武田鉄矢が語る、ユニークすぎるアジア文化論『101回目のプロポーズ』が愛される理由とは?

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劇場版『101回目のプロポーズ~SAY YES~』に20年後の星野達郎として出演した武田鉄矢。単なるカメオ出演ではなく、鉄矢節で盛り上げている。
 「僕は死にませ~ん!」 武田鉄矢が浅野温子に向かって叫ぶ名ゼリフで知られる『101回目のプロポーズ』(1991年/フジテレビ系)は、テレビ史に残る人気ドラマとして語り継がれている。平均視聴率23.6%、最高視聴率36.7%を記録した一方、「リアリティーがない」「家族背景が描かれていない」といった辛口の批評も当時トレンディードラマを連発していたフジテレビには向けられていた。ところが、だ。このリアリティーのなさが『101回』伝説を海外へと広めることになった。台湾、香港、韓国などで『101回』は度々オンエアされ、2003年にはチェ・ジウ主演の中韓合作によるリメイク版が作られるなど大人気を博した。家族のしがらみに縛られることのない主人公たちの自由な恋愛観が、自由化・民主化が進みつつあったアジア各国で支持されたのだ。  さらに時間が流れ、『101回』に胸を躍らせた若い世代から映像クリエイターたちが育った2013年、上海を舞台にした劇場版『101回目のプロポーズ~SAY YES~』が完成した。全12話あったオリジナル版のエッセンスを106分に凝縮したこの劇場版は、中国で観客動員660万人を越える大ヒットに。そして10月19日(土)より日本での“里帰り”公開が決まった。フジテレビでの放送から22年が経過した今も、『101回』がアジアでこれだけ根強く愛されているのは何故か? オリジナル版で主人公・星野達郎を演じ、劇場版でも若い主人公たちの背中を押すキーマンを演じた武田鉄矢“先生”にご登場願おう。 ──劇場版『101回目のプロポーズ~SAY YES~』は今年2月に中国で公開され、660万人動員、興収30億円の大ヒット。オリジナル版と劇場版に出演された武田さんは人気の秘密をどう見ていますか? 武田鉄矢(以下、武田) フジテレビのえらい人たちをそこに並べてさ、説教せんといかんよね(笑)。「作るんだったら、こんなドラマを作れよ」とね。『101回』はそれこそアジア的な大ヒットドラマになったわけでしょ? なぜヒットしたのか、テレビ局とあろうものがちゃんと分析しないでどうするの。捜査線ばっかり張ってないでさ(笑)。でも、そういうことでしょ。捜査線が他の国には広まらないということは、捜査事情は国によって異なるということですよね。その点、『101回』は非常にアジア的だった。例えるなら麺類みたいなものじゃないかな。同じ麺類でも、ベトナムではフォー、日本では冷やし中華、北朝鮮では冷麺……と麺と具材の組み合わせ方で、いろんな麺料理が根づいている。
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中国とフジテレビとの合作による『101回目のプロポーズ~SAY YES~』。バブルに湧く上海を舞台に新たな純愛ストーリーが繰り広げられる。
──『101回』は国境を越えて愛されるテイストだったわけですね。 武田 そうだと思うなぁ。よくシコシコ麺だとか喉ごしツルツルだとか麺類が好きな人はこだわるよね。歯ごたえや喉ごしって、実は英訳できないんだってね。麺をすする楽しさ、味わいっていうのはアジア人特有のものらしい。自分が出演し、好評だったこともあり、『101回』のことを僕は愛しているわけだけど、あのドラマは麺類が愛されるのと同じようにアジア中に広まったんじゃないかなぁ。ミャンマーでは視聴率90%だったらしいよ。といってもテレビを持っている人は1000人にひとりの割合らしいけどね(笑)。でもなぜ、こうもアジア一帯で『101回』は人気を得たのか。わかり易い言葉にすれば、それは“格差”ですよ。 ■男女にとっての究極の恋愛ドラマ、それは“異類婚”! ──90年代に純愛ブームを呼び起こした『101回』のテーマは“格差”だった? 武田 僕みたいな男が、浅野温子みたいなイイ女に恋をする。その設定はまさにノンリアリティーなんだけど、僕も浅野温子も懸命に演じたわけです。格差という言葉は冷たく感じるけど、恋愛ってそもそも格差じゃないかな。格差のない恋愛って、つまんないですよ。同じ価値観を持つ男女がお友達感覚でくっついても、簡単に別れちゃう。芸能人でも多いでしょ、そういうカップル。つまりね、男と女って違う世界に住んでいるからこそ、激しく恋が燃え上がるわけです。日本のおとぎ噺は、そんな男女の話ばっかりじゃないですか。絶世の美女にある男が恋をするけど、その美女は実は雪女だったとかね。よくできた女房は本当は鶴だったとか、平凡な男が天女に恋をしてしまうとか。遠野には娘が馬と結ばれた逸話が残されているし、日本書紀や古事記では蛇が嫁をもらうわけです。昔話の世界は格差なんて生易しいもんじゃない、人間という種を越えて異類と恋におちてしまう。異類婚の伝説は日本だけじゃなくて、アジア各地に残っている。自分とはまるで違うものに魅了されるという面白さ、激しさが一種のアジアンテイストなのかなぁ。 ──なんと、『101回』は現代の異類婚ですか!? 武田 『101回』が人気を集めた国を見てみると、まぁ異類とは言わないけど格差がある社会ですよ。香港で『101回』がリメイクされたときは、韓国の大スター、チェ・ジウが矢吹薫役でなくてはダメだったわけです。そんな大スターに、中国から出稼ぎにきた男が恋をしてしまうというね。格差を乗り越えて、手の届かない存在に恋をする。それが『101回』の面白さじゃないかな。 ──『レッドクリフ』(08)にも出演した台湾の誇る美人女優リン・チーリンが、劇場版『101回』のヒロインに。まさに適役ですね。
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『お~い!竜馬』の原作者でもある武田鉄矢。「心の師」と仰ぐ坂本竜馬についても熱く語ってくれた。悩んだときは心の中の竜馬に相談するそうだ。
武田 上海ロケで本物に会ったけどさ、本当に腰を抜かしそうなくらいのベッピンさん。ヒール履いたら180センチくらいあるから、僕なんか軽く見下ろされてしまう(笑)。見るからに台湾の財閥のお嬢さんって感じ。実際に政治家の娘さんなんだってね。そんな育ちのいい美女に、いかにもチンタオから上海に出てきましたといった風情のホアン・ボーくんが恋をしてしまう。ホアンくんは志村けんさんの若い頃みたいな雰囲気なんだけど、どう見ても地方出身の労働者顔ですよ。汗まみれで働く男が、絶世の美女と出会い、どうしようもなく恋におちてしまう。そこが国境を越えて、アジア中で愛された要因じゃないかなと僕は思うよ。 ──劇場版『101回』はオリジナル版に対するリスペクト感がハンパない。しかも現代の上海で経済格差が生じていることにも触れている理想的なリメイク作品に仕上がっていました。 武田 レスト・チェン監督は台湾出身で、高校生の頃にオリジナル版を見ていてくれたらしいね。「お前、饅頭の食い過ぎだぞ」って言いたくなるような顔なんだけど、すごくシャープな感覚の持ち主。でも、可哀想に周りから「武田鉄矢って、すぐ説教したがる面倒くさい俳優らしいぞ。お前に演出できるのか」みたいに冗談半分で吹き込まれたみたいで、撮影現場で全然近寄ってこないんだよ(苦笑)。離れたところから、「じゃあ、お願いします」って言うだけなの。主演のふたりは逆にすごく熱くて、僕ともっと絡むことで『101回』をただの恋愛ドラマよりもっと深いものにしたいという熱意がすごく伝わってきた。こういう風にこれからも若い人たちが作る作品のお役に立てればいいなぁと思いましたね。まぁ、もうちょっと若ければ、チーリンさんにちょっかい出してたかも知れないけど(笑)。 ■“国家”よりも“地域”で物事は考えたほうがいい ──上海というと、『お~い!竜馬』の原作者である武田鉄矢さんにとっては感慨深い地ですよね? 武田 そうなんだよ、『お~い!竜馬』では坂本竜馬が唯一踏んだ海外の地が上海なんだよね。これはまったく史実を無視したフィクションではなく、ちゃんと長州藩に記録が残っているんです。竜馬が土佐藩を脱藩してから徳島までの足取りは分かっているけど、江戸に行くまでの半年間ほど空白期間がある。それもあって、竜馬は上海で高杉晋作に出会うというストーリーを僕は考えたんです。長州藩の記録に高杉晋作が上海に行った記録があって、最後のほうに竜馬の名前も入っているんです。現実的には竜馬が上海に渡航したことは考えにくくて、明治時代になって誰かが手を加えたのではないかと言われているんだけどね。でも、高杉晋作ら幕末の志士たちが上海に足を運んだのは事実。この地で「幕府を倒さないと日本に未来はない」と考えたんだなぁと、そのことは思いましたねぇ。
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町工場を営むホアン・ダー(ホアン・ボー)とチェリストのイエ・シュン(リン・チーリン)の恋を日本から来た星野達郎(武田鉄矢)が励ますことに。
──カンフー映画へのオマージュを込めた『刑事物語』(82)にも主演していますし、中華圏の映画とは縁がありますね。 武田 うん、まだ中国が貧しかった頃は東宝が無料上映をやっていて、『刑事物語』もそのときに上映されていた映画の一本だったんです。『刑事物語』の僕の役名は「片山」だったんだけど、「ペイシャン、ペイシャン」って中国の街を歩くとよく声を掛けられたなぁ。ウイグル自治区に行ったら、取り囲まれるほどの人気でした。「よーし、高倉健までもう少しだ」と思ったんだけど、『刑事物語』に続くヒットが出なかった(苦笑)。今回、リン・チーリンさんたちが熱心に演技に打ち込んでいる現場に一緒にいて、とても楽しかったですよ。今、日本は中国や韓国とうまくいってないけれど、何だか国家、カントリーってさ、つまんないもんだよねぇ。国じゃなくて、アジアってエリアで物事を考えたほうが楽しいし、うまくいくよね。『101回』がさ、アジア中で愛されているのを見るとね。 ──人が人を愛する力は、政治や経済問題を軽く飛び越えてしまう? 武田 僕はそう思うなぁ。政治や経済なんて、大して面白いもんじゃないですよ。第一、政治や経済の問題で、トラックの前に飛び出そうなんて考えないでしょ? みんなさ、最近はポリティカルになり過ぎなんじゃないかな。アジアの人間を国境で分けてもあまり意味がないように思うんです。シルクロード寄りの山岳民族ですとか、椰子の実を拾って食べてる海人族ですとか、そういうざっくりした分け方でいいんじゃないかなぁ。アジアの歴史に関する本をいろいろ読んできたんだけど、中国という大きな国がユーラシア大陸には昔からドンとあって、中国で政治に飽き飽きとした人たちが逃げてきた先が日本なんじゃないかと思うことがあるんだよね。巨大国家で渦巻く政治から逃げてきた人たちにとっての楽天地が日本だったわけですよ。この国があまり国家とか民族とか口にするようになると、ロクなことが起きない気がするんだよ。日本って、のどか~なアジアの一角ってことでいいんじゃないかな。坂本竜馬がかっこよかったのは、土佐弁で日本を語ったからだと僕は思うんです。「このままじゃ、日本はいかんぜよ」と。これを「このままじゃ、日本はダメなんです」と標準語で語ると前東京都知事になっちゃう(笑)。国家よりも自分たちが暮らす地域を単位にして物事を考えたほうが本音で語り合えると思うなぁ。 ──『101回』はどうやら頭で考えるのではなく、食感や皮膚感覚で楽しむドラマのようですね。 武田 うん、『101回』には国境は関係ないんじゃないかな。今回の劇場版だって、“中国映画”じゃないと思うよ。開発の目覚ましい上海を舞台に、チンタオ出身の労働者が、台湾生まれの令嬢に恋するファンタジーですよ。地方から出てきたお兄ちゃんたちが「見てろよ、俺もいつかあんないい女を抱いてみせるぞ」と憧れるというね(笑)。『101回』は“地方出身者”たちの夢物語なんだと思いますよ。 (取材・構成=長野辰次/撮影=名鹿祥史) 『101回目のプロポーズ~SAY YES~』 原作/フジテレビ『101回目のプロポーズ』(脚本:野島伸司) 脚本/ジャン・ウェイ 監督/レスト・チェン  出演/リン・チーリン、ホアン・ボー、チン・ハイルー、カオ・イーシャン、武田鉄矢 配給/ポニーキャニオン 10月19日(土)より角川シネマ新宿ほか全国ロードショー  (c)2013 NCM FUJI VRPA HAM  <http://www.101propose.jp> 101kaime_03.jpg ●たけだ・てつや 1949年福岡県出身。1972年に「海援隊」でデビューし、73年に「母に捧げるバラード」が大ヒット。高倉健主演作『幸せの黄色いハンカチ』(77)で俳優デビュー。79年から『3年B組金八先生』(TBS系)に主演し、2011年まで32年間にわたって坂本金八を演じ続けた。原案&脚本&主演を兼任した『刑事物語』(82)もシリーズ化され、全5作が製作されている。『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)は2012年に『時代劇版 101回目のプロポーズ』として舞台化され、浅野温子と21年ぶりに再共演を果たした。

