「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【1】

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写真=長谷川健郎
 手足のない乙武くんが、プロ野球の始球式をやるらしい。  それはまるで、タチの悪い冗談みたいな話だった。デリケートな誰かが聞いたら「障害者を侮辱するな」と怒り出すかもしれないような、そんな類の戯言。あるいは、このところ乙武氏自身がTwitterで繰り返し発信しているような、とびきりブラックな自虐ギャグ――。  だが実際、5月6日の楽天イーグルス対西武ライオンズのナイトゲーム、Kスタ宮城のマウンドに乙武洋匡氏は立っていた。サウスポーから投じられたボールはふわりと弧を描き、ライオンズ片岡易之のバットはゆっくりと、その瞬間を慈しむかのように空を切った。  スタジアムは、割れんばかりの歓声に包まれた。「ただボールを投げる」という、健常者にとってはごく普通の動作が、やはりとことん普通ではなかったのだ。  この始球式が乙武氏にとって、震災後初の被災地入りの機会だったという。この日のKスタを含め、茨城、福島、宮城を回った彼の被災地訪問は『希望 僕が被災地で考えたこと』(講談社)という本になった。講談社26階の会議室に乙武氏を訪ねると、あの日ボールを投げた短い短い左腕を器用に操って、ごく普通に携帯電話でTwitterにメッセージを打ち込んでいた。 ──今回、被災地を訪れるにあたって「自分に何ができるのか」という、大きな葛藤があったそうですが。 乙武洋匡(以下、乙武) そうですね。震災が起こってから、ずっともどかしい思いがありました。Twitterを見ていると、友人たちが救援物資を持って被災地に行って、炊き出しのボランティアをしたり、がれきの撤去のお手伝いをしたりしていて。自分だって行きたい、という気持ちはあったけれど、いったい僕が行って何ができるんだ、かえって足手まといになるだけだろうと。ずっと悔しかったんですよ。でもだんだんと報道で、食料や必要最低限の生活物資が揃ってきたというのが分かったときに、今度は被災者の方々が前向きな気持ちを取り戻していくことが重要になっていくのかな、そのためのお手伝いなら僕にもできるのかもしれないな、と思えるようになってきた。それが4月の後半くらいですね。 IMG_8610.jpg ──ご友人で女優の水野美紀さんがボランティアに行った際に「自分がテレビに出ている人だから喜んでもらえた」と感じられたというお話がきっかけになったとか。 乙武 やっぱり水野さんと同じように、自分がテレビに出ている、知られている人間であるということのメリットというか価値のようなものもあると思うんですけど、また他の芸能人の方たちと僕が違うのは、僕が普通にしているだけで力を感じ取ってくださる方がいっぱいいるんですね。僕は小さいころから、普通にしているだけでほめられることが多かった。字を書いた、ご飯を食べた、歩いた、というだけで、「すごいね、そんなこともできるんだ」と。それはつまり、障害者だから何もできないだろうという前提があるからなんですが。  例えばね、僕、普段東京で町を歩いていて、突然おばあちゃんに拝まれたりするんですよ。おかしな話じゃないですか。でもきっとそれは、いろんな経験をされてきた方にとっては、こうしていろいろなものを失った身体で生きている人間を見ると、頑張っているんだな、自分もがんばらないとな、と思ってくださるものなんですよね。それは、これまでいただいたお手紙やメールでもすごく感じていて。 ──楽天の始球式を引き受けたのも、そうした思いから。 乙武 実際楽天からは、マウンド上にピッチングマシーンを設置して僕がそのスイッチを押すとか、逆に僕がバッターボックスに立ってプロのピッチャーに投げてもらうとか、相談の過程ではいろいろなアイデアがあったんです。でも、僕自身が「自分で投げさせてほしい」とお願いした。僕がこの短い腕とほっぺたの間でボールを挟んで投げる姿を見ていただくことで、乙武もいろんなものを失ったけれど、残された部分でああやってボールを投げてるんだ、私たちも確かにいろいろなものを失ったけれど、この残された命と残された人のつながりで、もう一度頑張っていこうと、そんな気持ちになってくださるなら......と。 ──その始球式をテレビで拝見しましたが、ものすごいビジュアルインパクトでした。正直に言えば、いろいろな感情があって、それはどこか後ろめたさ、あるいはこの風景を見て喜んでいいのか、という気持ちは湧いてきたんですけれど、それよりも、伝える力というか、ものすごく大きな感情が表現されていると感じたんです。でもそれは、これまで「自分は普通のことをしているだけだ」と言い続けてきた乙武さんが、ご自身の障害を利用することでもありましたよね。 乙武 今まではやっぱり、僕自身の感情とか思想、哲学のようなものの中では、それはきれいじゃないな、美しくないな、という思いがあったんですよね。でも今回いろいろ考えていくうちに、今優先されるべきは僕の感情でも思想でもなく、被災地の方々だなと思ったんです。そう考えたときに、僕の考えに多少そぐわなくても、僕自身がそこに対して拭いきれない気持ちがあったとしても、そんなことより優先されるべきは、僕がそれをすることで実際に力を与えられる人間がいるという事実なのかな、ということなんです。 ――それは今回の震災を経て、新たに芽生えた自覚というか、もしかしたら人生の中でも大きな転換点になるものなのでしょうか。 乙武 そのご質問で言うと、答えはまだ出ていないですね。この先も、被災地に対してだけでなく、普段の行動、普段の生活からそういった考えができるようになれば、それは人生の転機と言えるかもしれない。だけど、今回、被災地の方々に対して力になりたいという思いから、僕は特例的にそういうことをしたのかもしれない。今はまだ、ちょっと分からないです。 ──少なくとも今回に限っては、多くを失ったご自身の身体を見せることで、被災者に元気を与えることができた。 乙武 僕は二十歳のときに、なんで僕には手足がないんだろう、と考えたんですね。僕だけ違うということは、こういう身体を与えられた人間にしかできないことがあるんじゃないのかな、だから自分にしかできない活動をしていこう、それがここ15年間の僕のポリシーなんです。  ただ、そこで単純に「だから被害に遭われた方もそういう風に頑張ってください」とは言えないんです。僕は、最初からなかった。確かに結果論で言えば僕の身体はハンデが大きいし、周りの方とも大きく違う。だけど、同じ僕という時間軸の中で考えれば、最初からない、今もない、で、プラスマイナスゼロなんです。そこで何かを大きく失ったという喪失感はない。  そういった意味で、今回被害に遭われた方々は、あったものがなくなったという喪失感がすごく大きいと思うので、そこはやっぱり、僕と同じ土俵に上げて「僕もない中で頑張っているから、あなたたちも頑張って」という言い方は難しいんです。  ただ、現地の人がすごく喜んでくれたんですよね。自分たちが見放されてないんだ、こんなにみんなが、日本中から思ってくれてるんだっていう、そのことが伝わるだけでもやっぱりみなさん喜んでくださる。ほんとに、顔をくしゃくしゃにして「よく来てくれましたね」って言ってくださるんです。僕なんかが行くだけでもこんなに喜んでくださる方がいるんだな、というのは、すごく驚きでしたね。 (【2】へつづく/取材・文=編集部/写真=岡崎隆生) ●おとたけ・ひろただ 1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。 Twitterアカウント:@h_ototake
希望 僕が被災地で考えたこと いまできること。 amazon_associate_logo.jpg
オトタケ先生の3つの授業 こういう先生に教わりたかった。 amazon_associate_logo.jpg
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謎のビジネスサブカル作家、マネー・ヘッタ・チャンの正体に迫る!

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謎多きマネー・ヘッタ・チャン氏。
  「私の役割は幸せそうな人たちにマッチをあげて世の中のマッチポンプを見せること。知らなければよかったコワ~いお金の話が見れるのよ☆」というコンセプトの元に数々の童話風な業界暴露話が展開される書籍『マッチポンプ売りの少女』(あさ出版)は、出版業界、不動産業界、生命保険業界と業界問わず、世の中の仕組まれたマッチポンプを暴き出す【詳細は文末の書籍紹介を参照】。本書は、マネー版グリム童話として5万部が売れた前作『へッテルとフエーテル』(経済界刊)に続き、堀江貴文氏が激賞し、発売と同時に一躍ベストセラーに! 著者はマネー・ヘッタ・チャン――人を食ったようなペンネームだが、本業は資金数億円を運用し、8年間負けなしのプロ投資家だという。しかし、著者に関する公開情報はごくわずか。タブーなしのその姿勢は「サイゾー」に通じるものと取材のオファーをしたところ、編集部にやってきたのはなぜか、コスプレをした女性(?)だった! マネー・ヘッタ・チャン(以下、ヘッタ) あちきは、ヘッタ。実は、マネー・ヘッタ・チャンは、マネー、ヘッタ、チャンという3人兄妹なんです。今日のインタビューは、紅一点のあちき、ヘッタの担当でぃす☆ ――......という設定なんですね。明らかなコスプレ感が漂っていますが......。 ヘッタ (無視するように)読者の方からは女性だったのですね、と驚かれたりします☆ ――さて、本題に入りますが、ズバリ、その格好はご趣味なのでしょうか? それとも過激なことを書いているので、正体を隠すためでしょうか? ヘッタ ええと、今後もパチンコ業界や政治の闇など世の中の搾取の仕組みを取り上げるマネー童話シリーズをやっていく上で、正体をあやふやにしておこうという判断はありますね。この「マネー・ヘッタ・チャン」という名前も適当に付けただけなんです。出版社から怒られるかと思ったらOKで、ここまで名前を知られるようになった。今後はテーマごとにあえて意図的にペンネームを使い分けていこうかと思っています。マネー童話シリーズは「マネー・ヘッタ・チャン」で、別バージョンで「オンナ・クッタ・チャン」というペンネームも考えています。マネー・ヘッタ・チャンにオンナ・クッタ・チャンとチャン一族になるのかどうか。ま、そこは流れで。 ――ペンネームにもこだわりがない。有名になって儲けようという意図はないんですか? ヘッタ ないですね。そもそも、私は本業がありますし、処世術として「目立ってはいけない、お金を稼ぎたかったら目立たない仕組みを作って儲ける」というのが賢いと思っているんですね。だから、顔も名前も出さずに、性別、職業もあやふやにしたいんです。本当のお金持ちは目立たないで大儲けしているのがこの世の中なんですよ。  分かりやすく「目立たぬ搾取」を言えば、原発事故で想定外に目立ってしまった原子力安全・保安院ですよ。今回はたまたま原発事故でその存在が目立ってしまいましたけど、本来は誰も気がつかない。いまや安全も保安もままならないのに、年収ウン千万円ももらってきた。そうしたところでお金持ちになっていくんです。こうした「目立たぬ搾取」が現代の日本を悪くしていることは明らかです。今回『マッチポンプ売りの少女』で取り上げた保険会社も不動産会社もそうですが、巧妙に人々から目立たないように搾取している。  最近、働きすぎで肩が痛くなって整体に治療を受けにいったんです。30分500円の保険診療を受けると、あとで保険組合から「そんな風に使わないでくれ」と物言いがつく。でもですよ、こちらは毎月数万円、健康保険にとられているのに、肩こり治療にさえ使えないなんて! 明らかに保険料を搾取することで、目立たないで儲けている連中がいるはずなんです。 ――でも、ご自身もプロ投資家として億単位の利益を出しているという話ですよね。数万円の健康保険くらいは......。 ヘッタ と言っても証券系ディーラーですから、会社に半分取られてしまいますし、利益を出せば出すほど税金がたくさん取られる。その上、一年契約だからいつ首を切られても文句も言えません。ところがその税金の使い道はと言えば、どこに消えていくのか分からない。たとえば、税金の中から年間3兆円以上が生活保護費に使われていると聞くと、嫌だなと思うんですよね。ファイナンシャルプランナーの中には「国民年金だと月6万円しかもらえないけど、生活保護だと月14万円もらえる。だから生活保護をもらったほうがいい」と受給を勧める人とかも多いんです。  これは、国民年金でコツコツと積み重ねてきた人のほうが損をするということですよね。童話の「アリとキリギリス」でいえば、報われるはずのアリであるほど不幸が多くて、キリギリスであればあるほどいい国になっている。  あくまでも、私は、正義感でやっているわけではないんですね。「世の中は個人の力では直らない」ということは分かっている。ただ、少なくとも、今の仕組みの中で「目立たぬ搾取」に足元をすくわれないように行動をした方がいい。こうした「目立たぬ搾取」はなくしていこうね、と伝えたいだけなんです。 ■「目立たずに搾取する」というカラクリを暴きたい ――水嶋ヒロとポプラ社ならぬ、水主マヒロとコブラ社の童話といったやわらかいネタから、国家破産で預金封鎖の大きな童話まで、取り上げる「目立たぬ搾取」の仕組みは幅広いですね。 ヘッタ 購入者のコメントで多いのは、「薄々分かっていたけど、こうしてまとめてくれて気持ちがスッキリした」という20~40代の声ですね。「ネットで書いてあるような誰でも知っていることを書いてどうするの?」って声もあったんですけど、大多数の人はそこまで情報を集めない。プライベートが充実したり、仕事が激務な人はそれほどネットを見ないですよね。でも、そういう人ほど知識もないままに保険に入ったり、不動産を買ってお金がからめ取られていく。その隙間を埋めたかった。  なので、私が意識しているのは、普通のサラリーマン、学生さんに直接関係のあるテーマかどうか。私の本業の証券業界でも、外資系証券会社は自社発の格付け情報を出す前に社内の自己資金部門やお得意さんが、その推奨株の買いを入れているといった話や、自社の自己資金部門がどのような株式を買っているかという証券会社の手口情報が数年前から公開されなくなってから、実際は何を買っているのか怪しい。でもこうした話はマスコミさえも沈黙しているといった話もあるんですけど、一般の読者にとっては「ひどい話があるんだね」っていうところで、終わってしまう話ですからね。 ――検索サイト「ゴーグル」の情報操作や、「シフォン生命」の転換セールスなど、モデルになっている企業が分かりやすいのもそのため? ヘッタ 私自身も、実際の事件をモデルにした金融系の小説を読んでいて、社名を変えすぎて、関係者であれば分かるのだろうけど、どこがモデルか分からないでイライラするということがあった。この本は童話ですから、声に出して読んだら分かるようにしたかった。 ――声に出すとぼやかしている社名が明らかになり、毒がより増してくる。しかし、同時に訴訟リスクも出てきますよね。 ヘッタ もちろん、訴訟リスクを避けたいというのはありますけど、私も、ウソを書いているつもりはないんですよ。