「チヤホヤされるのが生きがい」元“隠れビッチ”が明かす男ウケ必勝法と、自身への懺悔

 どんな学校、会社、コミュニティにもいる、「とにかく男にチヤホヤされたい女」。一般的には男女問わずほとんどの人間から嫌悪される存在だが、彼女たちが本当に欲しいものが単に「モテたい」という承認欲求ではなく、「無条件に愛されたい」という純粋な愛情だとしたら、少し状況は変わってくるのかもしれない。

 先日、イラストレーターのあらいぴろよ氏が、実話コミックエッセイ『“隠れビッチ”やってました。』(光文社/16日に電子書籍も刊行)を刊行した。男にチヤホヤされ、告白されることが生きがいだった自身を振り返り、男に依存する“女”の自分と向き合い、毒親との関係を見直しながら1人の“人間”として自立していくさまを描いている。あらい氏が実践していた「隠れビッチ」とは、肌を露出したり簡単に体の関係を持ったり、特定のコミュニティ内で恋愛を繰り返すのではなく、ファッションや振る舞い等を清純派に見せることで、内面やチヤホヤ欲をひた隠し目的を遂げるという、いわば擬態の状態。

 そのあらい氏の擬態は徹底しており、相手に応じて3系統の男ウケ服を着回していただけでなく、絶対に生活圏内の男性をターゲットにせず、また絶対にヤラせないなどの独自の手法を確立。とにかく好意を持たれ、デートに誘われて「好きです」と告白されることで心が満たされていたという。もちろん、その後付き合うということはなかったそうだ。

 3年間で200人もの男性とデートを重ねてきたというあらい氏に、「隠れビッチ」時代に培ったノウハウや、男性から好意を寄せられることに執着していた理由、またそこから自分を見つめ直した現在の心境について聞いた。

■女子アナ、堀北真希っぽさ、蒼井優っぽさは必勝法
――本には、あらいさん独自の統計に基づいた、男ウケするファッションや振る舞いなどが紹介されていますよね。これらは何を参考にしていたのでしょうか?

あらいぴろよ氏(以下、あらい) 自分の経験から精査された部分もありますし、図書館に行ってあらゆる女性誌やモテ特集本を片っ端から読みました(笑)。そして実践をしてみて、「こういう人にこれをやってみて、うまくいったからこうだな」と分析していましたね。すると、だんだん女子アナみたいな格好が、やっぱり大多数に人気だとわかっていったんです。だから、あれだけテレビに出てお茶の間に愛されるファッションなのか! と納得がいくことも多かったです。

――雑誌以外で参考にしていたものはありましたか?

あらい 恥ずかしい話ですが、マリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンが映画でやっていたような所作です。横を見る時の目の動かし方だけでも、男性の心がくすぐられるのはこうだな、とか鏡の前で研究していました。本にも書きましたが、やっぱり堀北真希ふうの持つ力はすごいです。「私は堀北真希だ、堀北真希だ」と思い込んで男性と話していると、だんだん相手も私のことを堀北真希に接するように、紳士的な態度を取ってくれている……? と感じたことがありまして(笑)。

 また、蒼井優っぽさも有効でした。カフェの窓側の席に座っていた時に、通りがかった男性に対して蒼井優っぽい空気感を出しながら、ため息をついて本を読んだりしてアピールしていました。私の外見では残念ながら一度では効かないので、毎週同じ時間にそこを通る男性をターゲットにして蒼井優っぽさを炸裂させていたら、「一緒いいですか?」と、念願かなって声をかけられることもありました。

■体の関係も女同士の自慢もいらない、ただ男性から愛されたかった
――あらいさんは男性からの好意や告白に気持ち良くなっていたそうですが、そこに体の関係がゼロだったのはなぜでしょうか。

あらい 本にも出てきますが、高校生の時、小・中学校の同級生だった女の子に、「男ヤラせてあげる私ってすごいでしょ、価値があるのよ」みたいに言われ、私自身が未経験というのもあって、気持ち悪さやバカにされた悔しさを強く感じました。その時に「私はこんな人と同じ土俵には立ちたくない」と思ったのが大きかったです。私は別に、その同級生のように同じ女性と競い合ったり見下したりしたいわけではなく、ただ誰かから愛されたいだけでしたから。実際は私の方が、男性からしたら悪意が多くタチが悪いと思いますけど。

 それに、「あの子ムカつく」とか「あの子なんでこのコミュニティにいるの?」と思われて女同士の競走や嫉妬をつくってしまうと、本来の目的が遂行しづらくもなりますので。私の土俵には、チヤホヤしてくれるけどヤラない男しかあげたくありませんでした。私は、基本的にはヤリマンを否定しません。相手に見返りを求めなかったり、自分に否定的な感情を持たなかったり、純粋に快楽を求めるならアリだと思います。ただ、体には気を付けてほしい、と強く思います。

――「愛されたい=肌のぬくもりが欲しい」となる女性は多いと思いますが、あらいさんはそこがハッキリ線引きされていたのですね。デートをしていて相手から体を求められる場面も、少なくなかったと思うのですが。

あらい 幼い時に父親から暴力を振るわれていたので、男性と狭い空間に2人きりなのが怖かったというのはありました。でも最初の頃は、上がりはしませんでしたが何度か男性の家に行ったことがあったんです。雨が降ってきた時に、「傘貸すよ」と言われてついていった際にそういう雰囲気になり……。どうにか逃げ出しましたが、それでよくわかったので、そこからは二度と相手の家には行かなくなりましたし、2人きりならば車に乗ることは避け、デートも明るい道を行くようにしました。部屋に誘われて断ったらキレられることもありましたが、そういう時は「行かねぇよ!」と、そこで本性を出して関係を切っていました。そういう人はチヤホヤもせず、ただヤリたいだけなので、私にとってはどうでもよかったんです。その人に執着する理由もないので、すぐに次の相手を探していました。多分それは相手も同じなので、深追いされることもありませんでした。

■男からチヤホヤされることで本当に求めていたもの
――「男にモテたい、チヤホヤされたい」という願望を持って自分なりの努力をしても、あらいさんのようにはいかず、報われない女子もいると思います。

あらい そういう方は、きっと好きな人やモテたい対象がちゃんと決まっているのではないでしょうか。本当に失礼な話になりますが、容姿や性格はまったくどうでもよいと思えば、不特定多数にモテるのは簡単なんです。私の目的は自分がチヤホヤしてもらえることなので、そこに合わせて、いくらでも相手のレベルを下げられたので……。

 それを思うと、隠れビッチの男性版はヒモだと思います。尽くしてくれる相手から何の罪悪感もなく、奪えるところは奪える人。本来、“人は人の鏡”なので、一緒にいる人のレベルや扱い・性格などから自分を見つけられると思うのですが、ヒモの場合、相手は自分と不釣り合いな人なので、相手が自分の“鏡”にならないんです。だから、自分がどれだけのことをしているのかまったく気付かない。私はそれに加えて、自分の目的のためにこだわりのない相手を探していたことから、相手の“鏡”に映る気はなかったんだと思います。それは「報われている」よりも、結果として「自分を軽視」していた状態だと思います。

――隠れビッチな女性かそうでないかは、嗅ぎ分けられるものですか?

あらい 女性ならみんな、そういう女性には違和感や嫌悪感を覚えると思うので、わかると思います。それこそ、すれ違っただけでも。でも、私自身が今を振り返ると、決して褒められることでも推奨することでもありませんが、あの隠れビッチ時代があってよかったと思います。心のどん底から自分の本当に求めているものを見極めて、変わるべく行動し続けることで、今は穏やかな生活を手に入れることができましたので。

 変わりたいと行動することは、恋人でも親友でも仕事仲間でも、自分のことを本気で見つめてくれる人、深くつながれる人と引き合わせてくれると思います。本にも出てきますが、「自分に自信がないからと男に逃げるな。女ではなく人間として生きろ」と言ってくれた友人の言葉は、深くつながった人がくれたものだからこそ真に迫ってきました。でも、私が本気で変わろうと努力しなければ、そういう言葉をかけてくれた方全てが離れていったと思います。万人に受け入れられることは難しいかもしれませんし、失敗もあるかもしれません。でも行動し続ければ、どんな隠れビッチ時代を送っていたとしても、良い方向に変われると信じています。

■「私は女、相手は男」性別に固執してた
――「女ではなく、人間として生きる」とは、どういうことだと思いますか?

