ロンブー田村淳が「いじめ」を受けた過去を告白! でもそのいじめ克服法は…

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『35点男の立ち回り術』(日経BP社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、その高いコミュニケーションスキルを身につけた原点は、小学生時代に「いじめにあった」過去にあるという。モテ芸人として若くしてブレイクし、最近ではたびたび政界進出の噂も流れる淳にそんな過去があったなんて……。  これは、いま、いじめに悩んでいる子どもたちにも希望を与えられる話かもしれない。 彼は、どうやって、いじめを克服したのか。そのエピソードが語られている淳の新著『35点男の立ち回り術』(日経BP社)を読んでみた。   彼が生まれ育ったのは、山口県は下関市の彦島という小さな島。地元の小学校に入り、勉強も運動も頑張る活発な子どもだった彼だが、小学校2年生の時、事件が起こる。 「でも小学校2年生の終わりの頃、突然どん底に突き落とされてしまいます。「なぜボクがいじめられるのか…」と考えましたが、今でも理由はよく分かりません。活発すぎるボクが、クラスの仲間からは、うっとうしく見えたのか、それとも、いじめる対象なんて、クラスでどんどん変わっていくもので、たまたまボクだったのか、誰でもよかったのかな、とも思います」  黒板消しで叩かれ、身体をチョークの粉まみれにされたり、机の引き出しのなかにカビが生えたパンを入れられたりといった、苛酷ないじめが半年間続く。  理由を考えても思いつかない、そして、誰も助けてくれる様子のない状況下、彼は「まず、自分から行動しないと、終わらないだろう」と思い至る。  そこで彼の頭をよぎったのは、当時の大スター、ジャッキー・チェン。 「彼の映画は、弱い人が修行して、徐々に強くなり、周囲を見返す位置にまで到達するストーリーが多かったんです。そんな彼の映画を見て、「ボクもジャッキーのように、弱い立場から抜け出したい」と思いました」  そこで彼は驚きの行動に出る。 「まず、近くのホームセンターに行きました。そこで丸い木の棒を2本、そして、チェーンとネジ止めを買いました。家へ帰ってきて、カンナで削ったり、2本の棒を短く切って、2本をチェーンでネジ止めして、見よう見まねで「ヌンチャク」を作ったんです。翌朝、学校に行き、ボクは行動を起こしました。教室に入ると、いきなり、みんなによく見えるように、この手製ヌンチャクを振り回し、大声をあげて暴れまくったのです。気持ちはすっかりジャッキーでした」 「(略)そしてボクは、彼らのほうに向い、特にボクをいじめていた憎いヤツの顔を、その手製ヌンチャクで叩きました。もう学校中が大騒ぎです。先生からこっぴどく叱られましたし、そのヌンチャクも没収されました」  この日を境に、彼の生活は一変。いじめはなくなり、これまで話さなかったクラスメートも話しかけてくるようになったという。  やられた暴力に対して、ただ黙って耐えるのでもなく、周囲に助けを求めるのでもなく、やり返した。  それで彼はいじめ問題を解決したというのだが、しかし、実はこのやり方、いじめ対策として絶対に語ってはいけない方法ではないのだろうか。  元・文部科学省いじめ問題アドバイザーである小森美登里が書いた『いじめのない教室をつくろう 600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策』(WAVE出版)によると、大人たちがこうして「やり返すことが強さ」「やり返せないのは弱い子」と教えていることこそが、いじめの連鎖を生んでいるのだという。 「「やり返してもいい」と教わった子どもがやり返し、やられた子どももやはり大人から「やり返してもいい」と教わっているので更にやり返します。いじめは連鎖して問題は大きくなり、深刻化していきます。その間、子どもの傷は深くなり、問題解決をも困難にしていきます。  また「思い切りやり返せばよい」ということでは、解決できません。やられた子どもの心には、大きな傷が残ります。その傷や悔しさ、悲しさ、怒りは、心に争いの種を残し、その種はいつか誰かに向けて爆発してしまうかもしれません。やり返すことで一体何を生み出しているかを、もう一度認識しなければならないのです」 「やられたらやり返す」の方法論で学校からいじめをなくすよう子どもに教えてしまうと、いじめは根絶されることはなく、ただ、いじめのターゲットが変わるだけのいじめの連鎖につながってしまう。 「やられたらやり返す」では、いじめの根源的な解決には向かえないのだ……。  もっとも、その後の田村淳の対応には評価すべき点もある。『35点男の立ち回り術』によると、いじめのターゲットから逃れた田村淳は、今度は他のいじめられている子たちと積極的に交流し、その子たちの長所や得意なことをクラスメートに伝える伝達者の役割を担うようになったという。  その経験から「まず人の話を聞いてあげる」ことの大切さを学び、それが今の司会業の役に立っているのだそうだ。  ただ、先に挙げた『いじめのない教室をつくろう~』のなかには、次のような指摘もある。 「まずは、いじめ問題を、「被害者が弱いから」という被害者の問題ではなく、加害者に対してどのように対応していくかという問題としてとらえ、私たち大人が責任を引き受けることではないでしょうか」 「いじめがありそうだとわかったら、被害者の安全確保はもちろんですが、同時に加害者の抱えている問題に寄り添い、理解することが大切になります。  いじめは、加害者がいじめ行為をやめれば解決します。ただ、加害者となってしまった子どもたちは、実は大きな悲しみや心の痛み、不安というものを抱えていることが多いのです。自分のことを心配してもらう実感、愛されている実感を、何よりも欲しているのがいじめている側なのかもしれません。周囲の大人との結びつきが著しく弱かったり、ネグレクトや心身への暴力を受けていたり、学校以外の塾や地域などで何らかのいじめを受けていたりする加害者もいます」  いじめの解決策を一言で言い表すことなどできないが、「いじめ被害者は何も悪くない」という考え方と、「いじめ加害者が、なぜ、人をいじめるような子になっているのか。その心の中に巣くう不安や傷を解消させない限り、真の解決はない」、この二つは鉄則だ。  田村淳は、自分の過去の経験もあるので、「被害者」のケアには一家言あっても、「加害者」のケアには考えがおよばない可能性がある。  もしも今後、彼が政治家となって教育関係の事例に関わる機会があったとしたら、自身の経験はいったん置いておいて、是非とも一度、いじめ関係の教育理論にあたってみることを強くオススメしたい。 (新田 樹)

