現地メディアも大絶賛! “親韓派AV女優”めぐりが初の快挙、ファンミで韓国人男性を悩殺

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 日本のAV女優めぐりが、韓国で快挙を成し遂げた。12月12日と13日の2日間、ソウルの繁華街・江南でファンミーティングを開催したのだ。韓国で“親韓派AV女優”として知られるめぐりが、同国でのファンミを企画していることは以前紹介したが(参照記事)、それが実現したのである。日本のAV女優が単独でファンミを開くのは今回が初めてというだけあって、現地メディアも「日本のAVスター・めぐり、国内で初の“19歳以下禁止”ファンミーティング開催」(スポーツ新聞「スポーツ京郷」)、「(日本)列島の肉徳(グラマラスの意)、AV女優の誘惑」(経済ニュース「ヘラルドPOP」)と大々的に報じられただけではなく、仁川国際空港に降り立っためぐりの姿までニュースになったほどである。  入場料は4~8万ウォン(約4,000~8,000円)で、12日は80人余り、13日は100人ほどのファンを集めた同イベント。事前に抽選で選ばれた参加者からの質問にめぐりが韓国語で答えるトークショーでは、サイズが小さいと悩む参加者に対し「あまり大きいと、むしろ痛い。小さくても、テクニックで勝負すればいい」「12センチくらいが私には合っている」などと赤裸々なトークを繰り広げた。フォトタイムでは、セクシー衣装に着替えためぐりが悩殺ポーズを拾う。さらにゲーム大会では、セクシーな“体位”を見せ、場内は興奮のるつぼに。  スポーツ新聞「スポーツソウル」も、「発音はややヘタだったが、詰まることなく韓国語を話すめぐりにファンたちは大きな拍手を送った。特にファンたちとゲームを通じて気兼ねなく多様な“体位”を見せながら、“性”を自然に表現し、高級セックスカウンセラーの役割を果たしていた」と、めぐりのファンミを評している。  さらに、ファンミ翌日にはネットニュース「NewDaily」のインタビュー取材も受け、その記事が大手検索サイトのニュースコーナーでも紹介されたほど。  現地メディアでも大絶賛されるほどの成功を収めためぐりのファンミだが、「下半身だけは親日」といわれる韓国の男性たちを、ますますとりこにしてしまったようだ。

現地メディアも大絶賛! “親韓派AV女優”めぐりが初の快挙、ファンミで韓国人男性を悩殺

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 日本のAV女優めぐりが、韓国で快挙を成し遂げた。12月12日と13日の2日間、ソウルの繁華街・江南でファンミーティングを開催したのだ。韓国で“親韓派AV女優”として知られるめぐりが、同国でのファンミを企画していることは以前紹介したが(参照記事)、それが実現したのである。日本のAV女優が単独でファンミを開くのは今回が初めてというだけあって、現地メディアも「日本のAVスター・めぐり、国内で初の“19歳以下禁止”ファンミーティング開催」(スポーツ新聞「スポーツ京郷」)、「(日本)列島の肉徳(グラマラスの意)、AV女優の誘惑」(経済ニュース「ヘラルドPOP」)と大々的に報じられただけではなく、仁川国際空港に降り立っためぐりの姿までニュースになったほどである。  入場料は4~8万ウォン(約4,000~8,000円)で、12日は80人余り、13日は100人ほどのファンを集めた同イベント。事前に抽選で選ばれた参加者からの質問にめぐりが韓国語で答えるトークショーでは、サイズが小さいと悩む参加者に対し「あまり大きいと、むしろ痛い。小さくても、テクニックで勝負すればいい」「12センチくらいが私には合っている」などと赤裸々なトークを繰り広げた。フォトタイムでは、セクシー衣装に着替えためぐりが悩殺ポーズを拾う。さらにゲーム大会では、セクシーな“体位”を見せ、場内は興奮のるつぼに。  スポーツ新聞「スポーツソウル」も、「発音はややヘタだったが、詰まることなく韓国語を話すめぐりにファンたちは大きな拍手を送った。特にファンたちとゲームを通じて気兼ねなく多様な“体位”を見せながら、“性”を自然に表現し、高級セックスカウンセラーの役割を果たしていた」と、めぐりのファンミを評している。  さらに、ファンミ翌日にはネットニュース「NewDaily」のインタビュー取材も受け、その記事が大手検索サイトのニュースコーナーでも紹介されたほど。  現地メディアでも大絶賛されるほどの成功を収めためぐりのファンミだが、「下半身だけは親日」といわれる韓国の男性たちを、ますますとりこにしてしまったようだ。

