松本人志も、秋元康も…“特許”を出願していた有名人たちの発明とは

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『すばらしき特殊特許の世界』(太田出版)
 国が新しい発明や研究に独占的な使用権を認める「特許」。一発当てれば億万長者になれると都市伝説のように言われているが、実際に出願しているのは最先端企業や専門の研究者、あるいはドクター中松のようなちょっと変わった人というのが一般的なイメージだろう。だが、その実、特許とは縁もゆかりもなさそうな著名人が一攫千金を夢見て出願し、しかも実際に認められた発明も少なくないという。  少し前に出版された『すばらしき特殊特許の世界』(稲森謙太郎/太田出版)では、出願人やその内容が“ふつうじゃない”ケース、つまり有名人による特許やちょっとトンデモな特許などが多数紹介されている。  たとえば、ダウンタウンの松本人志。言わずと知れた天才芸人が発明した目覚まし時計「時をかけるおっさん」は、ネーミングはともかく意外に実用性が高そうだ。

TOWA TEIが語るソロ活動20年の原点「毎晩DJが作る時間のカーブを自分も描きたいと思った」

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【リアルサウンドより】  TOWA TEIが、ソロ活動20周年を記念したリミックスベストアルバム『94-14 REMIX』を7月23日に、20年間に発表してきた楽曲の中からセレクトしたオリジナルソングのベストアルバム『94-14』と、カヴァーソングのベストアルバム『94-14 COVERS』を9月3日にリリースした。今回リアルサウンドでは、他に例を見ないTOWA TEIの音楽キャリアをたどるロング・インタビューを実施。前編では、NYに渡ってDJ活動をはじめた経緯や、ザ・ジャングル・ブラザーズらとの交遊禄、さらにはディー・ライトで世界的なブレイクを経験した当時のウラ話など、ソロ活動以前のエピソードもたっぷりと語ってもらった。聞き手は小野島 大氏。(編集部)

「やっぱりプロダクション寄りの人間なんですかね」

――今、テイさんは高橋幸宏さんとYukihiro Takahashi & METAFIVEというバンドをやってらしゃいますが、これ、テイさんにとってはディー・ライト以来のバンドってことになるんですよね。ライブにも積極的に取り組んでおられます。 テイ・トウワ:幸宏さんに頼まれたんですよ。自分のリーダー曲で2曲ほど幸宏さんをフィーチャーさせていただいたので、断る理由がなくて(笑)。コンサートも、自分のでさえ100%やらないですから。嫌いなんで。ライブの仕込みとか練習とか大嫌いなんですよ。 ――そういえばソロになってからライブは一回もやられてないですよね。 テイ・トウワ:やってないですよ。ディー・ライトも、みんなが全盛期と思ってる時に辞めちゃったんで。その時は事故ったので、それを理由に辞められたんですけど。なんというかな…筋肉というかトレーニングというか再現性とか、そういうものにまったく興味がない。だからシーケンサー使ってるし(笑)。やっぱりプロダクション寄りの人間なんですかね。作ったあとリミックスしたりジャケ考えたりするのが好きというか。 ――ライブをやる人は、ライブはライブならではの醍醐味があると言いますけど。 テイ・トウワ:こないだワールド・ハピネスのライブが大雨で大変だったんですよ。幸宏さんがすごい晴れ男で、僕らの時は止んだんですけど、風が凄くて、Macの蓋が閉まっちゃうぐらい。ビニールを機材の上にかぶせて、手をビニールの中に入れて操作して。なんとかなったね、という話を二次会でしていたら、まりん(砂原良徳)がポツンと“バンドだとさあ、みんなで共有できるじゃん、大変だったことも良かったことも”って言ったんですよ。ああ、ずいぶん忘れてた感覚だなあ、と思って。DJは良かったにせよ悪かったにせよ、分かち合えないですからね。呼んでくれたイベンターさんと”盛り上がったねー”みたいなのはあるかもしれないけど、ひとりでやるピン芸人なんで。みんな(META FIVEのメンバー)濃いバンドにいたじゃないですか(笑)。だからバンドの良さはわかるんだろうけど、僕はほんとに(バンドでは)やることないですし。幸宏さんに最初に声をかけてもらって”いやいやいや、やったことないですし”って断ろうと思ったんですけど、一回だけでも、という話だったので、じゃあVJをやろうかと3曲だけやって、あとはやることをリハ中に見つけていくって感じだったんですけど…もちろん練習すれば弾けますけどね、自分の関わった曲とかYMOの曲とかのなにかしらは。でも別にそれはシーケンサーでもいいし、とか思っちゃうし。みんなキーボード弾けるし、自分の立ち位置がよくわからないなと思ってたんですけど、結果的には居場所ができたというか。ツマミ係というかね(笑)。スイッチとかフィルターとかの担当をやってますね(笑)。 ――お客さんの反応とかどうなんですか。 テイ・トウワ:うん、それはそれなりに。DJとはまた違うものがありますよね。 ――じゃあ今度ご自分の… テイ・トウワ:(遮って)やらないです(笑)。 ――あ、やらないですか(笑)。 テイ・トウワ:あははは(笑)。細野(晴臣)さんに去年言われたんですよ。”そうか、来年は20周年か。もうテイ君も50歳か。コンサートやろうよ。なんでもやるから。ベース弾くよ”って言ってくださって。”ええーっ!”って。ちょうどそこに小山田(圭吾)君もいて、”僕ギター弾きますよ”ってくれて。すげえバンドになるなあ、と思ったんですけど、その言葉だけで有難く…。 ――いやいや、それはもったいなさすぎです(笑)。そんな豪華なメンツが自分から言ってくるなんて… テイ・トウワ:社交辞令じゃないですか?(笑) ――いやいやいや…じゃあご自分としてはスタジオの中で音をいじっている方がいい、と。 テイ・トウワ:そうですねえ…ちまちまコラージュやってるとかね。そもそも団体行動があまり好きじゃないし…やはりディー・ライトの時のトラウマがね…。それこそ自分たちの作った曲を世界中の人たちが大合唱してくれて、イントロかけただけでわーっとなるっていう感覚…あの時初めて味わって、あれは中毒になるだろうなとは思いましたけど…。 ――でもディー・ライトも、ある時期までは楽しいと思ってたんですよね? テイ・トウワ:いやあ…一番最初のころ、地元のバンドとしてパーティーをやったりとか、それぐらいの時はよかったですけど、そこからワーナー(エレクトラ)と契約して、いきなりアメリカ・ツアーだヨーロッパ・ツアーだってなってからは、毎晩各地へ移動して練習して本番やって、また翌朝チェックアウトして移動して…という、それがもうトラウマになっちゃったんですよね。 ――アメリカ・ツアーが過酷だって話はいろんな人から聞きますね。 テイ・トウワ:過酷ですよ~食い物が一番つらいですね。僕、パン食が3回続けられない人なんで(笑)。テキサスの田舎とか行くとホテルのルームメニューぐらいしか食べるものがなくて、それも”ビーフorチキンorサーモン”ぐらい選択肢がない。それも全部同じバター味ですよ(笑)。 ――ディー・ライトで世界デビューして大ヒット、というのはいわば、メジャー契約をする多くのミュージシャンが最終的に目指すような大目標じゃないですか。でもそれをテイさんはミュージシャンとしての最初のキャリアでいきなり達成してしまったわけですよね。 テイ・トウワ:そうなんですよね。普通のバンドならだんだん会場が大きくなって、”よし次は武道館だ!”みたいな、そういうグラデーションがあるけど、僕らは90年にデビューしていきなり行っちゃいましたからね。それでも87年の終わりからやってて、88年89年とDJで食いつなぎながら、月に1回か2回はいろんなパーティーに呼ばれて演奏して、だんだん町の人気バンドになって、何万人も来るような地元の大きなゲイのイベントでトリをやって…みたいな経緯は辿ってますけど。 ――そのころのニューヨークはハウスの勃興期ですね。 テイ・トウワ:そうです。87年にフランキー(・ナックルズ)がシカゴから来て。ヒップホップも盛り上がってましたよね。僕は88年にジャンブラ(ザ・ジャングル・ブラザーズ)のファースト(『Straight out the Jungle』)を聞いて、音悪いけどかっこいいなあと思って。僕がDJをやってるパーティーで初めて会って名刺を渡して。次の日にスタジオに遊びに行ったんです。ちょうどセカンド・アルバム(『Done by the Forces of Nature』89年)を作り始めたころで。へったくそな打ち込みをずっと聞かされて。今作ってるネタも全部あるしサンプラーもあるからウチにおいでよ、タダでできるよって話を彼らにして。それから仲良くなって。なのでジャンブラのアルバムの半分以上はウチで打ち込んでますね。だから(僕のやっていたのは)マニピュレーターですよ。キックはこういうパターンにしたら、みたいな話をして、打ち込んであげたりね。そうしたら”話は聞いてるよ、今度デビューするア・トライブ・コールド・クエストなんだけど”って、Qティップを紹介されて、“あ、あのヘンな声の人だ”って(笑)。それからQティップがレコード抱えてウチに来るようになって、彼らのファースト(『People's Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』)をお手伝いして。 ――うーむ。すごい話ですねえ… テイ・トウワ:ちょうどデラ(デ・ラ・ソウル)が89年にクロスオーバーなヒットを飛ばしてた時期で。“ジャンブラを手伝ってる人でしょ”って声かけられて。ディー・ライトとしてもローカル番組で(デラと)一緒になったりしてね。UKの方では屋敷豪太さんが関わったーーその頃はまだ面識なかったですけどーーソウルIIソウルが出てきて。 ――いろんな人たちが世界中から同時多発的に出てきて大きな動きになりつつあった。 テイ・トウワ:だから、ウチらもチャンスはあるだろうなって確信はしてました。ただポップ・チャートで各国で1位になるとは思ってなかった。88年には野外フェスで”Grooves in the Heart”とかかけて大盛り上がりしてたんで、ダンス・チャートでは1位になるだろうとは思ってましたけどね。

