「白雪姫」の“セックス恐喝”――欲望に殺された男たち【福岡スナックママ連続殺人・後編】

 福岡県糟屋郡志免町。志免鉱業所を要するこの町がかつて石炭の街として大いに栄えていた頃、その愛くるしさから近所の人に「白雪姫」ともてはやされた少女がいた。やがてその少女は大人となり、故郷を捨て、その美貌を武器に、数多くの男を陥れてゆく。

(前編はこちら)

「こう見えて床上手なのよ」ミニスカートで客に囁く

 2人目の夫・雄司さんの死亡保険金と、3階建の豪邸を売却した高橋裕子の手元には、会社の負債を返済してもなお約1億6000万円が残った。再び裕子の散財が始まる。福岡市中央区の高級マンションを購入し、クレジットカードで高級アクセサリーや服を買い漁る日々。中洲を飲み歩いているとき、スナックの開店を思いついた。

 手元の金を元手にして、1995年初頭、博多・中洲にスナック「フリージア」を開店。苦しめられた借金から解放され、自分の店を持ち、自由を手にした裕子の女性としての魅力はさらに増していた。客あたりがよいだけでなく、熟した美貌はさらに男性を惹きつける。39歳ながらスタイルも抜群で、ミニスカートのスーツですらりとした脚を出し、カラオケで森高千里の「私がオバさんになっても」を熱唱する姿に客たちは見惚れた。客が歌うカラオケには「キーを下げた方がいい」と音大卒ならではのアドバイスも忘れなかった。

 そんな裕子の切り盛りするカウンターだけの店は、次第に常連客が増え人気店となる。その秘密は裕子の美貌や話術だけではない。複数の客と肉体関係を持っていたからだ。「初恋の人にそっくり」。そんなセリフに相手が乗ってくれば「私、こう見えて床上手なのよ」と誘いをかけ、「フリージア」のカウンターは“裕子待ち”の年上男たちで満席となった。

 この時期、一人の男が上司に伴われ「フリージア」に来店した。赤尾浩文(仮名、当時48)は店で裕子と話をしながら、あることに気づいた。かつて赤尾が早稲田大学の学生だった頃、キャンパスで見かけた女性だったのだ。ほのかな憧れを抱いていたが、のちに慶應大生と結婚したと聞いていた。かつて恋した女性が目の前にいる。赤尾は瞬く間に裕子に再び熱を上げ、店に通い詰め、とうとう肉体関係を持った。恋心はさらに燃え上がり、逢瀬を重ねて行く。

 しかし半同棲状態となってもなお、裕子にはほかの男の陰がいくつもあった。自分だけのものにすることはできないもどかしさを抱えながら、赤尾は東京へ転勤となるが、裕子は「二人の関係を奥さんにバラす」と脅してきた。携帯電話の着信を無視すれば、会社にも電話がくる。結局250万円を支払ったが、赤尾はそれまでにも「経営が思わしくない」と相談を受けるたび裕子に金を貸しており、その総額は約2800万円にもなっていた。

 実際に「フリージア」の経営は思わしくなかった。枕営業で客をつなぎとめても、裕子の散財は、雄司さんとの結婚時代のように止まることはなかったからだ。ベンツを乗り回し、クレジットカードで服を月に何十万円も購入し、中洲で飲み歩く裕子には金がいくらあっても足りなかった。そのためこの時期、赤尾を誘い、過去に肉体関係を持った客らを、かつて赤尾にしたように脅し、金を巻き上げていたのである。「過去の不倫関係を奥さんにバラす」と訴え、客が工面して100万円を振り込むと「あと100万円出しなさいよ」と続けて金を引っ張ろうとする手口だ。また別の客には妊娠と中絶をほのめかした。もちろん嘘だ。

「妊娠した子どもはあなたの子どもだったんです。術後の体調もよくない。体がボロボロになってしまった。こんな体にして、どうしてくれるの……」

 客が慌てて金を振り込んでも、やはりこう言うのだ。

「なによ、あの額は。一桁違うじゃないの。私をオモチャにして……」

 裕子はこうして、男たちから引っ張れるだけ金を引っ張った。被害者は9人で1000万円強にのぼった。

3人目の夫に1億3800万円の保険金をかけ殺害

 その一方で、裕子にはこのとき、結婚を約束している9歳年上の常連客がいた。のちに3人目の夫となり、2人目の殺人被害者となる高橋隆之さんは、デベロッパーの社員として青森県の高級旅館の総支配人をしていたが、出張で福岡を訪れた際に「フリージア」へ来店。たちまち恋に落ちた。単身赴任中の彼も雄司さんと同じく、東京に妻と、成人している子どもたちがいた。隆之さんは、やはり妻子を捨て99年6月、裕子と入籍する。その後、広島県福山市のホテルの支配人となったが、まもなく親会社が倒産し、職を失い、「フリージア」でボーイとして裕子を手伝っていた。

 だが、その翌年、自宅の浴槽で死体となって発見される。その日、隆之さんはウイスキーと睡眠薬を飲み、浴槽で朦朧としていたが、裕子がその胸を押さえつけ、全体重をかけて浴槽に沈めたのだった。しばらく浮き上がろうと手足をばたつかせて抵抗を見せていた隆之さんの口からは、30秒ほどすると「ゴボッ」と泡が出て、動かなくなった――。隆之さんには、総額1億3800万円もの保険金がかけられていた。

 隆之さんの死亡は、中洲の街に瞬く間に広まった。「あの店には幽霊が出る」とうわさが立ち、客足がさらに遠のいたが、閑古鳥の原因はもう一つのうわさにもあった。「あそこのママには気をつけたほうがいいよ、一度寝たら50万、100万と脅される」と、他店のホステスたちが囁いていたからだ。実際、肉体関係を持った客たちを脅しては大金を得ていた裕子だったが、経営状態は上向きなるどころかさらに傾き、2001年、「フリージア」は閉店した。隆之さん殺害前に、雄司さん殺害で得ていた保険金はすでに底を尽きていた。

 その後も、かつて肉体関係のあった男性らに連絡をとって脅し、金を要求し続けていた裕子。「あなたの子を中絶したから200万円払ってください」「100万円出さないと、奥さんに全てを話す」と脅しては金をゆすり取っていた。一連の“セックス恐喝”により得た金で裕子は、逮捕直前までホストクラブやパチンコで湯水のように金を使う日々を送っていた。

「彼女は常連客で、ここ1年はほぼ毎日40〜50代の男性と2人で来ていた。男は3〜4人いたはずです。いつもヴィトンのバッグを手にしていたので、店では影で“ヴィトンさん”と呼ばれていた」(福岡市内のパチンコ店の証言)

 肉体関係を持った男たちを強請って金を得る生活には必ず終わりが来る。だが、裕子はかつてのように享楽的な生活を続けていた。また、この時すでに48歳となっていた裕子だが、年齢を重ねてもなお、男の目を引く存在だった。当時の男性週刊誌は逮捕直前、ノースリーブのワンピースに自転車でパチンコ店に向かう裕子の姿をキャッチし、「48歳でこの色香」と描写している。

「美貌に恵まれた女」
「男を次々と……」
「何人の男を狂わせたのか」

 ……逮捕後、男性週刊誌に掲載された裕子の写真には、いつもこんな文章が添えられていた。裕子も自分の魅力は十分自覚していたことだろう。それゆえに自己愛と欲望は肥大し、そして破滅へと向かっていった。

 04年12月13日、福岡地裁で開かれた裕子と大和の初公判。冒頭で裕子は挙手し発言を求め「私は全て認めています。本当に申し訳なく、死刑になっても構わないと思っています」と、涙ながらに述べた。だが、以降の公判では、2人目の夫・雄司さん殺害を大和になすりつける。

「共犯者(大和)から『任せてください』と言われました。私から『殺してくれ』と依頼していません」

 裕子の逮捕時、雄司さん殺害に関係していたとして、大和も逮捕された。大和は「共謀した事実は全くない。実行行為に加わったというのは完全に事実に反します」と、無実を主張し、これを“なすり合い”と報じるムキもあったが、結果的に大和の言い分は控訴審で認められ、無罪となった。そして、自身も強請られ、また客を強請って分け前を得ていた赤尾も逮捕されており、裕子の初公判が始まる2週間前、懲役2年執行猶予3年の有罪判決が下されている。

 かたや裕子は、3人目の夫・隆之さんに対しても「私が湯の中に沈めたというのは事実に反する」と否認したが、2件の殺人ともに彼女が手を下したと認定され、一審で無期懲役が言い渡された。一審公判は31回にもおよび、拘置所生活も2年半が過ぎていた裕子の頭には白髪が目立つようになり、かつて中洲で奔放に過ごしていた頃の面影は微塵もなかった。

