



























2014年はローラの年であった。今月11日にニホンモニターが発表した「2014タレントCM起用社数ランキング」によると、ローラの起用社数は男女合わせて単独トップとなる14社。『あまちゃん』効果で人気が跳ね上がった有村架純が13社、CM女王の呼び声も高い上戸彩や堀北真希がともに12社ということを考えると、驚くべき数字といえるだろう。 ローラの最大の武器といえば、ともかく彼女の「自由さ」に尽きる。本業はモデルであり、美貌もスタイルも抜群でありながら、そのイメージにとらわれない奔放な言動。いわゆる「天然キャラ」ともまたひと味違う、独特の存在感がある。枠にはまらない自由な生き方。どこを見ても窮屈で締め付けの多いこんな時代だからこそ、ローラの自由さを人々は求めている。 そんなローラが自らの素顔を語ったのが、8日に放送されたフジテレビ系『SMAP×SMAP』だ。普段はテレビであまり見せることのないトップモデルとしての一面や日常生活を語ったわけだが、そこにはローラの生きる哲学が隠されていた。ローラはなぜ自由に生きられるのか? 多くの人のヒントにもなるであろう3つのポイントを紹介したい。 【1】ローラは自分の居場所を持っている トップモデルとして活躍するローラは、今年だけでも実に25回も雑誌の表紙を飾っている。ランウェイを歩く姿も映像で流されるのだが、いつもテレビで見せる笑顔は一切なく、キリッとした表情だ。テレビで見ることはないが、ローラの本業とはあくまでもモデルであり、そのプロ意識は高い。そしてこの、本来の居場所を持っているということが、タレントとしてのローラの自由さを担保していることは間違いないだろう。 我々視聴者がここから学ぶことは多い。一つの場所しか持っていない人間は、ときにそのことによって追い詰められがちである。SNSによるコミュニケーション空間や、職場や学校などのリアル空間、あるいは母親の子育てにしてもそうだが、一つの場所に捉われすぎるのは危険なのだ。仕事でも趣味でも行きつけのバーでもなんだっていいが、本来の自分を出せる場所を一つ持っているだけで選択肢が増える。帰る場所がなくて自由に生きられるほど、大抵の人間は強くはないのだ。 【2】ローラは決して無理をしない 中居正広からモデルっぽい顔をやってくれと頼まれたローラは、一瞬挑戦しようとするが「ダメだ。今日はスイッチが入らない」とあきらめてしまう。それが見せどころであるかどうかは関係ない。できないことはやらないのだ。また、好きな異性はできないのかと尋ねられたローラは「たまに一瞬思うことはあるけど、次の日には忘れちゃう」と答える。これがおそらく、彼女の本質だろう。好きな異性に限らず、悲しいことやつらいことなども「次の日には忘れちゃう」というのがローラという人間なのだ。 ローラは過去や未来にとらわれることなく、今を生きている。だからこそ、圧倒的に自由だ。自分自身を把握することさえ放棄し、ただ、今この瞬間を楽しんでいる。あたかも生まれたての赤ん坊が世界を見るように。確かに生きていれば、嫌なことも多い。だが世界には、それでも楽しさが溢れている。ローラにはそのことが分かっている。彼女の生き方とは、人生讃歌そのものである。 【3】ローラはいつも笑っている そういえば、ローラはいつも笑っている。なので、数えてみた。中居正広と二人でしゃべる8分01秒間で、彼女は実に25回も笑っていた。19.2秒に1回は笑っているという計算になる。この頻度で、笑っているのだ。ほほえむのではなく、声を上げ、ときに手を叩いて笑っている。林家パー子でも、これほどは笑っていないのではないか。相手の話を聞き、そして自分の話をしながら、ローラはくるくると笑っている。 ローラはたぶん、生きていること自体が楽しくて仕方ないのだろう。そしてそれは他人事ではなく、我々にもできることだ。難しい顔をするのは簡単である。だけど、それはひどくつまらない。ローラのようにかわいい顔で笑うのはちょっと難しいかもしれないが、それでも真顔よりは笑顔のほうがずっとマシに見える。笑ってみよう。それは人間だけに許された、とびきりの歓びなのだから。 【検証結果】 ローラはいつでも今を生きている。今を生きることそのものを楽しんでいる。テレビにおいて、それをやり続けた先人が一人だけ存在する。彼は、今年の4月からはお昼の顔ではなくなったが、いつでも今を肯定していた。彼が毎日お茶の間に向かって新宿アルタから呼びかけた「いいとも!」というかけ声は「オッケー!」という口癖に形を変えて、ローラの中でいまだ生き続けている。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaaローラ オフィシャルブログより
暗い、陰鬱な映画ばかり撮っているデヴィッド・フィンチャー監督は、なぜこんなに人気があるのだろうか。洗練されたビジュアルとは別に、フィンチャー作品にはある共通項がある。それは人間や社会に対する不信感を、真正面から描いているということだ。誰も信じられないこの世界で、それでも『ファイト・クラブ』(99)のタイラー(ブラッド・ピット)や『ドラゴン・タトゥーの女』(11)のリスベット(ルーニー・マーラ)らは自分たちなりの手段で、世界に向き合ってきた。全然かっこよくない『ソーシャル・ネットワーク』(10)のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は人間への不信感の裏返しで、SNSの開発に情熱を注いだ。全米で大ヒットした『ゴーン・ガール』も人間への不信感が主題となっている。ネタバレすると興味が半減するミステリー作品ゆえに、物語の前半パートにとどめて触れてみたい。 『ゴーン・ガール』の主人公は、米国ミズーリ州の閑静な住宅地で暮らすニック(ベン・アフレック)と妻エイミー(ロザムント・パイク)。ニックはNYで雑誌ライターとして活躍し、エイミーは女性誌向けにクイズを作る仕事をしていた。エイミーの両親は著名な児童作家で、人気シリーズ『アメージング・エイミー』は少女時代のエイミーがモデルだったことでも知られていた。NYのパーティーで知り合った2人は、誰もが羨む美男美女のカップルとして結婚に至った。転機となったのは2年前。ニックの母親の介護のために、2人はニックの実家へ転居。介護のかいなく母親は亡くなったものの、ニックは地元でバーを開業し、また広い邸宅も残され、夫婦生活は何ひとつ不自由のないはずだった。