【テラスハウスデビュー】「目を閉じればセックス」莉咲子と流佳、際どすぎる会話への戸惑い

 見ず知らずの男女6人が、シェアハウスで共同生活する様子を記録したリアリティ番組『テラスハウス』。現在、Netflixにて「TOKYO 2019-2020」が配信中で、ファンは個性豊かな面々の恋愛模様を、一喜一憂しながら、固唾を呑んで見守っている。そんな『テラハ』を愛する“テラハウォッチャー”が、6月前半の配信分から、グッときた“名(珍)シーン”をピックアップし、思いのままにレビューする。

山ちゃん、結婚直前のビジネス非モテ(第4話)

 まずは、スタジオメンバーの南海キャンディーズ・山ちゃん(山里亮太)が女優の蒼井優と結婚した件に触れたい。第4話の配信は結婚発表の数日前。山ちゃんは、いつも通り非モテ・非リア充代表として、メンバーに悪態を吐いていた。

 「顔が赤くなってしまって女性とうまく話せない」というキャラで入居してきたものの、天性の女たらしっぷりでモテモテのアルバイト・流佳。その流佳を、山ちゃんは「こういうの一番嫌い! 女と話すと顔が赤くなるとか言って“俺たちの村”に入ってきて、クソ!」「圧倒的な敗北感で自分が嫌になってくる」と、“非モテの村”を荒らす者として糾弾していたのだった。視聴者の多くは、結婚報道を耳にしたとき、祝福するとともに「“俺たちの村”の村長ぶっておいて蒼井優と結婚とは! 流佳よりひどい村荒らしだ!」とも思ったことだろう。

 しかし、蒼井優もテラハファンとのこと。山ちゃんに幸せが訪れたことは本当におめでたい。将来の目標を聞かれた流佳が「ヒーローになりたいかな」と言ったシーンでは、山ちゃんは「いや、マジでそう思ってるなら人命救助の勉強とかしてんの? 介護の勉強とか。人の命を救いたいヤツがそれやってる? ライフセーバーの資格持ってる?」と素晴らしいツッコミを入れていた。蒼井優のハートを射止めても非モテメンタルは持ち続けて、これからも我ら村民を率いてもらいたい。

テラハ名物、味のあるおっさん新登場(第4話)

 入居者とはまた別に、湘南編の小嶋さん(菅谷哲也のアルバイト先「鎌倉ロコマート&ガーデン」のオーナー)、軽井沢編の富男さん(佐藤つば冴の父で、日本料理と蕎麦の店「冴沙」を経営)等、テラハには「味のあるおっさん」が登場する。今回の東京編でも、新たな味のあるおっさんが現れた。その名も大工の山田さん。俳優の翔平がアルバイトする内装工事現場の監督を務める山田さんは、ヒゲで角刈り頭、耳に鉛筆をひっかけ、竹原ピストルを彷彿とさせるTHE職人である。

 「俳優のほかにもいろいろやっていきたい」と話す自称・マルチな翔平を、「おめえ、相変わらずぼんやりしてんだね。全部やりたいって、そんなうまくいかねーっつう話だろ、おめえ」とバッサリ。翔平が「僕、器用貧乏みたいに言われたことがあったりして。でも、それはそれでいいのかもなって」と返すも、「おめえ、貧乏なだけで器用じゃねーけどな、言っとくけど」と鮮やかに追い打ちをかけた。素敵……。

 その後、地味にへこんでいる翔平にも人間味を感じた。山田さん、どうかこれからも定期的に登場して、翔平を大人の男にしてやってください。

莉咲子「入れてほしいの」
流佳「わかった」
莉咲子「いける? 裏の穴とかわかる?」
流佳「いける。痛かったら言ってよ。痛い? 入ってる?」
莉咲子「結構痛い」
流佳「ごめんね、ちょっと待って、一回抜く一回抜く」

 これは深夜のリビングで、流佳と流佳にメロメロ状態のフィットネストレーナー・莉咲子が繰り広げた会話である。莉咲子が、耳のピアスの穴が埋まってしまったため、ニードルでこじ開けてほしいと流佳に依頼したのだった。しかし会話だけ聞くと、かなり際どい。山ちゃんいわく「無茶苦茶だよ。もうこれは性交じゃないですか。皆さん、これ目を閉じると、もはやAVに感じますよ」。流佳、女子と話せないキャラはどこへ?

 その後も仲良く午前2時半までトランプでスピードをする2人。最後の対決が終わったあと、不意打ちで莉咲子は「付き合って」と流佳に告げる。「今なんて言った?」と確認する流佳に、莉咲子が「わかんない、寝ぼけてた」とごまかして第4話は終了した。たった4話で女子に告白させる流佳、なんて恐ろしい子……。

 この後の対応が吉と出るか凶と出るか、楽しみに待ちたい。

フジ『ザ・ノンフィクション』とNHK『彼女は安楽死を選んだ』:難病女性が選択する生死

 NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月9日放送のテーマは「それでも私は生きてゆく」。難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した美怜(37歳)が、徐々に自由が利かなくなる体を抱えつつも、外に出て人と会い活動的に生きる日々を追う。

あらすじ:29歳で全身の運動神経が動かなくなっていく難病「ALS」を発症

 全身の運動神経が徐々に機能しなくなっていく難病、ALS。国内には患者が9,636人いる。横浜国立大卒で地域活性の仕事をバリバリ行っていた美怜は29歳でALSを発症し、2年で歩けなくなり車いす生活になる。その後も、胃に穴を開けて直接栄養剤を送る「胃ろう」をつけるなど、体の自由は年々利かなくなっていくが、美怜は飛行機乗ってALS患者に会いに行ったり、好きなバンドのライブに30回も 行くなど活動的に日々を過ごす。

美怜が恐れるALSの「閉じ込め状態」とは

 取材は美怜がALSを発症し3年がたった2016年から行われた。取材当初から美怜は手足を動かせず、食事は口元までスプーンを持ってきてもらい、喉には発声器を着け会話をしていた。

 19年の春まで何回か取材が重ねられていく中、美怜の症状は目に見えて重くなっていく。自力で食べ物を飲みこむことができなくなり胃ろうを装着したほか、会話も困難になったことから、文字盤を見る目の動きを読み取ってもらう方法に代わった。番組の最後では顔の筋肉も弱まり、取材当初にはよく見られた笑顔がなくなり、文字盤でのコミュニケーションにも時間がかかるようになった。

 美怜の父親はALSを残酷な病気であり、見ているだけしかできないと話していた。視聴しているだけの私が痛ましいなどと、とても言えないような重い現実だ。

 ALSの症状がさらに悪化すると、目を開けることもできなくなるという。真っ暗な中、体を動かせず、話すことも表情を作ることもできず、外界に対し自分の意思や気持ちを伝える手段がまったくないのに、本人の感覚と思考といった「意識」だけはしっかりしている。この「閉じ込め状態」を美怜は「一番怖い」と恐れていた。

