
マッドサイエンティストとして一部から
熱狂的な支持を受けている、へるどくたー
クラレ氏。
理系書でありながらも、一部の都道府県では有害図書指定されている悪名高き理科の実験本『アリエナイ理科ノ教科書』(三才ブックス)。生物兵器の話から核兵器まで、さまざまな科学のダークサイドと日常を結びつける斬新な切り口で、"理科をマッドサイエンスで学ぶ"というコンセプトのもと、その実験の手順を写真付きで指南してくれるシリーズ本だ。その最新刊である『アリエナイ理科ノ実験室』(同)が7月に刊行された。
空気砲やレーザー盗聴器を自作したり、草花から毒を抽出したりと、最新刊でも期待を裏切らない狂気ぶり。しかし、分かっているのは、著者が"薬理凶室"というマッドサイエンティスト集団ということのみ。いかにも危険な香りがするこの集団にメスを入れるべく、メンバーのリーダー格・へるどくたークラレ氏にコンタクトを図ったのだが、取材現場にやってきたのは、キツネのお面をかぶった謎の金髪男だった......。
――『アリエナイ理科』シリーズの著者集団のリーダーさんですか?
へるどくたークラレ(以下、クラレ) そうです。"薬理凶室"というはあくまで連名で実体はありません(笑)。関わった人たちは10人くらいでしょうか。最新刊の『アリエナイ理科ノ実験室』は、僕とPOKAという電子工作や機械工作を得意とする人物と共著ということになりますね。
――こんな危険な実験の数々は、いつもどこでやっているのですか?
クラレ フフフ、首都圏某所に実験室がありましてねぇ~。詳しい場所はヒ・ミ・ツ。でも、外でドカン系の実験をするときはちゃんと事前に許可を取っているし、周りの安全には何より気を付けています。警察に止められたことは一度もないですよ。......っていうのは読者の夢を壊しそうなので、あんまり言いたくないんですが(笑)。
――警察に止められてこそないけれど......有害図書指定はされまくってますよね?
クラレ 意外にも少なく、静岡と三重だけですね(笑)。三重県ではなぜか全シリーズが有害指定されているんですが、三重県にはすごいクレーマーのオバチャンでもいるのでしょうかね(苦笑)。もともとこのシリーズは、今の理科教育にケンカを売ろうと思って作り始めたので、叩く人が出てくるのは仕方ないと思っています。もっとも、悪書だと判断し子どもに与える、与えないは行政の仕事ではなく親の仕事じゃないんですかね? ......ま、規制大好きなファシズムに傾注しそうな低脳無能には馬の耳になんとやらでしょうけど(笑)。
――そもそも現代教育にケンカを売る意味は?
クラレ 理科に限らず、今学校で教えられている教科書の内容は約40年前からほぼ変化がないんですよ、受験テストのためだけにです。科学は日々進化しているのに、40年前と同じことを学校で教えるなんてどうかしている! こんなの、日本だけですよ。科学を理解すれば、身近にあるモノがハイテクで構成されていることを再認識できます。電子レンジからど派手な実験ができる部品が取れますし、コーラだって何が入っているか実際に作ってみることができる。教科書の中の科学は、もはや日常生活にあるごく普通の科学すら説明に値しない内容に落ちぶれていることに憂いているわけです。だから"学校の理科"にケンカを売るためにできるだけ不謹慎で、だけどちゃんとした理科になっている本を作りました。
そんな我々の蟷螂の斧ですが、実際に『アリエナイ理科ノ教科書』(2004年刊)を中学時代に読んで、今は薬学部に入りました、医学部に入りましたという声もいただいてしまい、うれしいやら恥ずかしいやらです。
――こういったアブナイ実験は、犯罪予備軍を生んでしまうという可能性も少なからずあると思うのですが。毒薬を作ったり、鉄の爪などの凶器も作ったりしてますし......。
クラレ でも、この本で作った毒薬や凶器じゃなくたって、鉄パイプで人を殴れば殺せるじゃないですか(笑)。こんな本に書いてある程度の内容で完全犯罪はできないですしね。そういうことをやっちゃうような人は、この本がなくても何らかの形でやっちゃうでしょ? 今の時代、情報へのアクセスはより容易になっているわけですから。実験本の内容が犯罪者を生むというなら、ありとあらゆる科学の本が危険書になってしまいます。火薬学の専門書なんかは、爆弾の製造マニュアルですし(笑)。科学には善も悪もありません、あってはならんのです。科学は物事を支配・制御するためのただの"道具"ですから。
――自分自身が、実験中に命の危険を感じたことはないのですか?
クラレ んー、あんまりないですねぇ。火だるまになったことがあるくらいですかね。
――ええ!? 火だるま!? それって、いわゆるお約束の"頭ちりちり"?
クラレ 残念ながら、アフロにはならなかったですが(笑)。服に火の粉が飛んで、そのままボーッと首あたりまで上半身全部が燃え上がって......。実験とは関係のない着衣着火ですけどね。
――ひえぇぇ! さすがに慌てたと......。
クラレ いや、そうでもないです。「あー、燃えてるわー」って感じ(笑)。喉と鼻の内部をヤケドすると治りにくくて大変なので、煙と火の粉は吸わないように上を向いて、燃えてる服を脱ぎました。ただ、化学繊維の服だったから、溶けたチーズのごとく糸を引き、それが固まって皮膚に貼り付いてきてたので、脱ぐ時はむちゃくちゃ痛かったですね。
――ずいぶん冷静ですね。
クラレ 慌てちゃいけないんです。事故が起こったらまずは冷静に。事故引火なら慌てて息を吸ったり、顔に燃え移ったりすると余計に大惨事になりますからね。こういう実験中の事故も貴重な経験値で、過去の痛い目を見た経験が大怪我を予防するわけです。
――『アリエナイ理科』シリーズを、実験経験の浅い人がマネして失敗する可能性もありますよね?
クラレ 失敗したらいいんじゃないですか? ちょっと爪がはがれたり、肉が削げたりするかもしれないけど、そんなケガくらいでは死なないでしょ。ケガをするのがどうしていけないんでしょう? 痛い経験をすれば、次はその轍は踏みません。今の時代、生徒にケガさせないように実験をしない学校も増えているけど、そんなんで科学を学ばせるとか噴飯モノです。科学は実学あってのものです。死なない程度のケガならどんどんしたほうがいい、その痛みの分、学ぶことがあるはずです。
――危ない実験だろうが何だろうが、臆せずトライすべし?
クラレ 身の丈に合わせて......だと思います。身の丈を知らずに危ない実験をすれば大事故の可能性が高まりますから。
余談ですが、僕は小中学生のころから、理科室の薬品や実験器具を勝手に使って実験していました(笑)。理科の授業自体は死ぬほどつまらなかったので、その分を高専など向けのちょっと本格的な教科書を読んで勝手に勉強していました。それだけに、学校のつまらない授業を聞いただけで理系分野に興味を持つ人は果たしているのか、って思いましたね。
――クラレさんにとって、"科学"って何ですか?
クラレ 科学の本質は、物事の支配と制御です。宗教や法律などに絶対的な解はないけれど、唯一科学には真理がある。お経を読んでも肌はキレイにならないけど、科学を理解すれば化粧品だって作れる。それに、災害時には法律の知識は役に立たないけど、科学があれば生き延びられるでしょう。我が家は、計画停電の時も、非常用バッテリーでずっと電気がついてましたよ(笑)。一応、今回の『アリエナイ理科ノ実験室』には、震災に乗じて非常用バッテリーやガイガーカウンターの作り方も掲載しました。実験としては危なくもなければ面白みもなく、地味ですけどね。
***
『アリエナイ理科』シリーズは本作でラスト。だが、別の形で実験シリーズの本は制作予定とのこと。マッドな"薬理凶室"の暴走は続く......。
(取材・文=朝井麻由美)
●へるどくたー・くられ
爆笑秘密結社「薬理凶室」のリーダー。不良科学者、サイエンスライター、トリック設定作家、理科講師などさまざまな肩書きを持ち、コンピュータサイエンスから一般科学まで幅広く手掛ける。著書に『アリエナイ理科』シリーズ、『デッドリーダイエット』(ともに三才ブックス)、「『ニセモノ食品作り』最前線」(宝島社)などがある。
アリエナイ理科ノ実験室 ニコニコミュニティ
<http://com.nicovideo.jp/community/co1274778>
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ブロス編集長が提案する「テレビ返り咲きの秘策」とは?

