「それはセクハラです」と声を上げ続けるしかない 刑法改正による強姦罪の厳罰化

 芸能人の強姦事件から職場のセクハラまで、女性の性的な被害が話題にならない日はない。なぜ被害はなくならないのか? セクシャルハラスメントの問題に詳しい太田啓子弁護士に話を聞く。今回は、刑法改正による強姦罪の厳罰化について解説してもらった。

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■相手の不快感に気づかない鈍感さ、無神経さこそが問題

――セクハラでも、裁判は個別の判断ですから、判決もバラバラの印象があります。

太田啓子弁護士(以下、太田) 司法試験の科目に「ジェンダー」はありませんし、ロースクールでも、司法試験に合格した後に通う司法研修所でも、ジェンダーバイアスの問題を勉強することが必須ではないはずです。ですから、裁判官によって、かなり個人差があるというのが正直なところかと思います。

 法律関係者も、必ずしも、社会内にあるバイアスから自由ではないですから。とにかく根本的には、社会全体で、性暴力とはどういうものか? とか、意に反する性暴力であっても、どうして明確に拒否できないことがあるのか? などの理解が深まらなければいけないとずっと考えています。

――実際には女性の意思には反していたのに、「女性は合意していた」と男性側は思う――というようなことが、どうして起きるのでしょうか?

太田 こういう認識のギャップは、加害者側の「認知の歪み」という言い方が当てはまるかと思いますが、本当にどうして、このシチュエーションで、相手の女性が合意していたとあなたは思えるのか? と感じることがあります。

――「無理やりの強姦」ではなくて、「合意の上でのセックス」と思ってしていた、ということですね。

太田 そうです。

――でも、女性の側は「合意ではなかった」と反論しますよね?

太田 はい。私は、過去に何度か「合意していない」と主張する被害者の代理人を務めていますが、加害者は「セックスなんかしてない!」と反論するかと思いきや、「合意してたじゃないか!」と主張するわけですね。しかし「なぜ彼女が合意してたとあなたは思えるの?」と、呆れることは本当に多いです。

 こういう認識のギャップについては、牟田和恵先生(大阪大学大学院教授)の『部長、その恋愛はセクハラです!』(集英社新書)に大変詳しく解説されていますので、是非お勧めしたいのですが、本当に多くのケースで、男性は「彼女も合意していたはず」だから、「強姦ではない」と言うんですね。そして、そう考えた理由を問うても、よくわからない答えしか返ってこなかったりします。

 たとえば、ある女性新入社員が、職場での歓迎会の帰りに、男性上司に「送る」と言われ、断ってもしつこく「送る」と言うので、やむを得ず上司と一緒に歩き、たまたま一番近道だからという理由で公園を通ったところ、上司のほうは「人気のない公園をわざわざ歩くなんて、俺に気があるんだな」と感じ、彼女にキスをしたと。彼女は嫌だったけれど、上司に強くは抵抗できずにいたところ、上司は「これはいける」と思い込み、その後も頻繁に誘うなど、行為をエスカレートさせていった……など。

 こういう、当事者の認識のギャップの大きさは、本当に驚くほどです。

――男性側に、悪気はないということですね。

太田 そういうことでしょうね。嘘をついているという自覚ではなく、本気で「相手が嫌がっているとは思わなかった」と言っているのだろうと思うことも、よくありますよ。しかし問題は「嫌がっているとは思わなかった」こと自体だと思うのです。相手の不快感に気づかない鈍感さ、無神経さこそが問題です。

 しかし裁判で「合意がなかったこと」とか、「女性が嫌がっていることを男性側が認識していたかどうか」を立証するのは、とても難しいのです。女性はかなりの勇気を振り絞って被害届を出しているのに、法廷で主張が認められないことも多く、さらに傷ついてしまいます。声を上げてもムダだと思って泣き寝入りしている女性は、かなり多いと思います。

■明治以来の刑法大改正で強姦罪も厳しく

――刑法は、どのように改正されるのですか? 来年の通常国会で性犯罪規定に関する刑法改正案が提出される予定で、これは1907年(明治40年)制定以来、初の大規模改正といわれています。

太田 明治時代という、女性に選挙権も被選挙権もない時代に作られた刑法の性犯罪規定が、戦後70年以上改正されずに生きていたというのは、冷静に考えれば、あってはならないことだったのではないでしょうか。男性の被害もありますが、しかし圧倒的に性犯罪の被害を受けやすいのは女性です。その女性の経験値や意見を反映しないで作られた刑法で、今まで性暴力は裁かれてきたということに、改めて怒りを覚えます。

 明治時代、女性は一人前の権利主体ではなく「男性の付属品」「所有物」のような扱いでした。性犯罪も、個人の性的自由を侵害する犯罪というより、社会の風紀を乱す犯罪というようなところを重視していたのではないでしょうか。条文の位置が、殺人罪や窃盗罪などの個人的法益を害する犯罪群のところではなく、前後に賭博罪や偽証罪などがある、社会的法益を害する犯罪群のところにあったりしますしね。

また、強姦罪と強制わいせつ罪で法定刑が違うのは、妊娠という結果を招く危険性がある犯罪のみを特に強く罰するという発想なのでしょうから、被害者本位の規定ではありません。

 現行の強姦罪(第177条)は「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする」としていて、ここでいう「姦淫」とは「膣内に陰茎を入れること」だけを指します。膣内に大人のオモチャのような異物を入れることや、陰茎を挿入するのが肛門とか口であれば、「強姦罪」ではなく「強制わいせつ罪」、つまりより法定刑が低い犯罪類型に該当するということになってきました。

 しかし、被害者側からみれば、いずれも同じくらいに尊厳を傷つけられ、性的自由の侵害の程度は変わりませんよね。「膣じゃなくて肛門だったから、まだよかった」とは、普通は感じないのではないでしょうか?

 法務省の法制審議会(刑事法〈性犯罪関係〉部会)が何回か検討を重ねて、平成28年6月の審議会議事録資料として、「要綱(骨子)修正案」が公表されています。

 今回の改正案では「被害者の肛門内又は口腔内に陰茎を入れること」と、「行為者又は第三者の膣内、肛門内又は口腔内に被害者の陰茎を入れる行為」も「強姦罪」として処罰するという内容が盛り込まれ、肛門性交や口腔性交、いわゆるアナルセックスとフェラチオを強要することも「強姦罪」に入るという内容です。こういう内容ですので、被害者が男性の場合であっても、肛門性交や口腔性交を強いられた場合には「強姦罪」での処罰が可能となります。法制審議会(15年11月)では、「いわゆる肛門性交及び口淫は陰茎の体腔内への挿入という濃厚な身体的接触を伴う性交渉を強いられるものであって、姦淫と同等の悪質性、重大性がある」と説明されています。

■先輩方が声を上げてきたのは、無駄ではなかった

――確かに、悪質性でいえば同じですね。「今さら」感もなくはないですが、前進はしているのですね。

太田 はい。国際的に見て、まだ遅れているところはありますが、これからも実態に合わせて法整備を進めていければと思います。

 外国の例を見ると、たとえばフランスの刑法では、強姦罪で刑が加重される場合として「被害者に対して権限を行使できる立場にある者によってなされた強姦」とか「職業上の権限を付与された者がその権限を濫用することによって行った強姦」というのがあるそうです。現場では、まさに上下関係がある人間関係でにおいてこそ、被害者が強く拒否できず、それに乗じて性暴力が行われていることが多いわけですから、これは非常に現状に即していると思いました。

 ほかにも参考にしたい外国の規定はいろいろありますが、どれくらいうまく運用できているかなどは私もまだ不勉強です。それぞれを参考にしつつ、日本の規定も前進させていってほしいと思います。

――少しずつでも進めばいいですね。こうしてみると、セクハラの被害は減らないようでいても、30年前よりは20年前、20年前よりは現在のほうが改善されてきています。

太田 今まで私たちの先輩方が声を上げてきたのは、無駄ではありませんでした。セクハラ被害をゼロにするために、これからも繰り返し声を上げていきたいと思っています。

 あとは、教育も重要ですね。私にも2人の息子がいるので、子ども向けのアニメで脈絡なく女の子の入浴シーンが出てきたり、スカートの中をのぞきかけて女の子に怒られてもへらへらニヤニヤとしか謝らないような場面が出てくると、「こういうのは絶対ダメなんだよ! 女の子はすっごく嫌なのを、わかっておくように」と話すようにしています。子どもたちもわかってきていて、テレビでそういう場面があると、先手を打って「ママ、アレはダメだね」と言うようになっています(笑)。
(蒼山しのぶ)

太田啓子(おおた・けいこ)
国際基督教大学卒業、2002年に弁護士登録。「神奈川県弁護士会」「明日の自由を守る若手弁護士の会」所属。主に家族関係、雇用関係、セクハラ、性犯罪問題などを取り扱う。「怒れる女子会」や「憲法カフェ」などの活動を通じて、セクハラや憲法改についての問題提起も続ける。

相手がセックスに合意していたと思ったから無罪? 強姦罪の立件が難しい理由

 芸能人の強姦事件から職場のセクハラまで、女性の性的な被害が話題にならない日はない。なぜ被害はなくならないのか? セクシャルハラスメントの問題に詳しい、太田啓子弁護士に話を聞く。今回は、高畑裕太の強姦致傷罪での不起訴について解説してもらった。

(第1回はこちら)

■被害女性を傷つける、示談後の紛争蒸し返し

――セクハラ被害が問題になるたびに、男性側の勘違いがあらわになるケースも多い気がします。

太田啓子弁護士(以下、太田) たとえば9月に強姦致傷罪の容疑で逮捕・勾留されていた俳優が不起訴になりましたが、彼の弁護人のコメントには、かなり違和感がありました。

 示談成立について、弁護人側は検察官には伝えなくてはなりませんが、メディアへあのように発表することの是非には議論があると思いますね。ずいぶん報道されましたから、被疑者の名誉を少しでも回復しようという意図ではあったのでしょうし、その考え方自体はわかります。それにしても、内容については、問題が多かったと考えています。

――具体的には、どこが問題だと感じましたか?

