
島田裕巳氏。
■前編はこちらから
オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談。第2回は、日本で最も有名な宗教学者といっていい、「島田裕巳」という存在をテーマに語り合ったパートをお届けする。
島田氏は、地下鉄サリン事件当時、オウム真理教を擁護しているとしてマスコミからバッシングを受けた。日刊スポーツには「島田氏がオウム真理教から幹部用の教団名、ホーリーネームを授かっており、学生をオウムに勧誘した」などと報道される。その他一部でも、島田氏はオウム擁護派のレッテルを貼られ、最終的には勤めていた大学を辞職するまで追い込まれた。その後、日刊スポーツの報道については、名誉毀損による賠償請求を提訴し、全面勝訴している。今回は、そんな過去を持つ島田氏に対して、大田氏があらためてオウム真理教との関係について問う。
大田 今日は島田さんと話ができる貴重な機会なので、やはり島田さんとオウムとの関係について、立ち入った話を伺いたいと思います。先ほどの話にも出ましたが、島田さんとオウムの関係というのは、実は直接的な1対1の関係ではありませんでした。島田さんとオウムの周囲には、その他の複数の要因というものがあって、それらの要因との関係によって、どちらかというと島田さんは、オウム擁護派という立場を「取らざるを得なくなった」という側面があるのではないでしょうか。私が考える限り、4つの要因があります。1つ目は、幸福の科学との関係。2つ目がヤマギシ会。3つ目が、著書『葬式は,
要らない』(幻冬舎)でも反復されている既成仏教批判。4つ目が、われわれ東大宗教学研究室の先人に当たる、柳川啓一(宗教学者。日本宗教学会元会長。東京大学の教授時代に島田氏や中沢新一氏などを指導。1990年没)という人物の問題です。この4つが関係していると思います。
――それぞれについて、具体的に説明してもらえますか。
大田 1つ目の、幸福の科学の問題ですが、島田さんが宗教学者として言論活動を始められたのは1990年前後です。そして91年に『いま宗教に何が起こっているのか』(講談社)という著作を発表し、その中で島田さんは、「幸福の科学は実体のないバブル宗教である」という、かなり苛烈な幸福の科学批判を行っている。さらに、米本和広さんとの共著『大川隆法の霊言』(JICC出版局)では、「大川隆法と幸福の科学の会員たちは、宗教的なイニシエーションを果たしていない子どもの集まりだ」という、批判というよりは攻撃とも受け取れる論調を展開しました。これによって島田さんは、幸福の科学から激しい抗議活動を受けるようになる。90年前後の当時、幸福の科学とオウム真理教はライバル関係にあると目されていました。そしてその文脈において、幸福の科学と対立しているということから、「島田はオウム派だ」という構図ができてしまった。
――2つ目のヤマギシ会との問題とは?
大田 島田さんは学生時代に、ヤマギシ会に参画していました。ヤマギシ会というのは、簡単に言うと、私財をすべて供出して参加する農業ユートピア団体です。島田さんは7カ月でヤマギシ会から脱退しているのですが、その経験自体については、自分が大人になるための契機になった、自分にとってのイニシエーションになったと、肯定的に捉えている。その経緯は、93年に発表された『イニシエーションとしての宗教学』(筑摩書房)という著作に書かれています。そして、ヤマギシ会に対するこうした捉え方が、オウムに対する肯定的評価につながっていったのではないかと、私は考えています。島田さんは90年、熊本県の波野村にあった「シャンバラ精舎」というオウム真理教のコミューンを視察されている。そこは多数のプレハブが林立する特異な施設だったのですが、島田さんはそこで、「これはヤマギシに似ている、しかもヤマギシより立派に活動している。現実世界を捨ててこういうコミューンに身を捧げる人の気持ちが、私にはよくわかる」と、シャンバラ精舎の存在を肯定的に捉えたところがある。
――3つ目の既成仏教批判とは?
大田 島田さんの近著『葬式は、要らない』はベストセラーになり、そこで初めて、島田さんの既成仏教批判は広く知られるようになりました。しかし、島田さんが既成仏教批判を始めたのはかなり以前からのことで、91年の『戒名』(法藏館)という本で戒名批判を開始し、92年の『仏教は何をしてくれるのか』(講談社)という著作の中では、かなり攻撃的な論調で既成仏教を批判している。そこで島田さんは、本来の仏教とは関係がない葬儀料や戒名料を取って寺院経営を成り立たせている日本の仏教は、腐敗・堕落しているのではないかという論旨を展開しています。それでは本来の仏教とは何かというと、それは修行をして悟りを開くことである。そしてその点からすると、オウムという団体は、日本の既成仏教よりは本来の仏教を実践していると見なされることになった。こうした論理が、オウムへの肯定的評価につながっていったわけです。確かにオウムは、「葬式をしない宗教」でした。しかし、その結果どうなったか。オウムは、人間の死とは単なるトランスフォームであるとする「ポワ」の教義を作り上げ、死の現実性を否定してしまった。そしてその教義こそが、数々の殺害行為や死体遺棄を後押ししたのです。91年に島田さんは、麻原彰晃と気象大学で対談しています(『自己を超えて神となれ!』(オウム出版)に、「現代における宗教の存在意義」という題名で収録)。その中で島田さんは、ヤマギシ会の経験からオウムのコミューンを評価し、さらには、幸福の科学や既成仏教に対する批判において、麻原と意見が一致してしまう。そして『朝生』の内容にも触れ、麻原が自ら番組に出演したことで「オウム真理教がおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざしていたことが理解されたのではないでしょうか」と発言しています。これでは、「オウム擁護」と見なされても仕方がないと言わざるを得ない。私はこのように理解していますが、島田さんはどうお考えですか?
島田 そういうことだと思います。私をどうとらえるかによると思いますが、途中でおっしゃったように、私が考えてやろうとしていることと、その時のオウムがやろうとしていたことが重なり合う部分はありました。私がいて、麻原がいて、というだけではなく、もっとたくさんのものがあり、そうした中で意見が一致するということはあった。ただ、今の話、そして『オウム真理教の精神史』でもいくつかの点で疑問に思うところがあります。
――疑問というのは?
島田 あの頃のヤマギシ会にかかわっている人は、だいたいが学生なんです。全財産を出してという感覚を持って入会した人はいないし、みんないい加減に働き、飲んでばかりいたので、オウムとヤマギシ会を比べたのがいけないのかもしれない。そういうところから見ると、波野村のオウムのシャンバラ精舎は立派に見えた。それとヤマギシ会はそんなに全体主義的ではない。確かに子どもに対する虐待は起こりました。それは事実ですが、全体主義的組織としてとらえるとまったく違うものです。大田さんは非常にまじめで論理的に物事を追い詰めていくけれど、それぞれの教団が掲げる思想ありきで現実を当てはめようとすると、現実と乖離することがある。私がオウムと意見が一致したというのは、ある意味でオウムをつくり出した根源的なこと、そういうものが宗教学に根があるのは否定できないと思う。たとえば、原始仏教や修行の実践に対する関心といった、宗教学の枠組みがひとつの方向性をつくった。そういうものを利用することにより、オウムがひとつのシステムをつくり上げたということでいうと、宗教学はオウムの何人かいる"生みの親"のひとりであることは間違いない。
――島田さんは具体的にはどのくらいから、オウムとのかかわりを持ったのでしょうか?
島田 具体的なかかわりでいえば、92年以降、ほとんど私はオウムとかかわりがない。95年以降批判されたが、その種になったのは91年の半年くらいの間の短い接触の中での出来事なんです。その中で、オウム擁護と言われた。意見が一致していたと言われれば、今の既成仏教の在り方や社会に対する批判、そういうところで一致していたかもしれない。じゃあ、それが短絡的に、オウムがサリンを撒いたことも含めて擁護していたと理解している人がいるかもしれないが、決してそういうことではない。オウムの側から見ても、擁護してくれる人というより、意見が合う人がいるな、ということだったと思う。それは中沢新一やほかの知識人に対してもそうでしょう。
大田 あらためて文献を読み返すと、最初に島田さんが幸福の科学を批判したことが、きわめて唐突だったようにも思われるのですが。
島田 私が最初に幸福の科学について言及したのは、講談社が出していた「月刊現代」という雑誌の中で、山田太一さんがホストを務める連載があり、そこに私が呼ばれた時。そこで私はオウムと幸福の科学の話をしました。そこでした幸福の科学への批判に編集者が興味を持ち、「月刊現代」誌上で幸福の科学への批判を書きました。その記事というのは、当時の日本社会というものを幸福の科学が象徴しているのではないかという角度から、日本社会への批判として書いたものです。そこで、当時、「講談社対幸福の科学」という「FRIDAY」をめぐる争い(1991年に講談社が発行する「FRIDAY」や「週刊現代」などが幸福の科学批判の記事を掲載、同教団会員が講談社に激しい抗議を展開し、訴訟にまで発展した)が起き、その中に巻き込まれた。『朝生』でもやり合いましたが、幸福の科学には元創価学会の原理主義的な人たちがいて、その人たちとの論争になった。
■宗教学の大家が勧めた「潜り込み調査」とは?
大田 最後に4つ目の問題として、東大宗教学の柳川啓一先生について質問したいことがあります。これまで話してきたように、島田さんの「オウム擁護」と一般に言われている立場は、実は「直接的な関係」というより、多分に「間接的な共鳴」であったわけです。ではその共鳴は、なぜ起きたのか。キーになるのは、「イニシエーション」という概念です。かつて柳川先生がおっしゃっていたのは、「宗教の中心にあるのはイニシエーションである」ということです。イニシエーション(通過儀礼)について簡単に説明すると、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することにより、子どもから脱して大人になることができるということです。そういうイニシエーションという儀礼が宗教の中核にあるということを、島田さんは柳川先生から学んだ。実際に当時の宗教学研究室では、本を読んで理論や歴史を学んでいるだけではダメで、イニシエーションを直接体験しなければならないということから、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけ、そこに「潜り込み」調査をするということが行われていた。文化人類学の参与観察に似てはいるのですが、それよりさらに大胆に、自ら信者になって体験するということが行われていた。そして、島田さんはヤマギシ会へ、中沢新一さんはチベット密教の世界に潜り込んだ。このように、東大宗教学とオウムの間に共鳴が起こったのは、両方とも「宗教の中核にはイニシエーションがある」と考えていたことに大きな要因があるのではないかと思います。だからこそ、宗教の中心はイニシエーションである、すなわち、聖なるものを直接体験することであるという考え方を乗り越え、そうした捉え方がどういう問題を引き起こしてしまったのかという反省を行わない限り、宗教学としてのオウム総括は完了しないのではないか、と私は思うのです。ところが、島田さんの『私の宗教入門』(筑摩書房、『イニシエーションとしての宗教学』の増補版)を読むと、「オウムに関与して自分はバッシングを受けたが、そういう過酷な体験こそが、自分にとってイニシエーションになった」と書かれている。それは、アレフという形でオウムに残っている信者たちが、地下鉄サリン事件は麻原から与えられたマハームドラー(チベット密教に伝わる修行法のひとつ)、すなわち、グルが弟子たちに与えた大いなる謎であり、聖なる試練であるという捉え方をして、いまだにオウムの論理から抜け出せないのと同型であるように思われます。島田さんは、イニシエーション論を反省的に乗り越えるべきではないでしょうか。
島田 ひとつ重要なポイントは、イニシエーション、聖なるものを体験することを、東大宗教学の人間が目的にしていたかというとそうではないと思う。宗教というものは一般には聖なるものと思われているかもしれませんが、むしろ逆で、俗なるものにより成り立っていると思う。また、柳川先生がトータルにイニシエーション論者かというとそうでもない。そのことは本人に直接聞いたことがある。実際に、現場の中に飛び込んで宗教を体験するというやり方は、柳川先生の中でうまく理論化できなかった。むしろ、それを本格的にやったのは中沢新一じゃないかな。でも、そうした潜り込みという方法は、今では倫理的にも道徳的にも許されないのが現実だと思います。
(後編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子)
●しまだ・ひろみ
1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。
●おおた・としひろ
1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
「02社会」タグアーカイブ
「Yahoo!ニュース」が"コメント荒らし"撲滅に大ナタ! 過去にさかのぼってID全表示へ

