「性被害は被災と同じくらい大変なこと」被害者支援の立場から見た、性暴力を取り巻く社会の現状

 3月7日、政府は性犯罪の処罰のあり方を110年ぶりに見直し、厳罰化する刑法改正案を閣議決定した。この法案が通れば、男女とも性被害者として認められ、告訴なしで立件できるようになる。『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)を上梓した山本潤さんは、13歳の頃から実の父親から性暴力を受けていた被害者で、現在は性暴力被害者を支援する活動を行っている。今回の刑法改正で性被害の実情がどう変わるのか、山本さんに話を聞いた。

■性被害からの回復は、人との間で本来の自分を取り戻していくこと

――山本さんは著書の中で、大変つらい経験を乗り越えたことを書かれています。そのような経験を書くという作業は大変だったと思いますが、出版に至った経緯を教えてください。

山本潤さん(以下、山本) 昨年の2月1日に朝日新聞の“ひと”欄に『被害者から見た刑法についての発言をしている「性暴力と刑法を考える当事者の会」の活動をしている山本潤さん』ということで掲載されました。それを朝日新聞出版の編集者さんが見てくれていて。私は各地で講演をしているのですが、熊本の「国民のつどい」で講演をした講演録をネットで読んでくださり、「この内容を深めて本にできると思います」と、お話をいただいて、書くことにしました。

――書いている最中、性被害のフラッシュバックなどは起こりませんでしたか?

山本 思い起こしながら書くので、当時は遮断していたような感覚を取り戻して、深く味わうような感じです。だから、ずっとセラピーを受けながら執筆していました。セラピストさんと一緒に「これはどういうことなのだろうか」と探求しながら書きました。

――分析をしながら書くことによって、回復につながるような効果があったのでしょうか?

山本 私の場合は、「なぜそうなるのか」を自分が知りたいということがあったように思います。私は看護師として働いているので、患者さんの尿の入った尿瓶を扱う業務がありました。その際に尿を飲みたいという思いに襲われたんです。尿を飲みたいだなんて明らかにおかしい話ですし、自分でもなぜかがわからない。でも、あまり考えると、また(心の)傷口から血が吹き出して動揺するので、あまり考えないようにしていたのですが、書かざるを得なくなったので、セラピストさんと掘り起こしてみたら、「ああ、そういうことか」と自分でも納得ができたというか……。必ずしも書くことが必要なわけではなく、感覚的なものなので、被害で受けた傷を言葉にして整理するのはすごく難しいことでもあります。

――回復の方法は人によって違うのですか?

山本 はい。その人の置かれている状況によっても違うし、その人の行動によっても違うと思うのですが、基本的には、人を信頼できるようになるということがすごく大事です。そして、自分自身にも力があると信じられるようになることも大事。やはり、人との間で本来の自分を取り戻していくことですね。だから、セラピストさんを信頼できるかどうかもとても重要です。

――中には相性の合わないセラピストさんもいるということですか?

山本 そうですね。セラピストさんを探すのもすごく大変です。自分に合うセラピストさんをマッチングしてもらえるといいんですけど、なかなかそういうシステムもないので。でも、やはり良いセラピストさんと一緒だったら、“治療同盟”が結べるので、そこでいろいろなことを一緒に経験していくことができます。

――私自身、友人で性被害に遭った人がいるのですが、そういう人とどう接していけばいいのか悩みます。変に元気付けると傷をえぐるだけの場合もありますし……。

山本 やはり、責められたり「あなたが悪いんじゃないの?」と言われたりすることは、とても傷付きます。性被害のトラウマが大変だとわかる人はわかるのですが、“まったく大変と認めない人”や、“大変なんだろうけど、どうすればいいのかわからない人”がいます。

■“良い性的な関係”を築くためにはどうすればいいのか、わかっていない

――性被害を受けた人に言ってはいけない言葉はありますか?

山本 「そんな大変なことは忘れて、前を見ようよ!」と、被害者は言われがちなんですが、人は大きな被害を受けたとき、忘れることはできません。それは震災の被害に遭った方も同じですし、大切な人を殺されたり、大きな事故に遭ったりしたときも同じだと思います。同じくらい大変なんだよ、ということを想像しながら関わっていけばいいのではないかと思います。

――「忘れて前を見ようよ!」なんて、つい言ってしまいそうです。性被害者の心理に関する知識が広まるためには、どうしたらいいと思いますか?

山本 支援機関に携わっている人ならマストで知っていることなのですが、一般の人には広まっていないのが現状です。やはり、こうやって報道されることや、あとは教育をしていくことですね。

――教育は大事ですよね。キャンパスレイプも起こっていますし、特に若い世代は性暴力に関する知識があまりにもないのではと感じてしまいます。お酒で酔いつぶれた女性はOKサインだと思って性的暴行をした、という話も聞いたことがあります。

山本 そのあたりのことを学校はきちんと教えていません。アメリカだと、新入生に「性暴力対応トレーニング」を先輩が後輩に行うんです。何が同意で何が同意でないか、ということもそうだし、女性を酔いつぶしてレイプをしたら、それはもう犯罪なのだということ、そのような状況を見たらどう助けるのか、ということまで学びます。また、飲み物にクスリを入れられるケースもあるので、そういう具体的な手口も教えつつ、どうやって止めるのかもトレーニングで学ぶということをしています。

――日本にはそういった教育がありません。やはり、性暴力に関する法律が遅れていることも要因にあるのでしょうか?

山本 教育委員会や政治家の人たちの価値観によるものでしょう。市民が性暴力に関する現在の法律について、おかしいとわかってくれることが大事だと思います。そうすると、それが政治家を動かす力になるはずです。裁判員裁判だって、以前は司法の世界の昔ながらのやり方で、「強姦罪だったらこのくらいの刑」と下されていたものが、市民が入ることで、「こんなひどいことをされているんだから、その判決はおかしい!」というふうに、量刑が重くなったケースもあるので、市民感覚が反映されるのは重要だと思います。

 また、日本では性に関することはタブーになっていますが、その中でも性行動自体の内容は多岐にわたっています。セックスは本当に同意のある良い関係の人と行うと、健康寿命が伸びるというデータもありますし、悪いものではありません。そういう“良い性的な関係”を築くためにはどうすればいいのか、わかっていないから、ドラマやアダルトビデオ、漫画などから学んでDVが起こったりするのではないかと思います。

■“私たちの同意ガイドライン”を作っていきたい

――現在、性暴力に関する法律が変わろうとしています。法律が変わることによって、今後、社会はどう変わっていくと思いますか? また、性暴力の抑止になるとは思いますか?

山本 私の考えでは、暴行・脅迫要件が残るということは、性暴力=性犯罪にならないことだと思っています。ただ、今回の法改正で、男性も被害者と認められるようになりますし、今まで親告罪だったものも非親告罪になります。それは遅すぎたくらいで、法改正は当然のことです。あと、監護者(親など)による強制的な性交は犯罪であると認識されるようになることは、とても良いメッセージになるのではないかと思っています。

 ただ、どうしてこの暴行・脅迫要件は残るのかと考えると、抵抗したけど奪われてしまった場合でないとレイプと認められない、と考えられていることと根本は変わらないんじゃないかと思います。脅されたり殴られたり、刃物で刺されたり、そういうことがなくても、その人が同意していないのに性的なことをされること自体が暴力であり、そこで傷が発生するということを認識しなければ、まだ性暴力もキャンパスレイプも続くと思います。

――最後に、山本さんの今後の目標を教えてください。

山本 直近の目標は今行っている「ビリーブキャンペーン~刑法性犯罪改法プロジェクト~」の中で、性関係やパートナーシップにおける同意ガイドラインを作ることです。ロビイングに行くと、男性から「何が同意で何が同意じゃないのか、わからないから怖くて不安」という話を聞くことがあります。ワークショップをしながら1,000人くらいから意見を募り、何が同意で何が同意でないかの“私たちの同意ガイドライン”を作っていきたいです。例えば、セクハラにもセクハラガイドラインがあり、上司が「個人的に2人で会おう」と部下に言ったらアウトじゃないですか。

――そういう具体的な例を出さないと、なかなか理解が深まらないということですね。

山本 そう。そこで齟齬があったのなら、そこを共有することで、性暴力につながることもなくなっていくと思います。やはり、「同意なしに性的な行為をすることはおかしい」ということが広がっていくことが大事です。

――おかしいかどうかわからない状態だったら、何も変わらないとも言えますね。

山本 それもそうだし、今まで被害を受けたと声を挙げた人たちが「おかしな人」とか「かわいそうだけど騙されてバカな人」みたいな扱いを受けていたことが、なくなることも、とても大事ですね。そしてその時、性加害をした加害者を適切に処罰するなどの対応をして、「加害者に責任がある」という認識がしっかり広まるといいと思います。
(姫野ケイ)

