世界初! ケモナー向けラブドール「けものひめ きつの」開発企業を直撃!

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

1503_kemono1.jpg
ケモナー専用ラブドール『けものひめ きつの』。
 発展著しい日本のアダルトグッズ業界。日々、数多のメーカーがユーザーを驚かせるグッズを生み出そうと、試行錯誤を繰り返している。そこに新たな“世界初”が誕生した。世界初となるケモナー専用ラブドール『けものひめ きつの』だ!  ケモナーとは、擬人化ではなく人間のようにふるまうケモノキャラに性的興奮を抱くという嗜好。このジャンルの歴史は古く、日本だけではなく世界のあちこちにケモナーは存在している。  そんな人々を歓喜させる『けものひめ きつの』の見た目は、ぬいぐるみ。その股間部分に、オナホールを装着し、楽しめるようになっている。そのサイズは650×300×200ミリと、まさにケモノそのもののサイズなのだ。 「おたぽる」で続きを読む

長渕剛が「女性自身」を恫喝、冨永愛との写真を潰していた! じゃあ「文春」にはなぜ…

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
nagabuchi_01_150305.jpg
「長渕剛 OFFICIAL WEB SITE」より
「週刊文春」(文藝春秋)3月12日号が報じた長渕剛と冨永愛の熱愛スクープだが、この記事に関して、週刊誌関係者の間で長渕の “ある側面”が話題になっている。 「週刊文春」は長渕の自宅を連日のように訪れる冨永をキャッチし、2人を深夜1時に直撃。すると長渕は自宅に記者を招き入れ不倫関係を完全に否定している。その際、長渕は記者にこう言ったという。 「デリケートな話でもあるんでね、ちゃんと話したいなあ。立ち話じゃなくて。ちょっと家行くかい? 俺の家に」  そのやりとりの一部始終を報じたのが「文春」の記事だったわけだが、長渕はこの間、声を荒げるわけでもなく、非常に丁寧に記者に接し、説明している。  このソフトな対応に、「なぜ?」という声があがっているのだ。

EBiDANフォークデュオ・さくらしめじ登場「いちばん楽しいのは、できなかったことができたとき」

20150310-sakura3.jpg

田中雅功(左)と高田彪我(右)によるフォークデュオ、さくらしめじ。

【リアルサウンドより】  田中雅功と高田彪我による中学生ギターフォークデュオ・さくらしめじが、3月11日にシングル『いくじなし / きのうのゆめ』をリリースする。同デュオはスターダストプロモーションに所属する新人・若手俳優によるユニット「EBiDAN(恵比寿学園男子部)」の成長株であり、田中雅功の変声期を迎えた声と、高田彪我のハイトーンボイスが見事なコントラストを生み出している2人組だ。今回の作品はこれまでライブ会場でのみ販売していたCDを全国流通させたもので、疾走感のあるポップナンバー「いくじなし」と、若い二人の可愛さがにじみ出るバラード「きのうのゆめ」の2曲入りとなっている。今回リアルサウンドでは、2人にインタビューを実施。ギターを手にしたきっかけや、それぞれの人間性、普段聴いている音楽まで、存分に語ってもらった。

「今までわからなかったものがわかると面白いじゃん」(ガク)

――2月15日のサンストリート亀戸でのライブを終えてみてどうですか? 田中雅功(以下、ガク):亀戸ではお客さんがすごくたくさんいて、楽しかったです。ステージに立って、「多い!」と思って。緊張したんですけど、ライブをやっていくうちに楽しくなってきて、いいライブができたのかなって思います。 高田彪我(以下、ヒョウガ):ほかの「EBiDAN(恵比寿学園男子部)」のグループの子も出ていて、そのグループのファンの方たちともライブを楽しめたので、良かったです。 ――ライブでは、スピッツの『チェリー』をカバーしていましたね。普段はどんな音楽を聴いているのでしょうか。 ガク:ぼくは、クリープハイプさん、パスピエさん、andropさんなどです。車のラジオで流れてきたクリープハイプさんの曲を「いいな」と思って好きになってから、どんどん周りのバンドも好きになってきました。 ヒョウガ:ぼくはゲスの極み乙女。さんとか。ガクから教えてもらうこともあれば、ポールさん(ディレクター)にも「こういうバンドがあるから聴いてみて」って言われることもあります。 ――ふたりが歌うときに、参考にしている人や憧れの人は? ガク:えっと、歌い方というより、歌ってる姿をマネしているのは、尾崎世界観さん(クリープハイプ)ですね。かなり影響を受けています。 ――ユニットを組む前からEBiDANの中でお互いがすでに出会っていたわけですが、初めはお互いどんな印象だったか教えてください。 ヒョウガ:最初は、ガクってしっかりしてると思ってたんですけど、さくらしめじとして活動しているうちに、たまにおっちょこちょいというか。キノコみたいにジメジメしてるときがあって。 ガク:ジメジメ!? ヒョウガ:じゃあ、おっとりしてるってことで(笑) ガク:ぼくが最初にヒョウガを見たのは、初めてレッスン場に行ったときでした。ドアを開けたら、先にEBiDANに入ってたヒョウガがすごい勢いで走ってて「すごい子がいるな」と思ったのが出会いでした。ヒョウガもすごくしっかりしてると思ったんですけど実際はゆったりしてるので、お互い似てるのかもしれません。 ――ユニット名が「ガク&ヒョウガ」から「さくらしめじ」に変わったとき、どう思いましたか? ガク:「さくらしめじ」って映像で見たときに、すごくかわいくて印象に残りやすい名前なので、「いい名前だな」と思いました。 ヒョウガ:ぼくも思いました。いきなり決まったんですよ。なので、すごくびっくりして。でも、「さくらしめじ」ってすごく聞きやすいというか、覚えやすい名前で嬉しかったです。 ――学業をしながらアーティスト活動をされているお二人ですが、両立はやはり大変でしょうか。 2人:テストが……。 ガク:もうすぐ定期テストがあるんですけど、最近テスト勉強をしてたら、好きじゃなかった教科が好きになってきて……。 ヒョウガ:そんなことってあるの!? ガク:あるよ。今までわからなかったものがわかると面白いじゃん。数学は前から好きだったんですけど、図形が苦手だったんですよ。でも、最近「そういう仕組みだったのか」ってわかってきて。今日もちょうど数学の試験があったんですけど、出来はまぁまぁ良かったです。 ヒョウガ:(小声で)えぇー!? ――一じゃあ、正反対の反応をされている、ヒョウガさんはどうですか(笑)。 ヒョウガ:数学は好きになれないですよね(笑)。図形とか解けると楽しいけど、すぐ忘れちゃうんですよね、解き方。あの、弦と弧の問題あるじゃないですか。その解き方が良くわかんないです。 ――じゃあ、どちらかといえば文系? ヒョウガ:文系もそんなに……。 ――勉強はあまり好きじゃないと。 ヒョウガ:そうですね。音楽は記号とかありますよね。それを覚えるのが大変で……。 ――暗記が嫌いなんですね(笑)。 ガク:たしかに、ヒョウガは暗記嫌いかも。 ヒョウガ:嫌いでもないけど、好きでもないです。

