フリースタイルバトルブームの“台風の目” ブラジル人ラッパーACEが語る、「エミネムの壁」と「果てなき野望」

378A2987
撮影=尾藤能暢
『フリースタイルダンジョン』(以下、FSD/テレビ朝日系)をきっかけに、いまや空前の盛り上がりを見せているフリースタイルバトル。その半面、浮かれてばかりもいられない。というのも、「さんぴんCAMP」が着火剤となり、「Grateful days / DragonAsh feat,zeebra&ACO」が大ヒットして一躍注目を浴びた日本語ラップシーンだが、その後、セールス的にメジャーシーンで成功したといえるのは、KICK THE CAN CREW、KREVA、RIP SLYMEくらいだった(参考記事:月刊サイゾー『フリースタイルダンジョン』に至る30年のウラ側)。もちろん、THA BLUE HERBなど、インディーズながら成功を収めたアーティストもいるが、日本語ラップがメジャーシーンで日の目を見ることは少なくなっていった。  そんな時代を経て、久々に何かやってくれそうなラッパーが現れた。渋谷サイファー(註:路上や公園などに集まり、輪になってフリースタイルでラップし合うこと)という新たなカルチャーを確立した、ブラジル生まれ新宿育ちのラッパー・ACEである。アニメとASIAN KUNG-FU GENERATIONをこよなく愛し、「もっとテレビに出たい」と声高に叫ぶ、これまでにいないタイプのラッパーが、現在の日本語ラップシーンをどのように見ているか、話を聞いた。 *** ――ACEさんは、般若さんから『FSD』への出演を依頼されるきっかけとなった「アドレナリン」をはじめ、クラブイベントを主催されていますが、その中でなぜ、渋谷サイファーを始めようと思ったんですか? ACE もともとは、高田馬場でやってたんです。当時、フリースタイルバトルで勝ちまくるというのを目標にしていたこともあって、練習の場としてもそうだし、単純にサイファーは楽しい。でも、サイファーやってるやつは少ないから、“じゃあ、ゲリラでやろう”と思って、たまに渋谷のハチ公前とかでもやってたんです。それで、ひょんなことからスピーカーとマイクを入手して。ある時、「高校生ラップ選手権」の前夜祭サイファーをやっていたんですけど、遅い時間だったんで一回解散して、TSUTAYA前に移動して大人の部をやることにしたんです。そこに偶然、ドラムのユージ・レルレ・カワグチさんがいて、その音を聞いていたらビートが合いそうだなと思ったんで、なんなら一緒にやっちゃおうと(笑)。スピーカー置いて、ドーンってやったら、化学反応が起きたんです。路上ライブスタイルのサイファーってこれまでなかったから、新しいなって。もうね、TSUTAYA前がフェス状態でしたからね。これはヤバイと思って、「掌幻、お前も味わったほうがいいぞ! ラップうまくなるぞ。来いよ」って誘って、今の掌幻がある(笑)。そこからCHARLESとかギターのユースケ・ローレンスも加わり、今の渋谷サイファーの形になりました。最近では、トランペットやサックスから、ディジュリドゥ(アボリジニの管楽器)まで、いろいろな楽器が飛び入りで入ってきたり、ダンサーもいたり、みんな自由にやってますよ。 ――渋谷でやることの意義って、何かあるんですか? ACE 僕の家から近いから(笑)。もちろん、一緒にやってるやつらには、それぞれ思い入れはあると思います。でも、北海道でも沖縄でも、どこでだってやりますよ。最近は『FSD』の影響もあって、サイファーをやっていれば足を止めて見てくれる人もいますけど、僕らがサイファーを始めた頃って、今ほどHIP HOPに日が当たっていなかった。当時は「黒人が日本語でラップしてる」くらいの関心度で、人も集まらないし、内々のものだったんです。
378A3053
――そんな渋谷サイファーが、なぜここまで広まったと思いますか? ACE 「すごいから」じゃないですか? 「なにこれ?」って、驚きがある。黒人が日本語ラップしている。腕の細いドラマーが、ぶっとい音で叩いている。ギターはめっちゃオタクなのに、なんか色っぽい。女の子のラッパーもいて、ジャンルの幅がめちゃくちゃ広い――。視覚にも聴覚にも、響きますよね。そんなごちゃまぜ感に加え、まぁ僕らのエンタメスキルですかね(笑)。 ――そのエンタメスキルが、ACEさん最大の持ち味でもありますよね。 ACE やっぱり『FSD』の影響は大きいですね。ここで初めて言いますけど、山下新治名義(ACEは『FSD』に般若の通訳役・山下として出演している)で、結構なビッグネームの映画出演オファーが来たんですよ(笑)。結局、スケジュールが合わなくて出られなかったんですが、山下名義でオファー来るって、すごい影響力ですよね。でも、僕らがやっていることって、本当にずっと変わっていない。内容的には進化し続けているけど、方向性やメッセージはブレていない。にもかかわらず、『FSD』やるまで、メディアは見向きもしなかった。遅いよ、日本のメディアは! 何年待ったか……(笑)。 ――その『FSD』がきっかけで、現在のさまざまなバラエティ番組への出演につながったと思うんですが、DOTAMAさんと一緒に出演した『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の生放送でのフリースタイルは、かなりリスクがありましたよね。撮り直しができないし、禁止ワードを言ったらアウトです。さらに、情報バラエティだと、番組側がACEさんの見せ方を作るので、本来のACEさんのスタイルと齟齬が生じる。 ACE もちろん、リスクはありました。でも、単純に面白そうだなと思って。だって、『ヒルナンデス!』で俺がラップしてるって、おかしいじゃないですか?(笑) ただ、バトルをテレビでやると、当然、禁止ワードがある。自由表現じゃないって嫌がるラッパーもいますが、僕はそのルールの中で、どれだけ自分がうまくやれるかというスリルを楽しむのも一興かなと思っています。最近は「口説きMCバトル」とか、お題のあるバトルも多くなってきていますし、そういったテーマの中で、いかに格好良く見せられるかというのが大事になってくる。おちゃらけて伝わるのは僕たちの本意ではないですが、決められたルールの中で、どれだけ言葉遊びを楽しめるか、ですね。 ――一方で、テレビに出て“タレント性”を求められるのを嫌がるアーティストも多いですよね。 ACE 僕はぜんぜん嫌じゃないです。もっとテレビに出たい! だって、テレビに出たらモテるもん(笑)。曲のイメージが崩れるのを懸念する気持ちはわかります。でも、ある程度、露出をしているのに、中途半端にメディアに出るのを嫌がるのは、本人がアーティスティックじゃないから。般若さんの『FSD』での振り切り方がいい例で、逆に彼のアーティスト性を高めている。僕は、ラッパーっていう職業が、もっと芸能界に食い込んでいったほうがいいと思います。テレビで出し尽くしちゃって、飽きられる怖さっていうのもあるかもしれない。ただ、それはスキルの問題ですよね。フリースタイルなんて、毎回変わるワケで、飽きられるはずがない。僕のフリースタイルは一生続くから、今のフリースタイルブームに対しても「仕事増えるぜ」「ありがとー!」って程度で、僕のスタイル自体は何も変わってない。
378A3029
――現在、日本語ラップシーンはこのまま行けば爆発しそうな雰囲気もあって、そのためには「Grateful days」のようなスマッシュヒットが必要だ、という意見も多いですが、ACEさんはそのあたり、どう思われますか? ACE いや、“エミネムを超えてやる”っていう覚悟のあるラッパーが、あと15人はいないと、変わらないんじゃないですか? スマッシュヒットごときを狙ってちゃ、ダメでしょ。結局、フリースタイルがはやっているっていったって、「日本のラッパー、誰知ってる?」って聞いても、答えられる人は実はそんなに多くない。やっぱり、エミネムくらい有名なやつが出ないと、何も変わらない。 ――その覚悟を持っている人は少ない? ACE 少ないと思います。長くやっている人ほど、その覚悟が削がれていくっていうか。現実を見れば、そう簡単には食っていけないし、業界のしがらみもある。もしくは、やってみたら意外と行けたけど、そこで行き止まり。「エミネムはアメリカで、日本と市場が違うもんなー」と、あきらめてしまう。そういったさまざまな要因にくじけず、「エミネムを超えるんだ」っていう覚悟と実力と行動が伴っている人がもう何人かいれば、変えられるんじゃないですかね。ここでドカーンと残しておかないと、10年後に「一発屋だった」って言われますからね。ここから先、戦国時代ですよ。 ――ACEさん、別のインタビューで「シーンのこととか考えていない」とおっしゃられていましたけど、なにげにいろいろと考えていますよね。 ACE シーンのことは考えていないですよ。というか、先輩たちが頑張ってくれたから今があって、先輩たちがやらかしてしまったからできなくなったこともある。ただ言えるのは、団結する時だということですかね。城を建てないといけないんじゃないですか? きちんとお金の流れをつくって、マネジメントではなく、エージェントのような形でラッパーを守るような組織ができてもいい時期なのかなとは思います。HIP HOPというくくりでは、表には出ず、シーン周辺のビジネスで稼ぎたい人もいる。だから、城を造り、その城の中でラップするアーティストもいれば、HIP HOPに生きる人もいる。その城のラップアーティストに属するなら、『FSD』で盛り上がった今が前に出る時です。客目線でいうと、KICK THE CAN CREWみたいな、ヒットを続けるラップグループが出れば楽しいと思います。そういったユニットがボーンって出て、引っ張っていくっていう可能性はあるかもしれない。 ――では最後に、エミネムを超えるのはもちろんですが、今後の目標を教えてください。 ACE フリースタイルもラップもタレント性も、全部ナンバーワンを目指してます。去年「フェスに出たい」って言っていたら、今年はフェスにたくさん出演できたので、今のところは作戦通りですね。今後もフェスに出続けつつ、12月7日にセカンドアルバム『LIGHT DOWN』、来年の上半期にサードアルバム、その後に新曲を出す予定で、その新曲はセルアウトとかではなく、皆の心に届くホームランを狙います。その曲で『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出たい。あとは『ワイドナショー』(フジテレビ系)で前園(真聖)さんの隣に山下として出て、ラップでコメントしたい(笑)。そういった意味で、僕はHIP HOPアーティストではないのかもしれません。ラップっていう歌唱法を使っている、ブラジル人ACEなんですよ。それが死んだ時に、HIP HOPアーティストになるのかもしれないですね。 (取材・文=石井紘人@hayato_fbrj) ●ACE DVD『ACEのフリースタイルマップ Vol.2』 発売日11月16日 価格:2,000円(税抜) ●ACE 2nd Album『LIGHT DOWN(ライト・ダウン)』 レーベル: 戦極CAICA 発売日: 2016/12/07(水) 品番: SGKC-012 価格: 2,315円(税抜) ブログ <http://ameblo.jp/aceofficial/> Twitter <https://twitter.com/ace0317?lang=ja