だが、5回目を迎えた結婚記念日、エイミーは忽然と自宅から姿を消してしまう。 リビングのテーブルが倒れ、争った形跡があったことから、エイミーは事件に巻き込まれたものとして警察は捜査を始める。ニックは記者会見を開き、その不憫な姿はマスコミを通じて多くの同情を集めた。ところが警察の現場検証が進むと、床には血痕の拭き取られた後が見つかり、ニックがエイミーに多額の保険金を掛けていたことも分かる。第一発見者であるニックは、悲劇の主人公から一転して妻殺しの容疑者へと変わってしまった。マスコミが騒ぎ立て、ニックが地元大学の女子大生と不倫していることも発覚。“完璧な夫婦”像は、まったくの虚像だったことが次々と明るみになっていく。さらにエイミーが残した日記が見つかり、そこには夫には浪費癖があること、夫の暴力に怯えていることが記述されていた。ニックは世間から“ほぼクロ”と断定されてしまう──。850万部以上のベストセラー小説を映画化した『ゴーン・ガール』。出版業界で働くフリーランサーたちのうめき声が聞こえてくるような内容だ。
前半はエイミー失踪事件の真相をめぐる緊張感溢れるサスペンスとして展開するが、後半からは「えっ~?」と驚く予想外のストーリーが待ち受けている。ドラマ展開が思いっきり転調していく。でも、ネタバレになるので、『ゴーン・ガール』のあらすじはここまで。代わりに関連作として、夫婦間に横たわる謎をテーマにした別の作品を挙げてみよう。 赤の他人である男と女が夫婦として一緒に暮らすことの奇妙さを描いた作品はロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、ガス・ヴァン・サント監督の『誘う女』(95)など少なくないが、観る人によって大きく異なる印象を与えるのがパトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』(90)だ。子どもの頃から「理髪師を妻にする」ことを願っていた主人公アントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)はその夢が叶い、理髪店を営む美女マチルド(アンナ・ガリエナ)と結婚する。美しい妻がいれば、後は何もいらなかった。アントワーヌは浮気の類いはいっさいせず、マチルドが客の髭を剃る姿をうっとり眺め、店が終わるとマチルダを抱いた。2人にとって最高に幸せな日々が続いた。だが、ある嵐の晩、マチルドは「買い物してくる」といって出掛け、そのまま帰ってこなかった。やがて、増水した川からマチルドの溺死体が見つかる。 “髪結いの亭主”とは妻に働かせ、ヒモ状態の生活を送る夫のこと。口にはせずとも、多くの男が密かに憧れる職業である。『髪結いの亭主』は男性にしてみれば、とてもファンタジックな世界なのだ。公開時に『髪結いの亭主』を観たときは、美しい妻マチルドは夫から愛されすぎ、もうこれ以上は幸せになれないことを悟って川に身を投げたのだと思っていた。夫には美しい思い出の中の自分を愛し続けてほしいと願いながら姿を消したのだと。公開から時間が経過した今では、違う見方もできるようになった。マチルドは「体のラインが崩れるから」という夫の要望で、子どもを産む機会が与えられなかった。また、夫もマチルドも友達と遊びに出掛けることも、酒や煙草を嗜むこともなかった。男から観ればマチルドは理想の妻、完璧すぎる女である。でも、その役割を24時間×365日にわたって演じなくてはならないマチルドは堪らない。夫が愛しているのは“髪結いの女房”というフィクショナリーな存在であって、生身のマチルドではなかったのだ。耐えられなくなったマチルドは、川に身を投じるしか逃げ場がなかった。男から観ればファンタジーである『髪結いの亭主』だが、女性の立場から観れば妻の都合のいい部分しか知ろうとしない偏狭な夫への復讐劇でもあったのだ。5回目の結婚記念日、ニック(ベン・アフレック)が帰宅すると、妻エイミーが消えていた。テーブルは倒れ、トラブルが起きたことは一目瞭然だった。
最後に話を『ゴーン・ガール』に戻そう。エイミー失踪事件が起きたことで、理想の夫婦は偽装夫婦だったことが暴かれる。NYの出版業界で華やかな生活を送っていた2人だったが、出版不況で雑誌が次々と廃刊し、ニックの故郷へ都落ちしていた。親の介護というと聞こえはいいが、実際は親が残した家と財産のお陰で夫婦は暮らしていた。幼少の頃からセレブ扱いされて育ってきたエイミーは、ドン臭い田舎暮らしに辟易していた。夫婦生活のきれいごとでは済まない部分が、次第に観客にも見えてくる。『髪結いの亭主』のマチルドが理想の夫婦生活に疲れ果てたのとは真逆で、『ゴーン・ガール』のエイミーは都会での絵に描いたような理想の生活が忘れられずにいたのだ。 一緒に暮らしている妻(もしくは恋人)は一体何者なのかという、もっとも身近な謎をミステリー作品に仕立てた『ゴーン・ガール』。タイトルが実に象徴的なことに気づく。既婚女性のことを“ガール”とは普通呼ばない。“消えた少女”とは誰のことで、いつどこで消えたのか? フィンチャー監督らしい、人間に対する不信感が吹き荒れる。それでもフィンチャー作品の主人公たちは日々生きていく。神さまが手を差し伸べることも、スーパーヒーローが颯爽と現われることもない。信用ならないこの世界で、どうやって人は生きていくのか。それこそがフィンチャー作品を貫くメインテーマだろう。 (文=長野辰次)やり手弁護士のターナー(タイラー・ペリー)を雇ったニックは、敵対するワイドショーに出演することで身の潔白を訴えようとする。
『ゴーン・ガール』 原作・脚本/ギリアン・フリン 監督/デヴィッド・フィンチャー 出演/ベン・アフレック、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリス、タイラー・ペリー、キャリー・クーン、キム・ディケンズ、パトリック・フュジット、エミリー・ラタコウスキー、ミッシー・パイル、ケイシー・ウィルソン、デヴィッド・クレノン、ボイド・ホルブルック、ローラ・カーク、リサ・ベインズ 配給/20世紀フォックス映画 12月11日(木)前夜特別上映、12日(金)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー (c)2014 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. http://www.foxmovies-jp.com/gone-girl