あらい 隠れビッチ時代は、「可愛いね」「付き合って」「ヤリたい」なんて言われても何も感じず、とにかく「好きです」がうれしかったんです。それは、今思えば結局親に求めていたこと。親という存在は、自分に自信がなくてもありのままを認めてくれて、無償の愛で全肯定してくれる、と思い込んでいたんです。私はそれがもらえなかった、かわいそうな存在なんだと。それを癒やしたくて、男性に全肯定を求めてしまっていました。

 でも同時に、隠れビッチ時代は、自分を偽って清純派に擬態した姿に「好きです」と言われることが、「私ではないものに向けられた言葉」と理解もしていたので、自分のしていることに矛盾があると気付いていました。歳を重ね、多くの方が望むような愛を受け取ってきたわけでもないことにようやく気付きましたが、当時の私はまだ気付いていませんでした。

 あくまで私にとって「女として生きていた」状態というのは、理性ではなく本能や欲望だけで生きていたということだと思います。親から愛されなかった分、愛されたい! という欲望が暴走しているというか。その生き方は相手のことをなにひとつ尊重もせず、楽しいことだけ、自分に都合のいいことだけ、それも女の良い部分だけを享受し、「恋愛のようなもの」を通して奪うだけの生き方でした。人間として生きる、というのは、自分が本当に何を求めているのか、本能や欲望とじっくり向き合い、これからどう生きていけばいいのかを理性や心をもって、考え生きていくことだと思います。
(石狩ジュンコ)

「日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもない」日本を脱出し、タイでデザイン会社を経営する女性

 近年、東南アジアに移住し、現地で仕事や生きがいを求める日本人女性が急増している。「海外在住」=「大企業のリッチな駐在員」という時代はもう終わり、いまは中小企業や、ごくふつうの個人が、軽やかに海を越えていく。

 中でもタイは、この10年余りで日本人在住者が急増。2001年にはおよそ2万人だったが、現在、7万人を数える。そのかなりの部分が、20~40代の女性なのだ。「内向き」になったといわれる日本人だが、元気がないのは若い男たち。女性はどんどん海外にも翼を広げている。

 では、どうしてタイなのか? アジアなのか? このシリーズではアジアで活躍し、日本にいるときよりも、はるかに生き生きと暮らす女性たちを紹介していく。

○第1回
金野芳美さん(33) タイ・バンコク在住
「タイは、生活をしていて『重さ』がないんです」

「日本で暮らしていると、結婚とか、将来とか、老後とかっていう、重たい石をのっけられるじゃないですか。それに押しつぶされそうになってしまうんです」

 そう語る彼女は、タイに暮らし始めて10年になる。タイにある日系企業に就職をする、いわゆる「現地採用」を経て独立、いまでは社長として、タイ人パートナーと共にデザイン会社を切り盛りしている。

 首都バンコクの中心部、シーロム通りの西部、街路樹が熱帯の日差しを遮る小道には、瀟洒な古民家を利用した建物がいくつか並ぶ。そのうちの1軒、1階はカフェだが、2階部分が金野さんの「城」であるオフィスだ。

「タイでも、もちろん、先々のことは考えていかなくてはならない。でも日本と違って、重石のように上からのっかってくるのではなくて、将来の選択肢は道に落ちている感じ。それを自分で選んで糧にするもよし、踏み潰すもよし。だからタイ人も、タイで生きている日本人も、変にプレッシャーや世間体に悩むことはないですよね。生きていて重さがない」

 タイに住む多くの日本人が語る、そのゆるさ。人間はこのくらい気楽に、深く考えずに生きていいのだと思わされる。将来のことを、いくら心配してもしょうがない。意味がない。そうわかってはいても、もやもやした不安感に覆われる日本。そこから抜け出した日本人は、世界の広さと価値観の多様さに、救われる気さえする。

■言葉が通じなくても「生きてる感」に満ちていた

「親戚のお姉さんがアメリカに留学していたこともあって、小さい頃から漠然と海外への憧れはありました」という金野さん。美術関連の高校を卒業し、大学ではデザインを専攻。在学時にはスペインに旅行し、卒業後はワーキングホリデーで1年間オーストラリアへ。現地では、農場やレストランでアルバイトしながら語学を勉強した。

「海外に旅行したいというより、住んでみたい、働きたいと思っていたんですね」

 ワーホリに前後して2度、アジアにも旅行。このとき初めて旅したタイに、その後住むことになる。

「オーストラリアから帰ってきても、なかなか就職先がなくて(笑)。そんなとき友達が見つけてくれた求人広告が、タイで日本人デザイナーを探しているというものだったんです」

 旅行に来たときに接したタイ人の優しさもあり、印象は良かった。思い切って飛び込んでみたのは、バンコクにある日本語フリーペーパーの編集部だった。タイには数万人の日本人が住んでおり、日本人向けのサービス業やメディア、飲食店などさまざまな仕事が、日本の地方都市よりもむしろ充実しているほど。16年時点では10誌以上の日本語フリーペーパーが発行されているが、そのうち最も有名な老舗に、金野さんは就職した。

「初めは言葉がわからなくて、本当に大変でした。店や屋台で『これを買いたい』ということすら言えない。それでも『生きてる感』に満ちていたんです。言葉が通じないから、生活の一つひとつをこなしていくだけで精いっぱい。毎日がとにかく必死だったけれど、そのぶん充実していました」

 タイ語学校に通いながら、情報誌のデザインをする日々。少しずつ言葉を覚えていくうちに、タイに居心地のよさを感じるようになっていく。いい意味で、肩の力の抜けた環境。自分が外国人であるという、日本にいてはわからない不思議な感覚の面白さ。

「タイは階級社会です。お互い違う身分、階層には近づかないところがあります。でも外国人はフラットなんですね。ハイソ層とも庶民層とも付き合えるし、向こうも受け入れてくれる」

 古来から外国人を利用しつつ発展してきたタイ人は、したたかではあるが、外国人に対して日本人よりもはるかに慣れていて、フレンドりーだ。特に対日感情はよく、日本食やアニメ、日本旅行など、タイ人の生活の中に「日本」はすっかり浸透している。日本人が実に暮らしやすい国だといえる。

■タイ人の生き方や価値観を受け入れられるように、寛容になった

 日本とタイ、両方のいいとこ取りのような環境ではあるのだが、「日本人のマジメさをもっと見習って仕事してよ、と思うことも(笑)」あるという。日本人はひとつ指示すれば先も見越して仕事を進めてくれる。タイ人は、やってほしいことすべてをあらかじめ指示しないと、動いてくれない。察するということがない。タイ人にとって、仕事の優先順位はそう高くはない。家族や友人と過ごす時間のほうがはるかに大切だから、どうしてもなおざりになる。

「そんな生き方や価値観もあると受け入れられるように、寛容になったのは、タイに来て本当に良かったと思うことのひとつです」

 いくらかの衝突や行き違いはあっても、お互い柔らかに理解し合える素地が、不思議とタイ人と日本人の間にはある。

 そんなタイ人の男性と、金野さんも付き合ったことがある。夢中でタイになじもうとした時期を支えてくれた。タイ人男性の浮気やDVに悩まされる女性も少なくないというが「彼の場合、そんなことはまったくなかったです。でも、自分のやりたいことを優先しすぎて、別れてしまいましたけど」。

 ひとつの会社に勤め続けるというイメージのなかった金野さん。デザイナーとしての仕事を吸収した後にフリーになるが、その途端に仕事が殺到する。アジアもののガイドブックを一手に引き受け、慌ただしい日々を送っているときに、フリーペーパー時代に先輩だったタイ人も会社を辞めた。

「実家が自営業だったことと、前職の社長を見て、本当にしたいことは、最終判断して方向性を示す社長にならないとできないと思ったことから、いつかは独立したいと思っていたんです。それがいまかな――と思い、元同僚の女性と会社を立ち上げました」

 こうして職場を変えていったり、独立してステップアップしていくのは、タイの女性の間では常識だ。女性の社会進出は日本よりもはるかに進んでいて、母親が会社に赤ん坊を連れてくる光景は珍しいものではない。本人が外回りなどに行っているときは、社内の同僚が代わる代わる面倒を見るのだ。待機児童の問題とも無縁。それはタイにある日系企業も同様だ。こんな環境も、“タイで働いてみよう”という日本人女性を引きつけているのかもしれない。

■日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもない

 金野さんが住むのは、オフィスから2キロほど離れた下町にあるマンションだ。近くには市場があり、朝から晩まで庶民の活気であふれる。大きなリビングとベッドルーム、キッチンがあり、50平米で家賃は1万3,000バーツ(約4万2,000円)。

「引っ越してきたばかりで、まずは近所の屋台の位置を把握することから始めてます」

 タイでは、テレビや冷蔵庫、ベッドやエアコン、ソファなど、家具はすべて備え付け、敷金・礼金はなく、日本人ならパスポートひとつで契約できるので、引っ越しが簡単だ。家賃2~3カ月分のデポジットは前払いだが、これも退去時に返却される。居住者専用プールのほか、掃除や洗濯をしてくれるお手伝いさん、警備員が常駐する、リーズナブルな物件も多い。そんな住環境の良さも、日本人にはありがたい。

