クセが強すぎる! 昭和のレジェンドレスラーを描く『プロレススーパースター列伝』とは?

 みなさんは、プロレスはお好きでしょうか? 40代、あるいは30代の男子なら、青春時代に一度はプロレスにハマった経験があるのではないでしょうか? 児童館でウエスタンラリアットやバックドロップ、コブラツイストに四の字固めなどを掛け合って瀕死になったのも、今はいい思い出です。あっ、今、技の掛け合いをしている子どもたち! 四の字固めをやられると本当にしばらく歩けなくなるから要注意な!!

 近年、プ女子と呼ばれる女性ファンを中心に、プロレスブームが再び復活の兆しがあるというニュースをチラホラ見かけるようになり、思わずうれしくなってしまったのですが、僕らがハマっていた1980年代のプロレスブームは、本当にすごかった。ジャイアント馬場の全日本プロレスにアントニオ猪木の新日本プロレスという、野球でいえばセ・パに相当する2大団体の存在。ファンの度肝を抜いた初代タイガーマスクの登場、そしてゴールデンタイムのTV中継、東スポの見出しが毎日のようにプロレスネタなどなど……実にいい時代でした。

 本日はそんなオールドプロレスファンの美化しきった思い出に、さらにブーストをかけてくれるであろうプロレスマンガの名作をご紹介したいと思います。その名も『プロレススーパースター列伝』(講談社漫画文庫ほか)。

『プロレススーパースター列伝』は巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスクの故・梶原一騎先生が原作、作画が原田久仁信先生。以前ご紹介した『男の星座』(日本文芸社ほか)も、このコンビの作品でした。

 いわゆる馬場・猪木による昭和プロレス全盛の時代に活躍したプロレスラーたちが、いかにして成り上がっていったかを紹介する伝記的作品なのですが、出てくるレスラーがことごとくキャラが濃いのです。そしてクセの強さが尋常じゃない。まあプロレスラーってキャラが濃くてなんぼのところがありますけど、それにしても限度があります。あり得ないほどのヤバイエピソードと名言の数々……久しぶりに読み返したら、面白すぎて震えが止まらなくなりました。

 作品中で紹介されているプロレスラーは、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェット・シン、ジャイアント馬場とアントニオ猪木、初代タイガーマスク、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディなどなど……いずれもレジェンド級の名レスラーばかりです。オススメは、「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーが出てくるエピソード。本作品に出てくるレスラーは例外なく口が悪く、面白名ゼリフのオンパレードになっていますが、ブッチャーとブルーザー・ブロディのリング上での言い合いはもう最高です。

「きさまもステーキになりてえか!?」

「黒ブタがトンカツになりやがれ!!」

 ブッチャーはその巨体のため仕方ないのですが、とにかくかわいそうなぐらい黒ブタネタでイジられまくります。ブラックタイガーとの舌戦もすごいです。

「黒ブタ風情が黒いトラに対してでかい口をきくな!」

「あッ、いった、いった、ミーが一番トサカにくることを──!」

 ブタなのにトサカにくるとか……そんな面白い言い回し、実際は絶対言ってないと思うんですが、梶原先生のセンスで面白おかしく脚色されてます。

「インドの狂虎」と呼ばれるタイガー・ジェット・シンも、文字通りクレイジー。有名なエピソードとしては、「新宿伊勢丹路上乱闘事件」というのがありまして、アントニオ猪木と当時の奥さん、倍賞美津子が夫婦でショッピングをしていたところ、タイガー・ジェット・シンとその手下たちが襲いかかり、猪木をボコボコに、通行人が通報したためパトカー数台が出動して大騒ぎ、というガチの暴力事件がありました。その辺のエピソードも、しっかりマンガ化されています。

「ヘイッイノキ!! 大事な美人ワイフの目のまえでぶざまにブチのめしてやるぜ!」

「おまえは狂人か!?」

 こんなセリフのやり取りがあったのです。たとえ演出だったとしても、今だったらほんとに逮捕されそうでシャレになってません。当時のなんでもありなプロレスの雰囲気を象徴している事件といえます。

 本作品で大きくフィーチャーされている、初代タイガーマスクのエピソードも演出過剰すぎて目が離せません。タイガーマスクはデビュー前、メキシコの秘密養成所でプロレス修行を積んでおり、火の輪くぐりをしたり、マットが鉄板で電流が流れている、そんなリングでスパーリングしたり、ガラスの破片がちりばめられたサンドバッグでキックの練習をしたり、トゲのついたバーベルを持ち上げたり……などの拷問スレスレの特訓をして強くなったと紹介されています。今考えると、ほぼ原作マンガ『タイガーマスク』(講談社)の悪役レスラー養成機関「虎の穴」のエピソードと一緒で、あまりに出来すぎなのですが、連載当時、少年だった僕は、プロレスは100%リアルガチな格闘技だと思っていましたので、このマンガに描かれていることもすべて真実だと思って信じ切っていました。

 プロレスといえば、スポーツなのかショーなのか、格闘技なのかエンタメなのか、ガチなのか八百長なのかというグレーゾーンな議論が必ず付きまとっていたのですが、2001年に元新日本プロレスのレフリー・ミスター高橋氏が書いた暴露本『流血の魔術 最強の演技』(講談社+α文庫)で、すべて勝敗がはじめっから決まっているショーであることが明らかにされ、今までプロレスのグレーだった部分がクロで確定してしまったのです。

 これは僕らのように、薄々感づきながらもプロレスを格闘技だと信じ続けていたファンにとって、かなり衝撃的なことでした。と同時に『プロレススーパースター列伝』に書いてあったこともウソッパチだらけだったんだなあと、気づかされたものです。

 何しろ、作品中でアントニオ猪木が「だれも八百長などと疑わぬ、実力が全ての過激な新日本プロレス」って、思いっきり書いてますからね。

 とまあ、そういう経緯があり、プロレスはエンタメであると踏まえた上で改めて読んでみても、やっぱり『プロレススーパースター列伝』には色あせない面白さがあります。登場キャラが魅力的すぎるんですよね。この作品を読んだ後に、『流血の魔術 最強の演技』を併せて読むと、マンガでいかにも真実であるかのように描かれている伝説がことごとく否定されており、これはこれで非常に味わい深く楽しめますよ。
(文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから

ありそでなかった“スマホならでは”の表現手法「偶然の出会い」から生まれた『あげさげコミック』に注目!

 スマホを上に上げると「テンションの上がる」ストーリーに、スマホを下に下げると「テンションの下がる」ストーリーに展開していく。そんな、スマホが普及する現代ならではといえるWebコミック『あげさげコミック』が注目を集めている。

 使われている技術は、すでに普及しているもの。でも、誰も今までこんな使い方があるとは気づかなかった!! そんな声が聞こえてきそうなマンガ表現のイノベーションを生み出した制作者に話を聞いた。

『あげさげコミック』は漫画・デザインを担当する、藤井マリーさん、音楽担当の馬道まさたかさん。マークアップ・フロントエンド担当のやまだだいきさんの3人の共同製作で生まれたものだ。

 現在公開されているストーリーは、藤井さんの執筆した「おーえる子のお昼休み」。音楽と共に進むストーリーは、前述の通りスマホを上げると幸せな方向へ。下げると、ちょっと落ち込む方向へと流れていく。

 ただ、下げたといってもバッドエンドではなく、ちゃんと前向きになることはできる。

 いわば、一服の清涼剤ともいえる物語だ。

 もともとリリースをしたのが1年ほど前。それが今年10月、藤井さんが「コンペにでも出そうか」とTogetterにまとめたところ、にわかに注目を集めたという経緯である。

 そんな『あげさげコミック』が生まれたのは、文字通り偶然が重なった人の出会いから。

 製作陣の3人は、同じWebコンテンツを制作する会社のメンバーなのである。

「私はWebデザイナー、2人はエンジニアなんです。2年ほど前ですが、社内でハッカソン(ソフトウェア業界で頻繁に行われている開発イベント)があった時に、馬道とペアになったんです。その時のテーマが<10年後にも見られるコンテンツ>でした。そこで、生まれたのが現在公開しているもののプロトタイプ版だったんです」(藤井さん)

 でも、それがコンテンツを表現し、制作したいという2人の心に火をつけた。「もっとちゃんとしたものがつくりたい」と思った2人は、やまださんも誘い本格的な制作に乗り出した。

 こうして、Web業界らしくスケジュールもちゃんと引いて、タスク管理をした上で2カ月あまりの期間を経て『あげさげコミック』は生まれたというわけである。

 この『あげさげコミック』。前述のように、技術面だけでなく描かれている作品自体が魅力的。

 アーティストとしても活躍している藤井さんの独特のタッチが、非常に新鮮なのである。

 もともと、美大で大学院まで進み絵画を専攻。「私以外の同級生は、みんな美術家になった」という藤井さんは言う。

「より多くの人にスキマ時間に楽しんでもらえる作品を描きたいと思っているんです。自分の作品を、もっと日常でアウトプットしていけたらいいですね」

 取材で感じたのは制作陣3人のツーカーな雰囲気。アーティストでもある藤井さんは『あげさげコミック』の制作にあたっては率直な「レビュー」、いわばダメ出しをされる場面もあった。

 でも、それも「初めての体験なので、面白かった」と笑う。

 気の合う者同士で集まって、ひとつの作品を仕上げていく。その雰囲気自体が、一服の清涼剤のように感じられた。
(文=昼間たかし)

ありそでなかった“スマホならでは”の表現手法「偶然の出会い」から生まれた『あげさげコミック』に注目!

 スマホを上に上げると「テンションの上がる」ストーリーに、スマホを下に下げると「テンションの下がる」ストーリーに展開していく。そんな、スマホが普及する現代ならではといえるWebコミック『あげさげコミック』が注目を集めている。

 使われている技術は、すでに普及しているもの。でも、誰も今までこんな使い方があるとは気づかなかった!! そんな声が聞こえてきそうなマンガ表現のイノベーションを生み出した制作者に話を聞いた。

『あげさげコミック』は漫画・デザインを担当する、藤井マリーさん、音楽担当の馬道まさたかさん。マークアップ・フロントエンド担当のやまだだいきさんの3人の共同製作で生まれたものだ。

 現在公開されているストーリーは、藤井さんの執筆した「おーえる子のお昼休み」。音楽と共に進むストーリーは、前述の通りスマホを上げると幸せな方向へ。下げると、ちょっと落ち込む方向へと流れていく。

 ただ、下げたといってもバッドエンドではなく、ちゃんと前向きになることはできる。

 いわば、一服の清涼剤ともいえる物語だ。

 もともとリリースをしたのが1年ほど前。それが今年10月、藤井さんが「コンペにでも出そうか」とTogetterにまとめたところ、にわかに注目を集めたという経緯である。

 そんな『あげさげコミック』が生まれたのは、文字通り偶然が重なった人の出会いから。

 製作陣の3人は、同じWebコンテンツを制作する会社のメンバーなのである。

「私はWebデザイナー、2人はエンジニアなんです。2年ほど前ですが、社内でハッカソン(ソフトウェア業界で頻繁に行われている開発イベント)があった時に、馬道とペアになったんです。その時のテーマが<10年後にも見られるコンテンツ>でした。そこで、生まれたのが現在公開しているもののプロトタイプ版だったんです」(藤井さん)

 でも、それがコンテンツを表現し、制作したいという2人の心に火をつけた。「もっとちゃんとしたものがつくりたい」と思った2人は、やまださんも誘い本格的な制作に乗り出した。

 こうして、Web業界らしくスケジュールもちゃんと引いて、タスク管理をした上で2カ月あまりの期間を経て『あげさげコミック』は生まれたというわけである。

 この『あげさげコミック』。前述のように、技術面だけでなく描かれている作品自体が魅力的。

 アーティストとしても活躍している藤井さんの独特のタッチが、非常に新鮮なのである。

 もともと、美大で大学院まで進み絵画を専攻。「私以外の同級生は、みんな美術家になった」という藤井さんは言う。

「より多くの人にスキマ時間に楽しんでもらえる作品を描きたいと思っているんです。自分の作品を、もっと日常でアウトプットしていけたらいいですね」

 取材で感じたのは制作陣3人のツーカーな雰囲気。アーティストでもある藤井さんは『あげさげコミック』の制作にあたっては率直な「レビュー」、いわばダメ出しをされる場面もあった。

 でも、それも「初めての体験なので、面白かった」と笑う。

 気の合う者同士で集まって、ひとつの作品を仕上げていく。その雰囲気自体が、一服の清涼剤のように感じられた。
(文=昼間たかし)

「紙のマンガ本」がオワコンの時代に突入か……いま、出版業界に必要なのは“スピード感”

 マンガを紙の本で読む時代の終焉が、現実味を帯びているように見える。

 11月末、出版取次大手の日本出版販売(日販)、トーハンの中間決算で、紙のマンガ本離れが進んでいることが、より明確になってきた。

 日販ではコミックス部門の売上が前年同期比で12.7%減少。トーハンでは17.6%の減少となった。実に、2割近くが減ろうとしているわけである。

 トーハンの資料では「相次ぐ大物作品の完結に加え、電子コミックの市場拡大、Webマンガアプリの台頭で紙のマーケットの縮小傾向」が、下落の理由としている。

 もはや出版不況という言葉も当たり前になり、娯楽や情報の分野がWebへと移行していくことは変えられない道筋といえる。今年の年明けから200万部を割った「週刊少年ジャンプ」(集英社)が、一気に180万部台まで部数を減らしたことは、その象徴ともいえる。マンガ絡みで唯一明るい話題なのは「月刊flowers」(小学館)。同誌では今年になり、萩尾望都の『ポーの一族』新シリーズが連載開始。部数を大きく伸ばした。

