もはや誰得……エスカレーターの“片側空け文化”に鉄道会社も「やめて!」キャンペーン

 JR東日本が「エスカレーターでは歩かないで」キャンペーンを始めて話題になっている。

 いつの頃からか、エスカレーターでは片側を空けておくという慣例が、問題視されている。片方は空けておくのが常識とされる中、急いで駆け上ったり駆け降りる人が増え、弊害が生じているからだ。

 そうして急いでエスカレーターを駆けた揚げ句、転げ落ちて当人のみならず巻き込まれてケガする人も絶えないのだ。

 もともと、この文化は1940年代にイギリスあたりに始まり、世界に広まったものとされている。日本では70年の大阪万博の際に、阪急電鉄が呼びかけたのが始まり。その後、日本でも「ヨーロッパでは常識」として広まっていった。マナー本の古典ともいえるサトウサンペイの『ドタンバのマナー』(新潮文庫)にも、欧米では常識となっている旨の記述がある。

 日本では90年代になって、マナーとして普及。それが、現在まで続いているわけである。

 だが、前述の通り、急ぎ足の結果としてケガをする人も絶えず、鉄道会社などでは再三「エスカレーターでは立ち止まって」と呼びかけがなされるようになっている。

 もともと、片側空けは効率的とされて広まったとされるが、実際は効率化には至っていない。ラッシュ時でなくとも、片側を空けるためにホームにはエスカレーターに並ぶ行列ができるのが当たり前。ホームに人の壁ができてしまい、移動するときにイラッとしたことがある人は少なくないだろう。

 さらに、日本の東西で起こる右を空けるか左を空けるか問題も混乱の元に。とりわけ、東西の人が交錯する新大阪駅なんて、あらゆる利用者が「ここでは、どちらを空ければいいのだ?」と迷っているのが日常だ。

 空いているほうを急ぐ人のバッグや手荷物がぶつかって、痛い思いをした人も少なくないはず。とにかく、この妙な文化は終焉したほうがいい。
(文=ピーラー・ホラ)

モリカケ以上の忖度が……⁉ IWC脱退表明で思い出される安倍首相と捕鯨の“浅からぬ関係”

 日本政府は、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めた。日本は9月に行われたIWC総会で一部鯨種の商業捕鯨の再開を提案したが、否決されていた。オーストラリアなど反捕鯨国との対立も深まっており、IWC加盟のままでは商業捕鯨の再開は困難と判断したのだ。しかし、「自分の意見が通らないなら話し合いの場から離脱する」というやり方には、国際的な非難が高まることは必至だ。

 ところで、政府はなぜそこまで商業捕鯨にこだわるのだろうか?

 鯨食が日本固有の文化であることは間違いない。さらに「牛や豚は食べてもいいが、高等生物であるクジラを食べるのはかわいそう」という、一部反捕鯨派の主張も論理的とは言いがたい。 

 しかし、日本国民の年間平均鯨肉消費量は約40グラムにすぎない。これは、学校給食に鯨肉が用いられていた1960年代台と比べ、わずか50分の1の規模である。こんな状況で、果たして捕鯨がビジネスとして成り立つのだろうか?

 日本では今、科学調査の名の下に捕獲された鯨の食肉が流通しているが、2012年には調査捕鯨によって得られた肉の4分の3が落札されずに売れ残っていたことも明らかになった。鯨肉販売による収入低迷により、調査捕鯨は05年に赤字に転落。以降の10年あまりで、80億円以上の税金 が赤字補填のために投入されている。

 各国からは「野蛮」とのバッシングを受けながら、「科学調査」名目で捕鯨を続けてきた日本だが、肝心の鯨食文化はすでに滅んでいるのだ。

 これまで調査捕鯨に税金を垂れ流してきたことも疑問だが、国際社会とのさらなる軋轢を生む商業捕鯨を再開しようとする政府の動機はどこにあるのか?

 そんななか、思い出されるのが、安倍家と捕鯨の密接なつながりだ。

 1946年、戦時中から中止されていた捕鯨の再開をGHQに進言したのは、現在のマルハニチロの前身である大洋漁業株式会社社長、中部幾次郎である。GHQが捕鯨再開を認めると、同社は戦後最初の捕鯨船を南氷洋に向かわせている。その船こそ、現在の調査捕鯨船「日新丸」にその名が引き継がれている「第一日新丸」なのだ。その後、同社は捕鯨によって大成長を遂げる。プロ野球球団「大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ) 」の名前が鯨に由来していたのも偶然ではない。

 一方で、山口県下関市に本社を構えていた同社は、地元の有力政治家に多額の企業献金を行っていた。それが岸信介と、その義理の息子であり、安倍首相の父である安倍晋太郎である。幾次郎の三男で、大洋漁業の副社長だった利三郎は、晋太郎の後援会長も務めていたほどだ。まさに岸・安倍家は、下関の鯨肉産業によって支えられたといっても過言ではないのである。

 岸・安倍家がこれにどう報いたのか定かではないが、岸が総理の座にあった昭和 30 年代には、下関港で年間に水揚げされる鯨は最高で 2万トンに上っている。ちなみに、商業捕鯨が禁止された現在でも、釧路港と並んで下関港で調査捕鯨の水揚げが行われているのだ。

 需要もなく、国益にかなわないにもかかわらず推し進められる商業捕鯨再開の裏には、モリカケ問題どころではない官僚の忖度が働いている⁉

モリカケ以上の忖度が……⁉ IWC脱退表明で思い出される安倍首相と捕鯨の“浅からぬ関係”

 日本政府は、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めた。日本は9月に行われたIWC総会で一部鯨種の商業捕鯨の再開を提案したが、否決されていた。オーストラリアなど反捕鯨国との対立も深まっており、IWC加盟のままでは商業捕鯨の再開は困難と判断したのだ。しかし、「自分の意見が通らないなら話し合いの場から離脱する」というやり方には、国際的な非難が高まることは必至だ。

 ところで、政府はなぜそこまで商業捕鯨にこだわるのだろうか?

