マギー、相川七瀬と姉妹疑惑浮上!? 失言連発・ハーフ会不参加で、マリエのように干される?

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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『マギー』インスタグラム(maggymoon)より。
 モデルのマギーが先月22日、自身のインスタグラムに「大好きな相川七瀬さんと。まさかお会いできると思っていなかったので、とっても楽しいロケでした」と、歌手の相川七瀬とのツーショット写真をアップ。するとネット上では「意外なツーショット! と思ったけど、写真見たら結構似ててビックリした!」「姉妹っていわれても違和感はない」などと、2人の顔が似ていると指摘する声が上がった。 「身長差を抜きにして考えれば、確かに顔は似ているようですけど、相川は40歳。マギーは23歳ですからね。相川が若く見えるのか、マギーが老けて見えるのか、なんとも言い難いです。ただ、中高生に人気のエグスプロージョンが相川の『Break Out』をサンプリングして、リズムネタ『ペリー来航』を作ったことで、若者の間でも相川の名前が知れ渡り、『3人の子持ちで40歳にしては若々しい!』とネット上で評判になっていることは事実ですけれど」(芸能関係者) 「おたぽる」で続きを読む

川島なお美と渡辺淳一の密会をスクープ、「噂の真相」岡留編集長が語る女優・川島なお美の美学と肝っ玉

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川島なお美オフィシャルブログ「『なおはん』のほっこり日和」より
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  9月24日、女優の川島なお美が胆管ガンのため逝去した。その直前まで激やせした姿で表舞台に立ち、「激やせとか言われている場合じゃない」と仕事への意欲を語るなど最後まで女優としてまっとうしたその姿と生き様に、ワイドショーはじめ多くのメディアが川島の死を悼み、その訃報を大きく取り上げた。  だが川島という女優を語る上で、大きな分岐点となったある出来事に触れるメディアは少ない。それが昨年逝去したベストセラー作家・渡辺淳一との関係だ。  女子大生DJとして芸能界入りし女優に転身した川島だが、長らく不遇時代にあった。その後へアヌード写真集の出版や映画『極道の妻たち』への出演など徐々に女優としての地位を確立していくのだが、それを決定的なものにしたのが1997年に放映されたドラマ『失楽園』(日本テレビ系)に主演女優として抜擢されたことだった。  そしてこの直前、川島は、『失楽園』の原作者でもある渡辺と“不倫密会”を報道されている。だがそれは作家と女優の単なる不倫だったわけではない。この不倫劇で見せた川島の姿こそ、その後の川島が最後までこだわり続けた「女優・川島なお美」やその凄まじいまでの“生き様”にも大きな関係があったからだ。  2人の関係が明らかになったのは96年のことだ。“作家タブー”のため、ほとんどのメディアは2人の関係を報じない中、スキャンダル雑誌「噂の真相」(04年休刊)が2人の関係、そして北海道への不倫旅行を追跡し、記事化している。  96年11月号によると、2人が知り合ったのは95年暮れ渡辺が主催する忘年会の席だった。そこで川島は自分から渡辺にアプローチし、不倫関係になったという。2人の関係は時間とともに深くなっていく。96年9月、2人は札幌にある渡辺の別荘へと1泊2日の旅をしたが、その様子が「噂の真相」で写真付きで報じられた。  しかし2人の関係はこれで終わらなかった。最初の報道から約2年後、2人の密会旅行が再び「噂の真相」(98年10月号)で報じられるのだ。  この年の8月2日から2人は再び北海道へ2泊3日の旅をした。釧路空港に降りた2人は阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖、網走へと車の旅を満喫するが、その間、後ろからぴったりと尾行を続ける「噂の真相」の存在に気づき、2人は車を止めて直撃取材に抗議したりする。だがしかし興味深いのは、2人の関係が以前とは明らかに違っていたことだ。  例えば記事によれば渡辺は行きの飛行機の中でも川島に何度も話しかけるが、一方の川島は短い返事をするだけで、寝てしまう。その後も渡辺は楽しくて楽しくてじっとしていられない様子。まるで遠足に舞い上がる子どものようだったという。また「噂の真相」の追跡に気づいた後も、旅行を取り止めることなく、2人きりになろうと尾行を巻こうと必死だった。記事では2人の関係の変化についてこう記している。 「渡辺は、川島なお美に対していつの間にか『本気』になってしまっていたからである。正直言って、本誌はふたりの関係に少なからず『利害の共有』が存在する、と思っていた。(略)しかしあれ(最初の密会旅行)から2年。当初の思惑をよそに、渡辺はすっかり川島なお美にイカれてしまったのである」  記事では明らかにされていないが、実は「噂の真相」は屈斜路湖プリンスホテルで2人を見失っている。その間、渡辺はホテルの裏側からモーターボートで湖を渡るという荒技まで繰り出して“2人だけの旅行”を完結させようとしたことが明らかになっている(後に渡辺本人が同誌編集者に対し語っている)。  名うてのプレイボーイとして有名だった大物作家をここまで「ベタ惚れ」させてしまう。これこそが川島のその後の女優として、タレントとしての礎であり、真骨頂だったのだ。  しかも、である。川島はその後も女優としての器の大きさを見せている。 「噂の真相」が休刊して半年ほど経った頃、週刊「SPA!」(扶桑社)2004年11月2日号で川島のセーラー服&お下げ姿の写真が掲載された。これは著名人がお気に入りの女優をプロデュース撮影するという企画記事なのだが、実は川島を指名、プロデュースした人物は「噂の真相」元編集長の岡留安則だったのだ。  岡留は川島にとっては自らの不倫スキャンダルを暴きたてた憎き相手であるはずなのに、一体なぜ指名を受けたのか。その経緯を岡留元編集長に直撃した。 「『SPA!』から企画が持ち込まれた時、真っ先に頭に浮かんだのが川島さんだった。カメラマンとして参加した初沢亜利が所属事務所社長と知り合いだったことで、オファーしたら快くOKが出た。しかも川島さんからは撮影をする前に一度打ち合わせがてらお会いしたいと言われて六本木で会ったんだ。もちろん僕のほうから『ご迷惑をお掛けしました』と謝ったけど(笑)、全然気にしている風ではなかった。やはり女優として肝の据わった人だと感心したほどでしたね。その席で川島さん自ら『セーラー服』で撮影してもいいですか? と提案してもらって。もちろん即オッケーでしたね(笑)」  そして撮影当日も現場は和気あいあいといった感じで、過去の禍根など一切感じられないものだったという。 「新宿ゴールデン街で撮影し、そのまま打ち上げに流れたが、その席でも楽しくワインを飲んでいたよ。途中で『渡辺さんは撮影のことを知っているの?』と聞いたら『メールをしたら“勝手にしろ”と言われた』とお茶目に語っていたことが印象的だったね」  その奇妙な関係は撮影後も続いた。沖縄に移住した岡留元編集長のもとに川島から連絡があったという。 「13年の年末に沖縄コンベンションセンターで川島さんが出演する『クリスマスキャロル』の公演があったが、その少し前に『沖縄に行くからお食事しましょう!』と連絡があった。沖縄でも痛飲しましたね。沢山飲んで笑って語って。その時、僕の似顔絵も描いてくれて。でも考えてみるともうその時既に、ガンの告知をされていたんだよね(同年8月に余命1年と告知)。でもそんな様子は全然見せなかった。しかもその一カ月後には手術を受けた。仕事に対する思いはやはり凄まじいものがあったんだろうね。抗がん剤治療や放射線治療をしなかったことも、このガンは化学療法が効果的じゃないことに加えて、女優としての美学、自己プロデュース、気概だったと思う。女優として人間として凄まじい生き様だったと思う」  女優として生き、最後まで女優をまっとうした川島なお美。確固とした強い信念を持って行動し、夢を叶えていった女優・川島の死を深く悼みたい。 (伊勢崎馨)

