来年1月スタートのドラマ『怪盗 山猫』(日本テレビ系)で主演することが発表された亀梨和也だが、原作『怪盗探偵山猫』(角川書店)は、シリーズ累計50万部を超える人気シリーズ、さらにドラマ化にあたっては原作者である神永学から「原作より面白くすること」という条件を出されていることもあり、「ここでポシャったら、亀梨の俳優活動も終わりだな」「低視聴率王の汚名返上なるか?」など、注目が集まっている。 「亀梨といえば2005年、当時まだKAT-TUNに所属していた赤西仁とともに、ドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)の第2シリーズにメイン生徒役で出演。平均視聴率28%を記録し、赤西との“仁亀”コンビだけでなく、KAT-TUNの認知度も爆発的に上げました。さらに、同年に放送されたドラマ『野ブタ。をプロデュース』(同)では山下智久とW主演を果たし、平均視聴率16.9%を記録。山下と期間限定ユニット『修二と彰』を組んでリリースした主題歌『青春アミーゴ』(ジャニーズ・エンタテイメント)の累計出荷枚数が200万枚を突破するなど、たった1年で並み居るジャニーズの先輩タレントをごぼう抜きにする売れっ子タレントへと成長しました。しかし、近年では、11年に主演したドラマ『妖怪人間ベム』(同)で記録した平均視聴率15.6%を最後に、13年に主演したドラマ『東京バンドワゴン~下町大家族物語』(同)と今年2月に放送された主演ドラマ『セカンド・ラブ』(テレビ朝日系)の平均視聴率が共に7.1%と低迷。ネット上では、すっかり“低視聴率王”と揶揄されてしまっています。過去の実績や事務所のゴリ押しもあり、今回は主演作を確保できましたが、これだけ低調が続けば、さすがに次からは主演のオファーがあるかどうか微妙なところとなってくるでしょうね」(芸能関係者) 微妙なのは、俳優業だけではない。つい先日、KAT-TUNの田口淳之介が来春でグループ脱退することを発表したことから、「ついに解散?」という不安の声がファンの間からは漏れているようだ。 「KAT-TUNは10年に赤西仁が、13年に田中聖が脱退。そのたびに解散説、あるいは不仲説が流れていましたが、今回で3人目の脱退となり、しかも来年はデビュー10周年という節目の年であっただけに、残されたメンバー、そしてファンのショックは計り知れないものがあり、これまで以上に解散・不仲説が流布しているようです。今のところ、グループは継続していく流れのようですが、1日から放送開始されたジュエリーブランド『Bijoude(ビジュード)』の新CMソングに、亀梨のソロ楽曲『VANILLAKISS』が起用されると、解散説が再燃。というのも、亀梨のソロ楽曲がCMタイアップ曲となるのは今回が初めてとなるためで、さらに、同ブランドのイメージキャラクターも務める亀梨は、CMでは初めてとなるギターを演奏する姿も披露。ソロ活動を視野に入れ始めたのではないかという憶測が急速に広まっているようです」(同) 『怪盗 山猫』の原作ファンからは、亀梨のキャスティングが発表されるやいなや「イメージと違う」という声が上がったのだが、それだからこそ逆に「亀梨君がどんな役作りをするか楽しみ」と亀梨ファンからは期待の声が上がっているようだ。『怪盗 山猫』(日本テレビ系)公式サイトより。
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NEWS手越とAKB柏木の熱愛を文春が再スクープ! なぜ他誌は沈黙? SMAP中居と香取がジャニーズタブーの存在を暴露

各出版社がジャニーズ事務所のスキャンダルを取り上げない理由とは?
ブラッド・ピット、9億円の腕時計を購入!