ロンブー田村淳が「いじめ」を受けた過去を告白! でもそのいじめ克服法は…

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『35点男の立ち回り術』(日経BP社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、その高いコミュニケーションスキルを身につけた原点は、小学生時代に「いじめにあった」過去にあるという。モテ芸人として若くしてブレイクし、最近ではたびたび政界進出の噂も流れる淳にそんな過去があったなんて……。  これは、いま、いじめに悩んでいる子どもたちにも希望を与えられる話かもしれない。 彼は、どうやって、いじめを克服したのか。そのエピソードが語られている淳の新著『35点男の立ち回り術』(日経BP社)を読んでみた。   彼が生まれ育ったのは、山口県は下関市の彦島という小さな島。地元の小学校に入り、勉強も運動も頑張る活発な子どもだった彼だが、小学校2年生の時、事件が起こる。 「でも小学校2年生の終わりの頃、突然どん底に突き落とされてしまいます。「なぜボクがいじめられるのか…」と考えましたが、今でも理由はよく分かりません。活発すぎるボクが、クラスの仲間からは、うっとうしく見えたのか、それとも、いじめる対象なんて、クラスでどんどん変わっていくもので、たまたまボクだったのか、誰でもよかったのかな、とも思います」  黒板消しで叩かれ、身体をチョークの粉まみれにされたり、机の引き出しのなかにカビが生えたパンを入れられたりといった、苛酷ないじめが半年間続く。  理由を考えても思いつかない、そして、誰も助けてくれる様子のない状況下、彼は「まず、自分から行動しないと、終わらないだろう」と思い至る。  そこで彼の頭をよぎったのは、当時の大スター、ジャッキー・チェン。 「彼の映画は、弱い人が修行して、徐々に強くなり、周囲を見返す位置にまで到達するストーリーが多かったんです。そんな彼の映画を見て、「ボクもジャッキーのように、弱い立場から抜け出したい」と思いました」  そこで彼は驚きの行動に出る。 「まず、近くのホームセンターに行きました。そこで丸い木の棒を2本、そして、チェーンとネジ止めを買いました。家へ帰ってきて、カンナで削ったり、2本の棒を短く切って、2本をチェーンでネジ止めして、見よう見まねで「ヌンチャク」を作ったんです。翌朝、学校に行き、ボクは行動を起こしました。教室に入ると、いきなり、みんなによく見えるように、この手製ヌンチャクを振り回し、大声をあげて暴れまくったのです。気持ちはすっかりジャッキーでした」 「(略)そしてボクは、彼らのほうに向い、特にボクをいじめていた憎いヤツの顔を、その手製ヌンチャクで叩きました。もう学校中が大騒ぎです。先生からこっぴどく叱られましたし、そのヌンチャクも没収されました」  この日を境に、彼の生活は一変。いじめはなくなり、これまで話さなかったクラスメートも話しかけてくるようになったという。  やられた暴力に対して、ただ黙って耐えるのでもなく、周囲に助けを求めるのでもなく、やり返した。  それで彼はいじめ問題を解決したというのだが、しかし、実はこのやり方、いじめ対策として絶対に語ってはいけない方法ではないのだろうか。  元・文部科学省いじめ問題アドバイザーである小森美登里が書いた『いじめのない教室をつくろう 600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策』(WAVE出版)によると、大人たちがこうして「やり返すことが強さ」「やり返せないのは弱い子」と教えていることこそが、いじめの連鎖を生んでいるのだという。 「「やり返してもいい」と教わった子どもがやり返し、やられた子どももやはり大人から「やり返してもいい」と教わっているので更にやり返します。いじめは連鎖して問題は大きくなり、深刻化していきます。その間、子どもの傷は深くなり、問題解決をも困難にしていきます。  また「思い切りやり返せばよい」ということでは、解決できません。やられた子どもの心には、大きな傷が残ります。その傷や悔しさ、悲しさ、怒りは、心に争いの種を残し、その種はいつか誰かに向けて爆発してしまうかもしれません。やり返すことで一体何を生み出しているかを、もう一度認識しなければならないのです」 「やられたらやり返す」の方法論で学校からいじめをなくすよう子どもに教えてしまうと、いじめは根絶されることはなく、ただ、いじめのターゲットが変わるだけのいじめの連鎖につながってしまう。 「やられたらやり返す」では、いじめの根源的な解決には向かえないのだ……。  もっとも、その後の田村淳の対応には評価すべき点もある。『35点男の立ち回り術』によると、いじめのターゲットから逃れた田村淳は、今度は他のいじめられている子たちと積極的に交流し、その子たちの長所や得意なことをクラスメートに伝える伝達者の役割を担うようになったという。  その経験から「まず人の話を聞いてあげる」ことの大切さを学び、それが今の司会業の役に立っているのだそうだ。  ただ、先に挙げた『いじめのない教室をつくろう~』のなかには、次のような指摘もある。 「まずは、いじめ問題を、「被害者が弱いから」という被害者の問題ではなく、加害者に対してどのように対応していくかという問題としてとらえ、私たち大人が責任を引き受けることではないでしょうか」 「いじめがありそうだとわかったら、被害者の安全確保はもちろんですが、同時に加害者の抱えている問題に寄り添い、理解することが大切になります。  いじめは、加害者がいじめ行為をやめれば解決します。ただ、加害者となってしまった子どもたちは、実は大きな悲しみや心の痛み、不安というものを抱えていることが多いのです。自分のことを心配してもらう実感、愛されている実感を、何よりも欲しているのがいじめている側なのかもしれません。周囲の大人との結びつきが著しく弱かったり、ネグレクトや心身への暴力を受けていたり、学校以外の塾や地域などで何らかのいじめを受けていたりする加害者もいます」  いじめの解決策を一言で言い表すことなどできないが、「いじめ被害者は何も悪くない」という考え方と、「いじめ加害者が、なぜ、人をいじめるような子になっているのか。その心の中に巣くう不安や傷を解消させない限り、真の解決はない」、この二つは鉄則だ。  田村淳は、自分の過去の経験もあるので、「被害者」のケアには一家言あっても、「加害者」のケアには考えがおよばない可能性がある。  もしも今後、彼が政治家となって教育関係の事例に関わる機会があったとしたら、自身の経験はいったん置いておいて、是非とも一度、いじめ関係の教育理論にあたってみることを強くオススメしたい。 (新田 樹)