元“アウトローのカリスマ”瓜田純士がメタボ解消!「ペ・ヨンジュンレベルのボディに……」

378A2587
 今年の1月、医者から「メタボ宣告」を受けた“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)。「夏までに全身をペ(・ヨンジュン)レベルに仕上げ、ヌードを披露する」と宣言し、春先からダイエットと筋トレを始めたが、果たしてその後、どうなったのか? 約束の夏を過ぎたので、ヌードの撮影を要請してみた。  9月某日。渋谷区道玄坂にあるサイゾーの特設スタジオに妻同伴で現れた瓜田は、開口一番、こう詫びた。 「力及ばず、『ペ』には届きませんでした。すいません」  目標とする、ペ・ヨンジュンのようなボディーは獲得できなかったという。しかし、それなりの成果は得られたようだ。 「下半身はまだまだですが、上半身は結構いい感じに仕上がりましたよ」  そう言ってウィンドブレーカーを脱ぎ捨てると、その場に居合わせたカメラマンや編集スタッフから「おおっ!」という感嘆の声が漏れた。かつて医者から「ポッコリおなか」と笑われた腹部は、ボクサーのようにシェイプされ、腹筋の凸凹も認められる。 「シックスパックまではいきませんでしたが、どうにかファイブパックまで割ることに成功しました」
378A2621_1
逆三角形(▽)のボディーを手に入れた瓜田が、誇らしげに妻を抱き寄せる。
 驚くべきは、腹筋ばかりではない。かつてはまな板のようだった胸板も、大胸筋がほどよく隆起。上腕の太さも増している。それに対し腹部は凹んでいるため、男なら誰もが憧れる逆三角形ボディーを、わずか半年あまりで手に入れた格好だ。数値の変化は以下の通り。 身長   182㎝→182.5㎝  体重   74㎏→63㎏ バスト  95㎝→99㎝ ウエスト 85㎝→69㎝ 上腕   30㎝→33㎝ 体脂肪率 20%→10%  ジムにもライザップにも通わず、自宅でボディーメイクに励んだという瓜田。その苦労話と成功の秘訣を聞いてみた。 ――年始にお会いしたとき、ふっくらされた印象を受け、「いよいよ瓜田さんも、中年太りか……」と思ったのですが、あれから随分と努力をされたようですね。8年前のアウトサイダー出場時よりも、若々しいボディーじゃないですか。 瓜田 今後も更新は続きますが、今が瓜田史上、最もイケてるボディーです。
DSCF2016
今年1月に撮った瓜田。お腹が出ており、上半身のフォルムが三角形(△)になっている。
――一時とはいえ、なぜあんなに太ったのでしょうか? 瓜田 酒と夜ふかしかな。あとは、食生活。僕が嫁の料理を「おいしい」「おいしい」言うもんだから、嫁が僕を喜ばそうと張り切って、どんどん料理が豪華になっていったんです。カレーライスの上に、ハンバーグや魚フライ、ナポリタンなどをのせてくれたりね。で、気づいたら、医者からメタボ宣告ですよ。嫁のせいで太ったとも言えますが(笑)、そこからダイエットを始めたあとは、嫁のおかげで痩せることができました。カロリーや栄養のバランスを考えつつ、痩せて、なおかつ筋肉がつきやすいレシピを毎日せっせと考えてくれた。禁酒にも運動にも、付き合ってくれましたしね。 ――主にどのような運動を? 瓜田 最初のうちは、前にも言った通り、有酸素運動を中心に行いました(記事参照)。で、2カ月やそこらで10㎏ほど痩せたので、そこからは筋トレ中心に切り替えて、食べる量を増やしました。筋肉をつけたければ、嫌でも食べないといけないんですよ。 ――筋トレのメニューは? 瓜田 海外の刑務所にいる奴の鍛え方を参考にしました。主に大胸筋と、肩と、太ももを毎日鍛えます。 ――1日のトレーニングメニューを教えてください。 瓜田 だいたい朝は6時に起きて、午前中の暇な時間に、家にある懸垂マシーンを使って、いろんなパターンの懸垂を10回3セットずつ。そのあと、10㎏(両手で20㎏)のダンベルを立った状態で10回2セット。それが終わったらベンチに寝そべり、20㎏(両手で40㎏)のダンベルプレスを10回3セット。それらこれらの合間を縫って、腕立て伏せや腹筋やスクワットを20回3セットずつ。それが第1部です。で、夜間に第2部として、ほぼ同じメニューを繰り返しやって、なるべく12時前に寝ます。筋肉を育てるには、睡眠と食事が非常に大事。よく寝て、よく食べないと、すぐに痩せちゃうんですよ。 ――普段の食事の内容は? 瓜田 ダイエット期間は糖質を若干控えましたが、筋トレを本格的に始めてからは、嫁の指導のもと、糖質も脂質もタンパク質もバランス良く摂取するようにしてます。ちなみに最近は僕ひとりで「ご飯4~5合、鶏肉2㎏」を2日でたいらげますが、それでも太らない。それだけ筋肉量が増えて、基礎代謝がアップしたんでしょうね。
378A2555%25202
――筋トレのメニューが、かなりキツそうですが。 瓜田 目で見てわかるほどの効果が現れるまではしんどかったけど、目で見てわかるようになると、今度はサボるのが嫌になる。ダイエットやボディーメイクを挫折しがちな人は、きっと効果が目に見える前にやめちゃうんじゃないでしょうか。 ――筋トレの効果が目に見えるようになるのは、いつ頃ですか? 瓜田 僕の場合、ワンシーズン。3カ月程度でしたね。春夏秋冬。秋なら秋。どんだけ嫌でも、いっぺん本気でメニューを決めて、3カ月だけ頑張って続けてみれば、誰でも必ず成果は出る。そうなると、楽しくてやめられなくなりますよ。 ――奥様も、ダイエットに成功したそうですね。 瓜田 彼女は僕と別メニューですが、シャッフルダンスや家庭用トランポリンで体幹を鍛え続けた結果、この半年ちょいで、53㎏から42㎏まで痩せたそうです。 ――奥様につかぬことをお聞きしますが、そこまで痩せると、胸のサイズも小さくなってしまうのでは?  そうなんですぅ。揺れるところからぜい肉が減っていくらしいので。 瓜田 揺れるほどなかっただろ、もともと(笑)。ていうか、人の嫁に変なこと聞いてんじゃねぇ!
378A2565%25202
――失礼しました。ところで、夫婦そろって自宅でトレーニングしてる間、飼い猫のセブンくんは何をしてますか? 瓜田 邪魔しに来ます。僕が腕立て伏せを始めると、裾(すそ)からタンクトップの中に入ってきて、体をクルリと反転させて、首元から顔だけ出して、こっちを見てくる(笑)。それがスーパーかわいいし、セブンの重さが加わるから、腕立ての効果も増すんです。 ――今後も、ボディーメイクを続けますか? 瓜田 はい。「ペ」はあくまで通過点。最終的には、アメリカンマッチョになるまで鍛えようと思います。 ――アメリカンマッチョとは? 瓜田 アメリカのヒーロー映画の主人公みたく、服がビリビリに破けるようなゴリゴリのマッチョボディーです。 ――それは骨格的に無理があるのでは? やせ型長身の瓜田さんは、今ぐらいの細マッチョが一番格好いいのではないでしょうか。 瓜田 「格好いい」と言われるようじゃダメ。「ヤベぇ」と言われたいんですよ。あからさまに一目置かれるような、誰もがビビって距離を置くような、そういう激ヤバなボディーを手に入れて、ハロウィンで見せびらかしたいですね。昨年の今頃はパニック障害で引きこもってましたが、今年のハロウィンはマッチョが映えるコスプレでキメて、肩で風切って新宿二丁目を練り歩きますんで、おおいに期待しといてください。 (取材・文=岡林敬太/撮影=尾藤能暢) ※瓜田純士&麗子 Instagram https://www.instagram.com/junshi.reiko/ ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

