【震災3カ月】「防災対策庁舎は保存すべきか?」津波被害の宮城県南三陸町 現地レポ(3)

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震災3ヶ月目の6月11日に、防災対策庁舎の前で
黙祷をする町民たち。既に「震災の象徴としてモニュメント化して
いる」(町民)との声も多い。(クリックすると画像が大きくなります)
 3月11日の地震と津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。同町役場では地震直後、危機管理課の24歳の女性職員が、防災無線で津波到達の寸前まで避難を呼び掛け、自らは津波に流されて命を落とすという悲劇が起こった。この事実はテレビや新聞で報道され、女性職員が死の直前まで放送を続けた防災対策庁舎の"残骸"の映像が繰り返し全国へ流されることになった。
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復興が待たれる震災後3カ月を迎えた宮城県南三陸町の現状。奥右
に見える四角い建物が災害対策庁舎(クリックすると画像が大きく なります)
 震災時にはこの庁舎の3階にいて、自身も建物の手すりにしがみついて一命を取り留めたという佐藤仁町長が、「私個人としては」との前提で、「この庁舎を残すことは震災を後世へ、心に残す方法だと考えている」と、保存に前向きな発言。これを機に町民の間では、庁舎を「防災モニュメント」として残そうという動きが起こっている。一方、「見るたびにつらくなる。早く壊して」との声も少なくなく、町民の間でも保存か解体かで意見が分かれているようだ。  その庁舎は現在、赤錆びた鉄骨の骨組みだけが残り、津波で流されてきた魚網や瓦礫をまとわりつかせながら、焼け野原のように荒涼とした大地にたたずんでいる。外壁がすっかり破壊されてしまったため、外からは倒壊した什器や事務机、防災用の機械類などが見える状態だ。正面入り口には今も献花がたえず、震災3カ月後の6月11日には、何組もの町民が訪れて手を合わせ、僧侶を伴い経を唱えてもらう町民の姿も見られた。  いきおい、取材陣にとっては"象徴的な"絵が撮れる場所でもあり、6月11日にはNHKはじめ民放各社のカメラクルーが早朝から待機し、町民が献花に訪れると一斉に動きだして撮影を開始するという光景が見られた。この建物がさまざまな意味で、今回の震災を象徴する存在であることは確かなようだ。
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献花に訪れた遺族とそれを撮影する報道陣
 そんな中、震災から3カ月が経過した今、町民は庁舎の保存をどう思っているのだろうか。現地で声を拾ったところ、ある20代の男性は「年が上にいくほど残そうという声が多い。若い世代は早く解体して次へ進もうという空気が強い」(20代男性)と言い、その割合については「正確なアンケートはされてないけど、役所の友人から聞いたところでは半々くらいらしい」(40代男性)、「仲間内の話では6:4で『残すべき』が多いという印象」(40代男性)とさまざま。年代や置かれた立場により意見は分かれるが、一定数の町民が「なんらかの形で後世へ残そう」と考えていることは確かなようだ。以下は、ある男性町民の声。 「自分は55歳。南三陸町の志津川(地区)で育ったこの年代の人間は、チリ地震津波、宮城県沖地震、それに今回の震災と、大規模な津波を3回も経験している。規模の比較的小さい津波を含めたら50回、あるいはもっとだと思う。だから、若い人と比べて津波の怖さは身に染みている。過去の経験の蓄積を伝えてきたけど、それでも全然ダメだったじゃないかという悔しさはある。それだけに、津波被害を風化させないという気持ちは、どうしても若い世代より強くなると思う」  実際、議論されている防災対策庁舎は、「一般基準の125%の強度で設計されていて、自家発電装置も3階に置くなど、配慮はされていた」(町関係者)といい、さらに町では詳細な解説が付された「ハザードマップ」を全戸配布し、「過去の津波の浸水実績をもとにした避難所や避難経路、水門、防波堤などの整備を進めてきた」(同関係者)ともいう。100年に一度の巨大津波とはいえ、こうした取り組みが必ずしも十分に効果を発揮しなかったことへの悔しさが、中高年層には特に強いということなのだろうか。  もっとも、「保存派」の中にも「なにも広島の原爆ドームみたいに全部残さないでも」という意見はあるようだ。別の30代の男性は、「なんらかの形では残すべき」と言いつつ、「鉄骨の一部を高台の公園にモニュメント化して残すことで、津波の悲惨さと防災の重要性を後世へ残すという目的は果たせる。それが現実的で合理的」と提言する。  折しも、前述の亡くなった女性職員の両親が、このほど仮設住宅への入居を辞退。その理由を「仮設住宅から防災庁舎が見えてつらいから」と説明したことが現地紙で報じられた。「そういう人たちの気持ちも配慮すべき」(50代女性)と、"原爆ドーム式保存"に疑問を呈する声も少なくない。  残すべきか、壊すべきか。同じ町民でも思いはさまざまだ。同町震災復興推進課では、「あくまで震災復興基本方針に基づきながら、今後の地域懇談会などで住民の声を吸い上げて決めていきたい。具体的なことはまだ何も決まっていない」としている。 (文=浮島さとし)
報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災 この目に、焼き付けておく。 amazon_associate_logo.jpg
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【震災3カ月】被災地から上京した被災者の違和感「まだ、明日の生活も見えないよ」

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反原発運動が盛り上がる東京を、被災者はどう見ているか。
 JR東日本は、被災地復興に向けた取り組みの一環として東京~仙台間の新幹線料金の値引き率を50%に設定した「やまびこ自由席片道きっぷ」を販売。これにより所要時間が約2時間程度、価格にして5,000円で首都圏と被災地が結ばれることとなった(この切符の販売期間は6月13日まで)。  震災発生直後に比べれば飛躍的に便利に往復できるようになったため、5月の連休以降には多くの人々が被災地入りしてボランティア活動や被災地観光をすることとなった。さらに現在では、被災地から東京に来る人も増えている。  宮城県石巻市から友人に会うために東京を訪れた30代の男性Aさんは、「なんていうか、震災の爪あとのようなものは、まったく感じなかったね。東京の人たちはテレビで見ただけだから徐々に記憶が薄れていくのかもしれない。でも、実際に自分の目で見た僕たちは忘れたくても忘れられないよ」と都内では震災の影響を見出すことができなかったと話す。一方でAさんは「震災の記憶を忘れてほしくはないけど、震災だけに縛られてもね」とも語り、別段気にした素振りもなかった。  それというのも今回の上京は友達に会うだけでなく、自分自身の息抜きをすることも目的の一つなのだという。 「地元は少しずつ落ち着きが戻ってきたけど、どうしても遊ぶところがないんだよね。僕たちも震災にあう前は普通に遊んできたわけだし、我慢も限界でさ。今なら片道5,000円で東京に行けるし、とにかく楽しいことがしたかった」  交通機関が発達した現代では、仙台と東京の距離は近いものといえるだろう。Aさんの気持ちは容易に理解できる。新幹線が復旧したいま、彼らにずっと地元で待機していろとは言えない。  仙台市の沿岸部に住む40代のBさんは、東京の取引先に挨拶をするために上京した時「出会った人に宮城から来たと言うと、被害のことばかり聞かれるので、それには疲れたかな」と語る。Bさんの気疲れの原因は、被害の程度が軽かったことにあるという。