※イメージ画像
Yahoo!JAPANが運営する「Yahoo!ニュース」は19日、各記事のコメント欄について2月中に表示形式を変更する予定だと発表。日本最大のポータルサイトが、いよいよユーザーの"コメント荒らし"行為に大ナタを振るうことになった。
現在、記事に付けられているコメントの投稿者名は、Yahoo! JAPAN ID(以下、ID)を「aaa*****」と一部伏字にした形で表示されているが、変更後は投稿者がID取得時に「Yahoo!プロフィール」で設定した「表示名+一部伏字ID」という形で表示し、その投稿者のコメントを一覧表示する画面では、IDの伏字を外してすべての文字を表示させることになるという。
「Yahoo!ニュース」はこの変更について、「よりいっそう、責任をもってコメントを投稿していただくための変更」としており、「過去に投稿したコメントに対しても、同様に表示されます」としている。
「『Yahoo!ニュース』のコメント欄は、記事によっては荒らしコメントや宣伝コメントで埋め尽くされ、"無法地帯"ともいえる状況でした。Yahoo!側もついに耐えかねて......ということでしょうが、今回の変更はかなりの英断だと思いますよ。この変更でIDが全表示になるということは、その投稿者の『Yahoo!オークション』取引履歴や『Yahoo!メール』の情報が開示されることとほぼ同義ですからね。過去のコメントもさかのぼって表示されるとなると、今ごろ青ざめている投稿者も少なくないのでは......」(ネット関連雑誌記者)
昨今、一部では「2chより荒れている」ともいわれてきた「Yahoo!ニュース」のコメント欄。この表示変更でどれだけの"荒らし"抑制効果があるのか、注目が集まる。
【※編集部より】
当記事掲載後の20日夜、Yahoo!ニュースは投稿者名表示の変更について一部訂正を行いました。Yahoo!JAPAN IDの全表示については見直しが行われたようです。詳細は以下のリンクよりご確認ください。
●コメント機能の投稿者名(Yahoo! JAPAN ID)の表示に関するお知らせ(1月20日)
<http://headlines.yahoo.co.jp/cm/guide/howto>
「Yahoo!ニュース」が"コメント荒らし"撲滅に大ナタ! 過去にさかのぼってID全表示へ