 番組の中で、美鈴は「自分で自分の終わりを選ぶ権利があってもいいんじゃないかな。閉じ込め状態の中でずっと生きていかなきゃいけないのはつらい」と話していたが、番組の最後には「私はこんな体ですがALSが治ることを信じています。そのために必死で生きています」と文字盤を使って話していた。どちらも本心なのだろう。

 美怜はALSを発症してから4年後に一度、重大な決断をしている。筋力が低下し呼吸がしにくくなったため、喉に穴を開け人工呼吸器をつけるか、つけないかの選択を迫られたのだ。呼吸器をつけないと余命は3カ月であり、美怜は呼吸器をつけることを選んだ。なお、ALS患者の約7割が、その手術をしないで死を迎えるという現実があるという。家族の負担が増えるのが大きな理由の一つだともいう。なお、一度呼吸器をつけたのちに「閉じ込め状態」になると、日本においてはその後、呼吸器を外すことはできなくなる。 日本では安楽死が認められていないためだ。

 この番組の少し前にNHKのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」で『彼女は安楽死を選んだ』という内容が放送され、50代の日本人女性・ミナがスイスで安楽死するまでの日々を伝えていた。ミナは多系統萎縮症というALS同様に治療法が確立されていない難病患者で、車椅子で生活している。ミナを受け入れたスイスの安楽死を行う団体は、日本からの申し込みが今年はすでに6件あり、急激に増えていると話していた。なお、安楽死を実行するには「回復の見込みがない」など、いくつかの条件がある。

 NHKスペシャルによると、世界で安楽死を行っている国はカナダ、コロンビア、スイス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダで、アメリカとオーストラリアは一部の州でのみ認められているという。一方、日本において安楽死は殺人扱いとなり、医師が罪に問われた事件もある。そうした背景を踏まえ、日本では安楽死に関する議論が避けられていると同番組は伝えた。ミナ自身、「自分で死を選ぶことができるということは、どうやって生きるかということを選択することと同じくらい大事なことだと思うんです。私の願いでもあるんですよ。安楽死をみんな(日本)で考えることは」と話していた。ミナはスイスでの安楽死という選択肢を知る前に、病状を悲観し自殺を図ったこともあったが、筋力の衰えで未遂で終わっている。自分で死ぬことができないつらさがあった上で、ミナはスイスに行ったのだ。

日本に安楽死という選択肢があればできたこと

 NHKスペシャルにおいて特に考えさせられたのが、スイスの病院で医師がミナにかけた、「もし彼女(ミナ)がスイスに住んでいて、長距離移動をしなくて済むのなら、こんな早く死を選ばなくても良かったはずです」という言葉だ。スイスまで移動できる体力のあるうちに死を選ぶ必要がミナにあった。

 もう少し家族と過ごせたはずのミナが下した切実な決断を前にすると、現在の日本は「安楽死の是非」を議論する以前の状況にあると思える。長寿国で死が身近なのにもかかわらず、死にフタをしているように感じるのだ。死のことなんて誰も考えたくないだろうが、考えないゆえのひずみで苦しむ人がおり、そして明日、自分や家族がそこで苦しむ可能性だってある。

 「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください」と「私が私らしくなくなる」ことを恐れて安楽死を選んだミナの決断も、そして『ザ・ノンフィクション』の番組最後で、ALSが治ることを信じ、好きなバンドのコンサートに足繁く通うなど、生きる楽しみを追いかける美怜の決断も、両方が正しく私には見えた。

病気になったときに自分を支える二つのもの

 美怜とミナ、二人の決断はある意味で正反対に見えるが、両者には共通点もあるように思う。「愛情(家族)」と「お金」という、二つの大切な土台がしっかりしている様子に見えたのだ。

 まず「愛情(家族)」だが、それぞれの家族は二人のことをかけがえなく思っているのが伝わり、年月で培われた愛情や信頼を感じた。美怜の病気を残酷だと話した父親は、普段のテンションはどこかとぼけた味のあるおじさんで、ツッコみ役の母親とともに家族の雰囲気には温かさがあった。美怜が活動的に生きているのは、この両親の存在が大きいのだろう。一方、両親の離婚で年の離れた姉二人に可愛がられて育ったミナも、最期まで姉たちが寄り添い、大切な人たちに看取られ最期を迎えていた。

 そして「お金」についてだが、介護要員つきで飛行機で外出する美怜も、スイスで安楽死を選んだミナにしろ、どちらも金銭的都合がつかなければできないことだ。

 なにも難病に限らず、日本において病気になった時や老年の最期のとき、「愛情(家族)」と「お金」という二つの土台がないと、「自分で最期を選び看取られ亡くなる(ミナの選択)」ことも、「活動的に生きる(美怜の選択)」ことも選べないのだ。そうして「困難な体を抱え、孤独にただ時を過ごす」という選択肢になってしまうのだと、当たり前すぎるのだが、あらためて思う。

 次回のザ・ノンフィクションは昨年も大反響のあった人気企画『シンデレラになりたくて…2019 ~前編~』。公開美容整形オーディション『整形シンデレラ』に賭ける女性たちとその家族を追う。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

『ザ・ノンフィクション』“平成の駆け込み寺”住職とヤンキー二人の交流「おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~」

NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月2日放送のテーマは「おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~」。元不良のショウとタクマが、11年ぶりに恩人である熱血和尚と再会する。

あらすじ:1,000人以上の子どもを更生させてきた廣中邦充さん

 愛知県岡崎市にある「平成の駆け込み寺」こと西居院の住職、廣中邦充さんは非行、虐待、引きこもり、薬物依存といったさまざまな事情から親元で暮らせない子どもを、無償で引き取り、更生させてきた。その数20年で1,000人以上。九州からやってきた特攻服を着こなす古典的なヤンキーのショウと、目に生気がないものの30秒あればバイクを盗める今風のヤンキー・タクマの二人も西居院で成長し、巣立っていく。しかし2012年、廣中さんに肺がんが発覚し、のちに脳にも転移。19年4月、多くの西居院卒業生に見送られ69歳の生涯を終える。

金属バットを持った不良集団からも「逃げない」住職

 住職は保護者、子どもに向かって「逃げるな」と呼びかけ続けた。子どもに対しては現実から逃げないこと、親に対しては問題行動を起こす子どもから逃げないこと。

 何より住職自身が逃げなかった。ほかの不良少年のシマでバイクを盗んだショウが報復で暴行されたときは、暴行の診断書持って不良グループ(金属バットを持つ者も)と人気のない夜の団地で掛け合う。暴行した少年らを警察に突き出さない代わりに、今後ショウには手を出さない約束を取り付ける。

 ショウを中学校に復学させるときも、素行の悪さから復学を渋っていた担任教師に対し、「もっともっとショウのことを考えてやってほしいんですよ。もし仮にショウに何かかあれば、僕に電話をくれれば僕が飛んでいきますから」と強い口調で訴える。一方でショウにも、努力しないとクラスの子は受け入れてくれないぞ、と諭すのだ。

 住職自身が一番逃げない。だからこそ周囲に向けた「逃げるな」という言葉に強い説得力が出る。その姿はカッコいいが、これはなかなか常人が真似できることではない。ショウの復学のくだりでは、面倒ごとが増えるのを避けたがっている担任に同情してしまった。

