少女マンガ家の世界はドロドロ!? 「美人かブスかで大揉め」「枕営業のウワサ」が勃発する裏側

 思春期の男女の甘酸っぱい恋愛ストーリーや、女子同士の友情物語、夢に向かってひた走る少女の姿を描いた作品など、多くの女の子たちに夢を与え続けている少女マンガ家たち。“女の園”であるこの業界は、一見華やかだが、実態は「ドロドロしている」という声も少なくない。有名マンガ誌に作品が掲載されても、人気が出なければ切り捨てられていく過酷な世界だけに、熾烈な競争が繰り広げられるのは当然だろうが、「女の集団という点で、いろいろと厄介な揉め事が多いんですよ」と、とある出版関係者Aさんはため息を吐く。今回は、少女マンガ家界をよく知る人たちに、知られざる業界ウラ話を聞いた。

■あのマンガ家は「美人かブスか」で大盛り上がり

 まず、話を聞かせてくれたのが、少女マンガ家を目指しているとある20代女性Bさん。数年にわたって有名誌にマンガを投稿し続け、現在はデビューに向けて、編集者に作品を見てもらっている段階だという。そんなBさんは、少女マンガ家界の“美醜問題”の根深さに興味しんしんのようだ。

「少女マンガ家って、ほかの作家の容姿の良し悪しをすごくチェックしているんです。私がよく見ている少女マンガ家に関するネット掲示板は、編集部の内部事情が語られるなど、恐らく関係者が集まっているんですが、やれあの作家が美人だブスだと大盛り上がりしていますよ。例えば、TwitterなどのSNSで、美容に関するツイートをしている少女マンガ家が監視の対象になっていて、『美人作家気取りだけど大したことない』『○○の顔を見たくてイベントに行ってきた。全然美人じゃなかった』などといったやり取りがされていたり、ある作家について『あの子は顔の可愛さで人気を得てるだけ』なんて恨み節のような書き込みもありますね。みんな本性をむき出しにしているから、面白いんですよ。男性のマンガ家さんにはあまりないことなのではないでしょうか」

 作品の面白さと、作家自身の美醜は別問題にもかかわらず、なぜ関係者の間で取り沙汰されてしまうのか。その理由について、前出の出版関係者Aさんは、「少女マンガ誌の男性編集者」の存在を指摘する。

「少女マンガ誌の編集部は、ほとんどが女性なのですが、男性もいることにはいます。作家の間では、どうやら『男性編集に推されると、作品を雑誌のいい位置に載せてもらえる』といわれているらしく、『とにかく男性編集に気に入ってもらわなければ』といった意識が芽生えるようなんです。そこで、作品の良し悪しではなく、“ルックス”が着目されてしまうというわけです」

 Aさんの弁について、Bさんも「そういった話はよく聞きます」と同意する。

「男性編集さんって、女性編集さんより、多くのマンガ家やそのたまごを抱えているイメージがあります。敵が多いからこそ、気に入られるために必死になるんです。デビュー前の子たちの間でよく話題に上がるのが、『○○さんが、編集の●●さんに飲みにつれて行ってもらったらしいよ』という話。自らTwitterで自慢する子もいて、そういうのを目にすると、やっぱりイライラしますね。そこで、『あの子は可愛いから、飲みに誘われたんじゃない?』『作品は面白くないみたいだよ』『もしかして、枕営業してるかもね』なんて話が出てきてしまうんです」(Bさん)

 男性編集をめぐって、少女マンガ家たちがにらみ合っている――マンガ家のCさんは、この事態をさらに複雑化させる要因がある、と指摘する。

「少女マンガを描いてきた女性は、現実の恋愛に疎く、男性慣れしていないタイプが多い。そのため、男性編集にアドバイスなどをもらううちに、“ガチ恋”してしまうんです。それで実際に恋愛に発展したカップルもいるというウワサも聞きますが、作家として編集者に作品を評価されたいという気持ちと、女として好かれたいという気持ちがごっちゃになって、ほかの作家に異様なまでの嫉妬心をたぎらせてしまうケースも。これはウワサで聞いた話ですが、とある少女マンガ家が担当の男性編集にネームを提出したところ、そのキャラクターがそっくりそのままその男性編集自身で、エピソードも実際にあった話だったらしく、編集部で物議を醸したことがあったとか。現実と作品の境目があいまいになってしまうなんて、もはやホラーですよね(笑)」

 こうした実情は、出版社サイドにとっても悩みの種になっているという。

「自分の経験したことをベースに作品を作るのは、何も悪いことではありません。しかしその半面、男性編集との関係性で、作家同士がいがみ合ったり、彼女たちの才能が潰れてしまうのは悲しいものです。編集サイドもその点には気をつけていかなければならないと思っています」(Aさん)

 一筋縄ではいかない少女マンガ家の世界だが、「一般社会とは一線を画す面白さもある」(Bさん)との声も。そんな中から、次代の名作が生まれることに期待したいものだ。

『東京タラレバ娘』で“説教芸”に興じる東村アキコは、愚かなお笑い芸人のようだ

3月22日に最終回を迎える『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)。ドラマの内容が話題になる中、漫画は発売当初からそのメッセージ性に対する議論が巻き起こってきました。8巻が4月に発売予定で、ドラマが最終回を迎えようとする中、同漫画について少女マンガ研究家の小田真琴が語ります。

