「女は穴だと思っていた……」“元アウトローのカリスマ”瓜田純士、4度目の結婚で改心したワケ

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 独身男性の7割、独身女性の6割は恋人がおらず、独身者の6割が休日はインドア派といわれる現代ニッポン。モテない男女や出会いがない男女は、一体どうすれば結婚できるのか? そもそも結婚って、する価値があるのか? これまで4度の結婚を経験している“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)に、意見を聞いた。  * * * ――国立社会保障・人口問題研究所が今年、18~34歳の独身者を対象に行った調査によると、男性の69.8%、女性の59.1%は交際相手がいないそうです。これは過去最多の数字だとか。ちなみに、このうち男女とも約3割は「交際を望んでいない」と回答したそうです。 瓜田純士(以下/純士) ってことは、残りの約7割は、「恋人が欲しいけど見つからない」という状態ですよね。そっちの原因なら、今田耕司や岡村隆史を見れば答えが出ますよ。あれだけ人気者で金持ちなのに相手がいないっていうのは、結局は理想が高過ぎるんでしょう。誰でもいいなら誰かいる。一般人の独身男性も同じです。現実問題、駅の売店でクロレッツを売ってるようなおばちゃんとか、近所の中華料理屋の娘とか、誰でもいいんだったら、相手は見つかる。絶対いるんです。でも「そういう身近過ぎる人はちょっと……」と、多くの連中が思ってる。そんな奴らに限って、初音ミクとかのバーチャルな存在に恋しちゃってるんじゃないでしょうか。 ――ルックス的な問題で、恋愛や結婚をできない人もいるのでは? 純士 それだって、ダイエットしたり、千円カットをやめて美容院に行ったり、店員のアドバイスに従ってオシャレな服を買ったりして自分を磨けば、その人なりにある程度はモテるようになりますよ。自分らの親の世代を見てみてくださいよ。どんな人でも結婚してません? どんな不細工なサラリーマンでも、どんなデブッチョなおばさんでも、お見合いとかして若いうちに結婚して、「ウチの旦那は安月給」とか「ウチの嫁は家で寝転がって煎餅ばっか食ってる」とか悪口言い合いながらも夫婦生活を送ってるじゃないですか。今それが減ったのは、どいつもこいつも理想が高過ぎるからですよ。 ――なぜ理想が高くなったのでしょう? 純士 ネットなどの情報量が多過ぎて、目が肥えちゃったのかな。好きなアイドルの顔を拝むのだって、昔はテレビの前にかじりついて、月に一度の雑誌を買って、テレカを買って、時にはサイン会に並んだりして大変だったけど、今はSNSで毎日新しい表情を見れるわけだし、Twitterを見れば活動状況もわかる。 ――動かずして最新情報を続々とゲットできますからね。 純士 ええ。パソコン1台で好みの女子の動画や画像を、好きなときに好きなだけ、ほぼ無料で独占できちゃうわけです。それに比べて、リアル社会はどうなのか? 友達から「あの子はないだろ」とからかわれそうなクオリティーの、いわゆる「中の下」の子たちを、わざわざお金を出して映画館や焼肉屋に連れて行くかっていったら、アホくさく思えてしまう。「その間、家でパソコンしよう」となっちゃうんでしょう。 ――実際、シチズン社が先ごろ発表した独身男女の生態調査によると、「休日の過ごし方」で最多の6割を占めたのが、「1人で家で過ごす」という回答。休日にやりたいことを問うと、「睡眠」「ネット」「テレビ・DVD」など家の中での行為が上位でした。 純士 そりゃ出会いもないわな、って感じですね。結婚願望もないのかな? ――ところが、冒頭でも紹介した国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、「いずれ結婚するつもり」と考えている独身者は男女とも9割弱いるらしいです。 純士 本人も行き詰まって、親も死にかけて、「死ぬ前に孫の顔を見たい」と言われてから仕方なく身を固めようって腹なんでしょう。それまでは自由にさせてくれ、と。 ――結婚に魅力を感じない人が多いのかも。 純士 俺も「結婚の幸せ」を感じるようになったのは、今の嫁と一緒になってからですよ。最近、自分が変わっていく姿を見て思うんですが、独身とか恋人がいない時期の自分は、自分のためだけに生きていた。だから欲しいものを好きなだけ買えたし、今日は2軒目に行かないで帰ろうとか、今日は朝まで飲もうとかも自分の都合だけで決められました。だけど相手がいると、なんにつけてもまずは「相手のため」を考える。その中で自分の生き甲斐を見つけていくっていうのが結婚生活です。自分のために生きるんじゃなく、相手のために生きていく。そう腹をくくれないと、結婚は難しい。「自分が自分が」と思ってるうちは、無理ですね。
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――奥様も同感ですか? 瓜田麗子(以下/麗子) 私も昔は「自分が自分が」という性格だったんですが、おじゅん(夫の愛称)と出会ってからは、自分の欲は捨ててでも、彼をサポートする側に回ろうと思うようになりました。 純士 見るも夢も、欲しいものも、目標も、2人一緒になってくるんですよ。 ――瓜田さんは、結婚を4回もしていますよね? 純士 俺、一応は元アウトローですよ。アウトローが1回しか髪を染めたことがない。そんなわけないじゃないですか。アウトローなのに、街を歩いてる最中にケンカを売られた経験が1回しかない。そんなわけもない。はっきり言ってこの顔で、前科1犯じゃ笑われますよ。そういうことです。結婚も4回ぐらいやっとけば一応、アウトローとしてのハクがつくのかな、と。 ――とんでもない結婚観ですね。 純士 今思うと最初の3回は、相手のことをちゃんと考えずに結婚した。すべては自分の演出のためでした。相手にはものすごく可哀想なことをしましたね。「腹減ったから牛丼を食べる」という感覚で一緒になって、お腹いっぱいになったら「ハイさよなら」ですから。そいつらの人生なんてどうでもいいと思ってたからこそ、そういうことができたんでしょう。 ――そんなこと言って大丈夫ですか? 純士 大丈夫です。あいつらもわかってるはずです。でも今は相手を思って一緒になってるんで。今の嫁は、過去のマネキンたちとは格が違うんです。 ――マネキン? 純士 昔は、相手を人間と思ってなかった。好きとか嫌いとか以前に、相手に対する感情が全然入ってなかったんですよ。あの当時は男の人間関係のほうが大事だったから、男同士の付き合いを女に邪魔されようもんなら、その瞬間、「天からケツまで俺とお前は違うのに、対等な口きくんじゃねえ!」と腹が立って、チャカで弾きたくなったんです。 ――聞けば聞くほど、尋常じゃないですね。 純士 そんなことを繰り返してきたから、自分は安らぎや本当の恋愛とは一生無縁なんだろうと思ってました。女と付き合うと最後は必ず「てめえこの野郎!」となっちゃう。病的でしたからからね、俺の短気は。 麗子 昔のおじゅんは、女心をまったくわかってなかったしな。 純士 こんなこと言ったらさらに顰蹙を買うでしょうけど、以前は女なんて、ただの「穴」だと思ってましたから。歩く穴。ウォーキング・ホールですよ。俺は自分のお袋を尊敬してきたので、「お袋に堂々と会わせられるような相手以外は女として見ちゃいけない」という思いがあって。口にこそ出しませんでしたが、昔は女と付き合ってる最中、「お袋に会わせたくないな。ってことは、お前は穴だな。穴はとっととシャワー浴びて帰れよ」と内心思うことが多かったんです。 ――なぜそこまで女性を軽蔑していたのでしょう? 純士 俺がただの最低野郎だから……っていうより、少年期からトラブルが多過ぎて人間不信になっていたのが大きいですね。女は大抵うたう(密告する)し裏切るんで、冷めた目で見ちゃってました。内側を見せたくないし内側に入れたくない。恋愛ごっこもたまにはしたけど、俺はいつでも仮面をかぶった状態。女が寄ってくると、すべてがハニートラップに思えちゃう。気が抜けない。勘ぐってピリピリしちゃうんです。 ――男同士の人間関係は当時、どうだったのでしょう? 純士 男同士の世界なら、裏切られたら「この野郎!」とやり返すこともできるし、裏切ったほうも怯えてガラをかわすハメになるじゃないですか。でも女は違う。寝返り打ったり、誰かにペラ打ったりしても、翌日にはシレッと自分の生活を送ることができる。痛い目に遭わないと思って、余裕かましてるんですよ。俺はそれがイヤで、クソッタレと思ってました。 麗子 私と付き合い始めのころも、おじゅんは全然心を開いてくれなくて、横を並んで歩くことも許してくれへんかったな。後ろを歩け、と。デート中に手を繋ぐなんて、とんでもない。恥ずかしいから絶対にダメだって。 純士 当時の俺は頭の中で、「なんでこの関西の女は俺がタバコを切らしてるのにストックを持ってないんだ?」ぐらいに思ってましたからね。で、ある日、彼女から言われたんです。「純士の考える恋愛関係は『親分と若い衆』であって、男と女じゃない」と(笑)。俺はそれを聞いて、「あれ? 俺ってそんなに変?」と少しずつ反省し始めた感じですかね。 麗子 あのころのおじゅんは、ホンマにどうかしてたわ! 純士 で、そのあと結婚してから一度だけ、彼女に手を出して怖がらせてしまったことがあって。それをやらかしてから、俺の中で確実に何かが変わりましたね。本当にすまないことをしたと反省し、その日から「責任を取らなきゃ。こいつと一緒の墓に入るんだ」という覚悟が決まり、生まれて初めて女と二人三脚になれた。以来、口ゲンカはたまにあるけど、暴力は一度もないですね。「怖いからさよなら」と言わずに、彼女は逃げずについてきてくれた。だから俺もその気持ちに応えて、まともな人間になるべく、努力するようになりました。で、こうして今も2人で一緒にいるから、ほとんど「戦友」みたいな感覚ですね。彼女とだけは、深い絆的なものを感じるんですよ。 ――奥様は殴られたとき、逃げることを考えなかったんですか? 麗子 足腰強いほうなんで、あの程度じゃ逃げないですね。私、後悔する人生がイヤなんですよ。この人と縁あって結婚したからには、やれることは全部やって、後悔だけはしないようにしたい、と。その結果、「どうしてもお前とは無理」と言われたなら仕方がないけど、そうじゃないなら、諦めたくないんです。 ――根性が据わっていますね。 純士 ほとんど任侠の世界ですよ。われわれ夫婦の物差しは一致していて、「一番格好いい生き方ってなんだろう?」ってことを最重視するんです。基本、2人とも格好つけなんで、考え方も行動も、全部が格好いいと言われたいんですよ。 麗子 私を殴ったのは格好悪いで! 純士 まぁまぁまぁ……。で、格好良さを目指した結果、必然的に駄目な部分や無駄な部分が削ぎ落とされて、結果的に、ここ(と言って妻を指差す)だけが見えていればいい、という境地にたどり着いた。それが真人間になれた理由ですかね。格好良くなかったんですよ、昔の俺は。結婚を繰り返したり、自分のためだけに生きたり。ハンパもんでしたよ、かつての俺は。 ――結婚したくてもできない人たちは、どうしたら瓜田夫妻のように運命的なパートナーを見つけられるのでしょう? 純士 それは出会いたくても出会えない。でも、出会うときには出会うもんです。もっと真面目なことを言えば、これまでそういう人と何度も出会っていたはずなのに、みんな無視しちゃってるんじゃないでしょうか。で、「モテない」と嘆いてるのかも。モテる奴はそういうところに気が利くから、女のサインを無視しません。「あ、あの子、たぶん俺に気があるから傘を忘れていったな」とかね。勘違いを含め、いちいち相手にするから釣れるんです。でも鈍感な奴は「なんだあの女、傘忘れていきやがった。バカだな」で終わっちゃう。その違いです。やろうと思えば、ゆきずりの女に時間を聞いて、ついでにLINEを交換して、そこから結婚に持ち込むことなんて余裕なんです。恋人が欲しいなら、日常の些細なチャンスに敏感になってください。 ――ズバリ、結婚はオススメですか? 純士 オススメです。自分はこんな美人な嫁がいて言うのもなんですが、相手は無難な線でいいから、生涯を一緒に歩める異性がいたほうがいい。妥協してでも、その相手を作ったほうがいいです。 ――その心は? 純士 俺は男の気持ちしかわからないので、ノンケの独身男性に言いますが、今はそうは思わなくても、いつの日か必ず、安らげる場所が欲しくなるはず。そして、安らぎを与えてくれる真の理解者はやっぱり、同性ではなく異性なんです。自分の愚痴を聞いてくれるような、黙って帰って来ても気持ちを理解してくれて、ご飯の支度をしてくれるような異性のパートナーがいたほうが、男は、右にも左にも方向が定まります。 ――方向が定まる、とは? 純士 フラフラせずに生きられる、という意味です。  * * *  4度目の結婚を機に、酒もタバコもケンカもやめて、作家業に勤しむ瓜田の言葉。世の独身者の心に、どう響いただろうか。 (取材・文=岡林敬太) ※瓜田純士&麗子 Instagram https://www.instagram.com/junshi.reiko/ ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