 つまり、作品の力で部数を確保することが可能であることは明らか。けれども、これはあくまで例外である。

 出版科学研究所の発行する「出版月報」7月号に掲載された2017年上半期の分野別動向によれば、電子書籍市場は、伸びは鈍化したものの前年同期比で21.5%のプラスとなっている。ただ、伸びたとはいえ、まだ規模は小さく、販売金額は1,029億円に過ぎない。この内訳をみると、コミックが777億円。書籍(文字もの)が140億円。雑誌が112億円となっている。

「紙のマンガが電子書籍に食われているのは明らかです。今後も、紙のマンガは厳しくなるでしょう」

 そう話すのは、業界誌「出版ニュース」の清田義昭氏(出版ニュース社代表)。ただ、清田氏からは、こんな話も。

「ちょうど今年も出版業界の十大ニュースを決める時期なんです。それで、電子書籍の話題を何か入れようと思ったのですが、取り立てて大きな話題はないんですよね」

 このことは、紙から電子書籍への移行が、緩慢としか進んでいないことを示している。ここ数年の間に、無料で読むことのできるマンガアプリ、Web雑誌は膨大な数になった。紙の雑誌では売上が少ないからと、Webのみに移行する媒体もある。けれども、Webで連載した作品が単行本になったとき、紙・電子書籍を問わず購入しない読者、すなわち無料でないと読まない読者も増えてきているということだろう。

 こうした変化の中で、出版業界では、まだまだ現在の、取次に本を納品すれば、いったん支払いがあって、配本もしてくれて……という流通システムが続いてくれることを願う人々が多い印象だ。

 紙・電子書籍を問わず、いかに読者の手に届かせるか。そして、お金を払えばより価値のあるものを読むことができると、改めて気づかせる方法は何か。よりビジネスとしてのアイデアが求められる時代になっているように見える。

 筆者も長らく雑誌に記事を書き、年に数冊の単行本を上梓している。取材などで触れるほかの業界と比べて見えてくるのは、出版業界のスピード感のなさであろう。単行本など、ごく一部の「緊急出版」的なものを除けば、企画を立てて、編集者と「やりましょう」という話になってから、長い。「企画会議は来月です」といわれて1カ月くらい待つことはザラだ。

 このスピード感のなさは、問題ばかりではないとしても、やはり漫然としすぎている感は拭えない。いずれ進歩的な変革が起こったりするのだろうか。
(文=昼間たかし)

『ホラーマンガ黒塗り事件』秋田書店が苦し紛れの発言!? 雑誌協会も唖然!「再三の警告は、なかった」

 今月12日、「ヤングチャンピオン」(秋田書店)で連載中のホラー漫画『殺戮モルフ』の原作者・外薗昌也氏が、20日発売の単行本第2巻に収録される予定だった過激なシーンが無断で黒塗りにされたことをツイート。「前代未聞です」「全く相談無しだったので、ボー然とするしかありませんでした」と語り、注目を集めている。

 外園氏のツイートに対して、多くの読者から秋田書店に対する批判が殺到。そうしたところ、当日中に外園氏から「ヤングチャンピオン編集さんが青くなって飛んできました 行き違いがあり、非礼を詫び、仲直りしました」と報告された。

 外園氏の説明によれば、黒塗りの理由は「倫理委員会かや再三警告来ていて、有害図書指定されたらアウトなので、慎重になり過ぎて真っ黒にしちゃったみたいです」(原文ママ)と記されている。

 同日、外園氏はニュースサイト「ハフポスト 日本版」での安藤健二氏の取材(http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/13/hokazono-masaya_a_23305844/)に対して「(雑誌掲載時には)日本雑誌協会の編集倫理委員会から再三警告受けてたので、残酷シーンはアミをかけて黒くし、よく見えないように処置しました。雑誌は不特定多数の人が読みますから、グロテスクなシーンが嫌いな人も多いわけで、仕方ない処置かと思いました。単行本では黒塗りは取る約束でした」と述べている。

 一段落したこの騒動であるが、事件に興味を持つ人々の間では、座間市での大量殺人事件などを背景に、日本雑誌協会が“リョナグロ”への規制を強めているのではないか? という観測が出ている。

 果たして、日本雑誌協会から秋田書店に対しては、どんな要求があったのか。

 前述の外園氏の発言や安藤氏の記事などに記されている「再三の警告」とは、編集倫理委員会の下にある倫理専門委員会から送付される通知である。

 この通知は、青少年に不適切と思われる表現が掲載されている雑誌に対して注意を促すもの。同じ業界団体からの通知でも、18禁にすることを強く求める出版ゾーニング委員会からのものとは違い、あくまで注意を喚起する程度の性質だ。

 それが、どうして編集者が「人気作品なので、有害図書指定されたら(事実上の)発禁になり、連載も中断してしまう、それは絶対に避けたい(前述・安藤氏の記事)」と発言してしまうような事態になったのか?

 一連の業務を扱う日本雑誌協会の担当者は、言葉を選びながらも「びっくりです」と、驚きを隠せないようであった。

 ここで明らかになったのは、雑誌協会から「再三の警告」は、行われていないとのこと。

「倫理専門委員会からの通知書を9月12日付で送付しています。ここで指摘したのは、掲載誌の14号と17号。文面も通常通りのものです」(担当者)

 担当者に確認したところ、今年に入って倫理専門委員会から注意を促す文面を送付したのは、雑誌10誌。うち性的表現が問題とされるものが8誌。暴力は2誌となっている。

 暴力のうち1誌は、同じく秋田書店が発行する「ヤングチャンピオン烈」。指摘したのは、栗原正尚氏の『神アプリ』の暴力表現だという。

 つまり、日本雑誌協会としては通常の自主規制の水準を、なんら変更してはいない。これに対して、秋田書店が過剰な反応をしたというのが実態のようだ。

 むしろ問題は、編集者から「有害図書指定されたら(事実上の)発禁になり、連載も中断してしまう」という発言があったとされていること。有害図書指定制度の問題は別として、それを理由に発禁や連載中止がありえるのならば、秋田書店は相当問題を抱えた出版社と考えざるを得ない。

 あるいは編集者が許してもらおうと、あることないことを並べ立てた可能性も想像できる。

 かつて秋田書店では、松山せいじ氏の『奥サマは小学生』の単行本が、東京都の猪瀬直樹副知事(当時)に、「青少年に有害なマンガ」と名指しされる騒動があった。この時、松山氏は絶版を申し入れて注目されたのだが、秋田書店では、ここぞとばかりに在庫を続々出荷。一部のマンガ専門書店では平積みになり、話題となった。そんな過去もある秋田書店にしては、今回の対応はあまりにも腰が引けている。

 さて、本来ならばここで秋田書店に電話して取材を試みるところであるが、今回はやらない。というのも出てくるのが「担当者不在」か、通り一遍の回答になることが容易に想像できるからだ。

 秋田書店というのは、記事に対して異論があれば直接連絡してくる風潮の出版社(少なくとも数年前までは、そう)なので、反応を待つこととしたい。

 なお黒塗りとなったシーンは、現在、ホラー漫画試し読みサイト「恐ろし屋」で公開されている。
(文=昼間たかし)

“女体盛り”に特化しすぎたギャンブルマンガ『リーマンギャンブラーマウス』が熱すぎる!

 やってきました忘年会シーズン。今年は日本全国のブラック企業で、宴会芸としてアキラ100%的なことをやらされる不幸な若手サラリーマンが続出することがほぼ確定している今日このごろかと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 ところで宴会芸といえば……そう「女体盛り」の存在を忘れてはいけませんよね! 全裸の女体に刺し身とかを盛り付けて、宴会などで提供するアレですアレ。その名は聞いたことがあるけれど、実際に見た者はほとんどいない……エロ劇画とか、日本文化を勘違いしてるハリウッド映画でたまに出てくる都市伝説のようなメニュー、それが「女体盛り」。

 そんな「女体盛り」を大々的にフィーチャーしたギャンブルマンガが存在します。むしろ女体盛りマンガと言い切ってもいいかもしれない、その作品の名は『リーマンギャンブラーマウス』(講談社)。

『リーマンギャンブラーマウス』の主人公は、篁(たかむら)忠則というサラリーマン。商社の経理次長を務めるエリートサラリーマンですが、なんの欲もなく無気力に、リスクを避けて平々凡々と働く日々を過ごしており、ある日、妻から「体が疼くの」という謎の理由で離婚届を突きつけられ、家を出ていかれてしまいました。

 いつものように帰宅のために電車に乗っていると突然、篁の股間を触ってくる、人差指と中指のない謎の痴女が登場。「ウチが変えたるわ、アンタの粗チン人生」という、これまた謎のセリフとともに雑居ビルにある裏カジノに招待されます。そこでやっていた「カワーダイス」という20面体サイコロのゲームに目覚めた篁は、以後「マウス」という名で全財産をつぎ込み、ギャンブラーの道を突き進むことになります。

 そんなマウスがカワーダイスの対戦中に、対戦相手の食事メニューとして呼び出されたのが「インドまぐろ子 20歳」という女体盛りの女。インドまぐろ子は、親の残した2億円の借金を抱え、女体盛りのバイトで体を張って借金を返している頑張り屋さんなのです。頑張る方向がちょっとアレですが。

 カワーダイスでの目覚ましい活躍により、裏カジノの胴元の家に招かれたマウスは、そこでインドまぐろ子と再会。まぐろ子は、そこでは裸でブリッジをする人間テーブルのバイトをやっていました。……いろんな職種があるもんですね。

 マウスは、そんなインドまぐろ子の借金をギャンブルで稼いだ金で精算してやります。以降、まぐろ子はマウスへの恩返しのため、マウスがギャンブルで劣勢に立たされると、自らを女体盛りとして捧げることで、マウスを応援するキャラクターとなります。……応援って、女体盛りにそんな効果が!?

 ちなみに、まぐろ子はこんな女体盛りメニューで応援してきました!

 人間てっちり、人間トンカツ、人間スタミナB定食、人間ブルマン(コーヒーを胸の谷間に注いだもの)、人間牛丼特盛りつゆだく玉入り……。

 さらに、特別メニューとして、越中ふんどしお赤飯合格盛り、2001年シチューの旅、学生大徳並バーガーセットなどなど、メニューの意味はさっぱりわかりませんが、とにかく女体盛りでこれだけのバリエーションが出てくる作品は、ほかに存在しないと思われます。女体盛りのバリエーションでギネス申請した方がいいレベルです。

 さらに、まぐろ子の存在を脅かす若手女体モラー、「インドカレー子」による超豪華メニュー「人間フレンチ仔牛の腎臓ローストシャンピニオン添え内臓ソースとフォアグラのテリーヌ」や、まぐろ子の母による「母体盛り たまたまたまらん玉子焼き」なども登場します。もはやギャンブルマンガというより、女体盛りマンガと呼んだほうがいいという意味がおわかりになりましたでしょうか。

 これだけ女体盛りが出てくるマンガですから、まぐろ子による数々の「女体盛り名言」もあります。

「女体盛りができなきゃ愛する人も助けられないなんて!」

「人が女体盛りを選ぶんじゃないのよ、女体盛りが食べる人を選ぶのよ」

 まあ……セリフに「女体盛り」が入ってる時点で名言の台無し感がすごいですが。

 そういえば、まぐろ子以外に、もう一人とんでもない女キャラの存在を忘れていました。それは、作品の冒頭で、「体が疼くの」という謎の理由で家を出ていったマウスの元女房、亜希子です。ギャンブルを知り、ワイルドで魅力的になったマウスの姿をみて、ヨリを戻そうとして毎回「お情けを頂戴に上がりました」というセリフとともに、めちゃくちゃ押しの強いエロコスチュームで登場。マウスのアパートに忍び込んだり、マウスの入っている男子トイレ個室に入ってきたり、神出鬼没のストーカー行為を働きます。金で追い払おうとするマウスに対し……。

「肉棒以外の情けはいらないッ!!」

 などと、とんでもないエロ名ゼリフを残します。

 というわけで、局地的に超有名な女体盛りギャンブルマンガ『リーマンギャンブラーマウス』をご紹介しました。単行本では、ネームの段階で没になった数々の女体盛りメニューも紹介されており、ギャンブルマンガ好きには微妙ですが、女体盛りマニアなら間違いなく必見の作品と言えます。何しろ、インドまぐろ子の登場するシーンを集めた「インドまぐろ子DX」「インドまぐろ子EX」という別冊が出ているぐらいですから、女体盛りマニアって意外とたくさんいるんでしょうね……。
(文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

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女と自由との揺らぎ──『私だってするんです』小谷真倫の探求「自分の凡庸に負けたんだ……」