「日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもないということを実感しています。日本にいるとわからないことを、こちらで勉強しています」

 日々、重い荷に苦しむこともなく暮らしているからか、「タイにいる日本人は、みんな年より若く見える気がします。見た目と年齢が合わない(笑)」と金野さんは言う。たまに日本に帰国すると、知人たちの、特に30~40代の男性の老け方に驚くという。生活の疲れがにじむ。

「やはり日本人は、考えすぎなんだと思います。タイ人は何か問題が起きたときも、サヌック(楽しむ)の精神で当たっていく。それを学べたことは大きいと思います」

 タイの居心地のよさの中で過ごす金野さんだが、この先の人生は、まだ未定。「あまり考えないようにしてます」という。「会社として、自分として、やりたいことを突き詰めていけたら。ここにいるかもしれないし、ほかの国にチャレンジするかもしれない。日本に帰るかもしれないけど、寒いし、重いしな~」そんなことを、笑いながら話してくれた。

 選択の多様さと、生きやすさ。タイ生活は、人生にこの2つを与えてくれたと語る女性は多い。もちろん、いいことばかりではない。異国での暮らしは、ときに困難で、厳しい。それでも、新しい価値観や、違う生き方を求めるなら、アジアに飛び出してみるのも、ひとつの選択肢だと思う。日本で社会経験のある人なら、現地でもきっと居場所は見つかるだろう。
(室橋裕和)

「日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもない」日本を脱出し、タイでデザイン会社を経営する女性

 近年、東南アジアに移住し、現地で仕事や生きがいを求める日本人女性が急増している。「海外在住」=「大企業のリッチな駐在員」という時代はもう終わり、いまは中小企業や、ごくふつうの個人が、軽やかに海を越えていく。

 中でもタイは、この10年余りで日本人在住者が急増。2001年にはおよそ2万人だったが、現在、7万人を数える。そのかなりの部分が、20~40代の女性なのだ。「内向き」になったといわれる日本人だが、元気がないのは若い男たち。女性はどんどん海外にも翼を広げている。

 では、どうしてタイなのか? アジアなのか? このシリーズではアジアで活躍し、日本にいるときよりも、はるかに生き生きと暮らす女性たちを紹介していく。

○第1回
金野芳美さん(33) タイ・バンコク在住
「タイは、生活をしていて『重さ』がないんです」

「日本で暮らしていると、結婚とか、将来とか、老後とかっていう、重たい石をのっけられるじゃないですか。それに押しつぶされそうになってしまうんです」

 そう語る彼女は、タイに暮らし始めて10年になる。タイにある日系企業に就職をする、いわゆる「現地採用」を経て独立、いまでは社長として、タイ人パートナーと共にデザイン会社を切り盛りしている。

 首都バンコクの中心部、シーロム通りの西部、街路樹が熱帯の日差しを遮る小道には、瀟洒な古民家を利用した建物がいくつか並ぶ。そのうちの1軒、1階はカフェだが、2階部分が金野さんの「城」であるオフィスだ。

「タイでも、もちろん、先々のことは考えていかなくてはならない。でも日本と違って、重石のように上からのっかってくるのではなくて、将来の選択肢は道に落ちている感じ。それを自分で選んで糧にするもよし、踏み潰すもよし。だからタイ人も、タイで生きている日本人も、変にプレッシャーや世間体に悩むことはないですよね。生きていて重さがない」

 タイに住む多くの日本人が語る、そのゆるさ。人間はこのくらい気楽に、深く考えずに生きていいのだと思わされる。将来のことを、いくら心配してもしょうがない。意味がない。そうわかってはいても、もやもやした不安感に覆われる日本。そこから抜け出した日本人は、世界の広さと価値観の多様さに、救われる気さえする。

■言葉が通じなくても「生きてる感」に満ちていた

「親戚のお姉さんがアメリカに留学していたこともあって、小さい頃から漠然と海外への憧れはありました」という金野さん。美術関連の高校を卒業し、大学ではデザインを専攻。在学時にはスペインに旅行し、卒業後はワーキングホリデーで1年間オーストラリアへ。現地では、農場やレストランでアルバイトしながら語学を勉強した。

「海外に旅行したいというより、住んでみたい、働きたいと思っていたんですね」

 ワーホリに前後して2度、アジアにも旅行。このとき初めて旅したタイに、その後住むことになる。

「オーストラリアから帰ってきても、なかなか就職先がなくて(笑)。そんなとき友達が見つけてくれた求人広告が、タイで日本人デザイナーを探しているというものだったんです」

 旅行に来たときに接したタイ人の優しさもあり、印象は良かった。思い切って飛び込んでみたのは、バンコクにある日本語フリーペーパーの編集部だった。タイには数万人の日本人が住んでおり、日本人向けのサービス業やメディア、飲食店などさまざまな仕事が、日本の地方都市よりもむしろ充実しているほど。16年時点では10誌以上の日本語フリーペーパーが発行されているが、そのうち最も有名な老舗に、金野さんは就職した。

「初めは言葉がわからなくて、本当に大変でした。店や屋台で『これを買いたい』ということすら言えない。それでも『生きてる感』に満ちていたんです。言葉が通じないから、生活の一つひとつをこなしていくだけで精いっぱい。毎日がとにかく必死だったけれど、そのぶん充実していました」

 タイ語学校に通いながら、情報誌のデザインをする日々。少しずつ言葉を覚えていくうちに、タイに居心地のよさを感じるようになっていく。いい意味で、肩の力の抜けた環境。自分が外国人であるという、日本にいてはわからない不思議な感覚の面白さ。

「タイは階級社会です。お互い違う身分、階層には近づかないところがあります。でも外国人はフラットなんですね。ハイソ層とも庶民層とも付き合えるし、向こうも受け入れてくれる」

 古来から外国人を利用しつつ発展してきたタイ人は、したたかではあるが、外国人に対して日本人よりもはるかに慣れていて、フレンドりーだ。特に対日感情はよく、日本食やアニメ、日本旅行など、タイ人の生活の中に「日本」はすっかり浸透している。日本人が実に暮らしやすい国だといえる。

■タイ人の生き方や価値観を受け入れられるように、寛容になった

 日本とタイ、両方のいいとこ取りのような環境ではあるのだが、「日本人のマジメさをもっと見習って仕事してよ、と思うことも(笑)」あるという。日本人はひとつ指示すれば先も見越して仕事を進めてくれる。タイ人は、やってほしいことすべてをあらかじめ指示しないと、動いてくれない。察するということがない。タイ人にとって、仕事の優先順位はそう高くはない。家族や友人と過ごす時間のほうがはるかに大切だから、どうしてもなおざりになる。

「そんな生き方や価値観もあると受け入れられるように、寛容になったのは、タイに来て本当に良かったと思うことのひとつです」

 いくらかの衝突や行き違いはあっても、お互い柔らかに理解し合える素地が、不思議とタイ人と日本人の間にはある。

 そんなタイ人の男性と、金野さんも付き合ったことがある。夢中でタイになじもうとした時期を支えてくれた。タイ人男性の浮気やDVに悩まされる女性も少なくないというが「彼の場合、そんなことはまったくなかったです。でも、自分のやりたいことを優先しすぎて、別れてしまいましたけど」。

 ひとつの会社に勤め続けるというイメージのなかった金野さん。デザイナーとしての仕事を吸収した後にフリーになるが、その途端に仕事が殺到する。アジアもののガイドブックを一手に引き受け、慌ただしい日々を送っているときに、フリーペーパー時代に先輩だったタイ人も会社を辞めた。

「実家が自営業だったことと、前職の社長を見て、本当にしたいことは、最終判断して方向性を示す社長にならないとできないと思ったことから、いつかは独立したいと思っていたんです。それがいまかな――と思い、元同僚の女性と会社を立ち上げました」

 こうして職場を変えていったり、独立してステップアップしていくのは、タイの女性の間では常識だ。女性の社会進出は日本よりもはるかに進んでいて、母親が会社に赤ん坊を連れてくる光景は珍しいものではない。本人が外回りなどに行っているときは、社内の同僚が代わる代わる面倒を見るのだ。待機児童の問題とも無縁。それはタイにある日系企業も同様だ。こんな環境も、“タイで働いてみよう”という日本人女性を引きつけているのかもしれない。

■日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもない

 金野さんが住むのは、オフィスから2キロほど離れた下町にあるマンションだ。近くには市場があり、朝から晩まで庶民の活気であふれる。大きなリビングとベッドルーム、キッチンがあり、50平米で家賃は1万3,000バーツ(約4万2,000円)。

