ゴールデンボンバー、ノーマルな販売手法でチャート1位 その快挙が示す音楽シーンの現状とは?

20150629-gbth_.jpg

ゴールデンボンバー『ノーミュージック・ノーウエポン』(Zany Zap)

【リアルサウンドより】 参考:2015年6月15日~2015年6月21日のCDアルバム週間ランキング(2015年6月29日付)(ORICON STYLE)  先々週はバンドとして今年最高の初週売上げを記録したMr.Children『REFLECTION』が1位、先週はソロアーティストとして今年最高の初週売上げを記録した安室奈美恵『-genic』が1位。そんな2015年上半期を象徴するビッグタイトルのリリースが通り過ぎた後の、いわば“凪”状態といえる今週のチャートを制したのはゴールデンボンバー2枚目のオリジナルアルバム『ノーミュージック・ノーウエポン』。えー、ゴールデンボンバーには何度か取材をしたこともあるし、ライブも要所要所で見てきたし、決して門外漢ではないという自覚を持ってはいたのですが、それでも「えっ? これまでオリジナルアルバムって1枚しか出してなかったっけ?」とちょっと驚きました。まぁ、今さら彼らの活動形態や表現方法がいかに独自なものであるかについて述べたところで「そんなの知ってるよ」って話だと思いますが、それにしてもキャリア11年目、アルバム12枚目にして、ようやくこれが2枚目のオリジナルアルバムという事実が、ゴールデンボンバーという「バンド」のユニークさを如実に表していると言えるでしょう。  ゴールデンボンバーといえば、本作にも収録されている昨年のシングル『ローラの傷だらけ』を通常盤のみ/購入特典一切なし/ジャケットのアートワークは真っ白でリリースし、複数のバージョンや特典によって消費されているCDマーケットの現状への問題提起をしたことも記憶に新しい。さらに、本作のリードシングル的なタイミングで今年5月末にリリースした『死 ん だ 妻 に 似 て い る』では、各メンバーがボーカルをとった4種類の作品を制作、それぞれのメンバーの体臭を採取し再現した「体臭カード」を封入して、CDではなく雑貨(フレグランス)として流通させることでチャートにランキングされないようにするという手法を選択しました(「歌唱者が完全に違う作品はランキングで合算集計されないので、CDとしてリリースするとそれぞれのメンバーの売り上げ枚数によって順位が出てしまう。それを避けるため」という理由)。  そんな彼らのやり方については、日本の音楽業界きってのトリックスターならではの話題作りと受け止める人も多いだろうし、まぁ実際にそういう側面も多々あるわけですが、自分としては圧倒的に「攻めてるなぁ」と感心してしまうわけですね。だって、真っ白のジャケといえばビートルズの『The Beatles』(通称『ホワイト・アルバム』)のことをまずは思い起こさずにはいられないし、ニュー・ウェーブ世代としては時代に対する強烈なアンチテーゼという意味で他のアーティストのレコードを傷つけるためにジャケットの表面をすべて紙ヤスリにしたドゥルティ・コラムの『The Return of The Durutti Column』を思い出したりもするわけです。また、大ヒット確実でありながら、敢えてチャートに集計されないようなリリース方法を選択したという意味では、新聞のオマケとしてCDを配ったプリンスの『Planet Earth』のこととか。あ、そういえばプリンスも自分の体臭をイメージしたフレグランスを販売してましたね。  さて、今作『ノーミュージック・ノーウエポン』で注目すべきは、そんな攻めに攻めてきたゴールデンボンバーでさえも、ここにきてその攻撃の手を休めているということ。『ノーミュージック・ノーウエポン』はCD+DVDとCDの2種リリース、初回限定盤や購入特典はなしという、極めてノーマルなリリース形態となっています。それについて鬼龍院翔は「去年から色々と売り方についてやってみましたが、エアーバンドとしてはこの2形態くらいに落ち着くのが一番かな、と思いました」と自らのブログに書いています。それに続いて「でもまた、ファンのみんなを困らせず楽しいこととか変なことが思いついたらやります」とも書いているので、この先もまたトリッキーな手法でのCDリリースはあるかもしれませんが、今回の件で自分が思ったのは「もうミュージシャンにとってCDの売上げチャートというのは本当の闘いの場ではないんだな」ということ。ここ数年いろんなところで、いろんな発言がされているように、(特にシングルの)チャート上位の大部分を占めているのはお馴染みの面々による複数商法や特典商法に支えられた作品。そして、もはやその良し悪しを語る段階を超えて、リスナーを取り巻くリスニング環境は特に今年に入ってからのサブスクリプション・サービスの活性化によって加速度的に変化してきています。そんな中、インディーズという比較的自由な立場で闘ってきたゴールデンボンバーは、ここで一端、刀を鞘に収めてみせた。その上で、オリジナルアルバムでちゃんと初の1位をとってみせたのだから、これは快挙と言ってもいいのではないでしょうか。 ■宇野維正 音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

熱愛報道の本田翼と三浦翔平 2人のキューピッドは『ONE PIECE』と『NARUTO』だった!? 本田には意味深な変化も…

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

1506_hondatubasa.jpg
『ほんだらけ』(SDP)
 今月23日、俳優の三浦翔平と女優の本田翼の熱愛が報じられた。報道によると、2人は2013年に共演したドラマ『ショムニ2013』(フジテレビ系)をきっかけに親しくなり、“マンガ”といったインドアな趣味で意気投合したという。マンガが結んだ熱愛ということだが、この2人をつないだマンガとは一体なんだったのか? それぞれの過去のインタビューなどを手がかりに探ってみよう。  本田、三浦の両者は、これまでさまざまな場でそれぞれマンガ好きを公言している。本田に至っては、13年に発売した自身の写真集『ほんだらけ』(SDP)のコンセプトを“マンガ週刊誌”にするほど。2人の過去のインタビュー記事などから、それぞれマンガにかける思いや好きなマンガを簡単にまとめると、以下の通り。 「おたぽる」で続きを読む