 小谷真倫。福島県生まれ。性別は女。職業はマンガ家。

 商業誌をフィールドに、選ばれた者しか到達することのできないプロのマンガ家の階段。その一段目を踏んだのは2007年。講談社の新人賞「第23回講談社MANGA OPEN」にて奨励賞を受賞してからである。

 そこから、アシスタント経験などを経て初の連載作は09年に「イブニング」(講談社)15号から不定期連載された『害虫女子コスモポリタン』。これは、ゴキブリや蚊、セミなど身近な昆虫を美女に擬人化したショートショートのギャグマンガ。タイトルは、途中から『害虫女子コスモポリタン ビッチーズ』と変わり、それぞれのタイトルで1冊ずつ単行本になった。後者の単行本の発行日は、13年9月20日。それから4年あまり。小谷の最新刊『私だってするんです』(新潮社)は、前作にはなかった「共感」を呼んでいる。

 作品が連載されているのは、Web上のマンガサイト『くらげバンチ』。そこは、Web媒体の優位性を生かして、次々と実験作が投入される場。いわば、多くのマンガ家が「プロになる」第一歩、あるいは復活の一歩を踏み出す戦場である。Webの時代となり、受け手の反応は直接的に手に取ることができる。TwitterやFacebookといったSNSを中心に溢れかえる、文字通りの忌憚のない意見。おおよそ、現代的な作り手は、それに一喜一憂しながら、さらに高みを目指している。目指しているとはいえ、時にそれらの意見にへこむこともある。

 さらに『くらげバンチ』には、その一歩先がある。それが、作品のページごとにあるコメント欄。Facebookなら大抵は実名だから、あまりにも辛辣なことを書こうとすれば抑制が働くものだ。本名であることが少ないTwitterでも同様。普段、平和に会話を交わしている相手。中には、現実世界でつながりがある人がいる場合も多々ある。だから、やっぱり抑制が働くもの。ところが、サイトのコメント欄となるとワケが違う。なぜなら、完全に匿名性。表示されるのは、作者と作品に対する称賛であったり、罵倒であったり。書き逃げができる場だから、SNSに比べて辛辣な意見も投げつけられやすい。

 その中にあって『私だってするんです』に寄せられるのは、読者からの「共感」。単行本のオビに記された宣伝文句を使えば「男性も必読!!!!!! 女性読者から共感の嵐」という具合。

 そんな共感を呼ぶ作品。描かれるテーマは「女性のオナニー」。女性のオナニーのやり方や、使っている「オカズ」が、各回ごとにテーマとして設定されている。

 それは、こんな物語だ。

 女子高生・慰舞林檎は、放課後の教室でオナニーを楽しんでいたところを、男子に見つかってしまう。それも、オカズに使っていた学年イチの優等生である江田創世(エデン)本人に。

 茫然自失とするしかない林檎であったが、江田は予想外のことを言い出す。「僕の事が好きなの?」と尋ね「いいよ! 付き合っても」と。ただ、交際には条件があった。江田は、さまざまな人が使っている「オカズ」を調べた「オカズ大辞典」を制作していた。それを参考に新たな快感を開拓することが、江田のライフワークだったのである。でも、優等生の彼をしても、困難なことがあった。それは、女子がどのような「オカズ」を用いて、どんなオナニーをしているのかということ。

「俺と一緒に『オカズ大辞典』を完成させてくれないか」

「……これが完成したら僕の事オカズどころか主食にしていい……」

 文武両道かつイケメンの優等生かと思いきや、振り切った変態。でも、そのギャップも萌え要素。こうして、女子のオカズを調べることを決意する林檎だったが、そのハードルは高かった。女子は、セックスのことは話すことができても、自分のオナニーになると途端に口を閉ざすのである。

 もしかして女子にとってのセックスとオナニーって……
 同じ性的なことでも……
 マツジュンと出川○朗に迫られるくらい……
 格差がある……

 そんなギャップの存在を描きながらも、林檎は、物語の狂言回しとして、電マやセクスティング、あるいは、ボーイズラブマンガなど、未知の方法やオカズを切り拓いていくのである。

 現代では、女性が性的なテーマを描くこと自体は珍しくなくなった。作中で登場しているボーイズラブ。男性向けの、いわゆる「エロマンガ」でも、女性作者は当たり前の存在だ。そうした「実用重視」の作品群とは、別のベクトルの、女性が描く性というのも存在する。マンガに限らず、文章や映像など、さまざまな形で描かれる作品群。どこかハイコンテクストで、個人的な体験を社会の中で一般化。ともすれば、社会に問題を提起することに熱心な、声の大きな作品群。

『私だってするんです』は、そのどちらのジャンルにも属さない。作品中に描かれるオナニーのやり方で興奮させたり、登場人物の用いているオカズを通じて「多様な性を認めろ」とかいって、社会に向けて声を上げるわけでもない。狂言回しを通して描かれるのは、オナニーの楽しさと、無限の可能性。いわば、地に足の着いた感じで、女性が密かに行っている性欲の満たし方を綴っている。

 ともすれば「出オチ」にもなり得るテーマ設定。けれども、コメント欄でも読者に指摘されていたが、作品は回を追うごとに面白くなっている。単に女子高生がさまざまな女性のオナニーを探求するだけだったら、誰にでも描ける。ただし、すぐに失速して惰性になってしまうだろう。

 この作品がそうならない理由。それは、狂言回しである林檎が、いかなるオナニーや使っているオカズに対しても、まったく否定的な態度を取らないこと。いかなる行為に対しても「うわ~変態」とか「それは、上級者すぎる」などという、Twitterなどにありそうな、安全圏で上から見下ろす態度は一切ない。それを、理解し我が身の中に吸収しようとする。そればかりか、林檎は快感に到達し得ない自分を嘆くのだ。

 それがもっとも濃厚に描かれているのは、第8話「オカズは『私』」のセクスティング。それは、自分の裸体などを自撮りして彼氏などに送る行為。姉が、その行為で未知なる快感を我が物としていることを聞いた林檎は、自身でも挑戦する。自分の身体を撮影することで繰り広げられるナルシスティックな行為の数々。それは、確かに未知の快感を教えてくれる。「すごいっ意外と自分の体で白飯3杯はイケるよ!」と、自給自足で得られる快感のスゴさが独特の表現で記される。しかし、それをひとまずは彼氏であるエデンに送ろうとした時、林檎は躊躇してしまう。そこに、新たな快感があるのはわかっている。しかし、恥ずかしさをかなぐり捨てることはできない。そこで林檎が味わうのは、敗北感。

「自分の凡庸に負けたんだ……」

 この一言に、作者・小谷のオナニーにまつわる数多の事柄を、ポジティブに捉えて自分自身も獲得しようとする心情が込められているように思える。その探究心や、あらゆるものを否定する態度に「共感」を得られる要素があるのか。そうした探究心はマンガ的に描こうとすれば、いくらでもできる。すなわち、そんな気持ちなどないのに頭の中で組み立てることもできる。

 これまで、そんな「意識の高さ」を匂わせる作品にも多く出会ってきた。けれども『私だってするんです』には、そんな凡庸さはない。狂言回しである林檎を通して、作者自身が探求し右往左往する様が描かれているように思えたからだ。物語の必然として、林檎が調査をしなくてはならない理由はきちんと描かれている。でも、それを踏まえた上で作者である小谷自身の体験した驚き、快感、躊躇が余すことなく表現されている。その嘘のなさこそが「共感」を生んでいるのではなかろうか。

 デビューからこれまでの間に発表した作品が極めて少ない、寡作な描き手。それでいて、描くものは極めて濃厚。小谷真倫とは、いったい、どんな人物なのか。そんな極めて単純な好奇心から、取材を申し込んだ。

 

 最初に連絡したのは『くらげバンチ』のメールフォーム。驚くほど早く、日時は決まった。場所は神楽坂にある新潮社の別館。飯田橋駅から、喧噪にまみれる神楽坂通りをトボトボと歩いて登りながら、どんな人物が待っているのか、さまざまな想像がめぐった。

 ふと思い出したのは、単行本の中にあった一文である。

 小谷はもともと夜の世界の人間である。

 単行本のために描き下ろされた、おまけマンガにはそう書いてあった。ほかのページも含めて、添えられた作者自身の造形は、たらこ唇のズケズケと図太そうなタイプの女。女性ではなく「女」という一文字がしっくりとくる。インタビューを受けてくれるとはいえ、自意識が高くて押しの強そうな水商売風の女が来たら、どうしようかと思った。見ようによっては、オナニーのことを、ずけずけと恥ずかしげもなく描いているわけだから、きっとそんなタイプの女性なのではないか……。

 でも、新潮社別館の1階にある応接室で待っていたのは、まったくの別人だった。秋の訪れを感じさせる、小豆色と白黒がストライプになった薄手のセーター。細身の、清楚さもかすかに感じさせる大人しげな女性は言った。

「あの、私、インタビューは初めてなんです。ちゃんと話せなかったら、ごめんなさい」

 彼女が身に纏う、作品とは正反対の雰囲気。その色気とも違う、何かを取り込もうとする独特の空気感にして、私は、お決まりの言葉を紡ぐことしかできなかった。

「インタビューは初めて」という言葉通り、最初、小谷の声は小さかった。けれども、作品の中で描かれている、グイグイと押していく雰囲気の自画像とは真逆の姿に、俄然興味が湧いた。『私だってするんです』で描いた自画像よりも、自分を的確に描いているのは『害虫女子コスモポリタン』の中で描いた、自身の初取材の回。そこでドキドキする自身を描写した小谷は、緊張のあまり失禁する姿まで描いている。マンガ的な、話を盛ったコマだとはわかっている。でも、そこにはできる限り目線を下げて、取材対象に寄り添おうという精神性が感じられた。意図的かどうかはわからないが、この時は素の自分を素描していたのだと思う。

 そんな小谷への最初の質問。やはり聞くべきは、宣伝文句にもなっている読者からの共感の嵐について、どう感じているかということだった。

「えっとですね……」

 とても小さな声で、一拍置いて。それから、小谷ははっきりした声で話し始めた。

「共感した方もいらっしゃるんですけれども、もともと、これは、別にこう……わかってもらわなくていいかな、という思いでつくったんです」

 この一言に『私だってするんです』という作品が、共感を呼び起こしている理由が集約されている。インタビュー慣れした人が口にするようなものとは違う、自然体の素朴な言葉。そこには、どこからともなく湧き出る「この作品を描きたい」という作者の情熱に読者が圧倒され、物語の中に引きずり込まれているという構図があった。

 この作品を描いて世に出ようだとか、有名になろうだとかいったものよりも、自分はマンガ家なのだから、描きたいし描いてしまったのである。

 だから、連載を前に、小谷の心中にあったのは「共感できないけれども、理解してもらえればいい」という思いだけ。ところが、コメント欄に寄せられるのは、まったくそうではない感想。

「最初は、中にはこういう人もいるのかなと思って描いたんです。それが、<わかる>という人が何人もいて反対にびっくりしたんです」

 実のところ、男女の垣根を越えて好意的な反応が押し寄せる様は、編集サイドにとっても予想外だった。「女性のオナニー」事情をテーマにした作品。だから、当初考えていたのは男性からの反応。それが、蓋を開けてみれば男女を問わず。女性からの感想も次々と寄せられる。

 Twitterは、アカウントは持っているけれども、エゴサーチもしなければ、ほとんどツイートしていなかった。それなのに、60数人しかいなかったフォロワーは、連載を始めてから120人にまで増えている。これも、独特の反応。前述のように、Twitterでは公言しにくいが、コメント欄には感想を寄せる。オナニーについて、もっと積極的に、オープンに語りたい男女が無数に蠢いていることを感じさせてくれる。

「コメント欄は、誰が書いたかわからないから、Twitterなんかよりも書きやすいとは思うんです。それでも、意外と肯定的な意見が多くて。最初は、みんな『そんなにオナニーしていないだろう』となるんじゃないかと思っていたんです」

 同席していた『くらげバンチ』担当編集の佐藤は、存外に好意的な感想が集まったことへの驚きを隠すことはなかった。

「共感してもらう必要もなかった」

 そんな言葉を、小谷は幾度も口にした。読者の共感を得て、評判になっている実感を得て感激するよりも、もっと作品を描くための探求に限られた時間を割きたいのだ。

 取材というよりも探求という言葉がよく似合う小谷の行動力は、初の連載作『害虫女子コスモポリタン』の時から、如実に現れている。ゴキブリをはじめとした害虫を、女のコに擬人化して描くショートストーリー。そこで綴られる知られざる害虫の生態は、さまざまな専門家との対話をベースにしている。

「今、描いているのは取材と想像と、人から聞いたものを、自分を……なんてこう……実験台にしてみたいな……気持ち悪いことをやってえ」

 オナニーをテーマにするため、自分の身体を実験体にしている。それを小谷は「気持ち悪いこと」と言って笑う。その自虐も、一種の余裕である。そして、自分の知りたいこと、描きたいことのためには世間の評判などは、取るに足らないものと割り切る覚悟である。だから、作品に生かされている実体験を尋ねても、小谷は臆さない。それどころか、話題がそこに及ぶと、よりはっきりとした声で話し始める。