「早くしなくちゃいけないときに用意が遅いんですよ」(ヒョウガ)

――CDに収録されている「いくじなし」と「きのうのゆめ」について、どんな曲なのか、簡単に紹介してもらえればと思います。 ヒョウガ:この「いくじなし」という歌は、ある男の子が同じクラスの女の子を好きになってしまい、告白したいけどできないという歌詞で。その子の近くにいるともやもやしちゃうんだけど、でもウキウキもしているという気持ちを歌った歌です。なので、好きな人ができてもやもや悩んでるときに聴いて元気を出してほしいです。 ガク:もう1曲の方の「きのうのゆめ」は、実は「いくじなし」とストーリーが繋がっているんです。「いくじなし」は、ある男の子の昼間の学校での話なんですけど、「きのうのゆめ」は夜に家で「ああ、今日も好きって言えなかったな」っていう、同じくもやもやした気持ちを歌った曲で。学校では「好きだ」って言えないんですけど、夢のなかだったら言えるし、手だって繋げるのにっていう、ちょっとせつない歌になってます。ゆったりとした曲なので、ひと息つきたいときやため息をつきたいときに聴いてほしいです。 ――デビュー曲の歌詞をもらったときに、読み上げてどう思いました? ガク:最初に「いくじなし」を聴いたときは、歌詞がすごくかわいらしいというか、ポップな感じで、音楽と歌詞がすごく合ってて。これを弾いて歌えたら、かっこいいなと思いました。 ヒョウガ:ぼくは歌詞をもらったときは、まず、頭のなかで、「このメロディにこの歌詞が入るんだな」っていうのを思い浮かべて楽しみますね。楽しむというか、歌詞をもらって次の日に学校に登校するときに、「あの歌詞、どんなだっけ?」って思い出しながら、登校する感じ。 ――でも、暗記が苦手だからあんまり覚えてないと。 2人:(笑)。 ――それぞれの曲の歌詞で、お気に入りのフレーズはありますか? ガク:「きのうのゆめ」の最後のほうの<もしもここで目が覚めたら 全てが消えるかなぁ? だけど 君が くれた 笑顔 忘れないよ>っていう歌詞がすごく好きですね。キュンキュンきます。 ヒョウガ:ぼくは「いくじなし」で、最後の「LOVE U」のところが。初めに聴いたときは、「あなた」という意味の「YOU」だと思ったんですけど、アルファベットのUだったんで、すごく素敵だなあって。 ――では、歌っていて気持ちいいところはどこでしょうか。 ガク:「いくじなし」の<大好きな君はこのドアの向こう 夢の中ではね」っていうところ。キーがすごく高いんですけど、その音が出たときはすごく気持ちいいです。 ヒョウガ:ぼくは、その後に来る<こっち向いて>のところですかね。感情を入れて歌うのが難しくて、うまくできたときは、「やった!」ってかんじでした。 ――感情を込めるという話が出ましたけど、お2人の普段の生活とこの歌の歌詞が重なるところもありますか。 ガク:「きのうのゆめ」に<眠れない夜に数えた 羊の数を覚えてる?>って歌詞があるんですけど、実際に羊の数は覚えてたりはしますね。80匹くらいで飽きてやめちゃったんですけど。 ヒョウガ:「いくじなし」の<もじもじしてる時間はないよ>ってとこかな。ぼく、早くしなくちゃいけないときに用意が遅いんですよ。なので自分に言い聞かせている感じです。 ――普段、練習はどのくらいやるんですか? ガク:ほぼ毎日ですね。イベントにむけての曲の練習だったり、セットリストを決めたりMCを考えたり。それと、ギターレッスンとボイトレが週に1回ずつ。 ヒョウガ:学校もあるし、大変ですけど楽しいです。 ――セットリストもMCも自分たちで考えているんですよね。 ガク:お知らせ事項以外はほとんど考えてます。あと、自己紹介の時に言う「好きな○○」と「最近、ハマっていることは?」は、絶対に自分たちで考えるようにしてます。 ヒョウガ:「好きな○○」は自由すぎるときがありますけど(笑)

「詞とメロディが合っている曲を作れるようになりたい」(ガク)