不食によって神の力が手に入る!? 榎木孝明で話題の“不食”本を読んでみたら…

enokitakaaki_01_150629.jpg
水やコーヒー等だけで30日間の「不食」に挑戦したという榎木孝明氏(「榎木孝明 オフィシャルサイト」より)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  約1か月にわたって水分しか摂らない“不食”を実践したことで世間を驚かせた俳優の榎木孝明氏。記者会見では宗教のかかわりを否定し、「食べなくても生きられることを自分の体で科学的に調べてみたかった」と説明した。  だが、先週発売の「週刊文春」(文藝春秋)は、そんな榎木氏と“あるスピリチュアルセミナー”のつながりを指摘している。  同誌によれば、榎木氏は2013年5月にあるセミナーのオープニングイベントに参加。〈元ビジネスコンサルタントの男性が、自然医療を推す女性医師や多くの覚醒者たちと立ち上げたプロジェクト〉だというが、〈彼らが主催する覚醒セミナーへ参加すると、人生の悩みが消え、自分や周りの人の病気にも変化が現れる〉というキナ臭さ。  しかも、このセミナーには『おかげさまで生きる』(幻冬舎)がヒットした東京大学病院の矢作直樹医師も参加。 本サイトでも以前、紹介したように、矢作氏といえば救急部・集中治療部部長であるにもかかわらず著書ではオカルティックな言説を垂れ流し、さらには“霊感セミナー”疑惑も取り沙汰された人物である。  榎木氏はセミナーへの参加について、同誌のインタビューに「参加したのは事実」と認めながらも、「知人に連れられて、よくわからず行ってしまった」とセミナーとの関係を否定。しかし矢作医師については「仲がいいんです」といい、「(矢作氏が)批判されていることも知っていますが、彼は勇気を持ってやっている」と褒め称えてさえいる。  榎木氏がいくら否定しても、彼自身と“不食”というキーワードから漂ってくる非科学的な匂い……。果たして“不食”とはどのようなものなのか。それを知るために、“不食”ブームをつくったといわれる『不食 人は食べなくても生きられる』(三五館/2004年)を読んでみることにした。  同書の著者は“実践思想家”なる肩書きをもつ山田鷹夫氏。著者プロフィール欄には、このように記されている。 〈大手電力会社での十六年間のサラリーマン生活をバッサリ捨てて、思索の生活に入り何年になるのだろうか〉  いや、自己紹介で「何年になるのだろうか」と訊かれても! 初っ端から不意打ちを食らってしまったが、つづけて1ページ目を開くと、今度は全裸で局部を葉っぱで隠すという懐かしの“はっぱ隊”ルックの山田氏の衝撃的な写真が(しかもスキンヘッド)。だが、たしかに50代前半(当時)とは思えぬスタイルを保持していることだけはよくわかった。  しかし、読者として気になるのは、スタイル云々よりも、どうやって空腹を紛らしているのか?ということや、なぜ物を食べずに平気でいられるのか?ということ。きっとそうした実践の記録が書かれているのだろう……。そう思ってページをめくると、こんな言葉たちが待ち構えていた。 〈これまでは許されていなかった。食べずに生きるということが許されていなかった。だが新しい世紀を迎えた今だから、新しい太陽として、新しい光として不食は公開を許された〉 〈新しい希望を宣言する。コロンブスが「地球は丸い」と宣言したように〉 〈あなたたちを代表してこの国の希望を語ろう。それは地球の希望であり、人類の希望であり、さらには宇宙の希望である。神の希望でもある〉 〈扉を開くのは友よ、あなただ〉 〈「人は食べられなくても生きられる」このたった一つの宣言で新しい日本を開く。閉塞した社会だからこそ、生まれる僥倖だ〉  太陽、光、希望、神、宣言……なんだか宗教の本を読んでいるようだが、これは不食の本であったはず。だが、〈不食が可能である根拠〉として挙げられているのも、なぜか“クローン羊のドリー”の話だったりして、頭は大混乱。  なんでも、クローン羊は乳腺細胞から誕生したといい、〈個別化された乳腺細胞が逆進化して全能性を持つ細胞に復帰した。(中略)その手法が何であったかというと、(中略)栄養を絶ったのである。つまり断食状態にしたのである〉という。そして、山田氏の思考は羊から人間へ向かうのである。 〈単細胞が断食で、ものすごい能力を手に入れた。それならば複合体である、細胞からなる人間の身体そのものに断食を与えたらどうなるか。(中略)超能力に到達できるのでは〉 〈不食によって初期化されたらどのような能力を獲得するか? 神の力を手に入れる!〉  なんだか「手に入れろ、ドラゴンボール!」「ポケモン、ゲットだぜ!」に相通じるノリの良さが愉快だが、まさか不食によって超能力だの神の力が手に入るかもしれないとは、もうこれは科学でも何でもない上に、〈不食が可能である根拠〉にもなっていない。というか、ただの願望である。  実際、“ものを食べなければ餓死するのでは?”という問いに対して、山田氏はこう述べている。 〈人は餓死で死ぬのではなく、餓死の恐怖で死ぬのだと。(中略)詭弁だと思われるだろうか? 僕はまじめだ〉 「まじめだ」と言われたら、はいそうですか、としか返しようがない。だが、不思議なのは、多くの人にとっては食べることは楽しいことである。それをなぜ食べるものはあるのに、食べないとあえて拒否するのか。しかし山田氏に言わせると、不食には“不食のエクスタシー”というものがあるらしい。 〈ほしい物がないという歓びだ。食べたいものがないという歓び。この延長として、人間の歓びではない状況、仕事がない、お金がない、セックスがないという歓びをどう伝えられるだろうか〉  煩悩を絶つ。これは多くの宗教で悟りを開くために謳われることと同じだが、もしかすると“不食”の根源にあるのは、この“世俗的な欲に打ち勝つ歓び”なのかもしれない。事実、榎木氏も不食11日目に〈欲は自分でコントロール出来る事を実感します〉とFacebookに綴っている。そして、山田氏も〈自慢できる魚沼のコシヒカリを作っていながら、僕は食べていない!〉とハイテンションだ。  ただ、やっぱり気になるのは、この“不食”の思想には、疑いようもなくスピリチュアル要素が入っているという点だ。榎木氏は〈どの宗教にもオカルトにも一切荷担はしていません〉と述べてはいるが、会見では「おそらく空気中から人間はエネルギーを取れますね」という驚きの発言を行っている。じつは、山田氏の本でも〈人間は食以外でもエネルギーを摂取して生存を継続できる〉と書いてあるのだが、当然のことながらこれに科学的根拠などまったくない。  また、榎木氏は過去にも、「催眠療法を応用して前世を人に見せることも…(できる)」「もう何百回 転生してますから…」(「FLASH」10年10月5日号)と述べたり、「ダライ・ラマは、とっても霊格の高い方」(「ELLE japon」1991年7月20日号)とインタビューに答えたりなど、結構なオカルト度であると見受けられる。ほんとうに榎木氏はその自覚がないのか、はたまた隠しているのだろうか……。  というわけで、安易な気持ちで“不食”に手を伸ばすのは、いろいろな面で危なそうなので、お気をつけいただきたいと思う。 (大方 草)