書籍、新聞、ネット、雑誌で集めた情報をつなぎ合わせただけでもいろんなことが見えてくる。たとえば、「コブラの魔法使い」のお話ならば、コブラ大賞の選考委員って全員、コブラ社員だったなんてことが分かってくる。すると、大きな疑いが出てくるよねという話です。ただあくまでも、私が書いたのは架空の童話、100%フィクションですけど(笑)。 ■次のターゲットは孫正義、堀江貴文!? ――今、気になっている人物、ネタはありますか? ヘッタ 有名人で言えば、人心掌握術という点でずっと気になっているのは島田紳助さん。目立たないビジネスの代表的な人物として、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川さん。あとは、みんながいいと思っていることに対して、実はそうでもないこともあるんじゃない!?  と言いたいアンチテーゼの点で言えば、みんなが諸手をあげて評価している孫正義さんは取り上げたいです。ソフトバンクショップに行くと、これほどユーザービリティのない店もないだろうと思いますし、契約が2年縛りになっていて、タイミングを逃すとまた2年間、違約金なしで解約ができないというシステムになっているのもひどい。でも、そのことを指摘するマスコミはいないですよね。  あとは堀江貴文さん。本の紹介をしてもらっているのに何だとツッコミが入りそうですけど、目立ってしまうことのリターンとリスクを、堀江さんを題材に描いてみたい。堀江さんは良くも悪くも目立っちゃったじゃないですか。「目立ってはいけない、お金を稼ぎたかったら目立たない仕組みを作る」という私の処世術と、明らかに真逆なんですよね。勝間和代さんとかも、自ら目立って結局はもらわなくてもいい批判を食らっています。こうした目立つことのリターンとリスクを一番体現しているのが堀江さんだと思うんですね。  今後も、私はできるだけ目立ちたくない。そして、他のビジネス書は目立つような成功体験談を書いていくでしょうが、その一方で、私はビジネス書で、「目立たぬ搾取」の動きを暴いていく。また、目立たないで成功して幸せになれる方法も、紹介していきたいです☆ (取材・文=松井克明) ●マネー・ヘッタ・チャン 本業は7年間負けなしのプロ投資家。資金数億円を運用し、利益総額億単位というウワサ。一方で、「小難しいを簡単に」をモットーにする、ビジネスサブカルチャー作家。2009年11月、『ヘッテルとフエーテル 本当に残酷なマネー版グリム童話』(経済界刊)でデビュー。痛面白い実体験を交えながら、金融の世界でマネーが減っちゃったかわいそうな人たちを紹介し、発売即増刷で5万部のヒット。同年「日本タイトルだけ大賞」初代グランプリにも輝く。座右の銘は「人は過去から学ばない生き物である」。
マッチポンプ売りの少女 童話が教える本当に怖いお金のこと 1,000作品以上の応募の中からコブラ社の小説大賞に選ばれたのはイケメン俳優・水主(みずし)マヒロの小説『KANEROU 金漏』。大量に追加発注したために倒産してしまった書店の経営者がマッチポンプ売りの少女からもらったマッチをすれば、小説家デビューをしたかったイケメン俳優と話題作が欲しかった出版社の出来レースぶりが目の前に幻影となってあらわれる......というストーリーの「コブラの魔法使い」をはじめ、結婚相談所「サンマリーネット」、検索サイト「ゴーグル」、チャリティ団体「日本ユニクス」とアグデス・チャンといった企業のマッチポンプや不動産業界、生命保険業界の金儲けのカラクリを暴き出す全10話のコワ~いお金の童話集。さらに、ビジネス書初の主題歌付きCM(http://www.youtube.com/watch?v=QTgHrqFHhPo)まで制作し、話題になっている。 amazon_associate_logo.jpg
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「私たちはどこへ向かうべきなのか」写真家・広川泰士氏が語る"日本の風景"としての原発 

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美浜原子力発電所(福井県/『STILL CRAZY』より、以下同)
 今月26日から、東中野にあるspace&cafe「ポレポレ坐」にて写真展『STILL CRAZY  Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 が開催される。これは写真家の広川泰士氏が1994年に発表した、日本全国の原子力発電所53基を撮影した同タイトルの写真集の一部を、再度展示するというもの。モノクロの写真からは無機質な、死んだような静けさがじわじわと漂ってくる。そんな原発を"日本の風景"としてカメラに収めた広川氏だが、一体その意図はどこにあったのだろうか。また、今回の福島第一原発事故を受け、どのような思いを抱いているのか、広川氏に話を聞いた。 ――広川さんは広告写真やテレビコマーシャルなどでご活躍される一方、世界中の美しい自然の姿を撮影されていますが、そういった中で、この『STILL CRAZY』はとても異質な気がします。そもそもなぜ、原発の写真を撮ろうと思われたのですか?
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福島第一原子力発電所(福島県)
広川泰士氏(以下、広川) 僕は1950年生まれなんですが、子どものころから「原子力平和利用」だとか「希望の光が灯った」とか、さんざんそういうプロパガンダを聞かされて育ったんです。でも、大人になるにつれて、原子炉を廃炉にするにもどうやって解体すればいいか分からないし、増え続ける核廃棄物をどう処理するのかも分からない。そんな状況で見切り発車してしまった国の原子力政策に、疑問を感じるようになったんです。果たして、人間が取り扱うことができるものなのかどうかと。原子力発電所というものを見たこともなかったので、それで日本の中でどのような佇まいでいるのか実物を見てみたいと思ったんです。それに、原発に対しては当時からいろんな議論があったんですが、それ以前に、まずは見ることから始めたらいいんじゃないかという思いもあって。そんな折、「アサヒカメラ」(朝日新聞出版)で10ページに渡る原発写真の特集をやることになり、1991~93年にかけて撮影しました。 ――広川さんとしては、原子力政策に対して声高に異議申し立てをしようと思っていたわけではなく、中立的な立場で、日本の一つの風景として発表したかったそうですが。
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高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)
広川 僕の制作活動の中で風景というのはすごく重要な位置を占めているので、抵抗なくというか、自然な流れだったんですね。我々は原子力発電所に囲まれて生きているんだし、そこで発電される電気の恩恵にあずかっているっていうのは紛れもない事実だった。その上で、ここからどうするのかということを、個々が考えればいいんじゃないかと思っていたんです。無関心な人はそれまでだし、おかしいと思う人はそこからまた考えて何か始めればいいんじゃないかと。 ――53基の原子炉はすべて許可を取って撮影されたそうですが、実際に間近で見てみて、どのような印象を受けましたか? 広川 建屋の中には入らないという条件で敷地内に入れてもらったんですが、やっぱり、異様な大きさなんですよね。森の奥の方にある広大な敷地に立っているんですが、車なんかと比べるとやっぱり圧倒的でした。それぞれの発電所の関係者が案内してくれるんですが、必ず「安全だ、安全だ」と口をそろえて言うんですよ。でも、言われれば言われるほど、安全じゃないんだろうなと内心では思っていました。「コンクリートの壁が6~8メートルあるから大丈夫です」とか力説するんですが、そこまでしないとダメだということはよっぽど危険なものを取り扱っているということですからね。
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柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)
 発電所の近くにはたいてい、渋谷にあった電力館のように、電気がどうやってできるのかとか、レントゲンを撮ったり飛行機に乗るとこれだけ被曝するけど安全ですとか、原子力の安全性をPRする施設があるんです。撮影を始めた当初は僕も知識がなかったので、原子力で発電するっていうのは、魔法みたいに核融合の科学反応で自然に電気ができるのかと思っていたんです。でも実際は、核分裂反応でできた熱でお湯を沸かし、その蒸気でタービンを回して発電する。これって火力発電や水力発電と構造自体は同じなのに、その元となる部分で原子力はすごく複雑なことをして危険なものを閉じ込め、お金も時間もかけて、それで蒸気なのか......と拍子抜けしましたね。 ――この『STILL CRAZY』というタイトルですが、"反原発"的というか、すごく政治的な意味合いが強い気がします。ご本人としては、どういう意図で付けられたんですか? 広川 そのようにも取れますが、実はこれ、ポール・サイモンの「Still Crazy After All These Years」というラブソングから取ったんです。だから「まだゾッコンなんだぜ」という皮肉めいた意味もある。僕はみんなもっと、原発に対して危機意識を持っているんじゃないかと思っていたんですが、発表した当時、大多数の人は無関心でした。それが僕にとっては驚きだった。当時から日本の原発依存度はすごく高かったけれど、ずっと「安全だ、安全だ」と言われていたから、本気で危険だと思っていた人はほとんどいなかったんでしょうね。
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泊原子力発電所(北海道)
――日本では「静かで不気味な写真だ」という意見が多かったそうですが、海外の反応はどうだったんですか? 広川 こういうタイトルだったということもあって、面白がってくれましたね。プリンストン大学の美術館やサンフランシスコにある近代美術館がコレクションしてくれたり、昨年はドイツのステュットガルトで行われた反原発のアートフェスに招待されて写真を展示したんですが、海外の方が評価してくれる人がいるんだなという手ごたえはありました。 ――今回の原発事故を受け、率直にどう思われましたか?  広川 結局、人間が手にするべきではないものをいじってしまったのではないか、という気がするんです。原発は立地にも建設にも時間とお金がかかる。過疎の風光明媚なところに造るということは道路もないので、まずは工事車両が通れるように大きな道路を造るところからはじめなければならない。トンネルを造ったり、海を埋め立てたり、一大開発ですよね。建設地の村にもお金をおとして、反対派を排除して、やっと完成する。でも、それだけのことをやって耐久年数はたった40年なんですよ。さらに今はもう新しいのが造れないからといって、それを60年に延ばそうとかいっていた矢先に今回の事故が起こった。たかだか40年しか動かないのに、わざわざそんな大掛かりなことをやるっていうのは、すごく不自然ですよね。何を言ってるんだ、って話ですよ。それに核廃棄物の半減期は何万年もする。効率が悪すぎますよね。原子力は安いとかなんとかいろいろごまかして推進しようとする人がいますが、どう考えてもおかしいですよ。
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浜岡原子力発電所(静岡県)
 一方で、原発の担当者と話していると、"自分の人生は原発とともにあった"みたいな人がいるんですよ。まず土地を収用するところからはじまって、村の人と馴染むためにお祭りに加わったり、住み着くくらいの勢いでその事業に打ち込む。それで原発が完成すれば、やっぱり感無量なんですよね、やっとできたって。村は村で、年寄りしかいないところに立派な体育館や立派な施設ができても利用する人がいない。だけど雇用が生まれる。もともと出稼ぎくらいしか収入源がなかった場所に、今の若い人たちは生まれたときから原発があるわけで、そこで働くのが憧れみたいになっている。お金にもなるし、そういう循環ができてしまっているわけだから、危ないから今すぐ全部の原発を停めろ、みたいなことは一概には言えない状態になってしまっていますよね。 ――そういうシステムができてしまっている以上、そこから組み替えていって、徐々に徐々になくしていく方向にするしかない、と。そういうお気持ちは当時からあったんですか? 広川 いえ、最近ですね。もう、シロかクロかでは決められない社会状況になってしまった。でも、だからといって前に進まないと何も変っていかないから、改善する方向でいま歩きださないといけないですよね。今現在、ものすごい犠牲を生んでいるわけだし、この事故を契機に考え方を一新しなければならないと思います。僕らの世代やもっと上の世代というのは便利な生活と引き換えに原発を容認してきたわけだから、すごく責任がありますよね。 ――その写真集の発表から17年が経ったわけですが、今回の写真展はどういう経緯で開催が決まったんですか。 広川 3月下旬に有楽町の外国人特派員クラブで写真展をやる予定があったんですが、その準備の最中、震災が起こったんです。もともとは別のプログラムを展示する予定でしたが、今これを見せるべきだと思って『STILL CRAZY』を展示したんです。その時に「一般の人にも公開するべきじゃないか」という意見をいろんな方からいただいて、僕自身ももっといろんな人に見てほしいという気持ちになったんです。ポレポレの本橋成一さんとは以前から面識があって、何かやらないかというお話をいただいていたので、とんとん拍子に話が進みました。 ――どういった人に見に来てほしいですか? 広川 老若男女、ありとあらゆる人ですね。日本で暮らしている以上、これはもう他人ごとではないですからね。 (取材・文=編集部) hirokawsan.jpg ●ひろかわ・たいし 1950年神奈川県生まれ。74年よりフォトグラファーとして活動開始。東京工芸大学芸術学部教授。広告写真、テレビコマーシャルなどで活躍する一方、ザルツブルグ、パリ、ミラノ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ヒューストン、シドニー、東京他、世界各都市での個展、美術展への招待出展多数。講談社出版文化賞、ニューヨークADC賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞、日本写真協会賞、日本映画テレビ技術協会撮影技術賞、A.C.C.ゴールド賞、A.C.C.ベスト撮影賞、他受賞。プリンストン大学美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、サンフランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館、他に作品がコレクションされている。 <http://hirokawa810.com/●写真展『STILL CRAZY Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 会期:7月26日(火)~8月11日(木)月曜休・入場無料 会場:space&cafe「ポレポレ坐」<http://za.polepoletimes.jp/> 開催時間:火~土 11:30-21:00/日 11:30-18:00(最終日は20:00まで) ・会期中トークショー 日時:7月30日(土)19:00開場/19:30開演 ゲスト:佐伯剛(雑誌「風の旅人」編集長) 8月5日(金)19:00開場/19:30開演 ゲスト:村越としや(写真家)、木橋成一(写真家・映画監督) 料金:予約2,000円/当日2,500円(ワンドリンク付き) ●広川泰士と子供たちの写真展「家族・写真」 会期:7月29日(金)~9月5日(月) 会場:青山ブックセンター本店内・ギャラリー 開催時間: 10:00~22:00(最終日は19:00まで) 問い合わせ:03-5485-5511(青山ブックセンター本店) 広川氏が被災地の相馬市の避難所を訪ね、避難所に暮らす家族を撮影したポートレート作品と被災地の子どもたちにフジフィルムのインスタントカメラ「写ルンです」を渡して撮ってもらったスナップ写真を同時に展示。 <http://www.aoyamabc.co.jp/event/bookfes2011-hirokawa-morimoto/> ・会期中トークショー 広川泰士(写真家)×森本千絵(アートディレクター) 日時:2011年8月9日(火)19:30~21:30(開場19:00~) 会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山 料金:1,200円