※イメージ画像
Yahoo!JAPANが運営する「Yahoo!ニュース」は19日、各記事のコメント欄について2月中に表示形式を変更する予定だと発表。日本最大のポータルサイトが、いよいよユーザーの"コメント荒らし"行為に大ナタを振るうことになった。
現在、記事に付けられているコメントの投稿者名は、Yahoo! JAPAN ID(以下、ID)を「aaa*****」と一部伏字にした形で表示されているが、変更後は投稿者がID取得時に「Yahoo!プロフィール」で設定した「表示名+一部伏字ID」という形で表示し、その投稿者のコメントを一覧表示する画面では、IDの伏字を外してすべての文字を表示させることになるという。
「Yahoo!ニュース」はこの変更について、「よりいっそう、責任をもってコメントを投稿していただくための変更」としており、「過去に投稿したコメントに対しても、同様に表示されます」としている。
「『Yahoo!ニュース』のコメント欄は、記事によっては荒らしコメントや宣伝コメントで埋め尽くされ、"無法地帯"ともいえる状況でした。Yahoo!側もついに耐えかねて......ということでしょうが、今回の変更はかなりの英断だと思いますよ。この変更でIDが全表示になるということは、その投稿者の『Yahoo!オークション』取引履歴や『Yahoo!メール』の情報が開示されることとほぼ同義ですからね。過去のコメントもさかのぼって表示されるとなると、今ごろ青ざめている投稿者も少なくないのでは......」(ネット関連雑誌記者)
昨今、一部では「2chより荒れている」ともいわれてきた「Yahoo!ニュース」のコメント欄。この表示変更でどれだけの"荒らし"抑制効果があるのか、注目が集まる。
【※編集部より】
当記事掲載後の20日夜、Yahoo!ニュースは投稿者名表示の変更について一部訂正を行いました。Yahoo!JAPAN IDの全表示については見直しが行われたようです。詳細は以下のリンクよりご確認ください。
●コメント機能の投稿者名(Yahoo! JAPAN ID)の表示に関するお知らせ(1月20日)
<http://headlines.yahoo.co.jp/cm/guide/howto>
オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。
世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。
――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は?
大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。
――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか?
大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。
――島田さんは裁判が終結して率直な感想は?
島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。
大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか?
島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。
■とんねるずとも共演した、麻原という男
――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか?
島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。
――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。
島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。
――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。
島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。
大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。
――では、オウム事件から学び取れることというのは?
島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。
――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。
大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。
(中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子)
●しまだ・ひろみ
1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。
●おおた・としひろ
1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。
世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。
――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は?
大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。
――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか?
大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。
――島田さんは裁判が終結して率直な感想は?
島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。
大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか?
島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。
■とんねるずとも共演した、麻原という男
――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか?
島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。
――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。
島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。
――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。
島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。
大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。
――では、オウム事件から学び取れることというのは?
島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。
――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。
大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。
(中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子)
●しまだ・ひろみ
1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。
●おおた・としひろ
1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
【シリーズ・震災遺体(上)】釜石市、市長たちが語る遺体安置所の光景