山本潤(やまもと・じゅん)
1974年生まれ。看護師・保健師。「性暴力と刑法を考える当事者の会」代表。13歳から20歳までの7年間、父親から性暴力を受けていたサバイバー。性暴力被害者支援看護師(SANE)として、その養成にも携わる。性暴力被害者の支援者に向けた研修や、一般市民を対象とした講演活動も多数行う。

性暴力と刑法を考える当事者の会

少女が早く大人になることを強いる沖縄の社会――暴力の連鎖が生む格差と矛盾

(前編はこちら)

 生まれ育った沖縄の地で教育学を専攻する上間陽子さんは、2011年から水商売や性風俗店で働く女性たちへの聞き取り調査をしている。暴力を受けながら育ち、夜の街を生き延びようとする6人の女性たちの記録が、『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)として出版された。

■親も生きていくのに精いっぱい

 女性たちにとって暴力は、ある意味“慣れ親しんだ”ものだった。子どもの頃から殴られていた女性がいる。デートDVで殴ってくる彼氏の子どもを妊娠し、「父親になれば、彼も変わるかもしれない」と出産したが、何も変わらず殴られ続ける女性がいる。

 理不尽な暴力を前に、なすすべがない女性たちは、まだ10代だった。子どもと言っていい年齢の彼女たちが困っているときに、ほとんどの大人は手を差し伸べない。その理由を、上間さんはこう見ている。

「たとえば、私は亜矢という女性のお母さんに対して、ずっと憤りを感じていたんです。娘が性暴行を受けたのに、被害届を出さず事件化しなかった上に、『お前が悪い』と娘を責めた……。でも、お宅に行くようになって気づいたんです。闘うための資源や資本といったものがないと、人は闘えない。だから、子どもの問題に対応するとしても、娘をこれ以上、人目にさらさないようにしよう、そのために娘の責任にしよう、という選択をするしかなかったのだなと思いました。事件は、被害を受けた人のせいではない。ただそれは、お母さんにとってみれば、娘を守る唯一の方法に思えたのだろうと思いました。ほかにも、ひとりで子どもを4人育てているお母さんがいて、時間も余裕もまったくない。そうすると、子どもも親に心配をかけたくなくて、『暴力を受けている』と言わないんです。親も、生きていくのに精いっぱいなんですよね。だから、問題が起きる前に、子どもの問題に介入できないし、何か起きても、こうした消極的な戦略を選ぶという背景が見えてきました」

 しかし、中には、子どもたちを見ている大人もいる。どれだけ反抗されても見捨てない中学校教師や、何かあったら自分に連絡してほしいと電話番号を書いた手紙を渡してきた看護師もいる。

「看護師さんから手紙をもらった女性の出産した子どもには障害があって、だから彼女は毎日NICU(新生児集中治療室)にいる子どもに会いに病院に通っていたんですが、家に帰れば、子どもの父親から日常的に殴られていました。やがて、その男性と別れて自立し、看護師を目指すようになります。このように、声をかけることは、目の前にいる彼女を救うだけでなく、将来の彼女にひとつのモデルを示すことでもあるんですね」

■産むことで家族を再生したいという思い

 女性たちの子ども時代は、とても短い。10代の半ばで唐突に終わる。それはおしなべて、妊娠・出産によってもたらされる。

「抱えるものができてしまうと、そのために動かないといけないですよね。だいたいの子は、産みたいんです。そうすることで、家族を再生したいのでしょう。自分がこれまでとても大変な思いをしてきたから、自分の子どもはちゃんと育てたい、と。でも、相手の男性が、それについてこられないんです」

 だから彼女たちは、ひとりで子どもを育てるために働きに出る。といっても16~17歳の女性が働けるところは限られている。キャバクラなどの水商売や、性風俗店。法律的に18歳未満は働けないはずだが、そこを厳しく取り締まるようになると、彼女たちは稼ぐ手段を失う。

「その矛盾については、私の中でも、まだ考えがまとまっていないのですが……。でも、風俗業が未成年の勤め先としてふさわしい場所だとは、やっぱり思えません。男性客は18歳未満だとわかれば、足元を見てきます。感染症を避ける方法や、危ない客への対応など、長年働き、ネットワークも持つ20歳以上の女性と10代半ばの子ではスキルに差があって当然なので、その未熟さに付け込まれることもあります」

■上手に依存する方法を覚えてほしい

 夜の街で働く女性の多くは、いずれは“昼職”に就きたいと願っているという。

「沖縄でトップクラスのお店に勤めていて稼ぎがいい女性でも、『昼間の仕事がいい』と言うんです。いま沖縄は景気がいいので、正規職にこだわらなければ、仕事はあります。でも、職歴や資格がないという以前に、水商売や風俗業でしか働いたことがない女性……特に16~17歳ぐらいで働き始めた女性たちは、昼のお仕事に対してハードルの高さを感じています。中学卒業以来、社会に受け入れられた経験がないままなので、『昼に働いている人たちと自分とは違う気がする』と感じているようです」

 それゆえ、夜の街で体を張って心を張って生きていく女性たちに、上間さんは「こんなに早く大人にならなくていい。ゆっくり大人になっていい」と言いたくなる。なかにはすでに大人の顔をして、誰かの助けを必要としていないように見える子もいるが……。

「彼女たちは言わないんですよ、『助けてほしい』って。10代半ばにしてひとりで生きようと覚悟を決め、風俗業界で日々、自分より10歳も20歳も年上の男性と渡り合う。そういう形で大人になろうとしているから、弱みを見せたくないのでしょうね。

 私はよく人から『そんなに頼られても困りませんか?』と訊かれるのですが、『もっと頼ってよ!』と思っています。10代半ばなんて、まだまだ大人に甘えていい年齢でしょ? だから私は彼女たちが強がっているときほど、よく見るようにしています。そうしたら、強がっていても、それをキャッチしてあげられるかもしれない。彼女たちには、上手に依存する方法を覚えてほしいんです。誰かに助けてもらったら、それをその人に返すのではなく、誰か次の人に渡してあげる。それが上手な依存の仕方だと思うんです」

 まずは彼女たちに読んでほしかった、と上間さんは言う。調査として数年にわたって話を聞き取ってきた彼女たち自身と、「こう生きてきたよね」「こう生きているよね」と確認し合いたかった、と。そのなかには笑いもあり、涙もあった。上間さんと女性たちは、これからも沖縄で生きていく。
(三浦ゆえ)

「基地が間近にあるのは、それだけで暴力的な体験」風俗業界で働く女性から見える沖縄の現実

 「こんなに早く大人にならなくていい」ーー上間陽子さんは、ある女性に心の中でそう呼びかける。彼女はキャバクラで働きながら子どもを育てるシングルマザーで、名前を亜矢という。中学2年生のときに、集団での性暴行に遭っている。しかし彼女の両親はそれを隠し、事件化しなかった。それどころか「お前が悪い」と娘を責めた。店では19歳と言っているが、まだたったの17歳だ。

 『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)は、教育学を専攻する琉球大学教授・上間陽子さんにとって初の著書となる。上間さんは2011年から、沖縄の風俗業界で働く女性たちの調査をしている。彼女らには支援が必要なのに、支援が届きにくい。その現実を打破する突破口を見出すため、女性たちがこれまで生きてきた道のりを聞き取り続けた。同書には、その中で出会った6人についての記録が収録されている。多くが10代の半ば~後半で出産し、夜の街で働いて生活している。

■現実があまりに過酷なため、むしろ抑え気味に書いている

 「調査」というとドライな印象を受けるが、数ページも読めば、女性たちにとっての上間さんは、“何かあったら駆けつけてくれる人”“どうしていいかわからないとき、誰よりもそばにいてくれる人”だということがわかる。

「それでも“友達”ではないんですよね。それぞれの女性によってスタンスは違うんですが、私の役目はあくまで“聞き取る”こと。ただ、調査のさなかにも暴力にさらされたり、事件に巻き込まれたりする子がいるので、『こういうところに相談できるよ』『ここにつなぐからね』とアナウンスしてから行動に移します。だから、彼女たちからすると私は、“いろんなことに詳しくて、なんか親切なクラスの委員長”的な存在みたいですね(笑)」

 女性たちは、暴力を振るわれながら成長してきた。親から、きょうだいから、そして恋人、夫から。サンドバッグのように一方的に殴られ蹴られるなんて、現実のことと思えない人もいるかもしれない。

「よく“盛ってる”と言われるんですよね。彼女たち自身がまず大げさに話をして、さらに私がそれを誇張して書いている、と。本当にコレが盛られたものだったら、どんなにいいだろう、と思います。彼女たちの現実があまりに過酷なため、私はむしろ抑え気味に書いているくらいなんです」

 上間さんが聞き取った女性たちの言葉は、時おり補足を差し挟むことはあるものの、一言一句そのまま掲載されている。それは同書が「調査」を基にしているからではあるが、話が前後したり言い淀んだり、同じ語を何度も繰り返したりといったところにこそ、女性たちの動揺や混乱が見て取れる。彼女たちは確かに存在し、こんな大変な時期を生き延びて、現在も沖縄で暮らしているという、圧倒的なリアリティがある。

■基地が間近にあるのは、それだけで暴力的な体験

 とはいえ当然のことながら、同じ沖縄に生まれ育っても、暴力と無縁に育つ女性は多くいる。彼女たちの境遇を分け隔てているものは、いったい何なのか?