太田 「知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く」とか、「違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております」、要は、別に悪いことをしたわけではないのだ、というような認識を示談後に発表するのは、被害申告を受けた女性を傷つけるものだろうと非常に気になっていました。

 そもそも、こういう場合の示談とは、事実関係についての認識のギャップを踏まえつつ、「それでもまあ、お互いに紛争を早期解決することを重んじて、認識の違いはこれ以上言わないことにして終わりにしましょう」というものなので、一方のみの事実関係についての認識を公に発表するのでは、紛争の蒸し返しのようなことになってしまいます。蒸し返したら他方から反論もあり得ますので、紛争が収束しませんよね。示談後の紛争蒸し返しというのは、弁護士としては通常、最も避けようとすることなので驚きました。

 そのため、数日後に「あの弁護人コメントは女性の承諾を得ているのだろうか」とブログに書いたりもしたのですが、当時は被害女性側の声は何も聞こえてきていなかったこともあり、弁護士仲間同士では、「もしかしたら、ああいう内容をメディアに発表してもよい、という承諾を女性側から得た上で、その分、ある程度高額な示談金で示談した可能性もあるのかもしれないね」などという臆測もしていました。めったにないことではありますが、もしも女性側が承諾している範囲の「蒸し返し」であるなら、まあ、いいのかも、と思わなくもなかったのです。

■「合意の上のセックス」って、なぜ思えるの?

――女性は、あの弁護人のコメントの発表を承諾していたのでしょうか?

太田 後に被害女性が「週刊現代」(講談社)の取材に応じて話したという内容(第1回第2回)が出てきましたね。これの記事によると、あの弁護人コメントの内容を、被害女性側は事前に知らされていなかったということです。ひどいと思いました。これでは、弁護人によるセカンドレイプだと思いますね。

 弁護人コメントの内容に戻りますが、「合意があるものと思っていた可能性が高く」「違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件」というところは、「本当は無罪主張をしたいが、諸事情から示談で事件を早期に終結させることとした。そもそも性的関係について合意があるものと思っていたのであるから、仮に有罪と認定されるとしても違法性は低く、悪質とはいえない」ということのようです。

 性的関係があったこと自体は双方に争いはない(事実として認める)が、加害者とされる方が「相手の合意があると思っていた」場合、それは「無罪」あるいは「違法性が低い」となるという一般的知見があるかのごとく言い切っているのが、弁護人コメントに対して感じる最大の違和感です。

 必ずしも、「無罪」あるいは「違法性が低い」とは言いきれないはずです。「合意があると思った」としても、そのことにそれなりに合理性はあるということでないと、「故意はない」とか「行為態様の悪質さは低い」とは言えないはずです。

――「合意があると思った」ことについての合理性に疑問を感じるというのは、たとえばどういうところでしょうか?

太田 前提として、犯罪は原則的に「故意」がなければ成立しません。「故意」とは、「わざと、その行為をしようとする」ことなので、強姦罪でいう「故意」とは、相手が同意していないのを知っていながら「わざと」性交しようとする意思です。なので、「相手の同意があると思って性交した」場合には、「故意がない」から「強姦ではない」という理屈になってしまうんですね。

 殺人罪を例にお話ししますと、「確かに自分は、鋭利な刃物で相手の頸動脈付近を突き刺した。でも、それは殺害行為ではないと思っていたので、殺人罪の故意はない」という主張を聞いたら、「そんなの不自然すぎる、あり得ない」と思いますよね。「殺害行為はしていない」と思ってさえいれば、すなわち「故意がない」とはならないわけです。

 強姦罪についても同様です。「相手が合意していたから、強姦行為はしていないと思っていた。だから強姦罪の故意はない」という主張は、理屈上はあり得ます。

 そのとき問われるのは「相手が合意していたと思った」という認識をどこまで、平たく言えば「あり得る」と認定するかどうかです。「よくそのシチュエーションで、相手が性的関係に合意してると思ったって言えるよね?」ということは、実務(実際の案件)ではよく出合う「加害者」の言い分です。

――具体的にお話しいただけますか?

太田 たとえば、路上で見知らぬ女性を拉致して車の中に連れ込み、人けのない山中に連れて行って性的行為をしたという場合、加害者側が「相手の女性は嫌がるそぶりもなく、自分との性的行為に同意していた。だから強姦じゃない」と言ったとしたら、さすがに一斉に「それはないだろう」と、みんな突っ込むと思うんです。

 ですが、もともと面識のある間柄だったらどうでしょうか? たまたま2人きりになる場面があって、そこで性的関係があったら? 男性上司が女性部下の自室に入って、そこで性的関係があったら? 女性部下は「『何もしない。一緒に酒を飲もう』と言われたから入れただけで、性的関係なんて合意していなかった」と言い、男性上司は「家に入れてくれて2人きりになった時点で、性的関係には合意があると思った」と言ったら? もともと知り合いではなかったけれど、急に親しく接近したように見える事情があったら? だんだん、「合意があったと思っても無理はない」という意見も出てきそうですよね。

■面識がある人間関係で起きた強姦については、なかなか立件してもらえない

――「高畑事件」でも、「加害者側」と「被害者側」の言い分が、かなり食い違っているようです。

太田 実際に犯罪が成立するような事実があったかどうかは、私も直接証拠などを見ていない以上、あまり推測であれこれ言うべきではないと思っています。

 ただし、争いがない事実(証拠により容易に認定できる事実)として、当日まで両者には全く面識がなく、ビジネスホテルの従業員とその客として偶然接点があっただけであること、現場は女性の勤務先であること、女性は勤務時間中かあるいは勤務を終えた直後の時間帯であること 女性が直後に被害を届け出ている、という点があるとはいえますよね。

 そのような、面識を得て間もない男女間で、女性の勤務先において、女性の勤務時間中か、それに近接する時間帯に、合意のある性的関係があったと加害者が思ったことにも合理的事情がある(=強姦罪の「故意」があるとはいえない)と判断するためには、いろいろな具体的事情がなければならないのではないかとは感じます。

――「合意があったはずだ」「いや、合意なんてしていなかった」と言い分が食い違ったときは、どう判断すればいいのでしょうか?

太田 性的関係に至る経過や両者の人間関係(上下関係があって、「被害者」側が真意に基づく言動をできなかった可能性など)を、詳細に把握し検討する必要があると考えています。

 しかし、その認定の過程には、男女関係についてのいろいろなバイアスが、実際問題入ってきます。たとえば「いやよいやよも好きのうち」というバイアスを検察官も持っていたら、「まあ、女性も、『いやよ、やめて』とは言ったようだが、それは文字通りイヤという意味ではなかったかもしれないし、男性側がそう考えても無理もない」と捉えて「合意があったと考えたことにもそれなりに合理性はあるから、故意があったとは言い切れない、嫌疑不十分」と判断する可能性はあるかもしれません

 現実問題、実務では、もともと面識がある人間関係で起きた強姦について被害届を出しても、なかなか立件してもらえないという感覚が正直ありますね。加害者側が「確かにセックスしたけど、向こうも合意してましたよ」と言うことが多いのでしょう。厳密な法律用語ではありませんが、よく「合意の抗弁」と言います。
(蒼山しのぶ)

(第3回につづく)

太田啓子(おおた・けいこ)
国際基督教大学卒業、2002年に弁護士登録。「神奈川県弁護士会」「明日の自由を守る若手弁護士の会」所属。主に家族関係、雇用関係、セクハラ、性犯罪問題などを取り扱う。「怒れる女子会」や「憲法カフェ」などの活動を通じて、セクハラや憲法改正についての問題提起も続ける。

おばさんの胸なら触っても問題ない? 性暴力の実態からかけ離れている法の不備

 芸能人の強姦事件から職場のセクハラまで、女性の性的な被害が話題にならない日はない。なぜ被害はなくならないのか? セクシャルハラスメントの問題に詳しい太田啓子弁護士に話を聞く。今回は、今年6月に不起訴になった、茨城県八千代町の大久保司(まもる)町長の「セクシャルハラスメント疑惑」を解説してもらった。

■人前で他人の胸をもんでも不起訴!

