【モンペと呼ばないで!】バレエ教室で「娘だけ裸足練習」……これは指導なの、虐待なの?

保育園、幼稚園、小学校、おけいこ事の教室などでは、日々子どもの保護者と施設側の間でトラブルが発生している。ほんの些細なことでも、自分のこと以上に気になってしまうのが親心というものなのか。わが子のことを思ってとクレームを入れるママもいれば、モンペと呼ばれることを恐れて我慢するママも。そんなトラブル事例とママの葛藤をつづる。

 新たなスタートの時期となる4月に、子どもの習い事デビューをさせるママは多い。少子化と叫ばれて久しいが、保育園の待機児童問題と同様に、人気の習い事に子どもたちが集中し、中にはキャンセル待ちとなるところもあるという。特に都心部では、治安や近隣への騒音問題により、公園遊びも気軽にできない風潮があるため、園庭を持たない保育所に通っている園児たちのママは、「運動させよう」と、体操教室や水泳教室に子どもを通わせるようになるのだ。都内で4歳になる男児を育てている30代の朱莉さん(仮名)は、3歳になったのをきっかけに、息子を水泳教室に通わせるようになった。

「実は、水泳教室の定員に空きがなく、半年キャンセル待ちをして通えるようになりました」

 朱莉さんは、息子が通う予定の小学校では、水泳の授業が“泳げる子”と“泳げない子”に分けて行われるというウワサを聞いたそうだ。通っている保育園にはプールがないので、「夏場は水浴びしかできないんです。このまま泳げないで小学校に通うようになると、いじめられるのではないかと心配になり、入会しました」。

 こうして念願の水泳教室に子どもを入れた朱莉さん。しかし、ママ友トラブルの“火種”を目撃し、頭を悩ませるようになったという。

「うちは3歳から習い始めたのですが、中には赤ちゃんの頃から親子スイミングに通っている子もいます。水泳教室の見学室は、そういった長期間通っているママさんがスペースを陣取っている状況なんです。ジムの人から『終わった人は早く退散してください』と言われても、お菓子を広げた状態で、平気な顔で座っているママさんグループもいます」

 土曜クラスの時には、午前と午後の幼児クラスのママたちで見学室が満杯になるという。彼女は一度、水泳教室に「妊娠中のママさんが座れないで立っていたことがある」とクレームを入れたものの、「いろいろな方がいるので難しいですが、改善します」という一言だけ。保育園や幼稚園とは違い、習い事教室にとって、生徒とその保護者は、 完全に“お客様”である。そのため施設のスタッフも、マナー違反のママたちに強く言えない面があるのかもしれない。

 習い事をめぐって、ママたちが不満を爆発させるケースは後を絶たない。小4の女児を持つ専業主婦の真央さん(仮名)は、乳児の頃から娘を水泳教室に通わせている。

「専業主婦だったため、幼稚園に入園する前から親子スイミングに通い始めました。子どもが小学校の高学年になると、親は送迎だけ同行して、見学室に残らないで帰る人も多いですが、私は心配なのでレッスンを見ています」

 真央さんの娘は、タイムは遅いものの、クロールを得意の泳法といえるレベルまでマスターしていたという。しかし、定期的に行われる進級テストで、娘だけが不合格に。見学室からその様子を覗いていた真央さんは、納得がいかなかったそうだ。

「うちの子は、ほかの子よりは遅いですが、泳げていたんです。なのに、同じクラスの子たちが合格して、娘だけが不合格。娘に聞いても、不合格になった理由がわからず、受付を通じてコーチに抗議しました。理由も言わないで不合格にするなんて、明らかにわざとだとしか思えないです」

 この進級テストは、3カ月で1級上がることを目安に作られているという。次のテストでは合格できたらしいが、クロール以外の泳法で不合格となったという。

「そもそも、1クラスに生徒が15人ほどいるので、詳しく教える時間が足りないと思うんです。 合格基準を水泳教室の担当者に聞いたら、『練習が足りないのならクラスを増やしてください』と冷たくあしらわれました」

 習い事でのトラブルは、“辞める”という手段が選べるため、長期化しない傾向がある。もしかしたら、水泳教室内のママたちの入れ替わりは、思いのほか早いのかもしれない。

 女児のママに人気の習い事といえば、情操教育であるピアノやダンスなど。中でも、クラシックバレエは姿勢が良くなり、礼儀正しくなるというプラスのイメージが強い。4歳の女児のママである香織さん(仮名)は、俗に“習い事解禁”といわれる3歳になると、バレエ教室を探し始めた。

「私自身がバレエに興味があったものの習えずじまいだったので、子どもにはぜひって思っていたんです。いくつか教室を見学し、近所にある個人の先生が教えているところに決めました」

 教室見学をした時に、20年以上の歴史ある教室だという説明を聞き、娘を通わせる決心をした香織さん。この教室は、親には練習風景を一切見せないという方針だった。

「娘はまだ1人で着替えたりするのができないので、レッスンのはじめと終わりは教室について行っていました。レッスン中の飲み物は水だけという説明があったのですが、水が苦手な娘には、ジュースの入った水筒を持たせていたんです。なのに、レッスンが終わると、ものすごい勢いで私が持参した飲み物を飲んだりするので、おかしいなと思って娘に聞いてみると、休憩中の飲み物が水しか飲むことが許されなかったため、ずっと飲まずに過ごしていたみたいで……」

 このことがきっかけで、香織さんは教室に猛抗議した。

「子どもが脱水すると、命に関わるじゃないですか。それに、足の裏が汚れているのに、バレエシューズが綺麗なのも気になったので聞いてみると、『足の感覚をつかむため』という理由で、うちの子だけ裸足で踊らされていたみたいなんです。『スタジオの床は冷たいのに、裸足でいさせるって虐待だ』と言いました」

 こうしたトラブルにより、バレエ教室のママたちから浮いてしまったという香織さん。

「バレエ教室では先生が絶対なので、『これくらい当たり前だよ』と言われました。みんな2年に一度開催される発表会で、子どもに良い役をもらいたいらしく、言いづらいようです」

 結局、教室を辞めることを決意したが、前もって納入していたレンタルスタジオの代金や、発表会のための積立金は返してもらえなかったという。

「『そういう契約です』の一点張りでした。最近、生徒が少なくなっているのもあって、1人当たりの設備費などの負担が大きくなっているようです。私みたいな被害者が出ないように、ネットのお稽古事サイトには、口コミを投稿しました」

 天才児と呼ばれる子どもの育成には、習い事をはじめとする早期教育が必要と考える親が多い。その投資には、『これだけ支払ったのだから、言う権利はある』という本心が見え隠れしているようだ。
(池守りぜね)

グループの夢とわたしの夢――「アンジュルム」リーダー・和田彩花の卒業発表を読み解く

 今年4月5日、ハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)に所属するアイドルユニット「アンジュルム」のリーダー・和田彩花が、「皆さまへ」と題したブログをアップし、来年の春ツアーをもって、アンジュルムおよびハロー!プロジェクトを卒業すると発表した。

 2009年に結成された同グループ(当時のグループ名は「スマイレージ」)における唯一のオリジナルメンバーであり、50名を超える規模のハロプロのリーダーも務めていた和田の卒業は大きな話題となった。そして、その事実と合わせ、彼女がブログで吐露した思いは実に印象的で、ネット上でも多くの反響があった。そこで語られた思いは、熱く、強く、読む者の心を揺さぶるものであったからだ。