ジャスティン・ビーバーに新恋人!?

ジャスティン・ビーバーに新たな恋人が出来たようだ。2011年から2014年に間に何度も破局復縁を繰り返していた元恋人セレーナ・ゴメスとの恋愛で受けた深い傷跡や、恋愛関係におけるさまざまなシチュエーションでセレーナの反応などの経験から、今でも新しい恋人との関係の中で臆病になってしまうことがあるとジャスティン自らがコンプレックス誌のインタビューの中で明かした。 これからの新たな恋愛において、セレーナとの恋愛と比べてしまうことはあると思うかどうかという質問に対しジャスティンは「そうだろうね。いくつかのことでは傷跡を負ったからね。今デートしている子がいるんだけどさ、僕がある特定のことを言ったり、やったりすることに対して臆病になってても、実際に言ってみたら何の問題でもなかったなんてことがあるんだよ」「うまくいかなかったことはずっと忘れられないんだ。過去の恋愛の中で恋人を怒らせたようなことってやらないよね。でも新しい恋人にとっては『それがどうしたの?』って感じだったりもするんだ」と語る。 さらにジャスティンはセレーナと一緒に暮らしていたことを明かし、同棲中に激しい喧嘩をすることも多くそれが破局の原因になったと考えているようで「18歳の時に彼女と一緒に暮らし始めたんだ。自分の人生を彼女と一緒にスタートしたんだ。結婚みたいな感じだったね」「ただ女の子と一緒に暮らすにはちょっと若すぎたかな。でも僕たちはとても愛し合っていたんだ。だからそれ以外のことは何も気にしなかったんだよ」「お互いのすべてだったんだ。でもそういう関係になって自分の価値をそこに見出そうとしてしまうと、がっかりするような結果に襲われるんだよ。彼女であろうが彼氏であろうが、いつもがっかりさせられるようになるんだよ」「自分のアイデンティティーを完全に誰かに見出すことはできないんだ。でも当時は僕のアイデンティティーは彼女の中にあって、彼女のアイデンティティーは僕の中にあった」「だから喧嘩になったときに僕は正気を失ってしまっていたし、彼女もそうだったんだ。そして大喧嘩になるんだよ。だって僕らはお互いにとても深く入り込んでいたからね」と語っている。

『Mステ10時間SP』X JAPANがジャニーズ・AKBグループを前座扱いも…浮き彫りになる音楽業界の低迷ぶり

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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『X JAPAN』オフィシャルサイトより。
 23日に放送された『MUSIC STATION ウルトラFES10時間SP』(テレビ朝日系)での、X JAPANのパフォーマンスが話題を呼んでいる。「圧倒的! Toshiの高音ボイスは衰え知らず!」「ジャニーズやAKBはXの前座だったんだな」などと、ネット上では絶賛する声で溢れ返っている状態だ。 「代表曲である『紅』『Forever Love』の2曲を披露しましたが、ライブでは客に歌わせることが多いToshlが珍しく全て歌い切ったことで、ファンからも近年でベストパフォーマンスだったという声が上がっているようです。特にYOSHIKIがピアノ伴奏した『Forever Love』では美しい歌声を響かせ、『なぜ、Xを大トリにしなかったんだ?』と、X JAPANのあとに出演したEXILEが大トリを務めたことに疑問の声も上がっています」(芸能関係者)  今回は『MUSIC STATION』の30周年記念ということで、アーティストは自身の最もポピュラーな曲を歌ったのだが、どれも昔の曲ばかりで、改めて音楽業界の低迷ぶりを浮き彫りにしたという声も上がっている。 「おたぽる」で続きを読む