「ディー・ライトと出会って良かったのは、ポジティヴでいるとポジティヴなことが起こりやすいよって教えてくれたこと」

――そのへんのことはお話を聞くだけでワクワクしてきます。そもそもテイさんはデザインの勉強でニューヨークに行かれたんですよね。 テイ・トウワ:そうですそうです。 ――それがなぜ音楽の道に進むことになったんですか。 テイ・トウワ:音楽は趣味の範疇でずーっとやってたんですよ。僕は一浪して武蔵美の短大に行ってて、4大に編入を狙ってたんだけど出来ず、ブラブラしてたんだけど親に、海外でデザインの勉強してこいって言われたんですよ。でも海外って言われても僕は英語なんて全然できない。その頃は坂本龍一さん周りのバイトとかやってて、ナム・ジュン・パイクさんの下の人とかと話す機会はあったんだけど英語が喋れないからすごいストレスで。”残念な自分”だったんですよ。デモ・テープを坂本さんに送ったのがレコード化されたり、そのディレクターの人にジャケットのデザインも頼まれたり、その人に言われてCMのコンペに出したら勝っちゃったりして。それで当時坂本さんがいたmidiレーベルでソロ・アルバム出さないかって言われたんですけど、”いや無理無理”って。そのころ同時期にやってたのがコンスタンス・タワーズとか。知ってます? 岸野(雄一)君とか常磐響とか松前(公高)君がやってた。でも僕はあんなに器用じゃないし無理無理無理って(断った)。だから音楽はあくまでも趣味のつもりだった。でもいざニューヨークに行ったら、クラブがほんと面白くて。昼間は学校に行かず一日中レコ屋をハシゴして、夜は毎晩クラブ通いですよ。そうするうち、行った年の秋にはDJになれちゃったんで…。 ――(笑)展開が急すぎる。なぜいきなりDJになれたんですか? テイ・トウワ:それ、いろんなところで話してるんではしょって言います(笑)。ある時1本目のテープを作ったんですよ。 ――ミックステープ? テイ・トウワ:はい。居候がタンテのセットを買って、帰ったあとに家賃代わりに置いていったものを使って、レコードは一杯あったから作ってみたんですよ。90分の、ファンクからハウスから入ってる。ジェイムス・ブラウンから始まって、というのは覚えてますね。それをコピーして好きなDJに渡そうと思って。その一人がディミトリ(ディー・ライトのDJディミトリ)だったんです。すごい(感覚が)自分と近いと思ってたから。P・ファンクからJBからロニー・リストン・スミスから、みたいな。いきなり"Riot in Logos"(坂本龍一)をかけてみたりとか。良く知ってるなあ、と思って見てたから。 ――ディミトリはその頃もう有名だったんですか。 テイ・トウワ:町の有名DJ、人気DJ、ってとこですかね。彼がテープを聴いてくれて興奮して。会ったんですよ1週間後に。そうしたら”You are born to be DJ”って言ってくれたんですよ。”俺らはソウル・メイトだ”って興奮してて(笑)。それでってまだeが2つだった4曲入りのカセットをくれたんですよ。帰って聴いてみたら、クスクス笑っちゃうような拙い打ち込みだったんですけど、いい曲だなって思った。そこから何曲かはセカンドに入ったりしたんですよ。それはQティップやジャンブラを手伝う前なんですけど。それでディミトリに”テープ面白かったよ。ウチにコンピューターもサンプラーあるから、ちょっとしたことだったら出来るし、手伝うよ”って声をかけたのが最初だったんです。で、昼過ぎにウチに来てランチ食べて、毎日打ち込みやって作って。1発目に作ったーー未発表なんですけどーー「The Game」って曲があるんですけど、それの出来がすごく良くて、そこでみんな興奮して”トウワと作った途端にみんなの反応が変わった!”みたいな。 ――その時はもうボーカルは(レディ・ミス・)キアーだったんですか? テイ・トウワ:キアーです。で、それで既にある曲を僕がアレンジしたり、“What is Love?”とか“Grooves in the Heart”を僕が新たに作って、レコード会社にテープを送ったんです。“トウワと会う前はテープを送ってもいつも返事の文面が同じだった。<才能に満ちているとは思いますが今回はタイミングがあいませんでした>ってテンプレートみたいな返事ばかりだったのが、トウワが入ってから担当者が電話をくれるようになった”って(笑)。よかったねえ、って返事して。まだ他人事だったんですよ(笑)。ディミトリは週末の木金土はDJやってたんで、ダウンタウンの小バコに遊びに行ったら、“トイレに行くから今の曲終わったらこれかけといて”って言われてやったんだけど全然帰ってこなくて。そのままやってたら、背後に煙の匂いと人気を感じて、振り返ったら(店のオーナーが)来週から来てくれって。翌週からレギュラーでDJをやるようになって。 ――めちゃくちゃ順調というかラッキーですね。 テイ・トウワ:そう思うでしょ? 昨日も言われましたよ。テイさんはラッキーな人ですねって。そんなことないんですよ(笑)。人生、みんな同じように辛いこともあるだろうし、楽しいこともある。辛いことがなければ楽しいことを楽しいとは思えないだろうし。僕はコンプレックスの固まりだし、もともと根暗だし。ほっとくと暗い曲ばかり作ってますから。でもダークな曲だったり人を脅かすような曲ばかり作っていると、調子が悪くなってきますよね。若かったり体力があって、怒りに満ちてる人はそれができると思うけど、僕は無理ですね。ディー・ライトと出会って良かったのは、ポジティヴ・シンキング…じゃないけど、ポジシンでいるとポジティヴなことが起こりやすいよって教えてくれたことですね」 ――なるほど。じゃあ最初はディー・ライトのメンバーに誘われたわけじゃなくて。 テイ・トウワ:そう。2回目のライブを見たら、もらったデモテープの曲をやってて。ダンサーが2人いて踊ってるんですけどそれがめちゃくちゃ面白くて。3回目のライブの時には僕もステージの上にいました。無理やりあげさせられて。でもメンバーというよりはお手伝いしてる感覚で。