◎女性を罰しつつ、言い訳を繰り返す東村
 筆が重いし、気も重い。東村アキコ先生のことは大好きだった。おしゃれすることの喜びに溢れた『きせかえユカちゃん』(集英社)、ウイング関先生という稀代のオタクキャラを創造した『ひまわりっ ~健一レジェンド~』(講談社)、そして最高傑作と言っても過言ではない『かくかくしかじか』(集英社)。どれもマンガ史上に残る傑作であるし、個人的にも思い出深い作品ばかりだ。ところが『東京タラレバ娘』(講談社/以下、タラレバ)と来たらどうだろう。これは女性を罰し、自己責任を押しつけ、主体性を奪うマンガではないのか。私には今の東村先生が、売れた途端にスーツをまとい、万能感を持って偉そうに世相を斬り始める愚かなお笑い芸人のように見える。

 序盤こそ強く、切れ味鋭いメッセージを次々と繰り出して、いかにも瞬発力の作家である東村先生らしい作品だと感じ入ったのだ。ところが物語が続くうちに疑問ばかりが募りゆく。それは主に卑劣なダブルスタンダードによるものだ。

 たとえばあとがき。東村先生の「おまけマンガ」と言えば、バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリスト・森下広一選手への一方的な愛を『海月姫』(講談社)1巻から3巻にわたって描いた「クラゲと私とバルセロナ」をはじめとして名作揃いなのだが、タラレバのそれにおいては醜悪な言い訳が冗長に展開される。いわく、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」とのこと。

 一方、本編では平気でこんなことを言ってのける。「30過ぎたら女は『愛する』よりも『愛される』幸せを選ぶんタラ!!」「酔って転んで男に抱えて貰うのは25歳までだろ。30代は自分で立ち上がれ。もう女の子じゃないんだよ? おたくら」「才能なんて関係ないんタラレバーッ。そうレバ、この世は金とコネと……そして女は若さと美しさタラ!!!」「女は結婚すればセコンドにまわって、旦那さんや子供をサポートしながら応援して生きていくレバ」。

 縄文人もびっくりの時代錯誤な言動である。主人公・倫子の妄想の中に現れるキャラクター・タラとレバや、ヒーロー役らしきイケメンモデル・KEYのこれらの言葉に、アラサー女性が打ちのめされるというのが本作の基本的な構図だが(一応は「女性蔑視だよ、それ」なんて反論したりもするが、その声はすぐにかき消される)、どうやら作者は「おまけマンガ」で言い訳をすれば何を言ってもいいものと勘違いしている様子だ。たとえば『キングダム』(集英社)の原泰久先生が、あとがきで「でも人殺しはよくないよ!」などと書くだろうか。あるいは、『あなたのことはそれほど』(祥伝社)のいくえみ綾先生が「不倫絶対ダメ!」などと書くだろうか。それは本編で引き受けるべき問題であり、作品のクオリティに直結する問題である。

 タラレバのメッセージらしきものの大半は明らかに女性差別であり、完全にアウトだ。しかしこうした保守反動的な言葉は、一部の読者には熱狂的に受け容れられた。「刺さる~刺さる~」と彼女らは言う。しかし彼女らは「刺さる~」と言いたいだけではないのか。作者との説教プレイに興じたいだけではないのか。それが証拠にテレビドラマの視聴率は、恋愛パートが比重を増した第7話で視聴率が2%近く下降し、1ケタ台が目前となった。

 そもそもからしてこの作品はキャラクターもストーリーも非常に弱い。さんざん引っ張ったKEYのトラウマ話も驚くほど陳腐で、世界的な映画監督とされる堂越はてっきり『メロぽんだし!』(講談社)のトミーさん的なお笑いキャラだと思ってしまったほどである。男性キャラは総じて書き割りのようで、女性キャラの生臭さとのバランスは至極悪い。

◎陳腐な色恋展開、設定間違いの雑さが目につく
 極めつきは本筋となるべき倫子とKEYの色恋沙汰である。1巻でKEYは倫子の脚本を「あまりにもご都合主義でおめでたくて、なんで30越えたおばさんがこの2人の男に一方的に言い寄られるのか、あまりにもリアリティがなさすぎだなって、そう思っちゃったんですけど」と評しているが、これは昨今のタラレバの展開にこそ当てはまる話だ。あまりにも露骨なので、もしかしたらこれが何らかの伏線になっているのかもしれないが、だからと言って展開の陳腐さが許容されるわけではない。ちなみに「ユリイカ」(青土社)平成29年3月臨時増刊号「総特集☆東村アキコ」の本人インタビューによると、KEYが「私自身の化身というか、もし自分がこういう美青年だったら、タラレバ娘たちにこう言ってただろうな、という想像で描いています」とのことである。となると、本作はなかなかに入り組んだメタ構造を抱えているということにはなる。