 裕子は控訴、上告したがいずれも棄却され、11年4月、無期懲役が確定している。フリージアの花言葉は「期待」。裕子が男たちに抱いていたカネへの期待は、いつしか強烈な要求へと変貌し、それは到底、彼女の欲には追いつかなかった。
(高橋ユキ)

参考資料
・「週刊文春」2015年8月6日号、7月30日号(小野一光「殺人犯の対話」)
・「女性セブン」2004年10月21日(「われらの時代に」)
・「週刊文春」04年8月30日号
・「フライデー」04年10月8日号
・「アサヒ芸能」05年5月5日号 04年10月21日号
・「週刊ポスト」07年8月31日号
・「アサヒ芸能」04年10月28日号
・「週刊ポスト」04年10月8日号

炭鉱に生まれた「白雪姫」、肥大した金と男への欲望【福岡スナックママ連続殺人・前編】

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛した闇をあぶり出す。

 福岡県糟屋郡志免町。志免鉱業所を擁するこの町がかつて石炭の街として大いに栄えていた頃、その愛くるしさから近所の人に「白雪姫」ともてはやされた少女がいた。やがてその少女は大人となり、故郷を捨て、その美貌を武器に、数多くの男を陥れてゆく。

[第1回]福岡スナックママ連続保険金殺人

 2004年7月22日、かつて「白雪姫」と呼ばれた女が福岡県警に逮捕された。高橋裕子(当時49)は、3年前まで中洲にスナックを構えていた。肉体関係を持った複数の客に対し「家族に私との関係をばらす」などと脅し、現金数百万円をだまし取ったという詐欺容疑である。だがこれはいわゆる“別件逮捕”だった。

 裕子の周囲では不審な死を遂げた男性が複数いた。彼女の2人目の夫で工務店を経営していた野本雄司さん(当時34歳)は1994年10月、福岡県糟屋郡にあった事務所兼自宅の居間で死亡しているのが見つかったが、腹や腰に刺し傷があり、その傍らには包丁が落ちていた。ためらい傷がなかったことなど不審な点は見られたが、雄司さんの死は自殺として処理される。これにより、裕子はその後、約1億6000万円もの死亡保険金を手にした。

 3人目の夫・高橋隆之さん(当時54)は、2000年11月12日の夜中、福岡市南区にあった自宅の浴室内で死亡した。同じく当時は自殺とみられていた隆之さんにも、裕子を受取人として総額1億3800万円もの保険金がかけられていた。だが、このうち郵便局の簡易保険約2700万円は手にするも、隆之さんの持病の糖尿病を問診時に告知していなかったため、保険会社が支払いを拒否。これを不服とした裕子は保険会社を相手取り、8000万円の支払いを求め提訴していた。

 県警はこれを聞きつけ、2人の死亡に裕子が関係しているのではと追求を続けていた。取り調べにはポリグラフ(嘘発見器)まで用いられ、とうとう裕子はこの2人の死亡について、自分が関わっていたことを認めたのである。

 志免町の目抜き通りで靴屋を営む両親のもとに1955年、裕子は生まれた。両親は商売上手なうえ、地主でもあり「何不自由ない暮らしで両親は子どもに甘かった」という。母親は炭鉱の街に似合わぬ垢抜けた女性で、地元でも目立つ存在だった。幼い裕子は「白雪姫」の名にふさわしい、大きな目の可愛らしい女の子。母親が選ぶ赤や白のワンピースが白い肌によく似合っていた。

「うちの裕子は○○の服しか着ないの」

 と、高級子ども服メーカーの名を挙げる母親も、高価な服に身を包み、地元住民とは一線を引いていた。教育熱心でもある母の元で育てられ、裕子は小学校からピアノを習い、中高一貫のミッションスクールへ進学。高校生になると、月に何度か東京へピアノのレッスンに通った。

「東京までいうたら、並大抵の費用じゃなかでしょ。ピアノは裕子ちゃんが小学校の頃に家に置いてあったとですよ。当時、この辺りでピアノがあるなんていったらすごいですよ」(地元住民)

 裕子はのち、武蔵野音楽大学に進学する。当初は器楽学科のピアノ専攻だったが、音大でピアノを究めるには、小学校4年からのスタートは遅すぎた。先生のそんなアドバイスを受け、途中から声楽学科に転向した。ここまでは、田舎育ちのお嬢様の順風満帆な人生と言っていいだろう。だがここから、裕子の欲望は徐々に肥大していく。

結婚2年で包丁を突きつけ「失敗だった」

 大学2年の裕子は、早稲田大学が主催した銀座でのダンスパーティに女友達と2人で出かけ、のちに最初の夫となる男性と出会った。慶應義塾大学商学部の学生だった鈴木克己(仮名)が、清楚で一際目立っていた裕子に一目惚れしたのだ。鈴木のアプローチが身を結び、やがて2人は交際を始めることになる。大学を卒業して1年後に結婚。商工会議所の会頭が媒酌人をつとめ、300人以上が出席する結婚式を挙げ、福島県郡山市にある鈴木の実家そばで新婚生活がスタートした。

 翌年には長女が誕生するが、姑はじめ親戚らの干渉から、裕子は何かと福岡に帰省し「ズーズー弁が移る」と親戚付き合いを避けるようになる。結婚から2年後、鈴木に包丁を突きつけ「この結婚は失敗だった」と福岡に帰ってしまった。鈴木も後を追い、2年間の期限付きで裕子の実家で暮らすことにした。しばらくすると裕子の両親の薦めと、頭金を出すという打診もあり、近くに家を購入し、長男も誕生した。

 ところが、鈴木は慣れない福岡での暮らしと、期限付きで移り住んだはいいが、家を買うことになったなどの事情から生活が荒れ、競艇やポーカーゲームなどのギャンブルにのめり込む。気づいた時には借金が膨れ上がり、それが原因となって離婚に至る。85年のことだった。

 それから2年後、裕子は住宅販売メーカーに勤務していた4つ年下の雄司さんと再婚する。出会ったときは鈴木と結婚しており、家を新築する時の施主の妻と住宅会社の担当という関係だった。離婚後、裕子が所有し子どもらと住み続けていた、その家のメンテナンスに訪れた際に親しくなる。雄司さんには子どもが3人いたが、家族や妻の反対を押し切り離婚。裕子の略奪婚だった。

 一級建築士の資格を取得した雄司さんは会社を離れ、建築設計事務所を立ち上げる。離婚後はピアノ教室を開いていた裕子だったが、「社長夫人になるので、ピアノ教室はここで終わりにします」と、生徒や保護者らに宣言し、教室を畳んで、マイホームを手放す格好で、志免町の北部に建てた3階建の豪邸に引っ越した。92年には2人の間に女児が生まれ、3年後には長男も誕生したが、裕子はもともとの裕福な育ちも影響し、派手に散財するようになる。

 加えて、融資の相談で知り合った銀行の担当者と不倫にも溺れていく。だが、金銭的な安定は長くは続かなかった。バブル景気に陰りが見え始め、雄司さんの会社は傾き、たちまち1億の負債を抱えてしまう。しかし生活レベルを落とすことのできない裕子は、雄司さんを激しく責め立てた。

「あんたが死ねば借金を返せる」

 こう何度も言われた雄司さんは思いつめ、2度、車に排気ガスを引き込み自殺を図った。だが、それでも裕子はなおも責め続けた。

「どうして死なんと! 借金はどうやって返すの!」

『完全自殺マニュアル』で不倫相手と殺人計画

 そう雄司さんを責め立てながら裕子は、長男の家庭教師として雇っていた九州大学院生の大和康二(仮名)とも不倫関係となり、こう訴えていた。「頼めるのはあなたしかいない」……裕子にネックレスをプレゼントしたり「好きです! 付き合ってください」と迫ることもあった、一途で若き大学院生はこれを間に受け、雄司さんを自殺に見せかけ殺害するため『完全自殺マニュアル』(太田出版)を読み、真面目に策を練った。

 「ベンジンをウイスキーに混ぜて飲ませたらいい。普通に家にあるものだから怪しまれないはず」とベンジンを裕子に手渡し、ウイスキーと混ぜたが、臭いがきつくとても飲ませるのは難しい。「頭のいい学生さんが考えることは、現実感が乏しい。もっとリアルな方法はないの?」とベンジンを突き返す。考えた大和が裕子に伝えた方法は「腹部を刃物で深く突き刺して動脈を傷つけ、すぐに刃物を抜く」というものだった。

