au「三太郎」CMで話題の個性派俳優・前野朋哉が語る少年期「一日中、映画のことばかり考えてた」

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撮影=尾藤能暢
 今年auのテレビCM「三太郎」シリーズの“一寸法師”役でお茶の間でのブレークを果たした俳優、前野朋哉。『桐島、部活やめるってよ』(2012年)をはじめ、最近では人気ドラマ『重版出来!』(TBS系)にもレギュラー出演するなど、俳優としての評価はうなぎ上り。最新作『エミアビのはじまりとはじまり』では芸人役に挑み、なんとアマチュアとして出場した「M-1」の1回戦も突破! 唯一無二の存在感で“いま最もオファーしたい男”前野朋哉の魅力に迫る――。 ――前野さんは、芸人さんの役は初めてですか? 前野朋哉(以下、前野) 正確には2回目ですね。大泉洋さん主演の『青天の霹靂』(原作/監督 劇団ひとり)という映画で、浅草の芸人さん役をやらせてもらったことがあります。 ――そうでしたか。本作『エミアビのはじまりとはじまり』では、芸人さん以上に芸人さんっぽくて、びっくりしました。 前野 僕的には、もっとやれたんじゃないかと……試写で見たときには。 ――俳優さんが芸人さんを演じると、上手なだけに、逆にリアリティが失われることもあると思うんですけど、前野さんの「海野」は、本当にこういう芸人さんライブにいるよな、と。 前野 ありがとうございます。ちょっと作り方が特殊だったんです。監督が「芸人さんに教えてもらわずに、イチから作ろう」と。だから何もわからない状態で、監督と森岡龍君(相方の実道)と3人で試行錯誤しながら作っていったんです。時間はかかりましたね。3人でずっと暗闇を歩いているような感じで。 ――「ツッコミ」って、なんなんだろう……みたいな。 前野 そうです。「笑わせるって、なんなんだ?」とか。テレビでお笑いを見ているときは、ただ「面白いな~」で、そこにテクニックとか芸とか、人の心をつかむ何かとか、そこまで意識はしないじゃないですか。実際やってみて、いかにそれが難しいかがわかりました。最初、僕と森岡君は「2人ならできる」っていう、よくわからない自信があったんですよ。森岡君とは付き合いも長いので。ただやり始めると、思っている以上に難しい作業でした。 ――何か参考にしたものはありますか? 前野 DVDを見たり、実際のお笑いライブにも足を運びました。でも、そこから引用するっていうのは、あまりしてないんです。結局、途中から「芸人としてのキャラクター」が必要になると監督が判断して、それをどう生かしていくかを考えたとき、やっと作り方が見えてきたんじゃないかなと思います。監督のイメージでは、僕の役が蛭子(能収)さんで、実道がGACKTさんだったらしく(笑)。その2人が漫才してたら、すごい面白いでしょうって。あぁそうか、そういうとこからも入っていけるんだと。そこからキャラクターを意識して、でもお互いが持っている性格も取り入れて、どこを面白く伸ばしていくかっていうことを、毎日考えてやっていました。 ――漫才コンビ「エミアビ」の海野は、明確にツッコミでもないんですよね。 前野 そうなんですよ。基本的にはどっちもツッコむし、どっちもボケるっていうのが、「エミアビ」のスタイルです。
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劇中、前野さんと森岡さんが演じる漫才コンビ「エミアビ」/(c)2016『エミアビのはじまりとはじまり』製作委員会 
――ボケとツッコミの立ち位置がその都度変わるのは、難しくなかったですか? 前野 いや、僕は逆に助かりました。ツッコミがやっぱり難しくて、どちらかというと、ボケのほうが気が楽だった(笑)。拾ってもらえる安心感というか。芸人さんの「拾う」って、本当すごいですよね。拾って話を何倍にも膨らますっていう、あの技術。最近バラエティに出させてもらったりすると、目の当たりにするんです。自分が何をしゃべっても、面白くしてくれる。職人というか、本当に芸ですよね。特にツッコミの人は、技術ももちろん、愛が深くないといけないじゃないですか。人間ができてないと、なかなかツッコミはできないなと思いました。 ――対象への愛がないと、ツッコミはできないと……。 前野 森岡君は、ツッコミがうまいんですよ(笑)。 ――M-1の予選にも「エミアビ」として出場されたとか。 前野 1回戦通りました。ラッキーなことに。 ――すごい……。 前野 緊張しました。しかも、なぜかその日のトリで。41組出ていて。その中でアマが3組、あとは全員プロ。ABCブロックに分かれていて、僕らはCブロックだったのでAブロックだけ見ることができたんです。それが、めちゃめちゃ面白かった。「あぁ、普通にお客さんで来たかった」って思いましたもん(笑)。 ――あ、このあと自分もやるんだったと(笑)。 前野 このまま気持ちよく帰りてぇ~って。本番ではネタも飛びつつ、四苦八苦しながらやりました。 ――撮影のときと、どちらが緊張しました? 前野 M-1ですね。でも、得たものも多かった。映画のことも何も知らないお客さんの前で漫才をするのが、初めてだったんです。やっぱりそれをしないとダメだなっていうのは、すごく感じました。客前での緊張とかプレッシャーも込みで、そこの空気をつかんだ人が勝っていくじゃないですか。僕らは、ただラッキーだっただけですけど。 ――2回戦も楽しみです。 前野 はい、今度は10月にあるので、それまでにもうちょっと人前でやれる機会を作って漫才しようと話はしてます。 ――ガチですね! 前野 どうせ恥かくんで(笑)。でも、なんかね……観客に「この程度かよ」みたいに思われたら、僕ら一応映画背負ってるんで(笑)。僕らの漫才があまりにも面白くないと、映画見に来てくれなくなっちゃう可能性があるので。それはちょっとまずいです! ――前野さんといえば、「いま最もスケジュールが取れない俳優さん」といわれていますが、ご自身の中で転機となったのは、どんな作品でしたか? 前野 そうなんですか? 初耳です(照)。俳優としてしっかりと意識して、見られているなと感じたのは『桐島、部活やめるってよ』です。『桐島』の後に、少しずつ声をかけてもらうことが増えました。『桐島』に出ていた役者さんを、その後、いろいろな作品で見るようになったのも、やっぱり刺激的でしたし、「また現場で会いたいな」って思うようになりました。あとやっていて「俳優って面白いな」と思ったのは『日々ロック』かなぁ。結構ガッツリやれたんです。こっちはバンドの話だったんですけど、何カ月間か本当に楽器も練習しましたし。
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――前野さんは俳優業とともに監督もされていますが、実家のご家族には「俳優をやっている」と言い出せなかったそうですね。 前野 一応、大学生のときに「監督としてやっていく」と宣言していたので(笑)、「なんでお前、役者やってるんだ?」ってなるじゃないですか。しかも「監督」というより「俳優」として東京行くことになったので、両親的には「アンタ、それちょっと違うんじゃないの」と。「俳優をやることで現場にも関われるし、監督としての勉強にもなるから」と半ば強引に東京出てきちゃったんですよ。だから、難しかったですね。結婚するときも。 ――結婚のときですか? 前野 最初(親から)言われていたんですよ。「監督としても俳優としてもそんなに稼いでいるわけじゃないのに、どうやって家族を養っていくんだ?」と。痛いくらい正論ですよね。確かに……と思って、いったんは引いて(笑)。『空飛ぶ広報室』(TBS系)というドラマで初めてレギュラーをもらって、そのドラマをたまたま両親が見ていたらしくて。それで「東京でも、ちゃんとやってるようだ」と納得してくれたみたいです。 ――いつも見ているドラマに突然、息子が出てきたらビックリですよね(笑)。 前野 想定外だったようです。さすがに、今は何も言われなくなりました。思えば、両親はまったく映画を見ないのに、昔、僕が「映画を見たい」と言ったときには、すんなり行かせてくれたので、その辺の理解はあったのかもしれません……。 ――素晴らしいご両親じゃないですか! 前野 でも……そうだ。僕小学生の頃、剣道やってたんだけど、すごく嫌だったんです。しんどいし、すぐ手の皮むけるし。剣道の良さが、当時の僕には全然わからなかった。でも、母親は「息子が生まれたら、剣道をさせたかった」みたいなことを以前言っていたんです。そんなの聞いたら、子どもは頑張るしかないじゃないですか。そうやって無理も強いてる分、僕の好きなことも少しはさせてあげなきゃ……って思っていた節もある。だって、映画行くときの僕、すげぇ笑顔だったと思うんですよ(笑)。 ――映画が好きだと思ったのは、いつ頃なんですか? 前野 中学生くらいかなぁ。映画を見るのが大人っぽいというか、ほぼ一日、映画のことばかり考えていました。どうやって部活サボって、映画に行くか(笑)。だって『スター・ウォーズ』公開日に、部活と『スター・ウォーズ』どっちを取るかっていったら、『スター・ウォーズ』取るじゃないですか(笑)。 ――その頃、好きだったジャンルと今好きなジャンルは、あまり変わらないですか? 前野 変わらないですね。結局、話題作は見たい。今なら『シン・ゴジラ』絶対見たいと思いましたもん。僕ミーハーなんですよ。この間、たまたま時間が空いて、よし、ゴジラ行こうと。それで普通に行くんじゃなくて、ちょっと苦労したいなと。すんなり映画館行ってすんなりゴジラ見てすんなり帰るのもイヤだなと思って、映画館まで歩いていったんです。 ――どのくらいの距離を? 前野 9km弱(笑)。 ――ええ?? 前野 暑い中、歩きましたよ。途中、中華料理店に入って休憩して、そこでリオ五輪の情報をチェックしたりしながら。映画館に着いたら、入り口にポスターがバーンとあって「ゴジラが出迎えてくれてる……」って感動しました。ゴジラ待ってくれてた~って。
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――絶対に忘れられない作品になりますね。 前野 映画って、見るシチュエーションが、すごく大事だと思うんです。地方に行ったときに、初めて行く映画館は、すごくワクワクするし。今回みたいに「無理して見る」のも好きですし、時間が空いたときに何も決めずフラッと映画館に行って、インスピレーションで決めるのもいい。 ――たとえば『エミアビのはじまりとはじまり』だったら、どんなシチュエーションで見たいですか? 前野 う~ん。そうですね。僕だったら『シン・ゴジラ』を見て、一度そちらの世界にトリップしながら、この『エミアビのはじまりとはじまり』を見ると、なかなかのテーマ感の振れ幅に『エミアビのはじまりとはじまり』のインパクトがより強くなるんじゃないかなと思います。 ――『シン・ゴジラ』と『エミアビのはじまりとはじまり』の2本立て(笑)。 前野 どちらも熱くなる映画ですし(笑)。あと、お酒飲んで見るのもいいかもしれない。僕よくやるんですけど、お酒飲んで映画見ると、自分の中のリミッターが解除されるとこあるじゃないですか。「ドーピング」って呼んでるんですけど(笑)。 ――今は情報があふれすぎて、あまり自由な状態で映画を見られないのかもしれませんね。 前野 みんな、前情報仕入れて見に行きますもんね。でも、それってめちゃめちゃ選択肢を狭めてると思う。もったいないですよね。もっと楽しめるはずなのに。 ――休憩の中華屋を挟みつつ、汗だくで歩いてたどり着いたゴジラは、普通のゴジラより絶対楽しいと思います。 前野 しかも、そんなことでもないと絶対に入らない、住宅街の中にポツンとある中華屋ですから!  ――いま本当にたくさんの作品に出演されていらっしゃいますが、前野さんの中で「この人と共演したい!」という夢はありますか? 前野 デンゼル・ワシントンと共演したい。 ――おおお!! 前野 昨年公開された『イコライザー』っていう映画がめちゃくちゃ面白くて。映画館で見られなくて、ブルーレイで見たんですけど「久々キタこの! この! デンゼルのこの!!」って。最高でした……。本当に、デンゼル、カッコイイ……。 ――ちなみに、どんな役柄で共演したいですか? 前野 どんな役柄でもいいです。なんなら一発で殺されたい。 ――殺されたい(笑)。 前野 元CIAのすごい殺し屋の役なんですよ、デンゼルが。瞬時にその場の状況を判断して、いかに速いスピードで何人殺すか。そのシーンがカッコイイ。あのシーンの一員になれたら、めちゃくちゃうれしいですよね。 ――前野さんの「殺し屋」役も、ちょっと見てみたいですけど。 前野 いやぁ、でも僕が殺し屋だったら、あんなにスマートに殺せないし、やっぱりそういう役は佐藤浩市さんとか織田裕二さんで見たいし……中井貴一さんもいいだろうな、カッコイイよな……。“昼はサラメシ、夜は殺し屋”みたいな……。 (取材・文=西澤千央) ●『エミアビのはじまりとはじまり』 監督・脚本/渡辺謙作、キャスト/森岡龍、前野朋哉、黒木華、新井浩文、山地まりほか 上映時間/1時間27分 製作/『エミアビのはじまりとはじまり』製作委員会 企画/ブレス 制作プロダクション・配給/ビターズ・エンド 9/3(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー! (C) 2016『エミアビのはじまりとはじまり』製作委員会 <http://bitters.co.jp/emiabi/