「作中で、林檎が電マを試していますが、これも実体験を通していらっしゃるのですね」

「そうですね、電マは……過去にやったことを彷彿とさせて、という感じですね」

「ひと通り試していらっしゃる」

「ええ、それは日記に全部……。こう、メモ書きにしてあるんですよ。何月何日にこれをやったと。『死ぬかと思った』とかみたいなことを」

「死ぬかと思ったとは」

「えっと、社会的に死ぬかと思ったのが電マなんですよね。なんか、音みたいなのとか……騒いだりとかで、迷惑をかけたのは電マ」

「声は出てしまった」

「そうですね。ちょっと、転落したりだとか」

「とりわけ、セクスティングでの敗北感は、事実を反映しているふうに読めますね」

「これなんか、大学生の時に調子こいてやっていたような気がするので……。それに近いことを正気になって考えたら、気持ち悪いな。よくよく考えたら、そんなに自慢げな身体でもなかったなあ……」

「それは、当時の彼氏なりに送った」

「彼氏というより好きな人に送ったんです。その時だけ盛り上がって……5年くらい賢者タイムでしたね」

 作中で記されているさまざまな行為を、自身が体験している。そのことを聞いても、まったく隠すことはしない。隠すことはしないのだが、自慢することもしない。それもまた、小谷の作品に反映されている独特の精神性である。女性の性を扱った時に、多くの作品は暴露的、露悪的、あるいは社会問題提起であったりする。ところが、小谷はどちらでもない。「こんな作品」を描くことに突っ走ってしまう情熱と「こんな作品」を描いてしまう恥ずかしさの間を揺らいでいる。それは、主観と客観の間の揺らぎのようなもの。その揺らぎが、作中で描かれる性を、今まで描かれてこなかっただけで、実は人知れず普遍的に存在していたものであるという存在感を与えている。

「セクスティングで、もう一歩を踏み出せない林檎の敗北感。それは、一線を越えた先に楽しい世界があるのがわかっているからこそなのでしょう」

「そうです。ですから、この主人公の林檎は非常にまともで、けっこうフツーの人間。真人間。身体はエロいけど……」

 

 世間の常識と、自分の知りたい世界との揺らぎの中に、作品世界を模索する小谷。高校までを過ごしたのは、今は市町村合併で二本松市となった福島県中通りの山間部。マンガ雑誌は薬局に「なかよし」(講談社)が数冊入る「なんかイノシシとかいるところ……」という土地で、小谷が夢見ていたのは、魔法使いになることだった。

「人と同じ行動をとるのがツラくて……大人になるにつれて、なれないなとわかってやめたんですけど」

 そういった過去を「一定の年齢まで信じていたから、危ないなとは思っています」とは言いつつも、当時の小谷は本気だった。小学校6年生の頃、10年に一度規模の台風が福島県に上陸した(平成10年台風5号だと思われる)。

「私はそろそろ空を飛べる、この風に乗って別の世界へ行ける!!」

 嵐の中、家を出た小谷は、強い決意を持って近所の山の崖から飛び降りた。空を飛ぶ事はできず、傘を三本ぶっ壊して大人に怒られただけだった。その他、悪事をやらかして全校集会を開かせたりした。「劣等生で悪童であった」と小谷は振り返る。

「親は、ちょっとオツムの具合がアレかなっと。両親は真人間だし、弟も真人間だし」

 現状維持が美徳の保守的な田舎の村で、小谷のような子どもは浮いていた。『私だってするんです』の単行本が発売になり、地元の大きな書店は、地元出身のマンガ家として大きく棚を割いている。サイン本の依頼もある。田舎に帰れば、仲良く話せる旧友もいる。それでも「東京でマンガ家をやっているという時点で、やっぱり浮いている」というのが、小谷の見立て。単行本の加筆されたページにも記されているが、作品の登場人物のモチーフには、故郷の友人たちもいる。時折、帰郷した時に、その友人たちと落ち合う。そんな時に、何気なく口に出る今の幸せや、これからの人生の目論見……旧友たちの思い描く幸せとの解離を感じている。

「そういうところに帰りづらいという思いはありますね」

 自ら「今でいうところのスクールカーストの最底辺みたいな、根暗」と、十代の青春を語る小谷。でも、その最底辺に属することで、逆にすんなりと見えてくるのが複雑な人間模様や、得体の知れない輝きを放つ人々の姿。だから『私だってするんです』に描かれるキャラクターの多くは、これまで自分が人生で出会い、興味を持った人々の中から生まれてくる。

 例えば、作中に登場する地味で目立つタイプでもないくせに、すでにセックスも体験していることがわかり、林檎を驚かせるクラスメイトの中村広子。そのモデルは、地味なのに性には発展的だった同級生。

 たとえ人口の少ない田舎町でも、学校に行けば作中に出てくるようにさまざまな興味深い同級生たちがいた。でも、キャパシティのない地域社会の中で、異端者が折り合いをつけて暮らすのは、甚だ難しい。進学や就職など、さまざまな方法で、生まれ育った土地を後にするのは必然である。小谷の場合、進学がそれだった。選んだのは、女子美術大学。それもまた、地元では異端な進学先。けれども、大学に入れば、そこは世間の常識などものともしない人々が溢れる世界。

「私の美大は全裸になって自分の肉体に色を塗ったり、芸術の方法が過激な子とか、フツーにレズビアンの子とかもいたんで……」

 そんな枷を解かれた世界で、小谷はマンガ家としての人生を明確に描き始めていた。もともと、マンガ家になろうと思ったのは、魔女を断念した直後。憧れの優等生の先輩が、マンガ家になりたいと言っていたのがきっかけ。

「自分にはないから、この世界ではリア充をって、害虫とかは一切出てこない、青春のぞわぞわする感じのを描いてました」

 それもまた、閉塞した村の中での見えない枷だったのか。上京してから小谷は、青年誌へとシフトして才能を開花させようとしていた。単に憧れるだけではなく、着実に階段を上っていた。講談社の新人賞「第23回講談社MANGA OPEN」での奨励賞を経て、09年からは『害虫女子コスモポリタン』の連載も得た。その間の修業時代。高橋しんのアシスタントをしていた時には、忘れられない思い出がある。高橋は時々、通常のアシスタントの仕事とは別に、複雑なキャラクターの心情を、表情で描く指示をしてくることがあった。ある時、高橋はプロットを小谷に渡してキャラクターの「泣いたような顔で笑う」コマを描いてみるよう指示した。

 小谷はあれこれと必死に考えて、高橋から指示された表情を描いた。それを見た高橋は「なるほど、これが泣き笑いの顔か」と呟いた。「その時、先生に認められたんだと思って、うれしかった」と小谷は言う。単にマンガ家とアシスタントの関係ではない。自分の下で働く後輩たちの成長を促すきっかけを与えることを惜しまない高橋。こうした経験は、着実に小谷を成長させていった。

 アシスタントとして修業を積む間に『害虫女子コスモポリタン』の連載も始まった。不定期連載とはいえ、アシスタントをしながらという、ぬるま湯のヤバさも感じて、小谷はマンガ家として独り立ちする決心をした。その時には、自分もこれからマンガ家として、着実にキャリアを積んでいくことができるという、希望もあった。でも、順風満帆にはいかなかった。

「まあ、不遇の時代が長かったですよね」

 2冊の単行本が出た後、講談社からの仕事は途絶えた。単行本が出た後に仕事が途絶えてしまったマンガ家は、ある意味で新人よりも苦労を強いられる。再び、さまざまな編集部に持ち込みに回っても、既存の作品の評価や売上で、足元を見られる。持ち込みに行った先の編集部で「うちでは厳しい」と突き返され、罵倒までされた。マンガ家仲間の中には、心が折れて田舎に帰る者もいれば、リストカットをする者もいた。毎日、納豆かチンゲン菜のどちらかばかりを食べてマンガを描き続ける日々。マンガ家としての矜持と財布が底を尽きそうになると、水商売を始めた。

 小谷が最初に水商売に心を引かれたのは、大学生の時であった。

「今でもそうですけど………多分、自分に自信がなかったからだと思うんです」

 水商売というのは、指名数などさまざまな形で自分に値段がつく世界。だから、自分が女性として、どれくらいの価値があるのか知ることができるのではないかと考えた。それは、東電OL殺人事件の被害者となった、あの女性に似たメンタリティ。ただ違うのは、あの女性が自分の肉体の価値を確認することを求めたのに対して、小谷は自分の女性としての価値を測りたかったということ。新宿や新橋、町田と、各地のスナックやラウンジを転々としながら、自分でも説明のつかない衝動を埋めようとしていた時期があった。

 そして、再び生活の糧を得る手段として足を踏み入れた水商売の世界。けれども、小谷はどっぷりと足を踏み入れはしなかった。ネオンの巷で働くうちに、そこで見る人間模様が小谷に、マンガをもっと描きたいという衝動を与えてくるのだ。マンガに軸足を置いては、また夜の世界へ。それを繰り返す中での体験が『私だってするんです』という作品の実を少しずつ育てていった。

 ある少し高級なクラブで働いている時だった。いまだバブル時代が続いているようなタイプの馴染み客がいた。その夜は、酔いも回っていたのか、客は小谷を執拗に夜に誘った。客とはいえ、まったくタイプではない男だった。それもあって、小谷は水商売のテクニックではなく、ごく自然な感じで言った。

「私、今日は自分でするんで、すみません」

 考えもしなかった小谷の言葉に、客の男は驚いた顔をしていった。

「そんな悲しい、そんな悲しいことを言うなよ。俺がいるだろ。パイプカットしてるんだぞ、俺は安心なんだぞ、イカせられる……」

 その客の言葉が、夜が明けても小谷の心中にずっと引っ掛かっていた。それより前に「男の人は自分たちはするけど、女の人がするっていうのを信じたくない」という話を聞いたことがあった。なんで、そんな齟齬が生じるのか気にかかっていた。自分は、とりわけ文章をオカズにやっている。中でも渡辺淳一の小説は「淳一、やるな」と思いながら、興奮してしまう。自分でマンガを描いている時にだって、事故のようにエロい気持ちになってしまうこともある。一方で、女性の側にも、何か引っ掛かるものがある。多くの男性と関係を持ち、それを誇るように話す女性であっても、オナニーの方法やオカズを聞くと、途端に否定的な態度を取ってくる。いくら巷にエロメディアが溢れているといっても、自由さはない。とりわけ、女性の性に感じるのは、価値基準が男性のフィルターを通した「自分がいかに愛されているか」といったものに限られていること。

 そうじゃない楽しい世界は必ずある。別に「私たちは!」と机を叩くようなものではない。仲間たちと、こういうことをやっているんだよ。面白い。自分もそういうことをしてみよう……そんな、前向きさのある自由で気持ちのよい世界があるはずなのに。

 神楽坂の早稲田通りに面した『くらげバンチ』のオフィスで、佐藤はいつものように業務をこなしていた。担当するマンガ家との打ち合わせ。原稿の進行の確認。いくつかの仕事をこなした後、持ち込み原稿を読む。封筒で送られてきたのは、最近は減った手描きの原稿。数作品あった中の、ひとつを読んで佐藤は思った。

「これは、モノになるかもしれない」

 マンガ家になりたいといっても、なれるのはホンの一握り。デビューしてからも、マンガ家として続けていくことができるのは、さらに一握り。すでに2冊の単行本を出した後、数年間の沈黙が続いているマンガ家。そんな人物の作品が、どんなものなのか。海の物とも山の物ともつかない。ともすれば、一度はデビューしたという安っぽいプライドは、妙な癖のついた我の強さばかりを肥大化させがち。でも、その作品は、佐藤の心臓に突き刺さった。

「女性のオナニーについて、女性自身が描いている」

 男性にとっては謎の部分。エロマンガなんかで、男性が好むスタイルで描かれることはあっても、その実像をする術もない。それを知ることができたら、面白いじゃないか。

 すぐに佐藤は、原稿の主……小谷に連絡をした。

「これ、すごく面白いと思います」

 そこから連載開始までは、1年あまり。何度も打ち合わせと描き直しが続いた。テーマには確固たるものがある。それを、エンターテインメントとして、どのように見せるか。『くらげバンチ』は、Webという特性も生かして実験的な作品が並ぶ。一種特異な作品を求めてアクセスしてくる読者に向けたエンターテインメントとは何かを探った。

 これまで、一貫して手描きで原稿を描いてきた小谷にとって、Webへの戸惑いもあった。自身もマンガは紙で読むことに慣れ親しんできた小谷。画面をスクロールしながら読むWebのスタイルは、自分の作風には向いていないのではないかという恐れもあった。

 打ち合わせを重ねて、ようやく連載が始まった。始まってしまうと、恐れは新たな発見と好奇心へと転換していった。紙媒体にはない、読者からのダイレクトな反応。もちろん、いい話ばかりではない。「悪口を言われるとツラくて創作に支障が出たり、匿名でしか好き勝手言えないような奴は肥溜めに落ちろと思うことがあります」という赤黒の感情も湧き出す。けれども、紙媒体とは違う読者の直接的すぎる反応は、小谷の創作意欲をさらに高めている。単純に「共感」されることに喜ぶのではない。読者自身がコメントの中で書き記す読者自身の行為。それが、小谷の探究心の新しいスイッチをオンにするのだ。

「……自分のリアルな恋愛とかセックスが充実していたら、生まれなかった作品だと思っています。そういうものに自信がないから、こういう性的な作品が描けるんだと思っているんです」

