「娯楽に関わる多くの人が自分自身に問いかけました。ドラマや映画や歌がなくても人は十分生きていける。でも水や食べ物、電気や燃料がないと人は困る。生きられない。世の中がすっかり変わってしまった。3月10日まで、日々どんな気分で暮らしていたか、アキもまた思い出せず、自分がどうしたいのか、わからないでいました」 これはNHK朝ドラ『あまちゃん』の物語の終盤、東日本大震災に見舞われた後のモノローグである。アイドルとして娯楽を提供してきたアキ(能年玲奈)が、果たして自分はこのままアイドルをやっていていいのだろうか、自分に何ができるのか、苦悩する。東日本大震災は、こうした悩みを「娯楽に関わる人」すべてに抱かせた。そして、震災後に作られたドラマのほとんどは、直接的・間接的を問わず、多かれ少なかれ、「震災」の影響を受けている。 最初に“直接的”に「震災」というキーワードが出てきたドラマは、僕が記憶している限りでいえば、2011年10月から放送された『11人もいる!』(テレビ朝日系)だった。『あまちゃん』と同じ宮藤官九郎の脚本で、貧乏な10人+幽霊の大家族を描いたホームコメディだ。その中で、被災地から避難してきた転校生・卓郎(渡邉甚平)が登場する。彼は大家族の一員である五月(赤石那奈)に恋をし、下駄箱に手紙を忍ばせる。彼に興味がない五月は手紙すら読もうとしないが、そんな態度をクラスの女子が責め立てる。 「かわいそうじゃん、読んであげなよ」 「卓郎君、地震で大変だったんだよ」 「日本中がひとつになろうとして」 それに対し、五月はきっぱりと言う。 「それとこれとは別」 宮藤は一貫して、「普通」であることの大切さをテレビドラマの中で描いてきた。震災後、日本では「普通」で居続けるのが困難になった。そんな中でも宮藤は震災を特別視せずに「普通」の中のひとつとして描いている。『あまちゃん』でも、宮藤は震災を描くに当たって「(震災を)やらないのもウソ、それだけをやるのもウソ」(MSN産経ニュース)と語っていた。 また、ネット上の自身の日記でも「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います」とつづいている。 その言葉通り、『あまちゃん』における「震災」は数あるエピソードのひとつにすぎない。『11人もいる!』では、主人公である大家族は家を失いキャンピングカーで全国を放浪しながら、「真田合唱団」を結成し、歌を歌って楽しげに生活する姿を描いて終わる。幽霊のメグミ(広末涼子)と一緒に。彼らが歌う「家族なんです」は、こんな歌詞だ。 「助け合ったり 励まし合ったり しなくていい それが家族なんです」 「家がなくてもおもしろい あったらあったで超おもしろい それが家族なんです」 「生きていても 死んでいても 最悪見えなくてもいい 好きだから 一緒に暮らすんです」 震災以降、ドラマの作り手には「死者との向き合い方」「共同体における“絆”のあり方」「表現者としての立ち位置」を描くことが避けられなくなってきた。『妖怪人間ベム』や『泣くな、はらちゃん』『ど根性ガエル』(いずれも日本テレビ系)を手がけたプロデューサーの河野英裕は、それに自覚的な作り手のひとりだ。 『泣くな、はらちゃん』は、ヒロイン・越前さん(麻生久美子)が描いたはらちゃん(長瀬智也)が“現実”の世界にやってくるという岡田惠和脚本のファンタジー。純真無垢で美しい世界しか知らないはらちゃんはある時、震災や紛争などの悲惨な映像を見てショックを受け、涙を流す。「世界」を知ったのだ。そして『ど根性ガエル』では、主人公のひろしが移動販売車で旅に出る。彼が行き先に選んだのは福島だった。ある農家にたどり着いたひろしは、手間ひまかけて作られている米に、「日常」の意味を知るのだ。 河野は震災3カ月後に受けた東京新聞のインタビューで、こう答えている。 「ぼくのドラマにはファンタジーの要素があったりするが、核心にあるのは日常。今回の震災で、日常がもろくも崩れさったり、原発事故という非日常が日常になっている。現実世界が日常と非日常の中間地点になってしまっているが、今までちゃんとやろうとしてきた日常を、これからもやっていこうと思う」 河野は、日常を描くためにファンタジーを駆使しているのだ。 東日本大震災がこれまでの震災と違うのは、同時に原発事故というものがあることだ。たとえば、阪神大震災のときは、復興に向けて基本的に一枚岩だった。だが、福島第一原発事故による放射能汚染が事態を複雑化させた。それが表面化したのが「がれきの受け入れ」拒否だった。「絆」を声高にうたいながらも、いざ自分たちに直接的な負担を迫られると拒絶する。それどころか、攻撃する。 そんな「断絶」(と「伝える」ということ)を丁寧に描いたのが、『ラジオ』(NHK総合)だった。被災地である宮城県女川町で町民有志により放送を続けている「女川さいがいFM」の実話を基に、一色伸幸が脚色したドラマだ。ヒロインは、高校生の某ちゃん。(刈谷友衣子)。がれきはもともと被災者の家であり、生活であり、大切な思い出だ。「受け入れなくてもいいから、汚れたもののように言わないでほしい」。そう切実につづった某ちゃん。のブログが炎上してしまう。某ちゃん。は言う。 「被災地の外で11日にしか思い出されないあの震災は、私たちの日常なのです。過去形ではない、現在進行形なのです。