 細部の詰めも甘く、単行本1巻ACT1では大卒の設定だった倫子が、「KISS」3月号に掲載された「番外編 ビフォータラレバ娘」では専門卒になっていたり、「ビオのシャルドネ」がどうのこうのと言っていた早坂が、7巻ACT23ではカヴァも知らない男に成り下がっていたりと、雑な仕事ぶりが目につく。

 これらの瑕疵が悪目立ちするのは、ひとえに本作においては東村先生の最大の武器であるギャグ要素が希薄であることが原因である。決して恋愛が描けない作家ではない。『ひまわりっ ~健一レジェンド~』や『主に泣いてます』(講談社)で見せた、恋する者の感動的な愚直さは、あのギャグの奔流の中でこそ描き得たものなのだ。ところが恋愛要素だけで勝負しようとすると途端に風景は寒々しくなる。これは同時連載中の『海月姫』にも言えることであり、ラブストーリーではないものの最近作の『雪花の虎』(小学館)や『美食探偵 明智五郎』(集英社)がぱっとしない一因でもある。

 女性差別的なセリフを乱発した不愉快な前半から、陳腐なラブストーリーを物語る退屈な後半へ。現在までのタラレバを要約するならばそういうことになるだろう。どちらがマシかと言えば作者の語り口が活きていたという点において前半ではあるのだが、それすらもまどろっこしいエクスキューズのせいで相殺されている。東村先生は一体何がしたいのだろうか。

◎「刺さる~」と言いたい人だけが読めばいい
 おそらく周囲が、読者が喜んでくれるからそうしているだけなのだ。結婚や恋愛に関して一貫した強いメッセージがあるわけではない。それは「おまけマンガ」で自ら述べているとおりである。では本編のあの言葉たちは何なのかと言えば、求められるからやっただけの(おそらくは『ひまわりっ ~健一レジェンド~』の副主任をルーツとする)説教芸なのだ。その様子もやはり「おまけマンガ」で言い訳されている。1巻では東京オリンピックが決まった直後に「結婚したい」と言い始めたという周囲の女性が、2巻では本作を読んで不安になったという女性芸人たちとの交遊録が(以前はこんなもの描く人じゃなかったのに……)、4巻や7巻では結婚したいと言う女性に道端で突然声を掛けられるエピソードが描かれている。いずれも「求められて仕方なくやった」という体だ。

 余談だが、ある女友達がこんなことを言っていた。「年下の女が年上の女とコミュニケートするときって『結婚したいんです~』とか言っておくのがいちばんラクなんだよ」と。確かにそれは社会的地位も結婚歴もある年上の女性に対して、下手に出つつ、先輩を立てつつ、円滑なコミュニケーションを成立させるためのよい方法であるように思える。特に酒席においては。

 タラレバを読んで腹が立った、傷ついた、ショックを受けたという人は、どうか今すぐ読むのをやめてほしい。これはあなたたちのための物語ではない。「刺さる~」と言いたい人だけが読めば良い。これは単なる酒の席での与太話だ。それは作者が批判する「女子会」にも劣る、人を不快にさせるだけの不毛な交流である。世界にはもっとすてきなマンガがたくさんある。

 タラレバをたまたま読んで我が意を得たりとニヤついている中高年男性は、勘違いをしないでいただきたい。アラサー/アラフォー女性の現実であり総意であるかのように描かれているが、実際はそうではない。あなた方が周囲の女性とうまくコミュニケートできないのだとしたら、それは女性の側の問題ではなく、あなたの雑な現状認識に起因するものだ。

 マンガはマジョリティのエンタテインメントでありコミュニケーションツールであると同時に、はぐれ者たちにとっての自由の王国でもある。かつて『ひまわりっ ~健一レジェンド~』ではぐれ者たちの底抜けに楽しい日々を描いたのは、ほかならぬ東村先生ではなかったか。他者の生を罰し、毀損し、自由に対して制限をかけようとするマンガを、私は心底軽蔑する。今後タラレバが自己肯定と自由のマンガとなるわずかばかりの可能性を願いつつ、筆を置く。

小田真琴
(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中。

『東京タラレバ娘』で“説教芸”に興じる東村アキコは、愚かなお笑い芸人のようだ

3月22日に最終回を迎える『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)。ドラマの内容が話題になる中、漫画は発売当初からそのメッセージ性に対する議論が巻き起こってきました。8巻が4月に発売予定で、ドラマが最終回を迎えようとする中、同漫画について少女マンガ研究家の小田真琴が語ります。

◎女性を罰しつつ、言い訳を繰り返す東村
 筆が重いし、気も重い。東村アキコ先生のことは大好きだった。おしゃれすることの喜びに溢れた『きせかえユカちゃん』(集英社)、ウイング関先生という稀代のオタクキャラを創造した『ひまわりっ ~健一レジェンド~』(講談社)、そして最高傑作と言っても過言ではない『かくかくしかじか』(集英社)。どれもマンガ史上に残る傑作であるし、個人的にも思い出深い作品ばかりだ。ところが『東京タラレバ娘』(講談社/以下、タラレバ)と来たらどうだろう。これは女性を罰し、自己責任を押しつけ、主体性を奪うマンガではないのか。私には今の東村先生が、売れた途端にスーツをまとい、万能感を持って偉そうに世相を斬り始める愚かなお笑い芸人のように見える。

