ネット騒然!? なんだかミョ~に楽しそうな相撲部屋「式秀部屋」の秘密に迫る

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ただいま新弟子募集中!(撮影=大木正人)
 アイドルグループ・Berryz工房の「ももち」こと嗣永桃子のファンだから「桃智桜(ももちざくら)」。ウルトラマンタロウにちなんだ角界最軽量力士の「宇瑠虎(うるとら)」といったキラキラ四股名の力士や、ニコニコ動画で朝稽古の模様を生中継したり、FacebookやTwitterを通じて部屋の広報活動を展開するなど、何かとお堅いイメージの相撲業界の中で異彩を放っているのが、式守秀五郎親方(元・北桜)率いる式秀部屋だ。  親方自身もプロテクターを装着してぶつかり稽古に参加し、「いいよ!」「強くなっちゃうよ!」と、やたらとポジティブに力士を煽りまくったり、動画編集ソフトを使って力士の活躍をYouTubeにアップしたりと、なかなかキャラが立っている。  そこで今回は、そんな親方に独特の指導哲学を尋ねてみた! 「明るく、楽しく、元気よく」をモットーとする式秀部屋は、いかにして作られたのか。そこには意外と真面目で、合理的な理由が潜んでいた……。 ──ニコニコ動画やFacebookを通じて、親方のコミカルなキャラや、個性的な四股名の力士たち。はたまた式秀部屋の和気あいあいとした力士たちの日常や、稽古の風景が多くの人々に話題を振りまいていますね。 親方 「明るく、楽しく、元気よく」をモットーに、部屋を運営させていただいています。自分は明るい性格で、ちょっと変わり者ということもあって、楽しいことが好きなんです。相撲部屋っていうと、稽古がきついとか上下関係が厳しいというようなイメージが強いですが、本当はどの力士もめちゃめちゃ明るくて無邪気なんです。  相撲というのは古くから続く伝統がある世界ですので、力士もメディアに出るときはまげを結って、ちゃんと着物を着てなきゃいけないという側面があります。土俵に立てばしっかりと礼をして、きちっとした姿を見てもらう必要もあります。  でも、力士といえども一人の人間です。それぞれ性格も違いますし、その個性を生かした相撲を取れるような力士になってほしいんです。やはり土俵に上がるとプレッシャーを感じてしまいます。そこで、力士たちが大事な場面で自分の力を最大限に出し切るにはどうしたらいいかということを考えますと、普段の生活が大切ではないかなと思いまして。部屋は、自分の家にいるようなリラックスした感覚でいられるほうがいいのではないかなと考えています。 ──家にいる感覚ですか! 世間一般の相撲部屋に対するイメージと、真反対ですね。 親方 私の師匠の北の湖親方は、力士の持つ個性、才能、素質というのはそれぞれ違うので、一人ひとりちゃんと伸ばしてあげることが大事だと指導してくださいました。個性を伸ばすということは、力士の取る一番にも性格が出るということ。そう考えると、普段の生活も重要なんです。だからこそ、相撲という世界は規律と伝統が重んじられているとも思います。  現役引退後に、少し人間の体のメカニズムについて勉強をしたんですが、どんなに体を鍛えても、やっぱり精神も強くないと相撲に限らずスポーツって勝てないし、実力を発揮できないんですよね。脳みそというのは喜びを感じると喜びのホルモンを出して、ストレスを感じるとネガティブなホルモンを出す。ストレスのホルモンって免疫力が低下したり、体にいい影響がない一方、喜びのホルモンは免疫力を上昇させたり記憶力を上げたりする効果がある。じゃあ力士には、怒りのホルモンと喜びのホルモンのどちらを与えたらいいのかというと、私としては喜びホルモンのほうがいいと思うんです。普段から力士たちが喜ぶホルモンを出すようにしておけば、病気もケガも少なくなる。ひいては、相撲の結果も良くなるんじゃないかと。
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現役時代は大量の塩を撒くパフォーマンスから“ソルトシェーカー”の異名を取った式秀親方。とにかくアツい男です。
──ニコニコ動画で公開された、朝稽古前のウォーミングアップ風景も意外でした。まず、リンゴをみんなで食べてからストレッチ。その後、ようやくぶつかり稽古という、ゆったりした雰囲気に驚きのコメントが上がっていました。 親方 これが私の腕です(笑)。うちには毎朝「頭が痛いっす」「やる気が出ないっす」っていうところから始まる現代っ子力士がいるんです。その子は無呼吸症候群で、寝てる時に呼吸が止まっちゃうんですが、そうすると朝起きた時にあんまりすっきりと目覚めることができないわけです。だから、まずうちの部屋ではみんなでリンゴを食べるところから始めます。リンゴというのは一日の始まりにぴったりな、いろいろな栄養分が含まれています。それをまず補給してから、時間をかけてストレッチをします。そのうちに脳がだんだんと目を覚まして、腸の動きも活発になる。そうするとトイレに行きたくなって、大も小も全部出る。それからまわしをつけて稽古を始めると、2時間くらいトイレに行かなくても平気なんですね。結果的に、集中した稽古ができるようになるわけです。 ──なるほど! 親方 そうすると、さっきまでやる気がなさそうだった子が、ギラギラした顔つきになってくるわけです。それを見て、今度は「やれちゃうよ!」「できちゃってるよ!」「できる子だよ!」って言ってあげられるわけです。 ──実は非常に合理的な考えのもとに、式秀部屋の空気は作られていたんですね。 親方 私見ですが、今の日本の子どもたちの環境って、50年前とは全然違うと思うんです。かつては戦争があり、食べる物があまりないような環境で育ってきた子どもたちは、もともとハングリー精神を持っていたのではないのでしょうか。あらゆる環境が厳しいので、「なにくそ!」という気持ちで結果を出すことができていた。でも今は、そういうハングリーさが必要な環境というのは日本では見られなくなった。少なくとも、食べる物がなくて飢え死にする心配はそうそうない。でも、よくないニュースや社会に対する不安から、子どもたちは漠然としたプレッシャーを受け続けている。そんな今の世代の力士たちに、かつての時代と同じように厳しく接するのは、あまりよろしくないのではないか。ストレスホルモンが出てしまうのではないかと思うわけです。 ──「褒めて育てる」のメカニズムですね。 親方 そうです。稽古の一例を挙げると、四股を100回踏むのって大変ですよね。だんだんきつくなってくる。そうすると、人間は同じ動きをしているようで、本来鍛えないといけない筋肉以外を使って負担を逃がそうとするわけです。でも、それは悪い癖の原因にもなります。だから、うちでは1セット10回を数セットやるようにしています。それでもだんだんと体はきつくなってくるわけですが、そこで私が「もう無理するなよ!」「それ以上やると強くなっちゃうよ!」と声をかけると、「もう一回お願いします!」ってみんな頑張っちゃうんですよね。なぜかというと、みんな強くなりたくて力士をやっているからです。  正しい選択肢、やりたい選択肢を与えてあげれば、誰でも自分の力を十分に発揮できるようになる。スポーツで強くなる人というのは、そのスポーツが好きで、自分が練習しようと思えるメニューが勝手に出てくる人です。一方で伸び悩んでいる子というのは、次の選択肢に迷っている子なんです。そこで、弟子たちに次の選択肢を示してあげて、彼らの力をうまくアウトプットさせてあげることが、指導者である私の仕事だと思っています。これがなかなか難しいんですが、褒めて育てるということと選択肢を示してあげるということをかみ合わせることを日々意識しています。
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Berryz工房・ももちファンの桃智桜(ももちざくら)。「いつも部屋にいるので、『どっか外に遊びに行ってきなよ』って言ったら、Berry工房にハマっちゃって……」
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“ものまね侍”こと若戸桜(わかとざくら)。この1年で体重が30kgも増えたとか。
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角界最軽量力士・宇瑠虎(うるとら)。「この四股名にしてからテレビなどでも取り上げてもらって、本人もやる気になってます」
──お話を伺っていると、スポーツ指導だけではなく、教育全体に対する考え方にも通じるように感じます。 親方 それを言っちゃいますか! その言葉は、私にとって今日一番のご褒美です(笑)。実は、自分は小学校の頃、勉強が嫌いで挫折した経験があるんです。それで、自分は当時やっていた柔道で生きていこうと決めたわけです。結局、その後、相撲に移行したわけですが、もし自分が勉強好きだったら、どんどん自分で勉強をするという選択肢を選べたはずなんです。柔道もきつかったんですけど、好きだったから続けることができました。そう考えると、小学校の時にもっと勉強を好きにさせてくれていたら、それを努力と思っていなかったかもしれないですよね。小学校の授業って、今日はここからここまで、明日はここからここまでと、みんな同じ進度じゃないですか。だからついていけなくなった瞬間に、面白くなくなってしまうんです。 ──指導者自身が、子どもたちの可能性を潰していた可能性もあるのかもしれないですね。 親方 だから私が相撲を指導する時は、みんなに相撲を好きになってもらいたいんです。もちろんプレッシャーや苦しみもあるかもしれないけど、相撲が好きなら、みんな自分から稽古をするようになります。ただ、あまり厳しいと、やらされている感が強くなってしまうわけですが。そう考えると、小学校における教育の仕方について、もうちょっと子どもたちを勉強に引き込む環境って作れるんじゃないかなと思うんです。今は教師があふれていると聞いたことがあります。さすがに子ども一人に教師一人、というのは厳しいとは思うのですが、教師の側がもっと子ども一人ひとりの学力を分かってあげて、その子ならではの教育の仕方を提示してあげることもできるんじゃないかと、期待もしているんです。そういう具合に、子どもたちにもう少し選択肢を与えてあげるべきじゃないかなと。私は、それが教育じゃないかなと思います。そういう考えをもって挑戦させてもらっているから、うちが新しい変わった感じの部屋になっているのかもしれませんね。 (取材・文=有田シュン) ●式秀部屋Twitter <https://twitter.com/shikihidebeya> ●ニコニコ超会議3 大相撲特別巡業「大相撲超会議場所」 日時:4/26(土)、27(日)※式秀親方は27日の解説を担当 場所:幕張メッセ <http://www.chokaigi.jp/2014/booth/sumo_chokaigi.html>