私にしたら11日は震災を思い出す日でもなく、黙祷する日でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる日になってるように思います」 こうした「断絶」は今期の“月9”ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)でも象徴的に描かれている。物語が震災の少し前から始まっていることから、ドラマ開始当初から「震災」が描かれることが予想されていた。 これまで、脚本を担当する坂元裕二は『それでも、生きてゆく』や『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)でも、震災の影響を受けたであろう場面を登場させていた。だから、今度はいかに震災を描くのか、注目されていた。 果たして、直接的に描かれたのは「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」とタクシーの運転手が語る震災前日まで。そこで第1章が終わり、5年後の第2章がスタートする。第2章の開始時、登場人物たちの心模様は大きく変わっている。つまり『いつ恋』では、震災は心の「断絶」の象徴として使われているのだ。 だが、こうした「断絶」が「断絶」のままで終わらないのがドラマのファンタジーであり、希望のはずだ。それはもしかしたら現実逃避かもしれない。けれど、逃げたくても逃げられない現実に立ち向かうときに、フィクションの力が武器になることもある。 「人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――」 そんなわけないじゃないか。 僕らに必要なのは、フィクションという希望なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)『あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1』(TOEI COMPANY,LTD.)
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テレビドラマは、東日本大震災をどのように昇華してきたのか
「娯楽に関わる多くの人が自分自身に問いかけました。ドラマや映画や歌がなくても人は十分生きていける。でも水や食べ物、電気や燃料がないと人は困る。生きられない。世の中がすっかり変わってしまった。3月10日まで、日々どんな気分で暮らしていたか、アキもまた思い出せず、自分がどうしたいのか、わからないでいました」 これはNHK朝ドラ『あまちゃん』の物語の終盤、東日本大震災に見舞われた後のモノローグである。アイドルとして娯楽を提供してきたアキ(能年玲奈)が、果たして自分はこのままアイドルをやっていていいのだろうか、自分に何ができるのか、苦悩する。東日本大震災は、こうした悩みを「娯楽に関わる人」すべてに抱かせた。そして、震災後に作られたドラマのほとんどは、直接的・間接的を問わず、多かれ少なかれ、「震災」の影響を受けている。 最初に“直接的”に「震災」というキーワードが出てきたドラマは、僕が記憶している限りでいえば、2011年10月から放送された『11人もいる!』(テレビ朝日系)だった。『あまちゃん』と同じ宮藤官九郎の脚本で、貧乏な10人+幽霊の大家族を描いたホームコメディだ。その中で、被災地から避難してきた転校生・卓郎(渡邉甚平)が登場する。彼は大家族の一員である五月(赤石那奈)に恋をし、下駄箱に手紙を忍ばせる。彼に興味がない五月は手紙すら読もうとしないが、そんな態度をクラスの女子が責め立てる。 「かわいそうじゃん、読んであげなよ」 「卓郎君、地震で大変だったんだよ」 「日本中がひとつになろうとして」 それに対し、五月はきっぱりと言う。 「それとこれとは別」 宮藤は一貫して、「普通」であることの大切さをテレビドラマの中で描いてきた。震災後、日本では「普通」で居続けるのが困難になった。そんな中でも宮藤は震災を特別視せずに「普通」の中のひとつとして描いている。『あまちゃん』でも、宮藤は震災を描くに当たって「(震災を)やらないのもウソ、それだけをやるのもウソ」(MSN産経ニュース)と語っていた。 また、ネット上の自身の日記でも「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います」とつづいている。 その言葉通り、『あまちゃん』における「震災」は数あるエピソードのひとつにすぎない。『11人もいる!』では、主人公である大家族は家を失いキャンピングカーで全国を放浪しながら、「真田合唱団」を結成し、歌を歌って楽しげに生活する姿を描いて終わる。幽霊のメグミ(広末涼子)と一緒に。彼らが歌う「家族なんです」は、こんな歌詞だ。 「助け合ったり 励まし合ったり しなくていい それが家族なんです」 「家がなくてもおもしろい あったらあったで超おもしろい それが家族なんです」 「生きていても 死んでいても 最悪見えなくてもいい 好きだから 一緒に暮らすんです」 震災以降、ドラマの作り手には「死者との向き合い方」「共同体における“絆”のあり方」「表現者としての立ち位置」を描くことが避けられなくなってきた。『妖怪人間ベム』や『泣くな、はらちゃん』『ど根性ガエル』(いずれも日本テレビ系)を手がけたプロデューサーの河野英裕は、それに自覚的な作り手のひとりだ。 『泣くな、はらちゃん』は、ヒロイン・越前さん(麻生久美子)が描いたはらちゃん(長瀬智也)が“現実”の世界にやってくるという岡田惠和脚本のファンタジー。