「差別を言い訳にしたら“負け”」在日コリアン3世・ベンチャー企業代表(男性・34)の場合

zainichikorean0921.jpg
 先頃、「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)の桜井誠元会長が、都知事選に出馬。11万4,171票を獲得しました。その得票数については、社会的にさまざまな反応があります。「恐ろしいヘイトスピーチを繰り返す人々に、そんなに票が集まったのか」、また「都民全体で見た時、やはりほんの一部の支持にとどまった」など、意見・分析も多種多様です。 「在日コリアンの若者は、現在の日本社会をどう見ているのか」  都知事選の前後から、そんな質問を、よく受けるようになりました。質問の主は皆、日本の方々です。ヘイトスピーチなど、いわゆる差別的攻撃の標的となっている当事者たちが、現在の日本社会にどんな思いをはせているのか? また、在日コリアンの若者は、日本でどのように日々を過ごしているのか? その率直な意見や、リアルな生活を聞きたいというのです。  ただこれまで、そのような質問に対し、明確な答えを返すことはできませんでした。一言で“在日コリアン”といっても、人によって国籍も、生活環境も、意見も違います。家族をはじめとするコミュニティーの影響もそれぞれ異なるし、生きていく上でのモチベーションも千差万別です。もちろん、好きな異性のタイプも違うし、リア充もいれば、孤独を愛し趣味に走る“オタク”もいます。年齢や世代によって、いくらか似たような認識や共通点はあるだろうけれども、決してひとくくりに語れるものではありません。戦前、戦後、そして日本の植民地時代を前後して海を渡ってきた在日コリアンの歴史は、すでに100年以上が経過したともいわれており、その“それぞれ”は広がるばかりです。 「在日コリアンは○○だ。日本社会については○○だと思っている」  おそらくその空白部分を埋められる人は、当の在日コリアンの中でも皆無かもしれません。僕自身、まるで在日コリアンを代表するかのように語るのは、「なんだか気が引ける」というのが正直なところでした。それを明確に、また遠慮なしに語る人がいるとすれば、よほど全体像が見えている神様みたいな人か、もしくは“世間知らずの無知な人”だと思います。  それでも、書き手として「何かすべきかもしれない」と考えてきました。何よりも、日本の方々が「知りたい」と問いかけてくれることは、とても恵まれた機会だからです。そしてもうひとつ、個人的な問題意識もありました。  ここ数年、世界各国では移民排斥の機運が高まっています。高い“人権意識”を持つと豪語する欧州・米国など、先進国でも、その動きは例外ではなくなってきています。グローバル化の動きとはまったく正反対の現象が起きていて、衝突や差別、排他的な雰囲気が世界各国を覆っています。おそらく、そのような世界の在り方は、日本社会と在日コリアンの関係性にも間違いなく影響しているはずです。  そしてイスラム国の若者の実情――。中東、また欧州各国で銃を手に取り、自爆テロを繰り返す若者たちには、移民2世や3世も多く含まれているという話があります。共通点というほどのものではないかもしれませんが、僕自身も日本で生まれ育った在日コリアン3世です。日本と欧州に暮らす“異邦人”には、歴史的・社会的に、どのような環境の差があったのか? そして、日本では想像もつかない凄惨な環境に身を投じる若者が、後を絶たない理由は一体何なのか? 雑誌の取材などを通じていろいろな話を聞きかじるうちに、そのような問いが頭から離れなくなりました。決して、社会正義をうたいたいわけではありません。日本で暮らす外国人として、純粋に興味を抱くようになったのです。  もしかすると、自分の周囲の人間の話を聞くことで、何かしらのヒントを得ることができるかもしれない。そういう思いが、日ごとに強まっていきました。  おそらく、これから先も、在日コリアンについて「何かを語る」ことは難しいかもしれません。それでも、その声を聞くことはできると思います。どれくらいの期間・回数が許されるかわかりませんが、できる限り多くの在日コリアンの若者の声を残していきたいと思います。 *** ■「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」 「日本社会に差別があるかどうか問われれば、ひどく差別されていると感じる人もいるだろうし、差別なんてされたことがないという人もいるでしょう。ただ、個人的には、差別を言い訳にした瞬間に“負け”だと考えるようにしています」  東京都内の焼鳥店で、2杯目の生ビールを飲み干したチェ氏(仮名)は、そう切り出した。チェ氏は今年34歳の、在日コリアン3世。なお、34歳という年齢は、日本の行政が若者と定義する最後の年代だ(一昔前まで、若者の定義は24歳までというものが多かったが、最近では40歳までを若者と定義する場合もある)。  チェ氏は、小学校から民族系の学校に通っていた。そのため、友人や知人も在日コリアンがほとんど。20代前半まで、日本社会との接点は、まったくと言っていいほどなかった。卒業後、右も左もわからない日本社会にいきなり投げ出されたチェ氏は、しばらくまともな職にも就けず、フリーター生活を続ける日々を送る。転機が訪れたのは、20代半ばを過ぎた頃だった。なんとか採用が決まった広告関連の企業で、脇目も振らず仕事に没頭。日本社会で人脈を増やすために、休日も取ることなく働き続けた。そんな数年間を過ごした後、30代を迎えた頃にはビジネスで独立を果たし、現在はベンチャー企業の代表として充実した日々を送っている。「相手も自分も一緒に向上できる仕事をする」「人を泣かせる仕事はしない」それが、チェ氏の仕事の哲学だ。 「20代の頃は、誰にも頼れずフラフラと生きていました。一時期、歌舞伎町でホストをやっていたこともあるんです。ホストって、羽振りいい世界に見えるでしょう? でも、あんなのは一部だけ。ほとんどがどうにもならなくて、薄給や罰金でヒーヒー言ってる。当時、生活しながら強く感じたのは、日本にも“持っている人”と“持っていない人”がいるということ。格差っていうんですかね。貧しくなると『男は路上に、女は(水商売の)待機室に行く』というのが僕のしょうもない持論なんですが、実際に目にした日本の若者たちの風景は、まさにそれでした」  未来が不透明な若者が、酒や疑似恋愛に溺れて刹那的に生きる。時には、安い金で体を売ったり、人をだましたり、犯罪にも手を染める。バカ騒ぎをして楽しそうに見えても、満たされない虚しさを抱える人々の一群。チェ氏が20代の頃に見た風景は、そんな日本社会の一面だった。  チェ氏自身、ホストやアルバイトばかりしていた頃は、経済的に苦しかったという。帰りの電車賃すらなく、駅で一夜を明かすことも珍しくなかったし、東京郊外の住まいまで、数時間かけて歩いて帰った日もあったという。そんな生活の中、格差や日本という環境、そして自分の人生について深く考えるようになる。お金も自信もなかったけれど、考える時間だけはたくさんありましたから――。そう、当時を振り返る。 「いま、そしてこれからの日本では、日本人でも在日コリアンでもあまり差がない。スタートラインはそれほど変わらない。そう思うようになりました。結局、持っているか、そうでないか。日本人の若者にだって、在日コリアンより苦労している人は多くいます。それに、在日同士だってお金がなくなれば離れていく。そんな現実の前では、日本社会にある差別という言葉は、あまり現実味がないような気がしていました」 ■在特会が主張するような“特権”なんてない  ただ最近は、嫌でも耳に入ってくるニュースのせいで、差別という言葉についても、深く考えざるを得なくなったという。4杯目のビールが狭いテーブルに運ばれてきたときには、話題は在特会やヘイトスピーチに及んだ。 「僕は韓国とか朝鮮、それに在日コリアンを嫌いな層というのは、日本からは絶対にいなくならないと思います。それは、差別ではなくて自然なこと。どこの国にだって、そういう人はいますから。僕だって嫌いな人はいる。そういう人たちが、まったく発言できない社会だとしたら、それは民主主義ですらないと思います。ただ、在特会やヘイトスピーチは水準が低いし、やり方を間違ってきた」  チェ氏は、日本で生活していると在日コリアンであることに多々不便を感じるが、在特会が主張するような“特権”は、感じたことも、使ったこともないという。実際、経営者としてのチェ氏は、客観的に見ても、世界的に見て起業が少ないとされる日本社会で、同世代の平均的な日本の若者より多くの税金を納めている。 「百歩譲って、もし在日特権なるものがあるならば、在特会はそれを証明して、政治家になって、日本の国民の支持のもと、法律を作ってなくせばいい。でも、彼らはそういうことはしないし、できない。裏を返せば、『自分たちは日本人なのに差別されている』ということを叫び続けて、間違った努力しかしていないんです」  在日コリアンに“特権”がないにもかかわらず、在特会などに関わる人々が『差別されている』と感じ続けることは、自分たち自身の成長を阻害する“鎖”にしかならない。チェ氏がそういった意見を持つようになった背景には、くしくも、幼少期、また青年期の一部を過ごした在日コリアンコミュニティーでの生活がある。 「M・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』っていう映画を知っていますか? 映画の舞台は、外の世界と隔離された小さな村。村の大人たちは、外の世界との境にある森に怪物が出るといって、子どもたちを牧歌的な村に閉じ込め続けます。結局、森の怪物たちは村の大人だった。大人たちは、外の社会で差別を受けた人たちなのですが、その経験から、よかれと思って子どもたちを隔離していたのです。僕はあの映画を見た時に、自分がいた在日コリアンのコミュニティーと重なる部分が多いなと感じました」  映画の中で重要なのは「子どもたちは、生きるために外に出る必要があるということ」とチェ氏。ビールグラスの水滴を指でなぞりながら、話を続ける。 「僕らのおじいさん、おばあさんなど在日1世の時代、またある時期までは、確かに差別があったのかもしれない。しかし、それが現在もまったく同じかといえば、そうではないと思います。時代や人間は変わりますから。もし仮にまだ日本に差別があるとしても、それは自分の頭や体で経験すべき。そういう実態と離れた場所で『差別されている意識』だけが膨らむと、人間は歪んでしまうと思います。現に在日コリアンの中には、日本社会と接点がないのに『差別されている』と言ったり、拒絶反応を示す人もいます。説得力が、まったくないですよね。そういう人たちには、日本の友人もいません。結局、自分たちの中でだけ通じる理屈をつくって、内側に閉じこもっているんです。立場は違いますが、在特会にも同じような空気を感じる。なんて言ったかな……、そうそう、“自己植民地化”ってやつです」  チェ氏は、自信もお金も、頼れる人もいなかった20代の頃に読んだ村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の一文を、今でも反芻するという。 <自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ――>  本当に差別があるかどうかは、自分の外に飛び出さなければわからない。そして、そこで自分にとって不都合があるならば、戦って勝ち取るべきだ。「差別されている」という意識は、自分を甘やかして殻に閉じ込めてしまう甘い罠にもなる。それが、彼が「差別を言い訳にしたら“負け”」と話す理由だ。 「僕は、在日1世を尊敬しています。それは、差別されていたからではなくて、差別に負けなかったから。言い換えれば、前向きに戦って生きてきたということです。日本の若者だって生きにくい時代、じゃあ、僕はどう生きるか。これからの日本では、差別を言い訳にしないで生きていく方がかっこいい。そうやって前向きに生きている在日コリアンの若者は、意外に少なくないと思いますよ。もちろん、そういう日本の若者もたくさんいるはずです」 (取材・文・写真=河鐘基)