「日本の仕事の方が自由だなって気づいた」

――じゃあアーティストとして表舞台に立ちたいとか、自分を表現したいとか、そういう強い気持ちは… テイ・トウワ:なかったですし、今もないです。 ――今もないですか? テイ・トウワ:ないです。未だになぜ自分が取材なんか受けてるんだろうって思うし。 ――じゃあ自分で望んだというよりは、周りがそういう状況になって… テイ・トウワ:流れですかねえ。流れで学校はドロップアウトしちゃいましたし。でもDJはとにかく楽しくて仕方なかったんで、それ以外は考えられなかった。午後に起きて(ディミトリと)落ち合って曲を作って、お互いの現場に分かれて、たまに一緒にDJやって。キアーはキアーでダンサーとして踊ったりしてたし。だから…夜の生活でしたね。 ――そういう気ままな生活がメジャー・デビューで激変して。 テイ・トウワ:そうですねえ。ほんとツアーがいやでいやでしょうがなかった。最初にステージにあげさせられた時は、ちょっと恥ずかしいとか緊張するとかその程度の<いや>でしたけど、それも慣れてきて、気がついたら何万人の前でやったりするようになって。ステージから落ちたのは15万人の前でしたからね(91年「Rock in Rio」)。リサ・スタンスフィールドとジョージ・マイケルの間(の出番)でしたね(笑)。ディー・ライトのおかげでいろんな体験はできたけど、でもそれもそもそも自分が望んだことじゃないし。DJにはなりたいと凄く強く思いましたけどね。毎日レコード買って、毎晩DJが作る時間のカーブを自分も描きたいと思った。10時ぐらいに行って。カウンターでビールを軽く飲んで、11時ぐらいから適当に回し始めて。そのころには既にがっつり踊ってるお客さんもいて。朝の4時に終わるんですけど、その頃になるとオーナーさんがやってきて“Towa,Good Job!”とか言って、後ろポケットに札束を入れてくれるんですけど、一晩で150ドルですよ。時給いくらだよっていう(笑)。でもコンビニのバイトよりはいいのか(笑)。でも楽しかったし。ビッグ・オーディオ・ダイナマイトの前座でやったときは30分で500ドルもらったけど(笑)。時給15万?みたいな。今はさすがに時給もだいぶあがりましたけど、お金の問題じゃなかったから。 ――アーティストじゃなくDJとしてやっていきたいと。 テイ・トウワ:いや、やっていきたいも何も…とりあえず4年制(の大学)は出なきゃいけないと思ってたんですよ。美大出て、英語も喋れるようになって、3年ぐらいしたら日本に帰って…とか、なんとなく考えてたんですけど、DJになっちゃってから、何も…明日のことも考えなくなっちゃった。なんとか今月は家賃払えるかな、ぐらい(笑)。何も考えてなかったですね。何も考えてなかったことだけは覚えてます(笑)。 ――ディー・ライトでやっていきたいという強い意志があったわけでもなく。 テイ・トウワ:まったく弱い意志でしたね(苦笑)…それで15万人の前で怪我して。その時までバンドを辞めたくて仕方なかったのに辞められなかった。あとで思うと、守護霊だかなんだか知らないけど、自分の潜在意識か落としてくれたのかもしれないですね。それしか(辞めるには)なかったですもん。事故しか。 ――なるほど。 テイ・トウワ:それですぐにでも辞めたかったけど、とりあえず療養することになって。そうしたら坂本さんからアルバムを手伝ってくれと言われて、『Sweet Revenge』をやり、それから立花ハジメさんの『バンビ』を手伝うことになったんです。彼ら(ディー・ライト)よりもともとよく知ってる人たちだし、恩返しじゃないけど、楽しいし。すげえプレッシャーだったので、できるかどうか不安ではあったんですけど。そのころは日本に帰るビジョンもなくて、なんとなくDJを続けていくのかなあ、と思っていましたね。ディー・ライトでツアーが入ってからレギュラーのパーティーは辞めちゃったけど、単発でよく回してたし、どこのクラブ行っても顔パスだし、レコ屋に行けば”トウワが好きそうなのとっといたよ”って、ちやほやされるし。居心地のいい町になってたんですよ、いつのまにか。日本に帰るなんて考えられなかった。でもNOKKOちゃんの仕事(『I Will Catch U.』1993年)とかやると、どうも日本の仕事の方が自由だなって気づくんですよ。むこうにいる限り”ダンサブルにしてくれ”とか”リミックスしてくれ”と、この2つしか来ないんですよ。日本の仕事はCMのタイアップとかよくわからなかったけど、それはそれで自分にとってはフレッシュだったし。ダウンタウンとの仕事(『GEISHA GIRLS』1995年)も楽しかったし」 ――請け負ってやるような職人仕事は性に合わなかったということですか。 テイ・トウワ:うん、そうですね。…で、なんとなく教授からソロを出さないかって言われて。その時に契約上のことをクリアにして、日本だけは教授のレーベル(gut)で出せるようにしたんです。 (後編に続く) (取材・文=小野島大)
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TOWA TEI『94-14』(ワーナーミュージック・ジャパン)