上から、ウニでしょ、イクラでしょ、カニに数の子、マグロにイカ、タコ、右の方にちょろっと頭をのぞかせてるのは白魚だ。そして山の中にはサーモン、ハマチ、コハダにシマアジと、10種類以上の獲れたてプリップリの刺身が埋もれている。着丼したとたん拍手喝采の特上ちらし寿司なのだ! どんなネタが入っているのか大将に聞いてみたら、 「そんなのいちいち気にしてたら、原価が気になって乗っけられなくなっちゃうからわかんねーよ!」 だって(笑)。どうやって食べたらいいのか、崩壊寸前までてんこ盛りの特上ネタばかり。
どおりで、ひとくち食べたら写真撮るのも忘れるほどのうまさに箸が止まらない。そんなわけで写真少なくてスミマセン。 気っぷのいい大将なんで、普通はちらし寿司に使わないようなネタばかり。ウニやイクラは甘くて舌の上で融け出し、青森産のマグロは、箸で持ち上げたら思わず二度見するくらいでかかった! もー、盆と正月とクリスマスと誕生日が一緒に来たみたいなしあわせな元祖メガ盛りは、40年以上も続いているという。 舌もお腹も大満足。たいへんうもうございました。ネタはその日の仕入れによって違いあり。ちらしだけじゃなく、にぎりも特大だ。
新中野梅寿司 特上ちらし寿司 3300円 インパクト ☆☆☆!! 味 ☆☆☆!! 店 ☆☆☆ビールもいいけど、寒い夜はやっぱり辛口の熱燗がうまい。
店舗もリニューアルされ、内外ともモダンに生まれ変わった。
そのラウンジ・バーでは、みんなが音楽に合わせて楽しそうに踊っている。ある者は義足で、ある者は脳性まひで動きにくい体躯を揺らし、ある者は通常の半分しかない腕を振り回し、ある者は全身のうち唯一動く口元と目線だけを動かしリズムを取っている。バーテンダーもダウン症。あえて言葉を選ばずに言えば、悪夢のような光景だ。 そこは、入り口に「健常者お断り」と書かれた障害者たちが集うバー「悪夢」。ドラマ『悪夢』(Eテレ)の舞台である。 『悪夢』は、毎週放送されている障害者バラエティ『バリバラ』から生まれたドラマだ。『バリバラ』とは「バリアフリー・バラエティー」の略称。これまで、テレビの中の「障害者」は「かわいそう」な存在でなければならなかった。「守るべき」存在であり、「感動する」対象だった。もし彼らを笑いのネタにしようものなら、すぐさま「不謹慎」の烙印を貼られる。しかし、『バリバラ』ではそんな見方を変えようと、障害者カップルのラブラブっぷりを競う「バリバカップルGP」や、日本一面白い障害者を決める「SHOW-1グランプリ」(たとえば、脳性まひの二人がコンビを組む脳性マヒブラザーズが披露する「医者コント」では、「手が動かない。体も震える。うまくしゃべれない」という症状で「風邪じゃないか」と診察を受けに来た患者に医者が「あなた風邪じゃなくて脳性まひですね」とツッコむ)など、「障害者×恋愛」「障害者×お笑い」といったテレビでは半ばタブー視された企画を次々と実現させてきた。 そんな『バリバラ』が、「障害者週間」に合わせて作った特集ドラマが本作『悪夢』なのだ(※再放送は9日24:00から)。 統合失調症の主人公・真を演じるのは、自身も統合失調症であるお笑いコンビ・松本ハウスのハウス加賀谷である。アルバイト先の店主をカンニング竹山、真の母を杉田かおるが演じたりしているが、登場人物の大半である障害者たちは、本当の障害者たちが演じている。真は加賀谷がそうであったように、幻覚や幻聴に悩まされている。やっと就いたアルバイト中も「お前は普通じゃない」「働けない」などという幻聴が聞こえ続け、全身白塗りの男たち=シロイヒトに常に追われているのだ。 なお、このシロイヒトを演じているのは麿赤兒率いる舞踏集団・大駱駝艦のメンバーたち。画面から伝わってくるその異様さと恐怖は、圧巻だ。 そんな状態だから、当然新聞配達のアルバイトも満足にできず、店主たちから「普通じゃない」「関わりたくない」と気持ち悪がられてクビが宣告されてしまう。新たなバイトを探して何度も面接を受けるが、ことごとく失敗。その帰り道でもやはり幻覚と幻聴に襲われ、シロイヒトに追われ、逃げこむように入ったのが、バー「悪夢」だった。 バーの異様な光景に真が戸惑っていると、「一緒に飲みます?」「踊りましょ」と誘う二人の女性。ひとりは、よく見ると脳性まひで足が不自由。もうひとりは顔面動静脈奇形で、マスクを取ると鼻から下が歪んでいる。「いや、無理でしょ!」と、あからさまに他の障害者を見下し、拒否する真。そして、こうは叫ぶ。「普通な奴はいないのかよ?」と。そこでは障害者プロレスも行われていた。半ば強引にリングに上げられた真は、「障害者相手に本気になれるかよ!」などと言っているうちに技をかけられ、失神してしまう。 障害者は健常者に差別される。その問題は何度となく、さまざまな場で取り上げられてきた。だが、もっと深刻なのは、障害者もまた障害者を差別するという現実だ。真は自分の障害を隠しつつ、相手の障害を見下しているのだ。 「健常者の定義って、心身に障害のない健康な人。そんな人、世の中にいるかしら?」 両足義足のアーティスト・片山真理が演じるバーの女主人・紗江はそう言って、真に問いかける。 「自分を隠して楽しい?」 そして、「このほうが楽なの」と義足を外し、真に「抱いて」と迫る。戸惑いながらも抱きかかえた真に、紗江は言うのだ。 「ね? 人間でしょ。私たち、普通の人間なのよ」 物語は、盲目の謎の男(桂福点)から真が奇妙な果実を譲り受けたことから大きく動いていく。その果実を食べると障害がなくなるのだという。ただし、同時にこれまでの記憶もなくなってしまう。真はその究極の選択に思い悩み、バーにいる障害者たちに「あなたなら食べますか?」と相談していくのだ(このシーンだけ、ドキュメント形式に変わる)。 「今すぐ食べたい。やりたいことたくさんやりたい。新しい記憶を作っていけばいい」「障害のない世界を体験したい」という人から、「障害に慣れているので食べない」「自分の人生を否定するようなことをしたくない」という人まで、答えはさまざま。 これまで障害者を扱ったドラマのほとんどは、「障害者も頑張っている」と世間を啓蒙するような、いわば「健常者のため」のドラマだった。だが、このドラマは、障害者自身が障害者のありふれた日常と苦悩を描いている。障害者による、障害者の、障害者のためのドラマだ。けれど、「今の自分を受け入れて生きる」か「今の自分を変えて違う自分になる」といった根源的な悩みは、健常者も障害者も変わらないだろう。誰しもが何らかの“障害”を抱えている。別に、どちらかの選択が「正解」なわけではない。本来「普通」とは大多数の人たちの共通した考えや状態を、それが正解だ、常識だと強制する圧力ではない。さまざまな障害があるように、人それぞれさまざまな答えや生き方がある。それこそが「普通」の状態だ。 『悪夢』で描かれているように、いろいろな人が、普通に生きているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからEテレ『悪夢』(※再放送は9日24:00~)