 事件当日、裕子はウイスキーと睡眠導入剤を雄司さんに飲ませ、寝入ったところ、手に軍手をはめ、腹と腰に包丁を突き刺したのだった。傷は背中まで貫通していた。その後おもむろに大和を呼び出し、軍手の処分などを手伝わせた。

 当時、雄司さんの母は、壱岐にある自宅の近くで、化粧品店を経営していたが、ある日、その店の留守番電話に雄司さんとおぼしき声が吹き込まれていた。

「サ・サ・レ・タ……」

 雄司さんの娘に聞かせると、こう言った。

「これはパパの声よ」

 警察は自殺と処理したが、家族はずっと、裕子による殺人と疑っていた。

――後編は、5月4日掲載

私の妹は“子宮系女子”でした――「子宮委員長はる」との出会いから「家庭崩壊」までの記録【前編】

 誰にでも、心が弱ってしまう時はあります。救いを求める先が、信頼できる家族や友人ではないこともあるでしょう。「こうすれば幸せになる」と語りかける心理カウンセラー、スピリチュアリスト、霊能力者。彼らを見ていると、「私を救ってくれそう」「この人たちのようになれるかも」と、次第にそんな気持ちが膨らみ……ちょっと待って! それ、本当に信じて大丈夫? スピリチュアルウォッチャー・黒猫ドラネコが、無責任なことばかり言っている“教祖様”を、鋭い爪でひっかきます。

 子宮の声に従って生きる――そんな触れ込みで、ここ3年ほどスピリチュアル系自己啓発界隈を席巻した「子宮委員長はる」をご存じですか。彼女は風俗嬢の過去を公言し、子宮筋腫、子宮頸がん、摂食障害などは「性エネルギーの循環(マスターベーションとセックス)で完治した」と豪語。不倫を“推奨”し、婦人科専門の霊能者として、「あなたの女性器の性質&気質」「あなたの女性器の可能性」などが書かれた“御まん託鑑定書”を高額で販売しました。現在では、「八木さや」と名前を変え、化粧品プロデュースなどの活動にシフトしています。

 「抑圧感情が溜まると子宮筋腫になる」「旦那さんの出世や昇給は子宮(女性器)の力」という“子宮メソッド”や、「股が冷えて固かったら、良質なお金は稼げないよ。諭吉って男なんだよ」などのブログの文言に影響され、子宮委員長はるを崇拝する女性は次第に増え、いつしか「子宮系女子」と呼ばれるように。彼女たちが膣にパワーストーン・ジェムリンガを挿入すると「体調がよくなる」「人間関係が良好になる」という教えをもてはやしたことで、子宮系女子のカルトぶりは世に知れ渡ることとなりました。

 さて、近年に誕生したスピリチュアル代表とも言える「子宮系」。この思想に染まった女性がどうなってしまうのか、実は私は間近で目撃しました。なぜならば、私の妹が“信者”だったからです。

子宮系と妹の出会いは“SNS”だった

 3年ほど前のこと。当時妹は30代前半で、サラリーマンの夫と2歳の息子が1人、自身も外資系のOLとして働いていました。妹は副業として、ハンドメイドのバッグなどをネット通販で売って稼ごうと思い立ち、SNSを開始。そこで子宮系女子の“キラキラ”な投稿が目に留まり、1人、また1人とつながっていきました。ネット上で偶然出会った子宮系女子と交流するうちに、「よくわからないけれど、不思議な世界でみんな楽しそうにしている」と興味を持った妹は、彼女たちに誘われて、子宮委員長はるのセミナーに参加。著書を買い、ブログを読み、「子宮の声に従って生きる」奔放な生き方にグイグイと引き込まれていきました。

 今振り返れば、電話口で「子宮委員長はるちゃんは自分を生きている」「妊娠しても、タバコを吸ってお酒も飲んでいたらしい」などと言っていた妹。私は「本当かな……」と疑いつつ、熱中することがあるのは悪くないし、その時は妹の生活に大きな変化が見られなかったこともあって、完全に楽観視していました。“小説家のファン”になった、くらいのことだろうと。あとで悔やむことになるのですが……。

 子宮委員長はるには、活動を後押しする“友人”がたくさんいます。その一人が、心理カウンセラー・心屋仁之助氏。彼のブログには「僕はこのブログでは恥ずかしくて セクシャルなことはほぼ書いてないのですが その真逆をあかるくアッケラカンとやってのける彼女に もう、ほんとただ尊敬の眼差しです」(2017年3月9日更新)と子宮委員長はるを称賛する記述もあり、スピリチュアル系のイベントでもよく共演しています。

 元アナウンサーの小林麻耶さんも、心屋氏の支持者だと言われています。麻耶さんのブログには、「心屋仁之助さんに出逢い 試行錯誤し、挑戦を繰り返し、頑張ることをやめられましたーーー!! 無理をすることをやめられましたーーー!! いい子でいることをやめられましたーー!!」(18年12月10日更新)という文章も。ちなみに、子宮委員長はるも麻耶さんも、心屋氏のことを「ぢんさん」と呼んで慕っています。

 「好きなことだけして生きていく」「ゲスな女が愛される」「いい人をやめてスッキリする」……心屋氏の著書には、タイトルからしてこんな言葉が並びます。これは子宮委員長はるが「子宮の声に従う」と言うのと同じようなことで、要するに「自分勝手に生きる」「嫌なことはやらなくていい」ということ。前述した麻耶さんのブログも、この教えの影響を受けているのでしょう。そして私の妹もまた、彼らの思想に脳天を撃ち抜かれたようでした。イヤイヤ期真っ盛りの子を抱え、仕事と家庭を両立する苦労から解放されたい。麻耶さんのように、「頑張ることをやめたい」と思ったのかもしれません。

 子宮系と心屋氏の教えを守った結果、「やりたくないことをすると、子宮にカルマ粒(膣や子宮、卵巣に負や業が溜まってできる血液の塊……らしい)ができる」と言って家事を一切やめ、「好きなように生きれば、旦那に貢がれる」と会社を退職。「母親は子どもを生んだら終了。女性は子育てに向いていない」などと言い、分担していた育児を夫に押し付け、1回5,000円以上もする“スピリチュアル系お茶会”や数万円のセミナーに通い、「お金は使えば入ってくる。使わないから消えていく」などと……あの~すみません、全部意味不明です(お手上げ)!

 家族旅行のために貯めていたお金を下ろし、学資保険の解約を画策しているのが明らかになった時、妹の夫はついに「もう限界。“宗教のようなところ”に出入りしてから変わってしまった」と、私に連絡してきました。その電話を受けた私は、妹がしていた怪しい話のことを思い出し、彼女のSNSを恐る恐るのぞきました。すると、子宮系セミナーに参加している妹と、子宮系女子たちが満面の笑みを浮かべている写真が……。「これが原因だ」と直感でわかり、青ざめました。子宮委員長はるのセミナーに行き始めてからここまで、たった半年。家族思いで友人もたくさんいた妹が、なぜこうなってしまったのか。おかしな電話をもらった時に、一言「やめておきな」と止めていれば……後悔してもしきれません。

 ここで私が言っておきたいのは、これはあくまで“妹のケース”だということ。今も子宮系女子として、心屋氏のファンとして、明るい人生を送っている人もいることでしょう。根拠のない教えや宗教的なものでも、“信じること”自体は人それぞれであって、やみくもに否定はできません。ただ、人によって合う・合わないは必ずあります。何事にも良い面だけでなく悪い面があるということを念頭に置いて、よく観察し、突き進む前にいったん立ち止まって考えてほしい。影響されやすかった私の妹のように、スピリチュアルとの距離感を誤って、自分の人生も家族の人生も壊した人が、本当にいるのです。

 子宮系女子だと発覚したあと、家族会議で私たちと口論になった妹は、自殺をほのめかすなど、さらに自暴自棄に陥ります。そのことは、また次回に。

■黒猫ドラネコ
 1983年5月生まれ。性別、職業は非公表。大分県出身、学生時代から大阪で過ごし結婚を機に上京。穏やかで細かい性格。自分勝手な人が嫌い。趣味はスポーツ観戦、カフェ巡り、漫画・アニメ鑑賞など。甘党でお酒よりジュースを好む。ショートスリーパーにつき夜行性。

Twitter/ブログ「黒猫ドラネコのブログ(仮)

梨花、渡辺直美、辺見えみり……芸能人ファッションブランドの勝ち組/負け組を分析!