セレーナ・ゴメス、アレックス・デロンと熱愛発覚!?

セレーナ・ゴメスがザ・キャブのボーカル、アレックス・デロンと交際しているようだ。昨年12月、共通の友人であるケンダル・ジェンナーと共にドバイで休暇を過ごした際に急接近したというセレーナとアレックスは22日(月)、ニューヨークにあるホテルシャンテルで腕を組んで歩いているところを目撃された。 その一方でジャスティン・ビーバーやゼッド、ニック・ジョナスらと立て続けに恋愛がうまくいっていないセレーナは最近、自分にとってパーフェクトな男性を見つけるべく、オリヴィア・ワイルドやポール・ラッドらにデートにまつわるアドバイスを受けたと明かしていた。「カンザスでポール・ラッドやオリヴィア・ワイルド、ジェイソン・サダイキス、ジョニー・ノックスヴィルたちと週末を過ごしたところなの」「そこで私は『デートについて話しましょうよ!』って話題を振ったわ。彼らのようなクールな人達に会えた時、私は彼らの持っているアイデアを聞きたくなるの」 そう語るセレーナだが「みんなと気持ちを共有したいからってすべてを話すことは出来ないのよ。だってそれはズタズタにされるから、私を悲しい気持ちにさせるんだもの」「もし誰かがここに座って私の人生について語ろうとするなら、私は言いたいことを言う権利をもっているし、言うまでもなく私が望むようにするわ。でも残念ながら、警戒をする必要があるのよね」「誰も信じていないわ...。きっと私はこうやって生きていかなくちゃいけないのよ、そして誰と関わるか、誰が私にとって良くないかを見極めなくちゃいけないんだわ」と、誰の事も信じることができないとも明かしており、その感情によってアレックスとの恋愛は上手くいかないかもしれない。

ライブハウスにいちばん近いフェスーー『SATANIC CARNIVAL’15』が生み出したカルチャーと熱狂

news_header_KenYokoyama5th_.jpg

Ken Yokoyama/Photo by Teppei Kishida

 PIZZA OF DEATH RECORDSが主催する音楽フェスティバル『SATANIC CARNIVAL'15』は、世代を超えた盛り上がりを見せ“新しい音楽カルチャー”の誕生を予感させるものだった。快晴に恵まれた6月20日、昨年に引き続き幕張メッセ 国際展示場 9-11にて、およそ10時間以上にわたって行われ、約1万7000人を動員。出演陣には、PIZZA OF DEATH RECORDS主催とあってメロコア勢が目立つが、同レーベルを率いる横山健とかねてより交流のあるロックバンドや、広く“ラウド系”と称される注目バンドが集結し、バラエティに富みながらも統一感のあるラインナップとなった。今回出演したのは、以下の23組(出演順)。 【SATAN STAGE】 OVER ARM THROW、ROTTENGRAFFTY、KEMURI、coldrain、MONGOL800、Fear, and Loathing in Las Vegas、Ken Yokoyama、10-FEET、FACT 【EVIL STAGE】 SHIMA(オープニングアクト)、Crystal Lake、BACK LIFT、BUZZ THE BEARS、WANIMA、HAWAIIAN6、RADIOTS、G-FREAK FACTORY、locofrank、怒髪天、The BONEZ、04 Limited Sazabys、GOOD4NOTHING、SHANK  入場口からホールに降り立つと、向かって左側にメインとなる「SATAN STAGE」、右側に「EVIL STAGE」が配され、中央の空間にはバーカウンターや各スポンサーのアパレルブースのほか、東北復興支援ブースや写真展示、DJコーナー、さらにはスケートランプやボルダリングまで用意されている。奥には数多くのベンチが配置されており、ここでゆっくり休むことも可能だ。ラウドシーンと相性の良いカルチャーがぎゅっと濃縮されたその空間は、単に音楽だけを届けるのではなく、広い意味でのシーンをDIY精神で築いてきたPIZZA OF DEATH RECORDSならではのものだろう。
news_xlarge_WANIMA5th_.jpg