「東日本大震災では政策ばかりが議論される。しかし大切なのは、犠牲になられたご遺体にどう接して、どう尊厳を守るかということだった。そして、それをやってくれていたのが、遺体安置所で働いていた地元の人たちだった」(岩手県釜石市、野田武則市長)
東日本大震災で岩手県釜石市は約1,100人の死者・行方不明者を出した。昨年10月には同市の遺体安置所を舞台にしたノンフィクション『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)が発売。現在九刷のベストセラーとなっているが、その発売を記念して、仮設商店街にある「復興ハウス」で講演会が行われた。
講演会では、野田市長をはじめ、遺体安置所での仕事にかかわった人々が登壇。当時の遺体安置所でくり広げられていた光景について語った。
市長によれば、遺体安置所の設置が決まったのは、3月11日の震災直後だった。津波が町を襲った後、警察関係者が被災した市役所にいた野田市長(当時58歳)のもとへ駆けつけた。
「膨大な数の遺体が出る可能性がある。すぐに遺体安置所を設置したい」
すぐにそれに応じ、5年前に廃校になっていた釜石第二中学校の体育館を遺体安置所にすることに決めた。野田市長は当時の思いを次のように語った。
「波が去った後、町はがれきの山になり、そこにご遺体がバラバラと転がっている状態でした。あっちで2体見つかった、こっちで4体見つかったと次から次に報告が来るのです。一体どれだけの犠牲者数になるか想像もつきませんでした。私としては、がれきの中にあるご遺体の尊厳を守りたいという一心で遺体安置所をいち早くつくったのです」
町で見つかった遺体は、報告があった順から体育館の床に並べられた。棺もなく、毛布にくるまれた状態のままだった。
翌朝の明け方には、岩手県警のチームが到着。9時からは地元の開業医や歯科医が遺体安置所に集結し、停電で明かりすらつかない冷たい体育館内で、死体検案、歯型確認、身元確認作業が行われた。
当時、遺体安置所にいた関係者は、犠牲者数がまさか1,100人にのぼるとは想像もしていなかった。大半の者たちが津波によって沿岸への道が行き止まりになっていたため、わずか3キロ先の被災地まで行けず、何が起きていたのかわからなかったのだ。
だが、この日の朝に秋田県から入った陸上自衛隊が被災地で次々と遺体を発見する。瓦礫をどかす度に、次々と遺体が出てくるのだ。また、地元住民からも「倒壊した家に知らない人の遺体がある」とか「うちの父の遺体が車の中にある」という通報が入った。
急遽、これらの町で発見された遺体を遺体安置所へ運ぶ班が必要となった。
釜石市で遺体搬送を行うことになったのは市の職員だった。遺体安置所の管理や遺体の搬送は自治体の責任で行われていたため、働くのは市の職員になる。
その一人、松岡公浩(当時46歳)は教育委員会に属する生涯学習スポーツ課の職員だった。13日の朝、課長から呼び出され突然辞令を出された。そしてわけもわからぬままダンプカーを運転して被災地へ赴いた。
そこで目にしたのは、空き地に並べられた遺体の山だった。毛布をめくると、松岡の知り合いが冷たくなって横たわっていた。お腹の大きな妊婦もいた。母子ともに津波に飲まれてしまったのだ。
松岡は語る。
「初めは愕然としました。しかし、犠牲者を泥だらけのまま、ここに放置しておくわけにいきません。なんとか家族のもとへ返してあげたい。そういう思いで、3体ずつダンプカーの荷台に載せて遺体安置所へ運びました。しかし、次から次に運ばなくてはならない遺体は増えてくる。一体いつになれば終わるのかという思いでした」
一方、遺体安置所では急ピッチで死体検案や身元確認作業が行われていた。
この時、70歳になる一人の男性が遺体安置所を訪れる。千葉淳だ。彼は民生委員として避難者の支援を行っていたが、膨大な犠牲者が運ばれていると聞いて遺体安置所に駆けつけたのだ。
そこで目にしたのは、体育館の床に隙間もなく並べられた遺体だった。どの遺体も死後硬直し、助けを求めるように手が曲がっていたり、苦しそうに口を開けていたりしていた。家族がこれを見たらどう思うだろうか。
千葉は3年前まで地元の葬儀社で働いていた。自分ならば、遺体の尊厳を守り、家族に引き渡してあげられる。
そう決心すると無償のボランティアとして遺体安置所の管理人をすることになった。
千葉が行ったのは冷たくなった遺体に声をかけることだった。生きていた時と同じように声をかければ死者は尊厳を取り戻す。
毎朝5時半に遺体安置所へ行くと、千葉は一体ずつドライアイスを取り換えながら声をかけた。
「昨日は寒かったね、ごめんね。でも、今日こそ家族が見つけに来てくれるからね。それまできれいでいるために少しだけ辛抱してね」
昼になると、少しずつ家族がやってくるようになる。行方不明の肉親が運ばれてきていないかどうか捜しに来るのだ。家族は次々と肉親が遺体となって横たわっているのを発見する。あちらこちらで嗚咽する声が響く。
ある親は毎日のように安置所にやってきて、生後54日の赤ちゃんの遺体の前で泣いていた。津波に飲み込まれた際、手を離したばかりに赤ちゃんだけ波に飲まれてしまったのだ。親は遺体の前で泣きながらくり返し謝っていた。
「ごめんね。死なせてしまってごめんね」と。
悔やんでも悔やみきれなかったのだろう。そんな時、千葉はそっと傍に寄り添い、こう語りかけた。
「坊やは、ママやパパが助けようとしてくれたことを感謝しているもんな。恨んでなんかいないもんな。天国からありがとうって言ってるもんな」
この言葉によって、遺された両親はどれだけ救われただろう。
千葉は、このように遺体や遺族に語りかけつづけた。死化粧をしたり、死後硬直をほどいたりしながら声をかけたこともあった。そのようなことのつみ重ねでしか、遺族の心を和らげることはできないことを知っていたからだ。
震災発生から約2カ月間、被災地の遺体安置所ではこうした光景が絶え間なくくり広げられていたのである。
2012年、1月14日に仮設商店街の「復興ハウス」で行われた講演会では、野田市長、遺体搬送班の松岡、民生委員の千葉などが次々と登壇。2時間にわたって、当時遺体安置所で起きていたことを生の言葉で語った。
千葉は涙にむせびながら当時をふり返り、松岡は奥歯をかみしめてうつむいていた。生後54日の赤ちゃんを失った夫婦も客席にすわり、涙を流していた。
その前で、野田市長は次のように話した。
「ああいう状況下では、行政にできることは限られています。遺族や犠牲者の尊厳を守ることまで手が回らなくなってしまうのです。また、ルールとしてできることも限られています。しかし、今回の震災では遺体安置所にかかわった一人一人の〈思い〉が足りない部分を補い、傷ついた遺族を支えました。こうした〈思い〉こそが、被災地の復興において非常に大切なことになってくるのです」
あと1カ月強で、被災地は一周年を迎えようとしている。だが、今でも月に何体も遺体が見つかっている。それをささえているのが、地元の人たちの一人一人の〈思い〉なのである。
現在、野田市長は仮設住宅などのインフラを整える一方で、ことある度に遺体安置所の光景が書かれた『遺体――震災、津波の果てに』を読むように勧めているという。先日は岩手県知事にも勧めた。
被害者の心の復興のために必要な〈思い〉を考えてほしいからだという。
テレビや新聞は、遺体の尊厳ということに、ずっと目をつぶりつづけていた。
しかし、被災地では一年が経ち、尊厳についてもう一度考え直そうという動きが生まれつつある。
被災地以外の地域に暮らす人々も、今だからこそ改めてそのことについて考えていかなければならない。
「こんな店は存在しないほうがいい!?」放射能測定ショップ「ベクミル」を直撃!

300万円のドイツ製放射能測定器による水道水の検査結果。
食品に含まれる放射線量を測定することができる放射能測定器レンタルスペース「ベクミル」が昨年10月、千葉県柏市にオープンした。市民が気軽に放射線量を測定できる店舗として、開店時は15台ものテレビカメラが並ぶほど、大々的にマスコミに報道された。12月には上野店もオープン。人々が放射能に怯えるご時世、開店から3カ月を経てさぞ儲かっているんだろう......と思いきや、意外にも「全然儲かっていません。赤字です」と語るのは代表の高松素弘氏。「当店で使用しているドイツ製の放射能測定機器は1台300万円。現在のところ3,000検体あまりを調査していますが、1検体の価格は測定機器によって980円と3980円の2種類です。正直、まだまだ人件費が捻出できるくらいですね......」
■放射能測定は行政が行うべき
放射能の測定にはおよそ数万円の費用がかかる検査機関も多くある。放射能測定の価格破壊ともいえるこの料金設定が、そもそも赤字の原因だった。
「ほぼボランティアのつもりで運営しているので、利益はあまり考えていません。そもそも、火事場で儲けるようなことは、あまり人として好ましくないと思っています」

千葉県柏市のベクミル店内。
ドイツ製の検査機器が並ぶ。
高松氏は柏市でIT系企業を営んでいる。もともと原子力に精通していたわけでも、市民活動家として熱心に社会運動に関わっていたわけでもなかった。震災前は、一介の経営者だった。
「震災に直面し、小さい子どもがいるので、『家族を守らなくては』という思いから、直後にAmazonでガイガーカウンターを購入したんです。計測してみると、異常に高い値を示しました。3月15日のことです。そこで、検出数値をUSTREAMで中継したら、世界中の人がこのチャンネルを視聴していて驚きました」
もう一台のガイガーカウンターを駆使して、市内のあらゆる場所を測定しはじめた高松氏。しばらくすると、その関心は外部被曝だけでなく、内部被曝にも移行した。そこで、車を買い換えるための貯金を崩し、放射能測定器を購入。片っ端から食品のセシウム含有量を計測したという。この知見を活かし、自身の経営するシステム会社の向かいにオープンしたのがベクミルだ。
意外にも、店舗を開設すると当初見込んでいた小さい子ども連れの母親ではなく、高齢者の利用が断トツで多かった。