「家庭環境が最も大きいですね。沖縄は地域的な階層格差がとても強く、特にここ10年ほどで富裕層が集中して住む地域が増えてきて、格差はますます広がっています。そうしたひずみが、経済的に困窮した家庭において、暴力という形で出やすいように見えます。さらに『エイサー』といわれる、各地の青年会のような共同体があるのですが、中高生のうちから、そこに参加する子もいます。エイサーはそもそも男性中心的な色合いが強い上に、とても厳しい秩序が敷かれているところもあります。そうした中では暴力や性被害が起きやすく、しかも被害を受けても、それを外に出しません。先輩後輩の上下関係が極端にはっきりした地域でも、同様のことが起こりやすいですね」

 同書にも年齢差を理由に「俺は先輩で、お前は後輩だから」と夫に殴られる妻のエピソードが収録されている。

「また、調査をしていて、米軍基地に近い街の子と暴力の結びつきが強いと感じるようになりました。基地が間近にあるのは、それだけで暴力的な体験です。まがまがしいことが起きても、まがまがしいと感受されない。昨年、うるま市で元海兵隊員が20歳の女性をレイプした事件がありました。そのときに、暴力の話と性被害の話を抜きにして、いま沖縄で生きている若い女性の問題は書けないと思いました」

 暴力にさらされている女性たちの問題は、暴力を振るっている男性たちの問題でもある。

「沖縄の少年たちは、中学生ぐらいで先輩から暴行を受けるようになり、そのうち自分たちも暴行をする立場になります。その過程の中で、嫌な言い方ですが、暴力に慣れ親しんでいくんです。どうやったら相手へ的確にダメージを与えるかを、10代にして知り尽くしています。私の共同研究者である打越正行さんが、10年近く男性たちの調査を続けていますが、家庭に経済的資本がないと、早くから自分で稼がなければならなくなるのですが、その多くは建築業界に進みます。そうした中には、オレオレ詐欺や高利貸しといったアウトサイダーな世界に取り込まれてしまう子もいます。でも、どこに逃げても、先輩から後輩への暴行、同輩の間での暴行がある。暴力を振るう相手が妻や恋人といった女性の場合は、ダメージが大きいため事件化することもありますが、男性同士の暴力は、まず表に出てこないのが問題です」

 上間さんへのインタビュー後編では、暴力と隣り合わせの日常を送る10代の少年少女たちに、大人はどう対応しているのかについて伺う。
(三浦ゆえ)

(後編へつづく)

 

「発達障害があるから、アタシは“さかもと未明”になった」生きづらさを抱える人に漫画で届ける希望

「発達障害も悪くないよ、って、いまのアタシは思っています。だからこの本を描けたし、それって幸せなことですよね」

 コミックエッセイ『奥様は発達障害』(講談社)を著した、さかもと未明さんの声は明るかった。漫画家として、あるいは人気コメンテーターとして華々しく活躍していたさかもとさんだが、2007年に膠原(こうげん)病と診断され、ヘルパーの助けを借りなければ日常生活も送れなくなった。さらに09年には、自身が長らく「発達障害」とともに生きてきたことを知る。

 より正しくいうなら「ADHDと(注意欠陥多動性障害)とAS(アスペルガー症候群)を併発した発達障害」だが、その診断は、さかもとさんにとって福音のようなものだった。考えても考えてもわからなかった生きづらさの理由が、氷解していったからだ。医師からの説明に加えて本を読むなどして勉強を重ね、「なんか発達障害について知るほど、どんどん楽になる……」と思うようになる。

■この苦しさを、みんなにわかってもらいたい!

 物心ついたころから、さかもとさんは両親とソリが合わず、同年代の友達からは仲間外れにされていた。中高時代も常に浮いた存在で、病院でうつ病と診断されたこともある。そのときの苦悩や葛藤は、さかもとさんが初めて障害をカミングアウトした著書『まさか発達障害だったなんて』(星野仁彦との共著、PHP研究所)に詳しい。

「『まさか発達~』を書いたときは、アタシ自身が、まだあがいていました。この苦しさを、みんなにわかってもらいたい! じゃないと生きていけない! って。描くことで、救われたかったんです。でも15年に川島なお美さんをはじめ、アタシが病気で何もできなくなったときに励ましてくれた友人たちが立て続けに亡くなって……。彼女たちの分もがんばらなきゃ、と思いました。それで、同じく生きづらいと思っている人たちに希望を持ってもらえるような本を描こうと決めたんです」

 その背景には、現在のパートナーの存在がある。といっても、“難病とけなげに闘う妻と、献身的に支える夫”を想像すると、それは鮮やかに裏切られる。『奥様は~』には2人の出会いから現在の結婚生活までが収められているが、一般的な夫婦像から大きく外れたエピソードの連続。しかしそれこそが、さかもとさん夫婦のスタイルである。

「結婚して、『あ、ここがアタシの居場所だ』と思えたから、この本を描き下ろせたのだと思っています。夫は、『過去は過去。君はこれから幸せになるんだから、忘れなさい』と言ってくれます。両親との関係を見直すことができたのも、夫がいてくれるから。長い時間をかけて、いろんなことが積もりに積もって、ひとりでは受け止めきれなくなっていたので、とてもありがたかったです」

■“JAL事件”の真相

 しかし、さかもとさんも、発達障害と診断されて、すんなりこの境地に至れたわけではない。検査を受ける際、病院側の対応に納得がいかずパニックに陥り、自力で帰れなくなって、警察のお世話になったこともある。12年、搭乗していた飛行機の中で赤ちゃんの泣き声にガマンができず極端な行動に出た件については、同書の中でも“JAL事件”として振り返っている。

 赤ちゃんの母親に「その子はもう少し大きくなるまで、飛行機に乗せないほうがいいと思います!」と告げたうえで、「私もうガマンできない! 降りる!」と機内を走り回った“事件”は世間で大きく物議を醸したため、記憶している読者も少なくないだろう。しかし背景に発達障害と、その症状のひとつとしての聴覚過敏があることは報道されなかった。

「こうやってパニックを起こしちゃう人、アタシのほかにもいると思うんですけど、本人も騒ぎたくて騒いでるわけじゃないというのは、もっと知られてもいいと思います。でもアタシ、パニックを起こして通路を走ったことなどは申し訳ないと思っていますが、小さいお子さんはできるだけ飛行機に乗せないほうがいいという意見は変わっていないんですよ。ただ、伝え方がよくなかったですね。子どものころからコミュニケーション障害があって、自分が正しいと思うことを主張しても誰も聞いてくれないという経験はしてきたんですけど、同じことをしてしまいました」

■発達障害であることは、カミングアウトしたほうがラク

 さかもとさんを診断した星野仁彦医師は自身も発達障害で、『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社)などの著書がある。星野医師のもとには「“大人の発達障害”かもしれない」と悩む人が全国から診察を受けにくる。その多くはさかもとさん同じく、自身の障害を知らなかったがために、ずっと生きづらさを抱えてきた人たちだ。そこでさかもとさんにこんな質問をしてみたーー子どものころに自分が発達障害だと知っていたかったですか?