自宅は若干のダメージを受けたが、津波の被害もなく家族も全員無事だったそうだ。 「みんな心配してくれるけど、私は全然苦労していないから、かえって申し訳ない気持ちになるよ。馬鹿げた考えだけど、自宅でも半壊していてくれたら話しやすかったかな......なんて思ったりするよ」  Bさんは「東京」そのものに違和感を抱くことはなかったという。そして東京と被災地の間での温度差については「東京の人は気にし過ぎじゃないかな。東京が元気であれば日本の将来に希望がもてるので、むしろ安心した」と語る。  一方でAさんやBさんのみならず、東京に来た被災地の人々が共通して語るのが「地元から出て行くときの地域の目に、必ずしも好意的でない雰囲気がある」ということだ。Bさんのように仕事ならまだしも、遊びや息抜きでの上京は口に出せない「自粛ムード」があるのだという。  被災地には家族や家、学校や仕事を失った人が数多くいる。それだけに生き残った人たちが遊ぶなど論外で「喪に服すべき」と考える人もいる。そのため地元を離れることすらはばかられる空気が立ち込めている。このことは、私も取材をしていく中で、AさんBさん以外からも複数の意見として耳にした。  さらに、被災地に暮らす人との温度差は、東京と比較した場合だけでなく、ネットの世界でも生じている。  140文字の短文を発信できるTwitterは、震災発生当初から使用されてきた。携帯電話が使えなかったために、情報やメッセージをやりとりする手段として急速に認知度を高めたツールだ。その結果、被災地と東京などのそれ以外の地域でのコミュニケーションの手段にもなり、2カ月以上が経過した現在でもその形は受け継がれている。 「Twitterでのやりとりで違和感があるのは、原発問題かな」  そう語るのは宮城県の沿岸部で被災したCさん、32歳だ。彼は避難所で暮らしている時から携帯電話でTwitterにアクセスしていた。Cさんの言う「原発問題に関する違和感」とは何なのだろうか。 「原発と地震の被害を同一視している人が意外に多くて。なかには、『地震は一回だからいいけど、原発は何年も引きずるんだよね』と、私に言ってくる人もいた。それは十分に分かっている。だけど、こっちはその一回のおかげで明日の生活が見えない。震災から3カ月たったけど、まだ何も変わってない。そんな状況を分かってないのは仕方ないと思う。だけど、わざわざ言うべきことではないと思う」  Cさんによれば、この人は特に変わった人ではないと思うとのこと。実際、その発言をした人物の普段のツイートを見てみたが、バランス感覚が悪い人だとは思えなかった。もちろん、東京などの首都圏やそれ以西に住む人間たちにとって普段の生活に戻ることは重要だ。しかし、便利になったネットツールは、我々と被災者との温度差がダイレクトに伝わってしまうことも忘れないでおきたいものだ。一方で悲惨な記憶を消し去るには、新しい記憶で上書きする方法しかない。生き残って動ける人たちのためにも震災後の間違った自粛ムードや行動を規制するような空気を払拭して、日本全体で明るい空気をつくる努力をしていく必要があるだろう。 (取材・文=丸山ゴンザレス/http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/
岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波 東日本大震災 岩手の記録 日本の"震災後"は、まだ始まったばかり。 amazon_associate_logo.jpg
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Facebook、Twitterを生み出したアメリカと、日本が抱える「ソーシャル(社会)」の大きな違い

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『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球
時代>の構想力』(講談社)
 チュニジアで起きたジャスミン革命、映画『ソーシャル・ネットワーク』の上映などで、日本でも話題を集めているFacebook。世間一般でもTwitterやFacebookといったソーシャル・ネットワークの利活用は盛り上がりをみせている。そんな中で注目度が高まっている書籍が、ソーシャル・ネットワークという存在を、アメリカの社会や歴史、はたまた工学やデザインといった多分野から考察した池田純一氏著の『ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力』(講談社現代新書)だ。今回、池田氏に本書のテーマでもある「ウェブと社会」について、あらためて話を聞く機会を得た。 ――本書のあとがきにもありますが、出版社から「ウェブと社会」というテーマで書いてほしいということで執筆されたようですが、そうした大きなテーマを扱うにあたって、まず考えたことはどういうことですか? 池田 まずは、一般によくいわれるカウンターカルチャー(1960年代から70年代に、主にアメリカ西海岸で盛り上がりをみせた、既存の体制や価値観などに対抗する文化活動の総称)が、PCやウェブを作ったとされる見方への素朴な疑問です。2つ目は、日ごろ、私たちが使っているGoogleやFacebook、Twitterはいずれもアメリカで生まれたものですが、それらが一体どのような経緯で成立したのかという話をユーザーである私たちも一度はきちんと知っておいたほうがいいと思っていたこと。そして、3つ目は、ソーシャル・ネットワークのソーシャルの意味が、日本とアメリカでどうも異なることを指しているのではないかと感じていたこと。大きくはこの3つでしょうか。 ――世間一般では、反体制的なカウンターカルチャーが、PCやウェブの発展を推し進めたということはよく言われます。 池田 そのことについて、実は以前から疑問に思っていました。まず、アメリカ人の場合、カウンターカルチャーがPCやウェブを作ったと主張する人たちは、カウンターカルチャーの愛好家であるか、あるいは、そもそもカウンターカルチャー世代であることが多いわけです。アップル社に関しては、CEOのスティーブ・ジョブズがカウンターカルチャーの影響を公言してはばからないので確かにそうなのでしょう。けれども、他の人たちはどうなのか。Google社のエリック・シュミットのようなネットワークビジネスが出自の人たちや、MIT(マサチューセッツ工科大学)を出発点とするハッカーたちと、カウンターカルチャーはダイレクトにつながるのか、疑問でした。もうひとつは、日本の場合、おそらくは同時代に起こったという理由から、カウンターカルチャー時代を全共闘時代とつなげてしまいがちなのですが、それも本当にそうなのだろうかと。1968年のパリの五月革命との連想で、68年に起きたカウンターカルチャーも同じようなものとして捉えている。しかし、60年代のアメリカは経済的にすでに豊かな時代であり、日本やフランスとは社会環境が違っていたのではないか、だから「カウンター」といっても想定される内容は実はかなり違うのではないかと感じていました。 ――確かにアメリカの60年代は、いわゆる映画で描かれるような中産階級が増えてきた時代ですね。 池田 そうなんです。ですから、PCやウェブをカウンターカルチャーが作ったと言い切ってしまうことで見えなくなることも多いのではないかと感じたわけです。カウンターカルチャーがすべての起源になってしまい、常にそこに戻って考えなければならなくなり、時に思考停止に陥ってしまう。そうするとカウンターカルチャーをかつて現在進行形で経験した世代だけが特権的な語り手になってしまい、それ以外の解釈を許さなくなる。けれども、アメリカでカウンターカルチャーを明らかに経験していない若い人たちが続々とウェブで起業している現実を見ると疑問を感じないではいられない。