「伝える力は、伝えたいという愛情に尽きる」生粋の“てれびバカ”西田二郎が語る、テレビの未来

IMG_5446_.jpg  『ダウンタウンDX』(読売テレビ)をはじめ、数々のテレビバラエティを世に送り出しているディレクター、西田二郎。このたび『水曜どうでしょう』(HTB)の名物Dである藤村忠寿氏との対談をまとめた『てれびバカ ツッパリオヤジvs小悪魔オヤジ』(KADOKAWA)を上梓、大きな反響を呼んでいる。今バラエティが抱えている問題点は? これからテレビはどうなるのか? 最前線に立つ西田氏に、その思いを訊いた。 ――『てれびバカ』拝読しました。地方局の希望『水曜どうでしょう』の藤村さんと、大阪からバラエティを牽引してきた西田さんの対談とは、かなりのインパクトでした。 西田二郎(以下、二郎) 僕自身、読売テレビというローカル局で『ダウンタウンDX』を20年やらせてもらっていて、はたから見たら中央でやっていると思われがちなんですけど、立ち位置的には藤やんに近いものがある。僕は大阪から番組を全国に放送していて、一方、藤やんは番組販売という形で全国にコンテンツを届けることを「開拓」した人。そういうところで、お互いシンパシーがありましたね。 ――「テレビが面白くなくなった」と言われて久しいですが、今日は西田さんが今のテレビをどう捉えていて、その中でどういう立ち位置にいて、未来のテレビはどうなっていくと考えているのか、そのあたりをお伺いしたいと思っています。 西田 まず踏まえなければならないのは、物事は面白くしようとする時点でつまらなくなっているということ。面白いと思ったことを実現していくというのは、その時に見えたものを形にしていく作業なので、実は一秒ずつオモロなくなってるんですね。オモロいものというのは、オモロいと思った時点がピークにオモロい。だから、詰め切らんところで止めることも大切です。僕らはO.A.で、オモロさのピークを取らなアカンわけですよ。だったら、このピークを超える余地を残しておかないとダメ。僕たちの場合はそれがダウンタウンで、ダウンタウンは僕らがどんだけピークでオモロいと思っても、それを超えるだけの余地を絶対に持っている。エンタテインメントの人間は、読めないところを、自分の中に残しておかないといけないんですよ。 ――西田さんが担当している『ガリゲル』や『ガリガリゲル』に出演している芸人さんは口を揃えて「西田さんは何を考えているか分からない」と……。 西田 僕ね、芸人さんは安心をさせたらアカンと思てるんです(笑)。芸人さんはクリエイターなんですね。見えてしまったらワクワクしないから、どっか「分からんな」というところを残しておかないと。 ――たとえば『ガリガリゲル』の名物コーナー、“アニメ大喜利”は題材もすごくシュールで、MCであるライセンスの2人も「もはやバラエティではなく、ドキュメンタリーです」とおっしゃっていましたが。 西田 大喜利って、芸人さんの本当に面白い一面を切り出す、ある種、聖域なんです。だから、「大喜利やってください」って頼んだことは、実は一度もない。アニメ大喜利は(ライセンス)藤原君にどうしてもやってもらいたかったから、Twitterで「藤原君アニメ好き?」って質問したんですよ。そしたら彼が「ハイ」言うて、大喜利を了承させたというよりは「藤原君が、アニメが好きっていうから」という理由に乗っかった(笑)。たぶん「大喜利してくれへん?」でもイケる話ですけど、やっぱりそれしたらアカンのですよ、自分の中で。 ――芸人さんに「なんか面白いことやって」っていうのと同じ感覚……? 西田 カンペ出して「ここでボケて」っていうのと同じ(笑)。うまく言えないんですけど、僕が番組を作る上で大切にしていることって、そういうところ。ノンスタの石田君には『ガリゲル』でおかんをおんぶしてもらったんですけど、その時も「君の中にある家族への思いを考えたときに、石田くんにしかできないことある思うねん。テレビを通じて見せられる親子の関係が」って、延々としゃべって。石田君が「分かります」って共感してくれた後に、「あんな、おかんをな……おんぶしてほしいねん」。 ――(笑) 西田 石田君もキョトンですよ。彼にしてみたら、面白い感じでやっていいのか、どうしていいのか分からない。石田君の家族の話聞きながら僕は号泣してるので、どうやらふざけているわけでもなさそうだ。最終的には「なんのことかよく分かりませんけど、頑張ってみます」と了承してくれて。理解できてないと物事が進まないのではなくて、分からへんけど物事が動いていくっていうほうが、僕はステキやなと思うんです。結果「おかんおんぶ」はものすごく反響があって、石田君はレギュラーがバババッと増えたらしいし。 IMG_5415_.jpg ――「おかんおんぶ」はじんわりと泣ける映像なのに、どこか笑っちゃうのが不思議でした。 西田 どう考えたって、やってることはコント(笑)。おかしいんですよ。突然、実家に行っておかん呼び出して、昔の話しながら「おんぶさせてくれへん?」って。まずオモロい世界を作って、その中にホロリとさせる要素を入れるのが通常だとしたら、あれは基本泣かせにかかってる。やり方的に間違ってるんです。  世の中って、なんでも正しいか間違ってるかで判断しがちなんですけど、僕はまず「愛情」ありきで、愛情があれば大いに間違っていいと思ってます。むしろ間違ったほうがいい。「本来だったらこう」っていうのを逸脱すればするほど、愛情の深さは伝わると思うんです。正しいか間違ってるかに終始して愛情がそっちのけになっているコンテンツがたくさん出てくると、人々は面白いとは言いづらくなりますよね。 ――コンプライアンスの順守などでしょうか? 西田 そうですね。でもそれに限らず、「テレビは分かりやすくするべき」という考えに従っていった結果、まったく心に響かないものになってきているともいえる。逆に間違っていたって、伝わるときは伝わります。伝える力というのは、理論性や分かりやすさに答えがあるんじゃなくて、本当に伝えたいという愛情に尽きると僕は思ってるんですね。ただ当然視聴率の問題もありますから、そのバランスは保たなければならないですが。 ――『ダウンタウンDX』は、そのバランスが絶妙だと思います。 西田 DXの「スターの私服」は、数字という面で番組にものすごく貢献してくれています。どうしてあのコーナーが数字を獲れるのかというのは、あとからなんとでも言える。だけど、あのコーナーの前まで、そんな企画は存在しなかったんですよ。たとえ思いついても、先ほどの正しい間違ってる理論にのっとると「ちょっと弱いんちゃうんか」とか理屈をつけられて、実現には結びつかないんです。でも、僕はどうしても見せたかった。ダウンタウンに見せたかったんです。ダウンタウンにスターの私服見せたら、さぞかし戸惑うやろなって。 ――領域が違いますから。 西田 (想像できないから)面白くなるという予感があったんです。周りのスタッフは「ダウンタウンは(服に興味ないから)オモロいこと言わへんのちゃう?」「それより、まずあの2人はやれへんやんか」って心配してましたけど。拝み倒して、とにかく一回だけはやってもらいました。やっぱりあの2人すごいですから、面白くしてくれたわけですよ。でも終わった後「もう二度とせえへんからな、二郎!」って浜田さんに言われて。 ――どう説得したんですか? 西田 プロデューサーのせいにしました。「勝田(P)が、テレビ人生をかけて“スターの私服”がやりたいらしいです!」と(笑)。「オマエ……ほんまアホやなあ」って言いながらもやってくれました。ダウンタウンは。 ――『てれびバカ』の中でも「『ごっつ(ええ感じ)』や『ガキ(の使いやあらへんで)』と同じことをやっても仕方ない」と書かれていました。 西田 そうです。『ごっつ』に関しては、あの番組がゴールデンに行くときに、当時フジの社屋があった駅全面にポスターが貼ってあったんですね。それを見て「駅全部にポスター貼ってもらえるんや……」と全身の力が抜ける思いでした。ポスターだけでもスゴいのに、チャンネル合わせてこれから毎秒驚愕するなんて、僕の気が持たない。結局O.A.を見ることはできませんでした。まぁ、しんどかったですよ。僕ら世代で『ごっつ』見てないテレビマンなんていませんから。だけど、かえってそこを異質に感じてもらえたのはラッキーでした。だからDXは少々ダウンタウン的でないものも認めるべし、と思ってくれる番組になったと思います。 ――ダウンタウンの番組がたくさんできていく中で、DXが長寿番組たり得たというのはまさにそういう理由でしょうか? 西田 まぁここに至るまでに紆余曲折もあって、僕自身がダウンタウンの番組を見ることを禁忌にしたわけですけど、ダウンタウンのことは理解しないといけない。そのために僕はどうしたかというと、「浜田さんになる日」「松本さんになる日」を決めて、その日はひたすらツッコミを入れたりボケ倒したりするんです。もちろん全部ドンピシャにできるわけはないんですけど、せめて「これ言うんちゃうかな」っていうポイントくらいはつかめるようになる。ダウンタウンというフレームが身についたと信じられたんです。これがあればどんな企画を立てる上でも(ダウンタウンが)気色悪いことにはならないという確信が持てたんです、まぁ、自分の思い込みですけど。中身じゃなくて、枠。メロディじゃなくて、リズム。 IMG_5396_.jpg ――『ザ・狩人』もフレームだけあって、あとは自由に芸人さんが音楽を奏でるような番組ですよね。 西田 『ザ・狩人』の場合は、藤井(隆)君が持ってるメロディをテレビで出し切ることをメインに考えていますね。それは本人の希望でもあったので。こちら側からの発信だけではあそこまで飛びきれない(笑)。これは芸人さんがクリエイターであるという一つの証左でもあるかなぁと。なんかやってみな分からへんというフレーム感の中で、藤井君がやってみたいと思うことをスタッフと一緒にハーモニーとして奏でていくことだと思うんです。芸人さんはリズムではなくメロディで勝負する人が多い。要するに「何を言ったらオモロいか」にこだわるのが芸人さん。僕ははたから「芸人さんが歌いやすいリズム」しか考えない。 ――今、テレビにおいて芸人さんがそうしたクリエイティビティを発揮できる場が少なくなっていて、その一つの要因として芸人が飽和状態になっている、中堅~大御所が詰まっていて若手がなかなか出られないなどと言われています。西田さんは、その状況をどうお考えですか? 西田 それは芸人さんの数的な問題ではない気がしてます。20年前でもテレビには出ないけど寄席でめっちゃオモロい芸人さんはいたし、芸人の数が少なかったからテレビに出やすかったわけでもない。これは上岡龍太郎さんが言っていた「テレビ芸」というものだと思うんですけど、テレビへの向き不向きですね。テレビにおいてウケる話術であったり、やり取り。そもそもテレビというフィールドで活躍しなければ(芸人として)成立していないという考え方がどうなのか。僕はいいと思うんですよ、テレビじゃなくても、成り立つ経済圏があれば。テレビ以外でやっていける軸というものがあれば、誰もテレビに見向きもしなくなりますよね。だってそうでしょう、オモロいこと言うても一瞬にして食い散らかされてしまうんですよ、テレビは。さだまさしさんはめっちゃオモロい話するけど、テレビでは出しません。それはテレビが消耗するメディアであり、みんなのイメージに既視感を与えてしまう、神秘性がなくなってしまうから。だからテレビはその代償として、ほかよりも高いギャラをいただけるともいえる。つまりは芸人さんの数の問題ではないと思いますよ。 ――芸人さんがテレビに出るというのは、常に脳みそを全国に晒しているようなものなんですね。 西田 ホンマですよ。国民の皆さんはね、芸人さんはスゴイと、もっと思わなアカン。最近、オモロいことを言ってくれるのに慣れっこになってはいませんか? 僕ね、文化を支えるのは芸人やタレントじゃなくて、ユーザーだと思うんです。かつては城主というパトロンがいて、芸術家を保護していたでしょ。今パトロンは国民、ユーザーなんですよ。それなのに、みんな支えることからは逃げようとする。オモロそうな可能性のあるヤツは長い目で見守っていかんと。その猶予期間が文化を深くさせるんです。今はなんでもその日暮らし的に判断してしまって、一回見ただけで「オモンないな」とか平気で言うでしょ。これは芸人さんが増えたことの一つの弊害で、素人なのに笑いを評価する風潮ができてしまったんですね。どんなに芸人さんが頑張っても、受け皿であるユーザーがそれを受け取るだけの文化的素地がなかったら何も育たないですよ。 ――見る側の歩み寄りが大切だと。 西田 僕ね、今こそ若い世代がSNSの力を発揮するときだと思うんです。SNSを使って煽って盛り上げて、大人がまったく理解できない同世代のスターを作り上げるんです。それこそ間違ってたっていい。なんていうか、見る側の人間がもっとテレビに近づいてきてほしいんですよ。もう作り手側のアプローチはやり尽くしましたから。それが未来の正しいテレビのカタチじゃないでしょうか。 (取材・文=西澤千央) ●にしだ・じろう 1965年生まれ。大阪府寝屋川市出身。読売テレビのチーフプロデューサー・演出家。『ダウンタウンDX』や『ガリゲル』などの人気お笑い番組を多数手がける。

「タレント」という呼び名が私を変えた~デヴィ夫人がどんなオファーも断らない理由~

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撮影=後藤秀二
 歯に衣着せぬ物言いで、芸能界になくてはならない存在となったデヴィ夫人。元インドネシア大統領夫人という経歴を持ち、多くのセレブリティと交流を持つ彼女が、いつからだろうか、ジャージで泥だらけになりながら自転車に乗ったり、瓦割りをしたり、時にははるか上空からスカイダイビングしたり……リアクション芸人たちのお株を奪うような活躍を見せるようになったのは。夫人が体を張るその理由と、そこに至るまでの葛藤を、視聴者おなじみの豪華すぎるリビングで伺った。 ――単刀直入にお伺いいたしますが、「デヴィ夫人は、どんなオファーも断らない」という都市伝説は本当ですか? デヴィ フフフ。入ってきたお仕事は全部こなしたい、という気持ちはありますね。私はさまざまなことに対して挑戦する気持ちを、いつまでも持っていたいと思っているんです。挑戦する気持ちを失った時が、自分が年を取ったということになるんじゃないでしょうか。若さを保つには、何事にも好奇心を持って、興味を持って、探究心を持って挑むことが大事。 ――だから信じられないくらい若々しいのですね。 デヴィ みなさん私のことを非常にインドアな女性だと思っているでしょ? いつもきらびやかなドレスを着て、宝石を身にまとってっていう。全然違うの。人を驚かせるイタズラが大好き。少女時代はガキ大将でしたから。アウトドア・タイプです。 ――あの美貌でガキ大将!? デヴィ そう。スポーツも大好きで、今でも年に一度はスキーに行きます。水上スキーもスキューバも。海水に30m潜水できるライセンスも持っているのよ。ヨーロッパに行けば馬術。ゴルフはクラブがまだ木だった頃から。しないのは……そうね、野球とボクシングくらい(笑)。アナタ、『世界の果てまでイッテQ!』のイルカとのショーの回はご覧になりました? ――はい。あれは本当にすごかった……。 デヴィ ホホホ。本当に大変でしたのよ。ほら、この傷(※向こう脛に数カ所擦り傷アリ)は、あの時のね。海で泳いでいるわけではないので、自分が作った波が壁にぶつかって戻ってくるんです。そこをバランス取らなければならないので、すごく疲れる。プールの高い壁に何度も足を打ちつけられましたし。やっている時は夢中なので痛みも感じないんですけど、終わったら青アザだらけ。 ――イルカの上に乗ってプールを一周する技は、特に難しそうでした。 デヴィ あぁ“サーフィン”ね。あれは絶望的にできなかったんですけれども、最後にやっとコツがわかって。基本的に全部、練習の時のほうが上手にできたわね。本番は時間に追われちゃって。出川(哲朗)さんも練習のほうがよかったんじゃないかしら。 ――あれらはすべて4日間で会得されたんですよね? デヴィ そうですね、3日と半日くらいでしたね。本来水族館の人たちが、1年~1年半かけて覚えるところを、私たちは3日半で覚えなければならなかったの。 ――そもそもイルカショーに出ることが、すごいことだと思うのですが。特にデヴィ夫人の年齢で。 デヴィ 騙されたんです。「海でイルカと泳ぎたい」って言ったら、ああいうことになっただけで。 ――(笑)。出川さんとの相性はいかがですか? デヴィ そうですね。彼はすごくお行儀のいい、真面目な人なんですね。私がそう言うと「営業妨害です」って嫌がられますけど(笑)。でも、日本で一番抱かれたくない男とか、一番モテない男とか、そのキャラを全うしてるのは立派だと思いますね。実際は、いいとこの坊やですのよ。横浜の海苔屋さんの息子さんで。 IMG_8688.jpg ――プロフェッショナルなんですね。 デヴィ あの方は完璧な「アクション芸人」ですから。 ――……リアクション芸人でしょうか。 デヴィ そう! リアクション! 温泉湯に足突っ込んで「アツアツ~」ってね。私手を突っ込んでみたら、全然熱くないんですよ。 ――(苦笑)。リアクション芸人として、出川さんから学ぶことはありますか? デヴィ 彼は与えられた仕事を完璧にこなすでしょ。私自身も期待されていることを全うして、見ている人に楽しんでもらえるいいものができればいいという感じになっていますね。 ――以前サイゾーでインタビューさせていただいた頃(2007年10月)は、ご意見番的な立場でテレビ出演されることが多かったと思うのですが、徐々に体を張る方向にシフトしていきましたよね。 デヴィ それこそ、私のチャレンジ精神ね。私の年齢でああいうことをするって、人間の大いなる可能性ではないですか。みなさんに元気や夢、希望を与える存在に今なりつつあると思うんですよ。だんだんやることがエスカレートしていますけど(笑)。 ――体を張る大変なお仕事を受けるようになったきっかけは? デヴィ 何からでしょうね……えっと、やっぱり『イッテQ』や『うわっ!ダマされた大賞』ですかね。スタッフの方も、最初はビクビクしながら「こんなこと、お願いできますか……?」って訊いてきていたんですよ。それを私がすべて見事にこなしてしまうので、だんだんと大胆になってきて、今じゃ「これもあれも」と。高所恐怖症なのに、バンジージャンプもしました。普通のバンジーじゃなくて、橋の上からのね。あれは本当に怖かったですね。 ――高所恐怖症でバンジー……。 デヴィ あの時はバンジージャンプと川下りがあって、私コロラドリバーで川下りはよくしていたので「それならいいわ」と。川下りをやればバンジーはやらなくてもいいって思っていたの。そしたら両方ですって、アナタ。私が苦い顔をすると監督さんがあまりにがっくりして頭を抱え込んでしまったので、お気の毒で「無理です」とは言えなかったわ(笑)。人生最初のバンジーはマザー牧場というところで、私が催眠術にかかってバンジーができちゃうっていう企画でした。はたから催眠術なんて信じていませんが、私が飛ばなかったら催眠術が偽物だって証明することになっちゃうでしょ。その時も、その催眠術師を助けるために飛びましたよ。 ――さすがにこれは無理……という企画は? デヴィ 私、ジェットコースターがダメなの。絶対乗れない。できないのは、ジェットコースターとマラソンね。 ――しかし、今までマラソンよりジェットコースターより厳しいことを、たくさんされてきたと思いますが。 デヴィ いいえ、マラソンはね、あれは心臓と肺活量の問題ですから。私、肺活量が少ないんです。 ――スカイダイビングとか、イルカショーとか、以前ナイナイの番組で瓦割りにも挑戦されていました。セレブなお仲間たちから「そんなこともするの?」と驚かれませんか? デヴィ それはもう年がら年中(笑)。「ビックリしましたよ。アナタ怖くないの?」って。そりゃスカイダイビングなんて4,000mから飛び降りるわけですから、その瞬間は、それこそ南無阿弥陀仏よ。でも、落ちた途端の美しさや終わった後の達成感から比べたら、どうってことないわよ。私、あと30年は生きたいと思っているの。やっぱり元気の秘訣は、いい仕事をして充実感を得ること、それから楽しくよく遊ぶこと。どんなに仕事で疲れても、時間さえあれば銀座に行ってよく飲んでますのよ。ほとんどの方は毎日を「生活」していますが、私は毎日を「生きて」いる。この差、わかります? IMG_8709.jpg ――なんとなく過ごすのではなく、その時その時を真剣にということですか? デヴィ そう。仕事も遊びも限界を決めない。 ――夫人が、これからやってみたいと思う企画はありますか? デヴィ だんだんすることがなくなってきて(笑)。これから何をしたらいいのかしら……。そもそもあの人たち(テレビスタッフ)は、私が出した提案は絶対採用しないの。南極に行きたいわって言ったら、「1人2,000万かかる」で終わり。地球上で唯一アメリカのイエローストーンにいるアメーバーが見たいって言ってるのに、それもダメ。「NHKの番組になっちゃう」って。イモトさんは結構いろいろなところに行ってるのに。 ――やはりギャップが欲しいんじゃないですか……? デヴィ夫人のパブリックイメージとのギャップが。 デヴィ カナダの大森林で、クマがパシーンって鮭を獲るのも見たいし。 ――(聞いてない……) デヴィ そうそう、アマゾンの奥地にすごいブルーの蝶がいっぱいいるんですよ。キラキラ光る玉虫色の。それを獲りに行きたいって言ってるのに「アマゾンは大変です」でおしまい! ――(……) デヴィ バイカル湖にもプライベートで2回くらい行ってますけど、あの奥にかわいらしいペンギンがいたなんて、その時は知らなかったの。イモトさんは、それを見ているのよ! なんてうらやましい! そういう意味でイモトさんは私のライバルね。 ――まさか夫人のライバルがイモトだったとは!! デヴィ 彼女、私のしたいこと、行きたいところ、全部制覇しちゃってるのよ! ――最後にひとつ教えてください。夫人は、どういう肩書で呼ぶのが正しいのでしょうか? デヴィ やはり何十年「デヴィ夫人」と呼ばれてきましたから、それが芸名みたいになっていますね。スカルノというのは偉大な名前であり政治的な意味もありますので、あまりテレビに出るときには向かない気がします。外交団のレセプションパーティーや晩さん会などでは「デヴィ・スカルノ夫人」となるわけですが。だから逆に「デヴィ夫人」という名前は、ひとつのスイッチになっているともいえますね。  思えば、大統領夫人から社交界の華になり、ビジネスウーマンになってまた社交界に戻り、そして今日本にいる。ずっと「大統領夫人」という肩書で生きてきたのに、日本でのテレビ出演が増えるに従って「タレント」と呼ばれるようになりました。私それがすごいショックで。いつの間にか、私はタレントになっちゃったんだって……。それを自分の中で消化したときに、オファーされた仕事はなんでも受けようと心に決めたんです。そこで殻を脱いだのね。「大統領夫人」という立場も「東洋の真珠」と呼ばれた過去も。ただ余生は思い切り楽しんで生きようと決心しました。それまでは日本に帰るなんて頭の片隅にもなかったんです。私は日本を追い出されたと思っていますし、日本のマスコミとの40年にわたる戦いもありました。彼らに叩かれて叩かれて、抹殺されんばかりでしたから。私の間違った既成概念を作ったのは日本のマスコミです。 ――そのかたくなな気持ちを変えたのが、「タレント」という呼び名だったと。 デヴィ 私の中で「革命」でした。あぁ、それならそうやって生きてやると。プロのタレントとしてね。今まで世界中の王侯貴族とお付き合いしたり、スーパーセレブの方たちと世界の素晴らしい舞台に立ってきましたが、もうそういうことに未練はありません。今は、日本が私にとって最後の場所になるんだと思っています。これからは今まで私が得た幸せを、いろんな形で世の中に還元していけばいい。それは動物愛護やチャリティーね。皆さん意外とご存じないですけど、私テレビの仕事と同じくらいチャリティー活動をしているんですよ。これは最後に、ぜひ書いておいてくださいね。 (取材・文=西澤千央) ●ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 1940年生まれ。59年、インドネシアの初代大統領スカルノと結婚。日イ友好協会名誉会長に就任し、両国の文化交流、親善に努める。スカルノ政権崩壊後、パリに亡命した後は社交界で活躍。“東洋の真珠”と賛美され続けている。現在は、ボランティアに注力して、野生動物や熱帯雨林の保護、先住民の権利保護など、さまざまな環境保護活動を行っている。 公式ブログ <http://ameblo.jp/dewisukarno/>