純真無垢で美しい世界しか知らないはらちゃんはある時、震災や紛争などの悲惨な映像を見てショックを受け、涙を流す。「世界」を知ったのだ。そして『ど根性ガエル』では、主人公のひろしが移動販売車で旅に出る。彼が行き先に選んだのは福島だった。ある農家にたどり着いたひろしは、手間ひまかけて作られている米に、「日常」の意味を知るのだ。 河野は震災3カ月後に受けた東京新聞のインタビューで、こう答えている。 「ぼくのドラマにはファンタジーの要素があったりするが、核心にあるのは日常。今回の震災で、日常がもろくも崩れさったり、原発事故という非日常が日常になっている。現実世界が日常と非日常の中間地点になってしまっているが、今までちゃんとやろうとしてきた日常を、これからもやっていこうと思う」 河野は、日常を描くためにファンタジーを駆使しているのだ。 東日本大震災がこれまでの震災と違うのは、同時に原発事故というものがあることだ。たとえば、阪神大震災のときは、復興に向けて基本的に一枚岩だった。だが、福島第一原発事故による放射能汚染が事態を複雑化させた。それが表面化したのが「がれきの受け入れ」拒否だった。「絆」を声高にうたいながらも、いざ自分たちに直接的な負担を迫られると拒絶する。それどころか、攻撃する。 そんな「断絶」(と「伝える」ということ)を丁寧に描いたのが、『ラジオ』(NHK総合)だった。被災地である宮城県女川町で町民有志により放送を続けている「女川さいがいFM」の実話を基に、一色伸幸が脚色したドラマだ。ヒロインは、高校生の某ちゃん。(刈谷友衣子)。がれきはもともと被災者の家であり、生活であり、大切な思い出だ。「受け入れなくてもいいから、汚れたもののように言わないでほしい」。そう切実につづった某ちゃん。のブログが炎上してしまう。某ちゃん。は言う。 「被災地の外で11日にしか思い出されないあの震災は、私たちの日常なのです。過去形ではない、現在進行形なのです。私にしたら11日は震災を思い出す日でもなく、黙祷する日でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる日になってるように思います」 こうした「断絶」は今期の“月9”ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)でも象徴的に描かれている。物語が震災の少し前から始まっていることから、ドラマ開始当初から「震災」が描かれることが予想されていた。 これまで、脚本を担当する坂元裕二は『それでも、生きてゆく』や『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)でも、震災の影響を受けたであろう場面を登場させていた。だから、今度はいかに震災を描くのか、注目されていた。 果たして、直接的に描かれたのは「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」とタクシーの運転手が語る震災前日まで。そこで第1章が終わり、5年後の第2章がスタートする。第2章の開始時、登場人物たちの心模様は大きく変わっている。つまり『いつ恋』では、震災は心の「断絶」の象徴として使われているのだ。 だが、こうした「断絶」が「断絶」のままで終わらないのがドラマのファンタジーであり、希望のはずだ。それはもしかしたら現実逃避かもしれない。けれど、逃げたくても逃げられない現実に立ち向かうときに、フィクションの力が武器になることもある。 「人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――」 そんなわけないじゃないか。 僕らに必要なのは、フィクションという希望なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)『あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1』(TOEI COMPANY,LTD.)
保釈間近……清原和博容疑者の覚せい剤関連報道が再活発化「暴かれる奇行の数々」
留置場では規則正しい生活を送り、もっぱら読書にいそしんでいるという元プロ野球選手・清原和博容疑者。覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで再逮捕されてから1カ月が過ぎたが、その動向は今なお注目を集めている。 元妻の清原亜希が新ブランドを立ち上げるも、話題は芸名を「亜希」に変更した、“清原外し”に集中した。 いまだ、ある週刊誌の編集部では「清原のことなら、なんでも情報集めろ」という指示さえ飛んでいるが、そうなると、当然のことながら未確認情報のボツネタも多々ある。記者や編集者に、使わなかったネタについて聞いてみた。 「逮捕直前に契約が終了していたことで話題になった『DMM.com証券』のCMの話は、依頼が来たときに清原さんが勘違いして『DM? ダイレクトメールのCMなんかに出たら、家のポストがうるさくてかなわん!』と言いだしたんです。ウソだと思うでしょうが、マヌケな勘違いとかではなく、覚せい剤の影響で様子がおかしくて会話が通じなかったときのことだそうですから、これも奇行のひとつなのでは」(週刊誌記者) 清原の奇行は2年前、ネット動画番組のオファーが来たときにもみられたという。近年は野球のキャンプ取材や、解説の仕事をこなすこともあった清原容疑者に、ある動画サイトで「番長の野球解説」なる企画が持ち上がり、後輩の現役選手Hと共演する予定だったという。 