 まず、彼女は問いかける。

「いつまでもみんなと夢を追いかけることはできないのだろうか?」

 ここの「みんな」とは、メンバーのことであり、広くファンの意味合いも含んでいるかもしれない。つまり、アイドルユニットとしていつまでも活動していくことはできないのか、ということだ。

 結論を急ぐなら、答えは「できない」だ。

 理由のひとつは「アイドル」というものが、多くの場合、夢に向かって成長を続ける少女(あるいは少年)たちのその過程を表したものであるからだ。彼女たちが成長し、大人になってしまえば、もうその姿は別なものに形を変えていく。アイドルという存在自体が、限りある時間の中に存在しているのだ。

 そしてもう一点重要なのが、「夢」という言葉だ。「夢が叶う」と「夢に破れる」。人が生きていく過程で、夢を持つことで結果が出てしまう。

 いずれの場合も、その後に、次の夢を見つけることはできるだろう。しかし、それが複数人で共有するものであった場合、必ずしもひとつの方向を向くとは限らない。こうした矛盾を、彼女は敏感に感じ取ったのかもしれない。そして彼女は、グループの夢ではなく、自分自身の夢に向かい、歩き出す決断をする。それが今回の卒業の本質だと思う。

 この「グループの夢」と「自分の夢」については、他にも感じることがある。

 彼女の卒業発表とほぼ同じ頃、NHKの有働由美子アナウンサーが局を退職したニュースが流れた。全く別の世界で、世代も違う二人の「卒業」劇に、私は何か似たような思いを感じた。

 有働アナは、NHKのチーフアナウンサーだった。朝の情報番組『あさイチ』のキャスターを3月いっぱいで卒業したものの、局に残れば管理職の道も開けていたことだろう。しかし、彼女は「現場取材や勉強をしたいので、組織を離れる」という決断をした。

 つまり、彼女たち二人は、どちらも「全体としての夢」を叶えることよりも、「自身の夢」を追うことを選んだということだ。

 これは、多くの人が経験することだ。会社の中で組織人として出世するか、専門職として自身のスキルを高めるかの決断はよくあることだし、結婚をして家族を持ち、その幸せを守ることに生きがいを感じる、つまり「みんなの夢」を選ぶ人も多いことだろう。

 もちろん、どちらの選択が正しいということではない。たぶん、幸せはどちらの道にだってある。ただ、その選択に至る過程と、自身の心情、それらと向き合い、結論を出すに至った和田の姿は、とてもすがすがしいものだった。だからこそ、このブログには多くの反響があり、喝采が寄せられたのだと思う。

 そして、文章は続く。

「『アンジュルム』は、私がグループから抜けたとき(オリジナルメンバーがいなくなり)本当の意味でアンジュルムになる」

 先に書いた通り、アンジュルムは14年にグループ名をスマイレージから変更した。これは、和田の卒業によって、結成時のメンバーがいなくなることを表した言葉だろう。実は、ここにもまた大きな意味がある。ハロプロの歴史、それは変わり続けることの繰り返しであったからだ。

 モーニング娘。をはじめとしたユニットのメンバー入れ替えやグループ名の変更、細かいことを言えば、曲調や歌われるテーマの変遷、フォーメーションダンスを取り入れるなどのステージングの進化など、その姿は常に新しいものへと変わっていった。それをここまで大掛かりに、そして継続的にやってきたのは、ハロプロという存在を、生き残らせるためだ。時代は常に清新さを求めている、ならばそれに応えるのが、エンターテイメントの宿命だということを実践してきたのだ。

「生き残るのは強いものではなく変化できるもの」そんな言葉通り、アンジュルムは変わっていくことで、引き続き歴史を作っていくことになる。和田は本能的にそれを感じていたのかもしれない。

 そして、ブログの終盤で彼女は言う。

「私たちはそのような環境の中で青春を過ごし成長していくのだと思います」
「そう、きっと青春なのです」

 どういう道に進めばいいのか、どこへ向かって行けばいいのか、悩み、迷うこと。それこそが青春だと彼女は気付いたのだ。この言葉の意味を説明するのは、野暮なことかもしれない。それでもあえて言わせてもらうならば、自分自身と向き合い、どう生きるかを問いかけること、悩むこと、苦しむこと。後に振り返った時に、それこそが「青春」そのものであったことを知るのだろう。

 アイドルという夢を追い、上を目指し続ける彼女たちにとって、「青春」と「アイドル」はほぼ同義だ。その儚くも魅惑的な時間の中にあっては、なかなかその大切さに気付かない。

 それを彼女が実感したのが、「卒業」という道を選んだ結果だというのは、皮肉なことかもしれない。

 いずれにせよ、卒業まであと一年ある。逡巡の果てに結論を出した彼女に、もう迷いはない。大きな決断と、踏み出した大きな一歩。待ち受ける大いなる未来に進む、彼女を見届けたい。それはきっと、私たちが彼女を通して見ることができる、青春の輝きそのものであることだろう。
(文=プレヤード)

グループの夢とわたしの夢――「アンジュルム」リーダー・和田彩花の卒業発表を読み解く

 今年4月5日、ハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)に所属するアイドルユニット「アンジュルム」のリーダー・和田彩花が、「皆さまへ」と題したブログをアップし、来年の春ツアーをもって、アンジュルムおよびハロー!プロジェクトを卒業すると発表した。

 2009年に結成された同グループ(当時のグループ名は「スマイレージ」)における唯一のオリジナルメンバーであり、50名を超える規模のハロプロのリーダーも務めていた和田の卒業は大きな話題となった。そして、その事実と合わせ、彼女がブログで吐露した思いは実に印象的で、ネット上でも多くの反響があった。そこで語られた思いは、熱く、強く、読む者の心を揺さぶるものであったからだ。

 まず、彼女は問いかける。

「いつまでもみんなと夢を追いかけることはできないのだろうか?」

 ここの「みんな」とは、メンバーのことであり、広くファンの意味合いも含んでいるかもしれない。つまり、アイドルユニットとしていつまでも活動していくことはできないのか、ということだ。

 結論を急ぐなら、答えは「できない」だ。

 理由のひとつは「アイドル」というものが、多くの場合、夢に向かって成長を続ける少女(あるいは少年)たちのその過程を表したものであるからだ。彼女たちが成長し、大人になってしまえば、もうその姿は別なものに形を変えていく。アイドルという存在自体が、限りある時間の中に存在しているのだ。

 そしてもう一点重要なのが、「夢」という言葉だ。「夢が叶う」と「夢に破れる」。人が生きていく過程で、夢を持つことで結果が出てしまう。

 いずれの場合も、その後に、次の夢を見つけることはできるだろう。しかし、それが複数人で共有するものであった場合、必ずしもひとつの方向を向くとは限らない。こうした矛盾を、彼女は敏感に感じ取ったのかもしれない。そして彼女は、グループの夢ではなく、自分自身の夢に向かい、歩き出す決断をする。それが今回の卒業の本質だと思う。

 この「グループの夢」と「自分の夢」については、他にも感じることがある。

 彼女の卒業発表とほぼ同じ頃、NHKの有働由美子アナウンサーが局を退職したニュースが流れた。全く別の世界で、世代も違う二人の「卒業」劇に、私は何か似たような思いを感じた。