イメージは“四枚目”な仮面ライダー!?「もしもVシネの帝王が、16歳の高校生を演じたら……」

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撮影=後藤秀二
 もはや、Vシネの帝王なんて枕詞すら不要。その存在感と演技力で男臭いファン層を獲得している竹内力。来年、50歳を迎える彼が主演する最新作は、16歳の高校生役を演じた『バトル・オブ・ヒロミくん!~The High School SAMURAI BOY~』(10月5日公開)だ。16歳らしい物腰や雰囲気などまるでナシ。眼力と胆力で全国総番長を目指す16歳男子を怪演した竹内力は、演じることについてどんな考えを持っているのだろうか? ――『バトル・オブ・ヒロミくん!~』は、アクションがキレキレでしたね。 竹内力(以下、力) ハリウッドに比べるとアクションシーンはまだまだだけど、逆に言うとCGを全然使ってないからね。ワイヤーとか使ってないんで、それで迫力を出さなきゃいけない。そこはおじさんの割に頑張りました(笑)。 ――今回は16歳の高校生役を演じてますが、こちらも頑張りました?  いや、16歳っていう年齢は全然意識してないね。今作は製作もやっていて、“ヒロミくん”というキャラクターも、もともとオレが作ったものだから。 ――演じる上で、特に制約はなかったんですか?  制約というよりも、仮面ライダーを“四枚目”で演じたらこうなるのかなぁっていうのは、オレの中にあって、それをお茶目に出した感じかな。 ――なるほど。ヒロミくんのキャラは、まさにそうですね。劇中で、ヒロミくんが白目になったりしますが、あれは監督の演出ですか?  あれは、オレの独断(笑)。製作にも関わってるし、この年になったら、細かい演出はあまりされないですよ。 ――アドリブで白目ですか! 台本とストーリーがあれば、あとは任せてもらえる、と?  監督も「ここは竹内力でやってくれ」というお任せの指示で。あとは、その期待の上をいく芝居をするだけだから。 ――本作は、笑わせるシーンも多いですが、シリアスなシーンもあって、全体的にメリハリがある作品だと思います。  例えば、ハリウッド映画の大作でも、DVDを借りてきて家で見ると、タバコを吸うときに火をつけたり、お菓子に手を伸ばしたりとか、(お客さんの)目線が画面から離れるのが、オレらにしてみれば悔しいんですよ。需要と供給のバランスが崩れるというか。一瞬たりとも見逃してほしくない。本作は劇場公開されるし、一瞬一瞬、どこでまばたきをするか、しないか、その部分を計算して芝居しているんで、その0.5秒を見逃されると、俳優として悔しい部分ってあるんですよ。最後まで見たときに、つまらなかった、面白かった、寝てしまったなどなど、お客さんの感想で勝ち負けが決まる。1800円払って、だまされたと思うか、その価値があったかどうか、ね。 _MG_3528.jpg ――いつも、“勝負”の意識というのがあるんですか?  もちろん! 主役の作品に関しては、主役だから作品に対して口出しできる部分ってのがある。監督とかプロデューサーにも、言うべきところは言う。脇役で入ってるときはお邪魔してる感じなので、それは減るけど。主役がいるし、それで現場を崩してはいけないから。 ――製作としても作品に関わることが多いと思いますが、監督はやらないんですか?  昔は助監督を何年も経て、ようやく監督になれたけど、今ではいろんな方たちが助監督をすっ飛ばして映画監督になっちゃって、監督業がすごく身近な職業みたいになってきたと感じるんです。時代とテクノロジーの変化と共に。自分のところにも「映画監督をやりませんか?」っていう話が来たけれど、乗っからなかった。俺の中では、監督はプロフェッショナルな仕事だと思ってますから。 ――プロデューサー業とは、また違うんですね。  製作はプロデューサーが何人かいて、チームプレイでやっているからね。オレだって、製作全体の20%くらいだよ。監督の場合は、それが100%じゃないといけない。そうじゃなきゃ、監督って名乗っちゃいけないよ。 ――ちなみに、俳優や製作以外でも、最近、バラエティにもよく出られてますよね。ああいった番組に出ることは、実はお好きだったり?  普通に家でバラエティ番組を見てる感じですよ。それを撮られているだけで、振られたらなんかしゃべろうかなって。クイズ番組とかでも、家で見てたら普通に考えて、答えたりするじゃないですか。そのまんまですよ。 ――バラエティ番組では、俳優・竹内力をあまり意識しない?  むしろ「普段はこうだよ」っていうのを伝えたいんだよね。ダジャレも言うし。そこでキャメラを意識しちゃったら、疲れちゃうし、全部を演じていたら大変だよ。 _MG_3521.jpg ――バラエティに出ている力さんは比較的、素の部分が出てるんですね。音楽に関してはどうですか? 個人的に、RIKIさんが「完全無欠のロックンローラー」や「燃えろいい女」なんかをカバーしたアルバム『男唄』が大好きなんですよ!  お、ありがとう! うちの公務員の実兄も車でよく聴いてくれてて、「弟はいい詞を書くなー」って思ってくれてるみたい(笑)。実は、来年に新作を出すんですよ。 ――お! 今度はどんな感じに!?  これまでとは、違った雰囲気だね。今はそこまでしか言えないな。 ――NHK『みんなのうた』の10~11月でも「回れトロイカ」を歌いますよね?  まわ~れトロイカ~♪ってね。 ――生歌が聴けた! 『バトル・オブ・ヒロミくん~』のエンディング曲「男の時代」も好きです!  演歌が好きなんで、タイトルも詞も、男の演歌っぽくしたんですよ。ポイントはセリフを入れてるところね。最近、そういうタイプの演歌が少ないから。で、曲が終わったかと思うと、また始まるという、ちょっと冗談っぽくしてね。アイデアはどんどん出てくるんですよ。 ――演歌が好きとは、意外でした。  音楽は、ロックでもムード歌謡でもなんでも好きだよ。最近、男性の演歌歌手って少ないじゃん。 ――まして、男臭い演歌歌手って最近あまりいないですよね。  そうでしょ!  ――もともと、歌手に憧れはあったんですか?  学生時代は文化祭や文化ホールでバンド組んでやってたね。「お前、ドラムやれ。お前はギター、オレはボーカルな」って。楽器の練習しなくていいから。覚えるの歌詞くらいじゃん? それでもカンペ見ながら歌ったりしてたけど、ずっとそれで押し通してきたから(笑)。 ――音楽に関しても、期待してますよ! ちょっと話は戻って、力さん来年正月で50歳じゃないですか。今年から来年にかけて集大成的な部分って、ご自身の中にありますか?  50歳だからじゃなくて、毎年思ってますよ。階段を一歩ずつ上がりたいなって。昔からずーっと思ってた。なかなか階段を上がれなかったり、踏み外したり、転げ落ちたり、何段か飛ばして踊り場まで着いたけど、そこで調子に乗ってそこからまた落ちたり、だまされたりね。 ――ずっと順調というわけではなかったんですね。最近はいかがです?  今まで続けてきた中で、今やっと実がなって、花開く時期がこの50歳じゃないかなとは思うんです。詳しいことは言えないけど、うちの会社で製作した来春公開の素晴らしい映画が控えてますし。それがひとつの集大成になるかな。それでドカン! とかまして、今はその後に続く作品の企画を考えているんですよ。それはVシネの集大成になるかな。今の日本で、オレみたいなこういうキャラクターを作れる人って、オレしかいないぞっていう区切り。来春公開の映画は、今オレが死んだとしても公開されるんで、安心はしてますけど。でも、後ろから押さないでくれよ! ――そんなの怖くてできるわけないじゃないですか! 今日はありがとうございました! (取材・文=高橋ダイスケ) hiromi_main_large.jpg ●『バトル・オブ・ヒロミくん!~The High School SAMURAI BOY~』 監督・脚本:宮坂武志 製作総指揮:竹内力 出演:竹内力、栞菜、倉葉さや、根岸大介、中野裕斗、山口祥行、鈴木希依子、伊崎央登、林田直樹、鎌田雅弘 主題歌:竹内力「男の時代」 配給:RIKIプロジェクト 2013年10月5日(土)より、キネカ大森、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開