 鯨食が日本固有の文化であることは間違いない。さらに「牛や豚は食べてもいいが、高等生物であるクジラを食べるのはかわいそう」という、一部反捕鯨派の主張も論理的とは言いがたい。 

 しかし、日本国民の年間平均鯨肉消費量は約40グラムにすぎない。これは、学校給食に鯨肉が用いられていた1960年代台と比べ、わずか50分の1の規模である。こんな状況で、果たして捕鯨がビジネスとして成り立つのだろうか?

 日本では今、科学調査の名の下に捕獲された鯨の食肉が流通しているが、2012年には調査捕鯨によって得られた肉の4分の3が落札されずに売れ残っていたことも明らかになった。鯨肉販売による収入低迷により、調査捕鯨は05年に赤字に転落。以降の10年あまりで、80億円以上の税金 が赤字補填のために投入されている。

 各国からは「野蛮」とのバッシングを受けながら、「科学調査」名目で捕鯨を続けてきた日本だが、肝心の鯨食文化はすでに滅んでいるのだ。

 これまで調査捕鯨に税金を垂れ流してきたことも疑問だが、国際社会とのさらなる軋轢を生む商業捕鯨を再開しようとする政府の動機はどこにあるのか?

 そんななか、思い出されるのが、安倍家と捕鯨の密接なつながりだ。

 1946年、戦時中から中止されていた捕鯨の再開をGHQに進言したのは、現在のマルハニチロの前身である大洋漁業株式会社社長、中部幾次郎である。GHQが捕鯨再開を認めると、同社は戦後最初の捕鯨船を南氷洋に向かわせている。その船こそ、現在の調査捕鯨船「日新丸」にその名が引き継がれている「第一日新丸」なのだ。その後、同社は捕鯨によって大成長を遂げる。プロ野球球団「大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ) 」の名前が鯨に由来していたのも偶然ではない。

 一方で、山口県下関市に本社を構えていた同社は、地元の有力政治家に多額の企業献金を行っていた。それが岸信介と、その義理の息子であり、安倍首相の父である安倍晋太郎である。幾次郎の三男で、大洋漁業の副社長だった利三郎は、晋太郎の後援会長も務めていたほどだ。まさに岸・安倍家は、下関の鯨肉産業によって支えられたといっても過言ではないのである。

 岸・安倍家がこれにどう報いたのか定かではないが、岸が総理の座にあった昭和 30 年代には、下関港で年間に水揚げされる鯨は最高で 2万トンに上っている。ちなみに、商業捕鯨が禁止された現在でも、釧路港と並んで下関港で調査捕鯨の水揚げが行われているのだ。

 需要もなく、国益にかなわないにもかかわらず推し進められる商業捕鯨再開の裏には、モリカケ問題どころではない官僚の忖度が働いている⁉

日本人のほうが少数派な国境の港町・対馬比田勝港からの“限界出国”

「日本人? 東京から? 何しにきたの?」

 まだ、日本国内なのに、そんな質問をされてしまった。それが、対馬の港町・比田勝の現在である。

 過疎ですっかり沈んでいた比田勝は、今では対馬の中でもっとも栄える地域である。そこを訪れた人はだいたい「日本人が珍しがられる」という。

 それは、比田勝が韓国人がもっとも気軽に訪れることのできる日本になっているからである。

 今や、比田勝にはJR九州の運営する高速船のほか、韓国企業4社の高速船が、毎日入港する。

 この比田勝というのは、対馬の中でも本当の最果て。博多からの航路のメインである厳原に比べ、日本本土からの航路は少ない。そして、対馬の中心市街である厳原からはバスで2時間以上かかる。天気のよい日は、海を挟んで50キロ程度の釜山の街が見える国境の港町。

 そのあまりの近さゆえに、韓国人にとっては「もっとも手軽に訪れることのできる日本」になっているのである。

 そんな街へ行くために、筆者は厳原から午前7時過ぎに出発する朝一番のバスに乗車。

 韓国船は午前中に入港、夕方に出発便が大半。日帰りでも買い物ができるように、こんな設定になっているようだ。

 さて、午前9時半近くに到着した比田勝国際ターミナル。韓国航路の需要増を受けて新築されたターミナル周辺は、すでに韓国であった。ターミナル前や、その周辺にある商店にはハングルばかり。駐車場には、観光バスが10台近く停車しているし、ターミナルの中も外も、韓国人しか歩いていない。

 やがて、釜山から船が到着すると、早足でやってきたガイドらしき男性が、流暢な日本語で、待っていたバスの運転手に「今日も、よろしく!」と挨拶をしている。なるほど、この人は、毎日、釜山から客を運んで来るのが商売なのか。毎日、パスポートに出入国のスタンプが押されていくのは、いったいどんな気分なのか……?

 ともあれ、筆者が予約していた高速船の出港までは数時間。まずは、時間を潰そうと近くの商店に入ったら、言われたのが冒頭の言葉。

 韓国人の買い物客で店は賑わっているが、ここまで来る日本人は、ほとんどいないという。ちなみに、最近、韓国人に人気の商品は何かと聞くと「蒟蒻畑」だそうだ。そして、入ってくる韓国人にも流暢な韓国語で話をしているのだ。

 とにかく、韓国人相手の商売で儲かっているほうの人は、この状況を歓迎している様子。でも、そうでないほうの人々の認識は、まったく違う。

 タバコを買おうとして入った古めかしい商店で話をすると「うちは、まったく関係ないね」というのだ。そして、近所に出来たパン屋を指さして「あそこも、韓国人が始めて、日本人を雇って使ってる……」と、複雑な表情。まったく自分の商売に結びつかない以上は、単によそ者が増えて煩わしいということか。

