
m.c.A・Tこと富樫明生。
「m.c.A・Tとして、ラップとメロディの融合を試みていた」
ーー『ハートブレイカー』で、音楽製作を務めた経緯を教えてください。 m.c.A・T(以下A・T):『ハートブレイカー』の富樫明生とm.c.A・Tは、いちおう別人という設定なんですけど(笑)。僕自身は、89年くらいから富樫明生名義でプロとしてやっていて、歌うのはもちろんなんですけど、音作りも得意だったので、プロデューサーとして90年以降、色んな音楽を作っていました。特にソウルやR&B、ヒップホップやニュージャックスイングといった、ブラックミュージック/ダンスミュージック寄りの音楽を作っていたので、そういうアーティストとの関わりが多かったんですね。それであるとき、音楽評論家の平山雄一さんが、「今度、ダンスミュージックの映画を撮るから」ということで、小松監督に僕を紹介してくださったんです。 ーーこの映画では、m.c.A・Tとしてデビューするきっかけにもなった「Bomb A Head!」が主題歌となっています。小松監督からは、制作に当たってどんな要望がありましたか。 A・T:僕はダンスミュージックに携わるうえで、ポッピングやロッキング、ヒップホップといったダンスの種類をあらかじめ知っていたので、基本的に小松監督との話は早かったです。ひとつ覚えているのは、監督に、「とにかく色んなシーンの音楽を作ってほしいんだけど、一番力を入れたいのはテーマソングなんだ」といわれて、そのイメージとしてカセットテープで聞かされたのが、当時、売れっ子作曲家としても名を馳せていた大澤誉志幸さんの曲だったことですね。僕自身、大澤さんとは友好が深かったものですから、それを聴いて「ちきしょう、負けてらんねぇな。びっくりさせてやろう」と思いまして、ずいぶん気合いが入りました(笑)。その頃の僕は、m.c.A・Tとしてラップとメロディの融合というのを研究していて、ライブでそれを披露したりもしていたんですが、ただそれを世に出すか否かは迷っていました。そんな折りに大澤さんに刺激されて、とにかく彼に負けないようにスリリングな曲を作ろうと思ってできたのが、「Bomb A Head!」だったんです。 ーーラップとメロディの融合という試みは、当時、とても新鮮なものだったかと思います。実際、1993年にリリースされた「Bomb A Head!」は、大きな話題となり、売り上げ枚数15万枚を越えるヒット曲となりました。そういった方法論は、どのように育まれたのでしょうか。 A・T:僕は当時、FUNKY GRAMMAR UNITのRHYMESTERやEAST END、スチャダラパー、いとうせいこう、高木完、藤原ヒロシ、それからヒップホップではないけれど電気グルーヴとか、そういう人たちの音楽をずっと聴いていましたが、僕は北海道出身だったので、東京のカルチャーの中にはいなかったんですね。そんな中で僕が独自に考えていたのが、もしかしたらラッパーが歌も歌うというのもアリなんじゃないか、ということ。ただ、歌でブラックミュージックを表現しているひとは、それこそこの映画にも出ているGWINKOや、久保田利伸、横山輝一、AMAZONSなど、すでにたくさんいた。つまり、R&Bやソウルはそれなりに成熟していたものの、まだまだラップというのは黎明期で、そこに新しい表現の可能性があったんです。今でこそ、アメリカのヒップホップをベースに、韻を踏むことーーライムというものが理論的に研究されて、スキルフルでかっこいい日本語ラップがたくさんあるけれど、当時はまだ探り探りで、後韻が多くて一般の人にはダジャレみたいに聴こえるものばかりだった。僕も最初はそれに近いものを作っていたんだけど、やはり違うなって感じていて。それで考え出したのは、日本語の「ま」や「ぱ」や「だ」の子音とか、あとは「っ」の付く促音便とか、そういう部分を活かした、つまりは韻を排除したラップだったんですね。そして、そのラップに加えて、歌も一人でやってしまうと。そうやってメロディとラップを近づけるとともに、人との差別化を計ろうとしていました。どこで息継ぎしているんだろう?と思わせるくらい、スリリングな歌唱法。それが当時、僕が辿り着いた答えだったんです。「94年はヒップホップにとってエポックメイキングな年だった」
ーー「Bomb A Head!」はその後、注目を集めるわけですが、もともとメジャー志向を持って作られた曲だったのでしょうか。 A・T:そうですね、僕の作る物は常にメジャー感があるものだと自分では思っていて、アンダーグラウンドなものにはしないようにしています。あえて作ることもできるし、サントラではそういう曲もあるんだけど、自分で歌うものに関しては、ダークにならず、必ずポップでなければいけないと思っていました。ただし今回の映画に入っている「Bomb A Head!」に関しては本当のオリジナルなので、多くの人が知っているそれとは少し違います。オリジナルの「Bomb A Head!」は町田のavexのスタジオでレコーディングしていたところ、エンジニアの方が「これは面白い」と言って松浦勝人社長に聴かせて、そこからトントンとm.c.A・Tとしてのデビューの話が決まったのですが、ただこのままだとポップさが足りないということで、ラップのパートを減らしたり、メロディーを変えて増やしたりして、より多くのひとに届きやすい形にしました。