「引っ越してきたばかりで、まずは近所の屋台の位置を把握することから始めてます」

 タイでは、テレビや冷蔵庫、ベッドやエアコン、ソファなど、家具はすべて備え付け、敷金・礼金はなく、日本人ならパスポートひとつで契約できるので、引っ越しが簡単だ。家賃2~3カ月分のデポジットは前払いだが、これも退去時に返却される。居住者専用プールのほか、掃除や洗濯をしてくれるお手伝いさん、警備員が常駐する、リーズナブルな物件も多い。そんな住環境の良さも、日本人にはありがたい。

「日本が一番だと思っていたけれど、実はそうでもないということを実感しています。日本にいるとわからないことを、こちらで勉強しています」

 日々、重い荷に苦しむこともなく暮らしているからか、「タイにいる日本人は、みんな年より若く見える気がします。見た目と年齢が合わない(笑)」と金野さんは言う。たまに日本に帰国すると、知人たちの、特に30~40代の男性の老け方に驚くという。生活の疲れがにじむ。

「やはり日本人は、考えすぎなんだと思います。タイ人は何か問題が起きたときも、サヌック(楽しむ)の精神で当たっていく。それを学べたことは大きいと思います」

 タイの居心地のよさの中で過ごす金野さんだが、この先の人生は、まだ未定。「あまり考えないようにしてます」という。「会社として、自分として、やりたいことを突き詰めていけたら。ここにいるかもしれないし、ほかの国にチャレンジするかもしれない。日本に帰るかもしれないけど、寒いし、重いしな~」そんなことを、笑いながら話してくれた。

 選択の多様さと、生きやすさ。タイ生活は、人生にこの2つを与えてくれたと語る女性は多い。もちろん、いいことばかりではない。異国での暮らしは、ときに困難で、厳しい。それでも、新しい価値観や、違う生き方を求めるなら、アジアに飛び出してみるのも、ひとつの選択肢だと思う。日本で社会経験のある人なら、現地でもきっと居場所は見つかるだろう。
(室橋裕和)

「関東連合」元最高幹部に聞く、芸能人が裏社会と深い関係になりやすい理由

 海老蔵事件、六本木のクラブ「フラワー」殺人事件など、数々の凶悪事件で世間を騒がせた半グレ集団「関東連合」。その関東連合の元最高幹部・柴田大輔氏が10月に上梓した著書『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』(宝島社)には、市川海老蔵はもちろん、広末涼子の元夫でモデルの岡沢高宏らの名前が挙げられ、その他にも匿名でグラビアアイドルやAV女優、IT社長たちとの交流が綴られている。芸能人は、なぜ関東連合のような半グレと付き合うのだろうか? その背景を元連合の柴田大輔氏に聞く。

■関東連合のリーダーはヤクザよりかっこよかった

――関東連合の始まりは暴走族ということですが、そもそも、なぜ少年は暴走族に入るのでしょうか?

柴田大輔氏(以下、柴田) 2冊目の本(『破戒の連鎖~いびつな絆が生まれた時代』)にも書いたんですが、僕の場合、生まれは調布市の飛田給というところで、小学3年のときに杉並区へ引越したんです。田んぼでカエルと遊ぶような環境だったのが、遊び場といえば小さい公園かゲームセンターしかないところになってしまった。それで、すぐに登校拒否になりました。

 当時は中学受験が盛んな時期だったので、学業格差がありました。塾に通い始めたんですが、親がそれほど協力的ではなかったので、トップにいけないということがわかり、心が折れてしまったんです。小5くらいから自転車で遠征するようになると、他校の子とぶつかるようになりました。けんかは自分の存在を確保していくために必要なものなんです。その頃、駄菓子屋で万引きして、ゲームセンターに行くと、中学生の先輩と出会いました。その先輩たちと遊ぶのが小学校より楽しくて、バイクに乗ったりもしました。

 不良ってお互い感化されやすいんです。昔の不良少年は変形学生服を着て、金髪のリーゼントだったけど、(関東連合元リーダーの)見立(真一)君は、スケーターみたいな格好をしていたので、かっこよかった。仲間内では、より悪いことしてるほうが上にいけるので、どんどん悪いほうにエスカレートしていきました。

――そのような不良だったにもかかわらず、著書『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』に、「ヤクザには入らないと決めていた」という趣旨の記述がありますが、それはなぜですか?

柴田 暴走族で、全国制覇までは行かないものの、東京で一番くらいの自負がありました。だから、ヤクザみたいな魅力のない世界へは入らないと思ったんです。身近にいたヤクザの姿を見ている限りでは、夢を抱けなかった。上を目指すにはほど遠いし、憧れる要素がなかったんです。

 16~17歳の頃、関東連合にK君というリーダーがいて、彼は地元のヤクザよりかっこよかったんです。現場のけんかで負けたことがない。黒人のボディガードを連れていたり、キャデラックのリムジンに乗ったりしていて、今振り返ると、それ自体はどうってことないんだけど、当時はすごいと思った。彼はそういうパフォーマンスがうまかったんですね。「部屋住み」(住み込みの子分)とか「電話番」とか、ヤクザの上下関係には意味ないと思ってたし、自分たちで錬金できたから、金に困って入る必要もなかったです。

■不良者の映画やドラマはいつの時代でも人気がある

――『聖域』には、芸能界やIT業界との交流も書かれていましたが、なぜ芸能人は関東連合のような裏社会の人間と深い関係になりやすいのでしょうか?

柴田 昔から芸能人の巡業や興行を支えていたのはヤクザだったし、ヤクザ映画に出ていた俳優には、プライベートで本物のヤクザと仲がいいという人もいました。暴対法(1991年に制定された暴力団対策法)でヤクザは締め出され、公共のメディアにおいても、反社会勢力と付き合うことは許されないと問題化されるようになりました。

 芸能プロダクションも、以前のようにヤクザに金を払って揉め事を収めるということが通用しなくなりました。暴力団と付き合っていること自体が社会的に制裁を受けることになったんです。そこで、プロダクションはいわゆる“半グレ”をボディガードとして使い始めました。暴力団ではない街のギャングスターということで、使い勝手がいいんですね。

 不良者の映画やドラマっていつの時代でも人気がありますよね? 芸能人が関東連合と仲良くするのは、街で威張って歩きたい、というのがあるからじゃないですか。自分より下の世代の石元太一らは、実際に映画やドラマに不良役で出演するタレントたちとプライベートで付き合ったりしていました。

 でも、僕らや上の世代は芸能人とは付き合わなかったです。付き合っていたのは、プロダクションの社長とか、クラブに集まる人たち、例えばDJ、アパレルのデザイナーやスタイリスト、裏原とかサブカル系の人たち。彼らのやってる仕事自体はよくわからないけど、だからこそ、棲み分けができていて、友好的な関係でした。

■不良でもないイキがった人たちが関東連合に取って変わった

――不良はモテるというイメージがありますが、実際はどうなんでしょうか?

柴田 暴走族っていうのは、女よりも仲間のほうが大事なので、「彼女ほしい」っていう雰囲気はないです。だから、結婚しようという価値観もないし、結婚する意味がわからなかった。不良がモテるっていうのも勘違いだってわかりました。女の人は、けんかばっかりしているような男を好きにならないですよね。

 ただ、成人後も「関東連合だ」って言って、オラオラ飲みしているノリがいい奴等は、キャバクラではモテます。だから、彼らが付き合ってるのは、だいたいキャバ嬢でしたね。

――でも、女性芸能人の中には、関東連合と関係の深い男性と交際したり、結婚したりする人もいますが、それはどうしてなのでしょうか?

柴田 ヤクザが芸能人と仲良くするのは、連れていると格好がつくからです。お互いウィンウィンなんです。でも、海老蔵事件以降、関東連合というものが、リアリティーを持った犯罪集団として「準暴力団」と認定されて、芸能人は付き合うのを避けるようになりました。そこに残ったのが、関東連合でもない、そこにヒモづいてて商売をうまくやっている人たち。そんなに不良でもないんだけど、イキがった人たちが取って代わった。たとえば、相武紗季と結婚した小宮生也なんかは、そういう形で空いた穴にすっと入り込んだんです。

 今は不良とそうでない人がボーダーレス化しちゃってますよね。入れ墨を入れるっていうのは、僕たちの時代は腹をくくるという意味があったけど、今はファッションになっている。チーマーが暴走族に取って代わって勃興してきた時代と同じで、ファッションとして不良みたいな見た目の人たちが、街の中で顔になっていくんじゃないですかね。僕もセンター街歩いていて、絡まれるんじゃないか、オヤジ狩りに遭うんじゃないかって怖かったですね(笑)。

柴田大輔(しばた・だいすけ)
東京都杉並区出身の元関東連合最高幹部。ITや芸能の分野で活動後、複数の企業の筆頭株主として投資と企業コンサルティングを主な仕事としてきた。警察当局からは関東連合の最大の資金源と目されてきた人物。これまで「工藤明男」のペンネームで活動してきた。著書に『いびつな絆 関東連合の真実』、『破戒の連鎖 いびつな絆が生まれた時代』(ともに宝島社、後に宝島SUGOI文庫で文庫化)、『酒鬼薔薇聖斗と関東連合~「絶歌」をサイコパスと性的サディズムから読み解く』(サイゾー)がある。現在は、執筆活動を中心にしながらスマホのアプリケーションゲームなどを開発・運営している。

2016年炎上したポルノ的性表現の問題点 萌えキャラがなぜいけないのか? 

