をしているのに、みんな笑うんです。その日を境に、僕はドジをしても笑って許してもらえるようになったんです。 ──おお、ずいぶん唐突な(笑)。のび太の格好をすることで、単なるドジっ子が愛されドジっ子キャラになったんですね。 のび 僕自身がやっていることは、いつもと変わらないんです。この格好をしていても、モノを倒すし壊すし。それでも、「あいつだからしょうがない」ということで許してもらえるようになって、ヤノベさんも「面白い」って言ってくれて。この格好をしていると得だし、周りの人とコミュニケーションを取れるようになる、ということに気が付いたんです。 ──具体的に作品の中ではのび太、じゃなくて「のびアニキ」はどんなことをやるんでしょうか? のび 作品台の上に僕が布団を敷いて寝ていて、お客さんが呼び鈴を鳴らすと僕が起きる。のび太も寝るのが得意ですが、僕もすごく得意で。特に引きこもりをしていた時は、本当に寝てばっかりいたので、それをそのまま人前に出したという。あとは、お客さんに僕のプロマイドを渡したり、ツアーガイドをしたり。それと、壁にたくさんのインターホンが付いていて、お客さんが押したところに僕が行って話をする作品もあります。
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枕元には呼び鈴が置いてあり、鑑賞者がベルを鳴らすことで、
のびアニキは起き上がり、ブロマイドにサインをし
プレゼントをするなど鑑賞者とコミュニケーションを取る。
──壁一面を隔てて裏側の構造がすごく入り組んでいて、簡単にインターホンにはたどり着けない。だから変な顔でインターホン越しに話をすることになる。面白いですね(笑)。のび太にしてもそうですが、何かフィルターをかませて人とコミュニケーションを取る、その方法が笑えます。人とコミュニケーションを取りたいけどなかなかうまくとれない、そのネジ曲がって屈折した感じが伝わってきますね。メディアアートというか工学部っぽい印象も受けます。 のび ドラえもんの道具のできそこないみたいな作品もあります。『ドラえもん』って、のび太がいかにドラえもんの力なしで成長していくかっていう話なんです。僕もできるだけ一人でドラえもんの道具を作ってみようと思って考えたのがこれです。秘密道具を、身の回りのモノを使って作りました。
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「タイムマシーン」(左)と「どこでもドア」(右)。
──こういうの、子どものころやりましたね(笑)。工学部ご出身なら、ドラえもんの道具をまじめに作ろうっていう方向には行かなかったんですか。いわゆるメディアアート系の方や研究者の方で、そういう作品に取り組んでいる方もいると思いますが。 のび 工学部ではプログラミングを勉強してたんです。でもイスにずっと座っているのが嫌になって、体を動かしたくなったっていうのがあるので、コンピューターの中で起こっていることだけよりも実際に手を動かしてモノを作るのがいいですね。キーボードを打っていてもあんまりアイデアが浮かばないなと。あと、ああいう研究は、何年もかけて一つのことをやってたりするんですが、それだと僕には遅いのだと思います。 ──だからこういう日用品を使った、子どもの工作がダイナミックになったような、そんな作品が多いんですね。ちょっと話は変わりますが、以前ネット上に「渋谷にのび太がいた!」みたいな情報が流れたのを見たんですが。それも作品の一環なのでしょうか?
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「アラウンド運動 マウンテン運転」(岡本太郎賞展バージョン)。
釣りざおの先に取り付けたのびアニキのミニチュアが
展示空間内を冒険するインスタレーション。
のび Twitterでのび太の目撃情報があったのは岡本太郎美術館で展示をしている時で、あの時は、街中で目撃した人がたくさんツイートしてくれて、それでいろんなところでウワサが立ったんです。展示期間中は、閉館後に作品作りに夜の街に繰り出して映像を作ったり、展示に関係あることをするために街に出たりしていて。その話題をTwitter上で広めて、美術館に人が集約されるように考えました。美術館では釣りざおの先に吊るした小さな僕が、会場内を冒険するという展示をしていたので、実際の僕も街に出て冒険をしたんです。で、その目撃情報だけを集めてTogetter(例:「2月17日のびアニキ目撃談 渋谷編」http://togetter.com/li/102250)に集めたんです。なので、それはネットも含めてそのシステム自体が作品というか。「耳にピアスを開けた若い兄ちゃん」だとか、「身長が2メートル」っていうツイートがあったり。そういうのを見た人が、僕のHPだとか美術館で僕に話し掛けてくれるのが面白かったですね。 ──ネットワークとか人のウワサも含めて作品にしているってことですよね。それもコミュニケーションですよね。ウワサからコミュニティーを広げて、実際の展示にフィードバックさせる。のびアニキさんの作品を見ていると、すごく構造的な作品が多いように思います。一見ぐちゃぐちゃしているように見えるけれど、ちゃんと一つのルールに基づいて動いている、やっぱり理系っぽい。現在開催されているワンダーサイトの展示では、どんな作品が見られるんですか? のび インターホンの作品を少し形を変えて展示する予定です。壁の両面に呼び掛けるタイプとそれに答えるタイプが両方あって、それをケーブルでつなぎます。空間の中はケーブルだらけなので、すごく動きづらくて、いくつものケーブルを乗り越えてインターホンにたどり着くような作品を考えています。
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壁の対面にインターホンを設置、ケーブルを渡している。
──楽しみです。では最後に今後やりたいことを教えてください。例えば、"のびアニキ"を脱ぐ......ということはありますか? のび 僕は岩手県盛岡市出身なんですが、3週間程度ボランティアに行っていたんです。盛岡では被災者がホールなどに避難していて、そこでこの格好で子どもの遊び相手をしたんです。子どもたちが「のび太のおじちゃんだー」って(笑)、すごい喜んでくれて。宿題を一緒にやったり、インターホンを使って子どもと会話をしたりしました。結局遊んじゃって勉強できなかったんですけどね。最後には感動的な別れがあったり。質問の答えにはなっていませんね(笑)。んー、でも今のところ、のびアニキに飽きる予定はありません。今までもずっと、のび太を演じていたわけじゃなくて、僕(金子良)自身としてのび太の格好をしているので。それと、またボランティアに行きたいですね。 ***  ぐうたらのび太のイメージとは少々違うが、まじめ(多分ものすごく)で不器用(ものすごく)だけど、人一倍サービス精神旺盛なのびアニキ。ぜひ、気持ち悪がらないで積極的にのびアニキと会話してみよう! トーキョーワンダーサイト本郷の展示は6月26日まで。 (取材・文=上條桂子) ●かねこ・りょう/のびあにき 1980年、岩手県生まれ。美術作家。何をしてもドジ、他者とのコミュニケーションが上手く取れないという自らのコンプレックスから生まれたキャラクター。街へ繰り出し、新しい出会い、発見を求めて作品を制作する。また、展覧会やイベントに出没し、制作した作品をもとに、出会う人々とコミュニケーションを取ろうと図る。黄色いトレーナー、白いシャツ襟、紺の短パン姿という日本の代表的なマンガ/アニメの中のドジなキャラクターを自らと重ね合わせている。 <http://nobi-aniki.com/> ●TWS Emerging 156金子良/のびアニキ[のびアニキのザッツエンターテイメント!] 会 期: 2011年06月04日(土) ~26日(日) 休館日: 6/20 時 間: 11:00〜19:00 入場料: 無料 主 催: 公益財団法人東京都歴史文化財団トーキョーワンダーサイト 会 場: トーキョーワンダーサイト本郷 <http://www.tokyo-ws.org/hongo>
「のび太」という生きかた 実例。 amazon_associate_logo.jpg
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「秋葉原事件」とは何だったのか 気鋭の言論人が追った加藤智大の横顔

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北海道大学公共政策大学院准教授・
中島岳志氏。
