日本人にとって「3.11」は東日本大震災と福島第一原発事故を思い出させる重い数字として脳裏に刻まれているが、北欧のノルウェー人にとっては「7.22」が大きなトラウマとなっている。東日本大震災と同じ2011年の7月22日に、ノルウェー連続テロ事件は起きた。午後3時30分ごろ、首都オスロの政府庁舎が爆破され、8名が死亡。同日午後5時すぎ、オスロ近郊にあるティーリフィヨレン湖に浮かぶウトヤ島で銃乱射事件が起き、サマーキャンプ中だった10代の男女69名の命が奪われた。どちらも極右系サイトの常連投稿者だったアンネシェ・ブレイビク(事件当時32歳)の犯行だった。単独犯による史上最悪の大量殺人事件となっている。
この衝撃的な事件を題材にしたのが、ノルウェー映画『ウトヤ島、7月22日』。ウトヤ島で夏休みを過ごしていた若者たちが、突如現われた殺人鬼の無差別銃撃によってパニック状態に陥りながらも、懸命にサバイバルする姿を描いたものだ。“現代の十字軍”を自称したブレイビクが銃を乱射し、警察に投降するまでの時間は72分間だった。本作はその犯行時間を、被害者側の視点から1シーン1カットの長回しで撮り上げている。スクリーンから漂う臨場感と緊張感がハンパない。来日したエリック・ポッペ監督に、「7.22」がノルウェー人にどれだけ大きな衝撃を与えたのかを語ってもらった。
──2011年は東日本大震災が起きたこともあり、日本では「ノルウェー連続テロ事件」についての詳しいニュースは伝わってきませんでした。今日は事件と映画について、いろいろと教えてください。
エリック・ポッペ 日本があの大災害から立ち直ったことには敬意を感じています。東日本大震災と同じくらい、ノルウェー人にとっては「7.22」はとても大きな事件でした。第二次世界大戦でナチスドイツの侵攻を受けて以来の大惨事だったんです。事件から生還した被害者たちは二度と同じような事件が起きないようにと、ニュース番組のインタビューに答えたり、インターネット上で自身の体験談を語りました。事件のトラウマに苦しみながらも彼らは勇気をもって発言したのですが、そんな彼らに対してヘイトメールが届くようになったのです。「ブレイビクがお前を殺さなかったことが残念だ」というような文面です。あれだけ悲惨な事件が起きたのに、事件後には極右勢力が増殖するようになったのです。
■ネット上の敵意が現実世界を侵蝕し始めた!!
──移民や難民の受け入れに反対していたブレイビクは、移民受け入れを表明していたノルウェー労働党(当時の政権与党)青年部のキャンプ地であるウトヤ島を襲ったわけですね。
エリック そうです。それまでのヘイトスピーチはインターネット上で行なわれていたのが、「7.22」をきっかけに現実世界でもヘイトスピーチが飛び交うようになってしまったんです。米国大統領のドナルド・トランプもその1人でしょう。ヘイトスピーチは危険です。実際にブレイビクはネット上のヘイトスピーチに感化され、犯行に及びました。現実からは離れた世界、ネット上の敵意が我々のいる現実世界を侵蝕するようになったのです。この事件は他人事だとは放っておけない問題です。中には「この事件を映画化するのは時期尚早だ」と反対する声もありました。確かにそれは正論です。ですが、時期尚早だと言っている状況ではないという切迫感から、この映画を企画したんです。
──「7.22」は現実世界とネット世界との境界線を崩壊させた大事件でもあったということですね。映画化は大変な苦労があったと思います。事件についてのリサーチ、資金集め、キャスティング……どれも大変だったと思いますが、いちばんの難関だったのは?
エリック 生存者たちが協力してくれ、彼らにしか分からないことを教えてくれました。彼ら被害者たちは犯人が単独犯であることも、本物の警官なのかどうかも事件当時は分かりませんでした(ブレイビクは警官に変装して島に上陸した)。銃声が鳴り響いた72分間はまるで永遠のような長さに感じられたでしょう。彼らの体験をリアルに再現するにはどのような手法にすべきかを熟考し、見つけ出した答えが事件の起きた72分間を被害者側の視点からノーカットで撮影するというアイデアでした。ですが逆に困った問題も生じたのです。こんな困難な撮影に耐えうる女優が見つかるだろうかということです。極限状態に陥った人間の複雑な表情を演じることは容易ではありません。女優選びがいちばんの難関でしたが、主人公のカヤ役のアンドレア・バーンツェンは見事に演じ切ってくれました。
■犠牲者たちの尊厳を損なってはならない
──家族想いのカヤを熱演したアンドレア・バーンツェンをはじめキャストはみんな新人だったと聞いています。リハーサルに3カ月を費やしたそうですが、打ち合わせの際にどのような話し合いを行なったのでしょうか?