■リリース情報 『94-14』 発売:2014年9月3日 価格:¥2,800(税抜) Artwork:Barry MacGee 〈収録曲〉 1.Apple with Ringo Sheena 2.Radio with Yukihiro Takahashi & Tina Tamashiro 3.The Burning Plain with Yukihiro Takahashi & Kiko Mizuhara 4.Marvelous with Yurico 5.Mind Wall with Miho Hatori 6.A.O.R. with Lina Ohta 7.Taste of You with Taprikk Sweezee 8.Sometime Samurai with Kylie Minogue 9.Milky Way with Yukalicious, Joi Cardwell & Ryuichi Sakamoto 10.Latte & Macaron 11.Mars with Ikuko Harada(Clammbon) 12.Butterfly with Ayumi Tanabe & Vivien Sessoms 13.Let Me Know with Chara 14.Happy with Vivien Sessoms, Bahamadia & Bebel Gilberto 15.Time After Time with Amel Larrieux & Vivien Sessoms 16Luv Connection with Joi Cardwell & Vivien Sessoms 17.Technova with Bebel Gilberto 18.Amai Seikatsu with Maki Nomiya
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TOWA TEI『94-14 COVERS』(ワーナーミュージック・ジャパン)

『94-14 COVERS』 発売:2014年9月3日 価格:¥2,600(税抜) Artwork:TOMOO GOKITA 〈収録曲〉 1.Last Century Modern ~ Technova(94-14) with INO hidefumi[* New Recordings] 2.Hold Me Tighter In The Rain with Vivien Sessoms[* New Recordings] 3.Mars(94-14) with Aoi Teshima & Ikuko Harada[* New Recordings] 4.Siesta(94-14) [* New Recordings] 5.Get Myself Together with Taprikk Sweezee 6.Free with Rozz, Vivian Sessoms & Juiceman 7.My Sharona with Tycoon Tosh & Buffalo Daughter 8.Last Century Modern(94-14) [* New Recordings] 9.Funkin' For Jamaica with Joanne, Les Nubians, Wizdom Life & Tom Browne 10.Forget Me Nots with Joi Cardwell & Vivien Sessoms 11.Batucada with Bebel Gilberto 12.Private Eyes(94-14) with Bebel Gilberto[* New Recordings] ■20TH ANNIV. SPECIAL SITE http://wmg.jp/towatei20th/

「サークルクラッシャー臭がする」!? 浅倉南の魔性を浮き彫りにした『アメトーーク!』の「タッチ芸人」

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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『タッチ』TVシリーズ Blu-ray BOX1より。
 9月11日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日)では、あだち充の不朽の名作『タッチ』(小学館)を愛するタッチ芸人たちが登場した。  番組がスタートすると、浅倉南のコスプレをした磯山さやかを先頭に、明青学園高校野球部のユニフォームに見を包んだ芸人たちが入場。全員が達也or和也のコスプレですと、ひとしきりボケてから本題に突入した。 「おたぽる」で続きを読む

岡田将生が腐女子受けを狙っている? 男子にキス、男子に告白

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『ST 警視庁科学特捜班(Blu-ray Disc)』
 岡田将生が、ウエディングドレス姿で男性とキスしたと話題になっている。岡田のウェディング姿でのキスが見られるのは、11月22日から公開される映画『想いのこし』。この映画では、ほかにも岡田が男子高校生に告白する姿やポールダンス姿も見られるという。イケメン俳優として人気の岡田だが、実はここ最近、特にBL妄想を掻き立てられる役どころを演じることが多い。  たとえば、ドラマ『リーガル・ハイ2』(フジテレビ系)。岡田は、堺雅人演じる弁護士・古美門のライバル的存在として登場した、天性の人たらし弁護士・羽生晴樹を演じていたが、ネット上では放送中ずっと“羽生ゲイ疑惑”が囁かれていた。実際、最終回では羽生が想いを寄せていたのは古美門という衝撃的な結末を迎え、ネット上はお祭り騒ぎに。また、映画『偉大なる、しゅららぼん』では、濱田岳演じる殿の日出淡十郎と岡田演じるお供の日出涼介の主従関係に「萌える」という女子が多かった。

アゲハスプリングス玉井健二社長インタビュー「今は邦楽を作っている人にとっては大きなチャンス」

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クリエイター集団「アゲハスプリングス」を率いる玉井健二氏。

【リアルサウンドより】  音楽文化を取り巻く環境についてフォーカスし、キーパーソンに今後のあり方を聞くインタビューシリーズ。第2回目は音楽プロデュースを軸に、レーベル運営、広告戦略まで幅広いビジネス領域を手がける株式会社agehaspringsの玉井健二氏に話を聞く。ミュージシャンとしてデビューした経験を持つ玉井氏は、どのようなプロセスを経て、音楽業界では前例のない「会社としてプロデュースを手がける組織」を作り上げたか。インタビューの前半では、初の著書『人を振り向かせるプロデュースの力 クリエイター集団アゲハスプリングスの社外秘マニュアル』でも展開されている独創的なヒット理論について掘り下げた。(編集部)

