『ザ・ノンフィクション』警察沙汰を起こす小学生の実像とは「悪ガキとひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。12月13日は「悪ガキとひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」というテーマで放送された。

あらすじ

 東京・足立区で格闘技ジムを運営する古川誠一は、学校や家庭で問題を起こした少年を自宅に引き取り一緒に暮らしている。自らも荒れた過去を持つ古川は、子育てに困った親たちから荒れる子どもたちを引き受ける「駆け込み寺の和尚」として機能しているのだ。

 今、古川のもとで暮らす少年、青年は4人。まず曾祖母に手を上げてしまった小学4年生のユウセイ。小学5年生のコジロウは、家族に暴力を振るい警察を呼ばれる騒動も起こしている。

 一方、青年の2人はかつて「悪ガキ」だったが、今は落ち着き、格闘技において成果を残している。10歳の頃に古川に引き取られた武居由樹はK-1世界王者となった今も、古川の元で暮らしている。

 同様に中野滉太も成長を遂げ、初のタイトルマッチが決定。チャンピオンになって会長に恩返ししたいと話していた中野だったが、試合前日、減量に失敗し病院に担ぎ込まれてしまう。事前計量をパスできず、たとえチャンピオンを倒したとしてもタイトルを奪えない中、当日後楽園ホームで中野は戦い、試合には負けたが観客から温かい拍手で迎えられていた。

「警察沙汰」とあどけない表情のギャップ

 家族に暴力を振るう小学生男子という番組ホームページの説明を見て、ふてぶてしく粗暴な小学生を想像してしまったが、ユウセイ、コジロウの、声変わりも迎えていない声と、あどけない顔立ちを見て拍子抜けしてしまった。緊張からか、2人とも番組スタッフに対しても敬語で話し、うつむきがちでしおらしい。古川にも従順に見えた。

 しかしコジロウは家族に対しかんしゃくを起こし、車をキックボードで殴っただけでは収まらず、妹が乗った状態のチャイルドシートを車の外に落とすなど荒れに荒れてしまう。親により警察に通報されて、パトカーで警察署に連れていかれたすさまじい経歴がある。

 番組内では、中野の小学生時代の姿も映されていた。あどけない表情の過去の中野は、ガキ大将として近所の子どもを引き連れ公園で遊ぶのだが、その際、砂に足で円を描き「ここの円から出たやつぶっ殺すから」 と叫ぶ。ここまでだと「小学生男子あるある」ともいえるが、その円から出てしまったのであろう子の髪をつかんで執拗に引っ張り回す姿を見て、「このままだとマズそうだ」と感じた。

 番組ナレーションでは古川の発言として、「幼い頃の愛情不足で10歳くらいから悪の芽が出てくる。その時期に徹底的に厳しさと愛情を注ぎこむことで、その子のその後の生き方が変わってくる」と紹介していた。

 小学校高学年くらいが、粗暴な少年にとって最後のチャンスなのかもしれない。これが中学生くらいになれば母親より体が大きくなってしまう。幸い、現在21歳の中野は、世の中のふらふらした21歳よりもずっとしっかりして落ち着いており、古川への感謝の思いを丁寧に話す真面目な武道青年に成長していた。

 少年たちは古川のもとではしおらしい。また、中野の幼少期の映像を見ると、公園ではガキ大将だったが、2歳年上の兄貴分の武居にはまったく頭が上がらないようだった。問題行動を起こす子どもを「強さ、力、厳しさ」で律することを嫌がる人もいるだろうし、私もその一人だが、一方でそういったもので指導されることを求める人、そこに安心感を覚える人も一定数いるのではないかと感じた。

 「強さ」と「優しさ」のどちらがいい悪いではなく、子どもそれぞれの性格や、子どもの置かれた状況に応じたバランスを見極めていくことが大切なのだろう。「強さ、力、厳しさ」を求めるタイプの子どもにとって、昨今の「優しさ」重視とも思える子育てでは、行き場のないパワーが溜まってしまうのかもしれない。それが問題行動という形で噴出しているのだろうか。

「ほっとけない」保護者

 番組内で育ての親である曾祖母に暴力を振るうと紹介されていたユウセイ。「年老いた曾祖母に暴力」という言葉だけ見たときは、「なんて子どもだ」と思ったが、番組を見ていて少々印象が変わった。

 8月15日の「終戦の日」は、古川のジムのメンバーが総出で足立区のジムから靖国神社まで歩くイベントを毎年行っているという。出発前にユウセイを訪ねた曾祖母は、タオルを事前に濡らせとユウセイにしつこく言っていた。

 曾祖母の発言は心配と善意からのものなのはよくわかるが、こう何度もくどくど言われては、たとえそれが正論であっても、本当にイライラするだろうとユウセイに同情してしまった。曾祖母に悪気がないのは本当にわかるのだが、タオルを濡らしたくなったら途中のコンビニで洗面台を借りればいいのだ。田舎ならともかく、足立区から靖国神社までならいくらでもコンビニはあるだろう。

 放っといていいときは好きにやらせる、というのは子どもへのギフトだと思う。「あなたのためを思って」を大義名分にして、ただでさえカッとなりやすい子どもの導火線にあえて火をつけに行く保護者もいるのだろう、と思ってしまった。

 次週は「母さん ごめん ダメ息子の涙 ~六本木キャバクラボーイ物語~」。六本木でキャバクラボーイをしている26歳のゆうせい。大学卒業後に就職した大手企業をわずか3日で辞めてからは、定職に就く気もなく、女のもとに転がり込む生活を続けている。そんなゆうせいはかつてはプロ野球選手を目指していた将来有望な野球少年だった。ゆうせいと、ゆうせいの自立を願う母親の3年間の記録。

『ザ・ノンフィクション』警察沙汰を起こす小学生の実像とは「悪ガキとひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。12月13日は「悪ガキとひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」というテーマで放送された。

あらすじ

 東京・足立区で格闘技ジムを運営する古川誠一は、学校や家庭で問題を起こした少年を自宅に引き取り一緒に暮らしている。自らも荒れた過去を持つ古川は、子育てに困った親たちから荒れる子どもたちを引き受ける「駆け込み寺の和尚」として機能しているのだ。

 今、古川のもとで暮らす少年、青年は4人。まず曾祖母に手を上げてしまった小学4年生のユウセイ。小学5年生のコジロウは、家族に暴力を振るい警察を呼ばれる騒動も起こしている。

 一方、青年の2人はかつて「悪ガキ」だったが、今は落ち着き、格闘技において成果を残している。10歳の頃に古川に引き取られた武居由樹はK-1世界王者となった今も、古川の元で暮らしている。

 同様に中野滉太も成長を遂げ、初のタイトルマッチが決定。チャンピオンになって会長に恩返ししたいと話していた中野だったが、試合前日、減量に失敗し病院に担ぎ込まれてしまう。事前計量をパスできず、たとえチャンピオンを倒したとしてもタイトルを奪えない中、当日後楽園ホームで中野は戦い、試合には負けたが観客から温かい拍手で迎えられていた。