「地上波放送では難しい、上から目線でズバズバと選手をこき下ろす解説をやったらネットで大受けするというもくろみだったんですが、このときも担当者との会話がかみ合わず、いきなり『ようわからん!』と叫んで部屋から出て行ってしまったとか。その直後に『週刊文春』(文藝春秋)の薬物報道が出て、企画は中止になったそうです」(同) 闇社会との関係も吹聴していたといわれる清原容疑者は昨年、ヤクザ取材にも強い週刊誌で「番長ならではの豪快伝説を披露するインタビュー」が内定していたというが、「清原さんは打ち合わせそっちのけで、山口組幹部の名前を出し『会わせてほしい』と連発、コンプライアンス的にヤバいと感じた編集サイドが見送った」(フリー編集者)という話もある。 また、清原容疑者に電話をすると「別の人と勘違いされることがよくあった」と、スポーツ紙の記者。 「5年ぐらい“清原番”をしたことがあるので旧知の間柄なのに、コメントをもらおうと電話したら、『おう、ヒロか』と、別の人の名前で呼ぶんです。訂正しようとするんですが『なあヒロ、おまえまだ結婚してないのか?』とか、一方的に話し続けていました」(同) 似たような話は、ほかでも聞かれた。深夜にいきなり清原容疑者から電話があって、別人の名前を連呼してガチャ切りされたというが、その名前というのが「クワタ」だったという話。 これらいずれも真偽を確かめようがないのだが、さまざまな報道を見ると、さもありなん。まだまだ続く、清原狂騒曲。保釈が近づいているといわれるだけに、関連報道は続きそうだ。 (文=ハイセーヤスダ)
“20年不倫”桂文枝、みそぎ降板でも『新婚さんいらっしゃい!』は継続か
桂文枝の愛人スキャンダルで、司会を務める『新婚さんいらっしゃい!』の降板説までがささやかれ始めている。放送する朝日放送に聞いたところ「そのような予定はありません」と否定していたが、ついにはリベンジポルノにまで発展してシャレにならなくなってきたのは確かだ。 広告代理店関係者に今回の騒動の印象を聞いてみると「番組スポンサーがカツラや健康食品など中高年向け主体で、高齢の主婦が自分の夫に置き換えて見たときのヒンシュク感が拭えないと、司会者の交代があってもおかしくはない」とする。 文枝は先日、34歳下の演歌歌手・紫艶から20年間の不倫愛を週刊誌で告白され、当初は愛人関係を否定していたが、男女関係にあったことを裏付ける写真やLINEなど証拠の前では苦しく、吉本興業に気を使うテレビやスポーツ紙の“擁護”も焼け石に水。告白に伴い、引退を宣言している紫艶は、まるで続報を小出しにするように、本名の「中江ひろ子」名義のFacebookで3月4日、全裸でソファに座る文枝の写真を公開。ここには『新婚さん~』のロゴが入ったクッションも映っており、番組関係者を騒然とさせた。 元交際相手の性的な写真を流出させることは、14年に刑法で違反者に懲役3年もしくは50万円以下罰金が科せられる。文枝が被害届を出せばリベンジポルノ事件になる可能性もあるが、「その可能性は極めて低い」と芸能関係者。 「裁判になれば、紫艶は交際当時18歳の未成年であったことが大きく言及されるはず。そこまで事が大きくなれば、それこそ文枝さんは司会業なんか続けられなくなる。現時点でも、新婚さんとトークする司会者が20年の愛人持ちなんて、普通なら即、打ち切りになる話。大物の文枝さんだから、局側も簡単に断を下せないだけ」(同) そんな状況だからか、朝日放送の関係者からは、この機に乗じて日曜午後に受けそうな新番組企画を持ち込む放送作家が複数いるという。 「気の早い話と思うかもしれませんが、この業界ではよくあること。文枝さんの件がこじれ、いざというときにスポンサーを逃がさないよう新番組の企画を提示するので、ウチもこういうものをむげにはねつけられない」(同局関係者) 聞けば、持ち込まれた企画のひとつは、別の人気芸人を起用したペット紹介番組だというが、これに対して局内には『新婚さん~』を死守したい向きもあるという。 「長寿番組なので、古いスタッフもたくさんいます。番組終了と同時に行き場がなくなるような人は、『このスキャンダルは文枝さん狙いではなく番組潰しの陰謀だから、負けてはいけない』なんて言いだすほど。現時点では、万が一、文枝さんが降板しても番組は継続させる方向だと聞いていますが……」(同) ネット上では、「番組を『愛人さんいらっしゃい!』に変えたらどうか」なんて皮肉も上がっているが、この騒動に収まりはつくのだろうか? (文=ハイセーヤスダ)吉本興業公式サイトより
妊娠、コンプライアンス違反疑惑も!? TBS・小林悠アナの“電撃退社”をめぐる怪情報
<p>「こんな辞め方は前代未聞ですよ。まだ表に出ていない深刻な問題が隠れているのかもしれない」</p> <p> そう語るのはテレビ関係者だ。TBSの小林悠アナウンサー(30)が4日、健康上の理由で同局を依願退職した。28日にリニューアルスタートする『NEWS23』のキャスターに就任予定だったが、同様の理由で出演を取りやめることが3日に発表されていた。</p> <p> 小林アナはファックスで「突然のご報告となりますが、このたび健康上の理由で退社することになりました。入社以来見守っていただいたみなさんには深く感謝申し上げます。直接挨拶もできず申し訳ありませんが、本当にありがとうございました」とコメント。詳細について、同局広報部は「プライベートなことなので答えられない」とした。</p>
TBS小林悠アナ“ドタキャン退社”は、同期入社の「元カレ」が原因だった!?