「側近は『モンスター』と呼んでいる」ボロは出てても実利で帳尻を合わせる池田大作のすさまじさ

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著者近影
 「あるある本」ブームも収束に向かいつつあるが、そんな中、トンデモないタイトルの「あるある本」が登場した。その名も『創価学会あるある』。公称の会員世帯数は827万世帯に上るマンモス教団でありながら、実態は見えづらい創価学会。非学会員からはうかがい知れない学会カルチャーを「あるある形式」でピックアップするという本だ。  たとえば、「学会員は日蓮を日蓮上人と呼ばれるとイラッとする」という最初のネタからして、ぜんぜんわからない。「聖教新聞はネガティブキャンペーンを張っているときのほうが筆がのっているように感じる」。ちゃんと読んだことはないけど、これはちょっとわかる。「池田先生の側近とも言える第一庶務は、池田先生のことを『モンスター』と呼んでいる」という、ちょっとドキッとするネタも載っている。  学会シンパ本でもなければ、アンチ学会本でもない。学会カルチャーや学会員の考え方などを紹介しつつ、創価学会や池田大作に対する辛らつな意見やスキャンダルについても具体的に書いてあり、“すぐ隣に存在する異次元世界”を理解するガイドとして気軽に楽しめる一冊になっている。  著者の「創価学会ルール研究所」さんは、キャリア30年以上のバリバリの創価学会員とのこと。今回は匿名を条件に、直撃インタビューが実現した。 ■「Fを取る」「命に入る」…学会員ならニヤリとする「学会言葉」 ――まずは、この本を書こうと思ったきっかけを教えてください。 研究所 縁あって、編集の方から「創価学会ネタで『あるある本』を書かないか」と提案をいただいたことがきっかけです。企画書を見て、1秒もたたないうちに「あ、これは書けます」とお返事しました(笑)。ただ、内容が内容なだけに、名前を出すと厄介なことになりそうなので……。 ――厄介なこととは、どんなことなのでしょう? 研究所 自分としては中立の立場で書いているつもりですが、創価学会の公式見解とは違うことも書いてありまして、そうなるとマークされてしまう可能性があります。そこで今回は匿名という形にさせていただきました。 ――ちなみに、この本を書いたことを周りの人にはお話しされたんですか? 研究所 何人かには話しました。モノがモノだけに、みんな二の句が継げなくなりますね(笑)。本を渡しても、そそくさとカバンにしまったり。 ――学会の方たちには? 研究所 言ってません。だから、リアクションがまだわからないんですよね。 ――「あるある本」ということは、ここに書かれていることは学会員の方たちが共有、あるいは共感するような事柄だということでしょうか?  研究所 たとえば、創価学会の御本尊を勧誘する人に渡す「本尊流布」のことを「ほんる」と略したり、ほとんど活動をしていない学会員のことを「未活」と呼んだりするような学会内の用語に関してはそうですよね。「Fを取ろう」(※選挙活動における票取りのこと)とか「命に入る」(※学会の教えをしっかり理解すること)とかは日常的な会話に出てくるので、学会員の人も読めば思い当たるでしょう。 ――第1章の「学会言葉の世界」のネタですね。 研究所 一方で、「捨て金庫事件」(※1989年、横浜市のゴミ処分場で2億円近く入った金庫が発見されたが、のちに持ち主が創価学会の経理担当者だと判明した事件)や「竹入・矢野の退会事件」(※元公明党委員長の竹入義勝と矢野絢也が脱会。学会がバッシングを繰り広げた事件)のような学会のスキャンダルについても書いていますが、それは少人数のグループになったとき話題に出るような感じです。 ――身内だったり、お酒の場では話題に上ると。 研究所 特に私だけが突っ走っているわけではないと思います。ただ、竹入・矢野の事件などはちょっと前の話なので、若い学会員は知らないかもしれませんね。 ――スキャンダルに関しても、学会の公式声明を真に受けない学会員が増えてきたということでしょうか? 研究所 疑問がないことはないでしょうが、形にできない、言葉にできない学会員は多いと思います。教えを守っていれば自分の人生が開けると考えている学会員は、まだまだ多いですからね。 ――聖教新聞しか読まないような方が多いと。 研究所 そうですね。聖教新聞がすべて正しいと思っている学会員は多いです。 ――でも、聖教新聞を読む一方で、日刊サイゾーを読む学会員もいるわけですよね(笑)。 研究所 いてもおかしくはないです(笑)。ウェブのニュースは、みんな読んでいるでしょう。ただ、ネットを見ると創価学会の悪口はゴマンと出てきますが、大手メディアは学会の話題をまったく取り上げませんよね。だから、学会員がネットで学会への批判的なニュースを見ても、あまりなんとも思わないんです。 ■元ヤクザでもDV男でも“役に立つ”人間になれば全部チャラ! ――「平和教育文化を推進する学会員だが、平和教育文化に関して自分なりの意見や活動はほとんどない」という“あるある”はリアルで面白かったです。 研究所 学会員は、学会に入ることイコール平和教育文化に貢献していると自動的に考えているんですね。平和教育文化について具体的に何か考えているわけではない。だから、楽なんですよ。池田大作は平和教育文化について貢献しているから、毎日世界中から勲章をもらっていますよね(笑)。その池田大作に従っている自分も自動的に貢献していることになっているわけです。それでいて世界の問題を解決するムーブメントの中に身を置いている、と思っているんですね。あくまでも、そんな気になっているだけですけど(笑)。創価学会に入って、池田先生の言うことに従っていればいいという設定になっているわけです。 ――学会員の主な目的は「ほんる」と「F活動」の2つなんでしょうか? 研究所 そうですね。その2つさえできていれば、多少悪いことをしたような人でも受け入れられます(笑)。人殺しはさすがに難しいでしょうが、盗みで刑務所に入ったことがあったり、DVが大好きな男だったりしても、「ほんる」して「F」をたくさん取れば、すべてチャラ。 ――すごい。シノギの世界みたいだ。 研究所 昔、シノギの世界にいた人も大勢いますよ。私も何人か会いました(笑)。どれだけ嫁を泣かせていようが、シャブを打っていようが、池田先生の弟子になればオッケー! という考え方ですね。 ――さすがにシャブを打ったままではダメですよね?(笑) 研究所 ダメです。でも、たまにまた捕まったりする人もいますけど(笑)。 ――「学会員もいろいろいるので、急に蒸発しちゃう人や逮捕されちゃう人もいる」というネタですね。 研究所 だいたい元ヤクザのような人のほうが、実行力があるんですよ。実務能力も高いし、処世術にも長けているので、人を勧誘するのは真面目な信徒よりうまいんです。昔シャブやってたような人が、いつの間にか地域の部長になって学生たちを指導していたりする。で、その人がまたシャブで捕まって、急にいなくなったりするんです(笑)。 ――本の中に、創価学会は「貧乏人と病人と訳ありな人物の集まり」という表現があります。「暴走族だった人が、地元の学会のリーダーに」というネタもありました。 研究所 雑食性が学会の面白いところですね。そのへんのものは、なんでも食べちまえ的な(笑)。訳ありの人間でも役に立たせてしまう再生力は、すごいものがありますね。池田大作という人が、そういう人だったと思うんです。貸金業、今でいうサラ金みたいな仕事でのし上がって、選挙で勝ちまくって、今の地位を築いたわけです。メディアには金をバラまいて、公明党を徹底的に利用して、矢野絢也氏に税務調査の妨害を指示したりする。トンデモない人間ですよね。そのあたりの話は、『乱脈経理 創価学会vs国税庁の暗闘ドキュメント』(矢野絢也/講談社)に詳しく描かれています。 ――本にも書いてありましたが、50議席を獲得して維持しているってすごいことですよね。幸福実現党があんなに頑張っても、1議席も取れないわけですから。 研究所 大川隆法は一度学会に入って、やり方を習ったほうがいいと思います(笑)。頭はいい人だと思うから、元ヤクザとか元シャブ中とか暴力亭主を、票が取れる人間に変える方法を学べばいいと思いますよ。営利を目的に活動しているすべての人たちは、学会に学ぶところがあると思います。 ■池田大作は、なぜ側近から“モンスター”と呼ばれているか? ――この本には、あるあるネタとは別に、「池田先生のすごいところ」という一種の“池田大作論”が記されていました。「ドリームメイカー」という表現も使われていましたが、あらためて池田大作のすごいところとは、どのような部分なのでしょうか? 研究所 結局、池田大作によって、それまでの人生では就けなかったようなポジションに就けた人がたくさん現れたわけですよね。そういう意味では、池田大作の実行力、実現力はすごいですよ。これを30年、40年やり続けている人はいませんから。その代わり、宗教ということでタダ働きの人がたくさんいたり、税務調査潰しを指示したりするんですけど。たくさんボロは出ていて、信徒の人たちも気づいていると思いますが、実利で帳尻を合わせている。その決定力がすごいと思いますね。 ――「池田先生の側近とも言える第一庶務は池田先生のことを『モンスター』と呼んでいる」というようなネタは、どこから仕入れてくるんですか? 研究所 単純に、直接聞いた話ですね(笑)。池田大作が現場でバリバリやっていたときは、夜中であろうが構わずいろいろな指示や命令が飛んできたそうです。あと、極めて黒に近いグレーなミッションをこなさなければいけない不条理な状況に遭遇したりするときは、「ちょっとこの人はモンスターだな」と思わざるを得なかったということでしょう。 ――池田氏に対する認識は、学会員たちと共有しているものなのでしょうか? 研究所 うーん、揺れている人はかなりいると思います。 ――本にも書かれていましたが、それが今の学会の活気のなさ、求心力の低下につながっていると。 研究所 そうですね。学会は宗教として考えるなら、グレーの部分があってはいけないんです。白なら全部白でなければならない。ただ、公明党や周りの外郭団体、利権につながるような組織にいる人たちは学会で食べていますから、池田大作の多少のゴシップやマイナス面を踏まえた上で行動しているはずです。 ■そんなにオイシイわけではない「学会タレント」 ――「活躍する学会タレント」という学会員の芸能活動について書かれた章があります。「『学会タレントは芸能界で有利である』という噂があるが、そうでもない」や「学会タレントが学会員であることを隠すのは、広告対策が理由の一つだ」などのリアルなネタが多いのですが、「池田先生が芸術部の、特定の芸能人を褒めてあげることはある」というネタもありました。どなたの名前が挙がったのか、教えてもらうことはできますか? 研究所 ご迷惑をかけるといけないので、具体的な名前を挙げるのは避けさせていただきたいのですが、池田大作は学会タレントが所属する「芸術部」を、とにかく立てるんです。学会のイベントになると、芸能人とスポーツ選手と政治家が、ずらっと並びますよ。これだけそろったら、けっこう視聴率いくんじゃない? と思うような顔ぶれです(笑)。ハービー・ハンコックが来ていたのは見ましたね。あと、オーランド・ブルームが「牙城会」に入りたがっているとか(笑)。 ――ええっ。牙城会というのは、学会本部を警備する組織のことですよね。 研究所 はい、女性会員たちの間では、かなり話題になっていましたよ。 ――「都市伝説学会タレント」という表現がありますが、実際には学会員ではないのに学会員だとウワサされているタレントもいるということですが、具体的にはどなたなんでしょう? 研究所 これも誰が学会員で、誰が学会員ではないか、ということを明確に言及するのは避けています。たとえば、石原さとみさんが創価高校出身なのは事実ですが、現在、信心されているかどうかはわかりませんからね。 ――なるほど。 研究所 間違えられている現状そのものが面白い、というスタンスです。ただ、学会タレントと共演している人は間違えられやすいですね。あとは、「パンプキン」や「第三文明」などの学会関連雑誌に出る人。実際は、登場している全員が学会員というわけではありません。「灯台」は学会員が多いかな。あと、男性アイドルをめぐる学会員のウワサが多いですが、実際は10分の1ぐらいですね。 ――先輩タレントが後輩タレントを折伏(※学会に勧誘すること)することもあるのでしょうか? 研究所 実は、逆のケースが多いんですよ。後輩が先輩に「学会に入りたい」と言ってくることが結構あるんです。もちろん、事務所的にアウトですけどね。 ――学会がタレントを売り出そうとしているわけではない? 研究所 芸能事務所は、すでに力がありますからね。そこに学会が介入しても、あまり意味はないかなと思います。 ■3年は姿を見ていない……池田大作Xデーは、もう訪れている!? ――本の最後に、著者なりの創価学会への見方が披露されています。「学会の未来は明るい」ということですが、これはどういうことでしょう? 研究所 学会は“地肩が強い”んです。学会の支持層や活動している人は、ロウワークラスの人が多いんですね。学会に代わる彼らの受け皿は、世の中に存在しません。別の組織が創価学会の真似をすればよかったんですけど、そういう組織は現れませんでした。たぶん、学会の汚れ仕事を厭わないような部分を真似できなかったんでしょうね。結局、創価学会が求められることになるんです。 ――「プア集団の受け皿」と書かれていますね。よく言えば“セーフティネット”なんでしょうけど。 研究所 ドロップアウトした人たちを救って、彼らに“幸せだった”と思える人生にしてあげている、ということなんです。本人が幸せだったと思えればいいですからね。宗教に力があるのかどうかわかりませんが、何かに一生懸命打ち込んでいれば、いいことが起こりますからね。劇的に自分が変わったように思えることもあります。すると、信心はすごい、池田先生はすごい、となるでしょうね。一方で、エリート層からの受けは相変わらずよくないだろうな、とも思います。 ――日本が貧しくなればなるほど、創価学会は強いと。 研究所 結局、やっていることが泥臭いんです。選挙もずっとドブ板選挙で、地上戦に極めて強い。今でも自民党のキンタマ握っていますからね。そのあたりは、池田大作の政治的な嗅覚だと思います。 ――こういう質問をすると怒られそうですが、池田氏のXデーは、学会のみなさんは想定されているのですか? 研究所 学会の人間はしていると思います。話には出ますけど、大声では言わない感じです。「先生がいなくなった後は、私たちが頑張らないといけないよね」という話にはなりますね。 ――Xデー後の学会は、どうなると思われますか? 研究所 しばらくは変わらないでしょう。池田大作が作ってきたマニュアルを上層部がしっかり踏襲して、このままプア集団を受け入れていくと思います。ただ、やっぱり池田大作が出てきて講演すると盛り上がるんですよ。学会以外の人が聞いても、クソつまらないと思いますけど(笑)。 ――今年も講演はされたんですか? 研究所 声は聞きましたが、動く池田大作はまだ現れていません。もう3~4年、姿を見せていないです。だから、もうXデーは訪れているんですよ。池田大作がいないという想定で、いろいろなことが進んでいますから。急激な瓦解はないと思います。 ――最後に、研究所さんは脱会の意思はないのですか? 研究所 ないですね(即答)。学会員だということが、自分の中では面白いと思っていて。あと、学会員が使えることもあるんですよ。面倒くさい付き合いやコミュニティに入ってしまったときは、学会の話をするといいんです(笑)。みんな、パッと去っていきますから。今日早く帰りたいな、というときは、学会の話をすると、みんなのトーンが下がりますからね(笑)。非常脱出装置として使いやすいんです。 ――意外な活用法があるんですね(笑)。 研究所 みなさんも、ぜひお使いください。ただし、「あいつ、学会員だぞ」とウワサされることになりますが(笑)。僕は最初からレッテルが貼られているから、関係ないんですよ。 (構成=大山くまお)