殺害予告を受けたSEALDs奥田愛基氏の父親が語った!「僕は黙らない」「親の影響だと語るのは愛基に失礼だ」

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『民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 「黙ってはいかん。殺されてもいけないけど、でも、黙らない」  奥田知志さんは、怯むことなく、きっぱりと、そして明るく言い切った。  すでに報じられているように、SEALDsの中心メンバーである、奥田愛基氏が殺害予告を受けた。それだけでも卑劣で許されないことだが、さらに卑劣なことに殺害予告は、奥田愛基氏の家族までをも標的にした。  本サイトで先日指摘したが、奥田氏の家族までターゲットとなった背景には、「週刊新潮」の父親バッシングがあったと思われる。「週刊新潮」は愛基氏の父親である奥田知志さんがホームレスの支援をしていることを「近所で迷惑」、かつて小泉首相の靖国参拝に反対したことを「反天皇主義」などと悪し様に書き立て、テロを煽ったのだ。  さらに愛基氏が28日にツイッターで殺害予告を受けたことを公表して以降、奥田親子に対するバッシングは、ますますエスカレートしている。  この異常な状況をどう受け止めているのか。本サイトは父親の奥田知志さんが都内で安保法制に関する講演に出席するという情報をきき、会場で直撃した。殺害予告についてたずねると、知志さんは率直にそして非常に明晰に語ってくれた。 ***********************  ハッキリ言って怖いですよ。殺すって言われると。  息子は、一層つらいと思いますよ。自分だけではなく、「家族も」ということを言われている。彼にとって、いちばんイヤなことだと思います。電話したときも、第一声は『申し訳ない』でした。おとといも会って話しましたけど。  でも、「怖い」の中身は何かというと、もちろん「殺す」ということの怖さがあります。でも、もうひとつ別の怖さもあります。  送られてきた殺害予告の手紙には、なぜ殺されるのか何も書いてないんですよ。言葉がない。なんのために我々が殺されなければならないのか、という理由がないんです。つまり、問答無用ってことでしょ。そこには、一切の対話や言葉を介さないという。  手紙っていうのは言葉のやり取りなんだから、ふつうはもうちょっと書くでしょ。これこれこういう「理由」でと。例えば安保法制に反対しているから、というなら、理解できるし、対話もできる。しかし、それがまったくないのが、すごく怖い。  この怖さは、憲法がないがしろにされている今の状況を象徴していると思います。  つまり、言葉がない。議論がない。反対意見は封殺される。 国会での議論を見ていても安保法制についても「政府が総合的に判断する」のひと言だけで何も説明しない。憲法を解釈で変えてしまい法的安定性は関係ないと強弁する。説明もなければ議論も不十分であることは否めない。当然、国民の多くは理解できないままです。いや、そもそも国民の理解を得るための説明がどれだけ必要と思っていたのか疑問です。ことばを大事にしない。憲法は、ことばに対する信頼です。  そういう時代をこの手紙は象徴しているように思います。問答無用という感じがします。一方的に、ともかく「黙れ!」と言われている。その理由さえ問うなという。  家族の命の問題がともかく心配ですが、このままだといろんな人が黙らされていく。ほかの人にも殺害予告が来てもおかしくないように思います。  安保法制が成立して「戦争できる国」になったわけですが、戦争状態とは何か?ってことを考えると、他国と戦いを交わすということ以前に、我々の日常が壊されるということだと思います。我々の日常を守っているもの、それを担保しているものの大元が憲法だと思います。つまり、憲法は私たちの権利を保障しており、それに基づき日常が成立していると思います。でも戦争になると、自由にものが言えなくなり、自分の持ち物も国に差し出さなくてはいけない、行動も制限されるわけです。憲法で守られているはずの我々の権利が制限されていく。対話もなく、一方的に、です。  そう考えると、今回の問答無用の手紙は、“対話がない”“言論が封殺される”という状況を示している。その意味で、既に戦時中みたいな感じがします。  だから、黙ってはいかんと思うのです。当然殺されてもいけないし、殺されたくない。けれど、ここで黙ると、この時代の危険な空気をますます推し進めることになりかねない。だから黙るわけにはいかないと思います。  僕は牧師です。だから、神様を信じるし、人間を信じたい。あらゆる方と対話できればと思います。こちらの意見に反対なら反対の意見をきかせてほしいと思います。  そもそも僕と息子だって意見は一致しているわけではありません。彼は立憲主義を重んじている。一方で「じゃあ、改憲すれば、戦争してもいいのか?」と常に議論しています。ちがう意見の人に対しても、黙れと言わないのが、日本国憲法です。  手紙を出してきた人とも、対話できると僕は信じたい。  憲法や言論の自由について明快な考えを示してくれた、知志さん。さらに印象的だったのは、自分と息子・愛基氏の意見がちがうことを語っていたことだ。実際、「週刊新潮」などの批判や報道についても、知志氏は自分に対するバッシングうんぬんよりも、親子を一体として攻撃していることに強い憤りを感じているようだ。  僕と息子が一体とか、僕の影響とかいうのは、息子に対して失礼な話です。  そりゃ、我が家で育ってるわけだから、ものを考えるきっかけはあったかもしれないけれど、僕が「あれしろ」「これしろ」って言ったことはない。彼が中学のときにいじめなどがあって死線をさまよいながら、孤独に考えて、選びとってきたことです。  だから、彼が国会の中央公聴会で「孤独に考えろ」って言ったのを、僕はかっこをつけているとは全然思わなかった。実際、彼自身が孤独に考えてきたっていう体験から出てきた言葉だと思いました。 「週刊新潮」の記事では、僕のことを「反天皇主義」だって書かれましたけど、学生時代から「天皇制」について議論してきたのは事実です。これ関しては、週刊誌の引用通り、以前本に書いていますし別に隠していません。人がそれを読んでどう感じるかわからないけど、それは異論として議論する事柄です。  ひどいなと思ったのは、根拠のないホームレス差別の記載。  それから、もっともイヤだったのは、「この親にしてこの子あり」と、最後の部分で息子を親父で規定したことです。SEALDsや息子のやっていることは、彼自身が考え、選び取り、決断したことなのに。息子は息子、僕は僕で別人格です。  たとえば、安倍首相に「バカか、お前は」って言ったことには、「それはいけない」って、僕はメールしましたよ。  安倍首相に「バカ」っていう言葉がいいかどうかという批判はあるだろうし、若気の至りで言ってしまうっていうこともあるだろう。だけど、批判するなら、それは「奥田愛基の言葉」として批判するべきだ。親父の影響で言っているなんていうのは、彼に失礼だ。彼が孤独に思考したことなのだから。 「週刊新潮」の「親の背中を見て子は育つ」という最後のひと言は、息子に対して本当に失礼だと思いました。  28日に殺害予告が公表されてから、ネトウヨなどを中心にますますバッシングがさらにエスカレートしている。奥田さんが被害届を出したことに対し、「それが集団的自衛権だ」とか「酒酌み交わして話し合うんじゃないのか」といった、支離滅裂な誹謗中傷がなされている。このことについてもきいてみた。  そんなこと言われているのですか? 「酒酌み交わす」っていうのは、福岡の西南学院大学の後藤(宏基)くんが国会前で「福岡はアジアの玄関口だから、中国や韓国の人たちと、酒を酌み交わして仲良くなる。僕自身が抑止力になる」って話したのを使ってるんだろうなあ。  いいですよ。手紙を出してきた人と酒酌み交わしたって、僕はいいよ。だけど、そのことと殺害予告は別でしょ。それはしちゃいけない、法治国家なんだから。  でもネット右翼って一口に言うけど、いろんな位相がいるんだろうな。SEALDsに対してまぶしさを感じてるような人もいるんじゃないかな。実際、僕が知っている、路上で見ている若者と、SEALDsの若者は全然ちがいますから。これはSEALDsに対する批判ではないですけどね。  これからもSEALDsはみんなを引っ張っていくだろうと思います。これだけ反対の世論が盛り上がっていても、安倍政権の支持率はまだ4割もあるでしょ。表層で起こっていることと奥のほうが別の世界というか、社会の上部と下部が乖離しているように思います。  ただ最近、大阪でずっとひきこもりで、社会なんかイヤだなって思ってたというコが、戦争になったらどうなるんだとかいろいろ考えて国会前にやってきて、「私には夢がある」って話したんです。「30年後くらいにかなえたい夢がある。喫茶店を開いて、ごはんを食べられない子にごはんを食べさせてあげる」って。ああいう立ち位置の若者が出てきたか、と。SEALDsは学生運動で労働運動じゃないけど、労働者はじめ、様々な立場の人の声が上がり始めていると思います。いずれ、私の日常で出会う路上に暮らした青年たちも自らの声を上げるでしょう。  大学から殺害予告がFAXで送られてきたとき、その理由は書かれていませんでした。僕が深読みしすぎなのかもしれないけど。ああこれが「特定秘密保護法」の時代なのかとも思いました。  なぜ戦争をするのか? なぜ自分は戦争に行かなければいけないのか? そんな肝心なことが「特定秘密」だと言われて教えてもらえない。言葉がない時代になっていく。理由を問うてはいけない時代。ハイとしか言ってはいけない時代――。  あの手紙は、そういう時代を先取りしています。  だから、黙っちゃいけない。 ********************  自分自身や家族が危険にさらされているというのに、それ以上に現在の時代状況に対する危機感と、それと真摯に向き合う強い覚悟を語った知志さん。  そして息子・愛基氏に対しては、自分とはちがう自立したひとりの人間として尊重し、意見のちがう部分は議論を交わしながら、その活動を理解し応援する。同時にネトウヨのようなSEALDsとは相容れない若者にも理解を寄せようとし、殺害予告犯にも対話できるはずだと呼びかける。その誠実さと真摯な姿勢に、正直、感銘を受けた。  それに比べて、殺害予告犯、そして今なお意味不明なバッシングを叫ぶ者たちの卑劣さは、どうだろう。彼らは、このインタビューを読んでもなお同じことが言えるのだろうか。ぜひ聴いてみたいところだ。 (編集部)