 なぜ住職が、これほどまでに子どもたちへ心を砕けるのかというと、自身もかつては荒れた子どもであり、高校時代に暴力事件を起こしあわや退学まで追い込まれるが、そこで校長に土下座し必死で退学を回避してくれた、当時の担任への恩があるからだという。恩がまた違う形の恩となり、継承されていく。九州のヤンキー、タクマは住職の恩を感じ、将来は人の役に立ちたいと話していた。

 恩は継承されることもあるが、一方で子ども相手のことはしみじみ「片思い」なのだとも思う。表情の乏しい今どきのヤンキー、ショウは先述の暴行事件のほかにも家出もして、寺は人員総出で気温5度の街中を探し回った。方々に迷惑をかけつつ成長したショウが、初めて住職に見せた意思表示は、「1日でもいいんで(家に)帰りたいです!」とういうものだった。寺で生きる元気を取り戻したら、家に戻りたいのだ。

 ショウに比べればかなり義理堅そうに見えるタクマでも、事情はあったのかもしれないが、寺を出てから11年間顔を見せなかった。つくづく子ども相手の支援というのは「片思い」であり、巣立ってよかったと笑顔で送れる気持ちがないと難しいのだろう。神様のような仕事だ。

大人という役割をまっとうすること

 住職は、タクマが学校に着ていく「天上天下」の刺繍入り“改造学ラン”も咎めず笑い飛ばすし、子どもたちの抱える問題から逃げることなく、相手にも「逃げるな」と訴えかける。“男らしさ”や“昭和イズム”を感じる言動だ。

 「昭和の男らしさ」というと、近年はパワハラだ、セクハラだ、モラハラだ、それにより女子供は抑圧されてきたのだと「古の悪しき風習」として語られがちだ。それは事実だと思うが、一方その「男らしさ」には、今は失われつつある「いい面」もあったのだろう。昨今は「面倒ごとは避けたい」「コスパ重視」「誰だって苦しさを抱えている」といった風潮であり 、「たじろいでしまうようなことも笑い飛ばす豪快さ」「面倒ごとを引き受ける度量」「みんなの苦しさまで背負う責任感」というものへの価値や評価は下がりつつある。正直になったともいえるが、カッコつけなくなってきているのだろう。

 住職は12年に肺がんが発覚し、のちに脳に転移、最期の数年は立つことも会話もおぼつかず、69歳という若さで世を去った。映像では、いつもくわえ煙草でチェーンスモーカーだったことがしのばれる。肺がんはそのせいもあったのだろうかと思うと複雑だ。しかし、この完全禁煙が進む令和において、住職が煙草を吸う姿からは「昭和の男らしさ」や「カッコよさ」も感じる。

 くわえ煙草の住職の姿を見て思い出したのが、忌野清志郎がいたRCサクセションの曲「ぼくの好きな先生」だ。生徒の目線から、くわえ煙草のおじさん美術教師がイカしていると歌っていて、「恋愛」や「自分のこと」がテーマになる歌が多い中で「敬愛」をテーマにした美しい歌だ。このおじさん先生は職員室が苦手で美術室にいつもおり、住職のような昭和の男らしさ的要素をあまり感じない人なのだが、どこか住職と共通する父性のようなものを感じる。それは子どもに対するスタンスだ。子どもと一緒にはしゃいだりせず、おじさんとして、大人として子どもに接している。大人という役割を背負っているのだ。

 思春期の子どもにとって、親でないが父性を感じさせ、子どもを子どもとして大切に扱ってくれる、尊敬できる「好きなおじさん」がいることはとても豊かなことであり、支えになるのではないだろうか。そして、そんな「おじさん」の存在は子どもだけでなく大人にとっても「大人の役割」をまっとうすることの尊さを教えてくれる。しかし、そんな面倒な仕事を引き受けてくれる「おじさん」が今、どのくらいいるのだろうかとも思う。

 次回のザ・ノンフィクションは「それでも私は生きてゆく」。8年前に有効な治療法がない難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した37歳の美怜。手足はおろか、顔の筋肉まで動かせなくなった美怜が「幸せの瞬間」を求め生きる日々を追う。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

『ザ・ノンフィクション』“平成の駆け込み寺”住職とヤンキー二人の交流「おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~」

NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月2日放送のテーマは「おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~」。元不良のショウとタクマが、11年ぶりに恩人である熱血和尚と再会する。

あらすじ:1,000人以上の子どもを更生させてきた廣中邦充さん

 愛知県岡崎市にある「平成の駆け込み寺」こと西居院の住職、廣中邦充さんは非行、虐待、引きこもり、薬物依存といったさまざまな事情から親元で暮らせない子どもを、無償で引き取り、更生させてきた。その数20年で1,000人以上。九州からやってきた特攻服を着こなす古典的なヤンキーのショウと、目に生気がないものの30秒あればバイクを盗める今風のヤンキー・タクマの二人も西居院で成長し、巣立っていく。しかし2012年、廣中さんに肺がんが発覚し、のちに脳にも転移。19年4月、多くの西居院卒業生に見送られ69歳の生涯を終える。

金属バットを持った不良集団からも「逃げない」住職

 住職は保護者、子どもに向かって「逃げるな」と呼びかけ続けた。子どもに対しては現実から逃げないこと、親に対しては問題行動を起こす子どもから逃げないこと。

 何より住職自身が逃げなかった。ほかの不良少年のシマでバイクを盗んだショウが報復で暴行されたときは、暴行の診断書持って不良グループ(金属バットを持つ者も)と人気のない夜の団地で掛け合う。暴行した少年らを警察に突き出さない代わりに、今後ショウには手を出さない約束を取り付ける。

 ショウを中学校に復学させるときも、素行の悪さから復学を渋っていた担任教師に対し、「もっともっとショウのことを考えてやってほしいんですよ。もし仮にショウに何かかあれば、僕に電話をくれれば僕が飛んでいきますから」と強い口調で訴える。一方でショウにも、努力しないとクラスの子は受け入れてくれないぞ、と諭すのだ。

 住職自身が一番逃げない。だからこそ周囲に向けた「逃げるな」という言葉に強い説得力が出る。その姿はカッコいいが、これはなかなか常人が真似できることではない。ショウの復学のくだりでは、面倒ごとが増えるのを避けたがっている担任に同情してしまった。

 なぜ住職が、これほどまでに子どもたちへ心を砕けるのかというと、自身もかつては荒れた子どもであり、高校時代に暴力事件を起こしあわや退学まで追い込まれるが、そこで校長に土下座し必死で退学を回避してくれた、当時の担任への恩があるからだという。恩がまた違う形の恩となり、継承されていく。九州のヤンキー、タクマは住職の恩を感じ、将来は人の役に立ちたいと話していた。

 恩は継承されることもあるが、一方で子ども相手のことはしみじみ「片思い」なのだとも思う。表情の乏しい今どきのヤンキー、ショウは先述の暴行事件のほかにも家出もして、寺は人員総出で気温5度の街中を探し回った。方々に迷惑をかけつつ成長したショウが、初めて住職に見せた意思表示は、「1日でもいいんで(家に)帰りたいです!」とういうものだった。寺で生きる元気を取り戻したら、家に戻りたいのだ。