TBSの小林悠アナウンサーが3月4日、「体調不良」で依願退職。看板番組『NEWS23』のキャスターを28日から務めることが決まっていただけに、動揺が広がっている。 一部では小林アナが体調を崩した理由が、2月に「週刊ポスト」(小学館)にキャッチされた実業家との六本木デートだと伝えられているが、小林アナに近いメディア関係者はこれを否定している。 「確かに本人はラジオで、プライベートを報じられることに不愉快な反応は見せていましたが、その程度で倒れるような人ではないです」(同) 実際、小林アナは1年前にも別のゴシップに見舞われているが、このときは動揺していなかった。 ある雑誌で、小林アナがひとりストリップ劇場を訪れたり、局内で男性用の仮眠室に忍び込んで同僚の男性アナの股間を触ってにおいを嗅いだりしていたと伝えられたのだが、これは本人がラジオ番組『たまむすび』(TBSラジオ)で「事実無根」と否定。ただ、「ここまでの発想の柔軟性に度肝を抜かれまして、脱帽。番組の紹介にもつながりますから、ありがたい」と笑って済ませていた。 「女子アナなんて、新人時代からパンチラとか盗撮写真を撮られたり、実話誌では、誰もかれも“肉食系”とか“淫乱”にされて、妄想の激しいエピソードを載せられますから、そんなことでいちいち落ち込んでいたら女子アナになんてなれないですよ。彼女は日頃から若い後輩アナにも『ゴシップなんて気にするな』と言っていたほどですから」(前出関係者) 別の報道では、今年2月のデート報道で、上司から叱責を受けたというものもあったが、これも関係者は「独身女性の恋愛、それも30歳ですよ。いくら看板ニュース番組のキャスター就任前といっても、勝手にマスコミに私生活を暴かれただけの報道で怒られたりはしません」と一蹴した。 しかし、レギュラーを務めるラジオ番組では「当日まで出演予定だった」(番組関係者)というから、ドタキャン退社には、よほどのことがあったと推察される。小林アナと付き合いのあるフリーの赤江珠緒アナウンサーは7日の『たまむすび』で、退社を知ったのは2月中旬で、本人から「誰のせいでもなく、自分で自分を追い詰めてしまった」と伝えられたことを明かしている。 前出のメディア関係者は「最終的には、彼女自身がまともに仕事ができない精神状態になってしまったと聞いていますが、昨年からかなり疲れた表情をしていたのは確かで、それは実業家と付き合う前の元カレとの破局もあったのでは」と話す。 小林アナは実業家との交際以前、同期入社の男性と長く交際していたことが、筆者の取材でわかっている。ただ、その男性が今回の退社に関わっているのかどうかはハッキリしていない。小林アナとは「気心が知れていた」という同じ大学の後輩である女性タレントは、「結婚願望が強い人だったので、恋愛関係が原因だというなら納得できるところもある」と話していた。 いずれにせよ、マイクの前に立てなくなってしまった小林アナ、フリーでの再起があるといいのだが。 (文=片岡亮)TBSラジオ『たまむすび』過去ログより
ヤバすぎる家政婦と胡散臭さMAXのダンカン……『ヒガンバナ』のキャストがあからさますぎる!