「警察沙汰」とあどけない表情のギャップ

 家族に暴力を振るう小学生男子という番組ホームページの説明を見て、ふてぶてしく粗暴な小学生を想像してしまったが、ユウセイ、コジロウの、声変わりも迎えていない声と、あどけない顔立ちを見て拍子抜けしてしまった。緊張からか、2人とも番組スタッフに対しても敬語で話し、うつむきがちでしおらしい。古川にも従順に見えた。

 しかしコジロウは家族に対しかんしゃくを起こし、車をキックボードで殴っただけでは収まらず、妹が乗った状態のチャイルドシートを車の外に落とすなど荒れに荒れてしまう。親により警察に通報されて、パトカーで警察署に連れていかれたすさまじい経歴がある。

 番組内では、中野の小学生時代の姿も映されていた。あどけない表情の過去の中野は、ガキ大将として近所の子どもを引き連れ公園で遊ぶのだが、その際、砂に足で円を描き「ここの円から出たやつぶっ殺すから」 と叫ぶ。ここまでだと「小学生男子あるある」ともいえるが、その円から出てしまったのであろう子の髪をつかんで執拗に引っ張り回す姿を見て、「このままだとマズそうだ」と感じた。

 番組ナレーションでは古川の発言として、「幼い頃の愛情不足で10歳くらいから悪の芽が出てくる。その時期に徹底的に厳しさと愛情を注ぎこむことで、その子のその後の生き方が変わってくる」と紹介していた。

 小学校高学年くらいが、粗暴な少年にとって最後のチャンスなのかもしれない。これが中学生くらいになれば母親より体が大きくなってしまう。幸い、現在21歳の中野は、世の中のふらふらした21歳よりもずっとしっかりして落ち着いており、古川への感謝の思いを丁寧に話す真面目な武道青年に成長していた。

 少年たちは古川のもとではしおらしい。また、中野の幼少期の映像を見ると、公園ではガキ大将だったが、2歳年上の兄貴分の武居にはまったく頭が上がらないようだった。問題行動を起こす子どもを「強さ、力、厳しさ」で律することを嫌がる人もいるだろうし、私もその一人だが、一方でそういったもので指導されることを求める人、そこに安心感を覚える人も一定数いるのではないかと感じた。

 「強さ」と「優しさ」のどちらがいい悪いではなく、子どもそれぞれの性格や、子どもの置かれた状況に応じたバランスを見極めていくことが大切なのだろう。「強さ、力、厳しさ」を求めるタイプの子どもにとって、昨今の「優しさ」重視とも思える子育てでは、行き場のないパワーが溜まってしまうのかもしれない。それが問題行動という形で噴出しているのだろうか。

「ほっとけない」保護者

 番組内で育ての親である曾祖母に暴力を振るうと紹介されていたユウセイ。「年老いた曾祖母に暴力」という言葉だけ見たときは、「なんて子どもだ」と思ったが、番組を見ていて少々印象が変わった。

 8月15日の「終戦の日」は、古川のジムのメンバーが総出で足立区のジムから靖国神社まで歩くイベントを毎年行っているという。出発前にユウセイを訪ねた曾祖母は、タオルを事前に濡らせとユウセイにしつこく言っていた。

 曾祖母の発言は心配と善意からのものなのはよくわかるが、こう何度もくどくど言われては、たとえそれが正論であっても、本当にイライラするだろうとユウセイに同情してしまった。曾祖母に悪気がないのは本当にわかるのだが、タオルを濡らしたくなったら途中のコンビニで洗面台を借りればいいのだ。田舎ならともかく、足立区から靖国神社までならいくらでもコンビニはあるだろう。

 放っといていいときは好きにやらせる、というのは子どもへのギフトだと思う。「あなたのためを思って」を大義名分にして、ただでさえカッとなりやすい子どもの導火線にあえて火をつけに行く保護者もいるのだろう、と思ってしまった。

 次週は「母さん ごめん ダメ息子の涙 ~六本木キャバクラボーイ物語~」。六本木でキャバクラボーイをしている26歳のゆうせい。大学卒業後に就職した大手企業をわずか3日で辞めてからは、定職に就く気もなく、女のもとに転がり込む生活を続けている。そんなゆうせいはかつてはプロ野球選手を目指していた将来有望な野球少年だった。ゆうせいと、ゆうせいの自立を願う母親の3年間の記録。

『ザ・ノンフィクション』定住しない30男、「住まい」に関する信念「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。12月6日は「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」というテーマで放送された。

あらすじ

 神奈川県・相模原市の山深い集落の空き地に地元住民の許可を取り、「モバイルハウス」を止め暮している二人の若者がいる。一人は自称・生活冒険家の赤井成彰(31)。赤井のモバイルハウスは軽トラを改造した移動式コーヒーショップのようなこじゃれた外観、内装で、中腰にならずに立てるほどの高さもある。赤井のモバイルハウス生活は500日を超え、自分の暮らしをインスタで発信し、講演活動なども行っている。

 もう一人は漫画家のおぐりちはや(28)。半年前からモバイルハウス生活を始めている。赤井の自動車を基にしたモバイルハウスと異なり、リアカーを基にしたモバイルハウスは「大きめの棺桶」のような形状で、赤井の「暮らすため」の形状というより寝るためだけの形状に見える。

 赤井の実家は金沢にある。医師の父親と茶道家の母親がおり、実家は和室に茶釜のある豪邸だ。赤井自身は実家が金持ちだ、と言われることを嫌がっており、北海道大学からバンダイに就職した順調な人生から一転、モバイルハウス生活に切り替えるなど、人生の模索を続ける。

 一方のおぐりには付き合って2年の恋人、29歳のゆりかがいる。ゆりかは自身で35年ローンを組み自由が丘の1LDKのマンションを購入した。川で行水をするといった生活を送るおぐりは、ゆりかの新居で風呂に入れる暮らしに癒やされ、赤井からモバイルハウスで暮らす人たちが集まれる場所を作ろう、と話があったものの自由が丘の快適な暮らしからなかなかモバイルハウスに戻れない。しかし結局、モバイルハウスの暮らしに戻る。

 おぐりはゆりかをモバイルハウスに招待する。おぐりはゆりかとの結婚を望むが、一方のゆりかは「この離れた生活で結婚はちょっと……」「衣食住なら「住」は結構ちゃんと(したい)」番組スタッフに話し、2人の生活観、結婚観にはずれが見られていた。

 30歳前後、アラサーといわれる年代は、10代とはまた違う特有の“万能感”や“自己肯定感”を抱きがちなように思う。私自身、その頃は自身に対して不思議な万能感を覚えていた。それはきっと、仕事に慣れてきて、自分で生計を立てられるようになり、気兼ねなく金も使え、社会との付き合い方がそれなりにわかってきたことによる自信なのだと思う。