――現在でも毎日のように女性の性的な被害が報じられています。なぜセクハラの被害はなくならないのでしょう?

太田啓子弁護士(以下、太田) 理由はいくつもあると思いますし、男性が被害者の場合もありますが、やはり大きく言うと、「男女差別構造」と「男女の認識の差」の存在です。最近特に覚えているひどい例として、茨城県八千代町の大久保司町長の「セクシャルハラスメント疑惑」がありました。

 町長が加害者として告訴・告発されたのは2件です。2014年夏に、八千代町内の温泉施設で行われた歌謡ショーで、客席にいた50代の女性の胸をつかんだというのが1件目で、15年4月に歌謡ショーのステージ上で、出演者の60代の女性歌手の胸元に手を入れたというのが2件目の疑惑です。警察は、1件目は「強制わいせつ罪」、2件目は「県迷惑防止条例違反の疑い」として書類送検したのですが、検察は嫌疑不十分として不起訴にしました。

 特に驚いたのは2件目なのです。2件目はステージ上で大勢の観客の前で行われたもので、目撃者は多数いますし、その場面の写真もあるんですね。町長が女性歌手の着物の胸元を手で開いているような画像が、被害者とされる女性の提供としてテレビに流れ、インターネットで今でも見られます。その女性によると、着物の胸元に紙幣をねじ込むようなことをされたそうなのです。

――なぜ不起訴になったのですか?

太田 まず1件目ですが、現行の刑法の強制わいせつ罪(第176条)は、「13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする」としています。

 16年6月8日付茨城新聞によると、1件目のケースに関して水戸地検の竹中理比古(よしひこ)次席検事は、「事実を認定するに足る証拠が得られなかった」と述べたそうです。これだけでは、どの事実の存在を認定できなかったのか、はっきりはわかりませんね。

 13歳以上の男女に対する「強制わいせつ罪」が成立するためには、(1)「暴行又は脅迫」の存在(2)「わいせつな行為」の2つの条件を充足する必要がありまして、(2)はあっても(1)がないと、犯罪は成立しないのです。

 ですから、実務では、被害者から見たら性的被害自体はあったとしても、「それでは強制わいせつ罪でいうところの『暴行又は脅迫』があったとはいえないんじゃないか」ということで(1)を満たさず嫌疑不十分、ということもあり得ます。本件もそうであった可能性があるかもしれませんが、情報が乏しく、これ以上はわからないですね。

 つまり、「暴行又は脅迫」を手段にしないで、違う手段を利用して「わいせつな行為」をしたとしても、それは現行法では「強制わいせつ罪」には問われないのです。

 フランスの刑法には「性的攻撃罪」というのがあるそうなのですが、その定義は「暴力、強制、脅迫又は不意打ちをもって行うすべての性的侵害」だそうです。これを見て、ああ、そうそう、「不意打ち」を利用する性的加害っていうのもあるよね、こうでなくては、と思いました。

 被害者の意思に反して体に性的に接触するなんて、それ自体が被害者の性的尊厳を傷つけるものですよね。「暴行又は脅迫」を手段にしなくても、そういう性的接触は可能なわけです。たとえば「不意打ち」でやるとか、人間関係上優位にあることを利用するとか。

 そういう実態を踏まえていない今の刑法では、「暴行又は脅迫」を手段にしない性的加害は「強制わいせつ罪」に該当しないことになってしまっている。つまりは「暴行又は脅迫」を手段にするもののみに限定している法律に不備があるのです。刑法の性犯罪関連規定の改正案が、来年通常国会に提出される予定で、十分ではなさそうですけれども、でも、少しはよくなることを期待しています。

■おばさんの胸を触っても、わいせつではない?

――2件目については、どうして不起訴になったのでしょうか?

太田 茨城県の「公衆に著しく迷惑をかける行為の防止に関する条例」2条には、公共の場所で、「人を著しく羞恥させ、又は人に著しく嫌悪の情を催させるような方法で」「衣服等の上から、又は直接他人の身体に接触」してはならない、という規定がありまして、電車内の痴漢もこれに該当する立件が多いですけど、2件目もこの規定に該当するのではないかということで警察は書類送検しました。

 ところが検察は不起訴にし、その理由を報道で見て、ひどいと思いました。前出の茨城新聞によると、竹中次席検事は「外形的事実は認められるが、ステージ上、大勢の観客の面前で行われ、性的色彩は薄く、被害者を著しく羞恥させ、著しく嫌悪の情を催させると評価するのは困難」と述べたそうです。

――「外形的事実は認めた」ということは、町長が女性の胸を触ったという事実があったことは検察も認めたのですよね?

太田 そうです。

――それなのに、どうして嫌疑不十分ということになったのでしょうか?

太田 「ステージ上、大勢の観客の面前で行われ、性的色彩は薄く、被害者を著しく羞恥させ、著しく嫌悪の情を催させると評価するのは困難」と検察は説明していますね。これを聞くと、「ステージ上、大勢の観客の面前で行われた」ことが「性的色彩は薄く被害者を著しく羞恥させ」たとはいえないことの理由になっています。

 いや、逆でしょう。大勢の人の前で胸元に手を入れられたなんて、むしろ被害者の羞恥心は強い理由になるはずです。いったいどういう思考回路なんでしょうか? 検察は大勢の人の前で女性の胸を触ったことを認定したのに、そして触られた被害者は刑事処罰を求めたのに、それでもなんの犯罪も成立しないと検察としては考えました――なんて、おかしすぎるでしょう。

――たぶん加害者としては、加害の意識はなく、「ふざけただけ」ということなんですよね。被害者も60代なので、「おばさんの胸だし、いいじゃん」というようなところがあったのかと思います。

太田 そうですね。実際、一般的に「若くはない」女性の性被害も結構あるわけですが、そういう場合、加害者は「もうおばさんなんだから、いいじゃん別に」みたいに思ってるんだなと感じることも結構あるんです。本件でも、そこのところ、加害者の言い分に、検察がそのまま乗ってしまったんじゃないのかという気がしています。

 もし相手の女性が「ミス茨城」「ミス八千代」みたいな、若くきれいな女性だったら、町長は同じことをしていたでしょうか? 少なくとも、全く同じことはしなかったんじゃないかという気がするんです。また、検察も、その行為は「性的色彩は薄い」と判断したでしょうか?

 その女性のことを「おばさん」だと思ってたから、加害者はこの行為に及んだし、検察も「まあ、性的色彩は薄いよね」と考えたんじゃないでしょうか?

 つまり「人前で、もう若くないおばさんの胸を触ったって、誰もわいせつだなんて思わない」みたいな発想が、加害者にはあったでしょうし、あろうことか、検察もそう考えたから「性的色彩は薄い」なんて言えたんじゃないでしょうか。言葉ではっきりはもちろん出てきませんでしたけど、「若い女の子の胸しか、俺らの性的欲求の対象にはならないし」というのを、加害者と検察が暗黙に共有してたんじゃないかという気がしました。

■法律のあり方が、性暴力の実態からかけ離れている

――本件で「性的色彩は薄い」というのは、本当によくわかりません

太田 「ステージ上、大勢の観客の面前で行われ」たから「性的色彩は薄い」って、「ショー的だった」ということなのかなと思うんですが、そんな「ショー」に女性は同意なんてしておらず、いきなり触られたわけです。それなのに「性的色彩は薄い」とは、ちょっと信じがたい発想ですね。

 あまりに信じがたいので、被疑者が町長という立場にあったことに「配慮」したのかなと思ってしまいますね。そういうのも、少しあったのかもしれません。あってはならないことですが。

 いずれにせよ、本当に被害者本位の法律運用ではないとも感じました。何歳になったって、いきなり人前で胸を触られるなんて、嫌に決まってるじゃないですか。やはり法律運用者が十分に性暴力の本質を理解しなければ、きちんと性暴力を裁くことはできないと、つくづく思いました。

――そもそも、2件目は「強制わいせつ罪」ではなく「迷惑防止条例違反」の容疑だったというのも、考えてみたら、よくわからないのですが。

太田 強制わいせつ罪の成立要件である「暴行又は脅迫」が認められないから、ということではないかと思います。

 2件目は、突然胸元に手を入れるという、まさに「不意打ち」で性的接触をしたということではないかと思うのですが、そういうのを「暴行又は脅迫」がないから「強制わいせつ罪」にはそもそも該当しない、という法律のあり方が、性暴力の実態からかけ離れていると考えています。
(蒼山しのぶ)

(第2回につづく)

太田啓子(おおた・けいこ)
国際基督教大学卒業、2002年に弁護士登録。「横浜弁護士会」「明日の自由を守る若手弁護士の会」所属。主に家族関係、雇用関係、セクハラ、性犯罪問題などを取り扱う。「怒れる女子会」や「憲法カフェ」などの活動を通じて、セクハラや憲法改正についての問題提起も続ける。

「命の選別」は認められるのか? 生殖医療の専門医師が語る、技術の進歩と人間の多様性

 近年、生殖医療技術が革新的に進歩している。今年9月27日には、米国ニューヨークのニューホープ不妊センターで、母親の病気が遺伝するのを避けるため、第三者の女性のミトコンドリア(細胞の中にありエネルギーを産生する小器官)を使う技術で新生児を誕生させることに成功したと伝えられた。厳密にいうと、この受精卵は3人分のDNAを含むことから、技術の進化に追いついていない法の整備も急がれている。

 タブー視されがちな生殖医療と生命倫理の折り合いをどうつけていくべきなのか。生殖医療の現場に精通する埼玉医科大学医学部産科婦人科教授で、『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者である石原理氏に聞いた。

(前編はこちら)

■新技術で誕生した子どものフォローアップが欠かせない

――先日、3人の親を持つ子どもの誕生が話題になりましたが、どのような技術なのでしょうか?