ブラッド・ピットが500万ポンド(約9億2325万円)の腕時計を購入したそうだ。スイスのジュネーヴで開催されたオンリー・ウォッチ・オークションに参加したブラッドは、パテック・フィリップのレアもの腕時計を落札し、腕時計における至上最高額を叩き出したとみられている。
46万ポンド(約8496万円)からスタートしたその時計のオークションは、熾烈な争いを繰り広げ最終的に500万ポンドでブラッドの手に渡った。同オークションハウスは声明文の中で「オークションにおいて落札された腕時計の中で最も高額です」とコメントしている。
腕時計に対してブラッドがこれだけの大金をはたいたのは今回が初めてではなく、昨年には結婚のお祝いとして妻アンジェリーナ・ジョリーに25万ポンド(約4618万円)の腕時計を贈っていた。アンジェリーナへのプレゼントを購入した当時、ある関係者は「ブラッドはスイスのバーゼルで(現在パテック・フィリップの生産を行っている)スターン家と面会した後、この素晴らしい時計の一つを購入することにしたんです」「彼はアンジェリーナのために小さな芸術作品でありごくわずかな人だけが所有しているようなユニークな贈物を購入したいと思っていたので、極上に洗練されたこの時計がぴったりだったのです」「ビッグ・ベンを基にした鐘の音を奏でるその時計はすべて手作りで作られています」「ブラッドはジュネーヴまでその時計を受け取りに行っていて、アンジェリーナへの結婚祝いにプレゼントすると言われていますよ」と語っていた。
まんしゅうきつこの生エロトークにファン歓喜! ろくでなし子ともども、テレビ業界の性差別に苦心?
1日、漫画家のまんしゅうきつこが、“日本のエロス”をテーマに、エッセイスト・大塚ひかりとの対談イベントに登場。モデル並みのスタイルと美貌から繰り出されるエロトークに、参加したファンからは「熟女の色気とトークの面白さに魅了された!」「全身黒ずくめの衣装がエロかった」など、歓喜の声が上がっている。 「今回の対談は、大塚が著した『本当はエロかった昔の日本』(新潮社)の発売記念イベントとして開催されたもので、大塚は『源氏物語』を中心にした古典文学をエロスの観点から掘り下げて描くエッセイストと知られ、『機動戦士ガンダム』の原作者である富野由悠季も愛読者であることを公言しています。イベント中には、まんしゅうが『セックスって気の交換ですよね』と発言するなど、ファンが予想した通りのざっくばらんな、そして独特のエロス表現が飛び交い、さらにまんしゅうの40歳とは思えない美貌、スタイルが、『年末のトークイベントも参戦します!』『もっとバラエティ番組にも出演してほしい』など、すっかり美熟女好きのハートを掴んだようです」(芸能関係者) 今年4月に『バラいろダンディ』(TOKYO MX)でテレビ初出演&初顔出しした途端、ペンネームからは想像も出来ない美貌ぶりが話題となり、「絶対に無臭だろ」「むしろいい匂いがしそう」など、一気に注目を集めたまんしゅうだが、その放送コードぎりぎり? のペンネームが災いし、メディア露出の妨げとなっていることも確かだ。 「テレビ業界には男女の性差別が存在するようで、対談イベントの相手をした大塚が、3日に自身のツイッターで、『ほんとになんでテレビでもちん系は良くてまん系はいけないのか……男にとってちんはワイセツじゃないけどまん……はという男目線で判断してるからとしか思えませんよね』と、テレビ業界にはびこる性差別を批判。また、自らの女性器を型どりデコレーションしたアート作品“デコまん”を展示し、わいせつ物公然陳列の疑いで逮捕された経験をもつ、漫画家のろくでなし子も、去年7月に日本外国特派員協会で記者会見を行った際、日本のメディアでは、女性器の名称を発言したり表記したりすることが不可能な状況にも関わらず、男性器の名称に関しては大して問題にならない性差別があることを批判していますよ」(同) 『日刊SPA!』で改名案を募った際には、“きつこ・リラックス”や“金縛り解く子”といった、“まんしゅうきつこ”よりはマイルドな候補名が挙がったのだが、まんしゅうのままバラエティ番組への進出を果たすことができれば、テレビ業界を変えられるかもしれない!?まんしゅうきつこTwitter(@kitsukomz)より。
まんしゅうきつこの生エロトークにファン歓喜! ろくでなし子ともども、テレビ業界の性差別に苦心?