(1)検体の重さを量る。
(2)検体を機器にセットし、
20分待つ。
(3)コメの検査結果。左が
セシウムの含有量。
右は人体に無害なカリウム
の含有量
「お客さんの平均年齢は60歳くらいですね。柏という土地柄か、家庭菜園でつくった野菜や、土を測定される方が多いんです。『孫に食べさせたい』といって、米や野菜などを持ち込んでくるんです。セシウムが検出されずにほっと胸を撫で下ろす人もいますし、もちろんそうではない人もいます」
しかし「本来ならばこういったサービスは行政が行うべきだと思います。こういった店舗があることがおかしいんです」と憤りを隠せない高松氏。
「昨年6月に、市民団体から柏市でも放射線量測定器を購入してほしいという請願が出されていたものの、認められませんでした。そもそも議員の誰も、シーベルトとベクレルの違いすら知りません。放射能測定器を導入するという意味が分からなかったんだと思います」
このような状況から、あくまで行政が動き出すまでの「過渡期」のサービスとしてベクミルを開店。
「対応が後手に回る行政を批判しているだけでは、内部被曝から子どもを守ることはできません。あくまで過渡期のサービスなので、行政による測定環境がしっかりと整う時期が来れば現在の営業スタイルは終わりになるかもしれません」
■セシウムも"忘年"された?
ものは試しにと、筆者の住む江東区の水道水と新潟産の米を持ち込んで測定したところ、放射性セシウムの値は0.0Bq。日常的に放射線を意識しながら生活を送っているわけではないものの、検査の結果、安全が証明されると、やはり気持ちはほっとする。
「当店としてはお客様が持ち込まれた食品の放射線量を公表することはありません。どの食品がヤバイというためのサービスではなく、あくまでも、市民に安心してもらうためのサービスなんです」

ベクミル代表の高松氏。
しかし、昨年末あたりから店舗にはある変化が見られているという。
「クリスマス前から、だんだん利用客が減少して、年をまたぐとそれまでの4割程度の客数になっています。セシウムも忘年会とともに忘れ去られてしまったようですね......」
もちろん、年をまたいだところでセシウムの危険性が消えるわけではない。
今年1月からは、高松氏は個人的に食品の放射線量測定データベース「ベクまる」(http://bq-maru.com/)を公表。こちらは、閲覧者からのリクエストに応じて、全国流通している加工食品を無料で測定、その検査結果をHP上で公開するというサービスだ。
なぜそこまでする必要があるのか。高松氏のその使命感の理由とはいったい何なのか?
「自分でもよく分からないんですが、きっと震災で目覚めてしまったんじゃないでしょうか(笑)。まあ、赤字にならない程度にやっていければと思っていたんですが、営業スタイルを変えていかないと赤字で終わりそうですね」
言葉とは裏腹に、高松氏の表情はどこか晴れやかだ。
原発事故から10カ月。ようやく消費者庁が放射能測定器の150台導入を行い、各自治体で無料検査ができるようになった。そのおかげで、千葉県我孫子市や茨城県取手市では無料で測定が可能となったものの、機器が一台しか導入されていないことから予約待ちの状況が続いているという。柏市でもようやく導入の検討が本格化されてきたものの、放射能という新しい問題に対して、行政の対応はやはり後手に回るばかりだという。「過渡期」のサービス、ベクミルがその役割を終えるのには、まだまだ時間がかかるだろう。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
●ベクミル
ドイツ製の機器を使用した放射能測定器レンタルスペース。利用者が自身の手で機器を操作し、食品や土壌などの放射性セシウム含有量を計測することができる。2011年10月、千葉県柏市にオープンしたのに続き、12月には上野にも2号店をオープン。料金は、機器によって、1検体980円と3980円の2種類。
<http://bq-center.com/bqmil/>
「意外にも親日家が多い!?」緊張感高まるイラン、黒いベールにつつまれた国を歩く(後編)

イランの大多数が支持するイスラームシーア派の聖地
マシュハド、ハラム(ハラメ・モタッハル広場)。
■前編はこちらから
イランでは、イスラームを国教としている。そのため、当然ながら国民全員が信仰深いムスリム(イスラム教徒)と思われがちだが、そんなことはない。信仰の深さは、人によって驚くほどバラバラだ。
例えば、イスラーム・シーア派にとって、メッカに次ぐともいわれる聖地"マシュハド"。この街の中心には、宗教施設の複合体、ハラメ・モタッハル広場(ハラメ)があり、イラン国内はもとより、国外からも信者が集う。イランではもっとも宗教的な場所で、当然ながら、信仰心の深い人が多い。
彼らの一番のお目当ては、ムハンマドの後継者のひとり、エマーム・レザーの聖墓。エマーム・レザーとは、816年にシーア派を弾圧していたアッバース朝のカリフ・マアムーン(スンナ派)が突然、彼を後継者に任命。バクダッドの反対派の鎮定に向かい、その途上で亡くなった人物なのだそうだが、正直なところ、日本人にはさっぱり馴染みがない。

エマーム・レザー聖墓の様子。
現地の人によれば、彼の名をつぶやき祈りを捧げると、歩けなかった人が歩けるようになり、盲目だった人の目が見えるようになったという伝説があり、人気があるそうだ。
その聖墓は「黄金のドーム」の下にあるのだが、足を踏み入れた瞬間、その熱気に圧倒された。縦2メートル、横5メートル、高さ3メートルぐらいの大きさの聖墓の周りには、人、人、人。真ん中に仕切りがあり、男女分かれているのだが、なぜか女性は男性よりもずっと興奮していて大パニック状態。まるでバーゲンセール会場だ。押し合いへし合いの末、倒れこむ人までいる。これが信仰の場か。

ハラム内で祈る女性ムスリム。この後ろに100列以上並んでいる。
エマーム・レザーのありがたみはよく分からないが、聖墓の中がどうなっているのか確かめたい。その一心で、7、8重ぐらいになっている人の層をかきわけ、前へ進もうとするが、最前列の人は祈りを捧げていて延々と動かないし、やっと動いたと思いきや、周囲のおばさんたちがものすごい力でその人物を外へ追い出し、空いたスペースへ10人ぐらいが一斉に入ろうとする。30分ぐらいもみくちゃにされ、あと1メートルというところまで詰めたが、前列から人が出る波に押され、くるくるくるーっと転がされ、気付けばかやの外。
だが、いったん離れ遠くから見ていると、必死で聖墓に触ろうとする人の中には、涙する人たちもいて、これは、私なんかが貴重な1人分の場所を取るべきではなかったのだ。反省し、その場を去った。
聖地に信仰心の深い人が多いのは当然だが、その他の場所では、どうなのか。
これが、正直なところ、帰国するまでいろんな人と接してみたが、よく分からなかった。
「スカーフなんて嫌いっ!」と言っていた若い女の子でも、私が神の存在は信じていない、と言うと、ちょっと悲しそうな顔をしてみたり、部屋の中でやたらと露出していた女子大生は、「アッラー(神)はね、寛大で、やさしくて、美しいの♪」などと、うっとりとしたような表情で説明したりして、服装の規則はイヤだけど、神の存在は信じている子は結構いる。