 有働アナは、NHKのチーフアナウンサーだった。朝の情報番組『あさイチ』のキャスターを3月いっぱいで卒業したものの、局に残れば管理職の道も開けていたことだろう。しかし、彼女は「現場取材や勉強をしたいので、組織を離れる」という決断をした。

 つまり、彼女たち二人は、どちらも「全体としての夢」を叶えることよりも、「自身の夢」を追うことを選んだということだ。

 これは、多くの人が経験することだ。会社の中で組織人として出世するか、専門職として自身のスキルを高めるかの決断はよくあることだし、結婚をして家族を持ち、その幸せを守ることに生きがいを感じる、つまり「みんなの夢」を選ぶ人も多いことだろう。

 もちろん、どちらの選択が正しいということではない。たぶん、幸せはどちらの道にだってある。ただ、その選択に至る過程と、自身の心情、それらと向き合い、結論を出すに至った和田の姿は、とてもすがすがしいものだった。だからこそ、このブログには多くの反響があり、喝采が寄せられたのだと思う。

 そして、文章は続く。

「『アンジュルム』は、私がグループから抜けたとき(オリジナルメンバーがいなくなり)本当の意味でアンジュルムになる」

 先に書いた通り、アンジュルムは14年にグループ名をスマイレージから変更した。これは、和田の卒業によって、結成時のメンバーがいなくなることを表した言葉だろう。実は、ここにもまた大きな意味がある。ハロプロの歴史、それは変わり続けることの繰り返しであったからだ。

 モーニング娘。をはじめとしたユニットのメンバー入れ替えやグループ名の変更、細かいことを言えば、曲調や歌われるテーマの変遷、フォーメーションダンスを取り入れるなどのステージングの進化など、その姿は常に新しいものへと変わっていった。それをここまで大掛かりに、そして継続的にやってきたのは、ハロプロという存在を、生き残らせるためだ。時代は常に清新さを求めている、ならばそれに応えるのが、エンターテイメントの宿命だということを実践してきたのだ。

「生き残るのは強いものではなく変化できるもの」そんな言葉通り、アンジュルムは変わっていくことで、引き続き歴史を作っていくことになる。和田は本能的にそれを感じていたのかもしれない。

 そして、ブログの終盤で彼女は言う。

「私たちはそのような環境の中で青春を過ごし成長していくのだと思います」
「そう、きっと青春なのです」

 どういう道に進めばいいのか、どこへ向かって行けばいいのか、悩み、迷うこと。それこそが青春だと彼女は気付いたのだ。この言葉の意味を説明するのは、野暮なことかもしれない。それでもあえて言わせてもらうならば、自分自身と向き合い、どう生きるかを問いかけること、悩むこと、苦しむこと。後に振り返った時に、それこそが「青春」そのものであったことを知るのだろう。

 アイドルという夢を追い、上を目指し続ける彼女たちにとって、「青春」と「アイドル」はほぼ同義だ。その儚くも魅惑的な時間の中にあっては、なかなかその大切さに気付かない。

 それを彼女が実感したのが、「卒業」という道を選んだ結果だというのは、皮肉なことかもしれない。

 いずれにせよ、卒業まであと一年ある。逡巡の果てに結論を出した彼女に、もう迷いはない。大きな決断と、踏み出した大きな一歩。待ち受ける大いなる未来に進む、彼女を見届けたい。それはきっと、私たちが彼女を通して見ることができる、青春の輝きそのものであることだろう。
(文=プレヤード)

私立中の懇談会で「こんな偏差値の低い学校に」と泣く母――中学受験での不合格は“負け”なのか?

“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 受験というものは残酷なものでもある。その結果が“合格”と“不合格”の2択になるからだ。“不”というたった一文字で“天国”と“地獄”に分かれてしまう。特に中学受験は“母子の受験”と呼ばれるほど、母の介入度が激しい世界なので、満足のいかなかった“結果”は母を悶えさせるに十分な痛みとなるのだ。

 毎年、偏差値順で2番手校以下に当たる私立中学の入学式後に行われるクラス懇談会では、こういう光景は最早、デフォルトである。

 自己紹介の席上、泣き出す母が出現するのだ。「本当なら、こんな(偏差値の低い学校の)席に座っているはずもないのに……」と。

 つい最近も、こういうメールが私の元に届いた。

「息子は滑り止めのA中学しか受かりませんでした。息子は『あんな学校、行かない! 公立にも行きたくない! どこにも行かない!』と言って暴れています。ここ数カ月、私の心はボロボロです……」

 このように、眩しい思いで入学式の桜を見上げる母ばかりではないという現実がある。

 だからと言って、私は中学受験を悪い物とは思っていない。物事は同じことが起こったとしても、自身の考え方次第で、いくらでも“意味のある現実”にすることが可能だからだ。私は中学受験において、1回は自分の番号がない掲示板を見た方が絶対に良いと思う派である。その理由は多岐に渡るが、今回は、連戦連敗を喫した子どもと母、そして塾の先生のやりとりを見ながら、「不合格だったからこそ、得られるもの」について書いてみよう。

 東京・神奈川の中学受験生は、2月1日の受験日から連日で受験していくことが一般的である。最近は午後受験の機会も多いので、午前→午後→午前→午後→午前と受け続ける子もたくさんいる。2月1日から2月6日までの間で10校受験している子もいるほどだ。これは結果が芳しくないから、後半日程まで長引いたということの裏返しであるが、“不合格”というレッテルを連日連夜貼られ続ける親子の苦しみは、想像を絶する。

 例えば、こんな話を聞いたことがある。健斗くん(小学6年生)の本命校はB中学。3回入試を行っている超人気校である。健斗くんは小学3年生でB中学の文化祭に訪れて以来、同校にあこがれ続け「絶対にB中学に入る!」という信念を持って、勉強し続けたという。

 ほかの多くの受験生がそうであるように、健斗くんも友人との放課後の遊びを封印し、塾に駆け付ける日々を繰り返し、夏休みも冬休みも朝から晩まで塾に居続ける生活を送っていた。

 これだけ長い期間にわたって準備し続けた努力が実り、6年生での模試の判定では、一度もA判定(合格確実)を逃したことがなかったという。絶対の自信校であり、熱望校であるB中学。それなのに、本番1回目入試だけならばまだしも、2回目も不合格という信じられない結果が出てしまったそうだ。健斗くんは熱望校のB中学と共に、その上のチャレンジ校を受験したが、そこも不合格。そしてさらに、滑り止め校としていた受験校も不合格というトドメが刺された。

 合格校はゼロという状態で、明日はいよいよB中学の最後の入試を迎えるという日、家の中は修羅場と化した。滑り止め校もまさかの不合格であることがわかった午後7時、健斗くんは自室に閉じこもり、そこから一歩も出ようとすらしなかったという。

 その姿を目にしたお母さんは、「私の方が泣いてしまった」とのこと。涙がとめどなくあふれてきたのは、健斗くんが布団の中で声を押し殺して、泣いているのがわかったから。まだ年端も行かぬ11歳の子どもが、母に心配かけまいとして、母には聞こえないように気を使って泣いている……「これならば、荒れ狂って、泣き喚いて、私に当たり散らしてくれた方がまだマシだとすら思った」という。