平均年齢83歳のヒップホップ! ハリウッド映画化も決定した世界最高齢ダンスグループにインタビュー

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 ストリートで生まれ、若者を中心に人気を博してきたヒップホップダンス。ヒップホップダンス大会の参加年齢は7歳以上というだけあって、踊るのはやはり若い人たちが中心だ。そんなヒップホップに挑んだ話題のダンスグループがある。ニュージーランドの東にある人口約8,000人の小さな島、ワイヘキ。こののどかな島にあるヒップホップダンスグループ「The Hip Op-eration Crew(ヒップ・オペレーション・クルー)」がそれだ。メンバーの平均年齢はなんと83歳! 文句なしに世界最高齢のこのグループが、ヒップホップの世界大会に出場するまでを収めたドキュメンタリー映画『はじまりはヒップホップ』が日本公開となる。人生を謳歌する彼らの様子は、言葉にできない感動を与えてくれる。  そんなヒップ・オペレーション・クルーからメンバーが来日、インタビューに応じてくれた。ジャック・ロングさん a.k.a. JJ Rizzell(85歳)とブレンダ・ロングさん a.k.a.BB Rizzell(83歳)の夫婦、レイラ・ギルクリストさん a.k.a.Leila G(72歳)、マリー・ターフレイさん a.k.a.Missy M(72歳)、レン・カーチスさん a.k.a.Big Deal(75歳)の5人。ちなみに名前の後ろに書かれているのは彼らのヒップホップネームである。
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マリー「(しかめっ面をして)初めてヒップホップの音楽を聞いたときは、思わずこんな顔をしてしまったわ! 想像していたものと全然違ったから。私の家はしつけが厳しかったので、もともと若者に人気の音楽はあまり聴いてこなかったし、バック転したり頭でぐるぐる回ったりするダンスなんて見たこともなかったの。ヒップホップダンスを見たとき、これは私たちの歳で踊るものではないと思ったけど、始めてみたらすごく楽しかったわね」 ブレンダ「ヒップホップの音楽を初めて聴いたときは、とっても驚いたわよ。ショックと言ってもいいぐらいね。それまで親しんできたものとはまったく違うものだったから。私はダンスの経験すらなかったけれど好奇心がわいて、とにかくリーダーのビリーについていってみようと思ったの」  ワイヘキ島の老人たちにヒップホップのダンスを教えようと思いついたのは、彼らのマネジャーで振付師でもある若き女性ビリー。ダンスの経験はないけれど、メンバーたちに楽しい毎日を過ごしてほしいと、家にこもりがちだった老人たちに明るく声をかけ続けた。 レイラ「私はもともとダンスには慣れていたし、孫娘がちょっとヒップホップをやっているから音楽はなんとなく知っていたの。だから踊ること自体はそんなに大変じゃなかった。ただ私はすごいあがり症で、人前に立つのが本当に苦手だったの。でもダンスのコンテストに出るためには自信をつけなくちゃいけない。最初はそれが大変だったわね」
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 ヒップ・オペレーション・クルーのメンバーの年齢は、下は60代から上は94歳まで。ドキュメンタリーの中では94歳のスターダンサー、関節症を患う女性、認知症で入院中の夫を頻繁に見舞う女性など、さまざまな事情や体調を抱えるメンバーが数多く登場する。 レイラ「家族に支えながら活動しているメンバーは多いし、私自身も娘や孫たちが熱心に応援してくれている。ただ、姉たちだけはいい顔をしないのよね(笑)。私はきょうだいの末っ子なのだけど、姉たちに『今ドキュメンタリー映画を作っているのよ』『世界大会に出ることになったの』と説明しても、渋い顔をしてばかりだった。だけどもう、姉たちの反応は気にしないことにしたわ。ダンスを始めたおかげで私は自信がついたし、もう昔の私じゃない。孫たちは『おばあちゃんすごい!』って喜んでくれているから、それだけで充分に嬉しいしね。孫たちは地区大会に駆けつけてくれて、ヒップホップの格好で応援してくれたのよ。でも姉たちも、今ではちょっとぐらい見直してくれているんじゃないかしら」 マリー「ちょっと体調が良くなかったり、少し夜更かしをしたりして、今日は体が重たいわって感じる日もあるけれど、音楽がかかれば気分が乗るので大丈夫。いつもヒップホップの音楽が私を助けてくれているわ」
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 ジャックとブレンダの夫妻はゴルフ好きだったけれど、妻のブレンダは、今はゴルフよりもヒップホップに夢中なのだとか。心の底からヒップホップを楽しんでいる彼らは、ヒップホップのニュージーランド国内大会に出場する。そこで大きな評判を呼び、なんとラスベガスで行われた世界大会に特別招待されることに! 1万5,000人の観客の前でパフォーマンスをするシーンは必見だ。 レイ「あのステージはとても緊張したし、正直怖かったよ。観客を意識しすぎず、会場の後ろを見るようにして、なんとか1曲踊り終えたね。でもだんだんと慣れていったし、何より励みになったのは、会場にいたたくさんの若者や子どもたちの存在だった。会場内を歩いているといろんな国の子どもたちが『ヒップ・オペレーション!』って声をかけてくれたんだよ。感動して泣きそうになったし、本当に忘れられない日になったね」  ヒップ・オペレーションのメンバーがこのドキュメンタリーを通して教えてくれるのは、新しいことに挑戦することの意義。何かを始めるのに年齢など関係ない、ということも。 ブレンダ「メンバー全員、何かを得たでしょうね。私がヒップホップをやって一番良かったと思ってることは、人々との出会い。最初はご近所付き合いをしているだけの間柄で、名前すらわからない人もいた。でもみんなでホールに集まってダンスをするようになってからは、本当にみんなと仲良くなったのよ。今ではしょっちゅうカフェでお茶をしたり、一緒に出かけたり、お互いのバースデーパーティをしたり。ビリーのことは娘のように思っているわね。私たち、すごく幸せな大きい家族なのよ」  観る人にきっとパワーを与えるこの実話、なんとハリウッドで映画化されることも決定している。マネージャーのビリーを主人公にした、奇跡のストーリーとなりそうだ。ヒップ・オペレーションの活動もまたずっと続いていく。これからも目が離せないグループだ。 (取材・文=大曲智子/撮影=尾藤能暢)
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●『はじまりはヒップホップ』 8月27日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー 配給:ポニーキャニオン コピーライト:(c) 2014 Rise And Shine World Sales / Inkubator Limited / photo_Ida Larsson http://hajimari-hiphop.jp/