 国境の港町と発展しながらも、さまざまな対立軸が存在していることを感じさせられた。

 ……さて、比田勝から出国した筆者は、釜山で一泊した後、関釜フェリーで折り返した。

 ちょうど休日ということもあってか、こちらは日本人も多かった。多くが山口県や福岡県から来たという人だったが、日常的に釜山に買い出しに出向いている人も多いようで「半年分の韓国海苔を買った」などと、段ボール箱をキャリーで運んでいる人も多かった。

 なお、比較的スムーズに進んでいた下関港の税関だが、筆者の番になると「東京から、比田勝経由で出国? これからどこに行くんです?」と執拗に聞かれ「金とか、運んではいけないものを持っていませんよね?」と。

 いったい、何がそんなに怪しかったのだろうか。
(文=昼間たかし)

カルロス・ゴーン容疑者を勾留する「東京拘置所」は本当に“地獄”か? 日仏刑事司法の比較から考える日本“人質司法”の問題点

第6回 2018年12月、東京拘置所にて勾留続くカルロス・ゴーン容疑者、そして日本の刑事司法は“遅れている”のウソ

 本連載では前回に引き続き、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長(64)が金融商品取引法違反容疑で逮捕された事件を取り上げます。今回は、海外で批判の的となっている現在のゴーン容疑者の処遇について、彼の母国のひとつであるフランスの刑事司法を引き合いに出しつつ考察してみましょう。

 ゴーン容疑者は2018年11月19日の逮捕後、東京・小菅の東京拘置所で身柄を勾留されています。これについて朝日新聞は、仏紙「ル・フィガロ」が「まだルノー、日産、三菱の会長だったのに、ひどい拘置所に移された」とし、東京拘置所に死刑を執行する施設があることから「地獄だ」と伝えたことを報道。また日本経済新聞も、「(取り調べ中に)弁護士の立ち会いもできない」(仏「ル・モンド」)、「ゴーン元会長は特に厳しい日本の勾留制度を経験することになる」(仏「レ・ゼコー」)など、ゴーン容疑者の勾留期間や取り調べの環境に対する仏メディアの批判記事を紹介しています。

 仏紙を中心とする海外メディアによるそうした批判に接したとき、おそらく日本人の多くが、「やはり欧米と比べて日本の人権意識や刑事司法は遅れているのだ」と情けなく思ったことでしょう。しかし、その認識は一面的に過ぎるといわざるを得ない。私はパリ第2大学大学院で法社会学を学び、そのため同国における捜査や取り調べについても熟知していますが、法律上の建前はともかく実態として、わが国の刑事司法は、多くの面においてフランスを含む欧米諸国よりはるかに“マシ”だと断言できます。

カルロス・ゴーン氏逮捕のニュースに見入る道行く人々(写真:ロイター/アフロ)24時間で“カタをつける”フランス警察
 まず、批判の集中しているいわゆる“人質司法”の問題について考えてみましょう。わが国では被疑者を勾留できる期間について、刑事訴訟法第208条で「勾留の請求をした日から10日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない」「裁判官は、やむを得ない事由があると認めるときは、検察官の請求により、前項の期間を延長することができる。この期間の延長は、通じて10日を超えることができない」と定めています。これに、検察官が逮捕した場合に被疑者の身柄を拘束できる48時間を加えることで、同一容疑での勾留期間は最長22日間に及びます(なお、警察官が逮捕した場合には、48時間以内に送検し、身柄拘束は最長23日間。この23日間というのは世界的に見ても標準的な長さですが、今回のゴーン容疑者の件でまさにそうだったように、日本では何度も逮捕してこれを延ばすこともしばしば行われます)。

 しかもこの間、家族や関係者との面会は厳しく制限され、取り調べ中の弁護士の立ち会いも認められていません。わが国におけるこうした被疑者の処遇が、“人質司法”と内外から非難されているわけです。

 それに対し、例えばフランスではどんなシステムになっているか。同国の刑事法では、警察などが被疑者の身柄を拘束した場合、24時間以内に必ず予審判事に知らせるよう義務づけられている。また、被疑者の人権保護のため、取り調べには弁護士が同席できるとされている。仏紙などが報じている通りであり、確かにそこだけを比較すれば、日本よりフランスの刑事司法のほうが、人権意識の高い進歩的なものに見えるでしょう。

 ところが実態はどうか。フランスの警察は、24時間以内の予審判事への報告義務があるとされていることを逆手に取り、身柄拘束から丸一日を「どこにも報告せずに自分たちだけで好き放題被疑者を尋問できる時間」と解釈して“有効活用”している。その24時間で自白に追い込むため、特にテロや殺人などの暴力事犯に対しては、警察官が殴る蹴るの暴行を加えるのは当たり前。少なくとも私の留学していた1980年代まではそうでしたし、フランスの司法関係者に聞く限り、そのあたりは今もたいして変わっていないようです。法律上、逮捕後の正式な取り調べに弁護士が立ち会えるといっても、実はその取り調べが始まる前の時点でほぼカタがついてしまっているわけです。

 しかも、同国の刑事裁判は、警察や検察によるそうした任意の取り調べで得られた自白調書を証拠として採用する判例が確立しているほど、自白偏重の甚だしいのが特徴です。フランス語で「自白する」は“avouer”と書きますが、実はこの単語は、カトリックにおける「告解する」という意味でもある。つまり、司祭に罪を告白して神の赦しを請うという、カトリックの信仰においてきわめて重要な儀礼に擬せられるほど、フランスの裁判では自白というものが重視されているわけです。

 そして肝心のその自白たるや、条文は立派ながら抽象的で曖昧な法のグレーゾーンを巧みに利用することで、しばしば生み出されるもの。これこそ、フランスのメディアが今回の事件に対する攻撃材料として喧伝し、日本のメディアが受け売りする、“人権意識の高い進歩的な国”の刑事司法の一側面なのです。

 