 ショウに比べればかなり義理堅そうに見えるタクマでも、事情はあったのかもしれないが、寺を出てから11年間顔を見せなかった。つくづく子ども相手の支援というのは「片思い」であり、巣立ってよかったと笑顔で送れる気持ちがないと難しいのだろう。神様のような仕事だ。

大人という役割をまっとうすること

 住職は、タクマが学校に着ていく「天上天下」の刺繍入り“改造学ラン”も咎めず笑い飛ばすし、子どもたちの抱える問題から逃げることなく、相手にも「逃げるな」と訴えかける。“男らしさ”や“昭和イズム”を感じる言動だ。

 「昭和の男らしさ」というと、近年はパワハラだ、セクハラだ、モラハラだ、それにより女子供は抑圧されてきたのだと「古の悪しき風習」として語られがちだ。それは事実だと思うが、一方その「男らしさ」には、今は失われつつある「いい面」もあったのだろう。昨今は「面倒ごとは避けたい」「コスパ重視」「誰だって苦しさを抱えている」といった風潮であり 、「たじろいでしまうようなことも笑い飛ばす豪快さ」「面倒ごとを引き受ける度量」「みんなの苦しさまで背負う責任感」というものへの価値や評価は下がりつつある。正直になったともいえるが、カッコつけなくなってきているのだろう。

 住職は12年に肺がんが発覚し、のちに脳に転移、最期の数年は立つことも会話もおぼつかず、69歳という若さで世を去った。映像では、いつもくわえ煙草でチェーンスモーカーだったことがしのばれる。肺がんはそのせいもあったのだろうかと思うと複雑だ。しかし、この完全禁煙が進む令和において、住職が煙草を吸う姿からは「昭和の男らしさ」や「カッコよさ」も感じる。

 くわえ煙草の住職の姿を見て思い出したのが、忌野清志郎がいたRCサクセションの曲「ぼくの好きな先生」だ。生徒の目線から、くわえ煙草のおじさん美術教師がイカしていると歌っていて、「恋愛」や「自分のこと」がテーマになる歌が多い中で「敬愛」をテーマにした美しい歌だ。このおじさん先生は職員室が苦手で美術室にいつもおり、住職のような昭和の男らしさ的要素をあまり感じない人なのだが、どこか住職と共通する父性のようなものを感じる。それは子どもに対するスタンスだ。子どもと一緒にはしゃいだりせず、おじさんとして、大人として子どもに接している。大人という役割を背負っているのだ。

 思春期の子どもにとって、親でないが父性を感じさせ、子どもを子どもとして大切に扱ってくれる、尊敬できる「好きなおじさん」がいることはとても豊かなことであり、支えになるのではないだろうか。そして、そんな「おじさん」の存在は子どもだけでなく大人にとっても「大人の役割」をまっとうすることの尊さを教えてくれる。しかし、そんな面倒な仕事を引き受けてくれる「おじさん」が今、どのくらいいるのだろうかとも思う。

 次回のザ・ノンフィクションは「それでも私は生きてゆく」。8年前に有効な治療法がない難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した37歳の美怜。手足はおろか、顔の筋肉まで動かせなくなった美怜が「幸せの瞬間」を求め生きる日々を追う。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

【テラスハウスレビュー】自称マルチな俳優・翔平、「才能のなさ」が露見した仕事観論争

 見ず知らずの男女6人が、シェアハウスで共同生活する様子を記録したリアリティ番組『テラスハウス』。現在、Netflixにて「TOKYO 2019-2020」が配信中で、ファンは個性豊かな面々の恋愛模様を、一喜一憂しながら、固唾を呑んで見守っている。そんな『テラハ』を愛する“テラハウォッチャー”が、5月の配信分から、グッときた“名(珍)シーン”をピックアップし、思いのままにレビューする。

初対面で「凝ってるんだね」(第1話) 

 イラストレーターの香織、俳優の翔平、女優の春花(前の芸名は竹富聖花)、ミュージシャンでバンド「SPiCYSOL」のボーカルである健司、フィットネストレーナーの莉咲子、アルバイトの流佳。東京編のスタートを任された新メンバー6人が、リビングで顔を合わせた。

 個性が現れにくい初対面の段階で、一人異彩を放ったのが春花だった。登場するなりタメ口で、4歳上の香織の太眉を「すごい、いい眉毛してる」といじる。また、副業でイラストを描いているという健司から、作品をまとめたインスタグラムを見せられると、「凝ってるんだねー」とだけ評した。

 こういう場面は大抵、本心はどうあれ「うまいね」「いいね」などと言ってしまうもの。春花の「凝ってるんだね」という言葉のチョイスからは、彼女の嘘がつけない性格が伝わってきた。

 初日の夜、翔平が女子3人を前に「俺、香織ちゃんに興味があるんだけどさ、強く」と香織をデートに誘った際も、「どうして私じゃないのよ」と言いたげなオーラを隠さず放っていた春花。趣味が車やゴルフのため「おじさんの友達が多い」と言い、オヤジたちの中心でちやほやされることに慣れている様子。オヤジほどちやほやしてくれない同年代との共同生活の中で、今後、台風の目となる可能性を感じさせた。

 世界に向けて2020年オリンピックの開催地、東京をPRする役割も担っている新『テラハ』。そこを意識しすぎているのか、妙な日本アピールが見られた。

 まずは第2話、春花と香織による「納豆カレードリア」作り。日本食の代表・納豆を、残りのカレーとぐちゃぐちゃに和えて、さらに白ご飯とねちゃねちゃに混ぜる。それを容器に詰めてチーズをオンしてチン……。

 納豆嫌いにとっては、悪夢のような見た目・臭い・味の一品である。納豆に抵抗があるだろう海外の人から見ても、おいしそうには見えないのではと心配になった。他メンバーの反応が気になったが、幸い、みんな納豆好きだった様子。スタジオメンバーも「おいしそう」と意外と好意的な反応だった。

 第3話でも、何の前触れもなく莉咲子がけん玉に取り組むシーンが。NIPPONアピールを探しながら見るのも一つの楽しみ方かもしれない。

翔平VS春花「天ぷら事変」(第2話)

 第2話では、翔平と春花の職業観がぶつかった。翔平は「台湾ではモデル、日本では役者の仕事が多い。ほかにもいろいろ、友達のバンドのPV撮らせてもらうとか。歌詞書いたり、小説とか書こうとしたり。役者以外のことも同じモチベーションで結構やれる」と話し、マルチクリエーターぶりをアピール。それに対し、春花が「本当は何がやりたいの?」とツッコんだのだ。

 翔平が「そういうのは、あんまりないんだよね。専業みたいな考え方がキツくて。この仕事一筋みたいな考え方が全然わかんない」と答えると、春花は「それ他人にはあんまり言わない方がいいと思う。あれもしたい、これもしたいって言ってたら『何でもやりたい人なんだ、芯がない人なんだな』って思われちゃいそう」と正論をぶつけた。