1日、漫画家のまんしゅうきつこが、“日本のエロス”をテーマに、エッセイスト・大塚ひかりとの対談イベントに登場。モデル並みのスタイルと美貌から繰り出されるエロトークに、参加したファンからは「熟女の色気とトークの面白さに魅了された!」「全身黒ずくめの衣装がエロかった」など、歓喜の声が上がっている。 「今回の対談は、大塚が著した『本当はエロかった昔の日本』(新潮社)の発売記念イベントとして開催されたもので、大塚は『源氏物語』を中心にした古典文学をエロスの観点から掘り下げて描くエッセイストと知られ、『機動戦士ガンダム』の原作者である富野由悠季も愛読者であることを公言しています。イベント中には、まんしゅうが『セックスって気の交換ですよね』と発言するなど、ファンが予想した通りのざっくばらんな、そして独特のエロス表現が飛び交い、さらにまんしゅうの40歳とは思えない美貌、スタイルが、『年末のトークイベントも参戦します!』『もっとバラエティ番組にも出演してほしい』など、すっかり美熟女好きのハートを掴んだようです」(芸能関係者) 今年4月に『バラいろダンディ』(TOKYO MX)でテレビ初出演&初顔出しした途端、ペンネームからは想像も出来ない美貌ぶりが話題となり、「絶対に無臭だろ」「むしろいい匂いがしそう」など、一気に注目を集めたまんしゅうだが、その放送コードぎりぎり? のペンネームが災いし、メディア露出の妨げとなっていることも確かだ。 「テレビ業界には男女の性差別が存在するようで、対談イベントの相手をした大塚が、3日に自身のツイッターで、『ほんとになんでテレビでもちん系は良くてまん系はいけないのか……男にとってちんはワイセツじゃないけどまん……はという男目線で判断してるからとしか思えませんよね』と、テレビ業界にはびこる性差別を批判。また、自らの女性器を型どりデコレーションしたアート作品“デコまん”を展示し、わいせつ物公然陳列の疑いで逮捕された経験をもつ、漫画家のろくでなし子も、去年7月に日本外国特派員協会で記者会見を行った際、日本のメディアでは、女性器の名称を発言したり表記したりすることが不可能な状況にも関わらず、男性器の名称に関しては大して問題にならない性差別があることを批判していますよ」(同) 『日刊SPA!』で改名案を募った際には、“きつこ・リラックス”や“金縛り解く子”といった、“まんしゅうきつこ”よりはマイルドな候補名が挙がったのだが、まんしゅうのままバラエティ番組への進出を果たすことができれば、テレビ業界を変えられるかもしれない!?まんしゅうきつこTwitter(@kitsukomz)より。
“雅子妃の代弁者”といわれる皇室ジャーナリストが明かした「皇太子妃を辞める」発言と不妊治療の真実
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 今日12月9日、雅子妃が52歳の誕生日を迎えた。予想通り会見はなく、宮内庁を通じて文書で談話を発表する形式で、内容も戦後70年ということで、「戦争の悲惨さと平和の尊さに改めて思いを深くいたしました」という言葉が入っていたものの、あとは 昨年と大きく変わりはなかった。 雅子妃の肉声を聞くことがなくなっていったいどれくらいになるのだろうか。この十数年、我々が接することのできたのは、宮内庁を通じて出される当たり障りのない談話や動静情報のみ。一方で、週刊誌では雅子妃に対する大量のバッシング情報が流されてきたが、それについて、雅子妃の反応はまったくわからないままだった。 だが、そんななかで1年ほど前、雅子妃の思いや心の裡を代弁しているといわれる本が出版されたのをご存知だろうか。雅子妃の半生を綴ったノンフィクション『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋刊)がそれだ。 同書の著者・友納尚子は「週刊文春」「文芸春秋」などで皇室取材に取り組んでいたジャーナリストだが、2003年、雅子妃が入院した直後から、一貫して雅子妃サイドにたった詳細な内幕記事を書いてきた。ほとんどのメディアが雅子妃の休養を「仮病」扱いしていた時期から、ストレスによる「精神的な病」であることを指摘。