――ギターはもともと「ガク&ヒョウガ」のときに始めたのでしょうか。 ガク:ぼくは、EBiDANに入る前の小学5年生から始めました。クリープハイプさんをラジオを聴いてすごくかっこいいと思ったことと、お父さんがギターを弾いていたことがきっかけです。 ヒョウガ:ぼくは、テレビでパフォーマンスを披露するという企画があって、お父さんに「ギターをやらないか?」と言われたのが始まりです。お父さんのギターがあったので、まずはそれを借りて練習しました。 ――ふたりとも、お父さんがギターを持ってたと。最初は中々慣れないし難しいですよね。 ガク:すごく難しかったです。指が動かなかった。コードも覚えなきゃいけないし…。 ヒョウガ:最初はパワーコードで弾いていて、そこから普通の弾き方に直していきました。 ガク:ギターをやってていちばん楽しいのは、できなかったことができたとき。今もそうなんですけど、「きのうのゆめ」の間奏を弾くのに、ぼくもヒョウガもすごく苦労してて。それが初めてできたときは、すごく嬉しかった。今もライブ中とか練習中とか、そこをやって成功すると、2人で「できたね!」って喜びます。 ――お父さんから「このCDを聴いたほうがいいよ」と勧められることは? ガク:あんまり言われないんですけど、ぼくが見つけたバンドを言うと、「それいいね」って言ってくれたり、そのルーツになってるバンドで「こういう人もいるから聴いたほうがいいよ」って教えてくれることはありますね。最近だとTHE BAWDIESさんが好きって言ったら、洋楽のアーティストをいくつか教えてくれたり。 ヒョウガ:ぼくも、たまにお父さんの車に乗せてもらったときに洋楽の歌が流れてて、教えてもらうことがあります。最近は、えーと、名前が思い出せない。……なんでしたっけ。メタルっていうか、ハードロック? ――ここで暗記の苦手さが出てしまいました(笑)。ヒョウガさんはどちらかというと激しめの曲が好きなんですね。 ヒョウガ:そうですね。おっとりしてる曲よりは、ノリノリの曲のほうが好きですね。 ――お互いの声については、どう思いますか? ガク:ヒョウガの声には、ぼくにないものがあると思ってます。透き通った声っていうか。うらやましいと感じるときはありますね。 ヒョウガ:ガクの声もうらやましいです。でも、あの響いている感じがぼくももっと出せるようになりたいです。 ガク:さくらしめじは、ぼくの声がわりと低くて、ヒョウガは高いので、バランスがとれてるのかなと思います。 ――将来的には、自分たちで曲を書いたり詞を書きたいというのはあるんですか? 2人:あります! ガク:いいなって思う曲は、詞とメロディが合っていて、詞を聴いているとメロディが頭に入ってきたり、逆にメロディと一緒に詞が入ってくるっていうのがあって。そういう曲を作りたいと思います。 ヒョウガ:ぼくはリズムが良い曲を作ってみたいです。ウキウキした感じの曲が作りたい。 ――ガクさんがせつないラブソングを作って、ヒョウガさんがアップテンポの曲をというように、役割分担していく形になるかもしれないですね。 ガク:夏にストリートライブをしていたんですけど、そのときにヒョウガはちょっとした即興ソングを作ったりしてましたね。 ――では、2人の作った曲が聴けるのも遠くない話なのかもしれません。最近、歌やパフォーマンスで「成長したな」って感じたことはありますか? ガク:息が合ってきたっていうのは感じます。夏にMCを始めたばかりのときは、ひとりが緊張したら、もう一人にも移ってぐちゃぐちゃになったりしたんですけど、そういうのがだんだん少なくなってきたなって。曲から曲にさらっと繋げたときに「よかったぁ」と安心します。あと、最近はライブをやっているなかで、「初めて観ました」って人がすごく増えてきて。 ヒョウガ:ライブ中に通りすがりの方が立ち止まって観てくれることも多くなってきました。 ガク:その光景を見た瞬間は、すごいテンション上がります。「やった!!」って。 ――今回、さくらしめじの曲が全国に出荷されますが、改めてどういう気持ちになりますか。 ヒョウガ:やっぱり、全国の人にぼくたちの歌を聴いてもらえるっていうのは、すごくうれしいです。 ガク:全国に行って、いろんな人が聴いてくれてるってなると、今よりもっと練習してうまくならなきゃと感じますね。CDを買ってくれた人にも、会いに行けるようになりたいです。 (取材・文=中村拓海)
150311_ss_j.jpg

さくらしめじ『いくじなし / きのうのゆめ』(SDR)

■リリース情報 『いくじなし / きのうのゆめ』 発売:2015年3月11日(水) 価格:¥1,000(税抜) <収録内容> 1.いくじなし 2.きのうのゆめ

安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
abe_150311.jpg
デタラメ答弁の罪は大きい(首相官邸ホームページより)
 故郷に帰れない多くの被災者を生み出し、放射性物質を広範囲にまき散らし、作物を汚染し、今も国土や海を汚し続けている福島原発事故。  だが、この国家による犯罪ともいえる重大な事故をめぐって、ほとんど語られてこなかった事実がある。それは、現内閣総理大臣である安倍晋三の罪についてだ。  こういうと、安倍支持者はおそらく原発事故が起きたときの首相は民主党の菅直人じゃないか、サヨクが安倍さん憎しで何をいっているのか、というだろう。そうでない人も、原発を推進してきたのは自民党だが、歴代の政権すべてがかかわっていることであり、安倍首相ひとりの問題じゃない、と考えるかもしれない。  だが、福島原発の事故に関して安倍首相はきわめて直接的な責任を負っている。第一次政権で今と同じ内閣総理大臣の椅子に座っていた2006年、安倍首相は国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性を指摘されながら、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、対策を拒否していたのだ。

グーグルの人工知能が、アタリのレトロゲームに夢中? 独力でゲームを攻略する最新鋭AIが話題に

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

1503_atari_n1.jpg
Googleが公開したAIによる『ブロック崩し』の様子より。
 今、グーグルの人工知能はゲームに夢中らしい――。開発中の人工知能はまるで初めてゲーム機を買ってもらった子供のようにゲームに熱中して、次々と攻略しているというのだ。 ■AIが80年代のレトロゲームを次々攻略  昨年、グーグルが人工知能(以下、AI)を開発する英・IT企業ディープマインド・テクノロジーズ社(以下、ディープマインド)を、推定4億ドル(約478億円)という巨額の資金で買収したことは記憶に新しい。そして、現在グーグル傘下となったディープマインドで開発中のAIが、80年代のビデオゲームを人の助けを借りずに次々とクリアしているという。 「おたぽる」で続きを読む

少年犯罪の凶悪化は嘘、昔のほうが酷かった! 中学生の連続爆破、小学生同士の殺人も

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
kawasaki_150301.jpg
川崎市の中1殺害事件について伝える日本国内のニュース(画像はYouTube「ANNnewsCH」より)
 やはり、と言うべきだろう。  川崎中1殺害事件で18歳、17歳の少年ら3名が逮捕され、世論は少年法の厳罰化に向かっている。これは、メディアが容疑者少年らの素性を暴いて、センセーショナルに報じるたびに起こる現象だ。そしてまたぞろ、政治家たちがこんなことを言い出した。たとえば、自民党の稲田朋美政調会長の発言だ。 「犯罪を予防する観点から、今の少年法の在り方でいいのかはこれから課題になる」 「少年が加害者である場合は名前も伏せ、通常の刑事裁判とは違う取り扱いを受けるが、(少年犯罪が)非常に凶悪化している」  実名の公開が「犯罪防止」に効果があるのかも非常に疑問だが、そもそも、未成年による犯罪が「非常に凶悪化している」というのは事実なのだろうか。

さやわかが語る、2015年の音楽文化と全体性「強度を一番先に取り戻したのはポピュラー音楽」

20150308-sayawakath_.jpg

さやわか『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書)