 これまで、付き合った男に話が及ぶと小谷は、少し笑いながらいった。

「まあ、そうですね。悲しいっていうか。ちょっと、乱暴だったっていうか……」

 そうした、人には言えない経験。暖かい家庭を築くこととはかけ離れた体験。それを、マンガ家の芸の糧として誇るわけではない。それは、広く世間から見れば恥ずかしいことかもしれないが、そのことをも糧にしていく性を持つ自分を、徹頭徹尾客観視している。その観察眼は、内面だけではなく周囲にも向けられている。オナニーを通じて明らかになるさまざまな性癖。そして、個人の日常。興味を惹かれて、昂ぶりは止まらない。でも、決して自分にはないものがある。上から見て、分析したり、自分のほうが優れているという気持ちを巧妙に隠しながら、見下したような同情をするような気持ちのようなものは、どこにもない。

「みんなそれぞれ違うところを『こーいう違いもあるのか』と楽しみ合えればと思います」

 そして、小谷はまた笑う。
(取材・文=昼間たかし)

女と自由との揺らぎ──『私だってするんです』小谷真倫の探求「自分の凡庸に負けたんだ……」

 小谷真倫。福島県生まれ。性別は女。職業はマンガ家。

 商業誌をフィールドに、選ばれた者しか到達することのできないプロのマンガ家の階段。その一段目を踏んだのは2007年。講談社の新人賞「第23回講談社MANGA OPEN」にて奨励賞を受賞してからである。

 そこから、アシスタント経験などを経て初の連載作は09年に「イブニング」(講談社)15号から不定期連載された『害虫女子コスモポリタン』。これは、ゴキブリや蚊、セミなど身近な昆虫を美女に擬人化したショートショートのギャグマンガ。タイトルは、途中から『害虫女子コスモポリタン ビッチーズ』と変わり、それぞれのタイトルで1冊ずつ単行本になった。後者の単行本の発行日は、13年9月20日。それから4年あまり。小谷の最新刊『私だってするんです』(新潮社)は、前作にはなかった「共感」を呼んでいる。

 作品が連載されているのは、Web上のマンガサイト『くらげバンチ』。そこは、Web媒体の優位性を生かして、次々と実験作が投入される場。いわば、多くのマンガ家が「プロになる」第一歩、あるいは復活の一歩を踏み出す戦場である。Webの時代となり、受け手の反応は直接的に手に取ることができる。TwitterやFacebookといったSNSを中心に溢れかえる、文字通りの忌憚のない意見。おおよそ、現代的な作り手は、それに一喜一憂しながら、さらに高みを目指している。目指しているとはいえ、時にそれらの意見にへこむこともある。

 さらに『くらげバンチ』には、その一歩先がある。それが、作品のページごとにあるコメント欄。Facebookなら大抵は実名だから、あまりにも辛辣なことを書こうとすれば抑制が働くものだ。本名であることが少ないTwitterでも同様。普段、平和に会話を交わしている相手。中には、現実世界でつながりがある人がいる場合も多々ある。だから、やっぱり抑制が働くもの。ところが、サイトのコメント欄となるとワケが違う。なぜなら、完全に匿名性。表示されるのは、作者と作品に対する称賛であったり、罵倒であったり。書き逃げができる場だから、SNSに比べて辛辣な意見も投げつけられやすい。

 その中にあって『私だってするんです』に寄せられるのは、読者からの「共感」。単行本のオビに記された宣伝文句を使えば「男性も必読!!!!!! 女性読者から共感の嵐」という具合。

 そんな共感を呼ぶ作品。描かれるテーマは「女性のオナニー」。女性のオナニーのやり方や、使っている「オカズ」が、各回ごとにテーマとして設定されている。

 それは、こんな物語だ。

 女子高生・慰舞林檎は、放課後の教室でオナニーを楽しんでいたところを、男子に見つかってしまう。それも、オカズに使っていた学年イチの優等生である江田創世(エデン)本人に。

 茫然自失とするしかない林檎であったが、江田は予想外のことを言い出す。「僕の事が好きなの?」と尋ね「いいよ! 付き合っても」と。ただ、交際には条件があった。江田は、さまざまな人が使っている「オカズ」を調べた「オカズ大辞典」を制作していた。それを参考に新たな快感を開拓することが、江田のライフワークだったのである。でも、優等生の彼をしても、困難なことがあった。それは、女子がどのような「オカズ」を用いて、どんなオナニーをしているのかということ。

「俺と一緒に『オカズ大辞典』を完成させてくれないか」

「……これが完成したら僕の事オカズどころか主食にしていい……」

 文武両道かつイケメンの優等生かと思いきや、振り切った変態。でも、そのギャップも萌え要素。こうして、女子のオカズを調べることを決意する林檎だったが、そのハードルは高かった。女子は、セックスのことは話すことができても、自分のオナニーになると途端に口を閉ざすのである。

 もしかして女子にとってのセックスとオナニーって……
 同じ性的なことでも……
 マツジュンと出川○朗に迫られるくらい……
 格差がある……

 そんなギャップの存在を描きながらも、林檎は、物語の狂言回しとして、電マやセクスティング、あるいは、ボーイズラブマンガなど、未知の方法やオカズを切り拓いていくのである。

 現代では、女性が性的なテーマを描くこと自体は珍しくなくなった。作中で登場しているボーイズラブ。男性向けの、いわゆる「エロマンガ」でも、女性作者は当たり前の存在だ。そうした「実用重視」の作品群とは、別のベクトルの、女性が描く性というのも存在する。マンガに限らず、文章や映像など、さまざまな形で描かれる作品群。どこかハイコンテクストで、個人的な体験を社会の中で一般化。ともすれば、社会に問題を提起することに熱心な、声の大きな作品群。

『私だってするんです』は、そのどちらのジャンルにも属さない。作品中に描かれるオナニーのやり方で興奮させたり、登場人物の用いているオカズを通じて「多様な性を認めろ」とかいって、社会に向けて声を上げるわけでもない。狂言回しを通して描かれるのは、オナニーの楽しさと、無限の可能性。いわば、地に足の着いた感じで、女性が密かに行っている性欲の満たし方を綴っている。

 ともすれば「出オチ」にもなり得るテーマ設定。けれども、コメント欄でも読者に指摘されていたが、作品は回を追うごとに面白くなっている。単に女子高生がさまざまな女性のオナニーを探求するだけだったら、誰にでも描ける。ただし、すぐに失速して惰性になってしまうだろう。

 この作品がそうならない理由。それは、狂言回しである林檎が、いかなるオナニーや使っているオカズに対しても、まったく否定的な態度を取らないこと。いかなる行為に対しても「うわ~変態」とか「それは、上級者すぎる」などという、Twitterなどにありそうな、安全圏で上から見下ろす態度は一切ない。それを、理解し我が身の中に吸収しようとする。そればかりか、林檎は快感に到達し得ない自分を嘆くのだ。

 それがもっとも濃厚に描かれているのは、第8話「オカズは『私』」のセクスティング。それは、自分の裸体などを自撮りして彼氏などに送る行為。姉が、その行為で未知なる快感を我が物としていることを聞いた林檎は、自身でも挑戦する。自分の身体を撮影することで繰り広げられるナルシスティックな行為の数々。それは、確かに未知の快感を教えてくれる。「すごいっ意外と自分の体で白飯3杯はイケるよ!」と、自給自足で得られる快感のスゴさが独特の表現で記される。しかし、それをひとまずは彼氏であるエデンに送ろうとした時、林檎は躊躇してしまう。そこに、新たな快感があるのはわかっている。しかし、恥ずかしさをかなぐり捨てることはできない。そこで林檎が味わうのは、敗北感。

「自分の凡庸に負けたんだ……」

 この一言に、作者・小谷のオナニーにまつわる数多の事柄を、ポジティブに捉えて自分自身も獲得しようとする心情が込められているように思える。その探究心や、あらゆるものを否定する態度に「共感」を得られる要素があるのか。そうした探究心はマンガ的に描こうとすれば、いくらでもできる。すなわち、そんな気持ちなどないのに頭の中で組み立てることもできる。

 これまで、そんな「意識の高さ」を匂わせる作品にも多く出会ってきた。けれども『私だってするんです』には、そんな凡庸さはない。狂言回しである林檎を通して、作者自身が探求し右往左往する様が描かれているように思えたからだ。物語の必然として、林檎が調査をしなくてはならない理由はきちんと描かれている。でも、それを踏まえた上で作者である小谷自身の体験した驚き、快感、躊躇が余すことなく表現されている。その嘘のなさこそが「共感」を生んでいるのではなかろうか。

 デビューからこれまでの間に発表した作品が極めて少ない、寡作な描き手。それでいて、描くものは極めて濃厚。小谷真倫とは、いったい、どんな人物なのか。そんな極めて単純な好奇心から、取材を申し込んだ。

 

 最初に連絡したのは『くらげバンチ』のメールフォーム。驚くほど早く、日時は決まった。場所は神楽坂にある新潮社の別館。飯田橋駅から、喧噪にまみれる神楽坂通りをトボトボと歩いて登りながら、どんな人物が待っているのか、さまざまな想像がめぐった。

 ふと思い出したのは、単行本の中にあった一文である。

 小谷はもともと夜の世界の人間である。

 単行本のために描き下ろされた、おまけマンガにはそう書いてあった。ほかのページも含めて、添えられた作者自身の造形は、たらこ唇のズケズケと図太そうなタイプの女。女性ではなく「女」という一文字がしっくりとくる。インタビューを受けてくれるとはいえ、自意識が高くて押しの強そうな水商売風の女が来たら、どうしようかと思った。見ようによっては、オナニーのことを、ずけずけと恥ずかしげもなく描いているわけだから、きっとそんなタイプの女性なのではないか……。

 でも、新潮社別館の1階にある応接室で待っていたのは、まったくの別人だった。秋の訪れを感じさせる、小豆色と白黒がストライプになった薄手のセーター。細身の、清楚さもかすかに感じさせる大人しげな女性は言った。

「あの、私、インタビューは初めてなんです。ちゃんと話せなかったら、ごめんなさい」

 彼女が身に纏う、作品とは正反対の雰囲気。その色気とも違う、何かを取り込もうとする独特の空気感にして、私は、お決まりの言葉を紡ぐことしかできなかった。

「インタビューは初めて」という言葉通り、最初、小谷の声は小さかった。けれども、作品の中で描かれている、グイグイと押していく雰囲気の自画像とは真逆の姿に、俄然興味が湧いた。『私だってするんです』で描いた自画像よりも、自分を的確に描いているのは『害虫女子コスモポリタン』の中で描いた、自身の初取材の回。そこでドキドキする自身を描写した小谷は、緊張のあまり失禁する姿まで描いている。マンガ的な、話を盛ったコマだとはわかっている。でも、そこにはできる限り目線を下げて、取材対象に寄り添おうという精神性が感じられた。意図的かどうかはわからないが、この時は素の自分を素描していたのだと思う。

 そんな小谷への最初の質問。やはり聞くべきは、宣伝文句にもなっている読者からの共感の嵐について、どう感じているかということだった。

「えっとですね……」

 とても小さな声で、一拍置いて。それから、小谷ははっきりした声で話し始めた。

「共感した方もいらっしゃるんですけれども、もともと、これは、別にこう……わかってもらわなくていいかな、という思いでつくったんです」

 この一言に『私だってするんです』という作品が、共感を呼び起こしている理由が集約されている。インタビュー慣れした人が口にするようなものとは違う、自然体の素朴な言葉。そこには、どこからともなく湧き出る「この作品を描きたい」という作者の情熱に読者が圧倒され、物語の中に引きずり込まれているという構図があった。

 この作品を描いて世に出ようだとか、有名になろうだとかいったものよりも、自分はマンガ家なのだから、描きたいし描いてしまったのである。

 だから、連載を前に、小谷の心中にあったのは「共感できないけれども、理解してもらえればいい」という思いだけ。ところが、コメント欄に寄せられるのは、まったくそうではない感想。

「最初は、中にはこういう人もいるのかなと思って描いたんです。それが、<わかる>という人が何人もいて反対にびっくりしたんです」

 実のところ、男女の垣根を越えて好意的な反応が押し寄せる様は、編集サイドにとっても予想外だった。「女性のオナニー」事情をテーマにした作品。だから、当初考えていたのは男性からの反応。それが、蓋を開けてみれば男女を問わず。女性からの感想も次々と寄せられる。

 Twitterは、アカウントは持っているけれども、エゴサーチもしなければ、ほとんどツイートしていなかった。それなのに、60数人しかいなかったフォロワーは、連載を始めてから120人にまで増えている。これも、独特の反応。前述のように、Twitterでは公言しにくいが、コメント欄には感想を寄せる。オナニーについて、もっと積極的に、オープンに語りたい男女が無数に蠢いていることを感じさせてくれる。

「コメント欄は、誰が書いたかわからないから、Twitterなんかよりも書きやすいとは思うんです。それでも、意外と肯定的な意見が多くて。最初は、みんな『そんなにオナニーしていないだろう』となるんじゃないかと思っていたんです」