ホンモノの殺人者たちが演じた戦慄の再現映像!!「彼はアカデミー賞を受賞することを望んでいた」

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『アクト・オブ・キリング』の製作に7年以上の歳月を費やしたジョシュア・オッペンハイマー監督。今も悪夢にうなされるそうだ。
 罪なき人々を1,000人以上も虐殺した殺人者を、1,200時間にわたって取材撮影した。それだけでも十分刺激的なのに、その殺人者と仲間たちに「どのように殺したのか、その様子を再現してくれませんか」と持ち掛けた。『アクト・オブ・キリング』は虐殺現場の様子を殺人者である本人たちが演じてみせたリアルすぎる再現ドラマと、その再現ドラマが作られていく過程を追ったメイキング映像で構成されたドキュメンタリー映画だ。本作で今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされた米国人のジョシュア・オッペンハイマー監督が、インドネシアで殺人者たちと過ごした7年間を振り返った。  『アクト・オブ・キリング』の中心人物は、ダンディさを漂わせたアンワル・コンゴなる人物だ。インドネシアでプレマン(英語のFree Manがなまったもの)と呼ばれる、地元のギャングたちのボスである。彼が大量殺戮を行ったのは1965年から翌年にかけて。当時のインドネシアではクーデター「9.30事件」が起き、スカルノ初代大統領(デヴィ夫人は第3夫人だった)からクーデターを鎮圧した軍部のスハルト少将に権力が譲渡されたばかり。不穏さが漂う社会状況の中、共産党関係者や権力側に反抗的な態度を見せた者、中華系の移民たちは次々と私刑に処せられていった。犠牲者の数はインドネシア全土で100万人に及ぶとされている。軍隊や警察に代わって汚れ仕事を請け負ったプレマンや民兵のリーダーたちは罪に問われるどころか、街の実力者となって現在に至っている。ジョシュア監督が取材撮影を申し込むと、彼らは映画スターさながらに颯爽としたいでたちでカメラの前に立ち、自慢げに武勇伝を語り始めるのだった。 ──ピーター・ウィアー監督、メル・ギブソン主演映画『危険な年』(84)はスカルノ政権末期に起きた「9.30事件」を描いていましたが、クーデター後に100万人もの市民が虐殺に遭ったことは本作を観るまで知りませんでした。同時期に起きたベトナム戦争に比べ、あまりにも歴史の影に埋もれているように感じます。虐殺が起きたことは、インドネシアではタブー扱いされていたんでしょうか?
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針金を使った殺戮シーンを再現してみせるアンワル・コンゴ。新聞社の屋上で、共産党関係者とおぼしき人物は次々と処刑されていった。
ジョシュア いや、インドネシアでは誰もが知っている公然たる事実です。問題があったとすれば、それは海外での報道の仕方ですね。米国では「グッドニュース」として扱われたんです。NYタイムズやタイム誌などは「西側諸国にとって最高の状態」「アジアで光が差した」という見出しで報道しています。何千人も虐殺され、死体を捨てられた川が血で真っ赤に染まった写真と一緒にですよ。当時の米国はベトナム戦争を積極的に進めた時期で、日本も軍事的ではないにしろ、そのことを支援していましたよね。中国に続いてベトナムが共産化すれば、次はインドネシアが危ない、その次はオーストラリアだと。次々とドミノ式に共産主義が広まることを西側諸国は懸念したわけです。それで明らかな虐殺であるにもかかわらず、「グッドニュース」として報道された。あまりにもナンセンスすぎて、このニュースは西側諸国の人間たちの記憶から忘れ去られてしまったんです。 ──1,000人もの市民を虐殺したアンワル・コンゴに出会うまでに40人の殺戮者たちに会ったそうですね。取材しながら恐怖や危険は感じませんでしたか? ジョシュア あまりにもダークなものに非常に近づいて、しかも長時間一緒に過ごしたんです。身の危険というよりは、精神的なダメージのほうが大きかったですね。それは僕だけでなく、一緒に現場にいたスタッフたち全員に言えることでした。身の危険を感じたのは『アクト・オブ・キリング』で殺戮者たちを取材する前の段階、犠牲者たちの遺族を取材していたときでした。インドネシア軍に撮影機材を奪われ、スタッフが拘束されたりと執拗に妨害を受けたんです。取材に応じた遺族にも危険が及ぶため、それで逆に殺戮者側を取材することに方向転換したわけです。 ──アンワルと一緒に殺戮の指揮を執っていたアディ・ズルカドリが途中から撮影に参加するシーンは、観ている側もハラハラしました。「この映画が完成したら、共産党が悪ではなく、我々が残虐だと思われるぞ」とアディは撮影をやめさせようとしますね。 ジョシュア えぇ、確かに危険な状況でした。アディは「監督のジョシュアは実は共産党員じゃないのか?」とみんなに言いだしたんです。このままでは撮影が中断してしまう恐れがあったので、アディに対して「何か問題があるのなら、他の出演者たちにではなく、僕に直接言ってほしい」と頼みました。それで、何とかその場は収まったんです。他にもインドネシア副青年スポーツ相のサヒヤン・アスマラが「政治家としてのイメージが悪くなる恐れがあるから、撮影を一度ストップしてくれ」と言ってきたときは、僕らを一個小隊が取り囲んだ状況でした。このときも危険を感じました。でも、仮に僕が軍に捕らえられて撮影が中止になった場合、僕は国外追放で済んだと思いますが、取材撮影に協力してくれた現地のスタッフたちはもっとひどい目に遭うのではないかと、そのことが心配でした。ハラハラする撮影現場でしたが、僕自身は登山家のような心境だったんです。ロープ一本で高い山を登る際はどのようなルートをたどって山頂を目指すか常に考えますが、あまり下を覗き込みませんよね。ああいう感覚でしたね(笑)。
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渋谷にある配給会社トランスフォーマーにて取材。「9.30事件」の体験者であるデヴィ夫人と対談するなど、日本で精力的にパブ活動に努めた。
■『ザ・コーヴ』は人種差別的。僕はあんなふうには撮らない ──この映画の存在を最初に知ったときは、2010年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ザ・コーヴ』(09)のような映画だと感じていました。米国人の監督がアジアのある国にやってきて、その国の隠された暗部をカメラで暴くという図式だろうと思ったんです。でも、この映画は“匿名”という形でインドネシアの方たちが多く参加し、何よりも殺戮者たちの心の暗部にまでジョシュア監督が踏み込んでいる点が『ザ・コーヴ』とは大きく異なっていますね。 ジョシュア そう言ってもらえると、うれしいです。『ザ・コーヴ』の監督とは面識はありませんが、あの映画は、僕は人種差別的だと思います。観ていて不愉快でした。僕だったら、あんなふうには撮らない。日本人の中にもイルカ漁に反対している活動家はいるはずです。そういう人を見つけてきて、イルカ漁問題にどのように対処するかを日本人と一緒に考えるという内容にしたほうがもっと効果的だったのではないでしょうか。『ザ・コーヴ』は米国人の監督が米国向けに作った作品でしたが、『アクト・オブ・キリング』は違います。当初、インドネシア政府は米国人の監督が作った映画として本作を無視しようとしていましたが、インドネシアの人たちが「この映画こそがインドネシアをきちんと描いている」と評価してくれたんです。実名を公表すると暴力に晒される危険があるため“匿名”となっていますが、60人ものインドネシアの方たちがスタッフとして参加してくれました。共同監督のひとりも“匿名希望”となっていますが、その人物とは取材撮影中に重要なディスカッションを重ね、また1年半に及んだ編集期間中は住居をロンドンに移してまで協力してくれたんです。映画の企画も、そもそもは殺戮の犠牲となった方たちの遺族やインドネシアの人権委員会に頼まれたもの。彼らが直接行動に移すと危険なため、代わりに僕が映画を撮ったという形なんです。『アクト・オブ・キリング』はインドネシア映画だと言っていいと思います。 ──本作の主人公であるアンワルという人物について教えてください。かつては冷酷な殺戮者として鳴らした一方、粋なファッションを着こなすダンディさがあり、また孫を可愛がる好々爺という一面も持ち合わせている。ドキュメンタリー監督は取材対象者と長期間にわたって密接な時間を過ごすことで、心を許し合う関係になっていくと聞きます。ジョシュア監督は、彼とそのような関係になっていったのでしょうか? ジョシュア 映画を撮影する際、ひとりの人物を誠実に描くには、その人物と近しい存在に自分がならなくては無理だと僕は考えています。誰かと親しくなるには、自分の想像力や共感や思いやりを通して近づくしかありません。言い換えるなら、もし自分が彼の立場だったらどうだろうと考えることで、心の距離を縮めることができるわけです。自分のことを理解し、心を開いてくれる人間を、相手は受け入れてくれるのではないでしょうか。ドキュメンタリー製作者の中には「客観的な立場から描かなくてはいけない」と主張する人もいますが、僕はそう思いません。例えば地図を描くとか法律で犯罪者を裁くとかは距離を置くことで冷静な判断をすることができるかもしれませんが、映画づくりは相手と距離を置いていてはできません。撮影取材中、僕はアンワルさんとずっと一緒に過ごし、アンワルさんは僕に対してすべてオープンに話してくれる関係になっていきました。だからこそ、普段の姿も隠さず見せてくれたし、悪夢に悩まされていることを打ち明けてくれたんです。食事も一緒にしていましたし、今でも連絡を取り合っていますよ。
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孫の前では笑顔を見せるアンワル・コンゴ。自分たちがやったことを包み隠さず後世に伝えたいと、映画出演に積極的に応じた。
■殺戮者は、自分から殺される役を演じ始めた ──最初は自慢げに武勇伝を再現していたアンワルは、殺された側を演じたことで顔色が変わり、罪の意識を訴えるようになっていきます。犯罪者の更生システムに似たような心理療法がありますが、意識しましたか? ジョシュア 答えはノーです。今回の撮影で何かを参考にしたということはありませんし、僕から「こういうシーンを撮ろう」と誘導することもしていません。あくまでも、彼らが「こんなシーンを撮ろう」と言いだすのを待って、彼らがそのシーンを自由な形で再現する様子をカメラに収め、撮影したシーンを彼らに見せ、さらに次のシーンに移る、ということの繰り返しだったんです。映画でも触れていますが、アンワルさんは僕と会った初日に、自分がやった過去に対してトラウマを抱えていることをほのめかしたんです。「トラウマを忘れるために酒を呑み、ドラッグをやり、踊るのだ」と言ってカメラの前で踊ってみせたんです。その踊っているシーンをよく見てもらえると分かると思いますが、踊っているアンワルさんの首には針金が巻いてあるんです。会った初日からアンワルさんは「彼らがどのように息絶えていったのか演じてみせよう」と自分から首に針金を巻き付け、殺された側も演じてみせたんです。 ──なるほど、それで41番目に出会った彼が、映画の中心人物となっていったわけですね。 ジョシュア アンワルさんと出会ったことで、僕は初めて分かったんです。彼らが自慢げに過去の殺戮を語ってみせるのは、自分が犯したことが過ちだったと気づいているからこそ、その事実をごまかすために自慢しているんだと。コインの裏表と同じように、彼らは自慢しながら同時に悔恨しているのではないかと考えるようになりました。アンワルさんは初日から悪夢に悩まされていることを打ち明けてくれました。さらにはどのような悪夢を見ているのか、その夢の様子も再現してくれたわけです。とても興味深く、もっと掘り下げたいという気持ちも抱きましたが、僕から誘導するようなことはしていません。先ほど犯罪者の更生システムに似ていると指摘されましたが、もし僕が心理セラピストだったら、患者に対して100%の忠実さで対応していたでしょう。でも、僕が忠誠を誓ったのは遺族側や人権委員会に対してです。その点でも違うと思います。また、殺戮者が懺悔するという方向に僕から誘導していったのなら、もっとセンチメンタルでイヤらしい終わり方になっていたと思います。僕はそうならないよう、抗いながら映画の終わり方を模索し続けました。 ──本作は今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされました。本作がアカデミー賞を受賞することをアンワルは望んでいたと聞いています。それは「自分が主演した映画がアカデミー賞に選ばれた」という名誉欲からではないんですね? ジョシュア 俳優賞ではないので、彼個人がオスカー像をもらうことは当然なかったわけです。でも、彼は『アクト・オブ・キリング』がアカデミー賞に選ばれることを望んでいました。自分の物語を世界中の人たちに知ってほしいという思いが強かったんです。『アクト・オブ・キリング』という作品に参加したことに彼はとても意義を感じ、映画ができあがったことに感動していたんです。もちろん、それは自分たちが過去にやった行為が犠牲者の遺族や社会に対してどういう意味があったのかを受け入れた上でのことです。 ──『アクト・オブ・キリング』は、決してインドネシアだけの物語ではないと感じました。どの国でも今の政治体制ができあがる際に汚れ仕事を請け負う人たちがいたし、汚れ仕事を請け負った人たちは、望むと望まざるともかかわらず、裏社会の顔役になっていったわけですよね。 ジョシュア 同感です、僕もそう思います。さらに言えば、過去の物語でもありません。例えば、僕たちが着ているシャツなどの衣服の多くは南半球側の発展途上国の工場で作られたもので、そこで働く人たちは、それこそアンワルさんのような汚れ仕事を請け負う怖い人たちに脅されながら労働しているわけです。インドネシアでは昨年の10月、安い賃金で衣服を作っている労働者たちがデモ行進したところ、先頭を歩いていた人が権力側に雇われたギャングに凶器で殴りつけられるという事件もありました。『アクト・オブ・キリング』で描かれた支配構造や暴力の図式はインドネシアや遠い国だけの問題ではなく、日本も含めた先進国も関係していることなんです。 (取材・構成=長野辰次/撮影=名鹿祥史) aok_sc_03.jpg 『アクト・オブ・キリング』 製作総指揮/エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー 製作・監督/ジョシュア・オッペンハイマー 共同監督/クリスティーヌ・シン、匿名希望 配給/トランスフォーマー 4月12日(土)より渋谷イメージフォーラムほか全国順次公開  (c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012  <http://www.aok-movie.com> ●ジョシュア・オッペンハイマー 1974年、米国テキサス州生まれ。ハーバード大、ロンドン芸術大学で学ぶ。10年以上、政治的な暴力と想像力との関係を研究するため、民兵や暗殺部隊、その犠牲者たちを取材してきた。サンフランシスコ映画祭ゴールド・スパイア賞を受賞した『THESE PLACES WE’VE LEARNED TO CALL HOME』(97)、シカゴ映画祭ゴールド・ヒューゴ賞を受賞した『THE ENTIRE HISTORY OF THE LOUISIANA PURCHASE』(98)、本作の共同監督であるクリスティーヌ・シン監督とコラボした『THE GLOBALIZATION TAPES』(03)などを監督してきた。本作は2014年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたほか、ベルリン映画祭エキュメニカル審査員賞&観客賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭最優秀賞など世界各国の映画祭と映画賞で数多くの賞を獲得している。現在は息子を殺した男に立ち向かう家族を追ったドキュメンタリー『CO-EXISTENCE(仮題)』を製作中。

プロレスラーで俳優でヘヴィメタ歌手!? “謎の女装外国人”Ladybeardちゃんの正体を探る

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最強外国人、現る。
 最近、Twitterなどでちょくちょく写真を見かける、ヒゲ&胸毛モッサモサで女装(セーラー服やチアリーダーの服)をしたマッチョな外国人。  「Ladybeard」(ヒゲ女!?)と名乗るこの外国人、とにかくビジュアル的にインパクト抜群なので、写真がネットで拡散されまくっており、知名度はやたらと上がっているものの、要は何をやっている人なのか……というのを把握している人は少ないんじゃないでしょうか。  よく見るとやたらとイケメンだし、それなのに仕草は妙にカワイイし……謎の女装外国人・Ladybeardちゃんを直撃しました! *** ――Twitterなどでやたらと写真を見かけますが、みんな何者なのか分かっていないと思うので、まず自己紹介をお願いします。 「私は『げんきプレゼンター』というパフォーマーです! 皆さんをLadybeardのことでたくさん元気あげるしたい! 今はプロレスと、面白いモデルと、歌手のことをたーくさんシマス。私のミュージックスタイルは『カワイイ・コア』といいマス。カワイイ日本語のポップソングのヘヴィーメタルカバーをしているから『カワイイ・コア』といってマスネ」
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メイド服も似合ってます。
――日本へは、いつ来たんですか? 「日本へは去年の10月に来マシタ。その前は香港に住んでマシタネ。香港でプロレスをやったり、俳優をやったり、アニメの声優をしたりしてマシタ。『機動戦士ガンダムAGE』とか『天元突破グレンラガン』とか『バッカーノ!』とかに出演しましたネ」 ――えっ、声優も!? しかも、結構な有名作品に! 情報が多すぎて、いきなり混乱してますが……生まれはオーストラリアですよね、どうして香港に? 「オーストラリアで役者をやってたんですケド、スタントの先生がジャッキー・チェンのスタントマンだったデスネ。それで先生に『キミは香港に行くベキ』と言われマシタノデ、23歳の時に香港に行きマシタ」 ――女装は、いつ頃から? 「女の子の服は昔から好きで、15歳の時に妹のドレスを借りてパーティーに着て行ったら、みんな喜んでハイテンションになりマシタね、ハイ。すごくうれしかった! それで、香港でプロレスを始める時に、キャラクターを決める必要があって、ヒゲを生やして女の子の服を着た『Ladybeard』というキャラクターを考えマシタ」 ――あ、もともとはプロレスのキャラクターだったんですね。
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素顔はかなりイケメン。
「ほかのプロレスラーに言ったら微妙な反応でしタガ……(笑)。女の子の服を着て、汚い言葉遣いでしゃべるキャラクターなんで、初めての試合の時、みんなに嫌われるだろうと思ってたんデスケド、みんな喜んでくれましたネ。『カワイイ~』って! それから、香港で1番人気のプロレスラーになりマシタ」 ――えーっ、人気ナンバー1・レスラー!? スゴイじゃないですか。 「イヤ、そうでもナイネ。日本にはたくさんのプロレスの会社(団体)があってとても人気ですケド、香港はひとつの会社しかなくて、プロレス自体の人気があまりありマセン」 ――ああ、香港プロレス界で人気でも、あまり一般には知られてないという……。 「そうなんデスネ(笑)」 ――プロレスとともに、音楽もやっていたんですよね。
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こんな格好でシャウト!
「もともとはヘヴィーメタルの歌手になりたかったんデス。でも、スクリームの仕方(デスボイスの出し方)が分からなかったんで、ヘヴィーメタルシンガーはダメね。それから香港で声優の仕事をやるようにナッテ、スクリームを習いました。それでバンドをやるようになったンデス」 ――だったら普通にヘヴィーメタルをやればいいと思うんですが、どうして女装でポップソングのカバーを? 「1番好きのミュージックは、ポップソングのヘヴィーメタルカバーなんデス。アメリカのバンドは大抵、1曲くらいはポップソングのカバーをしてマスネ。だから、香港にいた時から広東語のポップソングを聴いて『この曲はすごくキャッチーでいいメロディ、誰かメタルカバーしないかな?』と思ってたんデス。でも、誰もやらないから自分でやりマシタネ」 ――あ、最初は香港の曲をカバーしてたんですね。日本の曲をカバーしだしたきっかけは? 「2011年に日本で『カワイイ・コア・ツアー』をしましたネ。その時に日本の曲をカバーしまシタ。宇多田ヒカルの『First Love』、AKB48の『ヘビーローテーション』、浜崎あゆみ『evolution』、嵐の『Love so sweet』、それと『おどるポンポコリン』」 ――すごいラインナップですねぇ~。日本のツアーではウケたでしょう。 「すっごく喜んでくれマシタ! 日本人、私のミュージックのスタイル大好きだったネ。だからココに住みたいって考えマシタネ。それで2年間、日本語の勉強をシテ、去年の10月に日本に来まシタ」 ――去年の10月に来たばっかりなのに、いきなりいろんな仕事をしていますよね。 「すごくたくさんですネ。忙しいけど、すごくラッキーです」
――セーラー服おじさんと出演した、早稲田塾のCMも話題となりましたね。 「セーラーさんと初めて会った時はビックリしました、日本にもこんな人がいるンダって。とってもカワイイ~! 2人でスクールガールの格好をして原宿でフォトセッションをしたんデスガ、歩いている人たちがミンナ写真を撮りたがって『カワイイ~!』って言ってくれマシタ。日本はみんな受け入れてくれるカラ、うれしいデス!」 ――今後、日本でこんなことをやっていきたい……みたいな目標ってありますか? 「音楽もプロレスも両方大好きダカラ、ライブの途中に悪役プロレスラーが登場して、戦って……ミタイナ、音楽だけではなく、ほかのパフォーマンスも取り入れたライブをやりタイデス。今も、歌いながらヌンチャクを振り回したりトカ、人形と一緒に歌ったりトカしてますケド、もっともっと大きい舞台装置、たくさんのキャストを使って、サプライズをいっぱい入れた、いろんなエンターテインメントを組み合わせたショウをやりたいデス。それと映画も撮りたい!」 ――映画!? どんなストーリーなんですか?
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「楽シカッタヨ!」
「まだ考えてませんケド(笑)。特撮で怪獣と戦いたい! 『Ladybeard VS ゴジラ』とか、いいと思いマス!」 ――紅白歌合戦には興味ないですか? 「コウハクウタガッセン?」 ――日本のニューイヤーズ・イブにやる大きなライブなんですが、AKB48や嵐、きゃりーぱみゅぱみゅも出てるんですよ。 「オーイエー! スゴーイ! 今年出たいデス!」   ***  紅白歌合戦にはジェロやシンディー・ローパーも出場してるんだから、レディビアちゃんにだって出場するチャンスはあるはず!  うまくいけば、きゃりーぱみゅぱみゅ級のポップアイコンになれそうなレディビアちゃん(うまくいかなくても変な外国人枠には入れそう!)、今後も注目していきますよ! (取材・文=北村ヂン) ●LadyBeard出演イベント『セーラー服おじさんとインパクトおじさんたち』 4月6日(日) Open 12:00/Start 13:00/End 15:00 (予定) @東京カルチャーカルチャー 詳細はこちらから <http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_140307204523_1.htm>