 赤井やおぐりの選択も、そうした自分への肯定感や万能感が背景にあるのかもしれない。赤井のようにモバイルハウスについて講演を行うなど、選択に対して成果があれば、なお「自分は間違えていない」「間違えるはずもない」という気持ちになりやすいような気もする。

 一方、自分が「親」になっていると、そうした感覚は難しいのかもしれない。小さな子どもに振り回される生活では、自分の思うように生きることはできない。赤井が学生時代の友人・島田の家を訪ねた時、妻子と暮らす島田は親の大変さやありがたみが親になってはじめてわかった、と大人の発言をしていた。赤井はどんな思いで島田の発言を聞いていたのだろう。

 赤井に限らず、「持たない/断捨離/働きすぎない/自分らしい暮らし」系を実践する人は増えている。その中には赤井のように、ストイックというか、もはや暮らしにくいのでは、と思えるくらい極端な例も見受けられる。自分のチョイスに自信のある人も多いだろう。

 赤井の母親は息子に対し、たしなめるでも諭すでもなく優しく、「『これがよかったかな?』とか『自分が本当にこれで幸せだったか』なんて、今思っているのと10年後の本当のことは一緒じゃないかも」と話していた。これは至言だと思うが、赤井にはどう響いたのだろうか。

 自身を振り返っても、アラサーの持つ万能感はこの世代の“はしか”のようなものであり、永遠ではないと思う。そして、それが終わったときに訪れる「中年の危機」はきついものがあった。しかし、自身の中にある万能感のようなパッションを否定すると、いつまでもくすぶりかねない。結局は、付き合っていくしかないのだろう。

「住まい」に関する信念

 赤井は「ボクの暮らしを見て『自分はどんな暮らしをしたいのかな』って、みんなが考えるきっかけになったらいいなって」「ボクのやろうとしている暮らしは極端です。ボクもやったうえで、それを続けるかわからない。でも、やったことがないからやってみたい」と、自身の生き方について率直な思いを話していた。

 おぐりの彼女、ゆりかも「軸を変えてみたら、そっち(モバイルハウス的な暮らし)も、もしかしたら不自由で、もしかしたら縛られている?」と言葉を選びつつ話していた。この二人の「住まい」に対するそれぞれの思い、信念は、番組を見ていてよく伝わった。

 一方、おぐりはモバイルハウスに住むことについて「(山の)ちょっと過酷な環境で生きてるって思うことが、自分の中の安心になっているのかな」などと話していた。自由が丘での生活も満喫していたし、赤井、ゆりかの思いと比べて自身の「住まい」に関する思いがふんわりとしていて、どうもよくわからなかった。

 しかし、この曖昧な感じは「穏やかさ」にもつながっている気がする。おぐりは見るからに穏やかだ。旧態的な男らしさをゆりかにふりかざす姿など想像もつかない。だから、ゆりかはおぐりと付き合っていて、赤井もおぐりを相棒のようにしているのだろうとも思う。

 次週は「悪ガキと ひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」。家族に暴力をふるう、荒れた「小学生」男子。そんな少年たちを父親代わりとして育てる格闘技トレーナー、古川誠一の10年間。

『ザ・ノンフィクション』定住しない30男、「住まい」に関する信念「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。12月6日は「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」というテーマで放送された。

あらすじ

 神奈川県・相模原市の山深い集落の空き地に地元住民の許可を取り、「モバイルハウス」を止め暮している二人の若者がいる。一人は自称・生活冒険家の赤井成彰(31)。赤井のモバイルハウスは軽トラを改造した移動式コーヒーショップのようなこじゃれた外観、内装で、中腰にならずに立てるほどの高さもある。赤井のモバイルハウス生活は500日を超え、自分の暮らしをインスタで発信し、講演活動なども行っている。

 もう一人は漫画家のおぐりちはや(28)。半年前からモバイルハウス生活を始めている。赤井の自動車を基にしたモバイルハウスと異なり、リアカーを基にしたモバイルハウスは「大きめの棺桶」のような形状で、赤井の「暮らすため」の形状というより寝るためだけの形状に見える。

 赤井の実家は金沢にある。医師の父親と茶道家の母親がおり、実家は和室に茶釜のある豪邸だ。赤井自身は実家が金持ちだ、と言われることを嫌がっており、北海道大学からバンダイに就職した順調な人生から一転、モバイルハウス生活に切り替えるなど、人生の模索を続ける。

 一方のおぐりには付き合って2年の恋人、29歳のゆりかがいる。ゆりかは自身で35年ローンを組み自由が丘の1LDKのマンションを購入した。川で行水をするといった生活を送るおぐりは、ゆりかの新居で風呂に入れる暮らしに癒やされ、赤井からモバイルハウスで暮らす人たちが集まれる場所を作ろう、と話があったものの自由が丘の快適な暮らしからなかなかモバイルハウスに戻れない。しかし結局、モバイルハウスの暮らしに戻る。

 おぐりはゆりかをモバイルハウスに招待する。おぐりはゆりかとの結婚を望むが、一方のゆりかは「この離れた生活で結婚はちょっと……」「衣食住なら「住」は結構ちゃんと(したい)」番組スタッフに話し、2人の生活観、結婚観にはずれが見られていた。

 30歳前後、アラサーといわれる年代は、10代とはまた違う特有の“万能感”や“自己肯定感”を抱きがちなように思う。私自身、その頃は自身に対して不思議な万能感を覚えていた。それはきっと、仕事に慣れてきて、自分で生計を立てられるようになり、気兼ねなく金も使え、社会との付き合い方がそれなりにわかってきたことによる自信なのだと思う。

 赤井やおぐりの選択も、そうした自分への肯定感や万能感が背景にあるのかもしれない。赤井のようにモバイルハウスについて講演を行うなど、選択に対して成果があれば、なお「自分は間違えていない」「間違えるはずもない」という気持ちになりやすいような気もする。

 一方、自分が「親」になっていると、そうした感覚は難しいのかもしれない。小さな子どもに振り回される生活では、自分の思うように生きることはできない。赤井が学生時代の友人・島田の家を訪ねた時、妻子と暮らす島田は親の大変さやありがたみが親になってはじめてわかった、と大人の発言をしていた。赤井はどんな思いで島田の発言を聞いていたのだろう。

 赤井に限らず、「持たない/断捨離/働きすぎない/自分らしい暮らし」系を実践する人は増えている。その中には赤井のように、ストイックというか、もはや暮らしにくいのでは、と思えるくらい極端な例も見受けられる。自分のチョイスに自信のある人も多いだろう。