“元アウトローのカリスマ”瓜田純士、SMAP解散騒動を嘆く「ほとんどイジメみたい……」

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 激情型かつ劇場型な性格ゆえ、これまで数多くの人間とトラブルを起こし、ケンカ別れと仲直りを繰り返してきた“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)が、SMAPの解散騒動に物申す! ――SMAPの解散騒動について思うことは? 瓜田 ほとんどイジメみたいだな、って思います。 ――誰が誰を、イジメていると? 瓜田 世間がSMAPを、ですよ。25年間続いただけでも奇跡的にすごいグループなのに、その上さらに「もっとやってくれ!」とみんながエゴをぶつけるなら、じゃあ80歳、90歳までやんなきゃいけないの? と問いたいです。解散と聞いてみんながこれだけ落ち込んだり怒ったり騒いだりするってことは、もっと続けて欲しいってことですよね。じゃあ一体、いつになったら彼らは自由になれるんだ、と。 ――ファンがいなくなったとき、でしょうか。 瓜田 応援されてるうちはやめられないなら、それこそ吉田沙保里なんかは10連覇しても引退できませんよ。アイドルを続けることは義務でもなんでもないんだから、本人たちがツラくなったら終わればいい。で、終わり方がなんであれ、これまで長年楽しませてもらったんだから、「おつかれさま」でいいじゃないですか。どうしてみんな「おつかれさま」の一言を言えないのか。そこが、おかしいと思いますね。 ――瓜田さんはSMAPを好きなんですか? 瓜田 ちっちゃい頃から好きだったし、ずっとテレビで親しみを持って見てましたよ。僕もそうですが、キムタクをイケメンとして形容しなかった日本人はいないんじゃないでしょうか。「キムタクじゃないんだから」とかいう例え話がどんだけ使われてたかと思うと、SMAPという存在がいかに僕らの日常に溶け込んでたのかがわかりますよね。 ――確かに。 瓜田 やがて僕はグレてしまい、ヤクザになって捕まって、シャバに出てきて足を洗って、恋愛して結婚して大人になって、こうして今、ようやく更生して平和に食事を楽しんでる。25年という長い年月の間には、そういうヒストリーがみなそれぞれにありますよね。その間ずっと、SMAPはファンのために私生活を犠牲にしながら、一線で頑張ってきたんですよ。そんな人たちがやっと解散するってなったときに、誰も「おつかれさま」を言わないのは、ちょっとヒドイなと思います。 ――きれいな解散じゃなく、ケンカ別れみたいな形だから、「おつかれさま」を言いづらいのかも。 瓜田 ウチの嫁も「キムタクが裏切ったんや。悪いのはキムタクや」とか言ってますけど、そんなこと言ったら昔のスパイダースとかタイガースだって、解散間際にはきっと「誰かが裏切った説」が囁かれたはず。ブルーハーツだって、「誰それが悪い」とかさんざん言われましたからね。個性的な野郎が何人も集まれば、そりゃ最後の最後ぐらいは揉めるでしょう。きれいな解散なんて、そうはないですよ。
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――解散は仕方がない、と。 瓜田 逆に、ヨボヨボになるまで続けられたら痛いですよ。腰にコルセットを巻いたロートルのロックスターが本当に格好いいか、と言ったら疑問でしょう。80歳、90歳になった指原莉乃を見たいですか? 一生AKBに縛られた彼女らが、シミだらけの顔して、シワシワになって、オッパイも垂れて、ビゲン香りのヘアカラーで白髪を染めながら「ポニーテールとシュシュ」を歌って、一体どこの誰が喜ぶんですか? って話と一緒です。そうなる前に「おつかれさまでした」でいいじゃないですか。逆によくやったと思いますよ、25年も。正直、ここ数年のSMAPはカラダのラインが崩れ、アイドルと呼ぶのは厳しい感じになりつつあったので、解散するにはちょうどいいタイミングだったのかもしれません。 ――では、解散は仕方がないとして、今後、こじれた人間関係だけでも修復することは難しいですかね? これまで愚連隊、自警団、バンド、義理の兄弟などの難しい人間関係を築いたり壊したり、また築き直したりを繰り返してきた瓜田さんならではの「仲直りのコツ」みたいなものがあれば教えてください。 瓜田 小さな誤解が積み重なって今に至った、という前提で話しますと、ひとつ絶対的に言えるのは、「誤解には和解がある」ってことです。特に男の場合はそう。ただ、相手がまだいろいろと誤解したまんまで、「顔も見たくない」という心理状態のときに、こっちの思いを伝えたところで、かえって溝を深めるだけ。必要なのは、時間のみ。時間以外、ないですよ。 ――と、申しますと? 瓜田 いろんな感情が1周回って、1年か2年経って、お互い忘れた頃にコンコンとノックしに行って、「あんときはうまく話せなかったけど、おまえのこと好きだったんだぜ」って言えば、相手も嫌な気はしない。また一緒にメシを食えるぐらいの仲には戻れるはずです。でも半年や1年でそれをやっちゃうと、反発を食らって、誤解は1個から10個に増えちゃうかもしれない。あとは「あの野郎!」と人前で啖呵を切っちゃった手前、本心では許してるのに、体面的に許せないということもある。でもそんなのも時間が経ってバッタリ再会すれば、なんてことないですよ。 ――その時間の目安は、おおよそ1年か2年だと? 瓜田 まぁ、こじれ方にもよるので一概には言えないけど、双方が忘れた頃くらいですかね。で、誤解が解けて和解した場合、もう一度、そいつと仲良く共同活動をできるのか? っていう問題が気になりますよね。僕の経験上、いっぺんウンザリして離れた奴と、もう一度同じような青春を取り戻すのは、無理ですね。10日か20日で、「あ、そうだ。こいつのこういう部分がムカついて俺たちケンカ別れしたんだ」ってことを思い出して、結果、再びケンカすることになる(笑)。だから、和解したとしても、その後は近からず遠からずの、いい距離感を保ち続けるのが大人の選択かもしれませんね。 ――今でこそすっかり大人になった瓜田さんですが、かつては人間関係のトラブルが非常に多かったですよね。 瓜田 もう、日常茶飯事でした。生んだ誤解を解こうと必死になればなるほど、相手の温度と一致せず、ずっと空回りするばかり。で、こっちが新しい敵でも作ってすっかり忘れた頃に、そいつと街でバッタリ会ったりするんですよ(笑)。会ったら謝ろうと思ってたのに、「急いでるんで、また」とか言っちゃったり。要は、その頃にはもう、そいつに興味がなくなってるんですよ。そもそも相手に謝ったり弁解したりっていうのは、たいていこっちのエゴですからね。 ――エゴ? 瓜田 誤解を解きたいというのは、自己満足ですよ。僕の場合、自分の胸の引っかかりを取りたいだけ、自分がすっきりしたいだけで、相手にとっちゃいい迷惑なだけのことが多かった。相手はトラブった時点で絶交を決意して、謝罪なんか求めてない可能性もありますし。だから、「円満解決で終わらせたい」というエゴを相手に押しつけるのは、どうかと思う……と、過去の自分を反省しながら言いますよ。 ――しかし、「誤解には和解がある」というのは、いい言葉ですね。 瓜田 僕が刑務所に入ってるときに、中国人の兄弟分が教えてくれた言葉です。僕が刑務所の中でさまざまなことで誤解されて苦しんでるときに、「瓜田さん、人間には誤解があれば和解もあります。だから、くじけないで」という励ましの手紙を流暢な日本語で書いてよこしてくれた。それから大事にしてる言葉なんですよ。 ――刑務所の中でも、誤解されるような問題をたくさん抱えていたんですか? 瓜田 100個ぐらい抱えてました(笑)。わかりやすい例を挙げると、刑務所の工場には、毎日2名ずつぐらい、新入りの受刑者が来ます。で、新入りがナメられたくない一心で、誰かとケンカを始めたとします。その新入りが僕と同門(のヤクザ)だった場合、僕は飛ばなくちゃならないんですよ。それが暗黙のルールなんです。
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――「飛ぶ」とは? 瓜田 この場合、「同門に加勢する」とか「同門を援護射撃する」って意味です。だから、刑期満了が近かった頃の僕は、「来るな、来るな、頼むから同門は来るな」と毎日心の中で祈ってました。そんなある日、僕を可愛がってくれてた別組織の親分から、「噂だけど、瓜ちゃんと同門のトラブルメーカーが数日後、この工場に入って来るらしい。瓜ちゃんはあと数カ月でシャバに出れるんだから、そいつがもしチンピラみたいなマネをしても、目の前の作業に集中して、いい子ちゃんでいろ。工場のみんなには俺のほうから伝えておくから」と言われたんですよ。 ――心温まる話ですね。 瓜田 ええ、非常にうれしかったんですよ。ところが、同門の受刑者が来る前日に、その親分はトラブルを起こしたのか、別の工場に移されてしまった。だから僕、工場のみんなに親分の言葉が伝わってるのかどうか、不安になって。どうか何事もないように……と祈りながら工場で作業をしてたんですが、その同門の新入りは、登場するやいなや、「なんだこの工場は、チンチクリンばっかだな」とカマシを入れて、いきなりケンカをおっ始めやがった。次の瞬間、工場にいた全員が、「あれ、瓜田は飛ばないの?」って顔で僕のことを見るんです。親分の言いつけを守って、親分との仁義を守って見て見ぬフリを続けた結果、貼られたレッテルが「芋引き」ですよ。「あいつは同門が来ても飛ばない」「自分の身が可愛いんだ」と言われ続けました。 ――ツライですね。 瓜田 その誤解を解くのが大変でした。刑務所の中は、そんなことばっか。そのたびにもどかしい思いをして、円形脱毛症ができるほど悩んでる僕を見て、中国人が「誤解には和解がある」という手紙をくれたんですよ。まぁ世の中には、「誤解されたままでいいから和解したくない」という関係もあるにはあるんですけどね(笑)。 ――それは、どういう関係でしょう? 瓜田 相手を怒らせてしまい、「誤解を解きたいので僕の話を聞いてください」と言って謝りに行く。一般の人でも、そういう場面はあると思いますが、そんなとき、「殴られることを覚悟で謝りに行く」とかってよく言うけど、それでも会いに行けるってことは、心のどこかで相手をナメてる証拠とも言えるんです。どうにか丸め込める、いざとなったら勝てる。そう踏んでるからこそ会いに行けるわけで、相手のことを心の底から恐れてたら、「誤解されたままでいいから、二度と会いたくもないし和解もしたくない」となるのが人間心理ってもんでしょう。 ――確かに。 瓜田 僕はずるくて、その心理をわかってるから、現役時代の僕に対し誤解を招くようなマネをした奴のことは、たいてい殺しかけてきました(笑)。この先、ずっと近寄って来れないように。 ――相手にそれだけの恐怖を与えた、ということですか。 瓜田 ええ。「SMAP」の話をしてたはずなのに、「PTSD」の話になってしまいましたね(笑)。すいません。 (取材・文=岡林敬太) ※瓜田純士チャンネル FRESH! by AbemaTV(フレッシュ バイ アベマティーヴィー)は現在準備中。放送開始までもうしばらくお待ちください。https://abemafresh.tv/junshi/26253 ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