石原理氏(以下、石原) 遺伝疾患を回避するために、ミトコンドリアを移植するという技術になります。ミトコンドリアに由来する脳の障害として、「リー脳症」という病気が知られていますが、それを治療するには変異の起こった遺伝子のミトコンドリアを健康なものに取り替えればいいわけです。

 そこで、さまざまな技術革新により誕生したのが「核移植」です。卵子には、人間の設計図になる核とミトコンドリアが含まれています。そのうちミトコンドリアに異常がある場合、核だけを取り出し正常なミトコンドリアを持つ“別の女性”の卵子に移植。その卵子と父親の精子を受精させます。

 これにより、核の遺伝情報はそのままで、ミトコンドリアなどの他の部分は新たな細胞に由来するものになります。ただ、「ミトコンドリアの母」といえる第二の母も同時に誕生することになるわけです。

――ただ、生殖医療は成功して終わりではなく、長い年月をかけて検証する必要がありますよね?

石原 おっしゃる通りです。今回の核移植によって、元気な子どもが生まれたと報告されていますが、5年10年、さらにもっと年月がたってみないとわかりません。

 たとえば、1992年に「顕微授精」で最初に生まれた子どもたちのうち、成人になった男性の精子を調べたら、普通の男性に比べて精子数が少なくて運動性が悪いことがわかりました。ただ、顕微授精でしか受精できない父親の精子とくらべると、通常妊娠が可能なレベルなので、父親の遺伝情報だけに左右されるわけではないということが証明された結果だと思います。

 「顕微授精」は卵子に器具を差し込む、いわゆる侵襲を伴う受精とあって、それまでにはあり得ないとされていた方法です。「顕微授精」に限らず、新しいテクノロジーで誕生した子どもについて、後々の影響の有無を明確にする上でも、フォローアップが欠かせないと思います。

■DNAレベルでの変異は全員持っている

――遺伝にまつわる生殖医療を考えるとき、「ダウン症」の出産前診断が議論されていると思いますが、生殖医療という観点からどうお考えになりますか?

石原 遺伝的なハンディキャップがある方は、人体にもわかりやすい変化が起こるわけです。ダウン症は染色体の本数の違いによって生じるものですが、DNAレベルでの変異は全員持っているんですよね。あくまでも完璧っていうのはありえない。

 いろんな人がいて、さまざまなキャラクターだとか、アイデンティティの人を広く許容して、社会を構成していくべきです。強い人は弱い人を助けなければいけないと思います。生まれてくる子どもたちに関する社会的なケアは100%徹底されるべきです。しかし、子どもを育てる上で、上の子がハンディキャップを持っているから、下の子はなんとか健康な子どもがほしいという思いを否定することはできない。遺伝子診断を禁止するのは、あまりにも無理があります。

 一方で、男女産み分けは明らかに行きすぎです。しかし、たとえばパキスタンで行われる出生前診断の99%は性別診断です。国連やWHOは非難しているのですが、慣習として根付いているものを変えるのは難しいと思います。

――先生は命の選別ということについてどう思われますか?

石原 正直、中絶は嫌です。それにくらべると着床前の出生前診断の方が受け入れやすいです。しかし日本の場合、中絶は平気な人が多い。妊娠中期の中絶は今ものすごく増えていますので、そこは違和感があります。

■人間を「男」「女」だけに分類することには抵抗がある

――性同一性障害も遺伝子の問題とされていますが、原因については明らかではありませんよね?

石原 遺伝上の性別は「Y染色体」があるかどうかによって基本的に左右されます。「Y染色体」があれば男性になります。例外として「Y染色体」がなくても、「SRY」という遺伝子があれば、精巣になることもあります。胎児精巣からの男子ホルモンの有無によって、胎児期に男女の差ができます。

 さらに、精巣から「アンチミュラー管ホルモン(AMH)」が出ていると子宮や膣ができなくなります。その段階で“生殖器による男女の差”ができますが、心の性別がどうなるか、今のところわからないんですね。胎児期に母体から受ける性ホルモンレベルが関わっているなど、いろんな説がありますが、今のところ明確な証明はできていません。それほど単純なものではないのです。

――現状は生殖器によって男女2タイプに分類されていますが、そのことについてはどう思いますか?

石原 性別は、生まれた時点の外陰部の形態により、医師や助産師さんが男女どちらかに決めているという状況です。ただ、特に女性の外陰部はかなり個人差があり、男女の差が曖昧なケースもあります。にもかかわらず、「何が正常か」「何が普通か」ということばかりが強調されます。そうした意味からも、人間を「男」「女」だけに分類することには抵抗があります。

 「性同一性障害」という言葉自体、障害として捉えようとしていると思うのですが、基本的に病気ではないことを、しっかりと理解するべきです。それに、男みたいなところもあるし、女みたいなところもある人がほとんどではないでしょうか。はっきりしない人もいる、中間的な人もいるわけですから。男性“性”とか女性“性”、両極端を強調して、どちらかに近づけようとするのは正しくないと思います。
(末吉陽子)

「精子バンクの商業化は多くの人たちの幸せにつながる」生殖医療の最前線の医師が語る、日本の家族観の問題点

 1978年に体外受精によって、ルイーズ・ブラウンさんがイギリスで誕生してから38年。生殖医療の分野では、日進月歩で技術が進化を遂げている。その一方で、テクノロジーと切り離せない“生命倫理”をどう捉えていくかについて、議論はまだまだ道半ばである。

 そこで、生殖医療の最前線をレポートした『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者である埼玉医科大学医学部産科・婦人科教授の石原理氏に、現代の生殖医療にまつわる課題について聞いた。

■さまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけない

――生殖医療はどのような問題をはらんでいるのでしょうか?

石原理氏(以下、石原) もともと子どもを授かることは、自然なことで“神様の思し召し”として受け入れられてきました。ある種の“思い込み”だった妊娠について、「子どもができないのは何か原因があるに違いない」として解明した結果、治療をすれば子どもができるのではないかと、医療を適用させる考え方が生まれました。ただ、その治療は文化的、宗教的なものによって大きく影響を受けます。国によっては受け入れ難いものもあるということです。

 また、現実に治療方法が開発され、一般の人々の手に届くようになったとき、個人の経済状況によって、治療を手に入れられるかどうかの差があることも問題です。特に、発展途上国の中には高価な不妊治療を受けられない女性がたくさんいるという事実があります。

――生殖医療が“妥当な治療”であるかどうかは、個人ではなく国レベルで左右されてしまうということですね。

石原 生殖医療について、世界標準の見解を得ることには無理があるのではないでしょうか。世界にはいろいろな価値観があるので、それらに基づいてお互いを認めていかなければと思います。“これが絶対だ”とまとめることはできない。それでも「格差」「偏見」「閉鎖性」というキーワードに生殖医療が紐づいているのであれば、それらを解消していく必要があります。

――生殖医療とひとまとめにできないほど、さまざまな治療が存在しますが、日本でも取り入れられている「精子バンク」の運営については、世界共通のルールは設けられているのでしょうか?