 同席していた『くらげバンチ』担当編集の佐藤は、存外に好意的な感想が集まったことへの驚きを隠すことはなかった。

「共感してもらう必要もなかった」

 そんな言葉を、小谷は幾度も口にした。読者の共感を得て、評判になっている実感を得て感激するよりも、もっと作品を描くための探求に限られた時間を割きたいのだ。

 取材というよりも探求という言葉がよく似合う小谷の行動力は、初の連載作『害虫女子コスモポリタン』の時から、如実に現れている。ゴキブリをはじめとした害虫を、女のコに擬人化して描くショートストーリー。そこで綴られる知られざる害虫の生態は、さまざまな専門家との対話をベースにしている。

「今、描いているのは取材と想像と、人から聞いたものを、自分を……なんてこう……実験台にしてみたいな……気持ち悪いことをやってえ」

 オナニーをテーマにするため、自分の身体を実験体にしている。それを小谷は「気持ち悪いこと」と言って笑う。その自虐も、一種の余裕である。そして、自分の知りたいこと、描きたいことのためには世間の評判などは、取るに足らないものと割り切る覚悟である。だから、作品に生かされている実体験を尋ねても、小谷は臆さない。それどころか、話題がそこに及ぶと、よりはっきりとした声で話し始める。

「作中で、林檎が電マを試していますが、これも実体験を通していらっしゃるのですね」

「そうですね、電マは……過去にやったことを彷彿とさせて、という感じですね」

「ひと通り試していらっしゃる」

「ええ、それは日記に全部……。こう、メモ書きにしてあるんですよ。何月何日にこれをやったと。『死ぬかと思った』とかみたいなことを」

「死ぬかと思ったとは」

「えっと、社会的に死ぬかと思ったのが電マなんですよね。なんか、音みたいなのとか……騒いだりとかで、迷惑をかけたのは電マ」

「声は出てしまった」

「そうですね。ちょっと、転落したりだとか」

「とりわけ、セクスティングでの敗北感は、事実を反映しているふうに読めますね」

「これなんか、大学生の時に調子こいてやっていたような気がするので……。それに近いことを正気になって考えたら、気持ち悪いな。よくよく考えたら、そんなに自慢げな身体でもなかったなあ……」

「それは、当時の彼氏なりに送った」

「彼氏というより好きな人に送ったんです。その時だけ盛り上がって……5年くらい賢者タイムでしたね」

 作中で記されているさまざまな行為を、自身が体験している。そのことを聞いても、まったく隠すことはしない。隠すことはしないのだが、自慢することもしない。それもまた、小谷の作品に反映されている独特の精神性である。女性の性を扱った時に、多くの作品は暴露的、露悪的、あるいは社会問題提起であったりする。ところが、小谷はどちらでもない。「こんな作品」を描くことに突っ走ってしまう情熱と「こんな作品」を描いてしまう恥ずかしさの間を揺らいでいる。それは、主観と客観の間の揺らぎのようなもの。その揺らぎが、作中で描かれる性を、今まで描かれてこなかっただけで、実は人知れず普遍的に存在していたものであるという存在感を与えている。

「セクスティングで、もう一歩を踏み出せない林檎の敗北感。それは、一線を越えた先に楽しい世界があるのがわかっているからこそなのでしょう」

「そうです。ですから、この主人公の林檎は非常にまともで、けっこうフツーの人間。真人間。身体はエロいけど……」

 

 世間の常識と、自分の知りたい世界との揺らぎの中に、作品世界を模索する小谷。高校までを過ごしたのは、今は市町村合併で二本松市となった福島県中通りの山間部。マンガ雑誌は薬局に「なかよし」(講談社)が数冊入る「なんかイノシシとかいるところ……」という土地で、小谷が夢見ていたのは、魔法使いになることだった。

「人と同じ行動をとるのがツラくて……大人になるにつれて、なれないなとわかってやめたんですけど」

 そういった過去を「一定の年齢まで信じていたから、危ないなとは思っています」とは言いつつも、当時の小谷は本気だった。小学校6年生の頃、10年に一度規模の台風が福島県に上陸した(平成10年台風5号だと思われる)。

「私はそろそろ空を飛べる、この風に乗って別の世界へ行ける!!」

 嵐の中、家を出た小谷は、強い決意を持って近所の山の崖から飛び降りた。空を飛ぶ事はできず、傘を三本ぶっ壊して大人に怒られただけだった。その他、悪事をやらかして全校集会を開かせたりした。「劣等生で悪童であった」と小谷は振り返る。

「親は、ちょっとオツムの具合がアレかなっと。両親は真人間だし、弟も真人間だし」

 現状維持が美徳の保守的な田舎の村で、小谷のような子どもは浮いていた。『私だってするんです』の単行本が発売になり、地元の大きな書店は、地元出身のマンガ家として大きく棚を割いている。サイン本の依頼もある。田舎に帰れば、仲良く話せる旧友もいる。それでも「東京でマンガ家をやっているという時点で、やっぱり浮いている」というのが、小谷の見立て。単行本の加筆されたページにも記されているが、作品の登場人物のモチーフには、故郷の友人たちもいる。時折、帰郷した時に、その友人たちと落ち合う。そんな時に、何気なく口に出る今の幸せや、これからの人生の目論見……旧友たちの思い描く幸せとの解離を感じている。

「そういうところに帰りづらいという思いはありますね」

 自ら「今でいうところのスクールカーストの最底辺みたいな、根暗」と、十代の青春を語る小谷。でも、その最底辺に属することで、逆にすんなりと見えてくるのが複雑な人間模様や、得体の知れない輝きを放つ人々の姿。だから『私だってするんです』に描かれるキャラクターの多くは、これまで自分が人生で出会い、興味を持った人々の中から生まれてくる。

 例えば、作中に登場する地味で目立つタイプでもないくせに、すでにセックスも体験していることがわかり、林檎を驚かせるクラスメイトの中村広子。そのモデルは、地味なのに性には発展的だった同級生。

 たとえ人口の少ない田舎町でも、学校に行けば作中に出てくるようにさまざまな興味深い同級生たちがいた。でも、キャパシティのない地域社会の中で、異端者が折り合いをつけて暮らすのは、甚だ難しい。進学や就職など、さまざまな方法で、生まれ育った土地を後にするのは必然である。小谷の場合、進学がそれだった。選んだのは、女子美術大学。それもまた、地元では異端な進学先。けれども、大学に入れば、そこは世間の常識などものともしない人々が溢れる世界。

「私の美大は全裸になって自分の肉体に色を塗ったり、芸術の方法が過激な子とか、フツーにレズビアンの子とかもいたんで……」

 そんな枷を解かれた世界で、小谷はマンガ家としての人生を明確に描き始めていた。もともと、マンガ家になろうと思ったのは、魔女を断念した直後。憧れの優等生の先輩が、マンガ家になりたいと言っていたのがきっかけ。

「自分にはないから、この世界ではリア充をって、害虫とかは一切出てこない、青春のぞわぞわする感じのを描いてました」

 それもまた、閉塞した村の中での見えない枷だったのか。上京してから小谷は、青年誌へとシフトして才能を開花させようとしていた。単に憧れるだけではなく、着実に階段を上っていた。講談社の新人賞「第23回講談社MANGA OPEN」での奨励賞を経て、09年からは『害虫女子コスモポリタン』の連載も得た。その間の修業時代。高橋しんのアシスタントをしていた時には、忘れられない思い出がある。高橋は時々、通常のアシスタントの仕事とは別に、複雑なキャラクターの心情を、表情で描く指示をしてくることがあった。ある時、高橋はプロットを小谷に渡してキャラクターの「泣いたような顔で笑う」コマを描いてみるよう指示した。

 小谷はあれこれと必死に考えて、高橋から指示された表情を描いた。それを見た高橋は「なるほど、これが泣き笑いの顔か」と呟いた。「その時、先生に認められたんだと思って、うれしかった」と小谷は言う。単にマンガ家とアシスタントの関係ではない。自分の下で働く後輩たちの成長を促すきっかけを与えることを惜しまない高橋。こうした経験は、着実に小谷を成長させていった。

 アシスタントとして修業を積む間に『害虫女子コスモポリタン』の連載も始まった。不定期連載とはいえ、アシスタントをしながらという、ぬるま湯のヤバさも感じて、小谷はマンガ家として独り立ちする決心をした。その時には、自分もこれからマンガ家として、着実にキャリアを積んでいくことができるという、希望もあった。でも、順風満帆にはいかなかった。

「まあ、不遇の時代が長かったですよね」

 2冊の単行本が出た後、講談社からの仕事は途絶えた。単行本が出た後に仕事が途絶えてしまったマンガ家は、ある意味で新人よりも苦労を強いられる。再び、さまざまな編集部に持ち込みに回っても、既存の作品の評価や売上で、足元を見られる。持ち込みに行った先の編集部で「うちでは厳しい」と突き返され、罵倒までされた。マンガ家仲間の中には、心が折れて田舎に帰る者もいれば、リストカットをする者もいた。毎日、納豆かチンゲン菜のどちらかばかりを食べてマンガを描き続ける日々。マンガ家としての矜持と財布が底を尽きそうになると、水商売を始めた。

 小谷が最初に水商売に心を引かれたのは、大学生の時であった。

「今でもそうですけど………多分、自分に自信がなかったからだと思うんです」

 水商売というのは、指名数などさまざまな形で自分に値段がつく世界。だから、自分が女性として、どれくらいの価値があるのか知ることができるのではないかと考えた。それは、東電OL殺人事件の被害者となった、あの女性に似たメンタリティ。ただ違うのは、あの女性が自分の肉体の価値を確認することを求めたのに対して、小谷は自分の女性としての価値を測りたかったということ。新宿や新橋、町田と、各地のスナックやラウンジを転々としながら、自分でも説明のつかない衝動を埋めようとしていた時期があった。

 そして、再び生活の糧を得る手段として足を踏み入れた水商売の世界。けれども、小谷はどっぷりと足を踏み入れはしなかった。ネオンの巷で働くうちに、そこで見る人間模様が小谷に、マンガをもっと描きたいという衝動を与えてくるのだ。マンガに軸足を置いては、また夜の世界へ。それを繰り返す中での体験が『私だってするんです』という作品の実を少しずつ育てていった。

 ある少し高級なクラブで働いている時だった。いまだバブル時代が続いているようなタイプの馴染み客がいた。その夜は、酔いも回っていたのか、客は小谷を執拗に夜に誘った。客とはいえ、まったくタイプではない男だった。それもあって、小谷は水商売のテクニックではなく、ごく自然な感じで言った。

「私、今日は自分でするんで、すみません」

 考えもしなかった小谷の言葉に、客の男は驚いた顔をしていった。

「そんな悲しい、そんな悲しいことを言うなよ。俺がいるだろ。パイプカットしてるんだぞ、俺は安心なんだぞ、イカせられる……」

 その客の言葉が、夜が明けても小谷の心中にずっと引っ掛かっていた。それより前に「男の人は自分たちはするけど、女の人がするっていうのを信じたくない」という話を聞いたことがあった。なんで、そんな齟齬が生じるのか気にかかっていた。自分は、とりわけ文章をオカズにやっている。中でも渡辺淳一の小説は「淳一、やるな」と思いながら、興奮してしまう。自分でマンガを描いている時にだって、事故のようにエロい気持ちになってしまうこともある。一方で、女性の側にも、何か引っ掛かるものがある。多くの男性と関係を持ち、それを誇るように話す女性であっても、オナニーの方法やオカズを聞くと、途端に否定的な態度を取ってくる。いくら巷にエロメディアが溢れているといっても、自由さはない。とりわけ、女性の性に感じるのは、価値基準が男性のフィルターを通した「自分がいかに愛されているか」といったものに限られていること。

 そうじゃない楽しい世界は必ずある。別に「私たちは!」と机を叩くようなものではない。仲間たちと、こういうことをやっているんだよ。面白い。自分もそういうことをしてみよう……そんな、前向きさのある自由で気持ちのよい世界があるはずなのに。

 神楽坂の早稲田通りに面した『くらげバンチ』のオフィスで、佐藤はいつものように業務をこなしていた。担当するマンガ家との打ち合わせ。原稿の進行の確認。いくつかの仕事をこなした後、持ち込み原稿を読む。封筒で送られてきたのは、最近は減った手描きの原稿。数作品あった中の、ひとつを読んで佐藤は思った。

「これは、モノになるかもしれない」

 マンガ家になりたいといっても、なれるのはホンの一握り。デビューしてからも、マンガ家として続けていくことができるのは、さらに一握り。すでに2冊の単行本を出した後、数年間の沈黙が続いているマンガ家。そんな人物の作品が、どんなものなのか。海の物とも山の物ともつかない。ともすれば、一度はデビューしたという安っぽいプライドは、妙な癖のついた我の強さばかりを肥大化させがち。でも、その作品は、佐藤の心臓に突き刺さった。

「女性のオナニーについて、女性自身が描いている」

 男性にとっては謎の部分。エロマンガなんかで、男性が好むスタイルで描かれることはあっても、その実像をする術もない。それを知ることができたら、面白いじゃないか。

 すぐに佐藤は、原稿の主……小谷に連絡をした。

「これ、すごく面白いと思います」

 そこから連載開始までは、1年あまり。何度も打ち合わせと描き直しが続いた。テーマには確固たるものがある。それを、エンターテインメントとして、どのように見せるか。『くらげバンチ』は、Webという特性も生かして実験的な作品が並ぶ。一種特異な作品を求めてアクセスしてくる読者に向けたエンターテインメントとは何かを探った。