今週の注目記事 第1位 「林真理子『夜ふけのなわとび』」(「週刊文春」12/11号) 第2位 「菅原文太死す!」(「週刊文春」12/11号) 「『高倉健』の後を追うように『菅原文太』の棺を蓋いて」(「週刊新潮」12/11号) 第3位 「『読売新聞』全社が固唾を呑んだ『ナベツネ主筆』重症入院の悪い知らせ」(「週刊新潮」12/11号) 第4位 「株価2万円に備えよ」(「週刊現代」12/20号) 第5位 「自民党に総額20億円献金した『アベノミクス大儲け企業』」(「週刊ポスト」12/19号) 第6位 「全選挙区295完全予測」(「週刊文春」12/11号) 「全295選挙区 これが最終『当落』予測だ」(「週刊現代」12/20号) 第7位 「私の体を貪ったちょいワルオヤジ元『LEON』編集長・岸田一郎を許さない!」(「フライデー」12/19号) 今週はポストが「ポルノグラフィア 美波ねい×大石圭」と「AKB48生水着選抜」。現代は「20歳美少女『藍沢潤』が初グラビアで初ヘア・ヌードに!」「セクシー&ヌード・アワード2014」と袋とじ「究極エロス傑作選」。さてどっちがセクシーか? ポルノグラフィアは、グラビア美女と小説家のコラボレーション。そこそこセクシーだがね。AKB48はファンだったら喜びそうだ。 20歳を「少女」というのか疑問はあるが、藍沢潤って、なかなかいい。最初のページでいきなりヘアご開陳だが、下(しも)よりも表情が初々しくてかわいい。アワード2014は、井上和香ほか。袋とじは、春菜はなたちが競艶。 ボリュームと藍沢潤の初々しさを買って、今週は現代の勝ちじゃ~。 さて今週の第7位は、ファッション誌「LEON」(主婦と生活社)を創刊して「ちょいワルオヤジ」という言葉を流行らせた編集者・岸田一郎氏(63)のスキャンダル。 彼は現在、9月に創刊された男性誌「MADURO」(セブン&アイ出版)の編集長。その岸田氏が、23歳の美女A子さんに「枕営業」を強要していたというのだ。 A子さんは現在モデルとして活躍中で、岸田氏が好きなタイプらしい。「MADURO」の関係者から「東京ガールズコレクション(TGC)」の仕事の話をもらったA子さんは、雑誌関係者らと、今年2月に岸田氏と会食し、出演と引き換えに岸田氏に無理やり肉体関係を持たされたと「涙の告発」をしている。 会食前に、「MADURO」の関係者から「岸田氏をもてなすように」と指示されていたという。岸田氏は「聞いてるよね? このまま帰るとTGCには出さないよ」と脅されて、従うしかなかったそうだ。 岸田氏はその後もA子さんの体を貪り続けたというが、結局、A子さんはTGCに出られなかったそうだから、怒るのも無理はない。 A子さんは岸田氏に対し、訴訟を起こすつもりだという。私の編集長時代にはこんな誘いは一度もなかったな。これが事実なら、編集者としての一線を越えてしまった岸田氏は編集長を辞任すべきだろう(反論があるなら、堂々とすべきであろう)。ファッション雑誌のイメージを傷つけた代償は大きいはずだ。 新聞の選挙予測では軒並み自民党が300議席を取ると出たが、週刊誌の予測もそれに近い。 文春の「295選挙区全予測」で、久保田正志政治広報システム研究所代表と取材班が調べるにあたって、まず投票率を戦後最低だった2年前の衆院選の59.3%よりも少ない55%に設定したそうだ。 したがって無党派層は選挙に行かないことになり、組織や地方議員、強い後援会を持っている党しか生き残ることができない。その結果がこうである。 自民党296議席(現有295)、民主党81議席(60)、維新の党29議席(42)、公明党34議席(31)、次世代の党6議席(19)、共産党17議席(8)となる。自公あわせて330議席となり、依然として3分の2を超える大勢力は温存されたままになるというのである。 現代でも、政治評論家の浅川博忠氏と政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が当落予測をやっている。 ここでも自民党は313議席、公明党が31議席、民主党は75議席、維新の党が27議席、共産党が9議席となっている。 共産はもう少し取ると思うが、自民党の圧勝は変わらない。ポストは「総選挙の終盤情勢はどうやら自民党の『不戦勝』の様相を見せてきた」と書いている。 これでいいのかニッポン! 困ったものである。 円安で輸出大企業はウハウハのようだが、中で働いているサラリーマンの実質賃金はさほど上がっていないといわれている。ポストは、企業は儲かった利益を自民党へ「悪質なキックバック」をしていると難じている。 自民党への企業・団体献金リストを公開しているが、そこには輸出で潤っている業界や、バラマキ公共事業で儲かっているゼネコンが名を連ねている。 日本自動車工業会、石油連盟、日本電機工業会、トヨタ自動車、日本鉄鋼連盟、キヤノン、不動産協会、住友化学、新日鉄住金、三菱重工業などだ。 さらに許せないのは、大手旅行代理店の「JTB」が、取締役旅行事業本部長名で社員にこういう文書を配ったというのである。 「国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党である公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社においても可能な範囲での協力を求められております」 とんでもないことだ! もはやこの国には、「節操」という言葉が死語となってしまっている。企業倫理に照らしてもおかしいとJTBは思わないようだが、困ったものだ。 さて、株価だけが上昇している。