 2008年6月8日12時30分ごろ、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生した。歩行者天国にトラックで突っ込み、ダガーナイフで通行人を切りつけるという残忍なこの事件によって死者7人、負傷者10人という被害者が出た。  その規模の大きさだけでなく、加害者である加藤智大にまつわる「非正規雇用」「ネット掲示板」といったキーワードがセンセーショナルにメディアを騒がせたこの事件。果たして、彼はどうしてこのような事件を起こすまでに追い込まれていったのか? そして、このような事件が引き起こされてしまう現代とは、どのような時代なのだろうか? これまで論壇誌などで数々の社会的な事件について寄稿し、今年3月にノンフィクション『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を上梓した北海道大学公共政策大学院准教授・中島岳志氏にお話を伺った。 ――秋葉原事件について中島さんは、事件発生当初からどのように動かれていたんでしょうか? 「事件直後からさまざまな取材の依頼が来たんですが、そのほとんどを断っていました。加藤の全貌が把握できず、語ることができなかったんです。裁判が始まり、実際に彼自身の言葉が語られるようになったのが昨夏ごろ。それから裁判に出席したり、加藤の出身地である青森に足を運んだり、彼の友人に話を聞いたりと本書のための取材を開始しました」 ――裁判で見る被告の姿はいかがでしたか? 「小柄でびっくりしましたね。いつも同じスーツを着ているんですが、スーツに着せられているように感じました。線が細くて小柄な彼の体は、あの事件の大きさととても結び付きにくかった。また、裁判中はピクリとも動かず、感情の動きが外からは見えにくい人だなと感じましたね」 ――本書では、加藤被告の精神構造を「ネタ化」「ベタ化」といった言葉で分析されています。 「彼が言っていることを整理すると、『建前』『本音』『本心』はどれも違うと主張している点がポイントです。現実の世界は、彼にとっては『建前』の関係で、本当のことなんて言えない世界です。一方、ネットは彼にとっては『本音』の世界でした。ただし『本音』と『本心』は異なります。例えば、彼は『ゲーセンでイチャついているカップルに火をつけたい』といった内容を掲示板に書き込んでいるんですが、これは『本音』だけど『本心』ではありません。本当に火をつけたいわけじゃないけど『うっとうしい』という気持ちはあるんです。その気持ちを『ネタ』にしているのが書き込みなんです。そして、その皮肉を分かってくれる人とベタな『友達』になりたかった」 ――加藤被告としては、あくまで「本音」のレベルでの関係を求めていたんでしょうか。 「そうだと思います。ネットで知り合った人に、彼は自分の悩みを相談していました。そういう関係性を具体的に結びたいと思っていたんでしょうね。『ネタ』を繰り出せるのが自分の才能だと思っていたから、その『ネタ』を面白がってくれる人は彼にとって自分の才能を認めてくれる人だったんです。その承認を得た上で『ベタ』な悩みを共有でき、手を取り合える関係を望んでいたんです」 ――この事件は、当初から非正規雇用の問題が語られていました。中島さんも以前非正規雇用者として働いていたそうですが、この労働形態についても問題を感じますか? 「僕は31歳まで一種の非正規で、不安定な就労形態だったんですが、僕の場合はそんなに過酷な仕事ではありませんでした。ただその不安はよく分かりますね。非正規雇用のつらさは代替可能性の問題です。『あなたでなくても別の誰かを雇ったらいい』という関係でしか扱われないんです」 ――「自分でなくてもいい」という事実は、仕事のやる気も失わせますね。 「非正規労働者には『自分がいないと社会が回らない』『自分は重要な仕事をしている』といったアイデンティティーが初めから失われています。いつでも付け替え可能で便利な他者として扱われているんですね。これは人間としてキツいことです。自分の居場所と言えるようなものがないんです」 ――仕事場だけでなく、家庭や友人関係の中にも、加藤被告はそのような居場所を持ち得なかった。 「けれども、それを持ち得た瞬間はあったんです。加藤にも真剣に向き合って話をしてくれた他者がいました。青森で加藤と一緒に仕事をしていた藤川さん(仮名)という人物がそうです。彼は加藤に『なに勘違いしてんだ!』と怒鳴り、しっかりと向き合ってくれた人でした。藤川さん以外にも、そうやって向き合ってくれた人が彼の人生には何人か現れます。加藤はそれらの人たちに本音を吐露し、涙を流すことがあったんですが、最終的には向き合うことができなかった」 ■加藤智大に届く言葉とは? ――本書では藤川さんの発したような「言葉」の重要性にも言及されていますね。 「加藤のような人間にも届く言葉があると思うんです。彼が事件直前に派遣先で暴れた後に、掲示板に書き込んだのがBUMP OF CHICKENの『ギルド』の歌詞でした。バンプの曲が彼の根源的なところに届いたんですね。加藤のような人が何十万人といる社会に、どんな言葉を投げ掛けられるのか? 加藤を通じて自分と向き合いたいというのが本書の狙いのひとつでした」 ――インターネット上に限らず、言葉は社会にあふれています。どうしてそれらの言葉は加藤被告には届かないのでしょうか? 「例えばネット上で『死ね』と言っても、加藤にとっては何の意味もありません。裁判中にピクリとも動かない彼が反応した言葉は、ある被害者からの『一つでもいいから世の中のためにいいことをしてください』というものでした。定型句ではなく、『なんとかあなたのことを理解したいから、あなたは自分と向き合ってほしい』という言葉に加藤は反応しました」 ――「自分の言葉」でしっかりと向き合えば、加藤被告はそれに対して向き合うことができた。 「『自己責任』などの定型句が飛び交う世の中で、本当に他者に届く言葉を僕たちは発しているのでしょうか? 一瞬でも真剣に自分と向き合ってくれた言葉に加藤は動かされたんです」 ――一方、加藤被告の発した「誰でも良かった」という言葉を中島さんはどのように受け止めますか? 「逆に言うと、殺したい人は特定の誰かではなかったんです。ただ本当に誰でもいいわけではありません。彼は『秋葉原』という場所を選んでいますよね。彼の価値観における世界の中心は秋葉原であり、秋葉原で事件を起こすということに意義があったんです。職場である静岡では意味がなかったんですね」 ――お話を伺っていると、この事件はあらためて現代を象徴するようなものだったと感じます。 「加藤の暴力は他者に向かったから注目されましたが、その暴力が『自分』に向かうことで引き起こされるのが、毎年3万人以上の自殺者です。現代の日本社会は自殺と他殺が背中合わせなんだと思います」 ――本書では、1995年のオウム事件以降続く、世の中の「分かりやすさブーム」への警鐘も鳴らしています。この「分かりやすさ」とはどういった種類のものでしょうか? 「分かりやすいことはもちろん重要だと思っているんです。けれども、現代では『分かりやすさ=単純化』と勘違いされています。以前、NHKの歴史番組『その時歴史が動いた』のリサーチャーをやっていたんですが、そこで感じたのが分かりやすさという名の単純化でした。そもそも『その時』に歴史なんて動かないんですよ。それなのに、さまざまな枝葉を切り、単一の原因に帰結させていってしまう。そもそも人間や世の中は合理的ではないし、複雑なものだと思うんです。それを丁寧に説明していくのが『分かりやすさ』ではないでしょうか。世の中は『○か×か』という結論に持っていきがちですよね。これはヤバいのではないかと思っています」 ――確かに、メディアは物事を単純化して報道をしてしまいがちですね 「もっと重層的に考えなきゃならないんです。すごく短い時間で『秋葉原事件はこういう事件だった』という結論のような言説が生み出されてしまう。さらに、それで分からなければ、理解しようとする手だてすら放棄して『モンスター』と言い出すんです。さまざまなものを丁寧に見ようとしない時代になってしまったんじゃないでしょうか」 ----―最後に、中島さんとして、全国にいる「加藤のような人」に対して、どんな言葉を投げ掛けられますか? 「もちろん一言で言えないからこんな長い本を書いたので、簡単なものではありません。ただ、ギリギリ言えることは自分を考えるためにこの『秋葉原事件』を読んでほしいですね。加藤が事件を起こすまでのプロセスを経ることで、自分はどう感じることができるのかという問いを持ってほしいです」 (取材・文・写真=萩原雄太[かもめマシーン] ●なかじま・たけし 1975年、大阪府出身。99年、大阪外国語大学外国語学部卒、2004年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程修了。現在、北海道大学公共政策大学院准教授。学術博士(地域研究)。専門は南アジア地域研究、日本思想史。05年、『中村屋のボース』(白水社)で大佛次郎論壇賞を受賞。10年より朝日新聞書評委員を務める。
秋葉原事件―加藤智大の軌跡 定価1,470円/朝日新聞出版刊 amazon_associate_logo.jpg
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名脇役・光石研の気取らない俳優哲学 33年ぶりに主演『あぜ道のダンディ』(後編)

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映画出演作は140本を超える光石研。
「メジャーとインディーは、タオル1枚の違い」と語る。