 序盤こそ強く、切れ味鋭いメッセージを次々と繰り出して、いかにも瞬発力の作家である東村先生らしい作品だと感じ入ったのだ。ところが物語が続くうちに疑問ばかりが募りゆく。それは主に卑劣なダブルスタンダードによるものだ。

 たとえばあとがき。東村先生の「おまけマンガ」と言えば、バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリスト・森下広一選手への一方的な愛を『海月姫』(講談社)1巻から3巻にわたって描いた「クラゲと私とバルセロナ」をはじめとして名作揃いなのだが、タラレバのそれにおいては醜悪な言い訳が冗長に展開される。いわく、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」とのこと。

 一方、本編では平気でこんなことを言ってのける。「30過ぎたら女は『愛する』よりも『愛される』幸せを選ぶんタラ!!」「酔って転んで男に抱えて貰うのは25歳までだろ。30代は自分で立ち上がれ。もう女の子じゃないんだよ? おたくら」「才能なんて関係ないんタラレバーッ。そうレバ、この世は金とコネと……そして女は若さと美しさタラ!!!」「女は結婚すればセコンドにまわって、旦那さんや子供をサポートしながら応援して生きていくレバ」。

 縄文人もびっくりの時代錯誤な言動である。主人公・倫子の妄想の中に現れるキャラクター・タラとレバや、ヒーロー役らしきイケメンモデル・KEYのこれらの言葉に、アラサー女性が打ちのめされるというのが本作の基本的な構図だが(一応は「女性蔑視だよ、それ」なんて反論したりもするが、その声はすぐにかき消される)、どうやら作者は「おまけマンガ」で言い訳をすれば何を言ってもいいものと勘違いしている様子だ。たとえば『キングダム』(集英社)の原泰久先生が、あとがきで「でも人殺しはよくないよ!」などと書くだろうか。あるいは、『あなたのことはそれほど』(祥伝社)のいくえみ綾先生が「不倫絶対ダメ!」などと書くだろうか。それは本編で引き受けるべき問題であり、作品のクオリティに直結する問題である。

 タラレバのメッセージらしきものの大半は明らかに女性差別であり、完全にアウトだ。しかしこうした保守反動的な言葉は、一部の読者には熱狂的に受け容れられた。「刺さる~刺さる~」と彼女らは言う。しかし彼女らは「刺さる~」と言いたいだけではないのか。作者との説教プレイに興じたいだけではないのか。それが証拠にテレビドラマの視聴率は、恋愛パートが比重を増した第7話で視聴率が2%近く下降し、1ケタ台が目前となった。

 そもそもからしてこの作品はキャラクターもストーリーも非常に弱い。さんざん引っ張ったKEYのトラウマ話も驚くほど陳腐で、世界的な映画監督とされる堂越はてっきり『メロぽんだし!』(講談社)のトミーさん的なお笑いキャラだと思ってしまったほどである。男性キャラは総じて書き割りのようで、女性キャラの生臭さとのバランスは至極悪い。

◎陳腐な色恋展開、設定間違いの雑さが目につく
 極めつきは本筋となるべき倫子とKEYの色恋沙汰である。1巻でKEYは倫子の脚本を「あまりにもご都合主義でおめでたくて、なんで30越えたおばさんがこの2人の男に一方的に言い寄られるのか、あまりにもリアリティがなさすぎだなって、そう思っちゃったんですけど」と評しているが、これは昨今のタラレバの展開にこそ当てはまる話だ。あまりにも露骨なので、もしかしたらこれが何らかの伏線になっているのかもしれないが、だからと言って展開の陳腐さが許容されるわけではない。ちなみに「ユリイカ」(青土社)平成29年3月臨時増刊号「総特集☆東村アキコ」の本人インタビューによると、KEYが「私自身の化身というか、もし自分がこういう美青年だったら、タラレバ娘たちにこう言ってただろうな、という想像で描いています」とのことである。となると、本作はなかなかに入り組んだメタ構造を抱えているということにはなる。

 細部の詰めも甘く、単行本1巻ACT1では大卒の設定だった倫子が、「KISS」3月号に掲載された「番外編 ビフォータラレバ娘」では専門卒になっていたり、「ビオのシャルドネ」がどうのこうのと言っていた早坂が、7巻ACT23ではカヴァも知らない男に成り下がっていたりと、雑な仕事ぶりが目につく。

 これらの瑕疵が悪目立ちするのは、ひとえに本作においては東村先生の最大の武器であるギャグ要素が希薄であることが原因である。決して恋愛が描けない作家ではない。『ひまわりっ ~健一レジェンド~』や『主に泣いてます』(講談社)で見せた、恋する者の感動的な愚直さは、あのギャグの奔流の中でこそ描き得たものなのだ。ところが恋愛要素だけで勝負しようとすると途端に風景は寒々しくなる。これは同時連載中の『海月姫』にも言えることであり、ラブストーリーではないものの最近作の『雪花の虎』(小学館)や『美食探偵 明智五郎』(集英社)がぱっとしない一因でもある。