――ファッションライター・南充浩氏が、いま話題のファッションニュースに斬り込む!

 先日、タレントの梨花さんがジュングループを通じて手掛けているブランド「メゾン・ド・リーファー」が年内で全店閉店することを発表しました。2012年にスタートしたブランドですが、1号店である代官山店はオープン時から好調な滑り出しを見せました。オープン後1週間で1万人以上、1年間で35万人強が来店したと報道されており、誰が見ても相当な人気ぶり。アパレル業界でも好調なタレントブランドとして認知されていたものの、突然のブランド休止の発表は、世間に衝撃を与えました。

 休止の理由は明らかにされていませんが、アパレル業界ではいくつかの説が流れています。

1.多店舗展開に失敗した
2.オリジナルラインの改変に失敗した
3.梨花さんの取り分が多く、ジュングループの儲けが少なかった

 主なものはこの3つです。まず「1」についてですが、長い間このブランドは代官山店だけしかありませんでした。これほどの好調ぶりであれば、通常のアパレルならすぐに多店舗展開して売上高を急増させますが、なぜか2016年まで実施されなかったのです。ブランドのテイストが薄まることを懸念したといわれていますが、多店舗化したものの、そのタイミングは遅く、結局6拠点、カフェを含めて8店舗にとどまりました。多くのブランドは、1号店や旗艦店に、その個性がくっきりと映し出されますが、多店舗化してマスに広がるにしたがって、それがぼやけてきて売上高の伸び率が鈍化してしまいます。「メゾン・ド・リーファー」もそういう負のサイクルに入ったのではないかと思われ、ジュングループとしては、この程度の店舗数からなる売上高では満足できなかったため、全店閉店を決めたということでしょうか。

 続いて「2」について。15年に、オリジナル商品群「メゾン・ド・リーファー」を「リーファー」へと改変したのですが、「値段が据え置きなのに、物の出来栄えが悪くなった」という評判になりました。これには「利益を増やすために店頭販売価格を据え置きで製造原価を削った」「商品製造を手掛けていたOEM会社(製造を請け負う企業)や商社を変えた」という2つの理由が考えられます。言わずもがなですが、製造原価を削ると素材や縫製の品質は下がります。また、OEM会社を変えるということは、縫製工場も変わるということになり、おのずと商品の出来栄えにも変化が生じるのです。

 最後に「3」について考えてみましょう。一部の週刊誌でも報道されましたが、梨花さんの取り分が多く、ジュングループの儲けが少なかったと言われています。実は当方は、別の大手アパレル企業の経営者からも同様の情報を得ていました。ですから、これも信ぴょう性は低くないと思われます。ジュングループとすれば、儲からないブランドをやり続ける意味はありません。

 ファッションブランドにとってタレントは非常に重要な存在です。イメージキャラクターやモデルとして起用することにより、商品の売れ行き、ブランドの支持率が変わります。どのタレントと、どのタイミングで契約するのかを判断することは、アパレル企業の広報宣伝・販促活動において重要な要素の一つと言えるでしょう。

 しかし、タレントが自身で運営するブランドは、業界にとってそれほど重要な位置づけではないと見なされています。なぜなら、極めて順調だと見られていた「メゾン・ド・リーファー」でさえ6拠点・8店舗で終焉を迎えました。ほかにも、タレントブランドはこれまでにさまざま誕生しましたが、一部を除いては、概して「規模が大きくなりにくい」「長続きしにくい」という傾向にあります。

 そんな中、業界で存在感があり順調だと見なされているのは、渡辺直美さんが手掛ける「プニュズ」でしょう。こちらはウィゴーが運営しています。タレントのブランドは規模が大きくなりにくいという傾向に反して、売り上げ規模も拡大していますし、渡辺さんとウィゴー間とのトラブルも耳にしません。「メゾン・ド・リーファー」のブランド廃止が決まった今、成功した芸能人ブランドの最右翼だと言えます。

 また、辺見えみりさんが13年のブランド立ち上げ時から昨年3月まで、コンセプターとして参加していた、ベイクルーズグループ運営の「プラージュ」も成功例。立ち上げ時には「単なる芸能人ブランド」と言われていましたが、辺見さんの退任後もブランドは続いているので、実は「ブランド」として固定ファンをガッチリとつかんでいたと言えます。開始時期がメゾン・ド・リーファーと1年違いのほぼ同時だったこともあり、比較され「売れていない」という報道があったものの、今では形勢逆転となりました。

 若槻千夏さんが09~13年まで手掛けていた、ウィゴー運営の「W・C」も相当な人気があり、「Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO(メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク 東京)」、通称「東京コレクション」にも参加していました。

 こちらも、ブランド自体は若槻さん退任後も継続していますが、規模はかなり縮小しており、現在、業界では存在感がありません。退任の理由については、明かされていないものの、当方が製造を手掛けていた会社や関係者から聞いたところによると、若槻さんの志向がクリエイション方向へと加速し続け、ウィゴーの「W・Cはあくまでもポップなカジュアルブランド」という考えに一致しなくなったためとのことでした。「東京コレクション」への参加は、そのクリエイション志向の表れだったと考えられます。もしその齟齬がなければ、今でも「W・C」は売り上げ規模を維持できていたのではないかと思われます。

 逆に失敗に終わったタレントブランドの方が珍しくありません。篠田麻里子さんの「ricori」、佐々木希さんの「Cotton Cloud」は開始後早々に廃止されています。タレントとしての人気も知名度も決して低くない両人ですが、ブランドということになるとそれだけでは通用しないということがわかります。

 ファッションブランドというのは、結局のところ、洋服や服飾雑貨という「物」を売っているのです。人気タレントが手掛けることは、ブランド開始時の客寄せにはなりますが、一度買った客がリピーターになるかどうかはまた別で、「物」が良くなければ決して売れません。これまで早々に消え去った多くのタレントブランドは、そこに課題を抱えていたと言えます。

 また、タレントブランドが長続きしないのは、別の要因もあります。タレント自身が起こすスキャンダルの影響が直撃してしまうことです。以前、覚せい剤使用で逮捕された酒井法子さんのブランド「ピーピーリコリノ(PP rikorino)」は、売れ行きが絶好調とは聞きませんでしたが、絶不調だとも聞きませんでした。恐らく継続は可能な状況にあったと推測されるものの、逮捕されてすぐにブランドは廃止されています。タレントも人間ですので、スキャンダルを起こす可能性が0%ということは絶対にありません。どんなに品行方正で人間性が優れていても、長い人生のうちに1回くらいはスキャンダルを起こす可能性があります。タレントブランドもしかりですが、イメージキャラクターやモデルに起用したブランドもその影響をモロに受けるため、タレントの起用には慎重になっているブランドも業界には存在するのです。

 タレントブランドは、消費者やメディアの話題を集めやすいのは確か。しかし、アパレル業界の方向性や生産基盤を左右するほどの経済規模や存在感ではないというのが、業界内部から見た感触です。
(南充浩)

「日能研」ならぬ「父能研」の功罪! 東大父の家庭学習が、息子の中学受験をかき乱す!?

“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験で難しいことの一つに親自身の「メンタルコントロール」がある。気分がジェットコースター並みに上がったり、下がったりを繰り返すからだ。それには、このような原因がある。

1.通塾先が大手ならば、毎週のように子どもの成績を見せられて一喜一憂する
2.受験には期限(受験日)があるので焦る
3.試験で目標値をクリアできる自信がなくなる
4.成績が上がらないことで、やる気が低下した子どもを見てイライラする
5.やる気がないのに、こんなに勉強させることが正しいのかを迷い出す
6.生活の全てが受験に結びつく暮らしに嫌気が差す

 中学受験に挑戦することが我が子の未来にとって“正しい”選択だと信じて進んだ道ではあるが、その長い道中、多くの親は獣道を辿っているような錯覚を覚えることだろう。そこで、子どもの苦労を分かち合おうと机を共に並べる親も出てくるし、苦手科目を補習しようと子どもの家庭教師を買って出る親もいる。

 自ら子どもの家庭教師に名乗りをあげた茂さん(仮名)という父親がいた。茂さんは大手食品メーカーに勤める管理職、自身は公立名門高校からの最高学府出身者。一人息子である岳君(仮名)にも期待を寄せていた。4年生で大手塾の門を叩いた時の岳君は優秀な成績で、茂さんは大いに満足したそうだ。

 しかし、5年生の夏休み明けあたりから、成績が徐々に落ちていく。岳君は、当時所属していた最上位クラスからは当然陥落し、塾仲間に“仲間認定”されなくなったと泣いていたそうだ。
塾では、5年生以上になると、これまでとは打って変わって、本気モードで頑張るようになる子が出てくるので、相対的に順位を下げてしまう子どもが生まれやすいのだ。