去年リリースした『Bomb A Head!生誕20周年記念盤~ありがとう編~』には、映画の楽曲と同じバージョンも入っているので、聴き比べてもらえると面白いかもしれません。 ーー90年代前半から半ばにかけては、メジャーシーンにもラップが浸透していった時期かと思います。m.c.A・Tさん含め、当時活躍したラッパーは後の音楽シーンにどんな影響を与えていきましたか。 A・T:僕がデビューしたのは1993年12月で、翌94年にブレイクしたのですが、その年は日本のヒップホップやラップにとってエポックメイキングな一年でした。僕だけではなく、スチャダラパーは小沢健二と「今夜はブギーバック」を発表して知名度を上げましたし、East Endは東京パフォーマンスドールの市井由理を加えて、EASTEND×YURIとして「DA.YO.NE」で一大ブームを巻き起こしました。まさに日本のヒップホップの当たり年だったわけです。そして、その流れは後の日本のヒップホップにも受け継がれていきます。スチャダラパーは一聴するとコミカルに聴こえるけど、ライムや内容について素晴らしく研究していて、後学のラッパーに大きな影響を与えましたし、EASTENDのGAKU MCが得意としていたメロラップーーラップなんだけどメロディもあるスタイルは、同じFUNKY GRAMMAR UNITのRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWにも受け継がれていったと思います。僕の場合はひとりで打ち込みもやるし、歌も歌っていて異質だからか、純然たるフォロワーというのはいないのですが、97年にDA PUMPのプロデュースを手がけて、彼らにはダンスもあったので、やりたかったことのひとつがそこで結実したんじゃないかと。最近だと、avexで頑張っている若手、とくにAAAなんかが僕のことを慕ってくれているので、これまでやってきたことは間違ってなかったなと、いまは思っています。 ーー同じくavexのEXILEに関してはどう捉えていますか。 A・T:彼らがJ Soul Brothersのときから知っていて、コーラスにも参加したことがあるし、HIROさんも友達ですから、もちろん好感を抱いています。ダンスに力を入れていて、avexとタッグを組んでダンススクールを展開したりしているのも、すごくシーンに貢献していると思うし、文化的にも素晴らしいものだと思います。ただ、初めてEXILEとして彼らを見たときは、目から鱗が落ちましたね。というのも、僕はDA PUMPを育ててきたので、 “歌って踊れる”というスキルをすごく重要なファクターとして捉えていたんですね。そのために、ダンスと歌のアクセントを揃えたりして、メンバーが無駄なく踊れるように研究して曲を作っていました。また、ダンスミュージックを作る人はクラブに行って自分も身体を動かさなければいけないし、グルーヴ感を体得している必要があると考えていました。だけど、EXILEの場合はシンガーとダンサーを別々にして、しかもシンガーはダンスミュージックの出自じゃないひとを起用している。日本の歌謡曲とダンスミュージックを融合させるのに、極めて画期的かつシンプルな手法で、これは僕からは絶対に出てこないアイデアでした。そういった意味でも彼らは新しかったですね。ダンサーのHIROさんがリーダーだからからこそ、既存の枠組みにとらわれないカルチャーを展開できたのかもしれません。 ーーカルチャーというところで『ハートブレイカー』に話を戻すと、映画はクラブカルチャーよりディスコカルチャーに近いものだったと思います。改めてその違いを教えてください。 A・T:ディスコはみんなで同じことをして楽しむカルチャーで、クラブは個人技を見せるカルチャーじゃないかと。ディスコの時は、鏡を見てみんなで同じステップを踏んでいましたし、DJはジャンルレスに流行している音楽をかけて、それをみんなで共有するという感じでした。いっぽうでクラブは、ハウス、ヒップホップ、トランス、EDMと、ジャンルが細分化されていて、選曲は流行よりもそのDJのセンスに依るところが大きく、箱自体にも得意ジャンルというものがあります。ダンスに関しても、みんなで一緒にというよりも、訪れたひとがそれぞれ自由に踊っている感じで、やはり“個”での楽しみが大きい。たとえてみると、原宿と裏原宿の違いみたいなところがあるんじゃないかと思います。 ーーなるほど、より個人の趣味嗜好に依って多様化しているという意味でも、クラブは昨今の風潮に合っているのかもしれませんね。では最後に、いま『ハートブレイカー』が再び世に出ることについて、一言お願いします。 A・T:『ハートブレイカー』は本当にカルト映画だと言われていて、多くのダンスミュージック愛好家に影響を与えてきた作品です。これまでVHSとレーザーディスクでしかリリースされていなかったので、今回やっとDVDになったことを喜ぶ方は多いと思います。小松監督は若いときの作品だから照れくさいって言いますけど、これに出ているダンサーにはすでに亡くなった方もいますし、日本の音楽ダンス映画の原点としても価値のある作品だと思いますので、当時を懐かしく思う人はもちろん、ダンスミュージックに興味がある若い子まで、ぜひたくさんの方に観てもらいたいです。 (取材・文=松田広宣)
『ハートブレイカー[弾丸より愛をこめて]』