エイリアンは人間のような姿であると生物学者が分析

エイリアンは存在し、人間のような姿をしているとある生物学者が分析している。進化論を展開する生物学者のサイモン・コンウェイ=モリス氏は新刊『ザ・ルーンズ・オブ・エボリューション』の中で、知性と革命は無作為に発生するのではなく、一定の生物学的な法則のもとで誕生するものだと唱えており、他の惑星に住む生物も人間のような形態で進化している可能性が高く、植物や海に囲まれて生活しているとした。 同書にはこう綴られている。「沸点に達したり凍結しないような住むのに適した環境であれば、どこでも知性を持った生物が発生することはあると思います。なぜなら知性とは一定の地に集まるものだからです」「それに人間の形態に類似したものである可能性はかなり高いと言えるでしょう」

ビクター・デジタル部門の新レーベル「AndRec」は何を目指すのか? レーベル長・今井一成氏に聞く

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AndRecレーベル長・今井一成氏

【リアルサウンドより】  ビクターエンタテインメントが設立した新レーベル「AndRec」から、注目の第1弾アーティストが本格デビューを飾る。すでに史上初の“ハイレゾ配信デビュー”を飾って話題になっていた、シンガーソングライター・丸本莉子。デビュー作の『ココロ予報』の通常配信が、7月8日にスタートする。  AndRecは、ビクターエンタテインメントのデジタル配信部門が独自に新設したレーベル。同部門は自社音源や映像のスマートフォンやPC向け配信業務の中枢を担い、SNSを中心とするデジタルプロモーション等で、アーティストをサポートしてきた。ビクターエンタテインメントは自社でハイレゾ・高音質音源配信サイト『VICTOR STUDIO HD-Music』の運営にも力を入れており、高い歌唱力を持つ丸本莉子が、レーベル第1弾アーティストに選ばれている。  レコード会社の一部門から新設されたAndRecは、どのようなレーベルを目指し、音楽業界に何をもたらすのか。また丸本莉子を第1弾アーティストに選んだ背景とはなにか。AndRecレーベル長である今井一成氏にインタビューを行った。サザンオールスターズの「TAISHITAレーベル」や、斉藤和義、くるり等が所属する「スピードスターレコーズ」を中心に、同社で長いキャリアを持つ氏は、レーベル設立の経緯をこう振り返る。 「音楽レーベルにおいては、事業の中心をパッケージからデジタルマーケットに移行する時期ではないかと考えています。レーベルにはやりたい気持ちを持つ人はたくさんいますが、その多くがどう進んでいいかわからない。それだったら、最初から“デジタル側”の人たちがトライしたらどうなるだろう、というところからスタートしています。私は制作の宣伝部門とパッケージの営業、デジタルの現場を経験して、パッケージとデジタルの両方の良さをわかっている中で、新しくレーベルをやったらどうなるんだろう、という興味が一番大きかったですね。もちろんパッケージを軽視しているつもりはなく、丸本莉子も9月にはCDでミニアルバムをリリースしますし、音楽を楽しむツールならなんでも対応しようと思っています」  AWAやLINE MUSIC、Apple Musicなど次々に音楽の新しいデジタル配信サービスがスタートしているなか、音楽を生み出す側のレーベルにおいてもデジタルマーケットへの移行が加速する可能性もありそうだ。もっとも、同氏は日本におけるデジタル音楽市場を分析しつつ、「完全な形でスライドをするには、すごく時間と手間がかかる」と話す。 「デジタル系の評論家には『ヨーロッパだとこう、アメリカだとこう成功している。日本はなぜやらない?』という方もいますが、そもそも日本にはパッケージビジネスを大切にしてきた文化があります。例えばアメリカで見かけなくなったタワーレコードも、渋谷や新宿には大型のタワーレコードがあり、時々写真を撮る外国人を見かけます。ある国では消滅していっても、ある国の文化の中では重用されるべきものもあるんです。日本は独自のスタイルで音楽マーケットを作っているわけで、海外で成功したものが必ずしもウケるわけではない。ユーザーの進化に合わせてデジタルにスライドしていかなければならないと考えますが、パッケージに愛着を持つ人、パッケージビジネスを崩したくないと考えている人がいるのも事実。『こういうやり方ができるんですよ』ということを少しずつわかってもらうのが大事だと考えています」  技術や視聴環境の変化よりも「ユーザーの変化」に着目する今井氏。特に10代の若い世代について、「これから2~3年で生活スタイルが激変する世代で、彼らがどんな風に音楽を聴くのか、ということを考え、音楽のセールスのあり方を進化させなければ」と語る。 「10代の子供達の2~3年は、われわれのような大人の2~3年とは大きく違います。これからスマホやPCを持つという子も多いだろうし、売り方はもちろん、そのマーケットに、一緒に考えながらアプローチできるアーティストを発掘することも重要なんです」
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 一聴しただけで強い印象を残す歌声と、共感を呼ぶ歌詞。最新のトレンドであるハイレゾ配信にも映える丸本莉子は、まさにそんなアーティストだったという。 「とにかく、彼女の歌詞の世界と歌声を聴いてもらいたい。そこにピントを合わせたくて、現在公開しているショートバージョンのミュージックビデオには、ライブ映像の横に歌詞を入れています。ハイレゾ配信に関しては、彼女の特徴的な声を引き立たせる狙いがありました。もっとも、本人はハイレゾについてほとんど知らなくて、急遽ハイレゾ勉強会を開きましたが(笑)。でも、アーティストは曲を作り続けてくれれば、それでいい。音楽の売り方が変わっても、創作の本質は変わらないですから」