 赤井の母親は息子に対し、たしなめるでも諭すでもなく優しく、「『これがよかったかな?』とか『自分が本当にこれで幸せだったか』なんて、今思っているのと10年後の本当のことは一緒じゃないかも」と話していた。これは至言だと思うが、赤井にはどう響いたのだろうか。

 自身を振り返っても、アラサーの持つ万能感はこの世代の“はしか”のようなものであり、永遠ではないと思う。そして、それが終わったときに訪れる「中年の危機」はきついものがあった。しかし、自身の中にある万能感のようなパッションを否定すると、いつまでもくすぶりかねない。結局は、付き合っていくしかないのだろう。

「住まい」に関する信念

 赤井は「ボクの暮らしを見て『自分はどんな暮らしをしたいのかな』って、みんなが考えるきっかけになったらいいなって」「ボクのやろうとしている暮らしは極端です。ボクもやったうえで、それを続けるかわからない。でも、やったことがないからやってみたい」と、自身の生き方について率直な思いを話していた。

 おぐりの彼女、ゆりかも「軸を変えてみたら、そっち(モバイルハウス的な暮らし)も、もしかしたら不自由で、もしかしたら縛られている?」と言葉を選びつつ話していた。この二人の「住まい」に対するそれぞれの思い、信念は、番組を見ていてよく伝わった。

 一方、おぐりはモバイルハウスに住むことについて「(山の)ちょっと過酷な環境で生きてるって思うことが、自分の中の安心になっているのかな」などと話していた。自由が丘での生活も満喫していたし、赤井、ゆりかの思いと比べて自身の「住まい」に関する思いがふんわりとしていて、どうもよくわからなかった。

 しかし、この曖昧な感じは「穏やかさ」にもつながっている気がする。おぐりは見るからに穏やかだ。旧態的な男らしさをゆりかにふりかざす姿など想像もつかない。だから、ゆりかはおぐりと付き合っていて、赤井もおぐりを相棒のようにしているのだろうとも思う。

 次週は「悪ガキと ひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」。家族に暴力をふるう、荒れた「小学生」男子。そんな少年たちを父親代わりとして育てる格闘技トレーナー、古川誠一の10年間。

『ザ・ノンフィクション』認知症の妻の老老介護、最期の日々「おかえり お母さん~その後の『ぼけますから、よろしくお願いします。』~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月29日は「おかえり お母さん~その後の『ぼけますから、よろしくお願いします。』~」というテーマで放送された。

あらすじ

 映像ディレクターの信友直子は20年ほど前から、帰省のたびに広島県呉市で暮らす両親の姿を撮影するようになる。2014年、母の文子(当時85歳)にアルツハイマー型の認知症の症状がみられるようになり、父、良則(当時93歳)による老々介護が始まる。

 当初、文子の症状はりんごを買ったことを忘れ、また購入してしまう程度だったが、16年には洗濯機に入れておいた洗う前の洗濯物を床の上に出し、そこに寝転んでしまうほどになる。明るく働き者だった文子は昼でも横になることが増えていく。文子自身も「わからんのよ わからんのよ バカになってしもうたじゃけん」「(良則、直子に)迷惑かけるね」と自身の症状への恐怖、不安、やるせなさを言葉にする。

 その一方で文子は荒れる日もあり、「包丁持ってきてくれ」「死ぬるもう私は」「邪魔になるけん死にたい」と叫ぶこともあったが、その2時間後にはやたら恐縮し、良則は「朝のこと(死にたいと激高したこと)があるんじゃろう、悪いことをしたと思うて」と文子の心境を話す。

 18年10月。直子が両親を撮影した映像をまとめた映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の公開のひと月前、文子が病院に救急搬送される。自宅で食事中に脳梗塞で倒れてしまったのだ。集中治療室で文子は良則、直子に「手がかかるようになってごめんね」と話す。

 良則は毎日1時間かけ病院まで歩き文子を見舞う。一人暮らしとなった生活に、良則ががっくりきてしまわないか心配だった直子だが、良則は文子を自宅で引き取ろうと、体力づくりに励み、直子に対しては「あんたは働ける間は働いてもええよ、親のことをそがいに心配せんでもええよ」と励ます。

 文子も入院しながらリハビリを続けていたが、18年12月、脳梗塞を再発。寝たきりになる可能性が高いことを告げられる。19年の6月には寝たきりになり、反応はほとんどなく、療養型の病院に転院することになる。

 転院の際のタイミングで一度だけ自宅に寄ってもらい、8カ月振りに文子は我が家へ帰る。家の椅子に座ったとたん、それまでほとんど反応がなかった文子は「あー」と叫んで涙をこぼしていた。

 その後、20年6月。入院先の病院から、文子が危篤状態になったと連絡が届く。新型コロナウイルスにより面会は通常禁じられていたが特別に許され、良則は文子に「わしも今年の11月に100歳になるけんのう、(呉市から記念品を)もろうたら真っ先に持ってくるけんのう。(市役所に)願書を出したけん、何かくれるんじゃろう思うよ。もろうたら真っ先に持ってくるけんのう、待っとれよ。元気を出しての、ごちそうでも食うかい。わしゃあハンバーグが食いたいんじゃ、あんたも一緒に食おうで」と呼びかける。

 文子はその後10日以上持ちこたえたが、6月14日に良則、直子に看取られ眠るように亡くなる。享年91歳。

 新型コロナウイルスの影響で、近くの親族だけで葬儀は行われ、良則は文子の棺桶に「あの世で仲良く暮らしましょう 文子様 良則」と書いた花短冊を入れた。

 今回は、認知症を発症した妻の老々介護という、どこまでも暗くなってしまいそうなテーマながら、どこかで「明るさ」を感じさせる映像になっている。それは良則、文子の夫婦二人とも、ユーモアを大切にしているからのように感じた。

 文子は17年の正月に「ぼけますからよろしくお願いします」と直子に声をかけるし、良則は危篤状態になった文子の枕元で、「(呉市が)何かくれるんじゃろう思うよ」と話し、元気になってハンバーグを食べに行こうと呼びかける。この二人にはユーモアのセンスがある。

 暗くなりそうな状況をユーモアで逃がしてやる、というのは、生きる知恵だと思う。暗い悩みと正面から向き合い、真面目に、深刻になればいいというものでもない。真面目に、深刻に悩めば悩むほど、そんな自分のことを「(悩みに向き合っていて)立派だ」と思いかねないだろう。しかし、深刻な状況をユーモアで「いなす」という選択肢もある。

 そんな良則と文子のユーモアのセンスは娘、直子の映像に引き継がれていると感じた。

100歳にして妻子を守る良則の姿

 妻、文子が入院中に、自宅に戻ってからも介護できるよう、100歳前にしてトレーニング器具で体力づくりに励み、娘、直子が仕事を辞めて介護をしようかと話すと、「あんたは働ける間は働いてもええよ、親のことをそがいに心配せんでええよ」と返す良則はカッコよかった。