「女は穴だと思っていた……」“元アウトローのカリスマ”瓜田純士、4度目の結婚で改心したワケ

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 独身男性の7割、独身女性の6割は恋人がおらず、独身者の6割が休日はインドア派といわれる現代ニッポン。モテない男女や出会いがない男女は、一体どうすれば結婚できるのか? そもそも結婚って、する価値があるのか? これまで4度の結婚を経験している“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)に、意見を聞いた。  * * * ――国立社会保障・人口問題研究所が今年、18~34歳の独身者を対象に行った調査によると、男性の69.8%、女性の59.1%は交際相手がいないそうです。これは過去最多の数字だとか。ちなみに、このうち男女とも約3割は「交際を望んでいない」と回答したそうです。 瓜田純士(以下/純士) ってことは、残りの約7割は、「恋人が欲しいけど見つからない」という状態ですよね。そっちの原因なら、今田耕司や岡村隆史を見れば答えが出ますよ。あれだけ人気者で金持ちなのに相手がいないっていうのは、結局は理想が高過ぎるんでしょう。誰でもいいなら誰かいる。一般人の独身男性も同じです。現実問題、駅の売店でクロレッツを売ってるようなおばちゃんとか、近所の中華料理屋の娘とか、誰でもいいんだったら、相手は見つかる。絶対いるんです。でも「そういう身近過ぎる人はちょっと……」と、多くの連中が思ってる。そんな奴らに限って、初音ミクとかのバーチャルな存在に恋しちゃってるんじゃないでしょうか。 ――ルックス的な問題で、恋愛や結婚をできない人もいるのでは? 純士 それだって、ダイエットしたり、千円カットをやめて美容院に行ったり、店員のアドバイスに従ってオシャレな服を買ったりして自分を磨けば、その人なりにある程度はモテるようになりますよ。自分らの親の世代を見てみてくださいよ。どんな人でも結婚してません? どんな不細工なサラリーマンでも、どんなデブッチョなおばさんでも、お見合いとかして若いうちに結婚して、「ウチの旦那は安月給」とか「ウチの嫁は家で寝転がって煎餅ばっか食ってる」とか悪口言い合いながらも夫婦生活を送ってるじゃないですか。今それが減ったのは、どいつもこいつも理想が高過ぎるからですよ。 ――なぜ理想が高くなったのでしょう? 純士 ネットなどの情報量が多過ぎて、目が肥えちゃったのかな。好きなアイドルの顔を拝むのだって、昔はテレビの前にかじりついて、月に一度の雑誌を買って、テレカを買って、時にはサイン会に並んだりして大変だったけど、今はSNSで毎日新しい表情を見れるわけだし、Twitterを見れば活動状況もわかる。 ――動かずして最新情報を続々とゲットできますからね。 純士 ええ。パソコン1台で好みの女子の動画や画像を、好きなときに好きなだけ、ほぼ無料で独占できちゃうわけです。それに比べて、リアル社会はどうなのか? 友達から「あの子はないだろ」とからかわれそうなクオリティーの、いわゆる「中の下」の子たちを、わざわざお金を出して映画館や焼肉屋に連れて行くかっていったら、アホくさく思えてしまう。「その間、家でパソコンしよう」となっちゃうんでしょう。 ――実際、シチズン社が先ごろ発表した独身男女の生態調査によると、「休日の過ごし方」で最多の6割を占めたのが、「1人で家で過ごす」という回答。休日にやりたいことを問うと、「睡眠」「ネット」「テレビ・DVD」など家の中での行為が上位でした。 純士 そりゃ出会いもないわな、って感じですね。結婚願望もないのかな? ――ところが、冒頭でも紹介した国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、「いずれ結婚するつもり」と考えている独身者は男女とも9割弱いるらしいです。 純士 本人も行き詰まって、親も死にかけて、「死ぬ前に孫の顔を見たい」と言われてから仕方なく身を固めようって腹なんでしょう。それまでは自由にさせてくれ、と。 ――結婚に魅力を感じない人が多いのかも。 純士 俺も「結婚の幸せ」を感じるようになったのは、今の嫁と一緒になってからですよ。最近、自分が変わっていく姿を見て思うんですが、独身とか恋人がいない時期の自分は、自分のためだけに生きていた。だから欲しいものを好きなだけ買えたし、今日は2軒目に行かないで帰ろうとか、今日は朝まで飲もうとかも自分の都合だけで決められました。だけど相手がいると、なんにつけてもまずは「相手のため」を考える。その中で自分の生き甲斐を見つけていくっていうのが結婚生活です。自分のために生きるんじゃなく、相手のために生きていく。そう腹をくくれないと、結婚は難しい。「自分が自分が」と思ってるうちは、無理ですね。
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――奥様も同感ですか? 瓜田麗子(以下/麗子) 私も昔は「自分が自分が」という性格だったんですが、おじゅん(夫の愛称)と出会ってからは、自分の欲は捨ててでも、彼をサポートする側に回ろうと思うようになりました。 純士 見るも夢も、欲しいものも、目標も、2人一緒になってくるんですよ。 ――瓜田さんは、結婚を4回もしていますよね? 純士 俺、一応は元アウトローですよ。アウトローが1回しか髪を染めたことがない。そんなわけないじゃないですか。アウトローなのに、街を歩いてる最中にケンカを売られた経験が1回しかない。そんなわけもない。はっきり言ってこの顔で、前科1犯じゃ笑われますよ。そういうことです。結婚も4回ぐらいやっとけば一応、アウトローとしてのハクがつくのかな、と。 ――とんでもない結婚観ですね。 純士 今思うと最初の3回は、相手のことをちゃんと考えずに結婚した。すべては自分の演出のためでした。相手にはものすごく可哀想なことをしましたね。「腹減ったから牛丼を食べる」という感覚で一緒になって、お腹いっぱいになったら「ハイさよなら」ですから。そいつらの人生なんてどうでもいいと思ってたからこそ、そういうことができたんでしょう。 ――そんなこと言って大丈夫ですか? 純士 大丈夫です。あいつらもわかってるはずです。でも今は相手を思って一緒になってるんで。今の嫁は、過去のマネキンたちとは格が違うんです。 ――マネキン? 純士 昔は、相手を人間と思ってなかった。好きとか嫌いとか以前に、相手に対する感情が全然入ってなかったんですよ。あの当時は男の人間関係のほうが大事だったから、男同士の付き合いを女に邪魔されようもんなら、その瞬間、「天からケツまで俺とお前は違うのに、対等な口きくんじゃねえ!」と腹が立って、チャカで弾きたくなったんです。 ――聞けば聞くほど、尋常じゃないですね。 純士 そんなことを繰り返してきたから、自分は安らぎや本当の恋愛とは一生無縁なんだろうと思ってました。女と付き合うと最後は必ず「てめえこの野郎!」となっちゃう。病的でしたからからね、俺の短気は。 麗子 昔のおじゅんは、女心をまったくわかってなかったしな。 純士 こんなこと言ったらさらに顰蹙を買うでしょうけど、以前は女なんて、ただの「穴」だと思ってましたから。歩く穴。ウォーキング・ホールですよ。俺は自分のお袋を尊敬してきたので、「お袋に堂々と会わせられるような相手以外は女として見ちゃいけない」という思いがあって。口にこそ出しませんでしたが、昔は女と付き合ってる最中、「お袋に会わせたくないな。ってことは、お前は穴だな。穴はとっととシャワー浴びて帰れよ」と内心思うことが多かったんです。 ――なぜそこまで女性を軽蔑していたのでしょう? 純士 俺がただの最低野郎だから……っていうより、少年期からトラブルが多過ぎて人間不信になっていたのが大きいですね。女は大抵うたう(密告する)し裏切るんで、冷めた目で見ちゃってました。内側を見せたくないし内側に入れたくない。恋愛ごっこもたまにはしたけど、俺はいつでも仮面をかぶった状態。女が寄ってくると、すべてがハニートラップに思えちゃう。気が抜けない。勘ぐってピリピリしちゃうんです。 ――男同士の人間関係は当時、どうだったのでしょう? 純士 男同士の世界なら、裏切られたら「この野郎!」とやり返すこともできるし、裏切ったほうも怯えてガラをかわすハメになるじゃないですか。でも女は違う。寝返り打ったり、誰かにペラ打ったりしても、翌日にはシレッと自分の生活を送ることができる。痛い目に遭わないと思って、余裕かましてるんですよ。俺はそれがイヤで、クソッタレと思ってました。 麗子 私と付き合い始めのころも、おじゅんは全然心を開いてくれなくて、横を並んで歩くことも許してくれへんかったな。後ろを歩け、と。デート中に手を繋ぐなんて、とんでもない。恥ずかしいから絶対にダメだって。 純士 当時の俺は頭の中で、「なんでこの関西の女は俺がタバコを切らしてるのにストックを持ってないんだ?」ぐらいに思ってましたからね。で、ある日、彼女から言われたんです。「純士の考える恋愛関係は『親分と若い衆』であって、男と女じゃない」と(笑)。俺はそれを聞いて、「あれ? 俺ってそんなに変?」と少しずつ反省し始めた感じですかね。 麗子 あのころのおじゅんは、ホンマにどうかしてたわ! 純士 で、そのあと結婚してから一度だけ、彼女に手を出して怖がらせてしまったことがあって。それをやらかしてから、俺の中で確実に何かが変わりましたね。本当にすまないことをしたと反省し、その日から「責任を取らなきゃ。こいつと一緒の墓に入るんだ」という覚悟が決まり、生まれて初めて女と二人三脚になれた。以来、口ゲンカはたまにあるけど、暴力は一度もないですね。「怖いからさよなら」と言わずに、彼女は逃げずについてきてくれた。だから俺もその気持ちに応えて、まともな人間になるべく、努力するようになりました。で、こうして今も2人で一緒にいるから、ほとんど「戦友」みたいな感覚ですね。彼女とだけは、深い絆的なものを感じるんですよ。 ――奥様は殴られたとき、逃げることを考えなかったんですか? 麗子 足腰強いほうなんで、あの程度じゃ逃げないですね。私、後悔する人生がイヤなんですよ。この人と縁あって結婚したからには、やれることは全部やって、後悔だけはしないようにしたい、と。その結果、「どうしてもお前とは無理」と言われたなら仕方がないけど、そうじゃないなら、諦めたくないんです。 ――根性が据わっていますね。 純士 ほとんど任侠の世界ですよ。われわれ夫婦の物差しは一致していて、「一番格好いい生き方ってなんだろう?」ってことを最重視するんです。基本、2人とも格好つけなんで、考え方も行動も、全部が格好いいと言われたいんですよ。 麗子 私を殴ったのは格好悪いで! 純士 まぁまぁまぁ……。で、格好良さを目指した結果、必然的に駄目な部分や無駄な部分が削ぎ落とされて、結果的に、ここ(と言って妻を指差す)だけが見えていればいい、という境地にたどり着いた。それが真人間になれた理由ですかね。格好良くなかったんですよ、昔の俺は。結婚を繰り返したり、自分のためだけに生きたり。ハンパもんでしたよ、かつての俺は。 ――結婚したくてもできない人たちは、どうしたら瓜田夫妻のように運命的なパートナーを見つけられるのでしょう? 純士 それは出会いたくても出会えない。でも、出会うときには出会うもんです。もっと真面目なことを言えば、これまでそういう人と何度も出会っていたはずなのに、みんな無視しちゃってるんじゃないでしょうか。で、「モテない」と嘆いてるのかも。モテる奴はそういうところに気が利くから、女のサインを無視しません。「あ、あの子、たぶん俺に気があるから傘を忘れていったな」とかね。勘違いを含め、いちいち相手にするから釣れるんです。でも鈍感な奴は「なんだあの女、傘忘れていきやがった。バカだな」で終わっちゃう。その違いです。やろうと思えば、ゆきずりの女に時間を聞いて、ついでにLINEを交換して、そこから結婚に持ち込むことなんて余裕なんです。恋人が欲しいなら、日常の些細なチャンスに敏感になってください。 ――ズバリ、結婚はオススメですか? 純士 オススメです。自分はこんな美人な嫁がいて言うのもなんですが、相手は無難な線でいいから、生涯を一緒に歩める異性がいたほうがいい。妥協してでも、その相手を作ったほうがいいです。 ――その心は? 純士 俺は男の気持ちしかわからないので、ノンケの独身男性に言いますが、今はそうは思わなくても、いつの日か必ず、安らげる場所が欲しくなるはず。そして、安らぎを与えてくれる真の理解者はやっぱり、同性ではなく異性なんです。自分の愚痴を聞いてくれるような、黙って帰って来ても気持ちを理解してくれて、ご飯の支度をしてくれるような異性のパートナーがいたほうが、男は、右にも左にも方向が定まります。 ――方向が定まる、とは? 純士 フラフラせずに生きられる、という意味です。  * * *  4度目の結婚を機に、酒もタバコもケンカもやめて、作家業に勤しむ瓜田の言葉。世の独身者の心に、どう響いただろうか。 (取材・文=岡林敬太) ※瓜田純士&麗子 Instagram https://www.instagram.com/junshi.reiko/ ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