丸本莉子 - ココロ予報(Music Video)

 ハイレゾ配信はあくまで、丸本莉子の魅力を最大限に活かすための取り組みであり、今後AndRecからデビューするアーティストにおいては、それぞれの特性にあったアプローチを考えているそうだ。今井氏は、「すべてのアーティストをデジタル側の視点から見て、こうあるべきだ、と結論づけるつもりはない」という。その上で「ただひとつだけ」と、最後に語ってくれた。 「必ずしもSNSに限った話ではありませんが、どのアーティストも情報発信を積極的にやってほしいという思いはあります。AndRecでも、当然アーティスト育成から力を入れていきますが、本人が話したり、書いたりというアプローチを積極的にしていくことで、いろいろなデジタルツールを使ってもっと面白いことができると思うんです。“レコード会社が売るのは音楽だけ”なんて定義は、どこにもない。さまざまなアイデアを実現して、これからのレーベルのあり方を示しながら、これぞAndRec、というイメージを構築していきたいですね」  新時代のシンガーソングライターとして、高いポテンシャルを秘めた丸本莉子と、デジタル&アナログの両面から最適なプロデュースを考え抜き、今後も驚きを与えようとするAndRecというレーベル。両者が音楽シーンにどんな影響を与えていくか、今後の作品とその動きに注目したい。 (文=編集部/撮影= 石川真魚)
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■リリース情報 1st配信シングル「ココロ予報」(ハイレゾ配信) 発売日:2015年6月10日(水) 価格:デビュー記念・期間限定価格 ¥250(税抜) 1st配信シングル「ココロ予報」(通常配信) 発売日:2015年7月8日(水) 価格:¥250(税抜) 【iTunes URL】 https://itunes.apple.com/jp/album/-/id1011717765 【レコチョク URL】 http://recochoku.jp/song/S1001850961/ 【mora URL】 http://mora.jp/package/43000005/VE3WA-17465/ ■GYAO! MUSIC LIVEにて丸本莉子のスタジオライブが生配信決定 丸本莉子 LIVE at Victor Studio 『一本勝負!!』 日時:2015年7月16日(木)20:00~ 視聴はこちら(GYAO! MUSIC LIVE TOPページ) http://gyao.yahoo.co.jp/music-live/

店の中限定のアイドルから、ステージに立つ地下アイドルへ…抜け出せない世界でもがき続けるアイドルの現実

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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今回は、懸命に頑張った女の子の話です。
――地下アイドルの“深海”で隙間産業を営む姫乃たまが、ちょっと“耳の痛〜い”業界事情をレポートします。  彼女は最初に、秋葉原のとある店で働いていた理由を、「普通のバイトより時給が高いから」とか「アイドルに憧れがあった」という風に話していましたが、居場所を求めていたというのが実のところです。幼少の頃より、なんとなく保育園や学校での生活に慣れず、比較的、校則の緩やかな高校に進学した後も、その違和感が薄まることはありませんでした。  そうして飛び込んだその店は、メイドブームに乗って一儲けするにはやや遅く、しかし、「アイドルとかメイドとか、それっぽい女の子を置いておけば、なんとかなるだろう」と信じて疑わない、水商売上がりの店長が経営していました。 「おたぽる」で続きを読む