体力の限界? 業界への不満? “ミスターAV男優”加藤鷹が卒業を決意した、ホントの理由

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 昔はすんごくアンダーグラウンドだったものの、今ではすっかり市民権を得てメジャーな存在となっているアダルトビデオ。毎月毎月、無数のタイトルが発売されているけど、それでもよっぽどのAVマニア以外の人にとっては、いまだにAV男優=加藤鷹というイメージが強いのではないだろうか。  そんな、ミスターAV男優・加藤鷹が先日、年内いっぱいでAV男優から卒業することを発表した。  27年間、現役AV男優として活躍し、今まで共演した女優さんは8,000人以上ともいわれている鷹さんだが、さすがに御年54歳、AV男優をやるには体力的にムリがあるのだろうか……!? 果たして鷹さんが卒業を決意した真の理由とは? ■「加藤鷹は、もうAVを辞めた」というデマが流れていた ――先日、今年いっぱいで引退すると発表されましたが、その辺の話を聞きたいんですが……。 加藤鷹 いや引退じゃないから、卒業ね! AV男優を卒業するだけだから。今、オレの全活動においてAVっていうのは20%くらいなんで、「引退」って言っちゃうと、ほかの活動も全部辞めちゃうイメージあるじゃない? AKB48だって、卒業したからって芸能界を辞めるわけじゃないでしょ? だからAVD(AV男優)48卒業って言ってるんだけど(笑)。 ――しかし、AV女優さんならともかく、AV男優さんで卒業をちゃんと表明する人って珍しいんじゃないですか?  うん、わざわざ発表する人なんて今までいなかったと思うよ。 ――あえてそれを発表したというのは?  デマが多いから。3年くらい前から、「加藤鷹は、もうAVを辞めた」っていうデマが広まっていたんだよ。 ――えっ、そうなんですか?  新人の女優さんが入ってくると、「せっかくこの業界に入ったからには1回、加藤鷹と仕事してみたいなぁー」って指名してくれることがあるのね。でも、そこでスタッフが「もう芸能ばっかりで、AVはやってないみたいですよ」とか言ってるらしくて。オレは辞めるとか辞めないとか一度も言ったことがないのに。後に、その子と現場で一緒になった時に「まだやってるんですね」なんて言われたりして。女の子経由でそういう話が入ってくるんですよ。 ――なんでそんなデマを流すんですかね?  スタッフが、めんどくさいだけなんだよ。昔は女優さんが男優を指名するって普通だったんだけど、最近はスタッフ側のペースが崩れちゃうからイヤがるみたい。まあ、自分たちが決めた男優でやってくれたほうが楽だろうからね。だから、使いやすくてギャラも安い男優が重宝されるわけ。今は大量生産・低コストだから、いかにお金を使わないかってことしか考えてない。ちょっとでもいいモノを作りたいって考えてる人が、いなくなっちゃったんだよね。 ――確かにAVって、毎月メチャクチャ出てますからねぇ。  最近の若手に聞くと、1回現場に入ると3本撮りはしているって聞くもん。ヘタしたら5本撮りとか……1日の撮影で5本DVDが作られているってことだよ! ――そういう場合でも、ギャラは一緒なんですか?  1日拘束されていくら、だからね。その辺はホントにいい加減。別に午前0時をまたいだからって、2日分ってこともないし……。そんな状態のまま、AV業界が大きくなりすぎちゃったんだよね。だって、オレが男優になった27年くらい前なんて、年間で1万タイトルも出てなかったんだよ。せいぜい7000~8000タイトル。それが今、年間10万タイトルくらい発売されているからね。15倍くらいになってるの。それでいて、トータルで売れてる量はむしろ減ってるんだから。発売されるAVの9割近くは1,000本も売れてないらしいし、そうなると「ちょっとでもいいモノを!」……なんて考えられなくなっちゃうよね。 P1120330.jpg ■仕事なんて、好き嫌いでやるもんじゃない ――ところで、鷹さんってもともとAV男優どころか、AV業界志望ですらなかったんですよね。  今でも別に男優志望じゃないからね(笑)。 ――えーっ、27年もやってきて!  別に、やりたくて始めたわけじゃないから。今の人たちは、自分のやりたい、好きな仕事がないからってニートになったりするけど、オレからしたら仕事なんて好き嫌いでやるもんじゃないからね。先日引退を発表したヤクルトスワローズの宮本慎也がいいこと言ってたけど「好きで始めた野球だけど、プロに入った瞬間に野球が仕事になった。今は楽しむなんてできない」って。とりあえず、好きでも嫌いでも働いてなきゃダメですよ、人間。就職できなかったら、マクドナルドでバイトするでもいいじゃない。そこで社員に誘われるかもしれないし、何かを見いだすかもしれないわけで。それが面白いんだから。 ――で、そんな鷹さんがAV男優になったきっかけって、なんだったんですか?  もともとはなんの目標もなく、金も持たずに東京に出てきちゃったんで、とにかく日銭を稼いで食っていかなくちゃならなかったんだよ。それで最初はテレビの制作会社に入ろうと思ったの。地元(秋田)にいた頃、カメラマンをやってたから。でも、ことごとく断られて、「テレビだと難しいけど、AV業界だったら入れるんじゃない?」と言われたんで、「なるほど、そういう業界もあるのかー」って。それで、当時「アップル通信」とか見ると巻末にメーカー一覧が載ってたから、片っ端から連絡してみて。「なんでもやるなら使ってやる」って言われて、この業界に入ったんだよね。 ――最初は、制作スタッフ側だったんですね。  そう、ホントになんでもやったよ。機材を運んだり、照明を片付けたり、運転手もやったし……。女優さんが窓際に立っておしっこするのを、ゆうたろうが持ってるようなブランデーグラスで受けたりもした。たぶん、あれがオレのAV初出演シーンだと思うけど(笑)。で、そうやってなんでも一生懸命やるから上から気に入られて、営業部長から「営業に来ないか」って誘われたの。 ――それは相当気に入られたんですね。  でも、営業って秋田にいる頃にやったことがあったんで、同じことはやりたくないなって……。とはいえ、それを断るとなると、同じ会社なんで制作にもいづらいじゃない。そこで「男優になったら、もっと稼げるかな」と思って先輩に相談したら、「電話してやるから、ダメ元でやってみ」って。 ――そうやって偶然が積み重なって始めたAV男優が、向いていたっていうことですか。  うーん、今でもあまりうまくできてる感はないんだけどね」 ――でも、やはり鷹さんといえばザ・AV男優というイメージは強いですし、ほかの人たちとの差別化は考えたんじゃないですか?  うーん……差別化を考えたことがあるとすれば、とにかく「実績を残してギャラを上げていく」ってことだよね。 ――ああ、AV男優の中には、その発想がない人も多そうですよね。  それ仕事じゃないよね、趣味でしょ。オレは最初から仕事って考えてたから、費用対効果は考えるよね。「これだけの労働で、これは安いよな」って。もちろん、「ギャラを上げて」って言う前に、やることをちゃんとやって。 ――よく言われますけど、男優のギャラってそんなに悪いんですか?  まあ、みんなスタートは1万円だよね。日雇い人夫と一緒。そうなると、かけ算でしかないから、30日仕事すれば30万円。それが2万円になれば60万円。4万だったら100万超えるな、とか。オレ、商業高校卒業だから、そういうことばっか考えちゃうの(笑)。わりと3万円くらいまではすぐに上がったんだけど、そこからが大変で……。当時、5万以上もらってる男優さんっていなかったから、なかなかそれ以上にはならなかったね。先輩たちを追い越すまでに、20年近くかかったもん。 ――時間はかかったとはいえ、それだけ鷹さんの実力が評価されたということですよね。  当時は、男優さんの力量を大事に思っていてくれた、っていうのもあるだろうね。たとえほかのヤツより1~2万高くても、オレに頼みたいっていう人がいっぱいいたの。今は予算もキビシイから、クオリティーよりもその1~2万がもったいないという発想になっちゃう。 ――確かに、クオリティーを求めなければ、安くても男優をやりたいって人はいくらでも見つかりそうですしね。 P1120341.jpg  本当にいいモノを作りたいと思っていれば、たとえば監督が自分のギャラを多少減らして……っていう発想になると思うんだけど、今、そういう発想でAV撮ってるのってTOHJIRO(AVメーカー「ドグマ」代表取締役)くらいしかいないと思うんだよね。あの人はもともと映画屋さんだから。黒澤明の時代から、映画を作る人は銭金なんてどうでもいいんだよ。自分の撮りたいモノを作って、それで赤字になっても関係ない、みたいな。まあ、それが許されない時代なんだろうけどね。だから、日本映画もアダルトビデオもショボくなってるよ。 ――サラリーマン気質の監督が増えているということですかね?  もう監督ともいえないよ。会社から「こういうの撮って」という紙が来て、その通りに作るということしか考えてないんだから。別に昔がよかったとも思わないけど、単純に志が高い人間が多かったような気がする。「給料が安くても、エロ好きだからいいんですよ!」っていうヤツがいっぱいたからね。だから、よく「鷹さんに続くスター男優が出てきませんね」なんて言われるけど、別に若手が悪いわけじゃなくて、スター男優を育てられない今の業界自体に問題があると思う。 ■国会議員・加藤鷹誕生!? ――AV男優卒業の話に戻りますけど、いつか辞めるだろうなっていう発想はあったんですか?  5~6年前まではなかったね。 ――その頃、何があったんですか?  ずーっと、AV男優っていう肩書にこだわりもあったし、現役であるということにもこだわりがあったんだけど、やっぱり痛々しく見えたらアウトだな……って思いだしたのが5~6年前の話。ジャイアント馬場みたいに、周りからどう思われようと生涯現役みたいな生き方も美しいとは思うけどね。それに、「加藤鷹」というイメージが強すぎて、自分のやりたいと思っていることと世間のイメージが合わないというジレンマは感じていたんで。 ――やりたいことというのは?  たとえば、よく女性雑誌なんかで性の悩みを抱えている女性の相談に乗ったり……という企画があるんだけど、そこでオレに求められるのはAV男優としての軽いコメントなんだよね。ヘタな性教育の先生よりも、性の知識は豊富だと思うし、本当はもっと真剣に悩みに答えてあげたいという気持ちも持っているんだけど、「AV男優」という肩書があるうちはなかなか難しいな、とか。 ――確かに鷹さん、イベントなどでは真面目にその辺を語ったりしますしね。  だから「いつか離れるべきなのか?」「いつか辞める時が来るだろうな」というのは少しずつ考えるようになって。んで、決め手になったのが2年前に親父が亡くなったこと。オレも今、54歳だし、仕事をバリバリやれるのも、あとせいぜい10年くらいかなって思って……。その10年で何をやりたいか、と考えていったらAVから離れるのもいいかなと。 ――今後、一番やりたいことってなんですか?  うーん、まあ今年いっぱいはAVも続けるし、それからのことは模索中だよね。でも実は去年、会社を作ったの。 ――えっ、なんの会社なんですか?  会社の定款に書かなきゃいけないんで、アプリの制作だ、飲食業だ……と、なんでもかんでも入れちゃったよ。もう、なんでも屋状態。それで会社の名前は「株式会社 加藤鷹商店」(笑)。もちろん、今までやって来たことと、まるっきり無関係なことはしないとは思うけどね。 ――じゃあ、今後は会社社長として頑張っていくわけですね。  社員ゼロだけど(笑)。それと、以前からお世話になっていた性教育の先生が、去年の衆議院選で国会議員になって。その先生から、冗談半分に「議員にならないか」って誘われてたりもするんだけど。 ――おおーっ、まさかの政界進出! 鷹さんの知名度だったら、AV業界から初の国会議員もあり得ますよ!  昔、「AV新党」ってのもあったけどねぇ(笑)。まあ、今年いっぱいでAV男優を卒業してからが本当にスタートだと思っているので、そんなに期待しないで待っていてください! (取材・文・写真=北村ヂン)