 これまで、一貫して手描きで原稿を描いてきた小谷にとって、Webへの戸惑いもあった。自身もマンガは紙で読むことに慣れ親しんできた小谷。画面をスクロールしながら読むWebのスタイルは、自分の作風には向いていないのではないかという恐れもあった。

 打ち合わせを重ねて、ようやく連載が始まった。始まってしまうと、恐れは新たな発見と好奇心へと転換していった。紙媒体にはない、読者からのダイレクトな反応。もちろん、いい話ばかりではない。「悪口を言われるとツラくて創作に支障が出たり、匿名でしか好き勝手言えないような奴は肥溜めに落ちろと思うことがあります」という赤黒の感情も湧き出す。けれども、紙媒体とは違う読者の直接的すぎる反応は、小谷の創作意欲をさらに高めている。単純に「共感」されることに喜ぶのではない。読者自身がコメントの中で書き記す読者自身の行為。それが、小谷の探究心の新しいスイッチをオンにするのだ。

「……自分のリアルな恋愛とかセックスが充実していたら、生まれなかった作品だと思っています。そういうものに自信がないから、こういう性的な作品が描けるんだと思っているんです」

 これまで、付き合った男に話が及ぶと小谷は、少し笑いながらいった。

「まあ、そうですね。悲しいっていうか。ちょっと、乱暴だったっていうか……」

 そうした、人には言えない経験。暖かい家庭を築くこととはかけ離れた体験。それを、マンガ家の芸の糧として誇るわけではない。それは、広く世間から見れば恥ずかしいことかもしれないが、そのことをも糧にしていく性を持つ自分を、徹頭徹尾客観視している。その観察眼は、内面だけではなく周囲にも向けられている。オナニーを通じて明らかになるさまざまな性癖。そして、個人の日常。興味を惹かれて、昂ぶりは止まらない。でも、決して自分にはないものがある。上から見て、分析したり、自分のほうが優れているという気持ちを巧妙に隠しながら、見下したような同情をするような気持ちのようなものは、どこにもない。

「みんなそれぞれ違うところを『こーいう違いもあるのか』と楽しみ合えればと思います」

 そして、小谷はまた笑う。
(取材・文=昼間たかし)

オンナを描く漫画家・鳥飼茜に聞いた、女社会の“本質”と母親という女について

 漫画家・鳥飼茜が止まらない。10月には最高傑作との呼び声も高い『先生の白い嘘』(講談社)の完結巻となる8巻、新作『ロマンス暴風域』(扶桑社)1巻、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)のスピンオフ本『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』(祥伝社)と、一挙に3冊をリリース。さらには「クイック・ジャパン」vol.134(太田出版)で大々的に特集されるなど、まさに大車輪の活躍だ。さまざまな角度から女を描き、そして女をエンパワメントしてきた鳥飼茜の、作家としての現在地を女子マンガ研究家・小田真琴が2回にわたって聞く。まずは前編、テーマは「嘘と女」について。

鳥飼茜(とりかい・あかね)
大阪府出身。2004年、「別冊少女フレンド DX ジュリエット」(講談社)でデビュー。2010年に「モーニング・ツー」(講談社)で連載を開始した『おはようおかえり』(講談社)が評判となって一躍人気作家となる。代表作に『先生の白い嘘』(講談社)、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)など。女性の心の機微を描き出す力はマンガ界でも随一。現在は「SPA!」(扶桑社)、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)、「Maybe!」(小学館)でマンガ作品を連載中。

――新作『ロマンス暴風域』は男性週刊誌「SPA!」での連載ということもあって、これまでとはまた違った毛色の作品です。ページの余白が黒く塗り潰されていて驚きでした。

鳥飼茜氏(以下、鳥飼) 初めてコピック(高品質のカラーマーカー。マンガのカラーページを描くのによく用いられる)でマンガを描いたんですけど、グレーの階調が多いんで、見た目が散らからないかなって不安があったんです。背景を締めればなんとかなるんじゃないかと考えて。あとは映画見てるみたいな感じになってくれたらいいな、って思ったんですね。なんか、夢みたいな話なんで。

――本のサイズも珍しく大きめのA5判ですね。

鳥飼 階調が多い絵なんで、大きい方がいいと思います。小さくすると鬱陶しいかもね。でも、私の経験上絶版になるというマイジンクスがありまして……やばいね(笑)。大丈夫ですか(笑)?

『ロマンス暴風域』は男の一人称で描く現代の「男のロマンス」だ。風俗店で出会ったせりかに運命の出会いを感じた高校の臨時教員サトミン。ところが次第にせりかは平気で嘘がつける人間だとわかっていく。なにが嘘で、なにが真実なのか。それでもサトミンの心に吹き荒れるロマンスの暴風はやむことがない。

――「夢みたいな話」とのことですが、『ロマンス暴風域』のせりかがつく嘘は、もはや幻想的ですらあります。

鳥飼 せりかは超嘘つきですけど、私自身からはかけ離れているから、ドラマチックだなあと思って、おもしろく思ったんです。絶対に自分がしないことだから。嘘をつく人のメカニズムが全然わからないんですよね。

――嘘かほんとかみたいなことに、あまり興味がない?

鳥飼 そうかもしれませんね。嘘でもいいんで。せりかは嘘をつくけど、どれも本当じゃなかったとしても、その瞬間、それを信用して、自分が気持ちよかったらそれでいいんじゃないかって。それが現実と違うからといって、じゃあ意味がないのかっていうと、そうとは限らなくて、その意味をいいものとして持ち替えるかどうかであって、それは対面した本人にしかわからないというか。

――マンガもある種の嘘です。

鳥飼 私のマンガはよく説教臭いと言われるんですが(笑)、その説教も嘘ですからね。なんにもないところから適当に説教を始めてるんです。真っ白な紙の上に説教を描いてるわけだから、見て来たようなことを。真実味があればいい、本気でつける嘘しかつかない、的な。かっこよく言うとね。

――鳥飼作品は嘘から立ち上がる物語が多いですよね。『おんなのいえ』の川谷の嘘とか、『先生の白い嘘』というタイトルとか……。

鳥飼 言われてみればそうですね(笑)。ずっと私の作品を読んでる人って、そういう謎の分析をしますよね! でも現実では、たぶん嘘つかれても気づかないくらい、嘘って意識したことないんですよ。前に飲み会の席で「鳥飼さんって浮気されたことないの?」って話になって、「ないですね」って答えたら、「それは騙されているか、世の中に存在するという浮気をしない2%の男とだけ付き合ってきてるかどっちかだな!」って言われたことがあります。

昨年全8巻で完結した『おんなのいえ』は、有香とすみ香、2人姉妹の恋模様を描いた女子マンガの傑作。あこがれの職業を諦め、結婚するつもりだった彼氏にもふられた有香は、バイト先のキャバクラで出会った川谷といい感じになるのだが、実は川谷は既婚者で……というのが1巻のあらすじ。

――信頼のようなもの、特に女性の共同体に対する無条件の信頼が、鳥飼作品のベースにはあるように感じます。『おんなのいえ』はまさにそうですし、現在「ダ・ヴィンチ」で連載中の『マンダリン・ジプシーキャットの籠城』もそうですね。

鳥飼 親戚も家族も女ばっかりだから、それしか知らないんですよね。結婚生活とか同棲中とかは確かに男がいましたけど、その男って単体だからあまり参考にはなりません。単体の男ってとにかく甘え倒すっていうことしか、私は知らないから(笑)。

――その中で女という性に対する信頼感が生まれていった?

鳥飼 女の人だけの共同体が好きなわけじゃないんです。どちらかと言うと苦手ですね。女友達もあまりいないし、飲みにも行かない。でも信頼はしてるんです。

――例えば女同士が足を引っ張り合うような話を描かないのはなぜですか?

鳥飼 嫌なんです。見たくない。見たくないから描かない。だから私のマンガはそれこそファンタジーなのかもしれない。そういうのを取り沙汰しすぎちゃうと、本当にあるってことになっちゃうような気がするから。

――『先生の白い嘘』の美奈子は比較的、足を引っ張るような女にも見えます。

鳥飼 美奈子はマウンティングしてるんじゃないかって言われましたけど、あれは意図的に描いていて、でも実は……って気持ちもあったから、あのラストなんですよ。ママ友の会みたいなところではマウンティング的なものも見ますし、実際にあると思うんだけれど、私がその場で急病になったりするじゃないですか。そうしたら絶対みんな優しくしてくれる。もうマウントとか横において、実際的に助けてくれるんですよ、女は。だから、そういうところだけ見ていたいんです。

美奈子は主人公・原美鈴の親友。であると同時に、美鈴を強姦した早藤の婚約者でもある。早藤の行いに美奈子は薄々感づきながらも、それには見て見ぬふりをして、幸せな女であるよう周囲へ盛んにアピールする。そんな鬱陶しいキャラクターではあるが、最終巻では大化け。実は作品の大テーマを背負う存在だったことが判明するので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。

――そっちこそが女の本質であると。

鳥飼 マウントする部分は飾りだな、と思う。その人の本来じゃないなって思うし、その人の本来っていうのは、変な言い方すると、母性に似ているのかもしれない。私の考えはとても甘いかもしれないけど、女の人には、どっか期待してるんですよね。困っていたら助け合えると思ってるし、困っていなかったら助けないし、必要があれば介入するし、必要がなければ介入しない、というのが本来的だと思っている。だけどそれをどっかそれ以上にしたりしなかったりするのは飾りかなって思っていて、その飾りがどこでできたのかっていうと、親との関係とか、きょうだいとの関係とかなんだろうなって思う。

――それはこの男社会を一緒に乗り越えて行こうという同胞意識ですか?

鳥飼 そういう感じとはまた別で、個として、女の人というものに、絶対的な信頼がありますね。理屈じゃないんですよね、うまく言えないけど。男社会を通してのマウンティングみたいなものは、逆に私はうまく描けないかもしれない。

――鳥飼先生自身は親子関係の影響を感じることはありますか?

鳥飼 めちゃくちゃありますね。うちはお母さんもめちゃくちゃ働いていたから、あまり家にいなかったんですよね。でも1日2回とか掃除機かけるんですよ。ごはんも全部手作りして。完璧主義……というか、逆ギレでやってましたね。PTAとかには来たこともないし、授業参観にも来たことない。でも家帰ったらきれいに掃除して、晩ごはん作って。きっとお父さんが頼りなかったんでしょうね。お母さんはどこかでお父さんと手を切ったんだな、って感じてました、甘えるのやめたんだなーって。すっごい自立した人なんですよ、お母さん。

――作品にも影響が?

鳥飼 あると思います。うちの母親はドライで、子育ても手塩にかけて精一杯やりましたという感じでもないんですよ。やれることはやりました、みたいな。小学校低学年くらいのときかな。手をつなごうとして手を差し出したら、小指をつままれたんですよ。べたべたするのが嫌いな人でした。愛情がないわけではないんです。だけど褒められたこともないし、すごく愛されてきたという感じもないし、かといって無視された気もないし、ものすごく適切な距離感というか。だから女の人に対する信頼って、お母さんに対する信頼と似ていると思う。私にとっては唯一神みたいな人です。

――子どもだった鳥飼先生を1人の人間として扱っていたのかもしれませんね。

鳥飼 そう思いますね。うちの家族、全員そんな感じなんですよ。みんな思ってることが違うし、血液型も全部違うし、バラバラなんですよ。統一感がない。だから家族=他人みたいなところがちょっとあって。他人だけど嘘つかないし、気も使わないし、否定することも別にないし。

――寂しくはなかったですか?

鳥飼 親に認められていなかったなあとは、ちょっと思いますよ。つい3年前くらいまで「マンガはいいけど、資格かなんか取っておけば?」って言われてましたし(笑)。最近やっと言われなくなったけど、もう娘が自慢で「こんなん描いてるから読んであげて!」みたいな感じはなくて、めちゃくちゃ照れ屋さんだから、こっそり買って読んでるみたいです。実家に行っても私の本は見えないところに置いてあるんですよ。たまに「あんたの漫画ちょっと冷たすぎるんちゃう。だから売れへんのじ ゃない?」とかって言われるんですけど、どの作品のこと言ってるんですかね(笑)。

――今はご自身が子どもを育てる立場でもあります。

鳥飼 まったく母親みたいには育てられていないです。私はすっごい介入しますね。最近やっと手を離すってことを少しずつ勉強しています。でも根本的には他人だなって感じはすごくありますね。性別も違うし。

――男だな! って思いますか?

鳥飼 男の子だなーって思いますね。先に子育てをやっておけば、もっと恋愛がうまくいっていたかもしれない(笑)。男の人を追い詰めちゃいけないとか、子育ても恋愛もいっしょだなって思います。

――どんな男性に育ってほしいですか?