『ジャッカス』のテレビ版が終わった真相とは?「局側が決めたルールを僕らは呑めなかったんだ」

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『ジャッカス』シリーズの顔であるジョニー・ノックスヴィル。全米では知らない人はいない超人気スターだ。
 仮設トイレごとバンジージャンプして全身ウンコまみれになるわ、牛の精液を一気飲みするわ、常に体を張った過激なギャグをカマしてきた『ジャッカス』。放送コードや映画倫理なんかクソくらえとばかりに、ジャッカスのメンバーたちがお下劣ネタの数々に挑戦する姿はある種のすがすがしさ、何事にもとらわれない荘厳さすら感じさせる。2000年に米国の有料ケーブルTV「MTV」の番組として人気に火がついた『ジャッカス』。さらにスケールアップした劇場版はどれも全米で大ヒットを記録した。劇場版第4弾となる最新作『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』はジャッカスの中心メンバーであるジョニー・ノックスヴィル主演のロードムービー仕立て。86歳のおじいちゃんが8歳になるかわいい孫を連れて、父親探しの旅に出るという内容だ。「もしかして感動作?」と思わせておいて、特殊メイクでおじいちゃんに化けたジョニーと子役が、行く先々で一般市民にドッキリを仕掛けていく。妻の死体を土葬するのを引っ越し業者に手伝わせたり、ストリップバーでチンコをぶらぶらさせて大騒ぎするなど、相変わらずのやりたい放題ぶりである。来日したジョニーに日刊サイゾーは単独インタビューを敢行。「お笑いとメディアの関係」についてジョニーに尋ねたところ、ものすごく真剣に答えてくれたのだ。 ──全米を代表するドル箱スターでありながら、常に体を張り続けるジョニーさんにお会いできて光栄です。 ジョニー いやいや、とんでもない。僕も大好きな日本にまた来ることができて、とってもハッピーなんだ(笑)。 ──これまで、とことん過激な笑いを追求してきた『ジャッカス』ですが、今回はロードムービー仕立て。過激さの追求よりも、一般の人たちがジャッカス的な笑いを目撃した瞬間のリアクションの面白さに比重を置いています。これまで以上に過激なネタに挑み続けると体が持たない、観客もドン引きしちゃうよということからスタイルを変えたんでしょうか?
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ハートウォーミングなロードムービーに見せかけて、ジジイとクソガキのコンビでとんでもないドッキリを仕掛けまくる。
ジョニー う~ん、決してそういうわけじゃないよ。僕は体を張ったネタが大好きなんだ。体を使ったギャグは国境を越えて世界中の人たちを楽しませることができると思っているしね。でも、今回は新しい試みとして、ドラマとドッキリを融合させたものに挑んでみたんだ。おじいちゃんと小さな孫という誰からも愛されるキャラの2人組が、とんでもないことを各地でやらかすというね(笑)。それでドラマ部分を先に撮影して、いつもの体を張ったネタは後半2~3週間に回したんだ。というのも体を張ったネタで大ケガしてしまうと撮影中止になっちゃうからね。それで子役のジャクソン・ニコルくんと一緒にドラマ部分を先に撮っていたら、予想以上におじいちゃんと孫が旅を通して絆で結ばれていく様子がいい感じで撮れちゃったんだ。ドラマ部分を生かすために、お笑いの部分がちょっぴり控えめになったかもしれないね。 ──作品としての完成度を高めるためにお笑いとドラマ要素の配分に気を遣ったけれど、新しい笑いに挑戦し続けるというスタンスは変わらないわけですね。 ジョニー うん、そういうこと。過激なギャグはもうやりたくないとか、そういうことではないんだ。いつもほどの大ケガじゃなかったけど、今回も肩を痛めたし、ヒジ骨折したし、指のケガで2度手術したしね。でも、僕はそういったスタントによるギャグはやめようとは思わない。今でも新しいネタを考えているところだよ。 ──今日はジョニーさんに折り入ってお聞きしたいテーマがあるんです。最近の日本では、ちょっと過激なお笑い番組やドラマがあるとBPO(放送倫理・番組向上機構)という査問機関に視聴者が通報するか、スポンサー企業にクレームが寄せられ、BPOが具体的に審議する前に番組製作者が放送内容を自粛してしまうという状況に陥っています。『ジャッカス』にも相当のクレームがあったと思いますが、製作者でもあるジョニーさんは、どのように対応していたんでしょうか?
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いつもは陽気なジョニー兄貴だが、自分たちの命懸けの笑いを政治家が利用したことには怒り心頭なのだった。
ジョニー (通訳に質問内容を2度聞いてから)ゴメン、ゴメン。マジメな質問のようだから、確認させてもらったよ。そうだね、米国でもやっぱり同じような状況なんだ。番組内容に不快感を覚えた視聴者からのクレームって、やっぱり来るんだ。査問機関に訴えるまでしなくても、クレームが高まれば、放送内容は自粛することになるし、番組は中止にもなる。これは米国でも一緒だよ。『ジャッカス』は、もともとは(放送規制の少ない)有料ケーブルTVで放映されていたわけなんだけど、苦情が多かっただけではなく、『ジャッカス』のネタを真似した視聴者がケガをするというよろしくない事態が起きてしまった。このことに対し、コネチカット州の上院議員であるジョセフ・リーバーマンってヤツが『ジャッカス』のことを執拗に攻撃してきて、放映反対運動が起きたんだ。問題が起きてから10カ月後、MTV側が『ジャッカス』に対していろいろと厳しいルールを課することを決めてきた。MTV側が決めたルールは僕らが納得したものではなかったし、僕らはそういったルールの中でネタをやることに抵抗を感じたんだよ。『ジャッカス』のテレビ放映が終了したのには、そういう経緯があったんだ。 ──それで『ジャッカス』はテレビから劇場版へと表現の場を移したわけなんですね。 ジョニー 『ジャッカス』のテレビ放映が終わった真相をもうひとつ言うなら、その年が選挙の年だったということもあるんだ。政治家ってヤツらは選挙が近づくと、やたらとハリウッドを攻撃してくるんだよ。犯罪や教育問題と違って、ハリウッドを攻撃しても実のある答えはないことが分かっていながら、ヤツらはやるんだよ。人気番組や人気タレントを叩くことで、マスコミに取り上げられようとするんだ。 ──純粋な笑いを追求する『ジャッカス』と違って、政治家の言動って動機が不純だなぁ。『ジャッカス』のお笑いに対するポリシーについて教えてください。もし、メンバーの誰かが今までにない超おもろいネタを考えついたとします。でも、そのネタがあまりにも社会的モラルから逸脱している場合はどうしますか? ジョニー 僕らはお笑いに関しては、常に高い高いボーダーを掲げているよ。その高いボーダーをどう飛び越えていくか、そのことに僕らは懸命に取り組んできたんだ。面白いネタを誰かが考えついたら、何をおいてもまずやってみる(笑)。それは誰が考えついたネタかってことは関係ないんだ。誰が考えたネタであれ、みんなを爆笑させることが僕らの喜びだからね。え~と、劇場版の第1作で、お尻の穴にミニカーを突っ込んだネタは観た?
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特殊メイクで86歳のジジイに大変身。アカデミー賞メイキャップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされました。
──はい、肛門にミニカーを押し込んだまま、病院でレントゲン写真を撮ってもらう爆笑ネタでしたよね。 ジョニー そうそう(笑)。あのネタは、もともとはスティーヴォーが思いついたネタだったんだ。コンドームに入れたミニカーをお尻の穴に挿入したらどうなるかというね。でも、そのネタのことを知ったスティーヴォーの父親が「自分の息子がそんなバカげたことをするなんて許さん!」と激怒して、それでスティーヴォーは「親とは縁が切れない。俺にはできない」って言いだしたんだ。スティーヴォーは、ほかにもさんざんひどいネタやってるのに(苦笑)。でも、それはボツにするにはあまりにも惜しいネタだった。それでライアン・ダンが「じゃあ、俺が代わりにやるよ」ってミニカーを自分の尻に突っ込んだのさ(笑)。面白いネタがあれば、まずやってみる。体を張ったネタで、みんなを笑わせる。それが僕らジャッカスのポリシーなんだよ。 ──いい話だなぁ。全身ケガだらけだそうですが、体は大丈夫ですか? ジョニー 毎回、傷だらけになるからね。過去にはポコチン(※ここだけ日本語)を骨折したこともあるよ(笑)。あちこち痛いけれど、体当たりギャグはこれからもずっと続けていくつもりさ。 (取材・文=長野辰次、撮影=名鹿祥史)
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『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』 プロデューサー/スパイク・ジョーンズ、ジョニー・ノックスヴィル、ジェフ・トレメイン、デレク・フリーダ 監督/ジェフ・トレメイン 出演/ジョニー・ノックスヴィル、ジャクソン・ニコル 配給/パラマウント ピクチャーズ ジャパン PG-12 3月29日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー  (c) MMXIII Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. <http://www.jackassmovie.jp> ●ジョニー・ノックスヴィル 1971年米国テネシー州生まれ。2000~2002年に米国の有料ケーブルTV「MTV」で放映された『ジャッカス』の中心メンバーであり、共同製作者。劇場版『ジャッカス・ザ・ムービー』(02)、『Jackass Number Two』(06)、『ジャッカス3D』(10)はどれも全米初登場1位となる大ヒットを記録。そして『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』(13)はシリーズ最大のヒットとなる1億4900万ドルを稼ぎ出した。俳優としてファレリー兄弟監督の『リンガー!替え玉★選手権』(05)やアーノルド・シュワルツェネッガー主演作『ラストスタンド』(13)などにも出演している。