前編はこちらから ――33年間の俳優生活。最近でこそ年間10本近くの映画に出演していますが、若い頃は仕事が少なくて大変な時期もあったんですよね? 光石 えぇ、厳しい時期がありましたね。20代の頃は仕事があったんですが、30代前半は辛かった。男の子から大人になっていくに従って、仕事が減っていったんです。ボクに限らず、俳優はみんな経験することでしょうね。まぁ、俳優業に限らず、働いている男は青年期から大人へ移行するに従って、求められる役割が大きく変わっていくと思います。どうやって、それを乗り切ったのか、自分ではよく分かんないですね(苦笑)。ただ、仕事が明らかに減っていくわけですから、今までの取り組み方を変えないと、この世界で長く仕事を続けることはできないなと切実に感じました。何か手掛かりはないかと、いろんな映画を観たり、「どんなオーディションでも受けるから」と事務所に頼んだりしました。事務所から「この人に会ってみたら」と勧められたら、会いに行きました。29歳で結婚し、しっかり稼がないといけない時期だったのですが、その頃はなかなか難しかったですね。事務所にお金を借りたこともあります。でも不思議と転職することは考えなかったですね。映画の中ではいろんな役を演じましたが、実社会では何もできないんですよ。この仕事以外、ボクには何もできないんです(苦笑)。 ――そんな状況の中、岩井俊二監督の深夜ドラマ『ゴーストスープ』(1992年、フジテレビ系)での傷痍軍人、青山真治監督の『Helpless』(96)での片腕のチンピラといった世間から疎外されたキャラクターを演じ、徐々に注目されるようになったわけですね。 光石 丁度バブルが弾けて、低予算の作品を若い監督たちが任されるようになり、それで年齢の近いボクを使ってもらえるようになったんです。時代のタイミングが良かったんです。俳優って自分でどれだけ意欲を持っていても、どうにもならない面がありますから。同じ頃に、オーディションを受けて『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(96)にも出ました。カメラを回さないリハの段階で、50テイク近くやり直しさせられましたね。19歳のときに出演した『セーラー服と機関銃』(81)でも相米監督に半日近くリハを繰り返させられたことがありましたが、あのときは若かったから良かったけど、『枕草子』は34歳のときでしたから、これはキツかった(苦笑)。でも、そのお陰で、「常に気持ちを新たにしないと、この仕事は続かないぞ」と気づくことができたんです。「次の仕事も真剣にやらないと、また酷い目に遭うぞ」と肝に銘じるようになりましたね。
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光石研にとって33年ぶりの主演作。『カイジ』
で共演した藤原竜也や同じ事務所の岩松了
らがスクリーンを盛り上げている。
(c)2011「あぜ道のダンディ」製作委員会
――『枕草子』での光石さん、現代劇なのに何故か弓で矢を射っている不思議な役でしたね。 光石 えぇ、本当に不思議な作品でした。訳わかんないですよね。でも、出演できて良かったと思いますよ(笑)。 ■メジャーとインディーズの違いとは? ――宮田が勤める運送会社の同僚役で藤原竜也が出演していますが、『カイジ 人生逆転ゲーム』(2009)繋がりですか? 光石 はい。『カイジ』では2人のシーンがけっこう多くて、藤原さんには凄く良くしてもらったんです。どういうルートで藤原さんに話が伝わったのかボクは知らないんですけど、手弁当みたいな形で出演してくれて、うれしかったですねぇ。その上、藤原さん、現場に差し入れまで持ってきてくれて。 ――昨年は三池監督の本格時代劇『十三人の刺客』でも、刺客たちの引き立て役を見事に演じました。『カイジ』や『十三人の刺客』みたいなメジャー作品に出るのと、本作のようなインディペンデント作品に出るのでは取り組み方に違いはありますか? 光石 どちらも違った楽しさがあります。メジャーはメジャーで普段は体験できないような世界を味わえますし、インディーズはインディーズでみんなで汗まみれになりながら寝る暇もなく作っていくという面白さがあるんです。どっちがどうではなく、それぞれ面白いです。それに映画って大作だと朝早く起きなくていいかというと、そんなことはなく、やっぱり朝6時には出発しますし、ズブ濡れにならなきゃいけないときは全身グッチョグチョになります。現場の苦労は変わらないですね。まぁ、グッチョグチョになったときに、予算のある映画の場合は手渡されるタオルが1枚多いとか、ストーブが1台多いとか、そのくらいの違いなだけですよ(笑)。
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前田健の振り付けによるミュージカルシー
ン。光石研いわく「ダンスは初めて。台所の片隅
で毎日練習しました」。
――"メジャーとインディペンデントは、タオル1枚の違い"ですか。ベテラン俳優ならではの言葉ですね。『地獄の逃避行』(73)『天国の日々』(78)で知られる名匠テレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』(98)にも日本兵役で出演しましたね。 光石 えぇ、米国映画らしく4台のカメラを同時に回していましたね。撮影前に説明があって、スタートと同時にカメラが一斉に回り出して、一気に撮るというスタイルを何度も繰り返しました。集中して演技するという面白さがありましたね。タイ映画『インビジブル・ウェーブ』(06)にも出演しましたが、やはり独特のスタイルがありました。それぞれ現場での苦労は違いますが、また違った楽しさもあるんです。そのお陰で飽きずにずっと続けられたように思いますね。 ――ひとつひとつの仕事を楽しめるのが光石さんの才能ですね。 光石 いやぁ、本当にね、スタッフのお陰なんです。俳優は、スタッフがいてくれてこそですから。 ――普段はお人好しのキャラクターを演じることが多い光石さんですが、園子温監督の社会派サスペンス『紀子の食卓』(06)でのバイオレンスシーンは強烈でした。 光石 ハハハ、あのときは大暴れさせてもらいました(笑)。やっぱりね、あのときは撮影が終わって家に帰ってからも、興奮して寝付けませんでしたね。アドレナリンが出過ぎて眠れないときは、クールダウンするためにちょっとお酒を呑みますね。 ――行きつけのバーで呑むんですか、それとも自宅派ですか? 光石 以前は誘われて外へ飲みに行ってましたけど、最近はもっぱら家呑みですね。だいたい現場から帰って、家でちょっと呑んで、寝るという生活です(笑)。ビール呑んで、それからハイボールかな。いつもじゃないけど、女房にもたまに付き合ってもらいます。女房はこっちの業界とは全然関係ないんで、結婚してしばらくは俳優の不規則な生活に戸惑ったと思います。今まであんまり考えなかったけど、この仕事をずっと続けられたのは家族の理解があったからかもしれませんね。うん、家族にも感謝しないといけないかな(照れ笑い)。 ――光石さん、サイコーです! 最後にオヤジ世代とオヤジ予備軍にメッセージをお願いします。 光石 老けるには、早いですよ。ボクらにはまだまだ50代、60代、70代とあります。若い人に媚びを売っても仕方ないですよ。誰でも何かひとつは楽しみがあると思うので、ボクらが楽しんで生きましょう! こんな感じで、いいですか? いやぁ、今日はどうもありがとうございました(笑)。 (取材・文=長野辰次) ●『あぜ道のダンディ』 脚本・監督/石井裕也 出演/光石研、森岡龍、吉永淳、山本ひかる、染谷将太、綾野剛、蛍雪次朗、藤原竜也、岩松了、西田尚美、田口トモロヲ 配給/ビターズ・エンド 6月18日(土)テアトル新宿、ユナイテッド・シネマ前橋、シネマテークたかさき他全国順次ロードショー <http://www.bitters.co.jp/azemichi> ●みついし・けん 1961年福岡県生まれ。曽根中生監督の『博多っ子純情』(78)のオーディションで抜擢され、主演デビュー。中島貞夫監督の『瀬降り物語』(85)、水谷俊之監督の『ひき逃げファミリー』(92)、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(94)、青山真治監督の『Helpless』(96)『ユリイカ』(2001)『サッド ヴァケイション』(07)の"北九州3部作"、橋口亮輔監督の『ハッシュ!』(02)、李相日監督の『BORDER LINE』(03)、瀬々敬久監督の『ユダ』(04)、園子温監督の『紀子の食卓』(06)、周防正行監督の『それでもボクはやってない』(07)、吉田康弘監督の『キトキト!』(07)、荻上直子監督の『めがね』(07)、森義隆監督の『ひゃくはち』(08)、佐藤東弥監督の『カイジ 人生逆転ゲーム』(09)、三池崇史監督の『十三人の刺客』(10)、平山秀幸監督の『信さん・炭坑町のセレナーデ』(10)ほか映画出演作は140本を超える。2011年公開作に『毎日かあさん』『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-』『岳-ガク-』。公開待機作に『ロック~わんこの島~』『しあわせのパン』『東京プレイボーイクラブ』などがある。
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うつ病増加の一因!? 現代人が陥った「空虚な承認ゲーム」って何だ?