精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

el-clan01
父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
el-clan02
長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
el-clan03
斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
P9140390
診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

el-clan01
父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
el-clan02
長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
el-clan03
斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
P9140390
診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

いらっしゃ~い? 落語界の大御所との不倫騒動を経て演歌歌手・紫艶がセクシーDVDデビュー

IMG_4206
 落語界の大御所との20年間に渡る不倫騒動が話題となった元演歌歌手の紫艶が人気メーカーのKMPから『芸能人 紫艶』(9月23日発売)で、セクシーDVDデビューを果たす。本編には不倫騒動についてのインタビューもしっかり収録されているといい、紫艶の妖艶な絡み同様、その赤裸々な告白も話題を呼びそうだ。今回はそんな紫艶にデビュー前の心境や、気になるあの人とのこと、今後の活動について詳しく話を聞いてきた。 ──デビュー作を撮影されて現在の心境を聞かせてください。 紫艶 まだ全然実感が湧かない感じですね。最近いろいろ取材を受ける中で、徐々にですかね、実感が湧き始めたのは。 ──デビューすることに対して、周囲の人、例えば友人などから何か反応はありましたか? 紫艶 ありました。友達が「もうずっとこういう作品でやっていくの?」って(笑)。今回1本きりと決めているので、それはないですけど。 ──1本で終わるということは、その後はどのような活動をされていくんですか? 紫艶 本業は歌。演技やグラビアもやっていこうと思っています。歌は4年間休んでいたので、今ボイストレーニングをやっています。秋くらいから再開する予定です。きちんと準備をしてやりたいと思っています。芸能活動は、これからもずっと続けていきたいです。 ──今年は落語界の大御所との愛人報道などもあり、紫艶さんにとってめまぐるしい一年になったと思います。 紫艶 人生って、こんなことあるんだなって、改めて思いましたね(笑)。 ──でも、騒動の発端は紫艶さんの方からだったのでは? 紫艶 いえ、違います。週刊誌の方があるとき、わたしと師匠の関係について証拠を持ってこられて、それがもう完璧な証拠だったんです。あることないこと書かれるより、もう本当のことをお話しするしかないということで、わたしも取材を受けたんです。わたしから発信したわけではないです。ネットとかでは売名行為とか言われているんですけど、わたし、休業していたのでその必要も全くなく、売名行為というのも違います。 ──報道はすべて事実なのですか? 紫艶 本当の話です。 ──多くを語ったことについての、後悔のような気持ちはありますか? 紫艶 後悔はまあありますけど……後悔先に立たずと言いますか、それがあっての今なので……反省するところは多々ありますけどね。 ──作品の中で、紫艶さんが師匠への反省の言葉をおっしゃっていました。「新しい人生を歩んでいることを知ってほしい」という言葉も印象的でした。 紫艶 そうですね。やっぱり新しい人生を歩んでいて、師匠はどう思われるかわかりませんけど、「ああ、やっているんだな」ってどこかで見てくれていたらうれしいですね。
IMG_4277
──今回の出演のオファーは、騒動の渦中に来たのですか? 紫艶 違います。騒動の後です。 ──お話が来て、やはり悩まれたのでは? 紫艶 悩みましたね。やっぱり今までやったことのない世界なので。でも、誰かにやれと言われてやったわけではなく、マネージャーからは「自分で決めなさい。相談には乗ります」ということだったんです。復帰するにあたって、わたしの目標は「素敵な熟女になりたい」だったので、そのあたりをいろいろ模索中のオファーで、素敵な熟女のエロスってどういうものなのかなっていうところを追求してみたかったし、挑戦したかったので決意しました。 ──熟女のエロスに対する答えはこの作品の出演で見つかりましたか? 紫艶 まだスタートしたばっかりなので。まだ暗中模索の状態です。 ──撮影初日はどんな気持ちでしたか? 紫艶 初日はスチール撮り。グラビアをやっていたので、それほど緊張はなかったんですけど、2日目は映像撮り。緊張どころじゃなかったです。前日も3時間くらいしか寝れなくて。寝坊しちゃまずいというのもありましたけど(笑)。バージンのときより緊張しました。 ──当日に迷いが出たりはしませんでしたか? 紫艶 やるって決めたら、もう120%の力でやろうって思っていたので、迷いは全然。スタッフさんも、みなさんいい人ばかりだったし。わたし、こういう撮影現場はおじさんがいっぱいいるのかと思っていたんですけど、そしたらみなさんイケメンで(笑)。若いし、お洒落だし……。すごいびっくりして、今時ってこういう感じなのって。ちょっとホッとしましたね。 ──紫艶さんにとって、イケメンってどういう感じの人を指すんですか? 紫艶 タイプというのはないですけど……例えばマッチョも好きだし細身も好きだし……メンズ全般が好きです(笑)。守備範囲はものすごく広いですよ。 ──作品からは緊張もそうですけど、恥じらいのようなものも伝わってきて、紫艶さんの雰囲気や仕草がすごく気になりました。 紫艶 どうしていいかわからないという……始まったけど、どうしていいかわからない。ドギマギしたところが映っちゃたんですかね。始まると、もう無我夢中でしたけど。何も考えずに終わってしまった感じです。
IMG_4161
──男優さんはどうでした? 紫艶 すごくエスコートしてくださいました。 ──やっぱり今までの男性では、一番気持ち良かったですか? 紫艶 それは言えないです。師匠にも失礼になるので。 ──経験人数はちなみに今まで何人くらい? 紫艶 (口の前で人差し指で“ひとり”のポーズ) ──おひとり? 師匠だけってことですか? 紫艶 (うなづく) ──僕の認識不足ですいません。作品の中で18歳で処女を捨てたって話がありましたけど、バージンも、じゃあ師匠ですか? 紫艶 (うなづく) ──全部師匠? 紫艶 全部師匠って(失笑)。 ──そうなんですか。ああ、そうなんですか。じゃあ男優さんとの比較は、立場的にもしにくいですね。 紫艶 そうです。 ──師匠が男優さんよりすごいとか言われても、ちょっと困りますけど……。 紫艶 男優さんが一番上手いとか言ったら、それは師匠と比べることになるんです。 ──師匠と最後そういうことになったのは、いつくらいですか? 紫艶 一番最初に週刊誌が出る2カ月くらい前ですね。 ──そのくらいまでは接点があったということですね。 紫艶 前の日まで電話していました。 ──今は? 紫艶 ないです。でもしょうがないですね。 ──これまで男性経験が師匠ひとりで、20年間。離れて心にぽっかり穴があくという感じになってしまいませんか? 紫艶 ありましたね。でも、今はもう前に進んでいるので……。 ──恋愛もセックスもこれから仕切り直しですね。 紫艶 作品のときも、知らない人とそういうことをするのがどういうことなのか、葛藤がありました。でも撮影を終えてホッとしたのが一番。本当に終わったって。
IMG_4251
──師匠はデビューについて知っているんですか? 紫艶 どうなんですかね……わからないですけど。まあ、そこはあえて考えないようにしています。 ──師匠ひとりってことは、本当に一途な愛だったんですね。 紫艶 そうです。 ──18のときに、どうやって師匠と出会ったんですか? 向こうは芸能人からしても、雲の上のような存在の方です。 紫艶 わたしは18のとき、吉本で歌をやっていたんです。それで師匠の舞台に出させていただいて、その打ち上げの時に番号交換して、「今度カラオケでも行こうよ」って。それでカラオケに後日行ったんです。「みんなで行こうよ」みたいな感じだったんですけど、着いたら誰も来なくて2人だったっていう……(笑)。 ──なるほど。相手はずいぶん年上なわけですし、最初は抵抗もあったのでは? 紫艶 師匠もお歌が好きなので、一緒に歌って……そこはわたしも楽しんで……恋愛に歳は関係ないですよ。 ──その後師匠と一緒にいて、愛されている実感はありましたか? 紫艶 ありましたね。大切にしてもらいました。 ──18のときに、今回のような結末は想像できました? 紫艶 そうですね……やっぱり永遠に愛を誓ったからこそタトゥーも入れたし……想像はしていなかったですね。永遠の愛があると信じたかったですね。 ──師匠との結婚も考えたり……。 紫艶 それは思わなかったですね。 ──復帰後歌手活動を控えていますが、どんな歌を歌っていきたいんですか? 紫艶 昭和の歌謡曲が好きで、70年代、80年代の歌を中心にやりたいです。ちあきなおみさんとかも好きなので、そのあたりの歌を歌っていきたいです。新しい曲も出せたらうれしいです。 ──またチャイナドレスで、という感じですか? 紫艶 いや、もうチャイナドレスは着ないです。それは一度リセットしたんで。事務所も変わりましたし。 ──オリジナルをやる際、歌詞は自分で書いたりするのですか? 紫艶 自分で書いた詞で、世に出ていない歌は1曲だけあります。今後も書いていきたいなと思います。 ──やっぱり歌詞を書くと実体験が出ると思いますが。年上相手の恋の歌詞も多くなるのでは? 紫艶 そうかもしれないです(笑)。
IMG_4339
──次はどんな人と交際したいですか? 紫艶 わたしのことを好きになってくれる人なら……。 ──なるべくイケメンがいいですか? 紫艶 いや、わたし、外見では選ばないので。やっぱり人間は一皮むいたら中身だと思いますので。職業とかもこだわらないです。 ──新しい恋を経ての、今後の結婚願望はありますか? 紫艶 できたらいいなとは思います。 ──師匠のときは全部おごってもらえたと思うんですけど、「ワリカンで」みたいな男でも平気ですか? 紫艶 それは……ちょっと困ると思います(笑)。 ──やっぱり面倒見が良くて包容力のある年上の人がいい感じですか? 紫艶 そうかもしれないです。でも年下でも全然いいですよ。わたし、母性本能は強いので。自分で言うのも変だけど、尽くすタイプだと思います。 ──性に関してですけど、ご自身の性感帯ってどこなんですか? 紫艶 それは……ノーコメントでお願いします(笑)。DVDを見ていただいて、わたしの声が大きくなっているところがそうだと思います。 ──ここを見て欲しいというところはありますか? 紫艶 わたし、映像はまだ見ていないんです。どこがよかったですか? ──個人的には強さの中に垣間見せる紫艶さんの恥じらいのような表情がいいなと。 紫艶 (笑)。 ──内容的には満足していますか? 紫艶 まだまだです。わたしの目指す素敵な熟女はスタートしたばかり。これから心身ともに、男性にも女性にも憧れられるような人になりたいなと思います。この作品はそのスタートです。年齢はただの背番号。わたしは38という背番号をつけて今後も頑張っていきたいです。 ──ちなみに今回の作品のギャランティーというのはどのくらいのものだったんですか? 紫艶 ノーコメントで。そんなこと話せるわけないじゃないですか(笑)。 ──あと、この作品を師匠以外に見てもらいたい人がいるとすれば、どんな人に見てもらいたいですか? 紫艶 師匠は見ないでしょうね。もちろん男性がターゲットなんですけど、女性も見てくれたらうれしいですね。逆に、これを見て「紫艶みたいになりたい」って思っていただければ。 ──最後に師匠との関係についてもうひとつ。もし師匠と今後、寄りを戻す機会があったとしたら、そのときはどうしますか? 紫艶 戻しません(笑)。でも、師匠にはたくさん迷惑をかけたので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。最初にちょっと言ったように、どこかで紫艶も頑張っているんだな、新しい人生を歩んでいるんだなと少しでも思っていただければうれしいなと思っています。 (取材・文=名鹿祥史) 紫艶オフィシャルサイト http://www.km-produce.com/shien_debut/