地デジ完全移行(東北3県は除く)から約1カ月、「テレビが生まれ変わる」といううたい文句も虚しく、Twitterに端を発した韓流ゴリ推し批判問題、不謹慎テロップ事件に対する大バッシングなど、テレビを取り巻く状況は日に日に厳しいものとなっている。テレビはこれからどうなってしまうのか――。それを一般視聴者とは異なる視点で危惧しているのが、他ならぬテレビ雑誌業界だ。テレビ、雑誌という2つの斜陽産業の十字架を背負いながら、テレビ雑誌はどんな未来を見据えているのか。他のテレビ誌とは一線を画す特集やコラムで根強い人気を誇る「TV Bros.」(以下、ブロス/隔週水曜日発売、東京ニュース通信社)、菅野大輔編集長に伺った。ぶっちゃけ、テレビとテレビ誌、大丈夫ですか?
――インタビューをお願いした絶好の(?)タイミングで、例の「フジ韓流偏向問題」が噴出するなど、何かとテレビ周辺が騒がしくなりまして。
菅野大輔氏(以下、菅野) みんなかわいそうですよ。あの問題、まさに「誰得」じゃないですか。愛情の裏返しなんでしょうかね......。他の局だって韓流推しが激しいですよ(笑)。
――番組編成を俯瞰している立場として、韓流ドラマを増やすというフジの選択は妥当だと思われますか?
菅野 ブロスに来る読者からのお手紙を見ていて思うんですが、最近、特にネタが細かくなってきているんですね。これはオンタイムで見ていないな、と。それ自体は悪いことではないのですが、ただ、テレビがかつて視聴者に与えていた"曜日感覚"みたいなものが、もはや必要とされていないんですね。月9とか朝ドラとか。そういった意味で、"24時間ゴールデンプライム"とも言えます。だから平日の14時からのあの時間帯、テレビの向こう側にいる人々に最大公約数の答えを出そうとしたら、韓国コンテンツが増えるとしても不思議じゃないと思いますよ。
――「韓国コンテンツ」というのは単なるきっかけで、テレビに対する積年の鬱々たる思いが爆発したのでしょうか。
菅野 僕はテレビが本当に大好きで、テレビは今でもエンタメ界の王様だと思ってます。どのチャンネルか知らない状態で番組を見ても、「これは日テレっぽい」「テレ朝の風味がする」と何となく分かる。だけど、特番に関してはまったく分からないんです、これが。出てるタレントさんもほとんど同じでしょう? 各局がローリスクなバラエティー番組に逃げた結果ですね。でもね、「どうしてそんなにテレビに文句言うの?」とも思う。だって、こんなに簡単でお金のかからないメディアはないでしょう? もちろん批評は大切だし、ネットがその役割を担っているところはあるけど、匿名者同士の連帯感は悪口に行き着くことの方が多い。ネットでテレビ業界の裏側を暴く、という段階は一段落していたところに今回の騒動が起こったわけですが、もっとドライに「嫌なら見ない」という選択をしている人もいると思います。その方がもっと怖いけど。
――テレビ雑誌にとって、視聴者のテレビ離れは是が非でも食い止めたいところですよね。
菅野 それは僕たちがもっと考えなければいけないところですね。地上波・BS・CS・ネット......と選択肢はものすごく増えている。それをどうまとめるのか、というところにテレビ誌の役割があると思います。EPGでは表現できないことをやらなければ意味がなくなりますから。
――5月28日号のブロスで、「福島」とアニメ『TIGER & BUNNY』を取り上げていたことには驚かされました。テレビ誌で福島の原発問題を取り上げるということ、そしてその後が『タイバニ』という......。
菅野 ブレているわけではありませんよ(笑)。ブロスの編集方針は「画面を通じて会える人やモノ、事象を取り上げる」。そして軸はやっぱり「テレビ」なんですよ。テレビがどのように福島を伝えているのかを知り、それをブロス流に料理する。「『タイバニ』に夢中になっている人に福島を知って欲しい」というメッセージもある。テレビはチャンネルを変えれば、ニュース・歌番組・お笑い・ドキュメンタリー......と瞬時に変化するでしょう? ブロスもテレビのように、見開きで刻々と変化する空間を作りたいと思っています。
――"サブカル"と表現されがちな御誌ですが、基本はやっぱりテレビ誌であると。
菅野 いやぁ、どんな呼び名でも呼んでもらえるだけありがたい(笑)。しかし、褒め言葉として認識してはおりますが、本当の意味でのサブカルなんてもう存在しないんじゃないですか。すべてが白日の下に晒されてしまって、本来"陰"であるサブカルの隠れるところがなくなっちゃった。ただひとつ残されているサブカルがあるとしたら、それは"個人"以外にない。
いまだにテレビはマスに向けて放送しようとしていますが、昨今のテレビに対する拒否反応の根源はそこにあるんだと思います。もはや「大衆」は存在しないんです。誰もが喜び、誰も文句を言わない番組を放送しようとすれば、おのずとつまらないものになっていく。個人や特定のグループに当て込んだ番組作りにシフトしなければ、チャンネルの個性はどんどん失われ、テレビは衰退していくんじゃないでしょうか。
――具体的にはどんな番組作りをすればいいと?
菅野 これはとっておきの秘策ですが......思い切って、全番組を生放送にしてしまうんです! 全部生ですよ。トラブル続出するでしょうね~(笑)。何が起きるか分からないと視聴者もドキドキ感を味わえます。何よりキャストが被らない(笑)。関係者に与えられる休息は、週一で放送される映画の間の3時間だけ。
――『8時だョ! 全員集合』の「志村後ろ!」の感覚ですね(笑)。
菅野 3.11以降、NHKが復権を果たしたのも、そういうライブ感じゃないでしょうか。例えば地震が起きて、「今揺れてる」という事実をライブで共有するのは、地上波最大の強みだったはずです。再放送では絶対に味わえない。もちろんNHKは情報の信頼度も高いし、コンテンツを自局で制作している強みもあります。地デジ化よりもむしろ震災を境目にして、テレビも、それを伝えるテレビ誌も本来の役割を問われているように思うんです。
――確かに、震災によって各局の底力のようなものが透けて見えた気がします。
菅野 一方で「テレビやテレビ雑誌が視聴者のそばにある」というのを痛感したのも震災でした。震災報道から通常の編成へ切り替わった時の、言い知れぬ安堵感。日常がテレビを求めていたこと。ブロスも震災後、史上最低の売り上げを記録したのですが(笑)、それでも待っていてくれる人がいた。交通が遮断され配本できなかった被災地の方から「今日ブロスが届きました!」というお便りをいただいた時、僕らは読者のためにずっと作り続けなければならないと思いました。震災でどん底も見ましたし、逆に底力も発揮されましたね。
――どうか、ブロスはずっとブロスのままでいて下さい(笑)。
菅野 ハハハ、これしかできないですからね。僕からもみなさんに「もっとテレビを見よう!」とお願いしたい。諦めず、テレビに期待しましょうよ。面白きゃいいじゃんと思える、広い心を持ちましょう。震災や地デジ化でリセットするチャンスをもらったんだと思います。見る側も作る側も。ブロスは......まぁ何とかやっていきます。愛憎半ばされがちな雑誌ではございますが、悪運だけは強いので(笑)。
(取材・文=西澤千央)
チェコセンター東京所長に聞く、鬼才・シュヴァンクマイエルの楽しみ方

(C)ATHANOR
「チェコアニメの鬼才」「チェコを代表するアニメーション作家」などといううたい文句で紹介されることの多い人物、ヤン・シュヴァンクマイエル。確かに、チェコ出身であることとアニメーション作品を作っていることで、そう呼ばれるのも間違いではないが、本人いわくそうではないと。では、彼をなんと呼ぶか。「"シュルレアリスト"がもっともふさわしいでしょうね」と、日本でヤン・シュヴァンクマイエルを最もよく知る人物であるチェコセンター東京のぺトル・ホリー氏は言う。
27日より渋谷のシアター・イメージフォーラム他で公開となる映画『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』をはじめ、展覧会や書籍の刊行等、ヤン・シュヴァンクマイエルの話題が相次いでいる。各作品ごとにさまざまなテーマがあるが、シュヴァンクマイエル作品には「夢」を扱ったものが非常に多い。今回の映画『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』も主題が「夢」。主人公のエフジェンは、夢の中で美しい女性エフジェニエに恋をする。そしてエフジェンは、夢の内容が気になり、精神分析医にかかり原因を探ったり、夢の操作法を勉強し夢の中に入っていく。その先にあるのは......。といった内容。夢はその人にとってどんな存在であるのかを考えさせられるテーマである。
......ということで、今回は残念ながらご本人の登場には至らなかったが、今年2月のライブストリーミング番組「DOMMUNE」出演時(ヤン・シュヴァンクマイエル本人と共に通訳として出演した)にも、ある意味で大きな存在感を示したチェコセンター東京のペトル・ホリー氏にご登場いただき、初めての方でも楽しめるヤン・シュヴァンクマイエルについて、また、新作『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』の楽しみ方について語っていただいた。
──まずは、読者の方たちがホリーさんのことをご存じないかもしれませんので、ヤン・シュヴァンクマイエル監督との関係を教えていただけますか?

チェコセンター東京所長、
ぺトル・ホリー氏。
ペトル・ホリー氏(以下、ホリー) 私は現在、チェコ共和国大使館勤務で、チェコセンター東京の所長をしております。シュヴァンクマイエル監督はもちろん有名だったので昔から存じ上げていました。私は日本文化と日本語を勉強して、1998年から日本に住んでいます。最初は『シュヴァンクマイエルの博物館』(国書刊行会)の翻訳で彼の仕事をさせていただきまして、2001年に映画『オテサーネク』で来日した時から通訳としてご一緒させていただいております。それからは、来日されるたびに身の回りのお世話をしたり、日本でいろんなところにお連れしたり......。
──シュヴァンクマイエル監督の側には、いつも大きなホリーさんがいらっしゃる。ご自身もシュヴァンクマイエル映画のファンだったんですか?
ホリー 最初に見たのは大学生のときだったと思います。その時は正直びっくりしましたが、すぐにハマってしまいました。こうして仕事をご一緒させていただき、監督本人からいろいろお話が聞けるのは、すごく貴重なことだと思います。
──冒頭でも伝えましたが、シュヴァンクマイエル監督は映像作家やアニメーション作家ではなく、シュルレアリストであると?
ホリー そうです。シュルレアリストの人たちに言わせると、シュルレアリスムというのは活動、運動、生き方であって、アートではないんですね。だから、シュルレアリスムに勤しんでいるのではなくて、自らのこれまでの体験が形になっている。自分の経験、自らの世界観をアニメーションや彫刻、フロッタージュ、アッサンブラージュといった、いろんな手法を道具として使って表そうとしているんじゃないかと思います。アニメーションというのは単なる手法に過ぎません。

──もともとはチェコに古くから伝わる人形劇を学ばれていたと聞きました。
ホリー シュヴァンクマイエルが人形に目覚めたのは非常に早かったと聞きました。5、6歳のころに人形劇セットを親からもらったのがきっかけです。人形劇セットというのは、チェコの家庭では誰もがもらうものなのですが、そのまま遊んで忘れる人と、それを決定的な出会いと思い込んでしまって現在にいたるという人がいるんです。シュヴァンクマイエルはもちろん後者で、その後、54年にチェコ国立芸術アカデミーの人形劇学科に入学します。チェコの情勢を少しお話ししますと、50年代はスターリン主義の暗い時代、60年代は比較的自由な創作活動が許されていたそうですが、68年にチェコ事件が起こり、70年代には自由を失ってしまったんですね。その時に、ヴラチスラフ・エッフェンベルグルという思想家に出会い、妻のエヴァとともにシュルレアリスムのグループのメンバーとなり活動をスタートするんです。
──なるほど。アニメーションの手法については?
ホリー アニメーションは単なる手法ではあるのですが、「アニメーション=魔術的な何か」ということは常に言っていますね。チェコで言うところの、17世紀の錬金術師のような。普段動かないものを動くように見せる、まるでモノに魂が宿ったかのように。それはミステリアスなことでもあり、シュヴァンクマイエルにとって、アニメーションは自分の考えを表現するのに適した手法なのだと思います。
──では、新作『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』についてのお話をお聞きしたいのですが、本作はシュヴァンクマイエル作品の入門編としてはすごくいいと個人的に思います。監督が持つアイロニーとユーモアはたっぷり織り交ぜつつ、内容としてはテーマが「夢」なこともあり、共感できる部分も多い。見ていて楽しい作品でした。

ホリー そうですね。娯楽要素が多い作品かもしれません。この作品では、「夢」というのが私たちにとっていかに大事なものかということを考えさせられるのではないかと思います。映画の中に、夢をめぐる問答がありますよね。事務所の中で、エフジェンはすごく夢を大事に思っていて、もう一方の人はたまたま見たものといって軽く扱う。エフジェンはすごく深い世界を持とうとしていて、片方は朝起きて食べて寝るというありきたりの日常を過ごしている。もう片方は、今の文明の象徴ではないかと。シュヴァンクマイエルもすごく夢を大切にしていて、彼自身も夢日記をつけているんです。サブタイトルに「夢は第二の人生」とありますが、監督いわく「夢は第一の人生」かもしれないと。
──確かに。現代は「目を開けている世界が本当の世界だ」と言われていますけど、例えば原住民で夢を非常に大切にしている部族があったりしますしね。シュヴァンクマイエル作品に過度な発展による文明、消費社会への批判も強くみられます。
ホリー シュヴァンクマイエルもプリミティブアートが大好きで、チェコで2番目のコレクションを持っていると豪語しています(笑)。それは余談ですが。シュヴァンクマイエル作品を見る時のキーワードみたいなものがいくつかあって。「夢」「文明への反抗」「欲望」「食への恐怖」「音へのこだわり」あたりでしょうか。人間の貪欲さというか、欲望を満たすためには何でもやるという人間の欲深さですね。
──「食」は大きいですよね。今回の作品でも口元のアップが多かったり、食べ物が決しておいしそうに映らない。以前、記事で拝読しましたが、幼少時代に食べることが大嫌いだったそうで、そのトラウマが映像に反映されていると。
ホリー 強いトラウマがあると思います。子どものころに無理やり食べさせられたという記憶と、今の文明は全てを食べ尽くしてしまうという意味で、「食べる」行為についての表現もひとつの見どころかもしれません。

──ただモノを動かすだけではなく、ひとつひとつの造形へのこだわりもすごいですよね。だから展覧会等で原画や作品も楽しめるし、それが書籍になっても面白いのだと思います。
ホリー 今回は、「切り絵アニメ」という手法でやっています。映画の冒頭で本人も言っていますが、最初は製作費の節約のためにとった手法だったんですが、フタを開けてみたら、人の写真を24コマ用に撮って、現像し、プリントする。数万枚にも及ぶプリントを1枚1枚丁寧に切り抜く作業が発生してしまいました。結局は製作費も割高になってしまったそうです(笑)。ただでさえコマ撮りの撮影は時間がかかるんですが、だいたい1日で30秒程度、結局製作には3年かかりました。それだけ、映画としてのクオリティーは非常に高くなっていると思います。
──最後に観客の皆さんにひと言お願いします。
ホリー 作品を見て、純粋に楽しめるか? と聞かれたら、ちょっと難しいと答えます(笑)。やはりシュヴァンクマイエル作品は合うか合わないかが非常にわかれます。でも、1枚1枚の画の完成度の高さや、トラウマ・夢・食といったキーワード、哲学的なやりとり等、見方によっていろいろな解釈ができる作品です。シュヴァンクマイエル作品の中では、比較的分かりやすい部類なので、ぜひ注目してみてください。
(取材・文=上條桂子)
<映画>
『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』
8月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
<http://survivinglife.jp/>
<展覧会>
「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展~映画とその周辺~」
9月19日(月)まで
ラフォーレミュージアム原宿
11:00~20:00(最終日~18:00)
<http://www.svankmajerjp.com/>
「コンドルズは人間関係で成り立っている」"学ラン集団"が挑む、15周年の集大成公演