“元アウトローのカリスマ”瓜田純士、SMAP解散騒動を嘆く「ほとんどイジメみたい……」

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 激情型かつ劇場型な性格ゆえ、これまで数多くの人間とトラブルを起こし、ケンカ別れと仲直りを繰り返してきた“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)が、SMAPの解散騒動に物申す! ――SMAPの解散騒動について思うことは? 瓜田 ほとんどイジメみたいだな、って思います。 ――誰が誰を、イジメていると? 瓜田 世間がSMAPを、ですよ。25年間続いただけでも奇跡的にすごいグループなのに、その上さらに「もっとやってくれ!」とみんながエゴをぶつけるなら、じゃあ80歳、90歳までやんなきゃいけないの? と問いたいです。解散と聞いてみんながこれだけ落ち込んだり怒ったり騒いだりするってことは、もっと続けて欲しいってことですよね。じゃあ一体、いつになったら彼らは自由になれるんだ、と。 ――ファンがいなくなったとき、でしょうか。 瓜田 応援されてるうちはやめられないなら、それこそ吉田沙保里なんかは10連覇しても引退できませんよ。アイドルを続けることは義務でもなんでもないんだから、本人たちがツラくなったら終わればいい。で、終わり方がなんであれ、これまで長年楽しませてもらったんだから、「おつかれさま」でいいじゃないですか。どうしてみんな「おつかれさま」の一言を言えないのか。そこが、おかしいと思いますね。 ――瓜田さんはSMAPを好きなんですか? 瓜田 ちっちゃい頃から好きだったし、ずっとテレビで親しみを持って見てましたよ。僕もそうですが、キムタクをイケメンとして形容しなかった日本人はいないんじゃないでしょうか。「キムタクじゃないんだから」とかいう例え話がどんだけ使われてたかと思うと、SMAPという存在がいかに僕らの日常に溶け込んでたのかがわかりますよね。 ――確かに。 瓜田 やがて僕はグレてしまい、ヤクザになって捕まって、シャバに出てきて足を洗って、恋愛して結婚して大人になって、こうして今、ようやく更生して平和に食事を楽しんでる。25年という長い年月の間には、そういうヒストリーがみなそれぞれにありますよね。その間ずっと、SMAPはファンのために私生活を犠牲にしながら、一線で頑張ってきたんですよ。そんな人たちがやっと解散するってなったときに、誰も「おつかれさま」を言わないのは、ちょっとヒドイなと思います。 ――きれいな解散じゃなく、ケンカ別れみたいな形だから、「おつかれさま」を言いづらいのかも。 瓜田 ウチの嫁も「キムタクが裏切ったんや。悪いのはキムタクや」とか言ってますけど、そんなこと言ったら昔のスパイダースとかタイガースだって、解散間際にはきっと「誰かが裏切った説」が囁かれたはず。ブルーハーツだって、「誰それが悪い」とかさんざん言われましたからね。個性的な野郎が何人も集まれば、そりゃ最後の最後ぐらいは揉めるでしょう。きれいな解散なんて、そうはないですよ。
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――解散は仕方がない、と。 瓜田 逆に、ヨボヨボになるまで続けられたら痛いですよ。腰にコルセットを巻いたロートルのロックスターが本当に格好いいか、と言ったら疑問でしょう。80歳、90歳になった指原莉乃を見たいですか? 一生AKBに縛られた彼女らが、シミだらけの顔して、シワシワになって、オッパイも垂れて、ビゲン香りのヘアカラーで白髪を染めながら「ポニーテールとシュシュ」を歌って、一体どこの誰が喜ぶんですか? って話と一緒です。そうなる前に「おつかれさまでした」でいいじゃないですか。逆によくやったと思いますよ、25年も。正直、ここ数年のSMAPはカラダのラインが崩れ、アイドルと呼ぶのは厳しい感じになりつつあったので、解散するにはちょうどいいタイミングだったのかもしれません。 ――では、解散は仕方がないとして、今後、こじれた人間関係だけでも修復することは難しいですかね? これまで愚連隊、自警団、バンド、義理の兄弟などの難しい人間関係を築いたり壊したり、また築き直したりを繰り返してきた瓜田さんならではの「仲直りのコツ」みたいなものがあれば教えてください。 瓜田 小さな誤解が積み重なって今に至った、という前提で話しますと、ひとつ絶対的に言えるのは、「誤解には和解がある」ってことです。特に男の場合はそう。ただ、相手がまだいろいろと誤解したまんまで、「顔も見たくない」という心理状態のときに、こっちの思いを伝えたところで、かえって溝を深めるだけ。必要なのは、時間のみ。時間以外、ないですよ。 ――と、申しますと? 瓜田 いろんな感情が1周回って、1年か2年経って、お互い忘れた頃にコンコンとノックしに行って、「あんときはうまく話せなかったけど、おまえのこと好きだったんだぜ」って言えば、相手も嫌な気はしない。また一緒にメシを食えるぐらいの仲には戻れるはずです。でも半年や1年でそれをやっちゃうと、反発を食らって、誤解は1個から10個に増えちゃうかもしれない。あとは「あの野郎!」と人前で啖呵を切っちゃった手前、本心では許してるのに、体面的に許せないということもある。でもそんなのも時間が経ってバッタリ再会すれば、なんてことないですよ。 ――その時間の目安は、おおよそ1年か2年だと? 瓜田 まぁ、こじれ方にもよるので一概には言えないけど、双方が忘れた頃くらいですかね。で、誤解が解けて和解した場合、もう一度、そいつと仲良く共同活動をできるのか? っていう問題が気になりますよね。僕の経験上、いっぺんウンザリして離れた奴と、もう一度同じような青春を取り戻すのは、無理ですね。10日か20日で、「あ、そうだ。こいつのこういう部分がムカついて俺たちケンカ別れしたんだ」ってことを思い出して、結果、再びケンカすることになる(笑)。だから、和解したとしても、その後は近からず遠からずの、いい距離感を保ち続けるのが大人の選択かもしれませんね。 ――今でこそすっかり大人になった瓜田さんですが、かつては人間関係のトラブルが非常に多かったですよね。 瓜田 もう、日常茶飯事でした。生んだ誤解を解こうと必死になればなるほど、相手の温度と一致せず、ずっと空回りするばかり。で、こっちが新しい敵でも作ってすっかり忘れた頃に、そいつと街でバッタリ会ったりするんですよ(笑)。会ったら謝ろうと思ってたのに、「急いでるんで、また」とか言っちゃったり。要は、その頃にはもう、そいつに興味がなくなってるんですよ。そもそも相手に謝ったり弁解したりっていうのは、たいていこっちのエゴですからね。 ――エゴ? 瓜田 誤解を解きたいというのは、自己満足ですよ。僕の場合、自分の胸の引っかかりを取りたいだけ、自分がすっきりしたいだけで、相手にとっちゃいい迷惑なだけのことが多かった。相手はトラブった時点で絶交を決意して、謝罪なんか求めてない可能性もありますし。だから、「円満解決で終わらせたい」というエゴを相手に押しつけるのは、どうかと思う……と、過去の自分を反省しながら言いますよ。 ――しかし、「誤解には和解がある」というのは、いい言葉ですね。 瓜田 僕が刑務所に入ってるときに、中国人の兄弟分が教えてくれた言葉です。僕が刑務所の中でさまざまなことで誤解されて苦しんでるときに、「瓜田さん、人間には誤解があれば和解もあります。だから、くじけないで」という励ましの手紙を流暢な日本語で書いてよこしてくれた。それから大事にしてる言葉なんですよ。 ――刑務所の中でも、誤解されるような問題をたくさん抱えていたんですか? 瓜田 100個ぐらい抱えてました(笑)。わかりやすい例を挙げると、刑務所の工場には、毎日2名ずつぐらい、新入りの受刑者が来ます。で、新入りがナメられたくない一心で、誰かとケンカを始めたとします。その新入りが僕と同門(のヤクザ)だった場合、僕は飛ばなくちゃならないんですよ。それが暗黙のルールなんです。
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――「飛ぶ」とは? 瓜田 この場合、「同門に加勢する」とか「同門を援護射撃する」って意味です。だから、刑期満了が近かった頃の僕は、「来るな、来るな、頼むから同門は来るな」と毎日心の中で祈ってました。そんなある日、僕を可愛がってくれてた別組織の親分から、「噂だけど、瓜ちゃんと同門のトラブルメーカーが数日後、この工場に入って来るらしい。瓜ちゃんはあと数カ月でシャバに出れるんだから、そいつがもしチンピラみたいなマネをしても、目の前の作業に集中して、いい子ちゃんでいろ。工場のみんなには俺のほうから伝えておくから」と言われたんですよ。 ――心温まる話ですね。 瓜田 ええ、非常にうれしかったんですよ。ところが、同門の受刑者が来る前日に、その親分はトラブルを起こしたのか、別の工場に移されてしまった。だから僕、工場のみんなに親分の言葉が伝わってるのかどうか、不安になって。どうか何事もないように……と祈りながら工場で作業をしてたんですが、その同門の新入りは、登場するやいなや、「なんだこの工場は、チンチクリンばっかだな」とカマシを入れて、いきなりケンカをおっ始めやがった。次の瞬間、工場にいた全員が、「あれ、瓜田は飛ばないの?」って顔で僕のことを見るんです。親分の言いつけを守って、親分との仁義を守って見て見ぬフリを続けた結果、貼られたレッテルが「芋引き」ですよ。「あいつは同門が来ても飛ばない」「自分の身が可愛いんだ」と言われ続けました。 ――ツライですね。 瓜田 その誤解を解くのが大変でした。刑務所の中は、そんなことばっか。そのたびにもどかしい思いをして、円形脱毛症ができるほど悩んでる僕を見て、中国人が「誤解には和解がある」という手紙をくれたんですよ。まぁ世の中には、「誤解されたままでいいから和解したくない」という関係もあるにはあるんですけどね(笑)。 ――それは、どういう関係でしょう? 瓜田 相手を怒らせてしまい、「誤解を解きたいので僕の話を聞いてください」と言って謝りに行く。一般の人でも、そういう場面はあると思いますが、そんなとき、「殴られることを覚悟で謝りに行く」とかってよく言うけど、それでも会いに行けるってことは、心のどこかで相手をナメてる証拠とも言えるんです。どうにか丸め込める、いざとなったら勝てる。そう踏んでるからこそ会いに行けるわけで、相手のことを心の底から恐れてたら、「誤解されたままでいいから、二度と会いたくもないし和解もしたくない」となるのが人間心理ってもんでしょう。 ――確かに。 瓜田 僕はずるくて、その心理をわかってるから、現役時代の僕に対し誤解を招くようなマネをした奴のことは、たいてい殺しかけてきました(笑)。この先、ずっと近寄って来れないように。 ――相手にそれだけの恐怖を与えた、ということですか。 瓜田 ええ。「SMAP」の話をしてたはずなのに、「PTSD」の話になってしまいましたね(笑)。すいません。 (取材・文=岡林敬太) ※瓜田純士チャンネル FRESH! by AbemaTV(フレッシュ バイ アベマティーヴィー)は現在準備中。放送開始までもうしばらくお待ちください。https://abemafresh.tv/junshi/26253 ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