工藤會壊滅作戦で暴力団員が「難民化」! 暴排条例が一般市民を巻き込む犯罪を増やす

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『ヤクザとテロリスト 工藤會試論 難民化する「暴力団」、暴力装置化する国家』(イースト・プレス)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  2012年4月に北九州市で福岡県警の元警部が銃撃された事件で、県警は近く特定危険指定暴力団・五代目工藤會トップの野村悟総裁のほか、ナンバー2の田上不美夫会長、ナンバー3の菊地敬吾理事長らを組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)容疑で逮捕する方針を固めた。野村総裁の逮捕は14年9月以降、5回目。野村総裁、田上会長、菊地理事長らはすでに別事件で起訴されており、福岡県警は着々と「工藤會壊滅作戦」を遂行しているといった状況だ。  五代目工藤會は北九州市に拠点を置く九州最大規模の暴力団で、“反警察”の姿勢を貫いている。12年10月に施行された改定暴対法にもとづき、全国で唯一「特定危険指定暴力団」に指定されている。 「特定危険指定暴力団」に指定されるとどうなるのだろうか。宮崎学氏の著書『ヤクザとテロリスト 工藤會試論』(イースト・プレス)では、このように説明されている。 「指定を受けると『警戒区域』で組員がみかじめ料(ヤクザが店を守るという『用心棒代』)の支払いや工事への参入などを要求した場合、県警は暴対法上の中止命令の手続きを経ずに組員を逮捕できる。いわゆる直罰規定である」(以下「」内同書より)  さらに、事務所の使用にも厳しい制限が設けられる。 「この指定にもとづき、二〇一四年十一月には北九州市小倉北区の本部など計四カ所の事務所の使用制限命令が出された。対立抗争中の組織以外に事務所の使用制限命令が出るのは全国初とされ、維持管理目的以外での事務所への組員の立ち入りを禁止している」  14年9月に野村総裁らを逮捕してから現在に至るまで、福岡県警が逮捕した工藤會系組員は、全体の約1割にも達している。特定危険指定によって、ただでさえ活動が難しいというのに、そのうえ1割の構成員が欠けているのだから、まさに壊滅的な状態といえるだろう。  工藤會だけではない。10年くらいから日本全国で制定の動きが広がった「暴力団排除条例」(暴排条例)によって、暴力団員の生活基盤が崩壊しているのだ。ご存知の通り、暴排条例は、暴力団員と交際したり、暴力団員に利益を与えたりする一般市民を取り締まるものだ。 「これによってヤクザたちは金融機関の口座や生保、損保などを解約させられ、クレジットカードを持つこともできなくなった。また、ホテルやゴルフ場などの公共の施設が利用できず、事務所に宅配便やラーメンの出前も届かなくなった。あるいは子どもたちが学校や保育園に通えなくなる事態も頻発している」  一般市民であればごく問題なく利用できるサービスも利用できなくなっている現在の暴力団員。それは葬儀においても同様だ。 「現代のヤクザたちは葬式すらまともに出すことができなくなってきているのだ。公共の葬儀場や寺では組織としての葬儀を行えない。施設側が受け入れたとしても警察が黙っていないのだという」 「また、組員だけではなく、その妻子の法要も営めなくなっている例も出てきている。寺には墓もあるのに、妻が亡くなっても葬儀ができなかったというのだ」  そして、社会から排除されていく暴力団員のなかには、自ら死を選択する者も少なくない。 「ヤクザと話しているときに、『困りごと』として親分や兄弟分の自殺を挙げる者も多い。  原因はたいていはカネである。シノギが細くなってにっちもさっちもいかなくなり、思い余って……というパターンである」 「ヤクザの場合、組のために懲役に行き、刑務所から出所したときに帰るべき組がなくなっている場合もある。服役中に知らされてはいるが、寂しい思いを募らせた挙げ句に自殺を選ぶ者は少なくない」  このように暴排条例によって“難民化”している暴力団員とその家族たち。いくら非合法的な行為に手を染めるアウトローたちとはいえ、あまりにも人権が蔑ろにされている状況ではなかろうか。  そして問題は、暴力団員とその家族の人権だけではない。暴力団を排除することが、必ずしも犯罪の抑止につながるというわけではないという事実もある。『ヤクザとテロリスト』では、警察によって壊滅状態にされた工藤會のとある組員が、こう話している。 「たしかに厳しい状況ですが、残った者たちでなんとかやっています。(中略)たとえいまより法律や条例が厳しくなっても、ヤクザ組織はなくなりません。ただ潜在化するだけです」  これまでは、堂々と“看板”を出して活動していた暴力団が、“見えない犯罪組織”に成り代わるだけだというのだ。  暴力団は、潜在化することでいわば市民の視線を受けなくなるわけであり、逆に犯罪が増加する可能性すら考えられる。そして、その犯罪被害は一般市民へと向けられるのだ。かつて「一般市民を巻き込まないのがヤクザ」などと言われていたこともあったが、その状況が変わりつつあるようだ。 「最近は暴排のせいで正業に就けないことから、危険ドラッグを扱ったり、オレオレ詐欺や強盗、さらにはキセル乗車など『ヤクザらしからぬ』罪で逮捕されたりするヤクザが目立つが、それは食っていくためにしたかなくやっている。  以前はほとんどのヤクザが建設関連業やサービス業などの正業を持っていた。それを取り上げられれば違法なこともせざるをえないのは当然だろう」  暴排条例で一般市民と暴力団との接点がなくなるはずだったのに、潜在化した暴力団員が一般市民を騙すようになるという矛盾が生じているこの現実。こんなことになるくらいなら、暴力団員に何らかの正業を与えておいたほうが、健全な社会を築けるのではないか、とさえ考えてしまう。  これまで、ある種の“必要悪”として、日本の社会が内包していた暴力団の存在。犯罪組織を取り締まるのはもちろん重要なことだが、人権すら無視するような行き過ぎた暴排条例は果たして許容すべきものなのだろうか。百歩譲って、暴排条例で犯罪が顕著に減少したというのならまだしも、実際には潜在化した暴力団による一般市民を相手にした犯罪行為が行われているわけであり、もはや暴排条例は害悪しかないのでは……とも思えてくる。一体何のための暴排条例なのか。いま一度しっかり検証する必要があるだろう。 (田中ヒロナ)

故エイミー・ワインハウスの未発表曲がリリースへ?