「完成形のイメージが見えているのに、それに追いつかないというジレンマがあった」

ーー本書『人を振り向かせるプロデュースの力 クリエイター集団アゲハスプリングスの社外秘マニュアル』では、玉井さんの音楽プロデュースに対する考え方や発想法を軸に、実践的な方法論についても惜しみなく書かれています。本書はどんな読者を想定して書かれたのでしょうか。 玉井:音楽に関わる人々を大きく2つに分けると、音楽を趣味としている方と、音楽を手段として何かをしたい方に分かれると思います。本書は後者の方が何かをする際のヒントになればいいと思って書きました。サブタイトルに「クリエイター集団アゲハスプリングスの社外秘マニュアル」とある通り、もともと社内マニュアルみたいなものを書こうと思っていたのですが、日々の忙しさに追われて、気付けば10年もかかってしまいました。たぶん、書籍のお話をいただけなければ書けないものだったと思います。 ーー玉井さんが日々、社内のクリエイターに伝えていることが書かれていると。 玉井:音楽に限った話ではなく、何かを作るときには、ただ作るだけではなくて、それをどうやって人に届けるかのノウハウがあります。そのノウハウを社員に伝えるには、事細かに具体的な手法を説明するのではなく、どのように考えれば答えや方法論に行き着くのかを伝えなければいけません。つまり“考え方”そのものを解説しているので、本としてはエンターテイメント性に欠けると思います。だからこそ、本当に必要にかられた人に実用書的に読んでもらって、目的を達成するための役に立ててもらえれば良いと思っています。 ーー玉井さんは本書で“音楽を通して何をするか”ということを強調されていますね。そうした考えに至った経緯とは? 玉井:僕が育ったのは大阪のリアルに荒れた街で、油断していると「コロッケパン買ってこい」とか言われるところでした(笑)。なにかキャラ立ちしていないとすぐにイジメの対象になってしまうんです。そこで僕がある時、ギターをポロンと弾いたら、みんなが思った以上に驚いたので「これでイケる!」と勘違いしたんですよ(笑)。大げさに言うと、最初から身を守るために始めたことなので、もしかしたら純粋に「こういう曲を作りたい」という動機はなかったかもしれない。でも、音楽を始めたら自分の想像を超えた反響があって、ライブをすれば人がいっぱいきてくれるので、そういうことが単純に面白くなってしまったんです。 ーーご自身の音楽的な適性には早い段階から気付いていましたか? 玉井:アマチュアのレベルですが、大体の楽器ができましたし、特にベースはおもしろかったです。ただ、僕の人生もずっとそんな感じですが、最初に完成形のイメージが見えているのに、それには追いつかないというジレンマをずっと抱えてきました。そういうイメージは自分の演奏以外にもあって、たとえば4人組のバンドがいたら、もっとこうすれば良いのに、というのは見える。もしかしたら、あまり家が恵まれていなかったので、遊び道具をあまり買ってもらえなかったことが影響しているのかもしれません。たまに自分でプラモデルを買ってきて組み立てるんですが、次は買えないので一個のプラモデルを徹底的にいじくり回すんです。色を塗り替えたり、違うものをくっつけたりして遊んでいたのが、完成形をイメージするというクセに繋がった気がします。 ーー完成形が見えるというのは、プロデューサーの資質として重要ではないでしょうか。 玉井:そうかもしれません。僕の中には“こうやりたい”ではなくて、“こうしなければならない”という考えがあって、どうしても主体的に楽しめないところがありました。特にボーカリストはお客さんを煽ったり、ちょっといいこと言ったりして、尚かつ格好よくなければいけないので、あまりやりたいことではなかったんです。ただ、イメージする完成形を具現化してくれる人がいなかったので、自分でやるしかない。たとえば、他のバンドがロックっぽい格好をしている中で、僕らはすごく無理をしてヴィヴィアン・ウエストウッドを着たり、僕は背が小さく細かったので、中性的に見せた方が良いかと思ってスパッツを履いてみたりしました。そこまではいいんですが、いざライブがはじめると自分の理想に追いつかないんですよね。結局のところ、自分には“厚かましさが足りない”という結論に達しました(笑)。

「自分には才能がないことを認めることから始めた」

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玉井健二『人を振り向かせるプロデュースの力 クリエイター集団アゲハスプリングスの社外秘マニュアル』(リットーミュージック)

ーーソロの音楽活動、DJとしての活動、さらにはイギリスで音楽制作を行ったりと、20代の頃にはいろんな経験を積んでいますね。その中でプロデューサー志向を強めた経緯は? 玉井:木崎賢治さんというプロデューサーに出会って、「こういう道もあるのか」と思ったのがきっかけですね。木崎さんには圧倒的に魅力があって、子どもの頃から見ていたテレビの向こう側の人よりも、面白そうな仕事をしているように見えました。もともと「将来ああなりたい」と思っていたことだった気がします。だから、93年にバンドを解散してソロアルバムを作ることになったときは、自分では作りませんでした。将来プロデューサーになるために、本当の意味でのプロデュース・ワークというものを体験したかったんです。結果これが大きな財産になりましたね。表に出るスターというのは、何かを磨いて輝かせる人だと思うのですが、僕の場合は何かを捨てることで道が拓けたんじゃないかと思います。 ーー1999年にはEPICレコードに入社していますね。そこでは嫌な仕事も進んでやっていたとか? 玉井:レコード会社では、アーティスト出身のプロデューサーとして入社してヒットを飛ばす方がかっこいいんですが、ADから始める方が間違いなく多くを学べます。だから僕も制作の仕事をちゃんと学ぶために、プライドを捨ててADから始めたのですが、自分をすべて否定しなければいけないので、本当に辛かったですね。しかしそこで学んだことは圧倒的に大きくて、もしその体験がなかったら、現在の具体的なプランは練れていないはずです。 ーーEPIC入社前後から、“売れるポップス”とは何か、かなり具体的に分析したと書かれています。その分析はどのようなところから始まったのですか。 玉井:まず、自分には才能がないことを認めることから始めました。それが素直にできたのは、ミスチルの桜井さんやつんく♂さんのように、同時期に優秀な人がいっぱいいたから。成功する人とそうではない人がはっきりしていて、彼らと自分との違いを分析すると、音楽性の違いうんぬん以上に成功する才能、それ自体がない、というところに行き着く。しかし、才能がないなりに、どういう曲がヒットする曲かは分析できるので、その作り方を学んでいきました。これは人から学ぶことは少なくて、自分でひたすら研究して覚えたことがほとんどです。20歳前後の頃だったと思います。当時の事務所をクビになった後、たまたまクラブで雇ってもらえて、そこがいい環境で、毎日いろんな曲が聴けたんです。僕らにはダサイものとされていて、これまで触ってこなかったダンスクラシックなども聴くことができた。Earth,Wind&Fireとかね。「ジンギスカン〜」とか最初はまったく理解できなかったんですけど、でもそれがなぜ売れたのかを分析していくと、時代背景はもちろん、様々な音楽的な要素があるんです。細かいことをいうとR&B以前、ブラック・コンテンポラリーとか呼んでいた頃の曲は、コードは循環なんだけど、サビはちゃんとサビっぽく聴こえるように作られている。それはコーラスワークが影響していたりするのですが、そういった基本的なことを一個一個覚えていったんです。自分なりの発見が沢山あって、すごく面白かった。また、そうして後天的に身に付けた事だから他人に教えられるという側面もあるんじゃないかと思います。