石原 特別ないです。国や地域によってそれぞれルールを設定していますが、そもそも「精子バンク」は常々ネガティブに捉えられていました。アメリカでは商業ベースで精子が販売されていて、正直、私自身も偏見がありました。ただ、直接当事者の話を聞くと、必ずしもネガティブなものばかりではないという結論に達しました。

 実際に、残念ながらパートナーの精子で妊娠できない女性がいらっしゃいます。さらに、もっと重要なことは、結婚という形態が本当に必要なのかということです。独身女性やレズビアンカップルでも、「結婚は望んでいないが子どもはほしい」と要望する人も圧倒的に多い。

 実は、結婚した男女のカップルが、第三者の精子を求めるケースは年々減ってきています。その代わり、精子を求めている人の90%以上は、世界規模で見ると独身女性、あるいはレズビアンカップルです。では、問題は、その方たちが子どもを持つことについてどう考えたらいいか。それについては、国連がすべての婚姻形態やさまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけないと、ガイドラインに示しています。ヘテロセクシュアルとホモセクシュアルのカップルは同等に扱わないといけないと宣言している。各国にも遵守するよう要請しており、日本を除く多くの国がすでに同性婚を認めています。

■日本での精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められている

――生殖医療を考えるにあたって、まずは家族のあり方から考えるべきということですね。

石原 そのように思います。同性婚については、ここ数年で英国と米国が認めるようになり、それに伴って、「精子バンク」の必要性と存在意義についても、見直されるようになりました。従来は知り合いの男性から精子を提供してもらうことが多かったわけですが、しかしそれが日本で語られることや報道されることはない。まるっきり別の世界の話になっています。

 その一方で、提供精子により生まれた子どもが、精子提供者が誰なのか知るべきかどうかについては、議論の過程にあります。日本でも自分が提供精子で生まれたことを知って、自分とは何者なのかがわからなくなる「アイデンティティクライシス」を起こした人について報道されました。

――やはり子どもには、誰が精子提供者かを伝えるべきなのでしょうか?

石原 そうとも限りません。「アイデンティティクライシス」の問題は、社会的な父親が生物的な父親だとずっと信じ込んでいたことが裏切られた、という点にあるのであって、精子提供者がどこの誰なのかを知ることとは、別の次元の話です。そもそも、自分が提供精子で生まれたことを知っていれば、精子提供者が誰なのかをそこまで知りたいと思わないかもしれない。

 実は、スウェーデンでは、1983年から精子提供者が誰かを、子どもが18歳になったときに知ることができるよう、法律が整備されているんですね。しかし、聞きに来た子どもはほんのわずかしかいない。もしかしたら、親が精子提供で生まれたことを知らせてない可能性もありますが、わざわざ聞きに来るケースは少ないようです。

――ただ、シングル女性やレズビアンカップルの子どもの場合、精子提供を利用したかどうかは、当然気付くはずですよね?

石原 はい。したがって教えないという選択は難しい。教えなければいけないけれど実際、それがどこの誰だかわからないとなってしまうのが、問題の中心になってくるわけです。そのため、やはり精子提供者のアイデンティティをちゃんと明らかにしておく仕組みが必要になってくるのです。

 精子提供者は、スウェーデンやイギリスでは自分のアイデンティティをオープンにする必要があります。ただ、フランスや日本は相変わらずアイデンティティをオープンにしない、匿名提供です。日本では、精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められているので、もうすでに家庭に父親がいるわけです。そこにもう1人、生物学的な父親を持ち込むことが必要不可欠なのかどうかが問われますが、いまのところ必要不可欠ではないという判断で、匿名提供になっているのです。

■未婚女性から生まれる子どもが増えると出生率も向上する

――日本の場合、父親の精子に何かしらの異常があって提供を受ける、かつヘテロセクシャルの夫婦でなければなりません。精子提供は医療的な要素をすごく感じますね。

石原 それは、日本においては婚姻しているカップルから生まれた子どもと、婚姻していない女性に生まれた子どもに明確な差別があるからだと思います。これについては、国連からずっと指摘され続けていますが、同性婚どころか選択的夫婦別姓すら許されていない。

 極めて古典的な日本の家庭像が定着していて、未婚女性から生まれる子どもの比率は全体の3%くらいしかいない。ほとんどの国は40%から50%は、未婚女性から子どもが生まれますし、アイスランドに至っては75%が未婚女性の子どもですから。

――画期的な技術があっても、選択ができないようでは、何とも不平等な気がします。

石原 日本はいろいろなパターンや選択肢を許容する幅が狭すぎる。またそれに対して社会的なサポートがないのです。「精子バンク」の商業化は、提供精子の安全性を追求していく上でも極めて有効です。要するに製品として精子をモノ化してしまうことによって、一種の資源となり、扱いが冷静になります。馬や牛でも種付けという行為があります。単純にそれだけのことだと割り切ると話は理解しやすくなる。その方が多くの人たちの幸せにつながると思います。

 しかし、日本の社会でそうした考えが受け入れられるようになるには、まだまだ時間がかかるでしょう。ただ、10年たったらどうなるかわからない。重大なのは法の整備であり、基本的な枠組みです。

 日本では出生率の著しい低下が社会問題化していますが、婚姻していない女性から生まれる子どもが増えると、出生率も向上する正の相関関係を示すのが常です。保育所が不足していることも問題ですが、それ以外にもやらなければいけないことがたくさんあるはずです。
(末吉陽子)

「精子バンクの商業化は多くの人たちの幸せにつながる」生殖医療の最前線の医師が語る、日本の家族観の問題点

 1978年に体外受精によって、ルイーズ・ブラウンさんがイギリスで誕生してから38年。生殖医療の分野では、日進月歩で技術が進化を遂げている。その一方で、テクノロジーと切り離せない“生命倫理”をどう捉えていくかについて、議論はまだまだ道半ばである。

 そこで、生殖医療の最前線をレポートした『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者である埼玉医科大学医学部産科・婦人科教授の石原理氏に、現代の生殖医療にまつわる課題について聞いた。

■さまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけない

――生殖医療はどのような問題をはらんでいるのでしょうか?

石原理氏(以下、石原) もともと子どもを授かることは、自然なことで“神様の思し召し”として受け入れられてきました。ある種の“思い込み”だった妊娠について、「子どもができないのは何か原因があるに違いない」として解明した結果、治療をすれば子どもができるのではないかと、医療を適用させる考え方が生まれました。ただ、その治療は文化的、宗教的なものによって大きく影響を受けます。国によっては受け入れ難いものもあるということです。

 また、現実に治療方法が開発され、一般の人々の手に届くようになったとき、個人の経済状況によって、治療を手に入れられるかどうかの差があることも問題です。特に、発展途上国の中には高価な不妊治療を受けられない女性がたくさんいるという事実があります。

――生殖医療が“妥当な治療”であるかどうかは、個人ではなく国レベルで左右されてしまうということですね。

石原 生殖医療について、世界標準の見解を得ることには無理があるのではないでしょうか。世界にはいろいろな価値観があるので、それらに基づいてお互いを認めていかなければと思います。“これが絶対だ”とまとめることはできない。それでも「格差」「偏見」「閉鎖性」というキーワードに生殖医療が紐づいているのであれば、それらを解消していく必要があります。

――生殖医療とひとまとめにできないほど、さまざまな治療が存在しますが、日本でも取り入れられている「精子バンク」の運営については、世界共通のルールは設けられているのでしょうか?

石原 特別ないです。国や地域によってそれぞれルールを設定していますが、そもそも「精子バンク」は常々ネガティブに捉えられていました。アメリカでは商業ベースで精子が販売されていて、正直、私自身も偏見がありました。ただ、直接当事者の話を聞くと、必ずしもネガティブなものばかりではないという結論に達しました。

 実際に、残念ながらパートナーの精子で妊娠できない女性がいらっしゃいます。さらに、もっと重要なことは、結婚という形態が本当に必要なのかということです。独身女性やレズビアンカップルでも、「結婚は望んでいないが子どもはほしい」と要望する人も圧倒的に多い。

 実は、結婚した男女のカップルが、第三者の精子を求めるケースは年々減ってきています。その代わり、精子を求めている人の90%以上は、世界規模で見ると独身女性、あるいはレズビアンカップルです。では、問題は、その方たちが子どもを持つことについてどう考えたらいいか。それについては、国連がすべての婚姻形態やさまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけないと、ガイドラインに示しています。ヘテロセクシュアルとホモセクシュアルのカップルは同等に扱わないといけないと宣言している。各国にも遵守するよう要請しており、日本を除く多くの国がすでに同性婚を認めています。

■日本での精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められている

――生殖医療を考えるにあたって、まずは家族のあり方から考えるべきということですね。

石原 そのように思います。同性婚については、ここ数年で英国と米国が認めるようになり、それに伴って、「精子バンク」の必要性と存在意義についても、見直されるようになりました。従来は知り合いの男性から精子を提供してもらうことが多かったわけですが、しかしそれが日本で語られることや報道されることはない。まるっきり別の世界の話になっています。

 その一方で、提供精子により生まれた子どもが、精子提供者が誰なのか知るべきかどうかについては、議論の過程にあります。日本でも自分が提供精子で生まれたことを知って、自分とは何者なのかがわからなくなる「アイデンティティクライシス」を起こした人について報道されました。

――やはり子どもには、誰が精子提供者かを伝えるべきなのでしょうか?

石原 そうとも限りません。「アイデンティティクライシス」の問題は、社会的な父親が生物的な父親だとずっと信じ込んでいたことが裏切られた、という点にあるのであって、精子提供者がどこの誰なのかを知ることとは、別の次元の話です。そもそも、自分が提供精子で生まれたことを知っていれば、精子提供者が誰なのかをそこまで知りたいと思わないかもしれない。

 実は、スウェーデンでは、1983年から精子提供者が誰かを、子どもが18歳になったときに知ることができるよう、法律が整備されているんですね。しかし、聞きに来た子どもはほんのわずかしかいない。もしかしたら、親が精子提供で生まれたことを知らせてない可能性もありますが、わざわざ聞きに来るケースは少ないようです。

――ただ、シングル女性やレズビアンカップルの子どもの場合、精子提供を利用したかどうかは、当然気付くはずですよね?