「赤羽は、僕の創造力をはるかに凌駕している」赤羽漫画家×犯罪ジャーナリストの異色対談【後編】

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■前編はこちらから 丸山 清野さんは先ほど「本当にとんでもないものは、路地裏にある」とおっしゃっていましたが、『知らない街』でも怪人「三本足のサリーちゃん」にまつわる怖い話を描いていますよね。こういう怪奇的な話は好きなんですか? 清野 昔から好きですね。板橋にも、高島平の自殺団地とかそういうことがちょくちょくありますけど、赤羽は本当にそういう話が多いんですよ。雑誌に載るレベルではないのですが、そのへんにいる人からも怖い話が出てきてゾッとするんですよね。 丸山 最近聞いて、怖かった話はありますか? 清野 とある不動産屋さんが匿名で裏事情を書いているサイトがあって、そこでゾッとする記事を見つけました。僕が昔住んでいたアパートでの、ちょっと不幸な事件について書かれていたんですよ。 丸山 えっ……まさかの展開ですね。 清野 確かにそのアパートに住んでいた頃、いろいろあったんですよ。やけに高くて暗いロフトがあったんですけど、そこから物音や人の気配がして。壁が薄かったので隣の部屋かなと思っていたのですが、調べたら、もうとっくに引っ越して空室で。料理している時にも、換気扇から長い髪の毛みたいなものが垂れ出ていて、それを見た時に「髪の毛ではなくて、謎の物体と目が合った」と直感的に思っちゃったんです。その瞬間、髪の毛がニュルニュル~と換気扇に吸い込まれていって。 丸山 まだ漫画家として、あまり売れていない時に住んでいたんですか? 清野 そうです。なぜかいつも家に帰りたくなくて、それが知らない街に繰り出す原因のひとつでもあったんです。当時は無職で、全然お金がなかったにもかかわらず、結局4年で引っ越したんです。まあ、今振り返ると、オバケ的な話は全部僕の妄想でしょうけどね。あの時、ノイローゼ気味でしたし。今振り返ると、実に住み心地のいい、素晴らしいアパートでしたよ。機会があったら、また住みたいです\(^o^)/ 丸山 ……そのほかにも、赤羽には根深くて怖いネタがありそうですね。 清野 うーん、赤水門という赤羽で一番有名な心霊スポットがあるのですが、荒川に飛び込んだ人が昔から流れ着いているところなんです。水門の先にあるちょっとした中州は鬱蒼としていて、昼なのに暗くどんよりしている。中州にはベンチが置いてあって、ベンチの横に木があるんですが、そこでよく人が首を吊るんですね。「どうぞ死んでください」という感じで、ベンチに立って首を吊れるように配置してあるんです。僕の知り合いの居酒屋のマスターが早朝散歩しにいくと、ちょくちょく吊られているんですって。 丸山 それは、人が首吊っているってこと? 清野 そうなんです。自殺です。つい最近も赤羽でゲリラ豪雨があったんですが、3人の釣り人が中州で釣りをしていて、雨が降りだしたので一時的にそのいわくつきの木の下に避難したら、その瞬間、雷が落ちた。一人が亡くなり、一人心肺停止で、一人は生き残ったんですけど、あの場所には木がたくさんあるのに、なんであの木に落ちたんだろうと思うんですよね。『赤羽』にも、いくつかそういう心霊的な話も出てきますが、相当オブラートに包んで描いていますね。やっぱり住んでいる人もいるので。 ■清野とおる、街取材の極意とは? 丸山 赤羽愛にあふれる清野さんだけに、赤羽のスナックに行ったら、清野さんのサイン色紙がたくさんありそうですね。 清野 あることはありますけど、実際そんなに名乗ることはないので。一人で飲む時はたいてい、スーツ着てビジネスバッグを持って、サラリーマンの体で行くんです。 丸山 潜入取材にしても、相当徹底していますね(笑)。取材中に話を振られた時のための、架空の設定ってあるんですか? 清野 それがまた面白いんですよ。その都度、いろいろな設定を考えているんです。店に若い客がいたら「俺、mixi作ってんだよ」とか言ったりして。 丸山 身分偽装することで、聞き出せる話も多いんですか? 清野 そうですね。あとはちょっと変身願望もあって、私服で普通にスナックに行っても、いつもの低いテンションのままなんですけど、スーツを着て設定を考えて、お酒の勢いでそれを貫き通すと、普段の自分とは全然別の人格が出てくるんですよ。その人格がお店の人たちとうまいこと意気投合して仲良くなれた時の達成感はすごいです。  『知らない街』では私服で歩きましたが、ほかの取材はたいていスーツですね。カバンの中には一応ノートパソコンを入れています。変身のためのアイテムは、『赤羽』の連載が始まって、ある程度お金に余裕ができた時に買いました。最初は汚い安物のカバンを使っていたんですけど、スナックって意外とそういうところを見るんですよね。なので、そのカバンは燃やして、新宿でブランド物のビジネスバッグを買って(笑)。最初の頃は私服でスナックに行くと、まだ営業時間なのに「ごめんなさい、今日終わっちゃったの」とか「予約で埋まっているの」と断られることが何度もあったんです。初見のペーペーの若者ですから、不審に思ったんでしょうね。でもスーツ着てカバン持って行くようになってからは、100%入れてもらえます。 丸山 出張族かもしれないし、サラリーマンなら継続してお金を落としてくれるかもしれないと思ってもらえる。そこまで客商売に精通したら、いよいよ赤羽でスナックを経営したりとかしないんですか? 清野 いや、接客は僕は無理ですね。一番無理だと思う理由は、「地縛客」と呼んでいるのですが、大してお金を落とさないにもかかわらず、延々といる客。自分のどうでもいい話をマスターに聞かせたりして。僕、それで気が狂っちゃった店主を知ってるんですよ。赤羽駅からちょっと離れた場所にある喫茶店なんですけど、行くたびにおっさんがコーヒー1杯だけ飲んでいて、マスターにずっと話しかけているんです。マスターも「はい、そうですね」「ははは」とか生返事なんですけど、毎日いるんですよ、そのおっさん。開店から閉店まで。それである日行ったら、潰れていた。あんな客の相手してたら、気がいくらあっても狂い足りないですよ。 丸山 それはキツいですね……。 清野 どこの店にも、絶対に常連客がいるんです。この『知らない街』の取材でも、どの店に行っても常連とおぼしき人が必ずいました。寂しくて、居場所が欲しいんでしょうね。 ■清野流・スナック攻略法 丸山 スナック攻略のツボって、例えばどんなものがあるんですか? 清野 企業秘密なので、全部は話せませんけど(笑)。例えば入店時、いきなりドアを開けるのではなく、入る前に耳を澄ませて、中の様子をうかがうんです。カラオケで盛り上がっている店は、歌っている最中は人と話せないのでなるべく避けますね。入るとしても、歌が終わってから。ママは、そういうところを見ているんです。座る位置もママに聞いて、最初はおとなしく飲むんですけど、常連が歌い始めたら飲むのをやめて、歌っている人のほうに姿勢ごと向けるんです。間奏の時は拍手して終わったあと「うまいっすね~」とか言うと、まずその常連は味方になってくれる。あと、なるべくトイレから離れた席に座って、トイレに行く時はママに一言「トイレお借りしてもいいですか?」と聞いて、お客さんの後ろの狭い空間を通る時は「ちょっと後ろ失礼しますね」とか言って、さりげなく肩にボディタッチしたり。あと、これは僕のジンクスなんですけど、トイレを掃除するんですよ。 丸山 トイレ掃除を?(笑) 清野 お店によっては、お客さんがトイレに行くたびに掃除をするママもいるんです。トイレットペーパーを三角折りにして、前のお客さんが汚したところを僕が掃除したあとにママがトイレ掃除に行ったら、もうこっちのものですね。さらに「営業時間は何時までですか?」「休みは何曜日ですか?」と聞いたりすると、好感を持たせることができる。 丸山 すごいノウハウですね。しかも、かなり蓄積されている。スナックは自分の嗅覚で選ぶんですか? 清野 自分の嗅覚だけです。 丸山 それだけスナックに行っていたら、ママさんと仲良くなってしっぽり……みたいなこともありそうですけど。 清野 僕の場合、そこには重点を置いていないんですよ。どちらかというと、面白い客に重点を置いているので。基本観察ですよ。 丸山 清野さんと同年代、もしくはもっと若い奴がふらっと来ることもあるんですか? 清野 たまにいるんですよ、物好きの手だれが。『知らない街』の中でも描いたんですが、久留里という街に行った時にも出会いましたね。おじさんしかいない場末の居酒屋にいきなり入ってきて、すぐカウンターに座って自然に溶け込んでいるんですよ。そこからはもう、僕と彼との戦いです。どちらが先にこの店を落とせるか、みたいな感じで。全力でトイレも掃除して、結局僕のほうがママからお土産をたくさんもらいましたからね。 丸山 「店を落とす」って(笑)。 清野 客のおじさんも若者には名刺を渡さなかったけど、僕にはくれましたから。「どうだ参ったか! 赤羽だぞ、こっちは!」と思いましたね。 丸山 やりますね、清野さん(笑)。 清野 名刺は戦利品なんですよ。「名刺=私は、あなたに心を許しましたよ」という証しじゃないですか。集めた名刺を家に持ち帰って、ニヤニヤしながら飲むんです(笑)。今後もこの人とは広がりそうだな、面白そうだなという人の名刺は取っておきますね。次に会った時のために、名刺の裏に覚えている限りのパーソナルデータを書いておく。常連客を落とす一番の基本は、名前を覚えておくことなんです。再会した時に「○○さん、この間はありがとうございました。勉強させてもらいました」と下から行くと、仲良くなれる。 丸山 さすがですね。全然コミュ障じゃないじゃないですか。 清野 そういう人に対しては行けるんですけど、普通の同世代の人に対してはコミュ障です。 丸山 ちなみに、そこまで培った「赤羽力」を、取材以外で発揮する場ってないんですか? 清野さんが合コンに行ったら面白そうですけど。 清野 実はどれだけ通用するのか試してみたくて、何度か行ったことありますよ。しかし、スナックや居酒屋で気持ちイイほど通用するテクが一切通用せず、終始しどろもどろで……。 ■赤羽「愛」と今後の展望 丸山 知人が赤羽に住んでいて、たまに飲みに行くのですが、住宅地も飲み屋も風俗もあって、街としても発展していますよね。成熟しきって、端っこが腐っているような感じというか。清野さんは、赤羽の街をどう捉えていますか? 清野 恥ずかしい話、最初は上から目線で赤羽のことを描いていたんです。「どれ、いっちょ赤羽でも描いてみるか」と。でも、ひとつ描くとその上をいくことが起こるので、今となっては「赤羽様に描かせていただいている」ような感じです(笑)。これまた恥ずかしい話ですが、連載を始めた時はコミック3巻分くらいのネタしかなかったんです。 丸山 ひとつの街であそこまで描くって、すごいですよね。 清野 描いている最中も、現在進行形で、とんでもないことが次から次へと起こりますからね。 丸山 清野さんは、顔出しはしていませんけど、街を歩いていて声をかけられたりするんですか? 清野 最近増えてきましたけど「清野さんですか?」と聞かれて、「えっ?」「は?」「えええっ!?」って聞き返すと、だいたい大丈夫ですね。 丸山 清野さんって、悪ふざけ好きですよね(笑)。なんでそこまで大胆に悪ふざけできるんですか? 漫画家さんって、一般的に社交性がなく、控えめというイメージがあるんですけど。 清野 基本的には社交性皆無ですよ。会話の間とか超怖いですし、次にどんな話題を振ろうか考えていると、こんがらがって黙っちゃうタイプなんです。でも「一期一会の悪用」と言っているのですが、知らない街なら、どう思われてもいいやと思える。ただ、赤羽は、すごく落ち着きますね。なんせ赤羽の人は独特なので、かえってやりやすい。お酒の席では、なおさらです。 丸山 一期一会の悪用(笑)。ほかの漫画家さんとの交流も、ブログなどを拝見する限りは結構ありますよね。 清野 知人は多いですが、友人は限られています。 丸山 『赤羽』は今までなかったタイプの漫画ですけど、ほかの漫画家さんの目を意識されたりしますか? 清野 一切意識していないですね。 丸山 今のノンフィクションスタイルのルポ漫画がヒットしているからこそのジレンマは、ありますか? ストーリー漫画を描いてみたいとか。 清野 最近ちょっとあるんですよ。デビューした頃はずっと創作のギャグ漫画を描いていたんですけど、赤羽に住み始めてから、目の前で起こる現実の数々が、僕が紙とペンで描く面白いことを、はるかに凌駕しているんですよ。だったら、単純にこの街をそのまま描きたいと思ったのがきっかけなんですけど、最近それがちょっと悔しくなってきまして。赤羽の街の面白さをさらに超えた漫画を描きたいなと思うんですけど、超える自信は今のところ皆無ですね。とりあえず、赤羽のまだ描いていない部分を早く描き尽くしてスッキリしたいです。 丸山 そうしたら赤羽から引っ越すんですか? 清野 ちょっとまだなんとも言えないんですけど、とにかくたまっているネタを描いてスッキリして、次に行きたいですね。やり尽くさないと気持ち悪いので。作家にはいろいろなタイプがいると思います。例えば友人の押切蓮介君みたいに、器用にいろいろなジャンルの仕事をこなせるタイプ。彼の場合は、ちゃんと作品のクオリティも高いんですよ。僕は不器用な人間なので、掛け持ちしたら、天津飯の分身の術理論じゃないですけど、それぞれのスピードとパワーが弱くなってしまうと思うんですよね。赤羽を描いているうちは、赤羽だけに全力投球しようと決めています。『知らない街』は掛け持ちでしたが(笑)。 丸山 ここまで赤羽を推している人って、過去にいませんよね。なぎら健壱さんくらいで(笑)。 清野 林家ペー・パー子さんはずっと赤羽に住んでいて、赤羽絡みの特集が組まれると、必ず出ていますよ。先週、ようやく林家ぺーさんと赤羽のスナックで飲めました。 丸山 そろそろ赤羽利権が、清野さんに転がり込んでくるんじゃないですか? 清野 そういうものには、極力ノータッチでいこうと思っていますので。赤羽の人たちからイラストの依頼が来ても、怖いのでお金は取りませんし。単純に恩返しという意味もありますけど、やっぱりイメージは大切ですからね。ヒヒヒヒ。 (構成=編集部) ●せいの・とおる 1980年生まれ。東京都板橋区出身。地元・赤羽に生息する奇妙な人々を生き生きと描いた漫画『東京都北区赤羽』(Bbmfマガジン)が大ヒット。現在、双葉社の「漫画アクション」にて『ウヒョッ!東京都北区赤羽』を連載中。 Twitter <https://twitter.com/seeeeeeeeeeeeno> ●まるやま・ゆうすけ 1977年生まれ。宮城県仙台市出身。編集者、官能小説家、ゴーストライターなど幅広く活動する傍ら、考古学者崩れの犯罪ジャーナリストとして、著作を執筆。別のペンネーム・丸山ゴンザレスとして海外紀行ものも発表している。主な著作に『アジア罰当たり旅行』『図解裏社会のカラクリ』『悪の境界線』など多数。 Twitter <https://twitter.com/marugon>

「僕は、街に対しては基本ドMなんです」赤羽漫画家×犯罪ジャーナリストの異色対談【前編】

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 東京都北区にある「赤羽」を舞台にした異色のノンフィクション漫画、『東京都北区赤羽』(Bbmfマガジン)や『ウヒョッ!東京都北区赤羽』(双葉社)が人気を集めている。一説によれば、赤羽では『ONE PIECE』より売れているというから驚きだ。  その作者である清野とおる氏が、これまで赤羽で培った、奇人や珍妙な店を引き寄せる力をもって、まったく知らない街を取材した新刊『全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの』(大洋図書)を上梓した。その刊行を記念して、裏社会を取材しながら国内外の危険な街を徘徊し続ける犯罪ジャーナリストの丸山ゴンザレス氏を迎え、2人で全っっっっっ然知らない街を歩いて対談することに。果たして、どんな展開を見せるのか!?  「街歩き」をキーワードにする2人が訪れたのは、足立区の谷在家(やざいけ)だった。ところが、待ち合わせ時間になっても丸山氏が現れない。いら立ちを隠せない清野氏をよそに、時間だけが経過する。  30分後…… 丸山ゴンザレス氏(以下、丸山) すいませーん。来たことない街だったので……遅刻しちゃった。 清野とおる氏(以下、清野) 全っっっっっ然気にしないでください。 丸山 で、どこ行くの? 清野 それを今探していたんですよ……ここなんてどうですか? (駅前の地図を指さしながら、なにやら候補地を選別する清野氏) 丸山 喫茶○○ですか……よさそうな名前ですね。 清野 ニオイますよね。 丸山 ええ、確実にニオってきますね。  「なんもねーな」「ただの住宅地」と暴言にも似た無駄話をしながら、谷在家の街を歩く両氏。十数分後に喫茶○○に到着し、対談開始となった。 ■なぜ赤羽を出て、知らない街を描いたのか? 丸山 早速で恐縮ですが、この店ってなんかニオイませんか……トイレ臭いっていうか、なんというか。 清野 確かに、ちょっとニオイますけど…… 丸山 まあいいや。では本題に入りますね。新刊の『全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの』(以下、『知らない街』)は、どのような本なのでしょうか? 清野 本題への入り方がなんとも……とりあえず、どこかに行くときって、大抵は最初に明確な目的地を設定して、ネットでおいしい店とか調べてから出かけるじゃないですか。でも、それだと刺激がないので、本当に全然知らない街を適当に設定して、行き当たりばったりで歩く。目的のないことを目的に設定した軌跡をまとめた本ですね。 丸山 いきなり本題になってしまいますが、なんでも事前にネットで調べてから出かけるという風潮へのアンチテーゼもあるのでしょうか? 清野 別にアンチってほどではないのですが。以前に書いた『東京都北区赤羽』(以下、『赤羽』)や『ウヒョッ!東京都北区赤羽』でもそうなんですけど、基本的に僕は、ネットではあまり調べないようにしてるんですよ。   丸山 編集の方から、今回の対談でのルールもそうだと聞いたので……それで遅刻したっていうのもあります。 清野 言い訳はさせませんよ。でも、調べないほうが面白いじゃないですか。無駄にトラブルが起こったりしますが、この街(谷在家)はまったく何もありませんね。さすがにここまで平穏で何もないとは思いませんでしたけど(笑)。 丸山 びっくりしましたね。駅に降りたときに「あ、これは(何もなさすぎて)ヤバイ」と思いました(笑)。それでも、取材前のリサーチの有無は『知らない街』の大きなテーマだと思うのですが、ここだけの話、本当に何も調べないんですか? 清野 いやいや、本当に何も調べてないです。むしろ、迷ったりする過程のすべてが目的となっていますね。 丸山 新刊『知らない街』と既刊の『赤羽』との違いはありますか? 読者の方も『赤羽』と比較してイメージしていると思うのですが。 清野 新刊のほうが言い方は悪いですが、知らない街なだけに、もう「描き捨て」ですね。「旅の恥はかき捨て」じゃないですけど、どう思われてもいいやぐらいの気持ちで描きました。赤羽の場合は、ホームなんでそうもいかないですけど。 丸山 『赤羽』だと、どうしてもホームレスとか飲み屋が中心になりますけど、『知らない街』では街並みの描写がメインですよね。 清野 風景に関しては、けっこうちゃんと描きましたね。 丸山 楽しみ方としては「清野さんが赤羽以外を歩くとこうなるよ」という、いい見本という感じでしょうか? 清野 そうですね。どの街にも、ある程度楽しみはあるので。あとはそのへんを歩いているおばあさんに話しかけたり、初見のスナックや居酒屋を攻めたりというような、今まで僕が『赤羽』で培ったテクニックが、ほかの街でどれだけ通用するのか試したかったんですよね。 丸山 この本は「赤羽力」の体現なんですね(笑) 。 ■街ルポのスタイルは、いかにして生まれたのか? 丸山 そもそも、どうして街や人をテーマに漫画を描き始めたんですか? 清野 なんででしょうね……。ホームページを始めたのが2003年頃なんですが、そのときの日記を見ても、用もないのにちょくちょく知らない街に行っているんですよね。あのときは全然仕事もなく、精神的にも満たされていない時期で、自分の生活環境が嫌で嫌でしょうがなかったので、現実逃避ですよね。03~04年から『赤羽』の連載が決まるまでは、ちょくちょく歩いていました。 丸山 ちょうど私が無職だった時期と重なっていますね。私は清野さんの2つ上の35歳なんですけど、当時は日雇いバイトとかしていました。その頃は、ほかにやることもないので、無意味に街をうろうろしていましたね。だから、清野さんの行動って、すごくよくわかります。清野さんの漫画は、主人公が「自分」ですよね。なぜそのスタイルにしたんですか? 清野 実は自分のようで、俯瞰すると全然自分じゃないんです。なるべく本心は出さないようにしています。このキャラは僕が描く一番普通の顔で、一番シンプルな男の顔を描こうとして描いたのが、この髪形やこの顔なんです。『知らない街』は『赤羽』と比べると若干毒を吐いたり鬱っぽさを出したりしていますが、それでも本心はあまり出さないようにしています。読者が感情移入しやすいよう読者目線で描いているので、自分のようで自分じゃないんですよね。 丸山 みんなはこれが清野さんだと思っているし、見た目が同じだから『赤羽』と同じキャラクターだと思うけど、実はちょっと違うんですね。 清野 まったくもって違います。 丸山 あと『知らない街』でも『赤羽』でも、主人公がすごい悪そうな笑顔をするときがありますよね。 清野 そういうときは、本来の僕かもです(笑)。 丸山 そこはそうなんですね(笑)。最初から「キャラクターに自分をある程度投影しているけど、100%ではない」というスタイルだったんですか? それとも、試行錯誤の末に、たどり着いたのでしょうか? 清野 今のスタイルが確立したのは、やっぱり『赤羽』のときですね。連載を始めるときに、主役は自分ではなく赤羽と決めていたので。清野という登場人物は、あくまで赤羽の引き立て役なんです。 丸山 それはつまり『赤羽』も『知らない街』も主人公は街だと。 清野 そうですね。自分のねじ曲がった感性を出さないように。多少は出ちゃってますけど(笑)。 丸山 自分では、ねじ曲がっていると思っているんですか? 清野 まあ、少なからずねじ曲がってはいるでしょうね。描けないようなひどいことも、結構いろいろ思ったりしてますし。 ■どうやって「街」を選ぶのか? 丸山 今回、清野さんが選んだ対談場所が足立区の谷在家ですが、「街選びの基準」ってあるんですか? 清野 僕は、街に対しては基本ドMなんですよね。 丸山 ドM!? どういうことですか? 清野 突拍子もないところへ行って、とんでもない目に遭いたいとか。今回の『知らない街』にも収録されているんですが、せっかくの休みに北海道の発寒中央(はっさむちゅうおう)なんて絶対に行きたくなかったんです。だけど、飛行機が遅れまくっていたりとか、ひどい目に遭うとゾワゾワするんですよね。 丸山 トラブルに燃えるタイプですね。私も同じ性質なので、よくわかります。ちなみに海外には行かないんですか? 清野 海外は怖いんですよ。都市伝説であるじゃないですか、「だるま女」とか。あとは映画の『ホステル』みたいな、猟奇的な事件に巻き込まれるイメージしかないから……。 丸山 悪夢と自分の状況がつながってしまうんですね……考えすぎだと思いますけど(笑)。 清野 でも、そう考えてしまうんです。いまだにパスポート持っていませんもの。 丸山 編集の方が、勝手にパスポート作って清野さんを連れ去ったら面白いと思いますよ。 清野 それでも絶対に行きたくないですね。人って結構とんでもない刺激を求めたり、価値観を変えるために海外とか宇宙とかに行こうとするじゃないですか。そうではなくて、本当にとんでもないことは、そのへんの薄暗い路地を曲がった先とかにあったりすると思うんですよね、意外と。そういう身近な部分を見過ごして、海外に行く人とかが多いと思う。 丸山 私は「より遠くに、より危険なところに」という意識がすごく強かったのですが、そんな時に『赤羽』を読んで「こういうこともあるんだ」と思って衝撃を受けた記憶がありますね。 清野 僕の場合は、たまたま赤羽に住んでいたから、そういうことに気づけたんだと思います。 丸山 清野さんは、東京生まれ東京育ちですよね。インタビューで「自分のプロフィールは明かさない」とおっしゃっていたのを読んだような覚えがあるのですが。 清野 いや、結構明かしていますよ。顔はあんま出していないですけど。ウィキペディアにも出身地や年齢が出ていますが、隠しているわけではないです。 丸山 東京生まれ東京育ちなのに、東京で知らない街があるんですか? 清野 まだまだたくさんあります。 丸山 私は地方出身者ですし、皇居の東側にはあまり行ったことがなくて東京の知識がすごく偏っているんですけど、清野さんにとっての東京ってどこらへんなんですか? 清野 僕は板橋区と北区だけですね。あとは何も知らないです。出かけることもありますけど、せいぜい新宿、池袋、渋谷とか大きい街ぐらいで、そこに至るまでの細々とした街はちゃんと歩いたこともないですし。 丸山 例えば雑司が谷なんて、池袋と高田馬場という誰もが知っている地名の間にありますが、実際に歩いたことがある人は少ないですよね。 清野 そういう、エアポケット的なところが一番好きなんですよ。 (後編に続く/構成=編集部) ●せいの・とおる 1980年生まれ。東京都板橋区出身。地元・赤羽に生息する奇妙な人々を生き生きと描いた漫画『東京都北区赤羽』(Bbmfマガジン)が大ヒット。現在、双葉社の「漫画アクション」にて『ウヒョッ!東京都北区赤羽』を連載中。 Twitter <https://twitter.com/seeeeeeeeeeeeno> ●まるやま・ゆうすけ 1977年生まれ。宮城県仙台市出身。編集者、官能小説家、ゴーストライターなど幅広く活動する傍ら、考古学者崩れの犯罪ジャーナリストとして、著作を執筆。別のペンネーム・丸山ゴンザレスとして海外紀行ものも発表している。主な著作に『アジア罰当たり旅行』『図解裏社会のカラクリ』『悪の境界線』など多数。 Twitter <https://twitter.com/marugon>