「“不謹慎”のボーダーラインが、どんどん下がってきている」虚構新聞社主が語る、ネット社会10年の変化

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虚構新聞
「現実と虚構の区別をあいまいにするような報道」をモットーに、架空のニュースを配信している「虚構新聞」(http://kyoko-np.net/)が、4月で10周年を迎える。“99%がウソの情報”と公言しているにもかかわらず、昨年11月には日本ユニセフ協会の寄付金をネタにした記事が削除依頼を受けたり、食品偽装をネタにした風刺記事が現実になってしまったりと、ここ数年はネット上だけでなく社会を騒がすことも少なくない。そこで社主のUK氏に、ネット社会の変化も含め、この10年を振り返ってもらった。 ――4月で10周年を迎えますが、現在の心境は? 「『気がつけば10年』という感じです。もともと凝り性なので、日課のように自分の妄想を書き続けていたら、こんなに時間がたっていたという……。過去2度ほど批判の集中砲火を浴びてやめたくなったこともありますが、それと同じくらい応援や励ましの声を頂いたので、ここまで持ちこたえることができました」 ――現在の更新頻度は、どれくらいなんですか?  「最近は週2本程度です。毎日更新もできなくはないですが、記事を粗製乱造したくないのと、そこまでPV稼ぎをしたいわけでもないので……。月間PVは、平均して150万くらいでしょうか」 ――これまで、ネタとして書いた風刺記事が現実となってしまったケースも少なくありませんが、その中でも特に印象深いのは?  「なんといっても、昨年7月の『森永グロス』の一件です(「森永チョコレート『ダース』144個入りの『グロス』発売へ」と報じたところ、森永の社員が実際に『グロス』を作り、12個限定で販売した/http://kyoko-np.net/special06.html)。いまだに出来レースと言われますが、まったくそんなことはなく、急遽発売が決まったので、慌てて謝罪記事を準備し、お台場で行われる『グロス』販売会場までの交通宿泊の手配や本業の調整など、本当に忙しかったです。滋賀からお台場まで行って帰って5万円使って、手元に残ったのは1500円のグロス1箱だけでした……。でも、この件がきっかけで、一皮むけたような気はします」 ――こういったケースとは別に、橋下徹市長のTwitter義務化騒動(「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」と報じたところ、騙される人が続出)や日本ユニセフ協会からの猛抗議(「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」という記事が日本ユニセフ協会の逆鱗に触れ、削除させられた)など、ネット上だけでなく社会を騒がすケースも出てきています。趣味で始めたサイトがここまで発言力を持ってしまったことについて、どう思いますか? また、ご自身としては「メディアを運営している」という意識はあるのでしょうか? 「メディアという意識は、特にないです。たまたま『新聞』を名乗ったので、そう思われるかもしれませんが、本質的にはかつて隆盛を極めた個人テキストサイトの生き残りです。読者が増えたから言える/言えないというより、現実化する/しないのほうが深刻な悩みです。『森永グロス事件』のように記事が本当のことになってしまうたびに、読者からの信頼がどんどん失われてしまうので……」 ――最近では、こういった“シャレ”が通じないユーザーや、ネットに対する警戒心やリテラシーが低いユーザーも散見されます。虚構を売りにするサイトの運営者として、何か気を使っていることはありますか? 「“記事をちゃんと最後まで読めば、おかしなところに気がつく”というのが、まず基本ですね。企業の業績や株価に影響を及ぼすような記事は、絶対に書かないですし。ただ、そういったユーザーに対して、今以上に何か配慮しようとは考えていません。すでに全ページに『虚構新聞』とロゴを入れていますし、ファビコンにも『虚』の文字を入れています。リンクを踏まなくても、ドメインを見れば判別できます。最近は他の新聞サイトと同様、ヘッダーに『虚構新聞』と入れるべきだという声も耳にしますが、逆に言えば、ちゃんとしたメディアはヘッダーにサイト名を入れているのですから、ヘッダーに情報元を記載していないようなサイトは信ぴょう性に欠けると、最初から疑ってかかったほうがいいでしょう。もちろん騙されて怒る方がいらっしゃるのは承知しています。でも、それと同時に、騙されるのを楽しんでいる方もいらっしゃることもご理解いただければありがたいです」 ――こういったユーザーの出現のほか、この10年間でネット上の雰囲気に何か変化を感じますか? 「いわゆる“不謹慎”のボーダーラインがどんどん下がっている気はしますね。例えば、事故死に関する記事を書けば、それが架空の人物であっても『ウソでも誰かが死ぬなど書いてはいけない』という声は上がりますし……。それだけ、ネットというメディアが、テレビをはじめとしたメディアと同様に一般化してきた証拠でもあるんでしょうけれど」 ――確かに「ネトウヨ」や「マスゴミ」「情弱」など、ネット上のスラングがテレビなどでも頻繁に聞かれるようになりましたね。虚構新聞は右寄りといわれることもありますが、どういったスタンスで記事を作っているんですか? 「確かに、長らく民主党政権をネタにしてきた経緯もあって、そう言われた時期もあったのですが、右だろうが左だろうが、変なことをやっていたらネタにしています。『女性手帳』(http://kyoko-np.net/2013051401.html)とか、ブラックな某議員とか、面白そうな記事になるのであれば、政治的スタンスなどはどうでもいいです。表現上の注意を挙げるなら、そういう政治的に極端に偏った勢力が喜んで飛びついてくるような記事は書かないです。逆に見出しで飛びつかせて、内容は真逆にするような仕掛けを入れたりはしますが」 ――虚構新聞の「風刺」に、タブーはあるんですか? 「『この話題はタブーだから避けよう』と思ったことはないです。ただ、タブーだからあえて踏み込むというわけではなく、まずは記事として面白くなるかどうかが最優先事項です。『タブーを破るから面白い』というのは安易すぎるかなと。そう思っていた時期もありましたが、年を取って多少考え方にも変化が出てきましたね」 ――少し話しが変わりますが、ここ最近、2chまとめサイトへの転載禁止が波紋を広げています。虚構新聞の記事も、こういったまとめサイトにたびたび転載されていますが、今回の騒動をどう見ていますか? 「いろいろまとめサイトを見て回っていますが、どこも苦労しているなあという印象です。もともと管理人のキャラを売りにしていたところは、そのままその個性を生かして別の道を歩んでいけそうですが、単に転載と編集だけで煽っていたようなところは、それまで名前すら明かされていなかった管理人が急に表に出てこざるを得なくなって、しかもコメント欄に『お前誰だよ』的なことが書かれているのを見て、なんだか哀愁のようなものを感じましたね。このまま転載禁止が続くなら、無個性なまとめサイトは淘汰されていくのではないでしょうか」 ――そもそも、彼らキュレーター(管理人)と虚構新聞のようなクリエーターとの間に、幸せな関係はありえるのでしょうか? 「本紙の記事の中にも、そういうキュレーターの目に留まって広まったものが少なくないので、多くの人に読まれたい/見られたいというクリエーター視点からすれば、ポジティブな方向での共生関係は十分あり得ると思います。ただ一方で、それが負の方向に働くと、私人を晒し上げ、ネットリンチになるので、そのあたりはキュレーターの倫理観に依存するしかないでしょうね。ただ、今まで見てきた中では、ネット社会においてもなお“因果応報”“人を呪わば穴二つ”という言葉は生きているように思います。“明日は我が身”かもしれませんが……」 ――虚構新聞として、今後やりたいことはありますか? 「私としては、読者に楽しんでもらえればそれで十分です。ただ、サイトを通じた収入があることも確かなので、これを元手に2020年の東京五輪までに東京支局を作って、五輪の観光がてら見に来てもらえるような場所が提供できればいいなとは思っています。どこかビルの一室から電光パネルで『速報:男子やり投げの槍が、投てき中、場外まで飛び出たので頭上に注意!』とか、どんどん流していければ楽しいですね」 (構成=編集部)

韓国現代史・最大のタブー 済州島4.3事件から考える、「被害者」と「加害者」の不確かな境界線

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 韓国で唯一の世界自然遺産・済州島。その美しい島には、年間1000万人を超える観光客が訪れる。だが、その絶景からは想像つかないような大量虐殺事件が起こったという“負の歴史”については、あまり知られていない。  済州島4.3事件――。1948年4月3日から1954年9月21日まで、済州島を舞台に繰り広げられた大量虐殺事件のことだ。  第二次世界大戦終了後、朝鮮半島は北側をソ連が、南側をアメリカが統治していた。アメリカ統治下の朝鮮半島南部では“単独選挙”が行われようとしていたが、済州島民はデモを起こしてそれに反対。1947年3月には、島民に対して警察が発砲し、6人が死亡する事件が起きた。  以降、島民と警察は感情的に対立。特に共産主義政党である南朝鮮労働党は、反警察活動を組織的に展開して、1948年4月3日に警察署を襲撃した。事態が深刻化すると、本土から送り込まれた鎮圧部隊が討伐を開始。鎮圧部隊は“アカ狩り”の名のもとに、一般島民を巻き込んだ無差別攻撃・集団虐殺を行ったのであった。当時、米軍は済州島を“赤い島(Red Island)”と規定したという。  4.3事件の犠牲者数は現在も正確にわかっていないが、『済州4.3事件真相究明と犠牲者名誉回復委員会』は、「暫定的に人命被害を2万5000人~3万人と推定」している。戦後の南北分断、韓国建国前後の複雑な国内情勢、そして冷戦構造が生んだ悲劇といえるだろう。  そんな韓国現代史・最大のタブーとされる4.3事件が、初めて劇映画化された。済州島の方言でジャガイモを意味する本作『チスル』は、韓国のインディペンデント映画動員記録を塗り替える大ヒットを見せ、釜山国際映画際で映画監督組合賞など4部門を席巻。アメリカのサンダンス映画祭では、韓国映画として初めてワールドシネマ・グランプリを受賞した。韓国、そして海外で絶賛された『チスル』は、満を持して3月29日より日本でも公開される(ユーロスペースほか全国順次公開)。  『チスル』を手がけた監督は、済州島で生まれ育った新鋭オ・ミヨル氏。「私の家系にも、この事件で犠牲になった人がいる」と語る彼に、韓国における4.3事件の実情、『チスル』の制作秘話、現在の日韓関係について、幅広く話を聞いた。 ――日本では、済州島4.3事件についてほとんど知られていません。韓国現代史のタブーともいわれていますが、韓国での認知度はどの程度なのでしょうか? オ・ミヨル監督 韓国の人たちが教育を通して、この事件を知ることはほとんどありません。今も多くの人にとっては“知らない事件”といえるでしょう。済州島でも事件に関する教育がほとんどないから、自ら知ろうとしなければ、あるいは教えてもらわなければ、事件のことはまったく知り得ない。教科書にも「4.3事件があった」くらいしか記載されていません。そういう無関心が、事件に関連した人たちに、さらなる傷を負わせているのが現状です。  とても対照的だと感じたのは、『チスル』の関係で光州市に行ったとき。光州では1980年に、民主化を求める市民が韓国軍と衝突して多くの死傷者を出した“5.18光州民主化運動”が起こっています。でもその事件に対して、光州の人たちはとてもオープンでした。政府が事件を反省し、今では光州が民主化運動の聖地となっているからでしょう。それに比べて済州島の人たちは、今も4.3事件に対して憎しみを持っており、60年前と何も変わっていないと思います。知っている人が少ないことからもわかるように、いまだに解決していない事件なのです。   ――なるほど。では、そんな4.3事件の惨事を世界に知ってほしいとの思いから、映画の制作に取り掛かったのでしょうか。使命感や責任感もあったのでは? オ監督 私はもともと責任感がない人間です(笑)。芸術家って、あまり責任感を持っていないじゃないですか。私自身、20代になるまで4.3事件を知らなかったし、関心もなかった。  でも、済州島で生活していると、生活のほとんどすべてが4.3事件と関係していることに気付いたんです。私が住んでいる場所も、事件のときに人が殺された場所であるし、済州国際空港の滑走路の下には、いまだに発掘されていない死体が眠っている。つまり、観光客が済州島に来たときは、墓地に降りているわけです。そんな身近で、生活の一部のような事件なのに、私はそれを知らずに過ごしてきた。だから『チスル』の撮影過程は、芸術家として自分自身を知っていく過程でもあったともいえる。自分のルーツとの出会いですね。
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オ・ミヨル監督
 もちろん、韓国政治に向けたメッセージという意味もあります。もともと4.3事件は、権力による犠牲という側面が強い。だから当然、政府は隠蔽しようとしてきた。金大中政権、盧武鉉政権になってようやくオープンになりましたが、李明博政権以降、つまり保守政権に戻って、またこの事件が埋もれようとしています。済州島民に“暴徒”という濡れ衣を着させようということもありました。済州島の人間として、非常に危険を感じたのも事実。そういうさまざまな思いが重なって、映画にしようと思ったのです。 ――映画を観ると、まず映像美に驚きました。また、劇中に映し出される洞窟は、当時逃げていた島民が実際に身を隠していた場所だと聞きました。 オ監督 私は『チスル』以前から、済州島で映画を撮影してきました。済州島の空間や空気感、その場所が持つ意味というのが、あまりに大きいことを感じていたからです。なので『チスル』でも、セットを使った撮影を最大限に避けました。実際の洞窟で撮影したのもそのため。空間も俳優なんです。済州という島には、風という俳優、波という俳優がいます。そういう場所が持つ意味が、とても大切な価値を持っている。  映像に関しては、済州島がもともと美しいという点に尽きます。誰でも写真を撮れば、上手に撮れますから(笑)。絵コンテはほとんど描かず、朝、現場に行ってから感覚で決めました。ありのままの済州島が美しいから、できたことだと思います。  でも、済州島が美しいからこそ、『チスル』はモノクロにしました。韓国の一般的な人は、済州島に「美しい場所」というイメージがあります。でもその美しさの裏に隠れている、悲しい物語を見ようとはしません。美しい景色で終わってしまうのです。そうならないように、人間が何かを美しいと感じる感覚の中で、最初に目に入る色を抜いたんです。 ――済州島の美しさと対照的に、残虐行為も描かれます。ただ、4.3事件の映画ということで虐殺シーンが多いだろうと勘繰っていましたが、思ったより少なかった印象もあります。 オ監督 確かに4.3事件を描くときに、虐殺シーンは意識せざるを得ない部分です。一般的に虐殺事件を語るときに、“何十万人”“何万人”という言葉をよく使いますよね。でも、『チスル』では、そういう抽象的な数字ではなく、生々しく具体的な個々人が亡くなった事実を重視しました。犠牲者数が多いから事件が大問題なのではなく、ある個人が権力によって殺されるということが、この事件の真の恐ろしさだと思います。結果として、映画がミニマムになってしまうかもしれない。でも、物語を持つ一人ひとりの人間が殺され、結果的に数万人も亡くなってしまうということを一番伝えたいと思いました。  それは、作品を通して亡くなった一人ひとりの魂を少しでも癒やしたかったから。この作品のテーマの一つは、犠牲者を慰霊すること。だから、作品自体をチェサ(祭祀=韓国の法事)形式で作りました。先にモノクロにした理由を述べましたが、韓国で法事を行うときは色物の服を着ないということも意識しました。 ――『チスル』は実際の事件を扱った作品ですが、あまりその歴史的背景が語られていないように思います。何かこう、考えさせる空白があるというか……。 オ監督 この映画を見ると、歴史映画でありながら、歴史的な背景についてはほとんど触れず、不親切な映画だと思います。そして、なぜ島民は殺されなければならなかったのか、なぜ死ななければならなかったのかという説明もほとんどしていません。  4.3事件の本質は、イデオロギーによって多くの人が犠牲になったというところにあると思います。でもこの事件に再び照明を当てるときに、イデオロギーの問題として語るのではなく、人間の問題として語るべきだと思いました。権力によって、誰にでも起り得る悲劇であること。自分自身とかけ離れた問題ではないということ。そんなことを伝えたかった。だから歴史的背景やイデオロギーをなるべく省いたんです。  4.3事件を人間の問題として見ると、亡くなった人だけが犠牲者ではないことに気づくはずです。当時、命令のために動かざるを得なかった韓国の軍人たちも、殺人を強制された面があると思います。人間の問題として、向き合うまなざしが必要だと考えました。 ――劇中、殺戮に反対する軍人を登場させたのは、そういった視点を持たせるため? オ監督 それは違いますよ。決して意図的ではなく、良心を持った軍人もいたという歴史的事実です。実際に軍隊から脱走して、街に逃げてきた軍人もいたんです。あまりに残酷なこと、不幸なことが多すぎて、これまで軍人の善行や優しさは見えずに隠れていたと思います。済州島でも、軍人はみんな“悪人”と考えてきました。でも、もしかしたら彼ら軍人も、殺害したくてしていたのではないかもしれない。加害者であり、被害者であったのではないでしょうか。 ――終戦後の分断が4.3事件に関係しているとすると、日本ともつながりのある事件だと思います。映画でも日本に触れるシーンがありますよね。 オ監督 歴史の話になると、韓国ではいつも日本が加害者です。韓国で暮らしていると、日本が加害者という感覚は一生変わることがないとも感じます。でも、私には一つの転機がありました。それは、何年か前に九州で、第二次世界大戦後の日本に関する演劇を見たこと。タイトルも覚えていないし、日本語での公演だったため詳細はわからなかったんですが、どうやら劇中で彼らは自分たちを慰労していた。私はそれを見て、戸惑い、驚きました。というのも、彼ら日本人が慰めるべき相手は、韓国人ではないのかと思っていたからです。でも時間がたって考えてみると、日本人も被害者だったということを理解できました。
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 実際に戦争当時、日本人もたくさんの被害を受けました。多くの方が亡くなっているし、終戦後も苦労は大きかったといえます。日本に何度も来て、交流してみると、一方的に加害者とはいえないと思いました。もしかすると、私は日本全体を見て加害者と考えていたのかもしれません。そうではなく、“人と人”で考えてみると、いずれかが加害者なのではなく、全員が被害者だったと思うようになりました。その衝撃がすごく大きかった。『チスル』のシナリオを書きながら、無意識のうちにそのときの影響が出ていたのかもしれません。 ――近年、日韓関係がギクシャクしていますが、この情勢をどうご覧になっていますか? オ監督 私自身、日本に行ったり、日本の人と会ったりする前までは、反日感情が少なからずありました。戦争のときに韓国で多くの国民が苦しんだので、そういう感情は持っていました。でも今は、人として日本人が好きになりました。友人もいます。    最近、韓国と日本の関係はよくないですが、絶対に人を恨んではいけないと思います。政策や歴史観による誤解から、感情的な対立が起きてしまっています。政治家の意見によって政策の大部分は変わりますが、一人ひとりの個人はそれよりももっと“賢い”。人の心は、政治で動かせるものではないと思います。会って、話してみれば、韓国人でも日本人でもいくらでも友人同士になれるはず。  逆にいうと、政治家の態度に問題があると感じます。歴史教育でもなんでも、何かと煽るじゃないですか。私は小学生のときに、「北朝鮮の軍人は狼みたいな顔をしている」という不幸な教育を受けた世代です。だから『チスル』を通じて、正しい教育を目指すきっかけになればと思っています。日韓の未来にとって、それはとても大切なことでは。それがクリアされれば、いくらでもお互い理解し合える。 ――日韓の間には、慰安婦問題、竹島問題など、いくつも問題があります。『チスル』がまた違った誤解を与えるのでは、という危惧はありませんか? オ監督 そういう見方をする人もいるかもしれません。でも、日本にはそうではない人も多い。問題は、誤解する人ほど騒いで、正しい見方をする人は騒がないということ(笑)。だから、騒ぐ人の言葉が全体を占めるとは思いません。それが日本の人と交流してきた私の実感です。大きな声に振り回される必要はないかと。 ――公開を待つ日本の映画ファンに、メッセージをお願いいたします。 オ監督 私は、日本の映画を観て育ってきた一人です。『めがね』『かもめ食堂』などの静かな映画も好きだし、今村昌平監督の『カンゾー先生』も。北野武監督の作品は、『菊次郎の夏』『座頭市』『HANA-BI』など、ほとんど全部観ています。日本の映画を観ながら、無意識のうちに多くの影響を受けたと思う。韓国映画は最近ハリウッド映画っぽく感じますが、私はどちらかといえば日本映画の影響が大きいかもしれない。日本の素晴らしい監督の作品を観てきたので、私も映画を通して何か少しでも恩返しができたらと思っています。  また、日本で公開されることに、とても意味があると感じています。日本には在日コリアンがいますが、その多くの人たちのルーツは済州島。彼らが日本に渡ってきた直接・間接的な動機、理由に4.3事件があります。その意味で、この物語は済州島に残っている人々だけの話ではないと思います。日本の歴史とも非常に密接な関係があるでしょう。この作品が、何か対話につながってくれればと思います。 (取材・文=呉承鎬) ●『チスル』 監督・脚本 オ・ミヨル/出演 ヤン・ジョンウォン、イ・ギョンジュン、ソン・ミンチョル、ホン・サンピョ、ムン・ソクポン、パク・スンドン、カン・ヒ 2012年/韓国/108分/B&W/DCP(5.1ch) 原題:지슬/英題:Jiseul/日本語字幕:根本理恵 (c)2012 Japari Film <http://www.u-picc.com/Jiseul/> ●試写会プレゼント 開催日:3月25日(火)17:00~ 場所:参議院議員会館 講堂(1F) 10組20名様をご招待。下記の応募フォームよりお申し込みください。 <http://www.formpro.jp/form.php?fid=54192>