学ラン姿のアツイ男たちが舞台の上を縦横無尽に飛び回るダンスカンパニー。かと思いきや、突然ユルいコントが始まったり、映像が流れたり、歌を歌い出したり......。すべて「身体」を使った表現なので、ダンスには違いないのかもしれないが、これはダンスなのか? なんて考えている暇はない。山なりのボールが突然豪速球になったり、直球が来るかと思いきや大暴投だったり。と思っていたら、最後には超カッコいいダンスでビシッと決めてくれる。そんな男前集団コンドルズが、今年で15周年を迎える。その記念公演となる舞台『グランドスラム』が東京を皮切りに全国でスタート。コンドルズの立役者であり振付家の近藤良平さんに聞く、新作舞台の内容と、15周年を迎えるカンパニーについて。
──まずは、『グランドスラム』という舞台の内容についてお伺いしたいのですが。
近藤良平氏(以下、近藤) 非常に分かりやすく言うと、今回の舞台は15年間のベスト盤。オイシイとこ取りなので、この舞台がつまらなかったら、あなたが悪いっていう(笑)。
──(笑)。さすがです。そりゃそうですよね。15年間のエッセンスを凝縮して出しているわけですから。
近藤 まあ、そう言えるくらい、おいしい作品になってます(笑)。コンドルズの舞台では、5年に一度、海外公演も視野に入れた大作を作るんです。2000年の『ジュピター』という作品でNYやヨーロッパ、アジアに行ったり。06年は『エル ドラド』という作品。他の作品もいっぱい作っているんですが、大きく公演を打って、それを基本として5年かけて熟成させていくというか。なので今回の『グランドスラム』は、我々的には、5年かけてやる作品の初期バージョンになるわけです。第一歩ですね。この作品が、これからの5年のスタートを意味します。
──ベスト盤ということは、昔の作品の中からピックアップして再構成した作品になるということですよね?
近藤 そうですね。だいたい過去5年間くらいのものからになります。昔の舞台の映像からピックアップするんですけど、コンドルズの舞台ってむちゃくちゃシーンが多いんですよ。1本で20シーン以上あるので。1年で80シーンあるとして、5年で400本以上。もちろんすべてが違います。昔のVTRを見直してると、すっごい面白いんですよ。「俺達面白いじゃん!」って。そんなカンパニー、ないですよね(笑)。
──コンドルズの舞台って、すごい短いシーンというかスキットのようなものでつながれているので、編集の仕方でまた意味合いが全然違う舞台ができ上がるのかもしれませんね。今回の舞台の見どころやポイントはありますか?

近藤 今回は15人なんです。一時期、長塚圭史が居たころは12
、3人くらいの時もあったんだけど、去年から平原慎太郎(FA)と、ぎたろー(新人)の2人が入ってきたのと、今回初めて公演に参加するスズキ拓朗(NewFace)っていうのがいます。彼らが新しい風になっていますね。また、ピックアップした昔のシーンに、今だと絶対にできないような動きがあった時には、若いメンバーは役立ちます。
──古いネタを再演される際、演者は変えるんですか?
近藤 そこはいじってますね。オクダ(サトシ)さんとかデカイから変えられないとか、キャラ立ちしているところは変えないけれど、そこをわざと変えて実験してみたりして。すると、全然雰囲気が変わるんですよ。石渕(聡)さんとかは怖いから「この役は絶対俺がやる!」とかって譲らないこともあるしね(笑)。なーんでそんなところをこだわるのかな? というのがあったり。面白いよね。今までの舞台ではそういうのはなかったから。
──コンドルズの芝居の作り込みの度合いについてお聞きしたいんですが。舞台でのアドリブや偶発性みたいなものを大切にされているようなところと、ダンスでバシッと決める部分のバランスというか。
近藤 どう見ても作り込んでないでしょう?(笑) 僕は昔からそうなんですけど、作って、練習を重ねていくとうまくなりすぎるでしょ。ダンスでも芝居でも音楽でも。それによって調子に乗っちゃうヤツもいるし。その、うまくなるのがつまらんって思っていて。なので昔から、本番の6時間前くらいに振り付けを変えたりするんですよ(笑)。すると演者は混乱して、そのあたふたしているところも含めて舞台上で見られる。そういうこと自体がもともと好きなので。
──なるほど、舞台を見ていると納得できます。
近藤 メンバーみんなそれぞれ仕事を持っていたりもするし、実際にがっちり2カ月練習なんて不可能なんですよ。僕もメンバーも、そんなに辛抱強い方でもないしね。それがカンパニーの色になっているんだと思います。もし、2カ月間びっちり練習できる状況にあったとしても、多分やらないよね(笑)。そういう作り方をしている舞台で、以前やったネタをもう一度やるっていうのは、結構難しい。新しく作る方がよっぽど楽なんです。
──バラバラな人たちを同じ方向に持っていく、近藤さんならではのやり方というのは、何かコツが?
近藤 メンバーみんなが抜きどころを知ってるんですかね。僕たちは会議室でよく練習しているんですけど、出番がない時はみんな稽古場にいないんですよ。どっかでサッカーをやってるヤツもいるし、マンガ読んでるヤツもいるし......。で「やるぞ!」って言ったら、ムクムクいろんなところから出てきてやるわけですよ。それで僕がまた芝居を作り始めたり考えごとを始めたら、またわーっと散っていって、プロレス雑誌とかを見てる(笑)。そういう、縛らない、縛られないでやる「抜き方」がみんなすごくうまい。僕も楽だし本人たちも楽なんだよね。
──では、コンドルズが15年続いてきた理由を教えてください。
近藤 コンドルズって、東京もそうだし地方公演もそうだけど、人間関係で成り立っているんです。大阪、福岡とかってもう十数回も毎年毎年通っていて。現地にも友だちもたくさんできているし、みんな里帰りみたいな気分で、現地に行くのが楽しみになっている。そういう関係性ができていることが、続ける理由だよね。
──15年続けてきたということは、メンバーもお客さんも一緒に歳をとったということになりますよね?
近藤 確かに、今だと35歳くらいを中心にした年齢層の人が多いんだと思う。そう考えたら大人だよな(笑)。僕らとしては、40歳を超えるとやっぱり単純に、生命力とかやる気とか、いろんな問題に直面するんだと思うんですよ。僕なんかは立場的なこともあるけど、今の方が正直言って身体に向かう努力はしているし、それは20代の時には考えていなかったことですよね。「こんちくしょう、若者には負けない!」という気持ちも、もちろん持っているしね。舞台ではそれを全開で出したいとは常に思っている。それで、心意気のある若者の人たちに、「近藤さんまだ動けるんですね」って言われたらうれしい。心意気のない若者なんてどうでもいいんですけど(笑)。他のメンバーも、同年代の人間が多いからきっと同じことが起きているとは思う。
──年齢と身体って、特に舞踊なのですごく舞台に関係があると思います。でも、お歳を召した舞踊の方で、早くは動けないかもしれないし、高くは跳べないかも知れないけど、20代にはできない表現をする。若い表現者には絶対に見られないような部分があるとは思うんですよ。
近藤 もちろん、そこは探れると思う。でも、コンドルズはどっかでがむしゃらな部分があるから、それは続けていきたいよね。いつまでやんちゃできるかっていう。個人単位になると弱くなってくるかもしれないですけど、結局は我々はみんなが集まると発揮できるんです。今はフラットにやっていますよ。すごくいい舞台になっていると思う。15年った、今のコンドルズを皆さんに見てもらえたらうれしい。
(取材・文=上條桂子/写真=後藤匡人)
●コンドルズ日本縦断大連勝ツアー2011『グランドスラム』
東京 8/25-28 東京グローブ座
札幌 9/2 札幌市教育文化会館
静岡 9/4 焼津文化会館
大阪 9/9-10 松下IMPホール
広島 9/15 アステールプラザ
福岡 9/17-18 イムズホール
富山 10/30 高岡市民会館
埼玉 11/3 所沢市民文化センターMUSE
※全日程当日券あり
詳細は公式HPにて <http://www.condors.jp/01.html#summer>
ジョン・ウー最新作は、男女の絆! 武侠大作『レイン・オブ・アサシン』

ソード&ラブロマンス『レイン・オブ・アサシン』
の日本公開に先駆けて来日したジョン・ウー監督
(写真左)と脚本も手掛けたスー・チャオピン監督。
『男たちの挽歌』(86)、『ウィンドトーカーズ』(01)、『レッドクリフ』(08、09)と義に殉じる男たちの熱き絆を描き続けるアクション映画の巨匠ジョン・ウー監督。ジョン・ウー作品はやたらと爆破シーンが多い。渦巻く爆音と飛び交う銃声の中、男たちに言葉のやりとりはいらない。固い友情で結ばれた男たちはお互いにうなずきあって、後は敵陣に踊り込むだけだ。ジョン・ウー作品における爆発=男気の発露なのだ。ハリウッドで成功を収め、子どもの頃からの夢だった『レッドクリフ』でアジアに凱旋したジョン・ウー監督が最新作『レイン・オブ・アサシン』の日本公開にあたり来日した。3.11以降、映画界の大物が東京に来ることがなくなっているだけに、ジョン・ウー監督の男気をいっそう感じさせるではないか。
新作『レイン・オブ・アサシン』は男臭さが売りのジョン・ウー作品には珍しい、ヒロインが活躍する新感覚の武侠ラブロマンス。明の時代の中国、凄腕の女殺し屋(ミシェル・ヨー)は暗殺組織から足を洗うために顔を整形し、自分の過去を知らないマジメな亭主(チョン・ウソン)と静かに暮らし始める。だが、組織が放っておくはずがなく、かつての同僚だった殺し屋たちが次々と襲い掛かる。ヒロインは果たして平和な家庭を守り切れるか? アジア屈指のアクション女優ミシェル・ヨーが貫禄たっぷりなソードアクションを披露するのに加え、殺し屋たちが実に個性的。ヒロインが抜けた後の組織に後釜として入る若い女剣士(バービー・スー)は独占欲とお色気を武器にするなど山田風太郎の忍法帖シリーズばりの名キャラクターぞろい。幽霊譚に物理学的視点を交えたホラー映画『シルク』(06)で注目を集めた台湾出身のスー・チャオピン監督のオリジナル脚本にジョン・ウー監督が惚れ込み、プロデューサーを買って出た。アクションシーンが多いため、ジョン・ウー監督も演出を手伝い、共同監督というクレジットとなっている。