堀北真希主演『ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜 』(日本テレビ系)は第9話。いよいよ終盤でございますが、今回は怪しげな家政婦さんのお話です。 超がつくほどの資産家・長井のお屋敷に強盗が入り、部屋の奥にあった金庫を奪われます。家政婦の晴子(斉藤由貴)は抵抗しますが暴力を振るわれケガをし、寝たきりだった長井はベッドから転がり落ち、呼吸の異常で亡くなってしまいます。 来宮(堀北)や雪乃(檀れい)などの捜査七課「ヒガンバナ」は捜査の中で、資産家だった長井の相続権を持つ愛人の娘を名乗る女と、その弁護士に会います。実の父(らしい)が死んだばかりだというのに、土地を含めとんでもない遺産が転がり込んでくることを喜ぶ2人を見て、この2人が長井を殺したのではと疑いを立てます。女は長井とのDNA鑑定を求め、早く立証されて遺産を手に入れたい模様。 しかし、遺産相続を得る権利者の中に、6年間長井を介護した家政婦の晴子も「特別縁故人」として入る可能性があるのでは、という疑いが出ます。来宮と雪乃は家政婦が登録していた人材派遣会社の社長で、元警視庁OBの海原(ダンカン)と面会します。ダンカンか、もう怪しすぎるぜ。 海原は、晴子が長井と愛人関係になどあったはずがないと発言。そして、「来宮さんってもしかして……」と突然の発言。どうやら海原は、かつて殺された刑事である来宮の父親と同僚だった模様。「本当に惜しい人を亡くした」と頭を下げる海原でしたが、来宮は「あざ笑っているようだった」と印象を抱いたようで……。 実はそのころ、雪乃など捜査一課出身が世話になった中年警察官が事故で亡くなっていました。その警察官は多額の借金をしていたようで、実際は「自殺」だったそう。そして死の直前に警察官はケガをしており、「家政婦」に手伝ってもらっていたとか……。 調べた結果、その警察官があの晴子を雇っていたことが発覚! 怪しげな海原と晴子が、長井の事件に大きく関わっていると悟るのです。しかし……。 どうやら警察上層と海原は、来宮の父の死の裏にある“事情”を知っており、裏でつながっていたようです。ヒガンバナの捜査が及ばないよう、彼女たちがきた時に追い払うよう手を回していたのです。雪乃と来宮は海原の事務所に行くも、何もできずに仲間のはずの警察に追い払われてしまいます。せせら笑う海原……なんて悪い奴なんだダンカン!(主観)。 晴子の質素なアパートの金庫には、不釣合いな金品が……やはり彼女と海原はグルで、中年男性から金を巻き上げていたのです。 そして、その背後にある来宮の父の事件には、ヒガンバナの課長であるすみれ(大地真央)も関わっているようで……。 これまでは1話完結が主でしたが、今回は「to be continued」な感じでありました。果たして真実はどこにあるのでしょうか。 いよいよ核心に迫ってきた同ドラマ。最後まで楽しんでいきましょう。 (文=どらまっ子KYOちゃん)日本テレビ系『ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜 』
中年アイドルオタは本当に迫害されているのか?『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』
日本人は、何かと卒業したがりだ。 学校の卒業はともかくとして、暴走族、番組、アイドルグループ、この支配からの……などなど、いろんなものから卒業していく。 何かに関するオタクを辞めることを「オタ卒」なんて言ったりもする。卒業とはいうものの、「もう○○歳だし、オタクやってる年でもないよな」的な意味合いのほうが強い言葉だといえるだろう。 まあ、何をやる上でも「年齢」っちゅうのは判断基準のひとつとなるもんで、「だいたい○○歳くらいまでには、こういうことをやるのは辞めましょうね」的な暗黙の了解というのは世の中にたくさん存在する。 ただ、インターネットが一般に普及して以降、さまざまなジャンルにおいて「もう○○歳だし」というハードルが、かなり低くなっているのではないだろうか。 だって、ネットの世界を見渡せば「いい年こいて」なことを、キーポン○○な精神でずーっとやり続けているスゴイ先達がいっぱいいるのがわかっちゃうんだもん。 そんな感じで、かつては「いい年こいて」と言われていたようなジャンルにも、いい年こいた人たちがわんさか残っていて、エイジレス状態となっているのだ。 ■中年アイドルオタクって、迫害されてる? で、この本『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)だ(コレのレビュー記事を頼まれていたんだった!)。 プロレスファンならば「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)の、アイドル好きならば、ももクロの公式記者としておなじみのライター・小島和宏さんの新刊。 ボクも、ももクロ好きとして小島さんの記事はしょっちゅう読んでいたので、小島さんの語る中年アイドルオタク論とはどんなものかと期待していたのだが……。すみません、正直あんまピンとこなかったっす。 本書の中では、 ・中年アイドルオタクは冷たい目線にさらされている ・世間の理解がまったく進んでいない ・「恥じらい」や「うしろめたさ」を抱いていたほうがアイドルを楽しめる というのが前提としてあり、そのアンチテーゼとして『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』となっていくのだが、本当に中年アイドルオタクって、そんなに冷たい目線にさらされているだろうか? もちろん、中年アイドルオタクに対して「キモイ!」「大人げない!」「ロリコン!」という偏見全開で接してくる人も少なくない……というか、結構多いとは思う。 でもそれが、ハロウィンにドンキで買ったコスプレを着て渋谷を闊歩するヤングたちに向けられる「ウザイ!」「邪魔!」