「邦楽は中国や東南アジアに対して、ものすごい訴求力がある」

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玉井氏の最新プロデュース作品となるYUKI『FLY』(ERJ)。9月17日リリース。

ーー玉井さんの分析によると、欧米のポップミュージックにはブルースとカントリーがいつも根底にあって、本書ではそれを「ブイヨン」と呼んでいます。そして、そのブイヨンはいろんな形を取りながらも現在も効力を発揮していると。さらに「ブイヨンと出汁」という比喩で欧米と日本の音楽を比較していますが、それについて改めて教えてください。 玉井:「ブイヨンと出汁」としか表現しようがなかったのですが、単純に日本の音楽のルーツにはダンスという概念がないんですよね。もちろん、踊りという概念はあるんですけど、“聴くと踊り出してしまう”という種類のダンスはこれまでの日本にはなかった。幼稚園のお遊戯や盆踊りなどは形が決まっているもので、グルーヴを感じて踊るフリースタイルの文化がないし、そもそも日本語自体にもグルーヴはないんです。子音と母音の関係に対して、リズムが生まれないから、普通に喋っているとのっぺりとしている。その感じは演歌的というか、出汁的なニュアンスとして捉えられるかと思います。一方、英語圏では言葉にもグルーヴがあって、ブルースやカントリーの重要な要素になっている。それを新しいグルーヴにのせたり、色をつけたり、時代背景にのせたり、新しいテクノロジーを混ぜたりしている。ざっくりいうとそんな構造なんです。たとえばディスコのサウンドは、キックの位置とスネアがものすごく近い。なんでかというとその時代にハイハット専用のマイクが流行ったからなんです。それで録ると、スネアとハイハットが帯域的に喰いあうので、スネアの位置をキックと同じくらいの高さにすることになる。これは軸になるブイヨンに、テクノロジーが混ざって生まれたサウンドの一つと言えると思います。 ーー日本のポップスでは、ここ20年の間にブイヨン的な音楽が浸透してきたと言えますか。 玉井:たぶん、出汁とブイヨンが共存しています。90年代初頭くらいから、ブイヨン的な要素が一部の音楽通以外にも浸透してきたんじゃないかと。たとえば渋谷系といったものがそうですよね。渋谷センター街の奥のHMVで、ガラス張りのブースで白人のお姉さんが音楽をかけていた時代。普通の人たちも洋楽を聴くようになった時代です。当時、大学生の女の子の部屋に行くとちっちゃいコンポの横に4、5枚の洋楽のCDが立てかけられていたものです。でも、クローゼットを開けたらジャニーズのCDがどどーんと出てきたりして(笑)。 ーーそんな光景は見覚えありますね(笑)。一方で、近年はアイドルやボカロといったジャンルで、出汁的なものが増えている印象もあります。 玉井:2000年くらいから出汁ものが流通してきていますね。ジャンルが細分化してきて、邦楽っぽい洋楽じゃなくて、洋楽っぽい邦楽が圧倒的に増えました。たとえばトランスには「ジャパネイション」というサブジャンルが出てきました。これはトランスなんだけど歌謡曲で、とても象徴的にそうした流れを表していると思います。実は邦楽って、中国や東南アジアといった英語圏じゃない海外に対して、ものすごい訴求力があるんです。15年くらいまえにはじめて上海にいったときは、ラルクのポスターがいっぱい貼ってあった。浜崎あゆみさんも人気あったし、XJAPANとかもそうです。現地の方とカラオケ屋に行って安全地帯を歌った時は、とても喜ばれました。冷静に考えると中国の人口は公称13億人ほどですが、おそらく20億人はいる。そこにインドも加わるともう10億人加算される。そして東南アジアで2億人となると、合計33億人の市場になるんです。アメリカとヨーロッパを足しても10億人くらいなので、単純に3倍くらいの市場なんですよね。邦楽を作っている人、作りたい人にとっては大きなチャンスです。 ーーアジア諸国の所得水準が上がってきたら、音楽界のパースペクティブも変わっていくかもしれませんね。アゲハスプリングスとしても、今後はアジアを狙っていくのでしょうか? 玉井:そうですね。僕の中では恵比寿から発信している感覚があって、恵比寿から東京、東京から上海といった感覚です。僕らは恵比寿のいち工房ですが、本当に世界と繋がることができる。今、音楽業界はピンチだと言われていますが、僕らにとっては最大のチャンスだと思っています。本当にありがたい時代になりました。今までだと大きな会社とうまく繋がらないと世の中に対して訴求力を持てませんでしたが、今はそれ以外の道も出来てきました。たとえば、僕らのもとには既存の音楽業界以外の方も来てくれます。この間はある国家的研究機関の方からお話しをいただき、びっくりしましたよ。 ーー音楽を届ける方法が、海外や異業種への展開も含めて多様化してきたということですね。 玉井:本来、音楽という商品には形がなくて、コストがどれくらいかかって、捌いていくら回収してというのがないのが魅力で、プロデュースもまたそれ自体には形がない。形になるものに人気を与えていくということ自体が商品で、そこは世の中がどう変わっても何も変わりません。ただ、ひとつだけ変わるものがあって、それは僕らではなく、周りなんです。これまで作曲家のサクセスストーリーは、CDが100万枚売れて、JASRACから印税がはいってきて、いい車を買うといったものだけでしたが、それ以外の道もできる。単純にYouTubeで、通販で買ったものを紹介している人の年収が9億という例もあります。動画サイトでたくさん見られたものには価値があるということです。もしそれが僕らの曲だったら、価値が生まれているはずですし、買いたい人はいっぱい出てくるはずです。そういった人たちとちゃんと繋がっていることが重要で、逆に言うと、新しい環境やいろんなバリエーションで、ユーザーと作る人が繋がって両方がハッピーになれる形を作りたい。これはまだ僕らの世代が陣頭に立ってやることではないと思いますが、コンテンツへの支持率調査みたいなものができて、その支持率に応じて広告費が入ってくるという仕組みが形になるといいなと思います。数を求めるのか、深さを求めるのか、どちらでも構いませんが、この仕組みは広告を打つ人にとってもハッピーですよね。そういったハッピーな部分に対して、音楽やクリエイティビティーで貢献していれば、世の中の方が必ず変わっていくと、僕は考えています。(後編につづく) (取材=神谷弘一/構成=松田広宣) ■玉井健二 agehasprings代表・音楽プロデューサー。アーティスト活動や作詞・作曲・編曲家などを経て、1999年EPIC Records Japan入社。制作部所属プロデューサーとして多種多様の企画・制作に携わった後、2004年にクリエイターズ・ラボagehasprings設立。数々のアーティストのヒットを創出する。アニメ、映画、ドラマ、CM、ゲーム音楽プロデュースなど様々な分野でその手腕を発揮し、会社代表としては新たな才能の発掘も行っている。 ■agehasprings 音楽×総合クリエイティブカンパニー。YUKI、中島美嘉、Superfly、ゆず、JUJU、flumpool、少女時代等々を手掛けるクリエイター集団。総合音楽プロデュース(2004年以降パッケージ総合売り上げが4000万枚突破)をはじめ、レーベル運営、広告戦略、映像制作、舞台演出など幅広い事業を展開。 アゲハスプリングスweb site