 昨今、「男だってつらい」「親だってつらい」をはじめ、「生きるのがつらい」という意見を特にネットの記事やトレンドワードで見る。実際、生きていくのは大変だし、弱音を吐かねば押し潰される、というときに弱音で逃がしてやるのは大切なことだ。

 だが、それが「癖」「習慣」になるのはまずいのではないかと思う。弱音を習慣的に見れば見るほど、「弱っている状態」が自分の標準、基準になっていってしまって、頑張れなくなる気がする。なので、良則の、100歳にして弱音を吐かず、妻と子どもを守るべく、曲がった背中で奮闘する姿を見て、心に火が付くとともに、こんなふうに生きようとする気概のある大人は今どのくらいいるのだろうと思った。

 次週は「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」。車を住めるように改造し、そこを自宅にして夏は涼しい場所、冬は暖かいへ移動する「モバイルハウス」で暮らす若者が増えているという。二人のモバイルハウスで暮らす青年から「自由な生き方」と「快適な暮らし」の間を見つめる。

『ザ・ノンフィクション』臓器を提供する、しない? 死生観に結びつく臓器移植の現状「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 後編

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月22日は「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 後編」というテーマで放送された。

あらすじ

 難病により心臓移植を待つ2人と、その家族に焦点を当てた回。

 容子51歳(取材時、2018年時)は42歳の時に心臓が肥大化し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病、拡張型心筋症を発症する。悪化すると心臓移植しか手段がない。容子は補助人工心臓(VAD、通称バド)の入ったワンショルダーのリュックを常にしょいながら心臓移植を待つ日々を送る。

 容子と同じ拡張型心筋症で、患者会で交流を続ける平澤弘章(当時41歳)は、VADをつけた生活が2年半になる。平澤の妻・友子は、平澤の病気を知ったうえで結婚した。平澤は、VADの刺入部(体にケーブルが刺さっている部分)からさまざまな菌に感染してしまい、入院生活が長引く。退院に望みをかけてVADの交換手術を受けるが、術後3日たっても意識が戻らない。

 手術から3カ月後、スタッフが平澤を訪ねると、ベッドに寝たままで鼻には管が刺さった状態だったが、平澤は意識を取り戻し話せるまで回復していた。その後、自分の足で歩けるまでに回復し退院、友子との生活を再開する。

 一方、容子は夫との関係がギクシャクすることもあったが、VADを入れて5年、心臓提供の一報が入る。手術当日、容子は「すごい葛藤の中で、この向こう側で(心臓の提供を)決断している家族の方たちがいらっしゃるんだなって」と思いを話す。そして、もしも、万が一手術が失敗に終わったときには、自分の使える体を全部ドナーとして提供すると言葉を残し、容子は手術に挑む。

 移植は成功。容子はVADを入れてる間はできなかった車の運転や一人での買い物ができるようになり、自宅で家族と生活をしている。なお、ドナーの家族には定期的にお礼の手紙を送っているという。

 病気を抱えると、闘病そのものの肉体的ダメージはもちろんだが、それに伴い家族、雇用先との関係が悪化することもあり、そうした精神的なダメージも深刻だ。

 心臓移植は、日本では5年以上「待機」の状態が続くそうで、本人、家族、関係者の闘病も長期戦になる。支える側も、1週間で回復する見込みがあるなら優しくできるだろうが、それが年単位になれば、なかなかうまくいかない日だってあるはずだ。番組の前後編を見ても、平澤と平澤の元雇用先、平澤の妻・友子と義両親、容子と夫の関係が悪化していく様子が見えた。平澤、友子、容子それぞれが、相手から言われた言葉についてこぼしていた。

 病気そのもの以外の、こういった二の矢が刺さってしまうのが、難病のつらさだと思う。その言葉だけを取り出してみると、確かに心無い一言に聞こえる。ただそれは、すでに関係がギクシャクとしている中での一言だ。相手にも言い分はあるだろう。こう冷静に思えるのも、他人だからであり、もし私が言われた側なら、確実に根に持ち、文句を言いまくるとは思う。

 関係がギクシャクしたら、すでにときは遅いのであり、その前に事態を収められたらベストなのだが、病めるときにそれを求めるのも難しい。一方で、容子も平澤も患者会など、「同じ病を持つ人同士で気兼ねなく思いを話せる場」に積極的に参加しているのは、日々をよりよく生きていく知恵だと感じた。似た境遇でないと分かち合えないことがあるだろう。

 番組内で「日本の臓器提供は進んでいない」との説明があったが、どのくらいの数なのか調べてみた。

 日本臓器移植ネットワークホームページによると、死後の臓器提供は、米国が人口3億2800万人に対して年間約1万人なのに対し、日本は人口1億2000万人に対して年間100人前後とある。欧州諸国や韓国などと比べても、日本の数字は目立って低い。

 しかし、ほかの諸政策のように「諸外国に比べ日本は遅れているから、積極的に進めていこう」とするのも、違うような気がする。臓器提供は死生観に直結する部分だ。「死生観」は「性の価値観」とともに、究極的にプライベートな領域の話だと私は思っている。

 「(臓器を)あげる、あげたくない、もらいたい、もらいたくない」ということについて、どう考えるかは、当人の自由であるべきだと思うのだ。

 しかし、それまでは自分には関係のない話だと思っていた心臓移植について、2週にわたって容子と平澤が闘病する様子や、また、提供された心臓が車で運ばれる様子、さらには容子が術後も免疫抑制剤への影響から夏みかんや生もの、カビ系のチーズなどが食べられないと話す様子など、一つひとつのエピソードが映像の力によってリアルに伝わり、対岸の話ではなく、生きている人間の話なのだ、と距離が近いものになった。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「おかえり お母さん~その後の「ぼけますから、よろしくお願いします。」~」。認知症の母と老老介護する父の暮らしを、映像作家の「私」が撮った看取りまでの記録。なお、同作は映画公開もされており、全国で18万人以上を動員している。前回のレビュー『ザ・ノンフィクション』87歳認知症の母を介護する95歳の父「ぼけますから、よろしくお願いします。 ~特別編~」はこちら

日本臓器移植ネットワークホームページ

『ザ・ノンフィクション』人の死を待つ移植待機患者の葛藤「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月15日は「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」というテーマで放送された。

あらすじ

 難病により心臓移植を待つ2人と、その家族に焦点を当てた回。

 容子51歳(取材時、2018年時)は42歳の時に心臓が肥大化し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病、拡張型心筋症を発症する。悪化すると心臓移植しか手段がない。容子は補助人工心臓(VAD、通称バド)の入ったリュックを常にしょいながら心臓移植を待つ日々を送る。

 容子はもともと夫と息子、娘と暮らしていた。しかしVADの機械トラブル時に介助者が対応できるよう、現在はVADの研修を受けた両親とともに実家で暮らしている。容子は心臓移植について「亡くなった人の命をもらうという、そういうところでの葛藤というのは全く考えない人はいないと思うんだよね。その人の命を自分は……、亡くなるドナーが出るのを待っているのか……」と番組スタッフに思いを話す。