「頭悪そう!」「どーせこれからセックスするんだろ!? ハロウィンでもクリスマスでも、なんでもいーんじゃねーか!」という偏見と、どっちが多いかといえば、まあ同じようなもんなんじゃないだろうか? 取り立てて中年アイドルオタクが迫害されているわけでもなく、価値観が多様化しまくって小さなジャンルの村社会が大量に作られた結果、なにかっちゅうと村人同士が石を投げ合っているのが現代なのだ。 アイドル界隈だけでいっても、中年アイドルオタクはピンチケ(AKB48劇場で販売される中高生向けのチケットのこと。転じて、マナーを守らない若者を揶揄する言葉として使われる)をバカにしがちだし、モノノフ(ももクロのファン)はCDを大量買いするAKBオタクをバカにしがち。かと思えば、他のアイドルグループのファンは、やたらとももクロだけを神聖視するモノノフをウザがったり……。 もちろん、アイドルとかにまったく興味のないリア充は、そんなオタクたちをひとまとめにして「キモイ!」と思っているし、オタクのほうはオタクのほうで、Facebookでステキな飲み会写真ばっかりアップしているリア充をバカにしまくっていることだろう。 以前、アニメオタクの友人と話している時に、 「アイドルオタクはバカだ。いくらCD買ったってアイドル自身には金なんか入らないで、秋元康みたいなおっさんが儲かるだけだろ?」 「だったらオメーの買ってる美少女フィギュアも、作ってるおっさんに金入るだけだろーが!」 みたいな不毛極まりない議論となり、つかみ合いになりそうになったが、もうね……オタクもリア充もヤンキーも意識高い系も、人間は理解し合えないと考えたほうがいい。 こんな時代なんだから、村の外の人たちの目線を気にしても仕方がないのだ(「清潔感」とか、最低限のラインは守りたいところだが)。 学校や会社で、周囲から冷たい目で見られたとしても、気持ちの通じ合える仲間はネットや現場でいくらでも探せるし、もちろん「いい年こいて……」という世間の目を気にしてオタ卒する必要もない。 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』……と、最終的なところで小島さんと意見が一致するんだけど。 ■アイドル記者奮戦記として読もう 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』の帯には「アイドルを追いかけることは大人の立派な“たしなみ”である!」とのキャッチフレーズが書かれているが、同時期に発売された、大森望さんの『50代からのアイドル入門』(本の雑誌社)の帯にも「アイドルは大人のたしなみだ!」との文字があるのも興味深い。 まあ「中年がアイドルを追いかけるなんてキモイ!」という声に対しての理論武装として「大人のたしなみだ!」なんだろう。 小島さんも大森さんも、ボクのひとまわりぐらい上の世代の方たちなのだが、「上の人たちって、周りの目をいろいろ気にして大変そうだなぁ~……」と思ってしまう。 「大人のたしなみだ!」なんて強がらなくても、周りが何と言おうと「ボクは好きだから好きなんだもーん!」でよくない? ……ほら、理解し合えないでしょ? ちなみに本書は、中年アイドルオタク論うんぬんは置いといて、ももクロをはじめとしたアイドルに密着取材してきた、アイドル記者である小島さんの奮闘記として読めばすごく面白いよ。 (文=北村ヂン)『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)
中年アイドルオタは本当に迫害されているのか?『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』
日本人は、何かと卒業したがりだ。 学校の卒業はともかくとして、暴走族、番組、アイドルグループ、この支配からの……などなど、いろんなものから卒業していく。 何かに関するオタクを辞めることを「オタ卒」なんて言ったりもする。卒業とはいうものの、「もう○○歳だし、オタクやってる年でもないよな」的な意味合いのほうが強い言葉だといえるだろう。 まあ、何をやる上でも「年齢」っちゅうのは判断基準のひとつとなるもんで、「だいたい○○歳くらいまでには、こういうことをやるのは辞めましょうね」的な暗黙の了解というのは世の中にたくさん存在する。 ただ、インターネットが一般に普及して以降、さまざまなジャンルにおいて「もう○○歳だし」というハードルが、かなり低くなっているのではないだろうか。 だって、ネットの世界を見渡せば「いい年こいて」なことを、キーポン○○な精神でずーっとやり続けているスゴイ先達がいっぱいいるのがわかっちゃうんだもん。 そんな感じで、かつては「いい年こいて」と言われていたようなジャンルにも、いい年こいた人たちがわんさか残っていて、エイジレス状態となっているのだ。 ■中年アイドルオタクって、迫害されてる? で、この本『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)だ(コレのレビュー記事を頼まれていたんだった!)。 プロレスファンならば「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)の、アイドル好きならば、ももクロの公式記者としておなじみのライター・小島和宏さんの新刊。 ボクも、ももクロ好きとして小島さんの記事はしょっちゅう読んでいたので、小島さんの語る中年アイドルオタク論とはどんなものかと期待していたのだが……。すみません、正直あんまピンとこなかったっす。 本書の中では、 ・中年アイドルオタクは冷たい目線にさらされている ・世間の理解がまったく進んでいない ・「恥じらい」や「うしろめたさ」を抱いていたほうがアイドルを楽しめる というのが前提としてあり、そのアンチテーゼとして『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』となっていくのだが、本当に中年アイドルオタクって、そんなに冷たい目線にさらされているだろうか? もちろん、中年アイドルオタクに対して「キモイ!」