 女性差別的なセリフを乱発した不愉快な前半から、陳腐なラブストーリーを物語る退屈な後半へ。現在までのタラレバを要約するならばそういうことになるだろう。どちらがマシかと言えば作者の語り口が活きていたという点において前半ではあるのだが、それすらもまどろっこしいエクスキューズのせいで相殺されている。東村先生は一体何がしたいのだろうか。

◎「刺さる~」と言いたい人だけが読めばいい
 おそらく周囲が、読者が喜んでくれるからそうしているだけなのだ。結婚や恋愛に関して一貫した強いメッセージがあるわけではない。それは「おまけマンガ」で自ら述べているとおりである。では本編のあの言葉たちは何なのかと言えば、求められるからやっただけの(おそらくは『ひまわりっ ~健一レジェンド~』の副主任をルーツとする)説教芸なのだ。その様子もやはり「おまけマンガ」で言い訳されている。1巻では東京オリンピックが決まった直後に「結婚したい」と言い始めたという周囲の女性が、2巻では本作を読んで不安になったという女性芸人たちとの交遊録が(以前はこんなもの描く人じゃなかったのに……)、4巻や7巻では結婚したいと言う女性に道端で突然声を掛けられるエピソードが描かれている。いずれも「求められて仕方なくやった」という体だ。

 余談だが、ある女友達がこんなことを言っていた。「年下の女が年上の女とコミュニケートするときって『結婚したいんです~』とか言っておくのがいちばんラクなんだよ」と。確かにそれは社会的地位も結婚歴もある年上の女性に対して、下手に出つつ、先輩を立てつつ、円滑なコミュニケーションを成立させるためのよい方法であるように思える。特に酒席においては。

 タラレバを読んで腹が立った、傷ついた、ショックを受けたという人は、どうか今すぐ読むのをやめてほしい。これはあなたたちのための物語ではない。「刺さる~」と言いたい人だけが読めば良い。これは単なる酒の席での与太話だ。それは作者が批判する「女子会」にも劣る、人を不快にさせるだけの不毛な交流である。世界にはもっとすてきなマンガがたくさんある。

 タラレバをたまたま読んで我が意を得たりとニヤついている中高年男性は、勘違いをしないでいただきたい。アラサー/アラフォー女性の現実であり総意であるかのように描かれているが、実際はそうではない。あなた方が周囲の女性とうまくコミュニケートできないのだとしたら、それは女性の側の問題ではなく、あなたの雑な現状認識に起因するものだ。

 マンガはマジョリティのエンタテインメントでありコミュニケーションツールであると同時に、はぐれ者たちにとっての自由の王国でもある。かつて『ひまわりっ ~健一レジェンド~』ではぐれ者たちの底抜けに楽しい日々を描いたのは、ほかならぬ東村先生ではなかったか。他者の生を罰し、毀損し、自由に対して制限をかけようとするマンガを、私は心底軽蔑する。今後タラレバが自己肯定と自由のマンガとなるわずかばかりの可能性を願いつつ、筆を置く。

小田真琴
(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中。

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしい」80歳女性が家出する漫画で描きたかったこと

 現在、日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入している。かつては家族の支えによって人生を全うできたものだが、昨今の少子化や核家族化によって、年老いて独りぼっちの生活を強いられる高齢者が少なからず存在する。それゆえ、“高齢者の文脈”を物語るときは、悲しさや苦しさが強調されがちだ。

 しかし、御年80歳でひ孫もいる女性が主人公の漫画『傘寿まり子』(講談社)は違う。高齢者の“希望”を感じ取れる物語だ。主人公・幸田まり子は80歳にして、ベテラン作家として活躍中。息子夫婦、孫夫婦と3世帯で暮らすなかで、住居問題が勃発、老人の自分には居場所がないことを感じ、一人家出を決意する――という一見すると切なそうなストーリーなのだが、恋もすれば、ネットカフェにも泊まる、まり子の、いきいきとした姿が描かれている。

 著者は、父親の過酷なシベリア抑留体験を描いた『凍りの掌』(同)、太平洋戦争末期を生き抜く少女の暮らしから戦争を見つめる『あとかたの街』(同)の両作品で、第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した、おざわゆきさん。戦争というテーマを通して、人間の不条理さをあぶり出してきたおざわさんが、なぜいま80歳の女性を描こうと思ったのか、その背景を聞いた。

■年を取るのは、もう自分が中心には戻れないということ

「母が高齢に差し掛かり、自分より上の年代の人を身近に感じるようになりました。皆さん、とても元気なので、華やかな部分をクローズアップしたら面白いんじゃないかなと思ったんです。作品を描く上で、現実に起こったことを描こうとすると、どうしても読者に問題を提起しがちなのですが、そうではなく、もう少し思考を先に進めて、『そんな人見たことない、でも、いるかもしれない』というような物語を描きたいなと思いました」 (おざわさん、以下同)