WANIMA/Photo by yuji honda

 午後11時、EVIL STAGEのSHIMAからライブがスタート。ハイテンションなパフォーマンスで同イベントの幕開けを告げ、リスナーたちも次第に温まっていく。続くCrystal LakeやBACK LIFTも熱演を披露し、EVIL STAGEもまた見逃せないステージであることを実感させる。そしてこの日、いちばん始めにフロアを爆発させたのはWANIMAだ。PIZZA OF DEATH RECORDS所属で、次世代メロコアバンドの筆頭とも目される彼らのステージを一目観ようと、EVIL STAGEのフロアは後方まで満員に。代表曲のひとつ「1106」を披露すると会場は大合唱に包まれ、ボーカルの松本健太は「いろんなフェスがあるけれど、SATANIC CARNIVALがいちばん好きです!」と、ステージに立ったことへの喜びを語った。
news_header_KEMURI3th_.jpg

KEMURI /Photo by 瀧本”JON…”行秀

 一方、SATAN STAGEではすでにKEMURIが登場し、フロアを湧かせている。「Ato-ichinen」や「PMA(Positive Mental Attitude)」といった、90年代からのファンには懐かしい名曲も披露し、会場をポジティブなパワーで満たしていく。フロアには親子連れからティーンエイジャーまで幅広い年齢層のリスナーがいて、いまこのシーンが成熟期を迎えていることを感じさせる。
news_header_MONGOL800_04th_.jpg

Photo by Tetsuya Yamakawa[showcase]

 続くcoldrainは、WANIMAやKEMURIといったメロコア勢とは異なる、新感覚のラウド系バンドだ。ダンサブルで攻撃的なサウンドでフロアを熱狂させるスタイルは、特に若い世代のリスナーを惹き付けた。その後は、MONGOL800が登場。新鋭とベテランをうまく織り交ぜたステージ構成は見事というほかない。MONGOL800が代表曲「小さな恋のうた」を披露すると、先ほどまでcoldrainで激しく踊っていたリスナーも、後ろでゆっくりと鑑賞していた親子連れのリスナーも、揃って合唱している。ボーカルのキヨサクはオーディエンスの盛り上がりを観て「いちばんライブハウスに近いフェス」と称していたが、この年齢層の幅広さで、この一体感を生み出すフェスはたしかにほかには思い当たらない。そんな『SATANIC CARNIVAL』への敬意を込めて、MONGOL800は最後に、Hi-STANDARDの名曲「NEW LIFE」のカバーを演奏し、ステージを去った。
news_header_GFREAKFACTORY_02th_.jpg

G-FREAK FACTORY/Photo by 瀧本”JON…”行秀

 MONGOL800がSATAN STAGEを盛り上げる裏では、G-FREAK FACTORYもまた熱いパフォーマンスを繰り広げていた。「MONGOL800の裏だというのに、こんなに集まってくれてありがとう」といって、魂のこもったポエトリーリーディングを披露する茂木洋晃。その説得力のある言葉の数々に、オーディエンスが引き込まれているのがわかる素晴らしいステージだった。同じように貫禄のステージを披露したのは、怒髪天だ。「バンド名が漢字なのは俺たちだけだ」と笑わせつつ、「日本全国酒飲み音頭」などのユーモア溢れる選曲でオーディエンスを楽しませていた。
news_header_dohatsuten1th_.jpg

怒髪天/Photo by 瀧本”JON…”行秀

 同イベントの開催前、リアルサウンドで行った鼎談【怒髪天・増子 × 10-FEET・TAKUMA × G-FREAK FACTORY・茂木、これからのフェス文化を語る】にて、怒髪天の増子は「俺はフェスとかイベントって、やっぱりお祭りだと思うんだよね。ちゃんと意図が分かるお祭り。そういうもんであってほしいんだよね」と語っていた。『SATANIC CARNIVAL'15』はたしかに、出演陣はもちろん、ステージ構成や出展ブースまで、主催者側のコンセプトがしっかりと反映されており、ここでしかできない“お祭り”になっていた。オーディエンスの盛り上がり方がライブハウス並みになっていたのは、このフェスがただの見本市ではなかったことの何よりの証明だろう。
news_header_0620TY_05812th_.jpg

10-FEET/Photo by Tetsuya Yamakawa[showcase]

 バンド・Ken Yokoyamaとして出演した横山健は、「俺はこのフェスはほとんどタッチしていなくて、今回は一出演者として出ている」と自身のスタンスを表明し、同イベントがPIZZA OF DEATH RECORDSのスタッフが主導していることを告げたが、その根底にはかつてのAIR JAMのような音楽カルチャーとしてのフェスを生み出したいという意思があったはずだ。その意思を汲んでか、10-FEETのTAKUMAは「怪我はするなよ、でもその寸前まで行け!」とオーディエンスを煽る。ダイブもモッシュも禁止しないのが、『SATANIC CARNIVAL』のあり方だ。
news_header_fact005th_.jpg