裁判後に死刑に処す日本、その場で“処刑”するフランス
 さらにいうと、フランスでは1981年に死刑が廃止されており、そのことをもって日本より人権意識が高いとする向きもありますが、それもまた皮相的な物言いだと私は思います。というのも、ご存じの通りフランスやアメリカなどでは、ことに犯罪事実がほぼ明らからな凶悪犯については、警察官が有無をいわさず現場で射殺してしまうケースがよくあるからです。2018年12月11日にフランス東部ストラスブールで発生した銃撃テロの容疑者も、裁判にかけられるどころか逮捕されることすらなく、逃走中に警察によってあっさり射殺されています。

 また、そのように被疑者を取り調べや裁判の前に殺す以上、当然ながらその中には、無実の市民が含まれている可能性がある。これはより大きな問題です。実際フランスでは、射殺された者の無実があとから判明するケースがあとを絶たない。そうした警察官による市民の誤射は、“bavure”(「よだれ」の俗語)という呼び名を付けられるほど頻繁に起きているのです。

 それはおくとしても、警察官の手で被疑者を“処刑”してしまうことが、事実上、死刑制度の代替として、市民の処罰感情を満たしている面は確かにある。「死刑がないから人道的だ、人権意識が高い」などとは単純にいい切れないということが理解できるはずです。

「日本は遅れている」は本当か?
 このように見てみると、わが国の刑事司法が、フランスをはじめとする欧米諸国と比べて、少なくとも実質面においては決して立ち遅れてなどいないことがわかるでしょう。むしろ諸外国こそ、犯罪発生率の低い日本から学ぶべきところが多いのが実情といっていいほどです。

 もちろん、だからといって、いわゆる“人質司法”など、日本の刑事司法に見直すべき点がないということにはなりません。ただ、東京拘置所におけるゴーン容疑者の処遇などについて海外メディアの報じていることがそのまま正しいわけでない、ということだけははっきりと指摘しておきたい。日本のメディアも、欧米から強く主張されると無批判に受け入れてしまう悪い癖をそろそろ直すべきではないでしょうか。

 次回は、なぜゴーン容疑者がカリスマ経営者の座から転落してしまったのかについて、その人物像や時代背景を眺めつつ考察したいと思います。

過去と未来──古さと新しさが交わる街の新たな人情・山谷酒場のあたたかさ

 山谷酒場は、いろは会商店街の西寄り、日本堤1丁目10番6号の、もとはパン屋だった建物の一階を占めている。開くことなく朽ち果てていくシャッターが目立つ街に、久しぶりにオープンした、地元の人も期待する酒場である。

 かつては、日雇い労働者の街だった山谷。東京でも独特な地域の繁華街だったいろは会商店街は、時代の流れによる街の変化と共に、様変わりした。

 多くの労働者がドヤに住み、日々の労働に励んでいた時代。街には、たくさんの大衆食堂や酒場があった。商店街は、街の中心。夕方を過ぎれば、その日の稼ぎを得た労働者で、店は真っすぐ歩くのも大変なほどに混み合っていた。

 けれども、そんな賑わいは、もう過去のことである。産業構造の変化と共に、街も変わった。今では、ドヤに住まう大半は行政の保護を受けているかつての労働者。そして、安宿を求めてたどり着いた国内外の旅行者たち。最寄りの南千住駅も、今は再開発された街特有の、小洒落た駅。何層にも重なりコンクリートの柱に貼られていた新左翼系のビラもなく、改札をくぐると、自然にごくんと唾を飲み込んでしまう緊張感も、すでにない。威圧的で禍々しい雰囲気すらあった山谷交番も、今では単なる大きな交番である。

 街の変化と共に、商店街は衰退した。全国の終わりゆく商店街がそうであるように、客の減った、未来の展望のない店が、次の世代に受け継がれることはない。年齢を感じたり、何がしかの病気を得て、潮時と感じてシャッターを下ろすだけ。運のいい商店主は、デイケアだとか福祉系の事業所を店子にして、いくばくかを稼ぐ。でも、大半はシャッターを下ろしたまま、買い手も借り手もつかずに朽ち果てていくだけ。

 シャッター通りとなった商店街のアーケードは、昼間でも薄暗いだけの道になった。このままではいけないと、山谷が描かれる『あしたのジョー』のふるさとであることを掲げて、オブジェが並んだりもしたけれど、それでも街は変わらなかった。いつしかシャッターの前に、さび付いた自転車が並ぶのが、街の当たり前の風景になっていた。

 街を変えたいという地域の心情と、経年劣化も合致して、アーケードは2017年度に撤去された。通りの薄暗さはなくなったけれども、それだけで賑わいが戻ってくるはずもない。昼は、歩く人もわずか。日が暮れれば、ねぐらのない人がシャッターの前に布団を敷いて、しばしの安らぎを得る。街の古株が語る、かつての賑わいも、思い出が美化されたおとぎ話のようにしか思えない。

 沈んだ街にも、少しばかりは変化がある。酒場がそうだ。かつて、大勢の労働者で賑わった長いカウンターの大衆酒場。角打ちさせる酒屋。前世紀が終わる頃までは、都市に暮らす豊かさを求める人々は、そんなものは視界にも入れなかった。それらは「低俗」で、品性に欠けた人が集う場所。そんなところだと思われていた。それがどうだろう、今では女性までもが、それらに新たな価値を見いだし、ライフスタイルの中に取り入れている。そうした店が、点在する山谷には、わざわざ電車を乗り継いでくる人もいる。中には、予約しないと入ることもできないような酒場まである。

 山谷酒場を開いた酒井秀之がやってきたのは、そんな街である。

 丁寧で控えめな言葉遣いや立ち振る舞いに反して、酒井の人生はいささか無頼である。誰もが人生の早い時期に、何がしかの月給取りになって安定と安心を得たいと思う現代、酒井は青春期の大半をフリーターとして生きてきた。

「デパ地下でシェフをやったりしていたけど、ずっとフリーターで……28歳の時に初めて、福祉施設に正社員で入社したんですが、やっぱり喫茶店でも働きたいと思って、福祉のほうは非常勤にして……週3回は、喫茶店で働いてました」