米男性に突如2億5000万円の電話料金請求!

アメリカに住む男性が突然210万ドル(約2億5000万円)という巨額の電話料金を求められた。ソルトレイクシティのダマスカスに住むこの男性が自身の使用しているベライゾン社の電話の使用料金を確かめようと自動応答回線に電話したところ、この金額を言い渡されたのだそうだ。この男性は「今回の一件でのあまりに多くの間違いとコメディー的要素には驚かされますよ」と語る。 現在ベライゾン社はこの問題について調査中だという。

「うち、クソとは付き合えへん!」大暴走のmisonoが、まるで“炎上商法のお手本”のよう……

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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「misono OFFICIAL WEBSITE」より
 歌手のmisonoが炎上商法のお手本を見せた。今月19日、ゲームプレイ動画共有サービス内のバラエティー番組『YOSHIと愉快な仲間達』で、嫌いな芸能人を大暴露したのだ。  マジシャンのYOSHIに「仲のいい芸能人は?」と聞かれ、「(ロンブー)淳とたむけん」と即答したまではよかったが、「嫌いな芸能人は?」と聞かれると、溜まりに溜まったものがあったのか大爆発!「うち、決めてん。クソとは付き合えへん。類は友を呼ぶから、クソはクソを呼ぶ。クソに割く時間も体力もないし。ウチのこと叩く人いるけど、もっと性格悪い人いっぱいいるからな。裏でいろいろ言ってる奴らのほうが好感度いいねん。なんでバレへんねんやろ」と速射砲のようにまくし立てた。  最後は、手で口を覆って嫌いな相手の名前をつぶやき「テレビで『人見知りなんです』って言ってるくせに、お前、男と遊びまくってるやんか。ウチはウソつかずに正々堂々と勝負してるのに。自分のこと言えへんのやったら、テレビ出るなよ」と叩きまくった。 「おたぽる」で続きを読む

リベンジポルノの影響で素人カップルのあの写真を掲載する“投稿雑誌”が…編集部がとっている意外な対策とは?