FACT/Photo by yuji honda

 そして最後には、15年いっぱいでの解散を発表しているFACTが登場。この日の大団円ともいえるライブに、フロアは満員状態だ。海外でも支持される圧倒的な迫力のサウンドと、ライブパフォーマンスと一体となった映像演出、派手なライティングで、この日最後のライブを大いに盛り上げた。イギリス人のメンバーであるAdamは「世界中を観ているけれど、日本のシーンがいちばんすごいよ!」と語るように、この光景、この熱狂はきっと『SATANIC CARNIVAL』でしか味わえないものに違いない。  今年で2回目の開催でありながら、その独自性を発揮し、人気フェスとして定着していくことを伺わせた『SATANIC CARNIVAL'15』。今後、同イベントがシーンを牽引していくことは間違いないだろう。 (文=松田広宣)

広瀬すずが映画『ちはやふる』主演に決定! バッシングが続くも、芸能人からは擁護の声も

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

1506_hirosesuzu.jpg
映画『ちはやふる』公式サイトより。
 競技かるた(百人一首)を題材とした、末次由紀氏のマンガ『ちはやふる』(講談社)の実写映画化が決定した。  2016年3月、4月に二部作で公開となる実写化のヒロイン・千早を務めるのは、女優・広瀬すず。テレビ番組での「どうして照明になろうと思ったんだろう? 声を録るだけでいいの?」という発言が“職業蔑視”として注目を浴びている渦中での発表。となったことで、「原作大好きだったのに汚れた」「こいつに千早は無理」など、原作ファンを含め世間からは厳しい声が上がっている。広瀬の「少しでも彼女のまっすぐさに近づきたい」という映画への意気込みコメントに対しても、「“まっすぐさ”じゃなくて“まっくろさ”だろ」と突っ込まれている。 「おたぽる」で続きを読む