 それにカチンときたのか、翔平はヘラヘラしながらも「全然わかんない。何か、そういう専業しか認めませんみたいなヤツら、もうどんどん死んでくからよくない? 一本でやっていれば極められるって思ってるのって、すげえ勘違いだなって思っちゃうんですけど」とヒートアップ。「天ぷらすげえ好きだけど、毎日食ったら気持ち悪いなって」とまとめた。

 「毎日天ぷら=専業」「天ぷら以外も食べる=マルチクリエーター」ということだろうか。とりあえず、自称マルチな翔平に比喩の才能はないことはわかった。春花が呆れて収束したこのバトルは、スタジオメンバーによって「天ぷら事変」と名付けられた。

 “イケメンなのに女子と話すと顔が赤くなる”というキャラ付けの最年少20歳の流佳が、最も歳が近い21歳の莉咲子と2人で出かけることになった。入ったパンケーキ店での会話はこちら。

流「コレうまい」
莉「甘い?」
流「うまい」
莉「甘い?」
流「うまい」
莉「甘い?」
流「甘くはない」

 なんという無駄な会話だろうか。さらに次のように続く。

莉「これ何でできてんだろうね」
流「プレーンでしょ」
莉「え、プレーンって材料の名前だと思ってる? 小麦粉的なことだと思ってる?」
流「でもプレーンって書いてあるよ」
莉「プレーンってシンプル味ってことじゃなくて?」
流「えっ味付けしてないってこと?」

 プレーンの意味を知らずに20年間生きてこられたことに、おめでとうと言いたい。普通であれば引いてしまうおバカさだが、莉咲子には「面白いの。流佳を見てて、笑ってしまうの。私は単純に楽しかった」と好評だった。外見の力を思い知った。

流佳、熱に弱すぎる(第3話)

 メガネにマスク姿の流佳が、ベッドにすっぽり入っている。仰向けのまま微動だにせず、ものすごい重病人感が醸し出されている。莉咲子はそんな流佳を心配し、「リンゴ与えてあげようかな」と、リンゴと翔平の作ったおかゆを持って男子部屋へお見舞いに。さらに、わざわざ体温計と風邪薬を買いに出かけるなど、かいがいしく世話を焼いた。

 莉咲子に促された流佳が体温を測ってみると、表示されたのは「37.1度」。その振る舞いから想像していたほどの高熱ではない。小学生だって欠席はしないレベルの体温である。しかし、莉咲子は「あるじゃん。普段が35度とかだったら結構あるんじゃん?」と優しく受け止める。改めて外見の力を思い知った。

 まだまだ本性が隠されているであろう6人。物語が動き始める今後への期待が高まる。

『ザ・ノンフィクション』「日本には住めない」56歳男と「帰国できない」68歳男「黄昏れてフィリピン~借金から逃れた脱出老人~」

 NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月26日放送のテーマは「黄昏れてフィリピン ~借金から逃れた脱出老人」。フィリピンクラブに入れ上げ借金を作りフィリピンへ「逃亡」した2人の日本人男性のその後を追う。

あらすじ:フィリピンで家族を持った56歳と、家もなく帰国すらできない68歳

 フィリピンクラブで借金を作り、フィリピンに逃げた二人の日本人。56歳のマナブは、フィリピン人の内縁の妻(25歳)と暮らし一児をもうける。しかし生活はギリギリで、妻が住み込みのメイド職に就いたため、家族と暮らせる時間は少ない。一方、68歳のサダオは家も持たず、自動車工場の呼び込みの仕事で、その日暮らしを続ける。雇用主の助言から、帰国を目標に日本大使館へ掛け合ったところ、帰りの航空券(約6万円)を用意できれば、パスポート失効後の不法滞在分の罰金は不問にすると言われる。一時は、上野公園の桜の話をするなど、帰国への希望を見せたサダオだが、金銭負担のめどが立たず、断念してしまう。

陽キャなマナブと陰キャなサダオを分けるもの

 今回二人の日本人が出てくる。マナブ(56)とサダオ(68)。フィリピンクラブで身を持ち崩し、借金地獄から逃れるためにフィリピンへ移り住んだ経緯は共通しているが、二人の雰囲気はまったく異なる。明るい「陽キャ(陽気なキャラクター)」がマナブ。暗い「陰キャ(陰気なキャラクター)」がサダオだ。

 陽キャのマナブは25歳の可愛い内縁の妻・ロナがおり、その間には6歳の男の子がいる。子どもの誕生日はデコレーションケーキを買い、近所の人を呼んでカラオケパーティーをするなど、地元社会にも溶け込んでいる。タガログ語を3カ月でマスターしたという自作のノートは見やすく細やかで、熱意が伝わってくる。

 一方、陰キャなサダオは家も持たず、仕事は自動車工場での呼び込みだ。近隣住民からは、いつ日本に帰るのかとヤジられ、うっすら馬鹿にされている。工場を営むエドガーさんの厚意でなんとか生活できている状態で、唯一の楽しみは猫に餌をやることだ。

 マナブとサダオの境遇を分けたのは、もともとの性格が一番大きいだろうが、「言語能力」もあるように感じた。息子の誕生パーティーのカラオケでタガログ語の歌を熱唱したマナブと違い、サダオはタガログ語に堪能ではないように見えた。

 大人になってからの外国語習得は泣けるほどの努力が求められる。マナブはロナとの交際でタガログ語習得に火がついたようだ。「人を好きになる」ことも年をとるほど面倒になるものだが、「外国語を覚える」ことといい、しみじみとマナブはと人生を捨てていないエネルギーにあふれ、諦めきっているサダオにはないパッションがある。

 見ているこちらまで暗くなってしまうサダオより、マナブの方が健康的な人間なのだが、私が圧倒的にシンパシーを抱いたのは、暗く暮らすサダオだった。というのも 、マナブは日本との前妻の間に残した息子を自殺で亡くし、それも娘からの連絡で知っている。長男の自殺は、相談できる人がいなかったことが原因のひとつだったようだ。マナブは自分を責めていたが、一方でフィリピンで20代の妻を持ち、子どもまでこさえている、というのがどうも私には受け入れがたかった。

 そもそも、マナブとサダオもフィリピンクラブで作った借金で「飛んだ」のだ。親類縁者は迷惑しただろう。ここからは“たられば”だが、マナブが近くにいれば長男は死なずに済んだかもしれない。「人に迷惑をかけておいて、幸せに楽しそうに暮らすなんて……」と、まず思ってしまった。しかし考えてみれば、この「人に迷惑をかけておいて」という発想は、とても日本的だとも思う。私に限らず、少なくない日本人にとって「迷惑をかけてはいけない」思想はあるのではないだろうか。

 暗いサダオも、この「迷惑をかけてはいけない」思想が強いように思う。サダオはエドガーさんに説得される形で日本大使館に行き、帰りの航空券(約6万円)さえ用意できれば、サダオのパスポートが切れてからの不法滞在の罰金は帳消しにする、と回答をもらう。