公務や宮中祭祀の欠席問題、さらには愛子内親王の不登校や付き添い登校をめぐるバッシングが起きた際も、雅子妃サイドの言い分を代弁するように詳細な反論を書いてきた。 そのスタンスはともかく、情報はきわめて正確で、東宮職はもちろん、雅子妃の実家である小和田家関係者や雅子妃本人にもパイプがあるのではないかと指摘されるほどだった。 その友納氏がこれまでの取材の集大成として出版したのが前掲書『ザ・プリンセス』なのだが、そこには、これまで表には出なかったエピソード、そして雅子妃を「適応障害」にまで追い詰めた原因が綴られている。 それはやはり、宮内庁や千代田(天皇夫妻の側近の俗称)との確執だった。同書はまず、ある事件が雅子妃の心を深く傷つけたと書いている。 2000年の皇太后逝去でのこと。この時、雅子妃は葬儀を欠席しているのだが、その背景に〈雅子妃にとって、適応障害というご病気に繋がる過去の暗い記憶となっているある出来事があった〉と同書はいう。 〈それは、この前後に、千代田側から厳しく叱責されたことだった。(中略) 「しきたりに関するやりとりならば納得がいくのですが、その時のご気分による感情的な叱責があったといいます」(宮内庁関係者)〉 友納氏は間接的な表現をしているが、これは前後の文脈から見て、「雅子妃が皇后から理不尽で感情的な叱責を受けた」と読みとれるものだ。当時から、皇后との確執が雅子妃の病気の最大の原因と言われていたが、やはりそれは大きかったようだ。 さらに、雅子妃を追い詰めたのが、お世継ぎのプレッシャーだった。宮内庁はなかなか懐妊しない雅子妃をことあるごとに責め立てたという。 〈ご懐妊されない原因が雅子妃の『考え方』にあると見るようになったのである。雅子妃が世継ぎの重要性を自覚していないという歪んだ話は、宮内庁の中にも広がり始めていた。〉 97年2月には当時の宮内庁長官・鎌倉節が直接、雅子妃を説得にきたこともあったという。通常、長官といえど、皇太子夫妻から「お召し」がなければ勝手に会いに来ることなどできないのだが、鎌倉長官はその禁を破り、強引に乗り込んできた。そして部屋に入るなり、世継ぎの話を切り出したという。 「前置きもなく、いきなりお身体のことを話し始めたといいます。雅子妃殿下は羞恥心と驚きで複雑なお気持ちになったそうです。ひとりの女性が夫婦間のことなどを他人に軽々しく言えるはずがありません。雅子妃はしばらく黙ったままだったそうですが、あまりに理解がないためプライバシーについて言われたところ、結局、聞き入れてもらえないまま話は平行線に終わったと言われていました」(元東宮職) その後、雅子妃は流産をへて、愛子内親王を出産するのだが、男児ではなかったことで、このお世継ぎプレッシャーは止むことがなかった。 宮内庁内部では、出産直後から第二子の期待が高まり、当時の湯浅利夫宮内庁長官も会見で「やはりもう一人はほしい」と発言。雅子妃の意向に反して早期の公務復帰を決めた。しかし、愛子内親王の子育てに時間をさきたい雅子妃はこれに強い不満をもっており、林田英樹東宮大夫とこんな驚くべきやりとりをしていたことを同書は明かしている。 〈雅子妃はそれまでも、過密な公務の日程について、何度も林田東宮大夫に訴えてきたという。だが、聞き入れてもらえないことから、〇二年頃に「これでは皇太子を辞めなくてはなりませんね」と語ったことがあったそうだ。言葉だけを取りだせば衝撃的だが、信頼できるはずの大夫に、内々に、なかなか聞き入れてもらえない公務委の軽減を訴えている文脈の中での発言だったのが実際だった。〉 そして、2003年10月15日、決定的な事件が起きる。メキシコのフォックス大統領夫妻を迎えての宮中晩餐会でのこと。この晩餐会では主催の両殿下から皇族方が順番に紹介されるのが儀礼となっていた。しかし−−−−。 「まず燕尾服姿の皇太子を紹介されて、次はイブニングドレス姿の雅子妃の番でした。フォックス大統領が雅子妃に向って手を差し出されたのですが、隣の秋篠宮殿下が紹介されたため、一瞬、大統領の手が宙で迷われ、おかしな雰囲気でした。雅子妃は明らかに引きつったようなご表情でした」(元東宮職) そう、雅子妃は妃殿下として紹介されず、スルーされてしまったというのだ。