「妖怪通り」が「姉系通り」へ!? 営業許可100周年を迎えた色街「飛田新地」の知られざる今

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『飛田をめざす者: 「爆買い」襲来と一〇〇年の計』(徳間書店)
「飛田新地」という名前は、近年、急速にその意味を変えつつある。かつては、写真撮影したら「刺される」なんていうウワサがまことしやかに流れ、魑魅魍魎が跋扈するエリアだった。しかし、フリーライターの井上理津子によるノンフィクション『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)の大ヒットをきっかけに、ついにNHK『探検バクモン』でテレビカメラがこの街を映し出し、ネットには遊郭の内部を隠し撮りした映像が勝手にアップロードされるなど、飛田をめぐる状況は大きく変わりつつある。  そんな飛田新地で、10年にわたって店を構えていた人物が杉坂圭介氏。これまで、長年にわたって飛田を見てきた彼が、3作目となる著書『飛田をめざす者』(徳間書店)を上梓した。「メイン」と呼ばれる通りで若い女の子専門の店を経営していた彼は、スカウトを経て、今度は熟女たちが並ぶ「妖怪通り」に舞い戻った。日本人客の減少、増える中国人観光客、そして妖怪通りの若年齢化……。今年、100周年を迎える飛田新地には、いったいどんな変化が起こっているのだろうか――。  杉坂圭介(以下、杉坂) 今回の取材は、写真撮影NGでお願いします。取材テープも、絶対に外部には漏らさないでくださいね。 ――やっぱり、飛田新地を書くのは、リスクがあるんですね……。 杉坂 バレたら、飛田出入り出来なくなってしまいます(苦笑)。飛田の裏側を描いた第1作目『飛田で生きる』(同)を出した時は、街中で「杉坂って誰や!?」と、捜索されたんですよ。 ――怖すぎます! そんなリスクを冒してまで出版された最新作『飛田をめざす者』は、中国人観光客の台頭を中心に、飛田の現在が描かれていますね。 杉坂 『飛田で生きる』で僕が見た飛田の裏側を書いたので、次は飛田で働く女の子の視点から『飛田の子』(同)を書きました。今年は、飛田が営業許可を得て100周年ということもあり、近年の中国人観光客ブームをはじめとする、飛田の今を描いているんです。 ――100周年!? そんなに古い歴史があるんですね。 杉坂 そうなんです。だから、飛田の街でも、町会ごとに垂れ幕を作って街を盛り上げています。また、私設消防団や災害用の備蓄倉庫をつくったりして、災害に強い街を目指しているんです。 ――魑魅魍魎が跋扈するイメージの強い「飛田」とは思えないほど、地域の絆が強いんですね。 杉坂 20年ほど前までは、経営者同士のケンカが絶えなかったんですが、今は仲良く、ほのぼのとやってますよ。経営者だけでなく、呼び込みのおばちゃんも参加して、消防研修やAEDの講習会が開催されていたりもしますし。 ――風俗街の話ではなく、まるで町内会の話を聞いているみたいです(笑)。 杉坂 いまだに借金のカタに取られた女性が働くというイメージが根強いんですが、そんなことはありません! 昔は大門があり、後ろは土手で逃げられない街でしたが、今はまったくオープンな街に変わっています。働く女の子たちも、借金のためではなく、自分で事業を展開するための資金稼ぎなど、明確な目標を持っている人が多いですね。元CAや、医学部生、国立大学の卒業生も飛田で働いています。 ――そ、そんな意識高い系の美女がっ!?  杉坂 それに、かつては「妖怪通り」と呼ばれ、40~50代の女性ばかりだったエリアも若返りが進み、30代の女性が多くなっています。今では「妖怪」ではなく「姉系通り」と呼ばれるようになりつつあります。20代的な若さはなくとも、サービスがいいので、若い男性でも姉系通りを使う人が増えているんですよ。 ――飛田の通りをめぐっても、地殻変動が起きているんですね。しかし、本書には、飛田にも押し寄せる不況の波が赤裸々につづられています。 杉坂 お客さんはどんどん減っていて、10~15年前の半分程度の売り上げでしょう。かつては、1店舗で月1,000万円以上を稼ぐこともざらにありましたが、今ではそんなお店は数えるほど……。風俗が多様化している一方、風俗に行かない草食男子も増えています。飛田の中でも、熾烈な生き残り合戦が勃発しています。ただし、安売りの価格競争ではなく、15分1万1,000円の基準はほとんどの店が守っています。 ――値段ではなく、質による競争ですね。 杉坂 僕の店では、中国の観光客を積極的に受け入れました。ここ2~3年、急激に中国人観光客の利用者が増えていたんです。日本の女性は、外国人から評判がいいですからね。 ――女の子たちは、外国人の接客は嫌がらないのでしょうか? 杉坂 嫌がる女の子も多いです。知り合いのお店でマナーを守らない中国人がいて、女の子が出勤拒否になったケースもあります。避妊具を外したり、無理やり襲ったり、女の子の身体にかみつくといったケースも耳にしています。 ――すごい性癖ですね(笑)。 杉坂 ここに来る中国人客には、かみつきフェチの人が多いらしいですよ(笑)。日本人はあまり思い切った行動はしませんが、外国人は、旅先ということもあり、マナーが悪いケースも一部あります。ただ、基本的には言葉の問題でギクシャクするだけで、仕事的にはほとんど問題ありません。 ――苦労のかいあって、杉坂さんは当初月200万円の売り上げだった熟女店を、わずか半年で月500万円の売り上げに導いています。ビジネスとしても、大成功ですね。 杉坂 飛田は超保守的な街で、中国人観光客に対して、組合としては取り組んでいませんでした。そういう意味では、隙間を狙いやすい街なんです。うちの場合は、おばちゃんや女の子を教育し、英語のメニューや注意事項を作りました。おばちゃんに英語をしゃべらせるのはさすがに無理ですからね(笑)。お客さんには、英語の紙を渡すだけで理解してもらえるように工夫したんです。 ――しかし、中国のバブルが終わり、爆買ブームも収束しつつあります。今後、飛田にはどのような波がやってくるのでしょうか? 杉坂 今のところ……次のブームは見えてこないですね。組合では、消防団の活動や避難訓練などで飛田の知名度を上げたり、コンサートを企画するなど、イメージの向上を目指しています。悪いイメージを払拭することで、今後に結びつけようと考えているようですね。 ――ただ、キレイな街になると、猥雑な魅力がなくなってしまうのでは……? 杉坂 好き勝手にやっていては、沖縄の真栄原や川崎の堀之内のように、摘発される危険性があるんです。あべのハルカスが誕生する頃、実際に「飛田を潰す」という話も出ていました。今後は、「飛田を残すべき」と一般の人からも言われるような街を目指していくべきでしょう。あまり知られていない話ですが、飛田は反社、半グレの人々が一切関わっていないクリーンな街なんです。 ――男性に愛される飛田新地から、地域に愛される飛田新地へ。次の100年も期待しています!

「妖怪通り」が「姉系通り」へ!? 営業許可100周年を迎えた色街「飛田新地」の知られざる今

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『飛田をめざす者: 「爆買い」襲来と一〇〇年の計』(徳間書店)
「飛田新地」という名前は、近年、急速にその意味を変えつつある。かつては、写真撮影したら「刺される」なんていうウワサがまことしやかに流れ、魑魅魍魎が跋扈するエリアだった。しかし、フリーライターの井上理津子によるノンフィクション『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)の大ヒットをきっかけに、ついにNHK『探検バクモン』でテレビカメラがこの街を映し出し、ネットには遊郭の内部を隠し撮りした映像が勝手にアップロードされるなど、飛田をめぐる状況は大きく変わりつつある。  そんな飛田新地で、10年にわたって店を構えていた人物が杉坂圭介氏。これまで、長年にわたって飛田を見てきた彼が、3作目となる著書『飛田をめざす者』(徳間書店)を上梓した。「メイン」と呼ばれる通りで若い女の子専門の店を経営していた彼は、スカウトを経て、今度は熟女たちが並ぶ「妖怪通り」に舞い戻った。日本人客の減少、増える中国人観光客、そして妖怪通りの若年齢化……。今年、100周年を迎える飛田新地には、いったいどんな変化が起こっているのだろうか――。  杉坂圭介(以下、杉坂) 今回の取材は、写真撮影NGでお願いします。取材テープも、絶対に外部には漏らさないでくださいね。 ――やっぱり、飛田新地を書くのは、リスクがあるんですね……。 杉坂 バレたら、飛田出入り出来なくなってしまいます(苦笑)。飛田の裏側を描いた第1作目『飛田で生きる』(同)を出した時は、街中で「杉坂って誰や!?」と、捜索されたんですよ。 ――怖すぎます! そんなリスクを冒してまで出版された最新作『飛田をめざす者』は、中国人観光客の台頭を中心に、飛田の現在が描かれていますね。 杉坂 『飛田で生きる』で僕が見た飛田の裏側を書いたので、次は飛田で働く女の子の視点から『飛田の子』(同)を書きました。今年は、飛田が営業許可を得て100周年ということもあり、近年の中国人観光客ブームをはじめとする、飛田の今を描いているんです。 ――100周年!? そんなに古い歴史があるんですね。 杉坂 そうなんです。だから、飛田の街でも、町会ごとに垂れ幕を作って街を盛り上げています。また、私設消防団や災害用の備蓄倉庫をつくったりして、災害に強い街を目指しているんです。 ――魑魅魍魎が跋扈するイメージの強い「飛田」とは思えないほど、地域の絆が強いんですね。 杉坂 20年ほど前までは、経営者同士のケンカが絶えなかったんですが、今は仲良く、ほのぼのとやってますよ。経営者だけでなく、呼び込みのおばちゃんも参加して、消防研修やAEDの講習会が開催されていたりもしますし。 ――風俗街の話ではなく、まるで町内会の話を聞いているみたいです(笑)。 杉坂 いまだに借金のカタに取られた女性が働くというイメージが根強いんですが、そんなことはありません! 昔は大門があり、後ろは土手で逃げられない街でしたが、今はまったくオープンな街に変わっています。働く女の子たちも、借金のためではなく、自分で事業を展開するための資金稼ぎなど、明確な目標を持っている人が多いですね。元CAや、医学部生、国立大学の卒業生も飛田で働いています。 ――そ、そんな意識高い系の美女がっ!?  杉坂 それに、かつては「妖怪通り」と呼ばれ、40~50代の女性ばかりだったエリアも若返りが進み、30代の女性が多くなっています。今では「妖怪」ではなく「姉系通り」と呼ばれるようになりつつあります。20代的な若さはなくとも、サービスがいいので、若い男性でも姉系通りを使う人が増えているんですよ。 ――飛田の通りをめぐっても、地殻変動が起きているんですね。しかし、本書には、飛田にも押し寄せる不況の波が赤裸々につづられています。 杉坂 お客さんはどんどん減っていて、10~15年前の半分程度の売り上げでしょう。かつては、1店舗で月1,000万円以上を稼ぐこともざらにありましたが、今ではそんなお店は数えるほど……。風俗が多様化している一方、風俗に行かない草食男子も増えています。飛田の中でも、熾烈な生き残り合戦が勃発しています。ただし、安売りの価格競争ではなく、15分1万1,000円の基準はほとんどの店が守っています。 ――値段ではなく、質による競争ですね。 杉坂 僕の店では、中国の観光客を積極的に受け入れました。ここ2~3年、急激に中国人観光客の利用者が増えていたんです。日本の女性は、外国人から評判がいいですからね。 ――女の子たちは、外国人の接客は嫌がらないのでしょうか? 杉坂 嫌がる女の子も多いです。知り合いのお店でマナーを守らない中国人がいて、女の子が出勤拒否になったケースもあります。避妊具を外したり、無理やり襲ったり、女の子の身体にかみつくといったケースも耳にしています。 ――すごい性癖ですね(笑)。 杉坂 ここに来る中国人客には、かみつきフェチの人が多いらしいですよ(笑)。日本人はあまり思い切った行動はしませんが、外国人は、旅先ということもあり、マナーが悪いケースも一部あります。ただ、基本的には言葉の問題でギクシャクするだけで、仕事的にはほとんど問題ありません。 ――苦労のかいあって、杉坂さんは当初月200万円の売り上げだった熟女店を、わずか半年で月500万円の売り上げに導いています。ビジネスとしても、大成功ですね。 杉坂 飛田は超保守的な街で、中国人観光客に対して、組合としては取り組んでいませんでした。そういう意味では、隙間を狙いやすい街なんです。うちの場合は、おばちゃんや女の子を教育し、英語のメニューや注意事項を作りました。おばちゃんに英語をしゃべらせるのはさすがに無理ですからね(笑)。お客さんには、英語の紙を渡すだけで理解してもらえるように工夫したんです。 ――しかし、中国のバブルが終わり、爆買ブームも収束しつつあります。今後、飛田にはどのような波がやってくるのでしょうか? 杉坂 今のところ……次のブームは見えてこないですね。組合では、消防団の活動や避難訓練などで飛田の知名度を上げたり、コンサートを企画するなど、イメージの向上を目指しています。悪いイメージを払拭することで、今後に結びつけようと考えているようですね。 ――ただ、キレイな街になると、猥雑な魅力がなくなってしまうのでは……? 杉坂 好き勝手にやっていては、沖縄の真栄原や川崎の堀之内のように、摘発される危険性があるんです。あべのハルカスが誕生する頃、実際に「飛田を潰す」という話も出ていました。今後は、「飛田を残すべき」と一般の人からも言われるような街を目指していくべきでしょう。あまり知られていない話ですが、飛田は反社、半グレの人々が一切関わっていないクリーンな街なんです。 ――男性に愛される飛田新地から、地域に愛される飛田新地へ。次の100年も期待しています!