「知っていたら、早いうちに、自分の人生との折り合いがついていたでしょうね。いまとは、まったく別の人生だった可能性もあります。発達障害の子どもに特化した教育を受けて突出した部分を伸ばしてもらったら、もしかしたら科学者とか数学者とかになっていたかも。絵の分野に進んだとしても、商業デザイナーやポップアートを選んでいて、“さかもと未明”にはなっていなかったんじゃないかなぁ。アタシが描いてきたものは、人に振り向いてもらいたくてさまよっていた、孤独や苦痛の果てに生まれたものなので、発達障害があるから、アタシは“さかもと未明”になったともいえるんです」

 幼少期に知能検査をして発達障害だとわかれば、それは「特別な教育を受ける権利がある子」だと見なされる……米国ではすでに実施されているという教育方針に、さかもとさんは強い共感を示す。

「そのうえで、適切な職業を選択できるようになったらいいですよね。現状では、職場で孤立して就労が続けられなくなったり、それで引きこもりになったりという発達障害者が多いそうです。発達障害への理解が進めばそれも避けられるし、特殊な才能で社会に貢献できるようになると思うんです。アタシはいまでこそ『マルチに活躍されていますね』と言われますが、ほかの仕事がまったくできなかっただけ。企業に就職したこともありますが、電車に乗るのが怖くて会社にたどり着けないし、なんとか出勤できても、聴覚過敏でOA機器の音に耐えきれなくて……3カ月で辞めました」

 大きく紆余曲折しながらも、「幸せ」といえる現在にたどり着いたさかもとさんは、最後に、発達障害で悩む人、もしかしたら自身や家族がそうかもしれないと思っている人に、次のようなメッセージを贈る。

「アタシは、発達障害であることは、カミングアウトしたほうがラクだと思っています。“病気も借金も、隠すほど重くなる”という言葉があるように、自分から公表すれば、重くならずに済みます。アタシは膠原病で体が不自由になって、それまでできていたことが全然できなくなったんです。手も曲がっちゃったし、一時期は立つこともできませんでした。でも人間って、そういう状況にも慣れるんですよ。できないことはできないのだと受け止めて、やらないか、人にお願いすればいい。発達障害もそれと同じで、深刻になることなく生きていけると知ってほしいです」
(三浦ゆえ)

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしい」80歳女性が家出する漫画で描きたかったこと

 現在、日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入している。かつては家族の支えによって人生を全うできたものだが、昨今の少子化や核家族化によって、年老いて独りぼっちの生活を強いられる高齢者が少なからず存在する。それゆえ、“高齢者の文脈”を物語るときは、悲しさや苦しさが強調されがちだ。

 しかし、御年80歳でひ孫もいる女性が主人公の漫画『傘寿まり子』(講談社)は違う。高齢者の“希望”を感じ取れる物語だ。主人公・幸田まり子は80歳にして、ベテラン作家として活躍中。息子夫婦、孫夫婦と3世帯で暮らすなかで、住居問題が勃発、老人の自分には居場所がないことを感じ、一人家出を決意する――という一見すると切なそうなストーリーなのだが、恋もすれば、ネットカフェにも泊まる、まり子の、いきいきとした姿が描かれている。

 著者は、父親の過酷なシベリア抑留体験を描いた『凍りの掌』(同)、太平洋戦争末期を生き抜く少女の暮らしから戦争を見つめる『あとかたの街』(同)の両作品で、第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した、おざわゆきさん。戦争というテーマを通して、人間の不条理さをあぶり出してきたおざわさんが、なぜいま80歳の女性を描こうと思ったのか、その背景を聞いた。

■年を取るのは、もう自分が中心には戻れないということ

「母が高齢に差し掛かり、自分より上の年代の人を身近に感じるようになりました。皆さん、とても元気なので、華やかな部分をクローズアップしたら面白いんじゃないかなと思ったんです。作品を描く上で、現実に起こったことを描こうとすると、どうしても読者に問題を提起しがちなのですが、そうではなく、もう少し思考を先に進めて、『そんな人見たことない、でも、いるかもしれない』というような物語を描きたいなと思いました」 (おざわさん、以下同)

 綿密な取材をもとに描写した作品が評価されてきたおざわさんだが、『傘寿まり子』を手掛けるにあたっては、これまでとは少し異なるアプローチをしたという。

「ニュースで高齢者の金銭問題、子どもとの関係などは積極的に見ましたが、取材はあまりしていません。そうしたトピックはあくまでもエッセンスでしかなく、80歳の女性が家出をして、新しい暮らしを始めて、猫のクロちゃんと出会い、希望を見いだす、これまで挑戦したことがないテーマを創作してみたい一心で描きましたね」

 自分のことを気にかけてくれる家族とひとつ屋根の下に住んでいても、孤独感を拭い去れずにいたまり子。そこに追い打ちをかけるように持ち上がった家の建て替え問題。自分(まり子)の部屋をどうするか、家族が頭を悩ませている姿は、当事者だけではなく、高齢の親を抱える家族の視点に立って共感させられる人も多いのではないだろうか。

「まり子さんは『おばあちゃんの部屋がない』という感じで扱われて、やっぱりずっと自分が親として中心にいたところから、だんだんとズレてきてしまっているんだな……と実感してしまいます。“もういらない人”になってしまう。年を取るということは、結局、もう現役に戻ることはできないということなんですね。自分が中心に戻ることはできない。でもそこで『人間をやめます』と言ってやめることもできない。そこでどう折り合いをつけていくかっていうところですよね。そこが一番の問題ではないでしょうか」

■“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかった

 “いくつになっても若々しく、自分らしく生きればいい”と言うのは簡単だが、老いは本人にとっても周囲にとっても、そう単純なものではない。

「年を取ってから、人間関係や自分を取り巻く環境を積極的に変えていけるかというと、そういう機会もどんどん減って、突き詰めると絶望的な気持ちになってしまう。やはり体力がどんどん落ちていくわけですから、もう1回人生を生き直すことも難しくなって、『もう私はこれ以上動けない、この場所から動けないんじゃないか、この先悪くなる一方じゃないか』という気持ちにもなりやすいのではないでしょうか。

 また、本当は弱ってきているはずの高齢者の数が増え過ぎたことによって、あまりにも社会的に負担が大きく、それを受け入れられない社会になってきてしまっているのではないかなと思います。支えようと思っても、支える側も経済的に弱く、受け皿になれなくなってきている状態です。これについてどうすればいいのか、答えは見つけられていません。どうしたらいいのかな……って思います」

 こうした問題を考え始めたら“暗くなる”というおざわさん。しかし、気持ちだけでも「“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかったんです」と語る。

「読者は30代後半から50代の方が多いようで、『将来どうしようかと思ったけど、こういうおばちゃんになれたらいいな』という反響もいただいています。親のことを思うと身につまされるし、自分自身の老後のロールモデルを求めている方には、響く内容なのではないかと思います。心のどこかで『なんとかしなくては』って思っていても、ちょっと目を背けていたところもあり、普段あまり漫画と関係ない人たちが手に取ってくださっているようです」

■老いを恥じる必要はない

 ヒロインのまり子は、80歳でひ孫もいるが、現役の作家でもある。家出後に宿泊するネットカフェで読んだ漫画に触発されて作品を書き上げたり、初恋の相手にときめいたりと、とてもチャーミングで悲壮感とは縁遠いキャラクターとして描かれている。

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしいなと思って描きました。また、おばあちゃんとおじいちゃんの恋愛って、枯れた感じでなくてもいいんじゃないかなと思います。微笑ましくて、ほのぼのする感じ。よく高齢者の恋愛物語って、どっちかが死ぬとか、人生に深く関わりがあるような感じになってきますが、そうじゃなくて、自分がその立場になった時に、そこまで思うかっていうと、意外に思わないんじゃないかなって気がします」

 最後に、誰しもが避けられない“老い”を迎えるにあたって、おざわさんなりの心構えを聞いてみた。

「誰も、うまく生きることなんてできません。カッコ悪いとか寂しいとか思っても、老いは自分だけのことではないので、恥じる必要はないと思います。また新しい何かを受け入れるということに対して、かたくなにならないで、人の話を聞くことが大事だと思います。お互いに、相手の話を聞けるような気持ちでいたらいい。世の中は、いろんな細かいことが少しずつ変わっていって、気がついたら全部変わっているってことがよくあるので、年を取ることを悲観しないで、少しずつ受け入れて、自分だけの楽しみを持つことですね」
(末吉陽子)

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしい」80歳女性が家出する漫画で描きたかったこと

 現在、日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入している。かつては家族の支えによって人生を全うできたものだが、昨今の少子化や核家族化によって、年老いて独りぼっちの生活を強いられる高齢者が少なからず存在する。それゆえ、“高齢者の文脈”を物語るときは、悲しさや苦しさが強調されがちだ。

 しかし、御年80歳でひ孫もいる女性が主人公の漫画『傘寿まり子』(講談社)は違う。高齢者の“希望”を感じ取れる物語だ。主人公・幸田まり子は80歳にして、ベテラン作家として活躍中。息子夫婦、孫夫婦と3世帯で暮らすなかで、住居問題が勃発、老人の自分には居場所がないことを感じ、一人家出を決意する――という一見すると切なそうなストーリーなのだが、恋もすれば、ネットカフェにも泊まる、まり子の、いきいきとした姿が描かれている。