「キャンタマンクラッカー」でブレーク間近! ルシファー吉岡が追求し続ける、“パンティ”の果てなき可能性

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撮影=尾藤能暢
 R-1ぐらんぷり決勝での“キャンタマンクラッカー”、そして『アメトーーク!』(テレビ朝日系)「パクりたい-1グランプリ」での“ゲンコツ山のタヌキさん”……秀逸なフレーズと圧倒的バカバカしさで、現在お笑い界を席巻しているルシファー吉岡。理系院卒の脱サラ芸人という異色の経歴を持つ彼は、いかにして「下ネタの帝王」の座へとたどり着いたのか? 会社員・吉岡大輔が、ピン芸人ルシファー吉岡になるまでの道のりを訊く。 *** ――こうして取材させていただくと、ルシファーさんのネタの「インタビュー」をすごく思い出しちゃいます。 ルシファー吉岡(以下、ルシファー) 「インタビュー」……あ、ああ、あの露出狂のネタですね。 ――露出狂じゃないです。“露出シャン”です。 ルシファー 半分忘れてましたよ(笑)。 ――大好きで、あのネタ。ルシファーさんのネタの斬新さは、やはりその変わった経歴もひとつの要因だったりするのでしょうか? もともとメーカーにお勤めだったとか。 ルシファー メーカーではないんですよ。正確にはメーカーの下請けなんですが、。東京モーターショーに出品する車、いわゆるコンセプトカーをキレイに見せるライト、そのライトを……。 ――ライトを作っていたんですか! ルシファー いや、そのライトを操作するリモコンの、そのリモコンの内部にある回路を作っていました。 ――細かい。そしてバリバリの理系。 ルシファー 一応、大学院まで出ているので。そんなにいい大学ではないんですけど。 ――理系の大学院まで行って芸人になる方って、あまりいらっしゃらないんじゃないですか? ルシファー 確かに、院まで行って就職してから芸人っていうのは、珍しいかもしれないですね。だって普通、大学院に進学するって、そういうことじゃないですか。その道で頑張るんだろうって。 ――ご両親も、そのつもりだったでしょうね。 ルシファー でも、芸人になりたいっていうのは、18くらいから言ってたんですよ。上京してすぐ「芸人になる」って親に連絡して。親は「東京出て浮かれたのはわかるんだけど、一回落ち着け」と。たぶん僕が「大学院行く」って言った時点で、安心したと思うんですよ。それで、就職も決まって「やっと肩の荷も下りたな」っていうところで、「会社辞めて芸人になる」と電話で伝えたんで。 ――それはショック……。 ルシファー 「会社辞めて芸人になるわ」の「わ」くらいのタイミングで、母親が「ウワーーーーン」って泣きだしました(笑)。あんなに人が早く泣くの、初めて経験した。 ――大学院行った、就職もした、そして「芸人」ですからね……。 ルシファー 「マジかーーーい」だったんでしょう(笑)。しばらく泣いて、その後は20分くらいずっとののしられて。泣き終わったら、腹立ってきたんでしょうね(笑)。 ――なんかわかります、お母さまの気持ち。 ルシファー 「アンタなんか、全然面白くないんだから!!」って。
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■毎日やってくる「昼休み」に耐えられなくて…… ――上京してご両親に「芸人になる」って伝えてから、実は気持ちはずっと変わっていなかったんですね。 ルシファー 変わってなかったっていうと、ちょっと違うかなぁ。コンビを組もうって誘っていた人がいて、その人が大学卒業間際に「やっぱり就職する」って言いだしたんですよ。だから僕も「じゃあやめよう」って思った。お笑いといえば、コンビだと思ってたから。でも就職してから、毎朝7時に起きて、12時くらいに昼飯食って、ちょっと残業して……そういう生活が続くと「また昼休みかーーーい」って思うようになってきたんです。また昼が来て、ごはん食べて、ちょっとデスクでウトウトして、それが「またかーーい、また来んのかーーい」って、耐えられなくなってきた。 ――毎日来ちゃいますもんね、昼休み。 ルシファー 本当にね、驚くことに毎日やってくる、昼休み。それがイヤになっちゃって、たぶん向いてなかったんだと思います。サラリーマンに。 ――お勤めされてた期間は、どれくらい? ルシファー 10カ月ですね。初年度の社員がもらうボーナスまがいみたいなやつだけ頂いて、辞めました。 ――思い切りましたね……。いざ会社を辞めて、それからどうやって芸人の道にアプローチしたんですか? ルシファー その時28歳ですから、いい大人だったんで、今のお笑いの世界だったら養成所行って……みたいな頭はありました。ただいかんせん貯蓄もしてなかったので、授業料安いところにしか行けない。それで、マセキのスクールに通いました。10万円だったんですよ! ――良心価格!! ルシファー 当時のマセキのスクールって、スクールというよりは講座って感じだったんですよ。本当にお笑いやりたい人もいるんですけど、「自分のコミュニティで主導権を取りたいから」みたいな人もいるんです。主婦が井戸端会議でウケたいから来てるとか。女子高に通っている性的マイノリティの女の子が、「これから社会に立ち向かっていくために、強い自分になりたいから」とか。駆け込み寺ですよ。すごい人間交差点。 ――目的が、いろいろですね。 ルシファー しかも、いきなりネタ見せの授業。というか、ネタ見せの授業しかなかった。最初は作家の先生がくすりともしない、箸にも棒にもかかんない状態でした。マセキのスクールは基本3カ月で、それが終わると、普通は更新の打診をされるんですけど、自分にはそれもなくて。「あれ? 全然ダメじゃん?」って。ウケたい主婦とか自分を変えたい女子高生とかしかいない中で、芸人志望の自分まったくダメじゃん、と。あの頃が精神的に一番つらかったかもしれない。会社も辞めちゃったし、引き返せないし。俺はとんでもないことをしてしまった。才能全然ないじゃん! お母さん、お母さんの言う通りだったよ!  ――その状況から、どうやって復活したんですか? ルシファー スクールには、こっちから連絡しました。それでまた3カ月通って、そこで相当気合いれてネタ作って研究もして、やっとですね。 ――あきらめない気持ち……! ルシファー あきらめるわけにいかないんですよ(笑)。お母さんの顔がすげぇ浮かんできたし。うちのお母さん、僕が小学校卒業するくらいまで、寝る前によく本を読んでくれてたんです。読み聞かせ。そういうお母さんの顔が浮かんできた。 ――お母さま……本当にいいお母さまですね。読み聞かせすると子どもの想像力が広がるって言いますけど、本当にそうなんですね。 ルシファー 変な方向に広がりましたけど(笑)。 ――読み聞かせによる想像力が功を奏して、現在「下ネタの帝王」という異名を取るまでになったと……。あのルシファースタイルは、初めから確立されていたのですか?
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■ミスチルの歌に感化されて ルシファー そんな異名取ってるんですか(笑)。でも「下ネタ作ろう」って強く思っているわけじゃないんですよ。ただ作るネタを振り返ってみると、8割下ネタになっているという。最初に作ったネタが「エレベーターでうんこを漏らす」っていうやつだったんですよ。そう考えると、やっぱ初めからですね。 ――憧れていた芸人さんは、いらっしゃったんですか? ルシファー 小さい頃はダウンタウンさんが好きで、だからコンビやりたいっていう気持ちがありました。それを断念して「また昼休みかーーい」くらいの時期にバカリズムさんや劇団ひとりさんを見て、それまで一人で芸人やるっていう選択肢はなかったのが「一人でも、こんなに面白いことができるんだ」って思った。あとその当時、ミスチルの歌を聴いてたのがよくなかったのかな。やっぱり、メッセージ性強いじゃないですか、ミスチル。 ――なんていう歌ですか? ルシファー ポカリスエットのCMで綾瀬はるかさんが出てたやつ。あぁ「未来」ですね。「生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって」って、それがド直球にキてしまった。 ――歌の力ってすごい。 ルシファー ただこういう話って、この場だとバカバカしいですけど、字面になったとき「こいつマジか」ってなりません?  ――「自分、つらかった時期にミスチル聴いて……」みたいな。 ルシファー それが怖いんですよね。完全に痛いヤツじゃないですか。 ――でも、大丈夫だと思います。その前の話が「エレベーターでうんこ漏らしたネタ」ですから。 ルシファー 逆に、こいつミスチルの何に心打たれたんだっていう(笑)。 ――ルシファーさんは会社員から芸人さんになったわけですけど、サラリーマンと芸人さんの一番の違いって、どんなところにあると思いますか? ルシファー そうですね。それを語れるのも、きっと芸人としてサラリーマン時代くらい稼げてからだと思うんですけど、一番は営業行って10分くらいのネタやって数万円もらった時ですかね。それこそ「10分でかーーーい」ってなる。サラリーマンだったら、いくつの昼休みを越えなきゃいけないんだろうって。 ――基準は、とにかく「昼休み」(笑)。 ルシファー あとやっぱり個人事業主なので、全部自分でやらなきゃいけない。もちろん事務所に所属しているので、マネジャーさんにいろいろ助けてもらって初めて成り立つ世界ですけど、ネタも含め、自分で作って自分でプロデュースしていかなきゃいけない難しさと楽しさはありますよね。 ――やりがいがあるということですね。自分次第で、どうにでもなる。 ルシファー だから、よくよく考えたら、エロいネタやる必要もなかったわけですけどね(笑)。 ■“母なる大地”マセキ芸能社 ――「なんの保障がない」っていう怖さはないですか? ルシファー それも、最近はあまり感じなくなりましたね。よく「35歳までは転職できる」とかいうじゃないですか。本当は35歳までにある程度結果出して、やめるなり続けるなり決めようと思ってました。ハローワークで仕事紹介してもらいやすい年齢までで、区切りつけようと。でも、やっていくうちにだんだん楽しくなったし、結果も出てきて、そんなことも気にしないまま37歳になっちゃった。今は37でやめても、42でやめても、そんな違いはないだろうと。どうせ、つぶしは利かないし。 ――しかし、また入った事務所がマセキ芸能という……。勝手なイメージですけど、マセキさんはすべてを包み込む、母なる大地のような印象があります。 ルシファー 確かに(笑)。本当に、いい事務所だと思います。芸人の中でも人気が高い、「移籍するならマセキ」と言われるくらい。でも、もともとマセキって、下ネタOKの事務所ではないんですよ。それを「まぁ、お前はいいよ」って、そこを潰さないでくれたことは本当に感謝しています。 ――ルシファーさんの下ネタって、絶妙なところを突いてきますよね。どことなく品があって。下ネタって、そのラインが難しいと思うんです。 ルシファー 露出狂のネタに、品もへったくれもないと思うんですけど(笑)。 ――理系ならではの下ネタの構成力とか、あるのでしょうか? ルシファー そんなの「はい、あるんですよ」とか自分で言いづらいでしょう。ほらまた、字面になったとき、調子こいた感じになるやつ! ――(笑)。いやでも、昨今特に、下ネタについてはいろいろうるさいじゃないですか。 ルシファー 本当にバカバカしいやつもありますし、テレビじゃできないやつも。僕もちょうどいいのなんて全然わからなくて、数打ってちょうどいいところに飛んだやつを、テレビの人が見つけてくれるっていうだけなんですよ。ただSNSとかで批判されるのはいいんですけど、賞レースなんかで「下ネタはちょっと……」って言われると、やるせない気持ちになったりはしますね。面白ければいいじゃんって気持ちはあるんで。 ――確かに。 ルシファー 別に下品なものが好きなわけじゃなくて、バカバカしいことが好きなんですよ。“キャンタマンクラッカー”とか、まさにそうで。あれ小学生のいたずらだし、最終的にカワイイじゃないですか。 ■「カワイイ」って思われたい! ――“キャンタマンクラッカー”は、どうやって生まれたんですか? ルシファー あれは“キャンタマンクラッカー”だけ最初に決めてネタ書きだしました。 ――なかなか普通に生きていて、“キャンタマンクラッカー”って言葉思いつかないですよ。 ルシファー そりゃそうですよ。女子は絶対思いつかない(笑)。 ――でも“キャンタマンクラッカー”って言葉にすると、すごく楽しくて平和な気分になります。ルシファーさんのネタってそうですよね、「平和」感じますよね。 ルシファー ……大丈夫ですか? 疲れてます?(笑) ――最後にルシファーさんの「未来」、“果てしない未来”について伺ってもいいですか? ルシファー ネタ作るの好きだし、やるのも好きなので、単独ライブはずっとやっていきたいなと思ってます。あと意外と体張れるので、芸人さんがたくさん出るような、そういう番組にも呼んでほしい。 ――マセキ芸能伝統の。 ルシファー あと「カワイイ」って思われたい。売れてる人って、みんなカワイイですよね。僕、割としっかりして見られがちというか、「かわいげがない」ってなりがちなんで、今後は「カワイイ」を出していきたいです(笑)。 ――12月23日には単独ライブも開催されます。 ルシファー 「PROMOTION」というタイトルなので、お客さん、そしていやらしい話関係者の人にも、いいプロモーションがしたいです。下ネタに限らず、いろんなタイプのネタをしたいと思っています。下世話な内容に似つかわしくない、オシャレさも出しつつ。最近「まだエロいネタって作れるんだな」っていうのを、しみじみ感じてるんですよ。一体「パンティ」だけでいくつネタ作るんだ、「お尻」だけで……って、そういうところにも注目してほしい。 ――パンティの可能性、ハンパないですね。 ルシファー やつスゴイですよね。下ネタは、まだ死んじゃいない。 (取材・文=西澤千央) ●ルシファー吉岡単独ライブ『PROMOTION』 <開催日時> 2016年12月23日(金祝)/18:30開場 19:00開演 <料金> 前売3,000円(全席指定席)/当日3,500円 <会場> 赤坂RED/THEATER(東京都港区赤坂3-10-9 赤坂グランベルホテルB2F) TEL.03-5575-3474(公演日のみ) <チケット> ローソンチケットにて発売中 Lコード:34391 TEL.0570-084-003 (自動音声24時間対応・Lコード必要) TEL.0570-000-407 (オペレーター対応 10時~20時)