後進の育成にも力を注ぐジョン・
ウー監督。「スー監督は脚本の
オリジナル性が高く、ロマンティ
ックな場面の演出もうまい。嫉妬
を感じた(苦笑)」と評する。
7月27日、西新宿のパークハイアットのスイートルームを訪ねると、ジョン・ウー監督がニコニコと出迎えてくれた。記者、編集者、カメラマンとそれぞれ両手でがっちりと握手を交わす。なぜ、ジョン・ウー監督は両手で握手するのか? それは、もう片方の手に拳銃や刃物は隠し持っていないよという友好の証なのだ(と思う)。とにもかくにも、世界を股に掛ける巨匠のこのフレンドリーさに、ジョン・ウー信者はさらに心を鷲掴みされるわけですよ。
『レイン・オブ・アサシン』では、ジョン・ウー監督のハリウッドでの代表作『フェイス/オフ』(97)を彷彿させるヒロインの顔の整形手術シーンがある。脚本を書いたスー・チャオピン監督によると「意識したわけではありません。でも無意識のうちにジョン・ウー作品の影響が出たのかもしれませんね」とのこと。隣に座っていたジョン・ウー監督は「この作品のテーマは"人生のやり直し"。顔を変えることが重要なのではなく、新しい人と出会うことで新しい人生を切り開いていくことが大切なんです」と言葉を繋ぐ。ビンボーな少年時代にメゲず、香港映画界で名を挙げ、さらにハリウッドでヒットメーカーになったジョン・ウー大師の言葉だけに説得力あるなぁ。
人生のやり直しがテーマの本作。"人生のやり直し"願望があるのかという質問に対して、両監督はこう語った。 ジョン「今のままで大丈夫。自分の顔も性格も気に入っているので、変えなくていいと思います(笑)。今の自分は好きなことができ、良き仲間と出会えているから、不満はありません。でも、あまりにも映画が好きなもので、『あぁ、もし自分が日本人だったら、黒澤明監督に弟子入りしたのに』とか『あぁ、自分がフランス人だったら、ヌーベルバーグの巨匠たちの助監督に就いたのに』など考えたことはあります。ずっと若いころのことですよ(笑)」 スー「実は私は29歳までエンジニアの仕事をしていました。でも、どうしても映画の仕事がしたくて、30歳になる直前に仕事を辞め、映画界に飛び込んだんです。たまに以前の職場の同僚や先輩に会うことがありますが、『自分のやりたいことを若い頃にやっておけば良かった......』と愚痴っぽいことを聞くこともあります。とはいっても、新しい世界に飛び込むのは勇気がいること。たまたま自分はラッキーで、いい出会いが続いたように思いますね」台湾出身の俊英スー・チャオピン
監督。「ハリウッドで挑戦する
よりも、自分は手塚治虫さんのように
多彩な物語を作ること第一に考え
たい」と話す。

『グリーン・ディスティニー』(00)のミシェ
ル・ヨー姐さんが活躍するソードアクション
大作。中国、韓国、台湾、香港から豪華アジア
ンスターが集結!
お2人とも、出会いを大切にして人生を切り開き、運命をつかみ取ってきたということですな。
黒澤明の弟子になるという夢は果たせなかったジョン・ウー監督だが、「日本映画を撮るチャンスなら、これからありますよね?」と問い掛けると、大きくうなずいてみせた。
ジョン「今、2つの企画が進んでいます。今朝もスタッフとその打ち合わせをしていたんです。ひとつは武士道がテーマで、もうひとつは現代劇になりそうです。私は米国でも映画を撮ってきましたが、違う文化の国でその国の人たちと一緒に仕事をすることで、その国の文化や新しい仲間たちのことを理解するようにしているんです」

台湾版『花より男子』でヒロインを演じたバー
ビー・スーが妖艶な女殺し屋に。他人が持って
いるものは何でも欲しくなる困ったちゃんだ。
ジョン・ウー監督は『レッドクリフ』の前後にもハリウッドからカムバックコールが寄せられていたが、『レイン・オブ・アサシン』を優先させるためハリウッドのオファーは断ったそうだ。有望な後進のためにひと肌脱ぐとは、ジョン・ウー監督らしいではないか。今回、資金集めや撮影外のトラブル処理はすべてジョン・ウー監督が引き受けてくれたことに、24歳年下のスー・チャオピン監督は感謝しているのだった。両監督の間にも『男たちの挽歌』のマークとホーのような男の友情が芽生えているらしい。ジョン・ウー監督、ぜひ日本映画界にもその男気をもたらしてください!
今回はスー・チャオピン監督のアシストに回ったジョン・ウー監督だが、数少ない演出シーンは、娘のアンジェルス・ウーが登場する殺陣シーン。アンジェルスは映画監督になることを目指しており、そのために俳優体験を申し出たとのこと。
ジョン「本当は演出はやりたくなかったんですが、スー監督が3つの現場を同時に撮影しなくてはならなかったため、私も手伝うことになったんです。娘の前で私はひどく緊張してしまい、うまくそのシーンの演出を説明できませんでした(苦笑)。またワイヤーワークを使うため、娘が事故に遭わないか心配で心配でスタッフに『絶対に大丈夫か?』と何度も聞き直しながら、現場をウロウロしていました。娘は私に現場にいて欲しくなかったようです(笑)」

殺し屋たちとの戦いで重傷を負ったヒロイン
に代わって、年下の夫(チョン・ウソン)
が応戦。でも、殺し屋が現われてから刀を
磨ぎ始めるのんびり屋さん。
香港時代は仕事に追われて家庭にほとんど帰ることがなく、子どもたちに父親らしいことができなかったことをジョン・ウー監督は猛省しており、子どもの前では無条件で親バカになってしまうのだ。アクション映画の巨匠の人間臭い一面ですな。顔が父親似のアンジェルス・ウーは序盤にあっけなく殺される賞金稼ぎ役で登場するのでお見逃しなく。
最後は、スー・チャオピン監督がジョン・ウー監督の素顔をこのように評した。
スー「ジョン・ウー監督が現場でイライラしているところは見たことがありません。いつも笑顔で見守ってくれました。今回、彼と一緒に仕事をすることでいろいろと学ばせてもらいましたが、いちばんの収穫はテクニック的なことよりメンタル面についてです。ジョン・ウー作品には"義"を重んじる情の深い人物が描かれますが、実際の本人がそうなんです。映画には監督の人柄がそのまま現われるということを実感しました」

霊験あらたかな達磨大師のミイラを巡って、
殺し屋たちは争奪戦を繰り広げる。ジョン
・ウー作品に付き物の白い鳩の代わりに、白い
小鳥が出てきます。
最後の写真撮影もジョン・ウー監督はサービス精神旺盛に応えてくれたことは言うまでもない。巨匠との接見時間は、あっという間に過ぎていった。
『レイン・オブ・アサシン』の魅力は、ハリウッド的な軽快なストーリー展開と洗練されたアクションシーンに加え、主人公の夫婦が過去のわだかまりを捨てて、新しい絆を築いていくというアジア的な"和の心"が根底に据えてある点だ。殺し屋たちが戦いの中で、武力だけでは自分の求めているものは手に入らないことに次第に気づいていく、繊細な内面描写もハリウッド娯楽大作ではお目にかかれないもの。ハリウッド帰りのジョン・ウー監督が、手塚治虫の伝奇アクション『三つ目が通る』などを愛読していたというスー・チャオピン監督のユニークな発想力をうまく生かした作品といえそうだ。また、ジョン・ウー監督による日本映画の行方も気になるところ。国境を越えて活躍する"男気の伝道師"ジョン・ウーの行くところ、男気の花が咲く!
(取材・文=長野辰次)
『レイン・オブ・アサシン』
監督/スー・チャオピン、ジョン・ウー 製作/ジョン・ウー、テレンス・チャン 脚本/スー・チャオピン 衣装/ワダ・エミ 出演/ミシェル・ヨー、チョン・ウソン、ワン・シュエチー、バービー・スー、ショーン・ユー、ケリー・リン、レオン・ダイ、グオ・チャオドン、ジャン・イーイェン、パオ・ヘイチン、ペース・ウー、リー・ゾンファン、アンジェルス・ウー 配給/ブロードメディア・スタジオ、カルチュア・パブリッシャーズ 8月27日(土)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
<http://www.reignassassins.com>
●ジョン・ウー
1946年中国・広州生まれ、香港出身。ジャッキー・チェン出演作『カラテ愚連隊』(73)で監督デビューする一方、コメディ映画『Mr.BOO!』シリーズのスタッフとしてキャリアを重ねる。チョウ・ユンファ主演『男たちの挽歌』(86)が大ヒット。『男たちの挽歌II』(87)、『狼 男たちの挽歌・最終章』(89)、『ハードボイルド 新・男たちの挽歌』(91)と連発し、香港ノワールなるジャンルを築く。ハリウッドに進出し、『ハード・ターゲット』(93)、『ブロークン・アロー』(96)を発表。さらにニコラス・ケイジ主演『フェイス/オフ』(97)、トム・クルーズ主演『M:I-2』(00)も大ヒットさせる。『レッドクリフPartI』(08)、『レッドクリフPartII 未来への最終決戦』(09)も関係者の予想を遥かに上回る興収結果を残した。二丁拳銃(武侠ものの場合は二刀流)をはじめとするスタイリッシュなアクションシーンから、"バイオレンスの詩人"と呼ばれる。早乙女愛が出演した『南京1937』(95)では製作を手掛けた。
●スー・チャオピン
1970年台湾生まれ。水野美紀主演『現実の続き 夢の終わり』(00)、宮沢りえ主演『運転手の恋』(00)、ホラーオムニバス『THREE/臨死』(02)の最終話『GOING HOME』などの脚本を担当。江口洋介主演のホラーサスペンス『シルク』(06)では脚本&監督を手掛け、台湾金馬賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀オリジナル脚本賞にノミネート、最優秀視覚効果賞を受賞し、注目を集めた。映像作家として、『ブラック・ジャック』をはじめとする手塚治虫の漫画から大きな影響を受けたと語る。
芸能界屈指のパンダマニア・藤岡みなみが語る「パンダの魅力」

2011年4月、待ちに待たれた2頭のパンダの一般公開が上野動物園で開始された。この波を受けてかどうかは分からないが、芸能界にも地味~にパンダブームが押し寄せ、かねてより「パンダ好き」を主張していたタレントたちにもスポットライトが当たりつつある。
今年7月、アドベンチャーワールド(和歌山県)のパンダの魅力をPRする「パンダ大使」に任命された岡本玲や、スターダストプロモーションが"ももいろクローバーの妹分的存在"として手掛けているグループ・私立恵比寿中学の廣田あいか、アキバの"メイド系アイドルユニット"アフィリア・サーガ・イーストのコヒメ・リト・プッチなど、パンダの魅力に取りつかれ、「パンダ好き」をアピールする女性タレントは増えている。
そんな中、芸能界屈指とウワサされるほど年季の入った「ガチパンダマニア」がいるという。その名も藤岡みなみ、23歳。上智大学を今春卒業したばかりの才媛だが、常にパンダグッズを持ち歩き、部屋の中もパンダグッズだらけ(その数約500点!)。大学ではパンダをテーマとした卒論を書き上げ、さらに「人間とパンダによる音楽ユニット」を称する「PANDA 1/2」なるバンドのボーカルとしても活動しているというのだ。
幼少のころから13年に渡ってパンダに愛情を注ぎ続け、最近ではアニメ映画『カンフー・パンダ2』をPRする「webオピニオン」に就任するなど、何もかもパンダ尽くしの人生を送っているという彼女に、一体パンダの魅力とはなんなのか? 彼女にとってパンダとはいかなる存在なのか? そして、もともとは子役として芸能活動をスタートさせた彼女が、パンダマニアのタレントとしてこれからどういった方向に向かうのか? 根掘り葉掘り聞いてみた。
──今年4月、上野動物園でのパンダ一般公開日に、一番乗りで列に並んでメディアで取り上げられていましたね。公開は朝の10時からなのに、前日の午後2時から、しかも一般客として並んでいたそうですが、藤岡さんにそこまでさせるパンダの魅力って、一体なんなのでしょうか?