「環境を整えれば、第2、第3の宮崎駿氏は生まれる」老舗アニメスタジオ創業者が語る、アニメ業界の今とこれから

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布川郁司氏
「パンプルピンプルパムポップン、ピンプルパンプルパムポップン!」  魔法の呪文で、どこにでもいる普通の小学生の女の子がトップアイドルに変身するという魔法少女アニメ『魔法の天使クリィミーマミ』をはじめ、『ニルスのふしぎな旅』『うる星やつら』『スプーンおばさん』『幽☆遊☆白書』『みどりのマキバオー』『BLEACH』『NARUTO』『キングダム』など、1979年の設立から現在に至るまで、コンスタントに人気アニメを制作し続けるアニメーションスタジオ・株式会社ぴえろ。  その設立者にして、現在、取締役顧問を務める布川郁司氏が、株式会社ぴえろ(設立当初は、株式会社スタジオぴえろ)立ち上げから現在に至るまでの歴史や、アニメ制作のリアルで生々しい裏事情を(ほんのちょっぴり)開陳した書籍が、『「クリィミーマミはなぜステッキで変身するのか?」-愛されるコンテンツを生むスタジオの秘密-』(日経BP社)だ。  本書は、上記のようなアニメ制作秘話的なエピソード、スタジオ運営の苦労といった、アニメファンなら気になるエピソードのみならず、現在、日本動画協会理事長の布川氏ならではの、アニメ業界に対する提言や問題提起も盛り込まれた「経営者・ビジネス的視点で語るアニメ業界本」という、なかなか興味深い内容となっている。そこで今回は、本書の内容に触れつつ、アニメ業界の問題点と今後について率直に語ってもらった! ■きっかけは、後進育成の精神から ──スタジオ経営者視点のアニメ業界本ということで、いろいろと興味深く読ませていただきました。まずは、本書執筆のきっかけを教えてください。 布川郁司氏(以下、布川) やっぱりアニメって、作るよりも見るほうがいいよね、とはよく言うんですが(笑)、その一方で何か作りたい、表現したいという若い人は常にいます。ただ、どう行動したらどうなるのか、というハウツーを示す人は今まであまりいませんでした。また、個人制作アニメは別として、映像作品を作る上でどうしてもお金の問題が付きまといますし、スタッフも必要となります。そこで、スタジオを作った経験がある自分から後の世代に向けて、現場からマネジメントに至るまでの体験を残しておいてもいいかなと思っていたところに、ちょうど日経BP社さんから本書のお話をいただきました。 ──個人的には、ぴえろ立ち上げ時にタツノコプロのスタッフが移籍するような形でやってきた、というエピソードについて、ご本人が詳細に語っているという部分が非常に興味深かったです。そのおかげで、当時はタツノコプロからだいぶ恨まれてしまったそうですが……。 布川 今はもうタツノコさんとは和解していますよ(苦笑)。ただ、やっぱりゼロから始めるスタジオにとって、キャリア、名声を積んだ方をどうコントロールするかというのは非常に大きなことなんです。アニメーションというのは数百人のスタッフで作るものですが、実際のところ、クオリティの素になるのはライターや監督、キャラクターデザイン、作画監督など、10人くらいのメインスタッフのキャスティング次第という側面があります。あとはスケジュールと資金と、どれだけ作業者を募ることができるか。そこを押さえれば、みなさんもすぐにアニメプロダクションを作れますよ。ただ、そのラインを敷く時には、当然生臭い話もあるわけです。お金がないなら、志で誘うしかないわけです(笑)。そこを読み取っていただければ。 ──そんなアニメ業界の「本音」が書かれた本書ですが、布川さんは文中で、クリエイターはモチベーションを維持するためにスタジオを転々と移動し、さまざまな作品に携わるということに対して、肯定的に言及しています。その一方で、株式会社ぴえろは、クリエイターを積極的に新卒採用し、社内に抱えるような動きもしています。 布川 当然、クリエイターとしての要求と会社の体制維持という両者が衝突する面もありますね。ただ、これは人材育成、人材教育につながってくる話です。結局、今は新人が学ぶ場がないんですよね。アニメの制作の数は腐るほどあるけど、やはりフランスで言うところのゴブラン(フランス・パリに存在するアニメーション校。『スペースダンディ』にも参加するロマン・トマをはじめ、多くの人材を輩出している)のような、スペシャリストを育成したり、学べる場が日本のアニメ業界には少ないんです。というのも、プロダクションが人材を育成するのは、非常にコストがかかることなんです。育成するための人材も割けないから、どうしても先輩の背中を見て育ってくれという部分があります。新卒採用は、その場を作るという意味合いもあります。  人材育成という意味では、個人でNUNOANI塾という講座も開いています。ハリウッドなどではプロデューサーや撮影マンが監督したり、ハリウッドスターがプロデュースをやったりと、それぞれの役割は固定されていない。でも、日本はあまりにも監督は監督、みたいに固定的です。そうではなく、映像を作る上でお金をどう集めてくるか、企画書をどう書くか、それをどこに持って行けばお金を持ってこられるのか、といったことができるプロデューサー、監督、演出家が今後のアニメ業界を考える上で必要だと考えています。そういう人材のために、大学や専門学校以外の場で伝えていきたいですね。 ■クールジャパン、その実態 ──近年、不況の影響もあり、アニメ制作における資金調達が困難だという話もちらほらと聞こえてきますし、本書の中でも資金調達の難しさについて言及されています。また、人材教育の機会が減りながらも、そのためのリソースも割きにくいということで、布川さんは今後のアニメ業界の制作体制に対する不安はありませんか? 布川 日本のテレビアニメ史は『鉄腕アトム』以降、もう50年もたっているわけですが、その間、何度も「業界はもうダメだ!」って言われつつ、何度も立ち上がってきました。別に、お上から助成してもらっているわけじゃありません。それって、すごいことだと思います。「まだやってるんだ」みたいなスタジオって、けっこうあるんです(笑)。自助努力でやっていくという業界全体の精神は、これからも変わらないんじゃないかなと思います。ただ、一つでもいい環境を後世に託そうとするならば、正直言って我々の業界だけじゃしんどいというのも事実です。  そこで今、日本動画協会の理事長をやっている関係で(3月で退任)、いろいろな場に行ってそういう話をしているのですが、なかなか我々の産業というものが理解されないんです。海外から言われるようになって、みんな「アニメ、アニメ」と言ってるけど、政府の人たちにはコンテンツ産業──特にマンガ、アニメ、ゲームについての知識がないと思います。フランスやアメリカのイベントで、何万人が来場したとか報道されても、外務省の人なんかは全然現場に来ませんからね。彼らは、そういう文化を、むしろ恥だと思っている節もあります。オタク産業とかコスプレとか言われても困ったもんだね、っていう空気なんだけど、今、世界中の若者がそういう文化の影響を受けていることは事実です。 ──輸出産業、クールジャパンと言いつつも、その程度の認識なんですね。 布川 それと、予算が単年度という点も厳しいです。コンテンツは、単年度の計画で成果を出すことは難しいんです。よく業界外から「アニメ業界に宮崎駿さんの後継者はいるんですか?」って質問されるんですが、継続的に若手のためにチャンスを作ってあげたら、第2、第3の宮崎駿さんのような人はいくらでも生まれると思いますよ。実際に才能がある人は、まだまだ日本にいるんだから。我々のような民間も、そういう人を育てていく努力をしないといけないし、行政側もそういう場を作りやすい社会を作らないといけないと思います。継続的な戦略でないと、人材は輩出されません。  もう一つ、今、日本のアニメは世界中で大量に違法ダウンロードされています。経産省の試算によると、単年度でアメリカで2兆円も奪われている計算です。今頃になってみんな騒ぎだして違法ダウンロードをなんとかしようとしているけど、遅きに失した感はありますが、ようやく官民一体となって撲滅させるべく動きだしました。ただ一つ言えるのは、現にメディアとしてダウンロードは存在している。音楽業界なんかは早い段階からYouTubeでバンバン曲を流して、ライブで生の金をつかもうという方向に転換しているから、我々アニメ業界もビジネスモデルをそういうふうに変えないといけないと思っています。  テレビからネットへとメディアが移行している今、次はどういうスタイルに集約されていくのかは分からないけれども、どのようにインフラを整備してコンテンツを誘導していくのか、ということは民間だけでは厳しいですよね。現在、ハードの進化が先行して、ソフトの権利確保が遅れている状況です。このままいくと、誰も作る人がいなくなっちゃうという不安があります。せっかく作っても、タダで奪われていく状況に、むなしさを覚える人もいるでしょう。そうならないように、今後出るものをどう有償化していくかをみんなで考えていかないと、映像業界全体が沈没すると思います。 ──海外のアニメファンの中には、「作品を応援したい」という善意から違法にアップロードされたアニメを見て、日本のアニメが好きになったというパターンも少なくはないそうです。ファン同士のつながりでアニメ文化が盛り上がる、という文化交流的な側面とは別に、日本のアニメ業界にお金が回ってこないという問題がありますね。 布川 そこに何か黒幕的に仲介する奴がいて、大儲けしているなら、そこを潰せばいいんだけど、そうじゃないからね。なんだかファンのボランティアみたいな形でやっているから。そういう意味で、あえて「奪われている」と言います。だから、これからのアニメビジネスは難しくなると思いますね。スタジオを立ち上げてお金がない、というのとは別の次元でね。 ■組むべきは、大企業よりも海外スタジオ ──テレビ、映画、パッケージ商品、ネット配信など、さまざまな形でアニメが視聴されるようになった現在ですが、布川さんはどんなメディアが理想だと思いますか? 布川 自分たちの作品が正当に評価を受けて、正当な報酬を受けられるメディアじゃないですかね。メディアというものをずっと対象として仕事をしてきたわけだけど、昔はテレビと映画しかなかったわけです。それがビデオが出現して、今はネット配信が出てきた。おそらく、そこ(ネット)が次のメディアの行く末なんでしょう。  今、グーグルなんかがスマートテレビを作っていますし、今後、国境なきテレビを作っていこうというのは戦略としてあると思います。我々は、そういう戦略を感じた上で物作りをしないと、全部奪われるだけになってしまうでしょうね。 ──今後、日本のアニメも、明確に世界をターゲットにした作品作りを意識する必要があると思いますか? 布川 日本ほど幅広いジャンルのアニメや漫画を持っている国は、ほかにはないと思います。毎週、「ジャンプ」(集英社)や「サンデー」(小学館)、「マガジン」(講談社)といった週刊漫画雑誌が発行され、合わせて数百万部も出ている。アニメの『サザエさん』も、45年も放送されている。おまけに深夜にアニメをやっている国なんて、ほかにないでしょ。こんなにアニメが好きな国は、稀有だと思いますよ。それが日本だけじゃなくて、海外に広がっていったという部分だけを見れば、非常に大きなマーケットになっていると思います。これから考えることは、そこでどういう世界戦略を取るかということです。うちだったら、現在も『NARUTO』が60カ国語で放送されているわけで、昔だったら考えられないことです。  最近はアニメスタジオが大手資本の傘下に入ることも増えてきましたが、うちもいい相手がいたら、いつでもタッグを組んでもいいと思っていますよ。まあ、現在代表取締役社長の本間道幸が独立独歩でいきたいという意志があるので、今のところはそういう予定はありませんが。とはいえこれからの問題として、マーケットが世界まで広がるならば、組む相手が日本の企業じゃなくてもいいんじゃないですか? ──最後に、今後ぴえろとしては、どんなアニメを作っていきたいですか? 布川 どんなアニメを作るか、というよりも、アニメを制作するラインを維持するということはけっこう大事なことだと思います。何を理想化するか、という個人の思惑はあるけれども、会社としては常にラインが維持されて、スタッフの才能がそこで発揮されることを願うばかりです。さらに作品がヒットすれば、よりうれしい。そして、いろんな人たちが評価を受ける、ということが一つの目標です。並の答えだけどね(笑)。  もう一つ、可能性として海外のスタジオとの合作をもっとやっていきたい。今までは海外との合作があったとしても、それはどちらかの下請けみたいなもので、合作とは言えないものが多くありました。でも、これからはお互いに企画を出し合い、それぞれの国の戦略でアニメをヒットさせるということを共同でやっていくという方法を模索したいです。 (取材・文=有田俊[シティコネクション]) ●NUNOANI塾 2014年度は4月12日(土)から開塾。現在、応募受付中。詳細はHPにて。 <http://nunoani-project.jp/head.html>