マホメッドの後継者(イマーム)の殉教記念日の様子。みんな大泣き。
かと思えば、とあるイケメン30代男性は、「僕はアッラーの存在は信じていないよ。信じていることは、今の自分の生活と、自然だけさ」など神の存在を始めから否定するかのうような、びっくり発言を聞く時もある。
もちろん、信仰心の強い人もいて、「神を信じていない」と言うと、「君はコーランを読んで勉強すべきだ」などと、いきなり説教されることもあった。そういう人に対しては、できるだけ、ハイ、ハイ、と聞き流すようにしているのだが、何度も繰り返し説教されると反抗もしたくなり、つい爆発。「コーランは読んだ! でもコーランには、ムスリムであれば死んでから天国に行けて、そこには目がぱっちりした純白の最上の女性をはべらすことができる、と何度も記されてるよね。それって、完全に男向けじゃん。女はどうなるんだっ。女はっ」などと、鼻息荒く言ってしまい、喧嘩に......。
ただ、イスラームが持つ、"おもてなし精神"は、イラン全土、すみずみまで、行き届いていた。
例えばバスや電車の中。ただ座っているだけで、「食べて」と、みかん、りんご、クッキー、チョコ、チャイ、ナーンなど、こちらがお腹がいっぱいだと断るまで、どんどん食べ物が集まってくる。また、仲良くなった女の子の化粧ポーチを見せてもらっていると、「気に入ったの? 全部あげる」と、そのままポーチごとくれようとしたりするので、慌てて断るということもあった。けれど、イランでは、お客様がほしいと言ったものは、プレゼントしたくなってしまうことが、わりと普通のようだ。
旅行者の間では、「もう、イラン人のお宅には泊まりました?」という会話が出るほど、家に招いてもらえる率も高い。実際、イラン到着3日目にして、私もお誘いを受けた。
相手は、バスの中で偶然出会った14歳の少女、ニッキー。彼女はニット帽をかぶっていたので、車内で「ねぇ、その帽子の下はどうなってるの?」と聞いてみると、「男の人がいるところでは取っちゃダメなの」と言いつつも、キョロキョロと周りを確認して帽子を取り、高い位置でポニーテールにしていた髪を見せてくれた。

バスで会った美少女ニッキー。ママと一緒だった。
着いた先は、なんだか高級そうなマンション。オートロック式の門まである。てっきり、イランの伝統的な一軒家かと思っていたので、あまりにも近代的な外観で拍子抜け。ここのお宅だけでなく、都市部ではかなりマンション率が高いようだ。

ニッキー邸。ひょっとして、お金持ち?
ドアを開けると、日本のマンションと似た造りで、リビングにキッチン、部屋が2つに、お風呂とトイレ。床には有名なペルシャ絨毯が敷いてあり、しかもリビングにはコタツまで! コタツは日本独自のものかと思っていたので、なんだか親近感。

イランでまさかのコタツ。ぬくぬく~。
やっぱりイランは石油資源が豊富だな、と感じるのは、どこかの建物内に入ったときだ。例えば、ホテルでも誰かの部屋でもそうなのだが、常に暖かい。日本では資源を使い過ぎないように、省エネや節約に命をかけているようなところがあるが、イランでは、人がいなくてもガスファンヒーターをつけっぱなし。
なお、現地で出会ったテヘランのホテル従業員に聞いた話によれば、イランでは、オイルマネーが、年齢に関係なく、1カ月につき1人30ドル入ってくる、とのこと。公共料金(4人家族の場合)は、水道代15~20ドル、ガス代10ドル、電気代10ドル~20ドルほどということなので、家族で暮らしていれば、事実上、公共料金は無料。貯金ができるぐらいだ。
気づけば、ニッキーも彼女の母親も、しゅるしゅるっとスカーフを取り、半袖にスパッツの部屋着に着替えていた。そこへ、同じマンションの住人のおばちゃん数名と子どもが遊びにやって来たのだが、女性は家の中ではとても元気。
「キャー、日本人がいる!!!」と爆笑しながら入ってきたかと思いきや、「ちょっと待って、友達に電話するから、何かしゃべって!」。なんかしゃべって!? 受話器を渡されるも、何を話したらいいのか分からず、無意味に「ハロー、アイム ジャパニー」などと言ってみるが、これは何か意味があるのか。

ニッキー宅に遊びに来ていた、超かわいい少女パーニちゃん(10歳)。
スカーフは12歳から必要になる。
イラン人は、日本人が大好き。正確に言えば、韓国人も、中国人も、アジア人全般が好きなのだが、とくに、日本人は勤勉で、働き者なところがスバラシイと評価が高い。それなのに、日本でのイランのイメージといえば、核やテロ、麻薬の密輸犯と、まさに"悪の中枢"。この国は、政治の印象と、そこで暮らす人々の印象が大きくかけ離れすぎている。
情報化社会から切り離された一般市民の声が、世界に届く日は来るのだろうか。
(取材・文・写真=上浦未来)
やっぱり!「コミュ力ない人間は不要」アニメ業界の求める人材はコレだ!
アニメ業界が、業界志望者たちに求めるスキルとはなにか。そして、それは大学や専門学校などの育成機関で教えることができるものなのか? 1月13日、日本動画協会が主催する「アニメ・クリエイター育成ビジョンづくり 産学共同推進プロジェクト」のキックオフ・シンポジウム「現場からの報告:教育機関のカリキュラム・産業界の人材育成」が、秋葉原の同協会会議室で開かれた。
アニメが日本のコンテンツ産業の核であり、海外にも輸出できる商品力の高い物であることは、間違いない。ところが、今後のアニメ産業の核となる人材を育成する方法は、いまだ確固たる物とはなっていない。このプロジェクトは教育機関とアニメ産業界の人材育成の考え方を検証し、共同で環境や方法を検討するというものだ。
この日のシンポジウムでは教育界・産業界双方からパネリストが出席し、現状と、これまでの人材育成の状況についての意見交換が行われた。
冒頭、2010年にアニメ製作会社を対象に行ったアンケートについて報告した日本動画協会事業副委員長の増田弘道氏によれば、アニメ産業の人口は製作に関連する部分(脚本・声優なども含む)で2万3,000~2万5,000人規模。これに流通を加えて、3万人程度の産業だとされる。そして、新規の採用数はアンケートに回答したものを推定すると、09年度実績で動画が平均4.5名、美術が平均2.1名、仕上が平均2.7名、撮影が平均2.1名を、それぞれ採用していると報告。実際には、この数の2~3倍が採用されていると増田氏は分析している。つまり、なんからのスキルがあればアニメ産業は、さほど参入が困難な業界ではないことが見て取れる。
■教育機関に望まれるのは、社会常識やほうれんそう
さて、アニメ産業で必要とされるスキルだが、アンケートの回答では「やはりか!」という結果が出ている。もっとも希望されるスキルは画力。これは、製作現場であれば当然のことだし、単に上手い下手ではなく手の速さまで含んでということだと分析できる。そして、その次に希望されるスキルとしてあげられていたのが「コミュニケーション能力」、間に「パース図法」を挟んで「アニメーションの一般的知識」と続いている。
さらにアンケートで「教育機関に望むこと」として挙げられているは、トップが「常識的な基礎知識」つづいて「社会常識」となっており「専門技術」は3位となっている。上位の2つを具体的に記すと、読む・書く・伝えるなどのコミュニケーション能力、言葉遣いや応対、年金や保険のシステムだそうで、やはりアニメ業界であっても才能以前に一般企業と同じスキルが求められていることがわかる。具体的に必要な物として「ほうれんそう」と記入してきた回答もあったそうで、よほど採用してから後悔するようなことがあったのだろうか?
続いて、教育界から発言したのは東京藝術大学大学院アニメーション専攻の岡本美津子教授だ。岡本教授によれば、同大学院でアーティスト志向なのは半数程度、もう半数は就職志向で近年はゲームメーカーに優秀な人材が流れていることも述べた。その上で、育成にあたっては、短編作品を、一人で一年に一本製作させる課題を課していることを述べた。
続いて発言した日本工学院クリエイターズカレッジ・カレッジ長の佐藤充氏は教育にあたって「自分の作品をプレゼンできる能力」の育成にも力を注いでいることを述べる。同校では、就職に不可欠な人間力の育成として、毎朝、先生がロビーに立ち、あいさつ運動を行ったり「遅刻禁止、毎日登校する、〆切を守る」等が記された学生の心得のようなものを配布している。
教育機関でも、一人で製作させることによって製作の流れを理解させたり、責任感を植え付けるといった行為を通じて「常識」を身につける方法が試されていることがわかる。
アニメ産業側から発言したスタジオジブリの稲村武志氏は業界志望者の現状を次のように語る。
「携帯電話やネットの世代は、感応的なアニメの描き方が苦手、コピーを消費することで満足している人が多い」
その上で、アニメ製作に求められるスキルは、テキパキできる作業能力であり、コミュニケーションを取ってしっかりと学べる人のほうが上達も早いという経験に即した意見を述べた。
この日のシンポジウムでは短時間ながら、パネリストが自身の体験を元にした生の声を聞くことができたと思う。日本動画協会では、教育機関やアニメ製作会社の人材育成を報告書にまとめ、3月の当局国際アニメフェアにて成果発表する予定だ。これをもとに、来年度以降は具体的な人材育成のプロジェクトが行われることになりそうだ。
このシンポジウムは平日の開催であり、観客の多くは業界関係者だったが、他方、業界を志望する学生の参加目立ち、質疑応答では「学生側に、こういうことを発信する機会がもっと欲しい」という意見も。技術職の育成は着実に進んでいるが、それ以外の業界志望者を育成するシステムは、まだこれからだ。
(取材・文=昼間 たかし)