 綿密な取材をもとに描写した作品が評価されてきたおざわさんだが、『傘寿まり子』を手掛けるにあたっては、これまでとは少し異なるアプローチをしたという。

「ニュースで高齢者の金銭問題、子どもとの関係などは積極的に見ましたが、取材はあまりしていません。そうしたトピックはあくまでもエッセンスでしかなく、80歳の女性が家出をして、新しい暮らしを始めて、猫のクロちゃんと出会い、希望を見いだす、これまで挑戦したことがないテーマを創作してみたい一心で描きましたね」

 自分のことを気にかけてくれる家族とひとつ屋根の下に住んでいても、孤独感を拭い去れずにいたまり子。そこに追い打ちをかけるように持ち上がった家の建て替え問題。自分(まり子)の部屋をどうするか、家族が頭を悩ませている姿は、当事者だけではなく、高齢の親を抱える家族の視点に立って共感させられる人も多いのではないだろうか。

「まり子さんは『おばあちゃんの部屋がない』という感じで扱われて、やっぱりずっと自分が親として中心にいたところから、だんだんとズレてきてしまっているんだな……と実感してしまいます。“もういらない人”になってしまう。年を取るということは、結局、もう現役に戻ることはできないということなんですね。自分が中心に戻ることはできない。でもそこで『人間をやめます』と言ってやめることもできない。そこでどう折り合いをつけていくかっていうところですよね。そこが一番の問題ではないでしょうか」

■“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかった

 “いくつになっても若々しく、自分らしく生きればいい”と言うのは簡単だが、老いは本人にとっても周囲にとっても、そう単純なものではない。

「年を取ってから、人間関係や自分を取り巻く環境を積極的に変えていけるかというと、そういう機会もどんどん減って、突き詰めると絶望的な気持ちになってしまう。やはり体力がどんどん落ちていくわけですから、もう1回人生を生き直すことも難しくなって、『もう私はこれ以上動けない、この場所から動けないんじゃないか、この先悪くなる一方じゃないか』という気持ちにもなりやすいのではないでしょうか。

 また、本当は弱ってきているはずの高齢者の数が増え過ぎたことによって、あまりにも社会的に負担が大きく、それを受け入れられない社会になってきてしまっているのではないかなと思います。支えようと思っても、支える側も経済的に弱く、受け皿になれなくなってきている状態です。これについてどうすればいいのか、答えは見つけられていません。どうしたらいいのかな……って思います」

 こうした問題を考え始めたら“暗くなる”というおざわさん。しかし、気持ちだけでも「“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかったんです」と語る。

「読者は30代後半から50代の方が多いようで、『将来どうしようかと思ったけど、こういうおばちゃんになれたらいいな』という反響もいただいています。親のことを思うと身につまされるし、自分自身の老後のロールモデルを求めている方には、響く内容なのではないかと思います。心のどこかで『なんとかしなくては』って思っていても、ちょっと目を背けていたところもあり、普段あまり漫画と関係ない人たちが手に取ってくださっているようです」

■老いを恥じる必要はない

 ヒロインのまり子は、80歳でひ孫もいるが、現役の作家でもある。家出後に宿泊するネットカフェで読んだ漫画に触発されて作品を書き上げたり、初恋の相手にときめいたりと、とてもチャーミングで悲壮感とは縁遠いキャラクターとして描かれている。

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしいなと思って描きました。また、おばあちゃんとおじいちゃんの恋愛って、枯れた感じでなくてもいいんじゃないかなと思います。微笑ましくて、ほのぼのする感じ。よく高齢者の恋愛物語って、どっちかが死ぬとか、人生に深く関わりがあるような感じになってきますが、そうじゃなくて、自分がその立場になった時に、そこまで思うかっていうと、意外に思わないんじゃないかなって気がします」

 最後に、誰しもが避けられない“老い”を迎えるにあたって、おざわさんなりの心構えを聞いてみた。

「誰も、うまく生きることなんてできません。カッコ悪いとか寂しいとか思っても、老いは自分だけのことではないので、恥じる必要はないと思います。また新しい何かを受け入れるということに対して、かたくなにならないで、人の話を聞くことが大事だと思います。お互いに、相手の話を聞けるような気持ちでいたらいい。世の中は、いろんな細かいことが少しずつ変わっていって、気がついたら全部変わっているってことがよくあるので、年を取ることを悲観しないで、少しずつ受け入れて、自分だけの楽しみを持つことですね」
(末吉陽子)

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしい」80歳女性が家出する漫画で描きたかったこと

 現在、日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入している。かつては家族の支えによって人生を全うできたものだが、昨今の少子化や核家族化によって、年老いて独りぼっちの生活を強いられる高齢者が少なからず存在する。それゆえ、“高齢者の文脈”を物語るときは、悲しさや苦しさが強調されがちだ。

 しかし、御年80歳でひ孫もいる女性が主人公の漫画『傘寿まり子』(講談社)は違う。高齢者の“希望”を感じ取れる物語だ。主人公・幸田まり子は80歳にして、ベテラン作家として活躍中。息子夫婦、孫夫婦と3世帯で暮らすなかで、住居問題が勃発、老人の自分には居場所がないことを感じ、一人家出を決意する――という一見すると切なそうなストーリーなのだが、恋もすれば、ネットカフェにも泊まる、まり子の、いきいきとした姿が描かれている。