 しかし、その6万円を工面するために実兄に久々に電話をかけるも、年金生活の兄の気持ちを慮り、具体的に話を切り出すことができないまま諦めるのだ。さんざん迷惑をかけてしまったから、これ以上何かを言うことができない。もし6万を用意できたとしても、帰った後に暮らす場所も金もない。そんな諦めの重なりが、“希望”を言い出すこともできないサダオの暗さを作っているようにも思う。

幸せになることから逃げない、マナブの日本的じゃない生き方

 一方のマナブは、住み込みのメイドとして働いている妻が、勤務先の社長に口説かれて家に戻ってこなくなった。2カ月後、マナブが社長の屋敷を訪ねると、ロナいわく社長はヒステリックな曲者らしいが、生活レベルは比べようもないほど高く、ロナも子どもも、マナブと暮らしていたときより明らかにいい服を着ていた。

 ロナの「あなたにお金があって、私が仕事をする必要がなくなったら一緒に住んでもいい」という言葉にマナブは一念発起。それまでの瓶のラベルを剥がす仕事から運送業に転職を決める。日当は800ペソ(約1,670円)で、それまでの倍近くまで上がったものの、それでも恋敵の社長との経済格差は明確だ(物価の参考として、フィリピンで有名なビール「RED HORSE」はスーパーで330ml缶が40ペソ程度)。

 ロナは番組スタッフに対し、社長に対する恋愛感情はないと言っていたものの、本当かどうかはわからない。一度上げた生活レベルを下げるのは難しいだろう。マナブと暮らしていたとき、朝食のおかずは「庭の木に生えてる葉っぱの卵とじ」だったのだ。それでもマナブは番組の最後、夜中にトラックを転がし到着した配送先で、道路の隅にダンボールを敷いて横になり、朝を待っていた。56歳にしてこのタフさだ。

 マナブは番組の最後で「日本に住めない、こっち(フィリピン)になじんじゃった」とあっけらかんと話していた。マナブは幸せになることからは逃げていないし、幸せにしがみつこうとするガッツがある。遠慮と諦めを漂わせて生きる日本的なサダオを見ると、「日本には住めない」マナブの生き方は、少なくない日本人の心をざわつかせるであろうものがある。

 次回のザ・ノンフィクションは『おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~』。いじめ、薬物依存などで親と暮らせなくなった子どもたちを寺で預かり支え続ける住職・廣中邦充さんと、非行少年のショウとタクマ。彼らの心の触れ合いをとらえた11年の映像記録になる。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

『ザ・ノンフィクション』「今のままでいい」バツイチ・子持ちのアヤ(38)の婚活「男と女の婚活クルーズ 2019」

 NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つフジテレビ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』。5月12日放送のテーマは「男と女の婚活クルーズ 2019」。

あらすじ:38歳子持ち女性・アヤ、婚活で告白されるも「お断り」

 主人公は38歳のアヤ。すらっとしたスタイルの美人だ。バツイチで7歳の娘がおり、親から引き継いだ土地で一昨年から農業を営んでいる。パパが欲しいという娘の希望もあり、結婚相談所「ノッツェ」が開催している婚活クルーズに参加する。

 台北から横浜への4泊5日のクルーズで複数の男性からアプローチを受け、「娘のための良いパパ候補」は見つけられるも、やはり自分が好きにならなければ難しいと、最終的に2人から告白されるも「お断り」してしまう。

「私が好きになれる人じゃなきゃダメ」なアヤは婚活向きじゃない

 今作を見た方と語り合いたいのは「アヤ、別に結婚したくないよね?」ということだ。

 「バツイチ」「子持ち」「婿養子にならないといけない」というアヤの状況は、婚活市場において男性が「ぜひ!」となる要因ではない。アヤも自覚していたが、38歳という年齢も相手側が子どもを望むならかなり厳しいだろう。

 それを踏まえ、アヤの立場で本当に結婚したいのなら、参加するのは婚活クルーズといった若い人も大勢いるようなイベントめいたものよりも、結婚相談所での一対一のお見合いではないかと思う。クルーズでアヤに対し、「子持ちはちょっと」と言った男性がいた。のちにその男性は失言を詫び、確かに配慮は足りなかったが、本音はそうなのだ。結婚相談所における一対一の出会いなら、条件が「違う」マッチングはそもそも成立させないことだってできるのだから、お互い気まずい思いをせずに済む。

 しかしアヤは、結婚相談所に行ったところで仲人泣かせだろう。なぜならアヤは、一貫して「私が好きになれる人じゃないとイヤ」な人だからだ。

 婚活クルーズ中、アヤは複数の男性からアプローチされるも「私が好きなれる人じゃないとダメ」を繰り返し、結局、そのうち二人の男性から告白されるも断ってしまう。そして番組の最後には、「いい人だけではいけなかった。私は、一度失敗しているから」と言っており、前の夫もアヤにとっては「いい人なんだけど……」という存在だったのかもしれない。

 とにかく「好き」になりたいアヤは婚活向きではない。そんな態度を見透かされてか、クルーズの最中にノッツェ・須野田珠美社長から、そろそろパッション的な恋愛から、生活していく中で(相手を)好きになっていくというステージを選ぶべきであり、「卒業」の覚悟はあるか? と諭されていたが、結局アヤは“卒業”に踏み切れなかった。

 「好きになりたい」アヤだが、それなら婚活ではなくマッチングアプリなどを使い恋活すればいいのではと思う。しかし番組の最後にアヤは、「(恋に)燃えると子どもを置き去りにするから、今はゆっくりでいい」とも言っている。
 
 結局、アヤは「結婚したい」でも「燃え上がるような恋がしたい」でもなく「別に今のままでいい」のだ。なんなんだ、という脱力感の中で「サンサーラ(番組エンディングテーマ)」を聞いた。

 私はテレビのお見合い番組や婚活関連の番組を見るのが大好きで、過去には中高年向け結婚情報サービス「茜会」エグゼクティブ男性の結婚相談所「誠心」の両事業者に取材させていただいたこともある。そんなイチ婚活ファンとして、アヤのような覚悟の決まらない人間が婚活をしたら、覚悟を決めて大枚をはたいている相手に失礼だとも思うが、アヤとて「クルーズに出てみて、やっぱりそんな結婚したくないとわかった」というのはあるのかもしれない。視聴している側には、アヤが最初から結婚に乗り気でないように見えたが、自分のことは案外わからないものだ。それとも、美人のアヤにとって、婚活クルーズに参加したのは「栄光よ、もう一度」的気持ちもあったのだろうか。

 38歳のアヤにアプローチをかけた男性3人のうち、一人は46歳、残りの二人は50代で、最終的にアヤに告白したのも、この46歳と50代だった。アヤと同世代の男性は、アヤより下の世代に行き、こういう点において婚活はわかりやすくシビアだ。なまじ美人ほどかつていい思いをしただけ、こういったギャップはきついだろうとも思う。

アヤにはなく、真の主役・サヨにあるもの

 実は、今作の主役はアヤではなかったように思う。真の主役は、ちらっとしか出てこなかったクルーズ参加者の看護師・サヨではないだろうか。最終日の告白タイムにおいて、通常は男性から告白するが、女性から告白したい人はいるかという司会者の問いかけにサヨは手を挙げる。