石原 はい。したがって教えないという選択は難しい。教えなければいけないけれど実際、それがどこの誰だかわからないとなってしまうのが、問題の中心になってくるわけです。そのため、やはり精子提供者のアイデンティティをちゃんと明らかにしておく仕組みが必要になってくるのです。

 精子提供者は、スウェーデンやイギリスでは自分のアイデンティティをオープンにする必要があります。ただ、フランスや日本は相変わらずアイデンティティをオープンにしない、匿名提供です。日本では、精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められているので、もうすでに家庭に父親がいるわけです。そこにもう1人、生物学的な父親を持ち込むことが必要不可欠なのかどうかが問われますが、いまのところ必要不可欠ではないという判断で、匿名提供になっているのです。

■未婚女性から生まれる子どもが増えると出生率も向上する

――日本の場合、父親の精子に何かしらの異常があって提供を受ける、かつヘテロセクシャルの夫婦でなければなりません。精子提供は医療的な要素をすごく感じますね。

石原 それは、日本においては婚姻しているカップルから生まれた子どもと、婚姻していない女性に生まれた子どもに明確な差別があるからだと思います。これについては、国連からずっと指摘され続けていますが、同性婚どころか選択的夫婦別姓すら許されていない。

 極めて古典的な日本の家庭像が定着していて、未婚女性から生まれる子どもの比率は全体の3%くらいしかいない。ほとんどの国は40%から50%は、未婚女性から子どもが生まれますし、アイスランドに至っては75%が未婚女性の子どもですから。

――画期的な技術があっても、選択ができないようでは、何とも不平等な気がします。

石原 日本はいろいろなパターンや選択肢を許容する幅が狭すぎる。またそれに対して社会的なサポートがないのです。「精子バンク」の商業化は、提供精子の安全性を追求していく上でも極めて有効です。要するに製品として精子をモノ化してしまうことによって、一種の資源となり、扱いが冷静になります。馬や牛でも種付けという行為があります。単純にそれだけのことだと割り切ると話は理解しやすくなる。その方が多くの人たちの幸せにつながると思います。

 しかし、日本の社会でそうした考えが受け入れられるようになるには、まだまだ時間がかかるでしょう。ただ、10年たったらどうなるかわからない。重大なのは法の整備であり、基本的な枠組みです。

 日本では出生率の著しい低下が社会問題化していますが、婚姻していない女性から生まれる子どもが増えると、出生率も向上する正の相関関係を示すのが常です。保育所が不足していることも問題ですが、それ以外にもやらなければいけないことがたくさんあるはずです。
(末吉陽子)

皇室記者が語る、“雅子さまバッシング”の裏事情! 「秋篠宮家は意外と……」

(前編はこちら)

――皇太子一家の記事が読者に求められているとのこと。ここ数年、皇太子妃雅子さまに対する批判的な論調の記事を目にする機会が多いように感じます。

皇室記者X(以下、X) 一番の理由は、のちの皇后になるお方だからです。今年の夏に明らかになった天皇陛下の生前退位の意向もあり、あと数年で今の皇太子が天皇になり、自動的に雅子さまが皇后になることも、報道が過熱する理由。今の皇后、美智子さまも当時は初の民間出身の皇族入りということもあり、注目の的でした。当初はいろいろな批判もあったそうです。これは皇太子妃の宿命ともいえるのですが、ただやはり個人的には、かわいそうな部分も感じます。

 雅子さまは海外の大学出身で外務省にお務めになられていた方で、外交に関して自分の力を発揮したいといと思われている方でした。皇室に入ることで外交面に関われるという気持ちもあったでしょうが、それもできないことが多い現状。皇室という特殊な環境で常に人から注目される存在となり、“適応障害”という病気をされて、今も療養中ということになっています。その病気になったことも、世間からは「次の皇后は大丈夫か」といったような批判を受けてしまうという悪循環にもつながってしまったり……。さらにお世継ぎがなかなかできなかったという問題も、世間からのバッシングを受けていた原因かと思います。愛子さまの不規則登校のときも、学校まで付き添われていたことで「過保護すぎる」と言われてしまい、雅子様ご自身も、何が正しいのかわからなくなった時期もあるんじゃないかと、皇室記者の間でいわれています。

――皇室記者の間で、特に人気の高い皇室の方はいますか?

X 世間的には、佳子さまフィーバーもあり、スマートなイメージのある秋篠宮家は人気があるかもしれませんね。ただ、記者の中では秋篠宮家は意外と人気がないという印象です。皇太子一家は人気というか、“注目度”が高いですね。将来の天皇家ですし、雅子さまもご病気されるなど話題性に事欠きません。世間では雅子さまへのバッシングが目立ちますが、記者の中では意外とそういう見方よりも、「好きなようにやらせてあげればいいのに」と擁護する意見が多い印象ですね。あとは皇位継承権第3位で、将来的に天皇に即位する悠仁さまは、注目度が高いです。

――皇室記者の方は、皇室ファンと接する機会も多いかと思います。

X 都内や地方の公務でも「またあの人がいる」というような、いわゆる“追っかけ”皇室ファンの方はいますね。基本的には中高年の女性が多いかな。奉迎客として皇族の方々を一目見たいと思って来るみたいですが、その一瞬のために往復の電車代を払っているかと思うと、すごい情熱だなと思います。そういう方がいるから、皇室の報道もやる意味があるのかもしれません。ただ、たまに取材しているときに「雅子さまが見えないから動いて」というように邪魔者扱いするファンの方もいるようで、それはちょっと勘弁してほしいとは思いますが(笑)。

――ほかに、皇室記者ならではの大変な面はありますか?

X 皇室担当の記者は長年同じ人が務める場合が多く、“顔を覚えられやすい”というのがあります。皇室の方々は、公務でもプライベートでも、どこへ行くときでも必ず警備のSPがつくんですが、我々記者が一般人のフリをしてご本人の近く、さらには取材設定がない中で取材をしていると、目を光らせているSPに、すぐ「あいつは記者だ」と察知され、声をかけられてしまうことがあります。芸能人と同じですが、皇室の方は、「プライベートの写真を撮られること」をとにかく嫌うんですよ。

 特に雑誌の場合だと取材しづらいことがあるかもしれませんね。というのも、あくまでウワサですが、SPや警察内では、認知されている記者の顔写真と名前が流れているそうです。数多いる芸能人の取材では、マネジャーもこちらを記者だと認識することは難しいかと思いますが、皇室の人数は限られていて、毎週のように記者が付近を取材していれば、確かに認識されてしまいますよね(笑)。なので稀に顔バレしていない記者を取材に動員することもあるそうです。

――最後に、皇室記者という仕事の醍醐味を教えてください。

X 日本の中で長く伝統があり、唯一無二の存在というところは面白いと思います。知れば知るほど面白い世界かなと。皇室に興味がない人は、「佳子さまが学食で何を食べているかなんて、どうでもいい」と思っている人もいるでしょうが、皇室にいる方々一人ひとりに歴史があってストーリーがありますし、女性皇族の方は、いわゆるプリンセスという存在でもあるので、女性はあこがれる存在なんじゃないですかね。歴史に残る人たちを取材できることは光栄だと思いますよ。ただ先日、三笠宮さまも薨去されてしまいましたが、皇族の人数が減っていて、皇室制度そのものが将来的になくなってしまう危険性もあるのは非常に残念。日本の皇室は海外からも尊敬されている存在だとも聞きますし、もっと一般の人も興味を持ってほしいなと思います。

皇室記者が語る、“雅子さまバッシング”の裏事情! 「秋篠宮家は意外と……」

(前編はこちら)

――皇太子一家の記事が読者に求められているとのこと。ここ数年、皇太子妃雅子さまに対する批判的な論調の記事を目にする機会が多いように感じます。

皇室記者X(以下、X) 一番の理由は、のちの皇后になるお方だからです。今年の夏に明らかになった天皇陛下の生前退位の意向もあり、あと数年で今の皇太子が天皇になり、自動的に雅子さまが皇后になることも、報道が過熱する理由。今の皇后、美智子さまも当時は初の民間出身の皇族入りということもあり、注目の的でした。当初はいろいろな批判もあったそうです。これは皇太子妃の宿命ともいえるのですが、ただやはり個人的には、かわいそうな部分も感じます。

 雅子さまは海外の大学出身で外務省にお務めになられていた方で、外交に関して自分の力を発揮したいといと思われている方でした。皇室に入ることで外交面に関われるという気持ちもあったでしょうが、それもできないことが多い現状。皇室という特殊な環境で常に人から注目される存在となり、“適応障害”という病気をされて、今も療養中ということになっています。その病気になったことも、世間からは「次の皇后は大丈夫か」といったような批判を受けてしまうという悪循環にもつながってしまったり……。さらにお世継ぎがなかなかできなかったという問題も、世間からのバッシングを受けていた原因かと思います。愛子さまの不規則登校のときも、学校まで付き添われていたことで「過保護すぎる」と言われてしまい、雅子様ご自身も、何が正しいのかわからなくなった時期もあるんじゃないかと、皇室記者の間でいわれています。

――皇室記者の間で、特に人気の高い皇室の方はいますか?