 著者は、父親の過酷なシベリア抑留体験を描いた『凍りの掌』(同)、太平洋戦争末期を生き抜く少女の暮らしから戦争を見つめる『あとかたの街』(同)の両作品で、第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した、おざわゆきさん。戦争というテーマを通して、人間の不条理さをあぶり出してきたおざわさんが、なぜいま80歳の女性を描こうと思ったのか、その背景を聞いた。

■年を取るのは、もう自分が中心には戻れないということ

「母が高齢に差し掛かり、自分より上の年代の人を身近に感じるようになりました。皆さん、とても元気なので、華やかな部分をクローズアップしたら面白いんじゃないかなと思ったんです。作品を描く上で、現実に起こったことを描こうとすると、どうしても読者に問題を提起しがちなのですが、そうではなく、もう少し思考を先に進めて、『そんな人見たことない、でも、いるかもしれない』というような物語を描きたいなと思いました」 (おざわさん、以下同)

 綿密な取材をもとに描写した作品が評価されてきたおざわさんだが、『傘寿まり子』を手掛けるにあたっては、これまでとは少し異なるアプローチをしたという。

「ニュースで高齢者の金銭問題、子どもとの関係などは積極的に見ましたが、取材はあまりしていません。そうしたトピックはあくまでもエッセンスでしかなく、80歳の女性が家出をして、新しい暮らしを始めて、猫のクロちゃんと出会い、希望を見いだす、これまで挑戦したことがないテーマを創作してみたい一心で描きましたね」

 自分のことを気にかけてくれる家族とひとつ屋根の下に住んでいても、孤独感を拭い去れずにいたまり子。そこに追い打ちをかけるように持ち上がった家の建て替え問題。自分(まり子)の部屋をどうするか、家族が頭を悩ませている姿は、当事者だけではなく、高齢の親を抱える家族の視点に立って共感させられる人も多いのではないだろうか。

「まり子さんは『おばあちゃんの部屋がない』という感じで扱われて、やっぱりずっと自分が親として中心にいたところから、だんだんとズレてきてしまっているんだな……と実感してしまいます。“もういらない人”になってしまう。年を取るということは、結局、もう現役に戻ることはできないということなんですね。自分が中心に戻ることはできない。でもそこで『人間をやめます』と言ってやめることもできない。そこでどう折り合いをつけていくかっていうところですよね。そこが一番の問題ではないでしょうか」

■“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかった

 “いくつになっても若々しく、自分らしく生きればいい”と言うのは簡単だが、老いは本人にとっても周囲にとっても、そう単純なものではない。

「年を取ってから、人間関係や自分を取り巻く環境を積極的に変えていけるかというと、そういう機会もどんどん減って、突き詰めると絶望的な気持ちになってしまう。やはり体力がどんどん落ちていくわけですから、もう1回人生を生き直すことも難しくなって、『もう私はこれ以上動けない、この場所から動けないんじゃないか、この先悪くなる一方じゃないか』という気持ちにもなりやすいのではないでしょうか。

 また、本当は弱ってきているはずの高齢者の数が増え過ぎたことによって、あまりにも社会的に負担が大きく、それを受け入れられない社会になってきてしまっているのではないかなと思います。支えようと思っても、支える側も経済的に弱く、受け皿になれなくなってきている状態です。これについてどうすればいいのか、答えは見つけられていません。どうしたらいいのかな……って思います」

 こうした問題を考え始めたら“暗くなる”というおざわさん。しかし、気持ちだけでも「“もしかしたら、うまくいくんじゃないか”と思ってもらえるような話を描きたかったんです」と語る。

「読者は30代後半から50代の方が多いようで、『将来どうしようかと思ったけど、こういうおばちゃんになれたらいいな』という反響もいただいています。親のことを思うと身につまされるし、自分自身の老後のロールモデルを求めている方には、響く内容なのではないかと思います。心のどこかで『なんとかしなくては』って思っていても、ちょっと目を背けていたところもあり、普段あまり漫画と関係ない人たちが手に取ってくださっているようです」

■老いを恥じる必要はない

 ヒロインのまり子は、80歳でひ孫もいるが、現役の作家でもある。家出後に宿泊するネットカフェで読んだ漫画に触発されて作品を書き上げたり、初恋の相手にときめいたりと、とてもチャーミングで悲壮感とは縁遠いキャラクターとして描かれている。

「年を取っていても、可愛いさや恥じらい、品位はほしいなと思って描きました。また、おばあちゃんとおじいちゃんの恋愛って、枯れた感じでなくてもいいんじゃないかなと思います。微笑ましくて、ほのぼのする感じ。よく高齢者の恋愛物語って、どっちかが死ぬとか、人生に深く関わりがあるような感じになってきますが、そうじゃなくて、自分がその立場になった時に、そこまで思うかっていうと、意外に思わないんじゃないかなって気がします」