 容子と同じ拡張型心筋症で、患者会で交流を続ける平澤弘章(当時41歳)は、VADをつけた生活が2年半になる。平澤の妻・友子は、平澤の病気を知ったうえで結婚した。友子は「(知り合いの家族が言っていたが、VADをつけて)2年くらいは皆さん元気なんですって。なにごともなく。でも3年目からいろいろ出てくるらしくて」と胸中を話す。なお、心臓移植の平均待機年数は現在約6~8年という。

 平澤は、VADの刺入部(体にケーブルが刺さっている部分)からさまざまな菌に感染してしまい、入院生活が長引く。もともと平澤と友子は2人で暮らしていたが、平澤がVADをつけてからは平澤の両親と同居している。しかし平澤が入院することも多く不在がちの生活で、友子と義両親の折り合いが悪くなり、友子は実家に戻る。退院に望みをかける平澤はVADの交換手術を受けるが、10時間の手術の後、3日たっても目覚めない。

 私事だが足の指を骨折し治療中だ。足の指の骨折と拡張型心筋症は病気のレベルが全く違うが、医師から、骨折した部位は抵抗力が弱まっており、さまざまなものに感染しやすいから清潔にしておくようにと言われた。

 病気、ケガになると「患部を元の状態に回復させる」という主目的以外に、「抵抗力が落ちたことでの二次感染を防ぐ」という二つのケアが必要になる。今回の番組を見ていて、病気そのものの困難さだけでなく、二次感染、そして二次被害の困難さ、大変さを思った。

 二次被害とは平澤がVADとの刺入部から菌に感染したようなことだけではなく、「病気とは直接的に関係ないトラブル」も含まれる。

 友子は夫・平澤と2人暮らしだったが、平澤がVADを入れて以来、夫の両親と同居している。ただでさえ、義両親と暮らすことを歓迎する嫁は少ないはずだ。さらに平澤は長期入院中であり、義両親との関係はギクシャクしていき、最終的には同居解消になる。

 一方、容子は息子が小学校6年のときに拡張型心筋症を発症する。それまで野球少年の息子のためボリューム満点のお弁当を作っていたのだが、容子の病状は年々悪化し、病院で過ごす日々の方が長くなっていく。

 なお、容子の娘は「ママに何かあったらどうしよう」といつも部屋で泣いていて、小学校3年頃から中3まで不登校だったという。容子は「ほかのことは『ごめんなさい』でどうにか通してきたけれども、あぁこの子(娘)の一日一日は今しかないなぁ、と思うと……」と、娘のそばで生活できないことへの思いを話す。

 4人兄弟の長女で病気前は音楽教室を開くなど、見るからに面倒見がよさそうな容子が、闘病のために自分の子どもたちと共に過ごせない無念を思うと切ない。病気は病気そのものの困難さだけでなく、病気に伴うさまざまな困難を本人と家族に引き連れてくる。

 なお、日本では1997年に臓器移植法が成立し脳死後の臓器提供が可能となり、99年、初の臓器移植手術が行われた。脳死の定義について日本臓器移植ネットワークのホームページでは「脳死とは、脳の全ての動きがなくなった状態です。どんな治療をしても回復することはなく、人工呼吸器などの助けがなければ心臓は停止します。回復する可能性がある植物状態とは全く別の状態です」と記載されている。

 日本はドナー提供者の数と移植希望者の数に開きがあり、心臓移植待機患者886人(2020年10月末時点)に対し、19年の心臓移植数は84例にとどまると紹介されていた。容子は看護学生を前にした講演の際、臓器提供意思表示カードについて「(臓器を)『あげたい』『あげたくない』『もらいたい』『もらいたくない』どの選択も意思として等しく尊重される権利が保障されています」と話した。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の続編。待機生活が5年を超え、移植の順番が近づいてきた容子だったが、心が深く傷つくような出来事が起きてしまう。

臓器移植ネットワークホームページ

『ザ・ノンフィクション』人の死を待つ移植待機患者の葛藤「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月15日は「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」というテーマで放送された。

あらすじ

 難病により心臓移植を待つ2人と、その家族に焦点を当てた回。

 容子51歳(取材時、2018年時)は42歳の時に心臓が肥大化し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病、拡張型心筋症を発症する。悪化すると心臓移植しか手段がない。容子は補助人工心臓(VAD、通称バド)の入ったリュックを常にしょいながら心臓移植を待つ日々を送る。

 容子はもともと夫と息子、娘と暮らしていた。しかしVADの機械トラブル時に介助者が対応できるよう、現在はVADの研修を受けた両親とともに実家で暮らしている。容子は心臓移植について「亡くなった人の命をもらうという、そういうところでの葛藤というのは全く考えない人はいないと思うんだよね。その人の命を自分は……、亡くなるドナーが出るのを待っているのか……」と番組スタッフに思いを話す。

 容子と同じ拡張型心筋症で、患者会で交流を続ける平澤弘章(当時41歳)は、VADをつけた生活が2年半になる。平澤の妻・友子は、平澤の病気を知ったうえで結婚した。友子は「(知り合いの家族が言っていたが、VADをつけて)2年くらいは皆さん元気なんですって。なにごともなく。でも3年目からいろいろ出てくるらしくて」と胸中を話す。なお、心臓移植の平均待機年数は現在約6~8年という。

 平澤は、VADの刺入部(体にケーブルが刺さっている部分)からさまざまな菌に感染してしまい、入院生活が長引く。もともと平澤と友子は2人で暮らしていたが、平澤がVADをつけてからは平澤の両親と同居している。しかし平澤が入院することも多く不在がちの生活で、友子と義両親の折り合いが悪くなり、友子は実家に戻る。退院に望みをかける平澤はVADの交換手術を受けるが、10時間の手術の後、3日たっても目覚めない。

 私事だが足の指を骨折し治療中だ。足の指の骨折と拡張型心筋症は病気のレベルが全く違うが、医師から、骨折した部位は抵抗力が弱まっており、さまざまなものに感染しやすいから清潔にしておくようにと言われた。

 病気、ケガになると「患部を元の状態に回復させる」という主目的以外に、「抵抗力が落ちたことでの二次感染を防ぐ」という二つのケアが必要になる。今回の番組を見ていて、病気そのものの困難さだけでなく、二次感染、そして二次被害の困難さ、大変さを思った。

 二次被害とは平澤がVADとの刺入部から菌に感染したようなことだけではなく、「病気とは直接的に関係ないトラブル」も含まれる。

 友子は夫・平澤と2人暮らしだったが、平澤がVADを入れて以来、夫の両親と同居している。ただでさえ、義両親と暮らすことを歓迎する嫁は少ないはずだ。さらに平澤は長期入院中であり、義両親との関係はギクシャクしていき、最終的には同居解消になる。