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『エッチな現場を覗いてきました!』(彩図社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  2014年11月に「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律」(リベンジポルノ防止法)が可決・施行されて以来、逮捕・有罪判決となる例も多発し、今なお大きな関心を集めている、リベンジポルノ。最近でも、9月4日発売「FRIDAY」(講談社)に掲載された、女子アナと元交際男性との不倫ハメ撮り写真が、「これはリベンジポルノへの加担なのではないか?」と大変な騒ぎになった。誌面では男女ともに顔にモザイクを施していたものの、過熱化した騒動を受けて、講談社は「FRIDAY」のウェブ版から記事を取り下げるという対応をとっている。  スキャンダル雑誌をにぎわせてきた有名人の“H暴露写真”掲載も、これからは、双方が納得していないリベンジポルノの可能性がある場合は掲載が難しくなりそうだが、その一方でアダルトメディアのなかには、男女ともに納得したうえであけっぴろげに自らのセックス模様を公開する、なんとも大らかな世界も存在している。それが「素人投稿雑誌」である。このタイプのエロ本には、原則的にプロのヌードモデルやAV女優は登場しない。「ハメ撮りを世間に公開する」という“刺激”をスパイスに性生活を楽しもうとする一般のカップルたちによって提供された写真、そして、それらの写真の“生々しさ”、“リアルさ”に魅力を感じるマニア読者によって構成された深くて熱い世界なのである。  かねてからの出版不況もあり、「熱写ボーイ」(東京三世社)が休刊してしまうなど、数は減ってしまっているものの、「アップル写真館」(大洋図書)「ニャン2倶楽部Z」(コアマガジン)など、青息吐息ながら未だ刊行を続けている素人投稿雑誌はまだまだ存在する。そんな「素人投稿雑誌」はどんな風につくられているのか? フリーライター菅野久美子氏が著した『エッチな現場を覗いてきました!』(彩図社)は、謎のベールに包まれた素人投稿雑誌の編集部に迫っている。  菅野氏が取材に訪れたのは、〈発行部数4万部〉を誇る、〈今年で30周年を迎える”由緒正しき”素人専門投稿雑誌〉、「スーパー写真塾」(コアマガジン)編集部。表紙には、 「あなたの住む地域にもサセコは必ずいる…!!」 「働くオンナの淫らすぎるナイトライフ」 「アイドル級にカワイイ公務員(25)の秋の行楽ハ×紀行」  といった扇情的な文字が踊り、150分の付録DVDも付いている。〈ヤラセなしの読者からのガチ投稿〉がウリだという老舗雑誌だ。  投稿写真掲載の流れはいたってシンプル。〈コンビニなどで雑誌を購入した投稿者が、「彼女のエッチな画像を観てほしい」とか、「雑誌に載せてほしい」という思いから、映像や写真を編集部に送り、それに目線を入れて雑誌に掲載する〉というもの。そのための編集部員の仕事はというと、まずは企画会議で〈紙面の割振りや付録DVDのネタ集めの内容〉や、〈紙面と連動した撮り下ろし企画〉を決める。そして、〈投稿ビデオの中から、選りすぐりの動画をピックアップし、映像を編集部で編集し、モザイクを専門の業者に依頼〉するほか、撮りおろし企画も撮り、この作業には約2週間を費やす。  一方の紙面は、ラフを描き、原稿を書いたのち、デザインをデザイナーに発注。雑誌の特性上、最も配慮すべき作業は、〈目線を入れたり、性器にモザイクを入れる〉こと。なんとこの作業、〈編集者の手作業〉だといい、〈編集部員が玉からサオまで念入りに〉モザイクを入れ、目線も入れるという。〈「女優さんではなく素人さんなので、万が一目線が漏れたら極端な話、性器よりマズいことになってしまいます(中略)目線の漏れは、雑誌がなくなるぐらいの一大事〉と、菅野氏の取材に対し同誌編集長が答える。  そして、一番気になるのは、そんな素人女性たちの素性だ。まず、女性自ら投稿するのではなく、〈掲載にあたっては、女性の許可も取ってもらいますが、投稿写真自体は基本的に男性が送ってくるケースがほとんど〉ということを前提に、編集長が、〈「エッチが好きな人たち」「貪欲な女性」「知的な職業や固い仕事に就かれている女性の方が多い」「医者とか、画稿の先生、公務員」「インテリな職業の方はなぜか投稿のような変態チックなことにも積極的」「年齢層としては、18歳から70歳まで」〉と事もなげに答える。  となると、疑問に思ってしまうのは、パートナーから“ハメ撮り写真投稿”なんて過激な提案をされて、それにOKする女性が一体どこに潜んでいるのか?ということ。『エッチな現場を覗いてきました!』を読み進めていくと、なんと、菅野氏は取材している間、実際に素人女性が撮影している模様を目撃したという。  インタビュー中、〈東京観光中にムラムラと発情してしまったという地方在住の水泳インストラクター・ユリさん(仮名)と投稿者の男性・スクリーマーさん(仮名)〉が、突然編集部を訪問。そしてそこから突如、オフィス内で酒池肉林の撮影が始められたというのだ。 〈地方在住の控えめなOLといった雰囲気〉のユリさんをスクリーマーさんが、〈「いきなりですけど、彼女を、皆さんで犯してもらえませんか? 好きなように犯しちゃってください。編集部さんが撮りたい画を、好きな感じで撮ってもらえれば……」〉と言えば、ユリさんも、〈「東京なんて滅多に来ないから、『もし東京でエッチなことが起きたら』って、一度妄想したら止まらなくて……それでここに来ちゃったんです」〉なんて続ける始末。  編集部員はというと、〈社員総出でカラダを張って女性のお相手をする〉のが、コアマガジンの伝統だとのことで、この現象が日常茶飯事のごとく、〈まずは机の上をざっとお片づけ〉。そしてユリさんが全裸になると、編集部員がクンニ、電マ責め、オマンコを全開に開いての手マン&大量の潮吹き。菅野氏が〈とても控えめな反応が逆に初々しくてエロい〉と感慨に耽っている間にも、フェラ、そして〈シーツを敷いただけの即席ベッド(デスク)で正常位合体!〉と撮影はエスカレートしていったのだという。  ちなみに、〈隣のデスクでは編集部員が普通にパソコンに向かって忙しそうに仕事をしている〉というから、普通のサラリーマンでは妄想でも辿り着けそうにない日常を送りつつ、投稿マニアたちの支持を一手に集める熱き投稿誌「スーパー写真塾」は生まれているのだ。  とはいいつつも、本稿の冒頭で触れたように、最近はリベンジポルノ問題が叫ばれている。それに関して投稿雑誌編集部はどのような対策を練っているのだろうか? 筆者は独自に取材を敢行。掲載されるカップルとの許可取りはどのように行われているのかについて詳しく質問してみた。 「投稿に際しては、編集部が用意した専用の投稿フォームに男女双方の名前・住所などを記載したうえ、印鑑を捺すことが必須です。また、女性に運転免許証や大学・専門学校の学生証など、顔写真付き身分証明書を持たせた写真を同封することも投稿者にお願いしています。というのも、リベンジポルノ云々の前に投稿雑誌にとって最大の問題であり続けているのは、児童ポルノ法なんですね。投稿者が18歳未満の子を撮影したものを送ってきて、それを掲載してしまったら、その瞬間に逮捕&休刊ですから。なので、それを防止する意味でも女性の許可を得ていない写真が載るということはまずありえませんね。ただ、あまりに良い写真だと、10年前に投稿されてきた写真を再利用したりすることがあり、そういう時に念を入れて再度の許可取りのために電話すると『あの旦那とはもう数年前に離婚しました。なので、使用はお控えいただければ……』なんて返されることも、まれにあります」(元投稿雑誌編集者)  なるほど。リベンジポルノが問題になるより前に、児童ポルノ法を遵守する観点から掲載される女性の承諾に関してはきちんと対処していたことが分かった。しかし、これだけリベンジポルノが話題となったいま、なにか影響はないのだろうか? 「ご指摘の通り、リベンジポルノが話題になってからは、彼氏や旦那からの雑誌投稿の誘いに首を縦に振らない女性も増えたでしょうね。新規の投稿者がかなり減りました。いまや雑誌を構成するのは常連の投稿者ばかりです。あと、今はないですが、これから先何かトラブルが起きた時に当局の標的にならないか、というのも心配です」(前出・元投稿雑誌編集者)  ただでさえ、アダルトメディアの不況が叫ばれているうえにリベンジポルノ法の登場、これからも素人投稿というあけっぴろげな世界が続くかどうかはやや微妙な情勢といえそうだ。 (田中 教)

ロージー・オドネル、別居中の妻が自殺未遂!