だから、確かにカウンターカルチャーの影響はあるのだろうけれど、それだけではない、もう少し相対化することで、むしろいい意味でカウンターカルチャーの財産を今の時代につなげることができるのではないかと考えました。 ■アメリカのウェブサービスの独自性は「街づくり」経験から ――2つ目の、我々が使っているGoogleやTwitterなどの来歴についてですが。 池田 Googleにしても、Twitterにしても、アメリカに本社があり、アメリカで開発資金を得て成長したサービスなわけですが、私たち日本人はそのことを意識することはなく、いわばフリーライドして使っている。ミクシィや楽天、Yahoo!Japanとは違う文脈で開発されたことを忘れている。でも、その仕組やサービスがどのような経緯で成立していて、どのような方向に向かおうとしているのかということぐらいは、日々のユーザーである以上、知っておいても悪くないのではないかと思いました。過去において日本とは異なるロジックで開発され、今後も引き続き、異なるロジックで開発が進められるわけですから。 ――アメリカ発のこのようなウェブサービスは独自のものが多いですが、アメリカに住んだ経験のある池田さんは、どうしてこのようなものを生み出す力がアメリカにあると思われますか? 池田 本書の6章にも書きましたがやはり、アメリカ人の場合、自分たちで街をゼロから作った経験が大きいのではないかと思います。たとえば、CityやTownなど新たに行政区域として街を作ることも、会社や法人を作ることと一緒で英語では"incorporate"と言います。"corpo"は体という意味なので、「人にする」というのが元々の意味でまさに擬人化なわけです。人に模して何かを作るという発想は共通です。街を作るのも、会社を作るのも、何かの団体や趣味の組織を作るのも、発想としては基本的には全部同じです。街はいまだに作ることができて、例えば、ある政治や宗教上の信念に基づいてコミュニティとしての街を作りたいとなれば、その土地を管轄している州の政府が認めれば、それで街ができてしまい、自治権を得ることもできる。どうも、そうしたリアルの世界でもゼロからコミュニティを作ってきた経験がウェブの中で、ビジネスに限らず、彼らアメリカ人が何か新しいことを行ってしまう理由の一つなのではないかと。ソーシャル・ネットワークがウェブの話題の中心になったところで、そのような経験や伝統の日米での違いが際立ってきているように思えます。 ――3つ目の、日本で使われているソーシャル・ネットワークのソーシャルと、アメリカで使われているソーシャルとのギャップとは? 池田 日本でソーシャルというと、主には抽象的な「社会」の理念、もしくは行政区域としての「社会」をどうするか、という話題が前提になりがちです。しかし、アメリカ人がソーシャル・ネットワークから連想するのは、第一には社交や人間関係です。ソーシャルという言葉も、見知った人たちの間でのつながりぐらいのニュアンスです。ところが、日本の場合いきなりネットワークで社会をどのように変えるか、あるいは作るか、という具合に、はじめに統治対象としての社会ありきの議論になりがちです。けれども、FacebookやTwitterのようにアメリカで生まれたソーシャル・ネットワークの場合は、人をつなげていった結果生じるネットワークの集団が、そもそも社会のようなものになるのか、それとも会社のようなものになるのかはケースバイケースです。いずれにしても、社会は目的ではなく、結果の側で捉えられるように思えます。発想が逆といいますか。 ■「ソーシャル・ネットワーク」もバズワードとして終わるのか ――そういうことは、ニューヨークで生活しているときに感じられましたか? 池田 そうですね。たとえば、何か大きな社会的事件起きるとバザーをやってお金を集めましょうということになる。実際、そのような話を熱心に行うご婦人たちの集団が隣のテーブルに陣取っていた経験をカフェでしたことがあります。ところが興味深いことに、それだけ相互扶助的な活動がボトムアップで生じる現実があるにも関わらず、アメリカではソーシャリズムという言葉は否定的に使われることが多いわけです。オバマ大統領がヘルスケア改革法案を出した時も、ソーシャリストだと言われて共和党支持者から非難されました。保守が自由を尊ぶアメリカの伝統では、言葉の上ではソーシャリズムは全体主義のイメージと結びつき、自由を損ねるものとして捉えられることが多いわけです。ですから、アメリカでは言葉としてのソーシャリズムは定着していない。しかし、ソーシャリズムという言葉を聞かないからといって、会社や政府、自治体が人々を助けることをやっていないかというと先ほどお話ししたようにそんなことはないわけです。むしろ、バザーやチャリティーを行ったり、そのための非営利法人もある。このような、言葉の流通の程度と現実とのギャップは、実際に生活してみてはじめて実感としてわかったことです。 ――今後、ソーシャル・ネットワークはどうなっていくと思われますか? 池田 いつまでウェブをソーシャル・ネットワークと言い続けるかですね。Googleが出てきた時にこれからはサーチだと言われたのと同じように、ソーシャルという言葉もバズワードとして終わるのかどうか。ただ、先進国を中心に多くの人々がネットワークにアクセスできる環境が整ってきていて、個々の社会がソーシャル・ネットワークとどう寄り添うのかという方が重要になってきています。ですから、ソーシャル・ネットワークという言葉は表向き消えるかもしれないけれども、サーチ同様、ウェブの基本機能として環境になってしまうのかもしれません。少なくともアメリカは、その方向に向かっているように感じます。 ――出版後の反響としてはいかがでしょうか? 池田 読者の立場によって、いろいろな読み方ができると思いますが、もともとはビジネスマン向けの本で、という依頼から始まったもので、実際、そのことを意識して書き進めました。ですので、「イノベーションの本ですよね」って言っていただけると非常に嬉しいですね。これから新しくものを作ろうとか、問題解決のヒントを得たいとか、いずれにしても何か新しいことを自ら試みたいと思っている人に、イノベーションの文脈で読んでいただけるのは率直に言って嬉しいです。実際、ウェブの世界でイノベーションを先導している起業や個人はアメリカに多いわけですが、おそらく、今回の震災の影響で、日本のビジネスマンも大手になればなるほど日本の外でどうビジネスを展開するかに関心が集まると思います。そのような、日本の外で何か新しいことをしようと考える人たちが、そのためにウェブとどう付き合い、どう活用していったらいいか、そのような視点で読んでいただけると嬉しいです。10年代は改めて日本の外に目を向ける時だと思います。もっとも、外に学び何でも取り入れる姿勢は日本人が昔から行ってきて得意としてきたお家芸のはずですから、むしろ原点に戻るのだと感じています。 (文=本多カツヒロ) ●池田純一(いけだ・じゅんいち) 1965年静岡県生まれ。FERMAT Inc.代表。コンサルタント、DesignThinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)。早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通にてデジタル・メディア関連のコンサルティング・政策調査研究業務に従事後、ニューヨークのコロンビア大学大学院に留学。メディア・コミュニケーション産業政策・経営を専攻。帰国後、コミュニケーション分野を専門とするFERMAT Inc.を設立。
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【6.11 SHARE FUKUSHIMA】大破したコンビニでチャリティーライブ 被災地"圏内"に響く歌声