子どものころに使ってた手袋を縫い合わせた
というTシャツ。
藤岡みなみ(以下、藤岡) まず、完璧なデザイン性ですね。白と黒の2色しか使ってないのに、なぜあんなにポップなのか、と。「あんなに洗練されたデザインの野生動物がいていいわけない!」と思うほどです。パンダって「猛獣」扱いで、飼育員でも2歳以上のパンダは直接は触っちゃいけないんですよ。基本的にはかわいいのに、実は強くてカッコイイ。白と黒のデザインが、その二面性をそのまま表現しているところにもしびれます!
しかもあんなに大きい体をしているのに、笹しか食べないんですよ? 雑食なので出されればリンゴなんかも食べるんですけど、99%は笹や竹なんです。それに昔々は肉食獣だったから、いまだに肉食獣の腸をしていて、食べた分の栄養の17%しか吸収できないんですよ。カロリーが足りないからたくさん笹を食べるし、よく寝てるんです。そういう不器用なところもめちゃくちゃかわいいです! だって、肉食獣から「笹しか食べない生き物」に進化するなんて、もっと上手い進化があると思いません?(笑) 笹も人間みたいに手に持って食べるし、生態にいちいちユーモアを感じるんです。
──でもパンダって、「よく見ると目が怖い」とも言われますよね。
藤岡 怖くないです! それは、ちゃんとパンダのことを見てない人の意見だと思います。確かに目の回りの黒ぶちの奥の瞳は吊り目っぽく見えるけれど、実はまつ毛もあって、すっごくかわいらしいんですよ? もっとちゃんと近くで生のパンダを見てほしいです。やっぱり、実物のパンダが一番かわいいので。
特に最強なのは、子どものパンダです。一頭でもかわいいのに、子パンダが2頭いるだけで「絶対狙ってるだろ」みたいな、じゃれ合って追いかけ合って、ディズニーアニメみたいな動きをするんです。絡まり合ってもつれて、どっちがどっちか分からなくなって、なんかでっかいおにぎりみたいになるのが最高にかわいいです! ああ、パンダにまざりたい。もう、憧れの生き物ですね。パンダになりたいです!!
──そんな「パンダになりたい」藤岡さんが、パンダを好きになったきっかけとはなんだったんでしょう?
藤岡 小3の時に上野動物園で初めて見て、衝撃を受けたんです。お母さんに「かわいい! ぬいぐるみみたい! 動いてる! 生きてるよ! あんなファンシーなものが!」って訴えて。さらに決定的だったのは、小5の時に神戸に転校したんですけど、同じタイミングで神戸市立王子動物園にパンダがやって来たことですね。自宅から徒歩10分くらいのところにあって、運命を感じたんです。「私が来たからパンダも来たんだ!」って。

子どものころからパンダに夢中!
──そこからどんなパンダマニア活動を?
藤岡 グッズをひたすら集めました。鉛筆、消しゴム、筆箱......なんでもパンダグッズにして、図工の時間も全部パンダばかり描いたり作ったり。小・中・高・大と、ずっと周りから「パンダちゃん」って呼ばれ続けて。小学生のころの一番のお気に入りグッズは、お年玉で買ったパンダのかぶり物です。パンダの着ぐるみの頭の部分だけ、みたいなやつで、顔がすっぽり隠れるんですけど、それをかぶって友達の家に行ったり、エレベーターに隠れて乗ってきた友達をびっくりさせるっていういたずらをよくやってました。
手作りもしましたね。パンダの耳を作ってカバンに縫い付けたり。今日着てるシャツには、子どものころに使ってた手袋を縫い合わせてます。パンダイヤリングも付けてますよ。でも昔は、パンダキャラに便乗しているところもあったんですよ。転校生だから周りにいち早く覚えてもらいたくて、っていう気持ちもありました。
今、自分の部屋はパンダグッズでパンパンになってます。ぬいぐるみとか、モコモコしたものが多くて暑苦しい(笑)。早く自分の部屋から移して、パンダミュージアムを作りたいですね。
──パンダを好きになったのと同時期、小学3年生から子役としてのタレント活動も始めています。
藤岡 『ガラスの仮面』(白泉社)と『こどものおもちゃ』(集英社)というふたつのマンガ作品に影響されて、子役や女優になりたいって思ったんです。小6の時には、昼ドラ『君のままで』(TBS系、00年12月~01年2月)に重要な役でレギュラー出演させていただきました。仕事は楽しかったんですが、月曜から木曜まで収録、金曜日にしか学校に行けないということが辛くもあって......。
──当時、子役ファンの間では、「すごい演技力のある子が現れた!」と話題になっていました。当時の公式サイト「Go!Go!みなみパンダ」では、自筆のパンダイラストを大量にアップされたりもしてましたね。
藤岡 え? あんなサイトまでご存じなんですか!?(笑) サイトは母親の影響で始めたんです。もうネット上にはアーカイブも残ってないですけどね。
──パンダ尽くしのサイトで、本当にパンダが好きなことが伝わって来るサイトでした。ただ、その後中学生になって芸能界を引退。大学2年で復帰されるまで、芸能界から遠のくことになります。とても才能のあるタレントさんだと思っていたので、正直、当時はかなり残念でした。
藤岡 学校にちゃんと通って、行事にも参加したいという気持ちがやっぱり強くなったんですね。それと、当時はまだ子どもで思春期だったし、写真集のお仕事なんかについても悩んじゃって。それで一度引退して、その後すごく学校生活を頑張るようになりました。学級委員や体育祭委員も積極的に務めたりして。
高校の3年間は、部活でチアリーディングをやっていました。全国で準優勝したり、ヨーロッパ選手権に出場するためにモスクワに遠征もしましたね。本当、チア漬けの3年間を送っていました。もちろん、並行してパンダマニア活動は続けてましたよ。大学(上智大学総合人間科学部社会学科)ではパンダに関する研究を行い、卒論のテーマにも選びました。とてもいい経験をしたし、自分を成長させてくれた学生生活でしたね。

イヤリングもパンダ!
でも、芸能界を辞めてしまったことに対して、ずっと心残りではあったんです。なので、大学2年の時に芸能界に復帰しました。3年の時には深夜のバラエティー番組『キャンパスナイトフジ』(フジテレビ系、09年4月から10年3月放送)にレギュラー出演が決まって、バラエティー番組の楽しさと厳しさを学びました。
──今は「PANDA1/2」なるユニットでアーティスト活動も行っています。8月24日には配信限定の最新シングル「夏をぶっとばせ -WILD SUMMER 2012- 」がリリースされました。フリッパーズ・ギターや小沢健二など、渋谷系のパロディー的な要素が随所にちりばめられていますね。
藤岡 90年代の音楽が大好きなんですよ。高校生の時に川本真琴さんや岡村靖幸さん、スチャダラパーさんにすごくハマって。明確に「渋谷系」ってものを認識したのは、PANDA1/2の今のプロデューサーであるJames Panda Jr.に会ってからですね。
──それ以外の趣味も含めて、サブカルチャーっぽいものが多いですよね。サブカルチャーが好きなんですか?
藤岡 人に「これ面白いよ、これ知らなかったでしょ、読んでみて」って言うのがすごい好きなんですよ。だから必然的に、サブカルっぽかったりインディーズっぽいものを好きになるのかも。みんなが好きなら私が教える必要もないから。感性でピンとくる感じが好きなんです。でも「みんなが好きなものは好きじゃない」みたいな態度はよくないし、いいものはいいって言わないと、とは思ってます。
──パンダの話に戻りますが、最も好きなパンダは?
藤岡 神戸市立王子動物園の「旦旦(タンタン)」です。00年に私の転校と同時にやって来たパンダで、顔が好きなんです。口角が上がってて、笑ってるみたいで。「震災のあった神戸でも、もうパンダを呼ぶことができるんだ」っていう、復興の象徴なんですよね。神戸のチアリーダーだなって思ってます。タンタンになりたいです。
──パンダマニアとしての夢はありますか?
藤岡 まずは、パンダの里親になりたいです。パンダに触ることができるのは中国のパンダ保護研究センターだけなんですが、そこでは、寄付のような形で10万円程支払うと、名前を付けることができて、会いに行ける「里親制度」が設けられているんです。
それと、パンダについての情報をもっと広めていきたいです。パンダって絶滅危惧種なんですね。そうなった主な原因は、人間による森林伐採。かわいいということだけじゃなくて、パンダや園周辺にあるさまざまな側面に注目してほしいと思います。また、実は日本は、中国に次いでパンダの繁殖に成功している国なんです。これは素晴らしいことだと思います。
タレントとしては、日本パンダ保護協会名誉会長であり、60年間パンダの研究をされている黒柳徹子さんと、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出て、パンダ対談をすることですね!
──では最後に。藤岡さんにとってパンダとはなんですか
藤岡 ロマンですね。パンダになら食べられてもいい......かな?
(取材・文=岡島紳士)
●ふじおか・みなみ
1988年8月9日、兵庫県生まれ。小学校3年生の時に上野動物園で生で初めてパンダを見て以来、その魅力のトリコに。以降現在に至るまで13年間、パンダの知識を深め、パンダグッズを収集するなど、パンダマニアとしての活動を続けている。また小3から子役としても活動するも、中学で一時引退。08年に芸能活動を再開した。人間とパンダによる音楽ユニット・PANDA 1/2の5thシングル「夏をぶっとばせ ~WILD SUMMER 2012~」が、iTunesほかにて好評配信中。
藤岡みなみオフィシャルブログ「パンダGo!Fight!Win!」<http://ameblo.jp/373panda/>
Twitter<http://twitter.com/fujiokaminami>
PANDA 1/2オフィシャルサイト <http://www.panda2bunno1.com/>
「夏をぶっとばせ ~WILD SUMMER 2012~」<http://itunes.apple.com/jp/album/id454698344?i=454698350>
「正直、自分が受けたショックの100分の1も描けていない」しりあがり寿が見た3.11とマンガの可能性

マンガ家・しりあがり寿が東日本大震災以降に描いたマンガをまとめた単行本『あの日からのマンガ』(エンターブレイン)が話題を呼んでいる。震災からわずかひと月後に掲載され大きな反響を呼んだ「月刊コミックビーム」(同)発表作や、朝日新聞夕刊に連載中の時事4コマ「地球防衛家のヒトビト」などが収められた本作。"あの日"から現在進行形で続く信じがたい現実を前に、なぜしりあがり氏は震災をテーマにしたマンガを描き続けているのか。話を聞いた。
――「地球防衛家のヒトビト」では3月14日掲載分から震災をテーマにマンガを描き続けていらっしゃいますが、創作意欲は衝動的に湧いてきたものだったんですか?
しりあがり寿(以下、しりあがり) 11日に地震が来た後、すぐに描き始めたんです。衝動的でもあったし、「地球防衛家のヒトビト」という時事ネタを扱ったマンガを描いているのだから、描かないわけにはいかなかったんです。
――震災から1カ月後には岩手県でボランティア活動をされたそうですね。その前後で、描く4コママンガに何か変化はありましたか?
しりあがり ちょっと吹っ切れた感じはありました。僕は小心者だしボランティアとかガラじゃないけど、被災地に行かずに想像だけで描くっていうのは、どこか気が引けてしまって。本当に描いていいのかな、とか、被災者の気持ちはどうなのだろうとか思うけれど、でも描かなきゃいけない。どうしたらいいんだろうとモヤモヤしていたんです。でも実際に現地に行ってみると、たとえ2~3日でも、この目で見たことはウソじゃない。ストーリーがなくてガレキだけしか描いていない回もあるんだけれど、あれはしょうがないよ。何も浮かばなかったんだもの。あれしか浮かばなかった。
――「コミックビーム」に掲載された短編「海辺の村」は特に大きな反響を呼びました。震災から50年後の未来を描いたこの作品ですが、「いつ失われるか分からない不安の中で豊かな生活を送ることをやめ、いつまでも続く幸せを選んだ」という一節はすごく印象的でした。まるで昭和30年代に戻ったかのように人々はつつましやかに暮らし、福島第一原発の周辺は風力発電でいっぱいになる、という風景は、現在のしりあがりさんが思い描く、理想の未来なのでしょうか?
しりあがり 「海辺の村」は、3月20日くらいから描き始めたのかな。あのエンディングは僕の理想の未来というわけじゃなくて、消去法みたいなもんだよね。今までは、"幸せの中の不安"というのをテーマにマンガを描くことが多かったんだけれど、この時は逆だった。どこを向いても不安だらけだから、せめて希望を描かないといけないなって思ってね。で、その時点で自分なりにいろいろ考えたら、希望ってやっぱり、50年先まではないなって思ったんです。すぐは無理でも50年くらいのスパンで考えれば、下降から反転する可能性はあるかもしれない。再生エネルギーがうまく行き出すとか、それによって災害や放射能だけでなく戦争の不安からも解放されるような。戦争って結局は資源の取り合いだから、それがなくなるって希望じゃない? 逆に言うと、そこまでいかないと希望を見つけられなかった。みんなが明るく楽しくやっている時は「ちょっとどうなのよ?」って言いたいし、ヤバくなると、希望を見つけなきゃって思う。そういう意味では、僕は相当なへそまがりだよ。