「大人げない!」「ロリコン!」という偏見全開で接してくる人も少なくない……というか、結構多いとは思う。 でもそれが、ハロウィンにドンキで買ったコスプレを着て渋谷を闊歩するヤングたちに向けられる「ウザイ!」「邪魔!」「頭悪そう!」「どーせこれからセックスするんだろ!? ハロウィンでもクリスマスでも、なんでもいーんじゃねーか!」という偏見と、どっちが多いかといえば、まあ同じようなもんなんじゃないだろうか? 取り立てて中年アイドルオタクが迫害されているわけでもなく、価値観が多様化しまくって小さなジャンルの村社会が大量に作られた結果、なにかっちゅうと村人同士が石を投げ合っているのが現代なのだ。 アイドル界隈だけでいっても、中年アイドルオタクはピンチケ(AKB48劇場で販売される中高生向けのチケットのこと。転じて、マナーを守らない若者を揶揄する言葉として使われる)をバカにしがちだし、モノノフ(ももクロのファン)はCDを大量買いするAKBオタクをバカにしがち。かと思えば、他のアイドルグループのファンは、やたらとももクロだけを神聖視するモノノフをウザがったり……。 もちろん、アイドルとかにまったく興味のないリア充は、そんなオタクたちをひとまとめにして「キモイ!」と思っているし、オタクのほうはオタクのほうで、Facebookでステキな飲み会写真ばっかりアップしているリア充をバカにしまくっていることだろう。 以前、アニメオタクの友人と話している時に、 「アイドルオタクはバカだ。いくらCD買ったってアイドル自身には金なんか入らないで、秋元康みたいなおっさんが儲かるだけだろ?」 「だったらオメーの買ってる美少女フィギュアも、作ってるおっさんに金入るだけだろーが!」 みたいな不毛極まりない議論となり、つかみ合いになりそうになったが、もうね……オタクもリア充もヤンキーも意識高い系も、人間は理解し合えないと考えたほうがいい。 こんな時代なんだから、村の外の人たちの目線を気にしても仕方がないのだ(「清潔感」とか、最低限のラインは守りたいところだが)。 学校や会社で、周囲から冷たい目で見られたとしても、気持ちの通じ合える仲間はネットや現場でいくらでも探せるし、もちろん「いい年こいて……」という世間の目を気にしてオタ卒する必要もない。 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』……と、最終的なところで小島さんと意見が一致するんだけど。 ■アイドル記者奮戦記として読もう 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』の帯には「アイドルを追いかけることは大人の立派な“たしなみ”である!」とのキャッチフレーズが書かれているが、同時期に発売された、大森望さんの『50代からのアイドル入門』(本の雑誌社)の帯にも「アイドルは大人のたしなみだ!」との文字があるのも興味深い。 まあ「中年がアイドルを追いかけるなんてキモイ!」という声に対しての理論武装として「大人のたしなみだ!」なんだろう。 小島さんも大森さんも、ボクのひとまわりぐらい上の世代の方たちなのだが、「上の人たちって、周りの目をいろいろ気にして大変そうだなぁ~……」と思ってしまう。 「大人のたしなみだ!」なんて強がらなくても、周りが何と言おうと「ボクは好きだから好きなんだもーん!」でよくない? ……ほら、理解し合えないでしょ? ちなみに本書は、中年アイドルオタク論うんぬんは置いといて、ももクロをはじめとしたアイドルに密着取材してきた、アイドル記者である小島さんの奮闘記として読めばすごく面白いよ。 (文=北村ヂン)『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)
あの加藤紗里が「開店休業状態」!? 有名になりすぎた“弊害”と今後の活動に暗雲
モデルの加藤紗里が「開店休業状態」であることを、自身のブログで告白した。 加藤は9日に更新した自身のブログを更新。「今日は久しぶりにお仕事のお話したよん笑」と発言。芸人の狩野英孝の「5股熱愛騒動」で一躍有名人となり、テレビに出まくっている彼女が「久しぶりに仕事の話」とはどういうことなのか。 どうやら、加藤の“本業”であるモデルの仕事がほとんどない、ということらしい。これまではモデルの仕事もそれなりにあったらしいが、騒動のせいで事前に決まっていた仕事の多くがキャンセルとなってしまったようだ。確かに「イメージキャラクター」という観点でいえば、今の加藤を使いたいクライアントは少ないかも……。 加藤は「少しでも仕事の話できたことが嬉しい~」とも語っており、久しぶりの“本業”にテンションも上がっていた模様。それにしても、5股騒動の“ネタ”とはいえ、テレビ出演を仕事と思っていないとは驚きではある。 「最近でも『サンデー・ジャポン』(TBS系)などに頻繁に出演する加藤ですが、トークが得意そうでもないですし、6日の『サンジャポ』出演後のブログでは、自身のトーク力のなさに落ち込んでいるような文面もありました。向いていないことを認識しているという点ではなかなか冷静ではないでしょうか(笑)。テレビに出るよりも、モデルとして活動したいという言葉にはウソはないと思いますよ」(芸能記者) もともと向いてはいないが、話題性と知名度アップの意味でテレビ出演をしているということか。あまり本人は乗り気ではないのかもしれない。 それにしても、有名になったおかげで本当にしたい仕事ができなくなるとは実に皮肉なことではある。狩野との騒動もそのうち下火になるのが目に見えている現状、テレビ出演も減少するだろう。 一時は地元である広島在住の父親が「広島に連れて帰る」とも語っていたと報じられた加藤。今後の芸能活動はなかなかに厳しいのではないか。加藤紗里オフィシャルブログより