このことが雅子妃から自信を喪失させ、その後11年間、雅子妃は宮中晩餐会に出席することはなかったという。 同書は東宮御所に戻った雅子妃の心境を「宮内庁関係者」のコメントという形で、次のように解説している。 「ご誕生されたお子さま女の子だったことから、男子を産めない皇太子妃は必要ないというように思われたようです。(中略)雅子妃殿下は皇統の重要性を考えると、もっと頑張らなくてはいけないと思われていた。けれども深い失意は、ご自分を責める方向に向かわせたと言われています」 そして、この直後から雅子妃は体調に変調をきたしはじめ、03年12月、帯状疱疹で入院。休養が発表される。そして04年の適応障害、皇太子の「人格否定発言」に繋がっていったと著者は分析している。 もちろん、本書に対しては「雅子妃に寄り添いすぎている」といった批判もある。実際、同書に描かれた雅子妃の思いは被害妄想と感じられる部分もなくはないし、皇太子妃として公への貢献の意識があまり感じられないのも事実だ。 しかし、同書は、雅子妃の立場に徹底的に寄り添ったからこそ、どのメディアも書くことのできなかった“本音”“肉声”に近い言葉を引き出せたとも言える。これこそが、外務官僚から突然、皇太子妃という立場になった女性からみた皇室の「真実」なのだろう。 そういえば、同書ではもうひとつ、これまでどこも書くことのできなかった「真実」が明かされている。それは、ずっと噂になってきた皇太子夫妻の不妊治療の問題だ。 同書は1998年の秋から皇太子夫妻が不妊治療を受け始めたとはっきり書き、それにそこにいたるまでの経緯について、こう記している。 〈ご懐妊には大きな問題があることに雅子妃は気づいていたが、誰にもたやすく相談できないことでもあった。〉 〈(懐妊しない)そこには深刻な問題があった。しかしそのことを鎌倉長官はじめ宮内庁は把握できていなかった。〉 〈一般的に子どもができないと原因は妻にあると思われがちですが、宮内庁も同じような考え方だったのです〉 さらに、不妊検査が行われた際の雅子妃の気持ちは、意外にも辛いものではなかったとして、元宮内庁関係者のこんなコメントを紹介している。 「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったといわれています」 いずれにしても、雅子妃に起きたことは、雅子妃の個人的な資質の問題ではない。雅子妃の世代の民間の女性が突然、皇太子妃という立場になって、周囲からプレッシャーを受ければ、ささいなことに敏感に反応し、自信を喪失し、自分の身を守ることでいっぱいいっぱいになってしまうのは、ある意味、当然とも言える。 同書も指摘しているが、皇室のあり方そのものを考え直さなければ、次に、民間から妃が入った時も恐らく同じことが起きるだろう。とくに、天皇制墨守を掲げる保守メディアや識者は雅子妃バッシングを繰り返すよりも、そのことをもっと真剣に考えるべきではないだろうか。 (伊勢崎馨)宮内庁HP「平成27年皇太子妃殿下お誕生日に際してのご近影」より
“雅子妃の代弁者”といわれる皇室ジャーナリストが明かした「皇太子妃を辞める」発言と不妊治療の真実
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】 今日12月9日、雅子妃が52歳の誕生日を迎えた。予想通り会見はなく、宮内庁を通じて文書で談話を発表する形式で、内容も戦後70年ということで、「戦争の悲惨さと平和の尊さに改めて思いを深くいたしました」という言葉が入っていたものの、あとは 昨年と大きく変わりはなかった。 雅子妃の肉声を聞くことがなくなっていったいどれくらいになるのだろうか。この十数年、我々が接することのできたのは、宮内庁を通じて出される当たり障りのない談話や動静情報のみ。一方で、週刊誌では雅子妃に対する大量のバッシング情報が流されてきたが、それについて、雅子妃の反応はまったくわからないままだった。 だが、そんななかで1年ほど前、雅子妃の思いや心の裡を代弁しているといわれる本が出版されたのをご存知だろうか。