 著者は、父親の過酷なシベリア抑留体験を描いた『凍りの掌』(同)、太平洋戦争末期を生き抜く少女の暮らしから戦争を見つめる『あとかたの街』(同)の両作品で、第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した、おざわゆきさん。戦争というテーマを通して、人間の不条理さをあぶり出してきたおざわさんが、なぜいま80歳の女性を描こうと思ったのか、その背景を聞いた。

■年を取るのは、もう自分が中心には戻れないということ

「母が高齢に差し掛かり、自分より上の年代の人を身近に感じるようになりました。皆さん、とても元気なので、華やかな部分をクローズアップしたら面白いんじゃないかなと思ったんです。作品を描く上で、現実に起こったことを描こうとすると、どうしても読者に問題を提起しがちなのですが、そうではなく、もう少し思考を先に進めて、『そんな人見たことない、でも、いるかもしれない』というような物語を描きたいなと思いました」 (おざわさん、以下同)

 綿密な取材をもとに描写した作品が評価されてきたおざわさんだが、『傘寿まり子』を手掛けるにあたっては、これまでとは少し異なるアプローチをしたという。

「ニュースで高齢者の金銭問題、子どもとの関係などは積極的に見ましたが、取材はあまりしていません。そうしたトピックはあくまでもエッセンスでしかなく、80歳の女性が家出をして、新しい暮らしを始めて、猫のクロちゃんと出会い、希望を見いだす、これまで挑戦したことがないテーマを創作してみたい一心で描きましたね」

 自分のことを気にかけてくれる家族とひとつ屋根の下に住んでいても、孤独感を拭い去れずにいたまり子。そこに追い打ちをかけるように持ち上がった家の建て替え問題。自分(まり子)の部屋をどうするか、家族が頭を悩ませている姿は、当事者だけではなく、高齢の親を抱える家族の視点に立って共感させられる人も多いのではないだろうか。

「まり子さんは『おばあちゃんの部屋がない』という感じで扱われて、やっぱりずっと自分が親として中心にいたところから、だんだんとズレてきてしまっているんだな……と実感してしまいます。“もういらない人”になってしまう。年を取るということは、結局、もう現役に戻ることはできないということなんですね。自分が中心に戻ることはできない。でもそこで『人間をやめます』と言ってやめることもできない。そこでどう折り合いをつけていくかっていうところですよね。そこが一番の問題ではないでしょうか」

■“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかった

 “いくつになっても若々しく、自分らしく生きればいい”と言うのは簡単だが、老いは本人にとっても周囲にとっても、そう単純なものではない。

「年を取ってから、人間関係や自分を取り巻く環境を積極的に変えていけるかというと、そういう機会もどんどん減って、突き詰めると絶望的な気持ちになってしまう。やはり体力がどんどん落ちていくわけですから、もう1回人生を生き直すことも難しくなって、『もう私はこれ以上動けない、この場所から動けないんじゃないか、この先悪くなる一方じゃないか』という気持ちにもなりやすいのではないでしょうか。

 また、本当は弱ってきているはずの高齢者の数が増え過ぎたことによって、あまりにも社会的に負担が大きく、それを受け入れられない社会になってきてしまっているのではないかなと思います。支えようと思っても、支える側も経済的に弱く、受け皿になれなくなってきている状態です。これについてどうすればいいのか、答えは見つけられていません。どうしたらいいのかな……って思います」

 こうした問題を考え始めたら“暗くなる”というおざわさん。しかし、気持ちだけでも「“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかったんです」と語る。

「読者は30代後半から50代の方が多いようで、『将来どうしようかと思ったけど、こういうおばちゃんになれたらいいな』という反響もいただいています。親のことを思うと身につまされるし、自分自身の老後のロールモデルを求めている方には、響く内容なのではないかと思います。心のどこかで『なんとかしなくては』って思っていても、ちょっと目を背けていたところもあり、普段あまり漫画と関係ない人たちが手に取ってくださっているようです」

■老いを恥じる必要はない

 ヒロインのまり子は、80歳でひ孫もいるが、現役の作家でもある。家出後に宿泊するネットカフェで読んだ漫画に触発されて作品を書き上げたり、初恋の相手にときめいたりと、とてもチャーミングで悲壮感とは縁遠いキャラクターとして描かれている。

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしいなと思って描きました。また、おばあちゃんとおじいちゃんの恋愛って、枯れた感じでなくてもいいんじゃないかなと思います。微笑ましくて、ほのぼのする感じ。よく高齢者の恋愛物語って、どっちかが死ぬとか、人生に深く関わりがあるような感じになってきますが、そうじゃなくて、自分がその立場になった時に、そこまで思うかっていうと、意外に思わないんじゃないかなって気がします」

 最後に、誰しもが避けられない“老い”を迎えるにあたって、おざわさんなりの心構えを聞いてみた。

「誰も、うまく生きることなんてできません。カッコ悪いとか寂しいとか思っても、老いは自分だけのことではないので、恥じる必要はないと思います。また新しい何かを受け入れるということに対して、かたくなにならないで、人の話を聞くことが大事だと思います。お互いに、相手の話を聞けるような気持ちでいたらいい。世の中は、いろんな細かいことが少しずつ変わっていって、気がついたら全部変わっているってことがよくあるので、年を取ることを悲観しないで、少しずつ受け入れて、自分だけの楽しみを持つことですね」
(末吉陽子)

犬猫が認知症を改善⁉︎ 特養の高齢者にもたらすメリット

 高齢者が老人ホームに入居する場合、通常は同居していた犬や猫とは別れなければいけないことがほとんど。一般的に老人ホームは、ペットの飼育を許可していないからだ。

 老人ホームにもいくつかの種類があり、ペットを飼うことが許されている一部の施設はあるが、最も重度の介護が必要な高齢者の多い特別養護老人ホーム(以下、特養)においてはまず見られないのが現状。そんな中、「さくらの里山科」は、自宅で飼っていた犬や猫とホームに入っても一緒に暮らせる特養として、その名が広まっている。ほかでは類を見ない特養での動物の飼育が、入居者にもたらす影響とは? また高齢者のケアだけでも多忙な介護の現場で、動物の世話もしているスタッフの反応はどうなのか? 同ホームの施設長、若山三千彦氏にお話を伺った。

■できるだけ自宅にいたときと変わらない状態で過ごしてもらう

ーーさくらの里山科は、ペットが飼える特養として知られていますが、全フロアのどこでも飼えるのでしょうか?

若山三千彦施設長(以下、若山) 当ホームは4階建てで、1階は共用部分、2〜4階が居室になっています。こちらはユニット型といって、10の個室が1つのユニットになっていて、特養100名、ショートステイ20名の120名定員ですので、12のユニットがあります。そのうち2階の4つのユニットでペットが飼えます。2つが犬専用、もう2つが猫専用。動物の嫌いな方やアレルギーの方もいるので、3階と4階はペットは入れない通常のユニットになっています。

ーー老人ホームでペットを飼うということは、どなたの発案だったのでしょうか? また、それに対して、職員さんはどういうご意見だったのでしょうか? 実際、そうでなくても多忙なお仕事がさらに増えて、非常に大変なのではないかと思いますが。

若山 ペットを飼うことは、トップダウンで私が決めました。もちろん、それについては職員たちともよく話し合いました。おそらくご存じでしょうが、福祉業界は人手不足で、辞める人も多い。特養に入るような高齢者の方は、自分のことが十分にできない場合が多いですから、結局、ペットの世話は、職員がすることになります。

 世話をする手間を考えると、「できるだろうか?」という思いがあったので、犬猫のいるフロアは志願制にし、動物好きな職員には自分から進んで、そのフロア担当になってもらいました。確かに職員の負担は大きいですし、特に犬のユニットは散歩などもあるので、ボランティアさんにも助けていただいていますが大変です。

 しかし始めてみて意外だったのは、何の不満も上がってこないこと。実際の負担と、職員の感じる負担が違う。世話が大変というより、働く喜びの方が上回っている。ペットフロア担当の職員は、モチベーションが高いですね。

ーーそうして、ペットが飼えることがホームの特徴の特徴として知られるになったのでしょうか?