現代は「2万円」時代が来るというのだが、これまでのように「株を買え、株を買え」という内容ではなく、それによって国民はさらに苦しめられるというのである。 株が上がっても景気は一向によくならない「不況の株価」という、歴史的にも世界的に見ても「超異常事態」は、そう長く続くはずがないと現代は書いている。 11月下旬に財務官僚と証券会社の国債担当者が集まる「国債インナーサークル」という会合が開催され、そこで「急速に円安が止まらなかったら、当局にそうした流れを止める手段がない」という声が上がったそうだ。 そうなると、どうなるのか。「非常に不幸な物価上昇につながる恐れがある」のだ。 もはや海外投資家たちは、アベノミクスで景気がよくならない日本経済に嫌気がして、円を売り始めているという。最悪の場合、円の売り浴びせが起こり、日銀もこれを制御できずに、さらなる物価高で庶民の生活が圧迫される。 今年年初からの日経平均株価を円建てとドル建てで見てみると、円建てでは右肩上がりになっているが、ドル建てで見るとほとんど上がっていないことがわかる。 世界はアベノミクスの限界に気付いているから、海外の金融機関は日本株を積極的に買っていない。 さらにドル建てで見ると、安倍政権が誕生してから日本のGDPは約1兆ドルも縮んでいて、今や中国のGDPの半分にも及ばない水準まで落ちているという。 円安で円は4割も安くなったというのは、日本人が4割貧乏になったということと同じなのだ。 国が縮み国民は貧しくなる。これがアベノミクスの正体なのだ。今の株バブルは人為的につくり出しているものだから、日経平均株価が2万円あたりになると臨界点になり、大暴落が起こる可能性があると警告している。 それはいつ来るのか? 選挙後に、あっという間にアベノミクス崩壊という事態も起こりうると、私は思っている。だから選挙へ行って、アベノミクスに「ノー」だという意思表示をしようではないか。 新潮に気になる記事がある。読売新聞の首領・ナベツネこと渡辺恒雄主筆(88)が11月14日に自宅で倒れて救急車で運ばれ、未だに退院できない状態にあるというのだ。 何しろ年も年だし、以前大腸にポリープが見つかっているし、耳も不自由になってきているというから、何が起こっても不思議ではないが、長年読売だけではなく政界にも強力なパイプを持って影響を与えてきた人だけに、気になる病状ではある。 いろいろ情報が交錯する中、広報に確認すると、主筆自らが病床から回答を寄せたというではないか。そこには泥酔した上に睡眠薬を飲んだため、寝室で滑って転んだ。その際本棚に左肩をぶつけ上腕部を骨折したため、リハビリを続けているから長引いているが、年内には退院できるだろうと書かれていたという。 この通りなら、時間はたってもまた出社できるのだろうが、本人自らが返事を寄越したという点に、いささか疑念が生じる。週刊誌の取材などにまともに答える人ではないのに、ナゼ今回だけは答えたのか? あたかも読売内部では「ポスト・ナベツネ」をめぐって、政治部と社会部が争っているそうだ。ナベツネがこのまま引退するにしても、後継を自ら指名しておかなくては内紛が収まらず、社を揺るがす事態になるやもしれないのである。 後継など作らず独裁を続けてきた超ワンマンが消えるとすれば、読売社内の問題だけではなく、永田町にもなんらかの影響が出ることも考えられる。続報を注目したい。 「立ち小便が出来なくなったら菅原文太じゃねえ」 2007年に膀胱がんと診断された文太は、こう言って自分を鼓舞したと週刊新潮が書いている。 11月10日に亡くなった高倉健に続いて、28日に菅原文太が逝ってしまった。享年81。健さんより2歳年下である。宮城県仙台市で生まれ、県立仙台高校を卒業して早稲田大学第二法学部へ入るも中退。178センチの長身と端正なマスクが画家・中原淳一の目にとまり、モデルになったことがきっかけで芸能界入りする。 新東宝、松竹と移り、安藤昇(元安藤組組長で俳優)に勧められて67年に東映に移籍する。だが長いこと鳴かず飛ばずで、任侠映画でトップスターになっていた高倉健は仰ぎ見る存在であった。 週刊文春で、東映の古参幹部がこう語っている。 「本当に天と地くらい格が違っていた。健さんの前では文ちゃんは直立不動でしたから。ただ健さんは誰にでも優しく、『文ちゃん、東映ではこうなんだよ』と先輩として教えてあげていましたね。二つ違いの兄貴と弟みたいな関係に見えました」 文太も71年の『まむしの兄弟』シリーズで注目を浴び、73年から始まった『仁義なき戦い』で演じた広島のヤクザ広能昌三役で、スターの座をものにする。 これも東映の中では当初、外様の文太起用に異論があったというが、当時力を持っていた俊藤浩滋プロデューサーが彼のことを気に入っていて、押し切ったという。 75年には高倉健と『大脱獄』『神戸国際ギャング』で共演した後、健さんは独立し、文太は『トラック野郎』シリーズで喜劇の才能も開花させ、日本映画界の看板スターになっていく。 共にヤクザ映画から国民的スターになったが、健さんは生涯「高倉健」を演じ続けたのに比べ、文太は映画だけではなく、有機農法を始めたり政治的な発言も多くするようになっていく。 映画監督の崔洋一は、新潮でこう語る。 「東日本大震災の後は、文太さんなりに日本という国を悲観なさっていましたね。ご自分も東北出身で、自分に何ができるかを考えておられました」 文春で鎌田實諏訪中央病院名誉院長が、こんな話をしている。 「八月に会った時、初めて父親の話を聞きました。お父様は四十歳を過ぎていたのに徴兵されたそうです。そして『帰国した時には夢も生きる気力も失っていた』『自分も戦争によって疎開させられ、惨めな生活をした。今日本は、戦争を再びやる国になろうとしている』とおっしゃっていましたね。(中略)最後に話したのは十月の電話でしたが、『原発が再稼働しそうだけど、まずいよな』『ミツバチが減っているのは農薬の使いすぎじゃないだろうか』という、至って真面目な内容でした」 私生活では66年に9歳年下の文子夫人と結婚し、1男2女に恵まれた。子煩悩な親だったが、長男が31歳の時、踏切事故で亡くなった後は1年も話ができなくなったという。 そして膀胱がんを発症し、その時は切らずに治したが、2年前には転移が見つかった。だがこのことは、文子夫人の判断で本人には知らせなかったそうだ。 私が菅原文太を見かけたのは3~4年前、西麻布の秋田料理の店だった。確か、中畑清と一緒だったと記憶している。髪は白くなってはいたが豊かで、背筋のピンとした後ろ姿はやはり格好良かった。