ロージー・オドネル(53)が自殺未遂を図った別居中の妻の命を救ったと報じられている。ロージーは昨年11月に破局したミシェル・ラウンズが自殺をしようと大量の薬物を服用したことを知って、ミシェルへ電話をかけたと言われている。TMZによれば、ロージーは自身がミシェルと電話口で話している間に別の人間に救急車を要請するように指示したそうで、ロージーがその行動を起こしていなければミシェルは恐らく命を落としていたという。 警察側もミシェルが22日(火)午後11時15分にホテルの一室からニュージャージー州内の病院に緊急搬送されたことを認めている。 内部関係者によれば、ミシェルは2歳の娘ダコタちゃんの親権を失ったことがきっかけで自殺を試みたという。ミシェルは以前、ロージーは娘を常にベビーシッターへと預け、しつけもすることが一切ないため、自分が親権を持つべきだと主張しており、「あの子にはロージーの自宅で年中無休のベビーシッターがついているの」「私は娘のために全てをやっているわ。私はやりたい放題にさせるのではなくてある程度のしつけをしているけど、ロージーは好き放題やらせているも同然よ」と語っていた。 ロージーは2月に娘とよりの多くの時間を過ごすことと自身の健康上の問題を理由にレギュラー番組であった『ザ・ビュー』を降板したわずか2週間後にマンハッタン最高裁判所へミシェルとの離婚申請をしていた。

宮台真司の『野火』『日本のいちばん長い日』評:戦争を描いた非戦争映画が伝えるもの

【リアルサウンド】  7月25日公開の『野火』(塚本晋也監督)、8月8日公開の『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督)、そして10月1日に公開される『ドローン・オブ・ウォー』(アンドリュー・ニコル監督)と、最近で戦争を扱った良作が多いので、これらをまとめて取り上げたいと思います。合わせて、『野火』に重なる『シン・レッド・ライン』(1999年/テレンス・マリック監督)、『日本のいちばん長い日』と重なる『終戦のエンペラー』(2013年/ピーター・ウェーバー監督)なども見ていきたい。 (※メイン写真は『日本のいちばん長い日』のもの)

『野火』と『シン・レッド・ライン』の共通モチーフ

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『野火』場面写真

 戦争に関する映画がいわゆる“戦争映画”になる場合と、そうならない場合があります。戦争映画になるケースは、わかりやすく言うと、多かれ少なかれ「敵/味方」という構図があって、味方に英雄が存在するというヒーローものになります。これは実はプロパガンダ映画に近い構図です。僕が小さいときにハマっていたテレビシリーズ『コンバット』が戦争映画的な作品の典型です。ところが最近、そういった戦争映画的なものとは、異なる作品が増えています。  例えばテレンス・マリック監督『シン・レッド・ライン』(1999年)。日本軍がほぼ全滅した、オーストラリアに隣接するガダルカナル島が舞台です。戦争映画というより「戦場におかれた人間が何を体験するのか」にフォーカスしています。基本構造は単純で“時間”がモチーフです。戦争で藻掻き苦しむ「ヒトの時間」とは別に、「ワニの時間」があり、「鳥の時間」があり――と他の生き物の時間が描かれ、同じヒトでも「原住民の時間」が全く別に流れて、それらがパラレルワールドのように交わらないことが描かれます。  そのことで、「同じ時空を共有するはずなのに、なぜ文明的人間の時空というレイヤーでだけ馬鹿げた悲惨が生じているか」という具合に、理不尽さの体験を観客に突きつけます。こうした時間構造から映し出される理不尽さの体験には、敵も味方も関係ありませんから、米兵の体験と同じく日本兵の体験も描かれます。ジム・カヴィーゼル演じる主人公が所属する部隊のリーダーがキリスト教徒で、「神よ、私が皆を裏切らないように、どうか私を見ていて下さい」と神に祈るシーンがあることも見逃せないポイントです。  塚本晋也監督『野火』(2015年)も似ています。映画は「兵隊に流れる時間」と別に、それと交わらない「現地人に流れる時間」「ジャングルに流れる時間」を描き、別世界に流れる時間に意識を飛ばすことで苦境を耐えるという主人公の実存を示します。こうして観客は「そもそも人間社会(を流れる時間)を生きる必然性があるか」と問われます。社会を生きるからこそ人間の時間に属して戦争に駆り出され、英雄のゲームや悲惨のゲーム──戦争映画的なもの──に巻き込まれる。ならば、社会を生きるのを諦めればいいではないか、と。  『シン・レッド・ライン』は、社会をベタに生きるのを免れるべく、「宗教性の次元を生きよ」と推奨します。『野火』は、大岡昇平の原作に即して、「狂ってしまえばよい」と推奨します。だからこそ『野火』においては、普通であれば戦場における悪役として描かれるはずの、リリー・フランキーが演じた横暴で狂暴な兵隊・安田などが、悪役ではなく「所詮は主人公の同類」として描かれています。戦場においては英雄も悪役もない、それは非戦場が夢想する虚構だ──。クリント・イーストウッドの映画にも共通するモチーフです。