(前編はこちら)

■チャイルドポルノ的な表現の問題

 炎上CMのなかには、ポルノ的な性表現が含まれるものもある。鹿児島県志布志市がふるさと納税を返礼品の養殖ウナギを用いてPRするために制作した「うなぎのうな子」動画は大いに物議をかもした。

「あれはそもそも炎上狙いだったと見ています。20歳を超えた女優さんを起用しているのも、チャイルドポルノ的という批判がくるのを見越していたからでしょう。そうやってインパクトを与えて注目を集めたかったけど、ここまで燃え上がることは予想していなかった。まして世界がこの“HENTAI NIPPON”的な動画をどう見るかは考えもしなかったのでしょう。自治体がこれを製作するのは、完全にアウトです。男性だけじゃなく、女性や子どもといったいろんな人の目に触れることへの配慮が欠如しています」

 ネット上では、未成年の監禁事件や家庭内での性暴力を連想させるといった指摘も多くあったが、一方で、これをポルノ的と見ることへの批判も巻き起こった。「いやらしいと見るほうが、いやらしい」ということらしい。

「着エロといわれるジャンルでは、スクール水着やリコーダーといった一見して性と縁遠そうなものが、定番の小道具としてポルノ表現に使われています。ときには未成年どころかローティーンの女の子がスクール水着を着用し、きわどいポーズをとるものも多く見られます。そういう世界が現実にあると知らない人にとっては、スクール水着=ポルノアイコンというのは奇異に思えるのでしょう。女性にはそういう人が少なくないのかもしれません」

 しかし一部の男性にとっては違います、と千田さんは続ける。

「チャイルドポルノ的な表現で興奮する嗜好をもった男性たちにとっては、この映像が批判されると、『俺たちのエロが奪われる!』と危機を覚えるのでしょう。性的嗜好はとてもパーソナルなものなので、これを否定されると傷つくし、自分の実存が揺らぎます。だから、過剰に反応するのです」

■ポルノ表現に怒りを表明するのは女性だけではない

 広告ではないが、東京メトロのイメージキャラクター「駅乃みちか」が萌えキャラ化し、スカートが透けているように見えた一件も大きな論争を巻き起こした。

「エクスタシーを感じているような表情も問題視されましたね。普段からこうした表現に親しんでいる人は“萌え慣れ”してしまっていて、それがいかに性的な表現かわからなくなっているのではないでしょうか。が、実は男性のなかにも、うな子や駅乃みちかに嫌悪感を示す人が少なくないんです。当たり前のことですが、すべての男性が萌え表現を好きということはありません。ポルノ表現に怒りを表明するのが女性だけではない、というのも新しい動きです」

 女性が電車内で化粧をすると男性が傷つき、ポルノ表現を指摘すると男性が傷つく。そして、彼らが作った差別的な広告で女性たちが傷ついている。

「広告に文句をいっているのはババアたちだ、という声も聞かれますが、実際、必死になって声をあげているのは、もっと当事者性を感じている層だと思います。現実にセクハラでいやな思いをしたり、性的な対象として見られることで傷ついたりした女性が広告と自分の体験と重ね合わせ、憤っている。怒りの矛先は、広告そのものというより、広告に象徴される社会構造です。くり返し放送されることで、その構造がますます強化されることを危惧してもいます」

 では憤りを感じたとき、私たちはどうすればいいのだろう。

「声をあげましょう。そのCMが放送中止になったところでモグラ叩きでしかないと思われるかもしれませんが、声を出さないと何も動きません。製作側も放送中止になった教訓を踏まえ、次の製作で『前回のあれは、女性にウケが悪かったから……』と思えば、十分ストッパーになります。女性が何を怒っているのか本質的に理解してやめるわけではないにしても、まずは女性差別的CMを作らせないようにすることが重要です」
(三浦ゆえ)

千田有紀(せんだ・ゆき)
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房)、『女性学/男性学』(岩波書店)、共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)など多数。

2016年炎上したポルノ的性表現の問題点 萌えキャラがなぜいけないのか? 

(前編はこちら)

■チャイルドポルノ的な表現の問題

 炎上CMのなかには、ポルノ的な性表現が含まれるものもある。鹿児島県志布志市がふるさと納税を返礼品の養殖ウナギを用いてPRするために制作した「うなぎのうな子」動画は大いに物議をかもした。

「あれはそもそも炎上狙いだったと見ています。20歳を超えた女優さんを起用しているのも、チャイルドポルノ的という批判がくるのを見越していたからでしょう。そうやってインパクトを与えて注目を集めたかったけど、ここまで燃え上がることは予想していなかった。まして世界がこの“HENTAI NIPPON”的な動画をどう見るかは考えもしなかったのでしょう。自治体がこれを製作するのは、完全にアウトです。男性だけじゃなく、女性や子どもといったいろんな人の目に触れることへの配慮が欠如しています」

 ネット上では、未成年の監禁事件や家庭内での性暴力を連想させるといった指摘も多くあったが、一方で、これをポルノ的と見ることへの批判も巻き起こった。「いやらしいと見るほうが、いやらしい」ということらしい。

「着エロといわれるジャンルでは、スクール水着やリコーダーといった一見して性と縁遠そうなものが、定番の小道具としてポルノ表現に使われています。ときには未成年どころかローティーンの女の子がスクール水着を着用し、きわどいポーズをとるものも多く見られます。そういう世界が現実にあると知らない人にとっては、スクール水着=ポルノアイコンというのは奇異に思えるのでしょう。女性にはそういう人が少なくないのかもしれません」

 しかし一部の男性にとっては違います、と千田さんは続ける。

「チャイルドポルノ的な表現で興奮する嗜好をもった男性たちにとっては、この映像が批判されると、『俺たちのエロが奪われる!』と危機を覚えるのでしょう。性的嗜好はとてもパーソナルなものなので、これを否定されると傷つくし、自分の実存が揺らぎます。だから、過剰に反応するのです」

■ポルノ表現に怒りを表明するのは女性だけではない

 広告ではないが、東京メトロのイメージキャラクター「駅乃みちか」が萌えキャラ化し、スカートが透けているように見えた一件も大きな論争を巻き起こした。

「エクスタシーを感じているような表情も問題視されましたね。普段からこうした表現に親しんでいる人は“萌え慣れ”してしまっていて、それがいかに性的な表現かわからなくなっているのではないでしょうか。が、実は男性のなかにも、うな子や駅乃みちかに嫌悪感を示す人が少なくないんです。当たり前のことですが、すべての男性が萌え表現を好きということはありません。ポルノ表現に怒りを表明するのが女性だけではない、というのも新しい動きです」

 女性が電車内で化粧をすると男性が傷つき、ポルノ表現を指摘すると男性が傷つく。そして、彼らが作った差別的な広告で女性たちが傷ついている。

「広告に文句をいっているのはババアたちだ、という声も聞かれますが、実際、必死になって声をあげているのは、もっと当事者性を感じている層だと思います。現実にセクハラでいやな思いをしたり、性的な対象として見られることで傷ついたりした女性が広告と自分の体験と重ね合わせ、憤っている。怒りの矛先は、広告そのものというより、広告に象徴される社会構造です。くり返し放送されることで、その構造がますます強化されることを危惧してもいます」

 では憤りを感じたとき、私たちはどうすればいいのだろう。

「声をあげましょう。そのCMが放送中止になったところでモグラ叩きでしかないと思われるかもしれませんが、声を出さないと何も動きません。製作側も放送中止になった教訓を踏まえ、次の製作で『前回のあれは、女性にウケが悪かったから……』と思えば、十分ストッパーになります。女性が何を怒っているのか本質的に理解してやめるわけではないにしても、まずは女性差別的CMを作らせないようにすることが重要です」
(三浦ゆえ)

千田有紀(せんだ・ゆき)
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房)、『女性学/男性学』(岩波書店)、共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)など多数。