雅子妃の半生を綴ったノンフィクション『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋刊)がそれだ。 同書の著者・友納尚子は「週刊文春」「文芸春秋」などで皇室取材に取り組んでいたジャーナリストだが、2003年、雅子妃が入院した直後から、一貫して雅子妃サイドにたった詳細な内幕記事を書いてきた。ほとんどのメディアが雅子妃の休養を「仮病」扱いしていた時期から、ストレスによる「精神的な病」であることを指摘。公務や宮中祭祀の欠席問題、さらには愛子内親王の不登校や付き添い登校をめぐるバッシングが起きた際も、雅子妃サイドの言い分を代弁するように詳細な反論を書いてきた。 そのスタンスはともかく、情報はきわめて正確で、東宮職はもちろん、雅子妃の実家である小和田家関係者や雅子妃本人にもパイプがあるのではないかと指摘されるほどだった。 その友納氏がこれまでの取材の集大成として出版したのが前掲書『ザ・プリンセス』なのだが、そこには、これまで表には出なかったエピソード、そして雅子妃を「適応障害」にまで追い詰めた原因が綴られている。 それはやはり、宮内庁や千代田(天皇夫妻の側近の俗称)との確執だった。同書はまず、ある事件が雅子妃の心を深く傷つけたと書いている。 2000年の皇太后逝去でのこと。この時、雅子妃は葬儀を欠席しているのだが、その背景に〈雅子妃にとって、適応障害というご病気に繋がる過去の暗い記憶となっているある出来事があった〉と同書はいう。 〈それは、この前後に、千代田側から厳しく叱責されたことだった。(中略) 「しきたりに関するやりとりならば納得がいくのですが、その時のご気分による感情的な叱責があったといいます」(宮内庁関係者)〉 友納氏は間接的な表現をしているが、これは前後の文脈から見て、「雅子妃が皇后から理不尽で感情的な叱責を受けた」と読みとれるものだ。当時から、皇后との確執が雅子妃の病気の最大の原因と言われていたが、やはりそれは大きかったようだ。 さらに、雅子妃を追い詰めたのが、お世継ぎのプレッシャーだった。宮内庁はなかなか懐妊しない雅子妃をことあるごとに責め立てたという。 〈ご懐妊されない原因が雅子妃の『考え方』にあると見るようになったのである。雅子妃が世継ぎの重要性を自覚していないという歪んだ話は、宮内庁の中にも広がり始めていた。〉 97年2月には当時の宮内庁長官・鎌倉節が直接、雅子妃を説得にきたこともあったという。通常、長官といえど、皇太子夫妻から「お召し」がなければ勝手に会いに来ることなどできないのだが、鎌倉長官はその禁を破り、強引に乗り込んできた。そして部屋に入るなり、世継ぎの話を切り出したという。 「前置きもなく、いきなりお身体のことを話し始めたといいます。雅子妃殿下は羞恥心と驚きで複雑なお気持ちになったそうです。ひとりの女性が夫婦間のことなどを他人に軽々しく言えるはずがありません。雅子妃はしばらく黙ったままだったそうですが、あまりに理解がないためプライバシーについて言われたところ、結局、聞き入れてもらえないまま話は平行線に終わったと言われていました」(元東宮職) その後、雅子妃は流産をへて、愛子内親王を出産するのだが、男児ではなかったことで、このお世継ぎプレッシャーは止むことがなかった。 宮内庁内部では、出産直後から第二子の期待が高まり、当時の湯浅利夫宮内庁長官も会見で「やはりもう一人はほしい」と発言。雅子妃の意向に反して早期の公務復帰を決めた。しかし、愛子内親王の子育てに時間をさきたい雅子妃はこれに強い不満をもっており、林田英樹東宮大夫とこんな驚くべきやりとりをしていたことを同書は明かしている。 〈雅子妃はそれまでも、過密な公務の日程について、何度も林田東宮大夫に訴えてきたという。だが、聞き入れてもらえないことから、〇二年頃に「これでは皇太子を辞めなくてはなりませんね」と語ったことがあったそうだ。言葉だけを取りだせば衝撃的だが、信頼できるはずの大夫に、内々に、なかなか聞き入れてもらえない公務委の軽減を訴えている文脈の中での発言だったのが実際だった。〉 そして、2003年10月15日、決定的な事件が起きる。