高倉健が淹れたコーヒーは実は美味しくなかった!? 人格者ではない“昭和のスター”の人間くさい素顔

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“最後の映画スター”高倉健。これまであまり語られることがなかったが、海外からも様々な出演オファーが届いていたことが明らかになっていく。
 スクリーンの中のこの人に何度励まされたことだろう。この人の映画を観る度に、自分の抱えている悩みはとてもちっぽけなものに思えた。到底手が届かないスターとしての風格を備えながら、でも遠い親戚のような親しみやすさも感じさせた。この人がいなくなって、本当に淋しい。2014年11月10日に映画俳優・高倉健が亡くなって、もうすぐ2年になる。男女を問わず、誰もが憧れた“昭和の大スター”高倉健の魅力を検証した初のドキュメンタリー映画が『健さん』だ。『ブラック・レイン』(89)で共演したマイケル・ダグラス、長年にわたって手紙でのやりとりを重ねていたマーティン・スコセッシ監督、高倉健への憧れから『君よ憤怒の河を渉れ』(76)のオマージュ作を製作中のジョン・ウー監督ら海外のビッグネームたちに加え、実妹の森敏子さん、元付き人の西村泰治氏ら総勢20人以上がそれぞれの心の中に今も生きている高倉健について語っている。  本作を撮ったのはNY在住、写真家として活躍する日比遊一監督。俳優としてのキャリアも持つ日比監督は高倉健の大ファンだったが、生前の高倉健とは直接的な交流はなかった。言ってみれば本作は、海外在住歴の長いひとりの日本人クリエイターが、映画俳優・高倉健の中に失われつつある日本人像、日本人の美意識を見出し、その残像を追い求めたものとなっている。 日比遊一「僕が日本を出て、米国に渡ってもう30年になります。昭和から平成に変わる頃でした。ある意味、日本で暮らしている日本人以上に僕は日本人っぽいと思うことが多いんです(笑)。今の日本人は昭和の日本人の美しさを忘れかけているように、僕には思えるんです。昭和の日本人の美しさって、高倉健さんの美しさでもあるわけです。昭和を生きた男・高倉健さんのかっこよさを多くの人にきちんと伝えたいという想いから、この映画を撮ったんです」
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NYから帰国した日比遊一監督。「高倉健さんの俳優としての評価をきちんと伝えるものを残したかった」と語る。
 日比監督は名古屋出身の1964年生まれ。高倉健の代表作『昭和残侠伝』シリーズが始まったのが1965年だから、高倉健の人気が爆発した任侠映画の全盛期をリアルタイムで体感したわけではない。高校卒業後に上京し、新宿駅南口にあったヤクザ映画専門館「昭和館」などに通い、東京でひとり暮らしを始めた日比監督は唐獅子牡丹を背負った高倉健の姿に魅了されていった。 日比「高校まではずっとスポーツひと筋で過ごし、あまり映画は観たことなかった。それなのにTVドラマ『探偵物語』に主演していた松田優作さんに憧れて上京し、日活の俳優養成学校(日活芸術学院)に入ったんです。学校ではロバート・デ・ニーロ派とアル・パチーノ派に分かれて演技論が飛び交っていたけど、僕はちっとも理解できなかった(笑)。それでオールナイト上映をやっている映画館に通って、浴びるように映画を観ているうちに、高倉健さんが主演している任侠映画の大ファンになったんです。当時は新宿の昭和館の他にも、池袋や鶴見にも任侠映画を上映している映画館がありましたね」  松田優作への憧れも冷めることなく、日活の撮影所に松田優作が現われたと聞くと、「弟子にしてほしい」と本人に頼み込みに行った。このとき、弟子入りは断られたが、松田優作から掛けられた言葉が、日比監督の生涯を大きく変えることになる。 日比「優作さんに『俺がお前くらいの年齢なら、米国に渡っている』と言われ、その言葉を真に受けて、渡米したんです。若気の至りってやつですね(笑)。すぐには英語が話せなかったので苦労しました。そんなとき、日本から持ってきた高倉健さんの主演映画をビデオで見たり、健さんが書いた本を読むことで元気をもらっていたんです。健さんは僕にとってバイブルみたいな存在なんです」  この頃、日比さんが観ていた映画は、『昭和残侠伝』シリーズや『網走番外地』(65)に『冬の華』(78年)といった硬派な作品。映画の中で懸命に耐える健さんに励まされながら、日比監督は一本気な性格のまま米国で根を降ろすことに。 日比「俳優として渡米したものの、ハリウッドでもNYでもなかなか仕事はなく、日本と米国を行き来していました。『波止場』(54)や『エデンの東』(55)を撮ったエリア・カザン監督が第2回東京国際映画祭のゲストで来場していたことから、下手なりに懸命に自分の想いを綴った手紙を送ったところ、カザン監督はとても親切な人で、『米国に来たら訪ねて来い』と返事をくれたんです。それで本当にお邪魔して、3カ月間ほど自宅に居候させてもらい、いろんなことを学ばせてもらった。しかもアクターズ・スタジオの共同設立者ロバート・ルイスを紹介してもらい、彼に弟子入りして7年間ほどアクターズ・スタジオで勉強させてもらったんです。その間、デニス・ホッパーに僕が撮った写真を褒められたこともあって、写真も撮り続けていたら今では写真家としての稼ぎのほうが多くなりました(笑)。でも、写真はあくまでも映画を撮るための絵コンテの勉強のつもりで、自分からは写真家と名乗ったことはない。映画への憧れはずっと変わらず持ち続けたんです」
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マーティン・スコセッシ監督は高倉健と手紙を交わす仲だった。遠藤周作原作『Silence』への出演を打診していたことを打ち明ける。
■高倉健は本当は器用な俳優だった!  米国で山あり谷ありの人生を歩んできた日比監督。そんな日比監督は高倉健の佇まいの美しさだけでなく、日本人としてのブレのなさにも魅力を感じている。その一例としてハリウッド映画『ブラック・レイン』を挙げた。 日比「松田優作さんが出演していることもあって、『ブラック・レイン』の撮影現場には何度か足を運んだんです。遠くから見ていただけで、撮影が終わってから優作さんと少し話したりはできましたけどね。完成した『ブラック・レイン』には感激して、劇場で10回は観ましたね。健さんがソバをすするシーンがあるんですが、健さんはズルズルと音を立てながら食べるんです。日本人って外国人の前では『音を立てて麺類を食べるのは恥ずかしい』と思いがちだけど、健さんは『ソバは音を立てて食べるもんだよ』と日本人のスタイルを変えなかった。ハリウッド映画だからといって、変えてしまうと日本の文化のひとつがなくなってしまうわけです。健さんは日本人のスタイルを守り、日本人はかっこいいんだということを海外にも伝えていたように思うんです」  撮影現場の待ち時間は椅子に腰掛けることがなかったなど、高倉健の人格者としての逸話は有名だが、本作ではこれまであまり語られることのなかった意外な素顔を伝えている。東映時代の高倉健はいつも寝坊して、撮影現場に遅れて現われることが多かった。また同じく東映出身で共演する機会が多かった八名信夫は、高倉健が淹れたコーヒーを「美味しくなかった。ミルクや砂糖を入れようとすると怒られた」と打ち明ける。意外と疑り深い性格だったことも触れられる。 日比「マイケル・ムーア監督の突撃インタビューみたいなスタイルではないので、スキャンダルを暴くという狙いのものではありません。かといって健さんのことを聖人君子として語っても面白くない。健さんの意外な一面や人間くさいエピソードを盛り込んでいますが、それでも尚かつ健さんのことが好きになってしまうはずです。取材をしながら、健さんは自分が思っていた以上の高みにいた人だったんだなと感じさせられることが多々ありましたね」
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高倉健に憧れ続けたジョン・ウー監督。『ミッション:インポッシブル2』(00)のトム・クルーズは高倉健のイメージで演出した。
 写真家の立木義浩氏は「車を出た瞬間から高倉健を演じていた」と語る一方、降旗康男監督は「高倉健という看板を掲げていたが、『俺は小田剛一だ』という想いが彼の俳優としての成り立ちだったように思う」とコメントする。高倉健の海外でのマネージメントを担当していた阿部丈之氏は「俳優・高倉健と本名の小田剛一との二面を持ち、周りの人によって使い分けていた」と振り返る。様々な高倉健像が語られ、実に興味深い。 日比「『不器用ですから』というCMの影響で高倉健さんのことを不器用な人と思った人も少なくないようですが、健さんはとても器用な人です。不器用を演じられるほど器用だった。晩年は寡黙なキャラクターを演じることが多くなったけれど、『網走番外地』などはものすごい量の台詞をしゃべっています。あれだけの台詞をうまくコントロールしながら演技ができる俳優って、今の若手俳優ではそうそういない。ひとりの人間はいろんな面を持っているように、健さんも様々な面を持っていたと思います。そういうところも含めて、健さんは僕にとってのアイドル。憧れのアイドル(偶像)を持つのは、とてもいいことだと思うんです。アイドルに少しでも近づこうと頑張るわけじゃないですか。今はAKB48みたいに手の届くアイドルが人気なんでしょうけど、健さんは僕がどれだけ頑張っても手が届かない永遠のアイドルなんです。40歳の若さで亡くなった松田優作さんもそうだけど、昭和って時代にはこんなにかっこいい男たちが日本にはいたんだぞ、と若い人たちに伝えたいんです」  このドキュメンタリー映画を見終わった人は、きっとこう叫びたくなるだろう。「健さん!」と。高倉健は今もスクリーンの中に、そしてファンの心の中に生き続けている。 (取材・文=長野辰次/撮影=尾藤能暢)
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『健さん』 監督/日比遊一 出演/マイケル・ダグラス、ポール・シュレイダー、ヤン・デ・ボン、ユ・オソン、チューリン、ジョン・ウー、マーティン・スコセッシ、阿部丈之・真子、石山希哲・英代、今津勝幸、梅宮辰夫、遠藤努、老川祥一、川本三郎、佐々木隆之、澤島忠、関根忠郎、立木義浩、中野良子、西村泰治、降旗康男、森敏子、八名信夫、山下義明、山田洋次、中井貴一(語り) 配給/レスペ 8月20日(土)より渋谷シネパレス、新宿K’s cinemaほかロードショー (c)2016 Team“KEN SAN” http://respect-film.co.jp/kensan
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●ひび・ゆういち 1964年愛知県名古屋出身、NY在住。フォトグラファーとして活躍する一方、映画監督として写真家ロバート・フランクのドキュメンタリー『A Weekend with Mr. Frank』を製作。2013年には長編プロジェクト『ROAD KILL』がカンヌ映画祭アトリエ部門に米国代表として招待された。現在、コンスタンチン・スタニスラフスキーの“メソッド”を探るドキュメンタリー『Method or Madness ?』を製作中。