【関連記事】
・なんと! PTAも真っ青 "騎乗位"も"近親相姦"も描く地上波エロアニメ過激化の真相
・"AKB商法"が的中!? 『映画けいおん!』はコケまくり松竹の救世主か
・警察まで巻き込み......『あの花』聖地巡礼で盛り上がる秩父市の"仕掛け"
人が怖い ~自分を変える! 対人コミュニケーション改善法~ ペンタブのお供に。
無知が生んだ日本最大のタブー! 右翼も訝しがる"報道"を忘れた皇室番組の意義を問う
──土曜日の早朝、放送開始から50年以上たつ長寿番組『皇室アルバム』がひっそり続いていることをご存じだろうか? ニュース番組では、当たり障りのない事象のみを伝える報道がなされ、深掘りして報道するはずの皇室番組も、鳴りを潜めている。果たして、既存の皇室番組、そして皇室報道の存続意義とは?
近頃、皇室周りが何かと騒がしい。今年11月に気管支肺炎を患って長期入院をされた天皇陛下の健康問題に、未婚の女性皇族が結婚した場合に生じる"皇族減少"を防止するべく検討され始めた、女性宮家の創設。さらには10月、皇太子夫妻が長女・愛子さまの通う学習院初等科の運動会に出席され、その時の模様が一部週刊誌で「ほかの父兄が自分の子ども以外を撮影する際は、相手の承諾を得ることを固く義務付けられていた中、皇太子殿下は愛子さま以外の子どもも無断で撮りまくっていた」などと報じられたり、皇室に対するバッシングも過熱している。皇室ウォッチャーならずとも、ニューストピックとして気になっている人は多いだろう。
現在、テレビでは『皇室アルバム』(TBS)、『皇室ご一家』(フジテレビ)、『皇室日記』(日本テレビ)という3つの"皇室番組"が毎週放送されている。詳しくは次特集を参照いただくとして、いずれも基本的には皇室の一週間の動向を追い、ニュース番組などの皇室報道では取り上げられない公務やプライベートの模様を垣間見ることができる。しかし、放送の時間帯が日曜もしくは土曜の早朝に設定されているため、社会人にはリアルタイムでチェックすることはなかなか難しい。さらに3番組あるといっても、放送内容はどれも似たり寄ったりで、制作側のモチベーションの低さが透けて見えるのも事実。しかし、「女性自身」(光文社)で皇室記事を50年以上担当している記者の松崎敏弥氏いわく、「昔はもっと報道を意識した作りになっていた」という。
「特に皇室番組の中で最も歴史のある『皇室アルバム』はすごかった。制作元の毎日映画社は、皇室報道に定評のある毎日新聞社の系列会社だから、毎日新聞の記者から撮影の際にアドバイスがもらえたんです。『昭和天皇はご病気のせいで顔が麻痺しているから、ご病状を伝えるためにお顔のアップを撮ったほうがいい』とか。でも今は、各局、系列の新聞社とのつながりも薄くなってしまって、自分たちで考えて撮るよりほかなくなった。しかも、例えば同じ祭りごとでも、各局がその切り口を考えるにしても、そもそも知識がない。結果、宮内庁の指示通りに撮って、『これでいいや』という感覚で作ってしまっている。そりゃあ、内容のかぶった番組になりますよ(笑)」(松崎氏)
■宮内庁もわかってない? 曖昧なままの報道姿勢
では、皇室番組はなぜ、みな宮内庁の言いなりとなってしまったのか。そこには、情報の引き継ぎをおざなりにしてきたテレビ局の制作スタッフの世代交代による、皇室報道の変化があるという。
「例えば最近だと、10月23日に眞子さまの『成年式』、11月3日に悠仁さまの『着袴の儀』と、ご皇族の儀式が立て続けにあったんですが、それを報道する情報番組のスタッフが『この儀式はどんなことをするんですか?』って聞いてくるんですよ。ちょっと調べたらわかるだろうに、それを教えてくれる人が現場にいない。さらに、行事を取り仕切る宮内庁側ですら、最近は若い職員とか、警察庁や外務省など外からの出向組が増えてきて、古くからの皇室のしきたりについてちゃんと理解している人が少なくなっている」(同)
皇室に関する職務を司る宮内庁側までそんな状況では、何が正しく、何を規制すべきなのか、コントロールすることも難しいのだろう。前述の皇太子夫妻による運動会騒動をはじめ、バッシングやスキャンダルにつながるような報道が増えているのも、そのことが大きく関係しているように思えてならないのだが......。
「それは一理あるでしょうね。ただでさえ今の皇室は、天皇陛下のご健康や愛子さまの付き添い通学など、さまざまな問題を抱えていることもあって、ネガティブな報道を恐れた宮内庁がはっきりとした情報を出さなくなり、それがまた悪循環を生んでしまっている。天皇陛下が入院された時も、当初は『一週間ほどで退院できます』と発表しておいて、予定日になったら『熱が上がってきたので、退院は延期します』とか、そんなことを3回もやってしまった。ましてや病状もただの風邪だの、マイコプラズマ肺炎だのって二転三転して......。宮内庁がそんなでは、メディア側や視聴者に『天皇陛下のご容体、実は相当ヤバいんじゃ』と疑われても仕方ないですよ」(同)
"重病説"にさらなる信憑性をもたらしたのは、入院先が東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)であったこと。風邪なら宮内庁病院でも治療できるだろうに、わざわざ東大病院に入院されたことで、疑惑を深めてしまったのだ。それにしても、なぜ東大病院だったのだろう?
「これはあまり知られていない話なんですが、実は東大病院の最上階には、皇室専用の病室があるんです。エレベーターも専用で関係者以外は立ち入れないようになっていて、警備も厳重。ただ、皇室の方々は健康保険に加入できないので、入院すると1泊20万円近くかかるらしい。なんでそんな大枚はたいてまで東大病院に入院するのかというと、宮内庁病院に腕の良い医師がいないからなんですよ。設備は充実していても、医師がいまひとつだから、重病が懸念される場合は利用されない。じゃあ、宮内庁病院の存在意義は......と聞きたくなりますけどね(笑)。