 最後に、誰しもが避けられない“老い”を迎えるにあたって、おざわさんなりの心構えを聞いてみた。

「誰も、うまく生きることなんてできません。カッコ悪いとか寂しいとか思っても、老いは自分だけのことではないので、恥じる必要はないと思います。また新しい何かを受け入れるということに対して、かたくなにならないで、人の話を聞くことが大事だと思います。お互いに、相手の話を聞けるような気持ちでいたらいい。世の中は、いろんな細かいことが少しずつ変わっていって、気がついたら全部変わっているってことがよくあるので、年を取ることを悲観しないで、少しずつ受け入れて、自分だけの楽しみを持つことですね」
(末吉陽子)

どん底・絶望・依存の果ての「希望」とは? 高浜寛『SAD GiRL』の残酷で美しい世界

女子マンガ研究家の小田真琴です。マンガ大国・日本においては、毎月1000冊前後ものマンガが刊行されています。その中から一般読者が「なんかおもしろいマンガ」を探し当てるのは至難のワザ。この記事があなたの「なんかおもしろいマンガ」探しの一助になれば幸いであります。前編では昨今の話題にからめたマンガをご紹介します。

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『SAD GiRL』(リイド社)

◎高浜寛『SAD GiRL』の美しさ

 今さらあらためて語るまでもなく、薬物依存は恐ろしいものであります。元プロ野球選手の一件はもちろん衝撃的ではありましたが、しかしおそらく彼が薬物に手を出す以前に彼の人生は変調を来していたはずであり、そして依存症は狂い始めた人生をますます狂わせていきます。

 人生がうまく回っていないとき、人はたいてい何かに依存しているものです。それはアルコールかもしれないし、睡眠導入剤かもしれないし、違法な薬物かもしれない。あるいはセックスかもしれないし、宗教かもしれないし、人間関係かもしれない。隙あらば人はあらゆるもの/ことに依存します。高浜寛先生の『SAD GiRL』(リイド社)はそんな依存症の見本市のような作品。閉塞感に満ちたこの物語は読んでいて決して心地の良いものではありませんが、しかし読後のこのカタルシスときたらどうでしょう。

 主婦・村上詩織は睡眠導入剤の過剰摂取により病院に救急搬送され、そして翌日家を出ました。友人やかつての恋人の部屋に転がり込んでは、そのたびにより深い泥沼にはまり込み、やがて逃げ道を失います。ついには忌み嫌っていた実家へと帰るのですが、そこには相も変わらずカルト宗教に熱中する過干渉な母親がいるだけでした。

 この世界では誰もがすることなすことうまく行かずに、何かに依存することでやっとのこと生きています。読むうちに私は自分の人生がうまく回っていなかった頃のことを思い出して、とてもつらい気持ちになりました。なぜに高浜先生はこうまで苛烈な物語を描かねばならなかったのでしょうか?

 それは何よりも「希望」を描きたかったからに他なりません。真に強度のある希望は消去法によってしか得られないからです。真っ白な紙を、ああでもない、こうでもないと塗り潰した果てに、かすかに残った白い点。それこそが希望です。そして絶望をくぐり抜けてきた希望は、薄っぺらで根拠のないポジティブなだけのベッキー的な何かとはまったく性質を異にするものです。

 物語の後半、母親から逃れて思い出の地、阿蘇山へと向かった詩織は、そこで亡き父の幻影と語り合います。「ほらごらん詩織、雄大だねぇ。すごいねぇ。こんな景色があるなんて」「怖い…」「さぁ詩織、一人で立つ練習をしよう」「いや! やだ、怖いよ!!」「パパもできる事ならずぅっと詩織を抱っこしててあげたいんだ。でももうすぐできなくなる」「何で…?」「見て」と父が視線を遣る先には、父の葬式で泣き崩れる母の姿。「ママ…」「一人で立つんだ、自分の足で、人との関係や物に依存せずに。本当は詩織にも分かっているはずだよ。いつかは卒業しなきゃいけないんだ」「いやだパパ、行かないで!! やろうとしてもいつもダメなの。一人でなんて立てないよ!」。依存の泥沼から抜ける道はただ1つしかありません。それは1人で立って歩くことです。

 詩織の冒険は直後に悲劇的かつ喜劇的な結末を迎えるのですが、物語はさらに二転三転します。そこは実際に読んでいただくとして、一度はほっとさせておきながら、最後の最後にもっとも厄介な人の心の闇を垣間見せるストーリーテリングは、残酷ですが巧みです。何も終わってはいませんし、何も解決しません。しかしこの先にあるのは間違いなく希望。「生きていこう。まるで一度も挫折したことがないかのように」――『SAD GiRL』は、絶望のどん底からかすかに仰ぎ見える一筋の光を描いた、世にも美しい作品であるのです。

 表題作ほか4編を収録。国内外で高い評価を受ける短編作家、高浜先生の面目躍如であります。新境地を開拓しつつある同時発売の長編『ニュクスの角灯』|(リイド社)も併せてぜひ。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中

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<p>女子マンガ研究家の小田真琴です。太洋社の「コミック発売予定一覧」によりますと、たとえば2015年2月には978点ものマンガが刊行されています。その中から一般読者が「なんかおもしろいマンガ」を探し当てるのは至難のワザ。この記事があなたの「なんかおもしろいマンガ」探しの一助になれば幸いであります。後編は単行本。2月のオススメと3月の注目作をご紹介します。</p>