「あんなのは売れない」とバカにされた! 悔しくて泣いた! だけど「今、見に来い!」暗黒系アイドルNECRONOMIDOLが見つめる地平線

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 去る6月30日。東京は恵比寿のライブハウス、リキッドルームに多くのアイドルファンが詰めかけた。いまだ熱冷めやらぬアイドルブームの中で、独自の路線で注目を集める“暗黒系”アイドルグループ、NECRONOMIDOL(ネクロノマイドル 以下、ネクロ魔)の4度目のワンマンライブが開催された。  ライブが始まると、メンバーの指先まで気持ちの入ったパフォーマンスに圧倒された。会場を煽るメンバーと、それに応えようとするファンの応酬が熱気を作っている。この日が結成からちょうど2年ということで、すさまじいほどの気迫を感じた。  リキッドルームでライブを行ったアイドルを数多く見てきたが、ネクロ魔はその中でも指折りに入るだろう。心を鷲掴みにされるような高揚感とともに、目の前で繰り広げられる光景に終始釘付けになった。  ネクロ魔は、Jホラーやブラックメタルなどをコンセプトに掲げ「あなたの息の根止めちゃうぞ!」をキャッチフレーズに、14年に結成。すでに海外進出を果たし、現在タイでの公演真っ最中、そして今秋には国内4カ所を回るツアーを控えている。  活動初期は、「あんなのは売れない」とファンからバカにされ、不遇の時代を過ごしたというが、このたび4度目のワンマンライブにたどり着いた。一体、彼女たちの2年間はどんなものだったのだろう? 「今、見に来い!」と、怪気炎を上げるネクロ魔に話を聞いた。
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瑳里。普段は頬に相棒の蜘蛛がいるが、インタビューの直前にあったライブで舞台で迷子になりましたとのこと。
――ワンマンライブお疲れさまでした! 今回のワンマンをどんなふうに捉えていますか? 瑳里(さり 以下、瑳里) メンバー5人がライブを終えて、はけるときの顔を一人ひとり観察していたんですけど、やっぱりちょっと、大成功というわけではなさそうな表情で、今自分たちができる最高のパフォーマンスをしたのは明らかで、そういう意味では成功なんですけど“踏み台”っていう感じのワンマンに仕上がったかなと思っています。 ――通過点だと。 瑳里 通過点。 柿崎李咲(かきざきりさき 以下、柿崎) 満足はしなかったよね。 九十九ほたる(つくもほたる 以下、九十九) やっとここからスタートだなっていう感じで。今、まさにスタートラインっていう感じ。
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柿崎李咲
――ライブをフロアの後ろの方で見ていたんですけど、ネクロ魔さんのライブっていろんな髪色のお客さんがいますよね(笑)。ライブを終えた気持ちを教えてください。 柿崎 なんだろ……動員とかそういう、目先のことにとらわれなくなって、より良いライブを5人でしたいっていう。人が集まらなくなったらどうしようってちっぽけな心配はあんまりなくて、のびのびやれるようになってきたかなって。次のワンマンライブをすぐにしたかったんですけど、特に予定がないので、今までと違うところを磨く機会なのかなって思ってます。 九十九 はい。なんか……4回目は、ちゃんと練習しました。 瑳里 前回までは、用意されたステージをただこなすだけだったなあと思っていて。今回は意識の芽生え方が多少変わって、終わったときに全然満足していなくて。こんなものかって言ったらダメなんですけど、今自分たちにできる精いっぱいをやっても、まだここまでのレベルなんだって、すごくプラスな感想なんですけど。もっと上を目指せるんだなってことを実感しました。 久坂華恋(くさかかれん 以下、久坂) 私はダンスがすごい苦手なので、覚えるのに必死になって。リキッドルームでのワンマンもやっぱり、ベストなパフォーマンスをしたかったけど、自分だけできてないのがすごく嫌で。頑張らなきゃなって思って、挑んだワンマンです。 夜露ひな(よつゆひな 以下、夜露) 今回のワンマンは、気持ちがすごい入り込んでしまったのか、全部……あの、記憶がなくて。やりきった感はあるんですけど、本当はもっとできたはずなのにって思うところが、たくさんあって。でも、記憶が全部飛んじゃうくらいのライブをしたのが初めてだったんで、そういう意味では、今私にできるライブをしたのかなって思いました。 ――瑳里さんは「芽が出るのが遅く、取り残されている気分だった」と告白していましたね。ライブを終えて気持ちは変わりました? 瑳里 本当に芽が出るのが遅くて。同期のアイドルさんに全員抜かれて。すごい泣いていたんですよ、みんなで、本当に悔しいって。私たちは芽が出るのが遅かったけど、確実にやってきたものがあるから、今こうして上に立てているんだなっていう。他のアイドルさんを見下しているとかそういう意味ではなくて、「確実にやってきた結果がこれだ!」っていうのはありましたね。
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九十九ほたる
――「お客さんにあんなのは売れないよって馬鹿にされた」とTwitterに書いていましたけど、その空気が変わったなと感じたのは、やっぱりこの5人になったときですかね? 柿崎 そうですね。この5人になる前から、「売れないよ」って言われても、「いや、売れるし。売れるから、あなたは見る目ないね」ぐらいにムカってなってたんですけど、言ってた人に「今、見に来い!」って言いたいです。今見ろと。 ――そういう人って戻ってきます? 柿崎 ……戻ってこないんじゃないんですかね(笑)。 ――九十九さんは14年末に加入で、今回のワンマンで「この5人でやっていくんだ!」という気持ちになりましたか? 九十九 瑳里ちゃんとおかきちゃん(柿崎)と私の3人でいたころから、切磋琢磨というか意識が高くて、そこで5人になって、遠征とかがいっぱいあって。私はそこで、この5人だなっていうのを、うん。簡単に一言「やめます」でやめられる環境じゃないなっていう……はい、そうです。 ――3人の時期があって、15年5月に久坂さんと夜露さんが加入します。 夜露 私はメンバーの子たちを尊敬して見ていて、オーディションで新メンバーになったんですけど。入りたてのときは、尊敬してる人たちみたいな感じで接してて。そこで、「もともといたメンバーと新しく入ってきた私」みたいのが、ずっとすごいあって。それだと私が加入した理由がないなって思ったので、そこに気づいてからは、尊敬してるアイドルの人たちの中に私が入ったというのではなくて、仲間なんだということを考えだして、そこからちゃんと意見を言えるようになったし、私も輪に入っていけるようになりました。ふふふ。 柿崎 え……! ――夜露さんのそういった気持ちは、他のメンバーは感じ取っていたんですか? 夜露 たぶん、感じさせないようにしてた。 柿崎 最初からフレンドリーな感じで。華恋ちゃんは、すごい礼儀正しくて。「あっ! はい! わかりました」みたいな感じで、敬語じゃなくていいよって言っても敬語が抜けなかったんですけど、ひなはいきなりタメ語で話してきたから(笑)。この子ちょっと変わってるなって、私は思ってました。距離の詰め方とか。実はそうだったんだって、今知りました。 夜露 今、初めて言いました(笑)。
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夜露ひな
――久坂さんは、どう考えていたんですか? 久坂 私は売れるためには手段を選ばなくていいかなって。(16年1月ごろに)新メンバーを入れるかもって話になって、みんなは反対してたんですよ。でも、私は売れるためだったらそれもいいかもって、私だけすごい主張してて。みんな「え? なんで?」ってなってて、「売れるためならよくない?」って、そういう思考にまでなって。でもやっぱり、この5人じゃないと降り出しに戻っちゃうんだろうなって、みんなでそういう話になったときに、私は、この5人で頑張ろうって素直に思えた。絶対にこの5人じゃないと嫌だって思ったのは、その時期です。 ――なるほど。6人目の新メンバーの件が、大きな出来事だったんですね。 柿崎 本当に入れたくなかったよね。 瑳里 入れたくなかった。 久坂 うちだけ賛同してたよね。「橋本環奈みたいな子が入ればいいじゃん!」って、わけわからないこと言ってた。普通に言ってたのがヤバいなって。今、1人誰かが入るっていうのが考えられない。 柿崎 こっちからしたらすごい失礼な話だし、今までさえない時期も頑張って耐えてきたのに、いきなりその子をセンターにしますみたいな感じだったから、「はぁ!?」ってなって、そんなの私がやりたかったネクロ魔じゃないってすごく思ったし、すごくつまんなかったです。本当にそれが実現しそうな流れだったんで、「くそ! やめてやる!」って思っていました。 ――橋本環奈は、万能な感じしますもんね(笑)。 瑳里 でも、そんな……ねえ(笑)。 九十九 入ってきたら、絶対裏でいじめてやめさせると思う(笑)。
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久坂華恋
――国内ツアーに向けて、一言ください! 久坂 全国ツアーは、いつも遠征で行ってるところも行くし、仙台とかは初めてなんで、東京で発信してるから、東京のファンも多いけど、地方の方とかに知っていただけるチャンスだし……ん? 何言っているんだ? ヤバい! あ……。意気込みだよね? 全国ツアー初めてだから、うん。頑張っていきたいです! ……ごめんなさーい!(笑) 九十九 ツアーをやるよって言われたときに、「わー! バンドマンみたいだ」って思って。自分バンドマンみたいじゃないかって思ったんで、うれしいです。 夜露 今までいろんなところに遠征したんですけど、“ネクロ魔全国ツアー”という旗を引っ提げて、全国を回るのは初めてなので「今、見ろよ」という気持ち。「今見ないで、いつ見るんだ」という気持ちです。 柿崎 ネクロ魔が行ったことない土地の人たちが「ネクロ魔来るんだ」って、すごい楽しみにしてくれていて、普段東京に来れない人のところにもネクロ魔を届けるのがすごい楽しみ。9月30日に仙台に行くんですけど、その流れで恐山でオフ会をしようってことになってしまって。私、青森出身なんで「恐山でオフ会ってバカじゃねぇの」って言いつつも、ちょっとうれしくて。ネクロ魔で青森に踏み込めるのがうれしいです。 瑳里 日本のオタクが一番大切というか、土台としていてくれるっていうのが本当に自信なので、そういう「日本ありがとう」っていう意味で、日本を大切にしている感じが伝わるのかしらって、全国ツアーを大切にしていきたいです。なんか、全部地図帳を全部ポンって。 柿崎 塗りつぶしたい! (取材・文=早川さとし/撮影・後藤秀二) ●ねくろのまいどる 2014年結成。Jホラー、ブラックメタルなどをコンセントとする5人組アイドルグループ。積極的に海外などでも公演。6月にはグループ史上最大の規模のワンマンライブを敢行。 Twitter @NECRONOMIDOL

オナホはどこまで進化する? エスワン女優小島みなみが世間を騒がす最新オナホに仰天!