「このままではいけない。母である自分が泣いてどうするのだ? 健斗の方がつらいはず。それなのに、涙を止められない。どうにかしないといけないと焦れば、焦るほど、どうしていいのかわからない。こんな状況下でも、明日でほぼ全部の中学入試日程は終わってしまう。全落ち(全ての受験校に不合格という意味)だけは避けたい。だとするならば、明日はB中学を諦めて、より確実な中学を受験すべきなのか? でも、ここまでB中学を目指して頑張ってきたのに? 健斗はこんなに努力をしてきたのに? なんで……? どうして……?」

 中学受験は時として、母をこんな精神状態にまで追い詰めるものなのだ。

 思考停止に陥った健斗くんのお母さんは、泣きながら塾に電話を入れたという。塾長に、「健斗、電話に出られますか?」と言われ、子機を健斗くんの部屋に持って行きドアを閉める。すると数分後、健斗くんは部屋から出て来て「塾に行ってくる」と言ったそうだ。

 あとから聞いたところによると、電話で塾長は健斗くんに対し、「健斗、布団被って泣いているだけでいいのか? そんな暇あったら今すぐ、塾に来い!」と呼び出し、こんな話をしたという。

「健斗、オマエ、番号がなかった画面を目に焼き付けたな? 良し! だったら、それでいい。オマエ、ここに来たのは明日のためだよな? だったら、明日のことだけを考えろ。明日、合格するために何が必要なのかを考えろ! オマエ、なんで落ちたんだ?」

 すると、家では閉じこもって泣いていた健斗くんだが、冷静に塾長にこう返事をしたそうだ。

「先生、1回目は、僕はこの問題に手こずってしまって、パニックになっていました。それで、時間配分を間違えました。2回目は、周りが皆、できるように思えてきちゃって、『2回目の方が難易度は上がるのに本当に大丈夫かな?』っていう弱気な気持ちが出たせいだと思います。先生が『1点にくらいついていけ!』ってアドバイスしてくれていたのに、それをすっかり忘れて、雰囲気に呑まれてしまったのが敗因です。でも、僕は明日、もう一度、頑張るから、先生、問題に付き合ってくれませんか?」

 その後、塾長は「オマエほどB中学の過去問をやりこんできた奴はいない」「今までは調度いい練習だった」「オマエの本当の実力はこんなもんじゃない」と健斗くんを励ましてくれたとのこと。お母さんが、塾から戻って来た健斗くんに、「明日はB中学にトライするの?」と尋ねると、「当たり前だろ? まだ、僕の勝負は終わってない!」とすっかり息を吹き返していたそうだ。

中学受験は最後の“蜜月”である

 中学受験は、母が子どもをサポートするものと思われるかもしれないが、母がパニックに陥ったとき、逆に子どもに救われることもある。健斗くんのお母さんは後日、私にこう話してくれた。

「あの時、健斗が私の目の前で『今、大きくなった!』って思えたんです。大番狂わせとも言われたような4連敗って状態で、それを嫌というほど叩きつけられて、でも、それを逃げずに受け止めて、自分で這い上がってきたんですよね。私は健斗の3回目の合格よりも、このことが本当にうれしくて……。『ああ、成長したんだなぁ。いつのまにか、母よりもウンと大きくなったんだなぁ』『この子はこれから先もきっと大丈夫』って心から思えたことが、私には本当にうれしいことだったんです」

 中学受験は、母が我が子に伴走できる最後の“蜜月”である。「アッ、今、(我が子が)大きくなった!」というシーンの一番近くの目撃者になれるのは、母にとって、たまらなく贅沢なことなのかもしれない。中学受験は実は、合否による苦しみ以上に、子育てにおけるかけがいのない瞬間に立ち会えるチャンスでもあるのだ。
(鳥居りんこ)

【オンナ万引きGメン日誌】保安員になって早10年の私、「万引きGメンのなり方」教えます!

gmen328 はじめまして、保安員(万引きGメン)の智美です。この仕事に就いて、早十年。さまざまなお店で、たくさんの万引き犯と対峙してきました。これから連載という形で、私の仕事や現代万引きの実態を語っていきたいと思います。

 地元島根の大学を卒業した私は、東京に住んでいた彼と遠距離恋愛をしながら、実家の近所にあるネットカフェでアルバイトをしていました。そうした生活を2年ほど続けた後、どうしても彼と暮らしたい気持ちが抑えられなくなって、後先考えずに東京に出てきたのです。彼は驚きながらも喜び、勝手に上京してきた私を受け入れてくれましたが、生活の面倒を全てみてもらえるわけでありません。

 早速に、なにか仕事をしなければと求人誌を眺めていると「万引きGメン募集!」というインパクトのある見出しに目を奪われました。それは保安警備会社(私服専門の警備会社)の募集記事で、万引きGメンを普通に募集していることに驚きつつ、話のネタになりそうだなと思ったのです。彼に相談しても反対されなかったし、興味本位で応募したのが、この仕事を始めたきっかけです。それ以外に、特別な理由はありません。

 面接に行くと、履歴書を渡して、すぐに適性テストのようなものをやらされました。採点の結果、その場で帰された人もいたので、意外と重視していたのだと思います。適性テストが終わると、面接担当の人から「アルコールや薬物の中毒者ではないか? 前科はないか? 自己破産はしていないか?」など、かなり失礼な質問をされました。しかし、そんな質問をするのには理由があり、警備業法で、該当者は警備員や保安員になれないと定められているからなのです。

 万引きGメンは、正式には保安員と呼ばれる職業で、そのほとんどが警備会社や店舗運営会社の自社警備部門に所属しています。制服で巡回する人たちのことを警備員、私服で巡回する人たちのことは保安員と呼ぶことも、この仕事に携わるようになって初めて知りました。同じ警備業でも、警備員と保安員の仕事内容は全然違います。警備員は来店者に姿を見せることで防犯効果を発揮しますが、保安員は周囲に悟られないよう、客に紛れながら犯罪行為を現認して、被疑者(犯人のこと)の摘発をもってお店の安全を保ち財産を守るのです。

 この「現認」とは、「犯罪の一部始終を目撃すること」。万引きの場合は、棚取り(棚から商品を手に取る瞬間)、自己の支配下(隠匿場所の特定)、未精算の確認(通常は店外まで追尾)の3点を確実に目撃しなければいけません。

 大事なのは不審者の見極めと行動予測で、ベテランの腕利きになるとコンマ何秒の世界で万引き犯を見極めます。保安員に職人のような人が多いのは、そうした特殊な技術がなければできない仕事だからなのかもしれません。そのため「自分たちは警備員とは違う」と、妙なプライドを持っている保安員が多いのです。

 面接から数日後、晴れて採用通知を受け取った私は、警備業法で定められた4日間の新任教育(法定研修)を受ける運びとなりました。研修初日は、挨拶の仕方や服装、入退店の方法、書類の書き方など日常業務に関することを学びます。そこで初めて、ほかのGメンさんや、指導教育責任者の資格を持つベテラン保安員の皆さんと顔を合わせましたが、ひとつ驚いたことがあります。万引きGメン=おばちゃんのイメージが強かったものの、男性の比率が意外に高かったのです。