2016年炎上した差別的広告を振り返る「電車内で化粧する女性を見てオジサンは傷ついている」

 好きなタレントが出ている、作品としてのクオリティが高いなど、広告が私たちの印象に残るポイントはいくつもあるが、ネットで炎上したことにより記憶に刻まれてしまうものもある。最近では、お笑いタレントの横澤夏子が「イラッとくるOL」を演じた森永製菓のキャンペーン動画に批判が集まり、ひそかに配信中止になっていたが、2016年はさまざまな広告に関連して女性差別の問題が取り沙汰された。なぜ、次々に差別的なCMが作られ続けるのか? 社会学者として武蔵大学で教鞭をとる千田有紀さんに話を聞いた。

■多くの女性たちが声をあげ、企業が受けとめて放送中止

 今年、特に大きな話題になったのは資生堂「インテグレート」の広告。女性が25歳の誕生日を迎えた女友だちに「今日からアンタは女の子じゃない!」「かわいいという武器はもはやこの手にはない!」と断言する……これが見事に炎上した。女性が年齢を重ねることへの否定的な描写に反発を感じた視聴者からのクレームが殺到し、早々に放送中止となった。

 千田さんは次のように語る。

「特にCMは短い時間のなかに作り手のいいたいことが凝縮されるので、インテグレートのように、女性が日々、現実のなかで感じている差別的な視線や抑圧が含まれていればそれが際立ち、炎上しやすいと考えられます」

 ジェンダーギャップが色濃く表れた広告に女性が反発→炎上→放送中止の流れに先鞭をつけたのは、15年に放送された、ショッピングセンター「ルミネ」の広告だろう。シンプルな服装で出勤した女性とフェミニンな服装の女性が男性上司によってあからさまに比較され、「需要が違う」とバカにされる。

「これに対して多くの女性たちが声をあげたのが驚きでした。女性差別的な広告への抗議はいまに始まったことではありません。1975年にハウス食品のCMで『私、作る人。僕、食べる人』というセリフがあり、性別役割分担意識を全面に出した内容に女性団体が抗議しましたが、そのときは“おかしなことで文句をいう女たちが出てきた”という扱いでした。いまは企業が女性たちの声を受けてすみやかに放送中止するなど、それを受け止めています」

 せっかく予算をかけて製作したCMが放送中止になるのはもったいない。だったら、そもそも差別的なCMを作らなければいい。

「男の人の“当たり前”をのびのび表現すると、こういう広告ができてしまうんですね。製作における意思決定をするのが、男性ばかりなのでしょう。女性がいても声をあげることができなかったり、言っても取り合ってもらえなかったりするのだと思います。放送を中止したある広告では、企画段階で内部の女性たちから反対の意見があったといわれていますが、そもそも女性だからといって、全員が差別に反発する感性を持っているとも限りません」

■オジサンたちは電車内で化粧する女性を見て傷ついている

 男性が考えていることを女性の口からいわせるのも、こうした広告の常套手段だ。「25歳を過ぎたら女の子じゃない」といいたいのは、女性ではなく男性だろう。東急電鉄のマナー向上広告「車内化粧篇」にも同様の構図が見られる(現在も東急電鉄HPで視聴可能)。

「素朴な感じの女性に、『都会の女はみんなキレイだ でも時々、みっともないんだ』と言わせて両者を対立させています。女性にとって化粧は、ビジネスマナーでもあります。すっぴんで会社に行くと、身だしなみを注意されますよね。電車内で化粧をすることの是非に関する議論は、2000年代前半にまでさかのぼることができます。オジサンたちは化粧する女性を見て傷ついているんですよ。目の前で化粧される=自分がオトコとみなされていない、ということですから」

 化粧をせずに会社に行くと、ルミネのCMのように男性から「需要が違う」といわれる。15年に過労自殺した電通の女性社員は、「髪がボサボサ、目が充血したまま出勤するな」と上司に叱責されていた。女性に装いを求めつつ、自分たちの目の前で装いの準備をするなというのは、なかなかに身勝手だ。

「こうした抑圧に対して女性が『いやだよね』と意思表示すると、『そうだ、そうだ!』と反応がある……原理原則的なフェミニズムのようなものがTwitterなどのSNSにあふれているのは、おもしろい現象です」

(三浦ゆえ)

(後編につづく

千田有紀(せんだ・ゆき)
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房)、『女性学/男性学』(岩波書店)、共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)など多数。

買ってはいけない福袋2017 「豪華○点○万円相当」のコピーには要注意

 12月に入り、既に福袋戦線が佳境を迎えている。デパートやファッションブランドの多くが、ネット通販での予約受付をスタート。人気の福袋を手に入れるための競争は年々激しくなっており、予約開始と同時に売り切れてしまう場合も珍しくはない。とはいえ、「鬱袋」と呼ばれるハズレをつかんでしまい、正月早々から後悔している人が多いのもまた事実。そこで、最新の福袋情報を365日更新しているサイト「福袋ニュースカレンダー」管理人のMOMOTA氏に、お得な福袋の見分け方を聞いた。

——福袋は正月に買うものだと思っていたんですが、最近は時期が早まっているそうですね。

MOMOTA氏(以下 MOMOTA) もともと福袋は春・夏・秋・冬と年に4回販売されていたんです。それが近年は秋の福袋がなくなり、新春福袋が前倒しになってきました。ネット通販では10月頃から順次デパートなどでの予約受付が始まり、12月の半ばまでには有名ファッションブランドやコスメなどほとんどが出尽くしてしまいます。

 特に12月1日は人気福袋の予約受付が集中していて、「日本版ブラックフライデー」と呼べる状態。池袋の激戦区、西武百貨店や東武百貨店では、店舗でも12月頭から福袋を販売しているんですよ。

——福袋を買いたいと思っても、失敗するリスクを考えると躊躇してしまいます。

MOMOTA 私なら、地元の商店や小さな雑貨店などでは購入しませんね。こうした店では、いまだに売れ残りの処分品を詰めているものが多いんです。やはり安心なのは、大手のブランドやデパートの福袋でしょう。近年はヘタなものを売るとネットやメディアで叩かれるので、粗悪品は滅多にありません。過去に「臭い」「シミがある」「ほつれている」などひどい苦情が続出してSNSで炎上した女性ファッションブランドのUngridも、昨年は好評だったようですよ。

 ひと昔前は福袋といえば「おみくじ感覚」だったんですが、最近は「バーゲンを超えたバーゲン」を期待する人が多く、要求のレベルが高くなっています。そのため、いわゆる「鬱袋」「ゴミ袋」は全体的に減っていると思います。

——とはいえSNSを見ると、まだまだ「鬱袋」で盛り上がっている人は多いですよね。

MOMOTA ネットで叩かれているのはほとんどがファッション系です。近年は事前に中身を公開する手法が主流ですが、画像では質感や色合いが伝わりづらいため、「イメージと違う」とがっかりする人が多いようです。また、「豪華○点○万円相当」といったキャッチコピーにも要注意。商品数で推してくる福袋は海外生産で質が悪い確率が高く、○万円相当という数字には根拠がない場合が多いんですよ。

——ファッション系は引き続き注意が必要、ということですね。

MOMOTA まず頭に入れておきたいのは、大手ファッションブランドはほとんどが福袋用に企画・制作された「専用品」を売っているということ。企業にとっては利益が薄く、ギリギリの予算で作っているため、中身のすべてに満足するのは難しいでしょうね。例えば、目玉商品のアウターが気に入ったのなら、ほかの商品はオマケだと考えるなど割り切りが必要です。欲しい商品にこだわりがある人は、福袋よりもセールを狙ったほうが賢明でしょう。

——絶対に得する、と言い切れる福袋はあるんでしょうか?

MOMOTA デパートで売られている高額の福袋は、間違いなくお得です。毎年メディアで取り上げられている西武池袋百貨店では、元日にシモンズの最高級ベッドとアイダーダウンの羽毛布団の福袋を201万7,000円で販売しますが、定価は300万円以上と100万円以上も安くなっているんですよ。こうした高額の福袋はネット通販では購入できないのですが、海外からわざわざ買い付けにくる人も多いと聞きます。

——確かにお得ですが、なかなか手が出ない価格ですよね。現実的に買える福袋の中で、おすすめはどれでしょうか?