故エイミー・ワインハウスには未発表曲が残されているようだ。2011年にアルコール中毒により27歳の若さで他界したエイミーの未発表曲が、最近公開されたドキュメンタリー作『エイミー』に向けた2年間のリサーチの中でアシフ・カパディア監督とプロデューサーのジェームズ・ゲイ=リース、編集に携わったクリス・キングによって発見されたという。 現在、同製作者たちはエイミーの元夫ブレイク・フィールダー・シビルついて歌った感情的な曲などを含めた映画『エイミー』に収録できなかった楽曲の数々をエイミーの所属レコード会社であったユニバーサルからリリースするように働きかけているようだ。キングは「僕達が耳にした曲の一部を発表する方法を探して欲しいですね。その中にはブレイク・フィールダー・シビルとよりを戻すことを歌った曲もあります」「ピアノだけのとても感情的な歌声です。そういった曲の他にも僕達が映画に収録できなかったけれどもみなさんに聴いて欲しいカバー曲などがありました」と話している。 エイミーの友人であったマーク・ロンソンがエイミーの未発表曲を集めた『ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ』が没年と同年に発表されているが、当時、ファン達からはリリースが早すぎると思われていた。そのためユニバーサル側はもう1枚アルバムを発表することを懸念しているようで、ゲイ=リースは「レコード会社側は『ライオネス』で失敗したと感じているので、最適な形で取り組もうとしているんです」と説明した。