若山 いえ、そもそも当ホームは、ペットが飼えるということがいちばんの特徴とは思っていません。

 人は誰でも自分の家がいちばんよいでしょう。しかし、高齢の方が、老人ホームへ入ることになった。でも、いざ入ったら外出もできない。旅行や買い物にも行けない。お酒も飲めない。そんな不自由な生活では、生きているのがイヤになるでしょう。

 当ホームでは、自宅にいたときと変わらない状態で過ごしてもらいたい、そこで入居者の方の生活の質をできるだけ維持しよう、と考えています。そのために、外出や旅行も条件はありますが基本的にOK。食事も、ある程度の時間の間で、好きなときに食べられる。起床時間、消灯時間もない。入浴はさすがに職員の全面介助が必要なので、毎日というわけにはいきませんが、一般の特養より多い。要は、可能な限り、自宅と変わらない生活をしてもらえるようにしているのです。ペットが飼えるということも、そのひとつです。

■ペットの存在は、心身ともに良い影響を与える

ーー実際に、犬や猫を連れて入所された方はどのくらいいらっしゃいますか? また現在、ペットは何頭くらいいるのでしょうか?

若山 入居時に連れてこられたペットは、これまでに犬4頭、猫4頭です。意外に少ないと思われるかもしれませんが、実は、こちらに来られる前に、ペットとの暮らしを諦めて過ごしておられた方が多いのです。かわいがっていた子(ペット)が亡くなったが、自分は高齢だからもう飼わない。こちらに入居する前に入ったほかの施設ではペットが飼えなかったから、誰かにあげてしまったなどという方がほとんどです。

 ペットのいるユニットへの入居は、希望者の方のみですが、そんな状況で、飼いたくても飼えず諦めていたペットと、もう一度一緒に暮らせるようにしようということでもあります。そのため、入居者のペットとは別にホームで飼っているペットもいます。

 ちなみに現在、犬が7頭、猫が9頭いて、入居者の方が連れてきた犬は3頭、猫は4頭。あとは保護犬、保護猫を譲渡してもらったホームの子たちです。

ーー実際にペットがいることで、どういう効果があるのでしょうか? 今までどういった実例がありますか?

若山 やはり動物好きな方にとって、ペットの存在は大きいですね。心身ともに良い影響があります。例えば、認知症の進行が遅くなったり、認知症が進んでしまって表情が乏しくなったり、家族の名前がわからなくなっていた方が、お気に入りのワンちゃんの名前を覚えて犬とコミュニケーションを取っていたら、だんだんご家族の名前も思い出し、再び会話ができるようになったり……。

 また、車椅子を使うと生活意欲が低下しがちなのですが、お気に入りのペットを探して、車椅子を自分で動かしてあちこちに行くことで、良い運動になっているケースもあります。

 それから高齢になると筋肉の拘縮が起こりやすく、腕などが動きにくくなる傾向がありますが、犬や猫がそばに来るからなでようとして腕を動かしていたら、動くようになってきたなどということもあります。

 昨年、ワンちゃんと入居された方は、体が動かなくなる病気で、自宅ではほとんど這って移動しているような状態でしたが、愛犬のことを考えて、どこにも行きたくないと、施設行きを拒否されていました。しかし、当ホームでは最期まで一緒にいられると聞いて、安心して入居されました。その後、こちらで適切なリハビリを受けられたこともあって、体の機能もかなり回復しています。

 もちろん、認知症や体の症状が大きく改善されるまでのことはありませんが、このようなわずかな変化であっても大きな意味があります。

ーー今後、ペットの飼えるフロアをもっと増やすなどのプランはおありですか?

若山 今は特にそういったプランはありませんが、いずれニーズがあればそうなるかもしれません。

 動物好きな方は、ペットがそばにいるだけで認知症の症状が改善されたり、心身の状態が良くなったりします。それが、旅行が好きな方なら、旅行に行くと元気になったり。ミュージックセラピーなどの例もあるように、音楽なども良い影響があります。要するに好きなことがいちばん、心と体に良い影響があります。

 ですので、今後もペットに限らず、入居者お一人おひとりのニーズに応えていくこと、生活の質を上げることをいちばんに考えていきたいと思っています。
(村田泰子)

社会福祉法人 心の会 特別養護老人ホーム「さくらの里山科」

タイ語学校の学生からステップアップで現地社長に! ゴルフ三昧で優雅に暮らす女性【日本を捨てる女性たち】

 近年、東南アジアに移住し、現地で仕事や生きがいを求める日本人女性が急増している。アジアで活躍し、日本にいるときよりも、はるかに生き生きと暮らす女性たちを紹介していくシリーズ。

○第3回
のりこさん(42)タイ・バンコク在住
会社経営

■「この気楽な国ならやっていけるかもしれない」

 バンコク都心部、スクンビット通り。日本人をはじめ外国人がたくさん住む高級住宅街の一角に、のりこさんの住むコンドミニアムがある。一流ホテルのようなフロントから上階に上がれば、そこにはのりこさんがバンコク生活で築き上げてきた「城」がある。

 広大なリビング、システムキッチン、キングサイズのベッドが鎮座する寝室、おしゃれな調度品……ベランダからはバンコク中心部の摩天楼が見晴らせる。タイに移り住んだ日本人女性でも、ステップアップを重ねて豊かな暮らしを手に入れた、彼女は成功者といえる。

「タイに来たのは1999年。もう18年目になります」というから、在タイ日本人社会の中でも古株のほうだ。

「海外に対する憧れは子どもの頃からあったし、英語を勉強するのは好きでした。海外に行きたい、と思ってもいましたが、アジアは考えてなかったな」

 短大時代はオーストラリアに旅行に行ったり、アメリカでホームステイも経験したが、大きな転機は父親のタイ赴任だった。

「駐在員としてタイに暮らす父を訪ねる機会が増えたんです。初めてのタイは、今と違ってどこも汚いし、雑然としていて、こんなの私の求めてた海外じゃない! って思っていました。でも、タイののんびりした、あくせくとしなくてもいい空気に、次第に居心地の良さを感じるようにもなってきて……」

 その頃、短大を卒業して、日本のホテルで働いていたが、人間関係に悩まされていた。温和な性格からか、誰かの文句や愚痴の聞き役になることが多く、ストレスをためこむ毎日。とうとう体を壊した。

 少し休もう。そう思って、父のいるタイに4カ月ほど長期滞在をすることにした。

「父の食事を作って、ぷらぷらするうちに、この国にちゃんと住んでみようか、この気楽な国ならやっていけるかもしれない、と思うようになっていったんです。そう決めてすぐ日本に帰り、また働き始めて移住のためのお金をため、タイ語学校に通って……タイに戻ってきたのは25歳のとき」

 まずはバンコクの語学学校で、半年以上タイ語を学んだ。学校つながりで長年付き合える友人を得ることが多いというが、のりこさんも同様だった。

「いまでも仲のいい日本人の友達は、同じタイ語学校の仲間なんです」

■人の紹介で条件のいい会社に転職

 そして言葉がわかるようになり、暮らしに慣れる頃に、仕事の話が舞い込んでくるのも、タイの日本人社会なのだ。

「そろそろお金がなくなってきて、やばい、あと2カ月しか暮らせない……と焦ったのですが、そんなときに人づてで小さな会社を紹介されたんです。ペット用品を扱う商社で、タイ人の中で日本人は私ひとりだけ。タイで生産したペットシーツや猫缶を、日本に輸出する仕事でした」

 そこで1年ほど働いた後に、条件のいい会社に転職。やはり人の紹介だった。

「タイでも、日系の人材会社に登録する方法もありますが、人の縁でつながっていくことのほうが多いかもしれません」

 次の会社は、タイにいくつかある日系コールセンターだった。すぐに働きぶりが認められて、現場ではなく会社全体を見渡す管理職を任されるようになる。

「この頃から、タイに進出してくる日系企業がどんどん増えてきました。それに合わせて在住日本人向けのサービス業が一気に広がりました。例えば病院でも、電化製品の修理でも、日本語でサービスが受けられるようになってきたんです」

 日本食でもう食べられないものはない、というまでに普及。

「ふつうの豆腐はタイでもたくさん種類がありますが、私が好きだったのは『男前豆腐』。たまに日本に一時帰国するときの楽しみだったんですが、これも今ではフジスーパー(バンコクに4店舗展開する日系スーパー)で売ってる(笑)。日本よりちょっと高いけど」

 タイののんびりさと、日本のサービス。バンコクはいつの間にか、日本人にとって「いいとこどり」の街になっていた。

「一般のタイ・ローカルな暮らしではないですよね。でもこれほど日本人が暮らしやすい、ラクな街はないと思います」

■プライベートをしっかり確保できるから、ゴルフ三昧

 すっかり仕事とタイ生活になじんだのりこさんに、大きな出来事が訪れる。会社が香港に拠点を移すことになったのだ。社長も香港へと移る。では誰がタイの会社を管轄するのか。バンコクの社長はどうするのか。のりこさんに白羽の矢が立てられた。