X 世間的には、佳子さまフィーバーもあり、スマートなイメージのある秋篠宮家は人気があるかもしれませんね。ただ、記者の中では秋篠宮家は意外と人気がないという印象です。皇太子一家は人気というか、“注目度”が高いですね。将来の天皇家ですし、雅子さまもご病気されるなど話題性に事欠きません。世間では雅子さまへのバッシングが目立ちますが、記者の中では意外とそういう見方よりも、「好きなようにやらせてあげればいいのに」と擁護する意見が多い印象ですね。あとは皇位継承権第3位で、将来的に天皇に即位する悠仁さまは、注目度が高いです。

――皇室記者の方は、皇室ファンと接する機会も多いかと思います。

X 都内や地方の公務でも「またあの人がいる」というような、いわゆる“追っかけ”皇室ファンの方はいますね。基本的には中高年の女性が多いかな。奉迎客として皇族の方々を一目見たいと思って来るみたいですが、その一瞬のために往復の電車代を払っているかと思うと、すごい情熱だなと思います。そういう方がいるから、皇室の報道もやる意味があるのかもしれません。ただ、たまに取材しているときに「雅子さまが見えないから動いて」というように邪魔者扱いするファンの方もいるようで、それはちょっと勘弁してほしいとは思いますが(笑)。

――ほかに、皇室記者ならではの大変な面はありますか?

X 皇室担当の記者は長年同じ人が務める場合が多く、“顔を覚えられやすい”というのがあります。皇室の方々は、公務でもプライベートでも、どこへ行くときでも必ず警備のSPがつくんですが、我々記者が一般人のフリをしてご本人の近く、さらには取材設定がない中で取材をしていると、目を光らせているSPに、すぐ「あいつは記者だ」と察知され、声をかけられてしまうことがあります。芸能人と同じですが、皇室の方は、「プライベートの写真を撮られること」をとにかく嫌うんですよ。

 特に雑誌の場合だと取材しづらいことがあるかもしれませんね。というのも、あくまでウワサですが、SPや警察内では、認知されている記者の顔写真と名前が流れているそうです。数多いる芸能人の取材では、マネジャーもこちらを記者だと認識することは難しいかと思いますが、皇室の人数は限られていて、毎週のように記者が付近を取材していれば、確かに認識されてしまいますよね(笑)。なので稀に顔バレしていない記者を取材に動員することもあるそうです。

――最後に、皇室記者という仕事の醍醐味を教えてください。

X 日本の中で長く伝統があり、唯一無二の存在というところは面白いと思います。知れば知るほど面白い世界かなと。皇室に興味がない人は、「佳子さまが学食で何を食べているかなんて、どうでもいい」と思っている人もいるでしょうが、皇室にいる方々一人ひとりに歴史があってストーリーがありますし、女性皇族の方は、いわゆるプリンセスという存在でもあるので、女性はあこがれる存在なんじゃないですかね。歴史に残る人たちを取材できることは光栄だと思いますよ。ただ先日、三笠宮さまも薨去されてしまいましたが、皇族の人数が減っていて、皇室制度そのものが将来的になくなってしまう危険性もあるのは非常に残念。日本の皇室は海外からも尊敬されている存在だとも聞きますし、もっと一般の人も興味を持ってほしいなと思います。

不安いっぱいのアラフォー独身女性が楽になる暮らし方 『東京シェアストーリー』原作者・髙橋幹子さんに聞く

 国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳の時点で一度も結婚していない人の割合の「生涯未婚率」は、1965年時点で男性1.5%、女性2.5%だったが、2010年で男性20.1%、女性10.6%と上昇の一途をたどってきた。このままだと35年には男性29%、女性19.2%にのぼると試算されている。男性の3人に1人、女性の5人に1人が「一生独身」になるのだ。

 そんな中、シェアハウスの普及に伴い、これらをテーマにしたバラエティ番組や漫画も登場している。シェアハウスに住むアラフォー独身の5人の女性が織りなすドラマを描いたコミック『東京シェアストーリー』(徳間書店)もそのひとつだ。ドラマ化を望む声もあるこのコミックの原作者・髙橋幹子さんに、独身女性の「終の棲家」としてのシェアハウスについて聞いた。

■アラフォー独身女性の哀しみは「本物の哀しみ」

――『東京シェアストーリー』は、とても身につまされるお話でした。フリーランスの脚本家・遥、クールな努力家で厚労省キャリア官僚の亜矢子、マイペースな雑誌編集者の稚子、最年長で癒やし系の派遣社員ユリ、明るい妹キャラのOL・莉乃の5人は、それぞれ将来への不安を常に抱えています。

髙橋幹子さん(以下、髙橋) 作品には、私の今の「不安」をすべて込めたんです。景気はよくないけど、こんなに自由な時代で、欲しいものを手に入れている人はたくさんいるのに、なぜ自分はうまく生きられないんだろうと。私が欲しいのは、夫や子ども、安定した仕事、そして家ですね。でも、今の私にはすべてハードルが高いんです。

 なので、作品の5人の登場人物の中でも、遥とユリには特に思い入れがあります。フリーも派遣も不安定で、ないないづくしの中で不安と戦っています。そういう女性は多いと思います。

――5人の女性は、みんな立場や職業が異なりますね。

髙橋 はい。意味を持って登場させています。亜矢子は社会学者の上野千鶴子さんがモデルで、いつも現実や未来を冷静に分析しています。稚子はいい意味で自信を持っていて、莉乃は若さのすばらしさの象徴です。若いっていいですよね。

――確かに、アラフォー世代の不安は若い人とは違いますね。

髙橋 そうなんです。もちろんアラフォー以外の世代の方にも不安はありますよね。でも、アラフォーの独身女性は、出産・子育てのタイムリミットや更年期、親の介護などリアルな不安や哀しみにさいなまれているんです。

 私も朝起きると、ものすごくへこむんですよ。実家はまだありますが、親も高齢ですし、今住んでいるところは賃貸。人生がすべて借り物のような気がして、この先どうなってしまうんだろうと……。作品は、そういうところから生まれました。

――そうした不安を抱える独身女性は多いですよね。みんなでシェアして暮らせたら、気持ち的にはラクになるかもしれません。

髙橋 はい、そう思って書きました。テレビドラマは、「現在(いま)」を切り取ることが大切なので、それを意識しています。シェアハウスはまさに現在の問題です。

■血縁に頼らぬ生き方が必要になってくる

――読者の反響はいかがでしたか?

髙橋 連載されていたのが青年漫画雑誌の『月刊コミックゼノン』(徳間書店)で、男性には微妙だったところもありますが、アラフォーの女性からは共感をいただいています。電子版で読んでくださったオーストラリア在住の方から「今の日本て、こうなんですね」と感想をいただいたこともあります。

 一方で、作品を「ファンタジー」だと言う人もいらっしゃいます。他人と暮らすなんて、そんなに甘いものではないということですね。確かにそうかなとも思いますが、今後ますます賃金格差や貧困が広がり、結婚できない・家族がつくれない「家族難民」が増えてくると思うんです。だからこそ血縁に頼らぬ生き方が必要になってくるのではないかと。そこで家族をつくれない人たちが集まって、新しい家族をつくるという、この先の世の中の一つの道標になるような「希望の話」として書かせていただきました。

――シェアハウスゆえに起こる問題は皆無とまではいえませんが、あるとしても人間関係としてありがちな問題がほとんどだと思います。

髙橋 はい。作品でも書いたのですが、些細なことで衝突も起こります。でも、それはどこでもあり得ることですね。むしろメリットに注目したいですよね。女性限定ではなく、いろんな世代の男女が住めるシェアハウスもありますし、セキュリティ面や万が一何かあった時でも、独り暮らしより安心です。

――高橋さんは、実際にはシェアハウスには住んでいらっしゃらないんですね。

髙橋 はい。実は絶賛婚活中なんです(笑)。作品のような暮らしにも魅力を感じますが、まずは夫と暮らしたいので。子どもも欲しいです。

――メディア関係のお仕事で出会いはないんですか?