少年A『絶歌』の仕掛人・幻冬舎の見城徹社長が驚きのビジネス哲学を公開! 安倍首相と癒着の真意も

kenjotoru_150628.jpg
『たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉』(見城徹/双葉社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  幻冬舎の見城徹社長といえば、元少年Aの『絶歌』(太田出版)の影の仕掛人として話題になっている人物。元少年Aは見城氏の著作を読んで、幻冬舎で本を出版したいと売り込んできた。そして、当初は同社で出版する予定で進めていたのだが、途中で取りやめ、見城氏自らが太田出版に紹介したのだという。 『絶歌』出版の倫理的な是非については、本稿の趣旨とずれるので置いておくとして、しかし、この見城氏の行動、彼が普段、掲げている信条とは矛盾しているのではないだろうか? 「顰蹙は金を出してでも買え」  これは彼が2007年に出版した本『編集者という病い』の帯につけられたキャッチコピーである。あれから8年経ったいま、顰蹙を買う“金”がなくなったのか、買う“意欲”がなくなったのかは分からないが、見城氏は顰蹙を自分で買わずに他人に押し付けたのだった。  ちなみに、『編集者という病い』を出版したのは、『絶歌』の版元・太田出版。このときは、同社も「顰蹙は金を出してでも買え」といった著者からその顰蹙を押し付けられるとは、ゆめにも思わなかっただろう。  そんな見城氏だが、今年3月、『たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉』(双葉社)という、“仕事論”について熱く語った本を上梓している。  角川書店で17年間売上げトップを走り、退社後に起業した幻冬舎でも成功をおさめた見城氏による、ありがたいビジネス講義である。いまの彼の状況を踏まえつつ読んでみることにしよう。  まず、彼は「理念なんかいらない」と題された章でこう語る。 「成功と失敗の分かれ目を測る基準は数字だ。何万部本が売れたのか。利益がいくら上がったのか。数字に厳密にこだわるからといって、「あいつは金と利益至上主義に支配されている」と非難すべきではない」  さらに、こうも言う。 「企業家を目指す若い人の中には、「世の中を良くしたい」「社会貢献をしたい」と高慢な理想を口にする人がいる。こうしたお題目を耳にすると、どうも僕には欺瞞的に思えてならない。美しい理念や目標を掲げるのは結構だが、そのゴールへたどり着くための資金は誰が準備してくれるのだろう」  いろいろな意見が飛び交いつつも、『絶歌』が売れているのは事実。初版10万部に続いて、5万部が増刷されたとの報道も出たばかり。そんな本をみすみす逃すなんて、見城氏、言っていることとやっていることが違うのでは……。  しかも、「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューを読むと、「実名じゃないと出せない」とか「反省が足りない」などと完全に後付けだろう、というような優等生的な理由を並べ立てている。いったいどうしてしまったんだろう。見城氏の著書を読んで、「幻冬舎に出してもらいたい」と持ち込んできた少年Aもさぞ失望しているのではないかと心配になるほどだ。  かつての見城氏はよくも悪くもそんな小市民的な人物ではなかったはずだ。前述の『編集者という病い』では、90年代初頭、所属のレコード会社も事務所もない、完全に孤立してしまった尾崎豊を救うシーンがある。  見城氏は、自分が編集長を務めていた「月刊カドカワ」(角川書店)で尾崎を特集するのみならず、不動産屋をめぐり、金と人を集め、彼の個人事務所の設立にまで全面的に協力していく。  完全にサラリーマンとしての範疇を超え、「バレたらクビだった」と振り返るほど情熱的に彼をサポートする。結果として、尾崎は、アルバム『誕生』でオリコン1位を取り復活を遂げるのだが、それには見城氏の存在は欠かせなかったと言われている。  そんな情熱的な男だった彼が、なぜ、顰蹙を買う事態から逃げる男になってしまったのか? その答えも、彼の書いた『たった一人の熱狂』のなかにあった。  それは「GNOは絶対死守」という章。GNOとは、義理・人情・恩返しという意味らしいのだが、その章の中で、見城氏はあの人物について語っているのだ。 「僕はこれまで何人もの政治家と会って語り合い、食事をして来た。政治家の中でも、安倍晋三さんは傑出している。(略)  総理大臣になる前も総理に就任してからも、安倍さんは義理と人情と恩返しを大切にしている。人の信用と信頼を損ねることがないし、約束は必ず守る。驕らない。無私無欲に生きる。人間として超一級の総理大臣だ。お会いするたびに、リーダーとは斯くあるべきだと感嘆する」  気持ちが悪いくらいのほめっぷりだが、本サイトで何度も報じているとおり、最近の見城氏は安倍首相の影の指南役といわれているほど親しい関係を築いている。頻繁に会食を重ね、自分の人脈を次々に安倍首相に引き合わせる。一方でテレビ朝日の放送番組審議会委員長として権勢を振るい、安倍首相の意向を代弁する形で番組に介入する動きも見せている。  あげくは、秋元康氏らといっしょに歴史ある総理公邸西階段で「組閣写真ごっこ」を愉しんだことまで暴露された。  そういう意味では過剰な賛辞も当然とも言えるのだが、しかし、気になったのは、その褒めポイントだ。政治手腕や決断力、広い視野などの政治家としての資質でなく、「義理と人情と恩返しを大切にしている」「人の信用と信頼を損ねることがないし、約束は必ず守る」……。これって、どちらかというと、田中角栄や竹下登など、金権政治家、利権分配型の政治家の人物評でよく語られてきた表現ではないか。  安倍首相は首相就任してしばらくしてから会食の席で「ここまでこれたのは見城さんのおかげだ!」と発言したというが、見城氏はもしかして、何か「恩返し」を受け、「約束」を果たしてもらったのだろうか、などといらぬ邪推までしたくなるのである。  実際、見城氏の安倍首相に対するアプローチにはたんなる“お友達”以上の思惑も見え隠れする。本サイトでは、テレビ朝日の早川洋会長、吉田慎一社長などを引き合わせたと報じたが、見城氏が安倍首相と会うとき、一番、多く同席させているのは、実はIT、ベンチャー企業の経営者だ。  12年11月には、安倍首相に三木谷浩史・楽天社長(経済団体『新経済連盟(新経連)』代表理事)を官邸で引き合わせたこともあるし、若手IT経営者による安倍首相を囲む会合も主催している。この会には、楽天の三木谷社長はじめ、GMOインターネットの熊谷正寿社長、サイバーエージェントの藤田晋社長、avexの松浦勝人社長、ネクシィーズの近藤太香巳社長が参加し、事務局長は損得舎の佐藤尊徳社長がつとめている。  先述した「組閣ごっこ写真」を撮った会食の際も、やはりネクシィーズの近藤社長、GMOインターネットの熊谷社長、損得舎の佐藤社長が同席していた。  実は、最近の幻冬舎は、出版事業のみならずコンサルティング業務など別の事業にも進出している。そこには見城氏の「僕は出版物の未来には、明るい展望をまったく抱いていない」「一番駄目なことは現状維持に安住することなのだ。だから、出版部門だけでは食えなくなると予想し、暗闇の中でジャンプするのである」という考えがある。  もしかしたら、見城氏は、時の首相とIT、ベンチャー企業の経営者をつなぎ、なにか新しい国家的なプロジェクトへの参加を画策しているのではないか? そして、元少年Aの手記を他の出版社に押し付けたのも、そのことと関係しているのではないか? そんな想像さえ頭をもたげてくるのだ。  世間からの逆風が予想できる本を出版したら、せっかく関係を築いた安倍首相から協力を断られ、遠ざけられる可能性がある。それで自社での出版をあきらめたのではないか、と。  そういえば、著書『たった一人の熱狂』にはこんなタイトルの章もある。 「癒着に染まれ」  この中で、見城氏は「癒着こそが大きな結果を生むのだ」と語っている。「圧倒的努力」により秋元康やHIROとの「癒着」を獲得したからこそ、どの出版社も喉から手が出るほど欲しいAKB48や乃木坂46、EXILEなどの写真集や書籍の企画を自分はモノにできたのだと。 「顰蹙は金を払ってでも買え」という哲学を捨て去った見城氏は、時の最高権力者との癒着の果てにどんな結果を夢見ているのだろうか。 (新田 樹)

ニッケルバック、フロントマン緊急手術のためにツアーを中止

ニッケルバックはフロントマンのチャド・クルーガーが喉頭の緊急手術を要することを理由に北米ツアー「ノー・フィックスド・アドレス」の残りの全日程をキャンセルした。チャドの声の問題を理由に先週末の公演をキャンセルしていた同バンドだが、23日(火)に 声帯のう胞と診断され、残りの公演を中止しなければならなくなったことを発表した。 チャドはファンに向けて「申し訳ないけどこの夏のパーティーをちょっと邪魔しないといけなくなったよ。みんなのためにプレイできるようになるまで、これから何週間も静かでいるだろうことに対して楽しみにしてないことは確かだよ。できるだけ早く俺の声がよい状態になるために俺の医者とそのチームに任せていているんだ」と声明をだした。 ウェブサイトのラウドワイヤーによると、チャドは3週間後に手術を受け、治療を受けるまで声帯を休めるように医者団から言われたようだ。 北米ツアーは残念な結果となったが、10月14日にリトアニアから皮切るヨーロッパツアーまでにはチャドは完全復帰を果すとみられている。