 そして相手に対し「初日からいろいろな話をして将来のことも話した。これからも歩んでいけたら」「結婚を前提にお付き合いさせていただきたい」と痺れるような告白をする。相手は感動の上、快諾していた。

 一方アヤはその日の朝、食事を一緒に食べた男性の口元にケチャップがついているのをナプキンで拭ってあげる「モテテク」を披露し、男性はその後アヤに告白し玉砕していた。「好きにならないとダメ」なくせに、好きでもない相手にそんなことをする。覚悟の決まったサヨを前に、しみじみとアヤは「婚活」向きではない。

 次回の『ザ・ノンフィクション』は「黄昏れてフィリピン ~借金から逃れた脱出老人」。アヤの煮え切らなさが可愛く思えてくるような一本だ。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

『集団左遷!!』等身大の“おじさん”を演じるようになった、俳優・福山雅治の成長

 『集団左遷!!』(TBS系)は不思議なドラマだ。放送枠は『下町ロケット』等のおじさん向け企業ドラマを放送していることに定評がある「日曜劇場」だけに、始まる前は硬派な大人向け作品になるかと思っていたが、どうも思っていたものと違う。

 物語は、銀行員の片岡洋(福山雅治)が蒲田支店長に就任するところからはじまる。出世に喜ぶ片岡だったが、蒲田支店は経営の合理化のため廃店となることが決まっていた。半年間で100億円のノルマを果たさば廃店を免れるというが、何もしなくていい、廃店後の立場は保証する、と釘を刺される片岡。悩んだ末に片岡は本部に反発し、部下たちと共にノルマ達成に挑む。

 展開自体は「日曜劇場」定番である“おじさんたちの逆転劇”で、脇を固める香川照之や三上博史の演技はシリアスだ。しかし、主演・福山の演技はオーバーアクションでドタバタしているため、他俳優との落差が生まれてコメディのようにも見える。「演技のミスマッチ」と受け取る人も多いようだが、シリアスとコミカルのギャップが新鮮で、個人的には毎週楽しみにしている。

 何より、福山が“ヒーロー”ではない等身大の男を演じたことに驚いた。だが同時に「やっと福山も、こういう役を演じるようになったのか」と感慨深くも感じる。

俳優としてのエゴの薄さ

 福山は現在50歳。高校卒業後、5カ月間だけ会社勤務した後、上京し「アミューズ・10ムービーズオーディション」に合格してアミューズに所属。19歳の時に映画『ほんの5g』(1988年)で俳優デビューした。その後、『あしたがあるから』(TBS系、1991年)等のドラマに出演する一方、ミュージシャンとして大活躍する。

 筆者が福山を知ったのはラジオ番組『オールナイトニッポン』だった。ラジオの福山は、エッチな話も自然にできる陽気なお兄ちゃんという感じだったので、後にテレビで俳優、ミュージシャンとして出演している姿を見た時は、ラジオとのギャップに驚いた。

 福山が演じる役はクールな二枚目が多く、ヒット曲も甘いラブソングがほとんどだった。しかし、彼が好きなアーティストは泉谷しげる、SION、浜田省吾といった男臭い人ばかり。ラジオでは下ネタを言い、男臭いロックを好む福山と、世間が求める福山は大きくズレているように見えた。

 だが、その“ズレ”に対し悩んでいた痕跡は、ほとんどないのが福山の面白さで、意気揚々とクールな二枚目キャラを引き受けていた。ラジオ番組でバランスが取れたからこそ、カッコいい役を抵抗なく演じられたという側面もあるだろうが、そもそも福山は、顔で売れたことに対してコンプレックスがない。「カッコいいですね」と言われたら「ありがとうございます」と否定せずに笑って応え、自分が「カッコいいこと」を笑いのネタにして空気を和ませるやりとりを、ラジオで何度も聞いた。

 90年代にラジオ番組で交流が深かった伊集院光を筆頭に、「イケメンなのに性格が良い」と福山の人柄を絶賛する芸能人は多い。性格が良いというのは、気さくで親しみやすいという面もあるが、自分が一番目立ちたいというエゴが薄いという謙虚さもあるだろう。それは俳優福山にとって大きな武器となってきた。

 例えば、ミステリードラマ『ガリレオ』(フジテレビ系、2007年)の映画第一作となった『容疑者Xの献身』。人気ドラマの映画として本作が特殊だったのは、物語の中心は堤真一と松雪泰子という二人の男女が悲しい犯罪に手を染めてしまう悲劇であり、福山演じる主人公の物理学者・湯川は出番も少なく、見せ場がほとんどなかったことだ。

 意地悪な見方をすると『容疑者Xの献身』は、福山の人気を表看板にして作り手が好き勝手やった結果、生まれた傑作だった。

 こういう使われ方は、エゴが強い俳優だったら耐えられない。普通なら、もっと見せ場を作れとクレームを入れてもおかしくないだろう。しかし、福山は自分が看板になることで良い作品ができるなら「喜んで」と引き受けたのではないか。おそらく作品全体が良くなれば、自分が目立つかどうかは、どうでもいいのだろう。大河ドラマ『龍馬伝』(NHK、10年)も映画『そして父になる』(13年)も、福山の人気を担保にすることでクリエイターが力を発揮した傑作だが、こうした役割を受け入れる姿勢に男気を感じる作り手は少なくないだろう。

 女優の吹石一恵と結婚した15年以降は、クールな二枚目路線は軌道修正されつつあり、ドラマ『ラヴソング』(フジテレビ系、16年)や映画『SCOOP!』(同)ではおじさん役を演じている。中でも、『SCOOP!』での写真週刊誌の中年カメラマン・都城静は、ラジオで見せる下ネタ好きで男臭い福山が反映されており、俳優・福山の最高傑作だといえる。

 そして『集団左遷!!』の片岡支店長も、今まで演じてこなかったタイプの男だ。片山は頼りないが、どこか憎めないところがあり、ぎこちない仕草に人柄の良さがにじみ出ている。片岡支店長もまた、ラジオで見せる福山の人柄が反映された役だと言えよう。この等身大路線は、俳優・福山の新境地となるのではないかと思う。

【テラスハウスレビュー】新シーズン放送直前……「テラハ史上に残る大事件」をプレイバック!