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会場となった「セブンイレブンいわき豊間店」。
 今年もそのビーチは、多くのサーファーや海水浴客で賑わうはずだった。東北地方でも有数の美しさを誇り、「鳴き砂の浜」としても有名な豊間海岸は、3月11日に発生した東日本大震災に伴う大津波で壊滅的な被害を受け、多くの死者・行方不明者を出した。3カ月が経過した現在でも1階部分が完全に破壊された民家群がその無残な姿をさらし、田畑には乗用車やトラックが転がっている。  そんな豊間地区の海岸線から目と鼻の先で営業していた「セブンイレブンいわき豊間店」もまた、がれきに埋もれた建物のひとつだった。店内に流れ込んだ木材や土砂や自動車が撤去されると、ひしゃげた鉄骨と天井だけが残っていた。  過日、同店の店長・金成伸一は、被災地取材に訪れたジャーナリスト・津田大介に、こんな話をしたのだという。 「つらいことはたくさんあるけど、ここで楽しいことをたくさんやって、楽しいことでつらいことを上書きしたい」  その思いが、ちょうど3カ月目の6月11日に、チャリティーライブ「SHARE FUKUSHIMA」という形で結実した。 ■ボランティアツアーは即日完売  「SHARE FUKUSHIMA」の参加告知が行われたのは、開催のわずか2週間前。早朝に東京をたち、正午を挟んで被災地見学、がれき撤去やゴミ拾いなどのボランティア活動を行い、午後2時30分から約2時間のライブに参加し、夕刻に現地をたって東京に戻るというスケジュールのバスツアーは、たった1日で定員の84席を埋めてしまった。1万円のツアー参加費全額と義援金を合わせた100万円が、募金団体などを通さず直接いわき市豊間地区に寄付された。  「SHARE FUKUSHIMA」をプロデュースした津田大介は、こう語っている。 「ボランティアをやりたい人、こっち(被災地)でライブをやりたいと思っているミュージシャンはたくさんいる。ただ、まじめな人ほど、そういうものに二の足を踏んでしまうんです。そういう二の足を踏んでいる人の背中を押して、しかもそれが具体的な復興につながるようなことがやりたかった」
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 そんな津田の思いに共鳴したのが、音楽家・渋谷慶一郎とシンガーソングライター・七尾旅人。それに、いわき市在住のアーティスト・YDMだった。  5月9日に移動販売車による営業を再開した「セブンイレブンいわき豊間店」。むき出しになったフロアには不釣り合いなグランドピアノが運び込まれ、アンプセットやネット中継用の機材が次々に設置されると、簡易ステージが出来上がった。朝から降り続いた雨は上がったが、吹き抜けた海からの風には、ほんの少し腐敗臭が混じっていた。 「これから最高のライブが始まりますが、大きな地震が起きたら、このイベントをやめます。やめて逃げます。津波が来たら、あっちに高台があるので、あそこに逃げようということも決まっています。トラブルが起きたら、一緒に逃げましょう」  開演を心待ちにする参加者を前に津田がそうあいさつして、「SHARE FUKUSHIMA」は幕を開けた。 ■3カ月目の「2時46分」、捧げられる黙とう  2時30分、渋谷と七尾による即興演奏から、ステージは始まった。渋谷のピアノに乗せて、七尾が言葉を、歌声を散りばめてゆく。やがて音楽が豊間の浜を包み込んだころ、渋谷のピアノがやみ、津田があらかじめ予定されていた一言をつぶやく。 「黙とう──」  2時46分だった。アーティスト、参加者、スタッフ、地元の方々、「SHARE FUKUSHIMA」に集まった100人以上の誰もが目を閉じ、1分間の沈黙を捧げた。あの日、すべてを奪い去っていった猛烈な津波の水面は、いま我々がいる場所の、はるか頭上にあったのだ。  長い長い1分間の黙とうの後、再び音楽は奏でられた。まずは渋谷がピアノソロを披露。まるで十指で語り掛けるようなその調べの合間を縫うように、地元のアーティスト・YDMがステージをカラフルなテープで彩っていった。最後に渋谷が「七尾の声をイメージして作った」という曲を演奏し、再び七尾とのセッションが始まる。 ■被災地で歌う、ということ  七尾は震災後、精力的にチャリティーイベントなどでライブを行っているアーティストの1人だ。福島にも何度も足を運んでおり、その際いろいろな人と出会って生まれたのが、福島第一原発事故の影響で警戒区域となっている地域のことを歌った「圏内の歌」という楽曲だという。
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七尾旅人氏。
「こういう場所で歌うことに、どれほどの意義があるのか分からない。いま、歌が意味を持つということはものすごく難しくて、津田さんが音楽イベントをやりたいって言ったときに僕も慎重になってしまって、どういう形だったらいいのかということをものすごく考えた。それでもやっぱり歌いたい曲もできてきて、この歌もそのひとつ。福島で歌うのは2回目です」  一言ひとこと、七尾はかみしめるように参加者に語り掛けると、ゆっくりとギターの弦を弾いた。 「子どもたちだけでも/どこか遠くへ逃がしたい/どこか遠くへ逃がしたい/離れられない小さなまち」  福島第一原発から50km圏内で奏でられたそのストレートなメッセージは、「SHARE FUKUSHIMA」スタッフによるUstream中継と、5名の中継班を現地に派遣した「ニコニコ生放送」によって、リアルタイムで数万人の視聴者に届けられた。  終演後、津田の紹介で、今回のライブの発端となった「セブンイレブンいわき豊間店」の店長・金成がステージに立った。「そんなに大した男じゃないよ」と照れ笑いを浮かべながらも、金成は参加者への感謝の言葉とともに、現地の苦しい状況と決意を打ち明けた。 「津波だけじゃなく、地震も、原発の問題もあって、地域のきずながズタズタになってしまったところもある。だけど、行政に頼るだけじゃなく、自分たちでこういうことを『やってみっぺ』と、何か始めてみたいと思った。そういう小さなことが、そのうち、大きな渦になっていくんじゃないかと。世の中には、いつも目の前に迷いがある。その中で、楽しい道を選んでいく。自分が夢中になれることに、夢中になっていく。そうすれば、道は開ける......っぺ!」 ■「やってみたら、できちゃうもの」  搬出されるグランドピアノを見送りながら、「イベントのプロデュースなんてまったく初めてだった」という津田に話を聞いた。 「東京から連れてきた人たちに、被災地の現状を何の後ろめたさもなく見てもらって、それを持ち帰ってもらう。かつ、被災地のためになることをやってもらって、ライブを見て幸せな気持ちで帰ってもらうというパッケージを考えるまでは、すごく大変だった。でも、(七尾)旅人くんと渋谷くんがすごく共鳴してくれていたし、やれば絶対面白いイベントになるというのは分かりきっていた」
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渋谷慶一郎氏。