髙橋 私にとって仕事は“戦い”なんです。戦場で出会いなんかあり得ませんよ。

――家族がいないと孤独死も不安ですね。

髙橋 それは、あまり心配していないんです。死んでしまったら、もうわからないじゃないですか。他人さまに迷惑はかけますが、それよりも生きている間が問題だと思っているんです。「選択的シングルマザー」や精子バンクにも興味があります。

 国際的には選択的シングルマザーも認められている国が多いのに、日本は遅れていますよね。キャリアアップに専念してきて、妊娠が難しくなる40歳近くになってもパートナーに恵まれない女性が「子どもだけは生んでおきたいと思う」のは特殊なことではないんですよ。日本でもシングルの女性が精子バンクから精子を買えたらいいのに。

 夫でも恋人でもない男性から精子をもらうことについては小説『チルドレン』(『恋は、しばらくお休みです。』泰文堂・所収・絶版)で書きました。古書では手に入るので、興味がある方には読んでみていただきたいです。

――確かに仕事に追われていると、妊娠は躊躇しますよね。保育所の不足や教育費用の問題もありますし。

髙橋 私も今まではそう思っていたのですが、意外にそうなればなったで、何とかなる気もしています。捕らぬ狸の皮算用の部分もあるのかもしれないなと。

■最後のセーフティーネットは「人」

――日本でもシェアハウスやコレクティブハウスなどは広まりつつあるようです。

髙橋 暮らし方の選択肢が増えるのはいいことですよね。独りぼっちに「慣れない」ことが重要だと思います。私も不安はありますが、寂しくはないんです。今は私も両親も健康ですが、将来はどうなるんだろうと思うと怖いんですね。親の介護を東京と地方の遠距離でできるのか、親が亡くなってそのあともずっと独りだったら、と考えると不安しかありません。

――確かに心配ですね。シェアハウスに住めばすべて解決するわけではないと思いますが、ひとまず周囲が顔見知りで孤立していないというのは安心できますよね。

髙橋 そうなんです。作品でいちばん伝えたかったことは、シェアハウスで一緒に暮らすことは、「哀しみは半分にしてくれて、喜びは2倍にしてくれる。そして未来は独りでいるよりも、ずっと無限の可能性を秘めている」ということです。

 これからは「一生フリーター」という方も増えていくでしょうから、家賃をシェアしてコストをかけずに住むことはもっと注目されると思います。やっぱり最後のセーフティーネットは「家」、というか「人」なんだと思います。

(蒼山しのぶ)

髙橋幹子(たかはし・もとこ)
1975年山形県生まれ。地元の農協勤務を経て、東京でOLをしながらシナリオを勉強、第20回フジテレビヤングシナリオ大賞、NHK奈良のドラマ万葉ラブストーリー公募で最優秀賞。現在は『ちびまる子ちゃん』 (フジテレビ)、『おじゃる丸』(Eテレ)などで脚本を担当している。『東野圭吾ミステリーズ さよならコーチ』『天誅 闇の仕置人』(フジテレビ)『だから荒野(第6話)』(NHK)『おとりよせ王子 飯田好実』(メ~テレ)ほか。小説に『恋は、しばらくお休みです。/チルドレン』(泰文堂)など。

『東京シェアストーリー』(全2巻、徳間書店)
脚本家の遠山遥が一軒家を借りて「終の棲家」とし、「38歳以上」「夫・彼氏ナシ」「青春時代に『東京ラブストーリー』にハマった」という条件で集まった4人と暮らしながら、人生を歩んでいく。原作・髙橋幹子、漫画・ただりえこ。

愛子さまの登校チェックから、悠仁さま運動会潜入まで!?  現役“皇室記者”インタビュー

 日々、皇室にまつわるネタを追いかける“皇室記者”たち。同じ“記者”という名前がついているものの、彼らの仕事内容は、そのほかの芸能、政治、スポーツ分野の記者らとはまったく異なるといい、独特な取材の進め方やルールなども存在しているという。今回は、現役皇室記者にインタビューを行い、その取材方法や皇室ニュースの裏話、はたまた「記者に人気の皇族は誰?」といったことなど、ここでしか聞けない話を暴露してもらった。

――まず、皇室記者の仕事について教えてください。皇室の公務に同行して、取材をする姿をよく見ますが……。

皇室記者X(以下、X) 皇室の公務を取材するのも、仕事の1つです。ただし、その進め方は、新聞・テレビ・雑誌などで異なります。全国紙の新聞やテレビキー局などは宮内記者会に所属しており、皇室が公務で外に出られたりするときはぴったりと同行して、そのときの様子などを取材します。一方で週刊誌などの雑誌は、基本的に日本雑誌協会(雑協)に所属していて、皇室のどなたかが公務に出られる場合は、宮内庁→雑協→各出版社の流れでお知らせがきます。取材したい案件ならば、取材申請を行って当日現場に行きます。記者はあまり行かずに、カメラマンだけが行くことが多いみたいですね。

 というのも、公務が行われると、新聞・テレビ・通信社などがすぐに自社媒体でその情報を流してしまい、後発で出る雑誌は、詳しく公務の内容を書くことがあまりないんです。とりあえず写真は撮っておこうというスタンスだと思われます。

――皇室記者の中でも 新聞・テレビ・雑誌によって取材内容は違うのですか?

X 宮内記者会に所属する新聞やテレビはいわゆる“番記者”なので、例えば「天皇皇后が岩手県の被災地に訪問されて、被災者と言葉を交わされました」というような、事実しか報道しません。宮内記者会を“オモテの取材”とするなら、週刊誌のような雑誌は“ウラの取材”と言えるかと思います。

 例えば「美智子さまから雅子さまへの極秘プレゼント」といったような、表立っては報道されないウラの事実を追いかけて掲載します。そのためには、愛子さまが通う学習院女子中等科、悠仁さまが通うお茶の水女子大学附属小学校、佳子さま・眞子さまが通う国際基督教大学(ICU)などの関係者に、情報をくれるネタ元を作るなどが基本かと思います。宮内記者会の人だと、普段から皇族方の近くにいる東宮職や侍従から話が入ってくることもありますね。今夏に明らかになった生前退位のスクープなども皇室に近い人物からのリークなのかもしれません。

――一口に“皇室記者”といっても、媒体によって仕事内容はまったく異なるんですね。

X ちなみに宮内記者会の人間は、それ以外の媒体の人間などに対して何だか偉そうな態度を取る人が多いんだとか。確かに宮内記者は、ほかの媒体記者が取材できないところも取材できますし優遇されています。それで勘違いしちゃってる人もいるのかもしれませんね。

――そんなヒエラルキー意識も存在しているとは……。ちなみに、皇室記者になる人には、なにか特性があるものなんでしょうか?

X 特性などはあまりないかと思います。年齢なども特にどの世代が多いとかはないですが、皇室は、芸能や社会と違って特殊なジャンルで、知識も必要なので、長年同じ人が担当になりやすい傾向はあるかもしれないですね。

 ただ、地道なことが得意な人は向いているかなとは思います。皇室はあくまで殺人事件や原発、地震などを扱う“社会系ジャンル”にあたります。事件を扱う際に、容疑者自宅周辺を聞きこみするように、皇室も地道な取材が多いです。例えば最近、取り沙汰されている愛子さまの長期欠席。どの媒体にも「何週間お休みをしていて~」とか書いていますが、これは毎朝、記者が学習院まで行って登校するかどうかをチェックしているそうです。佳子さまがICUに入学すれば、現地まで行って同大学の学生一人ひとりにあたって近況を聞くなどもしていると聞きました。

――では、皇室記者は、具体的にどのような1日を過ごしているのでしょうか。

X 各々が担当しているネタによりますが、天皇皇后や皇太子ご夫妻が公務に出られれば、その取材に行ったり、識者や医師のところに行って、愛子さまの不登校への見解を聞き、記事を構成していく流れも考えられますね。また、皇室の誰かが公務やご静養で地方に行く際、場合によっては、そこに行って現地の様子を取材する……というのもあるかと思います。週刊誌の人たちは悠仁さまが運動会に参加したり、愛子さまが文化祭に参加したら、保護者のフリして様子を見に行くなんてこともあるのではないでしょうか。

――皇室のスキャンダルなどもたまに飛び出しますが、読者には、どういったネタが人気ですか?

X 基本的に皇室の方々は、プライベートが謎なので人気だと聞きます。家ではどんなモノを食べているのか、どんなテレビを見ているのか、ファッション誌は読むのか、彼氏・彼女はいるのか、家族内でどんな話をしているのか……挙げればキリがないですが、とにかく“私的”な情報は何でもネタになるかと思います。例えば、「愛子さまは深夜アニメが好き」とか「佳子さまが苦手なのはうなぎ」とか、そんなことでもネタになり得るかと。ただ、私的な話すぎると宮内庁との今後の関係性もあるので、媒体によってはスルーすることもあると思います。

 特に佳子さまは、“美しすぎるプリンセス”として話題になっているので、ICU内での様子なんかは、どこの媒体も情報がほしいんじゃないですかね。例えば、「学食で○○を食べていた」とか、それだけでOK。そういえばICU入学時には、「佳子さまがダンスサークルに入った」みたいなネタもかなり注目を集めていました。まぁ、とはいいつつ、佳子さまフィーバーも昨年がピークで、今年はちょっと落ち着いてきた感もあります。あとはやはり、今後、天皇家になる皇太子一家のネタは鉄板ですかね。

(後編につづく)