天皇陛下は2003年に前立腺がんの摘出手術を受けて以降、再発を防ぐためにホルモン治療を続けられているんですが、その副作用で骨密度が骨粗しょう症レベルにまで低下してしまったため、皇居内に新設したプールで運動されるなど、もともと健康面に注意しなければならない状態だったんです。さらに今年は震災が起きたことにより、7週連続で被災地をご訪問されるなど、イレギュラーのご公務がどっと増えて、お疲れも相当たまっていた。だから大事を取って、今回は東大病院で検査しよう......というのが当初の来院目的だったはずで、そういった説明を宮内庁がしないもんだから、変に勘ぐられる結果になってしまったんですよ」(元皇室担当記者)
確かにそうした背景もきちんと説明されていれば、余計な憶測は呼ばなかったはず。しかし、宮内庁が説明をしないのであれば、これまでの動向を見てきた担当記者が先立って報じる手段もあったわけで、それがなされなかったことにもいささか疑問が残る。
「新聞や雑誌、テレビなどの宮内庁担当記者のうち、15社くらいは宮内庁の中にデスクを置いて、常駐して取材をしているんです。でも、その『宮内記者会』という記者クラブの中にも"お約束ごと"があるため、知っていても書けないことがある。テレビ局の担当記者なら、各ニュース番組の担当者たちが『これどうなってるの?』って聞けば答えるけど、自分たちからは積極的に話さないことも多いんだよ。さらには、記者クラブ内のお約束ごとを破るわけにはいかないからと、プロデューサーに聞かれても答えないこともあるらしい。言ったら誰が流したかバレるからね。そうなったらもう、情報や写真などの資料が一切もらえなくなってしまう」(同)
■右翼におびえるテレビ局 スクープしない担当記者
報道の職に就いておきながら、情報発信に自主規制をかけまくるというのもおかしな話だが、それが宮内庁担当記者の仕事だというなら仕方あるまい。さらに記者たちをびびらせているものがもうひとつ、それは"右翼団体からの抗議"だという。
確かに皇室に関するネガティブな報道には、右翼団体によるクレームの不安がつきまとう。とはいえ、実際に抗議活動は行われているのだろうか? 新右翼団体「一水会」の代表を務める木村三浩氏に聞いた。
「街宣車を走らせるまでにはなかなか及びませんが、テレビの報道に対しても、電話や書面で抗議している活動家はいますよ。ただ、最近は事実が先行した上でネガティブな報道をされることが多いので、発信元よりも現場に抗議がいくケースが増えているようです。10年に愛子さまの不登校騒動が取り沙汰された時も、学習院に『愛子さまをいじめたとされる児童は本当に存在するのか』とか『ご皇室の子弟をお預かりする管理体制は万全なのか』といった抗議が殺到しました。事実よりもネガティブな報道が先行した場合は、当然ながら発信元の報道機関に抗議がいきます。そのため、フライング報道は危険と言わざるを得ません」
宮内庁にも右翼団体にも目をつけられずに皇室報道をまっとうするには、宮内庁から正式に発表された情報だけを発信するのが一番。前出の松崎氏によると、皇室にとって重要な情報については、宮内記者会の中で「宮内庁より正式な発表があるまでは解禁しないように」といった協定が結ばれることもあるという。
「現に雅子さまのご病気についても、協定が結ばれていました。これによってスクープは絶対に取れなくなる半面、他社に出し抜かれることも絶対になくなるし、『正式発表があるまでは解禁できない決まりになっているから』と、大義名分を掲げて安心していられる。ただ、一方で宮内庁側から流してほしい情報が特定の記者にリークされ、それがスクープとして報じられることもあるんですよ。最近だと、11月に読売新聞が報じた『宮内庁長官が野田首相に女性宮家創設の検討を"火急の案件"として伝えた』というニュースがそう。読売の記者はスクープが取れたと喜んでいたけど、周りはみんな『どうせリークでしょ』と(笑)」(松崎氏)
もし本当にリークまでしたのであれば、現在の宮内庁にとって一番の問題は、やはり女性宮家の創設なのかもしれない。ただ、確かにそれも気になるものの、どちらかといえば、天皇陛下のご容体のほうが気がかりになっている人も多いはず。一部情報によると、11月中に読売テレビが、天皇陛下が万が一崩御された時に備え、緊急体制に入った日もあったと聞くが......。
「その話は僕も聞きましたよ。『陛下のご容体が危ないらしい』と聞いた局側のスタッフが、宮内庁担当記者に電話で確認しようとしたら、『今それどころじゃない』なんて言われたもんだから、すっかり勘違いしてしまったらしくて。まぁ、78歳といったら、一般的にいえば"何があってもおかしくない年齢" ですからね......。
実はXデーに向けてのシミュレーションは、すでに各テレビ局で始まっていて、陛下がお生まれになってから現在に至るまでの映像をまとめた番組などが制作されているんですよ。昭和天皇の時も公にしていなかっただけで、局内では事前に特別番組の制作が行われていた。僕も携わっていたんですが、いつでも放送できるように、週1ペースで頻繁に準備して、いろんなパターンをそろえて......。さすがにまだそこまで差し迫ってはいないですが、各局で内々に準備は進められているはず」(同)
崩御に向けた準備なんて、不謹慎極まりないと思われるかもしれないが、これは常にリアルタイムで世相を報じなければならないテレビメディアの宿命ともいえる。
最後に松崎氏が「09年、NHKが両陛下のご成婚50周年の記念番組で宮中の朝の散歩のご様子を放送し、お2人のプライベートな会話も流れました。これからはもっと若い世代が皇室に関心を持てるよう、こうした踏み込んだ取材をしてほしい」と述べたように、さまざまな問題が提示されている今こそ、皇室番組の真価を見せてもらいたいものだ。
(文=アボンヌ安田/「プレミアサイゾー」より)
■プレミアサイゾーとは?
雑誌「サイゾー」のほぼ全記事が、月額525円で読み放題!
(バックナンバー含む)

【関連記事】
・ネットで大人気「眞子様萌え」! 宮内庁は困惑気味?
・女性皇族が抱えたモンダイと"確執"そして"諍い"の50年史
・カルト芸人・殿方充が言いたい放題! 「AKB48は手こき行脚で東北復興を!」
皇室 Our Imperial Family やんごとなき。