人気タレントの妻と、芸能ビジネスを乗り切る経営者……2つの顔を融合する京子スペクター

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 浮き沈みの激しい芸能界で20年以上も活躍し、さらに成長を続けるには――。そんな秘訣をまとめた『デーブ・スペクターの作り方』(東京書籍)を7月に上梓した京子スペクターさん。人気タレントのデーブ・スペクターさんの妻であり、所属事務所「スペクター・コミュニケーションズ」の社長でもある。妻と経営者、2つの顔を使い分けながら実践してきたショービジネスや版権ビジネスの世界を勝ち抜く戦略と、人気タレントを作り上げた手腕について聞いた。 ――「スペクター・コミュニケーションズ」という社名からもわかるように、京子さんはデーブ・スペクターさんをメインのタレントとして扱っている芸能事務所を経営されているわけですが、今日のデーブさんの高い認知度や安定した人気をどう見ていますか? 京子スペクター(以下、京子) デーブに対しては多くの方が、普段何しているのか、本業はなんなのかなどの疑問を持っているかもしれません。だからといって「あの人は今」みたいな消えたタレントのような立ち位置ではなく、20年以上も芸能界で活動を続けられているのは、デーブ・スペクターという人間に「何か」があると思って興味を持ってくださるとうれしいですね。 ――いまだに未知数の部分がある。つまり、タレントとして飽きられていないということでしょうか? 京子 そうですね。視聴者の方々が“まだ何かあるのではないか”と。デーブは同じエピソードを使い回したりせず、常に新しいものをキャッチしています。その上で「近い将来にこういうことがあるのではないか」という提案的なコメントをしたりする。大げさに聞こえるかもしれませんが、時代と共に歩んで、一歩ぐらい先を見せるようにしているんです。 ――社長としては、そのあたりのことを意識的に指示していたりするんですか? また、タレントとしてのデーブ・スペクターを「作る」にあたり、どういったことを実践されていますか? 京子 まだまだ積極的に攻めるべきだと思っているので、意識的というよりは、自然にやっているという感じです。それと、受ける仕事に基準を設けて、こちらの想定外のイメージがつかないように気をつけていますね。例えば講演の仕事はどういう会社からのオファーなのかを徹底的に調べ、わからない会社のものは受けないようにしています。テレビは、はやっている番組の出演依頼は、なるべく受けます。より好みしているようでしていないし、していないようでしている。時代時代に合ったもので、今どれが一番必要かを見極めているんです。 ――競争の激しい芸能界で、デーブさんが生き残っている理由は、そこにあるんですね。 京子 そう思って頑張っています。あとは、常に最新の情報を収集しているということ。情報というのは必ずしも、新聞やニュースでわかることだけではないんです。芸能、スポーツ、文化など、あらゆる方面に情報網を張り巡らせて、敏感にキャッチしている。だからこそ、これからのブーム予想や、提案するべきアイデアが生まれてくるんです。 ――デーブさんのミステリアスな部分と情報収集力が合わさって、世の中では「デーブさんCIA説」がささやかれていますが、どう思ってらっしゃいますか? 京子 それは昔から言われていますが、「皆さんおっしゃっているな」くらいの認識ですね。でも、デーブの情報収集能力はCIA並みですよ(笑)。CIAの分析官でも、ここまでやらないと思います。本当に徹底的に調べますので。 ■経営者として心がけていること ――ここで、あらためてスペクター・コミュニケーションズについてお聞きしたいと思います。タレント事務所や版権ビジネスなど幅広く展開されていますが、メインの業務はなんですか? 京子 デーブやほかのタレントさんのテレビ出演が一番のメインですね。それにプラスして、いろいろな最新情報を持っていますので、使わないのはもったいないということで、情報をメディアに流すということも始めました。もともとはデーブがアメリカ人ということもあってアメリカの情報が多かったのですが、今ではアメリカだけでなく世界中の情報を紹介しています。  最近では、イギリス王室のロイヤルベビー出産に関する、まだ日本に上陸していなかったネタをテレビ番組でご紹介しました。日本のメディアがどこも放送していない情報を、最初にうちが紹介しなければ意味がない。同じようなことをやっている会社はほかにもありますので、ほかとは違う特化した何かがないと競争に勝てないんですね。同じようなニュースをどの局でもやっているということであれば、デーブじゃなくてもいいわけです。どこも持っていない情報を手に入れて、どこにも出ていないニュースを最初に発表するのが、スペクター・コミュニケーションズの特長だと考えています。 ――記憶に新しいところでいうと、マイケル・ジャクソンが亡くなったとき、デーブさんはテレビに出ずっぱりでしたよね。今回のロイヤルベビー誕生も、デーブさんはかなり準備していたんですか? 京子 寝ないでやっていましたね。いつ生まれるかわからないですし、どのテレビ局からお声がかかるかもわからないので、1週間寝ずに過ごすみたいな感じでした。普段も睡眠時間は3~4時間で決して長いわけではないのですが、それでもずっと起きているのはしんどいようです。そんなとき、デーブは必ずユンケルを飲みますね。以前は一日2~3本飲んでいたんですけど、漫画家のやくみつるさんに「飲みすぎはよくない」と言われて、ここ1年くらいは1本にしています。 ――スペクター・コミュニケーションズは、ご夫婦で経営されているそうですが、デーブさんが経営について口を出してくることはあるのでしょうか? 京子 それはないですね。そもそもデーブはお金に無頓着なので、会社の運営には向かないと思います。一方で私は経営者ですから、予算やビジネスの観点で、どうしたら会社がうまく回っていくかを考えています。その意味では、デーブが伸び伸びと活動できる環境を作ってあげるのが私の役目だと思っています。 ――スペクター・コミュニケーションズにはデーブさん以外にも、自民党の片山さつきさんや若貴兄弟の母である藤田紀子さんも所属していますが、かなりの少人数で運営されていますよね。少数精鋭の経営スタイルは、意識してそうされているんですか? 京子 そうですね。今のスタッフは知り合いからの紹介で採用したのですが、全員長く続いています。紹介してくださる人が続けられそうな優秀な人を、責任を持って紹介してくれるということもあるんでしょうね。ですから、今でも事あるごとに「誰か、いい方いませんか?」とアピールしています。 ――京子さんとスタッフの方たちの関係を見ていると、経営者でありながら、上司にもチームメイトにもお姉さんにもなっているように感じるのですが、自分の立ち位置を意識されていますか? 京子 小さな会社ですので、誰もが私(経営者)のことだけを見て動いているわけじゃありません。来社したお客様への対応や、汚れているところがあれば掃除をするなど、率先して動く意識をみんなが持っているのです。私が指揮官という感じで操作しているわけじゃないんです。それぞれの意思で動くことは小さい会社では必要なことだと思っていますし、小さいなりの利点もあります。 ――京子さんは、大学やどこかの会社で経営学を学んだというわけではないですよね。どうやって経営者としての勉強をしてきたのでしょうか? 京子 父が会社を経営していましたので、その背中を見て育ったというのが大きいですね。お父さん子ということもあって、常にそばでビジネスを学んでいました。小さいときから将来サラリーマンと結婚するというイメージはなく、自分で事業を起こして何かやりたいと思っていました。 ――京子さんがいろいろな仕事をされていたということは、実はあまり知られていないと思います。もともとはアメリカのホテルニューオータニのコンシェルジュだったんですよね。コンシェルジュは多種多様な要望に応えなければならない、すごく難しい仕事ですが、そういった経験は今に生かされていますか? 京子 アメリカでは不動産業と旅行会社とコンシェルジュを経験しましたが、コンシェルジュの経験はすごく役に立ちましたね。聞かれたことに、なんでも答えなければいけないので。 ――アメリカで社会人経験を積んだあとは、日本に帰国してデーブさんの仕事を手伝いながら、そのまま経営者になったんですよね。実際に経営をしていく中で学ぶことは多かったのでしょうか? 京子 それが一番多かったですね。実際に自分で起業・経営してみて思ったのですが、商売には向き不向きがあって、まず自分自身が商売をすることが好きでなければできないと思うんです。それがベースで、そこから何ができるかというときに、オファーを受けるか否かの判断が一番難しいと思いますが、まずやってみなければわからないので、チャンスを逃さないでほしいですね。まずやってみる。チャンスが来たときは、もったいないかそうじゃないかを考えるんです。自分にできることなのに、断ってしまうのはもったいない。 ――「スペクター・コミュニケーションズ」にとって、転機はなんでしたか? 京子 『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)への出演ですね。デーブはそれまで『笑っていいとも!』(フジテレビ系)などのバラエティ番組がメインだったのですが、自分の意見をしっかり発言できたのが『朝生』でした。あそこがコメンテーターの原点だと思いますね。 ――出演するときは「これはチャンスだ」と意識していたんですか? 京子 もちろんそうです。ああいうチャンスは、なかなかありませんので。『笑っていいとも!』やそれまで出ていたクイズ番組は、ほかの外人タレントさんと一緒でしたが、デーブ・スペクター個人として一人で出演したのは『朝生』が最初でした。しかも、こちらから売り込んだのではなく、番組からのオファーだったので、まさにチャンスでした。 ――最近のお仕事で、飛躍のきっかけになったものはありますか? 京子 今はやはり、海外の映像の独占での提供ですね。デーブが入れなくていいと言っていたので、今までは画面に「スペクター・コミュニケーションズ」のクレジットを入れていなかったんです。しかし弊社は広告もやっていないし、宣伝に一切お金をかけていませんので、名前を売るために今は提供した映像に必ず「スペクター・コミュニケーションズ」と明記するようにしています。『とくダネ!』(フジテレビ系)には何年も映像を提供していますが、クレジットを入れたのは今年に入ってからですね。デーブを何度も何度も説得して、やっと今年OKが出たんです。 ――夫婦円満というと、すべてにおいてイエスマンでいることが大事だと思われがちですけど、意見のぶつかり合いは普通にあることですよね。 京子 そうですね。特にビジネスに関しては。お互い意見をぶつけ合うからこそ、しこりが残らない。経営者としても夫婦としても大事なことです。意見の対立ですので、いいアイデアが出てきたりもしますし。 ■パートナーだからわかるデーブ・スペクター ――京子さんは、妻としてデーブさんをどう見ていますか? 公私共にパートナーでいらっしゃいますが、どのように折り合いをつけているのでしょうか? 京子 デーブがやりたいことを第一に考えるようにしています。私がこうしてほしいということではなくて、デーブが気持ちよく仕事ができる状況が、私にとっても気持ちがいい状況なんです。ですから、デーブが忙しすぎて私と一緒に過ごす時間が取れない、といった不満はないです。本当は一緒に旅行に行けたらいいのですが、それができないのは見ていてわかるので。彼がやりたい状況を作ってあげられることが私の喜びですから、不満じゃないんですよね。デーブの喜びが私の喜びなんです。 ――ご夫婦の中で「このときは一緒に過ごす」みたいな決まりごとはありますか? 京子 一切ないですね。自由です。ただ帰ってきたら必ず挨拶して、仕事がどうだったかを確認します。そういった報告も含めて、夫婦の会話は多いです。よく結婚してから会話がなくなるなんて聞きますけど、うちは全然そんなことないですね。 ――デーブさんも京子さんもサービス精神のある方なので、お互いに自然と会話をするのかなと思うのですが。 京子 そうですね。それはありますね。無理していたら、30年以上も続きませんから。 ――夫婦の会話といえば、デーブさんは、ご家庭でもダジャレを言うんですか? 京子 言います(笑)。裏表のない人ですから。あのままです。 ――今も会社が成長し続けているのは、お2人の絆と、たゆまぬ努力があるからなんですね。 京子 それが理想です。あとはデーブの人のよさ。計算高くテレビに出演していたら、たぶんここまで来ていなかったと思います。悪意はないし、計算もしないですから。例えば先日デーブが『サンデージャポン』(TBS系)でこの本を紹介したのですが、『デーブ・スペクターの作り方』の「作」の文字が手で隠れてしまったんですよ。私だったら気を利かして表紙が全部見えるように持ちますが、デーブは計算も何もなく、ただ持って見せてしまう。ジョークを言うのも自分が褒められたいということではなく、みんなに楽しんでもらいたいんです。そんな具合に本当に計算していないので、「あのときこうしておけばよかったじゃない」ということがいっぱいありますね。 ――最近では、ご夫婦でのテレビ出演も増えてきました。30数年の結婚生活を経ても芸能界の第一線にいるのはすごいことだと思いますが、そうなった今、夫婦で目指していることはありますか? 京子 特別に意識してはいませんが、やはり私とデーブは思いが同じで、今よりもっと向上したいという意識があります。現状に全然満足していないんですよ。夫として見たデーブは、もう100点満点以上です。でもタレント、デーブ・スペクターとして見たときは、まだまだ現状には満足していません。満足していない部分を毎日埋めているという感じです。これからも、努力は怠らずに成長していきたい。そう思っています。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト) 株式会社スペクター・コミュニケーションズ <http://www.spector.co.jp/> デーブ・スペクターのTwitter <http://twitter.com/dave_spector>