リズムという概念のない男ーー『やついフェス』の蛭子能収に衝撃を受けた

20150627-ebisu.jpg

蛭子能収『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)

【リアルサウンドより】  先日、生まれて初めての音楽体験をしたので、忘れないうちに書き記しておく。  いや、体験というより知識を得た、事実を知った、といった方が近いか。  どういう事実か。リズムという概念のない人間は存在する、という事実だ。  2015年6月21日日曜日、毎年この時期にDJやついいちろうが渋谷のライヴハウスとクラブ10会場にて、1日170以上の出演者を集めて行っている『YATSUI FESTIVAL』。今年から2デイズになって、その2日目。  もっとも大きな会場であるTSUTAYA O-EASTで、タイムテーブル上では18:30から(実際は30分押していたので19:00から)『エレキシヶ原の歌合戦』という催しが行われた。これは、やついいちろうチームとレキシ(池田貴史)チームに分かれ、『紅白歌合戦』ばりに1曲ずつ歌って勝負する、という、フェスの彩りとしてバラエティ番組的こともやりましょうみたいな企画。  バックバンドを務めるのはこの日CLUB ASIAのトップに出演したカルメラ。いつものようにグダグダと脱線して進行を妨げるレキシ池ちゃんにやついくんがつっこんだりしつつ、1曲目はレキシチーム=レキシ&いとうせいこう&MCいつか(Charsima.com)の3人で、“今夜はブギー・バック”。途中で曲がレキシの“狩りから稲作へ”に変わったりして、大いに盛り上がる。続いてはやついチーム=やつい、コムアイ(水曜日のカンパネラ)、GONCHI(Charsima.com)の3人で“DA・YO・NE”を披露、途中で水曜のカンパネラの曲になったりしてさらに盛り上がる。  そして、やついチームの二番手として、ヘアスタイルからメイクから衣装まで全身TOSHIのコスプレ姿の片桐仁が登場。 “紅”を歌うも、キーが苦しいようでサビは客にマイクを預けっぱなし、それをやついくんにつっこまれたりしてフロアは大笑い。  ここまではよかった。異変が起きたのは、そのあとだ。  やついチーム、片桐仁のTOSHIに対抗するアクトとして登場したのは、蛭子能収。今このステージにいる人のうち、おそらくいとうせいこうしか知らないであろう蛭子さん、そのいとうせいこうに「俺は昔から蛭子さんのことを野良犬と呼んでいる。おい野良犬!」といじられたり、逆に池ちゃんに「具志堅さんですか?」とたずねて笑いをとったりしたのちに、「何を歌ってくれるんですか?」「美輪明宏さんの“ヨイトマケの唄”を」というわけで、拍手を浴びて歌い始めた。 その歌いっぷりに、我々オーディエンスは度肝を抜かれることになる。  蛭子さんの歌、リズムという概念がないのだ。リズム音痴とかリズムがずれるとかではなく、リズムという概念そのものを持っていないのである。だから、演奏に合わせて歌おうという意志がゼロ。歌には演奏がある、という前提を無視していると言ってもいい。  冒頭の「♪とうちゃんのためならエンヤーコーラー」のアカペラ部分が終わって、まず演奏と共に歌が始まるはずが、自分のタイミングで適当に歌い始める。1番が終わって2番に入る時も、バックの演奏が2番の頭にさしかかるのを待たずに歌に入る。だからコードが合わないのは当然、リズムも頭と裏がコロコロ入れ替わる。  驚愕しつつ手拍子を放棄する超満員のオーディエンス。「そうか、この人、そうなんだ」とうことを悟り、歌がずれるとそれに合わせて瞬時にリズムとコードを変えるカルメラ一同(すごいアドリブ力でした。心底感心しました)、でもまたすぐずれる蛭子さん、それに合わせてまた変えるカルメラ……と、歌と演奏の追いかけっこと化すステージ。そんなことには一切かまわず……というか「かまう」「かまわない」という意識すらなく、片手に歌詞カードをがっちり持ってそれを顔を近づけ、読み上げるように歌い続ける蛭子さん。両ソデで這いつくばって笑っているやついくん、レキシ池ちゃん、いとうせいこうなどの共演者一同。  しかも。音程も外れまくっているならまだわかるが、そうではないのだ。音程はちゃんと合っているし、声は美声とすら言ってもいいくらい。ちゃんと歌えている。なのに、リズムだけが合っていない。くり返すが、ずれているのではなく、ずれるとか合わせるとかいう意識そのものがない。  たとえばラップと日常会話の違いは色々あるが、もっとも異なるのは、ラップがリズムに乗って発されるが会話はそうではない、ということだ。あたりまえだ。今こいつがしゃべってるテンポ95BPMぐらいで、しゃべり終わりが2拍目だったから4拍目のとこで半拍食って(シンコペーションして)「でもさあ」って言おう、とかいうふうにはしゃべらないでしょ? 日常会話で。自分のペースで、自分の速さでしゃべるでしょ? どうやらそれと同じらしいのだ、蛭子さんにとっての歌というものは。  歌が終わり、蛭子さん、ひとしきりみんなにつっこまれまくったあと、次は「歌で戦うなんてやめろ!」と仲裁に入るという体で、忌野清志郎完全コスプレのワタナベイビー(ホフディラン)が登場、“雨あがりの夜空に”を歌う、という展開になったのだが、ここでまた彼の特異性が露わになる。  蛭子さん、ステージ後方で、他の出演者に合わせて手拍子をしたりサビで腕を左右に振ったりしているのだが、その手拍子の打ち方も、腕の左右の振り方も、本当に「なんとなく」やっているのだ。