「キャンタマンクラッカー」でブレーク間近! ルシファー吉岡が追求し続ける、“パンティ”の果てなき可能性

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撮影=尾藤能暢
 R-1ぐらんぷり決勝での“キャンタマンクラッカー”、そして『アメトーーク!』(テレビ朝日系)「パクりたい-1グランプリ」での“ゲンコツ山のタヌキさん”……秀逸なフレーズと圧倒的バカバカしさで、現在お笑い界を席巻しているルシファー吉岡。理系院卒の脱サラ芸人という異色の経歴を持つ彼は、いかにして「下ネタの帝王」の座へとたどり着いたのか? 会社員・吉岡大輔が、ピン芸人ルシファー吉岡になるまでの道のりを訊く。 *** ――こうして取材させていただくと、ルシファーさんのネタの「インタビュー」をすごく思い出しちゃいます。 ルシファー吉岡(以下、ルシファー) 「インタビュー」……あ、ああ、あの露出狂のネタですね。 ――露出狂じゃないです。“露出シャン”です。 ルシファー 半分忘れてましたよ(笑)。 ――大好きで、あのネタ。ルシファーさんのネタの斬新さは、やはりその変わった経歴もひとつの要因だったりするのでしょうか? もともとメーカーにお勤めだったとか。 ルシファー メーカーではないんですよ。正確にはメーカーの下請けなんですが、。東京モーターショーに出品する車、いわゆるコンセプトカーをキレイに見せるライト、そのライトを……。 ――ライトを作っていたんですか! ルシファー いや、そのライトを操作するリモコンの、そのリモコンの内部にある回路を作っていました。 ――細かい。そしてバリバリの理系。 ルシファー 一応、大学院まで出ているので。そんなにいい大学ではないんですけど。 ――理系の大学院まで行って芸人になる方って、あまりいらっしゃらないんじゃないですか? ルシファー 確かに、院まで行って就職してから芸人っていうのは、珍しいかもしれないですね。だって普通、大学院に進学するって、そういうことじゃないですか。その道で頑張るんだろうって。 ――ご両親も、そのつもりだったでしょうね。 ルシファー でも、芸人になりたいっていうのは、18くらいから言ってたんですよ。上京してすぐ「芸人になる」って親に連絡して。親は「東京出て浮かれたのはわかるんだけど、一回落ち着け」と。たぶん僕が「大学院行く」って言った時点で、安心したと思うんですよ。それで、就職も決まって「やっと肩の荷も下りたな」っていうところで、「会社辞めて芸人になる」と電話で伝えたんで。 ――それはショック……。 ルシファー 「会社辞めて芸人になるわ」の「わ」くらいのタイミングで、母親が「ウワーーーーン」って泣きだしました(笑)。あんなに人が早く泣くの、初めて経験した。 ――大学院行った、就職もした、そして「芸人」ですからね……。 ルシファー 「マジかーーーい」だったんでしょう(笑)。しばらく泣いて、その後は20分くらいずっとののしられて。泣き終わったら、腹立ってきたんでしょうね(笑)。 ――なんかわかります、お母さまの気持ち。 ルシファー 「アンタなんか、全然面白くないんだから!!」って。
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■毎日やってくる「昼休み」に耐えられなくて…… ――上京してご両親に「芸人になる」って伝えてから、実は気持ちはずっと変わっていなかったんですね。 ルシファー 変わってなかったっていうと、ちょっと違うかなぁ。コンビを組もうって誘っていた人がいて、その人が大学卒業間際に「やっぱり就職する」って言いだしたんですよ。だから僕も「じゃあやめよう」って思った。お笑いといえば、コンビだと思ってたから。でも就職してから、毎朝7時に起きて、12時くらいに昼飯食って、ちょっと残業して……そういう生活が続くと「また昼休みかーーーい」って思うようになってきたんです。また昼が来て、ごはん食べて、ちょっとデスクでウトウトして、それが「またかーーい、また来んのかーーい」って、耐えられなくなってきた。 ――毎日来ちゃいますもんね、昼休み。 ルシファー 本当にね、驚くことに毎日やってくる、昼休み。それがイヤになっちゃって、たぶん向いてなかったんだと思います。サラリーマンに。 ――お勤めされてた期間は、どれくらい? ルシファー 10カ月ですね。初年度の社員がもらうボーナスまがいみたいなやつだけ頂いて、辞めました。 ――思い切りましたね……。いざ会社を辞めて、それからどうやって芸人の道にアプローチしたんですか? ルシファー その時28歳ですから、いい大人だったんで、今のお笑いの世界だったら養成所行って……みたいな頭はありました。ただいかんせん貯蓄もしてなかったので、授業料安いところにしか行けない。それで、マセキのスクールに通いました。10万円だったんですよ! ――良心価格!! ルシファー 当時のマセキのスクールって、スクールというよりは講座って感じだったんですよ。本当にお笑いやりたい人もいるんですけど、「自分のコミュニティで主導権を取りたいから」みたいな人もいるんです。主婦が井戸端会議でウケたいから来てるとか。女子高に通っている性的マイノリティの女の子が、「これから社会に立ち向かっていくために、強い自分になりたいから」とか。駆け込み寺ですよ。すごい人間交差点。 ――目的が、いろいろですね。 ルシファー しかも、いきなりネタ見せの授業。というか、ネタ見せの授業しかなかった。最初は作家の先生がくすりともしない、箸にも棒にもかかんない状態でした。マセキのスクールは基本3カ月で、それが終わると、普通は更新の打診をされるんですけど、自分にはそれもなくて。「あれ? 全然ダメじゃん?」って。ウケたい主婦とか自分を変えたい女子高生とかしかいない中で、芸人志望の自分まったくダメじゃん、と。あの頃が精神的に一番つらかったかもしれない。会社も辞めちゃったし、引き返せないし。俺はとんでもないことをしてしまった。才能全然ないじゃん! お母さん、お母さんの言う通りだったよ!  ――その状況から、どうやって復活したんですか? ルシファー スクールには、こっちから連絡しました。それでまた3カ月通って、そこで相当気合いれてネタ作って研究もして、やっとですね。 ――あきらめない気持ち……! ルシファー あきらめるわけにいかないんですよ(笑)。お母さんの顔がすげぇ浮かんできたし。うちのお母さん、僕が小学校卒業するくらいまで、寝る前によく本を読んでくれてたんです。読み聞かせ。そういうお母さんの顔が浮かんできた。 ――お母さま……本当にいいお母さまですね。読み聞かせすると子どもの想像力が広がるって言いますけど、本当にそうなんですね。 ルシファー 変な方向に広がりましたけど(笑)。 ――読み聞かせによる想像力が功を奏して、現在「下ネタの帝王」という異名を取るまでになったと……。あのルシファースタイルは、初めから確立されていたのですか?
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■ミスチルの歌に感化されて ルシファー そんな異名取ってるんですか(笑)。でも「下ネタ作ろう」って強く思っているわけじゃないんですよ。ただ作るネタを振り返ってみると、8割下ネタになっているという。最初に作ったネタが「エレベーターでうんこを漏らす」っていうやつだったんですよ。そう考えると、やっぱ初めからですね。 ――憧れていた芸人さんは、いらっしゃったんですか? ルシファー 小さい頃はダウンタウンさんが好きで、だからコンビやりたいっていう気持ちがありました。それを断念して「また昼休みかーーい」くらいの時期にバカリズムさんや劇団ひとりさんを見て、それまで一人で芸人やるっていう選択肢はなかったのが「一人でも、こんなに面白いことができるんだ」って思った。あとその当時、ミスチルの歌を聴いてたのがよくなかったのかな。やっぱり、メッセージ性強いじゃないですか、ミスチル。 ――なんていう歌ですか? ルシファー ポカリスエットのCMで綾瀬はるかさんが出てたやつ。あぁ「未来」ですね。「生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって」って、それがド直球にキてしまった。 ――歌の力ってすごい。 ルシファー ただこういう話って、この場だとバカバカしいですけど、字面になったとき「こいつマジか」ってなりません?  ――「自分、つらかった時期にミスチル聴いて……」みたいな。 ルシファー それが怖いんですよね。完全に痛いヤツじゃないですか。 ――でも、大丈夫だと思います。その前の話が「エレベーターでうんこ漏らしたネタ」ですから。 ルシファー 逆に、こいつミスチルの何に心打たれたんだっていう(笑)。 ――ルシファーさんは会社員から芸人さんになったわけですけど、サラリーマンと芸人さんの一番の違いって、どんなところにあると思いますか? ルシファー そうですね。それを語れるのも、きっと芸人としてサラリーマン時代くらい稼げてからだと思うんですけど、一番は営業行って10分くらいのネタやって数万円もらった時ですかね。それこそ「10分でかーーーい」ってなる。サラリーマンだったら、いくつの昼休みを越えなきゃいけないんだろうって。 ――基準は、とにかく「昼休み」(笑)。 ルシファー あとやっぱり個人事業主なので、全部自分でやらなきゃいけない。もちろん事務所に所属しているので、マネジャーさんにいろいろ助けてもらって初めて成り立つ世界ですけど、ネタも含め、自分で作って自分でプロデュースしていかなきゃいけない難しさと楽しさはありますよね。 ――やりがいがあるということですね。自分次第で、どうにでもなる。 ルシファー だから、よくよく考えたら、エロいネタやる必要もなかったわけですけどね(笑)。 ■“母なる大地”マセキ芸能社 ――「なんの保障がない」っていう怖さはないですか? ルシファー それも、最近はあまり感じなくなりましたね。よく「35歳までは転職できる」とかいうじゃないですか。本当は35歳までにある程度結果出して、やめるなり続けるなり決めようと思ってました。ハローワークで仕事紹介してもらいやすい年齢までで、区切りつけようと。でも、やっていくうちにだんだん楽しくなったし、結果も出てきて、そんなことも気にしないまま37歳になっちゃった。今は37でやめても、42でやめても、そんな違いはないだろうと。どうせ、つぶしは利かないし。 ――しかし、また入った事務所がマセキ芸能という……。勝手なイメージですけど、マセキさんはすべてを包み込む、母なる大地のような印象があります。 ルシファー 確かに(笑)。本当に、いい事務所だと思います。芸人の中でも人気が高い、「移籍するならマセキ」と言われるくらい。でも、もともとマセキって、下ネタOKの事務所ではないんですよ。それを「まぁ、お前はいいよ」って、そこを潰さないでくれたことは本当に感謝しています。 ――ルシファーさんの下ネタって、絶妙なところを突いてきますよね。どことなく品があって。下ネタって、そのラインが難しいと思うんです。 ルシファー 露出狂のネタに、品もへったくれもないと思うんですけど(笑)。 ――理系ならではの下ネタの構成力とか、あるのでしょうか? ルシファー そんなの「はい、あるんですよ」とか自分で言いづらいでしょう。ほらまた、字面になったとき、調子こいた感じになるやつ! ――(笑)。いやでも、昨今特に、下ネタについてはいろいろうるさいじゃないですか。 ルシファー 本当にバカバカしいやつもありますし、テレビじゃできないやつも。僕もちょうどいいのなんて全然わからなくて、数打ってちょうどいいところに飛んだやつを、テレビの人が見つけてくれるっていうだけなんですよ。ただSNSとかで批判されるのはいいんですけど、賞レースなんかで「下ネタはちょっと……」って言われると、やるせない気持ちになったりはしますね。面白ければいいじゃんって気持ちはあるんで。 ――確かに。 ルシファー 別に下品なものが好きなわけじゃなくて、バカバカしいことが好きなんですよ。“キャンタマンクラッカー”とか、まさにそうで。あれ小学生のいたずらだし、最終的にカワイイじゃないですか。 ■「カワイイ」って思われたい! ――“キャンタマンクラッカー”は、どうやって生まれたんですか? ルシファー あれは“キャンタマンクラッカー”だけ最初に決めてネタ書きだしました。 ――なかなか普通に生きていて、“キャンタマンクラッカー”って言葉思いつかないですよ。 ルシファー そりゃそうですよ。女子は絶対思いつかない(笑)。 ――でも“キャンタマンクラッカー”って言葉にすると、すごく楽しくて平和な気分になります。ルシファーさんのネタってそうですよね、「平和」感じますよね。 ルシファー ……大丈夫ですか? 疲れてます?(笑) ――最後にルシファーさんの「未来」、“果てしない未来”について伺ってもいいですか? ルシファー ネタ作るの好きだし、やるのも好きなので、単独ライブはずっとやっていきたいなと思ってます。あと意外と体張れるので、芸人さんがたくさん出るような、そういう番組にも呼んでほしい。 ――マセキ芸能伝統の。 ルシファー あと「カワイイ」って思われたい。売れてる人って、みんなカワイイですよね。僕、割としっかりして見られがちというか、「かわいげがない」ってなりがちなんで、今後は「カワイイ」を出していきたいです(笑)。 ――12月23日には単独ライブも開催されます。 ルシファー 「PROMOTION」というタイトルなので、お客さん、そしていやらしい話関係者の人にも、いいプロモーションがしたいです。下ネタに限らず、いろんなタイプのネタをしたいと思っています。下世話な内容に似つかわしくない、オシャレさも出しつつ。最近「まだエロいネタって作れるんだな」っていうのを、しみじみ感じてるんですよ。一体「パンティ」だけでいくつネタ作るんだ、「お尻」だけで……って、そういうところにも注目してほしい。 ――パンティの可能性、ハンパないですね。 ルシファー やつスゴイですよね。下ネタは、まだ死んじゃいない。 (取材・文=西澤千央) ●ルシファー吉岡単独ライブ『PROMOTION』 <開催日時> 2016年12月23日(金祝)/18:30開場 19:00開演 <料金> 前売3,000円(全席指定席)/当日3,500円 <会場> 赤坂RED/THEATER(東京都港区赤坂3-10-9 赤坂グランベルホテルB2F) TEL.03-5575-3474(公演日のみ) <チケット> ローソンチケットにて発売中 Lコード:34391 TEL.0570-084-003 (自動音声24時間対応・Lコード必要) TEL.0570-000-407 (オペレーター対応 10時~20時)

