老いゆく家族の介護は、肉体的にも精神的にも重い負担がのしかかる。特に認知症患者の介護は記憶の消失や落ち着かない行動、排泄の困難などが伴うことから、その過酷な現実がメディアでも頻繁に取り沙汰される。
子育てと違い、未来も希望も見えない介護生活は、暗い現実ばかりに目が行くものだ。しかし、もしかしたら、それはひとつの側面にすぎないのではないだろうか――そう感じさせてくれるのが、認知症の義母(夫の母)を7年余り自宅で介護した経験を持つ、画家でタレントの城戸真亜子さん。
自宅介護時代の思い出から、現在は特別養護老人ホームで過ごす義母との日常まで、10年間、毎日絵日記をしたため、今年11月には自身の介護生活を振り返る書籍『記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記』(朝日出版社)を刊行。その絵日記には、切なくも明るく、愛おしさに満ちた日々の様子が、丁寧な言葉と温かみのあるイラストで綴られている。華々しい舞台で活躍してきた城戸さんにとって、義母の介護はどのような経験だったのだろうか? インタビューで探った。
■冷たいと思われるかもしれないが、距離を持って見ている
――同居を開始されたときには、すでに認知症が進んだ状態だったそうですね。それまで別居されていたお義母様の介護について、ためらいはなかったですか?
城戸真亜子さん(以下、城戸) それはなかったですね。理由は2つあります。まず1つ目は、当時実父を亡くしたときに、介護らしい介護ができなかったので、後悔が強かったからです。そのため、義母の介護を通して、その思いを晴らしたいという気持ちがありました。
2つ目は、義母とのしがらみがなかったこと。元気なときの同居がなかったので、いわゆる“嫁vs姑”の戦いがなかったため、距離感を保って接することができました。
――城戸さんは当時、画家としてもタレントとしてもマルチに活躍していらっしゃったと思いますが、仕事との両立は、大変だったのではないでしょうか?
城戸 40代前半の頃だったので、テレビの仕事が多かったですね。でも、画家としてもっと頑張りたいと思っていたのですが、なかなか思うようにいかない時期でした。どっちつかずの状態で、自分でもどうしたらいいかわからず、悩んでいたんです。
義母との同居が始まったのは、ちょうどそんな頃でした。なので、義母の介護は自分にとって、正直、現実逃避的な部分もあったと思います。20年間仕事ばかりだった人生に、ちょっとブレーキがかかって、立ち止まることができたなって。結果的に仕事を減らすことにはなりましたが、自分にとって最優先にするべきことは何かを考える、きっかけになりました。
――とはいえ、お義母様とは、それまで一緒に暮らしたことがなかったわけですよね。すんなり愛情を持てるものでしょうか? 突然始まった介護生活は、しんどくなかったのでしょうか?
城戸 義母は、仕草や考え方が夫に似ているんです。それもあって、すぐに愛情を感じることができました。あと、私は絵を描く仕事が長いので、“モノを初期化してみる”ことに慣れているんです。たとえばコップだったら、どこのブランドのものだとしても、素材がガラスで、こういう質感と厚さで……というふうに、観察するときに枠組みを一回外す癖がついているんです。
なので、母に対しても、本来だったらこうあるべきじゃないかとか、なんでこんなに汚しちゃうんだろうとか、そういうふうには思わずに、「あ、今汚しちゃってるけど、どうして間に合わなかったのかな」とか、現象から見ていくようにしていました。
人間って年を取って認知症になると、こんなふうになるんだ――と、興味深く感じていたのかもしれません。もしかしたら冷たいと思われるかもしれませんが、距離を持って見ている部分はあるかもしれません。でもだからこそ、気持ちを楽に保てましたし、可愛らしいと感じる余裕もあったのだろうと思います。
■胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい
――お義母様との日々を綴った絵日記には、まさにそうした“老いてこその可愛らしさ”が描かれていますよね。絵日記は、何をきっかけに始められたのでしょうか?