日本人は「演歌のリズム感」から脱却したか? コンサートの手拍子について考えた

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【リアルサウンドより】  日本の音楽リスナーのリズム感って、すさまじく変化したんだなあ。  と、実感した出来事があった。昨年の暮れ、2014年12月16日&17日に横浜アリーナで行われた星野 源のライブ、その2日目=17日の方でのことだ。  本編全22曲中の21曲目に「夢の外へ」をやったのだが、その時、超満員のオーディエンスほぼ全員のハンドクラップが、ちゃんとスネアの位置に入っていたのだ。  いわゆる「裏」ということになるのか。「夢の外へ」は、「♪スッタンスッタン」というドラムの、とてもテンポが速い曲だ。うちのBPMカウンター付きCDJで再生してみたところ、平均BPMは113前後(中盤の3拍子になるところを除く)。これ、半分で計測しているから、2倍にすると226くらい、ということになる。  そんな速い曲なのに、その「♪スッタンスッタン」のうちの「スッ」じゃなくて「タン」の方で手拍子を打っているのだ、横浜アリーナをびっしり埋めた1万数千人が。全体にすっごくいいライブで終始ステージに釘付けになっていたのだが、この時ばかりは星野 源よりもお客さんの方に感心してしまった。  日本人は、表でリズムをとりたがる民族である。そしてそこが、日本人がロックに向かないことを表す、もっとも重大なウィークポイントである。  というのが、僕が中高生の頃の、高尚っぽい音楽雑誌や音楽評論家の決まり文句だった。あ、「高尚っぽい」というのは、のちに僕が勤めることになるロッキング・オンではありません。ロッキング・オンはそのあたりのことは一切言わない雑誌でした。もっと音楽論とか技術論とかの方面に強い雑誌や評論家の方です。  曰く、洋楽アーティストが来日公演を行った時に、まず最初に愕然とするのがそこである、と。表と裏でいうと表、キックとスネアでいうとキックの位置でハンドクラップを打たれる、その事実に英米から来たバンドは驚き、日本人との間にとてつもない溝を感じる、と。そもそも表でリズムをとるのは演歌や民謡のセオリーであって、日本人の身体にはそのリズム感がもう拭い難く染みついていると。だから日本人はロックなんか無理なんだ……。  思い出しつつ書いてるうちに「おまえ何人なんだよ」と言いたくなってきたが、まあロックに限らず、映画でも小説でもなんでも「海外ではこうなのに日本では違う、だから日本はダメなんだ」みたいなもの言いが多かった気がする、1980年代あたりまでは。  戦後すぐの生まれで、アメリカにカルチャーショックを受けながら育った世代がそういうことをよく言ったり書いたりしていた。作家でいうと景山民夫とか。で、その著作をすべて買っていた僕のような田舎のガキが、読んでいちいち怯えたり、気を落としたりしていたのだった。「そうか、日本人はダメなんだ」と。不健康な時代だったんだなあと思う。逆に「日本はこんなにおもしろい」みたいなテレビ番組だらけな現在も、それはそれで不健康な気がするが。というか、現在の方がさらに不健康か。  話がそれたので戻します。  その「リズムを表で取る」クセは、当然、曲のテンポが速ければ速いほど顕著になる。で、当時、そういう「高尚っぽい」雑誌を読んでいるロックファンはごく一部だった。そしておそらく「そんなの読まなくても裏でリズムをとることが身についている」という人なんて、もっとごく一部だっただろう。 そうすると、どういうことになるのか。音楽に普通な興味しかない人はまだしも、バンドをやっている高校生や大学生でさえ、平気で表でリズムをとったりしちゃう、という事態になるのだ。ドラムスクールとか行ってる子は別だが(ヤマハの先生とかって必ず「裏を感じろ」って言うし)、普通にバンドスコアとか買ってきてコピーしてるような子は特に。  ちょっと速い曲のイントロが始まる。ヴォーカルの子、客席をあおる意味で両手を挙げてハンドクラップを打ち始める。それが思いっきり頭の方に入っていて、彼の後ろのドラムの小僧、「ああっ、恥ずかしい! これは恥ずかしい!」と叩きながら顔から火が出るような思い(実体験です)──というようなことが、アマチュアレベルでは、おそらく日本中で起こっていたのだと思う。プロのバンドは、さすがにそんなことはなかっただろうが。 それがいつから変わり始めたのか、いかなる過程を経て進化したのか、明確なところはわからないが、こうしてふり返っていくと、現在の「ロック・バンド四つ打ちだらけ現象」が、なぜ起きているのかわかる気がしないだろうか。  そうだ。四つ打ちには表も裏もないからだ。いや、ほんとはあるんだけど、とりあえずキックとスネアの両方で、ハンドクラップを打つなりリズムをとるなりすればいいのが、あそこまで受け入れられ、爆発的に広まった理由ではないか。  最初にやったのはくるり、それを広く一般に広めたのはASIAN KUNG-FU GENERATION、そしてそれを聴いて育った世代が今その最前線にいるバンドたちだと僕は思っている(※あくまで僕の私感です)。 それだと単に「表と裏を意識しないですむ」ってだけじゃん。それじゃ進化しないじゃん。とあなたは思うかもしれない。しかし、たとえばくるりの“ワンダーフォーゲル”にしろ、アジカンの“君という花”にしろ、ダンス・ミュージックの王道パターンにのっとって、ハイハットはちゃんと裏に入っているわけで(いわゆる「♪ドンチー、ドンチー」のリズムです)、それが「裏がある」ことをリスナーの耳に意識させ、やがてそれが肉体化していき──というふうに進化していった、と考えられはしないか。  もちろんくるりやアジカンだけではなく、それ以前からテクノやハウス等のダンス・ミュージックが広く聴かれるようになったことなどの影響も大きいし、というか彼らもそこから影響を受けてバンドに取り入れたわけだし、そんな大ざっぱに断言していい話じゃねえよ、という気もする。  するが、たとえば、90年代中期にブレイクしたAIR JAM一派の活躍が、ここまで書いたようなリズム云々のことをリスナーに意識させ……みたいなことは、考えにくいだろう。ハイスタの“Stay Gold”とか、「ちゃんとスネアのとこで手拍子入れなさい」と言われたら僕も不可能だし、速すぎて。  とりあえず、「みんな頭でリズムをとる」80年代から、「『夢の外へ』くらい速い曲でもきっちりスネアに手拍子を入れる」2014年へと日本人のリズム認識を進化させたのは、ダンス・ミュージックと、それを取り入れたロック・バンドと、さらにそれに影響を受けた若い世代のバンドたち、ということでいかがでしょうか。なんだ「いかがでしょうか」って。 もちろん、音楽ファンがみんな星野 源のお客さんレベルになっているわけではない。ライブハウスは別にしても、横浜アリーナや東京ドームクラスのアーティストになると、「ハンドクラップが表にきちゃう」の、現在でもわりと見受けられる。が、たとえば今最前線にいる四つ打ちロックバンドや、それこそ電気グルーヴやBOOM BOOM SATELLTESのようなダンス・ミュージックに寄ったバンドだけではなく、星野 源のような音楽性のアーティストのファンも、ちゃんとそのリズム感を身につけているのはおもしろいなあ、と、強く印象に残ったのでした。 今、書いてから思った。電気やブンブンのお客さん、ハンドクラップとかしねえよ。 というのとは関係ないが、この間、ちょっとおもしろい体験をした。 フラワーカンパニーズに「真冬の盆踊り」という曲がある。ステージの上も下も一緒になって「♪ヨッサホイ ヨッサホイ ヨッサホイのホイ」と、まさに盆踊り状態で踊りまくり歌いまくる、ソウル・フラワー・ユニオンから先鋭性をさっぴいて土着性を倍にしたような、「己のダサさにビビらないバンド」フラカンならではの強力な1曲で、10年以上の長きにわたり、アンコールの定番となっている。最近では、忘れらんねえよがライヴで拝借していることでも、おなじみだったりする。 6月28日、フラカンの『Stayin’Alive』ツアーのファイナル@沖縄・桜坂セントラルを観た。で、アンコールでこの曲をやって、オーディエンス大喜びで踊りまくり歌いまくる──といういつもの光景が展開されたのだが、ひとつ、「いつもの」じゃないところがあった。 踊るお客さんたちの手。みんな、カチャーシーの形なのだ。 さすが沖縄、と、唸りました。終演後、ギターの竹安も、「あれすごい光景だったねえ! びっくりしたわ」とうれしそうだった。星野 源の例もそうだし、このフラカンの例もそうだけど、何か、我々の認識よりも、オーディエンスの肉体や直感の方が先を行っている気がします、現在って。 ■兵庫慎司 1968年生まれ。1991年株式会社ロッキング・オンに入社、音楽雑誌の編集やライティング、書籍の編集などを仕事とする。2015年4月にロッキング・オンを退社、フリーライターになる。現在の寄稿メディアはリアルサウンド、ロッキング・オン・ジャパン、RO69、週刊SPA!、CREA、kaminogeなど。 ブログ http://shinjihyogo.hateblo.jp/ Twitter https://twitter.com/shinjihyogo