 ベテランの方に聞けば、確かに昔は女性ばかりの業界だったけれども、昨今は外国人グループなどによる換金目的の犯行が増えるなど凶悪化しているために、男性保安員の需要が増えているとのことでした。小柄で非力な私が、そんな万引き犯を捕まえられるようになれるのかなと、不安に思ったのは言うまでもありません。でも、「ステルス」の異名(どこにいても正体がばれないという意味)を持つ腰の曲がり始めたおばあちゃんGメンや、60代半ばのパンチパーマおばちゃんも現役で活躍されていたので、少し安心したことを覚えています。

 現場における一番の注意点は、とにかくお店に溶け込むことだと、日常の心構えを教わりました。原色の服や派手な柄の服装を控え、足音のたたない靴を履いていくのはもちろん、現場となるお店の業態や地域に合わせた服装ができるようになれば一人前。目線が隠れる帽子にこだわりを持ち、変装しながら万引き犯を追う凄腕の先輩もいるので、自分のスタイルが確立した時がプロといえる時かもしれません。

 2日目以降は、刑法や刑事訴訟法など業務に関係する法律的なことをはじめ、万引きする人の見分け方や追尾方法、声のかけ方といった技術の基本、さらには警察や検察、裁判などの司法対応についてまで学びます。研修中に口を酸っぱく言われたのは、「とにかく誤認事故(無実の人に声をかけること)を起こさないように」ということでしたね。いま思えば、研修の半分くらいは、誤認事故防止に関することだった気がします。一度でも誤認事故を起こせば、保安会社としての信頼を完全に失い、すぐに契約を切られる、誤認事故は全てを壊すのだと、執拗なほど繰り返し指導され、間違いの許されない仕事であるということを植えつけられるのです。

 最終日には、みんなで会社の近所にあるスーパーに出向いて、万引きされやすい商品や犯行場所となる死角の考え方、さまざまな犯行手口を学びました。実際の追尾も経験してみて、なんとかやっていけそうだなと思ったことを覚えていますね。

こうして4日間の研修を終えた私は、保安員として現場に立てる資格を得ました。意外と簡単になれたなあというのが、正直な感想です。次回は、現場勤務の初日を振り返ってみたいと思います。

ヅカオタ女医の“偏愛”宝塚ソング「根は体育会系なのに、はかない世界を歌うジェンヌ」

 はじめまして、宝塚ファンの女医、wojoです。このほど「おたぽる」さんから「サイゾーウーマン」さんに場を移させていただきました。よろしくお願いいたします。

■wojo(ヲジョ)
都内某病院勤務のアラフォー女医。宝塚ファン歴20年で、これまでに宝塚に注いだ“愛”の総額は1000万円以上。医者としての担当は内科、宝塚の方の担当は月組。

 さて突然ですが、医療業界の近年の流れとして、医者は自分の専門分野の専門医の資格を取ってようやく一人前……という流れがございます。そして私事ですが、わたくしwojo、自分の専門分野の専門医試験に2年連続で撃沈。毎年落ちていました。おそらく合格率は80%以上の試験で、10人受ければ8~9人は受かるもの。それを律儀に、2年連続で1~2人の不合格者の中に入ってしまったのでした。

 が! 昨年末、3回目にしてめでたく合格しました。いま、ようやく深呼吸して暮らせる日々を過ごせております。落ち続けている2年間は、生きた心地がしない暗黒の毎日でして、「医者やめちまえ!」と言われているような(あ、実際には言われませんでしたけれども……)、あるいは「宝塚ばかり見ているから落ちるんだよ!」と言われているような(あ、これは宝塚ファンの友人から実際に言われました)、まあとにかくもつらい2年間だったわけであります。

 そんなつらい日々のココロの隙間にすっと入ってきたのが、今回ご紹介する「夢人」です。

 「宝塚のモーツアルト」の名曲

 1977年における宝塚のショー『ザ・レビュー』は3部構成で、そのうちの第3部が『ファンタジー-夢人-』というタイトルの、17分にわたるストーリー・バレエでした。そして今回ご紹介するこの「夢人」という曲は、このストーリー・バレエの冒頭でトップスターによって歌われた曲なのです。構成・演出は、もともと画家志望でおられた、現・宝塚歌劇団理事でもある演出家の草野旦氏。この作品で同氏は、文化庁芸術祭優秀賞を受賞しておられます。「夢人」の作詞を手がけたのも、この草野氏、そして作曲は、「宝塚のモーツアルト」こと故・寺田瀧雄氏です。

 夜だから
 夢見ることにあこがれて
 目を閉じれば
 なおさら何も
 みえなくなる
 闇の世界に
 おおわれて
 一人ぼっちになっていく

 とっても寂しげなメロディで、鳥を抱えたトップスター(77年の初演時、雪組公演においては汀夏子さま、花組公演においては安奈淳さま)が歌いながら銀橋(エプロンステージ)を渡っていきます。そして最終部、曲調が変わり……

 夢を作ってみませんか
 花少々と星三つ
 月に輝く粉雪小雪
 それだけあれば十分です
 作った夢は消えません
 作った夢は消えません

 宝塚の「花」「月」「雪」「星」各組の名前が入った歌詞にドキッとします【註:この曲が作られた77年時点では、現在5組目として存在する「宙」組はありませんでした】。宝塚を見ていれば闇には陥らない、宝塚で消えない夢を見続けてみませんか……と耳元でささやかれているような、そんな感じ。ちょっとはかなげな、危なげな感じもございます。wojoは暗黒の2年間、気持ちが落ちるだけ落ちた時には、この曲を聞き、闇の世界から這い上がり、目指すべき夢をつくりあげていかなければと(もちろん宝塚を見てパワーをもらいつつ)、自分自身の気持ちをちょっとでもアゲようとしていました。そんな時「夢人」の寂し気なメロディが、弱った自分を優しく力づけてくれていた、とでも申せましょうか。

 また一方で、そうしたはかなげな曲調ではあるものの、これを歌っているのが、実際には根が体育会系なタカラジェンヌたち……というのもポイントです。とあるスターさんは、1回目の宝塚音楽学校の受験に失敗したその日、東京に戻ったその足でバレエ教室に向かい、次の年の受験に向けてのレッスンを始めたとか。ネバーギブアップ、努力を惜しまない姿勢がすばらしいです。

 一方のwojoが受けたのは、どう見ても宝塚音楽学校よりはるかに倍率が低い専門医試験(宝塚音楽学校の倍率は例年20倍以上、対して専門医試験は約1.3倍)。しかし恥ずかしながらわたくしwojoも、2回目の受験が失敗とわかったその日から、そのスターさんに倣い、翌年の試験に向けての勉強を始めたのです。そして「夢人」を聞くたびに、優しく、そして同時に強くたくましい体育会系の空気に背中を押され、無事合格を勝ち取ったのです。本当に宝塚ソングって、その背景を思えば思うほど、得るものもまた多い、そのような深い楽曲だらけなのです。

 この「夢人」、約20年の時を経た99年の宙組公演、花組公演の『ザ・レビュー’99』において、「ファンタジー-夢人-」のシーンが再現された際、それぞれ姿月あさとさま、愛華みれさまによって再び歌われます。また、宝塚100周年を記念して製作された『Congratulations!! ‐TAKARAZUKA 100th Anniversary Disc‐』においても、凰稀かなめさまによって収録されております。そしてなんと宝塚外でも、「君は薔薇より美しい」などのヒット曲で知られるあの布施明さまが、78年に発表された名盤『ラブ・ドリームス・アンド・ティアーズ』の中で歌っておられるのです!