末端もデタラメ、頂点もデタラメ

 一方、原田眞人監督『日本のいちばん長い日』(2015年)は、『シン・レッド・ライン』と『野火』が、否定的にせよ肯定的にせよ、せいぜいが軍曹くらいまでの「末端」の、戦場におけるデタラメぶりを描くのに対し、本作は参謀本部や御前会議のような「最上層部」の、「末端」に勝るとも劣らないデタラメぶりを描きます。そこが昨年公開されたピーター・ウェーバー『終戦のエンペラー』(2014年)と重なります。『野火』と『日本のいちばん長い日』は、対照的に見えて、共通して戦争(という人間の時間)の茶番を描きます。  『日本のいちばん長い日』は、1967年に一度映画化され、1980年にテレビドラマ化(TBS系『歴史の涙』)もされました。本作はそれらと少し違います。過去の作品は無条件降伏を阻止しようとする将校らが皇居を占拠した宮城反逆事件をメインに描いたサスペンスですが、本作は天皇の御振る舞いを綿密に描くことで、陛下のあまりのマトモさに比べて、参謀本部や御前会議に陣取る首相以下各大臣のデタラメぶりが浮き彫りになるという仕掛けになっています。  デタラメな指導陣ですが、阿南惟幾陸相と鈴木貫太郎首相だけが肯定的に描かれます。阿南は陸軍の尊厳護持と陛下への尊崇との間で板挟みになった境界的存在。鈴木貫太郎首相もクソ連中を宥め賺して陛下の御意向に沿うべく苦心した境界的存在。共通します。実は境界的存在を擁護するのが原田監督流。鈴木首相を演じた山崎努の凄い演技を見ると、史実的な「耳の遠さ」も詐病かと疑うほど(笑)。いずれにせよ、余程のタヌキか強烈な矜持を持つ者でなければ、指導者層の余りのクソぶりゆえに自分を保てないことが描かれます。

天皇戦争責任論を一掃した作品群

 『終戦のエンペラー』と『いちばん長い日』は噛み合います。『終戦のエンペラー』は天皇の戦争責任が3点で成り立たないとします。第一に、12月8日開戦3カ月前に明治天皇の御製短歌を引用し御前会議で開戦反対意思を表明されたこと。第二に、陛下が意志を表明されたから総玉砕を回避できたこと。第三に、終戦後のマッカーサー拝謁が周囲の反対を排けて独断でなされたこと。マッカーサー回顧録には陛下が他の者に罪はないから私を処刑せよと述べたとあり、これでアメリカの天皇処刑論が一掃されて国体が護持されました。  しかし、第二の終戦の詔勅については、敗戦を決断できるぐらいなら、開戦を回避できただろうとして、やはり天皇の責任を問う議論があります。これについて原田監督の『いちばん長い日』は、陛下による終戦の決断が、天皇単独で出来うるものでは到底なく、鈴木貫太郎首相や阿南陸軍大臣らの「タヌキの大芝居」を通じてようやく可能になったことを、原作に即してちゃんと描いています。というわけで、この二つの映画を見れば、天皇の戦争責任論が完全に粉砕されているのが分かるでしょう。  『終戦のエンペラー』と同じく今回の『いちばん長い日』もまた、天皇主義者の僕としては納得の行く描き方をしていて、満足です。『終戦のエンペラー』もソクーロフ監督『太陽』(2005年)も日本映画ではありませんから、日本映画としては殆ど初めてじゃないでしょうか。これまで大東亜戦争における陛下の役割とは何だったのかについて、日本の映画は明確に描いて来なかったのです。昨年『終戦のエンペラー』を見たときも、僕はどうして日本がこれを描けないのかと憤慨していました。その意味で良かったです。

一方的な感情移入を排する原田流

 ちなみに僕は、原田眞人監督と『バウンス ko GALS』(1997年)のプロモーションでお会いし、一時期交流していたことがあります。彼の作品はたいてい見ていますか、原田監督の資質が最もよく表れているのが『狗神 INUGAMI』(2001年)という作品でしょうか。これを観たとき、この監督は本当にすごいと思いました。そして、『一番長い日』では、彼が『狗神』で見せた演出方法を完全に踏襲しているのです。一口で言えば“一方的な感情移入”を排除しようとするのです。  『狗神』は狗神筋が存在する高知の山深い尾峰の村での悲劇を描きます。オカルト映画としては異色で、オカルト映画に見えて、実際オカルト現象は一切映し出されません。村では「壺の中に狗神が見えれば狗神筋」だとされ、「狗神が見える」と称する人たちが登場します。しかし、映像に登場する壺の中はただ真っ暗。「狗神が見える」と称する人たちの体験に相応する現実があるのかどうかには触れません。怪異を体験したと称する人が描かれても、怪異現象自体は決して描かれないのです。  これはスタンリー・キューブリック監督の名作『シャイニング』(1980年)に通じる描き方です。『シャイニング』でも、主人公を含めた登場人物たちが経験する怪異な体験について、それに相応する現実があるかどうかはやはり描かれません。ラストシーンで主人公のジャック・ニコルソンが「All work and no Play makes Jack a dull boy」という文章を原稿用紙にただ打ち込み続けているという描写がありますが、それも悪魔憑きによるものなのかどうかについては描かれません。  カール・グスタフ・ユングは、「神秘体験の存在は、神秘現象の存在を意味しない」という有名な言葉を残しました。神秘体験は催眠誘導などで簡単に引き起こせるので、そのことを知らないと、オウム信者がそうだったように「似非グル」に心酔しがちです。ことほどさように「体験と現実との間に必ずしもリンクがない」という発想は近代的です。そうした発想を原田監督はお持ちです。そうした彼の感性が『いちばん長い日』でも発揮されています。宮城反逆事件を起こした将校たちの描かれ方が典型です。