城戸 日記をつけるのは、義母の記憶をつなぐためという理由もあったのですが、ただ文章を書いていても、なかなか目に留まらないんです。そこで、ちょっとイラストを描いてみたところ、興味を持って見てくれて、「これ、私の似顔絵?」などと気づいてくれるのがうれしくて、継続して描くようになりました。
絵日記を描いていると、義母の仕草が、ありありと思い浮かんでくるんですよね。描くという行為で、その日に起きた出来事を反芻すると、愛情がさらに深まるんです。その人をじっと観察して、いろいろな角度から向き合う、つくづく“絵を描くことは、人を愛することに似ている”と思います。
――とはいえ、10年以上、毎日絵日記を続けるというのは、すごいことですよね。
城戸 そんなに頑張ってはいないんです。自分が、ただ好きで描いているだけなので。お天気とか食べたものを記しておくだけでいいわけで、そんなに時間もかかりません。とにもかくにも、介護は無理をしないことが大事ですね。無理をすると、どうしても言葉がきつくなったりします。いま振り返ってみると、母のためでもあったけど、自分のために絵日記を続けていたんだなとも思います。
――5年前に骨折されたことをきっかけに、お義母様の体が不自由になられたこともあって、特別養護老人ホームへの入居を決断されたとか。これから先、悔いが残らないようにするために、どのようなサポートをしていきたいとお考えでしょうか?
城戸 今はもう完全に寝たきりの状態で、言葉も出なくて、食べ物も喉を通るのが難しくなってきています。それでも、「カニですよ」とか「リンゴですよ」と話しかけながら好きなものを見せると、リアクションをしてくれるし、本人の生きる意志が伝わるんです。
声が出なくても“目に笑みが宿る”、そういうのは感じるんですよね。なので、私も精いっぱい“生きてほしい”という想いを込めてマッサージをしてあげるとか、一方的ですが、会話をしたり、写真を見せてあげたりしています。私たちは夫婦ともに仕事もしているし、施設の方のサポートなくしては介護もできないのですが、私としては体力が持つようであれば、胃ろうをしてでも生き続けてもらいたい。ただ、それは、これから向き合っていかなければならない問題かなと思っています。
■介護は、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間
――認知症が進むと本人の意思を確かめるのも難しくなってきますし、最期をどのように迎えるかについて、家族は答えが見つからない中で考えなければいけないというのは、つらいと思います。
城戸 家族は、本当にいろいろ考えますよね。ただ、それがまた大事なのかなとも思います。家族が亡くなったときというのは、「ああしておけばよかったんじゃないか」「こうするべきだったんじゃないか」と、ふだんはバラバラの家族が膝突き合わせて考えますよね。命を終える人は、ある意味、家族を取り戻そうとしてくれているという見方もできるんじゃないかなって思います。残された人のことを考えてエンディングノートを書くのも手ですが、「本人がこう書いていたから、こうする」と、事務的に進めていくのも寂しい感じがします。
――確かに、老いていく人は家族の迷惑になりたくないと考えがちですが、残される人にとっては、やれることはすべてやってあげたいと思うものですよね。
城戸 オリンピック選手のように、力強く生きている人は皆応援しますが、ひとつの命が終わっていくことに関しては、目をそらしてしまいがちです。ただ、私は身内に介護が必要な人がいたら、自分が損をするという気持ちにならずに、得がたい経験をさせてもらっていると考えた方がいいと思うんです。実際に介護を通して得るものも大きいので、今は大変だけど、後になって振り返ったとき、それが良い時間になると伝えたいです。
――いま振り返られて、「仕事を少しセーブして10年以上介護をした自分」と、「そうしなかったときの自分」を想像して比べるとすると、どのような違いがあったと思われますか?
城戸 私は義母の介護があったからこそ、今ちゃんと立っていられるんだと思っています。もし介護がなくて仕事だけの人生だったら、自分のことしか考えられない人間になって、「自分はダメで、足りない人間なんだ」って追い詰める一方だったんじゃないかなって。
私は、人間って周りの人との関係の中で生かされていると思っているので、一人だけの力で満足のいく人生を送ろうと思っても、限界があるはず。いま頑張って活躍している人も、周りの力があって自分の力が発揮できていると思うんです。それに、気づけばいいことなんですけれど、私みたいになかなか気づけなかった人間にとってみると、義母との生活はそのことに気づかせてくれたと感じています。介護ってネガティブなイメージがつきまといますが、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間なんじゃないかなと思っています。
(末吉陽子)