TBSバラエティ好調の立役者・藤井健太郎に訊く「サンプリング世代のテレビの作り方」

kfujii01.jpg
撮影=尾藤能暢
 ちょっぴり下世話、ほどよい悪意、わかりやすさと深さの両立……。好調をキープするTBSバラエティの中心にいる男、藤井健太郎。『クイズ☆タレント名鑑』『水曜日のダウンタウン』『クイズ☆正解は一年後』など多くの人気番組を手がける彼が、このたび初の著書『悪意とこだわりの演出術』(双葉社)を上梓した。「日本のバラエティ界を担う若手ディレクターの雄」などと書かれるのを一番嫌がりそうな彼に、あえて聞いてきました。「今のテレビって、どうなんですか?」 *** ――本書の中に「100人が1面白いと感じたことと、1人が100面白いと感じたことには同じ価値がある」とあって、藤井さんの番組の根底にあるものはこれだよなぁと、勝手に納得してしまいました。 藤井健太郎(以下、藤井) 面積論でいったら、一緒ですよね。どっちをよしとするかは人それぞれだし、テレビ局の商売としては広く浅くのほうがいいのかもしれないけど、有料のコンテンツは“少ないところからたくさん取る”というほうへ移ってきていますよね。みんなが共通で楽しめるものが少なくなっているから。目指すべきはもちろん、多くの人に面白いと思ってもらうことですけど、現状では僕らが得意とする方法でどれだけ面積を広げられるか、ですよね。僕はどちらかというと、広く浅く楽しめるものより、狭く深く……のほうが得意なのかも。とはいえテレビなので、狭くなりすぎることはない。あまりに狭かったら視聴率も取れなくて、自然淘汰されていくので。 ――今テレビマンたちは、「視聴率」というものを、どのように捉えているのでしょうか? 藤井 もちろん、みんな視聴率で動いていますよ。制作の中心にあることは否めない。ただ一方で、商売としてはCMが売れればいいわけじゃないですか。だから、たとえ視聴率が取れていても、あまりに見ている層がお年寄りに偏っていると、意外とCMは売れなかったりする。視聴率とCMの売れ行きは、完全なイコールではないんですよ。そこに矛盾が出てきているのは確か。まぁ、そのうち変わってくるとは思いますが、今のところは視聴率が唯一の指標ではあるので「視聴率なんて関係ない」っていうのは、やっぱり違うかなと。それを成立させながら、その枠の中で何をやるのか、ですよね。 ――「自分がトップで作っている番組より、誰かの下についた番組のほうが、視聴率がいい」とも書かれていました(笑)。 藤井 もうちょっと色が薄まったほうが、幅広く受け入れられるいい感じのやつができるんでしょう(笑)。とはいえ、自分は、自分が面白いと思う番組を作りたいわけで。 ――藤井色を120%出したくなっちゃう。 藤井 出したくなるっていうより、気になっちゃうんですよ。「こうしたい」というより「これがイヤだ」のほうが強い。これイヤだ、これ気になる……ってやっていくと、結局自分っぽいものが残る。 ――それで、編集なども、すべてご自身がやるということにつながっているんですね。ものすごい作業量なのでは? 藤井 めちゃめちゃ働いてますね(笑)。でも、誰かに「やれ」と言われたわけじゃなく、自分が気になるから、だけなんですよ。自己満足なんで、仕方ない。人が書いたナレーションも“てにをは”とかが気になって細かいところを直しだしたら、「あとはやっとくわ」って、自分で書いてしまう。ほら、ペンだこありますから。 ――おお! 藤井 手書きかい! っていうのもあるんですけど(笑)。 ――あと、すごく気になった箇所があったんですけど…… 藤井 なんでしょう? ――「正直、テレビ業界の人はダサイ人が多いです」という。 藤井 そこか……これ、詳しく言わないとダメですか?(笑) ――ぜひ……。
kfujii03.jpg
藤井 広告代理店系のダサイ感じってあるじゃないですか。チャラいノリの“ヨイショ~”みたいな。そういう部分とクリエイティビティって、本当は離れているはずのものなのに、テレビ局って意外と近かったりする。そういうノリの人が、作り手に混ざり込んでいる。特に昔は、そちら側の人のほうが多かった気がするんですよ。あとは……見た目とかも。テレビって、途端に洒落てないですよね。ほかのいろいろなカルチャーと比べて。そう思わないですか? ――ちょっと、マッチョな感じのイメージはあります。 藤井 そうですね。わかりやすさ、とっつきやすさに特化したメディアなので、そっちに特化していった過程で忘れられていったものはあると思います。 ――繊細さ、とか。 藤井 ビジュアル面のセンスとか、ビジュアルだけじゃなく、表現そのものがダサかったり。 ――たとえば、ネットなどでひとしきりはやったものが、少し遅れてテレビで取り上げられたりしますよね。そういう「時差」は、少しダサいような気がします。 藤井 昔はまだ人々が情報にたどり着く手段が少なかったからよかったかもしれないけど、なんでも入ってくる時代に、後追いでやるのは、なかなか厳しいところがある。速さの競争には勝てないけど、テレビには拡散力をはじめ、優位なところもあるんだから、もっと堂々と言っちゃえばいいと思うんですよ。「これTwitterではやったやつです」って。自分の手柄みたいに言うから、かっこ悪い。 ――藤井さんの番組は、そのあたりがすごく正直だなぁと思います。 藤井 なんていうか、そういうことに関する世間とテレビの温度感が開いてしまっているところはあると思います。別にウソついちゃいけないとは思わないですけど、その温度感の読み違えがあると、よくないんだろうなと。だって、正直に言ってくれたほうが、見ているほうは気持ちいいじゃないですか。 ――スカッとします。 藤井 テレビが上から言ってる感じがね。腹の中見せない、偉そうな感じにつながる部分なんじゃないですかね。 ――一方で、視聴者のほうもあら探しというか、素直に楽しんでいないような。藤井さんは「視聴者のレベルを下げないようにするのも役目のひとつなのかな……」と書かれていましたが。 藤井 視聴者に、合わせすぎないことでしょうか。常に「こんなものもあるよ」と提示していく、みんながまだ見たことないものを見せるほうが大事じゃないかと思います。 ――普段は、どうやって企画を考えているんですか? 藤井 僕の場合、ほとんど今まであったものの組み合わせです。ゼロからひらめく、発明みたいなものはほとんどない。この要素とこの要素をくっつけたら……って。テレビを中心に、テレビ以外の分野からも引っ張ってきて。その組み合わせ方によって、新しいもののように見せているだけだと思います。 ――もともと、バラエティ番組は好きだったんですか? 藤井 そうですね、小さい頃からよく見てました。 ――どういう見方を? 藤井 普通ですよ(笑)。そりゃそうでしょ。
kfujii02.jpg
――でも、小さい頃のエピソードを読むと、当時から視点がユニークだなぁと。 藤井 あまり、かわいくない子どもですよね(笑)。 ――小さい頃のエピソードも手掛けられた番組も含めて、この本のタイトル『悪意とこだわりの演出術』の“悪意”という言葉は、藤井演出にぴったりの言葉だと。“毒舌”ではなく、“悪意”。 藤井 “毒舌”ってワードも、もう古臭いですよね。そういう温度感だと思います。ただ、“悪意”っていう言葉が好きなわけでもないんです。勝手に周りが言うだけで。番組でもよく出てきますけど、自分としては、わりと無自覚なんですよ。笑いへのアプローチの仕方として、わざと悪く言う手法が得意ってことなんだと思います。 ――「こだわり」という部分でも、藤井さんは誰も気づかないような細かいところにも仕掛けを入れてきますよね。 藤井 本にも書きましたけど、わかんなきゃダメな作りにならないようにはしてます。知らない人は、ただ普通に気づかず通り過ぎてくれるような。 ――わからない人を置いてけぼりにするようなやり方ではなく。 藤井 「わかる人だけついてこい」はエゴだと思うので、別にそういうつもりでもないし。「わかる人にはわかる人用に、細かいところまで作っていますよ」が基本。 ――いわゆる「テレ東的なもの」が至高……みたいな風潮も、今は少しズレてきていますよね。 藤井 テレビって、脱線メインになっちゃうと、意外と面白くないと思うんです。きちんとしたレールがあった上で、脱線するから面白い。僕の好みは、わりとしっかりスタートがあって、結論がある、最終的に答えが出るもの。その間で、どれくらい遊べるか。 ――いまTBSのバラエティ番組は非常に好調ですが、藤井さんは、その理由はどんなところにあると思いますか? 藤井 なんですかね。企画の中身が、正当に評価されるようになっている気はしますね。僕の立場で偉そうに言うのもなんなんですが。上の人たちが、面白いものにちゃんと価値を見いだすようなジャッジの仕方をしてくれている。そして、その感覚が、(視聴者と)そんなにズレてないということじゃないでしょうか。 ――フジテレビのバラエティに元気がないのは、そういう要因もあるのでしょうか? 藤井 う~ん。これは僕個人の感覚ですけど、おそらくどんどん目先の数字にとらわれて、とりあえず数字が取れそうな、しかも、あまりフジテレビが得意じゃないことに手を出して、さらに泥沼にハマっていっている感じはしますね。 ――悪循環ですね。 藤井 余裕があるときは、ちょっとくらい数字が悪くても、中身が良ければいいかってなるんですけどね。『オモクリ監督 ~O-Creator's TV show~』が終わったのは象徴的だった気がします。数字はよくなかったけど、フジテレビらしくて、とても面白い番組でした。ああいう番組は一定量続けておかないと、そういうものを作るノウハウすらなくなってしまう。
fujiijk.jpg
藤井健太郎 著『悪意とこだわりの演出術』(双葉社刊/1400円+税)
――得意じゃないことというのは、「猫番組」ですか? 藤井 別に猫限定じゃないです(笑)。ただ、猫が大好きな人が作れば、いい猫番組になると思うんですけど。「いま一番取れそうなのは猫だ!」っていって、付け焼き刃でやっても、うまくいかないんじゃないですかね。 ――たとえば、藤井さんに憧れた若いディレクターが藤井さん的な番組を作りだしたら、どう思われますか? 藤井 よくないなとは思いますよ。そもそも、人それぞれ得意なものが違いますから。自分に向いてることをやらないと。僕だけではないですけど、ちょっとくさすようなナレーションとか編集の仕方が、うっすら業界ではやってる感じもあるじゃないですか。で、安易にマネして、スゲエヘタなやつとかがありますから。 ――明らかにやりすぎてしまってるやつとか……。 藤井 それはきっと、本人が得意じゃないからですよ。形とか仕組みはいろいろ取り入れてもいいと思いますけど、本質的な部分はね、やっぱり人それぞれなんで。 ――センスって、磨けるものだと思いますか? 藤井 どうなんですかねぇ……ただ、センスがない人は、センスが関係ないものをやればいいんだとは思う。苦手なことは、無理にやらなくていいんじゃないかなぁ。テレビは特にある種チーム戦でもあるので、たとえばデザイン的なものが苦手なら、それを得意な人に任せればいいわけだし。そういうチームを組織できるプロデューサー、っていう戦い方もありますからね。 ――藤井さんが今のテレビに感じる魅力は、なんでしょう? 藤井 深くは、なってるんじゃないですか。成熟というか。昔の番組は大味ですもん。今のほうが、圧倒的にこまやかにはなってる。それはテレビに限らずかもしれないけど。 ――逆に問題点があるとすれば? 藤井 面白い番組の絶対数が多くないことかな。 ――二極化されている? 藤井 う~ん。一方では「いかにチャンネルを止めるか」っていう作業がいまだに続いているわけで、しかも、それがお年寄り中心になってきたから、タチが悪いところもある。昔よりもね。そういうテクニック……“見続けさせる”テクニックに特化した番組も、たくさんある。どの瞬間も、何かが引っ張られているという作り。何かが発表されたら、次の何かが隠されてる。いつ見ても何かを待ってる状態を作るという手法には、すごいものがありますよね。それもルール(視聴率)が変われば廃れていくのかもしれませんけど。そう考えると、今は過渡期なのかもしれませんね。 (取材・文=西澤千央)