 そんな中、この状況に心を痛めた茂さんが「これではいかん!」と奮起し、「自分が教える!」と張り切り出したのだ。以来、茂さんは早々に仕事を切り上げ、徹底的に岳君の勉強に付き合おうとした。これを業界用語で、大手中学受験塾「日能研」にかけて、「父能研」と呼ぶのであるが、岳君のスケジュールはこうなった。

起床→直後に計算問題と漢字の書き取り→朝食→登校→帰宅→塾の宿題プリントを解く→塾(夕食はお弁当)→帰宅→茂さんと共に午後11時まで学習

 茂さんは「1を聞いて10を知る」タイプだったらしく、今までの学業人生では負けたことがないと自負するほど優秀なのだが、岳君はどちらかと言えば、のんびり屋で父親のスピードにはなかなか付いてはいけなかったそうだ。ゆえに、茂さんの決めた「午後10時から算数の問2を解く」といったスケジュール通りに動けない。やっと机の前に座ったかと思っても、今度は茂さんが言うように問題を解けないのだ。茂さんはだんだんとイライラし、

「違う! 何度言ったら、わかるんだ!?」
「パパが言うように解け!」

と声を荒げることも多くなったそうだ。

 中学受験は、方程式といった“数学的解法”では解かないことがほとんどなので、親が「安近短」のを教えてしまうと、塾の講義内容とドンドン乖離が生まれ、子どもがますます混乱しかねないというのは有名な話なのである。

 岳君は親の期待に応えられない自分に対し、ますます自信を失い、クラスも全体の真ん中あたりまで落ちていった。

 そんな時だった。心配した塾の先生が茂さんを呼び出して、こう言ったそうだ。「お父さん、このままでは岳君は勉強嫌いになってしまいますし、完全に自信を失ってしまいます。どうですか? 少し、お子さんを俯瞰で見ていただけませんか?」と。そして中学受験における問題の解き方、そのメリットなどを具体的に示してくれたという。

 その塾の先生いわく、男性はロジックがわかると納得し、安心して塾に任せてくれる面があるそうで、全ての学習が塾で完結するように、岳君に自習室学習を勧め、岳君がいつでも“中学受験のプロ”に質問できる体制を作ったという。一方、反省した茂さんは「パパが悪かった」と岳君に謝り、以降、成績に関して口を挟むことをやめようと決意したそうだ。

 もともと、ゆっくりではあるものの、コツコツ型である岳君には、威圧感のない環境での学習は逆に楽しかったようで、徐々にペースを掴むようになってきたそうだ。成績も段々と上がり出し、6年の秋には見事に最上位クラスに返り咲いたという。

 茂さんは、当時、塾の先生から言われたことを、今でも覚えているという。

「先生にはガツンと『一生、勉強ですよね? 中学受験で親がやっちゃいけないことは、子どもを“勉強嫌い”にしてしまうことなんですよ。息子さんには息子さんのペースがあります』と言われましたね」

 そして、照れ笑いを浮かべながら「一生、勉強って、私自身が教えられました。未熟なのは親の私の方でした」と、話していた。

 今、岳君は難関中学に入り、生物部で頑張っている。将来はサラリーマンではなく、研究職に就きたいそうだ。茂さんは「それでいいと思います。息子の人生は息子のものなので。自分のペースでやってくれたら、それでいい」と感じているという。

 中学受験は、11歳もしくは12歳の「子ども」が受ける受験である。ここに「親子の受験」と呼ばれる中学受験の落とし穴がある。子どもたちの時間軸は、大人とはまったく違う。大人になると1年は早いが、子どもの1年は実にゆっくりと流れているのだ。そうした背景から、大人が経験則によって、「今、これをやって、こうして、こうやらないといけない」という“計画”を立てる、つまり「残り何日」という計算でスケジュールを作ると、子どもが付いていけなくなる。1週間先も遠く感じられる子どもに、半年後、ましてや1年後の未来を想像しながら行動しなさいというのは、なかなか酷な話。子どもは、それができるほどの歴史を積み重ねてはいないのだ。

 その道理がわからないと、親はドンドンと焦って来て、その焦りが何かも理解できない子どもを追い詰めていく危険性がある。もし、成績が思うように伸びていかない、子どもにやる気がみられないという場合は、家庭で余計なプレッシャーを与えすぎていないか、子どものペースを尊重しているかなどを、親が振り返ってみることをお勧めしたい。

 中学受験は親が子に伴走しながら、合格を目指していくものではあるが、伴走者が子どもよりも遙か先を走っていては、伴に走ることにはならない。受験も含めた子育ては難しいもの。しかし、親が「親と子は別人格」「子どもには子どものペースと道がある」と自覚している受験は、その親子にとって「いい受験になっているなぁ」というのが、筆者の実感だ。
(鳥居りんこ)

「日能研」ならぬ「父能研」の功罪! 東大父の家庭学習が、息子の中学受験をかき乱す!?

“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験で難しいことの一つに親自身の「メンタルコントロール」がある。気分がジェットコースター並みに上がったり、下がったりを繰り返すからだ。それには、このような原因がある。

1.通塾先が大手ならば、毎週のように子どもの成績を見せられて一喜一憂する
2.受験には期限(受験日)があるので焦る
3.試験で目標値をクリアできる自信がなくなる
4.成績が上がらないことで、やる気が低下した子どもを見てイライラする
5.やる気がないのに、こんなに勉強させることが正しいのかを迷い出す
6.生活の全てが受験に結びつく暮らしに嫌気が差す

 中学受験に挑戦することが我が子の未来にとって“正しい”選択だと信じて進んだ道ではあるが、その長い道中、多くの親は獣道を辿っているような錯覚を覚えることだろう。そこで、子どもの苦労を分かち合おうと机を共に並べる親も出てくるし、苦手科目を補習しようと子どもの家庭教師を買って出る親もいる。

 自ら子どもの家庭教師に名乗りをあげた茂さん(仮名)という父親がいた。茂さんは大手食品メーカーに勤める管理職、自身は公立名門高校からの最高学府出身者。一人息子である岳君(仮名)にも期待を寄せていた。4年生で大手塾の門を叩いた時の岳君は優秀な成績で、茂さんは大いに満足したそうだ。

 しかし、5年生の夏休み明けあたりから、成績が徐々に落ちていく。岳君は、当時所属していた最上位クラスからは当然陥落し、塾仲間に“仲間認定”されなくなったと泣いていたそうだ。
塾では、5年生以上になると、これまでとは打って変わって、本気モードで頑張るようになる子が出てくるので、相対的に順位を下げてしまう子どもが生まれやすいのだ。

 そんな中、この状況に心を痛めた茂さんが「これではいかん!」と奮起し、「自分が教える!」と張り切り出したのだ。以来、茂さんは早々に仕事を切り上げ、徹底的に岳君の勉強に付き合おうとした。これを業界用語で、大手中学受験塾「日能研」にかけて、「父能研」と呼ぶのであるが、岳君のスケジュールはこうなった。

起床→直後に計算問題と漢字の書き取り→朝食→登校→帰宅→塾の宿題プリントを解く→塾(夕食はお弁当)→帰宅→茂さんと共に午後11時まで学習

 茂さんは「1を聞いて10を知る」タイプだったらしく、今までの学業人生では負けたことがないと自負するほど優秀なのだが、岳君はどちらかと言えば、のんびり屋で父親のスピードにはなかなか付いてはいけなかったそうだ。ゆえに、茂さんの決めた「午後10時から算数の問2を解く」といったスケジュール通りに動けない。やっと机の前に座ったかと思っても、今度は茂さんが言うように問題を解けないのだ。茂さんはだんだんとイライラし、

「違う! 何度言ったら、わかるんだ!?」
「パパが言うように解け!」

と声を荒げることも多くなったそうだ。

 中学受験は、方程式といった“数学的解法”では解かないことがほとんどなので、親が「安近短」のを教えてしまうと、塾の講義内容とドンドン乖離が生まれ、子どもがますます混乱しかねないというのは有名な話なのである。

 岳君は親の期待に応えられない自分に対し、ますます自信を失い、クラスも全体の真ん中あたりまで落ちていった。

 そんな時だった。心配した塾の先生が茂さんを呼び出して、こう言ったそうだ。「お父さん、このままでは岳君は勉強嫌いになってしまいますし、完全に自信を失ってしまいます。どうですか? 少し、お子さんを俯瞰で見ていただけませんか?」と。そして中学受験における問題の解き方、そのメリットなどを具体的に示してくれたという。