『トッキュウジャー』の主題歌を歌う、伊勢大貴の初ソロCDインストアイベントに潜入!

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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“イセダイ”こと伊勢大貴。
 9月10日、タワーレコード新宿店7Fイベントスペースで、「伊勢大貴『BE A HERO』発売記念イベント」が行なわれた。  伊勢大貴は『獣電戦隊キョウリュウジャー』の挿入歌を経て、現在放送中の『烈車戦隊トッキュウジャー』の主題歌に抜擢された新鋭のシンガー。また、ミュージカル『テニスの王子様 2ndシーズン』(以下、テニミュ)をはじめ、さまざまな舞台などに出演する俳優としても活躍中だ。  イベントで伊勢は呼び込まれると、走りながら壇上に上り、アクセル全開で「カミツキ・ブレイブ」を熱唱。イベントに集まったファン約200名に、アルバム発売の喜びを歌声に乗せて伝えた。 「おたぽる」で続きを読む

20歳年下の一般女性にメロメロ! 新婚・松尾スズキが“加トちゃん化”?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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画像は「大人計画 OFFICIAL WEBSITE」プロフィールより
「婚約指輪というものを人生で始めて買ったんです。最初はサプライズで買おうとしたんだけど、でも、あれってサイズが違うとやり直しになっちゃうじゃない。なので、しょうがないからサイズを聞いて確認して」 「かわいい人です。僕は、とっても美人だと思ってます」 「一緒にいるときは、僕はずっと冗談を言ってるんで、それに飽きずに付き合ってくれるし、ずっと笑ってくれますし」  このベタな発言、ほんわかバラエティタレントのコメントではない。信じられないだろうが、あのダークな笑いを誘う作風で知られる劇作家・松尾スズキの発言なのである。  たしかに松尾が少し前に再婚したのは知っていた。2007年に最初の妻と離婚した後、弟子的存在だった作家の本谷有希子との同棲なども噂されていたが、その本谷も昨年、別の男性と結婚。松尾のほうはと思っていたら、今年5月1日、ツイッターで「今日午後12時過ぎ、普通自動車免許を持った一般の女性と入籍しました」と発表したのだった。