“ピンク映画の巨匠”が若松孝二、可愛かずみらと過ごした日々を語る『つわものどもが遊びのあと』

tsuwamono01
ピンク映画50年の歴史を語る渡辺護監督。とりわけ若松孝二監督たちと競い合った黄金時代のエピソードは語りにも熱が入る。
“ピンク映画のクロサワ”と呼ばれた男がいた。ピンク映画とは1962年に歴史が始まったインディペンデント系の成人映画を指した呼び名だが、ピンク映画の黎明期にあたる1965年にデビューし、生涯200本以上ものピンク映画を撮り上げた渡辺護監督がその人である。ピンク映画全盛期には年間12本ペースで作品を量産し、連続暴行殺人魔・大久保清をモデルにした『日本セックス縦断 東日本篇』(71)は大久保逮捕の翌月に撮影され、大ヒットを記録した。美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(81)、可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(82)を撮ったのも渡辺監督だ。2013年12月、ピンク映画50周年記念作『色道四十八手 たからぶね』(14)の撮影直前に大腸がんで亡くなった渡辺監督だが、生前に自身の生涯とピンク映画の歴史を語っており、「渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー」(全10部)として記録されている。中でも第2部『つわものどもが遊びのあと』は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)など数多くの社会派作品を放った若松孝二をはじめとする奇才たちと競い合ったピンク映画の黄金期が語られ、見逃せない内容となっている。  第1部『糸の切れた凧』は渡辺監督の少年期から始まり、ピンク映画『あばずれ』(65)で監督デビューを果たすまでが語られたが、第2部『つわものどもが遊びのあと』で渡辺監督の口から飛び出す名前は錚々たる顔ぶれだ。『壁の中の秘事』(65)などの問題作で世間を騒がせた若松監督とはお互いに監督デビューする以前からの知り合いだった。センセーショナルな作風でいち早く注目を集めた若松監督に対し、渡辺監督は新劇出身らしい理論的な演出で、しかも男女の絡みもエロチックに撮ることから、次第に評価を高めていく。ほぼ同時期にデビューした若松監督と渡辺監督はライバルであり、ピンク映画というインディペンデントな製作現場で共に闘う同志でもあった。「若ちゃんと新宿で呑むと、『革命が成功したら、新宿御苑はナベさんにあげるよ』なんて言うんだよ。あいつは革命を何だと思ってるんだ(笑)」といった若松監督との交流が語られる。また、『トゥナイト』(テレビ朝日系)の風俗レポートで人気を博す山本晋也監督の作品はすべて“客観カット”で撮られていることに気づき、渡辺監督は大いに触発されたという。多忙を極めた向井寛監督からは、「ギャラは弾むから」と 内緒で監督代行を頼まれたことを明かす。  本作の配給を手掛けているのは、ピンク映画専門誌『PG』の編集人である林田義行氏。本作の資料的価値をこう語る。 林田「ピンク映画のほとんどはフィルムもスチールも処分されており、ビデオ化やDVD化されている作品はごく僅か。渡辺監督のデビュー作『あばずれ』も処分されていたと思われていたんですが、最近になって神戸映画資料館が発見したんです。ピンク映画は資料もほとんど残っていない状況なので、渡辺監督が語るピンク映画界の内情はとても貴重なもの。僕自身もピンク映画を見始めたのは80年代後半に入ってからなので、ピンク映画最盛期の熱気は体感していないんです。渡辺監督が若松監督たちと過ごした、ピンク映画がいちばん活気があった頃のエピソードの数々は感慨深いものがあります」
tsuwamono02
演出中の渡辺監督。女優を美しく撮り、男女の絡みをエロチックに描くことで配給会社と観客からの信頼は厚かった。
『つわものどもが遊びのあと』の後編では、荒井晴彦、高橋伴明、小水一男(ガイラ)、滝田洋二郎ら若手の台頭が語られる。多士済済な才能を育んできたピンク映画だったが、80年代に入ると代々木忠監督によるアダルトビデオ作品が爆発的ヒットとなり、AV時代が到来。ピンク映画は徐々に衰退の道を辿ることになり、渡辺監督の製作ペースも落ちていく。そんな中で出会ったのが、82年に劇場公開された『セーラー服色情飼育』に主演することになる可愛かずみだった。デビュー前から周囲の人たちが立ち止まるほどの美少女だった可愛かずみに、渡辺監督はぞっこんだったことがその口調からうかがえる。可愛かずみには人を惹き付ける不思議な魅力があった。「脱ぐのはかまわないけど、男との絡みはいや」と撮影を拒んでいた可愛だが、「監督がモノをつくるときは狂気の世界。いい映画を撮ろうとは思わない、この子で撮るんだということしか考えない」という渡辺監督の熱情に寄り切られることになる。自分のもとを去ったかつての恋人との蜜月の日々を振り返るような、そんな哀歓の交じった表情を渡辺監督は浮かべる。  全10部という大長編のドキュメンタリーを1年がかりで撮り上げたのは、脚本家であり、『たからぶね』で渡辺監督が亡くなった後のバトンを受け継いで監督デビューを果たした井川耕一郎氏。渡辺監督との出会いと渡辺監督の自伝ドキュメンタリーを思い立った経緯についてこう語る。
tsuwamono03
シナリオタイトルは『ロリータ』だった『セーラー服色情飼育』の台本。ところどころに、渡辺監督が記したスケッチやメモが残されている。
井川「1993年に亡くなった大和屋竺さん(『荒野のダッチワイフ』の監督、アニメ『ルパン3世』などの脚本家として有名)のシナリオ集を編纂した際に、大和屋さんと付き合いのあったピンク映画の監督たちを訪ね、そのときに渡辺さんにもお会いしたのが最初でした。その後、僕は脚本家になり、渡辺さんとも仕事をするようになるんですが、仕事がないときも渡辺さんの自宅にお邪魔して、いつも映画の話を楽しく聞いていたんです(笑)。『たからぶね』は当初は国映製作で2011年ごろに渡辺さんが撮るはずだったんですが、国映が製作本数を減らしたことから撮影延期となり、せっかくだからと渡辺さんにピンク映画の歴史を語ってもらうことにしたんです。渡辺さんのしゃべりは話芸と呼べるくらい達者だったことに加え、渡辺さんが独特の世界観を持っていたことも大きかったですね。渡辺さんの代表作『夜のひとで』(70)などの作品にも通じるんですが、どんなに楽しい時間もやがて終わるときがくるという悲哀が感じられるんです。そして、自分もその例外ではないと。しゃべりは軽妙ですが、物事をすごく冷静に見つめている人でした。そんな渡辺さんだからこそ、ピンク映画全体を客観 視して語ることができたんだと思うんです」  井川氏によると、渡辺監督にはピンク映画よりも予算が潤沢な日活ロマンポルノからのオファーもあったそうだが、自由度の高いピンク映画の現場を愛していた渡辺監督はこの話を断ったそうだ。メジャー作品とも一般映画とも異なる、インディペンデントな世界で輝きを放つ男たち女たちがいた。『つわものどもが遊びのあと』にはそんな彼らの残光が記録されている。 (文=長野辰次)
tsuwamono04
渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー 『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』 監督/井川耕一郎 撮影/松本岳大 録音/光地拓郎 製作・編集/北岡稔美 出演/渡辺護 前編は9月5日(月)~11(日)、後編は9月13日(火)~19日(月)、ラピュタ阿佐ヶ谷にてレイトショー上映 ※期間中に井川耕一郎監督とゲストによるトークショーあり  http://watanabemamoru-documentary.com