 その塾の先生いわく、男性はロジックがわかると納得し、安心して塾に任せてくれる面があるそうで、全ての学習が塾で完結するように、岳君に自習室学習を勧め、岳君がいつでも“中学受験のプロ”に質問できる体制を作ったという。一方、反省した茂さんは「パパが悪かった」と岳君に謝り、以降、成績に関して口を挟むことをやめようと決意したそうだ。

 もともと、ゆっくりではあるものの、コツコツ型である岳君には、威圧感のない環境での学習は逆に楽しかったようで、徐々にペースを掴むようになってきたそうだ。成績も段々と上がり出し、6年の秋には見事に最上位クラスに返り咲いたという。

 茂さんは、当時、塾の先生から言われたことを、今でも覚えているという。

「先生にはガツンと『一生、勉強ですよね? 中学受験で親がやっちゃいけないことは、子どもを“勉強嫌い”にしてしまうことなんですよ。息子さんには息子さんのペースがあります』と言われましたね」

 そして、照れ笑いを浮かべながら「一生、勉強って、私自身が教えられました。未熟なのは親の私の方でした」と、話していた。

 今、岳君は難関中学に入り、生物部で頑張っている。将来はサラリーマンではなく、研究職に就きたいそうだ。茂さんは「それでいいと思います。息子の人生は息子のものなので。自分のペースでやってくれたら、それでいい」と感じているという。

 中学受験は、11歳もしくは12歳の「子ども」が受ける受験である。ここに「親子の受験」と呼ばれる中学受験の落とし穴がある。子どもたちの時間軸は、大人とはまったく違う。大人になると1年は早いが、子どもの1年は実にゆっくりと流れているのだ。そうした背景から、大人が経験則によって、「今、これをやって、こうして、こうやらないといけない」という“計画”を立てる、つまり「残り何日」という計算でスケジュールを作ると、子どもが付いていけなくなる。1週間先も遠く感じられる子どもに、半年後、ましてや1年後の未来を想像しながら行動しなさいというのは、なかなか酷な話。子どもは、それができるほどの歴史を積み重ねてはいないのだ。

 その道理がわからないと、親はドンドンと焦って来て、その焦りが何かも理解できない子どもを追い詰めていく危険性がある。もし、成績が思うように伸びていかない、子どもにやる気がみられないという場合は、家庭で余計なプレッシャーを与えすぎていないか、子どものペースを尊重しているかなどを、親が振り返ってみることをお勧めしたい。

 中学受験は親が子に伴走しながら、合格を目指していくものではあるが、伴走者が子どもよりも遙か先を走っていては、伴に走ることにはならない。受験も含めた子育ては難しいもの。しかし、親が「親と子は別人格」「子どもには子どものペースと道がある」と自覚している受験は、その親子にとって「いい受験になっているなぁ」というのが、筆者の実感だ。
(鳥居りんこ)

「日焼け止め塗ってほしい」「花粉症なので外遊びやめて」保育園を悩ますママからの要望

保育園、幼稚園、小学校、おけいこ事の教室などでは、日々子どもの保護者と施設側の間でトラブルが発生している。ほんの些細なことでも、自分のこと以上に気になってしまうのが親心というものなのか。わが子のことを思ってとクレームを入れるママもいれば、モンペと呼ばれることを恐れて我慢するママも。そんなトラブル事例とママの葛藤をつづる。


 大型連休を前に、日差しが強くなっていくこの季節。かつて、子どもたちにとって、強い日差しの中で遊ぶのは日常的であったが、現代では外遊びと呼ばれる課外活動に関して、保護者側からの苦情が絶えないという。今回は、外遊びを行う際に、幼稚園や保育園側と保護者側の間で生じたトラブルエピソードを紹介する。

 紫外線の悪影響などが叫ばれるようになった影響なのか、外遊びの際には、日焼け止めを施すのが当たり前と考える保護者が増えた。認証保育園に3歳になる女児を通わせている康子さん(仮名)は、園に日焼け止めを塗るように個別対応を申し出たが断られたという。

「うちの娘は、腕と足にある『いちご状血管腫』という痣をレーザーで除去する治療を受けています。そのため、火傷になってしまう危険性もある日焼けは厳禁なんです。自宅で日焼け止めを塗っても、汗などで落ちてしまうので、『外遊びの際には塗り直してください』とお願いしたのですが、園側の対応は『保育士の人数が限られているので、個別対応は難しい』の一言でした。うちの子にとって日焼け止めは、ぜんそくなどの子が薬を飲むのと同じなのに、融通が利かず困りましたね。結局、対応策としてラッシュガードを着せることで落ち着きましたが、日差しの強い日に、長袖を着せなければならないので、夏の外遊びは、かわいそうになりますよ」

 関東圏にある小規模保育所に今年の春から0歳児を入園させた愛美さん(仮名)は、「子どもの日よけが心配だ」と語る。

「うちの園は、小規模なので、0歳児から3歳児までが合同で外遊びに出かけています。まだ体力がない0歳児と、体が大きくなって走り回りたい3歳児では、活動できる時間が違うと思うんです。それなのに、同じように公園に連れて行かれるので、熱中症などが心配。日差し対策も、日よけ帽子だけで、一度先生に『日差しが強いときは、外遊びは必要ないんじゃないですか?』と聞いたら、『0歳児はなるべく日陰で過ごすようにしています』と言われました。これからどんどん日差しが強まっていきますし、0歳児は肌が弱いので、日焼けも心配になってきています」

 0歳児から預けられる保育園では、個別対応のニーズが高まってきているのかもしれない。しかし、現状は園によって対応はまちまちで、細かな配慮までは行き届いていないようにみえた。

 都内にある認可保育園で働いている和美さん(仮名)は、外遊びの際の個別対応が大変だと不満を漏らした。

「ここ数年は特に、保護者からの細かい要望が増えたように感じます。うちの園では、外遊びに出かける時には、虫よけ対策をしているのですが、市販のものだと刺激が強すぎるので、保育士が作ったアレルギー体質の子どもでも使える成分のアロマスプレーを噴射しています。もちろん、新年度に、虫よけスプレーを使っても大丈夫か、保護者に同意書の提出をお願いした上での使用です。それでも中には、肌が荒れてしまう子がいて、保護者から『虫よけバンドではダメなのか』とクレームが入りました。腕に付ける虫よけバンドは、月齢が小さいと誤飲の危険や、遊具への引っかかりの心配があるので、使用を禁止しています。一人の子どもを許してしまうと、ほかの保護者からも使いたいという要望が来るため、『うちの子だけは特別に許可をしてください 』という、モンペ気味の保護者対策が大変なのです」

 和美さんが働いている園では、気温が高い夏の期間、外遊びから帰るとあせも予防のため、子どもたちはシャワーを浴びている。塗っていた日焼け止めが取れて床や水が汚くなるため、保護者には日焼け止め禁止を伝えている。

「日焼け止めを塗っていると、汗やシャワーで取れてきて衛生的ではないのもあって、うちの園では禁止しています。それでも、ウォータープルーフの落ちにくいものを塗ってきている子どももいるんです。日焼け止めは禁止だと保護者に説明したのですが、『日焼け止めを塗っていないと日に焼けてどんどん黒くなる 』とキレ気味に言われました。園でも首に日よけが付いた帽子を被るのを徹底したり、なるべく日陰がある場所を選んだり、気を使っているのですが、日差し対策に敏感な保護者が増えてきた気がします」

 肌へのダメージなどを心配し、日焼け止めの必然性を訴える保護者も多いという。子どもが日中、外遊びしていた時代と現代とでは事情が変わってきているようだ。

 最近では、花粉症と診断される子どもが増え、保護者が外遊びに過敏になっているケースもあるという。都内の認証保育園に勤務している由香さん(仮名)が受け持つクラスの子どもは、半数近くが花粉症を訴えている。

「公園などの外遊びに出かけると、花粉症の子どもは、目が真っ赤になってしまうんです。対策のために、メガネやマスクをさせても、子どもたちが嫌がって取ってしまうことも。そのため、保護者から『花粉がひどいので、今日は外遊びは止めてもらいたい』というクレームが入りました。うちの園では、課外活動の時間を減らして、室内でのリトミック教室や造形を行ったりしています。すると今度は、別の保護者から、『外遊びをしないせいで体を動かしていないから、寝かしつけても寝なくなった』というクレームが入ったり……。保護者の対応で疲れてしまいそうです」と、不満げな表情を見せた。