 一方、容子は息子が小学校6年のときに拡張型心筋症を発症する。それまで野球少年の息子のためボリューム満点のお弁当を作っていたのだが、容子の病状は年々悪化し、病院で過ごす日々の方が長くなっていく。

 なお、容子の娘は「ママに何かあったらどうしよう」といつも部屋で泣いていて、小学校3年頃から中3まで不登校だったという。容子は「ほかのことは『ごめんなさい』でどうにか通してきたけれども、あぁこの子(娘)の一日一日は今しかないなぁ、と思うと……」と、娘のそばで生活できないことへの思いを話す。

 4人兄弟の長女で病気前は音楽教室を開くなど、見るからに面倒見がよさそうな容子が、闘病のために自分の子どもたちと共に過ごせない無念を思うと切ない。病気は病気そのものの困難さだけでなく、病気に伴うさまざまな困難を本人と家族に引き連れてくる。

 なお、日本では1997年に臓器移植法が成立し脳死後の臓器提供が可能となり、99年、初の臓器移植手術が行われた。脳死の定義について日本臓器移植ネットワークのホームページでは「脳死とは、脳の全ての動きがなくなった状態です。どんな治療をしても回復することはなく、人工呼吸器などの助けがなければ心臓は停止します。回復する可能性がある植物状態とは全く別の状態です」と記載されている。

 日本はドナー提供者の数と移植希望者の数に開きがあり、心臓移植待機患者886人(2020年10月末時点)に対し、19年の心臓移植数は84例にとどまると紹介されていた。容子は看護学生を前にした講演の際、臓器提供意思表示カードについて「(臓器を)『あげたい』『あげたくない』『もらいたい』『もらいたくない』どの選択も意思として等しく尊重される権利が保障されています」と話した。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の続編。待機生活が5年を超え、移植の順番が近づいてきた容子だったが、心が深く傷つくような出来事が起きてしまう。

臓器移植ネットワークホームページ

『ザ・ノンフィクション』元日本ボクシング連盟終身会長・山根明の今「たたかれても たたかれても… ~山根明と妻のその後~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月8日は「たたかれても たたかれても… ~山根明と妻のその後~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2018年に世間を賑わせた元日本ボクシング連盟終身会長・山根明は今、大阪・生野で、渦中の山根を支えた妻の智巳と今も暮らしている。80歳の山根、52歳の智巳の年の差夫婦だ。

 智巳は韓国出身で、韓国が経済危機に陥った23年前、夫の会社が倒産し、家族を国に残して大阪のスナックへ出稼ぎにきた。のちに夫とは離婚し、娘を女手一つで育て上げる。山根とは10年前、店に客としてやってきたことで出会う。現在、智巳は近所のクラブのオーナーママで、店では山根と夫婦漫才のノリで連日メディアに追われた日々を話し、それが店の売りの一つにもなっている。

 山根は1939年に堺で生まれる。終戦の1945年に韓国人の母とともに韓国に渡るが、現地での反日感情は強く、石を投げつけられることもあったという。その後11歳で日本に戻りボクシングを始め、アマチュアボクシングの指導者の道へ進み、2011年に日本ボクシング連盟の会長に就任する。12年のロンドンオリンピックでは2つのメダルを獲得、山根は貢献から日本ボクシング連盟終身会長に就任。就任記念に金の糸で刺繍された赤いグローブが贈られ、それは山根家の玄関に飾られている。

 しかし18年7月、アマチュアボクシング関係者から山根に対し告発があがる。助成金の不正流用、「奈良判定」とも呼ばれた不正判定、さらに暴力団関係者との交際までがスクープとして取り沙汰され、山根は渦中の人となる。山根は助成金の流用以外は否定したが、暴力団関係者と付き合いがあったことものちに認めた。終身会長の座を降り、その後日本ボクシング連盟側から除名処分を受け、永久追放となった。

 会長辞任から1年、山根は新たな格闘技団体「ワールド・ヤマネ・ボクシングチャンピオンシップ」を立ち上げる。山根には糖尿病の持病があり、智巳は気が気ではないが、ボクシングを通じ山根は活力を取り戻していく。

 そんな山根夫妻にもコロナの影響が直撃する。智巳のクラブは4月から6月まで休業を余儀なくされ、さらに智巳自身も、更年期障害が悪化する。2年前は気丈に山根を支えていた智巳も「一番の壁やな、人生の中で」とコロナ禍の今の心境を話す。クラブのキャストからクラウドファンディングを利用してみてはどうか、と提案があり、山根は最初しぶるも、最終的には自分の宝物である終身会長就任記念のグローブもクラウドファンディングの返礼品として差し出す。

 10月、山根の81歳の誕生日を智巳の店で祝った際、山根は智巳に対し「最後まで俺を守った女」と智巳に感謝の思いを告げる。なお、返礼品として出品したグローブは、やはり智巳の強い意志で守られ、今も山根家の玄関に飾られている。

 山根夫妻を見たとき懐かしいと思ってしまったが、まだ2年前だったことに驚いた。自宅前で大勢のマスコミに囲まれていた山根夫妻を覚えている人も多いと思う。番組内では、智巳が撮影したという、大勢の取材陣が自宅に押し寄せる様子を、その輪の外から映した動画を放送していた。

 大きな機材を持ったカメラマンやマスコミのスタッフが山根の周りに50人くらいひしめき合っている様子は壮絶で、それはテレビで見ていた「山根氏直撃」の様子と大きく違って見えた。謝罪会見などでおかしな発言をしてしまい、火に油を注いでしまった人も多いが、あんなにカメラに囲まれ、さらに全員から追及されるような目線を向けられたら、なかなか「まとも」ではいられないだろう。

 山根夫妻は当時の出来事を夫婦漫才調にして店で話し、智巳のクラブの鉄板ネタにするなど、転んでもただでは起きない商魂たくましいところも見せるが、智巳は「私も逃げたかった」と当時の思いを話す。どちらも真実なのだろう。

男・山根を体現するファッション

 2年前の騒動の時も思ったが、山根はおしゃれだ。そして、そのおしゃれさは「TPOへの意識の高さ」ではないかと思う。山根は近所に買い物に出かけるときはシャツにスラックス姿で、その姿は「普通のおじいちゃん」という感じだったが、自分の誕生日のときはバシッとスーツにハットで決めているし、ボクシングジムに立ち寄ったときもスリーピースのスーツで、それはまさに「男・山根」だった。

 「屋内なら帽子をとるべきだ」「サングラスがヤクザすぎる」などはあるものの「ちゃんとした場所に行くときは、パリッとしたその場にふさわしい服装であるべきだ」という「ハレとケ」における「ハレ」の意識を感じさせる。そうした心意気は、世の80歳男性の中ではトップクラスであるように思うし、それどころか今の「スーツすら着なくなってきている」30~40代男性あたりに比べてもケタ違いで高い意識だと思う。