原作ファンはポッキー四姉妹と比較してみよう!? 原作とは別もの映画『海街diary』の楽しみ方

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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海街diary』公式HPより。
 鎌倉に住む4姉妹の複雑な家族関係を描いた『海街diary』。家族の葛藤を描かせたら右に出る者はいない少女マンガ界の巨匠・吉田秋生による最新作です。その映画版が公開されましたね。予告を見て「三女・千佳の髪型がアフロじゃない……!」というだけで、原作ファンからは非難を浴びてます。『海街diary』は、それほど原作に思い入れのある人が多い作品です。それでは、果たして、原作ファンは映画を楽しむことができるのでしょうか……?  というわけで行ってきました。はい、まあ、普通に見たらムリゲーです。もう原作は何度読んだかわからないので、「あ、このセリフがない」とか「ここが違う」とか、いちいち引っかかります。5巻分をひとつの映画に凝縮しているので、「えっ、このセリフ、この人が言うの?」みたいな登場人物の割愛ッぷりも目について、どうにも原作以上に深みのある作品になっているとは思えないのです。  と言っちゃうと、「たいていの作品は映画よりも原作のほうがいい」法則のままでした、ちゃんちゃんなので、ここはあえて、「原作ファンが映画を楽しむコツ」を考えてみましょう。 「おたぽる」で続きを読む

有田、ローラの結婚情報はガセじゃなかった!? 「女性セブン」の記事は事務所公認の説も

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2人の噂の真相は?(左・LIBERA株式会社オフィシャルサイト/右・TBS『私の何がイケないの?』番組公式サイトより)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 「有田 ローラ『結婚0K♡』までの愛の軌跡」 「女性セブン」(小学館)7月16日号がくりぃむしちゅーの有田哲平とタレントのローラの結婚が決まったという記事を掲載し、話題になっている。  といっても、スクープとして話題になっているわけではない。有田の事務所が「そのような事実はございません」と完全否定、ローラもツイッターで「嘘な記事 やだ」とつぶやいて報道を打ち消したため、「『女性セブン』がガセネタをやらかした」と失笑を買っているのだ。  たしかに「女性セブン」(以下、「セブン」)を読む限り、2人の交際や結婚の決定的証拠や写真のディテールはない。このテの女性週刊誌がネタのないときに確たる証拠もないまま、与太記事を載せるのはよくあることで、週刊誌ウォッチャーの間でも、今回はそのパターンだろうと言われている。  しかし、実はこの「セブン」の記事には根拠がないわけではなかった。ローラが有田のマンションに通っている姿を「フライデー」(講談社)2012年5月25日号に激写されたのは3年前。その際、ローラは「みんなでゲームをしてただけ」と熱愛を否定し、有田も同様に交際を否定していたが、2人がその後もずっと交際を続けているというのは、芸能界では周知の事実となっていた。そして、今年になっていよいよ結婚かという情報が浮上。各週刊誌が一斉に取材をする事態となっていた。 「有田は3年前、品川区に推定3億円の豪邸を購入しているんですが、その豪邸にローラが頻繁に通い、半同棲中という話まであった。それで、各誌とも張り込みを始めたんです。有田宅前には、『セブン』以外にも、『フライデー』『週刊文春』など、複数の週刊誌が張り込んで、バッティングすることもたびたびあった。ただ、途中で有田にバレてしまったようで、結局、どこも2ショット写真を撮ることができなかったんです」(週刊誌記者)  しかし、「セブン」だけは他誌に抜かれるのを恐れて、エビデンスのないまま、記事にしてしまったということらしい。  ただし、「セブン」の記事にはもうひとつ仕掛けがあって、どうも有田の所属事務所と事前に話がついていたのではないか、という情報があるのだ。  その鍵は、「セブン」の記事にある「2人の交際開始の時期」にある。前述したように、有田とローラは3年前に「フライデー」されて以降、ずっと交際を続けており、昨年には「週刊文春」(文藝春秋)でも交際継続が報じられたりしている。だが、「セブン」ではなぜか「2人の交際は今年から」ということが強調されるのだ。 「(3年前の『フライデー』の際は)ローラは有田さんのことを恋愛対象として見ていませんでした。でも有田さんは違います。出会った瞬間に彼女に恋をしていました。いろいろあって、連絡をとらなくなったり、距離を置いた時期もあったんですけど、今年に入ってきちんとつきあい始めたそうです」(「セブン」より)  3年前から交際が続いていると都合が悪い理由。それは「セブン」で2人が急接近したというローラの実父の詐欺事件にある。  13年6月、ローラの父親は海外医療費に関する詐欺の疑いで国際手配され、翌14年7月に逮捕され釈放されるものの、さらに10月にも再逮捕されている。この一件はローラのタレントとしてのイメージダウンが危惧され、一時はローラの露出が激減したほどだ。 「この時期に、有田がローラと付き合っていると分かれば、超売れっ子の有田にも影響しかねない。そのため事件までは付き合っていなかったが、父親の逮捕をきっかけに有田がローラを励まして交際に発展したという美談ストーリーにする必要があった。取材の過程で、有田サイドからせめて時期だけなんとかしてくれ、と言われ、こういうストーリーになったらしい」(「セブン」関係者)  芸能事務所との癒着度合いがいちばん強いといわれる「セブン」なら十分あり得る話だ。しかし、見方を変えると、この記事、事務所公認とも言えるわけで、だとすれば、結婚はやはりあるのだろうか。 「年内結婚説は今も根強くあります。各週刊誌ともまったくマークをゆるめていません」(前出・週刊誌関係者)  どこが本物の“スクープ”を報じてくれるのか。その成果を待ちたい。 (林グンマ)