 生まれ育ったのは岐阜。名古屋文化圏の地域性ゆえに、喫茶店は日常に当たり前に存在するものだった。「喫茶店は、好きとかじゃなくても、行くものと思ってました」それも、カウンターで注文して、自分で席を探すチェーン系ではない。昔ながらの、ソファ席があって、新聞が何紙も置いてあるような、純喫茶へ。今では純喫茶は、すでに時代から遅れたスタイルになりつつある。そうした店に入るのは限られた客層。もしも、さまざまな人に入ってもらい、利益を求めるならば、街でよく見かけるカフェのほうがいい。でも、酒井は昔ながらの喫茶店のほうがしっくりきた。

 生活に根ざしていて特段意識していなかった喫茶店を自分が好きだと気づいたのは、大阪を訪れた時だった。大阪の街が持つ独特の雰囲気は、心地よかった。その街を何度か訪れるうちに、喫茶店に魅力を感じている自分にも気づいた。

 特に気に入ったのは、西成区にある珈琲屋ナカノ。往時の純喫茶のスタイルのまま、時が止まったかのような店に引き込まれた酒井が東京で見つけた、喫茶店の働き口。それは、神保町のミロンガ・ヌオーバだった。さぼうるや、ラドリオなどの古い喫茶店が並ぶ裏路地にあるタンゴの流れる店。時の流れが染みこんだような調度品に囲まれて働くうちに、自分も店を始める決意が固まった。

 西調布に喫茶楓をオープンしたのは15年10月。覚悟はしていたけれど、なかなか客足は伸びなかった。長く続いている喫茶店というのは、大抵は店が店主の持ち家だったり、昔の契約とか、何がしかの理由で家賃が低く抑えられているもの。近所の人々が常連にはなってくれたものの、営業中の札を出していても悠然と流れている時間のほうが長かった。厳しさを感じつつ、何かをやらなければと思った。ふと、思いついたのはTwitterだった。でも、アカウントを作ってみてから、酒井は考えこんでしまった。

「店には日替わりメニューもなくて……ツイートすることが特になかったんです」

 放っておいてもしようがないと思って、半ば人力BOTのように、それまで歩いたことのある街の風景をアップするようになった。街歩きは、喫茶店以前からの趣味だった。坂に惹かれて、あちこちの坂を歩いて回ったこともある。井戸の手動ポンプに惹かれた時には、1,000くらいの井戸を見つけて歩いた。そんな写真を、毎日4枚ずつアップしていた。

 不思議なことに、徐々にフォロワーが増えていった。喫茶店のアカウントのはずなのに、まったく自分の店のことに触れずに、ずっと街の写真を上げている。それが、面白い……そんな見方をされていたことは、後から知った。それまでになかったつながりが増え、店を訪れてくれる人も出てくるようになった。

 とはいえ、少しばかり客足が伸びても、喫茶店で利益をあげることは難しい。見切りをつけようと思った時に考えたのが、酒場だった。

「何か、もう一段自分をステップアップするには、酒場しかないな……自分が好きなのは喫茶店と酒場だから」

 そんなことを考えたり、出会ったりしていると「うちの街に、おいでよ」と、声をかけてくれる人が現れた。Twitterを通じて知り合った親しい友人の一人に、カストリ書房の店主・渡辺豪がいた。16年に遊郭専門の書店をオープンした渡辺は、次いでカストリ出版を立ち上げて、遊郭や赤線、歓楽街などの書籍を世に送り出していた。そんな店があるのは、山谷から目と鼻の先の吉原である。吉原の表通りは、ソープランドが並ぶ風俗街。男なら歩けば、日の高いうちから呼び込みに声をかけられるような街。ところが、そんな街にあるカストリ書房には、女性客も多く訪れる。そんな街に新たな風を吹き込んでいた渡辺が紹介してくれたのは、カストリ書房からは道路を挟んだ目と鼻の先の物件。

「ここは、商店街の中でも一等地。物件探しはすごく大変なんだけど、一番よい場所が取れたんです」

 商店街の人々や行政も協力的だった。それまで、店を借りて閉じたままのシャッターを開けたいという業種は、大抵はデイケア。商店街にかつての賑わいを取り戻したいと、誰もが考えている中で、山谷酒場は大歓迎されたのである。

 こうしてオープンに至った山谷酒場は、朝から忙しい。朝8時から2時間は、モーニング喫茶・楓として営業する。それから、仕込みの時間があって、山谷酒場は夕方4時から夜の11時まで。居酒屋の基本メニューから、酒井が考えたオリジナルメニューまで、料理は多彩。ピリ辛の麻婆豆腐は、どんな酒にも合うようで、評判だ。

 酒で目立つのは、オリジナルの山谷酒と名付けた漬け込みのリキュール。そして、世界のビールも揃う。ビールを多彩に揃えたのは、どうしても値が張ってしまう生ビールは置けないから。店を訪れる人の財布に優しくしたいという、酒井の優しさである。自分の店だけが繁盛しようと思っているのではない。地域に点在する店を回って、はしご酒をする。そんな楽しい時間に山谷酒場も入ればいいと思っている。

 調度品も独特。店の看板やテーブル、椅子の色遣いは、日本の大衆酒場のイメージを裏切る。どこか、東南アジアあたりのバックパッカー街にある店のイメージである。

 ここは、単に地元に根ざしただけの店ではない。地元の人。味のある酒場を目指して、電車やバスでやってくる人。そして、国内外から集まる旅行者。そうした人々が、楽しい酒の刹那に交わるのが、山谷酒場という場。かつて、大勢の労働者で賑わっていた時代。山谷は、さまざまな問題を抱えつつも、流れ着いた者たちが、お互いに励まし合いながら生きていく人情の街だった。そんな街の伝統を思い出しつつ、新たな形で進化していく店。それが、山谷酒場の本当の魅力なのである。