“ピンク映画の巨匠”が若松孝二、可愛かずみらと過ごした日々を語る『つわものどもが遊びのあと』

tsuwamono01
ピンク映画50年の歴史を語る渡辺護監督。とりわけ若松孝二監督たちと競い合った黄金時代のエピソードは語りにも熱が入る。
“ピンク映画のクロサワ”と呼ばれた男がいた。ピンク映画とは1962年に歴史が始まったインディペンデント系の成人映画を指した呼び名だが、ピンク映画の黎明期にあたる1965年にデビューし、生涯200本以上ものピンク映画を撮り上げた渡辺護監督がその人である。ピンク映画全盛期には年間12本ペースで作品を量産し、連続暴行殺人魔・大久保清をモデルにした『日本セックス縦断 東日本篇』(71)は大久保逮捕の翌月に撮影され、大ヒットを記録した。美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(81)、可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(82)を撮ったのも渡辺監督だ。2013年12月、ピンク映画50周年記念作『色道四十八手 たからぶね』(14)の撮影直前に大腸がんで亡くなった渡辺監督だが、生前に自身の生涯とピンク映画の歴史を語っており、「渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー」(全10部)として記録されている。中でも第2部『つわものどもが遊びのあと』は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)など数多くの社会派作品を放った若松孝二をはじめとする奇才たちと競い合ったピンク映画の黄金期が語られ、見逃せない内容となっている。  第1部『糸の切れた凧』は渡辺監督の少年期から始まり、ピンク映画『あばずれ』(65)で監督デビューを果たすまでが語られたが、第2部『つわものどもが遊びのあと』で渡辺監督の口から飛び出す名前は錚々たる顔ぶれだ。『壁の中の秘事』(65)などの問題作で世間を騒がせた若松監督とはお互いに監督デビューする以前からの知り合いだった。センセーショナルな作風でいち早く注目を集めた若松監督に対し、渡辺監督は新劇出身らしい理論的な演出で、しかも男女の絡みもエロチックに撮ることから、次第に評価を高めていく。ほぼ同時期にデビューした若松監督と渡辺監督はライバルであり、ピンク映画というインディペンデントな製作現場で共に闘う同志でもあった。「若ちゃんと新宿で呑むと、『革命が成功したら、新宿御苑はナベさんにあげるよ』なんて言うんだよ。あいつは革命を何だと思ってるんだ(笑)」といった若松監督との交流が語られる。また、『トゥナイト』(テレビ朝日系)の風俗レポートで人気を博す山本晋也監督の作品はすべて“客観カット”で撮られていることに気づき、渡辺監督は大いに触発されたという。多忙を極めた向井寛監督からは、「ギャラは弾むから」と 内緒で監督代行を頼まれたことを明かす。  本作の配給を手掛けているのは、ピンク映画専門誌『PG』の編集人である林田義行氏。本作の資料的価値をこう語る。 林田「ピンク映画のほとんどはフィルムもスチールも処分されており、ビデオ化やDVD化されている作品はごく僅か。渡辺監督のデビュー作『あばずれ』も処分されていたと思われていたんですが、最近になって神戸映画資料館が発見したんです。ピンク映画は資料もほとんど残っていない状況なので、渡辺監督が語るピンク映画界の内情はとても貴重なもの。僕自身もピンク映画を見始めたのは80年代後半に入ってからなので、ピンク映画最盛期の熱気は体感していないんです。渡辺監督が若松監督たちと過ごした、ピンク映画がいちばん活気があった頃のエピソードの数々は感慨深いものがあります」
tsuwamono02
演出中の渡辺監督。女優を美しく撮り、男女の絡みをエロチックに描くことで配給会社と観客からの信頼は厚かった。
『つわものどもが遊びのあと』の後編では、荒井晴彦、高橋伴明、小水一男(ガイラ)、滝田洋二郎ら若手の台頭が語られる。多士済済な才能を育んできたピンク映画だったが、80年代に入ると代々木忠監督によるアダルトビデオ作品が爆発的ヒットとなり、AV時代が到来。ピンク映画は徐々に衰退の道を辿ることになり、渡辺監督の製作ペースも落ちていく。そんな中で出会ったのが、82年に劇場公開された『セーラー服色情飼育』に主演することになる可愛かずみだった。デビュー前から周囲の人たちが立ち止まるほどの美少女だった可愛かずみに、渡辺監督はぞっこんだったことがその口調からうかがえる。可愛かずみには人を惹き付ける不思議な魅力があった。「脱ぐのはかまわないけど、男との絡みはいや」と撮影を拒んでいた可愛だが、「監督がモノをつくるときは狂気の世界。いい映画を撮ろうとは思わない、この子で撮るんだということしか考えない」という渡辺監督の熱情に寄り切られることになる。自分のもとを去ったかつての恋人との蜜月の日々を振り返るような、そんな哀歓の交じった表情を渡辺監督は浮かべる。  全10部という大長編のドキュメンタリーを1年がかりで撮り上げたのは、脚本家であり、『たからぶね』で渡辺監督が亡くなった後のバトンを受け継いで監督デビューを果たした井川耕一郎氏。渡辺監督との出会いと渡辺監督の自伝ドキュメンタリーを思い立った経緯についてこう語る。
tsuwamono03
シナリオタイトルは『ロリータ』だった『セーラー服色情飼育』の台本。ところどころに、渡辺監督が記したスケッチやメモが残されている。
井川「1993年に亡くなった大和屋竺さん(『荒野のダッチワイフ』の監督、アニメ『ルパン3世』などの脚本家として有名)のシナリオ集を編纂した際に、大和屋さんと付き合いのあったピンク映画の監督たちを訪ね、そのときに渡辺さんにもお会いしたのが最初でした。その後、僕は脚本家になり、渡辺さんとも仕事をするようになるんですが、仕事がないときも渡辺さんの自宅にお邪魔して、いつも映画の話を楽しく聞いていたんです(笑)。『たからぶね』は当初は国映製作で2011年ごろに渡辺さんが撮るはずだったんですが、国映が製作本数を減らしたことから撮影延期となり、せっかくだからと渡辺さんにピンク映画の歴史を語ってもらうことにしたんです。渡辺さんのしゃべりは話芸と呼べるくらい達者だったことに加え、渡辺さんが独特の世界観を持っていたことも大きかったですね。渡辺さんの代表作『夜のひとで』(70)などの作品にも通じるんですが、どんなに楽しい時間もやがて終わるときがくるという悲哀が感じられるんです。そして、自分もその例外ではないと。しゃべりは軽妙ですが、物事をすごく冷静に見つめている人でした。そんな渡辺さんだからこそ、ピンク映画全体を客観 視して語ることができたんだと思うんです」  井川氏によると、渡辺監督にはピンク映画よりも予算が潤沢な日活ロマンポルノからのオファーもあったそうだが、自由度の高いピンク映画の現場を愛していた渡辺監督はこの話を断ったそうだ。メジャー作品とも一般映画とも異なる、インディペンデントな世界で輝きを放つ男たち女たちがいた。『つわものどもが遊びのあと』にはそんな彼らの残光が記録されている。 (文=長野辰次)
tsuwamono04
渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー 『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』 監督/井川耕一郎 撮影/松本岳大 録音/光地拓郎 製作・編集/北岡稔美 出演/渡辺護 前編は9月5日(月)~11(日)、後編は9月13日(火)~19日(月)、ラピュタ阿佐ヶ谷にてレイトショー上映 ※期間中に井川耕一郎監督とゲストによるトークショーあり  http://watanabemamoru-documentary.com