『あの日からのマンガ』「地球防衛家のヒトビト」より
――マンガというのはフィクションなわけで、もっとハッピーなエンディングにしようと思えばできたはずですが、ものすごくリアリティーのある形に落とし込んだのはなぜなんですか?
しりあがり 僕のマンガって、自分ではすごくリアリズムだと思っているんです(笑)。たとえば、シュールレアリスムって、ダリとかあり得ない光景を描いているけれど、ある意味、人の意識の中まで入ってきているから、見えるままの風景を描くよりもリアルでしょ? 不安な人にとっては、そういう風景の方がリアルだったりする。そういう意味では、常にリアルに描こうと思っているし、ずっと追求しているつもりでいるんだけどね。
マンガって割とファンタジーが多いけど、ファンタジーにしてもどこか現実に足場がないとリアリティーがない。僕は現実方向にもう一歩近づきたいなという気持ちがあって。10年前、9.11が起こったときにそれをテーマにしたマンガってあまり目にしなかった。文学とか音楽がそういう社会と連動するのに、それに比べてマンガってちょっと鈍いなって感じがして。力があるのにもったいないなって。僕は「くだらないもの」が大好きだけど、「くだらないもの」も「ファンタジー」も結局ある程度世の中が豊かで安定してないと成立しない気がしていて。だから少しは社会にコミットする必要があると思っているんです。そこにこの震災だからなー。
でも正直、自分が受けたショックの100分の1も描けていない気がするんです。だから期待して読まれるとすごく困る(笑)。そんなたいしたこと描いていないというか、その都度その都度の断片でしかないからね。

『あの日からのマンガ』「海辺の村」より
――いま振り返ると、もうちょっと違う描き方ができたんじゃないかと?
しりあがり うーん、やっぱり僕の力じゃ......っていうところもある。手を抜いたわけじゃないし、その時は一生懸命だったけれど、もっと絵がうまくてストーリーがうまい人が描いたら違うものが描けただろうし。逆にこれがきっかけになって、みんないろいろ描けばいいと思う。1,000年に1度の大地震だよ? 後世の人は、この地震が記されたマンガをいっぱい読みたいんじゃないかな? (ページをめくりながら)懐かしいね、今見ると。なんで僕、こんなに絵がヘタなんだろう?(笑) もうちょっと上手だったら泣けるのに......。泣けるシーンなのに、なんか笑えちゃうんだよね。
――作品によってそれぞれ違うと思いますが、誰に向けて、どういう立場で描かれたんですか?
しりあがり 特別に誰かに向けて描いたというよりは、それぞれの連載の一部分なので、それまでのシリーズの中で描いたっていう感じですね。しょせん、自分目線からは逃れられないし。
――自分の気を静めるために描いていたという部分もあるんですか?
しりあがり それもあるよね。さっき、希望というか未来を探したって言ったけど、それは自分のためだよね。モヤモヤとしていることを定着させることで落ち着くというか、踏ん切りがつくんじゃないかな。作品として描くことで、自分の体から切り離される感じ。変な話、例えば僕の身内に不幸があったとしても、僕は作品を描くと思うよ。
――今回のマンガにはどれも、政府や東電に対する怒りの表現はありません。しりあがりさんご自身としては、今回の震災や原発に対して憤りはないんですか?

『あの日からのマンガ』「川下り双子のオヤジ」より
しりあがり 本の中で「大きな賭けに負けた」っていう文章を書いているんだけれど、僕はまさかこんな大きな地震は来ない方に賭けていた。危険を訴える人がいるのは知っていたけれど、まさか原発が爆発するなんてことにはならない 方に賭けていた。誰が悪いというより、日本まるごと「しくじった」という思いが強かった。
マスコミや政府を批判するのも大切だけど、結局真実もウソもひっくるめて不信感に包まれただけじゃ元も子もないからね。代わりに信頼できる情報が出るようになったかというと、そんなに簡単な話じゃない。こうなったら怒っているよりも、小さなコミュニティーでもつくって、大切な人たちと生きていけるような仕組みをつくる方に力を使ったらいいんじゃないかと思ってしまう(笑)。
――原発事故はまだ収束していないし、日々、放射能汚染が目に見えるかたちで表れてきています。現在進行形の問題をフィクションにして描くことには、作家として相当の覚悟があったと思うのですが。
しりあがり やっぱり怖かったですよ。だって、描いていることが変わっちゃうかもしれないから。3月下旬に描いたものが4月10日くらいに発売される間に致命的な爆発が起こるかもしれなかったし、状況は刻々と変わっていくから。それに、今回の震災は地域によって受け止め方に差があって、誰かの共感は呼ぶけれど別の誰かの反感を買う恐れもある。でも、描かざるを得ない感じだったなー。マンガのルーツにはポンチ絵とか風刺マンガとかもあるんだけれど、あれって写真の技術がそこまで普及していなかった時代に、従軍マンガ家が描いていたのが元だったみたい。戦場の様子をスケッチして新聞に載せる。マンガはジャーナリズムの一端を担っていた。そういう意味では、そこにあるものを描くっていうのは、基本っていう感じがしますね
――なるほど。実はそれとはまた別の視点になるんですが、想像を絶するような恐ろしい「現実」と向き合うには、やっぱり何らかのフィルターが必要だと思うんです。その役割の一端を、マンガも担えるということを証明した作品なのではないかという気がしています。不謹慎だとか自粛とかいう言葉がはびこる窮屈な状況の中で、「フィクションとして震災を捉える」という視点は、ひとつの風穴を開けてくれた。エンタテインメントとしてだけではない、マンガの新しい可能性を見せてくれたのではないかと。
しりあがり 「エンタテインメントって何か?」って、これも難しいけれど、僕は30年くらいマンガを描いてて、常にマンガの可能性を広げていきたいというのはあった。マンガって、コマがあって絵があって、そういうシンプルなものから広がって無限の可能性があるじゃん? ストーリーを入れなくたっていいし、何をしたっていい。最近、美術館で絵を描かせてもらう機会もあるんだけど、それって自分ではアートではなく、マンガの延長線上にある気がしているんです。
――帯には「『たとえ間違っているとしても、今描こう』と思った」とありますが、このマンガを通して伝えたいメッセージとはどんなものなんでしょうか?
しりあがり メッセージはないんです。今までの作品は何か伝えたいことがあってそのためにマンガを描くみたいなところがあったんだけど、今回は断片ばかりだから。もう、「あの時、自分はあんな想いでした」という記録でしかない。それぞれの作品に深みとかひねりや表現としての新鮮さがあるわけじゃないし、そもそも面白いとかうまいとかいうものではない。だけど、迷ったり、混乱したりしながらその都度描いたマンガは少なくとも「ウソ」じゃない。「確かにあの日からマンガを描いた」という証のようなものです。正直、1冊の本として出版するには自信がなかったんです。でも僕の周りの信頼している何人かが「これはいいよ」って言ってくれて、それで世に出してもいいかなって。これからも震災をテーマにした作品は描き続けたいなという思いはあるけれど、そろそろ本当に力がある人が描き始めるんじゃないかな(笑)。
(取材・文=編集部/写真=後藤匡人)
●しりあがり・ことぶき
1958年静岡市生まれ。81年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン・広告宣伝等を担当。85年単行本『エレキな春』でマンガ家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。94年に独立後は、幻想的あるいは文学的な作品などを次々に発表、マンガ家として独自な活動を続ける一方、近年ではエッセイ・映像・ゲーム・アートなど多方面に創作の幅を広げている。
お天気だけじゃない! 福田萌はジャーナリストの素質あり!?

日本テレビ『ラジかるッ』にてお天気お姉さん兼アシスタントとしてブレークし、テレビ・ラジオなどで活躍中の福田萌。Twitterで積極的にツイートをしており、夜の12時ごろに「よるほー」、深夜2時ごろに「うしほー」と時報をつぶやくなど、独特のキャラクターが人気を集め、現在のフォロアーは8万4,000人を超えている。
そんな萌ちゃんが8月5日、タレント初となる"つぶやき写真集"、『もえtter』(宝島社)を発売した。
「毎日せっせとつぶやいていたら、なんと単行本になっちゃったなう」という萌ちゃんに、本の内容やTwitterのことなど話を聞いた。
――ブログも更新されていますが、Twitterをはじめたきっかけは?
「大学時代の友達はIT系に勤めている子が多くて、友達に勧められて2009年の9月にアカウントを作ったんですが、最初は面白さが分からなかったんです。その翌年にiPhoneを買ってEchofon(Tiwtterアプリ)を使うようになったら見やすくなって、その時にはTwitterをやっている人が増えていたのでいろいろな人と交流をするようになり、一気にハマっちゃいました」
――つぶやきが増えるようになるとフォロアーも増えていきますしね。
「iPhoneにする前は300人くらいだったのが、一気に1万人、3万人......みたいに増えていって、それが励みになりましたね。基本的にフォローしてくれた方にはフォロー返ししているんです。手動でクリックしてやっています」
――「こんなつぶやきがウケた」ということはありますか?
「小説風に、私が応援しているヤクルトスワローズのキャラクター『つば九郎』と『燕太郎』と私の三角関係みたいなストーリーというよりも妄想に近いことをつぶやいたんですよ。そうしたら、『ヤクルトの試合より萌ちゃんのつぶやきの方が面白い!』『続きが気になる!』とすごく反応がありました(笑)。オチとかも決めないで始めたんですが、結局30くらい続いて、ちょっとした短編小説みたいになったのは、実験的で面白かったです」
――ヤクルトファンの福田さんならではのエピソードですね(笑)。他に、Twitterを続けていて驚いたことはありますか?
「伊集院光さんに『いつもラジオ聴いています』ということを本人宛につぶやいたら、『深夜の馬鹿力』でネタにされて『これ聴いているか福田萌ちゃん!』みたいなこと言われた時はびっくりしたけどうれしかったです!」
――本の話は、いつ頃に?
「4月くらいですね。ブログ本をいつか出してみたいとは思っていたんですが、まさかTwitterで出せるとは思っていなかったのでびっくりしました。でも、ブログだと過去の蓄積を掲載するだけですが、Twitterなら面白い企画が出来るんじゃないかと考えて、『何のコスプレをして欲しいですか?』とか、大喜利などを企画して、フォロワーと一緒に本を作っていったという感じですね」
――どんなコスプレをされているのか、気になるところですが......。
「リプライの中から厳選したコスプレをやらせていただいたんですが、本の話をいただいたときに真っ先に『中華街でパンダの格好して練り歩きたい!』とお願いしたんです(笑)。Twitterで私を知っている方なら、『キレイ』『カワイイ』とかだけじゃない面白い要素を盛り込んだ方が楽しんでもらえるかなと思ったので......。こんなこと誰もしていないだろうし、自分自身が一番楽しんじゃいました」
――大喜利は、福田さんご自身が審査されたんですか?
「大喜利もフォロアーの人にたくさんご応募いただいて、10個のテーマでそれぞれ最優秀賞1つと優秀賞2つと佳作3つを選ばせていただきました。誰のツイートが選ばれたかは......本を買ってもらわないと分かりません(笑)」
――ジャーナリストの津田大介さんとの対談もされたとのことですが。
「私の中でTwitterのキングだと思っている方なので、最初は緊張しました。『Twitterがこれからどうなるか』といった話などをさせていただいたんですが、『福田さんはジャーナリストの素質があるね』みたいなことをおっしゃられて......。逆に、『ワセ女が好き』とか津田さんのツイートも見ていたので、その話をすると『何で知っているの?』と驚かれたりしました」
――本を出したことで、今後もフォロアーが増えたりすると思うんですが、福田さん自身、これからTwitterの使い方は変わっていくのでしょうか?
「フォロアーが増えるにつれて、一般の人にも幅広く浸透しているんだというのを実感して、同じようにつぶやいていても捉え方が変わってくるのかな、と感じています。だから、なるべくみんなに分かりやすいツイートをするように、と意識が変わってきました。あとは、ツイートする際にワンクッション置いて、責任を持つようになってきましたね」
――岩手県ご出身だということもあって、東日本大震災の際にTwitterを使っていろいろなアクションもされていらっしゃいました。
「震災があって、リツイートが浸透してきて情報の伝播が速くなっているので、より正しい情報を、と考えて岩手県内の公式アカウントのリストを作ってみたりしていました。でも、最近はあまりシリアスにならないように、楽しんでもらえるようなツイートを心掛けるようにしています」
――これからは、女性の方もどんどんTwitterを使うようになっていくと予想されますが、福田さんからアドバイスをお願いします。
「女の子って会って近況報告したりしますが、メールしなくてもTwitterをしているとお互いが何をしているのか知ることが出来るので、リアルで会った時に話題が広がりやすいかも。落ち込んでいるツイートとかを見た時に連絡したりも出来ますしね」
――フォローしていることによって、より人との結びつきが強くなるということですね。
「『今、何しているの?』とか『どんな考えの人なの?』というのが、その人のタイムラインを見れば人柄とかも透けてくるので、例えば新たな婚活の場になれるかも(笑)。好きなアーティストさんともより密接な関係になった気がしますよね。いろいろ活用法はあるので、一人一アカウントくらい浸透してもいいと思います」
――では、最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。
「Twitterをやっている人もやっていない人も『もえtter』を見て、Twitterの世界をより深く知ったり、いろいろなコミュニケーションをしていただければいいなと思っています。あと、『もえtter』の続きは、私のTwitterで(笑)。よろしくお願いします!」
(取材・構成=ふじいりょう/写真=岡崎隆生)
●ふくだ・もえ
1985年6月5日生まれ。岩手県出身。横浜国立大学卒業。'06 年度ミス横浜国立大学。
同年、『ミスオブミスキャンパスクィーンコンテスト』審査員特別賞受賞。大学在学中から芸能活動を始め、2007 年から日本テレビ『ラジかるッ』にてお天気お姉さん兼アシスタントでデビュー。現在では、バラエティー番組やドラマなどへ幅広く出演。また FM NACK5「おに魂」、文化放送「夕やけ寺ちゃん 活動中」では火曜日のラジオパーソナリティも担当している。2009年から「Twitter」を始め、2011年8月現在、フォロワー数は8万4000人を突破した。
原発依存症に陥った福島を生んだのは「中央への服従心」だった!?