鳥飼 どうなってほしいとかは特にないんですけど、もう手を離していかないとダメだなーって思いますね。マザコンではまったくなくて、あの人はたぶんちょっと女性恐怖症だと思う(笑)。どんな女と付き合うんだろうって思うし、もういっそ女じゃないかもと思うし、それはもしかしたら私のせいかもしれないけど、でもそれはそれでそういう人生もいいんじゃないですかと、どっかで思っていて。私なんかのもとで育っちゃったら、女の人にファンタジーなんて持ちようがないでしょうね。

――好きな子とかいたりするんですかね。

鳥飼 おもしろいですよ。息子のことを好きな女の子がいるらしいんですが、感慨深いですよね。自分が育てているこの子のことを思って、ちょっと胸を痛めてる女の子がいるのかと思うと、なんかとんでもないことをしてしまったような(笑)。とんでもないものをリリースしてしまったなと(笑)。小学生男子って「お前のこと好きって言ってるぜ」って聞いたら「俺は嫌いだぜ!」って、言うじゃないですか。「それ絶対傷つくから、嫌いだと思っても絶対に言うなよ!」って、そういう感じの演出を親が加えています(笑)。まあ勝手に楽しくなってって思いますけど。
****

 鳥飼作品に独特の女同士のバディ感は、物語全体に安定感と心地よさ、そして時にはスリルをもたらしている。『おはようおかえり』も『おんなのいえ』も、姉妹のやりとり、ケンカのシーンは大きな見どころの1つだった。後編では男について、そしてマンガについて聞いた。
(小田真琴)

オンナを描く漫画家・鳥飼茜に聞いた、女社会の“本質”と母親という女について

 漫画家・鳥飼茜が止まらない。10月には最高傑作との呼び声も高い『先生の白い嘘』(講談社)の完結巻となる8巻、新作『ロマンス暴風域』(扶桑社)1巻、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)のスピンオフ本『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』(祥伝社)と、一挙に3冊をリリース。さらには「クイック・ジャパン」vol.134(太田出版)で大々的に特集されるなど、まさに大車輪の活躍だ。さまざまな角度から女を描き、そして女をエンパワメントしてきた鳥飼茜の、作家としての現在地を女子マンガ研究家・小田真琴が2回にわたって聞く。まずは前編、テーマは「嘘と女」について。

鳥飼茜(とりかい・あかね)
大阪府出身。2004年、「別冊少女フレンド DX ジュリエット」(講談社)でデビュー。2010年に「モーニング・ツー」(講談社)で連載を開始した『おはようおかえり』(講談社)が評判となって一躍人気作家となる。代表作に『先生の白い嘘』(講談社)、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)など。女性の心の機微を描き出す力はマンガ界でも随一。現在は「SPA!」(扶桑社)、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)、「Maybe!」(小学館)でマンガ作品を連載中。

――新作『ロマンス暴風域』は男性週刊誌「SPA!」での連載ということもあって、これまでとはまた違った毛色の作品です。ページの余白が黒く塗り潰されていて驚きでした。

鳥飼茜氏(以下、鳥飼) 初めてコピック(高品質のカラーマーカー。マンガのカラーページを描くのによく用いられる)でマンガを描いたんですけど、グレーの階調が多いんで、見た目が散らからないかなって不安があったんです。背景を締めればなんとかなるんじゃないかと考えて。あとは映画見てるみたいな感じになってくれたらいいな、って思ったんですね。なんか、夢みたいな話なんで。

――本のサイズも珍しく大きめのA5判ですね。

鳥飼 階調が多い絵なんで、大きい方がいいと思います。小さくすると鬱陶しいかもね。でも、私の経験上絶版になるというマイジンクスがありまして……やばいね(笑)。大丈夫ですか(笑)?

『ロマンス暴風域』は男の一人称で描く現代の「男のロマンス」だ。風俗店で出会ったせりかに運命の出会いを感じた高校の臨時教員サトミン。ところが次第にせりかは平気で嘘がつける人間だとわかっていく。なにが嘘で、なにが真実なのか。それでもサトミンの心に吹き荒れるロマンスの暴風はやむことがない。

――「夢みたいな話」とのことですが、『ロマンス暴風域』のせりかがつく嘘は、もはや幻想的ですらあります。

鳥飼 せりかは超嘘つきですけど、私自身からはかけ離れているから、ドラマチックだなあと思って、おもしろく思ったんです。絶対に自分がしないことだから。嘘をつく人のメカニズムが全然わからないんですよね。

――嘘かほんとかみたいなことに、あまり興味がない?

鳥飼 そうかもしれませんね。嘘でもいいんで。せりかは嘘をつくけど、どれも本当じゃなかったとしても、その瞬間、それを信用して、自分が気持ちよかったらそれでいいんじゃないかって。それが現実と違うからといって、じゃあ意味がないのかっていうと、そうとは限らなくて、その意味をいいものとして持ち替えるかどうかであって、それは対面した本人にしかわからないというか。

――マンガもある種の嘘です。

鳥飼 私のマンガはよく説教臭いと言われるんですが(笑)、その説教も嘘ですからね。なんにもないところから適当に説教を始めてるんです。真っ白な紙の上に説教を描いてるわけだから、見て来たようなことを。真実味があればいい、本気でつける嘘しかつかない、的な。かっこよく言うとね。

――鳥飼作品は嘘から立ち上がる物語が多いですよね。『おんなのいえ』の川谷の嘘とか、『先生の白い嘘』というタイトルとか……。

鳥飼 言われてみればそうですね(笑)。ずっと私の作品を読んでる人って、そういう謎の分析をしますよね! でも現実では、たぶん嘘つかれても気づかないくらい、嘘って意識したことないんですよ。前に飲み会の席で「鳥飼さんって浮気されたことないの?」って話になって、「ないですね」って答えたら、「それは騙されているか、世の中に存在するという浮気をしない2%の男とだけ付き合ってきてるかどっちかだな!」って言われたことがあります。

昨年全8巻で完結した『おんなのいえ』は、有香とすみ香、2人姉妹の恋模様を描いた女子マンガの傑作。あこがれの職業を諦め、結婚するつもりだった彼氏にもふられた有香は、バイト先のキャバクラで出会った川谷といい感じになるのだが、実は川谷は既婚者で……というのが1巻のあらすじ。

――信頼のようなもの、特に女性の共同体に対する無条件の信頼が、鳥飼作品のベースにはあるように感じます。『おんなのいえ』はまさにそうですし、現在「ダ・ヴィンチ」で連載中の『マンダリン・ジプシーキャットの籠城』もそうですね。

鳥飼 親戚も家族も女ばっかりだから、それしか知らないんですよね。結婚生活とか同棲中とかは確かに男がいましたけど、その男って単体だからあまり参考にはなりません。単体の男ってとにかく甘え倒すっていうことしか、私は知らないから(笑)。

――その中で女という性に対する信頼感が生まれていった?

鳥飼 女の人だけの共同体が好きなわけじゃないんです。どちらかと言うと苦手ですね。女友達もあまりいないし、飲みにも行かない。でも信頼はしてるんです。

――例えば女同士が足を引っ張り合うような話を描かないのはなぜですか?

鳥飼 嫌なんです。見たくない。見たくないから描かない。だから私のマンガはそれこそファンタジーなのかもしれない。そういうのを取り沙汰しすぎちゃうと、本当にあるってことになっちゃうような気がするから。

――『先生の白い嘘』の美奈子は比較的、足を引っ張るような女にも見えます。

鳥飼 美奈子はマウンティングしてるんじゃないかって言われましたけど、あれは意図的に描いていて、でも実は……って気持ちもあったから、あのラストなんですよ。ママ友の会みたいなところではマウンティング的なものも見ますし、実際にあると思うんだけれど、私がその場で急病になったりするじゃないですか。そうしたら絶対みんな優しくしてくれる。もうマウントとか横において、実際的に助けてくれるんですよ、女は。だから、そういうところだけ見ていたいんです。

美奈子は主人公・原美鈴の親友。であると同時に、美鈴を強姦した早藤の婚約者でもある。早藤の行いに美奈子は薄々感づきながらも、それには見て見ぬふりをして、幸せな女であるよう周囲へ盛んにアピールする。そんな鬱陶しいキャラクターではあるが、最終巻では大化け。実は作品の大テーマを背負う存在だったことが判明するので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。

――そっちこそが女の本質であると。

鳥飼 マウントする部分は飾りだな、と思う。その人の本来じゃないなって思うし、その人の本来っていうのは、変な言い方すると、母性に似ているのかもしれない。私の考えはとても甘いかもしれないけど、女の人には、どっか期待してるんですよね。困っていたら助け合えると思ってるし、困っていなかったら助けないし、必要があれば介入するし、必要がなければ介入しない、というのが本来的だと思っている。だけどそれをどっかそれ以上にしたりしなかったりするのは飾りかなって思っていて、その飾りがどこでできたのかっていうと、親との関係とか、きょうだいとの関係とかなんだろうなって思う。

――それはこの男社会を一緒に乗り越えて行こうという同胞意識ですか?

鳥飼 そういう感じとはまた別で、個として、女の人というものに、絶対的な信頼がありますね。理屈じゃないんですよね、うまく言えないけど。男社会を通してのマウンティングみたいなものは、逆に私はうまく描けないかもしれない。

――鳥飼先生自身は親子関係の影響を感じることはありますか?

鳥飼 めちゃくちゃありますね。うちはお母さんもめちゃくちゃ働いていたから、あまり家にいなかったんですよね。でも1日2回とか掃除機かけるんですよ。ごはんも全部手作りして。完璧主義……というか、逆ギレでやってましたね。PTAとかには来たこともないし、授業参観にも来たことない。でも家帰ったらきれいに掃除して、晩ごはん作って。きっとお父さんが頼りなかったんでしょうね。お母さんはどこかでお父さんと手を切ったんだな、って感じてました、甘えるのやめたんだなーって。すっごい自立した人なんですよ、お母さん。

――作品にも影響が?

鳥飼 あると思います。うちの母親はドライで、子育ても手塩にかけて精一杯やりましたという感じでもないんですよ。やれることはやりました、みたいな。小学校低学年くらいのときかな。手をつなごうとして手を差し出したら、小指をつままれたんですよ。べたべたするのが嫌いな人でした。愛情がないわけではないんです。だけど褒められたこともないし、すごく愛されてきたという感じもないし、かといって無視された気もないし、ものすごく適切な距離感というか。だから女の人に対する信頼って、お母さんに対する信頼と似ていると思う。私にとっては唯一神みたいな人です。

――子どもだった鳥飼先生を1人の人間として扱っていたのかもしれませんね。

鳥飼 そう思いますね。うちの家族、全員そんな感じなんですよ。みんな思ってることが違うし、血液型も全部違うし、バラバラなんですよ。統一感がない。だから家族=他人みたいなところがちょっとあって。他人だけど嘘つかないし、気も使わないし、否定することも別にないし。

――寂しくはなかったですか?

鳥飼 親に認められていなかったなあとは、ちょっと思いますよ。つい3年前くらいまで「マンガはいいけど、資格かなんか取っておけば?」って言われてましたし(笑)。最近やっと言われなくなったけど、もう娘が自慢で「こんなん描いてるから読んであげて!」みたいな感じはなくて、めちゃくちゃ照れ屋さんだから、こっそり買って読んでるみたいです。実家に行っても私の本は見えないところに置いてあるんですよ。たまに「あんたの漫画ちょっと冷たすぎるんちゃう。だから売れへんのじ ゃない?」とかって言われるんですけど、どの作品のこと言ってるんですかね(笑)。

――今はご自身が子どもを育てる立場でもあります。

鳥飼 まったく母親みたいには育てられていないです。私はすっごい介入しますね。最近やっと手を離すってことを少しずつ勉強しています。でも根本的には他人だなって感じはすごくありますね。性別も違うし。

――男だな! って思いますか?

鳥飼 男の子だなーって思いますね。先に子育てをやっておけば、もっと恋愛がうまくいっていたかもしれない(笑)。男の人を追い詰めちゃいけないとか、子育ても恋愛もいっしょだなって思います。

――どんな男性に育ってほしいですか?

鳥飼 どうなってほしいとかは特にないんですけど、もう手を離していかないとダメだなーって思いますね。マザコンではまったくなくて、あの人はたぶんちょっと女性恐怖症だと思う(笑)。どんな女と付き合うんだろうって思うし、もういっそ女じゃないかもと思うし、それはもしかしたら私のせいかもしれないけど、でもそれはそれでそういう人生もいいんじゃないですかと、どっかで思っていて。私なんかのもとで育っちゃったら、女の人にファンタジーなんて持ちようがないでしょうね。

――好きな子とかいたりするんですかね。

鳥飼 おもしろいですよ。息子のことを好きな女の子がいるらしいんですが、感慨深いですよね。自分が育てているこの子のことを思って、ちょっと胸を痛めてる女の子がいるのかと思うと、なんかとんでもないことをしてしまったような(笑)。とんでもないものをリリースしてしまったなと(笑)。小学生男子って「お前のこと好きって言ってるぜ」って聞いたら「俺は嫌いだぜ!」って、言うじゃないですか。「それ絶対傷つくから、嫌いだと思っても絶対に言うなよ!」って、そういう感じの演出を親が加えています(笑)。まあ勝手に楽しくなってって思いますけど。
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 鳥飼作品に独特の女同士のバディ感は、物語全体に安定感と心地よさ、そして時にはスリルをもたらしている。『おはようおかえり』も『おんなのいえ』も、姉妹のやりとり、ケンカのシーンは大きな見どころの1つだった。後編では男について、そしてマンガについて聞いた。
(小田真琴)