ひとりの裁判官を丸裸にした『ゼウスの法廷』 司法の矛盾点を、高橋玄監督が白日の下にさらす!

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『ゼウスの法廷』の撮影現場での高橋玄監督。司法制度の問題点を分かりやすくエンタテインメントドラマに仕立てている。
 「この国に権力者は存在しない。我々庶民側は権力者がいると思い込まされているだけなんです」。曖昧模糊とした日本の社会構造をばっさりと斬り捨ててみせたのは高橋玄監督。警察組織の腐敗ぶりを暴いた『ポチの告白』(05)が大反響を呼んだ、物申す映画監督だ。乙一原作のサイコサスペンス『GOTH』(08)以来となる新作『ゼウスの法廷』は、司法界を舞台にした社会派ラブストーリー。エリート判事とその婚約者との恋の行方を軸に、刑事事件の99.9%は有罪判決となる日本の裁判所の問題点をあぶり出している。上司には絶対逆らえない完全なる縦社会、ひとりの判事が常時300件もの案件を抱えるという異常さ、「判検交流」という名の判事と検察官とのズルズルの関係……。この国を支配する三権のひとつ、司法界の抱える数々の矛盾を高橋監督が語った。 高橋玄監督(以下、高橋) 2009年に劇場公開した『ポチの告白』が話題になったのはよかったんですが、ちょっと反省点もあるんです。「実話ナックルズ」みたいなスキャンダル雑誌的な感覚で多くの方に観ていただいたようで(苦笑)。僕としては警察だけでなく、普通の会社や学校でも弱い者イジメは起きているよと、日本社会の縮図を描いたつもりだったのが、警察組織だけの特別なもののように思われてしまった。それで今回は、典型的な男権社会である司法界を描く上で、女性的な視点から「これって、おかしいんじゃないの?」というツッコミを主人公の小島聖に入れさせたわけです。観た人によっては、社会派ドラマにも、恋愛ものにも、法廷を舞台にしたコメディにも感じられはずです(笑)。  『ポチの告白』に続いて、司法問題を扱った『ゼウスの法廷』を撮ったことで社会派監督と見られる高橋監督。だが本人的には特別な意識はないという。 高橋 ヤクザものやサスペンスなど、いろんなジャンルを作ってきているので、社会派という意識はないですよ。『ポチの告白』は出資者に幾つか企画を提案した際に「これがいちばん面白そう」と注文を受けて撮った作品でした。今回の出資者は別の人ですが、次は司法を斬ってくれと頼まれて作ったのが『ゼウスの法廷』。『ポチの告白』を作りながら、「警察組織の不正を司法がきちんと懲罰していれば、もっと健全な共同体になるはず」という思いがあった。いちばん最後の出口が間違っているから、諸問題がたまっているんだろうなと。じゃあ、司法を題材に作品を撮ってみようということだったんです。  『ポチの告白』ではマジメな警察官が組織内で出世するに従って汚職刑事と化していく姿が生々しく描かれたが、『ゼウスの法廷』では結婚を控えたエリート判事(塩谷瞬、声:椙本滋)の公私にわたる多忙な日常を、婚約者である一般女性(小島聖)の目線でドラマ化していく。
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エリート裁判官への道を突き進む加納(塩谷瞬)だが、女性問題でつまずくことに。ちなみに、本作は塩谷のスキャンダル発覚以前に撮影された。
高橋 警察官以上によく分からない、裁判官の日常を可視化してみようという発想です。法衣を着て、エラそうに法壇に座っている裁判官をひとりの人間として描くことで、司法の問題点が浮かび上がってくるに違いないと考えたんです。裁判官は法律をどう解釈するかが仕事だとすれば、そこに感情的なものを入れることが原則的にはできないはず。それなのに「情状酌量」という言葉があったり、死刑判決などを宣告する際に「遺族の心痛は計り知れないものがある」などと唐突に感情を推し量ったりするわけです。これは一体、どういうことなんだと(苦笑)。そういった矛盾点をうまく組み込めば、面白い物語になるなと考えたんです。『ゼウスの法廷』は司法制度という暗黒の巨人に立ち向かっていくというお話ではありません。権力者とされる立場の人たちを、一人ひとりバラバラにして、裸にしたドラマなんです。たぶん、裁判官のセックスシーンを描いた、日本では初めての映画だと思いますよ(笑)。 ■司法に正義を求めることは間違っている!?  難解そうに感じられる司法制度の歪みを、『ゼウスの法廷』は分かりやすく、かつ面白いエンタテインメントドラマとして料理していく。『ポチの告白』同様、権力者を丸裸にしてしまう高橋監督の演出手腕はブレることがない。 高橋 司法を語る上で重要なポイントは、“法律とはその時代の常識にすぎない”ということ。戦争中は人を殺すことが義務であり、上官の命令に背いた者は敵前逃亡者として罰せられた。軍法であれ、当時はそれが正しかった。現在の法律だって、それが正しいとは限らない。そう考えると、法律を解釈することは正義でもなんでもない。現時点での社会の決め事がそうなっているだけのことだし、我々が合意している法律もほとんどが常識にすぎない。人を殺してはいけない、人の物を盗ってはいけない……。先日、現役判事の寺西和史さんと対談したんですが、寺西さんと考えが一致したのは「司法に正義を求めること自体が、そもそも間違い」ということ。例えば、強盗事件が起きた場合、貧乏な容疑者と裕福な容疑者がいた場合、貧乏な容疑者が不利になる。裕福な人間が強盗するはずがないという常識的判断に、法律的判断が譲られることが多いわけです。法律の運用のされ方って、そういう性質のもの。でも寺西さんは、だからこそ法律に定められている手続きはきちんとした上で判断しなくてはいけないと主張している。寺西さんは自白の強要につながりやすい代用監獄に反対し続け、拘留請求を却下してきた。自分の思想性や意見を語ることのない裁判官の中にあって、寺西さんは非常に珍しい存在ですよ。  2009年から裁判員制度が導入されたものの、一般市民が刑事裁判に関わる機会は極めて少ない。衆議院議員選挙の際に最高裁判所裁判官の国民審査が行われるが、ほとんどの有権者は戸惑って白紙で投票しているのではないだろうか。
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重過失致死罪で起訴された恵(小島聖)は、婚約を交わしていた加納から裁きを受けることなる。法廷が痴話喧嘩の場となる!?
高橋 総選挙の際に最高裁裁判官の国民審査も同時に行われますが、あれなんかとんでもないインチキ。どんな選挙だって、投票用紙に何も記入しなかったら無効票です。ところが国民審査では、白紙投票が裁判官を信任したことになる。最近はネットを見れば、その裁判官が担当した主な裁判が分かるようになりましたが、投票所で裁判官の名前を初めて知る人がほとんどでしょう。政見放送みたいに、この裁判官は過去にどんな裁判を手掛け、どんな判決を下したのか事前に分かるようにするべきじゃないですか。要するに国民の関心が自分たちに向かないようにしているわけです。僕に言わせれば、裁判員制度も民意の反映ではなく、裁判官の仕事がどれだけ大変かを一般市民に分からせるためのもの。誰にも見えない壁に囲まれた世界で、裁判官はいろんなインチキやっているんじゃないですかと。日本の裁判所のセキュリティーだっていい加減なもので、ないに等しい。庶民は逆らうはずがないと、彼らが思い込んでいるからです。日本人は司法をはじめ権力側の問題に意識がなかなか向かわないけれど、それは仕方ないことでもあるんです。我々は武装解除させられ、現行犯の私人逮捕を除けば逮捕や捜査権は警察、司法は裁判所に託した形になっている。もっと言えば、日本は政治も産業も文化もすべて東京に一極集中化し、東京=中央には逆らえないという風潮を生み出している。長きにわたって権力者側には逆らえない空気が、この国を覆っているんです。これを一個人が突き破ることは簡単なことではないですよ。  かたくななまでに保守的で閉鎖的な司法界に自浄化を求めるのは、どうやら無理らしい。冤罪事件をマスメディアが取り上げ、抗議運動を起こしても意味がないのだろうか? 高橋 寺西さんに尋ねたところ、寺西さんは新聞を契約していないし、テレビも置かず、インターネットもつないでいないそうです。携帯電話を寺西さんが持っていないのは極端かもしれないけど、裁判官がいかに外部の情報を遮断するように努めているかがうかがえます。裁判所の前で市民団体が不当判決を許すなというデモ抗議をしますが、ああいう抗議活動をしても裁判所の中にはまるで届かない。でも、声を上げていくことは大事です。一部の市民運動で終わらせず、もっと広げていかなくてはいけない。お買い物している主婦たちが「裁判所って変だよね」と、話題にするくらい常識化しないと世論にはならない。庶民的レベルで問題意識を広めていくことが必要でしょう。  法廷で裁判官が絶対的な権力者として振る舞う姿が劇中で描かれるが、『ゼウスの法廷』という題名は逆説的な意味からネーミングしたものだと高橋監督は語る。 高橋 権力者とは一体何者なんだろうということです。本来は主権者である我々国民が、彼ら公務員や政治家を権力者にしてあげているわけです。ゼウスとは万能の神のことですが、実在しないフィクション上の存在。日本の司法界には最高裁判所の長官はいても、ゼウスのような絶対的な権力者は存在しない。権力者がいるように我々は思い込まされているだけなんです。まっとうな社会を作っていくには、まずそこを見間違えないようにしないといけない。そして、この国の主権者である我々は、ずっと怠ってきた自分の頭で判断するという習慣をこれから身に付けていかなくちゃいけない。
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判事の内田(野村宏伸)は司法界の自浄化を目指していたが限界を感じ、弁護士へと転職。恵の国選弁護に就くことに。
■今の日本映画界に必要なのは、東宝インディーズに第二松竹  高橋監督にもうひとつ訊いておこう。『ポチの告白』は完成から劇場公開まで4年の歳月を要し、『ゼウスの法廷』も2011年の撮影から劇場公開までスムーズには進まなかった。この国の映画事情を、高橋監督はどのように感じているのだろうか? 高橋 『ゼウスの法廷』の公開が遅れた原因は2つ。ひとつは、僕が雇ったプロデューサーが背任行為で製作費を横領したため。これは僕が自力で解決したので、作品の内容には一切関係ありません。もうひとつは、日本の今の二極化した映画界の厳しい現状です。東宝をはじめとしたメジャー系とそれ以外の独立プロによるインディペンデント系との二極化が激しく、企画内容やクオリティーを重視した作品が市場に出回りにくくなっている。完成した『ゼウスの法廷』は東映撮影所の協力もあって撮ったものだしということで、東映さんで配給できないか持ち掛けたんですが、「このキャストだと弱いですね」と言っただけで、東映の取締役クラスは作品を観ようともしなかった。映画を配給する会社の人間が中身も観ずにパッケージで判断して、斬り捨てているわけです。そこで僕が提案したいのは、米国のメジャースタジオであるワーナーにはインディーズを子会社化したニュー・ライン・シネマ、20世紀フォックスにフォックス・サーチライトとそれぞれインディペンデント作品を専門に扱うブランドがあるように、東宝インディーズとか第二松竹といったような子会社か新ブランドを作って、低予算でも良質の作品を配給していくというアイデアです。そうすることで、作品は多様化し、映画文化はもっと豊かになる。さらにはメジャー系の人たちがいちばん望んでいる市場の拡大につながっていくと思います。まぁ、僕がこんな提案しても、あっちの人たちは「ふ~ん」でしょうけど(苦笑)。  新しいプラットフォームを作ることを高橋監督は提言する。 高橋 大手のシネコンに押されて、ミニシアターや地方の映画館は大変な状況です。貧すれば鈍するで、「東京での人気作であれば上映したい」という地方の映画館が増えている。それでは主客転倒なんですね。中央(東京)の映画をただ持ってくるなら、ますます大きなスクリーンと座り心地のよい客席を用意した駅前のシネコンにお客を奪われていくだけ。先ほども日本は中央に集権化しやすいことに触れましたが、中央に対し、地方は独自の価値観を築いていくことが大切です。中央にはない、その地域だけの独自の文化です。「ジャパネットたかた」はデジタル機器を使って、地方ならではの価値観を生み出した成功例。東京に本社を構える大手家電メーカーが、こぞって佐世保参りしているわけですからね。演劇の世界で言えば、寺山修司やつかこうへいは小劇場というプラットフォームをうまく立ち上げることで成功を収めた。時代の違いというものもあって簡単なことではないけれど、新しい発想によるインフラを構築することが重要だと僕は思います。僕自身で言えば、数年前からNYでハリウッド作品を準備しているところ。予算規模は15億円で、これは僕に声を掛けてきたハリウッドの大物プロデューサーが個人的に決裁できる額。ハリウッドでは高い予算に入らない金額ですが、日本のインディペンデントでずっとやってきた僕には充分な金額です(笑)。米国に活動拠点を作り、新しい作品を生み出せれば、日本の映画界にもいい刺激を与えることができるんじゃないかと思っているんです。  高橋玄という男から、しばらく目が離せそうにない。 (取材・構成=長野辰次) 『ゼウスの法廷』 監督・脚本/高橋玄 出演/小島聖、野村宏伸、塩谷瞬・椙本滋、川本淳市、宮本大誠、吉野紗香、速水今日子、横内正、黒部進、風祭ゆき、出光元  配給/GRAND KAFE PICTURES 3月8日(土)よりシネマート六本木ほか全国順次ロードショー  (c)GRAND KAFE PICTURES 2013  <http://www.movie-zeus.com> ●たかはし・げん 1965年東京都生まれ。19歳で東映東京撮影所に入り、『心臓抜き』(91)で劇場映画監督デビュー。『CHARON(カロン)』(04)で、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ファンタランド大賞を受賞。『ポチの告白』(05)は完成から4年後の2009年に劇場公開され、ロングランヒット。日本映画館大賞特別賞を受賞し、英国ではDVDがソールドアウト。ベストセラー作家・乙一の代表作の映画化『GOTH』(09)も北米、英国、アジア各国で配給され、高い評価を得ている。現在はNYを拠点にハリウッド作品を準備中。