「人生は一回しかないし……さすがに、もう年齢も40歳を過ぎて、お店は作れないと思うし、いい意味で最後の店にしたいですね」

(取材・文=昼間たかし)

3歳女児「世界で3番目に幼い乳がん患者」に……中国で急増する小児がん

 中国では数年前から小児がんの患者数が急増している。あるデータによれば、小児がん患者は毎年約4万人ずつ増加しており、その背景には工業化による種々の公害や、食品汚染などがあることも指摘されている。そんな中、3歳の女児が小児乳がんと診断された。

 中国国営メディア「新華網」(12月7日付)によると、江蘇省南京市で母親が女児の胸部にやわらかいしこりのようなものがあるのを発見。その後、病院で検査を行ったところ、乳がんと診断され、この女児は世界で3番目に幼い乳がん患者となった。

 医師はすぐに摘出手術を行い、女児は無事に退院することができたというが、中国ではほかにも多くの子どもたちががんに苦しんでいる。

 昨年10月には、遼寧省大連市に住む2歳の男児が肺がんと診断された。現地メディアは、男児が住む住宅の壁などに使用されていた違法な化学物質や、大気汚染物質が、がん発症に影響した可能性を報じている。

 イギリスで創刊されている世界的医学雑誌「ランセット」は、中国の9~14歳の子どもの最も多い死因はがんであると発表している。また、中国国内の子どものがん発症率は、この5年で約5%増加していることもわかっている。中国では、急速な工業化による環境破壊や食品汚染が問題となっているが、最も影響を受けやすいのは子どもたちの若い細胞だ。さらに、医療制度に大きな格差があるため、小児がんを発症しても家庭の金銭的事情から適切な治療を受けることが難しいケースも多い。

 急増する小児がん患者は、中国の歪んだ発展の落し子といってもいいかもしれない。

【中国未解決事件簿】遺体を煮込み、2,000もの肉片に切り刻み……南京女子大生バラバラ殺人事件

 日本では若い女性の間でアムラーファッションが流行し、たまごっちがあまりの人気に入手困難になっていた1996年。中国では奇怪な殺人事件が発生し、人々を恐怖に陥れていた。

 同1月19日、江蘇省南京市の歩道を清掃していた清掃員が、路上に落ちていたハンドバッグを発見した。清掃員は落とし物だと思い、中身を確認するためバッグを開けたところ、中には細く切り刻まれた肉片が詰まっていた。不審に思い、この肉片を水で洗い流してみたところ、人間の指らしきものが3本見つかったことから、警察に通報。殺人事件として捜査が行われることとなったのだ。

 その後、市内の別の2カ所からも同様のハンドバッグが見つかり、鑑定の結果、人間の内臓や頭部などを煮込んだ後、2,000以上の肉片に切り刻んだものであると判明。これらの肉片は、名門大学として知られる南京大学に通う女子学生・チョウさん(当時19歳)のものだった。警察はチョウさんの交友関係を調べたが、農村出身で、金銭や恋愛のトラブルとは無縁の学生生活を送る普通の女子学生であり、有力な手掛かりを得ることはできなかった。

 ただひとつ、同級生の証言により明らかになったのが、チョウさんの事件前の最後の足取りだ。大学の敷地内にある学生寮に住んでいたチョウさんは1月10日の夕食後、へ散歩に出掛ける姿が目撃されていた。その直前、チョウさんは寮にある電化製品の使用をめぐり、寮長から注意を受けており、気分転換のため散歩に行ったものとみられている。

 警察は大学付近や、遺体発見現場付近の住民に聞き込みを行ったが、手掛かりはつかめなかった。

 事件から12年後の2008年6月19日、事件は急展開を迎える。ネット掲示板に、“黑弥撒”というハンドルネームの人物が、事件に関する情報を投稿したのだ。

 そこには「チョウは大学でコンピューター学を専攻していた。そのため、当時中国ではまだ珍しかったCDラジカセと触れ合う機会が多く、外国から輸入された音楽CDに大きな興味を持っており、彼女と犯人の間には事件前から音楽CDを介し、すでに交流があった」と、ただの推理とは思えない、事件の具体的な背景が書かれていた。

 チョウさんは確かに大学でコンピューター学を専攻しており、また海外からの輸入CDに大きな興味を持っていたことがわかった。

 警察は、この“黑弥撒”の身元を割り出し、参考人として事情聴取を行った。しかし結局、投稿はイタズラだったとして釈放。その後、事件は完全に迷宮入りし、未解決事件として人々の話題に上ることも少なくなっていった or 忘れ去られていくこととなった。事件から20年たった16年、中国公安当局は「事件の捜査は現在も継続しており、必ず犯人を検挙する」と、声明を発表している。

 人体を煮込み、2,000もの肉片に切り刻むという猟奇的な行為を行った犯人は、自らのその残虐性をひた隠しにして、世界のどこかでのうのうと生きている。

(文=青山大樹)

 

小室圭さんに美智子さまが「怒り心頭」? 数々の“憂慮発言”は真実なのか

秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんのご婚約について、皇后陛下美智子さまが「決して許すことはできません」と厳しく語っていたと、13日発売の「週刊新潮」(新潮社)が報じている。

 11月22日、秋篠宮さまは誕生日会見にて、長女である眞子さまと小室圭さんの婚約にあたる“納采の儀”を、現状では行なえないと明言。母親の元婚約者からの借金問題が報じられてきた小室さんに対して、「それ相応の対応をするべきだと思います」と発言された。

 これは破談要求とイコールではないかと見られたが、「新潮」によれば、美智子さまは「この問題は、本来であれば2月以前に答えが出るお話です」と断じておられたと報道。婚約内定会見がおこなわれるより以前、昨年5月の時点にマスコミ報道でご交際が明らかにされたときから、美智子さまは「あのような方で、眞子は本当に大丈夫なのでしょうか」と憂慮されていたとある。