メキシコのフォックス大統領夫妻を迎えての宮中晩餐会でのこと。この晩餐会では主催の両殿下から皇族方が順番に紹介されるのが儀礼となっていた。しかし−−−−。 「まず燕尾服姿の皇太子を紹介されて、次はイブニングドレス姿の雅子妃の番でした。フォックス大統領が雅子妃に向って手を差し出されたのですが、隣の秋篠宮殿下が紹介されたため、一瞬、大統領の手が宙で迷われ、おかしな雰囲気でした。雅子妃は明らかに引きつったようなご表情でした」(元東宮職) そう、雅子妃は妃殿下として紹介されず、スルーされてしまったというのだ。このことが雅子妃から自信を喪失させ、その後11年間、雅子妃は宮中晩餐会に出席することはなかったという。 同書は東宮御所に戻った雅子妃の心境を「宮内庁関係者」のコメントという形で、次のように解説している。 「ご誕生されたお子さま女の子だったことから、男子を産めない皇太子妃は必要ないというように思われたようです。(中略)雅子妃殿下は皇統の重要性を考えると、もっと頑張らなくてはいけないと思われていた。けれども深い失意は、ご自分を責める方向に向かわせたと言われています」 そして、この直後から雅子妃は体調に変調をきたしはじめ、03年12月、帯状疱疹で入院。休養が発表される。そして04年の適応障害、皇太子の「人格否定発言」に繋がっていったと著者は分析している。 もちろん、本書に対しては「雅子妃に寄り添いすぎている」といった批判もある。実際、同書に描かれた雅子妃の思いは被害妄想と感じられる部分もなくはないし、皇太子妃として公への貢献の意識があまり感じられないのも事実だ。 しかし、同書は、雅子妃の立場に徹底的に寄り添ったからこそ、どのメディアも書くことのできなかった“本音”“肉声”に近い言葉を引き出せたとも言える。これこそが、外務官僚から突然、皇太子妃という立場になった女性からみた皇室の「真実」なのだろう。 そういえば、同書ではもうひとつ、これまでどこも書くことのできなかった「真実」が明かされている。それは、ずっと噂になってきた皇太子夫妻の不妊治療の問題だ。 同書は1998年の秋から皇太子夫妻が不妊治療を受け始めたとはっきり書き、それにそこにいたるまでの経緯について、こう記している。 〈ご懐妊には大きな問題があることに雅子妃は気づいていたが、誰にもたやすく相談できないことでもあった。〉 〈(懐妊しない)そこには深刻な問題があった。しかしそのことを鎌倉長官はじめ宮内庁は把握できていなかった。〉 〈一般的に子どもができないと原因は妻にあると思われがちですが、宮内庁も同じような考え方だったのです〉 さらに、不妊検査が行われた際の雅子妃の気持ちは、意外にも辛いものではなかったとして、元宮内庁関係者のこんなコメントを紹介している。 「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったといわれています」 いずれにしても、雅子妃に起きたことは、雅子妃の個人的な資質の問題ではない。雅子妃の世代の民間の女性が突然、皇太子妃という立場になって、周囲からプレッシャーを受ければ、ささいなことに敏感に反応し、自信を喪失し、自分の身を守ることでいっぱいいっぱいになってしまうのは、ある意味、当然とも言える。 同書も指摘しているが、皇室のあり方そのものを考え直さなければ、次に、民間から妃が入った時も恐らく同じことが起きるだろう。とくに、天皇制墨守を掲げる保守メディアや識者は雅子妃バッシングを繰り返すよりも、そのことをもっと真剣に考えるべきではないだろうか。 (伊勢崎馨)宮内庁HP「平成27年皇太子妃殿下お誕生日に際してのご近影」より
モーガン・フリーマンの乗った飛行機が緊急着陸
モーガン・フリーマンの乗った飛行機がミシシッピ州で5日(土)、緊急着陸を強いられたそうだ。当時モーガンのみを乗せていた同機は離陸して間もなく、タイヤが破裂したためにパイロットが緊急胴体着陸を行ったのだという。この事件についてモーガンは「時々物事は予定通りにいかないものだからね。タイヤが破裂してしまって他の問題を引き起こしたんだよ。でもありがたいことに僕の優秀なパイロットであるジミー・ホブソンが僕らにかすり傷も作ることなく安全に着陸してくれたのさ」「飛行機に関しては怪我もなくとは言えないけどね。私たちの安全のために祈ってくれて感謝しているよ」とコメントしている。