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山路徹さんの至言「バラエティーが怖いようでは戦場に行けないですよ」(後編)

IMG_4286_.jpg前編はこちらから ――あの、ちなみに、もう聞かれ飽きたとは思うんですが、麻木さんと大桃さんのあの騒動で世間を賑わせていた時は、「ジゴロ」とか「ヒモ」とか、本業の戦場ジャーナリストとはまったく関係ないひどい話題で週刊誌にバンバン出てましたけど、書いてあることがほとんどデマだったっていうのは本当ですか? 山路 そうですね、それはもう、僕の不徳の致すところでもあって......。というか、ああいうことが起こると、あらためて「これをしゃべったのはあいつで、こっちの記事はあいつだな」っていうのが分かるなぁと思いました。要は、モテる奴はそういうことをしゃべらない。「どうしようもないな」って奴に限って、ベラベラしゃべるわけ。自分が不幸を背負ってると、人の不幸で笑いたくなるんですよねー。 ――耳が痛いです! 私も完全に他人を妬んでひがんで生きている側の人間ですけど、さすがにデマをリークしたりはしないですよ! ひがむだけで足は引っ張らないのがポリシーですので!! 山路 ただ、今までの人生を振り返って、僕はわりかし同性からは嫌われてるんですよ。例えば僕が『ニュースステーション』(テレビ朝日系)にいた時は久米宏さん、『ニュース23』(TBS系)の時は筑紫哲也さんや鳥越俊太郎さん、そういう目上の人たちが僕をかわいがってくれて、引き上げてくれたのね。それが同世代の人たちは気に入らないみたいですよ、何でかね? 僕なんかいつも自分のことで精いっぱいで、わざわざ他人に関心をもつ余裕も時間もないですよ。だって、つまらないでしょ? 他人のことなんて。 ――まぁ、自分の人生がつまらなすぎると、人の不幸に乗っかるという嫌な遊びをするようになるんですよ、心の貧しい人は......。それにしたって、ミャンマーで身柄拘束までされてたのに、ぜんぜん関係ないところで話題になってびっくりされたんじゃないですか? 山路 そうですよ、本業の方がずっと公益性が高い内容なのに、そっちはほとんど報道してくれなくて、僕らの個人的な、まったくもって下世話な、犬も食わないようなものばかりを(笑)。 ――テレビの前でせんべい食べながら「最低~」って言いやすいからでしょうね。まぁ、私も見てたんですが。 山路 ははは。でも、そういう「最低~」って言ってホッとしたり、ストレスを解消したりする人が少なからずいるってことですからね。メディアというのは、世の中を映す鏡ですし、それが今の日本なのかな......。 ――特に「週刊文春」(文藝春秋)は「最低の戦場ジャーナリスト」なんて言ってずいぶんいろんなバッシングをしてましたけれど、コンビニの18禁棚にあるゴシップ誌ならまだしも、あんなしっかりとした名前のある雑誌に書かれたら、つい信じてしまいますよ! 山路 週刊誌はね、多かれ少なかれそういうところはありますよ。でも、これも経験だなって。テレビもそうですよ。報道番組でも「あ、そんないいかげんなこと言うんだ」ってこともありますし。痴漢の冤罪なんかもそうですよね。裁判官が下した有罪判決が間違いということは、被告にしか分からない。だから、僕が最近思うのは、すべてのストレスや悩みの根源は、「自分を分かってもらえない」という部分が大多数なんですよ。「分かってほしい」「なのに分かってくれない」という気持ち。恋人同士や家族にしても、個人と世間にしても、もう「分かってもらう」ってこと自体が無理。そういう気持ちを捨てたら、ものすごく楽になりますよ! ――うーん、でも、そんなに簡単に捨てられますか? それってすごく難しくて寂しいような......。 山路 だって、いくら説明したって分かんないことは分かんないし、分かり合えないのが当たり前なんだから、その中でどう共存していくかを考えないと。 ――割り切った上で、どう居心地良く共存するかですね。やっぱり難しそう......。けど、そう考えると山路さんはあの騒動以降、バラエティーに出たりしていい具合にメディアと共存していますね! バラエティー番組でいじられることに対して、抵抗はなかったんでしょうか? 山路 前に『サンジャポ』(TBS系)に出た時、爆笑問題の太田光さんとエレベーターが一緒になって、太田さんに「山路さん、よく出ましたねぇ、『サンジャポ』」って言われてね。「バラエティーが怖いようでは戦場には行けないですよ」って答えましたよ(笑)。バラエティー出るなんて、戦場でぶっ殺されるかもしれない怖さに比べたらなんてことないですよ! ――そんな危険地帯と比べられたら、もう何も言えないですよ! 山路 僕も今まで、2回3回仕事の現場で死にかけたのね。銃口を突き付けられて、「もうダメだ」っていう瞬間に何をイメージしたかって言うと、自分が撃たれて倒れてる姿と、「え? 俺の人生ここで終わるの? カウントダウン? まだ何もしてないのに!!」っていうことなわけ。僕はその時点で、番組を作ったり本が売れたり、かなり他の人とは違う経験をしてきたはずだよ。なのにそう思うってことは、どんなに素晴らしい人生を送っても、最期はそう思うものなんだよ。だから、あんまり小さいことにこだわってウジウジしていると、前に進めないどころか、自分の人生を台無しにしてしまうよ。それなら、僕は自分の身に起きることをすべて人生のスパイスとして楽しんでしまおうと思うしかなくてね。あの騒動があって、このまましゅんとして、「不倫ジャーナリスト」「ヒモ」「ジゴロ」と言われたままにしていたら、そこで終わっちゃうわけでしょ? ――確かに、ワイドショーや週刊誌は、そういうおいしいところだけ騒いで、悪いイメージだけ残して撤収するけど、山路さんはテレビにも雑誌にもネットにも残ってるというか、むしろ出まくってますよね。 山路 バラエティーだって何だって、面白そうじゃない? 多少は遊ばれたりいじられたりするんだろうなって思うけど、僕は自分がテレビを作ってきた人間だから、自分がどう演じたらいいか分かるし、どうやったら視聴者が喜ぶかも、何となく見えるし。おかしな仕事がたくさんあるんだけれど、そういうものも含めて楽しんじゃう。 ――なんだかすごい人生になってきましたね! 山路 そもそも、僕は計画的に人生を歩んでこなかったから、それが良かったのかもそれないね。もし一流大学を出て官僚になって、政治家になるのを夢見てきた人だったら、あの騒動の時に「俺、終わったな」って思うだろうね。でも、元から計画してない僕の場合は「悪いけど、俺はそんなもんじゃないよ!」って自分でチャンスに変えたり、踏み台にして大きくなることも出来るわけですよ。何かトラブルや大きな出来事があった時こそ、何かを学んで成長できるんだから、無計画なのも悪いことじゃないんだよ。そのぶん人生のアップダウンは激しいけど、楽しいよ! ――山路さんのはレアケースすぎますけどね! しかし、本当にエンジョイしていらっしゃって、お話しているだけで元気が出てきました! トラブルを利用して成長かぁ。実践したいけど、今のところ人生が平坦すぎて......ちょっとその辺のホテル街を一緒に腕くんで歩いてもらって良いですか? 多分すぐに誰かが「山路徹が女とホテル街に!!」って、Twitterにアップしてくれますから、売名させてください。 山路 ははは! 最近は写真まで貼られるからね! 面白そうだ、いつでも協力しますよ! ――女性的にも大桃さんに麻木さんっていういい女の次はかなりプレッシャーですが、次回の結婚のご予定はないんですか? 山路 結婚はいつだって視野に入れてるよ。たいてい「いやぁ、もうしばらくはちょっと......」って言うでしょ? そんなの、つまんないですよ! 今までがどうかは関係ないって! 魅力は人それぞれ違うもんね! ――じゃあ、そのうち私も、猫耳つけて傷だらけのメイクで自宅前に行き倒れに行くので、ちゃんと保護してくださいね! 山路 はいはい、喜んで(笑)。 (取材・文=小明) ●やまじ・とおる 1961年、東京都生まれ。ジャーナリスト。テレビ番組制作会社を経て、92年に独立系通信社「APF通信」を設立し、同代表取締役に就任。世界各国の紛争地域を中心に精力的に取材している。近年はワイドショー、バラエティー番組にも多数出演中。 ●あかり 1985年栃木県生まれ。2002年史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。初著『アイドル墜落日記』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。 ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/> サイゾーテレビ<http://ch.nicovideo.jp/channel/ch3120>にて生トーク番組『小明の副作用』(隔週木曜)出演中
ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ! 小さな命も大事な命。 amazon_associate_logo.jpg
小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談バックナンバー 【第26回】 浅草キッド・玉袋筋太郎さんの至言「相手がクンニしてる顔を思い浮かべなさい」 【第25回】 前田健さんの至言「自分は赤毛のアンの生まれ変わりだと思ってる」 【第24回】 叶井俊太郎さんの至言「結婚したければ高2で100人斬りの男を探しなさい!」 【第23回】 須藤元気さんの至言「僕の本なんて、ギャグみたいなものですよ」 【第22回】 オアシズ大久保佳代子さんの至言「本当はOLを辞めたくなかったんだよなぁ......」 【第21回】 Kダブシャインさんの至言「宇多丸は、Kダブをシャインさせない」 【第20回】 楳図かずおさんの至言「世界を相手にやっている人は、友達作っちゃうと危ない!」 【第19回】 キングオブコメディさんの至言「いつ辞めてもいいから、続けられるんです」 【第18回】 バカリズムさんの至言「モヤモヤは、そのまま持ち帰って立ち向かいます」 【第17回】 島田秀平さんの至言「小明さんの手相にはアブノーマル線があるんです」 【第16回】 小森純さんの至言「写真のチェックとか、自分では一切しないんです」 【第15回】 堀江貴文さんの至言「もうメジャー路線っていうものは存在しないかもしれない」 【第14回】 稲川淳二さんの至言「自分の子どもを殺そうか、と思った自分が一番怖かった」 【第13回】 蝶野正洋さんの至言「自分の役割の中で、最大限に光らなきゃならない」 【第12回】 有野晋哉さんの至言「アイドルは『育ちがええねんなー』っていうのが大事です」 【第11回】  鳥居みゆきさんの至言「やりたくないこと、やらないだろうな、ってことをやるの」 【第10回】  宇多丸さんの至言「人にはだいたい『ちょうどいい』ところがあるんです」 【第9回】  桜木ピロコさんの至言「あたしいつもだいたいいやらしいことしてるもん!」 【第8回】 伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」 【第7回】 ルー大柴さんの至言「ライフっていうのはマウンテンありバレーありです」 【第6回】 大堀恵さんの至言「私、いつも『アンチ上等』って思ってるんです」 【第5回】 品川祐さんの至言「なったらいいなと思ってることは、だいたい実現する」 【第4回】 福本伸行さんの至言「俺は『面白いものを作ろう』じゃなくて、作れちゃう」 【第3回】 大根仁さんの至言「ネットの書き込みなんて、バカにしていいんじゃない?」 【第2回】 杉作J太郎さんの至言「そんなことより『ファフナー』見ろ、『ファフナー』を」 【第1回】 河原雅彦さんの至言「もう無理やりヤラれちゃえばいいんじゃない?」

山路徹さんの至言「バラエティーが怖いようでは戦場に行けないですよ」(前編)