 外遊びでは、外気に触れたり、植物や小さな生物と触れ合いの機会を持つことができる。成長過程の子どもにとって外遊びのメリットは多いが、環境の変化や、アレルギー体質の子どもが増えているため、外遊び自体がリスクになっているようにも感じられる。保護者からの要望にどこまで対応するのか、一昔前より、園の抱える課題は増えているようだ。
(池守りぜね)

「日焼け止め塗ってほしい」「花粉症なので外遊びやめて」保育園を悩ますママからの要望

保育園、幼稚園、小学校、おけいこ事の教室などでは、日々子どもの保護者と施設側の間でトラブルが発生している。ほんの些細なことでも、自分のこと以上に気になってしまうのが親心というものなのか。わが子のことを思ってとクレームを入れるママもいれば、モンペと呼ばれることを恐れて我慢するママも。そんなトラブル事例とママの葛藤をつづる。


 大型連休を前に、日差しが強くなっていくこの季節。かつて、子どもたちにとって、強い日差しの中で遊ぶのは日常的であったが、現代では外遊びと呼ばれる課外活動に関して、保護者側からの苦情が絶えないという。今回は、外遊びを行う際に、幼稚園や保育園側と保護者側の間で生じたトラブルエピソードを紹介する。

 紫外線の悪影響などが叫ばれるようになった影響なのか、外遊びの際には、日焼け止めを施すのが当たり前と考える保護者が増えた。認証保育園に3歳になる女児を通わせている康子さん(仮名)は、園に日焼け止めを塗るように個別対応を申し出たが断られたという。

「うちの娘は、腕と足にある『いちご状血管腫』という痣をレーザーで除去する治療を受けています。そのため、火傷になってしまう危険性もある日焼けは厳禁なんです。自宅で日焼け止めを塗っても、汗などで落ちてしまうので、『外遊びの際には塗り直してください』とお願いしたのですが、園側の対応は『保育士の人数が限られているので、個別対応は難しい』の一言でした。うちの子にとって日焼け止めは、ぜんそくなどの子が薬を飲むのと同じなのに、融通が利かず困りましたね。結局、対応策としてラッシュガードを着せることで落ち着きましたが、日差しの強い日に、長袖を着せなければならないので、夏の外遊びは、かわいそうになりますよ」

 関東圏にある小規模保育所に今年の春から0歳児を入園させた愛美さん(仮名)は、「子どもの日よけが心配だ」と語る。

「うちの園は、小規模なので、0歳児から3歳児までが合同で外遊びに出かけています。まだ体力がない0歳児と、体が大きくなって走り回りたい3歳児では、活動できる時間が違うと思うんです。それなのに、同じように公園に連れて行かれるので、熱中症などが心配。日差し対策も、日よけ帽子だけで、一度先生に『日差しが強いときは、外遊びは必要ないんじゃないですか?』と聞いたら、『0歳児はなるべく日陰で過ごすようにしています』と言われました。これからどんどん日差しが強まっていきますし、0歳児は肌が弱いので、日焼けも心配になってきています」

 0歳児から預けられる保育園では、個別対応のニーズが高まってきているのかもしれない。しかし、現状は園によって対応はまちまちで、細かな配慮までは行き届いていないようにみえた。

 都内にある認可保育園で働いている和美さん(仮名)は、外遊びの際の個別対応が大変だと不満を漏らした。

「ここ数年は特に、保護者からの細かい要望が増えたように感じます。うちの園では、外遊びに出かける時には、虫よけ対策をしているのですが、市販のものだと刺激が強すぎるので、保育士が作ったアレルギー体質の子どもでも使える成分のアロマスプレーを噴射しています。もちろん、新年度に、虫よけスプレーを使っても大丈夫か、保護者に同意書の提出をお願いした上での使用です。それでも中には、肌が荒れてしまう子がいて、保護者から『虫よけバンドではダメなのか』とクレームが入りました。腕に付ける虫よけバンドは、月齢が小さいと誤飲の危険や、遊具への引っかかりの心配があるので、使用を禁止しています。一人の子どもを許してしまうと、ほかの保護者からも使いたいという要望が来るため、『うちの子だけは特別に許可をしてください 』という、モンペ気味の保護者対策が大変なのです」

 和美さんが働いている園では、気温が高い夏の期間、外遊びから帰るとあせも予防のため、子どもたちはシャワーを浴びている。塗っていた日焼け止めが取れて床や水が汚くなるため、保護者には日焼け止め禁止を伝えている。

「日焼け止めを塗っていると、汗やシャワーで取れてきて衛生的ではないのもあって、うちの園では禁止しています。それでも、ウォータープルーフの落ちにくいものを塗ってきている子どももいるんです。日焼け止めは禁止だと保護者に説明したのですが、『日焼け止めを塗っていないと日に焼けてどんどん黒くなる 』とキレ気味に言われました。園でも首に日よけが付いた帽子を被るのを徹底したり、なるべく日陰がある場所を選んだり、気を使っているのですが、日差し対策に敏感な保護者が増えてきた気がします」

 肌へのダメージなどを心配し、日焼け止めの必然性を訴える保護者も多いという。子どもが日中、外遊びしていた時代と現代とでは事情が変わってきているようだ。

 最近では、花粉症と診断される子どもが増え、保護者が外遊びに過敏になっているケースもあるという。都内の認証保育園に勤務している由香さん(仮名)が受け持つクラスの子どもは、半数近くが花粉症を訴えている。

「公園などの外遊びに出かけると、花粉症の子どもは、目が真っ赤になってしまうんです。対策のために、メガネやマスクをさせても、子どもたちが嫌がって取ってしまうことも。そのため、保護者から『花粉がひどいので、今日は外遊びは止めてもらいたい』というクレームが入りました。うちの園では、課外活動の時間を減らして、室内でのリトミック教室や造形を行ったりしています。すると今度は、別の保護者から、『外遊びをしないせいで体を動かしていないから、寝かしつけても寝なくなった』というクレームが入ったり……。保護者の対応で疲れてしまいそうです」と、不満げな表情を見せた。

 外遊びでは、外気に触れたり、植物や小さな生物と触れ合いの機会を持つことができる。成長過程の子どもにとって外遊びのメリットは多いが、環境の変化や、アレルギー体質の子どもが増えているため、外遊び自体がリスクになっているようにも感じられる。保護者からの要望にどこまで対応するのか、一昔前より、園の抱える課題は増えているようだ。
(池守りぜね)

父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音【老いゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は、姉妹の関係について考える。

 上沼恵美子が関西のテレビ番組で姉との確執を告白したと報道されていたが、親の介護が絡んでくると仲の良かった姉妹でも関係がこじれることは少なくない。週刊誌によれば、上沼の場合は母親の介護をきっかけに逆に修復したということだが……。

母を支え、父を看取ってくれた妹には感謝している

 河村良枝さん(仮名・49)は中国地方出身。大学入学と同時に上京し、そこで知り合った夫と結婚し家庭を持った。河村さんの両親は、妹・真由美さん(仮名・47)が結婚して家を出てからは長く2人で暮らしていたが、数年前、父親ががんで他界。闘病中は母と、同じ市内に住む妹が病院への送迎や看病を行ってくれた。

「当時、まだ母も70代前半で体力もありましたが、妹がサポートしてくれたおかげでずいぶん助かりました。私は、父が亡くなる前の半年ほどは毎月帰省していましたが、顔を見せに帰る程度。たいして役に立てたわけではありません。父が亡くなったときも、連絡をもらってから帰ったくらいです。母を支えながら、父を看取ってくれた妹には感謝しています」

 河村さんと妹は、若い頃から仲の良い姉妹だった。学生時代の一時期、一緒に住んでいたこともあるし、河村さんが東京で出産したときには、産後の手伝いに来てくれたのも妹だ。「私や家族が帰省してお客さんでいられたのも、妹家族がいてくれたおかげ」と、妹への感謝を忘れたことはない。普段のお礼も込めて、帰省したときには、母と妹家族を旅行に招待するなどの気配りも欠かさなかったつもりだ。

 父を亡くし悲しみに沈む母にとって、妹家族の存在は大きな慰めとなった。結婚の遅かった妹にはまだ小さな子どもたちがいて、孫が頻繁に母のもとを訪れたのが良い気晴らしになったようだ。父の死から数カ月もすると母は立ち直り、次第にもとの明るさを取り戻していった。