「初めは断りました。無理だと思って。でも何度か説得されて、そこまで言われたら……とがんばってみる気になったんです」

 語学学校の学生から始まって、現地採用の社員となり、ついには現地社長にまで登りつめたのだ。あやしげな路地裏のアパート生活から、スクンビットの高級コンドミニアムへ。こんなステップアップも、タイの日本人社会の中では決して珍しくはないのである。

「でも会社全体を管理するようになって、やっぱり悩みは人間関係かな。社員同士の不満やトラブルが寄せられて、それを解決していくことは骨が折れます。日本でのホテル時代と、本質的には変わっていないのかも」

 ストレス解消は、お酒とゴルフだ。

「仕事は仕事。プライベートをしっかり確保できるのはタイのいいところです」

 タイには純日本風の居酒屋はたくさんある。また「ゴルフ天国」とも言われている。

「タイでは一人ひとりにキャディがついて、つきっきりで世話をしてくれます。本当に至れり尽くせり。週末はコースに出て、平日も打ちっぱなしによく行ってます」

 この先どうするのか。まだ考えてはいない。

「いつかは日本に帰りたいな、と思います。でも帰っても年齢的に仕事があるかどうか。それにタイで暮らしていると、日本と違って、結婚だとかいろいろプレッシャーをかけられることもないので、居心地がいいんです。この気楽な雰囲気の国にいると、気がついたら3年くらいすぐにたっちゃって、そこだけが困りものですね」

 タイの中の日本人社会。それは拡大を続ける一方だ。のりこさんの後に続く若い女性も、次々にやってくる。

「タイにはチャンスはたくさんあると思います。でもこの数年、ちょっと認識の甘い子が増えているようにも感じますよね。誰でも簡単に仕事が見つかるわけじゃない。日本での社会人経験がなければタイでもいい仕事には就けないでしょう。そんなに簡単なものではないと思います」

 タイのような弛緩した社会では、在住の日本人たちもどこか「ゆるく」見える。しかし誰もが、異国で生きるため、誰に言わずとも苦労をしているのだ。
(室橋裕和)

“盛る”科学技術が女子に与えたモノ――スノー大流行の要因は「自撮り=ナルシスト」の打破

 昨年、スマホ向け顔認識カメラアプリ「スノー(SNOW)」が大ブームとなった。スノーは韓国のCamp Mobileが開発したアプリであり、フィルター機能(顔認識スタンプ)が豊富で、静止画だけでなく動画の顔にも即座にクマの耳や鼻などをつけることができるほか、一緒に写った人と顔を交換(フェイススワップ)、1人の顔を複製(フェイスコピー)もできる。若い女性の間では、小顔にしたり、目を大きくするのも簡単で「盛れる」と大きな話題となった。このヒットの要因について、若い女性の“盛り”文化について技術的な面から研究している東京大学大学院情報理工学系研究科の久保友香氏は次のように語る。

「要因は3つあると考えています。まず1つ目は、“リアルタイム”で手軽に盛れることがそれまでほとんどなかったこと。リアルタイムで顔認識し、盛れるアプリは、2013年シャープのスマートフォン『AQUOS PHONE EX SH‐04E』にプリインストールされた資生堂のメーキャップシミュレーターアプリ『ビジンメークナビ』などありましたが精度はいまひとつ。同じく13年から中国のMeituが生産するスマートフォンのシリーズ『Meitu Kiss』にプリインストールされている『美図秀秀』、日本では『Beauty Plus』と呼ばれているものは、性能はいいのですが日本では未発売でした。そんな中、スノーの顔認識技術は抜群に高かったのです。おそらく最先端の機械学習を使用しているのではないかと思われます」

 機械学習とは、大量のサンプルを集めて解析することで、さらに解析能力を向上させていく人工知能の分野の1つ。スノーには、友達と画像を簡単に共有できるSNS機能があり、撮影した画像を投稿できる。ユーザーが増えれば増えるほど投稿される画像が増え、スノー自体の性能も向上していくのではないか、と久保氏は推測する。一般的に顔認識は白目と黒目の組み合わせに反応するが、スノーは白目と黒目の判別がしにくいスターバックスのマークや、アニメのキャラクターなども認識できるほど精度が高い。

「2つ目の理由として、スノーで加工した顔は本当の顔がわかりにくい。しかし、仲間同士で見れば誰だかわかる。“顔”という個人情報の消し方が絶妙なんです。それも技術力の高さによるものです」

 久保氏によると、同じように動物の耳を付けるなどの加工ができるアプリ「Snapchat」は、実際の顔立ちが想像できてしまう。だが、スノーであればネット上に本当の顔を晒すことに抵抗がある人でも「スノーなら大丈夫」と気軽に撮ってSNSにアップできるのだという。

「3つ目として、クマやネコなどの加工を施すことにより、『遊びだから』『友達と楽しみたいから』といった“自撮りをすることへの言い訳”がつくことです。日本人の女の子は『ナルシスト』と思われたくないという気持ちが強いので、こうした言い訳できることは重要な要素。総合的に見て、スノーは、プリントシール機に次ぐすごいものが出た、という印象です」

■技術の発展によって、女の子の自意識が変わった

 もっとも「自撮り=ナルシスト」という批判そのものも過去のものになりつつある。それには次のような経緯があるという。

 2006年から女子高生の間で「Decolog」「CROOZ blog」といったケータイブログがじわじわと普及し、08~09年あたりにピークを迎え、一般の女の子たちが不特定多数に向けて情報を発信する時代になった。当時のケータイは、解像度や加工技術の問題から、あまり“盛れない”。そこで、女の子たちはプリントシール機で撮影した写真をこぞってアップするようになったという。

「プリントシール機は、09年にデカ目加工がピークとなり、完全にリアルとバーチャルの顔が分離してしまいました。当時ブログをやっていた子は、リアルのクラスメイトにはブログの存在を明かさず、バーチャルのアイデンティティを重視する傾向にありました。しかし、ネット掲示板などで、ブログ読者から『あの子の顔を実際に見たけど、ブスだった』『サギりすぎ(詐欺のようだ)』と叩かれるケースが多発するようになったのです」

 転機となったのは11年、ネットワークと画像処理という2つの方向の技術革新だった。

「ネットワーク面では、ブログからSNSへ移行し、不特定多数への発信ではなく、身近な人とのコミュニケーションも重視されるようになりました。その影響により、女の子たちは、リアルで見られても批判されない程度の“盛り”を狙うようになったのです。そのニーズに応えるよう、プリントシール機の画像処理技術も向上し、ナチュラルな加工を売りにした機種『LADY BY TOKYO』が大流行しました」

 “盛り”の欲求の裏側には、常に技術の革新があった。程度の差はあれ、長らく目を大きくする加工は続いているのも、単に「かわいい」というだけではない理由がある。

「私は、女の子たちが大きな目を求めるのは、目は大きく加工しやすいからだと考えています。逆に、江戸時代の化粧品は白粉が中心で、まぶたを白粉でぼかすなどして、目を細く見せやすやすかったから、細く見せることを求めたのだと考えています。明治・大正時代に黒い化粧品が生産されるようになったので、目を大きくする方向に向かった……という。現代においても、目元はアイシャドウ、アイライナー、つけま、カラコンと、たくさんの化粧品があるからこそ、微調整がしやすい。それにより、友人と協調したり、あるいは少し個性を出したりすることの調整も行っています」

 ところが、目中心の“盛り”に、近年変化が起きているという。

「リップとチークを重視する方向に変わってきました。SNSの普及によって、個人の“盛り”よりも友達との仲のよさをアピールする傾向が強まってきたためです。女の子たちの間で、ペアルックをする“双子コーデ”が流行していますが、リップとチークをお揃いにすると、顔の双子感はかなり強まる。コミュニケーションを円滑にするためにグループで盛って一体化しているのです」

■盛り文化は世界へ広がる

 スノーのブームは、今年に入って落ち着き、そろそろ女の子たちの間で飽きられてきているともいわれる。その要因について「お手軽すぎるからではないか」と久保は語る。

「女の子たちに、『なぜ盛るのか?』とインタビューすると、最終的には『自分らしくあるため』と言います。大人から見ると、盛った顔は均一化されて、個性がないように見えるのですが、彼女たちは前述したように、まずグループで一体化し、そのなかで細かい差異を付けて個性を出そうとしているのです。例えば、つけまつげが流行していた時期は、大人から見ると同じようなメイクでも、それぞれつけまを組み合わせてカスタマイズしていました」