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批評家・山竹伸二氏。
 2008年6月、東京・秋葉原の歩行者天国にトラックが突入し、通行人ら17人を殺傷した事件は記憶に新しい。せんだって一審で死刑判決が出た事件の被告人は、インターネット上の掲示板に頻繁に書き込みをすることで、インターネットの世界でだけでも"承認"を求めていたのではないか? という議論があった。  そんな、現代にまん延していると言われる承認不安を真正面からとらえ、フロイトらを援用しながら現代の承認欲求への処方せんまでを考察したのが、批評家・山竹伸二氏の『「認められたい」の正体 承認不安の時代』(講談社)だ。今回、山竹氏に、学校や会社などで行われている"空虚な承認ゲーム"について聞いた。 ――"承認"に関しての本を執筆しようと考え始めたのは、いつごろですか? 山竹伸二氏(以下、山竹) 最初は、承認に関する本を書く予定ではなかったんです。もう少し倫理的な問題、道徳哲学的な本を書きたいと考えていました。 ――具体的に道徳哲学の中でも、どんなことを書きたいと思っていたのですか? 山竹 道徳哲学といっても堅い道徳の議論というよりは、人間の実存的な悩みに結び付くようなものが最初のモチーフとしてありました。要するに、正しいことをしなければいけないとか、困っている人を助けなければいけないというのが一般的な道徳の議論ですが、正しいことをしなさいと言われるだけでは、なかなか人間は動きません。しかし、何か善い行いをして、他人や仲間、社会などにそれを認めてもらう。単純なことですが、そういう部分が確保されていれば、人間は善い行いができる。そう考えると、やはり承認という問題が大きいのではないかと考えました。 ――本書の中で出てくる「空虚な承認ゲーム」とはどのようなものですか? 山竹 例えば、仲間の承認を得るために、自分の本音を抑えて仲間の言動に同調するような態度を取ったり、リーダー格の人間の気分を敏感に察知して、場の空気を読み、絶えず仲間が自分に求めている言動を外さないように気を使う、というような行為がありますよね。価値のある行為によって認められるわけでも、愛情や共感によって認められるわけでもない。つまり、空虚な承認ゲームとは、その場の空気に左右される、中身のない承認をめぐるコミュニケーションのことです。 ――それは、現代に特有なものですか? 山竹 現代に特有というものではなく、昔からあると思います。一般的に身近な人間に受け入れられたい、そのためにやや同調しがちになったり、自分の意に反して同調して、相手の意に沿うような行動をしてしまうことは昔からあるわけです。 ――よく言われますが、昔は宗教やいわゆる大きな物語により、社会規範や価値観がしっかりしていた。 山竹 身近な宗教グループの内で、人間関係の齟齬があっても、一方で、教義や神を信じて、それに準じた行動をすれば神の承認を得られるわけです。そして、そのことで身近な人たちから多少仲間外れにされたとしても自分が間違っているわけではないという、自分の存在価値を確保できる。 ――翻って現代は「空虚な承認ゲーム」が横行している? 山竹 現代の方が増幅しやすい条件が揃っていると思います。今の時代は中心的な価値観が非常に揺らいでいる。はっきり言ってしまえば、中心的な価値観がない相対主義の時代です。そういう時代になると、自分がどうすれば、何を拠り所にすれば、承認されるのかがわからない。社会の中で規範がしっかりしていて、価値観も共有されていれば、その価値観や社会規範に準じた行動をすれば大抵の人は承認してくれるわけですが。 ――そうした「空虚な承認ゲーム」の横行が、自殺者やうつ病患者の増加につながっているのでしょうか? 山竹 それは大いにあると思います。うつ病になりやすい人には特有の性格がある、と昔から言われています。それは、生まじめ、几帳面、人に配慮する、夜遅くまで残業し、休日出勤を繰り返す、何かをもらえば必ずお返しをする、というような一見すると何の問題もない、とても良い人なんです。これは、テレンバッハが主張したメランコリー親和型という性格類型ですが、私なりになぜこのような性格の人がうつ病になりやすいかを考えると、夜遅くまで残業をして、休日出勤を繰り返さないと、自分は認められないんじゃないかという不安が根本にある可能性が高いと思います。 ――具体的に言いますと? 山竹 一生懸命働いて業績を上げなければ、周りは自分を見放してしまうんじゃないか、認めてくれないんじゃないかと。そういう強固な思い込みがあって、そこから抜け出せない。他者への配慮も同調主義に近いものがあります。過剰な配慮をしてしまうのは、これをやっておかないと相手に変に思われてしまう、という不安感があるのです。でも、そんなことを繰り返していると疲弊してきます。疲れて、どこかでダウンしてしまう。それまでは、強迫的にその不安を回避しようと行動していた。ところが、実際にそんなことをしていると能力的にも仕事の質的にも低下してくるし、対人配慮もできなくなる。もともと自分に対する要求水準が高いので、少しでもできなくなると、どんどん後ろめたくなる。それでうつ病になってしまう。 ――お話を聞いていると、現代は一見すごく自由だと思うのですが、「空虚な承認ゲーム」の枠内だと心理的に自由ではないように思えてきました。 山竹 空虚な承認ゲームの中であれば、与えられるものは、自由ではなく、苦しさですよね。おかしなことに、社会は昔より自由になっているはずですが、実際には自由を感じられない。これを私は「自由と承認の葛藤」ととらえています。先ほども言った話につながりますが、あまり自由でなかった時代、宗教的な時代では、宗教的な規範や価値観でがんじがらめだったわけです。少しでも違うことを言えば抑圧されるような不自由さがあった。しかし、逆に宗教的な規範や価値観通りに行動していれば承認は維持されるわけで、承認不安はないわけです。もっと言ってしまえば、アイデンティティーの不安もあまりない。生まれながらにしてやることは分かっているし、何をすれば認められるかも分かっている。決まった役割以外は許されないし、そういう役割として生まれて死んでいくわけなので、自分が何者なのかという問い自体あまりないですよね。 ――今の時代だと、アイデンティティー不安などがあります。 山竹 近代になって、自由に生きることが可能な時代に少しずつ移行してきた。しかし今度は、自分はどうしたらいいのかという迷いが出てくる。それは単に自分が何をすればよいのか分からないという悩みではなく、どうすれば認められるのかということが複雑に絡んでいる問いなのです。世の中、自分のしたいことをしていいけれど、自分が思った通りにやると批判されるんじゃないか、でも認められたい。それは非常に強い葛藤を生むわけです。これをやると承認されない、これをやると承認されるけど自由がないという、このせめぎ合いが近代になって生まれてきました。 ――出版後の反響はいかがですか? 山竹 承認の概念を大きく変えるものではないか、と言ってくださる方もいましたが、まだ出版したばかりなので、今後の評価を楽しみにしています。 ***  社会は昔より自由になっているが、承認ゲームの中では自由にはなっていないという山竹氏の指摘が、とても面白く新鮮に感じた。承認不安を抱いている読者の方も多いと思う。自らを客観的に見直すためにも、一読をお勧めする。 (文=本多カツヒロ) ●やまたけ・しんじ 1965年広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、現在、哲学・心理学の分野で批評活動を展開。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。著書に『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)『本当にわかる哲学』(近刊、日本実業出版社)『フロイト思想を読む』(竹田青嗣氏との共著、NHKブックス)などがある。
「認められたい」の正体 つーか、褒められたい。 amazon_associate_logo.jpg
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名脇役・光石研の気取らない俳優哲学 33年ぶりに主演『あぜ道のダンディ』(前編)

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噛めば噛むほど、味のある俳優・光石研。
コツコツと仕事を積み重ね、才能を開花させた実力派だ。
 年齢を刻み、キャリアを重ねていくごとに、味わいを増していく俳優・光石研。必要以上に出しゃばることはないが、監督から求められればしっかりと期待に応えてみせる。三池崇史監督の大ヒット作『十三人の刺客』(2010)では見事なやられっぷりを、藤原竜也主演の『カイジ 人生逆転ゲーム』(09)では小市民ならではの哀愁を、園子温監督の問題作『紀子の食卓』(06)ではブチ切れる父親を演じてみせた。映画出演だけでもうすぐ150本に届く、日本映画界屈指の名バイプレイヤーである。そんな隅に置けない男・光石研が、デビュー作『博多っ子純情』(1978)以来となる、実に33年ぶりに主演したのが石井裕也監督の『あぜ道のダンディ』。家族を愛することしか能のないヤモメ男・宮田が、2人の子どもの大学進学にアタフタしながらも最高のダンディズムを見せてくれる男泣きコメディーだ。ベテランになっても、ひょうひょうと軽やかさをキープする名優に、33年ぶりに主演した感慨、不遇時代、役にハマり過ぎて眠れぬ夜の過ごし方......を語ってもらった。ひと言ひと言に、スルメのように味があるんですよ。 ――高校生のときにオーディションを受けた『博多っ子純情』で主演に抜擢されたときも驚かれたと思いますが、49歳での主演作『あぜ道のダンディ』はまた違った驚きがあったんではないですか? 光石研(以下、光石) えぇ、そうですね。正直なところ、「ボクでいいんですか?」と思いました(笑)。事務所のマネジャーから「こんな話が来てるよ」と連絡があったんですが、「ボクの主演作じゃ、映画は実現しないだろう。企画が通らないだろう」と思ったんです。映画って、水ものですからね。 ――なんと控えめな自己評価! とはいっても俳優ですから、当然のように「主役を演じてみたい」という野心は持たれているわけですよね? 光石 そうです、もちろんそれはあります。でもねぇ、「オレが主役だ。オレがやってやるんだ」と、そればっかり意識していると、変な力が入ってダメだと思っていたので、今回もいつも通りにしていました。そのうち、台本が固まってきて、衣装合わせが始まって、ロケ地が決まって......、ようやく、その気になったんですけどね。そうなるまでは「いやいや、まだ分からないぞ」とずっと自分に言い聞かせてました(笑)。自分の名前が最初に載っている台本の空いている部分(スタッフ&キャスト表)が次第に埋まっていくのは、そりゃあうれしかったですよ。ボクの主演作が実現するように、本当に大勢の方たちが動いてくれたわけですから。でも、現場が始まると、もうそれどころではないですね。今回は特にスケジュールが厳しくて、寝る暇もないくらいでしたから。現場で喜びを噛み締めるなんて余裕はまったくありませんでしたよ(笑)。