著者の開沼博氏。27歳の冷静な視点が光る。
未曽有の大震災から早くも5カ月近くが過ぎた。ここに来て、首都圏の人々の注目は、津波による被災地よりも福島原発に多くが向けられていると言っていいだろう。自治体独自に放射線量を測ったり、個人でガイガーカウンターを購入し、家の周辺を測ったり、また脱原発デモを行ったりと。
しかし、そもそもなぜ福島県に原発が作られ、周辺住民がどう感じて生きてきたのかということを知らない「都会の人間」は多いのではないか? 福島県いわき市出身の社会学者・開沼博氏は、震災前の2006年から福島原発に興味を抱き、フィールドワークを重ね、内側から原発問題を考察してきた。その集大成が『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)である。今回、福島と原発の関係、そして震災後の世間の動きについて開沼氏に話を聞いた。
――そもそも福島原発に興味を持ったのはなぜですか?
開沼博氏(以下、開沼) 最初は2006年の夏前くらいに青森県・六ヶ所村核燃料再処理施設に行ったんです。行く前は「今でも根強く施設立地の反対運動が行われ、施設に嫌悪感を抱きながら声をひそめて生活しているじゃないか」というありがちなイメージを持っていた。しかし、実際にそこに住んでいる人に話を聞いてみると「原燃さん(六ヶ所村核燃料再処理施設の事業者)が来てくれたお陰で生活ができている」「1年の内の半分は出稼ぎに出ないといけない土地だったが、施設が来てから1年中家族と一緒にいれるようになった」と言う。福島に行ってみても、特に原発のある4町(双葉町、大熊町、楢葉町、富岡町)では「東京電力(以下、東電)が来てくれたお陰で」という雰囲気がある。そして、それは今も大きくは変わりません。そういう原発を抱える現地のことは東京から見ていたらわかりづらいことであって、その実態に興味を抱き調査をはじめました。
――開沼さんは福島県いわき市出身ですが、いわき市ではそういう雰囲気は感じられませんでしたか?
開沼 いわき市民が普段、原発を意識することはそれほどなかったですね。原発のある4町の人々も原発があることは知っているけれども、毎日「原発あるなー、怖いなー」と意識するかと言えば、そんなことはなかった。それは東京の人が「東京タワーがあることは知っているけれども、別に改めて昇ることはない」という感覚に近いのかもしれない。福島の4町には40年間にわたって原発があるわけですから、多くの人にとって「生まれた時から記憶の中に自然とある風景」なんです。
――本書のテーマは「日本の戦後成長と地方」ですが、このテーマに興味を抱いたのは?
開沼 そもそもの学術的な話で言うと、「成長社会が終わったあとは、どういった社会になるのだろう」ということを考えたかった。「ポスト成長社会」と私は呼んでいますが、これまでもそれを「成熟社会」とか「縮小社会」と名づけて捉えようとしたり、もちろん「成長はまだ終わっていないんだ、そうするためにがんばるんだ」という立場もある。でも、こんなことになってしまったのも含めて、どうすればいいのか考えあぐねているのが実情だと思います。このテーマについて、もうひとつ抽象度を上げると「近代」がテーマになります。社会学は「近代社会とは何か」を問う学問だと私は思っています。しかし、その近代社会が曖昧になりつつある。成長が終わるとは、そういうことかもしれないなと。じゃあ今までの理論で捉えられない近代を、どういう視座から捉えていくことが必要なのかと考えたのが、最初の問題意識でした。そこで考えたのが、戦後の成長を、私が理論的な下敷きとしたポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)との関係で捉えていくという方法でした。日本の中央と地方との関係にある種の「植民地性」を見ることで新たな社会の描き方ができるのではないかと思ったんです。
■地元民には、東電に対する「信心」がある
――福島県は只見川電源開発、常磐・郡山の新産業都市などを誘致しています。かつて貧しかった一帯が地域振興策の中で一番魅了的な原発を誘致したのは、貧困を克服するためというのが一番大きかったのでしょうか?
開沼 原発のある地域が取り立てて貧困だったかというと必ずしもそうではないんです。1950年代、60年代の日本はまだ道路もコンクリートになる途中の「途上国」です。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界ですね。その場その場に合った地域開発が日本のあらゆるところで行われていました。たまたま福島県の沿岸地域では、すべての市町村に発電所を置いていくような開発が行われた。発電所は大量の雇用を生みますし、地域開発としては有効でした。そういう流れの中で、たまたま原発が置かれたというのが私の認識です。
――仮に原子力でなくても良かったということですか?
開沼 原子力でなくても良かったと思います。それが巨大公共事業とか工場などであっても良かったと思います。だから、用地と海水の確保などの条件さえ整えば、どの地域でも福島になる可能性はありました。
――テレビで見る成長著しい東京と地方ではかなり違ったのでしょうか?
開沼 その当時、日本は豊かであるという幻想ができ始めていました。それはメディアを通して作られていた。ベネディクト・アンダーソンの言葉でいう「想像の共同体」ですね。テレビでは東京オリンピックや『ひょっこりひょうたん島』が流れるのを見ながら、自分たちの想像の中では、日本という国は非常に豊かで、イケイケドンドンであるというイメージがある。にもかかわらず、いざテレビを消して、家の外を眺めてみると、とんでもないクソ田舎であると。当然都会になりたいという欲望が生まれる。そこでスッと差し出されたものが原子力であったんだと思います。
――本書の中で、そうしたムラと国・中央がaddictional(常用的に、依存的に)な関係になってしまうと指摘されています。addictionalな関係とは具体的にどういうことでしょうか?
開沼 ムラが原発をどんどん欲していくような中毒的な状況を指します。経済的な話が一番わかりやすい。原発は一回置くと、最初はかなりのお金が入るんです。ですが、固定資産税からの税収は年々下がり、一方で金がある時に作った施設のメンテナンス費はかさむ。時間が経つとともに財政的に厳しくなっていきます。減った収入分を埋め合わせるために原発なり関連施設なりをさらに建設してくれということになってしまいます。
――他の観点だと?
開沼 本書の中でも触れていますが、一番肝になるのは文化的にもaddictionalになってしまうことです。たとえば、「原子力モナカ」というお土産物が売られていたり、国道沿いに「回転寿しアトム」という寿司屋があったり。東京の人から見れば特異な光景かもしれませんが、地元の人にとっては大きな違和感もなくそれが存在している。それだけ「原子力ブランド」が浸透し、原発と共生する社会が確立していると言える。
――そうした地域に、原発によって経済的な恩恵を受けている人はどれくらいいるんですか?
開沼 いろんな捉え方がありますが、人口の3分の1から4分の1は原発関連で生計を立てていると思います。その家の人が原発関連で働いていなくても、親戚付き合いや近所付き合いはあるので、なんらかのステークホルダーになってしまう。そう簡単に「原発は危ないから嫌だ」と言える状況ではないんです。原発関連で働くと言っても、今メディアで報じられるように白い服を着てマスクをつけている人だけではなくて、実際にはガードマンの仕事があれば、瓦礫をトラックで運び出す仕事や仕出しの弁当を作る人、原発の中で働く人を相手にした保険外交員もいる。年配の人や技術がない人も含めて原発ではたくさんの人が働いている。
――ムラと中央がaddictionalな関係になると、ムラが中央に「自動的かつ自発的に服従」するような関係が生まれると分析されていますが?