【リアルサウンドより】  リアルサウンドでも執筆中のライター・物語評論家のさやわか氏が、2015年1月22日に新書『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書)を発表した。同書は、さやわか氏が2013年6月3日に世に送り出し、大きな反響を呼んだ『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)に、ここ1年半余りの音楽シーンの情勢を踏まえて大幅に加筆・修正をしたもの。総選挙や握手会といったさまざまなシステムを作り出し、音楽チャートで注目を集める一方、激しい批判にもあってきた“AKB商法”にスポットを当て、その批判の妥当性を検証するとともに、これまであまり語られてこなかったその功績を浮き彫りにしたのが前書だった。今回の書籍では、刊行の後に起こった「恋するフォーチュンクッキー」のムーブメントや、世間を大きく騒がせた“AKB襲撃事件”にも言及、あらためてその理論の有用性を主張している。リアルサウンドでは今回、さやわか氏本人に登場してもらい、同書の狙いや主張についてたっぷりと語ってもらった。(編集部)

「アイドルは全体性をカバーしようとしている」

——今回の新書『僕たちとアイドルの時代』は、2013年6月に出版された前書『AKB商法とは何だったのか』に加筆されたものですね。この1年半の間に、前書で提示していたことが実証された手応えはありましたか。 さやわか:そうですね。『僕たちとアイドルの時代』は、前書を踏まえて「ほら、僕が考えていた通りになったよね」という本ではあります。新書化にあたって本のタイトルを変えた一番の理由は、前書で「日本はアイドルの時代だ」って書いたんですけど、いまはアイドルカルチャー以外にもそこで僕が「アイドルの時代」と書いたものが拡大しているので、そのニュアンスを込めたかったというのがあります。 ——前書では、一般的にいう“AKB商法”への批判に対し、さやわかさんは異議を申し立てしていますよね。その異議の背景にあるのは、ポップミュージックはビジネスも含めて一体としたカルチャーとして捉えたほうがより有意義である、という考え方でしょうか。 さやわか:その通りです。ただ僕が言いたいのは、ビジネス側からポップミュージックを捉えましょうというだけの話でもないんです。まず前提としているのが、ポップミュージック以外のカルチャーであってもそうなんですが、全体性を見通すのは難しいということ。しかし一部の人々は、全体性がないにも関わらず自分の好きなもの、興味のあるものだけにしぼって、文化や社会全体を語ろうとする。しかしお互いにそういうことをやっていると、何が本当に重要なのか決められないまま、価値観のぶつけ合いになることがすごく多いんです。わかりやすく言うと、それはインターネット上での不毛な議論などに表れていますよね。漫画でもアニメでも映画でも「俺はあれが好きだ」「あれはダメだ」「あれが良いんだ」という、特に根拠のない水掛け論ばかり繰り広げられるようになる。しかし歴史を参照すれば、どんな文化にも価値を認められたものがあったと思うんです。でも特にアイドルの場合はそうした権威付けがされずにきたものだから、内部でも外部でも、とにかく「あれが好きだ」「これはダメだ」という不毛な議論に終始してしまう。僕が指摘したかったのは、そこなんです。 ——なるほど、AKB商法への批判も倫理的なものに終始するものが多く、それはカルチャー全体を見通すものにはなっていない、という見方ですね。 さやわか:実際、僕がアイドルについて書き始めたのは06〜07年頃のことなんですが、その時は編集者に「アイドルが面白い」と訴えても「さやわかさんはそういうのが好きなんですね……」と気持ち悪がられることのほうが多かったんですよ(苦笑)。要するに、僕が「アイドル好き」で、その人は「アイドル嫌い」という、好き嫌いでの判断ばかりがされたわけです。しかし、アイドルという存在が面白いのはそこでもあって、それだけ好き嫌いだけが横行する社会を前提として受け入れつつ、そこでなお「いかにしてポピュラリティを得るかが仕事」という人たちなんですよね。それはつまり、価値観を対立させるよりも、なんとかして社会全体をカバーすることを目指すという意味でもある。だからこそ、いまの社会を語る上での一つの鍵となり得ると思うんです。AKB48がまさにそうなんですけど、彼女たちは売上げを指標として使うことによって全体性をカバーしようとしていて、しかもチャートの売上げ順位やランキングのような構造を、自分たちの作品あるいは表現を届かせるためのインフラとしても使っています。倫理的な好き嫌いでそれを非難するよりは、そのことが今の社会にとって何を意味するのかを考えるほうがよほど有意義です。 ——この本では、アイドルグループがチャートをジャンプボードにして、次の段階にいくルートが想定されていますね。 さやわか:そうですね。チャートで上位になって目立つことによって、AKB48のシステムはうまく循環してきたと思います。 ——4章「AKB商法とは何だったのか」では、ここ2年くらいの新しい事象についても書かれていますが、さやわかさんが2013年までに立てた見立ての中で、特に予見が当たったと感じる事象とは。 さやわか:前書が出たのが2013年の6月で、ちょうどAKB48の総選挙があって、そこで指原莉乃さんが1位になりました。そして『恋するフォーチュンクッキー』がヒットした。これはもう、僕が書いた通りになったなと思いました。指原さんは恋愛スキャンダルがあってバッシングを受けたメンバーであり、またAKB48の中ではどちらかというとコメディリリーフとしてのキャラクター性を与えられている。にも関わらず、AKB商法の権化であるような総選挙という場で1位になることができた。つまりこれは、アイドルがかつてのようにスキャンダルを犯して失敗したらもうアウト、というシステムではなくて、違う仕組みが働いているというべきでしょう。また『恋するフォーチュンクッキー』は、曲としても非常によく出来ていて、それこそロック界隈のミュージシャンにも評価された。つまり「AKB48は握手券を売っているだけで、音楽性は伴っていない」という批判はもはや必ずしも成り立つものではありません。さらに同曲は、YouTubeなどを通じてみんながダンスする動画を投稿し、そのムーブメントが広がっていくという流れがあった。今のアイドルは疑似恋愛の対象として好きになる人を中心とした文化ではなく、曲の中身だけが重視されるのでもなく、そのアイドルがいて、その曲があることによって人々が繋がっていく、そういう文化になっているわけです。『恋チュン』のムーブメントは完全に狙って起こされたものだと思うんですけど、それがまるで前書で指摘したことをトレースするような仕掛け方だったので、我が意を得たり、と思いました。言い換えると、AKB48は現状を俯瞰した上で、次にどういう風にコマを進めていくべきかをちゃんと考えているユニットで、それを見事に当ててきている。だからこれは「だからAKB48はすごい」っていう話ですらなくて、今のポップミュージックの状況を踏まえたらこういうやり方がある、ということで、僕の本はそれを知ってほしいという気持ちを込めたものになっています。