「この年で愚直に生きるのはマジでツラい!」……けど、俺たちが文化系にこだわる理由

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撮影=後藤秀二
「プロレスブーム再燃」といわれて久しい。棚橋弘至、オカダ・カズチカ、中邑真輔、飯伏幸太など、人気・実力ともに兼ね備えたレスラーが続々と登場し、古参のプロレスファンはもちろん、若い女性たちも黄色い声援を飛ばす。そのブームの一端を担う団体が、“文化系プロレス”を名乗る「DDT」だ。体育会系のプロレス界に、文化系な発想でエンタテインメント要素を持ち込んだDDT。そのオリジナリティあふれるスタイルはいつしか「文化系プロレス」と呼ばれ、いまや業界の盟主・新日本プロレスに次ぐ規模にまで成長している。  そんなDDTのエース・HARASHIMAと、新日プロレスのエースで“100年に1人の逸材”といわれる棚橋の対戦を軸に、DDTの歴史、そしてプロレスの魅力に取りつかれてしまった男たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『俺たち文化系プロレスDDT』が、11月26日(土)より公開される。  メガホンを取ったのは、DDT所属のレスラーであり、前作『劇場版プロレスキャノンボール2014』のヒットも記憶に新しいマッスル坂井氏と、坂井主宰の興行「マッスル」でプロレスに目覚めたドキュメンタリー作家、松江哲明氏の2人だ。  アラフォー男たちの愚直な青春ドキュメンタリーに、2人が込めた思いとは――? *** ――そもそも『俺たち文化系プロレスDDT』に、松江さんが参加した経緯は? 松江哲明(以下、松江) DDTの高木三四郎社長から頼まれたんですけど、僕は「坂井さんと一緒なら」って。 ――お2人とも「監督」とクレジットされていますが、役割分担は? 松江 レスラーたちの日常を追ったりしたのは、坂井さんと今成(夢人)さん。僕が現場に行ってるのは、「#大家帝国」の興行と、新潟くらいですね。最初からべったり撮影にくっついてやるつもりはなかったんで。 マッスル坂井(以下、坂井) 完全に遠隔操作してましたよ(笑)。この映画を撮るって決まったのが昨年の春で、夏にいよいよ「映画どうしよう」ってなったときに、松江くんが「坂井くんが一番得意なことをやるべきだ」って。「一番得意なことはなんですか?」って聞かれて、「興行を自分で企画して、その興行を通してプロレスとは何かということを見せたり、考えたりすることかなあ」って答えたら、「じゃあ、それをどっかでやりましょう」って。興行なんてなかなかやらせてもらえないから、それをどうしたらできるかってところから考えていったんです。 松江 たぶん当初、高木さんはもっと客観的なドキュメンタリーを期待してたんだと思う。けど、僕が作りたいプロレスのドキュメンタリーって、「マッスル」なんです。興行ってやっぱり、お客さんが体験するものじゃないですか。でも、ドキュメンタリーで撮ることによって、それとはまったく違う視点を作ることができる。だから、視点作りだけを僕がやって、何を見せたいとか、どういうことを表現したいかっていうのは、坂井さんがリングの上でやったんです。 ――松江さんは「ドキュメンタリーは手法だ」とよくおっしゃっていますが、プロレスも、虚実皮膜を行き来する部分など、表現方法としてドキュメンタリーと近いですよね。そのプロレスをドキュメンタリーで撮ることに、やりにくさのようなものは感じませんでしたか?
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松江 いや、それは感じませんでしたね。僕は映画を作るときに、何が真実で何がウソかっていうのは正直言うとどうでもよくて、撮れた素材にどれだけ真実味があるかっていうことのほうが大事なんですね。だから、素材の力が強いか弱いかが重要なんですけど、ヘタな芝居って、素材として弱いんですよ。それでいうと、今回の作品を編集してて面白かったのは、いい意味でレスラーの人たちみんながカメラを意識するんです(笑)。今成さんや坂井さんがカメラを回していると、高木さんがチラッとカメラを見てから「お前たち、覚悟しろよ!」とかやってくれたりする。それが完全に芝居かっていうと、そうではない。カメラの前で誇張しているだけで。それを日常的にやってるから面白い。だから、普通にしゃべっているのが、いちいちセリフみたいに聞こえるんですよ。 ――特に、大家健選手なんかは常に激情的ですね。 松江 そう! だから英語字幕版を見たときに、大家さんがすごいいいこと言ってるふうに聞こえる。あれは、もともとの言葉が、そういうセリフっぽいからなんです。僕は、被写体にカメラの前で自然でいてほしいとは思わない。ミュージシャンを撮るのが好きなのも、そういうところなんです。 ――本作は棚橋弘至選手とHARASHIMA選手の対戦が軸になっていますが、それは最初から決まっていたんですか? 松江 最初は<DDTの1年間を追ったドキュメンタリー>という構成だったんですけど、素材としてDDTを象徴してるなって思ったのが、「#大家帝国」の試合でした。棚橋選手と小松(洋平)選手が、すごい巨大な存在として君臨してくれてたのがよかったですね。もちろん、棚橋選手のインタビューを撮ったりもできたんですけど、それをやっちゃうと……。 坂井 弱くなっちゃうんだよなあ。 松江 そうなんです。やっぱり“強者”でいてほしい。説明より、存在を強調したいんです。そんな人があそこで……という仕掛けもありますから。 坂井 そこでの公平な視点は、いらないんですよ。言い方は悪いけど、あくまで“いじめられっ子”の視点で見たほうがいい(笑)。 ――今回の映画の性質上、いわば最初から「ネタバレ」をしている部分がありますが。 松江 そこは、最初から心配していませんでしたね。「#大家帝国」の興行のラストで何が起きたのか、観客が知っていても全然いい。ただ、あの場で何が起こっていたのか、観客席からは見えない視点を作れる自信があったので。それは、前後のドラマも含めてですけど。あの現場の出来事を、単に両国国技館の大会から始まった数カ月のドラマっていうのではなく、もっと以前の、2000年代初頭からの坂井さん、HARASHIMAさん、大家さん、(男色)ディーノさんたちの関係性があっての一夜だったんだっていうのを描ける自信はあった。現に、映画の中では棚橋選手の言葉は切っていますし。むしろ、あそこで棚橋選手が何を語ったのかよりも、なぜ“あの展開にしたのか”のほうが重要だと思う。そこの関係性を描けば、あの試合を見た人でもこの映画は楽しめるって確信してました。 ――坂井さんやDDTにとって、棚橋選手の存在はどんなものだったんでしょうか? 坂井 俺は今のプロレス界の象徴であり、正義だと思ってる。こっちが棚橋選手にお願いしたくても、「新日本プロレスがなんて言うか……」って、周りのみんなは言うんですよ。でも、それは違う。棚橋選手が「やる」って言ったら、会社も「イエス」って言うんですよ。器がでかいからこそ、こっちも飛び込みがいがある。棚橋選手も言ってるけど、良くも悪くも自分たちがやっているプロレスと棚橋選手がやっているプロレスっていうのは、「違うんだ」と。違うものをやっているという意識は僕の中にもあって、そういう意味では、わかり合える部分もある。 ――だから、最後の場面で棚橋選手に協力してもらうために、坂井さんが直接交渉されたんですね。その一部始終は、映画にはありませんでしたが。 坂井 だって俺、カメラをまいていきましたもん! 撮られたら危ないじゃないですか。DDTにバレたらいけないんです、あのミッションは。 松江 監督なのに(笑)。僕は、“監督だったら、回してよ”って思いましたけど。ドキュメンタリーに、あの素材はあってもいいじゃないですか(笑)。 坂井 でも! あの場を成立させることが、勝ち負けを超えた何かを見せることが俺の勝負だと思っているから、あそこはいらないんですよ! 松江 まぁ、結果を一番知っているのは坂井さんですからね。僕は新潟まで行きましたけど、「#大家帝国」で何をやるのかは別に聞かなかったし、プロレスで本当に撮っていいものと撮っちゃいけないものの最終的なジャッジは、坂井さんにお願いしてましたから。 坂井 アハハハハ。ないですからね、そんなの! あるがままを撮っているだけですから。
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松江 この前、『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で「アイスリボン」が取り上げられたドキュメンタリーを見ましたけど、「こういう視点になっちゃうかー」と思いました。 坂井 いつまでプロレスは、世間にだまされ続けるんだって! 世の中に仕掛ける側であってほしいのに、なに仕掛けられてるんだよって。 松江 「プロレスラーって、こうなんですよ」ってノリで語っちゃうと、魅力が消えるんですよ。プロレスラーは常識人じゃないんだから。『ザ・ノンフィクション』である以上、日曜昼に見ている人に向けた「わかりやすさ」は絶対に崩せないんですよ。そこを崩せない以上、プロレスを撮るのは難しいと思いました。みんなが知っている1センチ、2センチ、3センチ……っていう物差しを持ってきちゃいけないんですよ。僕がマッスルとかDDTに教わったのは、俺たちの物差しは違うんだってことなんですよ。自分たちの物差しじゃなきゃ描けない世界があるんだよ、っていうのをやってるんですよ。プロレスって、そういうものなんですよ。 坂井 親がプロレスやるのを反対していようがしてなかろうが関係ないんだけど、絶対、親を連れてきたがりますね、テレビは(笑)。でも、関係ないから! お客さんが沸くか沸かないか、レスラー仲間がバックステージで「グッドマッチ!」って握手してくれるかどうか、トレーナーの先輩たちが「いい試合だった」って評価してくれてるかどうかだけなんです。勝ち負けを超えて、自分がレスラーとして表現したいことができたかどうか、それだけを考えてるから、親がどう思ったかなんてホンットどうでもよくて、親が止めたからってやるんですよ、プロレスラーは! バカなんですよ!  松江 「学校辞めます」なんて、当たり前じゃん!って。 坂井 実家の家業継ぐためにプロレスラー引退するやつなんて、いないですから! ――そうなんですか!(笑) 松江 でも、そこを取ると「わからない」ってなっちゃうんですよね。日曜昼に見る人は。 坂井 お父さん、お母さんは反対しないの? って当然思いますよね(笑)。まあ、しょうがないか。 松江 でも、そこを超えたものを撮っているはずなのに、排除しているなっていうのが、ドキュメンタリーを作っている身としては残念で。この映画は、そういうドキュメンタリーにはしないぞって。なるはずはないんですけど。大家さんは、『プロレスキャノンボール』上映のとき、パンフレットを買った人への特典として握手会してるのに、上映が終わった後、来場した人全員と握手しちゃう(笑)。ルールを超えちゃう人なんですよ。 坂井 そういうところって、確かに『ザ・ノンフィクション』では描けない。「マジでヤベえ」ってなっちゃうから。 一同 (爆笑) 松江 僕が感動したのはね、HARASHIMAさんがモヤモヤしてるときに引っ張るのが、やっぱり大家さんをはじめとする“文化系”のアラフォーの人たちで、僕は、大森での映像(※棚橋組との再戦日時が発表された大森駅東口前公園「UTANフェスタ2015」でのHARASHIMAと大家の挨拶)が好きなんですよ。 坂井 わかる! 松江 あのとき、HARASHIMAさんが大家さんに「ガンバレ、HARASHIMA!」って言われて、ちょっと戸惑ってるんですよね。あれがすごい大事なんですよ。ああいうときに立ち上がるのが、“文化系”の仲間。僕はそこにちょっとグッとくるんですよね。で、最後に「ガンバレ、オレ!」で締めるっていう図々しさ(笑)。そこもまた素晴らしいじゃないですか。あのシーンが、この作品での友情物語になっている。たぶん、普通のドキュメンタリー作る人が今のDDTを撮ると、飯伏(幸太)さんや竹下(幸之介)さんが主役だと思うんですよ。“輝く人”っていて、テレビだったらそっちなんですよ。でも、暗闇で見る映画だと、大家さんなんですよ。
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(c)2016 DDTプロレスリング
――今回の映画で“主役”となっているのはみんな同世代ですが、そこに特別な意識はありますか? 坂井 ありますね。今、お客さんがプロレスやプロレスラーに求めるものって、変わりつつある。2000年代当時は、プロレスに対抗する概念として、総合格闘技とかアメリカのWWEがあったから、「プロレスはこんなことができるよ」って表現のひとつがDDTだったりマッスルだったんです。けど、今は総合格闘技などが当時ほど影響力を持っていない中で、若い人たちにとって、プロレスは真剣勝負だという前提で見るスポーツになってしまっている。だから、僕たちがやっている「文化系プロレス」というアプローチは、今のプロレスファンには必要とされない時代になってきているという自覚はあります。そんな中で、DDTのエースであるHARASHIMAさんは純粋に強さを競う「体育会系プロレス」にもちろん対応して、DDTを引っ張る存在として、「キング・オブ・スポーツ」を社是としている新日本プロレスのエース・棚橋選手と同じ土俵で勝負を挑んだんです。そこから起こった齟齬とか、価値観の違いとかは、HARASHIMAさん個人に対してではなくて、DDT全体へのメッセージだと思ったから、自分らとしても何らかの答えは出さなきゃならないなって。だから僕は、映画っていうジャンルでプロレスの面白さを表現したんです。 松江 僕はこれまで自分の映画って若い人たちに見てもらいたかったんですが、今回の映画は同世代に見てもらいたい。 坂井 ホント、そう! 松江 意外とこういう「文化系」の表現をアラフォーまで続けている人っていないんだってわかってきたんですよ。みんなやめちゃう。自主映画をやってた人も、もうそういうんじゃないよねって。僕と一緒に自主映画やってた仲間も、漫画原作の映画の監督とか、名前が重視されないディレクターをやるわけですよ。愚直にサブカルを続ける人は、本当にいなくなった。「文化系」をアラフォーになっても続けるって、ホントに他人事でなく、体を壊すし、お金にならないし、マジでツラいし、キツイんですよ。 坂井 確かに、いま愚直にものづくりをしようとしても、情報も入ってくる。ちゃんと考えればエラーが起きにくいし、能力さえあれば、いい会社に入れたりする。結局、ホントにすげーヤツって朝井リョウみたいになりますからね。 松江 そう、そう、そう! 坂井 東宝に入れちゃうんですよ! われわれの世代なんて募集してないですからね、きっと(笑)。 松江 いや、ホントにそういう話で、僕らの映画が好きな若い人は今、東宝とかに入ってるんですよ。ちゃんと金を稼いだ上で、生活は生活、好きなものは好きなものってやっている。僕らのお手本は、お金よりも大切なものがあるはずだっていう、例えばいましろたかしさんとかだったんですよ。僕らは、あれが正しいって思ってたんです。でも実はね……、あれ、正しくなかったんです(笑)。 坂井 ええっ!? でも、たとえあきらめたとしても、意外と夢がかなってしまうことはあるし、最近、それを感じさせてくれるような素晴らしい出来事もたくさんありました。同世代の人で、何かの形でやめたり、まだ続けている人も少なからずいるわけで、そういう人にはどうしても見てほしいし、共有したいし、一緒に戦っていきたいなって思いますね。でも、愚直にものづくりしようとしている人が東宝に入れる、いい時代なんですよ、実は。 松江 俺、入れたかな…? 坂井 入れないよ! 専門学校卒だから!(笑) 松江 そうだった、そうだった(笑)。 (構成=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/※このインタビューのロングバージョンは、近日、てれびのスキマのブログで公開予定です。
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●『俺たち文化系プロレスDDT』 監督:マッスル坂井、松江哲明 音楽:ジム・オルーク 出演:マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 11月26日(土)から新宿バルト9ほか全国公開 公式サイトURL http://liveviewing.jp/obpw2016/ 予告URL https://www.youtube.com/watch?v=WJCyqA3ggIQ&feature=youtu.be