 河村さんのもとに母親から電話があったのは、そんな頃だった。近況などを話したあと、少しだけ間をおいて、母は言葉を改めた。

「真由美たちと一緒に暮らそうと思う」

 妹家族はマンション住まいだ。母が住む余裕はないのに、と一瞬思ったが、すぐに母は続けた。「うちを建て直して、二世帯住宅にすることにした。トシヤさん(真由美さんの夫)も、一緒に住んでいいと言ってくれている」と。

「『そうなんだ、よかったね。そうしてくれるならお母さんも安心だし、私も安心だわ』と伝えました。東京に住んでいる私には何もできないのが、父のときに身にしみてわかっていたので、大賛成でした。ただ、話がそこまで進んでいたんだという軽い驚きはありましたね。そして、母の要件はそれだけではなかったんです」

 「ついては、良枝は相続放棄してくれないか」というのが、電話の主題だった。

 「相続放棄」という言葉はよく聞くが、河村さんの場合は、「相続分の譲渡」というのが正しい。父が亡くなり、河村さんが相続することになる父親の遺産の1/4を、今後母親と同居して老後の面倒もみることになる妹に渡してほしい、ということだったのだ。

「ああ、そういうことね、と納得しました。だから母が直接電話してきたんだなと。妹が言い出したように取られると、私にいらぬ疑念を抱かせるのではないかと、先回りしたのでしょう。でも、戸惑うような様子を見せると、逆に母や妹に嫌な思いをさせることになるでしょう。つとめて明るく、さっぱりと『もちろんよ。これからも帰ったときには泊めてね』と冗談っぽく答えました」

 これが男兄弟だったら、今後帰省するとき、お嫁さんに遠慮することになるんだろうな、とも思ったという。女きょうだいでよかったというのも、正直な思いだった。

 「それはいいんです。でもね」と、これも冗談めかして付け加えた。

「相続分の譲渡をするには、実印をつくって、印鑑証明を出さなければいけないんです。私は実印を持っていなかったので、新しく作らなければなりませんでしたが、これが結構バカにならない値段で……。私は快く相続分を全て妹に渡した。それこそ1円ももらっていないんだから、せめて実印代くらい払ってほしかったな、と。みみっちいですかね」

 河村さんは終始笑顔だったが、それが本音なのだろう。

「そんなことを、いまだにちょっと根に持っている私も私ですが。もちろん、今も妹とは仲良く付き合っていますよ。でも、うちのように家族関係に何の問題がなくても、こう思うんだから、そうでない家族だったら、簡単に相続争いになるんだろうなと思いました。これまで相続のトラブルなんて我が家には関係ないと思っていましたが、決して他人事ではないということがよくわかりました」

 河村さんは、帰省して母親に会うたびに、「年を取ったな」と痛感するという。毎日顔を合わせている妹は感じていないようだ、と言う表情が寂しげに見えたのは気のせいだろうか。

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。  

その“教祖様”、ホントに大丈夫? 「1万円の自己啓発セミナー」へ行く前に知ってほしいコト

 誰にでも、心が弱ってしまう時はあります。救いを求める先が、信頼できる家族や友人ではないこともあるでしょう。「こうすれば幸せになる」と語りかける心理カウンセラー、スピリチュアリスト、霊能力者。彼らを見ていると、「私を救ってくれそう」「この人たちのようになれるかも」と、次第にそんな気持ちが膨らみ……ちょっと待って! それ、本当に信じて大丈夫? スピリチュアルウォッチャー・黒猫ドラネコが、無責任なことばかり言っている“教祖様”を、鋭い爪でひっかきます。

 はじめまして。黒猫ドラネコと申します。このたび、縁あって連載させていただくことになりました。Twitter上で2年ほど、ネット社会にはびこる“怪しいもの”や“おかしなこと”を観察してきました。一部には共感され、また一部には「なんだアイツ」と、多分言われています。少しでもご興味を持っていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、私はこれまで「自己啓発セミナーの信者ビジネス」「怪しいスピリチュアル」などを、毎日のようにTwitterで批判してきました。子宮系女子、心屋カウンセリング、卑弥呼の生まれ変わり、スピリチュアルブロガーhappyちゃん、胎内記憶、アカシック・リーディング……。もしかしたら、どれか目にしたことがあるかもしれませんね。しかし、その実態や、距離感を誤った時の恐ろしさを、どれぐらい知っていますか?

「1万円の自己啓発セミナー」が招く“破滅”

 彼らの主戦場は、FacebookやInstagram、アメーバブログが多く、ここでは心の弱った人を甘くいざなうような話が散見されます。不思議なことに、Twitterは水が合わないのか、“教祖様”たちはすごくおとなしく、ほとんどそんな話をしていません(ちょっとはこっち来て、私とも遊んでくれや!)。

 私がこうして発信するようになったきっかけは、そんな彼らの恐ろしさを目の当たりにしたからです。私の大切な人は、スピリチュアルにかぶれ、無責任な自己啓発のマインドコントロールを受けたこともあってか、すっかり心が壊れてしまいました。家族は嘆き、親戚一同は悲しみ、その渦中に私はいました。当事者を抱きかかえ、同じようにもがいて、苦しんで……。あまり思い出したくないし、おもしろおかしくこの時のことを書くのは、難しいかもしれません。それでも、広めておくべき「被害」のわかりやすいケースでした。

 例えば、あなたの大切な友人が、ある日ネットで知った「受講料1万円の自己啓発セミナー」に行ったとしましょう。「おもしろかった」と喜んでいて、次週にはそこで「3万円の開運グッズ」を購入。この段階で「怪しいな」と思い、友人にやんわり注意してみるも、「あなたになにがわかるの?」「なにをしても自由だし、ほっといて」と突っぱねられてしまいます。そして友人は、翌月までに「年会費12万円のオンラインサロン」に入会し、「25万円の特別合宿」に参加。気づいた時には、「100万円の集中講座」を受け、「認定講師」になっていました。

 でも、その友人には家族がいます。子どもはまだ小さく、これからお金もかかるでしょう。それなのに、「幸せになった仲間がたくさんいる」「自分の幸せが、家族の喜び」「お金は出せば入ってくるもの」などと勝手なことを口走り、学資保険を解約するなどして、無計画に散財してしまいます。友人との約束は遅刻やドタキャンが当たり前になり、家族の注意にも聞く耳を持たず、平然と「人に迷惑をかけていい」と言うようになり、揚げ句の果てには、育児放棄まで……。

 これは、決して大げさな話ではありません。怪しいスピリチュアルや自己啓発セミナーに心酔してしまうと、同じような道をたどる可能性があるのです。

 知らないうちに金銭感覚や思考をコントロールされることが、どんなに恐ろしいことか。身近な人がこの状態になったら、「怪しいものにハマるのも人の自由」なんて言えなくなります。高額セミナーやお茶会などに通い、その手法に心酔した揚げ句「私にもできるかも!」なんて新たな“宗派”を立ち上げようとする。被害者がまったく悪意なく、加害者にクラスチェンジしたがる。小説の話じゃありません、現実に起こっていることなのです。

 もっとも気の毒なのは、すっかり“信者”と化してしまった人のご家族。様子がおかしいと気づいた時にはもう遅く、底なし沼から引き揚げるために、多大な労力と犠牲を払うことになります。……この話は、また次回に。

 「簡単に影響されるほうが悪い」、確かにそうかもしれません。しかし、私利私欲のために無責任に発信した側は、今のままではお咎めなしです。まずは「怪しいスピリチュアルビジネス、信者ビジネスなどで稼ぐ人々」を白日の下に晒して、「妄信すると危険」と注意喚起することが必要だと考えます。

 なにを信じるのも自由。だけど、その判断材料として、「こうすれば幸せになれる」という一方的な誘い文句だけでなく、否定的な意見があってもいいはずです。依存・共依存の心理分析などはちょっと後回しに、善人面しておかしなことを言っている人たちを一緒に観察し、立ち止まって考えてみませんか。バカバカしい言い分を取り上げ、社会的に危ないものなら否定したい。そんなスタンスで、これから書いていきたいと思います。

 ……過激なことをやっていると思われがちですが、私、割といいヤツですよ。このコラムは無料で読めるし、変なセミナーなんかに誘導しませんから。

■黒猫ドラネコ
 1983年5月生まれ。性別、職業は非公表。大分県出身、学生時代から大阪で過ごし結婚を機に上京。穏やかで細かい性格。自分勝手な人が嫌い。趣味はスポーツ観戦、カフェ巡り、漫画・アニメ鑑賞など。甘党でお酒よりジュースを好む。ショートスリーパーにつき夜行性。

Twitter/ブログ「黒猫ドラネコのブログ(仮)