「コーヒーを押すと、ミルクティーが出てきた」10年ぶり復活のボキャ天芸人・松本ハウスが語る“統合失調症”のリアル

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撮影=尾藤能暢
 お笑いコンビ・松本ハウスを覚えているだろうか? ちょっと正気とは思えないクレイジーなパフォーマンスを繰り出すハウス加賀谷と、それに冷静に突っ込む松本キック。1990年代に『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)でブレイクし、一時はかなり頻繁にテレビなどに登場していたのだが、ある時期を境にパッタリと表舞台から消えてしまった。  実はハウス加賀谷はコンビ結成以前から統合失調症を患っており、症状の悪化によって1999年、松本ハウスは活動休止に追い込まれていたのだ。  それから約10年の休止期間を経て、2009年よりコンビを復活して活動を再開しているが、このたび、加賀谷の統合失調症体験について綴った著書『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)が発売された。「統合失調症」って名前は聞くけど、実際どんな病気なのか? そして、お笑い芸人が病気を語る理由とは!? ■病気のエピソードも、ネタにしちゃえばいいじゃないか ――キックさんは、コンビを組む段階では加賀谷さんが病気だということは知らなかったんですよね。 松本キック(以下、キック) そうですね。とはいえ、初めて事務所で会った時から、明らかに挙動不審でしたけど。 ――そんな挙動不審な人と、どうしてコンビを組もうと思ったんですか? キック おかしなヤツだな~……とは思いましたが、とにかく目立ってましたから。それに事務所の同期が3人だけだったんですけど、僕と加賀谷が漫才志望で、あとのひとりはコント志望だったんですよ。だから必然的に相方は加賀谷しかいないと。 ハウス加賀谷(以下、加賀谷) キックさんから誘われて、ボクは即オッケーしました! キック 「ちゃんと考えてんのかコイツ?」というくらい即答でしたね。ただ、コンビを組んだのはいいけど、コイツがやたらと遅刻をしてくるんですよ。「事務所で新しいネタを作ろう」と待ち合わせしてても来ない。当時は携帯がなかったんで、家に電話をしたら「すいません、寝てましたー」って。それから1時間待っても来ないから、また電話したら「寝てましたー」。さらに1時間待っても、やっぱり来ない。で、「寝てましたー。……今日、行かなきゃダメですかねぇ?」ですよ。「もうふざけんな!」ってブチ切れて。 加賀谷 あの時は、ホントに寝てたんですよ。朝の薬を飲もうと思ったら、間違えて夜寝るための薬を飲んじゃって、そのままコテッて……。 キック いくら面白くても、そういうところがちゃんとしてないヤツとはコンビ組んでいけないなと思っていたんですけど、その後、「実は統合失調症を患っていて、中学の頃から幻聴が聞こえていた。高校では幻覚が見えて、グループホームを経て、なぜかお笑いの道に走った」という経緯を知って……そういうことだったのかと。 ――統合失調症だからコンビを組むのはやめよう、ということにはならなかった? キック 加賀谷という面白い人間が、たまたま精神疾患を持っていたというだけですからね。話を聞くと病気のエピソードも面白いし、それもネタにしちゃえばいいじゃないかと。とにかく漫才をやりたかったんで、「しょうがない、面倒見るしかないか」っていう感じで、特に抵抗はなかったですね。 ――当時から加賀谷さんのギリギリなキャラは話題になっていましたが、どこまでがガチで、どこからがキャラだったんですか? 加賀谷 ボクらエンターテイナーなんで、まあエンターテインメントですよ。 ――……??? キック 全部キャラを作ってたってこと? 加賀谷 だからそのー……あのぉー……。 キック 最初から「リハビリ漫才だ」って言ってましたし、精神疾患を持っている“加賀谷”という人間がキャラクターの一部になっていたことは間違いないですね。
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――普段の加賀谷さんの行動なんかも、ネタに取り入れたりして? キック 漫才に関しては普通に作り込んだネタでしたけど、フリートークでは加賀谷のおかしな行動をよく話題にしていました。こいつ、「コーヒー買ってきて」っていうと、絶対にミルクティーを持ってくるんですよ。 加賀谷 それがですねぇー、自販機に行ってちゃんとコーヒーのボタンを押したのに、ミルクティーが出てきたんですよ。 キック 出てこないよ! 加賀谷 出てくるんですよぉ~。「この自販機はもうダメだ!」と思って、隣の自販機でコーヒーを押しても、またミルクティーが出てくるんですよぉ。 キック お前がミルクティーのボタンを押してるんだよ! 加賀谷 いや、押してない押してない! 絶対に押してないですッ! ――それは天然で押し間違えてるか、幻覚が見えているか、どっちかですよ。 加賀谷 幻覚ではないと思うんで……自販機がおかしいんだと思いますよ。ベンダーがクラッシュしてるんですよぉ。 キック お前の頭がクラッシュしてるよ! ■ボクの嫌いな「自分」が評価されるという矛盾 ――学生時代は「自分は臭いと思われているんじゃないか」と気になるあまりに幻聴が聞こえていたそうですけど、そういう人が自分のことをネタにして笑われる芸人になって大丈夫だったんですか? 加賀谷 「自己臭恐怖」というヤツですね。ずっと「アイツ、臭いよ」という幻聴が聞こえていて悩んでいたんですけど、お笑い芸人として笑われる分には、全く気にならなかったですねぇ。キックさんも「お前、死臭がするよ!」とか突っ込んでくるんですけど、それは平気なんです。お笑いの仕事を17歳で始める前に1年間、グループホームに入っていたんですけど、そこでだいぶ休めて、幻聴を聞くこともなくなっていたというのも大きいかもしれません。 ――お笑いを始めた頃は、精神的に調子がよかったんですね。 加賀谷 まあ統合失調症の薬は飲んでましたけど。 キック 時々、遅刻をしたりするくらいで、行動もそこまでおかしくはなかったですしね。 ――それから『ボキャブラ天国』でガーンとブレイクしていくわけですが、やはりその忙しさで精神的におかしくなってしまったという部分もあったんでしょうか? 加賀谷 それも一因だったと思います。とにかく小さい頃から、自分自身が嫌いだったんですよ。それなのに、そんな自分がボキャ天ブームで急に評価されるようになっちゃって。ボクの嫌いな「自分」がマスメディアで評価されているという矛盾で、うれしいのと嫌なのとがごちゃ混ぜになって、感情のコントロールができなくなってしまったんです。 ――キックさんは、加賀谷さんの症状が悪化していたのには気付かなかったんですか? キック 単に疲れているのかなって思っていました。ブームのピーク時は、1年半くらい休みがなかったですからね。同じように『ボキャブラ天国』で売れていた人間を見ても、みんな忙しいから疲れてるんですよ。だから、加賀谷が楽屋に入るなりゴローンって床に転がったりしてても、「疲れてるんだろうなぁ~……」って。一応、本番になるとちゃんと仕事をしていたんで、まさか症状が悪化しているとは気付かなかったですね。 ――幻聴や幻覚が出るほど症状が悪化しても、キックさんには言い出せなかったんでしょうか? 加賀谷 キックさんはすごく心配してくれちゃうんで、知られたくなかったですねぇ。 キック 病気をこうやって隠そうとするのも、よくないんですけどね。
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――病院には定期的に通っていたんですよね? 加賀谷 はい、思春期精神科というところに通っていて、薬もドンドン増えていたんですが、それをちゃんと飲んでいなかったんですよ。「服薬コンプライアンス」っていうらしいんですけど、お医者さんから指示された用量用法を守らないで、「今日は調子がいいから大丈夫」とか、自分の判断で薬を減らしたりしていたんです。それが一番よくなかったですねぇ。 キック 結果的に僕が知った時には、いきなり「入院します」でしたから。しかも、加賀谷ひとりでは来られないんで、お母さんに連れられて来てたんですよ。 加賀谷 母親には「ボクちょっと調子悪いみたいなんだ」って連絡をしていたんですけど、後になって聞いたら「ここで私がなんとかしなかったら、取り返しのつかないことになる」と思っていたみたいです。だから「潤さん(加賀谷の本名)、もう入院しなさい」って。でも、ボクにはお笑い芸人しかないんですよ。17歳の時にお笑い芸人になって、それしかやったことがなかったんで、お笑い芸人・ハウス加賀谷じゃなくなったら、何者でもなくなっちゃうんです。それが怖くて怖くて仕方がないから「入院しないでなんとかする!」としがみついていて。結局、それでますます調子悪くなっちゃって、「こりゃもう入院するしかないな……」と。 ――せっかくお笑いとして売れだした時に活動停止しなくちゃならないということで、キックさんとしてもキツかったんじゃないですか? キック ちょっと前まで「か・が・や・でーす!」とかいってみんなを笑わせていた人間が、ここまで落ちちゃうのかっていうくらい落ちてたので、自分の心配どころじゃなかったですね。「はよ治して、戻ってこいよ!」なんて言葉はかけられなかったですもん。 加賀谷 症状が悪化していることによる落ち込みと、「これで終わりだ」という落ち込みとダブルの絶望がありましたから……。 キック だからボクも「お前がもし芸人やりたかったら、10年たってからでもいいから、やりたいって言いに来いよ」って言ったんですけど……本当に復活まで10年かかりました(笑)。 ――その直後、精神科病院に入院するわけですが、ブームの最中だけに周りには思いっきり気付かれますよね。 加賀谷 入院した初日に「あっ、ハウス加賀谷だ!」って言われましたね。でも、「ボクはもうハウス加賀谷じゃないんです……」って言ったら、それ以降は全く言われなくなりました。 キック そこはみんな当事者なんで、察してくれたんでしょうね。 ■ウワーン、またコンビやりたいんですぅ~ ――その後、新薬と出会って症状が劇的に改善されたということですが、それまでの薬とそんなに違うもんなんですか? 加賀谷 全然違いましたね。自分の身体を覆っていた“膜”みたいなものがサーッと取れていくような……。それまでは何にも興味が持てなくて、ずーっと部屋に閉じこもって本だけを読んでいたんですけど、急にボクが元気になっていろんなことに興味を持ちだしたから、家族会議が開かれましたもん。「今度は躁になったんじゃないか!?」って。お母さんは「アナタには人間としての感情の機微がなくなってしまったと思っていたけど、それが戻ってきた!」と泣きださんばかりに喜んでいましたねぇ。 ――ある意味、そこまで自分に合う薬と出会えたというのは運がよかったですよね。 加賀谷 出会うまでに5~6年はかかりましたけど、それでも早かったと思いますね。いろいろな薬を試しているうちに副作用で大変なことになってしまった人も、たくさん知っているので。 キック もちろん、加賀谷がこれだけ元気になっている薬でも合わない人には合わないですし、症状がひどくなって再入院した人もいるし。薬の効果というのは人によって千差万別なので、そこだけは気をつけてほしいですね。 ――新しい薬と出会って元気になってからも、コンビ復活まで4~5年はかかっているわけですが、その間は何をしていたんですか? 加賀谷 もちろん、すぐにでもお笑いをやりたいという気持ちはあったんですが、自分でもとても芸人をやれるような状態じゃないことが分かっていたんで、まず体力をつけなきゃいけないなと。体重も105キロくらいありましたし。……ということで、毎日家の周りをグルグルと5~6時間歩き回ってました。 キック その界隈じゃ、絶対有名人になってたよ! 加賀谷 体力も戻ってきて、調子もよくなって……それでもなかなか「もう一回やりましょう」とは言えなかったですね。やっぱり、せっかくブームに乗っている時期なのに迷惑をかけたっていうのがすごいあるんで。 キック 僕の方も、コイツが入院する直前の状態を見ているんで、症状が悪化した原因となったお笑いを「もう一回やろう」とは言い出せなかったですね。もしまた悪くなったら、責任取れないじゃないですか。 加賀谷 そんな、お互いに言いたくても言い出せないという、甘酸っぱ~い時期をしばらく過ごしましたねぇ。
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――その間も、こまめに連絡は取り合っていたんですか? キック 連絡も取っていましたし、コンビを復活するちょっと前くらいからは家にもよく遊びに来てましたからね。そのたびに、「今日は言おう」と思っていたみたいですけど。 加賀谷 でも言えなくて……。思い詰めて、最終的には電話で言いましたからね。でも感情が高ぶっちゃって「ウワーッ」て泣いちゃって。 キック 電話でいきなり泣きだすから、また症状悪化したんじゃないかと思いましたよ。「大丈夫か、お前!?」って(笑)。 加賀谷 「ウワーン、またコンビやりたいんですぅ~」って。 ■よくある話 ――そして、再び「松本ハウス」として活動を始めるわけですが、その際に病気のことを前面に出していくかどうか、という判断があったんじゃないでしょうか? キック 確かに、復活当初は事務所もなくフリーで活動していたこともあり、「全部のネタを病気フィルターで見られても困るな」ということで、そこは悩みましたね。結果的には、障害者をテーマにしたバラエティ番組『バリバラ~障害者情報バラエティー~』(NHK Eテレ)に出させてもらったり、ネタの中でも病気のことを扱ったりと、その辺をオープンにしていくことにしたわけですが。 ――最近では統合失調症についての講演会をやったり、学会に出席したりもしているそうですね。 キック 「日本統合失調症学会」という、東大から京大から海外の教授までやって来るようなすごい真面目な学会に呼んでいただいて、「加賀谷はこういう症状がありました。ボクはそれにこう接していました」みたいな感じで発表させてもらったんですけど、最初はホントに「すごいとこに来たな……」と思いましたね。壇上に「はい~松本ハウスで~す!」とか元気よく出ていったんですが、かつて味わったことのない視線を浴びましたよ。 加賀谷 ボクは味わったことがある視線ですけどね。診察の時の先生の目ですから。そこで、「か・が・や・でーす!」って言って。 キック その瞬間に、何人かの先生がメモを取りだして! 加賀谷 メモじゃないですよ、カルテですよアレは。 キック もちろんそこでネタをやる予定なんてなかったんですけど、ちょっと時間が余っちゃったので、なぜかやることになっちゃって……。ネタの中で加賀谷が「ウワーッ」って叫ぶシーンがあるんですが、そこでまたみんなメモ出してましたから。「コレ、ネタじゃなくて症状だと思ってるんじゃないか?」って。 加賀谷 カルテがドンドン増えてましたね。 キック でも、その発表は精神科医の先生たちも、ものすごくよかったって言ってくれました。 加賀谷 お医者さんたちって、入院中の患者のことはよく分かっているんですけど、退院してからどういうふうにしているのかは分からないんで、すごく興味深かったみたいです。 ――今回、どうしてこの病気について振り返る本を出そうと思ったんでしょうか? キック 実は、復活する前後から、本を出さないかという話は何度か頂いていたんですね。ただ、当時は自分らがどうなるか分からない時期だったこともあり、お断りしていたんです。その後、『バリバラ』に出させてもらったり、講演会をやらせてもらう中で、「自分らに伝えられることがあるな」と思うようになって、今回の本を出版することにしました。 加賀谷 本の作り方としては、ボクが話したことをキックさんが文章にまとめてくれたんですが、本当に吐きながら当時のことを思い出しましたね。「明日はキックさんにこういうことを話そう」とメモを取っているだけで、ブワーッて吐いちゃったりして。 ――最近、調子はいいわけですよね? 加賀谷 エクセレントですね! ――それでもフラッシュバックしてしまうくらい、つらい思い出だったんですね。 加賀谷 それくらい、こじ開けたくない記憶なんだと思います。 キック この本を読んでいても、どうしても読めなくて飛ばしちゃう部分があるって言ってますからね。
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――そんな、同じ症状を持っている人たちの参考になれば……という面もあるんでしょうか? 加賀谷 あくまでボクの場合の話なので、参考というか……“ちょっとしたヒント”くらいにしてもらえたら、という感じですけどね。 キック 精神疾患を持っている当事者もそうですけど、ご家族や周りの人たちにも読んでもらいたいです。突然、身近な人がそういうことになったら、どう接したらいいか分からないと思うので。実は本のタイトルも「よくある話」にしようかとも思っていたんです。今、日本には100人に1人くらいの割合で統合失調症を持っている方がいるらしいんですけど、それくらいありふれた、誰でもなる可能性のある病気なんですよ。 加賀谷 それなのに、世間では間違ったイメージで見られがちですからねぇ。 キック しかも精神疾患って、ものすごく分かりづらい病気なんですよ。たとえば今、加賀谷が統合失調症だなんて、言われなきゃ分かりませんからね。だから「統合失調症ってどういうことなの?」「精神科病院ってどんなとこなの?」くらいの興味からでもいいと思いますんで、手に取ってもらいたいです。 ――最後に、芸人として今後やりたいと思っていることを教えてください。 加賀谷 やっぱり漫才をやっていきたいですね! キック 自分らしかできない表現で漫才をやりたいです。あとは、ボキャブラブームの時に果たせなかった夢として、お金を稼いで「松本ハウス」っていうマンションを建てたいんですよ。借りに来た人に「ホントに、こんなとこに住むのー?」って。 加賀谷 住人が出したゴミも漁って「こんなもの捨てるの~?」とか(笑)。 (取材・文=北村ヂン) ●まつもとはうす ハウス加賀谷(1974年2月26日生まれ)と、松本キック(1969年3月8日生まれ)で91年に結成。『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)、『進め!電波少年』(日本テレビ系)などに出演しブレイクしたが、加賀谷の統合失調症悪化により99年から10年にわたり活動を休止。現在は、テレビや講演会などで活躍中。http://projectjinrui.jugem.jp/ ニコニコ生放送『松本ハウスのガ!ド!バ!』(毎月第3月曜更新) http://ch.nicovideo.jp/channel/nicojockey/