「この年で愚直にやりたいことをやるのは、マジでツラい!」……けど、俺たちが文化系にこだわる理由

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撮影=後藤秀二
「プロレスブーム再燃」といわれて久しい。棚橋弘至、オカダ・カズチカ、中邑真輔、飯伏幸太など、人気・実力ともに兼ね備えたレスラーが続々と登場し、古参のプロレスファンはもちろん、若い女性たちも黄色い声援を飛ばす。そのブームの一端を担う団体が、“文化系プロレス”を名乗る「DDT」だ。体育会系のプロレス界に、文化系な発想でエンタテインメント要素を持ち込んだDDT。そのオリジナリティあふれるスタイルはいつしか「文化系プロレス」と呼ばれ、いまや業界の盟主・新日本プロレスに次ぐ規模にまで成長している。  そんなDDTのエース・HARASHIMAと、新日プロレスのエースで“100年に1人の逸材”といわれる棚橋の対戦を軸に、DDTの歴史、そしてプロレスの魅力に取りつかれてしまった男たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『俺たち文化系プロレスDDT』が、11月26日(土)より公開される。  メガホンを取ったのは、DDT所属のレスラーであり、前作『劇場版プロレスキャノンボール2014』のヒットも記憶に新しいマッスル坂井氏と、坂井主宰の興行「マッスル」でプロレスに目覚めたドキュメンタリー作家、松江哲明氏の2人だ。  アラフォー男たちの愚直な青春ドキュメンタリーに、2人が込めた思いとは――? *** ――そもそも『俺たち文化系プロレスDDT』に、松江さんが参加した経緯は? 松江哲明(以下、松江) DDTの高木三四郎社長から頼まれたんですけど、僕は「坂井さんと一緒なら」って。 ――お2人とも「監督」とクレジットされていますが、役割分担は? 松江 レスラーたちの日常を追ったりしたのは、坂井さんと今成(夢人)さん。僕が現場に行ってるのは、「#大家帝国」の興行と、新潟くらいですね。最初からべったり撮影にくっついてやるつもりはなかったんで。 マッスル坂井(以下、坂井) 完全に遠隔操作してましたよ(笑)。この映画を撮るって決まったのが昨年の春で、夏にいよいよ「映画どうしよう」ってなったときに、松江くんが「坂井くんが一番得意なことをやるべきだ」って。「一番得意なことはなんですか?」って聞かれて、「興行を自分で企画して、その興行を通してプロレスとは何かということを見せたり、考えたりすることかなあ」って答えたら、「じゃあ、それをどっかでやりましょう」って。興行なんてなかなかやらせてもらえないから、それをどうしたらできるかってところから考えていったんです。 松江 たぶん当初、高木さんはもっと客観的なドキュメンタリーを期待してたんだと思う。けど、僕が作りたいプロレスのドキュメンタリーって、「マッスル」なんです。興行ってやっぱり、お客さんが体験するものじゃないですか。でも、ドキュメンタリーで撮ることによって、それとはまったく違う視点を作ることができる。だから、視点作りだけを僕がやって、何を見せたいとか、どういうことを表現したいかっていうのは、坂井さんがリングの上でやったんです。 ――松江さんは「ドキュメンタリーは手法だ」とよくおっしゃっていますが、プロレスも、虚実皮膜を行き来する部分など、表現方法としてドキュメンタリーと近いですよね。そのプロレスをドキュメンタリーで撮ることに、やりにくさのようなものは感じませんでしたか?
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松江 いや、それは感じませんでしたね。僕は映画を作るときに、何が真実で何がウソかっていうのは正直言うとどうでもよくて、撮れた素材にどれだけ真実味があるかっていうことのほうが大事なんですね。だから、素材の力が強いか弱いかが重要なんですけど、ヘタな芝居って、素材として弱いんですよ。それでいうと、今回の作品を編集してて面白かったのは、いい意味でレスラーの人たちみんながカメラを意識するんです(笑)。今成さんや坂井さんがカメラを回していると、高木さんがチラッとカメラを見てから「お前たち、覚悟しろよ!」とかやってくれたりする。それが完全に芝居かっていうと、そうではない。カメラの前で誇張しているだけで。それを日常的にやってるから面白い。だから、普通にしゃべっているのが、いちいちセリフみたいに聞こえるんですよ。 ――特に、大家健選手なんかは常に激情的ですね。 松江 そう! だから英語字幕版を見たときに、大家さんがすごいいいこと言ってるふうに聞こえる。あれは、もともとの言葉が、そういうセリフっぽいからなんです。僕は、被写体にカメラの前で自然でいてほしいとは思わない。ミュージシャンを撮るのが好きなのも、そういうところなんです。 ――本作は棚橋弘至選手とHARASHIMA選手の対戦が軸になっていますが、それは最初から決まっていたんですか? 松江 最初は<DDTの1年間を追ったドキュメンタリー>という構成だったんですけど、素材としてDDTを象徴してるなって思ったのが、「#大家帝国」の試合でした。棚橋選手と小松(洋平)選手が、すごい巨大な存在として君臨してくれてたのがよかったですね。もちろん、棚橋選手のインタビューを撮ったりもできたんですけど、それをやっちゃうと……。 坂井 弱くなっちゃうんだよなあ。 松江 そうなんです。やっぱり“強者”でいてほしい。説明より、存在を強調したいんです。そんな人があそこで……という仕掛けもありますから。 坂井 そこでの公平な視点は、いらないんですよ。言い方は悪いけど、あくまで“いじめられっ子”の視点で見たほうがいい(笑)。 ――今回の映画の性質上、いわば最初から「ネタバレ」をしている部分がありますが。 松江 そこは、最初から心配していませんでしたね。「#大家帝国」の興行のラストで何が起きたのか、観客が知っていても全然いい。ただ、あの場で何が起こっていたのか、観客席からは見えない視点を作れる自信があったので。それは、前後のドラマも含めてですけど。あの現場の出来事を、単に両国国技館の大会から始まった数カ月のドラマっていうのではなく、もっと以前の、2000年代初頭からの坂井さん、HARASHIMAさん、大家さん、(男色)ディーノさんたちの関係性があっての一夜だったんだっていうのを描ける自信はあった。現に、映画の中では棚橋選手の言葉は切っていますし。むしろ、あそこで棚橋選手が何を語ったのかよりも、なぜ“あの展開にしたのか”のほうが重要だと思う。そこの関係性を描けば、あの試合を見た人でもこの映画は楽しめるって確信してました。 ――坂井さんやDDTにとって、棚橋選手の存在はどんなものだったんでしょうか? 坂井 俺は今のプロレス界の象徴であり、正義だと思ってる。こっちが棚橋選手にお願いしたくても、「新日本プロレスがなんて言うか……」って、周りのみんなは言うんですよ。でも、それは違う。棚橋選手が「やる」って言ったら、会社も「イエス」って言うんですよ。器がでかいからこそ、こっちも飛び込みがいがある。棚橋選手も言ってるけど、良くも悪くも自分たちがやっているプロレスと棚橋選手がやっているプロレスっていうのは、「違うんだ」と。違うものをやっているという意識は僕の中にもあって、そういう意味では、わかり合える部分もある。 ――だから、最後の場面で棚橋選手に協力してもらうために、坂井さんが直接交渉されたんですね。その一部始終は、映画にはありませんでしたが。 坂井 だって俺、カメラをまいていきましたもん! 撮られたら危ないじゃないですか。DDTにバレたらいけないんです、あのミッションは。 松江 監督なのに(笑)。僕は、“監督だったら、回してよ”って思いましたけど。ドキュメンタリーに、あの素材はあってもいいじゃないですか(笑)。 坂井 でも! あの場を成立させることが、勝ち負けを超えた何かを見せることが俺の勝負だと思っているから、あそこはいらないんですよ! 松江 まぁ、結果を一番知っているのは坂井さんですからね。僕は新潟まで行きましたけど、「#大家帝国」で何をやるのかは別に聞かなかったし、プロレスで本当に撮っていいものと撮っちゃいけないものの最終的なジャッジは、坂井さんにお願いしてましたから。 坂井 アハハハハ。ないですからね、そんなの! あるがままを撮っているだけですから。
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松江 この前、『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で「アイスリボン」が取り上げられたドキュメンタリーを見ましたけど、「こういう視点になっちゃうかー」と思いました。 坂井 いつまでプロレスは、世間にだまされ続けるんだって! 世の中に仕掛ける側であってほしいのに、なに仕掛けられてるんだよって。 松江 「プロレスラーって、こうなんですよ」ってノリで語っちゃうと、魅力が消えるんですよ。プロレスラーは常識人じゃないんだから。『ザ・ノンフィクション』である以上、日曜昼に見ている人に向けた「わかりやすさ」は絶対に崩せないんですよ。そこを崩せない以上、プロレスを撮るのは難しいと思いました。みんなが知っている1センチ、2センチ、3センチ……っていう物差しを持ってきちゃいけないんですよ。僕がマッスルとかDDTに教わったのは、俺たちの物差しは違うんだってことなんですよ。自分たちの物差しじゃなきゃ描けない世界があるんだよ、っていうのをやってるんですよ。プロレスって、そういうものなんですよ。 坂井 親がプロレスやるのを反対していようがしてなかろうが関係ないんだけど、絶対、親を連れてきたがりますね、テレビは(笑)。でも、関係ないから! お客さんが沸くか沸かないか、レスラー仲間がバックステージで「グッドマッチ!」って握手してくれるかどうか、トレーナーの先輩たちが「いい試合だった」って評価してくれてるかどうかだけなんです。勝ち負けを超えて、自分がレスラーとして表現したいことができたかどうか、それだけを考えてるから、親がどう思ったかなんてホンットどうでもよくて、親が止めたからってやるんですよ、プロレスラーは! バカなんですよ!  松江 「学校辞めます」なんて、当たり前じゃん!って。 坂井 実家の家業継ぐためにプロレスラー引退するやつなんて、いないですから! ――そうなんですか!(笑) 松江 でも、そこを取ると「わからない」ってなっちゃうんですよね。日曜昼に見る人は。 坂井 お父さん、お母さんは反対しないの? って当然思いますよね(笑)。まあ、しょうがないか。 松江 でも、そこを超えたものを撮っているはずなのに、排除しているなっていうのが、ドキュメンタリーを作っている身としては残念で。この映画は、そういうドキュメンタリーにはしないぞって。なるはずはないんですけど。大家さんは、『プロレスキャノンボール』上映のとき、パンフレットを買った人への特典として握手会してるのに、上映が終わった後、来場した人全員と握手しちゃう(笑)。ルールを超えちゃう人なんですよ。 坂井 そういうところって、確かに『ザ・ノンフィクション』では描けない。「マジでヤベえ」ってなっちゃうから。 一同 (爆笑) 松江 僕が感動したのはね、HARASHIMAさんがモヤモヤしてるときに引っ張るのが、やっぱり大家さんをはじめとする“文化系”のアラフォーの人たちで、僕は、大森での映像(※棚橋組との再戦日時が発表された大森駅東口前公園「UTANフェスタ2015」でのHARASHIMAと大家の挨拶)が好きなんですよ。 坂井 わかる! 松江 あのとき、HARASHIMAさんが大家さんに「ガンバレ、HARASHIMA!」って言われて、ちょっと戸惑ってるんですよね。あれがすごい大事なんですよ。ああいうときに立ち上がるのが、“文化系”の仲間。僕はそこにちょっとグッとくるんですよね。で、最後に「ガンバレ、オレ!」で締めるっていう図々しさ(笑)。そこもまた素晴らしいじゃないですか。あのシーンが、この作品での友情物語になっている。たぶん、普通のドキュメンタリー作る人が今のDDTを撮ると、飯伏(幸太)さんや竹下(幸之介)さんが主役だと思うんですよ。“輝く人”っていて、テレビだったらそっちなんですよ。でも、暗闇で見る映画だと、大家さんなんですよ。
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(c)2016 DDTプロレスリング
――今回の映画で“主役”となっているのはみんな同世代ですが、そこに特別な意識はありますか? 坂井 ありますね。今、お客さんがプロレスやプロレスラーに求めるものって、変わりつつある。2000年代当時は、プロレスに対抗する概念として、総合格闘技とかアメリカのWWEがあったから、「プロレスはこんなことができるよ」って表現のひとつがDDTだったりマッスルだったんです。けど、今は総合格闘技などが当時ほど影響力を持っていない中で、若い人たちにとって、プロレスは真剣勝負だという前提で見るスポーツになってしまっている。だから、僕たちがやっている「文化系プロレス」というアプローチは、今のプロレスファンには必要とされない時代になってきているという自覚はあります。そんな中で、DDTのエースであるHARASHIMAさんは純粋に強さを競う「体育会系プロレス」にもちろん対応して、DDTを引っ張る存在として、「キング・オブ・スポーツ」を社是としている新日本プロレスのエース・棚橋選手と同じ土俵で勝負を挑んだんです。そこから起こった齟齬とか、価値観の違いとかは、HARASHIMAさん個人に対してではなくて、DDT全体へのメッセージだと思ったから、自分らとしても何らかの答えは出さなきゃならないなって。だから僕は、映画っていうジャンルでプロレスの面白さを表現したんです。 松江 僕はこれまで自分の映画って若い人たちに見てもらいたかったんですが、今回の映画は同世代に見てもらいたい。 坂井 ホント、そう! 松江 意外とこういう「文化系」の表現をアラフォーまで続けている人っていないんだってわかってきたんですよ。みんなやめちゃう。自主映画をやってた人も、もうそういうんじゃないよねって。僕と一緒に自主映画やってた仲間も、漫画原作の映画の監督とか、名前が重視されないディレクターをやるわけですよ。愚直にサブカルを続ける人は、本当にいなくなった。「文化系」をアラフォーになっても続けるって、ホントに他人事でなく、体を壊すし、お金にならないし、マジでツラいし、キツイんですよ。 坂井 確かに、いま愚直にものづくりをしようとしても、情報も入ってくる。ちゃんと考えればエラーが起きにくいし、能力さえあれば、いい会社に入れたりする。結局、ホントにすげーヤツって朝井リョウみたいになりますからね。 松江 そう、そう、そう! 坂井 東宝に入れちゃうんですよ! われわれの世代なんて募集してないですからね、きっと(笑)。 松江 いや、ホントにそういう話で、僕らの映画が好きな若い人は今、東宝とかに入ってるんですよ。ちゃんと金を稼いだ上で、生活は生活、好きなものは好きなものってやっている。僕らのお手本は、お金よりも大切なものがあるはずだっていう、例えばいましろたかしさんとかだったんですよ。僕らは、あれが正しいって思ってたんです。でも実はね……、あれ、正しくなかったんです(笑)。 坂井 ええっ!? でも、たとえあきらめたとしても、意外と夢はかなってしまうことってあるし、それを感じさせてくれるような素晴らしいことがたくさんあるんです。同世代の人で、何かの形でやめたり、まだ続けている人も少なからずいるわけで、そういう人にはどうしても見てほしいし、共有したいし、一緒に戦っていきたいなって思いますね。でも、愚直にものづくりしようとしている人が東宝に入れる、いい時代なんですよ、実は。 松江 俺、入れたかな…? 坂井 入れないよ! 専門学校卒だから!(笑) 松江 そうだった、そうだった(笑)。 (構成=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/※このインタビューのロングバージョンは、近日、てれびのスキマのブログで公開予定です。
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●『俺たち文化系プロレスDDT』 監督:マッスル坂井、松江哲明 音楽:ジム・オルーク 出演:マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 11月26日(土)から新宿バルト9ほか全国公開 公式サイトURL http://liveviewing.jp/obpw2016/ 予告URL https://www.youtube.com/watch?v=WJCyqA3ggIQ&feature=youtu.be

「山谷でしか出会えない“顔”があった」青空写真館が収めた“最後の山谷”の男たち

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(c)多田裕美子
「山谷」という街の意味は、2000年代以降、大きく変わった。  かつては、日雇い労働者の街であり、暴動も発生するような危険な街であった山谷。しかし、00年代以降、労働者の勢いはすっかり影を潜め、今では外国人バックパッカーも集う、静かでおとなしい街へと変貌を遂げている。  そんな山谷の街で、1999年から01年まで、100人以上の男たちを撮影した写真家・多田裕美子のフォトエッセイ『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)には、“最後の山谷”の姿が写真と文章で収められている。青空写真館で撮影された山谷に生きる男たちの姿は野性味にあふれ、凛々しく、時にユーモラスであり、まさに山谷でしか見ることのできない顔つき。写真展で発表されたことはあったものの、15年間、多田の元に眠っていたこれらの写真は、4年前、編集者・都築響一氏に見せたことがきっかけで息を吹き返し、やっと刊行へとこぎ着けた。  いったい、かつての山谷の男たちの姿から、何が見えてくるのだろうか? そして、今では外国人や福祉の街に変貌を遂げた山谷とは、いったいどんな街なのか? 多田に訊いた。 *** ――『山谷 ヤマの男』には、99年から2年間にわたって撮影された山谷の人々の写真とエピソードをつづったエッセーが記されています。そもそも、なぜ、山谷を撮影しようと思ったのでしょうか? 多田裕美子(以下、多田) 私の両親は、72年から01年まで「丸善食堂」というお店を山谷で営んでいました。山谷の労働者たちが毎日通うような酒場ですね。そんな関係もあって、カメラを始めた20代前半の頃に、面白半分でお店に来る人々を撮影していたところ、ある日「撮るんじゃねえ」と、お客さんからコップを投げられてしまった。それで、「山谷は簡単に撮れるものではない」と気づいたんです。だから、いろいろな人から作品として山谷を撮影することを勧められましたが、どうしても乗り気にはなれなかった。しかし、ある時店を手伝っていたら、飲んでいるお客さんの姿がほかの街とは違うことに気づきました。山谷の人々は、過去を語らないし、聞きたがらない、愚痴もこぼさないんです。 ――山谷には、過去にさまざまな事情がある人も少なくない。だからこそ、酒場の雰囲気も独特なんですね。 多田 そんな彼らの姿に魅力を感じて、再びレンズを向けることを決心しました。しかし、山谷といっても、私が知っているのは丸善食堂の中だけ。父にも「甘い!」と反対されて、初めて店を出て、ロケハンを始めたんです。そこで見つけたのが玉姫公園。ここしかないと。背景幕を持っていき、毎週末、ポートレート撮影を始めました。 ――玉姫公園といえば、山谷夏祭りや朝市「ドロボー市」などが開催される、山谷を代表する場所です。そんな場所で撮影を行うにあたって、恐怖心はなかったのでしょうか? 多田 もちろん怖さもありましたが、自分が思い描いていたイメージを実現できる喜びのほうが大きかったですね。公園の周囲に張り紙をしてモデルを募集したところ、初日から7人も来てくれました。
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(c)多田裕美子
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(c)多田裕美子
――2年間で、どれくらいの人々を撮影したんですか? 多田 延べ140人ほどですね。初日に知り合ったおじさんが用心棒になってくれて心強かったんですが、公園にも派閥があるから、このおじさんと仲良くしていると撮れない人もいる。だから、こちらから近づいて花札をしたり、お酒を飲んで仲良くなりながら、撮影することもありました。それに、いい被写体に巡り合うと、どうしても写真を撮りたくなってしまうんです。 ――「いい被写体」とは? 多田 ほかの街にはいない、その人らしさがにじみ出ている顔つきですね。山谷には、山谷でしかお目にかかれない“顔”というのがあるんです。そして彼らは、少ない荷物の中から一番いいものを着て、被写体になってくれる。撮影の際には、ポーズをお願いするのではなく、彼らの持っている存在感がにじみ出るようにこだわりました。 ――表紙に起用されているリンさんをはじめ、圧倒的な存在感ですね(笑)。 多田 実は最近、知人が偶然、リンさんを見つけてこの本の表紙と並べて撮った写真を送ってきてくれたんですが、いい具合に年を重ねていました(笑)。リンさんもそうですが、山谷は、基本的に我が強く、組織では生きられない人ばかり。だから、撮った写真を並べると、個性の強い顔ばかり。今の社会では、個性を出すのではなく、スマートに生きることが良しとされていますが、山谷には個性がムンムンな人々ばかりですね(笑)。 ――確かに。当時の山谷の姿を垣間見ているようです。 多田 実は、写真を撮っているときは「山谷」を消したかったんです。被写体の顔だけ撮れば、にじみ出てくるものがあるだろうって。でも、本にするにあたって、当時の「山谷」という街を残したいという気持ちになったんです。 ――そんな男たちを通じて、山谷とはどのような街だと感じましたか? 多田 ほかにはない、“情”がある街だと思います。居酒屋でも互いの過去に触れないように、関係性はベタベタしていません。けれども、みんな同じような境遇で、20年も30年も山谷にいる人も少なくない。出稼ぎで来て、帰れなくなってしまった人たちです。だからこそ、すごく人懐っこくて、他人に優しくすることができるんです。お金がなくても、誰かのところで飲むことができるし、逆にお金があれば誰かを飲ませる。不思議なコミュティですよね。みんな末っ子気質で、なぜか7番目という人が本当に多いんですよ。
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(c)多田裕美子
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――多田さんが山谷の街を撮影してから、15年がたちました。現在、山谷はどのような環境にあるのでしょうか? 多田 いまだにドヤは多いのですが、日雇い仕事も少なくなり、求人は激減。閉鎖してしまったドヤも、少なくありません。高齢化し、働きに出ることができない労働者は、生活保護を受給しながらドヤで暮らしているんです。およそ8割の宿泊者は、生活保護をもらいながら暮らしているのではないでしょうか。 ――そんなに多いんですか? 多田 しかし、行政の関係者に話を聞いたところ、昔から山谷の人々は生活保護を受けたがらないそうです。「国の世話にはなりたくない」というプライドがある。だから、仕事もなくなり、路上生活になり、心身ボロボロになって初めて受給する人が多い。その一方で、そんな状況でも受給せず、路上生活を続ける人もいます ――働けなくなっても「労働者」というプライドが、生活保護の受給をためらわせる。 多田 今は福祉やボランティアの方たちが山谷を支えていて、労働者の街から福祉の街に変わりつつあります。孤独な独居老人が多く住む街としての報道も多いですよね。ただ、彼らも、かつては屈強な労働者だった。この本では、そんな男たちが粋がっている姿を残したかったんです。 ――では、もし多田さんが、現在の山谷を撮るとしたら何を撮影すると思いますか? 多田 今の山谷の何を撮りたいかは明確には答えられませんが、今の山谷に託したいことはあります。最近は、かつての労働者以外に、生きづらさを抱え、身寄りもなく、ひとりで生きられない人々が福祉施設で暮らしています。山谷には昔から、社会で生きづらさを抱えた人々を受け入れる土壌があるというか、人へのまなざしがやさしいんですね。近年は安宿のおかげで、外国人観光客も増えてきています。時代の変化を受け入れつつ、これからも他者にやさしい街であり続けてほしいです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