 参加した人、ネットで見ていた人には、この体験を「SHARE」してほしいと津田は語った。それが「SHARE FUKUSHIMA」の目的だった、と。  準備期間はたった2週間。グランドピアノの手配が整ったのは、わずか2日前だったという。演出スタッフとしてUstream中継を担当した編集者・伊藤ガビンは「回線がつながったのは開演の10分前。まったく、津田組はいいかげんでどうしようもないよ」と大口を開けて笑い、津田も「ガビンさんに言われたくないよ! でも、やってみたらできちゃうもの。信頼関係もあったしね」と今日一番の笑顔を見せた。  震災以降、Twitterをはじめとしてジャーナリスト・津田大介の存在感は日増しに大きくなってゆく。野暮と知りつつ、ずっと津田に聞きたかったことを聞いてみた。その猛烈なモチベーションは、いったいどこから来るものなのか、と。 「ソーシャルメディアの情報というのは可能性があるものなんだよっていうことを説いてきた立場だったので、最初はそれをどれだけ示せるかっていうのを自分で見極めたい気持ちもあった。正直な話、もっと役に立たないと思っていたけれど、思っていたよりも役に立ったな、というのが震災直後に見えてきた中で、じゃあこれから先、復興というところで、もっとソーシャルメディアの役割って大きくなるんじゃないかなって、ずっと感じていて。その中でひとつ具体例を作るというか、その積み重ねが大事だと思っているので、これが唯一の正解ではないけれど、ひとつのものとして面白いケースがつくれたんじゃないかなと」  確かに津田はこの日、土曜日の昼間に約100人の若者をボランティアとして被災地に連れ出し、100万円を現地に置いてきた。しかも、かかわった誰もが満足する形で、それを達成した。  その思いを、行動を、もっと多くの人が「SHARE」できたら──。  6月11日現在、東日本ではいまだ10万人近くが避難所で暮らし、罹災によって仕事や生活の目処が立たない方々はその何倍にも上るだろう。実際、ライブ後に立ち寄ったいわき市の久ノ浜地区では、2カ月前に訪れたままに(http://www.cyzo.com/2011/04/post_7045.html)、がれきの山が手付かずで残っていた。収束の兆しさえ見えない原発事故による被曝への恐怖は、静かに、しかし確実に東日本全体に広がりつつある。  それでも。  あの日の午後2時46分で止まった時計の針が、また少しずつ回り始めていることだけは間違いないはずだ。 (文中敬称略/取材・文=編集部) ●SHARE FUKUSHIMA <http://www.asaho.net/share-fukushima/>
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【震災3カ月】「津波の恐怖は一生忘れない」津波被害の岩手県・陸前高田市 現地レポ(2)

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眼下を走る国道とは約8mの高低差があるが、津波は「すぐ足元まできた」。
かつて家屋が建ち並んでいた場所には今、スクラップになった自動車が積まれている。
 岩手県陸前高田市に住む秋山博一さん(仮名・46歳)は、3月11日の大震災以降、4月11日、5月11日という"節目"に、当時を思い出して不安感に襲われたという。 「夢に見るとかいう話はよく聞くけど、自分の場合は昼間、普通に生活をしていて急に不安になったりした」  精神科医の香山リカ氏は、震災から1カ月が経過したころ、こうした心理状態について毎日新聞の連載「ココロの万華鏡」で次のように書いている。 「1カ月前のあの日のことが生々しく思い出され、恐怖、悲しみが再び襲ってきた、という人もいるのではないだろうか(中略)。大きなできごとから1週間、1カ月、1年など節目節目のときに、感情が激しく揺れてしまう。これは、精神医学の世界で『記念日反応』と呼ばれる現象で、それ自体は異常でも病気でもない」  「記念日反応」とは一般にPTSDにおける反応のひとつとされ、家族や大切に思っている友人の命日などに気持ちが大きく落ち込んでしまうような現象を指す。秋山さんの症状がそれに相当するかは断定できないが、震災後の4月11日や5月11日の前後に、こうした心理状態に陥ったという声は、ブログやTwitterを介して多くの国民が吐露しているところだ。
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今回の震災では6つの「道の駅」が被害を受
けたが、国交省によれば「壊滅状態(再開困難)
が4つあり、陸前高田市の「高田松原」はその
1つに含まれている。
 こうした中、3回目の"節目"である6月11日を迎えた秋山さんは、数日前からやはり似たような不安感に包まれているという。  津波のトラウマに悩む秋山さんの自宅は、かなりの高台にある。眼下を走る国道との高低差は約7~8メートル、海岸線からの距離も3キロ以上はある。にもかかわらず、津波は「すぐそこまで来た。あの恐怖は忘れない、もうダメだと思った」。  見晴らしのいい場所として"自慢"だった家。しかし、そこから見えた"その時"の光景は、音をたててうねり、濁り、猛り狂う波だった。あり得ない光景を目の当たりにしながら、秋山さんは自分の頭がおかしくなったかと真剣に思ったという。  幸いにも波は家屋まではギリギリ届かず、家族も全員が無事だったという秋山さんは、津波が引いた後は地元の消防団OBとして復旧作業を手伝った。かつて自分も通った小学校の体育館には大量の遺体が毎日運ばれ、その中に知った顔を見つけるたびに涙を流す日が続いた。 「若く経験値が低い団員も多く、連日死体を見てふさぎ込むようになったやつもいた。人間っていうのは思った以上に弱い。この3カ月はみんな本当に必死だった」  宮城県気仙沼市に職場があった秋山さんだが、この震災の影響でその会社も休業状態。当面の収入が絶たれたことで厳しい生活を余儀なくされている。 「まぁ、それでも借金がなくてよかった。それだけで生きていけると思える。もっとも、貯金もほとんどないけど(笑)」  震災以降の時間は、その時の精神状態によって「やっと3カ月」とも、「もう3カ月」とも感じられる。いずれにせよ、これからの3カ月もそうして時間が過ぎていくのだろうと考えている。秋山さんが言う。 「津波の恐怖もどうせ一生忘れることができないだろうし、これからもその思いを持ちながら我々は生きていくしかないと、最近ようやく覚悟を持てるようになった。なにより、家族の命が助かっただけで十分と思わないと」 (文=浮島さとし)
心に傷をうけた人の心のケア こちらも早急に対応願います。 amazon_associate_logo.jpg
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「受け身が怖い、攻防の展開を記憶できない……」元力士のプロレス転向を阻む高い壁

「やってみたかったけど、あきらめました......」  男は大きな体を小さく丸めてため息をついた。彼は、少し前までは"関取"と呼ばれていた。八百長騒動で引退を余儀なくされた元力士の1人なのである。  断念したのはプロレスラーへの転向だ。八百長騒動で名前が挙がる前から「もしかしたら自分も処分されるかもしれない」とは思っていたそうだが、騒動の渦中にあるプロレス団体の元力士レスラーから誘われて「思い切ってやってみよう」とその気になっていたのだという。 「プロレスがあるから相撲はやめてもいいやと最初は開き直っていたんですよ」  プロレスにはそれまでまったく興味がなかったという元力士だが、実際にはプロレス転向は思っていたほど甘くなかったという。 「道場に呼んでもらって、とりあえず基本的な練習をしてみろということになりました。受け身とロープワークができれば、ある程度は何とかなるからって言われて......」  身を丸くして横転するのは相撲のぶつかり稽古でも長年やってきた基礎で難なくこなせたというが、難しかったのはラリアットなどをやられたときにそのまま背後に倒れる後ろ受け身だった。 「立った状態から後ろに倒れるのが何回やっても怖いんです。それで、つい尻もちのように倒れてしまって。柔らかいマットを敷いてもやっぱり同じで」  さらに、そこから立ち上がる動作も苦手だったという。 「プロレスは起き上がる向きとかも決まっていて、右から! と言われても左から起き上がってしまったり、素早くサッと起き上がれず、また尻もちをついたり......。自分は相撲以外の運動神経がないのかもしれません」  その後、ロープに跳ね返る反復練習をしたが、これも背中に激痛が走って断念した。 「指導してくれた若いプロレスラーには、試合になったら10分とか20分とか攻防の展開を全部記憶してその通りにやらなくてはいけないって言われて、そういうのを記憶するのも無理だと思いました」  その後、他の引退力士と一緒にプロレス観戦したが、実際の試合を見て「こんなものオレにはできない」とあらためて認識。団体側には断念することを伝えたのだという。 「その後、ある格闘技の団体から"テキトーに負けてもらっていいから一度だけ出てくれ。練習しなくてもいいから"なんて誘いがありましたが、みっともない見せ物に使われるのは嫌なので」(元力士)  結局、いまだ次の仕事が見つかっていないという元力士。インタビューを終え少ない謝礼を受け取ったときにはつい「ごっちゃんです」と言ってしまい笑ったが、自転車に乗って去る後ろ姿には悲哀が漂っていた。 (文=木場田)