「倫理的な批判よりも、歴史やシステムについての理解を」

——本書では2014年に起きたAKB48の握手会襲撃事件も取り上げています。その際には、やはり倫理観と結びつけられながらAKB商法までもが猛烈に批判された、と言及していますね。 さやわか:アイドルについてなにかネガティヴな事件が起こると、一部では「アイドルという文化そのものがよくないのだ」というところへ急に直結されてしまいます。女の子を無理やり働かせている、という風に捉えられがちだから、叩きやすいものなんですよね。特に2014年の襲撃事件の場合は、握手会という、いまもっともAKB48がうまく使っているシステムを突いたものだったからこそ、余計に反対派が盛り上がったとは思う。ただ、インターネットではやはり倫理的な批判が主であって、特に検証主義的ではなかったんですよ。つまり襲撃したのが誰で、その時の状況がどうだったかが注目されたわけではなくて、まず最初に言われたのは、「熱狂的なファンがやったんだろう」とか「あれだけ金を使わせているんだからそういう奴も現れるだろう」みたいな意見だった。要するに恋愛ストーカーまがいの事件だと思われたんですけど、事実は全くそうでなかった。でも、こういう見方をされるのは、AKBなど今のアイドルがまだまだ誤解されているせいですよね。そうすると、あの事件の本質がどこにあるのかも見過ごされてしまうでしょう。ただ、そこで僕が難しいと思ったのは、「事実はそうじゃないんだ、AKB48は潔白なんだ」と主張すると、自分まで価値観の対立に絡めとられてしまう。だからあの事件について、僕はそういう発言はできなかった。でも僕の本に答えは書いてあるので、読んでくれたらいいのになー、とはずっと思っていました(笑)。ああいう事件を期に、握手会を支える歴史やシステムについてちゃんと考えたほうが有意義だと思うんです。 ——なにか問題が起こったときに建設的な議論ではなく、倫理的な闘争に発展してしまう。これを乗り越える手立てはあるのでしょうか。 さやわか:カール・シュミットっていうドイツの政治学者が、友敵理論——つまり政治というものが「あいつは敵か味方か」ということだけに収斂されていく——という考え方を示しましたが、僕はカルチャーについて書きながら、ずっとそれについて考えています。アレについて褒めているからこいつは味方、けなしているから敵、というのが際限なく進んでいくと、最終的には「敵だからけなさなければいけない」「味方だから褒めねばならない」という論理にまでなって、自分と価値観の合わない人と批判をぶつけ合うだけになっていくんですよね。それは本当に不毛。アイドルについても、「アイドルだからダメだ」というレッテル貼りをする人もいれば、「アイドルだから褒める」という人も出てくるわけじゃないですか。それは本当に文化について語っていることになるんでしょうか? 僕はそうは思いません。 ——まさに剥き出しの政治があると。 さやわか:本書の中でトマス・ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という言葉にインスパイアされて、「アイドルのアイドルに対する闘争」という言葉を使っているんですけど、それも同じ含意なんです。“アイドル戦国時代”といわれる状況は、私たちの社会の写し鏡のようなもので、それは闘争状態であってすごく危険なものだ、ということを指摘したかったんです。そして、それをうまく軟着陸させるようなやり方を、当のアイドルの中から探すことができるんだよ、ということが書きたかった。 ——チャートというのは、観念同士がぶつかり合う状況に対する唯物論的な介入ではありますよね。 さやわか:そうそう。結局、価値観をどれだけ対立させたとしても、そこには抗い難く自分たち全体を規定している力が働いている、という話に持っていったわけです。そして、それを参照先とすることで闘争をするんじゃなくて、むしろ互いをつなぐハブとして有益に使うようなことができたらいいなと思っています。もちろんAKB商法的なものを使っているアーティストばかりが上位にいる今のチャートに、批判されるポイントはあると思うんですよね。「唯物論的介入をうまく利用しているんだよ」って言っても、それをしていない人にとっては「何言ってんだコイツ」ってなると思う。ただひとつ思うのは、僕が前書を書いた頃にはまだ「AKB48だけがそういう商法を使っている、だから許せない」という言い方が多かった。だけど実はジャニーズもやっていたし、EXILEも、ビジュアル系の人もかなりやっていたわけじゃないですか。AKB商法への批判が始まって、そうした売り方が可視化されたからこそ、そういうものを嫌いな人が「アイドルは許せない」じゃなくて、「そういう商法を使う人たち全般が許せない」という言い方になってきた。それはいまだに残念なことですけど、状況としては進んだのかなと思います。 ——昨年11月、Mr.ChildrenがSexyZoneにシングル売上げランキングで負けるという象徴的な出来事がありました。本書では、SexyZoneの商法に対して批判が集まったけれど、とはいえミスチルもまた別の商法を使って売上げを伸ばしてきたバンドだということを指摘しています。(参考:SexyZoneがミスチルを抜いたCDシングルランキングをどう考える? さやわかが歴史的視点から提言) さやわか:僕は1995年に『ROCKIN'ON JAPAN』が行った、ミスチルの桜井さんに対するインタビューをたまたま当時読んでいたんですが、それを読むとわかるのは、ミスチルこそ、一貫してどうやって売っていくかを考えてきたバンドで、とりわけタイアップを頑張って売れてきた人たちなんです。桜井さんの言葉には、「自分は大衆音楽に打って出るんだ」という強い決意があって、それ自体はすごく健全な考え方で、何も間違っていない。しかし、いろんな経緯があって、音楽シーン全体にアーティスト信仰みたいなものが根付いてしまった。