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冴えない中年男の宮田(光石研)と真田(田
口トモロヲ)は、中学のときに「カッコいい
大人になる」と誓い合った仲。
(c)2011「あぜ道のダンディ」製作委員会
――33年ぶりの主演作ですよ。ご自宅で赤飯を炊いたりとかなかったんですか? 光石 ハハハ、いやぁ~全然そういうのはありませんでした。まったく、いつも通り。何の変わりもなく、家を出て現場に向かいました(笑)。 ――常に自然体というところが、光石さんならではですね。今回は同じく日本映画界が誇る名バイプレイヤー・田口トモロヲさんとの共演。中学校からの親友同士という役がぴったりハマってましたが、実はお2人の本格共演は初なんですよね? 光石 そうなんです。一度だけ、トモロヲさんがテレビドラマに主演されたときにボクも出たんですけど、そのときの撮影は小1時間程度で済んでしまったんです。ですから今回みたいに、トモロヲさんと2週間べったりの現場は初めてでした。 ――俳優ひと筋の光石さんに対し、田口トモロヲさんはバンド活動、カルト映画『鉄男』(89)に主演、『アイデン&ティティ』(03)『色即ぜねれいしょん』(09)の監督......と多彩な活躍ぶり。同じ名バイプレイヤーでも、キャリアもカラーも異なります。 光石 ボクとは全然違います。ボクらの世代にとっては、トモロヲさんは80年代の"カルトキング"ですからね。トモロヲさん、パンクバンドをされていたけど、現場ではとても静かな方なんです。撮影が始まると、スーと自然な感じでギアが入っていくんですね。ボクなんか、「よし!」と腹に力を込めてるところがあるけど、トモロヲさんはそういうのを感じさせませんね。でも、トモロヲさんと一緒のシーンはすごくやりやすかった。本当、すんなりとやれました。トモロヲさんと共演させていただけて光栄でしたね。 ――石井裕也監督の脚本はどうでしたか? 「後ろにもさがれなければ、前にも進めない50歳。大変なんて、分かりきったことを言うな!」なんて名台詞が飛び出します。 光石 石井監督、痛いところ突いてきますよねぇ(笑)。トモロヲさんとも、「石井監督は若いのに(83年生まれ)、よく分かってるよねぇ」なんて話をしましたね。石井監督は演出もすごく丁寧なんです。「ここは、ぐっと苦み走ったような表情でいきましょうか」みたいに、シーンごとに丁寧に演出してくれるんです。
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妻を亡くした宮田は「自分も胃ガンでは
?」と思い込むが、子どもたちの前では決
して弱音を吐かない。
――ヤモメ暮らしの宮田と子どもたち(森岡龍、吉永淳)は、普段は会話はないけど、深いところでちゃんと繋がっている家族。子どもの頃に母親を亡くした石井監督の実体験や理想像が盛り込まれているんでしょうね。 光石 えっ、そうなんですか。ボクは石井監督のご家族のことは全然知りませんでした。そうでしたか。あぁ、そういうことなら、息子役の森岡龍くんには、石井監督の想いがきっと投影されているでしょうね......(しばらく、感慨に耽る)。ボクね、監督とは余計なことは話さないんです。というか、話せないんです(苦笑)。監督というとカメラの向こう側にいる、いちばんの長でしょ。デビュー作『博多っ子純情』の曽根中生監督や『セーラー服と機関銃』(81)の相米慎二監督といった昔の監督はみんな厳しくて怖かったこともあって、今でも監督とはうまく話せないんです。自分より年下だとか関係ないですね。監督って、ボクにとっては年齢に関係なく近寄りがたい存在。「監督、ここはどういうことなの?」なんて気軽には現場で話し掛けられないんです。 ■ベテラン俳優にとって、いちばんの財産とは? ――プロの俳優と監督の間に余計な会話は要らないということでしょうか。宮田は「家族には弱音を吐かない」「家族の前では弱みを見せない」などのダンディズムを幾つも持っていますが、今日は光石さんの俳優としてのダンディズムをぜひ聞かせてください。 光石 ボクなんかより、宮田くんの方が断然ダンディですよ(笑)。ボクはね、すぐに弱音を吐いちゃう。家族の前でも、「眠い」とか「しんどい」とか口にしてしまう(苦笑)。家族の前だけじゃなくて、現場のスタッフにも「寒いよ」「暑いよ」とすぐに愚痴っちゃう。ボクは宮田くんみたいにカッコよくないんです。全然ダンディじゃないです。 ――いやいや、独自の矜持を持っているからこそ、30年以上も俳優業が続いているんだと思います。 光石 どうなんでしょう。でも、スタッフに愚痴りながらも、現場でみんなと過ごすのが好きなんです。本当、現場は大変なんで、愚痴ってないと続かないんですよ(苦笑)。それでね、長年この仕事をやっているんで、どこの現場に行っても、顔見知りのスタッフがいるんです。これがボクにとっての、いちばんの財産ですね。『博多っ子純情』では何も知らない田舎の高校生のボクを、そのときのスタッフはすごくかわいがってくれて、そのことがあって、ボクはこの世界に入ったんです。福岡から上京したばかりのときも、スタッフにはずいぶん呑みに連れて行ってもらいましたし。今では自分よりずっと年下の若いスタッフが「ボク、光石さんが出演したあの作品の現場にもいたんですよ」なんて声を掛けてくれる。そういうのが凄くうれしいんです。 ――光石さんがいることで、現場がいいムードになるんでしょうね。 光石 それは、どうでしょう。ボクひとりで、どうにかなるもんじゃないと思いますよ。でも、少なくともボクは現場でスタッフと何気ない会話をちょっとすることが安らぎになっていますね。顔見知りのスタッフと再会したり、若いスタッフが育ってるのを感じたり、そういうのが現場での喜びなんです。 (後編につづく/取材・文=長野辰次) ●『あぜ道のダンディ』 脚本・監督/石井裕也 出演/光石研、森岡龍、吉永淳、山本ひかる、染谷将太、綾野剛、蛍雪次朗、藤原竜也、岩松了、西田尚美、田口トモロヲ 配給/ビターズ・エンド 6月18日(土)テアトル新宿、ユナイテッド・シネマ前橋、シネマテークたかさき他全国順次ロードショー <http://www.bitters.co.jp/azemichi> ●みついし・けん 1961年福岡県生まれ。曽根中生監督の『博多っ子純情』(78)のオーディションで抜擢され、主演デビュー。中島貞夫監督の『瀬降り物語』(85)、水谷俊之監督の『ひき逃げファミリー』(92)、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(94)、青山真治監督の『Helpless』(96)『ユリイカ』(2001)『サッド ヴァケイション』(07)の"北九州3部作"、橋口亮輔監督の『ハッシュ!』(02)、李相日監督の『BORDER LINE』(03)、瀬々敬久監督の『ユダ』(04)、園子温監督の『紀子の食卓』(06)、周防正行監督の『それでもボクはやってない』(07)、吉田康弘監督の『キトキト!』(07)、荻上直子監督の『めがね』(07)、森義隆監督の『ひゃくはち』(08)、佐藤東弥監督の『カイジ 人生逆転ゲーム』(09)、三池崇史監督の『十三人の刺客』(10)、平山秀幸監督の『信さん・炭坑町のセレナーデ』(10)ほか映画出演作は140本を超える。2011年公開作に『毎日かあさん』『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-』『岳-ガク-』。公開待機作に『ロック~わんこの島~』『しあわせのパン』『東京プレイボーイクラブ』などがある。
十三人の刺客 通常版 こちらも好演。 amazon_associate_logo.jpg
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裕木奈江が極北のホラー映画で怪演!「ツッコミながら楽しんでください」

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ワールドワイドに活躍する裕木奈江。子犬のように潤んだ瞳は健在です。