MOMOTA 食料品、電化製品、コスメはどれもコスパがよく、福袋初心者にも買いやすいと思います。デパートの食料品担当者に話を聞いたんですが、ほとんどが50%から70%オフになっているんだとか。家電量販店の福袋は私が調べたところ、価格コムの最低価格よりも劇的に安くなっていました。また、コスメは定価がわかるだけにお得感が高く、阪急百貨店の化粧品Web福袋などは、ほかのデパートのバイヤーさんが涙目になるほどの品揃えです。

 これから販売される福袋に絞ると、12月7日午前10時に予約受付が始まる阪急百貨店のファッション福袋は、店頭では販売されないブランドが多く含まれているので要チェックですし、レナウン、ワールド、オンワードも鉄板ですね。小さい女の子がいるご家庭には、毎年12月半ばに販売開始されるマザーガーデンの「うさもも&野いちご」おままごと福袋が人気で、お父さんお母さんが熱戦を繰り広げています。

 福袋を買うなら、店頭よりもネット通販のほうが断然おすすめ。寒空の下で並んでも人気の福袋は売り切れていることが多いですし、ネット限定の福袋も増えています。「本命」は必ず、ネット通販で確保しておきましょう。
(渡辺裕希子)

福袋ハンター・福袋アドバイザーMOMOTA
元お笑いタレントで現在は福袋の盛り上げ隊としてWEBサイト「福袋ニュースカレンダー」を運営しながら福袋伝道師としてTV出演やコラム執筆など活躍中。

福袋ニュースカレンダー

「認知症の義母に対して距離を持って見ている」城戸真亜子が語る、無理をしない10年介護

 老いゆく家族の介護は、肉体的にも精神的にも重い負担がのしかかる。特に認知症患者の介護は記憶の消失や落ち着かない行動、排泄の困難などが伴うことから、その過酷な現実がメディアでも頻繁に取り沙汰される。

 子育てと違い、未来も希望も見えない介護生活は、暗い現実ばかりに目が行くものだ。しかし、もしかしたら、それはひとつの側面にすぎないのではないだろうか――そう感じさせてくれるのが、認知症の義母(夫の母)を7年余り自宅で介護した経験を持つ、画家でタレントの城戸真亜子さん。

 自宅介護時代の思い出から、現在は特別養護老人ホームで過ごす義母との日常まで、10年間、毎日絵日記をしたため、今年11月には自身の介護生活を振り返る書籍『記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記』(朝日出版社)を刊行。その絵日記には、切なくも明るく、愛おしさに満ちた日々の様子が、丁寧な言葉と温かみのあるイラストで綴られている。華々しい舞台で活躍してきた城戸さんにとって、義母の介護はどのような経験だったのだろうか? インタビューで探った。

■冷たいと思われるかもしれないが、距離を持って見ている

――同居を開始されたときには、すでに認知症が進んだ状態だったそうですね。それまで別居されていたお義母様の介護について、ためらいはなかったですか?

城戸真亜子さん(以下、城戸) それはなかったですね。理由は2つあります。まず1つ目は、当時実父を亡くしたときに、介護らしい介護ができなかったので、後悔が強かったからです。そのため、義母の介護を通して、その思いを晴らしたいという気持ちがありました。

 2つ目は、義母とのしがらみがなかったこと。元気なときの同居がなかったので、いわゆる“嫁vs姑”の戦いがなかったため、距離感を保って接することができました。

――城戸さんは当時、画家としてもタレントとしてもマルチに活躍していらっしゃったと思いますが、仕事との両立は、大変だったのではないでしょうか?

城戸 40代前半の頃だったので、テレビの仕事が多かったですね。でも、画家としてもっと頑張りたいと思っていたのですが、なかなか思うようにいかない時期でした。どっちつかずの状態で、自分でもどうしたらいいかわからず、悩んでいたんです。

 義母との同居が始まったのは、ちょうどそんな頃でした。なので、義母の介護は自分にとって、正直、現実逃避的な部分もあったと思います。20年間仕事ばかりだった人生に、ちょっとブレーキがかかって、立ち止まることができたなって。結果的に仕事を減らすことにはなりましたが、自分にとって最優先にするべきことは何かを考える、きっかけになりました。

――とはいえ、お義母様とは、それまで一緒に暮らしたことがなかったわけですよね。すんなり愛情を持てるものでしょうか? 突然始まった介護生活は、しんどくなかったのでしょうか?

城戸 義母は、仕草や考え方が夫に似ているんです。それもあって、すぐに愛情を感じることができました。あと、私は絵を描く仕事が長いので、“モノを初期化してみる”ことに慣れているんです。たとえばコップだったら、どこのブランドのものだとしても、素材がガラスで、こういう質感と厚さで……というふうに、観察するときに枠組みを一回外す癖がついているんです。

 なので、母に対しても、本来だったらこうあるべきじゃないかとか、なんでこんなに汚しちゃうんだろうとか、そういうふうには思わずに、「あ、今汚しちゃってるけど、どうして間に合わなかったのかな」とか、現象から見ていくようにしていました。

 人間って年を取って認知症になると、こんなふうになるんだ――と、興味深く感じていたのかもしれません。もしかしたら冷たいと思われるかもしれませんが、距離を持って見ている部分はあるかもしれません。でもだからこそ、気持ちを楽に保てましたし、可愛らしいと感じる余裕もあったのだろうと思います。

■胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい

――お義母様との日々を綴った絵日記には、まさにそうした“老いてこその可愛らしさ”が描かれていますよね。絵日記は、何をきっかけに始められたのでしょうか?

城戸 日記をつけるのは、義母の記憶をつなぐためという理由もあったのですが、ただ文章を書いていても、なかなか目に留まらないんです。そこで、ちょっとイラストを描いてみたところ、興味を持って見てくれて、「これ、私の似顔絵?」などと気づいてくれるのがうれしくて、継続して描くようになりました。

 絵日記を描いていると、義母の仕草が、ありありと思い浮かんでくるんですよね。描くという行為で、その日に起きた出来事を反芻すると、愛情がさらに深まるんです。その人をじっと観察して、いろいろな角度から向き合う、つくづく“絵を描くことは、人を愛することに似ている”と思います。

――とはいえ、10年以上、毎日絵日記を続けるというのは、すごいことですよね。

城戸 そんなに頑張ってはいないんです。自分が、ただ好きで描いているだけなので。お天気とか食べたものを記しておくだけでいいわけで、そんなに時間もかかりません。とにもかくにも、介護は無理をしないことが大事ですね。無理をすると、どうしても言葉がきつくなったりします。いま振り返ってみると、母のためでもあったけど、自分のために絵日記を続けていたんだなとも思います。

――5年前に骨折されたことをきっかけに、お義母様の体が不自由になられたこともあって、特別養護老人ホームへの入居を決断されたとか。これから先、悔いが残らないようにするために、どのようなサポートをしていきたいとお考えでしょうか?

城戸 今はもう完全に寝たきりの状態で、言葉も出なくて、食べ物も喉を通るのが難しくなってきています。それでも、「カニですよ」とか「リンゴですよ」と話しかけながら好きなものを見せると、リアクションをしてくれるし、本人の生きる意志が伝わるんです。

 声が出なくても“目に笑みが宿る”、そういうのは感じるんですよね。なので、私も精いっぱい“生きてほしい”という想いを込めてマッサージをしてあげるとか、一方的ですが、会話をしたり、写真を見せてあげたりしています。私たちは夫婦ともに仕事もしているし、施設の方のサポートなくしては介護もできないのですが、私としては体力が持つようであれば、胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい。ただ、それは、これから向き合っていかなければならない問題かなと思っています。

■介護は、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間

――認知症が進むと本人の意思を確かめるのも難しくなってきますし、最期をどのように迎えるかについて、家族は答えが見つからない中で考えなければいけないというのは、つらいと思います。

城戸 家族は、本当にいろいろ考えますよね。ただ、それがまた大事なのかなとも思います。家族が亡くなったときというのは、「ああしておけばよかったんじゃないか」「こうするべきだったんじゃないか」と、ふだんはバラバラの家族が膝突き合わせて考えますよね。命を終える人は、ある意味、家族を取り戻そうとしてくれているという見方もできるんじゃないかなって思います。残された人のことを考えてエンディングノートを書くのも手ですが、「本人がこう書いていたから、こうする」と、事務的に進めていくのも寂しい感じがします。

――確かに、老いていく人は家族の迷惑になりたくないと考えがちですが、残される人にとっては、やれることはすべてやってあげたいと思うものですよね。

城戸 オリンピック選手のように、力強く生きている人は皆応援しますが、ひとつの命が終わっていくことに関しては、目をそらしてしまいがちです。ただ、私は身内に介護が必要な人がいたら、自分が損をするという気持ちにならずに、得がたい経験をさせてもらっていると考えた方がいいと思うんです。実際に介護を通して得るものも大きいので、今は大変だけど、後になって振り返ったとき、それが良い時間になると伝えたいです。

――いま振り返られて、「仕事を少しセーブして10年以上介護をした自分」と、「そうしなかったときの自分」を想像して比べるとすると、どのような違いがあったと思われますか?