「山口組分裂騒動は“チャンス”だった」異色の社会学者が語る、暴排条例の“穴”とヤクザの苦境

yakuza_hirosue.jpg
『ヤクザになる理由』(新潮新書)
 昨夏に勃発した山口組分裂騒動から、1年の月日が経過した。この間、ヤクザに対する世間の注目は高まり、多くのヤクザ関連書籍が書店をにぎわせている。一方、2011年の暴力団排除条例の施行に伴い、一般人と暴力団組員との交際は厳しく禁止され、銀行口座の開設や保険の加入ができなくなり、賃貸契約も結べないなど、ヤクザたちは、かつてないほどの窮地に追い込まれている。一般社会から見れば、反社会的な勢力が弱体化することは健全だ。しかし、ヤクザの生活を奪い、人権を侵害するこの条例に対しては、憲法違反を指摘する専門家も少なくない。  犯罪社会学者・廣末登による著書『ヤクザになる理由』(新潮新書)は、元ヤクザ組員たちと寝食を共にしながら、彼らがヤクザになった理由を追い求めた1冊だ。本書によれば、家庭、学校、地域などにおける、さまざまな理由が重なって、若者たちはヤクザの世界へと足を踏み入れているという。ヤクザは今、どんな状況に置かれているのだろうか? そして、彼らの真の姿とは、どのようなものなのか? 廣末氏に話を聞いた ――まず、今回『ヤクザになる理由』を執筆されたきっかけを教えてください。 廣末登(以下、廣末) 2014年に研究書として出版した『若者はなぜヤクザになったのか』(ハーベスト社)を、一般向けにわかりやすく書き直したのが本書です。以前から、自分の研究に対して、一般の方からも「ヤクザに対する見方が変わった」「ヤクザって、こういう人間だったんだ!」といった驚きの声があり、さまざまな人に伝えていく必要を感じていました。 ――社会学の世界では、廣末さんのようなヤクザ研究者は多いのでしょうか? 廣末 かつてはヤクザから聞き取り調査をしたり、追跡調査をしながら、論文がいくつも書かれていました。しかし、1991年の暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)の施行以降、ヤクザ研究も難しくなり、だんだんと刑務所の中だけでの調査になっていきます。その結果、ヤクザの実態がつかめず、統計上の数字ばかりになってしまった。そこで、自分の足で調査をしなければいけないと思い、フィールドワークを始めたんです。 ――本書では、10年にわたってフィールドワークを行い、廣末さんが耳にした元ヤクザの人々の生い立ちがまとめられていますね。 廣末 元ヤクザの人々を支援する教会に住み込み、調査を行いました。時間をかけて付き合い、誠実に向き合って、信頼関係をつくる。それによって、等身大のヤクザに触れることができ、「生の声」が集まるんです。そのように接していると、彼らが「違和感のない人間」であることが理解できるんです。 ――「違和感のない」とは? 廣末 人間と人間が腹を割って付き合ったら、たとえ元ヤクザでも、普通の人とほとんど変わりません。彼らにも、カタギの友達がいるし、家族もいる、ひとりの人間なんですよ。 ――「人間としてのヤクザ」が見えてきた、と。 廣末 そう。ある親分が妻の出産を契機にカタギに転身し、まじめに働いていたんですが、ある日、妻が子どもを連れて出て行ってしまった。そんな彼から「おれには子どもしか残されとらん。子どもがおったからこそ、カタギになった」と、泣きながら相談を受けました。 ――「男」であることを美徳とし、決して弱さを見せないヤクザが、泣きながら相談してくるのは意外です(笑)。 廣末 現役の人からも、よく「どうやって子どもを育てればいいのか?」という相談を受けます。自分の子どもには、カタギの道で成功してほしいという気持ちが強いんですね。もちろん、出会った当初は怒鳴られたりすることもしょっちゅうですが、根気強く人間関係を構築していくと、そんな話もできるようになっていくんです。 ――全体的な状況に目を移すと、11年に全国で制定された暴排条例以降、ヤクザをめぐる状況は厳しくなる一方です。 廣末 ヤクザをやめてからも、5年間は元組員と見なされ、排除の対象になります。その間は、条例の利益の供与等の禁止規定に基づき、家も借りられない、預金口座もつくれない、葬儀法要も挙げることができない……。これでは、憲法が保障する基本的人権の尊重が著しく制約される状況が生じており、看過できない問題です。 ――しかし、ヤクザ組織は、これまで長年にわたって社会に迷惑をかけてきました。そんなヤクザに加入したのは自業自得ではないか? という声は少なからず耳にします。 廣末 それは、悪しき「自己責任論」と同じ構図です。かつては、非正規雇用の問題も自己責任で片付けられたことがありますが、同様に「ヤクザも自己責任だから、離脱者の支援なんか必要ない」という声を耳にすることはしばしばです。けれども、彼らがヤクザになった背景をひもといていくと、生まれた家庭に問題があったり、子ども時代にネグレクトや家庭内暴力を受けるといった境遇に置かれているケースが非常に多い。それらは、「自己責任」とはいえませんよね。そんな環境を一顧だにせずに「自己責任」と切り捨てるのは、おかしいのではないかと思います。 ――本書でも「いつも暴力を振るわれていた」「まともな食事が用意されていなかった」などと証言されているように、個人的な理由だけではなく、家庭環境から非行に走り、ヤクザ組織に加入する人は少なくありません。 廣末 また今、この時期にヤクザの問題を考えておかなければ、今後取り返しがつかなくなってしまいます。暴排条例によって追い込まれたヤクザたちは、組をやめても、社会に生きる場所がなければ、アウトローになったり、半グレとつるんだりして生きていかざるを得ません。すると、暴対法や暴排条例の対象外になり、取り締まりが難しくなる。その結果、やりたい放題になってしまうんです……。例えば、ヤクザの場合、覚せい剤の売買は建前上ご法度という掟があります。ましてや、組員が未成年に覚せい剤を売ったら、間違いなく破門になる。でも、アウトローや半グレには、ヤクザの掟は関係ありません。 ――では、アウトロー化を防ぐためには、どのような方法が必要なのでしょうか? 廣末 本来、ヤクザを叩くのであれば、「プッシュ」と「プル」、2つの政策が必要なんです。暴対法や暴排条例で、ヤクザのしのぎをやりにくくして追い込む「プッシュ」と、そこから「社会の受け皿をつくる」「カタギになってもしっかりやれる」という支援をする「プル」の政策。両輪があって初めて成立するはずです。ようやく今年4月から、福岡県では元ヤクザを雇った企業に対して補助金を支給するようになりました。本来であれば、暴排条例と同時に、これをすべきでした。もしもそれがなされていたら、山口組分裂騒動は“チャンス”だったと考えます。 ――チャンスとは? 廣末 山口組分裂騒動によって、ヤクザに見切りをつけた人々が、大量にやめたかもしれません。けれども、実際に起こったのは、その逆です。弘道会も山健組も、抗争を予見し、勢力拡大のためにこれまで破門にした組員を復帰させています。その中には「赤字破門」と呼ばれ、通常では絶対に復縁できなかった人々も含まれている。実際に、私の調査に協力してくれた元組幹部も復縁してしまったんです。そういった人々は、もし社会が受け入れていれば、今さら極道をする必要はなかったでしょうね。 ――排除だけでなく、ヤクザをやめた人を支援し、居場所をつくることもまた、ヤクザ対策である、と。 廣末 いま必要なのは、ヤクザをやめて成功した人々の例を共有し、ヤクザをやめてからも希望を持てる社会をつくり出すこと。ヤクザでも「未来がある」という気持ちを持てる社会をつくらなければなりません。「一億総活躍」といわれる時代であり、そこに「ヤクザは除く」とは書いていないわけですからね。 ――ヤクザを含んだ「一億総活躍社会」(笑)。その意味でも、やはり暴排条例は問題が多いですね。 廣末 以前、福岡で「おにぎり会事件」というものがありました。ヤクザとカタギとのゴルフコンペ「おにぎり会」に参加したカタギの会社が“密接交際者”と見なされ、県のホームページに実名で掲載されました。その結果、このうち2社が倒産してしまったんです。これは、「ヤクザと付き合うとこうなるぞ」という行政側からの見せしめであり、到底納得がいきません。ジャーナリスト・溝口敦さんも指摘していましたが、暴排条例は、これまでの警察vs暴力団という構図を、市民vs暴力団に置き換えています。暴力団との関係を断つことは、「県および県民の責務」とされているんです。 ――まさに、市民に「自己責任」が押し付けられているんですね。では今後、ヤクザはどうなっていくのでしょうか? 廣末 今後は、法の締め付けによって、ヤクザはますます厳しくなるでしょう。そしてヤクザ組織は、フロント企業を持ちながら、合法的に稼ぐ方向に進んでいくでしょうね。昔はヤクザも格好でわかりましたが、今のヤクザはサラリーマンと同じ格好をしているから、見分けがつきにくい。それと同様に、組織自体も、おそらく一般企業に紛れながら生きていくのではないかと思います。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])