IMG_4309_.jpg  モテない、金ない、華もない......負け組アイドル小明が、各界の大人なゲストに、ぶしつけなお悩みを聞いていただく好評連載。第27回のゲストは、福島第一原発周辺で「犬猫救出プロジェクト」活動を行っている戦場ジャーナリスト・山路徹さんです! [今回のお悩み] 「もう私も保護してください......」 ――初めまして! Twitterで『原発20キロ圏内 犬猫救出プロジェクト』を見させていただいてます! 私の家にも犬と猫がいるので、残された犬や猫のことはずっと気になっていたんですけれど、知識も経験もないのでボランティアに行っても邪魔になるだろうと、ただ余震に震えるばかりで......山路さんの行動力には本当に頭が下がります! 山路徹氏(以下、山路) だいたいみんな、いろいろ考えて「どうしよう、どうしよう」って言ってるうちに事態が変わっていっちゃうからね。 ――そうなんですよ。で、「私、結局募金くらいしかしなかったな......」って自己嫌悪が......。 山路 そうなっちゃうわけですよね。でも、それも十分立派なことですよ。 ――でも、山路さんは専門的な知識もないのに行かれたじゃないですか。しかも原発から20キロ圏内に。 山路 目的が分かっていれば、知識とかは関係ないもんね。自分にできないことは人にやってもらえばいいわけだし。 ――専門家の方も山路さんのTwitterを見て来てくれたんですよね! そしてまず「犬猫と仲良くなるにはどうしたらいいんですか?」と聞いたという......。専門家の方も「え? そこから!?」って驚いてましたよね(笑)! 山路 いやぁ、怖い柴犬がいてさ、僕も自分なりに考えて、ムツゴロウさんみたいにゴローンって寝転がってお腹を出してみたりしたんだけど、ダメだねぇ。餌は食いに来るけど、そのご家庭の事情もあったりして、なかなか保護が出来ない。浪江町の20キロ圏内の誰もいないところで、僕たちはひたすら"ムツゴロウさん作戦"をやってるわけですよ。 ――な、なかなかシュールな絵面ですね......。山路さんの救出チームが書かれた『ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ!』(光文社)を読んだんですけど、やっぱり怪我をしながらも残された牛と鶏を守っていた犬のゴン太には、涙が止まりませんでした。うちにもゴールデンレトリバーがいるんですけど、すごく優しくておとなしくて......。ある晩、家に泥棒が入って、偶然トイレに起きた私が部屋のドアをガラッと開けたらちょうど廊下で泥棒とご対面っていうことがあって......。 山路 ......え? あなたが? 犬は? ――おとなしく寝てました......。なので、こういう感動的な犬の話を読むたびに、「うちのは駄目だ......!」って思います。だから、より一層守らねば、と、こういう災害時は極端なくらい気にしてしまっています。 山路 ははは! でも本当にね、ちっちゃな命を救えない社会が、なんで人間を救えるんだって話だよね。僕らは、社会が真価を問われていると思ってますから。自分たちで行動を起こすことで、「社会は大丈夫だ」ってアピールしなきゃいけない。3月11日から、もうずいぶん時間も経ってるでしょ? そうすると、これから起きる事態は人災ですよ。人間の責任としてやらなきゃいけない。現地の犬や猫たちは当然お腹が空いてるわけですよ。だから餌を出すんだけど、すぐには餌に行かないんだよね。まずは人恋しいから僕らから離れない。「分かったから、食え食え!」って言って、やっと食べて、不安そうな顔でこっちを見て、車に乗せてあげると、みんな安心して眠っちゃうの。イビキなんかかいたりして。 ――おお......先日、同じく日刊サイゾーの企画で、作家の町田康さんにお話をうかがう機会があったんですけど、あの方も保護団体から猫をたくさん預かって、総勢10匹の猫と暮らしてるんですって。山路さんもこんな怯えただけの女でなく、町田さんと対談にすれば良かったのに、こんな女で申し訳ないですよ......! 山路さんも、保護された猫ちゃんと暮らしてるんですよね。 山路 うちの猫ちゃんかわいいよ! ホラ、これがとら。南相馬から連れてきて、医者にも「今日明日の命です」って言われて、朦朧として真っ直ぐ歩けない状態だったから、いま元気になったことも信じられない。けど、それを僕がTwitterでつぶやいてたら、皆が見守ってくれて、応援してくれて、とても力になりましたよ。こっちが神奈川で保護された捨て猫のマロ。毎日写真をTwitterにアップしててね、うふふ......。 ――ギャー! かわいい!! 山路 そう! もう食べちゃいたいの! これがピアノの上に載ってるマロで、これはいたずらを怒られて反省中の......(略)。 ――溺愛しまくりじゃないですか! いいですね、なんか、私も山路さんに保護されたいですよ......。 山路 えー? 何を言ってんのよ(笑)! ――やっぱりモテる理由が分かるっていうか......。なんというか、山路さんは愛が多そうですよね。 山路 そんなことないですよ! 例えばどのへん? ――麻木久仁子さんと大桃美代子さんの際の会見で、どちらも傷付けず、後々どちらの言い分にも合わせられるように気を使って、いろいろ黙っているように見えたもので。 山路 まぁそうですよ、会見の時もお互いの言ってることが180度違ったからね(笑)。あれは僕が受け止めないと。だって、最初の記者会見もその反論も、僕はテレビでじーっと見てたんですよ。「あー、こんなことまで言い出した。これはモメるなぁ......」って。次は俺のところに来るっていうのは目に見えてたから、逃げずに全て吸収して、皆なんとなく納得したような、しないような......。 ――でも本当にすごかったですよ! どちらの女性も系統が全く違うじゃないですか! 山路 君、するどいね! 「同じようなタイプ」ってよく言われるけど、ぜんぜん違うの! ――ですよね! 私はどっちかと言うと、メンタルが弱めの大桃さんタイプで......。 山路 さびしんぼうなのねー。 ――次の結婚をしてることを言わないのは山路さんの優しさなんだけど、それが逆に残酷で......あんな形で知ったらTwitterでうっかり狼狽するのも仕方ないですよー! 山路 ねー、うふふふ。まあね、でもね、うん......。 ――でも、それもミャンマーで拘束さえされなければ分からなかったんですよね。 山路 そうなんだよなー、なんであれで出ちゃったかねー? ――Twitterって、怖いですよね......。 山路 怖いねー......。 ――......でもそのTwitterのおかげで犬猫救出も本当に広まったというか、えーと! ね! 山路 ね! やっぱりね、そういう新しいツールを、どうやって生かすかですよね! ははは! (後編につづく/取材・文=小明) ●やまじ・とおる 1961年、東京都生まれ。ジャーナリスト。テレビ番組制作会社を経て、92年に独立系通信社「APF通信」を設立し、同代表取締役に就任。世界各国の紛争地域を中心に精力的に取材している。近年はワイドショー、バラエティー番組にも多数出演中。 ●あかり 1985年栃木県生まれ。2002年史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。初著『アイドル墜落日記』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。 ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/> サイゾーテレビ<http://ch.nicovideo.jp/channel/ch3120>にて生トーク番組『小明の副作用』(隔週木曜)出演中
ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ! 小さな命も大事な命。 amazon_associate_logo.jpg
小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談バックナンバー 【第26回】 浅草キッド・玉袋筋太郎さんの至言「相手がクンニしてる顔を思い浮かべなさい」 【第25回】 前田健さんの至言「自分は赤毛のアンの生まれ変わりだと思ってる」 【第24回】 叶井俊太郎さんの至言「結婚したければ高2で100人斬りの男を探しなさい!」 【第23回】 須藤元気さんの至言「僕の本なんて、ギャグみたいなものですよ」 【第22回】 オアシズ大久保佳代子さんの至言「本当はOLを辞めたくなかったんだよなぁ......」 【第21回】 Kダブシャインさんの至言「宇多丸は、Kダブをシャインさせない」 【第20回】 楳図かずおさんの至言「世界を相手にやっている人は、友達作っちゃうと危ない!」 【第19回】 キングオブコメディさんの至言「いつ辞めてもいいから、続けられるんです」 【第18回】 バカリズムさんの至言「モヤモヤは、そのまま持ち帰って立ち向かいます」 【第17回】 島田秀平さんの至言「小明さんの手相にはアブノーマル線があるんです」 【第16回】 小森純さんの至言「写真のチェックとか、自分では一切しないんです」 【第15回】 堀江貴文さんの至言「もうメジャー路線っていうものは存在しないかもしれない」 【第14回】 稲川淳二さんの至言「自分の子どもを殺そうか、と思った自分が一番怖かった」 【第13回】 蝶野正洋さんの至言「自分の役割の中で、最大限に光らなきゃならない」 【第12回】 有野晋哉さんの至言「アイドルは『育ちがええねんなー』っていうのが大事です」 【第11回】  鳥居みゆきさんの至言「やりたくないこと、やらないだろうな、ってことをやるの」 【第10回】  宇多丸さんの至言「人にはだいたい『ちょうどいい』ところがあるんです」 【第9回】  桜木ピロコさんの至言「あたしいつもだいたいいやらしいことしてるもん!」 【第8回】 伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」 【第7回】 ルー大柴さんの至言「ライフっていうのはマウンテンありバレーありです」 【第6回】 大堀恵さんの至言「私、いつも『アンチ上等』って思ってるんです」 【第5回】 品川祐さんの至言「なったらいいなと思ってることは、だいたい実現する」 【第4回】 福本伸行さんの至言「俺は『面白いものを作ろう』じゃなくて、作れちゃう」 【第3回】 大根仁さんの至言「ネットの書き込みなんて、バカにしていいんじゃない?」 【第2回】 杉作J太郎さんの至言「そんなことより『ファフナー』見ろ、『ファフナー』を」 【第1回】 河原雅彦さんの至言「もう無理やりヤラれちゃえばいいんじゃない?」

「福島から、一緒に未来を歩いてゆく」詩人・和合亮一 その言葉とともにあるもの

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現在も福島市に暮らす詩人・和合亮一氏。
「放射能が降っています。静かな夜です。」(『詩の礫』引用)  東日本大震災の発生から6日目の3月16日夜、福島県福島市在住の詩人・和合亮一はTwitter上に言葉を投下し始めた。福島第一原発が1号機、3号機に続き、4号機でも水素爆発を起こした、その翌日だった。 「放射能が降っています。静かな静かな夜です。」(『詩の礫』引用)  それから、詩人は毎日ツイートを繰り返した。ときに具体的に、ときに観念的に、その言葉は詩人と福島の極限的な状況を伝えた。詩人のTwitterアカウントは瞬く間に拡散され、やがて詩人の言葉は「詩の礫(つぶて)」と名付けられた。震災の最中にあって、多くの読者が「詩の礫」に触れ、直接に詩人と言葉を交換した。 「しーっ、余震だ。」(『詩の礫』引用)  立て続けに発生する震度4、震度5という大きな余震に揺さぶられながら詩人が綴った「詩の礫」は、一冊の本になった。震災から100日あまりが経過した6月下旬、上京していた詩人・和合亮一に会いに行った。 ――震災時は勤務先の高校にいらっしゃったと伺っています。 和合亮一氏(以下、和合) 伊達市内の高校にいました。いままで体験したことのない、動物の背中に乗っているみたいな、そういう揺れでしたね。想像の域を超えたような揺れ。ただ、そのときはこんなに大きな被害が出るとは思っていなかったんです。2~3日もすれば日常生活に戻れるだろうと。ところが、その日の夜に、余震がひどくて駐車場で夜を明かそうとしていたら、ラジオから「仙台の若林区に300人の遺体が流れ着きました」という声が流れてきた。その情報を耳にしたときに、これはすごいことが起きているな、こんな破壊的なことって、経験したことないな、と。今回の震災が、衝撃を持って実質的に自分の中に入り込んできた感じでした。 ――その後の3日間は避難所で過ごしたそうですが、書くことへの意欲が湧いてきたのはいつごろでしょうか。 和合 その3日間はほとんどライフラインが止まっていたので、食料や水を確保することで1日が手いっぱいでしたね。ただ、手帳にメモを書いていました。いままで自分が書いたことのないようなメモです。ずっと、ひっきりなしに書いていたんです。いま思えば、震災のショックで、書くことに徹していたような気がしますね。 ――そのメモは、理路整然としたものなのでしょうか。 和合 すごく、幼稚な文章です。誰がこういうことを言ったとか、列に並んだ、並んで水をもらった、パンをもらった、そういうことですね。それと、飛び込んでくる死者の数をメモしていたり。何か、とにかく目の前であったことを書かずにはいられなかったんです。そうして自分自身を守ろうとしていたのかもしれません。 ――とにかく、気を鎮めるため。 和合 気を鎮めるためですね。 ――3月16日からTwitterへの投稿を始められるわけですが、その冒頭で「物の見方、考え方が変わりました」と書かれています。 和合 そうですね。それまで、原発は絶対安全だと言われていたし、福島にも地震は来ないと言われてきた。そういう目の前のものが、すべて崩壊に向かっていくような、そういう風景が見えたんです。自分の言葉自体も崩れて、がれきになってしまったような、そういう印象がありましたね。  * 「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。」(『詩の礫』引用)  * ――16日前後と言うと、原発が爆発した直後で、命の危険というものも感じていたのではないでしょうか。 和合 それはすごく感じましたね。もっと大きな爆発があるんじゃないか、という不安もあったし、とにかく余震が多かったので。『風が吹くとき』(あすなろ書房)という絵本があるんですが、それを思い出していました。 ――そんな状況下で「作品を修羅のように書く」とは、どのようなことでしょうか。 和合 根源的な情動のようなものですね。初期のころの「詩の礫」は全部、即興なんです。思い付いたことをそのままツイートするという。ものを書いてきた人間の本能というか、いま思い出しても、自分が書いたんじゃないような、夢を見ているみたいな感覚です。キーを叩いていても、そこに自分の人格がない。自分自身が言葉にすがっている。ここに生きているということと、Twitterに言葉を投げ込むということが、同じレベルにあったんだと思います。 ――詩を書く、という行為そのものが変わってしまった。 和合 いままでは、現代詩の技法というもの、その完成度を思いながら書いていたんです。比喩をどう使って、完成度の高いものを書くか、次には、その完成度をどう壊すか、そういう作業をしてきたんですが、震災後にはそういうものをすべてブン投げちゃった。完成度が高いとか低いとか、そういう価値基準や判断を持っていることがバカバカしくなってしまったんです。もう詩人としての勝負は辞める、と。震災前までは、僕の読者、詩集を買ってくれる方々というのがいて、僕は作品を書いてその読者に届ける、ということを考えていたんですけれど、震災後はまったくそういう想定がなくなってしまった。「詩の礫」も、誰かに届くということは考えていなかったですね。 ――「詩の礫」はTwitter上で、和合さんのことを知らなかった人たちの間で広く拡散されていきました。そうした新しい読者の反応をリアルタイムで見ながら書いていたということですが、作品を発表した瞬間に具体的なリアクションが返ってくるというのは、どういう体験でしたか。 和合 言葉の力をもらっている、という感覚ですね。メッセージをもらうと、自分の中に波が立ってくる。波が立ってくるから、また書こうと思える。僕は詩の朗読を20年間やってきたんですが、そのときの感覚とすごく似ています。現場性がある。呼吸が一致しているという感じがするんですよ。見てくれている人と、一緒になっている感じ。パソコンの画面がうねっているような、Twitterを通して、いろんな人の呼吸が感じられるんです。  