 カジュアルな服装は楽だし、安いし、扱いやすい。カジュアルな服装が幅を利かせる、というのは「名より実」「気取ったところでどうするの」という社会情勢を反映しているといえる。コロナがさらにそれに拍車をかけているだろう。

 しかし男・山根の気取ったファッションは、そんな「実」に流されがちなコロナ禍の時代に堂々と「名」の世界の美を体現していて、圧倒された。山根のファッショニスタぶりに感化されて、たまには気合を入れて服を着て、化粧をして、気取った場所に出かけてみようかという気になった。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ザ・ノンフィクション 私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」。心臓が肥大し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病「拡張型心筋症」。悪化すれば心臓移植しか手段はないが、海外に比べ日本はドナーの数が海外に比べ少ない。心臓移植の待機患者とその家族の、生きることへの渇望と心の揺らぎを追った3年間の記録。

『ザ・ノンフィクション』元日本ボクシング連盟終身会長・山根明の今「たたかれても たたかれても… ~山根明と妻のその後~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月8日は「たたかれても たたかれても… ~山根明と妻のその後~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2018年に世間を賑わせた元日本ボクシング連盟終身会長・山根明は今、大阪・生野で、渦中の山根を支えた妻の智巳と今も暮らしている。80歳の山根、52歳の智巳の年の差夫婦だ。

 智巳は韓国出身で、韓国が経済危機に陥った23年前、夫の会社が倒産し、家族を国に残して大阪のスナックへ出稼ぎにきた。のちに夫とは離婚し、娘を女手一つで育て上げる。山根とは10年前、店に客としてやってきたことで出会う。現在、智巳は近所のクラブのオーナーママで、店では山根と夫婦漫才のノリで連日メディアに追われた日々を話し、それが店の売りの一つにもなっている。

 山根は1939年に堺で生まれる。終戦の1945年に韓国人の母とともに韓国に渡るが、現地での反日感情は強く、石を投げつけられることもあったという。その後11歳で日本に戻りボクシングを始め、アマチュアボクシングの指導者の道へ進み、2011年に日本ボクシング連盟の会長に就任する。12年のロンドンオリンピックでは2つのメダルを獲得、山根は貢献から日本ボクシング連盟終身会長に就任。就任記念に金の糸で刺繍された赤いグローブが贈られ、それは山根家の玄関に飾られている。

 しかし18年7月、アマチュアボクシング関係者から山根に対し告発があがる。助成金の不正流用、「奈良判定」とも呼ばれた不正判定、さらに暴力団関係者との交際までがスクープとして取り沙汰され、山根は渦中の人となる。山根は助成金の流用以外は否定したが、暴力団関係者と付き合いがあったことものちに認めた。終身会長の座を降り、その後日本ボクシング連盟側から除名処分を受け、永久追放となった。

 会長辞任から1年、山根は新たな格闘技団体「ワールド・ヤマネ・ボクシングチャンピオンシップ」を立ち上げる。山根には糖尿病の持病があり、智巳は気が気ではないが、ボクシングを通じ山根は活力を取り戻していく。

 そんな山根夫妻にもコロナの影響が直撃する。智巳のクラブは4月から6月まで休業を余儀なくされ、さらに智巳自身も、更年期障害が悪化する。2年前は気丈に山根を支えていた智巳も「一番の壁やな、人生の中で」とコロナ禍の今の心境を話す。クラブのキャストからクラウドファンディングを利用してみてはどうか、と提案があり、山根は最初しぶるも、最終的には自分の宝物である終身会長就任記念のグローブもクラウドファンディングの返礼品として差し出す。

 10月、山根の81歳の誕生日を智巳の店で祝った際、山根は智巳に対し「最後まで俺を守った女」と智巳に感謝の思いを告げる。なお、返礼品として出品したグローブは、やはり智巳の強い意志で守られ、今も山根家の玄関に飾られている。

 山根夫妻を見たとき懐かしいと思ってしまったが、まだ2年前だったことに驚いた。自宅前で大勢のマスコミに囲まれていた山根夫妻を覚えている人も多いと思う。番組内では、智巳が撮影したという、大勢の取材陣が自宅に押し寄せる様子を、その輪の外から映した動画を放送していた。

 大きな機材を持ったカメラマンやマスコミのスタッフが山根の周りに50人くらいひしめき合っている様子は壮絶で、それはテレビで見ていた「山根氏直撃」の様子と大きく違って見えた。謝罪会見などでおかしな発言をしてしまい、火に油を注いでしまった人も多いが、あんなにカメラに囲まれ、さらに全員から追及されるような目線を向けられたら、なかなか「まとも」ではいられないだろう。

 山根夫妻は当時の出来事を夫婦漫才調にして店で話し、智巳のクラブの鉄板ネタにするなど、転んでもただでは起きない商魂たくましいところも見せるが、智巳は「私も逃げたかった」と当時の思いを話す。どちらも真実なのだろう。

男・山根を体現するファッション

 2年前の騒動の時も思ったが、山根はおしゃれだ。そして、そのおしゃれさは「TPOへの意識の高さ」ではないかと思う。山根は近所に買い物に出かけるときはシャツにスラックス姿で、その姿は「普通のおじいちゃん」という感じだったが、自分の誕生日のときはバシッとスーツにハットで決めているし、ボクシングジムに立ち寄ったときもスリーピースのスーツで、それはまさに「男・山根」だった。

 「屋内なら帽子をとるべきだ」「サングラスがヤクザすぎる」などはあるものの「ちゃんとした場所に行くときは、パリッとしたその場にふさわしい服装であるべきだ」という「ハレとケ」における「ハレ」の意識を感じさせる。そうした心意気は、世の80歳男性の中ではトップクラスであるように思うし、それどころか今の「スーツすら着なくなってきている」30~40代男性あたりに比べてもケタ違いで高い意識だと思う。

 カジュアルな服装は楽だし、安いし、扱いやすい。カジュアルな服装が幅を利かせる、というのは「名より実」「気取ったところでどうするの」という社会情勢を反映しているといえる。コロナがさらにそれに拍車をかけているだろう。

 しかし男・山根の気取ったファッションは、そんな「実」に流されがちなコロナ禍の時代に堂々と「名」の世界の美を体現していて、圧倒された。山根のファッショニスタぶりに感化されて、たまには気合を入れて服を着て、化粧をして、気取った場所に出かけてみようかという気になった。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ザ・ノンフィクション 私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」。心臓が肥大し、血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病「拡張型心筋症」。悪化すれば心臓移植しか手段はないが、海外に比べ日本はドナーの数が海外に比べ少ない。心臓移植の待機患者とその家族の、生きることへの渇望と心の揺らぎを追った3年間の記録。