店を出て行くとき、大きな声で話していたことを気にかけたのだろう、われわれの席に向かって少し頭を下げて出ていった。 文春によると、死ぬ10日前、病室で健さんの悲報を聞くとこういったという。 「健さん、東映、映画のことは自分で書きます」 今度の選挙で大勝すれば、安倍は「白紙委任」されたといい出し、憲法改正にまで突き進むかもしれない。そんなことを許してはいけないと、私は考える。 そこで先日の沖縄県知事選の応援に行った菅原文太の応援演説のなかの「仲井真さんよ」を「安倍さんよ」と読み替えて読んでほしい。 「『仁義なき戦い』の裏切り者の山守、覚えてらっしゃるかな? 映画の最後で、『山守さんよ、弾はまだ残っとるがよ。一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと、『(対立候補の)仲井真さん、弾はまだ一発残っとるがよ』と、ぶつけてやりたい」 文太のこの言葉を胸に投票所に行き、安倍自民を真っ青にさせるような一票を投じようではないか。 今週の第1位は林真理子の連載コラムに捧げる。 「一ヶ月近くたって巷でこれだけ話題になっても、どの週刊誌も一行も報じないではないか。やしき氏(やしきたかじん=筆者注)の長女がこの本によって、『名誉を傷つけられた』と提訴し、出版差し止めを要求した。が、相変わらずテレビも週刊誌も全く報道しない。私はこのこともすごい不気味さを感じるものである。この言論統制は何なんだ! 大手の芸能事務所に言われたとおりのことしかしない、テレビのワイドショーなんかとっくに見限っている。けれど週刊誌の使命は、こうしたものもきちんと報道することでしょう。ネットのことなんか信用しない、という言いわけはあたっていない。そもそも、『やしきたかじんの新妻は遺産めあてではないか』と最初に書きたてたのは週刊誌ではなかったか」 林真理子が文春の連載「夜ふけのなわとび」で怒る怒る。週刊誌が自分の役割を果たさないのはどういうこっちゃ! と真っ当に怒り狂っている。 この騒動は、百田尚樹という物書きが幻冬舎から出した『殉愛』という本についてである。 先日亡くなったやしきたかじんの闘病の日々と、彼を献身的に介護する新妻との日々を描いた“ベストセラー狙い”のお涙ちょうだいノンフィクションだ。 だが、この新妻というのが実はイタリア人と結婚していて、「重婚」の疑いがあるというのである。 また、やしきの友人でもあり彼の楽曲に詞を提供していた作詞家の及川眠子が『殉愛』の中で資料として提示されているたかじん「自筆」とされるメモの字の筆跡について、真贋を疑問視するツイートをしたのだ。 「『殉愛』の表紙に感じたすっごい違和感。なんでだろーと思っていたが、はたと気付いた。たかじんってあんな字を書いたっけ? もっと読みづらい変ちくりんな字だった記憶が・・・。病気になると筆跡まで変わっちゃうのかな?」 その上、やしきの長女が幻冬舎に対して「出版差し止めと1100万円の損害賠償を求める」訴訟を東京地裁に起こしたのである。 これに対して百田は「裁判は面白いことになると思う。虚偽と言われては、本には敢えて書かなかった資料その他を法廷に出すことになる。傍聴人がびっくりするやろうな」とツイートしたものの削除してしまった。 Web上のまとめサイトでは「百田尚樹氏はほぼ作家生命終了」とまで断定されてしまっている。 これだけ話題になっている本についての「醜聞」は週刊誌の格好のネタであるはずだ。だが、不可解なことに出版社系はどこも取り上げないのだ(『サンデー毎日』と『週刊朝日』はやしき氏の長女のインタビューなどをやっている)。 週刊現代を出している講談社は『海賊とよばれた男』が大ベストセラーになっている。週刊新潮は百田の連載が終わったばかり。タブーは他誌に比べてないはずの文春だが、林によると「近いうちに連載が始まるらしい」から、これまた書かない。 小学館の週刊ポストも、百田の連載をアテにしているのかもしれない。 私がここでも何度か言っているが、いまやメディアにとってのタブーは天皇でも創価学会でも電通でもない。作家なのである。 昔「噂の真相」という雑誌が出ていたときは、毎号作家についてのスキャンダルや批判が載っていたが、いまや作家について、それもベストセラー作家のスキャンダルを読みたくても「サイゾー」以外どこを探しても見つからない。 「私は週刊誌に言いたい。もうジャ-ナリズムなんて名乗らないほうがいい。自分のところにとって都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるであろうか」(林真理子) 私も週刊誌OBであるから、恥ずかしくて仕方ない。ネットで現場の記者や編集者は、そんな状況を打破しようとしているというコメントを見つけた。 「文春や現代、ポストの週刊誌編集部には関西生まれの記者や編集者も多く、彼らは子供の頃からたかじんの番組に慣れ親しみ、親近感を持っており、今の状況は許せないと思っている。若手記者たちは『企画を出しても通らない!』と憤っています。中には仕方なく自腹で取材に動いたり、情報収集をしはじめる記者もいます。ある版元の、ノンフィクションが得意の敏腕編集者の下には、こうした情報が続々と集まっていると聞きました。騒動の裏側が本格的に暴かれる日も近いのでは」(夕刊紙記者) これに似たようなことを私も聞いているが、どこまでやれるかはなはだ心許ない。この本の版元は見城徹という人間がやっている幻冬舎で、彼の裏には芸能界の「ドン」といわれている周防郁雄がいるそうだ。百田はベストセラー作家であり、安倍首相のお友達である。 この程度の「圧力」に屈して、この「事件」を書かないとしたら週刊誌など廃刊したほうがいい。 私は百田の『永遠の0』を30ページほど読んで捨ててしまった程度の読者である。したがって、百田の物書きとしての才能をうんぬんすることはしない。だが、「文は人なり」である。安倍首相のような人間と親しいことをひけらかし、下劣な発言をたびたび繰り返している人間のものなど読むに値するわけはない。 『殉愛』は現在市場に30万部ほど出回っているそうだが、出版関係者によれば「半分も売れれば上出来ではないのか」と言われるほど失速しているという。この件は、百田という物書きの「終わりの始まり」であること間違いないようだ。 (文=元木昌彦)「週刊文春」12/11号 中吊広告より

TENGAでお金も貯まっちゃう!

