博多大吉が叫ぶ「(この本を読んで)若手芸人よ、大志を抱け!!」

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撮影=尾藤能暢
 企画意図を的確に読み取る“上品芸人”であり、ひな壇では抜群の安定感を醸し出す“先生”であり、もはやバラエティ番組に欠かせない存在である博多大吉。初めての著書『年齢学序説』(幻冬舎)も文庫化されるなど、絶好調、怖いものなし、この世の春かと思いきや……。くべてもくべても燃えない焚火のように、頑なに「そんなことないです」を繰り返す、あぁ上品。というわけで、年齢本に込めた思いから昨今のお笑い事情まで、愛と毒を絡めて語る大吉ワールドをご堪能あれ。 ――まずは、この本を書こうと思ったきっかけを教えてください。 大吉 僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)で「26歳にまつわる都市伝説」を発表したのがきっかけです。実はこのネタ、ゴールデンでは丸々カットされたんです。言葉悪いですけど、その辺のネットで拾ってきたようなネタを言う人がゴールデンでオンエアされていまして。あぁそんなもんかと。それが深夜でオンエアされたものを、幻冬舎の編集さんが見ていてくださったんです。声をかけてもらった時は、うれしかったですね。見ている人は見ているんだなぁと思いました。 ――年齢の法則に気づいたのは? 大吉 大物芸人さんはみんな26歳で冠番組を持っているなぁと思って、調べてみたらそうじゃない人だらけだったんですけど、追いかけていくと必ず何かあるんですよ。基本、そこをくっつけているだけの戯言です。 ――でも、『年齢学』ですよね(笑)。 大吉 このタイトルを編集さんから提案された時は、おいおい全然「学」じゃないし、その上「序説」なんて何を言っているんだって、慌てましたよ。何度も言いますが、戯言なんですよ。お笑い、プロレス、漫画、昭和歌謡……自分の好きなことを書いているだけなんです。しかも回りくどく!! ――構想8年、執筆3年、大作です。 大吉 ある程度、ネタはあったんです。1ページに1ネタくらいのネタ本にしましょうかって提案もしてもらったんですけど、たぶん自分が本を出せるなんて最初で最後だと思ったんで、それではちょっとさみしいかなと。それで「一回書かせてもらっていいですか?」ってお願いして、前半部分を書いてみたんです。それを読んでもらって、こんな感じで書けるならやってみましょうと。ただ、前半にだいぶ出し尽くしてしまったんで、後半はほぼほぼ残りかすを集めた厳しい戦いでした。EXILEの年齢を足して割っている時なんか、ドキドキですよ。「26になれ、26になれ」って祈りながら計算して、26になったら「やった~!」って。もういろいろな人の年齢を計算してますから。四則計算駆使して。 ――そうはおっしゃいますが、この本には大吉先生のクールで鋭い視点が詰まっていると思います。 大吉 小さい頃から、大人の顔色をうかがう子どもだったんでね。仕事中はフロアさん(フロアディレクター)の顔ばっかり見てしまいますね。今何が起こっているのか、だいたい顔を見れば分かりますから。 ――相手が求めていることをやりたいと。 大吉 まずはそれですね。その相手というのが、僕の場合はMCの方とかではなくてスタッフさんなんです。そのあたりが、上品芸人と呼ばれるゆえんですかね。 ――あの「上品芸人」(テレビ東京系『ゴッドタン』での一企画)のくくりは、大発見でしたよね。 大吉 よくぞ言ってくれた、と思いました。だって、しゃべりながらも「絶対ここ使わないだろ」っていうこと、いっぱいありますもん。ただ現場のためにやってるっていう。そういうカンペは、だいたい僕に出る。もちろんオンエアされない。あれ? あんなに疲れたのに、テレビでは全然しゃべってないな……と思いながら。 ――『年齢学序説』が文庫になると聞いた時は、いかがでしたか? 大吉 僕、その話はてっきり立ち消えになったと思っていたんで、「まだあったんだ」っていうのが正直な感想でした。装丁が決まったころでしょうか、やっと実感が湧いてきて。実際、駅なんかで売ってるのを見かけると、「うわっ」ってなります。買っちゃいますもん。恥ずかしくて。だいたい一冊しかないから。 ――『サンデー・ジャポン』(TBS系)でもせっかく宣伝できたのに、すぐ(本を)隠しちゃいましたよね。 大吉 編集さんには申し訳ないですけど、恥ずかしいんです。 ――芸人さんなのに、本を書いているということが恥ずかしい? 大吉 ここまで時間をかけて書いたものなので、言い訳できないんですよ。面白くないって言われたら、もう「すいません」としか言いようがない。で、自分でも思うんですけど、年齢層や趣味とか読者を選ぶ本なので、ハタチそこそこの、なんとなく僕のことを好きだなって思ってくださっている方が読んだところで、ちんぷんかんぷんですから。だから、なるべく知られたくないっていう気持ちのほうが前面に出ちゃいまして。本当は同窓会で売りたいんですよ、手売りで。 ――先日、大吉先生のラジオでの発言がネットニュースで出回っていたのをご存じですか? 大吉 知ってます。すぐニュースになるんですね。 378A7148.jpg ――「若い子がテレビを見ない理由」。世代間で話題を共有できていないと。 大吉 その、(テレビに出てくるネタの世代間格差の)集大成みたいな本ですよ、これは。 ――この本で、若い子たちに知ってほしいという気持ちはありますか? 大吉 いや、同世代で趣味も僕と合う人が懐かしがって読んでくれたらいいです。若い子が知る必要のない情報が山盛りですからね。 ――そうは言っても、普遍的なアドバイスをさりげなく忍ばせてますよね。たとえば、「妥協すること」と「諦めること」の違いとか。 大吉 僕は「前向きな撤退」っていう言葉が大好きなんです。妥協するっていう自覚は持ちにくいかもしれませんが、ちょっとずつ目線を下げていく……それは「諦める」こととは違う。 ――今、NSCに入学する人が年に2000人いて、その割には出ていける場所は少ない。芸人を続けていこうか悩んでいる人に相談された時、大吉先生はどんな言葉をかけるんですか? 大吉 相談されたら、「辞めたら?」って言います。でも、相方は「絶対辞めるな!」としか言わない。だから、どっちに相談するかです。今ね、40歳付近で固まってしまってるじゃないですか。この世代、強すぎるでしょ。MCにもいるし、ひな壇にもいるし。『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の年間大賞とか、あれだけ芸人がいて、一番若手が品川君(品川庄司)ですよ。そりゃあ、20代30代、出てこれないですよ。 ――まるで自民党の議員みたいです。 大吉 そんな中、パンサーとかジャンポケとか頑張ってますけど……数が違う。この城は、なかなか落とせないと思いますよ。 ――その40歳周辺の芸人さんたちがテレビにも出て、毎年ライブもやって、自分たちでネタも書いて……もっと調子に乗ってくれないと、若手の出番がないのでは? 大吉 僕たちも、月イチで新ネタを作るようにしてますね。浮かれられないんです。吉本はギャラが安いとはいえ、おかげさまでここまで働いていればある程度はもらえるので、遊ぼうと思えば遊べるんですけど、やっぱりダメですね。 ――それは恐怖感ですか? 大吉 どんどん年を取ってますからね。もう44ですよ。じっとするのが怖い。華丸さんが結構ね……僕はまだ咀嚼しきれてないんですけど、華丸さんがいま変な面白さを出しているんですよ。フツーの一言が、めっちゃウケたりするんです。それはそれですがりたいんですけど、怖いんです。よく分かってないから。長いこと一緒にいすぎて、華丸さんの何が面白いのか、よく分からなくなってきてる(笑)。自分が作ったネタを演じてもらってなら、理解できるんですけどね。「今日は寒かね~」でドカーンとウケたりする。 ――すごい、金脈ですね。 大吉 ただ、これ以上埋まっているのかなという不安もありますよ。そこに頼っちゃうと、実は泥でしたっていうこともあるかもしれないので。 ――そういう用心深いところが、大吉さんが「先生」と呼ばれるゆえんなのでしょうか? 大吉 僕らは変に年を取ってる後輩芸人なので、雨さん(雨上がり決死隊)に気を使っていただいてるだけですよ。僕のことは「先生」で、華丸さんは「岡崎さん」。それを見て、周りの芸人さんたちもそう呼んでくれるようになったので、ありがたいですね。 ――やはり『アメトーーク!』での「博多華丸・大吉芸人」は大きかったですか? 大吉 あれは、僕らの中ではゴールだったんです。これでいつでも福岡に帰れるし、あとはもう言ってみれば余力というか。行けるところまで慣性の法則で行こうみたいなノリでした。実際、あれで爆発的に仕事が増えたわけでもないですし。それより、ちゃんとしたマネジャーがついてくれたことのほうが大きいかもしれません。 378A7116.jpg ――基本、スタンスは変わらないと。 大吉 変わらないですね。劇場やってるからじゃないですかね。お客さんの前で漫才をすることで冷静になれる。テレビに出られなくても、劇場でウケていればいい話なんで。あと福岡にも仕事があるし。慌てないんですよ、僕たち。 ――故郷を捨てて、東京で成功してやる! っていうのも、芸人として成功する一つのモチベーションだと思うのですが、あくまで福岡と東京の両立にこだわった理由はなんでしょう? 大吉 僕も福岡のことが好きですし大事にしたいですけど、僕以上に華丸さんが動かない。何よりも福岡を優先させるので。福岡を優先させているのか、福岡のゴルフを優先させてるのかは謎ですが。ちょっとは山っ気が出る時もあるんですよ。ピンでいろいろな仕事に呼んでもらって、それがウケればいいんですけど、失敗して落ち込んだ時、ふと振り返ると華丸さんが福岡でほほえんでる。それがどうしたって顔で、こっちを見てる。それで僕も「あぁそうでしたね」って。なんかすいません、ちょっと調子に乗ってました。反省とかしなくてよかったんですねって。 ――華丸さんの存在が大きいんですね。 大吉 本当にアイツが僕以上に博多が好きなので。全国ネットで「有名なラーメン店は?」って聞かれて、パッと浮かんだところを言うべきなのに、あの人は言わない。どこの名前を出しても角が立つ。あの店は、俺は好きだけど最近行ってないから味が落ちてるかもしれない。そういうことを気にして、結果、黙るという、テレビとしてあるまじきことをするんですよ。その一瞬は「何やってるんだ」ってムッとはしますけど、よくよく理由を聞いてみると、あの人はブレてない。昔っから何も変わってない。 ――華丸さんが『R-1』で優勝して先にブレイクして、その隣で大吉先生はどんなことを考えていたのですか? 大吉 華丸さんばっかりテレビに出てると、親たちから「アンタ何やってるの?」って言われるので、その辺は確かにキツかったですけど、個人的にはなんとも思っていなかったですね。すごい失礼な言い方ですけど、『R-1』にそこまで期待していなかったので、そんなに重要なタイトルだとは、当時は思っていなかったんですよ。たまたま優勝しただけのこと。それでTBSだったり、フジテレビだったり、いろんなテレビ局を見学させてもらったと。お金をもらって芸能人を生で見れて。ウィニングランの気持ちで一年間を過ごしました。 ――ご自身も芸能人なのに。 大吉 違いますよ。たまに街で僕のことを見かけて喜んでくれる方がいらっしゃるんですけど、困るんです。「またまた」と。綾野剛さんのほうがうれしいでしょ? 僕とばったり会うより。ごめんね、だけど綾野剛はここにはいないんだよ……と。 ――考えすぎです(笑)。 大吉 この間ですね、ロケで嵐の櫻井翔さんがカレーを召し上がったんですけど、カメラが止まった後に「大吉さん食べますか?」って言っていただいて、翔さんが使ったスプーンで食べてしまったんですよ……。さらに、その後、翔さんがまた同じスプーンで食べた。ラリーがあったんです。これは調子に乗ってるなと、自分で自分を戒めました。 ――(笑)。最後に、読者にメッセージをいただきたいのですが。 大吉 まぁきれいごとみたいですけど、売れてない若手が読んでくれたらいいなと思って書きました。世に出れなくてもがいている、ウチの、吉本の芸人に読んでほしいなと思って書いたんですけど、まぁ思っていた以上に誰も読んでくれなくて、はらわた煮えくり返るのみです。アイツら! だからお前ら売れないんだ! ――だから、26がダメでも38がある。38がダメでも……というふうに書いたのに。 大吉 僕の計算では、毎年2000冊売れるはずなんです。NSC生が買うから。 ――授業で読んでほしいと。 大吉 本当ですよ。今でこそこんなエラそうに言ってますけど、自分たちもそうだったので。35歳、知名度ゼロで東京に出てきてました。人生なんてあっという間ですから、若手は早くこれを読んで、辞めるなら辞める。続けるなら続ける。僕に謝るなら謝る。その三択です。 (取材・文=西澤千央)