4月1日に、10回目の「詩の礫」を書いているとき、不思議な体験をしました。そのころの「詩の礫」は、ある程度準備をして、メモを横に置いて作っていたんですが、2時間書き続けたうちの後半の1時間に、メモをまったく見なくても書ける、即興で書けるという状態になったんです。この詩はラストにはどうなるんだろうという不安を感じながら、言葉がどんどん出てきた。最後は海に行って、水平線に美しい一艘の帆船が見えた、というところで終わるんですけど、それも最初からそういう展開になるとはぜんぜん思っていなかった。みんなの呼吸がそうさせてくれたっていうね。それまでの「詩の礫」とはまったく違う感触だったんです。その最後に「みなさんと一緒に未来を歩いた気がします」と書いたんですが、ネットでそういう目覚めのようなものを感じることは、震災前にはなかったことですね。  * 「11438人の影(日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまで凌ぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。)がバス停を過ぎる。」(『詩の礫』引用)  * ――震災直後から和合さんの詩を読んでいた方というのは、直接大きな被害を受けていない方や、被災地にいてもインフラの復旧が早かった方が主だったと思うんですが、自分も含め、そういう人たちの間には「自分には何もできない」という無力感とともに、自分が被害を受けていないという事実に対して罪悪感のようなものがあったと思うんです。そういう人たちにとって、毎日更新される「詩の礫」というのが「この詩を読んでいる間、私は福島とともにある」という実感が得られるものとして機能していたのではないかと感じるんですが、和合さんご自身はその期間、詩人として、社会の中である役割を担っていたという思いはありますか。 和合 メッセージを、たくさんいただいたんですね。「情報に追われて生活をしていて、つらい中で、このTwitterを読んだことで静かな気持ちになり、いろいろ考えることができました」とか、両親を残して福島を離れている方が、「福島の状況を知りたい、父と母のことを考えたいから読んでいる」とか。そういうメッセージやお手紙をいただくんです。「心配で心配でしょうがなくて、いろんな人に話を聞きにいったんだけど、どの人の説明も、自分の心を満足させてくれなくて、『詩の礫』を読んでると、自分が求めてるのは、詩人の語りなんだな、と思いました」とか、「お父さんお母さんを亡くして、それでもう、何も考えられない日々を過ごしてたんだけど、この詩を読んで、まず泣いた、ずーっと泣いた、一日泣いてた、泣いたら、次どうしようかってことを考え始めることができました」って、どれもすごく丁寧に書かれていて。そうして待っている人がいるのであれば、書こうと思うんです。それを、物書きとしての役割と言っていただくのはすごくうれしいことですけど、本気で気持ちを救うことができるのであれば、少しでも手助けができるのであれば、それは続けたいと思いますね。 ――詩人だから詩を書く、というのではなく、重そうな荷物を持ってあげていたような感覚でしょうか。 和合 そう。だから「詩の礫」って名前は付けているけれど、書いたものに詩が宿ってきてくれればいいかな、と思うんです。  * 「うるせえ、放射能をぶっ潰してやる。震災をぶっ潰してやる。」(『詩の礫』引用)  * ――「詩の礫」では、怒りの感情もすごくストレートに表現されています。地震に対して、地球に対して。その反面、誰か人間に対して怒っているという部分は見当たらない。例えば避難所やガソリンスタンドには自分勝手な人がいたかもしれないし、地元の行政にもいたかもしれない。もちろん東電や、政治家にも不満や怒りは大いにあったと思うんですが、「詩の礫」を公開していく中で、これは詩に書いてはいけない、この気持ちを表現してはいけない、と決めていたことはありますか。 和合 そこはやっぱり、詩だ、という意識があるんですね。詩である限り、何か高潔なものでありたいという気持ちがある。人を傷付けるものにはできないという。宮沢賢治の言葉に出会ったんです。「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」っていうね。詩を書くことの意味って、人と地球、人の次に地球が来るっていうのが、詩ならではの働きかけなのかな、と。だから今回の『詩の礫』を書いているときにも、誰かを傷つけてはいけない、被災者の人たちの気持ちを追い込んではいけない、という思いは、書く基準としてあったと思いますね。  * 「美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった」「こんなことってあるのか比喩が死んでしまった」(『詩の礫』引用)  * ――「比喩が死んだ」という表現をされていましたが、確かに今回の震災で、多くの言葉が意味を変えました。例えば「原発」という言葉もそうですし、サザンオールスターズの「TSUNAMI」という曲もそう。報道の中で「市街地が壊滅しています」とNHKが繰り返している。それはフィクションの中でしか聞こえてこなかった表現だったはずですが、現実が比喩を追い越していくという状況を、言葉の表現者としてどのように受け止めていくのか、あるいは、日本語がここまで大きく姿を変えたとき、詩人はそれとどう向き合うのでしょうか。 和合 やっぱり詩を書くということにおいては、直接的でなくとも、比喩を追い求めていかなくてはいけないと思います。言葉が醸し出す何がしか、言葉の影のようなものを追いかけていかなくちゃいけない。おっしゃる通り、今は完全に現実が比喩を追い越してしまって、比喩というものが極限状態では成立しないということを、まざまざと見せ付けられたわけです。言葉が、まったく表情を変えてしまった。例えば「福島」なんて、震災前は「ふぐすま」なんて言われて、何もない土地だという印象だったけれど、今は世界中の人たちが分かってしまう。カタカナで「フクシマ」っていう、なんだか鋭くて恐ろしい言葉に変わってしまった。そういう言葉の表情一つひとつが変わってきた中で、変わってきたものを並べながら、やっぱり比喩を作っていくしかない。比喩を作るっていうのが詩人の命ですから、直喩にしろ擬人法にしろ暗喩にしろ、どうにかして比喩を成していかなくちゃいけないというのが、これからの課題だと思うんです。僕が選んだ方法というのは、とにかく目の前のことを、ドキュメントとして書いていく、記録として書いていく、いまあることを、いまあるままに発信していく。その中で、そこに新しい比喩が宿っていけばいいな、というふうに思いながら、実は書いています。  * 「目をあけた 福島の子よ」「雨の夜を歩き通した 子どもよ」「一番最初の きみの 夜明けだ」「生まれてきて くれて ありがとう」(『詩の礫』引用)  * ――実は今日、一番聞きたかったのは、まさに和合さんがおっしゃっていた「フクシマ」という日本語の話なんです。もう世界中の人が、「チェルノブイリ」「スリーマイル」と言うときと同じ顔で「フクシマ」と言う、そういう状態になってしまったことは動かしようがなくて、それでも福島には、今もたくさんの子どもたちが暮らしている。彼らは、福島生まれ福島育ちという事実を一生背負っていかなければならない。健康被害ももちろん心配ですが、その思想やアイデンティティーにも大きな影響を与えることだと思うんです。汚染された地域で育った人間である、と見られ続けていく彼らに対して、私たち、日本の大人たちは、何をどう伝えていったらいいのだろう、ということなんです。 和合 そこがですね、僕がいま、ずっと考えていることなんですよ。放射能とともに暮らすという現実が、これからずっと続くと思うんですね。簡単に「子どもを逃がせ」って言ってくる人もいるけれど、例えば自主避難をしたとしても、避難した先でどう暮らすか、そこには仕事もなければ生活の基盤もない、お金だって下りないし、生きていけないんです。そういう現実を、福島は抱えてるんですよ。それは福島の空気の中で暮らさないと分からないことだし、浜通りには浜通りの空気の中で暮らさないと分からないことがある。一度故郷を離れたらもう戻って来られないという気持ちもあるし、親の問題もある。いま避難せずに生きている人たちって、何らかの理由があって福島にいるわけです。だから、福島で生きていく限り、それを大人たちがもっと語れるようになっていかなければいけない。福島の人たちの気持ちの拠りどころになれるような言葉を、僕はずっと自分の中に探しているんです。一言なのかもしれないし、長いフレーズなのかもしれない。今はまだ、分からないです。大人が子どもたちにどう接したらいいか、分からないです。言葉は何も解決しないでしょうけれど、何か時代のよすがになれるような言葉を、あれからずっと考えているんです。このままだと、われわれ福島の人間は、根無し草のまま、ずっと何の発信もできずに、原発が爆発したら爆発したまま、避難しろって言われたら言われたまま、まま、まま、っていう受動的な、そういう生き方、生き様で、悔しさを抱えながら、流されて生きていかなくちゃいけなくなるんですね。だから、ここに自分たちの生き様があったんだっていう、何かそういう言葉を残したいと、今は思っているんです。  * 「2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。」(『詩の礫』引用) (取材・文=編集部) ●わごう・りょういち 1968年福島県生まれ。詩人。高校教諭の傍ら詩作活動を行う。福島高校、福島大学卒業。99年、第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞、06年に第四詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞を受賞。詩集に『RAINBOW』『誕生』『入道雲入道雲入道雲』『黄金少年』『詩ノ黙礼』『詩の邂逅』。その他の著書に『パパの子育て奮闘記』『にほんごの話』(谷川俊太郎と共著)。ラジオ福島で『詩人のラヂオ 和合亮一のアクションポエジィー』のパーソナリティを務める。 Twitterアカウントは「@wago2828」。
詩の礫 歩いてゆく。 amazon_associate_logo.jpg
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「"差別用語"を使って何が悪い?」過剰な自主規制にモノ申す! 

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被差別部落出身のジャーナリスト・
上原善広氏
 「穢多・非人」「めくら」「ビッコ」「浮浪者」「屠殺」――。これらはすべて、差別用語とされている言葉だ。こういった"不快な思いをする人がいる"とされる言葉は「放送禁止用語」という名のメディア側の自主規制により、まるで存在しないものかのように取り扱われている。年々厳しさを増すこうした自主規制によって、メディア上で本来語られるべき事柄が語られない、語ることができないというジレンマに陥ってはいないだろうか。過日、『私家版 差別語辞典』(新潮社)を出版した、被差別部落出身のジャーナリスト・上原善広氏に話を聞いた。 ――本書では、「差別用語とは、本来は差別的な意味合いを含んでいなかったにもかかわらず、人々が差別するつもりで使ったからそう呼ばれるようになったものが大半」だと指摘されていますが、現在、差別用語はメディアにどのように扱われているのでしょうか? 上原善広氏(以下、上原) だいたいはその言葉を使わない、違う言葉に言い換えるということをしています。例えば、精神分裂病のことを統合失調症、職安のことをハローワークと言ったりしますが、言い換えによってイメージもガラっと変えてしまうから、それが良い効果をもたらす場合もあります。その一方で、"障害者"や"醜いさま"を表す「かたわ」という言葉は平安時代より使われている歴史的語句ですが、こういった言葉についても封印されてしまっている。言葉の言い換えというのは、どちらが正しいというわけではなく、バランスを取ることが大事だと思います。現在の状況はポリティカル・コレクトネスと言われる「政治的な言い換え」があまりにも進み、差別用語に対して一律、言い換えにしてしまおう、それでごまかしてしまおうという流れが多勢なので、そういう意味では、この本で一石を投じたかったというところもあります。 ――差別用語の"差別性"という面だけが強調され原意が抜け落ちてしまうと、客観的な事実を説明するだけで一苦労する、というちぐはぐな状況に陥ってしまいますね。 上原 例えば「貴様」という言葉は、近世初期までは目上の人を敬う言葉だったのに、今では反対の意味で使われるようになってしまいました。本来、人を区別する言葉なので、その言葉を使う人自身が相手をおとしめたいという思いが少しでもあると、それはすぐに差別語になってしまう。要するに、言葉の意味が変ってしまうわけですよね。これは仕方がないことではあるけれど、「ブス」にしても「デブ」にしても、言われたら確かに傷つくけども、だからといって全部ダメにするわけにはいかないでしょう? だって現実的に、僕のようなデブもいれば、ブスもブ男もいるわけですから。そういう意味でも、抗議がきたらメディア側が一律に思考停止状態になって封印してしまう方法では無理があると思うんです。メディアは、見ている人が多くなればなるほどタブーが多くなります。その点、「サイゾー」は読者が少ないから(笑)、タブーも取り扱えるわけで、これが100万部、1,000万部となってくると、変わらざるを得なくなる。だからサイゾーのようにウェブも紙媒体も出している出版社には、今のうちに積極的に"差別用語"とされる語句を使ってほしいと思っています。タブーが一番多いのは、見ている人がケタ違いに多いテレビと新聞、通信社なのですが、そうした大メディアができないことをできるのがサイゾーだと思うんです。とくにこの日刊サイゾーなんて、ウェブを舞台にしている。ウェブというのは、読者が多いのにタブーがほとんどないですよね。そうした意味でも革命的だった。そしてここ十数年でそういう新しいメディアが爆発的に普及してきた今だからこそ、差別用語について少しでも考える機会が増えればいいなと思っています。 ――しかし裏を返せば、"ウェブ上には差別用語が氾濫している"とも言えます。 上原 特定の個人を攻撃するのはもちろん罪に問われてしかるべきですが、公のメディアであるウェブ上で使っての差別語使用については何も問題はないと思います。2ちゃんねるみたいに同和のことを「童話」と書いてからかってるけど、あまり問題になっていませんよね。ウェブって、その手の抗議は雑誌とかに比べて格段に少ないんじゃないですかね。あとは、小人プロレス(参照記事)なんかもそうだけど、笑いを取るためには誰かをコケにしなきゃいけない場合もあるんですよね。人間って生きていくために牛を殺したり鶏を殺したりして食べていかなければいけないように、誰かを傷つけながら生きていかなければならないところがある。お笑いなんか特にそうですよね。表現って、必ず誰かを傷つける可能性を秘めています。だから差別語を使って個人攻撃はしないとか、必要最低限のマナーは必要だけど、あまり神経質になって使わないというよりは、逆に今後は積極的に使っていくべきだと思います。 ――上原さんの世代、つまり30代半ばというのは、テレビで差別用語に触れてきた最後の世代だと思うんですが、今の子どもたちは無菌状態のテレビで育っています。そういった状況について、どう思われますか? 上原 でも、今は返って住み分けができているんじゃないですかね。子どもでも自由にウェブを見ている子もいるから、「大人の世界じゃ、これは使っていい言葉・悪い言葉」というのが、昔よりも分かっているんじゃないかな。大人びているというか、ウェブという一種の「解放区」と、現実の区別は、意外に子どもの方がついているのかもしれないと思うときがあります。 ――テレビが使っていい言葉で、ウェブがダメな言葉だと。 上原 テレビで使っていて、ウェブで使ってはいけない言葉なんてないでしょう。その逆については、子どもの方が新しいメディアに対応しやすいから、分かっているんじゃないかと思います。本当はいびつで、あんまりよくない状況ではあると思いますが。だってメディアの種類によって、使える言葉が違うって変ですよね。 ――テレビの"言葉狩り"が進んで窮屈になった一方で、ウェブというはけ口ができたことにより、ある意味、全体的バランスは取れているとも言えますね。 上原 確かにその通りです。ただ一方で高齢者、とくに貧困層の中にはウェブを使っていない人もいて、そういう人たちが何に頼るかと言えば、やっぱりテレビなんですよね。携帯電話もなくて、電話は近くにある大家さんのを借りてるのに、テレビだけは部屋にある生活保護の人とか。それはちょっと極端な例かもしれませんが、そういう意味ではまだまだテレビってすごく影響力がある。そこから小人さんとかの障害者でパフォーマンスできる人を消すとか、被差別部落民を消すっていうのはゆがんだ状況だと言えます。部落問題で言えば、時代劇に穢多・非人が出てこない。武士が十手を持っていたりする。十手を持っているっていうのは、穢多か非人身分なんです。そういう時代考証も、わざとかどうかまで分かりませんが、間違っている。些細なことかもしれませんが、それって歴史を捻じ曲げているとも言える。身体障害者で言えば乙武(洋匡)さんとか、あれぐらいものすごい才能ある人じゃないとなかなか大メディアに出られない。個人的にはホーキング青山さんが好きですが(笑)、ウェブではタブーがないというのに、テレビにそうした芸人さんや小人の俳優さんが出れないって異常な状況ですよね。そういう人たちをウェブだけでなく、もっともっと大メディアという表舞台に出していくことで、社会的・情報的な弱者に対しても、いろいろと考えるきっかけになると思います。 ――先日、NHKで知的障害者とか脳性マヒの方が出てきてコメディをやる『笑っていいかも!?』という番組がありましたが、あの放送は視聴者にかなり衝撃を持って受け止められたようです。 上原 ウェブの普及から十数年、ようやく閉塞状況から開いていこうとしているんだと思います。ただ、それがNHKっていうところが情けないなあ。もっと先にやるべきメディアがあったのではないかと思います。まあ、部落民や在日、障害者を取り上げたからって、視聴率や部数が伸びるってわけじゃないから難しいところですが。そういう意味では、NHKだからできたんでしょうね。番組の試みは素晴らしいことですが、一過性のもので終わらないかどうか。そうした意味では作り手側はもちろん、視聴者も試されていると言えます。 ――たとえば、乙武さんは「『かたわ』と言われてもいい」と発言されていますが、健常者が『かたわ』という言葉使うと当然、抗議が来ますよね。では、差別の当事者ではない人間が差別について語るとき、どういう言葉で語られるべきだと思いますか? 上原 僕は基本的に、差別用語とされるものを全部使っていいと思っています。言葉というのはただの記号・キーワードの組み合わせでしかない。だから逆にいくらでも組み合わせて言い換えができるけども、そればかりやっているとやっぱりストレスになって窮屈な社会になってしまう。だから僕は「もうこの辺でやめとこうよ」って言っているんです。  本当は、部落問題や障害者について一般の人、つまり他者が書けるようになったらいいですね。障害者のタブーについて健常者が書いたり、一般の人が部落問題について書いたりすれば状況は変わってくると思います。そのためには、たとえば乙武さんみたいに突出した才能のある人がどんどん出ていって「障害者についてもっと言っていこうよ」って言ってくれたら僕らも言いやすくなる。それと同じで部落問題にしても、たとえば一般の人が「部落って怖いところなんじゃないの?」という疑問を堂々といえる、在日問題だったら「なんであんた、帰化しないの?」とか、そういうことを大メディアでもっとオープンにできるようになったらいいですね。 ――なぜ、差別について書く人が出てこないんでしょうか? 上原 まあ、まずは書かせてもらえない。あとは出してもらえない、発言させてもらえないってところじゃないですか。それと、いまだに「差別される側の痛みは当事者にしか分からない」っていうバカバカしい風潮があるんです。それを言われちゃうと他者は何も言えなくなってしまいますよね。そういう見えない壁を打ち破ってこそ、次のステップに行けるのに、「被差別の権利」を振りかざして相手を沈黙させても、その場はそれでいいかもしれないけど、結局、自分を袋小路に追い詰めてしまうことになってしまっている。 ――そこがジレンマですよね。身体障害のつらさを書いて、障害者本人やご家族から「お前に何が分かるのか」と言われてしまうのではないかという怖さがあります。 上原 遠慮するのは当然ですし、それは仕方がないと思いますが、例えば当事者じゃないと分からないことがある半面、当事者だからこそ見えていない面もあると思う。そうしたことを当事者と他者とが交互に発信していく、または発信していける状況をつくることが大事だと思います。  結局、他人をすべて理解するっていうのは無理なんですよ。たとえ夫婦になっても分からないところは分からない。でもやっぱり、お互い考えていることを言葉に出して話し合うことが大事。それが無知から来る疑問であっても、当事者は非難したりバカにしないで答えてあげる。「部落民ってぶっちゃけ、利権で儲けてんの?」「そういう人もいるけど、生き方がヘタで貧乏な人も多いよ」とかっていう次元の話でも何でもいいけど、そうした掛け合いができる状況になればいいと思います。そうした意味でウェブの普及は絶大な影響を及ぼしていると思いますが、ウェブ上での議論自体はまだまだ幼稚で、差別用語や被差別部落の地名を書き記すだけで満足しているようなところがある。  だから、これまでの差別に対する運動っていうのは「差別するな」っていう運動だったけど、これからは「もっと差別してくれ!」っていう運動を起こさないといけないと思いますね(笑)。つまり身内とか、隣近所でコソコソ話して差別されるくらいなら、表立って差別してくれた方がまだ話もできるでしょ。 ――その運動を行っている抗議団体ですが、メディアの自主規制と同じくらい過剰に反応しているのではないかと思う場面も多々あります。 上原 まあ、結局は一種の利権、特権なんです。部落問題について言えば、被差別部落出身者自身が起こした差別事件っていくつかあります。それは仕事が欲しかったからとか、いろいろ事情があってやったんですけど、部落問題を扱うにしても、結局それは運動団体や出身者の特権でもあるんですね。運動団体だったら「その問題やるんならうちを通してくれ」ってなってしまう。僕の立場で言えば、出身者以外の人が部落問題を書きはじめたら、書く場がなくなってしまいますよね(笑)。だから本当はいろんな人に書いてほしくはないんだけど(笑)、そんな僕一人のちっぽけな生活ならいくらでも破たんしていいから、いろいろな人が書いたり出演できるようにしていけたらいいですよね。だけど、現実はそうなっていない。 ――運動団体もある種の存在矛盾が生じていますよね。 上原 例えば後進国って言われてる国に行くと、ビッコ引いて歩いている人を、指差して笑ったりしてる。そういった反応を無くしてしまうのが先進国の人権の考え方ではあるけれど、何でもかんでも封じ込められているとストレスを感じますよね。差別語に限って言えば、今後はウェブのさらなる普及によって既存の大メディアは置いてきぼりを食うことになると思いますが、まあ、あと10年もすれば、もうちょっとストレスもゆるくなっているんじゃないかな。僕が書き始めた15年前とは確実に変わってきていますからね。そういう意味では紙媒体の「月刊サイゾー」はもちろん、ウェブの「日刊サイゾー」さんにはとっても期待してます(笑)。 (取材・文=編集部) ●うえはら・よしひろ 1973年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、さまざまな職を経た後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。2010年『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に、『コリアン部落』(ミリオン出版)、『被差別の食卓』『聖路加病院訪問看護科』『異形の日本人』(すべて新潮新書)などがある。
私家版 差別語辞典 オープンな議論の場を。 amazon_associate_logo.jpg
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『猫とあほんだら』著者・町田康さんに学ぶ、猫との微妙なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 売れないアイドルも9年続けるといろいろ不思議なことがあるもので、この度、なぜか、かねてからファンである作家の町田康さんの新刊エッセー『猫とあほんだら』(講談社)についてインタビューをすることに! 緊張で頭が真っ白になった私は、取材前に編集とカメラマンを集めて言いました。 「いいですか、町田さんのエッセー『実録・外道の条件』(角川書店)によると、町田さんは段取りの悪い現場と礼儀知らずなライターが大嫌いと見え、写真を撮られることに関しても『こんなことをしなければ飯を食っていかれないというのは、まことにもって情けない』と書かれています!」  緊張をほぐすには風邪と同様に他人に伝染すのが一番と考え、わざと脅すような箇所を引用してみたわけですが、特に自分の緊張がほぐれることはなく、むしろ同じく町田さんのファンである編集とカメラマンが「ヒッ」と悲鳴を上げ、全員がより緊張しただけでした。不安が隠せない我々の元に、遠方から、ヘビ柄の傘をさし、雨の中でも隠しきれない眼光を放った町田康さんがゆらゆらと現れ、かつてない緊張感の中でインタビューは始まったのでした。 ――あの、自分も猫を飼ってまして、今回は『猫とあほんだら』と併せて、あらためて『猫にかまけて』と『猫のあしあと』(すべて講談社)も読み返したんですが、町田さんちの猫たちは本当によくしゃべりますね。どのように猫語を翻訳されてるんですか? 町田康氏(以下、町田) ......そうですね。基本的にフィクションなんで、どこまで正確に訳せているかはかなり怪しい部分なんですけど......。 ――えっ、フィクションなんですか? 町田 ええ、いわゆる......。でも、まぁ、ずっと一緒に生活していると、だいたい日常会話というか、それぐらいのことは分かりますね。そんな複雑なことは言いませんから、基本的には。 ――今作では奥様がかなりパワーアップされていましたね! エッセーやブログにはご家庭の描写があまり出てこないので、「町田さんと暮らしているのはどんな女性なんだろう?」とずっと疑問だったんです(笑)。 110602bt_0102.jpg 町田 ......はぁ。 ――......あ、えっと、では猫の話を! うちにも何匹か猫がいるんですけど、どんなに手間を掛けても凶悪で......。猫をヒザの上に乗せてパソコンを打っていると、目の前で動いている私の手が気に入らないらしく、突然かみついてきたりして、「なんか悩んでるの?」って心配されそうな手首ができあがってしまいます。 町田 ははは、リストカットみたいな(笑)。でも、それが猫のかわいさでもあるんですけどね。かんできたり、激怒したり。うちなんかだと、猫がヒザの上に乗っているときに、5ミリくらい動いただけで「動物虐待をしてしまった!」っていう話になるんですよ。「1ミリにしなさいよ!」って。 ――動くことさえ許されない......なんてハードな生活を! 町田さんは物事を俯瞰から見たり、斜めから見たりするニヒルなイメージなんですが、猫に対しては基本的に下僕のスタイルですよね。猫の数が増えてから、そのスタイルは変わりましたか? 町田 そうですね、自分がどう、と言うより、みんな性格が違うので、それぞれの主張もありますし、やっていることもありますから......。この本の最後に出てくる"ビーチ"はものすごく人間が大好きで、ものすごい甘えたがり。でも抜け毛がすごくって......。僕のバッグをイスの上に置いて3日くらい放置していたら、素敵なファーのバッグになっていたっていう(笑)。 ――あはは! リアルファーですね。 町田 ブリジット・バルドーに怒られそうな。 ――基本、人間の気に入っているものが好きですよね。パソコンのキーボードとか。以前、原稿用紙をビリビリに破られたことがあるとおっしゃってましたけど、そういう時に怒ったりしないんですか? 町田 犬は怒ると「これやっちゃいけないんだ」って分かりますけど、猫は怒っても怒り返してくるとかで、結局無駄なんですよね。最初のころは僕も怒ったりしていたんですが、無駄です。 ――猫と暮らしていると、どうしても「なんでこのタイミングでこんなことするの!?」って時あるじゃないですか? 今日もこの自分の本(『アイドル墜落日記』)を町田さんにお渡ししようと置いていたら、猫が本の上に尿をしていて......。 町田 ......えっ!?(本から離れる) ――いや、これは新しいものです! 大丈夫です! アハ! ただ、PCの電源を得意げに長押しされたり、そんな時の怒りのやり場というか......。 町田 そういうときは、もう怒っても駄目ですから、あきらめるしかないですよね。「そういうことはこれからちょっとやめていこうか。やめていく方向で、ときどきそんな事をふっと思い出してくれたまえ」みたいな。 ――......その口調で語りかけるんですか? 町田 そうですね。"なな"っていう猫はだいぶ高齢だし女性だし気難しいんで、かなり敬語ですね。彼女は六本木の猫なんで、かなり用心深くて、やっぱり警戒心が強くないと、あの辺では生きていけないんですよ。"ビーチ"は熱海の猫なんでのんびりしていて、"エル"は保健所から焼却処分寸前に引き取って......(中略)で、今度は"エル"が"トナ"を「お前だけは許さん、殺す」って言いだして......。あと、"シャンパン"と"パンク"は......。 ――わー......今、総勢何匹の猫と暮らしているんですか? 町田 その本を書いてから現在までにタイムラグがあって、亡くなった猫も、新しく来た猫もいますから、現在は、ちょっと待って、えーと......(両手の指を折りながら)10匹ですね。 ――ご自分でも把握しきれてないぐらい(笑)。10匹くらいがなんとかなる数なんですか?