 宝塚ソングの中でも独特な個性で際立つ「夢人」。最近はなかなか舞台上で耳にする機会はないのですが、聞く者を癒やしつつも力づけてくれる名曲として、そろそろショーなどで披露していただければと、わたくしwojo、密かに願っている春の日なのです。

<近況>
 私の指導のもと宝塚ファンとして急成長中の女医さんが先日、初めてオーストリアとフランスを旅行したそうです。行き先は、ウイーンのシェーンブルン宮殿(宝塚的には『エリザベート』や『ベルサイユのばら』)、バートイシュル(『エリザベート』)、フランスのベルサイユ宮殿(『ベルサイユのばら』)、パリのサン・ドニ教会(『1789』)。ちょいちょいマニアックな場所が含まれているのが、さすが宝塚ファンらしいチョイス。

 個人旅行で行ったため手配がそれなりに大変だったそうですが、彼女いわく「宝塚ファンの行きたいところを組み合わせたツアーがあればいいのに……」とのこと。確かに、劇場にチラシを置けばお客さんが殺到するかもですね!

今回の曲:「夢人」(77年初演)
 初期宝塚のエポックメーキング的なレビュー『モン・パリ』上演50周年を記念し、『白井鐵造監修 モン・パリ誕生50年 グランド・カーニバル』として77年に雪組、花組で上演された『ザ・レビュー』の第3部『ファンタジー‐夢人‐』の中で歌われた楽曲。宝塚歌劇団の中でも独創的なショー作家として名をはせる草野旦氏が構成・演出・作詞を担当した。トップスターが鳥を抱えながら銀橋を渡る印象的なシーンで歌われる。99年に宙組、花組で上演された『ザ・レビュー』においても、鳥かごを抱えたトップスターによって歌われた。

 

ヅカオタ女医の“偏愛”宝塚ソング「根は体育会系なのに、はかない世界を歌うジェンヌ」

 はじめまして、宝塚ファンの女医、wojoです。このほど「おたぽる」さんから「サイゾーウーマン」さんに場を移させていただきました。よろしくお願いいたします。

■wojo(ヲジョ)
都内某病院勤務のアラフォー女医。宝塚ファン歴20年で、これまでに宝塚に注いだ“愛”の総額は1000万円以上。医者としての担当は内科、宝塚の方の担当は月組。

 さて突然ですが、医療業界の近年の流れとして、医者は自分の専門分野の専門医の資格を取ってようやく一人前……という流れがございます。そして私事ですが、わたくしwojo、自分の専門分野の専門医試験に2年連続で撃沈。毎年落ちていました。おそらく合格率は80%以上の試験で、10人受ければ8~9人は受かるもの。それを律儀に、2年連続で1~2人の不合格者の中に入ってしまったのでした。

 が! 昨年末、3回目にしてめでたく合格しました。いま、ようやく深呼吸して暮らせる日々を過ごせております。落ち続けている2年間は、生きた心地がしない暗黒の毎日でして、「医者やめちまえ!」と言われているような(あ、実際には言われませんでしたけれども……)、あるいは「宝塚ばかり見ているから落ちるんだよ!」と言われているような(あ、これは宝塚ファンの友人から実際に言われました)、まあとにかくもつらい2年間だったわけであります。

 そんなつらい日々のココロの隙間にすっと入ってきたのが、今回ご紹介する「夢人」です。

 「宝塚のモーツアルト」の名曲

 1977年における宝塚のショー『ザ・レビュー』は3部構成で、そのうちの第3部が『ファンタジー-夢人-』というタイトルの、17分にわたるストーリー・バレエでした。そして今回ご紹介するこの「夢人」という曲は、このストーリー・バレエの冒頭でトップスターによって歌われた曲なのです。構成・演出は、もともと画家志望でおられた、現・宝塚歌劇団理事でもある演出家の草野旦氏。この作品で同氏は、文化庁芸術祭優秀賞を受賞しておられます。「夢人」の作詞を手がけたのも、この草野氏、そして作曲は、「宝塚のモーツアルト」こと故・寺田瀧雄氏です。

 夜だから
 夢見ることにあこがれて
 目を閉じれば
 なおさら何も
 みえなくなる
 闇の世界に
 おおわれて
 一人ぼっちになっていく

 とっても寂しげなメロディで、鳥を抱えたトップスター(77年の初演時、雪組公演においては汀夏子さま、花組公演においては安奈淳さま)が歌いながら銀橋(エプロンステージ)を渡っていきます。そして最終部、曲調が変わり……

 夢を作ってみませんか
 花少々と星三つ
 月に輝く粉雪小雪
 それだけあれば十分です
 作った夢は消えません
 作った夢は消えません

 宝塚の「花」「月」「雪」「星」各組の名前が入った歌詞にドキッとします【註:この曲が作られた77年時点では、現在5組目として存在する「宙」組はありませんでした】。宝塚を見ていれば闇には陥らない、宝塚で消えない夢を見続けてみませんか……と耳元でささやかれているような、そんな感じ。ちょっとはかなげな、危なげな感じもございます。wojoは暗黒の2年間、気持ちが落ちるだけ落ちた時には、この曲を聞き、闇の世界から這い上がり、目指すべき夢をつくりあげていかなければと(もちろん宝塚を見てパワーをもらいつつ)、自分自身の気持ちをちょっとでもアゲようとしていました。そんな時「夢人」の寂し気なメロディが、弱った自分を優しく力づけてくれていた、とでも申せましょうか。

 また一方で、そうしたはかなげな曲調ではあるものの、これを歌っているのが、実際には根が体育会系なタカラジェンヌたち……というのもポイントです。とあるスターさんは、1回目の宝塚音楽学校の受験に失敗したその日、東京に戻ったその足でバレエ教室に向かい、次の年の受験に向けてのレッスンを始めたとか。ネバーギブアップ、努力を惜しまない姿勢がすばらしいです。

 一方のwojoが受けたのは、どう見ても宝塚音楽学校よりはるかに倍率が低い専門医試験(宝塚音楽学校の倍率は例年20倍以上、対して専門医試験は約1.3倍)。しかし恥ずかしながらわたくしwojoも、2回目の受験が失敗とわかったその日から、そのスターさんに倣い、翌年の試験に向けての勉強を始めたのです。そして「夢人」を聞くたびに、優しく、そして同時に強くたくましい体育会系の空気に背中を押され、無事合格を勝ち取ったのです。本当に宝塚ソングって、その背景を思えば思うほど、得るものもまた多い、そのような深い楽曲だらけなのです。

 この「夢人」、約20年の時を経た99年の宙組公演、花組公演の『ザ・レビュー’99』において、「ファンタジー-夢人-」のシーンが再現された際、それぞれ姿月あさとさま、愛華みれさまによって再び歌われます。また、宝塚100周年を記念して製作された『Congratulations!! ‐TAKARAZUKA 100th Anniversary Disc‐』においても、凰稀かなめさまによって収録されております。そしてなんと宝塚外でも、「君は薔薇より美しい」などのヒット曲で知られるあの布施明さまが、78年に発表された名盤『ラブ・ドリームス・アンド・ティアーズ』の中で歌っておられるのです!