無縁社会、年金問題……沈みゆくこの国の現実! 国際派監督が描いた密室ドラマ『日本の悲劇』

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国際映画祭で活躍する小林政広監督。「年金不正受給は海外でも起きている。日本だけの問題じゃないんです」と語る。
 2010年7月、東京都足立区で起きたある事件が日本全国に衝撃を与えた。111歳だったはずの男性がミイラ状態のまま自宅で30年間にわたって放置されていたことが発覚し、その男性の家族が年金不正受給を罪に問われ逮捕されたのだ。この事件が明るみになるや、全国で100歳を越える行方不明老人が膨大な数に上ることが判明した。“長寿大国”という日本の看板を揺るがしたこの事件に強い関心を示したのが小林政広監督。これまでにイラク人質事件を題材にした『バッシング』(05)がカンヌ映画祭コンペ部門に選出、佐世保少女刺殺事件にインスパイアされた『愛の予感』(07)がロカルノ映画祭で4冠受賞するなど、日本社会が抱える厄介な問題に独自のアプローチ方法で向き合ってきた国際派監督だ。そんな小林監督のシナリオに魅せられたのは仲代達矢、北村一輝、大森暁美、寺島しのぶという4人の実力派俳優たち。崩壊していく日本の家庭を息詰まる緊張感の中で描いた密室ドラマ『日本の悲劇』に込めた想いを小林監督に訊いた。 ──年金を頼りにギリギリの生活を送る父子(仲代、北村)の抜き差しならぬ物語。足立区で起きた事件をまざまざと思い起こしました。即身仏化した父親と家族が暮らしていた足立区の事件を、小林監督は当時どのように感じたんでしょうか? 小林政広監督(以下、小林) びっくりしましたよ。そんなことがあるのかとね。最初は別に映画にしようと考えたわけじゃないんです。ただ、「嫌な事件だな」と。でも『バッシング』のときもそうだったんですが、自分で「嫌だな」と感じたときほど気になるわけです。その嫌な感じの正体はなんだろうとね。そこでシナリオを書くことで、事件についていろいろと考えるんです。一体、どんな家族だったんだろう? どういう人が即身仏になろうと考えるのだろうとね。即身仏になろうとする人だから、きっと大正とか明治生まれの人でしょう。うちのオヤジと同じくらいの年齢だったのかな。映画の世界でいえば黒澤明みたいに意志が強く、決断力のある人だろうなどと考えるわけです。そう考えるうちに興味が湧いてくる。今回は『春との旅』(10)に主演してくれた仲代達矢さんのことが念頭にありました。仲代さんがかつて演じた『切腹』(62)のイメージが思い浮かびましたね。 ──小林正樹監督の『切腹』も、食い詰めた下級武士の悲壮な物語でしたね。 小林 そう、婿夫婦を失った浪人が復讐を果たす物語。覚悟を決めた男の物語でしょう。覚悟の決め方が魅力的だった。「あっ、自分が描こうとしている男も覚悟を決めた人間なんだ」と気づいたわけです。逆にいえば、現代人って覚悟が決められないんだなって思えてきた。そうこう考えていくうちに、キャラクターが作られていったんです。 ──『バッシング』や『愛の予感』は、実際に起きた事件を詳細にリサーチすることはしていないと語っていましたが、今回も年金不正受給の実状を具体的に取材したわけではない? 小林 えぇ、していません。どうして、そのような事件が起きてしまったのかという問題の構造性や社会的なことにはさほど興味がないんです。それよりも、どうしてそんな行動に走ってしまったんだろうという人間の内面的な部分に興味があるんです。足立区の事件があって、しばらくして一度シナリオを書き上げたんですが、自分で読んでみてあまり面白くなかった。それでそのシナリオは放っておいたんですが、そうしているうちに2011年3月になって東日本大震災があり、そこから震災も含めた現代の家族のドラマとして考え直したんです。震災の前から景気が悪くなり、社会が息苦しくなったなぁと自分は感じていたんですが、それはみんなが感じていたことだろうと。みんなの表情が暗くなった頃からの、小さな家族の歴史みたいなものを描いてみたいと思い、今回の作品になったんです。
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思うように再就職できない息子(北村一輝)と闘病中の父親(仲代達矢)。父親が受け取るわずかな年金が親子の生命線だった。
──タイトルを聞くと、巨匠・木下惠介監督の『日本の悲劇』(53)を思い浮かべる人もいると思います。木下監督の『日本の悲劇』は、戦後の厳しい経済状況の中で慎ましい母子家庭が崩壊していく様子を描いていましたが……。 小林 木下監督の作品は別に意識していないですね。どんな内容だったか、あまり覚えてないくらい(苦笑)。実は木下監督とは別に、もうひとつ『日本の悲劇』(46)というタイトルの映画があるんです。これは亀井文夫という監督が撮ったドキュメンタリーですが、とんでもない内容です。軍と軍需産業が結託して戦争を起こしたことを糾弾した内容で、資本主義、金儲けのために戦争が始まり、その後には死体の山が累々……という。このドキュメンタリーは戦争が終わった翌年の1946年に公開され、GHQにフィルムを没収されて公開1週間で打ち切られたんです。これは公開するのも命懸けだったでしょう。すっごい映画ですよ。あの映画に比べると、ボクが撮ったのは本当に小っちゃな家族の物語ですよ。 ■板の上で死にたいという役者の願望 ──小林監督の『日本の悲劇』は無縁社会、年金問題を扱った社会派ドラマということになるんでしょうが、とある家庭内で起きるドメスティックバイオレンスならぬドメスティックサスペンス、もしくは密室パニック映画として観ることもできそうですね。 小林 そうですね。まぁ、でも今回はエンタテインメント性とかは何も考えないで作ったんです。だって、ひとりの男が餓死してミイラになる話ですよ。普通の神経じゃ、こんな映画は作りませんよ(苦笑)。自分でも一度はダメだと思った内容だったけど、3.11後にもう一度書き直して、それで整合性がついたというわけではないんですけどね。やっぱり仲代さんが「やる」と言ってくれたことが大きかった。共犯者がひとりでもいてくれると映画って動き出すものなんです。商業性うんぬんでもないですね。こんな映画は今までなかったから、逆に役者はやってみたいと思うんじゃないですか。普段はコマーシャルな仕事でみんな食べているわけだけど、原点に戻ってじっくり役に取り組んでみたいと潜在的に思っている役者はけっこーいると思いますよ。 ──仲代達矢演じる父親・不二男の背中をカメラはずっと撮り続ける。亡くなった親の思い出というと、どうしても顔より背中のほうが鮮明に浮かんできます。
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「今回は娯楽性、商業性は考えなかった」と話す小林監督だが、独自のインディペンデントスタイルを突き詰めたものに『日本の悲劇』は仕上がった。
小林 そうなんです。仲代さんの背中をずっと撮っていたんだけど、役者ってどうしてもカメラのほうに振り向いて演技したがるから、そのときは「ずっとそのままで」と言おうと思っていたんです。背中から撮ることの意味も仲代さんには説明しました。「これは不二男の回想ですから、不二男は影になってほしい」って。仲代さんは納得してくれました。終始、背中を向けたまま、動かなかった。すごいですよ(笑)。覚悟を決めた男と、死に行く父親を見届けることに心が揺れ動く息子の物語。年金の不正受給の話じゃなくなっていますよ(苦笑)。実際にね、ボクの母親が亡くなったとき、1年くらい病院に通っていました。世話をしながら、正直なところ「早く死なないかな」と思ったりしたこともありました。治らない病気の場合、延命治療にどれだけの意味があるんだろう。本人は「痛い、痛い」と苦しんでいるわけです。でも、薬を注射されて気分がいいときもあって、そういうときは「あぁ、オフクロが生きていてよかった!」とも思うわけです。死んでゆく親を看取る子どもの気持ちは、絶えず揺れています。悪魔的になったりもするし、健気な子どもになったりもするんです。 ──仲代さん、東海テレビが今年劇場公開した『約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯』では冤罪死刑囚を演じていましたが、本作でも「撮影中に役者人生をまっとうできれば本望だ」と言わんばかりの迫真の演技です。 小林 『春との旅』の宣伝でご一緒したときには「もうボクは無名塾もやめて、バイクで世界を旅して、どこかで野垂れ死にできればいい」と言ってましたよ。「バイクの免許は持っているんですか?」と尋ねると、「持ってない」と答えてましたけど(笑)。まぁ、演じることは根っから好きなんだと思いますよ。本人に確かめたわけじゃないですけど、「板(舞台、セット)の上で死ねれば最高だ」と思ってるんじゃないですかね。今回の撮影は2週間でした。仲代さんが疲れないよう、明るい時間に撮影が終わるように余裕のあるスケジュールを組んだんですが、1ショットが長くて凄い緊張感の中での撮影だったんです。1ショットごと息を止めながら撮影しているような感覚。撮っている側が気絶しそうになってしまった(苦笑)。 ──再就職がなかなかできない息子・義男には、『女理髪師の恋』(03)以来の小林監督作品への帰還となった北村一輝。最近は『妖怪人間ベム』『テルマエ・ロマエ』などすっかりメジャーシーンで活躍する人気俳優に。 小林 でも、全力を出し切る仕事というのはしてなかったと思うんですよ。今回の現場はそうじゃなかった。持っているものを全部出さないと成立しない。だから、苦しいという感覚もあったかもしれないけど、楽しいという感覚のほうが勝っていたと思いますよ。『日本の悲劇』のクランクイン直前まで『ATARU』の撮影を北村くんはやっていたんですが、それで深夜に『ATARU』の撮影が終わってから別のスタジオを自分で借りて朝まで役づくりをやっていたそうです。大森暁美さんも寺島しのぶさんもそうですが、誰も撮影現場に台本を持ってくる役者はいませんでした。毎回そうなんですが、みんなしっかり役づくりしてから現場に入ってくれるんです。 ■答えが出ない問題にこそ、大事なものが隠されている ──家族がみんなそろうシーンは涙腺直撃です。まさか小林監督が“泣かせ”に走るとは思いませんでした。ライアン・ゴズリング主演の『ブルーバレンタン』(10)やギャスパー・ノエ監督の『アレックス』(02)を思わせる反則技の演出じゃないですか? 小林 『ブルーバレンタイン』って、こういう映画なの? 観てないので分からない(笑)。『アレックス』はずいぶん前に一度観たかな。偶然ですよ。あまりシリアスなシーンばかりはどうかなと思って、後から考えたシーンなんです。シナリオを書いてて自分でグッと来ちゃった(笑)。自分で書きながらあらためて思いましたよ。人が幸せだなって感じる瞬間はほんの一瞬なんだなって。しかも、感じている瞬間はそれが「幸せだ」とは気づかないものなんですよ。
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母(大森暁美)と嫁(寺島しのぶ)がそろった家族の食卓。いつまでも続く平凡な日常風景になるはずだったが……。
──幸せが通り過ぎた後で、人はそれが「幸せだった」ことにようやく気づくんですね……。あらためてお聞きしますが、小林監督は年金不正受給問題をどのように考えていますか? 小林 正規雇用の仕事が少ない、鬱病が増えている、自殺者が減らない……。やっぱりお金の問題ですよね。お金を稼ぐことができず、食べることもままならない。アベノミクスで景気が良くなったとニュースで報じられるけれど、誰も実感できずにいる。反原発を訴えた山本太郎に、宮根誠司が「江戸時代に戻るんですか?」と言ったことが話題になったけれど、どこかで意識改革は必要でしょう。原発だけじゃなくて、資本主義の在り方をね。発展途上国だけどインドのほうが、今の日本より精神的に豊かなように映りますよね。日本以上に米国はもっと悲惨なことになってるでしょ。社会そのものを見つめ直さないとね。でも、ボクは政治家でも政治学者でもないんで、具体的にどうすればいいのかは分からないんですが。 ──分からない問題、答えが出ない問題にカメラを通して向き合うのが映画監督のようですね。 小林 そうね。答えがすぐに出せるなら、映画を撮る必要はないわけです。答えが待っているものじゃ、作っていても面白くない。解決できないものを考えていきたいですね。解決できないものの中にこそ、もっと大切なことがあるように思うんですよ。映画づくりというのは、ひとつのテーマをとことん考える作業だと思うんです。大切なのは答えを出すことじゃなくて、考えて考えて考え尽くすことだとボクは思う。 ──問題だらけの日本の年金制度ですが、映画監督に年金制度ってあるんでしょうか? 小林 フランスでは映画を1、2本撮った監督は監督協会に入会できて、映画が撮れずにいる間は協会から毎月20~30万円くらいの手当が支給されるんですよ。だからフランスの映画監督は4~5年に1本くらいしか映画が撮れなくても、けっこー優雅に暮らしているんです。フランスではそれだけ映画が文化として高く評価されているわけです。日本の映画監督協会? ボクは入ってないから詳しいことは知らないけど、年に1度集まっての飲み会などの親睦が目的じゃないかな。あっ、そうだ。日本脚本家連盟には一応入っているんだけど、いよいよ来年から年金が支給されるんです。年に1万2,000円なんだけどね(笑)。フリーランスで働く人間にとって、今がいちばん厳しい時代じゃないですか。 (取材・文=長野辰次/撮影=名鹿祥史) 『日本の悲劇』 脚本・監督/小林政広 出演/仲代達矢、北村一輝、大森暁美、寺島しのぶ  配給/太秦 8月31日(土)より渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほか全国順次公開 (c)2012MONKEY TOWN PRODUCTIONS  <http://www.u-picc.com/nippon-no-higeki> ●こばやし・まさひろ 1954年東京都生まれ。高田渡に弟子入りし、林ヒロシの名でフォーク歌手として活動。その後、郵便局員などを経て、シナリオライターデビュー。約500本ものドラマを手掛けた。監督デビュー作『CLOSING TIME』(96)は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で日本人初のグランプリ受賞。『海賊版=BOOTLEG FILM』(99)、『KOROSHI 殺し』(00)、『歩く、人』(01)で3年連続カンヌ映画祭に招待。『バッシング』(05)はカンヌ映画祭コンペ部門に選出された。『女理髪師の恋』(03)はロカルノ映画祭特別大賞、『愛の予感』(07)はロカルノ映画祭初となる4冠を受賞。仲代達矢を主演に迎えた『春との旅』(10)は毎日映画コンクール日本映画優秀賞ほか数多くの賞を受賞。その他にもEXILEの眞木大輔と吉瀬美智子が主演した『白夜』(09)、震災直後の宮城でロケ撮影した『ギリギリの女たち』(11)などコンスタントに作品を発表している。