「週刊ポスト」は大相撲八百長をこう報じてきた ふむふむ。 amazon_associate_logo.jpg
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「秋葉原事件」とは何だったのか 気鋭の言論人が追った加藤智大の横顔

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北海道大学公共政策大学院准教授・
中島岳志氏。
 2008年6月8日12時30分ごろ、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生した。歩行者天国にトラックで突っ込み、ダガーナイフで通行人を切りつけるという残忍なこの事件によって死者7人、負傷者10人という被害者が出た。  その規模の大きさだけでなく、加害者である加藤智大にまつわる「非正規雇用」「ネット掲示板」といったキーワードがセンセーショナルにメディアを騒がせたこの事件。果たして、彼はどうしてこのような事件を起こすまでに追い込まれていったのか? そして、このような事件が引き起こされてしまう現代とは、どのような時代なのだろうか? これまで論壇誌などで数々の社会的な事件について寄稿し、今年3月にノンフィクション『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を上梓した北海道大学公共政策大学院准教授・中島岳志氏にお話を伺った。 ――秋葉原事件について中島さんは、事件発生当初からどのように動かれていたんでしょうか? 「事件直後からさまざまな取材の依頼が来たんですが、そのほとんどを断っていました。加藤の全貌が把握できず、語ることができなかったんです。裁判が始まり、実際に彼自身の言葉が語られるようになったのが昨夏ごろ。それから裁判に出席したり、加藤の出身地である青森に足を運んだり、彼の友人に話を聞いたりと本書のための取材を開始しました」 ――裁判で見る被告の姿はいかがでしたか? 「小柄でびっくりしましたね。いつも同じスーツを着ているんですが、スーツに着せられているように感じました。線が細くて小柄な彼の体は、あの事件の大きさととても結び付きにくかった。また、裁判中はピクリとも動かず、感情の動きが外からは見えにくい人だなと感じましたね」 ――本書では、加藤被告の精神構造を「ネタ化」「ベタ化」といった言葉で分析されています。 「彼が言っていることを整理すると、『建前』『本音』『本心』はどれも違うと主張している点がポイントです。現実の世界は、彼にとっては『建前』の関係で、本当のことなんて言えない世界です。一方、ネットは彼にとっては『本音』の世界でした。ただし『本音』と『本心』は異なります。例えば、彼は『ゲーセンでイチャついているカップルに火をつけたい』といった内容を掲示板に書き込んでいるんですが、これは『本音』だけど『本心』ではありません。本当に火をつけたいわけじゃないけど『うっとうしい』という気持ちはあるんです。その気持ちを『ネタ』にしているのが書き込みなんです。そして、その皮肉を分かってくれる人とベタな『友達』になりたかった」 ――加藤被告としては、あくまで「本音」のレベルでの関係を求めていたんでしょうか。 「そうだと思います。ネットで知り合った人に、彼は自分の悩みを相談していました。そういう関係性を具体的に結びたいと思っていたんでしょうね。『ネタ』を繰り出せるのが自分の才能だと思っていたから、その『ネタ』を面白がってくれる人は彼にとって自分の才能を認めてくれる人だったんです。その承認を得た上で『ベタ』な悩みを共有でき、手を取り合える関係を望んでいたんです」 ――この事件は、当初から非正規雇用の問題が語られていました。中島さんも以前非正規雇用者として働いていたそうですが、この労働形態についても問題を感じますか? 「僕は31歳まで一種の非正規で、不安定な就労形態だったんですが、僕の場合はそんなに過酷な仕事ではありませんでした。ただその不安はよく分かりますね。非正規雇用のつらさは代替可能性の問題です。『あなたでなくても別の誰かを雇ったらいい』という関係でしか扱われないんです」 ――「自分でなくてもいい」という事実は、仕事のやる気も失わせますね。 「非正規労働者には『自分がいないと社会が回らない』『自分は重要な仕事をしている』といったアイデンティティーが初めから失われています。いつでも付け替え可能で便利な他者として扱われているんですね。これは人間としてキツいことです。自分の居場所と言えるようなものがないんです」 ――仕事場だけでなく、家庭や友人関係の中にも、加藤被告はそのような居場所を持ち得なかった。 「けれども、それを持ち得た瞬間はあったんです。加藤にも真剣に向き合って話をしてくれた他者がいました。青森で加藤と一緒に仕事をしていた藤川さん(仮名)という人物がそうです。彼は加藤に『なに勘違いしてんだ!』と怒鳴り、しっかりと向き合ってくれた人でした。藤川さん以外にも、そうやって向き合ってくれた人が彼の人生には何人か現れます。加藤はそれらの人たちに本音を吐露し、涙を流すことがあったんですが、最終的には向き合うことができなかった」 ■加藤智大に届く言葉とは? ――本書では藤川さんの発したような「言葉」の重要性にも言及されていますね。 「加藤のような人間にも届く言葉があると思うんです。彼が事件直前に派遣先で暴れた後に、掲示板に書き込んだのがBUMP OF CHICKENの『ギルド』の歌詞でした。バンプの曲が彼の根源的なところに届いたんですね。加藤のような人が何十万人といる社会に、どんな言葉を投げ掛けられるのか? 加藤を通じて自分と向き合いたいというのが本書の狙いのひとつでした」 ――インターネット上に限らず、言葉は社会にあふれています。どうしてそれらの言葉は加藤被告には届かないのでしょうか? 「例えばネット上で『死ね』と言っても、加藤にとっては何の意味もありません。裁判中にピクリとも動かない彼が反応した言葉は、ある被害者からの『一つでもいいから世の中のためにいいことをしてください』というものでした。定型句ではなく、『なんとかあなたのことを理解したいから、あなたは自分と向き合ってほしい』という言葉に加藤は反応しました」 ――「自分の言葉」でしっかりと向き合えば、加藤被告はそれに対して向き合うことができた。 「『自己責任』などの定型句が飛び交う世の中で、本当に他者に届く言葉を僕たちは発しているのでしょうか? 一瞬でも真剣に自分と向き合ってくれた言葉に加藤は動かされたんです」 ――一方、加藤被告の発した「誰でも良かった」という言葉を中島さんはどのように受け止めますか? 「逆に言うと、殺したい人は特定の誰かではなかったんです。ただ本当に誰でもいいわけではありません。彼は『秋葉原』という場所を選んでいますよね。彼の価値観における世界の中心は秋葉原であり、秋葉原で事件を起こすということに意義があったんです。職場である静岡では意味がなかったんですね」 ――お話を伺っていると、この事件はあらためて現代を象徴するようなものだったと感じます。 「加藤の暴力は他者に向かったから注目されましたが、その暴力が『自分』に向かうことで引き起こされるのが、毎年3万人以上の自殺者です。