 宝塚ソングの中でも独特な個性で際立つ「夢人」。最近はなかなか舞台上で耳にする機会はないのですが、聞く者を癒やしつつも力づけてくれる名曲として、そろそろショーなどで披露していただければと、わたくしwojo、密かに願っている春の日なのです。

<近況>
 私の指導のもと宝塚ファンとして急成長中の女医さんが先日、初めてオーストリアとフランスを旅行したそうです。行き先は、ウイーンのシェーンブルン宮殿(宝塚的には『エリザベート』や『ベルサイユのばら』)、バートイシュル(『エリザベート』)、フランスのベルサイユ宮殿(『ベルサイユのばら』)、パリのサン・ドニ教会(『1789』)。ちょいちょいマニアックな場所が含まれているのが、さすが宝塚ファンらしいチョイス。

 個人旅行で行ったため手配がそれなりに大変だったそうですが、彼女いわく「宝塚ファンの行きたいところを組み合わせたツアーがあればいいのに……」とのこと。確かに、劇場にチラシを置けばお客さんが殺到するかもですね!

今回の曲:「夢人」(77年初演)
 初期宝塚のエポックメーキング的なレビュー『モン・パリ』上演50周年を記念し、『白井鐵造監修 モン・パリ誕生50年 グランド・カーニバル』として77年に雪組、花組で上演された『ザ・レビュー』の第3部『ファンタジー‐夢人‐』の中で歌われた楽曲。宝塚歌劇団の中でも独創的なショー作家として名をはせる草野旦氏が構成・演出・作詞を担当した。トップスターが鳥を抱えながら銀橋を渡る印象的なシーンで歌われる。99年に宙組、花組で上演された『ザ・レビュー』においても、鳥かごを抱えたトップスターによって歌われた。

 

春はお別れの季節です――「アイドルロス」のあなたに贈る3つの処方箋

 春はお別れの季節だ。一般社会においては年度の変わり目ということで、卒業、進学、就職、転勤など、これまで過ごしてきた環境から旅立っていくことが多い。

 それは、アイドル界においても同じだ。特に今年はその例が多く、1月には、私立恵比寿中学の廣田あいか転校と、ももいろクローバーZの有安杏果の卒業・引退。2月はアイドルネッサンスが解散、3月にはBiSから中心人物であったプー・ルイが卒業、ハコイリムスメから元リーダーの鉄戸美桜が卒業、そして3月31日をもって、GEMが解散と、大きなニュースが相次いだ。

 それぞれのアイドルに、たくさんのファンがいたことを思えは、そこに多くの悲しみがあったことは間違いないだろう。そして、その思いが強ければ強いほど、心の中にぽっかりと穴が空いたような喪失感、いわゆる「アイドルロス」に陥ってしまう人が多くいるものと思われる。

 私も、アイドルファンとして、長い間に多くの別れを経験してきた。

 初めに言っておくと、この悲しみには“慣れる”ということがない。「また『推し』が引退しちゃってさ~」と強がって話題にはするものの、実のところ、最初に経験したときとまったく変わらない喪失感に苛まれているのだ。

 ただし、いつまでもそのショックを引きずってはいられない。眠れない夜を過ごそうが、ひたすら涙に暮れる日をすごそうが、日常はやってくるのである。そこで、私がこれまでのたくさんの別れから感じた、心構えのようなものを書いてみたいと思う。

 

■悲しむのは悪いことではない

 

 好きなアイドルを失った時、悲しんでいる自分をさらに追い込んでしまうことがある。

「もっとたくさんライブに行っていればよかった」
「解散してしまったのは、我々ファンの応援が足りなかったからではないか」

 そんな風に自分を責めたり、後悔してしまったりするのである。

 しかし、「悲しみ=後悔」という考えは、いたずらに、前向きになろうとする自分を妨げるだけだ。悲しみは、それだけそのアイドルを愛し、夢中になって応援できたことの証左でもある。だから、何の自責の念も持たず、ひたすら悲しみにくれてみればいいのだ。

「時が経てば悲しみはなくなる」、そんなきれいごとを言う気はない。ただ、好きになったアイドルがくれた悲しみを、心のどこかに抱えて生きる。それはそれで、素敵なことだと思うのだ。

■思い出を汚してはいけない

 

 アイドルの解散・卒業に接した時、そのメンバーや、運営に批判的なことを言う人がいる。もちろん、彼ら、彼女らに何らかの事情はあったのかもしれないが、それは、いちファンとして見た場合、決して良い対応ではない。

 特に近年は、SNSが発達していることにより、そのようなネガティブな意見が世間に広まりかねない。しかし、そんなことをしたところで、自身の気持ちが治まることはなく、むしろこれまで積み重ねてきた思い出が汚されていくだけだろう。

 解散・卒業が決まったら、少しの時間でも、より素敵な思い出を作るよう心を砕くとよい。最後の手紙を書くのもよいだろう。CDやグッズなど、思い出の品を整理するのもよい。そうすることで、自分の気持ちに折り合いをつけ、美しい思い出として心の中に留めるのだ。それは、何年か経って、ふとした瞬間に思い出し、懐かしくも愛おしい感情を思い出すための作業でもあるのだ。

 

■今見えているのは、彼女たちの未来かもしれない

 

 グループを卒業しても、芸能界に残っているアイドルの場合は、引き続き応援することもできるだろう。特につらいのは、そのまま引退して一般人になる場合だ。毎日更新されていたSNSもなくなり、元気でいるのかどうかも分からなくなる。そんな時、私は、彼女たちが幸せに暮らしている姿を想像する。

 例えば、道端で赤ん坊を抱いたお母さんに会ったとしよう。それはもしかしたら、自分が好きだったアイドルの10年後の姿なのかもしれないのだ。

 愛する人に囲まれ、幸せに暮らしている彼女の胸の中には、きっとアイドル時代の思い出が、キラキラとした輝きを持って残っていることだろう。そして、その思い出の一端には、彼女たちに夢中になっていた自分の存在もまたあるのだ。そんなことを思いながら、彼女たちの幸せを願うのが、私たちファンの最後の応援のような気がする。

 推しのアイドル卒業に接して、また新たなアイドルを探す人もいるだろう。一方、そのままアイドルファン自体を卒業してしまう人もいる。どちらにしても、アイドルを応援し、ともに成長した時間は、何物にも代えがたい宝物だと思う。

 春はお別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。思い出を胸にしまったら、また新たな一歩を踏み出そう。きっとまた、新しいときめきが見つかるはずである。
(文=プレヤード)

部下イジメでウケ狙い、女性客に密着セクハラ……金曜の飲み屋にはびこる“クソ客”の生態

kuso01_500

 


どうも、紫帆です。都内の某飲み屋街で小さなバーを経営している私が、夜毎の営業中に目撃したクソ客・変な客・珍事件について、お話させていただきますね。さて、今宵のお客さまは――


 

クソにもほどがある! ケチ・セクハラ・つまんないの三拍子リーマン

 そのオッサンは1、2回目の来店からいきなり態度がデカく、某大企業の名刺を印籠代わりに「金持ってる」アピールをする50代サラリーマンでした。外見は白髪交じりに眼鏡の普通のおじさんですが、身長がちょっと高くガタイがいいところを見ると、体育会系から来るハラスメント気質があるようです。

 飲む酒は毎度、スコッチのシングルモルトをロックでチビチビ飲むスタイル。バー飲みが好きな方ならごく普通の飲み方ではありますが、癖の強いスコッチをオーダーすることで「俺わかってる」感を醸し出そうとしている可能性も否めません。

 基本的には部下をいじって笑いものにするか、店員にセクハラする(「おっぱい見せろ」などと言う、体に触る、アフターに誘う等々)しか機能が備わってないご様子。「金ある」発言の割には大した額を使うわけでもなく(ボトルをおねだりしたら無視されました)、趣味、時事ネタなどの世間話はオールスルー。もはや人間として存在している意味がないレベルです。

 どうにかしてそのオッサンを撃退しようと思っていたある夜――

オッサンは例によって、仲間内でつまんない話をして居座っています。0時をまわった頃、とある常連のお客さまが女性をお連れになりました。するとそのお連れの女性の、あり得ない至近距離にオッサンがすり寄り始めたのです……! 