開沼 それは何段階かに分けて分析しています。最初の段階では、どうにか自分たちの田舎を都会に近づけるために、他の地域と競い合いながら新幹線や高速道路を持ってくるみたいな形で、中央に対して「自発的な服従」をしていくようになった。それがいつの間にか財政的な問題や文化的な問題でaddictionalになっていき、「自動的かつ自発的な服従」が完成したという風に私は捉えています。ここでのポイントは「服従」が、その言葉から想像しやすいような権力による強引な支配によるどころか、むしろ、服従する側が勝手に権力にひれ伏してしまうという一見奇妙な現象が起こっているということです。
――こうしたムラと国の服従の関係は日本の他の地域でもみられますか?
開沼 一番理解しやすい例が、財政破綻した夕張市です。かつて賑い日本中に名が通った街が、巨大資本の撤退とともに一気に寂れる。地域と国との間にある種の共依存関係ができている。同じようなことはどこでも起こりえます。
――そうした服従の中で東電信仰のようなものが果たした役割は?
開沼 それを本書の中では「信心」と呼びました。2000年代の初めに東電で事故や隠蔽事件がありましたが、ある町長さんは「東電を信じて共に歩んでいくことが私たちにとっていいことなんです。それしかありません」と発言している。そして、地元の人も「東電が大丈夫だと言っているから、大丈夫でしょう」と納得してしまっていた。それ故に3.11間際まで原発は維持され続けた。
――もし福島に原発がなかったら、福島はどうなっていたと思いますか?
開沼 財政状況は現状以上に悪かったでしょう。ただ、原発がなくてもやっていける自治体は他にいくらでもありますから、なにか困ることがあったかというとそれはわからないです。しかし、歴史を振り返れば「原発なき福島」を想像すること自体困難だとも言えます。本書の中でも検討しましたが、明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネルギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです。
■デモが起きても「フクシマ」は忘れられる運命!?
――ここからは3.11以降のお話を中心に聞きたいのですが。まず、4月10日には高円寺で脱原発デモが行われ、1万5,000人の人が集まりました。これに対して本書の中では批判的に言及しています。
開沼 いや、やってる方がいるのは全然いいんです。でも私自身は参加する気はない。震災前から労働組合のある党派は、40年間原発反対運動をしてきたわけですね。それが有効な手段ではなかったから原発はなくなっていない。答えは、もう出ています。1万5,000人は確かにすごいと思います。いわゆる「生きづらい若者」にとっては「居場所」として非常に意味があったとは思いますが、脱原発という点では無効だと言わざるを得ない。そして、ただ無効なだけなら放っておけばいいですが、デモ自体がハラスメントにつながりかねないことに無自覚なままになされている故に批判をせざるをえない。「即座に原発をなくせ」ということが、ただでさえ生活が苦しい原発立地地域の人間にとっては仕事を奪われることになる。それがどれだけウザいか。「奇形児を作らせるな」と障がいがある方もデモに参加している中で叫ぶ。新たな抑圧が生まれかねない状況がある以上、手放しでは見過ごせません。
――1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか?
開沼 それは間違いありません。東電なり経済産業省なり文部科学省の原子力政策を担う部門は、とりあえず福島の原発から放射能物質が出ないように押さえ込みさえすれば、この問題は解決すると思っている。押さえ込んでしまえば、今原発に関心を持つ人も、少なからず、元通りの無関心派になります
――自分たちの生活に直接危害がなくなると関係がなくなってしまう?
開沼 原子力ムラの当事者ではない人の関心は2点に収斂されます。結局、この復旧作業の落とし所はどこなのかということと、出ちゃっている放射能はどんだけ危険なのかということです。その答えがわからないから、イライラしてデモに行ったり、ガイガーカウンターを買って計測したりしている。逆に、その答えがある程度明らかになれば、そこに「日常」が戻ってこざるをえない。もはや原発に関心を持つ理由はなくなっていく。言い方を変えれば、デモを今の規模で続けるためには福島に不幸であり続けてもらう必要がある。これはある面で事実です。「イライラ」をガソリンにして「脱原発」のエンジンを回している。その裏にある「ありものの知識や知識人への信頼の仮託」の構造は、3.11の前も後も何も変わっていません。そして、それは時間の経過の後に形は違えど同じ問題を反復することにつながります。そこから逃れるためには、シンプルに言えば、歴史を見ることであり、東京からは見えにくい現場のリアリティに向き合うことなんじゃないかと思います。
――いわゆる知識人の発言が右往左往している印象もありますが。
開沼 勝手に右往左往するだけならいい。ただ、必死に逃げてよくわからない言い訳をしたり、よくわからないにもかかわらず、とりあえずヒステリックに脱原発派を煽ったりすることは混乱を増長させるだけ。知らないなら知らないでいい。怖いなら怖いでいい。あとは黙ってればいい。今回の原発を受けての知識人たちの行動、インテリと呼ばれる層にいる人間たちの短絡的な行動が、結果的に一般の人たちの不安をますます煽っているだけなのだとすれば残念です。
――そういう中で自然エネルギーの話も出ていますが。
開沼 自然エネルギーは悪いと思いません。また、原発の是非の立場を問われた時に「長期的には脱原発に向かうのがいいと思う立場です」と答えておくのが現状のベストアンサーです。どっから弾が飛んできても怪我をしません。でも、少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要。今、あるいはこの先に自分たちの生活を支えるものでないなら、どうでもいい。「外野からどうこう語る知識人」ほどの理想主義的な幻想は持っていない。現実を見ている。当然のことです。そして、もとから原発で働いていた人にとっては、得体の知れない幻想に乗り換えろと騒ぎ立てられるより、淡々と原発を動かしてほしいというのがとりあえずの本音。「自然エネルギーを導入すれば新たに雇用が生まれる『はず』です」と言う「善意」ある言葉を投げかけた時に「そんな不確定のことのために人生をかけられません」「それまでどうやって食っていけばいいんですか、生活費あなたが払ってくれるんですか」という問いは当然返ってくる。
――今後、原発について考えていかなければならないことは何でしょうか?
開沼 まず第一に、成長のために地方を踏み台にしてきたことを認識しなければなりません。本書の中で「2つの原子力ムラモデル」を提示しました。つまり一方には、電力会社や政府を中心とした「原発を置きたい側」=中央のムラ、もう一つは、「原発を置かれたい側」=地方の側の原子力ムラがある。政府叩き・東電叩きをしてカタルシスを得ることに終始するのは無意味。この、私たちが無意識のうちに踏み台にしてきた「2つの原子力ムラ」を変えて行く必要があることを認識しなければなりません。
――最後にこの本をどんな人に読んでほしいか。また、まだ読んでいない人へ一言お願いします。
開沼 何か原発について声を大にして主張したがる人に読んでいただければと思います。主張するなと言っているのではありません。その気持ちが圧倒的な「善意」に基づくという自覚があったとしても、実は知らぬ間に暴力や抑圧に転化してしまっていることを受け止めなければならない。一言で言うならば、「まず原子力ムラを肯定せよ」ということです。私たちは、原子力ムラの上に乗っかってきたし、黙認しながら生活をしてきた。必死に何かを叩きのめしたい気持ちはよくわかります。ただ、間違いなく、その叩きのめしたいものは、昨日の自分自身の顔そのものです。これまでは改めて鏡に映して意識することはなかったかもしれないけれども、事実としてこういう顔をしていたんだということをまず受け止めなければならない。日本の近代、あるいは戦後成長が無意識的に乗っかってきた基盤がそこにある。不安・不満解消のためのセンセーショナルな反応はすでに一巡しつつある。その先にあるのは愚かな反復でしかない。原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます。
* * *
福島原発関連の本は数多く出版されているが、内側から迫った本は少ないのではないだろうか。福島原発に対する新たな視点を与えてくれることは間違いない。
(文=本多カツヒロ)
●かいぬま・ひろし
1984年福島県いわき市生まれ。2009年東京大学文学部卒。2011年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。
「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【3】

【1】、【2】はこちらから
──やはり、テレビが障害者を映さないことで、乙武さんの『五体不満足』の言葉を借りれば「不便をもって生きている人」がたくさんいるという現状が伝わりづらくなっていると思うんですが、そうした中で乙武さんご自身が思うところを聞かせてください。
乙武 最近それこそTwitter上で「カタワ」という言葉を意図的に使っているんですけど、それに対して、差別的用語だから使うべきではないっておっしゃる方が当然いるんですね。僕の意図としては障害者そのものに対する概念を変えていかなければ意味がないと思っていて、最近、障害者の「害」の字をひらがなにして「障がい者」と表記しようという動きが広まっているじゃないですか。「世の中に害になる」とか何とか。僕はあれ、くっだらないと思うんです。そんなことを言ったら、きっと10年20年経ったら今度は障害者の「障」の字は「差し障る」という意味があるからひらがなにしようという動きが出てきて「しょうがい者」って全部ひらがなになっちゃう。だったらそもそも、全部ひらがなにした「しょうがい者」だって「カタワ」だって一緒でしょ、と。障害者に対する概念が変わってないのだから、どんな言葉を使ったって「これは差別的なんじゃないか」って常に考えてしまう。
例えば「背が高いですね」という言葉は一般的にほめ言葉のように使われますけど、それを言われて傷つく女の子って絶対いますよね。モデルさんやバレーボール選手なら、言われた方も喜ぶかもしれない。だけど、目の前のこの人は傷つくかもしれない。それって、みんな普通にコミュニケーションしてたら気付くことじゃないですか。そういうコミュニケーションが、対障害者になると、目の前にいる相手がどう感じるかということはスッ飛ばされてしまって、一般的に「カタワはやめよう、障害者の害の字は開こう」となる。そんな風に一概に否定するんじゃなくて、手足のある人、障害のない人と接するときと同じように、その人の前で使っていい言葉かどうか考えながらコミュニケーションをしようよっていうのが、僕が言いたいことなんです。
──よく分かります。ただひとつ難しいのが、障害者本人よりも障害児を持つ親のほうがそういう言葉にデリケートになっていると思うんです。「うちの子を傷つけるな」という母親の気持ちって、やっぱり最強のものであって。個対個で話すときは、もちろん相手を慮ってケースバイケースで判断すべきことなんですが、メディアの中でそういう言葉を使っていくときに注意しなければいけない場面は少なくない。実際に、障害者の親たちからテレビ局にクレームが来る、テレビは過度に自粛する、言葉がなくなっていく、障害者という存在そのものが社会からスポイルされていく、という悪循環が起こっていると思うんですが、乙武さんが「大人になった障害者」という立場から、障害のある子を持つ親たちに言えることってありますか。
乙武 そうですね、もし子どもを守るつもりで言葉に敏感になったり、他に対して過剰な要求をしてしまっているんだとすれば、それが本当にその子のためになるのかということを考えてほしいな、と思うんですよね。そうやって障害のある人を特別視する社会、障害のある人を指す言葉に対してあれこれ考えさせるような、つまりは障害のある人を腫れ物を触るような存在にしてしまうことが、本当にこの後、その子にとって生きやすい社会になるのか。
確かに僕がTwitterで発言している内容というのは一見過激に見えるし、障害者をバカにしていると捉えてしまう人がいるかもしれない。でも、僕が言っていることが少しでも実現に近づいたら、絶対に障害のある人の生きやすさにつながっていくと思っているから、わざとそうしているんです。
だから、その瞬間、その痛みだけを考えるんじゃなくて......親なんて、先に死ぬんですよ。その子が、その後の社会の中で生きていくときに、どんな社会になっていたら彼らが生きやすいのかってことを、もう少し視野に入れていただくと、「おまえ、カタワだろ」って気軽に言い合える関係性を他と築けたほうが、僕は絶対に楽だと思うんですよ。
──そうですね、大人は次の世代に社会を遺さなければいけない。子どもたちの話で言えば、今現在も福島の原発周辺にはたくさんの子どもたちが暮らしていて、彼らは大きな悩みと苦しみの中にいると思うんです。なんで親が引っ越さないんだろう、なんで自分は避難できないんだろう、という中で生きている何十万人の子どもたちに今、私たち、日本の大人たちは何を伝えられるのでしょうか。
乙武 うーん......。なんと言うか、今、福島にいる子どもたちを、まるで地獄にいるように語る人たちがいっぱいいて、もちろん、3.11の前と後だったら、前のほうがいいに決まってるし、原発の近くに住むよりも遠くに住むほうがいいに決まっていると思うんですけれど、とにかく、今置かれている状況の中で常にベストを尽くすということしか言えないな、と思うんですよね。海外に目を向けたときに、もっと悲惨な環境の中で生きている子もいっぱいるし、二十歳まで生きられないという子どももいる。子どもたちの役割と大人の役割はやっぱり違うし、子どもたちは、それがどんな状況であれ、自分のできる限りのベストを尽くす、東京の子どもであれ福島の子どもであれ、ルワンダの子どもであれ、とにかくベストを尽くす。大人は、いかにその子どもたちがベストを尽くせる環境を整えてあげるのかってことなんですよね。その、子どもたちにとってベストの環境が何なのかっていうのは、今きっと議論をしている最中だと思うんですけど......。
──なかなか答えは出にくい。
乙武 そうですね、うん......。ただその、僕自身のこともそうだし、すべての人間がそうだと思うんですけど、現在地の自分に対して肯定できていれば、そこまで生きてきた時間のすべてがプラスに感じられると思うんですよ。つまり、今僕が幸せだなって思えれば、この手足がないことも含めて幸せなんですよね。もし僕が幸せじゃないって感じていたとしたら、きっといろいろなことに原因を求めて、手足がないから幸せじゃないんだとか、そういうことを言い出していたと思うんです。だからこそ、失ったという事実がもう変えられないんだとしたら、今は深い悲しみの中にあり、大きな喪失感に包まれている中でも、これからの心の持ちよう次第で、数年後、数十年後に、幸せだなって感じられるときがきて、振り返れば、あんなこともあったね、あれがあったから自分は強くなれた、あれがあったから僕はあなたと出会うことができた、そういうふうに、プラスに、少しでもプラスに捉えられるように、これからの歩みを重視していくしかないのかな、ということを感じてますね。
(取材・文=編集部/写真=岡崎隆生)
●おとたけ・ひろただ
1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。
Twitterアカウント:@h_ototake