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 オナホに定評のあるアダルトグッズメーカーのトイズハートから大好評のセブンティーンシリーズ第5弾「セブンティーンボルドーソフト」が発売された。プルプル肌に近いリアル過ぎる入れ心地を追求した同シリーズの最高傑作とも呼べる一品で、ふわふわ・とろとろの柔らか素材や二層構造ホールが他社メーカーのオナホとは比べ物にならないぐらいの“本物感”を実現。そのハメ心地のよさで巷の話題をさらっているという。  このオナホの真価を確かめるべく、オナホに誰よりも理解があるという、エスワン女優の小島みなみちゃんが登場! 本商品の魅力をしっかりと堪能してもらった上で、三ツ星評価で本商品を査定。巷のウワサが本物かどうか“女の目線”から確かめてもらった。
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──障り心地はどうですか? 小島 きもちい~。肌に吸い付く感じ。 ──とにかく人肌に近いということで話題になっているみたいです。 小島 近いと思います。これをずっと男の人がずっと装着したままだと、どうなっちゃうんだろう(笑)。 ──ずっとはさすがにムレると思いますよ(笑)。 小島 でも形状は維持できそう。これだけ柔らかいと形状維持が難しそう。 ──大事に使えば結構長く持つみたいですよ。保存方法は「陽の当たらないところで常温で」とメーカーさんがおっしゃっていました。形状維持の仕方も「優しくを心がけて」とのことです。 小島 女の子を扱うようにってことですね。それにしてもこれすごいです。ぎゅっと握ったあと、くっつく感じ。モチモチ。 ──空気を押し出す感じで握って離すと、より吸い付く感が楽しめるみたいです。 小島 (商品を伸ばして)うわ~。すごい~! お餅みたい(笑)。こんなに柔らかいんだ。
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──硬いより柔らかいほうが気持ちいいよねっていう人が好んで使っているらしくて、トイズハートさんの商品の中でも人気はダントツのようです。 小島 入口もすごくリアルに作ってある(笑)。柔らかいから、指を入れると包み込まれている感がすごくありますね。(中をめくって)内側は色がついているんですね。
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──いいところに気付きましたね。それがこの商品の特徴のひとつである二重構造だそうです。この構造なので、裏返して洗浄するのは避けてほしいそうですが、ただ色を変えているだけではないです。外側と内側の質感を変えることで、入ったときに少し抵抗があるように計算されているんです。 小島 すご~い! わたしがこれを使って男の人にやってあげたい(笑)。 ──小島さんがこれでご奉仕するなら、どんなふうにしますか? 小島 わたしは手でしてあげるのが得意なんです。最初から激しくするよりは、最初は優しく。入る瞬間をまず楽しんでもらいたいんですよ。だからゆっくり入った~みたいな感じでやって、そこからの、手首を返す感じでトルネードさせてやるのがわたしのやり方。これでもそれができますね(笑)。 ──同時にみなみちゃんのそのアニメ声で言葉攻めも加えると、男はイチコロですね。 小島 言葉攻めは実は苦手なんです(笑)。普段はSになかなかなれない自分がいて(笑)。でも、これを相手の部屋で発見してという展開なら、相手の弱みを少し握っちゃった感じ。優位な立場に立って、言葉攻めもしやすくなるかも。 ──さっき手でしてあげるのが得意とおっしゃいましたけど、プライベートのときも手で攻めるというのは結構やるんですか? 小島 そうですね。口より手のほうが多いかも。わたしのトルネード、すごいですよ(笑)。 ──その顔でトルネードされると男はたまりません(笑)。 小島 それにしてもこの中、奥がすごいですね。先端を刺激する仕掛けがちゃんとあるんですね。気持ち良さそう。女の子でもわかりますよ。 ──入る瞬間から入った後まで計算されているんですね。 小島 入る瞬間って大事ですよね。この人と合う合わないがわかる瞬間でもあるんです。大事です。やっと味わえるじゃないですけど、入る瞬間の感動が絶対にあると思います。 ──入る瞬間というのは、女の子にとってもすごく重要そうですね。 小島 女の子も入る瞬間はすごく気持ちがいいんです。めりめり感じゃないけど、あ~入ってきたぁって感じがあって。 ──柔らかさ以外に、何か気になるところはありますか? 小島 温度かな。ずっとやっていると自分の体温で温まるので、より生っぽくなります。冷たい環境ってプロの男優さんでも萎えちゃうことがあるので、温かさは重要なんです。工夫ひとつでより生っぽい感じが楽しめますね。あと、こういうのって、種類が違うのをいくつか買ったら、一人で3P体験もできますね(笑)。 ──強者だとそういう方もいるでしょうね(笑)。ちょっと話がそれるんですけど、撮影中に男優さんが萎えるとやっぱりショックですか? 女優の立場から見ると、それは失礼ってことになったりもするんでしょうか? 小島 失礼とは思わないけど……「ちゃんと仕事して!」って、「何しに来たの」って感じじゃないですか。おじさん男優さんが相手だと、確かにそういうこともあるんですけど(笑)。 ──おじさん男優さんと若い男優さんだと、正直どっちがいいんですか? 小島 つい最近撮ったのは、おじさん男優が相手だったんですけど、おじさんのほうがちょうどいい力加減を持っているなって思いました。絶妙な触り方。歳を気にしなければ、おじさんいいなって女の子ならちょっと思うと思いますよ。 ──さて、いろいろ堪能していただいたと思うので、改めて三ツ星評価をお願いします。 小島 モチモチで添い寝したくなるので、わたしは大好き。星三つかな~。いろいろ手の力加減で長く楽しめそうな感じもよさそう。自分好みの力加減で遊べるという。男の人用のグッズがこんなに素晴らしいとなんだか嫉妬しちゃいます。女の子向けのもぜひこれくらい工夫して欲しいです。今あるディルドはただの棒という感じ。こんなに触感も気持ち良くない。ディルドにもこういう肉感のあるものを作って欲しいな~。 (取材・文=名鹿祥史)

オナホはどこまで進化する? エスワン女優小島みなみが世間を騒がす最新オナホに仰天!

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 オナホに定評のあるアダルトグッズメーカーのトイズハートから大好評のセブンティーンシリーズ第5弾「セブンティーンボルドーソフト」が発売された。プルプル肌に近いリアル過ぎる入れ心地を追求した同シリーズの最高傑作とも呼べる一品で、ふわふわ・とろとろの柔らか素材や二層構造ホールが他社メーカーのオナホとは比べ物にならないぐらいの“本物感”を実現。そのハメ心地のよさで巷の話題をさらっているという。  このオナホの真価を確かめるべく、オナホに誰よりも理解があるという、エスワン女優の小島みなみちゃんが登場! 本商品の魅力をしっかりと堪能してもらった上で、三ツ星評価で本商品を査定。巷のウワサが本物かどうか“女の目線”から確かめてもらった。
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──障り心地はどうですか? 小島 きもちい~。肌に吸い付く感じ。 ──とにかく人肌に近いということで話題になっているみたいです。 小島 近いと思います。これをずっと男の人がずっと装着したままだと、どうなっちゃうんだろう(笑)。 ──ずっとはさすがにムレると思いますよ(笑)。 小島 でも形状は維持できそう。これだけ柔らかいと形状維持が難しそう。 ──大事に使えば結構長く持つみたいですよ。保存方法は「陽の当たらないところで常温で」とメーカーさんがおっしゃっていました。形状維持の仕方も「優しくを心がけて」とのことです。 小島 女の子を扱うようにってことですね。それにしてもこれすごいです。ぎゅっと握ったあと、くっつく感じ。モチモチ。 ──空気を押し出す感じで握って離すと、より吸い付く感が楽しめるみたいです。 小島 (商品を伸ばして)うわ~。すごい~! お餅みたい(笑)。こんなに柔らかいんだ。
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──硬いより柔らかいほうが気持ちいいよねっていう人が好んで使っているらしくて、トイズハートさんの商品の中でも人気はダントツのようです。 小島 入口もすごくリアルに作ってある(笑)。柔らかいから、指を入れると包み込まれている感がすごくありますね。(中をめくって)内側は色がついているんですね。
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──いいところに気付きましたね。それがこの商品の特徴のひとつである二重構造だそうです。この構造なので、裏返して洗浄するのは避けてほしいそうですが、ただ色を変えているだけではないです。外側と内側の質感を変えることで、入ったときに少し抵抗があるように計算されているんです。 小島 すご~い! わたしがこれを使って男の人にやってあげたい(笑)。 ──小島さんがこれでご奉仕するなら、どんなふうにしますか? 小島 わたしは手でしてあげるのが得意なんです。最初から激しくするよりは、最初は優しく。入る瞬間をまず楽しんでもらいたいんですよ。だからゆっくり入った~みたいな感じでやって、そこからの、手首を返す感じでトルネードさせてやるのがわたしのやり方。これでもそれができますね(笑)。 ──同時にみなみちゃんのそのアニメ声で言葉攻めも加えると、男はイチコロですね。 小島 言葉攻めは実は苦手なんです(笑)。普段はSになかなかなれない自分がいて(笑)。でも、これを相手の部屋で発見してという展開なら、相手の弱みを少し握っちゃった感じ。優位な立場に立って、言葉攻めもしやすくなるかも。 ──さっき手でしてあげるのが得意とおっしゃいましたけど、プライベートのときも手で攻めるというのは結構やるんですか? 小島 そうですね。口より手のほうが多いかも。わたしのトルネード、すごいですよ(笑)。 ──その顔でトルネードされると男はたまりません(笑)。 小島 それにしてもこの中、奥がすごいですね。先端を刺激する仕掛けがちゃんとあるんですね。気持ち良さそう。女の子でもわかりますよ。 ──入る瞬間から入った後まで計算されているんですね。 小島 入る瞬間って大事ですよね。この人と合う合わないがわかる瞬間でもあるんです。大事です。やっと味わえるじゃないですけど、入る瞬間の感動が絶対にあると思います。 ──入る瞬間というのは、女の子にとってもすごく重要そうですね。 小島 女の子も入る瞬間はすごく気持ちがいいんです。めりめり感じゃないけど、あ~入ってきたぁって感じがあって。 ──柔らかさ以外に、何か気になるところはありますか? 小島 温度かな。ずっとやっていると自分の体温で温まるので、より生っぽくなります。冷たい環境ってプロの男優さんでも萎えちゃうことがあるので、温かさは重要なんです。工夫ひとつでより生っぽい感じが楽しめますね。あと、こういうのって、種類が違うのをいくつか買ったら、一人で3P体験もできますね(笑)。 ──強者だとそういう方もいるでしょうね(笑)。ちょっと話がそれるんですけど、撮影中に男優さんが萎えるとやっぱりショックですか? 女優の立場から見ると、それは失礼ってことになったりもするんでしょうか? 小島 失礼とは思わないけど……「ちゃんと仕事して!」って、「何しに来たの」って感じじゃないですか。おじさん男優さんが相手だと、確かにそういうこともあるんですけど(笑)。 ──おじさん男優さんと若い男優さんだと、正直どっちがいいんですか? 小島 つい最近撮ったのは、おじさん男優が相手だったんですけど、おじさんのほうがちょうどいい力加減を持っているなって思いました。絶妙な触り方。歳を気にしなければ、おじさんいいなって女の子ならちょっと思うと思いますよ。 ──さて、いろいろ堪能していただいたと思うので、改めて三ツ星評価をお願いします。 小島 モチモチで添い寝したくなるので、わたしは大好き。星三つかな~。いろいろ手の力加減で長く楽しめそうな感じもよさそう。自分好みの力加減で遊べるという。男の人用のグッズがこんなに素晴らしいとなんだか嫉妬しちゃいます。女の子向けのもぜひこれくらい工夫して欲しいです。今あるディルドはただの棒という感じ。こんなに触感も気持ち良くない。ディルドにもこういう肉感のあるものを作って欲しいな~。 (取材・文=名鹿祥史)