エリック ディテールを大切にしようと話しました。ディテールをきちんと再現することで、あの日のウトヤ島で何が起きたのかを正しく伝えることができると考えたんです。アンドレアが演じたカヤは特定の1人の人物ではなく、生存者たちの証言をもとに集約したキャラクターとなっています。フィクションの存在ですが、ウトヤ島で起きたことをより正確に理解することができるキャラクターです。脚本を用意して、彼女たちはアドリブを交えることなく一字一句そのまま脚本どおりに演じてもらいました。大変な作業でしたが、その分しっかりとリハーサルを重ねたんです。生存者たちは撮影現場にも付きっきりで立ち会ってくれました。精神が今にも壊れてしまいそうになったとき、彼らはお互いに冗談を言い合ったり、歌を歌ったりしたそうで、そのことも映画には盛り込みました。生存者たちが繰り返し言ったことは「犠牲者たちの尊厳を失うことなく、誠実に演じてほしい」ということでした。そのことには充分こだわって撮影しています。
──アドリブはなかったとのことですが、銃弾から身を守るために森に身を潜めたカヤの腕に一匹の蚊がとまるカットは印象的です。殺人鬼から命を狙われているカヤは、自分の腕にとまった蚊を叩き潰すことに躊躇してしまう。命の重さを考えさせる、とても重要な場面になっていると思います。あのカットはどのように撮ったのですか?
エリック あの蚊がとまるカットだけが、この映画の唯一のアドリブでした(笑)。あのカットに気づいてもらえると、うれしいです。何度もリハーサルを繰り返したことで、逆に生まれた余白のような瞬間でした。私はこの映画を撮っている間、ずっと命の在り方について考えていました。SF映画の中では人類は宇宙人と戦争を繰り広げ、SF映画でなくても多くの映画の中にはアクションシーンがあり、命の奪い合いが描かれています。我々はそれらをエンターテイメントとして楽しんでいるわけです。今回、この映画では試してみたいと思っていたことがありました。1人の人間の肉体から命が抜けていく瞬間を、自分たちはカメラで撮ることができるのか。はたして映画にはそんな力があるのか。我々の鈍化した感覚は鋭敏さを取り戻すことができるのか。そのことをこの映画では試してみたかったのです。
──逮捕されたブレイビクは裁判を経て、現在は21年の禁固刑に処せられています。ノルウェー以外の国では「なぜ死刑にしないんだ」「21年は短い。終身刑にすべき」という声もありました。そのことをエリック監督はどう考えますか?
エリック ノルウェーでは21年の禁固刑がいちばん重い刑罰です。ノルウェーの刑務所は受刑者たちの更生に重きを置いており、彼らに治療を施すために受刑させているという側面があるんです。それもあって、ノルウェーには死刑制度は存在しません。「ブレイビクは21年後に出所するのか」と不安に思う海外の人は多いかもしれません。ですが、それはないと私は考えます。刑期を終えた際にブレイビクは自分が更生していることを裁判所でもう一度証明しなくてはいけないんです。恐らく、彼にはそれができないはずです。21年の刑期を終えた後も、ブレイビクは刑務所内で生き続けることになるでしょう。
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国連が発表する「世界幸福度ランキング」では常に上位にランキングされ、移民や難民に対しても支援政策を打ち出していた“幸福と寛容の国”ノルウェーを襲った空前の大量殺人事件。2011年7月22日、ウトヤ島でいったい何が起きたのか。72分間にわたる衝撃を劇場で体感してみてほしい。
(取材・文=長野辰次)

『ウトヤ島、7月22日』
監督/エリック・ポッペ 脚本/シブ・ラジェンドラム・エリアセン、アンナ・バッヘ=ビーク 撮影/マルティン・オッテルベック
出演/アンドレア・バーンツェン、エリ・リアノン・ミュラー・オズボーン、ジェニ・スペネピク、アレクサンデル・ホルメン、インゲボルグ・エネス
配給/東京テアトル 3月8日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9ほか全国ロードショー
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http://utoya-0722.com
●エリック・ポッペ
1960年ノルウェー・オスロ生まれ。83年からロイターなどの新聞カメラマンとしてキャリアをスタートさせ、国内外の紛争ニュースに従事。『BUNCH OF FIVE』(98)で映画監督デビュー。ジュリエット・ビノシュが戦場カメラマンを演じた『おやすみなさいを言いたくて』(13)はモントリオール映画祭で審査員特別賞を受賞。『ヒトラーに屈しなかった国王』(17)はアカデミー賞外国語部門のノルウェー代表に選ばれた。『ウトヤ島、7月22日』は第68回ベルリン映画祭エキュメニカ審査員賞、スペシャルメンションを受賞。