「冒頭でこんなこと言うのもアレですけどね、短命ですよ」 千原ジュニアは新番組の第1回目のオープニングで、そう宣言した。 その番組とは、10月から日曜日夜9時枠でスタートした『オモクリ監督』(フジテレビ系)だ。もともとは、『OV監督』として深夜に放送されていたもので、千原ジュニア、劇団ひとり、バカリズムのレギュラー陣と、ゲスト数人が、「監督」として面白いVTR「オモブイ」をクリエイトするという番組だ。 一口に「面白い」と言っても、笑えるものから泣けるもの、シュールなもの、ひたすらくだらないものまで多種多様。映像も、実写ドラマからアニメ、ドキュメンタリー、バラエティとさまざま。ゲスト監督にはロバート秋山、よゐこ濱口、シソンヌじろうら芸人はもちろん、脚本家の森ハヤシ、ミュージシャンの堂島孝平、俳優の坂上忍、コラムニストの犬山紙子など、ジャンルもバラバラ。 昨今、番組制作コストに視聴率が見合わないからと、コント番組すらなかなか作られない中、「オモブイ」は1本が数分とはいえ、毎回5~6本の短編映画を作っているようなもの。ジュニアの言う通り、「短命」な予感はしてしまう。実際、深夜時代からレギュラー陣は、「予算を抑えよう」と口々にネタにしていたし、ゴールデン進出は驚きだった。 昇格を機に、新しく盛り込まれたものがいくつかある。まずは司会。抜擢されたのは、バラエティ初レギュラーとなる女優の吉田羊。ここに「安定感」ではなく「新鮮さ」を選んだところに、この番組の挑戦的な志しが見て取れる。 そして最大の強化策は、審査員長にビートたけしを起用したことだ。深夜の『OV監督』時代は、先鋭的なことをやりつつも、レギュラー陣3人の力の抜けたトークでほのぼのとした雰囲気が魅力のひとつだった。正直、たけしの加入で、そういった番組のカラーが一変してしまうのではないかという不安もあった。だが、それはまったくの取り越し苦労だった。たけしは基本的にVTRの良いところを褒め、それに加え、映画監督的視点、お笑い芸人的視点を併せ持った「俺ならこうする」という具体的で貴重なアドバイスを送るのだ。だから、嫌な緊張感はない。 たとえば自動車教習所を舞台に、教官が教室に背中から入ってくる「オモブイ」に対し、「カメラワークから言えば、あれは女の子(生徒)の側から見て、教官が立つ画にしたかった。背中からだと、最初から教官が怪しくなってしまう」とか、学校を舞台にした「オモブイ」には、「頭のカット、先生のヨリの(画の)前に教室を映す時、もう先生の声が入っても良かったかな。そうすると、その分だけ時間は短縮できた」というように。 もちろん、アドバイスだけではない。自身の映画制作時のエピソードを饒舌に語ったり、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの「二度見」演技の違いなどを実演したりと、たけし自身も楽しそう。 いまや、ビートたけしがいない『オモクリ監督』は、別の番組になってしまうのではないかと思うほど、重要な存在だ(実際、一度裏番組の関係で不在の時は、やはりどこか物足りなかった)。 また、コーナーが増えたのも変化のひとつだ。『OV監督』のゴールデン進出をスタッフから伝えられた時、バカリズムは「半年後には、ゲームコーナーやってるとか?」と困惑し、ひとりは「あり得るんじゃないの、『OVドッジボール』でしょ?」と笑ったが、今のところ、面白い歌を作る「オモウタ」や面白い一日を作る「オモデイ」などが新コーナーとして放送されている。 そのうちのひとつが、面白いテレビ番組を作る「オモバン」である。千原ジュニアが作った「オモバン」は料理番組。題して「スパイスクッキング」。料理の先生と、アシスタント役のジュニアはまず「牛肉スライス=ドアノブ」「お酒=クロックス」というふうに、食材の呼び名を抽選で決めていく。 今回の料理は「道端アンジェリカのドアノブ巻き」。「6本の道端アンジェリカを用意してます」と言って先生が取り出したのは、アスパラ。「アンジェリカの下の部分は皮も硬いので、アンジェリカの皮をむいてあげてください」と、下準備を進めていく。 「(お湯が)沸いたところに、【疎外感】(塩)を入れますね。疎外感を入れることによって、アンジェリカが色鮮やかになります」 「ドアノブでアンジェリカを巻いていくんですけど、ここで大事なのが【山本太郎の熱い思い】(片栗粉)です。これを薄く塗っていきます。これで、アンジェリカがドアノブから抜けにくくなります」 さらに【クロックス】や【水たまり】【飛車】【広島の2軍コーチ】を入れ、隠し味は【部屋とYシャツと私】。 そして「ドアノブが開くとアンジェリカが飛び出してしまいますので、注意してください」と、丁寧に焼いていく。 このシュールな「オモバン」には、たけしもくしゃくしゃに破顔し、爆笑。次回が予告通り「ボイラー技士のヌーブラ炒め」なのかどうかは別にして、何度も見たい料理番組だ。「オモバン」は、ほかにも劇団ひとりがドラマティックなクイズ番組を作ったり、やりたい放題。そんな彼らなら、仮に「OVドッジボール」を作ることになったとしても、クリエイティブでひたすら面白い“ゲームコーナー”を作ってくれるだろう。 前述のゴールデン進出を告げられたシーンでは、バカリズムや劇団ひとりが戸惑っている中、ジュニアは「いや、いいじゃないですか」と、すぐに態度を改めた。 「純度100%のバラエティ、いま日本に何本あります? その1本を日曜9時で、ねぇ?」 これは間違いなく、挑戦だ。同じような番組ばかり、などと批判を浴びるゴールデンのテレビに風穴を開けようとしている。『オモクリ監督』は、番組の新たなテレビ潮流を作ろうとしているのかもしれない。ならば、この番組を「短命」で終わらせてはいけない。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『オモクリ監督』オフィシャルサイトより