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最後の勇気を振り絞って、取材後にサインを
頂きました。
町田 いや、なんとかなんなかったから田舎に引っ越したんです。家の中がぐちゃぐちゃになってしまって、地価の安いところに。これでなんとかならなかったら、また別のところに移らなきゃね。どこまで移ればいいんだか(笑)。 ――アハハ! ところで、猫と暮らしていると、もし猫が死んでしまったら......なんて考えるだけで怖いですよね。町田さんは何度も猫との別れの辛さを味わった上で、まだ保護団体から猫を預かるじゃないですか? 辛くなりませんか? 町田 そうですね。すごく悲しいですけど、「じゃあ、それを放って置いたらどうなるか?」って話ですよね。放って置いたら、その猫は死ぬわけですから。自分のことを考えれば猫が死んでしまうのは悲しい。ですが、それは猫でも友達でも家族でも同じことですよね。引き取った猫と、預かっている猫、彼らはいずれにしても行き場がないわけですから。......でも、まあ、主に僕の都合というか、僕ができるかどうかの話なんですが。もちろん、すべてできるわけじゃないですからね。 ――今回の東日本大震災では飼い主が亡くなってしまった犬や猫も多いですしね......。 町田 こういう震災って、いろんなボランティア団体が入って、現地に入っている人も、そういう人たちを支援している人もいますよね。ただ、それでも行政から「立ち入らないでください」「そもそも犬や猫のために来ないでくれ」っていう場所があったり、「ペットを連れていく」って言っても、「持ち出すな」って言われている。「なんで?」って感じですよね。結局、割を食うのは年寄りや子ども、自分で生命の主張もできない犬や猫なんですよ。だから、やっぱり飼っている人が責任を持たないといけない。自分の精神の安定を得るためにペットを飼って、いざ危なくなったら見捨てるっていうのは、人としてどうなのかな。 ――そういう、助けきれない動物へのジレンマはありますか? 町田 それって一番難しいところで、例えば一番矛盾を感じるのは、「かわいそうな猫がいます、みなさん助けてください」ってネットとかで言って、なんになる? ってことなんですよね。つまり、自分が何をするかなんですよ。僕だって毎回、猫を見るとすごく嫌なんです。全部は助けきれないですもん。しょうがない時はしょうがない。自分ができないってことも自分で認識しないと。でも、それは「見殺しにする」っていうことですよね。「俺は見殺しにした!」と思うしかないです。僕は、何回も、見殺しにしました......。 ――わーなんていうか......えーと......慈悲深いですね! えっと、猫にそう思う気持ちって、人間に対してもあるんですか? 町田 まっっったくないですね。人間は言葉をしゃべるし、憲法で人権も保障されているじゃないですか。単純に自分が猫や犬がかわいそうだからやっているってだけで、人間には思わないですよ。「バカは死んでも直らない」ってよく良いますけど、本当にそう思ったこともありますよ。「こいつ死ななきゃ駄目だ!」って......(笑)。 ――そうですよね! アハアハ、アハ......。 ***  町田さんの独自の間合いとテンションに完全に飲まれたままインタビューと撮影を終え、ゆらゆらと去っていく町田さんの背を眺めながら、真っ白になる私たち。「......なんとも町田康でしたね」「ええ、町田康でした......」「猫の話しか聞けませんでしたけど、あの最後の『死ななきゃ駄目なやつ』って、もしかして私のことじゃ......」「それはさすがに考えすぎじゃ......」。  後日、恐る恐る聞いた録音テープには、静かにまじめに猫について語られる町田さんの声と、その独自の間合い(突然お黙りになる、遠くをじっと見つめる、笑い出す、など)に恐怖して、「アハハ アハハ」と意味不明な笑いで場をにごしながら間違った敬語で的を射ない質問を繰り返すという、まさに『実録・外道の条件』に出てくる失礼なライターのような声が入っていました。  やっぱりアレは、私のことじゃ......。 (取材・文=小明) ●まちだ・こう 1962年大阪府生まれ。作家、歌手、詩人として活躍。96年に発表した処女小説『くっすん大黒』(文藝春秋)でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞。2000年『きれぎれ』(同)で芥川賞。01年『土間の四十八滝』(メディアファクトリー)で萩原朔太郎賞。02年『権現の踊り子』(講談社)で川端康成文学賞。05年『告白』(中央公論新社)で谷崎潤一郎賞。08年『宿屋めぐり』(同)で野間文芸賞を受賞。
猫とあほんだら 町田さん、あほんだらですいませんでした! amazon_associate_logo.jpg
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浅草キッド・玉袋筋太郎さんの至言「相手がクンニしてる顔を思い浮かべなさい」(後編)

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前編中編はこちらから 玉袋 芸能界でいったらスキャンダルだから。そっから立ち直る人は大変だよ、これ。海老蔵どころの騒ぎじゃないよ、これ。 ──そこから立ち直れたら相当タフになれますね! しかし、久しぶりに地元に帰って、そうやってウンコ漏らしたりウンコ爆発させてたバカな男子たちが、ものすごいちゃんとした大人になっていた時の焦燥感といったら......! 「仕事何やってんの?」って聞かれて、「いや~アイドルやって売れないまま9年目!」なんて言えませんよ。いくつだよって話ですよ。バカにしていたはずが、自分が一番のバカになっているんです。 玉袋 へっへっへって、笑うしかねぇよな。そうだよな。俺もそうだもん。若いころの遊びとかを、もっともっと取り返そうと思ってるもん。俺は小学校の時はいたずらっ子なんだけど、中学校になったら、もうすごいヤンキーブームで、周りみんな不良になってるわけよ。俺は、それはカッコ悪いと思ってやってなくて、遊びも何もしない暗い中学時代だったんだよね。それで高校時代もずっと耐えててさ、この歳になってものすごい遊んでるんだよ。いろんな悪さしちゃってるわけ。 ──やっぱり遅咲きっていうのは後を引きますよね。そしてまだ、思春期にちゃんと青春を送れてた人たちを敵だと思っています。 玉袋 絶対、それはあるね。俺は中学の体育の授業なんか全部出なくて、1年から3年までオール1だったの。で、輝いてた運動部のヤツとか、その時流行ってたヤンキーとかも、嫌で嫌でしょうがなかったんだけど、たまにバッタリ会うんだよね。そうすると、その輝いてた、キレイな体してたヤツが120キロぐらいになってたりして。だからそいつ見て「今は俺の勝ちだ」と思いながらも「お前そんな体じゃなかったろ、ピッカピカだったじゃないかよ!」って。あと、中学の時にシンナーやってた不良3人組がいたんだけど、俺、わざとそいつらにいじめられてやってたんだよね。ちょっかい出してくるからさ、プロレスラーみたいに派手にリアクションしてやるわけよ。そっちの方がおもしれえじゃん? こないだ友達の母ちゃんの葬式があった時、知り合いに「あの3人はどうなってるの?」って聞いたんだよ。そしたら、2人は覚せい剤で捕まって、もう1人はヤクザになって、組長の命取りに行けってピストル渡されて、気が狂っておかしくなったって。 ──......えええ!? 新宿、怖すぎ!! やっぱり田舎とは、グレた後に敷かれてるレールが違いますね......。 玉袋 だろ? けどさ、シンナーが覚せい剤にバージョンアップしてるだけなんだよ。カッコ悪いじゃん。まだマジメになってる方がカッコいいと思うんだけど。 ──ですねぇ......。でも、玉袋さんも梶原一騎先生とか、そういうかっこいい不良漫画が好きだったじゃないですか。どうして中学で不良にならなかったんですか? 玉袋 やっぱ、殿のラジオを聞いたからじゃないかな。あいつらが憧れてたのは横浜銀蝿だからさ。殿の方がずっと不良だもん。俺はそっちに憧れてたから。マイノリティーだったけど、入ってくるんだよな、ザラついたところにさ。埋めてくれるんだよ。コンパウンドみたいなもんだよ。車が傷いっちゃってるところをワックス塗ったら直っちゃうみたいな。心のリペアをしてくれるよ。 ──私も中学校の時は周りがヤンキーばっかりで、ひきこもりだったんですよ。「もう死にたい死にたい、生まれてごめんなさい」っていう思春期で、寺山修司さんとか読むようになって。 玉袋 またすごいとこいったね! ──『青少年のための自殺学入門』(土曜美術社)って本に衝撃を受けて......。その本に「心中は人生の一点豪華主義だ」っていう一節があって、「なるほど、私はコンプレックスだらけのダメな人間だけど、心中が出来たら勝ちだな!」と思って。悲しいまま人生を終えたくないんですよ。心中に限らず、むせかえるような幸せの中で死んで勝ち逃げしたい。「アイドルは売れないし引退します」って言うのは、負けてしっぽ巻いて逃げる状態じゃないですか。負けたまま終わると、その後の人生ずっと負ける気がして、せめて一花咲かすまで......と続けてたら精神を病んだんですが。 玉袋 そりゃあそうだ。そのまま続けて80歳で心中したりしてな。「それ寿命じゃねえか!」ってのが良いけどな。でも、いつかのための、押すボタンは用意してあるわけね。そんなにすぐ押しちゃダメだぞ。一回フタを開けるボタンとか、フタを割ってから押すボタンじゃないと。あと緊急脱出ボタンも必要だな。 ──うっかり幸せを感じた時、「私は今、本当に幸せか? いや待て、そこまでじゃないな」みたいな。そうすれば中島みゆきさんの歌みたく、自然と幸せの後ろに別れがついてきますから(笑)。そうやってなんとか頑張って踏ん張ってやっていく。玉袋さんは、今、かつての不良や輝いてたヤツらとかに勝ってますけど、私は今がまだダメだから、「ウン爆」させてたヤツらとか、シンナーで歯が溶けてた女子とかに「小明も頑張りなよー(笑)」とか言われると、もう立っているのがやっと......という感じに......。 玉袋 いや、ダメだってまだ分かんねぇぞ。俺なんか、そんなヤツらと一緒になったら、しょんべんひっかけてやるよ! しょんべんシャンプーしてやるよ! ──かっこいい! でも女子は構造上、よほど工夫しないとムリ! あと人前で放尿とかもムリ! 私も小学校2~3年までは平気で外でおしっこ出来たんだけどなぁ~。  玉袋 あるある。俺もいまだに立ちションも野グソもしてるしな! ──えっ! 野グソはやめましょうよ! 玉袋 何もない野原だから仕方ないじゃない。 ──ですよねぇ。 玉袋 トイレ貸してくれるコンビニも何もないんだからさぁ~。あんたならどうする? ――仕方ないです。 玉袋 でしょ? 男は「ちょっとキジを撃ちに行ってくるわ!」。女は「ちょっと花を摘んできます...」でいいのよ! ──モノは言いようですよねぇ... 玉袋 でしょ!? 俺、すごいよ、テクニック。土日とか、八百屋のおじちゃんと、メダカとかナマズとか捕まえに川とか行ってんだよ。何にもねぇから、「おじちゃんトイレどうしよう?」って言ったら、「そこらへんにしろ、バカヤロウ」とか言われてさ、最初は山の傾斜のところに入ったんだけど、それでウンコすると、傾斜だから流れてきちゃうんだよ。んで「汚ねぇ汚ねぇ」ってなっちゃって。で、上級者になってくると、山向きに、こう、角度が自然になってくる(しゃがんで実演しながら)。完璧だ......と。こないだなんてもっと完璧な......。 ──こないだ!? 玉袋 そう、こないだ。先週の日曜。新しい野グソを開発したわけよ。田んぼの中にU字溝があるの。そこに水が流れてるの。「おじちゃん、これまたいでしゃがんだらウンコできるじゃん! 中国みたいでいいよ!」って。そしたら「バカ、そうじゃねぇよ、U字溝はまたぐんじゃなくて......U字溝の中に入っちゃえよ」って。水の中に尻まで入れてウンコする。そしたらジャーって流れてっちゃうし、おしっこも流れてくし、肛門もきれいで、素晴らしい。水洗なの、水洗。すっげぇ気持ちいいんだよ、それが。(やっぱりしゃがんで実演しながら) ──ナチュラルウォシュレット......ちなみに、それどこでやってるんですか? 玉袋 埼玉。 ──普通に関東圏じゃないですか! 玉袋 そうなんだよ。いや~ついに到達したんだよ、完璧な野グソ。田んぼに汲み上げられるんだったらちゃんと肥やしにもなるし、ものすごいいいことだろ? エコロジーですよ! エセエコの野郎もいるけどさ、本物のエコ! ......なんなんだ、俺。ウンコの話に終始してるよ。 ──本当ですよ......なんだろう、相談したいことはたくさんあったのに、すべてがウンコ色に......あっ、そうだ! 玉袋さんのご実家って元々は雀荘で、それがインベーダーゲームの流行でお客さんがゲームセンターに流れて、そのせいで雀荘が傾いてホモスナックになったじゃないですか。そんな切ないエピソードがあるのに、小学生時代の玉袋さんたちはすごく楽しくインベーダーゲームをやってて、小説のタイトルも『新宿スペースインベーダー』なんですね。もっとインベーダーを憎んでも良いと思うんですけど、そういう複雑な思いはなかったんですか? 玉袋 これがまたね、バカだったね、俺も。本当、親の心子知らずなんだよな。そうやって傾いてる原因のところにお金つぎ込んでるんだからさ。でも、この『新宿スペースインベーダー』の意味っちゅうのはさ、一生懸命インベーダーを打って、みんなで侵略者をやっつけてるわけだよね。で、うまいヤツなんて100円でずーっとできるわけよ。でも最終的には家に帰んなきゃいけないから、自爆して死ななきゃいけない。だから、結局ぜんぜん勝てねぇんだよ、俺たちは。新宿っていう街は、いろんな人間が集まる場所じゃない? そういう新しく来るヤツらに侵略されて、俺たちの居場所がなくなったっていうテーマなんだよ、これは。 ──切ないですね......。そしてそれぞれが新しい自分の居場所をつくっていかなきゃならないわけだし、玉袋さん世代に限らず、もっと若い世代の課題でもありますよ。 玉袋 そうだな!小明ちゃん、加齢していけばスナックのママになれそうだ! マスター! ──いや! そこは別に目指してないです(笑)! でも、ありがとうございました!! (取材・文=小明) ●たまぶくろ・すじたろう 1967年、東京都生まれ。86年にビートたけしに弟子入りし、87年、水道橋博士と漫才コンビ「浅草キッド」を結成。初の自伝的小説『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(武田ランダムハウスジャパン)発売中。 ●あかり 1985年栃木県生まれ。2002年史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。初著『アイドル墜落日記』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。 ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/> サイゾーテレビ<http://ch.nicovideo.jp/channel/ch3120>にて生トーク番組『小明の副作用』(隔週木曜)出演中
新宿スペースインベーダー 好評発売中。 amazon_associate_logo.jpg
小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談バックナンバー 【第25回】 前田健さんの至言「自分は赤毛のアンの生まれ変わりだと思ってる」 【第24回】 叶井俊太郎さんの至言「結婚したければ高2で100人斬りの男を探しなさい!」 【第23回】 須藤元気さんの至言「僕の本なんて、ギャグみたいなものですよ」 【第22回】 オアシズ大久保佳代子さんの至言「本当はOLを辞めたくなかったんだよなぁ......」 【第21回】 Kダブシャインさんの至言「宇多丸は、Kダブをシャインさせない」 【第20回】 楳図かずおさんの至言「世界を相手にやっている人は、友達作っちゃうと危ない!」 【第19回】 キングオブコメディさんの至言「いつ辞めてもいいから、続けられるんです」 【第18回】 バカリズムさんの至言「モヤモヤは、そのまま持ち帰って立ち向かいます」 【第17回】 島田秀平さんの至言「小明さんの手相にはアブノーマル線があるんです」 【第16回】 小森純さんの至言「写真のチェックとか、自分では一切しないんです」 【第15回】 堀江貴文さんの至言「もうメジャー路線っていうものは存在しないかもしれない」 【第14回】 稲川淳二さんの至言「自分の子どもを殺そうか、と思った自分が一番怖かった」 【第13回】 蝶野正洋さんの至言「自分の役割の中で、最大限に光らなきゃならない」 【第12回】 有野晋哉さんの至言「アイドルは『育ちがええねんなー』っていうのが大事です」 【第11回】  鳥居みゆきさんの至言「やりたくないこと、やらないだろうな、ってことをやるの」 【第10回】  宇多丸さんの至言「人にはだいたい『ちょうどいい』ところがあるんです」 【第9回】  桜木ピロコさんの至言「あたしいつもだいたいいやらしいことしてるもん!」 【第8回】 伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」 【第7回】 ルー大柴さんの至言「ライフっていうのはマウンテンありバレーありです」 【第6回】 大堀恵さんの至言「私、いつも『アンチ上等』って思ってるんです」 【第5回】 品川祐さんの至言「なったらいいなと思ってることは、だいたい実現する」 【第4回】 福本伸行さんの至言「俺は『面白いものを作ろう』じゃなくて、作れちゃう」 【第3回】 大根仁さんの至言「ネットの書き込みなんて、バカにしていいんじゃない?」 【第2回】 杉作J太郎さんの至言「そんなことより『ファフナー』見ろ、『ファフナー』を」 【第1回】 河原雅彦さんの至言「もう無理やりヤラれちゃえばいいんじゃない?」