「山谷でしか出会えない“顔”があった」青空写真館が収めた“最後の山谷”の男たち

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(c)多田裕美子
「山谷」という街の意味は、2000年代以降、大きく変わった。  かつては、日雇い労働者の街であり、暴動も発生するような危険な街であった山谷。しかし、00年代以降、労働者の勢いはすっかり影を潜め、今では外国人バックパッカーも集う、静かでおとなしい街へと変貌を遂げている。  そんな山谷の街で、1999年から01年まで、100人以上の男たちを撮影した写真家・多田裕美子のフォトエッセイ『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)には、“最後の山谷”の姿が写真と文章で収められている。青空写真館で撮影された山谷に生きる男たちの姿は野性味にあふれ、凛々しく、時にユーモラスであり、まさに山谷でしか見ることのできない顔つき。写真展で発表されたことはあったものの、15年間、多田の元に眠っていたこれらの写真は、4年前、編集者・都築響一氏に見せたことがきっかけで息を吹き返し、やっと刊行へとこぎ着けた。  いったい、かつての山谷の男たちの姿から、何が見えてくるのだろうか? そして、今では外国人や福祉の街に変貌を遂げた山谷とは、いったいどんな街なのか? 多田に訊いた。 *** ――『山谷 ヤマの男』には、99年から2年間にわたって撮影された山谷の人々の写真とエピソードをつづったエッセーが記されています。そもそも、なぜ、山谷を撮影しようと思ったのでしょうか? 多田裕美子(以下、多田) 私の両親は、72年から01年まで「丸善食堂」というお店を山谷で営んでいました。山谷の労働者たちが毎日通うような酒場ですね。そんな関係もあって、カメラを始めた20代前半の頃に、面白半分でお店に来る人々を撮影していたところ、ある日「撮るんじゃねえ」と、お客さんからコップを投げられてしまった。それで、「山谷は簡単に撮れるものではない」と気づいたんです。だから、いろいろな人から作品として山谷を撮影することを勧められましたが、どうしても乗り気にはなれなかった。しかし、ある時店を手伝っていたら、飲んでいるお客さんの姿がほかの街とは違うことに気づきました。山谷の人々は、過去を語らないし、聞きたがらない、愚痴もこぼさないんです。 ――山谷には、過去にさまざまな事情がある人も少なくない。だからこそ、酒場の雰囲気も独特なんですね。 多田 そんな彼らの姿に魅力を感じて、再びレンズを向けることを決心しました。しかし、山谷といっても、私が知っているのは丸善食堂の中だけ。父にも「甘い!」と反対されて、初めて店を出て、ロケハンを始めたんです。そこで見つけたのが玉姫公園。ここしかないと。背景幕を持っていき、毎週末、ポートレート撮影を始めました。 ――玉姫公園といえば、山谷夏祭りや朝市「ドロボー市」などが開催される、山谷を代表する場所です。そんな場所で撮影を行うにあたって、恐怖心はなかったのでしょうか? 多田 もちろん怖さもありましたが、自分が思い描いていたイメージを実現できる喜びのほうが大きかったですね。公園の周囲に張り紙をしてモデルを募集したところ、初日から7人も来てくれました。
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(c)多田裕美子
――2年間で、どれくらいの人々を撮影したんですか? 多田 延べ140人ほどですね。初日に知り合ったおじさんが用心棒になってくれて心強かったんですが、公園にも派閥があるから、このおじさんと仲良くしていると撮れない人もいる。だから、こちらから近づいて花札をしたり、お酒を飲んで仲良くなりながら、撮影することもありました。それに、いい被写体に巡り合うと、どうしても写真を撮りたくなってしまうんです。 ――「いい被写体」とは? 多田 ほかの街にはいない、その人らしさがにじみ出ている顔つきですね。山谷には、山谷でしかお目にかかれない“顔”というのがあるんです。そして彼らは、少ない荷物の中から一番いいものを着て、被写体になってくれる。撮影の際には、ポーズをお願いするのではなく、彼らの持っている存在感がにじみ出るようにこだわりました。 ――表紙に起用されているリンさんをはじめ、圧倒的な存在感ですね(笑)。 多田 実は最近、知人が偶然、リンさんを見つけてこの本の表紙と並べて撮った写真を送ってきてくれたんですが、いい具合に年を重ねていました(笑)。リンさんもそうですが、山谷は、基本的に我が強く、組織では生きられない人ばかり。だから、撮った写真を並べると、個性の強い顔ばかり。今の社会では、個性を出すのではなく、スマートに生きることが良しとされていますが、山谷には個性がムンムンな人々ばかりですね(笑)。 ――確かに。当時の山谷の姿を垣間見ているようです。 多田 実は、写真を撮っているときは「山谷」を消したかったんです。被写体の顔だけ撮れば、にじみ出てくるものがあるだろうって。でも、本にするにあたって、当時の「山谷」という街を残したいという気持ちになったんです。 ――そんな男たちを通じて、山谷とはどのような街だと感じましたか? 多田 ほかにはない、“情”がある街だと思います。居酒屋でも互いの過去に触れないように、関係性はベタベタしていません。けれども、みんな同じような境遇で、20年も30年も山谷にいる人も少なくない。出稼ぎで来て、帰れなくなってしまった人たちです。だからこそ、すごく人懐っこくて、他人に優しくすることができるんです。お金がなくても、誰かのところで飲むことができるし、逆にお金があれば誰かを飲ませる。不思議なコミュティですよね。みんな末っ子気質で、なぜか7番目という人が本当に多いんですよ。
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(c)多田裕美子
――多田さんが山谷の街を撮影してから、15年がたちました。現在、山谷はどのような環境にあるのでしょうか? 多田 いまだにドヤは多いのですが、日雇い仕事も少なくなり、求人は激減。閉鎖してしまったドヤも、少なくありません。高齢化し、働きに出ることができない労働者は、生活保護を受給しながらドヤで暮らしているんです。およそ8割の宿泊者は、生活保護をもらいながら暮らしているのではないでしょうか。 ――そんなに多いんですか? 多田 しかし、行政の関係者に話を聞いたところ、昔から山谷の人々は生活保護を受けたがらないそうです。「国の世話にはなりたくない」というプライドがある。だから、仕事もなくなり、路上生活になり、心身ボロボロになって初めて受給する人が多い。その一方で、そんな状況でも受給せず、路上生活を続ける人もいます ――働けなくなっても「労働者」というプライドが、生活保護の受給をためらわせる。 多田 今は福祉やボランティアの方たちが山谷を支えていて、労働者の街から福祉の街に変わりつつあります。孤独な独居老人が多く住む街としての報道も多いですよね。ただ、彼らも、かつては屈強な労働者だった。この本では、そんな男たちが粋がっている姿を残したかったんです。 ――では、もし多田さんが、現在の山谷を撮るとしたら何を撮影すると思いますか? 多田 今の山谷の何を撮りたいかは明確には答えられませんが、今の山谷に託したいことはあります。最近は、かつての労働者以外に、生きづらさを抱え、身寄りもなく、ひとりで生きられない人々が福祉施設で暮らしています。山谷には昔から、社会で生きづらさを抱えた人々を受け入れる土壌があるというか、人へのまなざしがやさしいんですね。近年は安宿のおかげで、外国人観光客も増えてきています。時代の変化を受け入れつつ、これからも他者にやさしい街であり続けてほしいです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