 アイスランドの歌姫ビョークの作詞家×伝説のホラー映画『悪魔のいけにえ』(1974)×捕鯨問題×国際派女優・裕木奈江。一見、何の接点もなさげなこれらの要素が惑星直列のごとく重なり合った瞬間、奇跡が起きた! アイスランド史上初となるホラー映画『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』がメタメタに面白いのだ。ビョークに歌詞を提供している脚本家シオン・シガードソンの発案による本作は、『悪魔のいけにえ』(原題『テキサス・チェーンソー・マサカー』)をアイスランド風味に味付けしたもの。内容はタイトルのまんま、アイスランドの首都レイキャヴィクへ呑気にホエール・ウォッチングに集まった外国人観光客たちを、"反捕鯨運動"のせいで失業したイカれた漁師ファミリーが襲い掛かるというもの。裕木奈江はツアーガイドとして事件に巻き込まれちゃうわけだが、拉致された捕鯨船の中で火炎瓶を作って逆襲に転じるなど大活躍。ある意味、殺人鬼ファミリーより目立っている。ホラーファンのツボを抑えたゴアシーンに加え、ホラーコメディー『死霊のはらわた』(81)級の爆笑シーンもあり。極北の島国で、こんなに素敵におかしな映画が作られていたとは!? ボーダーレスに活躍する裕木奈江に、映画の裏話、近況、さらに多忙を極めたアイドル時代についてフリーダムに語ってもらった。 ――『レイキャヴィク――』、面白すぎますよ。裕木さん大活躍で、最後の最後まで目が離せないじゃないですか。 裕木奈江(以下、裕木) 活躍しすぎですよねぇ(笑)。デヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』(2006)を観たジュリアス・ケンプ監督から出演のオファーをいただいたんですが、最初は「どうせアジア人の役だからすぐに殺されちゃうんだろうなぁ」と思って脚本を読んだんです。でも、読んでみたら、これが意外といいポジションじゃないですか(笑)。もう何やっても平気だろう、今さらホラーものに出たからといって、次の仕事が来なくなるとかオーディションに呼ばれなくなるとかはないだろうって出演OKしたんです。 ――ホラーものは、三池崇史監督のテレビドラマ『多重人格探偵サイコ』(00年、WOWOW)以来ですか? 裕木 そうですね。ここまでのホラーものは初めてです。でも、本当に今回は不思議な役でしたね。がんばりました(笑)。
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「私が演じたエンドウは謎が多い。
実は日系人夫婦をマークしている二重
スパイじゃないかと私は睨んでいるん
です」と楽しげに語る。
――いろいろとツッコミがいのある作品ですが、中でも裕木さんが演じたエンドウは非常にミステリアスな女。エンドウは一体何者なんですか? 裕木 金持ちの日系人夫婦に雇われたツアーガイドなんですけど、どうも待遇が良くないらしく、不満を抱えている女性のようですね。捕鯨船の一室で火炎瓶をいきなり作り始めるんですけど、彼女はどこでそんなスキルを身に付けたのかとか、そういう説明は一切ないんです(苦笑)。ジュリアス監督に尋ねたら、「脚本にそう書いてあるから」と言ってました(笑)。リアリティーを追求する作品ではないんで、細かい部分を突き詰めていくと成り立たないんです(笑)。エンドウの行動や台詞は、私のアドリブじゃないですよ。 ――「脚本に書いてあるから」って、すごい返答ですね。火炎瓶をいそいそと作り始めたシーンは、裕木さんが学生運動の闘士を演じた『光の雨』(01)を連想しました。 裕木 『光の雨』は、実際の史実を参考にし、学生運動に関わっていた高橋伴明監督の指導を受けてリアルに演じたんですが、ジュリアス監督は『光の雨』のDVDは多分観てないと思います(笑)。エンドウが「トラ・トラ・トラ!」と叫ぶシーンもあるんですが、最初はちょっと嫌だったんです。クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(06)にも出させていただきましたし、こういう台詞を口にするのはどうだろうなって悩みました。でも、この作品は娯楽作品なんで、楽しんで観ていただければいいなと。みなさんでツッコミを入れながら劇場で盛り上がってください(笑)。 ――反捕鯨運動に対するメッセージが込められた作品じゃないんですよね? 裕木 だと思います。でも、やはり捕鯨の伝統があるアイスランドで生まれ育った脚本家や監督たちが作ったリアルなブラックコメディーだなと感じますね。アイスランドは人口32万人という小さな島国ですけど、みなさん物すごく教養があって、読書率が世界で1、2位を争うほどらしいんです。多分、雪に閉ざされる期間が長いからでしょうね。でもその分、サーカスティックというかひねった考え方をする方が多いように感じます。20年間捕鯨禁止になっていたことで、実際に仕事を失った人もいると思うんです。日本だと良識が邪魔をして、失業した漁師一家が外国人観光客を襲うなんてホラー映画は作られませんよね。米国でテレビ放映されているアニメ『サウスパーク』とかもそうですけど、おバカな状況を笑い飛ばしちゃう。当事者もそれを観てゲラゲラ笑う。日本じゃ、なかなかできませんよね。私にもできない。これが日本の作品だったら、私も出演したかどうか分かりません。 ――撮影現場はどうでしたか? 船上のシーンが多いためスタッフは船酔いで寝込み、英国から来たキャストはノイローゼ寸前だったとか。 裕木 撮影そのものは普通でした。でも、夏の撮影でも天候が悪いと寒いんです。それで撮影が終わったら、ホテルの部屋に戻るしかないんですね。街に行っても、お酒を飲むところ以外に娯楽施設がないんです。私はお酒を飲まないわけじゃないけど、毎晩は飲まないので。アイスランドの飲み屋では酔っぱらって、ケンカがよく起きるみたいです。酔うとバイキングの末裔としての血が騒ぐみたいですよ。アイスランド名物だと聞きました(笑)。
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殺人鬼ファミリーの巣窟である捕鯨船に連れ
込まれたエンドウ(裕木奈江)。序盤の大人
しさをかなぐり捨てて、大逆襲!
――冬のアイスランドで撮影された『コールド・フィーバー』(95)では永瀬正敏が露天風呂に浸かっていましたけど、裕木さんは温泉に入りました? 裕木 ホテルのシャワーから硫黄泉のにおいがしました。ゆで卵みたいなにおい(笑)。地下の水を汲み上げて温めているから、温泉みたいな感じでしたよ。箱根の温泉って飲むとお腹の痛いのが治るとか言いますよね。アイスランドのシャワーの水も試しにちょっと飲んでみたりしました。でも、英国から来た俳優さんは、「シャワーが生臭くて使えない」って愚痴ってました。それは気の毒でしたね。 ――プレス資料には「予算2億ドル」と謳ってありますよ。キャストの待遇、良かったんじゃないですか。 裕木 どうなんだろう。アイスランドが経済破綻する直前で、物価がとても高かった印象がありますね。アイスランド料理は美味しかったんですけど、日本の値段の2倍くらいあったんじゃないかしら。経済破綻して、今はまた安くなったみたいですけど。映画の予算のほとんどは多分、船のチャーター代に使われたんじゃないですか。でも、その船、プロデューサーの持ち物なんですけど(笑)。 ――撮影の裏側もツッコミどころ満載のようですね。アイスランドで08年夏に撮影され、09年に公開。舞台あいさつには参加したんですか? 裕木 行きたかった......。初日はビョークも観に来たそうです。ビョークの大ファンなんで残念。でも、アイスランド映画史上初のホラー映画ってことで、あちらではかなり評価されたようです。私が聞いた限りでは、映画に対する批評はテンポだったり描写に関することで、そこは日本とは違いますね。日本だとどうしても、「こんな不謹慎な映画を作るなんて」みたいなことになりがちですからね。 ■アイドル時代は"洗脳"されていた!? ――裕木さんが出演した米国映画『ホワイト・オン・ライス』(09)、日本のレンタルショップに現在並んでいます。あれも不思議な味わいのコメディーでした。 裕木 デイヴ・ボイル監督は日系のコミュニティで宣教師をしていた方で、とても日本語が堪能なんですよ。米国人から見ると、いい年齢の日本人が仕事を辞めて、「アメリカンドリームだぜ。イエ~イ!」って米国に渡ってくるのが、すごく奇妙に映るみたいですね。デイヴ監督は日本人の彼女もいて、日本文化が大好きで、そういう日本人の不思議な行動を面白がって映画にしたみたいです。
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全編アイスランドでの撮影。夏でもかなり
寒かったそうだ。海に落ちたキャスト、ほんと
に死にそう......。
――女に振られてばかりの放浪癖のある兄としっかり者の妹の物語。いわば、『男はつらいよ』シリーズのかなり意訳された翻訳劇ですよね。山田洋次作品に出演している裕木さんとしては、さくら的な妹役は感慨深かったんじゃないですか? 裕木 そうですね。撮影中に、「あっ、これは寅さんとさくらの関係だ」と気づきました。キャリアが長くなってくると、いろんな役をやるようになりますね(笑)。 ――日本では山田洋次監督に三池崇史監督、米国ではデヴィット・リンチ監督にクリント・イーストウッド監督まで。 裕木 それにアイスランドのホラー映画にまで出ちゃいましたからね(笑)。ほんと、女優としては恵まれたプロフィールです。女優として、グルッと一周した感じです。 ――現在の活動拠点はLAになるんですか? 裕木 そうでもないんです。日本には年2~3回戻っていますし、今回は映画の宣伝も兼ねて2カ月ほど日本で過ごしています。でもプロモーションで取材を受けると「ハリウッド」とか「凱旋」というような読者の目を引くような見出しをつけて下さるので、日本にいない印象があるかもしれませんね。結構日本に居ますよ(笑)。昨年は伊勢谷友介さんの2作目になる監督作に出させていただきました。久々の日本での撮影は楽しかったですね。なので今はどこがベースってわけではなく、仕事があるところが私の居場所という感じです。20代だったら怖くてできなかったでしょうけれど、30半ばになって始めたチャレンジでしたからね、世界が広がって楽しいです(笑) ――18年前のことを聞いてもいいですか。『ポケベルが鳴らなくて』(93年、日本テレビ系)に出演中、女性週刊誌から理不尽なバッシングに遭いましたよね(女性週刊誌から"嫌いな女"に選ばれた)。あの不可解な事象に対して、ご自身ではどのようにケリをつけたんでしょうか?