これはミスチルが悪いわけではなくて、音楽が売れるということとアーティスト性みたいなものが乖離していった結果、逆に「売れない音楽を作っている人はアーティスティックに作品性を追求しているんだ」という奇妙な見方が出てきた結果だと思います。つまり、たとえば日本のヒップホップなんかでもまれに見られたような、ある種の清貧志向が台頭してしまった。するとミスチルなんかは「売れる音楽を作っているんだけど、決して売れるために作っているわけではない」という、すごく奇妙なロジックでほめられたりする。しかしポップミュージックであるというならば、それは本来ショービジネスの一環なわけで、やっぱりそういうほめ方はおかしいと僕は思っていました。ミスチルはタイアップで成功したからこそ、タイアップの手法を繰り返しているんですよね。「自分たちはタイアップでやってきたんだ」というのは彼らの旗印であって、それを伝家の宝刀としながらゼロ年代以降のAKB商法、特典商法とも戦おうとしてきたわけです。それは素晴らしいことだと思う。しかしそれがSexyZoneに敗れたというのは、タイアップ商法よりも複数枚+特典商法という商法のほうが現代にマッチしていたという意味だと思います。そうしたトレンドを知るためのものとして、チャートはちゃんと機能したと僕は捉えています。 ——そうしたチャートの機能を捉えた上で、SexyZoneやAKB48を写し鏡として、ミスチルが純粋に音楽性を追求している、とする見方は訂正したい、と? さやわか:それはどうしても言っておきたかったことです。一部のひとは、「いや、ミスチルのほうが音楽として良いんだ」とか「SexyZoneのほうが売れたのだから音楽的にも良いんだ」という形で友敵理論を押し広げていこうとするんですけど、どっちだって良いし、どっちが上という話でもないんです。単に今の時代がどうなっているかを計るものとして、チャートが機能すれば良い。それともうひとつ、この本でも指摘したことで重要なのは、本当に人が音楽性の高さを重視しているのであれば、じゃあ別に売れなくても良いじゃん、ということになっちゃうんですよね。たとえばオリコンチャートは、これまで一回も音楽性の高さについて計ったことはないんです。常に売れているかどうかを計っている。なのに、そのチャートのなかでミスチルが1位にならなかったといって怒るのはおかしいと思う。もし本当に音楽だけが大事なのであれば、自分の耳に心地よく響くとか、あるいは桜井さんが好き、ということだけで満足できるはずなのに、結局はポピュラリティを求めているわけですよね。 ——良い音楽はチャート上でも高い位置にいるべきである、という考え方は昔から根強くあるように思います。 さやわか:これはすごく難しい問題ではありますよね。90年代の半ばですかね、ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんが、「フリッパーズギターが『恋とマシンガン』でオリコンチャートに入ったときに、やっと自分たちの好きな音楽がチャートに入ったと思った」という話をされていたんです。僕はそれってすごく象徴的な言葉だと思う。自分たちの信じた「良い音楽」があって、それでオーバーグラウンドに打って出ようってことをハッキリ志向したのが、90年代のあの辺の人たちだと思うんです。つまり従来の音楽家は「大衆音楽は大衆音楽としてあるが、そうではないハードコアな音楽はこちら側にある」という形で自分たちの価値を主張していたと思うんですけど、90年代に「これで世の中変えてやろう」といって出た結果、今のアーティスト信仰みたいなものと結びつく結果になった。 ——たしかに1995年に小沢健二が紅白出場を果たした時、それを一つの達成とみなす意見はよく聞いたし、私も納得していたように思います。一方でさやわかさんの本では、2000年代以降は紅白に出ることのカウンター性が、あやふやなものになっていったと指摘しています。 さやわか:そうしたカウンター性は、小沢健二さんみたいな人が紅白に出たり、『Hey! Hey! Hey!』に出たりした頃には、まだ成立していたと思うんです。しかし亀田誠治さんがプロデューサーとして出てくる辺りから何かが変わっていったように思います。亀田さんは対立軸などはあまり重視していなくて、オーバーグラウンドの領域で単純に良い音楽を作れば良いじゃん、ということを信じているように思うんですよ。別にそこに政治性みたいなものはなくていい。もしくは、シーンの内部から変えていければそれでいい。彼の仕事は椎名林檎さんのものなんかが有名ですけど、彼女の音楽もそうだと思うんです。彼女はカウンター性みたいなものを、キャラクターとしてまとってはいるんだけど、それはみんなに望まれる価値としてのカウンター性ですよね。結果として、そのカウンター性というのは言ってみれば「カウンターキャラ」として、キャラクター化したものでもある。それは時代の産物なんだと思います。そうした変遷を踏まえた上で、アイドルがなぜ面白いかというと、かつてのカウンターカルチャー的な物語をやり直そうとしたからなんですよ。つまり、ライブハウスから出てきて、インディのレーベルと契約し、その後はメジャーのレコード会社からCDを出して、それがオリコンチャートの上位に駆け上り、最後は紅白に出るんだ、みたいな。これは矢沢永吉の「成り上がり」みたいなモデルであって、そんなフィクション性の高い、泥臭いものはダメだ、という考え方が90年代後半からゼロ年代頭くらいまでは支配的だった。ところが、いまのアイドルなんかは、紅白に出たいとか、オリコンの上位に入ったらすごいとか、普通に言っちゃう。音楽性を追究しようという流れが退潮した後に、みんなが感動する音楽の物語、成り上がりの物語を再生産するアイドルというジャンルが盛り上がったのは、すごく面白いことだと思います。