 さらに、諸問題の回答を出そうとしない小室さんに対して「あのようなことは、決して許すことができません」と美智子さまがおっしゃっていた、と“関係者”は漏らしている。そのうえ、小室さんが唐突に米国留学をしたことで不信感を募らせているそうだ。くわえて、「許すことのできないもの」とされているのは、留学先のフォーダム大学が小室さんを「眞子さまのフィアンセ」と紹介したことである。つまり小室さんが「自分は日本の皇族のフィアンセである」と吹聴したことが、皇室を一方的に利用していると捉えられ、決して許されることではないとしている。

 きわめて厳しく率直な発言が、美智子さまのお言葉であるとして誌面には掲載された。今年10月20日、美智子さまは84歳の誕生日を迎えられ、約3000字にも及ぶ文章(※宮内庁ホームページから閲覧可能)でお気持ちを示されたが、その一説もまた「破談を願うメッセージだ」として同誌は取り上げてきた。

 <公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。>

 「ジーヴス」については、<イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス>と、注釈がつけられている。この『ジーヴスの事件簿』とは、主人公の貴族階級の青年に降りかかるトラブルをその天才執事であるジーヴスが次々と解決していくというユーモア小説だ。

 あくまで探偵小説であり、シリーズものであるわけだが、しかし「週刊新潮」が注目したのは、ジーヴスが仕える貴族青年・バーティーの婚約破談について書かれたストーリーがあることだ。

 

 バーティーはある令嬢と婚約したが、じつは、令嬢の父には好ましくない過去があった。それでも結婚を切望するバーティーは、暴露本の出版を阻止しようと奮闘するが、ジーヴスに出し抜かれ、本は出版されてしまう。婚約は破談となるが、じつはジーヴスが令嬢の性格を見抜いており、青年にはもっとふさわしい相手がいると慮っての行為だった。主人公は考えを改めて、ジーヴスは信頼を得る……。

 「週刊新潮」は、美智子さまが婚約破棄をめぐった作品をあえて固有名詞で語られたことに着目し、これを「破談メッセージ」と見立てているのだ。

 もちろん同誌に限らず、ありとあらゆるメディアが、「皇室はこの婚約に反対だ」との論調を固めている。冒頭に記した秋篠宮さまの会見でのお言葉からも、それは明らかになった。しかし、こと美智子さまのお言葉となると、眞子さまのご婚約を憂慮するお気持ちをお持ちだとしても、それほどまで率直にお怒りを表明したとは考えづらい。

数々の週刊誌報道について宮内庁が言及
 各週刊誌はこれまで、小室さんの母の借金問題やそのプライベートについて醜聞めいた報道を重ね、過熱の一途を辿っている。

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 こうした状況にあって、5月25日に宮内庁は、眞子さまの結婚延期にまつわる一部週刊誌の報道に、天皇、皇后両陛下が心を痛めているとの声明を発表していた。

 <眞子内親王殿下の納采の儀を始めとするご結婚関係儀式等の延期が発表されて以来,このことに関する両陛下,取り分け皇后さまのお考え,ご対応について様々な憶測がなされ,記事にされてきましたが,このことに関し,両陛下は当初より一貫して変わらぬ対応をしてこられました。>
<一部の週刊誌は,「侍従職関係者」,「宮内庁幹部」,「宮内庁関係者」等のコメントとして,皇后さまが様々な発言をなさっているかのように記していますが,先にも述べたとおり,両陛下は,当初より,細心の注意を払って固く沈黙を守り続けておられ,また,宮内庁職員はもとより,ご親族,ご友人,ご進講者等で,両陛下にこの問題について話題にするような人もこれまで皆無であったと伺っています。>

 この声明を要約すれば、つまり皇后さまは眞子さまの結婚問題について、今年5月時点では、なにも言及されていないということだ。となると、昨年5月に美智子さまが「あのような方で、眞子は本当に大丈夫なのでしょうか」と、しきりに周囲にお尋ねになっていたという話の信憑性が揺らいでしまう。

 しかし6月以降も、各週刊誌は美智子さまのお気持ちについてさまざまに報道してきた。

 「週刊文春」(文藝春秋)は7月、ある美智子さまの知人が<皇后さまは『夢は人生の志として大事なものだけど、あくまでも成し遂げられる可能性と努力があってこそのものよ』とも仰っていました。海外の企業で働くならまだしも、小室さんは仕事に就くための勉強をゼロから海外で始めるわけで、叶うか分からない『不完全な夢』を描いている。まさに『夢追い人』になってしまった………皇后さまは、そんな印象をお持ちになったようです>と漏らした……と伝えている。

 この記事については、宮内庁は7月30日に記事タイトルを名指しで否定した。

 <記事は,このホームページにおける説明の一部を引用しつつも,「美智子さまのお嘆きの気持ちは,余りにも痛切だ。…『小室さん米国留学』の一報は,皇室の雰囲気を一変させるに余りあるものだった」として,「知人」の談話を通して,その後,皇后さまのお考えが変わったと報じています。>

 <しかし,この問題に対する両陛下のご対応には,その後も全く変わりがありません。今も一貫して一切の発言を慎まれています。>

 <なお,日頃から両陛下と親しく,そのお気持ちをよく知る本当の「知人」であれば,このような時に,敢えて両陛下のお気持ちに立ち入ろうとしたり,匿名の「知人」として外部に自分が推測した話をするようなことは到底考えられないことです。>

 確かにそのとおりで、外部に情報を漏らすような「知人」が両陛下のすぐそばにいては困ったことだろう。

 しかしこの直後、8月に「週刊新潮」は、美智子さまが「一貫して小室さんを懐疑的にご覧になってこられた」として、小室さんの留学が公になる前には、<皇后さまは『眞子と小室さんには、それぞれ別々の新しい道を歩んでほしい』と仰っていた。>と報じた。

 