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『悪魔のいけにえ』で初代レザーフェイスを
演じた伝説の怪優ガンナー・ハンセンが、あぁ
大変なことに!
裕木 ケリをつけるも何もないです。自分が何かやったわけでもなかったし、私が謝るのも変だし、かといって反論する場もありませんでしたし。事務所としても私としても、「来た仕事をがんばろう」ということしかできませんでしたね。 ――女性週刊誌のバカヤロ~! と内心では思った? 裕木 いえ、思いませんでした。考えても口にしても、どうしようもないなと思ってましたし。ドラマでの役をリアルに演じたことでバッシングされたんですよね。じゃあ、もっとリアルじゃないように演じれば良かったのかというと、それじゃ私でなくなってしまう。あれは、私なりに一生懸命に演じた結果ですから。ただ、共演させていただいた緒形拳さんはとても素敵な方で、私も私の事務所のみんなも大ファンだったんです。多分、「緒方さんの大ファンです」って顔を私、していたと思うんです。その点は反省しています(苦笑)。刀はちゃんと鞘に収めておけってことですよね。 ――昔のことを蒸し返してすみません。もうひとつ、初主演ドラマ『ウーマンドリーム』(92年、関西テレビ系)の頃ですが、雑誌のインタビューで「この世界に入ったからには、普通の幸せを望んじゃいけないと思っています」と答えていたんですが、覚えていますか? 裕木 あぁ、あの頃のインタビューで私の話していることはウソです(笑)。当時の事務所の社長に洗脳されていたんです。私、デビューして2~3年は仕事がなかったんですが、あの頃は本当に忙しくて寝る暇がほとんどない状態でした。もちろん歌手やラジオのお仕事させていただいたり、CMで高倉健さんと共演させていただいたり、すごくいいお仕事もさせていただいていたのですが、同時にプレッシャーでもあったんです。高倉健さんとのCMも山田洋次監督が演出の上に、いきなりの撮影でしたし。すごい不安を抱えながら、仕事に追われて、ほとんど寝てなかったので、事務所の社長に「こんなに恵まれた状況になったんだから、普通の幸せを求めるなんてありえないだろ」としょっちゅう言われて、そのまま信じ込んでしまったんですね。私、当時は20歳前後だったから、「タレントや俳優は幸せになっちゃいけないの?」とは言い返せなかった(苦笑)。いや、でも今は違います(きっぱり)。一人ひとりが幸せになることで、社会は明るくなると思うんです。ひとりでも幸せな人が増えたほうがいいに決まってます。で、幸せになった人のことは妬まないこと。みんなで幸せになりましょうよ(笑)。  * * *  『ポケベルが鳴らなくて』の話題に及んだ際、裕木奈江の右目は一瞬潤んだ。名優・緒形拳さんとの思い出が去来したのだろうか。こちらから振っておきながら、インタビューの最後を彼女が笑顔で締めてくれてホッとした。それにしても『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』で裕木奈江が演じたエンドウは、とことんタフだ。生き抜くことに真っすぐだ。彼女のたくましい姿をぜひ観て欲しい。 (取材・文=長野辰次) RWWM_yobi.jpg 『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』 製作・監督/ジュリアス・ケンプ 脚本/シオン・シガードソン 出演/ピーラ・ヴィターラ、裕木奈江、テレンス・アンダーソン、ミランダ・ヘネシー、ガンナー・ハンセン 配給/アップリンク 6月4日より銀座シネパトス、新宿K's cinemaほか全国順次公開中 <http://www.uplink.co.jp/rwwm> ●ゆうき・なえ 1970年神奈川県出身。映画『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(88)で女優デビュー。初主演映画『曖・昧・Me』(90)で注目を集める。92年に人気テレビドラマ『北の国から'92巣立ち』(フジテレビ系)に続いて、小林信彦原作の『ウーマンドリーム』(関西テレビ系)に主演してブレイク。歌手、ラジオDJとしても活躍する。主な映画出演作に磯村一路監督の『あさってDANCE』(91)、山田洋次監督の『学校』(93)、高橋伴明監督の『光の雨』(01)、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(06)、デヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』(06)など。2010年に日本で限定劇場公開された『ホワイト・オン・ライス』(09)もDVD化され、好評リリース中。公開待機作に伊勢谷友介監督、西島秀俊、森山未來が出演する『セイジ 陸の魚』がある。
裕木奈江写真集―La petite escapade de Na´e 懐かしきかな。 amazon_associate_logo.jpg
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"泥酔おもらし女子"コラムのエビオス嬢を直撃取材! ネタか本気か、真相に迫る!