旧約聖書によると、人類最初の男(アダム)の肋骨から人類最初の女(イヴ)は作られたそうだ。旧約聖書の内容に従えば、人類の歴史はもともと何かが欠けている状態から始まっているらしい。男は今でも自分が失ったものを探すために、夜の街をうろうろほっつき歩きたがるのだろう。前作『嘆きのピエタ』(12)でカンヌ映画祭金獅子賞を受賞したキム・ギドク監督の最新作『メビウス』は、2人の男と1人の女がイス取りゲームさながら、足りない何かを奪い合う物語だ。振り切った描写を好むギドク監督は、その何かを肋骨ではなく、男根として描いている。 『メビウス』は父(チョ・ジェヒョン)、母(イ・ウヌ)、息子(ソ・ヨンジュ)の3人が暮らす一家が舞台。家族関係は冷えきっており、父は近所でコンビニを営む女と不倫している。嫉妬の炎に燃える母は、父の男根を切断しようとする。ところが父の反撃に遭い、その代案として父がもっと苦しむであろう、息子の男根を切り取ることを思いつく。まさか母に寝込みを襲われるとは夢にも思わず、眠っていた息子は新品状態の男根を母に奪い取られてしまう。血まみれの母は息子の男根を呑み込み、そのまま家を出ていった。あまりの出来事に途方に暮れる父と息子。父は息子への罪悪感から、コンビニの女と別れ、病院で自分の男根も切除してもらう。 コンビニの女が、街の不良グループに集団レイプされる事件が起きた。検挙された不良グループの中に、なぜか息子が紛れ込んでいた。父は息子が無罪であることを証明するため、刑事や不良たちが見ている前で息子のパンツを脱がす。男根を失った息子は学校でイジメられ、それを嫌って不良グループとつるむようになっていたのだ。母に股間を傷つけられただけでなく、父にプライドまでズタズタにされた息子は、警察署内で暴れ回る。結局、息子は暴行罪で収監されてしまった。母が息子の“男根”を切り取るという衝撃的なシーンから始まる『メビウス』。母と女の2役を演じ分けた主演女優イ・ウヌの怪演が強烈だ。
男根を失い、性的な快感を知ることができない絶望の中にいる息子を、どうすれば救い出すことができるか。インターネットを検索し続けた父は、あるサイトに辿り着く。そのサイトには性器以外の部位で快感が得られる方法が記載されていた。肌を石で擦り、皮膚が破けてもさらに擦り続ける。猛烈な痛みに襲われるが、その痛みの直後に形容しがたい快感が湧き上がってくるという。早速、自分の身体で試してみた父は、あまりの痛さと気持ち良さにびっくり。息子がいる収監先まで嬉々として面会に出掛け、この快感メソッドをこっそり息子に伝授する。最初はバカにしていた息子だが、独房で他にやることがない。『あしたのジョー』の矢吹丈ばりに、このメソッドにのめり込む。初めて知る快感の世界が、息子を虜にする。激しい痛みと歓びと同時に、息子は自分がこの世界で生きていることをリアルに実感できた。 こうして父と息子は新しい快感メソッドを通じて、親子の関係を修復していく。息子が出所し、男2人での平和な生活が始まった。息子を救った快感メソッドだが、やりすぎると全身が生傷だらけになるという難点がある。父はインターネットで男根の移植手術が可能なことを知り、病院に預けていた自分の男根を息子に譲ることを決意する。そんな折、あの母が帰ってきた。2人の男と1人の女は残された1本の男根をめぐって、再び修羅場を演じることになる―。 壊れた回転木馬のように、永遠に続くループ地獄を生み出したキム・ギドク監督は、作品を重ねるごとに作風がますます研ぎ澄まされたものになっている。主なキャストは3人。父役に『悪い男』(01)などキム・ギドク初期作品に主演していたチョ・ジェヒョン。息子役は撮影時15歳だったソ・ヨンジュ。2015年1月公開の廣木隆一監督作『さよなら歌舞伎町』でも見事な脱ぎっぷりを見せているイ・ウヌが、母と女の2役を巧みに演じ分けた。撮影期間はわずか5日間という早撮り。台詞はいっさいなく、男根を切り取られた際のうめき声や快感にのたうち回る歓びの声がキャストの口から漏れてくるだけ。まるで、まだ地上に言語が溢れ出す前の、神話の世界を見ているかのような気分になってくる。父(チョ・ジェヒョン)と息子(ソ・ヨンジュ)は、1本の男根を共有し合う仲に。映画史上かつてない、濃厚な父子関係が描かれる。
映画の世界で男と女が新しい家庭を築き始める物語は、一方もしくは双方が親の愛情を知らずに育ったケースが圧倒的に多い。家族愛に飢えた者たちは、試行錯誤を繰り返しながら家庭という新しい世界を創造していく。男と女はお互いの欠けている部分を補おうとすることで、そこにエネルギーが生じ、家族という名の永久機関が発動する。満たされている平穏な家族よりも、どこか欠陥を抱えた家族のほうが、アダムとイヴの末裔たちが暮らすこの世界ではより自然な状態なのかもしれない。 愛情だけでは家族はバカになる。愛情の裏返しである怒りや哀しみを織り交ぜることで、家族の結びつきはより強固なものになっていく。『メビウス』は激しい痛みの中に安らぎを見出すことができる、荘厳なるホームドラマだ。 (文=長野辰次)息子役のソ・ヨンジュが未成年であるため、息子絡みの性的描写シーンは大幅カットに。韓国では上映不可だったのが、ギリギリOKになった。
『メビウス』 製作・監督・脚本・撮影・編集/キム・ギドク 出演/チョ・ジェヒョン、ソ・ヨンジュ、イ・ウヌ 配給/武蔵野エンタテインメント R18+ 12月6日(土)より新宿シネマカリテほか全国公開 (c)2013 KIM Ki-duk Film All Rights Reserved. http://moebius-movie.jp
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