 5月14日から、人気リアリティ番組『テラスハウス』の新シーズン「TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020」がNetflixで配信開始となる。すでに公開されている予告動画によると、今回の舞台は東京、3階建てプール付きの大豪邸で、これまで通り男性3人、女性3人、計6人の共同生活の様子が描かれるという。

 『テラスハウス』は昨年、米「TIME」誌「2018年のベストテレビ番組10」の第6位に選出されるという偉業を達成。日本だけでなく、世界中のファンが、新シーズンの幕開けを心待ちにしている状況だが、中には、軽井沢を舞台とした前シーズン「TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS」が「最高傑作だった」「住人が個性派揃いで毎回配信を楽しみにしていた」との理由から、「新作の出来はどうなのかな?」「今回はどんな住人なんだろう……」といった不安の声を漏らす者も。

 確かに前シーズンは、さまざまな大事件が起こり、視聴者が画面に釘付けになる機会も多かった。サイゾーウーマンでも、テラハウォッチャーによるレビューを月刊で掲載し、人気を集めた。最も話題を集めたのは、「男性経験がゼロ」という触れ込みでテラハにやって来た、女子大生・優衣の変貌ぶりだろう。最初は視聴者から「清純キャラ」として認識されていたが、女子メンバーへのマウンティングや陰口などが徐々に明るみとなり、最終的に、カメラの回っていないところで、元サッカー選手の男子メンバーと密会していたことが発覚。テラハ史上に残る「悪女キャラ」となり、視聴者をわかせたものだ。

 今回は、新シーズン配信開始に伴い、前シーズンのレビューを一挙にご紹介。モデルの聖奈&ノアの伝説の「騎乗位キス」や、ゲスの極み乙女。のメンバー・まさおの悲しすぎる失恋シーンなどを振り返り、ぜひ新シーズンへの期待を高めてほしい。

【テラスハウスレビュー】

番組史上最高に生々しい!? 聖奈さん&ノア「騎乗位キス」にドン引き!!

バツイチ子持ちのIT会社員・聡太、「自意識過剰な中学生感」が酸っぱい

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『ザ・ノンフィクション』26歳のラウンジママ・沙世子に感じる“爽やか”さ「歌舞伎町で生きる~その後の沙世子~」

 NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つフジテレビ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』。5月12日放送のテーマは「歌舞伎町で生きる~その後の沙世子~」。26歳にして歌舞伎町のネオラウンジ「LP TOKYO」でママを3年勤める沙世子と、広島No.1キャバ嬢から同店へ入ったマリ(21歳)の日々を伝える。

あらすじ:ネオラウンジの変革と、広島No.1キャバ嬢の試練

 『ザ・ノンフィクション』2018年12月16日放送回(「歌舞伎町で生きる~26歳・沙世子の場合~」)でも取り上げられた、歌舞伎町のネオラウンジ「LP TOKYO」の26歳ママ・沙世子。「キャバクラでもラウンジでもない」カジュアルさを売りに店を運営する沙世子は、キャストともフラットな関係を築いてきたが、売り上げに応じキャストを4クラスに分け、上位クラスには報酬を与える「評価制」の導入に踏み切る。

 店には広島のキャバクラでNo.1を取った経歴を持つ21歳のマリが加わる。水商売は素人のキャストが多い同店で、経験者としてすぐ頭角を現すだろうという周囲の期待に反しマリは伸び悩む。しかし、週6日で働いてきた沙世子がインフルエンザでダウンすると、奮起したマリは自身の強みであるFカップを生かした大胆な名刺を作成するなど、全力投球。フリー客の指名数で店内記録を樹立しランクを1つ上げる。

『ノンフィクション』らしからぬ「爽やかさ」を生むもの

 前回もそうだったが、沙世子の回は爽やかだ。前週の『ザ・ノンフィクション』は、こちらも番組の常連である42歳のホスト・伯爵が登場したが、こちらはなかなか「爽やか」という形容詞は出てこない。一方で、『ザ・ノンフィクション』感はたっぷりあった。

 『ザ・ノンフィクション』の味付けは、「主人公が中高年」であってこそ決まるのだろう。また、登場人物は家庭環境に問題を抱え、それが性格の面倒くささにつながっている人は少なくない。しかし、今回の沙世子とマリには、その“暗さ”は感じない。沙世子は父親に6年会っていないが、仕事を応援する温かなメールを受け取っている。マリの場合、女手一つで育ててくれた母がアルコール依存症になるという過去があるが、番組内で見る限り母子関係は良好だ。

 「悪くない親子関係」に加え、沙世子もマリも働くのが好きなのだろうと伝わってくるのが、さらに爽やかさを増す。ただこういった爽やかさは、「若さ」が支えているところもあるだろう。伯爵をはじめ『ザ・ノンフィクション』に出てくるほかの中高年レギュラー陣も、20代の頃は今より爽やかだったはずだ。

 仕事に対する真面目さや情熱も、若さが生み出している面があるだろう。「仕事が楽しくひたむきな20代」は結構見かけるが、これがそのまま「仕事が楽しくひたむきな30代」「40代」となっていくのは難しい。もちろん仕事が大好きなままの中高年もいるが、息切れしたり疲れだしたり、嫌になって辞めていく人だって年々増えていく。

 アルコール依存症になってしまったマリの母親は、もともと女手一つで二人の子どもを育てるバリバリの「働く女」だった。マリの母が口にした、「お母さんも(自分が)依存になんてならんと思っていた。責任感が強い人や頑張りやすい人や、やらんといけんという人ほど(依存に)陥る」という言葉が重い。

 頑張ろうとする真面目さはいいことのように思えるが、時に本人を意識的、無意識的に追い詰めていってしまうこともあるのだろう。しかし、なまじバリバリできるタイプほど、バリバリできなくなると自分の根幹が揺らぐような不安を覚えるのではないだろうか。しかし、バリバリ働くのが好きな人に「折れてしまったら大変だからほどほどに行け」というのは、ぐうたらな人にもっと頑張れというのと同様で、受け入れてもらいにくいだろう。「無理のない頑張りを続ける」ことの難しさを思う。

 娘のマリも「結果がお金で現れるからこの仕事は楽しい」と話すバリバリ派だ。マリは気が強そうに見えて指導を求めるタイプであり、そういったことをしない沙世子のスタンスに、当初もどかしさを感じているように見えた。しかし、沙世子がインフルエンザで不在時には巨乳を生かした新しい名刺を作るなど試行錯誤し、もどかしさを自力で打開する。これも沙世子が、「いっぱい話しますか」とマリをサシ飲みに誘ったりと手をかけていたことが効いたように思える。仕事で追い詰められそうなとき、話を聞いてくれる上司の存在は大きい。

 沙世子のキャストに対する包容力は26歳にしては並外れており、凄まじいマネジメント力だ。沙世子の「頑張り」に無理がないことを願うが、番組を見る限り、メンタル面で揺らぐ心配は今のところなさそうに見える。

 一方で、心配なのはフィジカル面だ。「LP TOKYO」は酒が飲めないキャストが多く、その代わりに沙世子が客の入れた酒を飲むことが多い。そのため「毎日顔が違うといわれる」と話すほど酒むくみがひどく、60分の番組内でも日が変わるたびに顔の大きさが違っていた。体が悲鳴を上げているのだ。フィジカルで調子を崩せば、それはメンタルの崩れにもつながりやすい。「LP TOKYO」は評価制の導入よりも、客のボトルをすぐ空にしてもケロッとしている“強肝臓ヘルプ”のスカウトが先決な気もする。

 次回の『ザ・ノンフィクション』は「男と女の婚活クルーズ 2019」。番組ホームページを見ると「主人公はあや38歳 再婚したいのにある理由で男に去られ…」とあり、今から楽しみだ。やはり、この番組は主役がO(Over)-35だとよりギラギラと輝く。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