宮城反逆事件の将校らの描かれ方

 普通ならば「過激派」的な悪役イメージを配当されがちですが、原田監督の『いちばん長い日』は違う。ある種の観客には十分に共感できる描き方をしています。これは倫理的に正しい。国民の多くは二・二六事件の青年将校が好きで、『実録・阿部定』(1975年)や『愛のコリーダ』(1976年)など映画で何度も描かれています。宮城反逆事件の青年将校と二・二六の青年将校との間に、あるいは多くの国民が大好きな赤穂浪士との間に、さしたる違いはない。みな純粋無垢な反逆者です。そのことが何を意味するのでしょうか。  かつては丸山眞男、最近は宗教学者の島薗進氏が仰るように、天皇制ファシズムを主導したのが統制派つまり軍エリートだったという説は間違いで、むしろ庶民の共感を背景としたノンエリート層の皇道派が主導的でした。天皇を支配の道具とみなしつつ国民には天皇を天孫と崇めさせる天皇機関説的なエリート層を大衆から見ると、イケ好かないインテリどもの天皇利用だと感じられたのです。そうした庶民の憤激を背景に、蓑田胸喜・国士舘専門学校教授のような連中が、東京帝国大学のリベラルな教授たちを追放していきます。  東京裁判で、戦争責任は専らA級戦犯にあるとする「手打ち」になり、天皇と国民から戦争責任が免じられました。国民が悪くなかったという話は元々はネタなのに、やがてベタになりました。でも、庶民もヤバイ。というか、庶民がヤバイ。現に二・二六事件の青年将校を応援したがるメンタリティが、陸軍内部の反逆である宮城事件に直結する。原田監督はそれを意識するから、否定的にも肯定的にも描きません。狗神がいるのかいないのか言及しないのと同じように、何が本当に正しいのか言及しない。とても正しい演出です。  前回『バケモノの子』を論じて、言語と言語以前という二項図式があることを言いました。(参考:宮台真司の『バケモノの子』評:言葉ならざる親子の関係を描く、細田守監督の慧眼)渋谷(人間界)は言語が優位な世界。澁天街(バケモノ界)は言語以前的なものが優位な世界。親子関係はそもそもは言語以前的な感情が中心を占めるべき関係じゃなかったのか──と。最近の映画には、言語と言語以前、理性と感情といった二項図式を使うものが目立ちます。『いちばん長い日』でも、天皇の佇まい、阿南陸軍相の佇まい、畑中少佐の佇まいなどが丹念に描かれます。そのことが僕たちに、ある投げかけをしています

概念言語と言語以前の微妙な関係

 阿南一家のあり方、阿南陸相と陛下との心の通い合い、狡猾な東条英機とピュアな畑中少佐の対比などから、「古い人たちの人間関係や古い人の佇まいは、いいものだな」と感じさせます。オーラが感染するのです。僕たちはこうして言語以前的な感情に動機づけられるのですが、しかし、その感情が概念言語によって水路づけられてしまうので、ミソもクソも一緒になりがちなのです。例えば、阿南陸相と幕僚たちが「ともに陸軍幹部」ということになり、「東条英機と畑中少佐が同じ尊皇主義者」ということになってしまいます。  イデオロギーつまり概念言語の如何を以てヒトを分ける仕方とは別に、他者を感染させる力をもつ立派な存在かどうかでヒトを分ける仕方もあります。玄洋社の遠山満は、左右のイデオロギーを問わず、コイツは立派だと判断すれば食客にしました。そのように、ヒトの立派さや情念や心意気への感染を良しとする構えが、ただの保守と区別されて、右翼的=主意主義的と見做されてきた歴史があります。映画でも、暴発した若手将校はただのキチガイとしては描かれていません。しかしそこにこそ、これから述べる悲劇があります。  例えば、僕が誰かの情念や心意気に感染したとして、その誰かが抱くイデオロギーが愚昧であれば、僕は愚昧なイデオロギーに引き回されます。逆に、イデオロギーが愚昧だったにせよ、情念や心意気への感染自体が間違っていたわけではありません。しかし、情念や心意気への感染を、イデオロギーの正しさと取り違えると、悲劇がもたらされます。概念言語と言語以前のものとの間に、こうした微妙な関係があります。だから、かつての京都学派のように、言語以前的なものへの注目を切口に、愚昧な全体主義を呼び出せます。

概念言語はミソもクソも一緒くた

 京都大学で人類進化論を研究しておられる山極寿一先生は、人間の始まりは言葉でも火でもなく「共同保育」を行うようになったことだとします。猿は四肢が手ですが、ヒトは下肢が足に戻ったので、赤子が母親に常時つかまれず、仰向けに寝かされます。母親は赤子を置いて遠くに出かけられます。赤子は母親を呼ぶために泣きます。母親以外の周囲も駆けつけてあやせます。赤子は笑顔で報償を返します。こうした経緯で母親以外が育児に関わる可能性が開かれ、共同保育につながります。  ヒトは下肢が足になったので、物を持って遠くに狩猟採集に出かけられます。それに必要な皮下脂肪を蓄えるべく満腹反応が遅れるようになります。遠くで狩猟採集してもその場で食べずに共同保育の場に持ち帰るようになりますが、可能にしたのが共感能力です。つまり「自分が空腹であるように家族や仲間も空腹なはずだ」などと他者に生じている反応を自らに引き起こす力です。こうしたことに加えて、山極先生はヒトが戦争をするようになったのは言葉のせいだとします。  現存する原初的な部族を見ても分かるように、とりわけ女をめぐる争いが部族間抗争に発展しがちなものの、ジェノサイド(全面殺戮)は起こりません。基本的にメンツの争いなので、互いのメンツが立つよう抗争を収束させるための知恵が蓄積されてきました。ところが、4万年余り前から言葉を使うようになって、ミソもクソも一緒くたに全て敵のせいにできるようになります。それゆえ、言語以前的な感染力──感染する力やさせる力──が、概念言語に水路づけられるようになり、暴走しがちになったのだと。  ロゴス中心主義的な西欧文明が一部を失った言語以前的なものへの鋭敏ぶりは、断固として擁護されるべきですが、そうであるにせよ、そうした言語以前的なものへの鋭敏ぶりが、概念言語によるデタラメな構築物に向けて動員されてきた歴史もあります。その意味で、言語以前的なものを擁護しつつ否定し、否定しつつ擁護するのが合理的です。原田監督は、英米で大学教育を受けて来られたのもあってか、『日本のいちばん長い日』では、日本的なものを「擁護しつつも距離をとり、距離をとりつつ擁護する」立場をとっておられます。  そういうことも踏まえ、後編では主に『ドローン・オブ・ウォー』について話しましょう。 (取材=神谷弘一) ■宮台真司 社会学者。首都大学東京教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。Twitter ■公開情報 『日本のいちばん長い日』 公開中 役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山﨑努 監督・脚本:原田眞人 原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊) 配給:アスミック・エース、松竹 ©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会 『野火』 公開中 原作:大岡昇平「野火」 出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作 監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也 製作年:2014年 製作:日本 上映時間:87分 PG12 配給:海獣シアター