 プリントシール機の加工も、一見同じように見えるが、次々に世界観やコンセプトの異なる機種が登場し、女の子たちのマニア心をくすぐっているのだという。

「ところが、スノーはあまりに簡単に盛れてしまうので、彼女たちがカスタマイズして微妙な個性を出す余地がない。スノーがもう少し女の子たちの手を加える隙を作れば、ブームはもっと長続きするかもしれません」

 最後に、久保氏はこの盛り文化は、「今後、世界に広がっていくだろう」と語る。

「1995年にプリントシール機が生まれ、女の子たちは友達とシールを交換するなどして、実際には会ったことのない友達の友達などにも顔が知られるようになり、約20年を経て、すでに日本の女の子たちは、ネット上の自分=“バーチャル・アイデンティティ”と現実の自分、2種類の自分を巧みに操っています。今、世界ではSNSが普及して、ようやく日本の女の子の95年段階の状態……つまり、“会ったことのない人に自分の顔を知られる”ことを体験しているわけです。2025年には、世界70億人のほとんどがオンラインに接続するようになるといわれており、誰もがバーチャル・アイデンティティを持つようになるでしょう。今後どうなるか、女の子たちが通ってきた道のりは参考になります。実際に目を大きくするわけではありませんが、本当の顔を隠して仲間内では認識できるような加工という意味での“盛り”の技術と文化を、世界中の人が真似をしていく時代になるのではないでしょうか」

 「Moreteru!」が世界共通語になる日はそう遠くない。
(安楽由紀子)

久保友香(くぼ・ゆか)
1978年、東京都生まれ。2000年慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科卒業。06年東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了。博士(環境学)。14年より、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員に就任。専門はメディア環境学。“なりたい自分になる”ことを叶える技術を「シンデレラテクノロジー」と名づけ、現在その研究を行っている。
公式サイト

『奇跡体験!アンビリバボー』制作の裏側! 海外事件の再現VTRは、どう作っている?

 海外の事件や出来事を扱うバラエティ番組に登場する再現ドラマ。よく見かけるけれど、ロケ地は日本なの? 海外なの? 外国人の役者さんは日本で暮らす人? 台本はあるの? そんな素朴な疑問について、ズバッと答えていただくべく、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系列/毎週木曜日19時57分から)の総合演出・山森正志さんに伺った。

■手前にサボテンを置いて、ぼかすだけでメキシコの空気になる

――『奇跡体験!アンビリバボー』によく登場する、海外の事件や出来事に関する再現VTRは、どこで撮影されているのですか?

山森正志さん(以下、山森) 基本は都内です。都内にはさまざまなスタジオがあるので、そこで作り込んで撮影することが多いです。変わったスタジオで言えば、初台に元々病院だったスタジオがあって、そこは地下室が本当にボロボロで、例えばテロリストや闇取引をする犯人のアジトとして使ったりします。

 誰でも入れる場所であれば、自由が丘にあるイタリアのヴェネツィア風の商業施設「LA・VITA」。広くはないですが、水路が流れて橋があって、いい感じですよ。中世ヨーロッパのような街並みを感じさせる「高輪プリンセスガルテン」や、米軍ハウスと呼ばれる平屋が並ぶ「入間ジョンソンタウン」も雰囲気があります。あと、千葉の幕張は看板が少ないので、使うことが多いです。ただ、何もない場所を撮影地として選んでいるので、行ってもおもしろくはないですけどね(笑)。それから、何もないと言っても、360度、海外に見えることはまずなくて、絶対どこかに日本語の看板が入ってきたり、松の木が邪魔というようなことが出てきてしまう。そこをどう切り取るかが、海外らしさを出すポイントです。

 よく使う手法は、“なめもの”です。中心となる対象物の手前に何かを置いて、ピントをぼかす。例えば、普通の日本のカフェで撮影する場合、対象物の手前にサボテンを置いて、ぼかすだけでメキシコの空気になる。画面の中の空気をどう作るかが重要なので、看板や小物はすごく準備します。

――インスタグラムの撮影にも応用できそうな技術ですね。出演されている役者さんは、どうされているのですか?

山森 日本で暮らす外国人タレントが多く在籍する事務所にお願いしています。番組として、再現VTRのレギュラーの役者さんは、特にいないんですが、芝居ができる外国人の方は限られているので、何回かに1回、同じ役者さんになってしまうこともあります。

 日本で俳優を目指す外国人の方は極端に少ないので、正直なところ、日本の俳優さんのようなお芝居は求めていないんですよ。例えば、泣く芝居なんてすごく難しいのですが、ストーリー上必要なこともある。そういう時は、英字新聞に落ちてくる涙を撮るだけで、その人がアメリカで泣いているとわかる。それを、僕らの中では「小道具が芝居する」と言っています。

■人の運命が一番「アンビリバボー」

――番組では世界中のお話を取り扱っていらっしゃいますが、そもそもどうやってネタ集めをして、台本作りまで進めているのですか?

山森 自分たちで全世界の記事やニュースサイト、記録などをチェックしたり、現地でもリサーチしています。リサーチ勝負なので、かなり調べます。選ぶ基準はメッセージ性のあるもの。何か心に訴えかけるものがあるかどうか? です。この出来事を放送する意義があるかどうかを徹底的に議論します。構成はそれからの話です。映像的に刺激があり、興味を引くような猟奇的事件は世界中にたくさんあるのでネタ自体は豊富なのでは? と思われることがありますが、放送を見た後に、視聴者が嫌な気分になるだけの出来事は絶対に放送しません。番組を見てくれる人、そして、その出来事に関わった当人やその周囲の人など、誰か1人でも放送によって傷つくことがわかっている話は、絶対にやらないというのが僕らのポリシーです。

 みんなで検討して、ネタが決定したら、全世界にいる現地のコーディネーターに連絡して、事件などの当事者本人にアポを取ってもらいます。それから、実際にディレクターが取材に行って話を聞き、それを基に台本を作っています。

 なお、撮影は基本的に現地の言葉で行われますが、台本は日本語です。マネジャーとコーディネーターがいるので、本番前に台本をお渡しして、その人が翻訳し役者さんに伝えてくれます。

――実際に訪れていらっしゃるんですね。山森さんも行かれていますか?

山森 ディレクター時代には、よく行きましたよ。印象に残っているのは、中国へ行った時のことですね。医療ミスによって植物状態になってしまった奥さんがいて、旦那さんが毎日、奥さんの横で、2人の思い出のラブソングを歌い続けたら、10年以上たって、奇跡的に意識を取り戻したんです。これには、旦那さんの強い思いが感じられて、奥さんは、さぞうれしいだろうと取材へ向かった。ところが、お話を聞いたら、奥さんがわんわん泣くんです。「私がどれだけ夫に心配や苦労をかけたのかを、目覚めてわかってしまって、今、本当につらい」と。資料を読む限りは、ハッピーエンドのお話でしたが、実際にはこの方が背負っている重いものがあった。目覚めたからこそ 直面してしまった現実ですね。取材に行かなければ そこは描けなかったと思います。

 有名な事件の場合、資料で書かれていることも多いので、それだけで台本を作ることもできます。けれど、生死の境をさまようような壮絶な人生を経験された方は、お会いすると、何ともないひと言に、すごい思いが隠されていたり、何かを得ることができる。そういうものを感じるだけで、構成も変わってきたりしますね。

――ちなみに、『奇跡体験!アンビリバボー』といえば、始まった当初は、心霊写真やUFO、などの内容が多かった気がするのですが、最近はあまりお見かけしないような……?

山森 当初は超常現象を多く扱っていたので、そのイメージが強いのかもしれないですね。もちろん、心霊現象やUFO、超常現象も今後扱っていきたいと思っていますが、最近は、事件ものや海外の社会問題を多く扱っています。

 これからのテレビは、何かしらの教育的な一面を持たなくてはいけないと思っています。そういう意味で、見てくれた人が自分の人生を考えるきっかけとなる、または、少しでも明日の糧になるような番組作りをしていきたいと思っています。近年、番組が考えている「一番アンビリバボーなもの」というのが「人の運命」です。普通に暮らしていた人がある出会いをきっかけに、転落していくこともある。

 ほんの少しのボタンの掛け違いで、悲劇にも奇跡にもなる。そんな人の運命こそが、一番「アンビリバボーだ」と思っているので、これからも自分たちなりのメッセージ性を持って、発信していきたいですね。
(上浦未来)

山森正志(やまもり・まさし)
1980年生まれ。『奇跡体験!アンビリバボー』総合演出。番組にはAD時代から携わる。番組制作会社「株式会社イースト・エンタテインメント」に所属、第一制作本部 ゼネラルディレクター。