パーソナルスペースという用語はだいぶ一般的だと思うのですが、果たして彼は知っているのでしょうか? 女性が事態を飲み込めず固まっているのをいいことに、鼻息がかかるような距離で「こういう店よく来るのン?」とかボソボソ話しかけています。

 

こいつ、マジモンの痴漢だーッ!

 

 女性から離れるようにと私が注意した直後、よく通る声が店内に響き渡りました。

「こういう店では、ほかのお客が連れてきた女性には声をかけないもんですよ」

 常連さんの一喝でした。60代後半ながら男として現役感漂う、しかし紳士的な姿勢を決して崩さない常連さんの言葉は重みと迫力をたたえていました。その後は連れのリーマン仲間に諭されてすごすごと撤退したオッサン……(なぜか、こういう迷惑な奴に限って連れの人が超絶いい人なんですよね)。

 これにこりて飲みに来ることもなくなるだろうとのんきに構えていたら、なんとオッサンは翌週にもご来店。前回とは違うお連れさまと、何食わぬ顔で飲み始めたオッサン……。ここはなんとしてもトドメを刺さねば! 経営者としてそう判断した私は、あくまでにこやかに、そして店内のお客さま全員に聞こえるように言いました。

「今日はもう、女性のお客さまにセクハラしないでくださいね~~!」

 満席の店内に緊張が走り、それからお客さまの視線がオッサンに集まります。慌てながらも必死でとぼけるオッサン。やがて、空気を読んだお連れさま(やっぱり善良そう……気まずい思いさせてゴメンね)に促されて店を出ていきました。仲間内でのマウンティングだけで生きる実感を得ているこのタイプには、「仲間の前で恥をかかせる」攻撃が効果的なんですね。

 それからはオッサンの姿を見ていません。そもそも、内輪のポジション取りだけが生きがいの彼のような人種が、「個」を試されるバーに来て楽しいのでしょうか? 

 思うに人間とは、自分から一番遠い世界に心惹かれるものなのかもしれませんね。

 

(隔週金曜日・次回は4月13日更新)


プロフィール
浮川紫帆(うきがわ・しほ)
東京都内の繁華街の一角でバーを経営する30代バツイチ女性。ママ歴は6年。好きなお酒はマカストロングのお湯割り。


(イラスト=ドルショック竹下)

部下イジメでウケ狙い、女性客に密着セクハラ……金曜の飲み屋にはびこる“クソ客”の生態

kuso01_500

 


どうも、紫帆です。都内の某飲み屋街で小さなバーを経営している私が、夜毎の営業中に目撃したクソ客・変な客・珍事件について、お話させていただきますね。さて、今宵のお客さまは――


 

クソにもほどがある! ケチ・セクハラ・つまんないの三拍子リーマン

 そのオッサンは1、2回目の来店からいきなり態度がデカく、某大企業の名刺を印籠代わりに「金持ってる」アピールをする50代サラリーマンでした。外見は白髪交じりに眼鏡の普通のおじさんですが、身長がちょっと高くガタイがいいところを見ると、体育会系から来るハラスメント気質があるようです。

 飲む酒は毎度、スコッチのシングルモルトをロックでチビチビ飲むスタイル。バー飲みが好きな方ならごく普通の飲み方ではありますが、癖の強いスコッチをオーダーすることで「俺わかってる」感を醸し出そうとしている可能性も否めません。

 基本的には部下をいじって笑いものにするか、店員にセクハラする(「おっぱい見せろ」などと言う、体に触る、アフターに誘う等々)しか機能が備わってないご様子。「金ある」発言の割には大した額を使うわけでもなく(ボトルをおねだりしたら無視されました)、趣味、時事ネタなどの世間話はオールスルー。もはや人間として存在している意味がないレベルです。

 どうにかしてそのオッサンを撃退しようと思っていたある夜――

オッサンは例によって、仲間内でつまんない話をして居座っています。0時をまわった頃、とある常連のお客さまが女性をお連れになりました。するとそのお連れの女性の、あり得ない至近距離にオッサンがすり寄り始めたのです……! 

パーソナルスペースという用語はだいぶ一般的だと思うのですが、果たして彼は知っているのでしょうか? 女性が事態を飲み込めず固まっているのをいいことに、鼻息がかかるような距離で「こういう店よく来るのン?」とかボソボソ話しかけています。

 

こいつ、マジモンの痴漢だーッ!

 

 女性から離れるようにと私が注意した直後、よく通る声が店内に響き渡りました。

「こういう店では、ほかのお客が連れてきた女性には声をかけないもんですよ」

 常連さんの一喝でした。60代後半ながら男として現役感漂う、しかし紳士的な姿勢を決して崩さない常連さんの言葉は重みと迫力をたたえていました。その後は連れのリーマン仲間に諭されてすごすごと撤退したオッサン……(なぜか、こういう迷惑な奴に限って連れの人が超絶いい人なんですよね)。

 これにこりて飲みに来ることもなくなるだろうとのんきに構えていたら、なんとオッサンは翌週にもご来店。前回とは違うお連れさまと、何食わぬ顔で飲み始めたオッサン……。ここはなんとしてもトドメを刺さねば! 経営者としてそう判断した私は、あくまでにこやかに、そして店内のお客さま全員に聞こえるように言いました。

「今日はもう、女性のお客さまにセクハラしないでくださいね~~!」

 満席の店内に緊張が走り、それからお客さまの視線がオッサンに集まります。慌てながらも必死でとぼけるオッサン。やがて、空気を読んだお連れさま(やっぱり善良そう……気まずい思いさせてゴメンね)に促されて店を出ていきました。仲間内でのマウンティングだけで生きる実感を得ているこのタイプには、「仲間の前で恥をかかせる」攻撃が効果的なんですね。

 それからはオッサンの姿を見ていません。そもそも、内輪のポジション取りだけが生きがいの彼のような人種が、「個」を試されるバーに来て楽しいのでしょうか? 

 思うに人間とは、自分から一番遠い世界に心惹かれるものなのかもしれませんね。

 

(隔週金曜日・次回は4月13日更新)


プロフィール
浮川紫帆(うきがわ・しほ)
東京都内の繁華街の一角でバーを経営する30代バツイチ女性。ママ歴は6年。好きなお酒はマカストロングのお湯割り。


(イラスト=ドルショック竹下)