若手映像作家・入江悠監督の覚悟「メジャーでやれないことをやる」

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注目度No.1の若手映像作家・入江悠監督。言葉にできない感情や
想いをラップで叩き付けた『SR』シリーズでブレイクを果たした。
 地方都市でくすぶる若者の生の叫びが炸裂した『SRサイタマノラッパー』(09)のヒットで一躍、新世代映像クリエイターの旗手に躍り出た入江悠監督。故郷・埼玉に続いて群馬を舞台にした北関東シリーズ第2弾『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』が、劇場での1年近いロングラン上映を経て待望のDVDリリースされる運びとなった。今年4月に封切られた『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールが鳴り止まないっ』も現在絶賛公開中だ。『SR』シリーズのヒットで、入江監督を取り巻く製作環境は果たして変わったのか? それとも変わっていないのか? ――入江監督は埼玉県深谷市育ち。大学浪人中は東京ではなく、群馬の予備校に通ったそうですね。 入江悠監督(以下、入江) そうです。深谷から上り線に乗って東京や大宮に行くよりも、下り線に乗って群馬に行くほうが楽だったんです。それに満員電車に乗りたくなかった。でも群馬の予備校も、半年でドロップアウトしましたけど(苦笑)。 ――東京への"距離"を感じていた? 入江 単純に人混みが嫌いだったんです。高校は私服だったんで東京には服を買いにはよく出てたんですけど、予備校行くのにわざわざ東京に通いたくなかった。生理的にダメというか、東京があまり好きじゃなかった。大学も本当は東京ではなく、関西の大学に進みたかったんです。横浜で生まれて、3歳から深谷で過ごしてきたので、大学4年間は関西で過ごしてみたいなと考えていたんですけどね。
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「生活に根づいた女性の美しさを撮りたかっ
た」という入江監督。女優陣の魅力を独特の
長回しで引き出している。
――ニート男の切ない叫びが耳にこだました『SR1』から一転して、『SR2』は女性ラッパーたちが主人公。 入江 『SR1』はあの1作で完結したものなので、『SR1』に登場したIKKU(駒木根隆介)たちの後日談にはしたくなかったんです。まったく別のものにしたいなと。それで、まだ女性ラッパーを主人公にした映画は誰も作っていないなと気づいたんです。『Sex and the City』ってありますよね? ボクはほとんど観てないんですけど(笑)。洗練された都会の女性たちがカツカツカツとハイヒールの音を響かせながら並んで歩くあのイメージを、北関東を舞台に置き換えてできないかと考えたんです。ハイヒールで砂をジャリジャリ言わせながら女たちが並ん歩いてくるイメージが最初に浮かんだんです(笑)。 ――『SR1』でも、みひろが東京に対して複雑な思いを持つ女性として出てきましたが、『SR2』の女性たちには実在のモデルがいるんでしょうか? 入江 いえ、取材ですね。mixiをやっていたので、女性からの失敗談や恥ずかしい体験を募集したんです。その頃は女性誌もけっこう読みました。具体的にそのまま映画のエピソードに使ったわけじゃないんですけど、「浮気相手とエッチしてる最中に、彼が来た」とか集まったネタの中からローカルならではのものを拾っていきました。でも取材しているうちに、最終的には失敗談って男も女も変わんねぇなぁと思いましたけど(笑)。ネタというよりは、そういうエピソードを集めていくことで、キャラクターが出来てくればいいなと考えたんです。 ――取材を進めながら、映画化の手応えはどのように感じたんでしょうか? 入江 もちろん最初から映画化するつもりでいたんですけど、いちばん悩んだのは、女の子にラップで何を歌わせるかということでした。男だとどうしても夢だとかメイクマネーだとかビッグになってやるぜみたいなことを考えるし、実際にボクも以前はそんなことを考えていました。でも20代で働いている女性はもっと現実的ですよね。結婚や出産という問題もある。『SR1』もそうですけど、ボクが「こういうラップをやりたい」と大まかな歌詞を書いて、ラップ監修の友人に見てもらって直してもらうというスタイルで作っているんですが、今回はその友人と悩みながらのラップ作りでした。ラップはやはり『SR』シリーズの肝。台詞では言えないことをラップにして言うというのが一番大事な部分ですから。ラップがある程度できたとき、「あっ、映画が見えてきた!」と思いましたね。
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『人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女』(09)
で注目された山田真歩が主演。実家暮らしの
アユム(山田真歩)は高校時代の輝きを取り
戻そうと、女性ラップグループ
「B-hack」を再結成する。
――女性キャストたちは、あえてルックス的にイマイチな子たちをオーディションで選んでますよね? 入江 イマイチというと彼女たちに申し訳ないです(苦笑)。 ――失礼しました! ちょっぴり垢抜けない子たちですね。 入江 そうですね、"グンマ感"のある子たち(笑)。オーディションには美人な子も来てましたけど、群馬を舞台にした作品なんで垢抜けた子じゃリアリティーが出ませんから。まぁ、グンマ感があるという理由で選ばれて、彼女たちはうれしいかどうか分かりませんけど。でも、"生活に根づいた美しさ"ってあるじゃないですか。その部分を出したかったんです。他の監督の映画でも最初は微妙だなぁと思っていた女の子が段々とかわいく思えてくる映画がボクは好きなんです。『SR1』のみひろも最初はダサい服装なんですけど、最後はかっこよく見えるようにしていますしね。 ■タケダ先輩の伝説ライブとエンディングは追加撮影 ――『SR1』がヒットしたことで、『SR2』の製作環境はずいぶん変わりましたか? 入江 製作体制という点では、基本的にほとんど変わってないですね。『SR1』の撮影初日はボクが録音マイクを持ったりしてましたけど、『SR2』はスタッフの人数が2~3人増えたぐらいです。ほとんどのスタッフが半分アマチュアです。ただ『SR1』のときは撮影場所を借りるのに、深谷市のフィルムコミッションに脚本を見せたところ、「こんな地元をバカにした作品に協力できない」と言われたんです。結局、その人は完成した『SR1』を観て泣いてましたけど(笑)。でも、やっぱり脚本だけでは一般の人には理解しづらいし、ラップの歌詞だけ読むと地元をバカにしてるとしか思えないでしょうし、登場人物はどんどん地元を離れて東京に出ていきますしね。そういう意味では『SR1』が完成していたのは大きかった。『SR1』のときのような反対には遭いませんでしたね。クライマックスシーンの法事に出席しているオジサンたちはみんな地元の人たちなんです。 ――『SR1』のラストは奇跡のような感動的シーンでした。『SR2』でも同じように長回しでのラップバトルが繰り広げられますが、よくぞ思い切って挑みましたね。まさか2度目の奇跡が起きるとは......。
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米国の大ヒットドラマ『Sex and the City』
を意識した「B-hack」のメンバー集合
シーン。NYにはない群馬女の生き様をお見せ
します。
入江 『SR2』は、『男はつらいよ』(69~95)、『トラック野郎』(75~79)、『釣りバカ日誌』(88~09)シリーズみたいに前作を踏襲したかったので、『SR2』のラストも最初からラップで長回しと決めてました。でも、『SR1』に比べると登場人物がかなり増えてますから、撮影にはずいぶん時間がかかりました。10分ほどの長回しシーンですが、10回くらい撮り直しましたね。安藤サクラが途中5分くらい経ってから加わるんですが、これまで映画の撮影で緊張したことが一度もないと話すくらい度胸のある彼女が「初めて足が震えた」と言っていましたね。10回も撮り直すと、最後のほうはかなりのプレッシャーだったみたいです。プロデューサーには「撮り切れないと思った」と撮影が終わってから言われました(苦笑)。 ――『SR1』のホロ苦い終わり方と違って、『SR2』は苦さの中にもちょっとした前向きさが感じられるエンディングですね。 入江 多分、エンドロール部分に映像を加えたからだと思うんです。少しだけ前作と変えたいなと思い、撮影が終わってからエンドロール部分のラストシーンを追加で撮影したんです。タケダ先輩の伝説のライブシーンもそうです。埼玉と群馬の県境の河川敷でエキストラを集めて雨を降らせて一度撮ったんですけど、編集していて絵がどうも足りなくて、撮影から2~3カ月経った11月の多摩川に、エキストラのみなさんにもう一度半袖姿で集まってもらいました。 ――予算の限られた自主制作で、追加撮影は大変じゃないですか。 入江 でも、普通はできないことをやるのが自主制作の良さだし、こういう小規模の映画の良いところだと思うんです。メジャー作品ではできないことですよね。商業映画のプロデューサーだったら「これはちょっと」と言われるようなことでも、『SR』シリーズは自分が面白いと思ったことはドンドンやろうという意識なんです。 ■入江監督の今、そしてこれからのこと ――『SR3』の企画を進めていたところ、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールが鳴り止まないっ』を先に撮ることになったわけですか? 入江 そうです。プロデューサーから「神聖かまってちゃんで映画できない?」と言われて、まぁ『SR3』は別に遅れても問題はないので『劇場版 神聖かまってちゃん』の脚本を書き始めたんです。でも昨年の春から脚本を書き始めたんですけど、予算が限られていたこともあり、「この内容では決められた日数内で撮り切れないよ」と脚本を19稿くらいまで書き直す作業が続きましたね。
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女性キャストは合宿所、スタッフは入江監督
の実家に泊まりながら、群馬&埼玉で撮影。
入江監督が用意したラップをキャストが撮影
ギリギリまで自己流に手直しする作業が続いた。
――『劇場版 神聖かまってちゃん』は製作委員会方式で作られましたが、その点は問題なかった? 入江 プロデューサーが6人いて、それぞれやりたいことが少しずつ違ったりはしました。でも、全員がかまってちゃん好きだったので一体感があり、別にその点は大丈夫でしたね。ただ製作委員会方式といっても、低予算で作っていたので撮影日数が10日間と限られていたのがキツかった(苦笑)。 ――入江監督は現在もロングラン上映中の『劇場版 神聖かまってちゃん』の舞台あいさつにも精力的に参加していますが、その一方で入江監督が2010年5月23日のブログで書いた記事「なぜか東京を去る理由」(http://blog.livedoor.jp/norainufilm/archives/51672315.html)が大きな反響を呼びました。自分の作品が評価されて各地で劇場公開され、取材や舞台あいさつにマメに対応すればするほど、自分の仕事ができなくなり生活が苦しくなるというジレンマ。その後、多少なりとも状況に変化はありましたか? 入江 う~ん、そんなに反響がありましたか? あの頃、単純に自分が映画の宣伝に追われて仕事をしてなかったってことなんですよね(苦笑)。ただ、自分と同じようにインディペンデント映画を作っている若い監督たちに「自主映画を劇場公開すると、こんなことも起きるよ」という事実を共有したかったんです。でも若い監督たちは自分の作品を作るので精一杯なんで、特にボクの記事に対する反応はなかったですね。ボク自身は『SR2』を完成させた後、『SR1』を観てくれたプロデューサーからオファーをもらい、WOWOWのドラマ『同期』の演出をしました。今年に入って、AKB48のユニットnot yetのPVや、フジテレビ系で放映されたドラマ『ブルータスの心臓』を撮っています。でも、映画業界そのものは『SR』シリーズを作り始めた頃と全然変わってないと思いますね。 ――入江監督個人の経済状態を訴えたわけじゃなく、インディペンデント映画シーンの現状について一石を投じたかったわけですよね。 入江 そうです。自主制作で映画を作って、それが都内で単館上映されるだけでもすごくうれしいんです。このように取材してもらえることも自主映画だとなかなかないし、舞台あいさつにも積極的に参加するわけです。でも地方の劇場へ舞台あいさつに出掛けると、劇場側は交通費は出してくれますけど、その日1日は仕事を休むことになる。パブリシティーに協力すればするほど仕事ができなくなる。映画を作り、劇場公開する環境がどうにか今より少しでも好転しないかと思います。自主映画が単館で上映されるだけでも大変ですが、それを全国公開にまで持っていき、製作費をペイするのは容易なことではありませんから。 ――具体的な解決案は考えられるものでしょうか? 入江 いや、それは分かりません。製作者、それに配給、宣伝、劇場......と、それぞれがそれぞれの立場でしっかり考えてもらうしかないですね。でも各地の映画館を回っていて、支配人の方たちと話していると参考になります。特に『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)、『キャタピラー』(10)をヒットさせた若松孝二監督の話はいろいろと聞くので、すごく勉強になりますね。若松監督は自分のやりたい企画はどうすれば成立するか常に考えている人。自分で製作するだけでなく、自分で配給までやっていますよね。ボクも若い監督から「自主映画を劇場で掛けたい」と相談されたら、自分が『SR』シリーズで学んだことは惜しみなく伝えたいと思っています。 ――入江監督も若松監督のように自主制作を続けていく? 入江 自主制作でなく、製作委員会方式でもいいんですけど、制約なしで作れる、自分の原点に戻れる場所は作っておきたいです。スティーヴン・スピルバーグ監督も自分で会社「ドリームワークス」を立ち上げて映画を作っているので、あれも一種の自主制作ですよね。ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』(09)もそう。時間と手間を掛けた壮大な自主映画のモデルが日本でも実現するといいなとは思いますね。 ――『SR』シリーズは全都道府県を制覇する構想もあるんですよね。 入江 はい。でも、よく考えたら、47都道府県を回り切る前に自分が死んじゃうなと(笑)。1年に1本ペースでも間に合わない。まぁ、夢としては短編でもいいから実現させたいですね。各地の映画館に舞台あいさつに行く際も、リサーチを兼ねて地元の名物を食べたり、現地の人の話を聞いたりしてるんです。映画に結びつくかどうかは分かりません。全都道府県巡りは、ほんと夢のような話ですから。 ――最後に、『SR2』についてひと言お願いします! 入江 パート2といっても前作を観てなくても楽しめるようになっています。"サイタマ"や"ラッパー"というキーワードに抵抗を持たずに、まず気軽に観てほしいですね。『Sex and the City』の北関東版を狙ったので、ぜひ女性の方に観てもらいたいです。最初は『Sex and GUNMA』というタイトルも考えたんですけど、さすがにこれじゃお客さんが来ないだろうと思って自分でダメ出ししました(笑)。でも、女性の本音満載という点では『Sex and the City』にも全然負けてないと思いますよ。 (取材・文=長野辰次) 『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』 監督・脚本/入江悠 音楽/岩崎太整 ラップ指導/上鈴木伯周、上鈴木タカヒロ 出演/山田真歩、安藤サクラ、桜井ふみ、増田久美子、加藤真弓、駒木根隆介、水澤紳吾、岩松了 発売・販売元/アミューズソフト 税込価格/3,990円 6月24日(金)よりDVDリリース <http://sr-movie.com> ●いりえ・ゆう 1979年神奈川県生まれ、3歳から埼玉県深谷市で育つ。日本大学芸術学部映画学科卒業。SFロードムービー『ジャポニカ・ウィルス』(06)で長編監督デビュー。『SR サイタマノラッパー』(09)はゆうばり国際ファンタスティック映画祭2009オフシアター・コンペティション部門グランプリ受賞。さらに韓国プチョン国際ファンタスティック映画祭で最優秀アジア映画賞、第50回日本映画監督協会新人賞受賞。『SR』北関東シリーズ第2弾『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(10)に続いて、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールが鳴り止まないっ』も全国各地でロングラン上映を続けている。2011年にはWOWOWでドラマW『同期』(8月5日DVDリリース)、フジテレビ系で東野圭吾原作のミステリー『ブルータスの心臓』の演出を務めた。AKB48の新ユニット「Not yet」のシングル「週末Not yet」のPVの演出も担当。
SRサイタマノラッパー2女子ラッパー☆傷だらけのライム SATCに共感できなかった方へ。 amazon_associate_logo.jpg
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