「小さな映画館だって、社会にバズを起こせる」アップリンク社長が目指す新しいミニシアター像

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アップリンクの浅井隆社長。海外の監督たちとの共同製作、配給、直営館の運営と手広く手掛けている。
 人通りが絶えることのない渋谷駅前スクランブル交差点から、歩いておよそ10分。「アップリンク渋谷」は小さいながらも3スクリーン(58席、44席、40席)を擁し、1日10〜15本の多種多様な作品を上映する独自色の強いミニシアターだ。カフェやギャラリーも併設するこの小さな映画館は、配給会社アップリンクの直営館であり、グローバル企業と政界との癒着を暴いた『モンサントの不自然な食べもの』(08)、生涯現役を貫くヘビメタバンドのド根性ドキュメンタリー『アンヴィル! 夢を諦められない男たち』(09)など非メジャー系の作品をロングランヒットさせてきたことで知られている。地道にリピーターを増やしてきたアップリンクだが、2016年11月から新たに「アップリンク・クラウド」をスタートさせた。アップリンク発の個性的な映画が、ネットで気軽に楽しめるというサービス。2017年には創設30年を迎える「有限会社アップリンク」の浅井隆社長に、リアル映画館とオンライン映画館を同時運営していく狙いについて尋ねた。
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今年9月から上映が始まった『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』が早くもネット配信。期間限定のサービス価格で提供。
──アップリンク渋谷は3スクリーンを擁していますが、新たに4つめのスクリーンをネット上に立ち上げたわけですね。 浅井 そうです。ネット上で新たに映画館を始めたというのが「アップリンク・クラウド」の売りです。これまで映画業界では劇場公開からだいたい半年後にDVDが発売され、ビデオオンデマンドもDVD発売に合わせてスタートしていた。それが業界内のゆるやかな慣例でした。アップリンクでも自前でビデオオンデマンドを始めたわけだけど、劇場公開から半年間の空白期間を無駄にしたくないなと考えているんです。配信第1弾のラインナップの中で劇場公開中の作品は『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』だけですが、今後は劇場公開と同時にネット上で配信する作品を増やしていきたいと思っています。 ──ビデオ業界や地方の映画館に波紋を呼びそうな試みですね。 浅井 いやいや、そうじゃない。うちは共同製作も手掛け、配給もしているし、映画館も運営しているので、それぞれの苦労は分かっているので、各業界に余計な波風を立てるつもりはないですよ。確かに今は地方には人がいない状況。テレビで見たけど、商店街には人がおらず、シネコンが入っていたショッピングモールでさえ閉鎖されて廃墟化している。地方の映画館は「東京での劇場公開と同時にネット配信されたら、ますます客が減ってしまう」と不安に感じるかもしれません。でも、ネットで映画を観る人たちは、従来の映画館に足を運んでいた人たちとは異なる層です。東京で暮らしている人でも、渋谷のアップリンクにまで来ない人は大勢いる。忙しくて映画館にもレンタルビデオ店にも行く余裕がないけど、ネット上で気軽に鑑賞できるのなら観てみようと思うかもしれない。映画館やレンタル店に足を運ぶことのなかった新しい顧客を掘り起こすことが「アップリンク・クラウド」の狙いなんです。ファイヤーTVやクロームキャストを使って、自宅にいながら気軽に映画を楽しむことができる。「アップリンク・クラウド」に申し込んだ人の6割がスマホ、残り4割がパソコンで視聴しているんです。 ──もはや映画はスマホで観る時代なんですね。 浅井 スマホで映画を楽しんでいる層は、もともと映画館には行かないし、レンタル店で観たい映画を探す人たちとは異なる人たちだと思います。でもスマホでなら、大阪出張の新幹線の中で1本映画を観ることもできる。僕もね、ネットフリックスやHuluに加入して、風呂に入りながら観ています。ネットフリックスのオリジナルドラマ『ハウス・オブ・カード』なんかは、すごいクオリティーだと思う。でも、従来のミニシアターは客席での飲食も制限されて、身を正して観ていたことを考えると、スマホで映画を観るなんて邪道も邪道だよね(笑)。1981年に「シネマスクエアとうきゅう」が歌舞伎町にオープンして、80年代〜90年代にミニシアターブームが起き、ミニシアターは新しい情報を発進する空間だったのに、そこで時間が止まってしまっている。旧態依然となっている状況は見直すべきでしょう。『君の名は。』があれだけ大ヒットしているのだから、“若者の映画離れ”という定説は通用しない。映画館に若者がいないのはミニシアターだけですよ。 ──映画館が劇場公開作をネット配信するケースは、ミニシアターブームを牽引した「シネマライズ」(2016年1月に閉館)が2010年から取り組んでいたものの、残念な結果に終わっています……。 浅井 シネマライズはネット配信の先駆者として意識しました。シネマライズさんは家電メーカー主導で開発された「アクトビラ」で視聴する形だったんですよね。当時はスマホで映画を観ようなんて考えられなかった。動画を視聴する環境はこの数年で劇的に変わっています。
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ロウ・イエ監督の新作『ブラインド・マッサージ』。2017年1月14日(土)よりアップリンク渋谷、新宿K’s cinema全国順次ロードショー
■寺山修司と伝説の劇団「天井桟敷」から受け継いだもの ──『モンサントの不自然な食べもの』は2012年にアップリンク渋谷で公開し、話題を呼んだドキュメンタリー映画。アップリンクの代表作を配信作品の第1弾ラインナップに入れたかっこうですね。 浅井 今、多くの人が関心を持っているのは食の安全でしょう。米国大統領にドナルド・トランプが選ばれましたが、トランプはTPP離脱を訴えて大統領選に勝った。それなのに、日本の与党はTPP承認案と関連法案を強引に採決しようとしている。おかしいよね。トランプは大金持ちだけど、中小企業のおっさんマインドの持ち主。大統領選を闘っていた彼はグローバル企業の意向なんて屁とも思っていなかっただろうけど、日本の与党には圧力が掛かっているようにしか見えないよね。本当に農作物の輸入を自由化して大丈夫なのかどうかを考えてほしくて、『モンサントの不自然な食べもの』を配信することにしたんです。それでね、配信を始めてアイデアがいろいろ湧いてきた。タイムリーに映画の配信をできるだけじゃなくて、他にもビデオジャーナリストが新たに撮った映像作品やインタビュー映像を「アップリンク・クラウド」で流すこともできる。映画館がテレビ局みたいに自由に使えるチャンネルを持ったようなものだよね。2020年には東京五輪があるけど、テレビ放映されないエクストリーム系の競技の中継や練習風景を流すこともできる。やりたいことがいろいろあって、人手が足りない状態ですよ(笑)。 ──アップリンク渋谷で上映中の人気作『聖なる呼吸』を、「アップリンク・クラウド」では劇場価格よりも低料金で配信している点も気になります。 浅井 始めたばかりの「アップリンク・クラウド」を知ってもらうために、ネットではサービス価格の1,200円で提供(期間限定で30%オフのプロモーションコードを発行)しています。映画館は毎月1日や水曜サービスデには入場料が1100円になるので、その価格を意識したんです。全国にヨガ好きな人は多いんですが、『聖なる呼吸』を観てもらうためにアップリンク渋谷までみなさんに来てもらうのは難しい。でもネット配信なら、全国津々浦々に届けることができる。映画って観たいと思ったときに、届けることができるかどうかが大事だと思うんです。それもあって劇場公開と同時にネット配信することに踏み切ったんです。 ──アップリンクとネット配信の関係でいうと、3.11直後に上映して大反響を呼んだドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』(10)を2014年にYouTubeで無料配信したことも記憶に新しいところです。 浅井 小泉元総理が『100,000年後の安全』を観て、脱原発に方向転換し、都知事選に細川さんを担ぎ出したタイミングで、僕も反原発派なので細川陣営を応援するつもりで無料配信したんです。正確には把握できてないけど、YouTubeのカウンターでは再生回数30万回以上でした。それでも、細川さんは負けちゃったけどね(苦笑)。でもさ、うちみたいな小さな会社でも、今のネット社会なら多少なりともバズを起こせるわけです。面白いと思いますよ。僕らが扱っている映画、広く言えばアートって、社会に対して疑問を投げ掛けることだと思うんですよ。映画という作品として表現することで、社会や既成のシステムに対する見方を変えてみせる。今あるインフラをうまく活用することで、社会にどう関わることができるかに僕はすごく興味があるんです。国家よりもグローバル企業のほうが権力を持っている現代社会に、自分たちがどう関わっていけるかですよ。 ──アップリンクは2017年で創業30年を迎えることに。厳しい映画業界を30年間にわたってサバイバルしてきた心境は? 浅井 信じられないよね、アップリンクを始めて30年だなんて。でも、自分からは過去は振り返らないよ。設立時を知っているスタッフは自分以外には誰もいないし、創業何十周年とか銘打って派手にイベントやる企業って、その後の業績はどうなの? 企業の寿命30年という説もあるからね(笑)。
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グローバル企業の恐ろしさを暴いたドキュメンタリー『モンサントの不自然な食べもの』を配信中。TPP問題を知る上でぜひ観ておきたい。
──配給会社ながら、デレク・ジャーマンなど海外の監督との共同製作にもこれまで力を入れてきました。 浅井 アレハンドロ・ホドロフスキー監督の新作『エンドレス・ポエトリー』も共同製作し、来年公開の予定です。国際共同製作はデレク・ジャーマンの『ザ・ガーデン』(90)から始まったわけだけど、どれも監督たちとの個人的な付き合いから生まれたもの。たまたま付き合いのあったデレク・ジャーマンは英国人で、ホドロフスキーはパリに住むチリ人、ロウ・イエは中国人だったということなんです。黒沢清監督の『アカルイミライ』(03)や矢崎仁司監督の『ストロベリーショートケイクス』(06)も共同製作しています。アートや映画って、個人の力の表現であって、国境にとらわれないのがいい。 ──1990年代には税関を相手に浅井社長が裁判を起こし、週刊誌を賑わしたことも。 浅井 よく覚えているね(笑)。表現の自由を守るためには闘わなくちゃいけないこともある。あの裁判は米国の写真家ロバート・メイプルソープのすでに日本国内でアップリンクが発行販売済みだった写真集を、僕があえて国外に一度持ち出したものを国内に持ち帰る際に成田空港の税関で押収されたもの。僕が原告となり、行政訴訟で東京税関と日本国を被告として訴えたんです。一審で勝ち、二審で負け、最高裁で勝利しました。いわゆる「芸術か猥褻か」をめぐる裁判だったんだけど、猥褻問題をめぐって最高裁で個人が勝ったケースは初めてのことらしいよ。裁判で最終的に勝つまでに10年近くかかったけど、僕が亡くなったときにはきっと僕の生涯の最大の業績になるだろうね(笑)。裁判に勝つことで、それまで猥褻とされていたものが芸術になる。おかしいと思ったら、行政訴訟を起こすのは有効な手段。市民運動を続けても世の中はなかなか変わらないけど、裁判に勝てば判例を残すことで社会を変えることができるってことだよね。 ──中国で度々上映禁止処分に遭っているロウ・イエ監督の『二重生活』(12)などを、アップリンクが積極的に上映している理由がわかった気がします。 浅井 ロウ・イエは中国の体制側と闘ったり、ギリギリのところで撮ったりしている。彼のそういった姿勢やセンチメンタルな作風は僕の心にタッチするものがある。既成概念に縛られずに、自由な表現を守ることは大事なことだと思うよ。2017年1月にはロウ・イエ監督の新作『ブラインド・マッサージ』という盲人マッサージ院を舞台にした、これまた挑発的な作品を公開します。 ──浅井社長は寺山修司が率いた劇団「天井桟敷」出身。寺山修司亡き後、多くの劇団員たちは「万有引力」に参加しましたが、浅井社長は単独でアップリンクを立ち上げた。寺山修司、もしくは天井桟敷から受け継いだものがあるとすれば何でしょうか? 浅井 18歳のときに大阪のサンケイホールで初めて観た天井桟敷の舞台が『邪宗門』で最後はセットが崩れ、役者たちは自分たちの言葉をそれぞれ語り始めるというものでした。寺山修司の評論集に『書を捨てよ町へ出よう』があるけど、まさに「劇場から外へ出よう」という舞台だった。その後、僕が天井桟敷の劇団員になってやったのが阿佐ヶ谷での市街劇『ノック』。街の公園やアパートの一室で、多発的に芝居が繰り広げられるというもの。今回の「アップリンク・クラウド」に通じるものがあるんじゃないかな。劇場という縛りから離れて、街そのものを自分の映画館にしてしまおうということだからね。多くの人に自由な形で、新しい映画の楽しみ方を見つけてほしいなと思っているんです。寺山修司や天井桟敷から受け継いだものがあるとすれば、そういった自由な考え方だろうね。実はアップリンクで以前VHSでしか出していなかった『天井桟敷ビデオ・アンソロジー』を、「アップリンク・クラウド」で鑑賞できるようにしようと企画しているところなんです。これからの「アップリンク・クラウド」、楽しみにしていてください。 (取材・文=長野辰次) ●浅井隆(あさい・たかし) 1955年生まれ。劇団「天井桟敷」の舞台監督を務めた後、87年に有限会社アップリンクを設立。99年から映画上映およびイベントスペース「UPLINK FACTORY」をオープンし、2005年に渋谷区宇田川町に移転。様々な映画の制作・配給・プロデュースを行なっている。 ■アップリンク・クラウド 2016年11月2日から始まったオンラインサービス。パソコンやスマートフォン、アマゾンのファイヤーTV、クロームキャスト、アップルTV、X-BOX360を使って、アップリンクがセレクトした映画を自由なスタイルで視聴できる。『モンサントの不自然な食べもの』や『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』(16)、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(14)などのドキュメンタリー映画、ロウ・イエ監督の『二重生活』やグザヴィエ・ドラン主演作『エレファント・ソング』(14)などの劇映画を現在配信中。 http://www.uplink.co.jp/cloud

あのカンパニー松尾も暴発……白石茉莉奈がオススメするカゲキなSOD作品!

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 2013年のデビューから早3年。「芸能人」「母親」「ふわふわGカップ」という武器で、AV界に名乗りを挙げた白石茉莉奈ちゃんは、すっかりSOD starの看板女優へと成長した。そんなまりりんが、この度レンタルビデオショップ「GEO」で行われる「プレステージ VS ソフト・オン・デマンド」キャンペーンのSOD代表応援団に選出され、その魅力を全国に発信している!  SODというAV業界の与党を牽引する女優・まりりんは、いったいSODの作品をどのように見ているのだろうか? 本人を直撃した!
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──今回、SODの代表として、まりりん自らSOD作品の魅力を語っていただきます! ところで、まりりんは普段からAVをよく見ているのかな? 白石茉莉奈(以下、白石) この仕事を始める前は、オナニーの時は必ずAVをオカズにしていて、好きな女優は吉沢明歩さんでした。でも、仕事を始めてからは、知ってる男優さんや監督さんが携わっているので、集中できなくなっちゃった(笑)。だから、最近のオカズは、AVではなく、最近撮影した作品を思い出すことですね。 ──オカズにしていた時は、AVのどんなところに注目していたの? 白石 私は、前戯とかイチャイチャよりも、激しいのが大好きなんです。挿入して、パンパンって音がしているところが、私のいちばんの興奮ポイント。獣のように野性的なエッチが大好きなんです。 ──ところで、2013年のデビューから3年半が経って、まりりんもSODを代表する女優さんに成長したね。 白石 ここまで、あっという間でした。新人気分が抜けないで、気づいたらベテランと呼ばれます。そろそろ、周囲の眼を意識して、後輩たちを引っ張っていかないといけないですね。 ──おお、すごい向上心! 白石 でも、あくせくせずにマイペースも心がけていますよ。子どもも小学校に上がって、今年、PTAの役員になったんです。家庭と仕事を両立させながら、いきいきと毎日過ごしています。 ──AV女優とPTA役員という二足のわらじだ(笑)。 白石 事務所もSODも、子どものことには協力的だからできることですね。ただ、子どもは今、学童保育に入れていて、友達と過ごしてばかり。もっとお母さんと一緒に過ごす時間をとってあげたいなって思っています。
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──そんなまりりんが、これまで出演した中で印象に残っているプレイは? 白石 複数プレイかな。1対10人で11Pをしたんですが、激しすぎました(笑)。パワフルな男優さんがいっぱい集まって、いろんなサイズ、いろんな形のアソコが代わる代わる入ってくるんです……。今、誰が入れているのかわからなくて、意識が朦朧としてくるっていうのは初めて。何回もいきまくっちゃって、撮影の間はずっとイキッぱなしっていう状況でした。 ──学童の話から複数プレイの話まで振り幅が広すぎ!!! ところで、SODの代名詞といえば、マジックミラー号だけど、まりりんは乗ったことあるのかな? 白石 マジックミラー号には1回乗っています。中にはシャワーもついているから、準備から撮影までマジックミラー号の中でできるんです。けど、バッテリーが上がると、分厚いミラーの密室なので、特に夏場は大変なことになります(笑)。 ──熱中症になっちゃう! 白石 あと、夜になると外から丸見えになっちゃうから使えないんです。朝早く現場に入り、日没までに撮影しきらなきゃいけないから、実は過酷な撮影なんですよ。 ──外が丸見えの状態でエッチをするのは、どんな気分なの? 白石 かなりスリリングですよ。内側からしか見えないはずなのに、外を通る人と眼があったような気持ちになり、ヒヤッとしちゃいますね。特に、ファンの方がマジックミラー号に乗る企画では、ファンの人が動揺しちゃいます。そんな姿を見ていると、母性本能をくすぐられて、いっぱい気持ちよくさせたくなっちゃう。 ──Mを公言してるまりりんも、マジックミラー号に乗るとSになっちゃうんだね。 白石 でも、普段はMなのは変わりません。いかせ系とか陵辱モノも大好きだし、言葉責めもいっぱいされたい。心から楽しめて、自分らしさが出るのはやっぱりドMになれるものかな。 ──じゃあ、まりりんらしさが出てる作品って? 白石 『癒らし。』は、私の実体験をもとにして作られた作品で、ストーリーも大阪の彼と遠距離恋愛をしていた頃の話に基づいています。当時の自分になりきって、素の自分を出しながらプレイできましたね。あとは、『肉感的で生々しい本気汁ハメ撮り4本番』は、ハメ撮りに特化した初めての作品。黒田悠斗さん、ビーバップみのるさん、タートル今田さん、カンパニー松尾さんという4人の男優さんに相手をしてもらったんですが、全員のことが大好きになっちゃいました。 ──個人的な感情も入って、まさに恋人気分だったんだね。 白石 なかでも、カンパニー松尾さんは、まさかの暴発をしちゃったんです……。
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──え、あのカンマツが暴発!? 白石 「ビジネスじゃない感情になってしまった」と言っていましたね。これまで、彼が暴発したのは片手で数えるほどらしいのですが、そのうちのひとりになれて光栄です。 ──SODのシリーズといえば、マジックミラー号にの他にも「女子社員シリーズ」の人気が沸騰しているよね。 白石 女優として出演していなかったら、社員として勤務したいっていうくらいSODが好きなんです。女子社員シリーズでは、身体測定をして、おっぱいの幅が何センチ、とか計測するんです。私だったら乳輪の幅を測られちゃうかな(笑)。 ──すごい愛社精神だ(笑)。そんなまりりんにとって、SOD作品の魅力はどこにある? 白石 私の場合は、もともと社員としてSODにいた監督や、社内監督に撮ってもらうことが多いんです。1回きりでなく、何度も一緒にお仕事をするので、現場もアットホームな雰囲気。家族っぽい感じで撮影できるから、安心して自分をさらけ出すことができるんですよ。
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 そんなSODへの愛を語ってくれたまりりんや飛鳥りんちゃん、戸田真琴ちゃんがSOD代表応援団となる「SOD VS PRESTIGE collaboration with GEO」は、11月10日(木)~1月22日(日)まで全国のGEO店舗で、SOD15本・PRESTIGE15本の対象タイトルを含む1回計400円以上の利用で、特設サイトにアクセスして応募できるキャンペーンだ。なんと今回登場してくれたまりりんが撮影時にはいたサイン入りショートパンツや、PRESTIGE応援団が着用したサイン入り特製キャップなど豪華商品が用意されている。
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 また、キャンペーンWEBでは、11月10日(木)~12月25日(日)1:59までの期間限定でSODとPRESTIGEのどっちが勝つかの勝敗予想に投票することができる。投票すると見ることができる「応援動画&おまけ動画」も公開予定。  投票・キャンペーン詳細は特設サイトで見ることができる。
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──最後に、読者にメッセージをお願いします! 白石 今回のキャンペーンでは、みなさんに是非SODを応援していただきたいですし、グループにはSODstar、シルクラボ、青春時代など、レーベルもいろいろあるし、シリーズもいっぱいあります。絶対にぴったりのビデオがあるはずなので、ぜひお気に入りの1本を探し出してほしいです! ──是非GEO特設サイトで投票したり、店頭で対象タイトルをレンタルしてまりりんを応援しよう! ■関連リンク 常に全力投球でセックス! 絶対的美少女・長谷川るい、プレステージ作品の魅力を語りつくす!! 〈ゲオトナ〉&〈ゲオチャンネル〉プレステージ激オシ企画 あやみ旬果が「食ザー」に興味津々……AV女優によるAVレビュー連載始動! 「フェラも上手くできなかった……」あやみ旬果がデビュー時代を振り返る!