「音楽は一番先に危機的な状況を迎えたが、一番先に独自の方法で回復していった」

——最終章では、そうしてシーンが盛り上がってくると、楽曲自体「も」良くなってくる、と指摘してますね。 さやわか:そのことは『AKB商法とは何だったのか』を書いた時には、まだ十分に可視化されていなかったから書くことはできなかったのですが、かなり重要なポイントなので慌てて書き足しました。つまり「アイドルは作品重視ではない」というのが前の本の結論だったけれど、「作品がなんでもいいのなら、逆に良質な音楽を作ったって構わない」という風潮が強くなってきた。「何でもいい」ところに「一番良い」ものを置くことができるようになったんですね。結局、それは音楽チャートみたいなインフラをうまく使えば、多くの人にきちんと作品を届けられるって言ったことと同時並行の動きとしてある。つまり、それを利用してお金を稼いでいれば、それだけ予算が使えるようになるし、そのおかげで良い作品を作ることもできる。だから「アイドルソングだからダメ」だみたいな言い方が通用しなくなった。むしろアイドル自身も楽曲のクオリティが高いくらいでは差別化できなくなってきたほどなんです。もうひとつ言えるのは、そういう風にアイドル界隈が良い曲を望んだことによって、楽曲提供側も「じゃあアイドルのための曲を作ろうか」と積極的になったんです。アイドルカルチャーに対する理解が深まって、それに当て込んだ曲を作るようにもなってきました。その結果、音楽を好きであることと、アイドルを好きだということが、矛盾しなくなってきている。そういう音楽ファンが増えている。僕はもともと音楽が好きなので(笑)、これは喜ばしいことだと思います。 ——最後に今後の予測として、日本の音楽文化はどのように推移していくと考えていますか。 さやわか:この本の最初の方でも触れていますが、商品としての音楽の動向を追っていくと、00年代の中頃は音楽産業が単純に停滞していくのではないかと思われていたんですね。つまりゼロ年代を通して、CDがどんどん売れなくなっていった。それはインターネットのせいだ、違法コピーが蔓延しているせいだとか言われていたんだけど、同時並行した流れとして、フェスやライブが伸びてもいた。それはやがて注目されるようになって、今はライブ指向なんだと言われたりもしてますけど、じゃあその本質は何なんだと考えるべきですよね。たとえばフェスがどう流行っているかというと、やっぱり音楽を通じて人と楽しく過ごすということが大事にされているんです。前に朝の情報番組『ZIP!』でフジロックに行ってフェス飯を女の子3人で食べるという企画をやっていて、すごく驚いたんですよ。それってもう、音楽とは関係ないじゃないですか。じゃあ、そういう現象は音楽の敗北を意味するのかというと、そうではない。なぜなら、そうした空間は音楽がないと成立しないからです。音楽っていうのはすごく面白いカルチャーで、空間に常に漂うことができて、その場所にいる全員を束ねることが可能です。視覚のメディアだと全員を同じ方向に向かせないといけないけれど、音楽というのは勝手に耳に入ってくるものなので、どういう状態にあっても、その場にいる全員に、それぞれの形で与えることができる。その良さが今、伸びてきていると思うんですよ。そう考えると、たしかに音楽が売れなくなったっていう言い方もできるんですが、それでも映画にもゲームにも音楽は使われているし、ゲームの中で使った音楽をCDにすると売れたりもする。そんな感じで他のジャンルに、音楽は常につきまとっていて、むしろいろんなジャンルやいろんな人を結びつけるものになっている。そういう形で、音楽というのはすごく価値を持っているということに、今みんながようやく気付いてきているところだと思うんです。今は東京オリンピックの話で、AKB48が出てくるんじゃないかとか、EXILEが出てくるんじゃないかという話があります。その是非について、楽しみだとか許せないだとかいろんなことが言われていますが、少なくともそういう時に、彼らの名前が出てくること自体が、音楽にとってはすごいことなんだと僕は思います。 ーー最初のお話に沿っていえば、ポップミュージックがある種の全体性を回復しつつあり、それゆえに社会的な文脈のなかで取り上げられている、との見方もできます。 さやわか:ポップミュージックは全体性をカバーできなかったはずなのに、いつの間にかカルチャーの中心にあって、東京オリンピックで何かをやるとなったらAKB48やEXILEのような名前を出さざるを得ない。ポピュラー音楽が自分たちのハブとして機能していることを認めざるを得なくなっている。そこがやっぱり音楽の良いところだと思う。AKB48やEXILEが何を成したかというと、CDをバンバン売ってあちこちで人の目に触れさせたこと。それをウンザリするような話だと感じる人もいると思うんですが、言い方を変えると、彼らはそうして音楽を人に届けていったんです。今の時代——映画も文学も漫画も、細分化していって人々を繋げられなくなってきた時代——にあって、文化としての強度を一番先に取り戻したのは、ほかでもなくポピュラー音楽だったと思います。音楽はインターネット以降、一番先に危機的な状況を迎えましたが、一番先に独自の方法で回復していった。そう考えると、AKB商法と揶揄されたアイドルたちの方法論には、ほかのカルチャーにとっても学ぶべきものがあるといえるし、このやり方は是非を問われつつ、他のジャンルにもさらに波及していくのではないでしょうか。 (取材=神谷弘一/構成=松田広宣) ■さやわか ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』『一〇年代文化論』『僕たちとアイドルの時代』がある。Twitter

ニューロティカあっちゃん、メイク下の素顔とは? ドキュメンタリー映画が描く、愛と笑いのバンド人生

20150309acchan-mainth_.jpg

【リアルサウンドより】  2014年に結成30周年を迎えたパンクロックバンド・ニューロティカのフロントマンであり唯一のオリジナルメンバー、あっちゃんことイノウエアツシ(ボーカル/50歳)が主演を務めるドキュメンタリー映画『あっちゃん』が遂に完成した。どこにでもある町のお菓子屋さんに生まれた男の、どこにもない生き方。筆者は、この映画の完成を心待ちにしていた。  30年前から現在まで変わらず活動を続けているニューロティカのすべてが詰まっていると言っても過言ではないこの映画は、ドキュメンタリーとしても秀逸であり、ファンならずともあっちゃんの人間性の魅力に引き込まれて行くだろう。  ニューロティカを知る人間が、いつもの楽しいあっちゃんの面白く笑える映画なのだろうと油断していると、涙を流すことになるかもしれない。事実、筆者もまた、冒頭早朝から寝起きの顔を腫らしながらも明るくふるまい、日常であるお菓子屋の仕入れに行く姿を見て、不覚にも涙腺が緩んだ。そこには、ピエロの姿で観客を盛り上げて楽しませる、ステージ上のあっちゃんの知られざる姿が映し出されていて、この映画が間違いなく素晴らしいものだという確信を抱かせる。
20150309acchan-sub1th_.jpg

 映画前半では旧ニューロティカのメンバーである修豚、JACKie、SHON、アキオによる回顧とともに、貴重なライブ映像や日常のお菓子屋のあっちゃんの姿を交えて進んで行く。映画全編で映し出されている、家業であるお菓子屋「ふじや」の若旦那であるあっちゃんへのご近所の印象や、お菓子屋での仕事の付き合いの人々、そして家族である母親とのシーンなどもふんだんに盛り込まれ、素のあっちゃんが感じられるところもこの映画の魅力だ。  インディーズ時代からメンバー5人のキャラが非常に個性的であったニューロティカは、コロムビアレコードとの契約を経てメジャーデビュー。当時のバンドブームの波にも乗り人気を博していく。中学時代からの親友である修豚との仲の良さがにじみ出ているシーンや、いつもふざけているJACKieが真剣に語る姿、旧ニューロティカの縁の下の力持ち的な役割でもであったSHONとアキオの話に、当時の記憶が鮮明に蘇る人も多いだろう。  修豚、SHON、アキオ脱退時の話や、その後、現在まで活動をともにするカタル、ナボが新たにメンバーとして加入するまでのいきさつを追うシーンでは、JACKie脱退時の貴重なラストライブの映像も収められている。JACKie脱退ライブを観た石坂マサヨ(ロリータ18号)の言葉は、当時のファンの気持ちをしっかりと代弁していて、ニューロティカの変換期の空気感が映像とともにリアルに伝わってくる。  JACKie脱退により、ボーカルのあっちゃんだけがオリジナルメンバーとして唯一残り、新たにギターにシズヲを迎え、カタル、ナボの4人で活動を続けるに至ったこの変換期は、ニューロティカの30年史を語る上で欠かすことの出来ない重要なポイントである。いつもピエロの姿で観客を楽しませるあっちゃんの陰に隠れた苦悩とともに、映画の完成記者会見でカタルの言った「何をおいてもメンバーのことを一番に考えてくれる」という、あっちゃんの人間性がしみじみと伝わって来る。
20150309acchan-sub2th_.jpg