現代の日本社会は自殺と他殺が背中合わせなんだと思います」 ――本書では、1995年のオウム事件以降続く、世の中の「分かりやすさブーム」への警鐘も鳴らしています。この「分かりやすさ」とはどういった種類のものでしょうか? 「分かりやすいことはもちろん重要だと思っているんです。けれども、現代では『分かりやすさ=単純化』と勘違いされています。以前、NHKの歴史番組『その時歴史が動いた』のリサーチャーをやっていたんですが、そこで感じたのが分かりやすさという名の単純化でした。そもそも『その時』に歴史なんて動かないんですよ。それなのに、さまざまな枝葉を切り、単一の原因に帰結させていってしまう。そもそも人間や世の中は合理的ではないし、複雑なものだと思うんです。それを丁寧に説明していくのが『分かりやすさ』ではないでしょうか。世の中は『○か×か』という結論に持っていきがちですよね。これはヤバいのではないかと思っています」 ――確かに、メディアは物事を単純化して報道をしてしまいがちですね 「もっと重層的に考えなきゃならないんです。すごく短い時間で『秋葉原事件はこういう事件だった』という結論のような言説が生み出されてしまう。さらに、それで分からなければ、理解しようとする手だてすら放棄して『モンスター』と言い出すんです。さまざまなものを丁寧に見ようとしない時代になってしまったんじゃないでしょうか」 ----―最後に、中島さんとして、全国にいる「加藤のような人」に対して、どんな言葉を投げ掛けられますか? 「もちろん一言で言えないからこんな長い本を書いたので、簡単なものではありません。ただ、ギリギリ言えることは自分を考えるためにこの『秋葉原事件』を読んでほしいですね。加藤が事件を起こすまでのプロセスを経ることで、自分はどう感じることができるのかという問いを持ってほしいです」 (取材・文・写真=萩原雄太[かもめマシーン] ●なかじま・たけし 1975年、大阪府出身。99年、大阪外国語大学外国語学部卒、2004年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程修了。現在、北海道大学公共政策大学院准教授。学術博士(地域研究)。専門は南アジア地域研究、日本思想史。05年、『中村屋のボース』(白水社)で大佛次郎論壇賞を受賞。10年より朝日新聞書評委員を務める。
秋葉原事件―加藤智大の軌跡 定価1,470円/朝日新聞出版刊 amazon_associate_logo.jpg
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【震災3カ月】「昨日もここで遺体が出た」津波被害の岩手県・陸前高田市 現地レポ(1)

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瓦礫撤去が進む陸前高田市の市街地。通りすがりの住民が「なんに
もない街になっちゃったね」とつぶやいた。
(クリックすると画像を拡大表示します)
 日本全土に甚大な被害をもたらした東日本大震災から3カ月が経過した。100年に一度といわれる大地震と津波、度重なる原子力発電所の爆発と核燃料の漏洩。かつて経験したことのない悲劇から立ち上がろうと、この間、日本はもがき苦しみながら闘ってきた。  津波で市街地全域が押し流され、死者1,465名、行方不明者738名(消防庁資料/5月10日現在)の被害者を出した岩手県陸前高田市では、今日も瓦礫の撤去作業が粛々と進められていた。同市高田松原で撤去作業を見守っていた建設会社の男性は「昨日もここで遺体が一人出た。もうこの時期なんで、本人が特定できたかどうか......」と顔を曇らせた。 「3カ月も経ってまだこんな状態かと思えるでしょう。せっかく自衛隊が撤去の救援にきてるのに、民業の圧迫をしないようにという配慮もあって、早めに切り上げたりしている。彼らも忸怩たるものがあると思う。民間業者の仕事を守るとか言ってる場合じゃないんだけどね。もっとも、これでも『撤去』は進んでるほう。問題は『処理』。瓦礫は山になって溜まってく一方だね」  そう言って男性が指差す「仮置き場」には、木材や金属、コンクリート、自動車のスクラップなどに"分別"された瓦礫がうず高く積み上げられ、時折突風で吹き飛ばされては四方に飛び散っている。その間を縫うように何十台ものダンプが連なって走る光景が、「ここ3カ月ずっと続いてる」と男性は言う。
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瓦礫の「仮置き場」に集められた自動車スクラップ
「作業員の中には地元の人間がたくさんいるし、家族や親戚が流されたという奴らも多い。みんな、黙々と作業をしてるけど、あと3カ月後にどうなってるとか、年末にはこの街がどこまで立ち上がっているとか、具体的にイメージできてる人間はいないと思う」
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かつて千昌男が経営していたこともある海沿いのホテル。周囲の瓦
礫撤去が粛々と進む中、ここだけは時間が3カ月前から止まったままだ。
 一方で、仮設住宅の設置は「ここ1~2カ月でだいぶ進んだようだ」と男性は言う。自身の親戚や友人の多くも、既に入居を済ませて避難所生活から「ようやく脱却できた」のだそうだ。  住民にとって最も重要な生活基盤といえる仮設住宅については、災害救助法に基づく国の予算で設営が進められており、一戸当たりの広さは約30平米(2DK、2~3人用)。陸前高田市によれば、「10日現在で1,450戸の入居が完了している」という。以下は同市建設課。
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陸前高田市高田町長砂地区に新設
された仮設住宅
「市の最終的な計画は2,210戸。建設完了が7月上旬から中旬と県から報告を受けているので、電化製品などの搬入までを含めても、7月末にはすべての希望者が入居できると考えています」  一方で、入居者には厳しい現実もつきつけられている。これまで国が行ってきた食料配給が11日から避難所住民だけに限定され、仮設住宅入居者は配給が打ち切られた。これについては厚労省が次のように説明する。 「国では災害救助法にもとづいて仮設住宅や食料、水などの提供を行っていますが、これらはあくまで避難所などで緊急避難的な生活を強いられている方々を対象としています。『仮設』とはいえ、水や電気のライフラインが確保された住居で生活をされている方は、自力で食糧調達ができるとの解釈のもと、自己負担での生活をしていただくよう、ご理解をお願いをしているところです」(援護局災害救助・救援対策室)  実際に仮設住宅で生活をしている数人から聞いたところ、「たしかに理屈では理解できる。甘えてばかりもいられない」(40代男性)と多くが理解を示す一方、「もちろんぜいたくは言えないけど、現実に現金が流されてしまったので、自己負担といわれても......」(30代女性)ととまどう声も聞かれた。  ともあれ、地域住民がこうした自治体からの支援で「なんとか今日という一日を生き延びている」(入居者の一人)という中、政府は内閣不信任案を巡るドタバタで遅れていた「復興基本法案」を、この10日に遅まきながら衆議院で通過させた。「復興庁」創設など、日本の復興へ向けた基本理念を定めた法案で、今後は参議院での審議を経て17日には成立する見通しだ。  もっとも、省庁設置のためには、さらに設置法案をも国会で成立させる必要があり、これについてはまだ「年内には成案を得たい」(枝野官房長官)との段階。さらに、法案の内容も曖昧な部分が多く、与野党の間でも権限の位置づけについて激しい綱引きが続いている。待ったなしでの事態収束が求められる中、今の日本に政局争いをしている余裕は残されていないだろう。 (文=浮島さとし)