何にも合わせていない。何の規則性もない。まるでかゆいところをかく時のように、頭に手をやる癖のある人のように、手拍子を打ったり腕を左右に振ったりしているのである。  たとえばスピッツの草野マサムネは、ステージでギターを弾きながら歌う時に腰を左右に揺らすくせがあるが、その揺れ、いつも曲のテンポとは違う。違うが、一定の規則性を持って左右に揺れていることが見てとれるので、きっと本人の中に何かあるんだろうな、と観る側は納得できる。しかし、蛭子さんは、それですらないのである。  彼が歌い始めてからステージから去るまでの間、共演者たちも超満員のオーディエンスも終始爆笑していたが(中にはコムアイのように「感動しちゃいました」と泣いていた人もいたが。蛭子さんが女性誌で連載している人生相談の愛読者だったりして元々ファンだったから、みたいなことをおっしゃっていました)、僕はただただ心底驚いていた。  蛭子能収モンスター説というのは、古くは浅草キッドが著書などで、最近では伊集院光がTBSラジオ『深夜の馬鹿力』などでネタにしてきたことなので、サブカル系オヤジ&青年&少年の間で広く知られた事実だ。僕にしても、80年代にガロや宝島で蛭子さんの漫画を読んでいた頃はそんなこと知るよしもなかったが、ここ数年、キッド&伊集院の薫陶を受けてきたおかげで(伊集院からはいまだに受けている。6月22日の『深夜の馬鹿力』でも、その2日前に放送された蛭子さん出演の『路線バスの旅』の話をしていたし)、そのモンスターっぷりは把握しているつもりだった。昨年8月に角川の新書から出た蛭子さんの著書『ひとりぼっちを笑うな』も、すぐ買って読んだし。  しかし。歌までモンスターだとは知らなかった。しかもこんな、我々の常識や既成概念を根本から覆すレベルの。  僕は10歳で初めて自分の意志でレコードを買って、13歳から洋楽を聴くようになって、15歳からアマチュアバンドを始めて、22歳で株式会社ロッキング・オンに入って、音楽雑誌を作って売ることが仕事になって……つまり、それなりに音楽に密接な人生を送ってきたつもりだった。しかし。リズムという概念を持たない人がすることは知らなかった。自分の人生、何か、根本的な大きな見落としをしたままで、ここまできてしまったのではないか。という衝撃に、今、新たに打ち震えています。  ただ、一晩寝て起きて、ひとつ思い出した。  どの作品だったか忘れてしまったが、西原理恵子の漫画を読んでいたら「自分のお祖母さんは音楽というものがあること自体を知らなかった」と書かれていて、びっくりしたことがある。が、もしかしたら昔の日本って、けっこうそういうものだったのかもしれない。  まあそれは極端な例としても、ラジオが普及する前、庶民が日常的に音楽に接するのって、それこそお祭りや盆踊りの時ぐらいだっただろうし。それらの歌に「リズムの裏表」とか「リズムキープ」という西洋音楽的な概念があったとは思えないし。たとえば盆踊りも、リズムに乗って身体を動かしていくというよりも、「同じ動きを順番にやる」に近い気もするし。  僕が知らなかっただけで、蛭子さんのようなリズムという概念のない人たちは、一定以上の年齢層で、日常的に音楽に接さずに生きてきた人の中には多いのかもしれない。  そういえば、僕の父親は現在78歳、母親は72歳なのだが、歌を歌っているのを聴いたことも、音楽に合わせて手拍子をしているのを見たことも、一度もない。もしかしたら……。 ■兵庫慎司 1968年生まれ。1991年株式会社ロッキング・オンに入社、音楽雑誌の編集やライティング、書籍の編集などを仕事とする。2015年4月にロッキング・オンを退社、フリーライターになる。現在の寄稿メディアはリアルサウンド、ロッキング・オン・ジャパン、RO69、週刊SPA!、CREA、kaminogeなど。 ブログ http://shinjihyogo.hateblo.jp/ Twitter https://twitter.com/shinjihyogo

「のび太のくせに生意気だ」アニメ『ドラえもん』で言い出したのは―声優・たてかべ和也の通夜で明かされたエピソード

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

1506_gian.jpg
ドラえもん [ジャイアン編](小学館)
「のび太のくせに生意気だ」――『ドラえもん』において、ジャイアン、スネ夫、のび太の関係がハッキリと一言でわかる名言として知られているが、テレビアニメでの言い出しっぺは一体誰なのか? これまで諸説あったが、6月23日に執り行われた初代・ジャイアンの声で知られるたてかべ和也さんの通夜にて、その長年の謎が明かされることとなった。  この「◯◯のくせに」のフレーズは侮蔑的な響きも感じさせるが、相手とのハッキリした距離感が感じられる明快さも相まって、現代でも脈々と受け継がれ、ヒットゲーム『勇者のくせになまいきだ。』や、現『HKT48』メンバー・指原莉乃冠番組となった2011年のバラエティ番組『さしこのくせに』(TBS系)など、どこかしらで聞くものとなっている。いち早く『ドラえもん』の原作マンガでも使われていたという、このフレーズ。たてかべさんの通夜を取材していたワイドショースタッフによれば、アニメ版で初めて使った人物について言及される場面があったという。 「おたぽる」で続きを読む