 そんなあっちゃんの人間性を慕う人間は多く、バンドが様々な問題を抱えているときでも必ず仲間が側に寄り添い、ニューロティカは活動を続けてきた。「仲の悪い2バンドがあったとしたら、その間にあっちゃんがいて、結局その3バンドでライブをやってしまったりする不思議な人」と、記者会見でナボが語ったエピソードは、一度でも関わった人間を惹き付けてしまうあっちゃんの魅力をよく表しているといえよう。  もちろん、映画ではニューロティカの音楽性についても触れている。2000年5月にアルバム『絶体絶命のピンチ!! 』を発売したTV-FREAK RECORDの代表であり、POTSHOTの中心人物であるRYOJIが「元祖メロコア、速いメロディアスなパンクっていうのは、実はニューロティカが日本でもうやっていたんだというのを、みんなに伝えたかった」というように、その音楽の新鮮さに惹かれた人間は当然のように多い。本作品の中でも、カタルが手がけたニューロティカの楽曲の映画音楽バージョンが使われていて、鑑賞中に「おっ! これニューロティカだ!」と気付かされることもしばしば。様々なアーティストにより作られた今回の作品のための楽曲などもあり、作品中に使用されている音楽もこの映画の楽しみのひとつとなっている。
20150309acchan-sub3th_.jpg

 完成記者会見でナリオ監督は「ニューロティカの映画ではなく、あっちゃんという1人の人間の映画であるため、あっちゃんの人となりや誰からも愛されるキャラクターをクローズアップして追っていった」と語り、同じく記者会見でナボは「スーパーマンがピンチの時には新聞記者から変身して助けに行く姿が、あっちゃんにオーバーラップして、映画を通してあっちゃんを世の人に広めたいという気持ちがすごくあった」と語った。どこにでもいるお菓子屋のおっちゃんが、実はすごい人間なんだ、という驚きと感動が、映画全編を通して本当に良く伝わってくる。  出演する各著名人のあっちゃんに対するコメントでは「正にそれ!」と手を打つものや、爆笑しながらも唸らせるものもあり、あっちゃんという人間が誰に対しても等身大の自分自身で、誠実に向き合っていることがわかる。作中で綾小路翔(氣志團)が話すあっちゃんに対するコメントは、とくに印象深くそれもまた重要な見どころのひとつである。ニューロティカやあっちゃんを知る人も知らない人も、いや、どんな人であろうともこの映画を観れば、この言葉の説得力というものが理解できるはずだ。  今までメンバーにも彼女にも、誰にも話したことの無いあっちゃんの心の奥底に秘められていた思いを、初めて明かしたドキュメンタリー映画『あっちゃん』。公開初日の4月18日(土)東京渋谷HUMAXシネマでは、メンバーによる舞台挨拶もあるので、是非映画館の大きなスクリーンであっちゃんという人間を感じてほしい。 映画『あっちゃん』オフィシャルサイト 参考:ニューロティカ・あっちゃんが語る、バンド活動30年「文化祭の延長みたいな感じでやってきた」 ■ISHIYA アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。 FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST

吠える麿赤兒、睨む麿赤兒…ポーズ集『HYPER ANGLE』の怪人編が想像以上の濃さだった!

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

150307_rio01_n1.jpg
『HYPER ANGLE PHANTOM』(創美社/2011年)
――ようこそ、「特殊古書店ダリオ堂」へ。当店では、ちょっと変わった本たちを皆様にご紹介していきましょう。  神保町の特殊古書店「マニタ書房」店主でライターのとみさわ昭仁、特殊翻訳家で映画評論家の柳下毅一郎という特殊な友人2人と連れ立って、年に何回か「せんべろ古本ツアー」というのをやっています。要するに、3人で飲み屋と古本屋をハシゴしまくるんですね。  今回は、武蔵小山の素晴らしい立ち飲み屋「晩杯屋」で集合して、西小山、洗足、大岡山、旗の台、長原、蓮沼、蒲田と、電車と徒歩で古本屋11軒、飲食店4軒を周りました。今回は行ったけど閉店していたり、通販専門になっていたりで空振りに終わった店も多くて、ちょっと不完全燃焼なツアーになってしまったんですが、その中でも印象に残ったのが洗足にあった某店です。 「おたぽる」で続きを読む

53歳AV女優の壮絶人生…宝石ブランド経営で借金1億3千万円! 社員に出演告白

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
tokitouakina_01_150309.jpg
AV女優・時任明菜ツイッターより
 AV女優がAV女優になる動機は、様々だ。 「『エッチが大好きで、天職かと思ったから』、『蒼井そらちゃんに憧れて』、『有名になりたいから』などのポジティブな動機が、ここ10年で急上昇しましたが、昔から変わらず一番多いのは『金』です。先日も元芸能人の単体AV女優さんにインタビューしましたが、『家族が病気で入院し、お金が欲しかったから』と告白。ダメ元でそのまま原稿にしたところ、もちろんその後の事務所チェックで、ガッツリ削られました」(AVライター)  AV女優でも単体としてアイドル売りされている女優の本音は芸能人と同様で、一般人はなかなか知ることができないということらしい。  だが、企画女優は別だ。自由に発言できる立場にいる彼女たちの言葉は、こちらが予測不可能な面白さをはらんでいることがある。 「宝島」(宝島社)で連載中の「新・名前のない女たち」は、毎回AV女優のありのままをえぐり出している数少ないインタビュー企画のひとつだ。