報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災 まだこの国は、災害のなかにいる。 amazon_associate_logo.jpg
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今度は自民党内で"谷垣降ろし"!? 大連立で初の女性首相狙い、小池百合子氏擁立の動き

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『小池百合子の華麗なる挑戦』
(河出書房新社)
「大連立に向けて、自民党内に"谷垣降ろし"を画策する動きがある。連立政権で首相の座を射止めるため、それにふさわしい自民党総裁に首をすげ替えておこうというもくろみのようだ」  大手紙の政治部記者から、本誌の元にこんな情報がもたらされた。6月2日の菅直人首相の辞任表明以降、急浮上した「大連立政権構想」をめぐって、与党内でさまざまな思惑が錯綜していることは日々報道されているが、野党・自民党にとっても「連立を組んで政権入りするなら、いっそのこと首相のイスを頂戴したい」というひそかな狙いがあるらしい。 「不信任案を提出しておきながら否決されるという大失態を犯した谷垣禎一に、首相のイスはふさわしくない。そこで、国民ウケする人物をここで担ぎ出そうという魂胆。その人物とは、小池百合子。初の女性首相誕生になるかもしれない」(前出記者)  小池氏は、言わずと知れた自民党三役の一角、総務会長に女性として初めて就任したやり手だ。自民党政権時代には防衛大臣などを歴任し、見栄えする華麗な装いとは裏腹の豪胆な保守政治家の顔を持つ。辞任を表明した菅首相が舌の根も乾かぬうちに翻意したと騒がれると、「菅さんも謎の鳥の一羽になったかな。またサギが出てきた」と気の利くコメントをマイクにつぶやき、ニュース番組で繰り返し放映された。まさに、元ニュースキャスターの面目躍如といったところ。国民ウケするのもうなずけよう。  この小池氏、最近は、民主党の松原仁氏や公明党の坂口力氏らと一緒に、被災した東北地方を念頭に置いた「道州制懇話会」の発起人に名を連ねている。150人を数える超党派の集まりと言われ、民主党内に食い込もうとする小池氏の並々ならぬ意気込みが感じられるという。  ところで、読者の中には、第2党の自民党が首相のイスを狙うなどおこがましいのでは、と首をかしげる向きもあろう。 「自民党は全く逆のパターンを1990年代に経験済み。当時、野党ながら第1党勢力だった自民党は、小沢さんたちがつくった連立与党を切り崩すため社会党を引き込み、『自民・社会・新党さきがけ』の3党連立政権を樹立したことがあった。この時、社会党を迎え入れる条件として、村山富市党首を首相に擁立するというウルトラCをやってのけた。今度は、その逆パターンを自民党は望んでいるわけだ」(前出記者)  小池氏を担ごうとしているのは自民党の中堅・若手で、政策通の石破茂政調会長とともに連立内閣に送り出したいとの声が高まりつつある。「谷垣総裁」のまま連立政権入りしても、民主党勢力に埋没してしまい、来る総選挙には不利になるという考えのようだ。もっともな理屈だが、谷垣氏を支持するもう1つの党内勢力が壁となっているらしい。 「もはや亡霊と化していた森喜朗元首相をはじめとした古参議員が反対している。というのも、小池さんは日本新党を皮切りにいくつもの政党を経て自民党入りした『政界渡り鳥』。やはり自民党を一度出て行ったことのある石破さん同様、『自民党をステップアップの手段にしか考えていない』などと警戒の的になっている。かくいう古参議員たちも、鳩山由紀夫・邦夫兄弟の仲立ちによって、民主党の小沢一郎さんと大連立を組もうと画策しているのだから、正直、訳が分からなくなってくる」(前出記者)  こうしてみると、「大連立構想」とはある意味、民主・自民双方にとって世代間闘争のような意味合いを帯びてくるようだ。明日の日本を切り開くためにも、ここは避けて通れない通過地点なのかもしれない。
小池百合子の華麗なる挑戦 新しい時代の幕開け? amazon_associate_logo.jpg
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全国的に盛り上がる「6.11脱原発アクション」前夜 警察の規制も強化か

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4月10日に行なわれた、高円寺の
デモの様子。
 原発に反対する行動「6.11脱原発アクション」が、今週末に実施される。6月8日現在で、予定されているアクションは全国41都道府県以上で、少なくとも140のイベントが確認されており、その数はさらに増える様子だ。それらアクションは11日および12日に行われ、内容は公道でのデモ行進をはじめとして、講演会、公開学習会、映画上映、パネルディスカッション、チャリティーライブ、写真展、バスツアーなどさまざまである。  ほかにも多種多様なイベントが予定されている。例えば被災地のひとつ福島県いわき市でもジャーナリスト津田大介氏のプロデュースで、渋谷慶一郎と七尾旅人が現地出身のアーティストYDMと即興のライブを行うイベントが催されるとのことだ。  3月11日の震災以後、東京電力本店ビル前での行動「東電前アクション」は継続的に行われており、4月10日の高円寺デモには1万5,000人が集まり、続いて行われた5月7日の渋谷デモにも1万人以上が参加するなど、当初からは想像もつかないような盛り上がりを見せている。  一方、デモに対する規制や取り締まりを懸念する声もある。渋谷で行われた「原発やめろデモ」で合計4名の逮捕者が出たことは、すでにインターネットなどでも流れてよく知られているが、うち2名はすぐに釈放、残る2名は勾留が延長された(※編集部註:2名も18日と27日に釈放)。5月17日に東京地裁で行われた2名の勾留理由開示公判では、傍聴人の中に公安担当とおぼしき私服警官の姿が見られた。また、弁護士が何度も質問したにもかかわらず、裁判官は「釈明の必要を認めません」と取り合わないなど、疑問に感じる場面が幾度かあった。これらに対して法廷内が騒然となると、傍聴人2名が強制的に退廷させられ、公判終了まで別室に収容させられるなどの事態が生じた。  今後の反原発・脱原発のアクションに対して、警察が大量の人員を投入してくるであろうことは十分に予想できよう。ただし、その効果については想定しきれない部分が少なくない。複数のジャーナリストや労働組合関係者は、「(今回の一連のデモは)一般市民の参加が圧倒的に多い。活動家や労組を相手にしてきた警察は、大量のデモ参加者に対してこれまで蓄積したノウハウが通用せずに戸惑うのではないか」と言う。  一方、警察の動きに警戒する意見も当然のことながら少なくない。 「警察は軟弱な行動しかできない。だから、予想外の行為に出る危険性もあるでしょう」  そう話すのは、警察関係に詳しいジャーナリストの寺澤有氏だ。  警察はマニュアル通りの対応しかできないだろうが、活動家でも何でもない一般市民が相手では、強硬な態度に出ることには躊躇するだろう。それだけに、いざイレギュラーな事態になったら、どうしていいのか分からなくなる可能性がある。 「我慢できなくなった警官が、『威嚇的な実力行使』に出る可能性はありますね。でも、そうなったらオシマイでしょう」(寺澤氏)  寺澤氏は「47都道府県で同時にデモが起きたら、警察といえど対処は困難ではないか」と指摘する。そして実際、それが6月11日に実現する可能性が高くなっている。  果たして、6月11日と12日がどのような日になるのか、予想もつかない。だが、その日が目前に迫っていることだけは確かである。 (文=橋本玉泉)
原発社会からの離脱 社会は変えられる。 amazon_associate_logo.jpg
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