ナショナル・ジオグラフィック・テレビジョンのシリーズ『ザ・ストーリー・オブ・ゴッド』の撮影に向かう途中だったモーガンは、離陸地から36マイル(約58キロ)離れたミシシッピ州トゥニカに緊急着陸を行ったという。
自身も12年前にパイロットの資格を取得しているモーガンは、昨年ミシシッピ州の自宅から出演した『ルース&アレックス』の試写会が行われるトロント映画祭に自ら操縦かんを握る飛行機で向かう途中に機械故障により緊急着陸を強いられたため、映画祭に90分遅刻する事態となっていた。
「スタッフもみんな疲弊している…」NHK“号泣お天気お姉さん”の裏事情
今月1日に山形ローカルで放送された『やまがた6時』(NHK山形放送局制作)での“号泣”が話題となり一躍有名になった気象予報士の岡田みはる氏。諸説入り乱れている「原因」を探ってみると……。 アラフォーの年齢で、すでに気象予報士として5年のキャリアがある岡田氏。事情に詳しい東北の民放関係者は「ネット上に出ていたイジメや、彼氏が交通事故に遭ったという情報は間違い」と断言した上で「彼女の人間的なキャラクターが(今回の)要因にもなっている」と指摘する。 「そもそも、彼女は精神的にそれほど強くない。その上、口数も少なく、大人しい性格で、人とのコミュニケーションを取るのが得意ではないそう。出身も長野と地元ではないとなれば、普段も会社と自宅の往復だったと聞いています」 最近も「理由なく突然、涙を流すことがあり、局内では心配する声もあった」というが、ではなぜ、フォローできなかったのか。ヒントはローカル番組の「放送時間」だという。 「現在、NHKの平日午後6時台は、大都市ではローカルで1時間のニュース番組を編成していますが、他のエリアは基本、30分での構成がほとんど。ですが、山形に関しては1時間丸々ローカルでニュース番組を編成。その分、少ない人員の中で、取材、編集にかなりの時間を取られており、スタッフも疲弊している。そんなこともあり、岡田さんがSOSのサインを出していても、なかなか時間を取って対処できなかった可能性は高いと思いますよ」 ローカル番組で力を入れた分、思わぬ弊害を生んでいたのが、今回の号泣ハプニングの“真相”といったところか。「ウェザーマップ」公式サイトより。
「スタッフもみんな疲弊している…」NHK“号泣お天気お姉さん”の裏事情
今月1日に山形ローカルで放送された『やまがた6時』(NHK山形放送局制作)での“号泣”が話題となり一躍有名になった気象予報士の岡田みはる氏。諸説入り乱れている「原因」を探ってみると……。 アラフォーの年齢で、すでに気象予報士として5年のキャリアがある岡田氏。事情に詳しい東北の民放関係者は「ネット上に出ていたイジメや、彼氏が交通事故に遭ったという情報は間違い」と断言した上で「彼女の人間的なキャラクターが(今回の)要因にもなっている」と指摘する。 「そもそも、彼女は精神的にそれほど強くない。その上、口数も少なく、大人しい性格で、人とのコミュニケーションを取るのが得意ではないそう。出身も長野と地元ではないとなれば、普段も会社と自宅の往復だったと聞いています」 最近も「理由なく突然、涙を流すことがあり、局内では心配する声もあった」というが、ではなぜ、フォローできなかったのか。ヒントはローカル番組の「放送時間」だという。 「現在、NHKの平日午後6時台は、大都市ではローカルで1時間のニュース番組を編成していますが、他のエリアは基本、30分での構成がほとんど。ですが、山形に関しては1時間丸々ローカルでニュース番組を編成。その分、少ない人員の中で、取材、編集にかなりの時間を取られており、スタッフも疲弊している。そんなこともあり、岡田さんがSOSのサインを出していても、なかなか時間を取って対処できなかった可能性は高いと思いますよ」 ローカル番組で力を入れた分、思わぬ弊害を生んでいたのが、今回の号泣ハプニングの“真相”といったところか。「ウェザーマップ」公式サイトより。