城戸 私は義母の介護があったからこそ、今ちゃんと立っていられるんだと思っています。もし介護がなくて仕事だけの人生だったら、自分のことしか考えられない人間になって、「自分はダメで、足りない人間なんだ」って追い詰める一方だったんじゃないかなって。

 私は、人間って周りの人との関係の中で生かされていると思っているので、一人だけの力で満足のいく人生を送ろうと思っても、限界があるはず。いま頑張って活躍している人も、周りの力があって自分の力が発揮できていると思うんです。それに、気づけばいいことなんですけれど、私みたいになかなか気づけなかった人間にとってみると、義母との生活はそのことに気づかせてくれたと感じています。介護ってネガティブなイメージがつきまといますが、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間なんじゃないかなと思っています。
(末吉陽子)

「認知症の義母に対して距離を持って見ている」城戸真亜子が語る、無理をしない10年介護

 老いゆく家族の介護は、肉体的にも精神的にも重い負担がのしかかる。特に認知症患者の介護は記憶の消失や落ち着かない行動、排泄の困難などが伴うことから、その過酷な現実がメディアでも頻繁に取り沙汰される。

 子育てと違い、未来も希望も見えない介護生活は、暗い現実ばかりに目が行くものだ。しかし、もしかしたら、それはひとつの側面にすぎないのではないだろうか――そう感じさせてくれるのが、認知症の義母(夫の母)を7年余り自宅で介護した経験を持つ、画家でタレントの城戸真亜子さん。

 自宅介護時代の思い出から、現在は特別養護老人ホームで過ごす義母との日常まで、10年間、毎日絵日記をしたため、今年11月には自身の介護生活を振り返る書籍『記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記』(朝日出版社)を刊行。その絵日記には、切なくも明るく、愛おしさに満ちた日々の様子が、丁寧な言葉と温かみのあるイラストで綴られている。華々しい舞台で活躍してきた城戸さんにとって、義母の介護はどのような経験だったのだろうか? インタビューで探った。

■冷たいと思われるかもしれないが、距離を持って見ている

――同居を開始されたときには、すでに認知症が進んだ状態だったそうですね。それまで別居されていたお義母様の介護について、ためらいはなかったですか?

城戸真亜子さん(以下、城戸) それはなかったですね。理由は2つあります。まず1つ目は、当時実父を亡くしたときに、介護らしい介護ができなかったので、後悔が強かったからです。そのため、義母の介護を通して、その思いを晴らしたいという気持ちがありました。

 2つ目は、義母とのしがらみがなかったこと。元気なときの同居がなかったので、いわゆる“嫁vs姑”の戦いがなかったため、距離感を保って接することができました。

――城戸さんは当時、画家としてもタレントとしてもマルチに活躍していらっしゃったと思いますが、仕事との両立は、大変だったのではないでしょうか?

城戸 40代前半の頃だったので、テレビの仕事が多かったですね。でも、画家としてもっと頑張りたいと思っていたのですが、なかなか思うようにいかない時期でした。どっちつかずの状態で、自分でもどうしたらいいかわからず、悩んでいたんです。

 義母との同居が始まったのは、ちょうどそんな頃でした。なので、義母の介護は自分にとって、正直、現実逃避的な部分もあったと思います。20年間仕事ばかりだった人生に、ちょっとブレーキがかかって、立ち止まることができたなって。結果的に仕事を減らすことにはなりましたが、自分にとって最優先にするべきことは何かを考える、きっかけになりました。

――とはいえ、お義母様とは、それまで一緒に暮らしたことがなかったわけですよね。すんなり愛情を持てるものでしょうか? 突然始まった介護生活は、しんどくなかったのでしょうか?

城戸 義母は、仕草や考え方が夫に似ているんです。それもあって、すぐに愛情を感じることができました。あと、私は絵を描く仕事が長いので、“モノを初期化してみる”ことに慣れているんです。たとえばコップだったら、どこのブランドのものだとしても、素材がガラスで、こういう質感と厚さで……というふうに、観察するときに枠組みを一回外す癖がついているんです。

 なので、母に対しても、本来だったらこうあるべきじゃないかとか、なんでこんなに汚しちゃうんだろうとか、そういうふうには思わずに、「あ、今汚しちゃってるけど、どうして間に合わなかったのかな」とか、現象から見ていくようにしていました。

 人間って年を取って認知症になると、こんなふうになるんだ――と、興味深く感じていたのかもしれません。もしかしたら冷たいと思われるかもしれませんが、距離を持って見ている部分はあるかもしれません。でもだからこそ、気持ちを楽に保てましたし、可愛らしいと感じる余裕もあったのだろうと思います。

■胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい

――お義母様との日々を綴った絵日記には、まさにそうした“老いてこその可愛らしさ”が描かれていますよね。絵日記は、何をきっかけに始められたのでしょうか?

城戸 日記をつけるのは、義母の記憶をつなぐためという理由もあったのですが、ただ文章を書いていても、なかなか目に留まらないんです。そこで、ちょっとイラストを描いてみたところ、興味を持って見てくれて、「これ、私の似顔絵?」などと気づいてくれるのがうれしくて、継続して描くようになりました。

 絵日記を描いていると、義母の仕草が、ありありと思い浮かんでくるんですよね。描くという行為で、その日に起きた出来事を反芻すると、愛情がさらに深まるんです。その人をじっと観察して、いろいろな角度から向き合う、つくづく“絵を描くことは、人を愛することに似ている”と思います。

――とはいえ、10年以上、毎日絵日記を続けるというのは、すごいことですよね。

城戸 そんなに頑張ってはいないんです。自分が、ただ好きで描いているだけなので。お天気とか食べたものを記しておくだけでいいわけで、そんなに時間もかかりません。とにもかくにも、介護は無理をしないことが大事ですね。無理をすると、どうしても言葉がきつくなったりします。いま振り返ってみると、母のためでもあったけど、自分のために絵日記を続けていたんだなとも思います。

――5年前に骨折されたことをきっかけに、お義母様の体が不自由になられたこともあって、特別養護老人ホームへの入居を決断されたとか。これから先、悔いが残らないようにするために、どのようなサポートをしていきたいとお考えでしょうか?

城戸 今はもう完全に寝たきりの状態で、言葉も出なくて、食べ物も喉を通るのが難しくなってきています。それでも、「カニですよ」とか「リンゴですよ」と話しかけながら好きなものを見せると、リアクションをしてくれるし、本人の生きる意志が伝わるんです。

 声が出なくても“目に笑みが宿る”、そういうのは感じるんですよね。なので、私も精いっぱい“生きてほしい”という想いを込めてマッサージをしてあげるとか、一方的ですが、会話をしたり、写真を見せてあげたりしています。私たちは夫婦ともに仕事もしているし、施設の方のサポートなくしては介護もできないのですが、私としては体力が持つようであれば、胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい。ただ、それは、これから向き合っていかなければならない問題かなと思っています。

■介護は、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間

――認知症が進むと本人の意思を確かめるのも難しくなってきますし、最期をどのように迎えるかについて、家族は答えが見つからない中で考えなければいけないというのは、つらいと思います。

城戸 家族は、本当にいろいろ考えますよね。ただ、それがまた大事なのかなとも思います。家族が亡くなったときというのは、「ああしておけばよかったんじゃないか」「こうするべきだったんじゃないか」と、ふだんはバラバラの家族が膝突き合わせて考えますよね。命を終える人は、ある意味、家族を取り戻そうとしてくれているという見方もできるんじゃないかなって思います。残された人のことを考えてエンディングノートを書くのも手ですが、「本人がこう書いていたから、こうする」と、事務的に進めていくのも寂しい感じがします。

――確かに、老いていく人は家族の迷惑になりたくないと考えがちですが、残される人にとっては、やれることはすべてやってあげたいと思うものですよね。

城戸 オリンピック選手のように、力強く生きている人は皆応援しますが、ひとつの命が終わっていくことに関しては、目をそらしてしまいがちです。ただ、私は身内に介護が必要な人がいたら、自分が損をするという気持ちにならずに、得がたい経験をさせてもらっていると考えた方がいいと思うんです。実際に介護を通して得るものも大きいので、今は大変だけど、後になって振り返ったとき、それが良い時間になると伝えたいです。

――いま振り返られて、「仕事を少しセーブして10年以上介護をした自分」と、「そうしなかったときの自分」を想像して比べるとすると、どのような違いがあったと思われますか?

城戸 私は義母の介護があったからこそ、今ちゃんと立っていられるんだと思っています。もし介護がなくて仕事だけの人生だったら、自分のことしか考えられない人間になって、「自分はダメで、足りない人間なんだ」って追い詰める一方だったんじゃないかなって。

 私は、人間って周りの人との関係の中で生かされていると思っているので、一人だけの力で満足のいく人生を送ろうと思っても、限界があるはず。いま頑張って活躍している人も、周りの力があって自分の力が発揮できていると思うんです。それに、気づけばいいことなんですけれど、私みたいになかなか気づけなかった人間にとってみると、義母との生活はそのことに気づかせてくれたと感じています。介護ってネガティブなイメージがつきまといますが、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間なんじゃないかなと思っています。
(末吉陽子)