 さらに、小室さんの留学先・米フォーダム大学での「フィアンセ」取り消し騒動の際にも、<「最近の皇后さまは『小室さんとは、一体どういう方なのでしょう』としきりにこぼしておられます」>とし、<戦没者の慰霊や、被災地への訪問など、陛下と私がこれまで考え、積み重ねてきた象徴の意味を、小室さんは理解されているのかしら。新しい時代は東宮がおらず、その中で皇嗣(秋篠宮さま)の重要性というのは、想像できないほど大きいものです。その皇嗣家に連なる親戚として、あのような方(小室さん)が入ってくるというのは、到底考えられないことです>と語られた……としている。

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宮内庁が意図的に情報を……?
 眞子さまの結婚問題をめぐる、皇室と週刊誌の応酬。両陛下は沈黙を守っておられるが、秋篠宮さまが小室さんへの否定的な見方を明らかにしたことで、少なくとも「皇室は婚約破談に持ち込みたい」とする週刊誌側の論調が間違いではないことがはっきりした。

 さらに美智子さまも心を砕かれているなどと報じられれば、世間はよりいっそう小室さんへの猜疑心を強めるだろう。一部では、宮内庁が意図的に情報を流出させているとの見方もあるが……真偽は定かではない。

 いずれにせよ、眞子さまと小室さんの結婚が暗礁に乗り上げていることは、誰の目にも明らかだ。この結婚騒動がどのような着地点を探るか――世間の関心は高いが、週刊誌のゴシップも、皇室や宮内庁の意向もさておき、なによりも翻弄される眞子さまのお気持ちが心配である。

眞子さまと小室圭さんが、「納采の儀」を行う術は? 弁護士が「悩ましい点」を解説

 11月30日、秋篠宮さまがお誕生日会見にて、長女・眞子さまと小室圭さんの結婚延期騒動について言及、現状では納采の儀を行うことができないという考えを明らかにした。

昨年末、小室さんの母・佳代さんが、元婚約者A氏との間に借金トラブルを抱えていると週刊誌報道されたこと、また、小室さんが8月より国際弁護士資格取得のため、3年間米フォーダムス大学に留学することとなり、将来が不透明であること、そして何よりも、小室家サイドがそれらの問題に何の対応も取っていないことが、納采の儀を行えない理由だと世間では指摘されているが、やはり“皇室だからこそ”の諸問題がそこに関係しているのだろうか。この指摘は正しいのか、今回、皇室問題に詳しい弁護士B氏に話を聞いた。

 眞子さまと小室さんの結婚延期騒動において、国民が最も違和感を覚えているのが、借金トラブルについてだろう。佳代さんは、婚約状態にあった元婚約者A氏に、約400万円の借金があるとのこと。一時期A氏は盛んに週刊誌に登場し、借金を返してほしいと訴え、また小室家の内情を告白していた。

 世間では小室家に対し、「どうして頑なにお金を返さないのか」という疑問の声が上がっているが、小室家サイドはあくまで「贈与」と主張、またA氏は佳代さんと借用書を交わしていないと週刊誌で発言。であれば裁判に発展した際、小室家サイドが有利となるが、B氏いわく「実は、なかなか悩ましいところ」なのだという。

「元婚約者A氏が『カネを返せ』という訴訟を提起し、その中で小室家側が『借りたのではない。贈与である』と主張し、これが認められればいいのですが、小室家側から『借りたのではない。贈与である』という訴訟を提起することはできない。要するに、訴訟などをもって、小室家側から積極的に『贈与である』という証明をすることができないわけです」

 B氏は、なぜA氏が今になっても、訴訟を提起しないのか疑問を抱いているといい、「(小室家側より)A氏の素性の方が怪しいと思います」と本音を覗かせた。

 では、「納采の儀が行われないもう1つの理由」とウワサされる点についてはどうだろう。そもそも今年2月時点では、「2020年まで結婚を延期する」と発表されており、にもかかわらず、突然3年間の米留学に立った小室さんには、「2021年に帰国予定だけど、結婚はどうするつもり?」「眞子さまをアメリカに呼ぶということ?」などの指摘が飛び交い、物議を醸していた。

皇族は、必要な範囲において結婚の自由などが制限されることもある(既報)というが、将来のビジョンが見えない人物との結婚に「制限がかかる」というケースはあるのだろうか。

「そういう理由で結婚が制限されるわけではありません。秋篠宮さまは会見で『やっぱり多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは婚約にあたる納采の儀というのを行うことはできません』とご発言されましたが、これは、皇室の方の結婚だからどうのこうのというものではなく、『娘の結婚を祝ってほしい』という、父親として当然の思いの表れなのです」

 ただ、そうは言っても「一般の方とは異なり、父親も娘も皇族であるため、単に『親戚や友人に娘の結婚を祝ってほしい』というだけではなく、『多くの国民に結婚を理解してもらい、喜んでほしい』と望みがプラスされるのです」という。

 B氏いわく、秋篠宮さまの発言は「決して難しい話をしているのではない」が、一方で「こうすれば納采の儀を行える」とは、なかなか言いづらい部分があるようだ。

「正直、難しいですね。法律的な観点ではないのですが、マスコミが、母に借金問題があるなどということを取り上げるのではなく、当初のように、小室さんの真の“人となり”をしっかり報道するのなら、前に進めると考えます。かつて『美智子さまが、昭和天皇の愛した自然林を蔑ろにした』とのマスコミ報道が流れ、美智子さまがとても心を痛められたこと、また雅子さまに関する報道について、皇太子殿下が苦言を呈されたこともありました。マスコミは“皇室に入る民間の人”また“皇室の方と結婚する民間の人”を、あたかも舅や姑気取りでいじめる風潮がありますが、それをやwめればよいだけです」

 清子さまとご結婚された東京都職員・黒田慶樹さんに対しては、今回のようなバッシングが巻き上がらなかっただけに、小室家側に何の問題もないかとは言えない部分もあるが、果たして今後、この結婚延期騒動は、どのように展開していくのだろうか。眞子さま、小室さん双方にとって納得のできる結末を迎えてほしいものだが……。