ボカロオペラ『葵上』映画版に見る、ボーカロイドと文楽人形の共通性

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【リアルサウンドより】  下北沢にある短編映画専門ミニシアター「トリウッド」で、『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』を見た(上映期間は9月10~15日。9月20~26日の追加上映も決定)。  これは、ボーカロイドの歌う音楽で文楽人形が演じた舞台を撮影した映画。台本・音楽・演出・舞台美術・音響効果は田廻弘志、映画の監督・編集・背景ビジュアルは加納真が務めている。同作は、今年7月にイギリスで開催された日本文化のイベント「ハイパージャパン」で公開され、好評を得たという。国内では、今回が初上映となる。300年以上の歴史を持ち黒頭巾の人々が手で動かす文楽人形と、ゼロ年代生まれのプログラミングされた“歌声の人形”が共演したその物語は、特異な空気に満ちていて面白かった。  日本の伝統芸能が現代的で洋風な要素をとり入れたり、逆に現代のエンタテインメントが伝統的で和風な要素をとりこむなどして新たなスタイルを模索することは、しばしば行われてきた。
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 1960年代にエレキ・ギターのブームを牽引する一方、「津軽じょんがら節」など民謡を多数カヴァーした寺内タケシ。歌謡曲的なビッグバンドに三味線や和太鼓、拍子木などを加えた音楽を使い、時代ものの人形劇に黒子の人間も登場させて文楽っぽい演出をした『新八犬伝』(1973~75年にNHKで放送)。近松門左衛門による文楽の名作と宇崎竜童の音楽を組み合わせたロック版『曽根崎心中』(1980年初演)。セリフや音楽などを現代的にして先代の市川猿之助が生み出した「スーパー歌舞伎」の演目群(1986年から。加藤和彦が音楽を担当したこともある)。などなど。  今春には、ロック・バンドの編成に津軽三味線、尺八、箏、和太鼓を加えた和楽器バンドが、ボカロ曲のカヴァー集『ボカロ三昧』を発表している。『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』は、そのような伝統と現代のハイブリッドにおける最新の達成だ。  その物語は、なかなか複雑な成り立ち方をしている。日本のラヴ・ストーリーの古典『源氏物語』には、光源氏の妻・葵に彼の元恋人・六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が嫉妬し、生霊となって取り憑く話が出てくる。そのエピソードを能の舞台へと脚色した「葵上」も、古典になっている。同作をもとにした『ボーカロイドオペラ 葵上』(以下『葵上』)は、舞台を現代に移し、さらに物語をアレンジしている。
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 歌声合成ソフトのミドリが大流行し、その音楽をきっかけにヒカルは作曲家になる。ミドリに憧れて歌手になったアオイは、ヒカルと組んで人気を獲得する。だが、アオイは忘れ去られたミドリに憑かれ、異常な行動をみせる。それは、呪いなのか、多重人格症状なのか。  ボカロによるオペラというと、渋谷慶一郎が初音ミクを起用した『THE END』が話題になった。人工的だが生命があるようでもあるボカロを通し、死生観の揺らぎを描く。二作にはそうした要素が共通しているが、現代アート的な抽象性と難解さでいっぱいだった『THE END』に比べ、『葵上』の三角関係と怪異は、『源氏物語』の時代から現代のSFやサイコものまで繰り返し語られてきたタイプの話だといえる。とっつきやすい普遍性がある分だけ、楽しみやすい。  3名という少ない登場人物で進行する点は能の舞台を踏まえているが、音楽の緩急や強弱と人形の動作がシンクロして感情の高ぶりを生々しく伝えるのは、正に文楽の演出である。舞台後方のスクリーンの映像、照明、カメラのアングルなどの効果もあって、人形は鬼気迫る表情の変化を見せる。半狂乱になる場面は、かなり恐い。  ボカロと文楽人形のコラボに関しては、「メルトの舞」を思い出す人もいるだろう。昨年6月につま恋で催された世界ボーカロイド大会では、文楽人形が初音ミクの人気曲「メルト」で舞い、一部で評判になった。その時に人形を操った吉田幸助が、『葵上』でも人形遣いの中心になっている。そして、「メルトの舞」ではミクのお約束であるネギを人形に持たせたのに対し、今回の物語では人形がPCや携帯端末を操作し、割れたCDを手に持つ。 「VY1V3」、「猫村いろは」、「結月ゆかり」という3種類のボカロが使われたこの作品では、ミドリという「電子の歌姫」のことが歌われる。初音ミクがPCから生まれた自分自身について歌う曲は、初期のボカロでは目立っていたが、シーンが多様化した現在では多くない。だから、『葵上』でのボカロの自分語りは「今」的ではないのだが、忘れ去られた過去が物語のテーマだから、むしろ「今」的でないことがミドリの嫉妬の迫真性を増すという、ややこしい味わいになっている。ミドリという命名は、ボカロの代名詞、初音ミクの髪の色を意識してもいるだろう。
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 ボカロをめぐっては、初音ミクの人気から始まり、ボカロ楽曲をもとにしたボカロ小説の隆盛へという道をたどってきた。お話の語り部にふさわしい声として、ボカロが発見されたといってもよい。  一方、文楽は人形浄瑠璃ともいうが、浄瑠璃とは三味線の伴奏で、節をつけて物語を語るものだ。文楽の浄瑠璃は、押しつぶしたような声でうなる。その舞台に出演できるのは男性だけだし、そんなダミ声で老若男女のセリフとナレーションを語り、歌う。また、浄瑠璃の先祖の一つである能の謡(うたい)も、やはり特殊な発声で様々な人物を演じる。  役の年齢や性別とは離れた特殊な歌声で、その人物を演じる。かけ離れた声で表現するからこそ、若さや老い、男らしさ女らしさが、かえって浮かび上がる面がある。また、物語を俯瞰して進行するナレーションは、神の視点に近い。登場人物1人1人の言葉とは質が違う。特殊な歌声は、そういうナレーションにふさわしい。「私」が「私」を自己表現する歌とは異なる、様々な役が登場する物語を演じるのに適した特殊な歌声。  言葉数の多い『葵上』の歌と語りは、能の謡や浄瑠璃に似た和風の節回しを織り交ぜつつ、現代語のボカロのポップスになっている。その音楽は、ボカロ楽曲からボカロ小説が生まれたような今の娯楽のルーツに、文楽が存在したことを想像させるものだ。  その意味で過去と現在を橋渡しする『葵上』は、「スーパー歌舞伎」ならぬ“スーパー文楽”とでも呼びたいポテンシャルを持ったチャレンジだと思う。上映館ではサントラCDが販売されていたが、人形と音楽の両方があってこその作品である。予定されているという映像の販売も待ちたい。 ■円堂都司昭 文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。 ■上映情報 『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』 9月20日~9月26日の追加上映が決定! 詳しい追加公演等の情報はこちら

児童ポルノ法に続く“表現の自由”をめぐる課題は…ヘイトスピーチという法規制

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか(明石書店)
 今年6月の国会での改定案成立でひとまず終わった、児童ポルノ法改定による表現規制への危惧。けれども、“表現の危機”が去ったわけではない。秋からはヘイトスピーチ規制をめぐって、新たな論争が始まっている。  すでに新聞各紙などが報じているように、ヘイトスピーチの法規制をめざす動きが急速に高まっている。8月28日、自民党がヘイトスピーチの法規制の是非を考えるためのプロジェクトチームを設置し、議論を開始。また、8月29日にはスイスのジュネーブで開催された国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対して「人種差別を包括的に禁止する法律」を制定することを求める勧告を行っている。 「おたぽる」で続きを読む

デリヘルIT化で顧客情報が警察に筒抜け、30万人の風俗嬢が警察のスパイに!?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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『デリヘルの経済学』(モリコウスケ/こう書房)
 日本最大の風俗激戦区をどこかご存じだろうか? 歌舞伎町でもなければ、渋谷や池袋でもない。実は「新橋」らしいのだ。このサラリーマン街が首都圏屈指のデリヘル最激戦区になっているという。  なぜ、こんなことになっているのか。理由は、06年、大幅改正と厳格適用となった風営法にある。繁華街にあった店舗型の風俗店の多くは閉鎖に追い込まれ、「風俗街」は吉原のような一部の特殊区画以外、この数年で、ほぼ消滅した。歌舞伎町も今や単なる「ネオン街」であり、風俗街とセットだった歓楽街ではなくなった。風営法改正前まで歌舞伎町は、日の高い時間から派手な看板の風俗店で賑わっており、ある意味、風俗街としての顔が剥き出しなっていたものだが、それも今や昔である。  とはいえ、消滅したのは風俗街と店舗型の風俗店であって、その多くはデリバリー(派遣型)へと姿を変えることで性風俗産業は生き残ってきた。