ホワキン・フェニックス主演の『ジョーカー』が話題を呼んでいる。アメコミヒーロー・バットマンの敵役(ヴィラン)として知られるジョーカーを主人公にした物語だが、アメコミがベースとは思えないほど現実社会に渦巻く不条理さや不安感をえぐり出した強烈な作品となっている。観る人によって、大きく賛否が分かれる内容だ。
これまでにも『バットマン』(89)ではジャック・ニコルソン、『ダークナイト』(08)ではヒース・レジャーら名優たちが演じてきたバットマンの宿敵・ジョーカー。カオスを愛するこの希代の悪役がどのようにして誕生したのかを、本作はオリジナルストーリーとして描いている。まるで実録犯罪映画のようなリアルさを感じるだろう。
アーサー(ホアキン・フェニックス)の職業は大道芸人。ピエロの派遣会社から給料をもらい、年老いた母ペニー(フランセス・コンロイ)の介護をしながら暮らしている。生活は楽ではないが、母の教えである「どんなときも笑顔で、人々を楽しませなさい」という言葉を胸に、慎ましく生きてきた。人気コメディアン、マレー(ロバート・デ・ニーロ)のトーク番組を、母と一緒に視聴することが数少ない楽しみだった。
いつか、マレーの番組に呼ばれるような一流のコメディアンになろう。そんな夢を持つアーサーだったが、ピエロメイクで街頭宣伝中に不良少年たちに暴行を受けるという事件が起きる。被害者であるはずのアーサーだが、派遣先の職場を無断で放棄したと会社の上司から咎められてしまう。同僚から「護身用に」と拳銃を渡されるが、この拳銃がアーサーの運命を大きく変えていく。
新たに派遣された小児病棟で入院中の子どもたちを励ましていたアーサーだが、うっかりポケットに入れていた拳銃を床に落としてしまう。このことが会社にバレ、アーサーは事情を説明できないまま即刻解雇。さらに笑えない出来事が重なる。長年通っていた精神カウンセリングが福祉予算の削減のために打ち切られ、精神安定剤がもらえない。母ペニーは一家の窮状を手紙にしたためて、かつて働いていた大企業の経営者トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)宛に何度も送るが、返事は届かない。母子はさらに追い詰められていく。
アーサーの怒りは爆発寸前だった。職場をクビになり、ピエロメイクのまま帰路に就いたアーサーは、地下鉄の車両内で酔っぱらった大企業の若いビジネスマンたちに絡まれる。このとき、アーサーの中で何かが弾けた。地下鉄の室内灯が消える瞬間、ビジネスマンたちの射殺死体が折り重なっていく。アーサーの中で怪物・ジョーカーが目覚め始めた。
もはや“勧善懲悪”という図式は、この作品には当てはまらない。悪役はスーパーヒーローを引き立てるために、生まれてきたのではない。社会のルールに従い、真っ当に生きようと努めてきた人間が、不寛容な社会に抑圧され、どうしようもなく最凶ヴィランへと変身を遂げることになる。アーサーがジョーカーへと変身する引き金となるのは拳銃だけではなかった。アーサーが抱いていたコメディアンになりたい、みんなに愛されたいという願いが、絶望へと変わり、アーサーの背中を押す。子どもの頃から抱いていた夢や理想が、純粋無垢な人間を犯罪者へと導くというアイロニカルな物語だ。殺人ピエロと化したアーサーの笑い声が、悲しげに街に響く。
本作を撮ったのは、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(09)をはじめとする『ハングオーバー』三部作を大ヒットさせたトッド・フィリップス監督。今回はロバート・デニーロ主演のブラックコメディ『キング・オブ・コメディ』(82)の“本歌取り”というスタイルを使い、『キング・オブ・コメディ』で描かれた劇場型犯罪をより過激な形で現代に甦らせた。パンチの効いたジョークで人々を楽しませたいというアーサーの願望は、よりパンチ力のある衝撃映像として視聴者に届けられることになる。
下流生活から抜け出すことができず、社会の底辺でもがくアーサー/ジョーカーに感情移入する人は日本でも少なくないだろう。だが、現実社会と映画『ジョーカー』とでは大きく異なる点がある。今のこの国では福祉にしか頼ることができない人たちは怠け者だと責められ、罪を犯した者は司法よりも先に、ワイドショーのコメンテイターやSNSユーザーたちが一斉に断罪する。社会からはみ出した者はすべて自己責任とみなされ、彼らの行き場所はどこにもない。富裕層を優遇し、労働者からの搾取を続ける権力者には怒りは向かわず、社会的弱者や外国人をバッシングすることで日々のストレスを発散させているのが、今の美しい日本の姿だ。
横柄なビジネスマンや既成利権にあぐらをかくセレブたちに銃口を向けたジョーカーは、社会に不満を持つ人々にとってのカリスマ的存在となっていく。クリームの1968年のヒット曲「ホワイト・ルーム」が流れる中、ジョーカーの怒りに賛同した人々が続く。どこまでが心を病んだアーサーの妄想なのかは、定かではない。だが、本作のクライマックスで描かれるような民衆の一斉蜂起は、怒りという感情を去勢されたこの国ではあまりにも遠い絵空事に感じられてしまう。
(文=長野辰次)

『ジョーカー』
監督・脚本/トッド・フィリップス 脚本/スコット・シルバー
出演/ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ
配給/ワーナー・ブラザーズ映画 10月4日より全国ロードショー中
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie

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