ebios000.jpg  今インターネット上で、「エビオス嬢」なる人物によって書かれた恋愛コラムが「衝撃的すぎる」と話題になっている。  発端は2011年4月26日、仕事もプライベートも全力でがんばる女性におくる脱力ライフ提案サイト「Pouch(ポーチ)」で公開された「オムライスを食べられない女をアピールせよ」(http://youpouch.com/2011/04/26/162331/)というコラム。  この記事は、好みの男性に対し、かわいい女の子を演じてアピールするという内容のもの。   例えば、あえて2~3世代前の携帯を使い「ケータイとか詳しくなくてぇ~! ずっとコレ使ってるんですけどぉ~! 使いにくいんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と怒ってみたり、レストランでオムライスなどの卵を使った料理を見つけて「卵割ったらヒヨコが死んじゃうじゃないですかぁっ! 赤ちゃんかわいそうですぅ!」と身を震わせてオムライスを食べられない女を演じてみたり。  およそネタとしか思えないような内容に、「こんな女の子嫌だ!」「わざと書いてるんですよね?」など、ネット上で大反響を呼んだ。  最近では先月23日に「泥酔おもらし女子で高レベルな恋愛を」という、これまたびっくりするようなタイトルのコラムも公開され(http://youpouch.com/2011/05/23/151614/)、ネット上ではこれらのコラムのパロディーネタが続出するなど、一時お祭り騒ぎとなった。  いったい「エビオス嬢」とは何者なのか? これらのコラムの内容は本気なのかネタなのか? 数々の謎を探るべく彼女に取材依頼を出してみたところ、「メール取材であれば」という条件付きで快く受けてもらえることになった。以下、エビオス嬢の秘密に迫る質問内容とその回答を、一挙公開! ――まず、エビオス嬢さんはおいくつですか? エビオス嬢(以下、エビ) 28歳です。今年で29歳になります。 ――「エビオス嬢」という名前の由来は何でしょうか? エビ 以前、投資銀行に勤務していたのですが、そこで上司がエビオス錠という栄養剤を飲んでいて、健康にいいからって部下にも買わせていたんですね。そうしたら、なんと私の実家の父親も買っていたんですよ(笑)。男はエビオスなのかなと。男を狙う女は「エビオス嬢」かなと。 ――正体は「男性では?」と言われていますが、性別を教えていただけますか? エビ 女です。 ――恋愛マネジメント以外の仕事は何かされているのですか? エビ 週4日都内の飲み屋街で6時間程度、私がママになって飲み屋をやっています。ママと言っても客のほとんどが女性という異様な空間です(笑)。訪れるお客さんのほとんどが恋愛の話をしていくので、飲み屋というより恋愛相談室状態ですね。 ――これまでの経歴を教えていただけますでしょうか。 エビ 大学卒業後、外資系の投資銀行に入って5年間勤務していました。しかし、恋愛のゴタゴタで会社を辞めました。その後少しだけ通訳の仕事をしていましたが辞めて、今はダラダラと飲み屋をやっています。 ――恋愛コラムを書くようになったきっかけを教えてください。 エビ 自分の恋愛経験と、お店で恋愛相談をたくさん受けているうちに、恋愛ってマネジメントできるんじゃないかな? と思ったんです。私が働いているお店に「Pouch」の編集長も時々訪れて、恋愛話で盛り上がっていたんですが、その時に記事を書きませんかと言ってくださったことがきっかけで恋愛コラムを書くようになりました。 ――コラムに書かれているテクニックは、エビオス嬢さんが実践されたことなのでしょうか? エビ もちろん実践したのもありますし、実際にやって成功した人がいるから書いているんです。私の店に来る女性たちからさまざまな恋愛話を聞いていますし、かなり濃い話も知っています。例えば信じられないような話ですが、アフリカ人の彼氏に会うためにアフリカに行った女性が、彼氏の父親にレイプされそうになってこん棒を持って追い掛けられ、一晩森に隠れていたそうです(どこの国かは忘れてしまいました)。 ――読者の中にはコラムの内容を「ただのネタじゃないか」と疑うコメントが多数寄せられていますが、記事は本気で書かれているのですか? エビ ネタではありません。恋愛を成功に導くためのマニュアルです。「ネタ」だと男性が言うのは理解できますが、それを女性が言っているのだとしたら、とんでもないポコチン女ですね。実はそういう女性こそ核心を突かれてビクッとしているに違いありません。 ――また、恋愛テクニックを紹介するコラムにもかかわらず「こんな女いたら引く」や「男をバカにしすぎ」など批判的な意見が多数見られますが、こういったインターネット上の反響についてどう感じていますか? エビ 皆さん分かってないことがあると思うんです。男も女も動物ですからね。そこらへんにいるハイエナやサイと同じ哺乳類なんですよ。人間は他の動物より少し賢いだけ。化粧できれいに装ったり、若さを保ったり、体臭・制汗スプレーをしたり、いろいろと汚い部分を隠そうとしていますが、結局は臭くて汚い生き物ですからね。「こんな女いたら引く」や「男をバカにしすぎ」と言っている人がいるのであれば、それは自分を分かってないし、人の表面しか見ていない底の浅い人間です。自分がそんなに高貴な存在なのかと。一日3回も臭いうんこしている人間が何を気取っているんだと。 ――コラムでは、積極的なテクニックが多く紹介されているように思うのですが、どういった場所で使えるのですか? エビ 私の恋愛マネジメントは、一般の女性たちがすぐに使える方法を書いているので、基本的にどこでも使えるテクニックです。 ――記事中に「1匹も得ずに帰るのですか。そんな漁師いらないですよ。」とありますが、エビオス嬢さんのこれまでの合コンでの成功率はどれくらいですか? エビ 恋愛は駆け引きじゃなくて、100%勝てる方程式が成り立たないとダメなんです。だから私は、100%勝てる恋愛しかしません。  日本人の女って本当にバカ女が多いなって思うんですね。尻軽だと思われたくないとか、軽い女だと思われたくないとか言っている点です。そう思っている時点で軽い女なんですよ。本当にあきれます。キンメダイでぶん殴ってやりたいですね。「このまま彼の家に行ったら軽い女に思われちゃう~♪」って思った時点で、この女性は尻軽女です。心の中では「ゲヒョヒョ! 彼の家に行きたい」と思っているのに行かないのは、立派な潜在尻軽女です。  恋愛で自分を良く見せようとするのはいいのですが、いつも受け身なのがいけないんですよ。こちらがアプローチしたら、男が確実に反応を示すような行動が必要なんです。  合コンに行って気になる男がいたら「えっ? そうなの? そこ行きたい、行こう」という流れで、すぐに次回の約束をします。いい男に家に誘われたらすぐに行きましょう。男は女を求めて合コンに来ているのだから、あなたは自分が軽い女であることを隠す必要はありません。 ――これまで経験した一番の恋愛武勇伝があれば教えてください。 エビ おもらし女子ではありませんが、腹下しが功を奏したことがあります。合コンではなく金融関係のパーティーで、みんなスーツをパリッときめた男性と女性が集まった会があったんです。パーティーの後4次会くらいまで飲みが続き、気がつくと6人くらいでカラオケにいて、みんな泥酔状態。始発が出たのでそれぞれが最寄り駅に向かったんですが、そのとき彼と二人っきりになったんですよ。いい男だと思ったので付き合いたいと思っていたんですが、急激にお腹が痛くなってうんこしたくなったんですね。当時の私は「うんこしたい」なんて言えなくて、「生理でお腹痛い!! 立てない」って言って座り込んだら、「タクシーで家に来る? 家までタクシーなら10分かからないから」という流れで彼の家へ。私はもう限界で「生理! 生理!」と言いながらすぐにトイレに入って、下着をおろした瞬間に大放出! 脱糞音を聞かれたのは確実ですが、彼はそれでも「生理大丈夫?」と言ってくれたんです。恥ずかしかったので私も「ごめんね~、生理いっぱい出た。ごめんね~。ごめんね~。3日前に生理終わったのにな~(笑)」と言ってごまかしました。この彼とは結構長く付き合いましたね。  最初の出会いの時点で強い印象を与えたり、人間が隠したいと思っている恥ずかしくて汚い部分を見せたりすると、結構すぐに深い関係になることがあります。これは、恋愛マネジメントにおいて重要なポイントでもあります。その彼とは、私が別の男と付き合いだしたので別れましたけど。 ――エビオス嬢さんの理想の相手とは、どういった方ですか? また、芸能人で好きな方はいますか? エビ 宇宙飛行士の野口聡一さんと結婚しつつ、田村正和さんの愛人がいいかな。でも子どもは、エディ・マーフィさんの赤ちゃんを授かりたい。最近のイケメン俳優は中身が浅いのがミエミエで魅力を感じません。 ――エビオス嬢さんにとって男性とはどういった存在ですか? エビ 男はかわいい存在ですね。なんだかんだ言っても性欲に負けてしまうところもかわいいです。恋愛がうまくいかないのは8割方、女性に問題があると思っていますよ。いい意味で単純な男性をコントロールできない女性は、女としてのかい性がないということですからね。いい男とめぐり合えないって嘆いている女は、自分もいい女じゃないことを悟るべきです。 ――エビオス嬢さんが尊敬している人物はいらっしゃいますか? エビ 勝間和代さんとは恋愛観が似ていると思ったのですが、彼女も結構外面を装っているので好きじゃなくなりました。自分を完全にさらけ出している女性が好きなんですが、有名人の中にはいませんね。最近話題になっている樹木希林さんは好きです。 ――今後どのような記事を書いていきたいとお考えですか? エビ 今まで記事を2つ書かせていただきましたが、さすがにマネできないという声が多いみたいなので、誰でもすぐにできる恋愛マネジメント術を書く予定です。 ――読者の皆さんに何かメッセージがあれば、お願いいたします。 エビ いろんなサイトに「恋愛がうまくいく6つの方法」という感じのコラムがいっぱいありますが、どれもこれも受け身の方法ばかり。男に好かれるために女がコビを売っているようなものばかりなんですよね。いい男がいたらガンガン攻めていくことが必要です。恋愛や結婚は人生かかってるんですから、おしっこもらすぐらい屁でもないでしょ? 男に強烈な印象を与えて幸せを勝ち取ってください。  それと、これだけは言っておきたいです。男からアプローチされたとき、あなたがその相手をいいなと感じていたら、ちゅうちょせずに受け入れてください。たとえあなたの体が目的だったとしても、あなたの体をその男が認めたのだからいいじゃないですか。普段、化粧やきれいな服を着て自分を美しく見せているのに、そういうときだけ「体目当てはイヤ」っておかしいでしょう。あなただって、その男をいいなと思ってるんでしょう? ならいいじゃないですか、やっちゃいましょう。日本人女性の多くが潜在尻軽女なんですから。
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