地縁血縁とは異なる新しい家族の形。ロッキーのもとに集う“荒ぶる魂”たちの物語『クリード』

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ボクシング界から足を洗っていたロッキー(シルベスター・スタローン)だが、かつてのライバル・アポロの息子を鍛えることに生き甲斐を見出す。
 フィラデルフィアのダメボクサーが全力で人生の扉をこじ開ける『ロッキー』(76)から、人生は死ぬまで闘いであることを描いた『ロッキー・ザ・ファイナル』(06)に至るまでのシリーズ全6作のうちのどれか1本でも観たことのある人なら、いや主人公ロッキー・バルボアの名前を一度でも耳にしたことのある人なら、誰もがこの物語を通してロッキーファミリーの一員になることができる。『ロッキー』シリーズの新章となる『クリード チャンプを継ぐ男』は、そんな不思議な力を秘めた映画だ。世界中の人々の心を沸き立たせた往年の人気ボクサー・ロッキーのもとに、自分の居場所を見つけることができずにもがき苦しむ若者が弟子入りを志願し、親子関係とも会社組織とも異なる新しい家族像が生み出されていく。  アポロ・クリード(カール・ウェザース)は『ロッキー』『ロッキー2』(79)で“イタリアの種馬”ロッキー・バルボアと大激戦を繰り広げたシリーズ屈指の名キャラクターだ。ボクシング史上最高の王者モハメド・アリをモデルにしたアポロは、『ロッキー3』(82)ではマネージャーのミッキーを失ったロッキーを支え、トレーナー役を買って出た。ロッキーにとって最高のライバルであり、得難い親友だった。太陽神にちなんだ名の通り、陽気で派手好きだったアポロには息子がいた……。『フルートベール駅』(13)でデビューした、1986年生まれの新鋭ライアン・クーグラー監督のそんなアイデアから本作は生まれている。  アドニス(マイケル・B・ジョーダン)は、偉大なボクサーとして活躍したアポロの愛人の息子としてこの世に生を受けた。母親のお腹にいるときに、アポロは『ロッキー4/炎の友情』(85)で描かれたようにリング上で帰らぬ人となった。シングルマザーだった母親も早くに亡くなった。天涯孤独の身となった彼は施設をたらい回しにされたが、幸いにもアドニスに愛情を注ぐ養母メアリー・アン(フィリシア・ラシャド)と出会い、学歴を身に付け、一流企業に就職することができた。大切に育ててくれたメアリーには感謝している。でも、子どもの頃にぽっかりと空いてしまった心の空洞は今もまだ埋まってはいない。アポロがロッキーと戦うタイトルマッチの動画をプロジェクターで壁に投影し、父の影と拳を交える。父の厳しさも温もりも知らずに育ったアドニスが、唯一父と触れ合うことができる方法だった。
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フィラデルフィアでボクシング修業に打ち込むアドニス(マイケル・B・ジョーダン)。親の七光りを嫌い、「クリード」の名前は封印する。
 男子にとって父親は越えるべき大きな山である。大きな山を越えようと日々琢磨することで、男子は大人の男へと成長を遂げていく。でも、アドニスが生まれる前にアポロはあの世に逝ってしまった。越えるべき山が生まれたときからすでにない。これは辛い試練だ。見えない山を求めて、果てしなく坂道を登り続けなくてはいけない。そんなアドニスの空っぽな心の中には、空虚さを埋めるかのように“荒ぶる魂”が宿っている。いくら好条件の職場で働いていても、住み心地のよい自宅があっても、アドニスは自分の中の荒ぶる魂を抑えることができない。会社を辞め、自己流トレーニングを積んできたボクシングの世界に身を投じることをメアリー・アンに告げる。肉親以上の愛情を注いでくれた育ての親は勘当すると言い渡すが、それでもアドニスの決意は変わらなかった。  LAの自宅を出たアドニスは、フィラデルフィアのあるイタリア料理店を訪ねる。「エイドリアンズ」というその店のオーナーは、年老いたロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)だった。ロッキーに初めて逢ったアドニスは、『ロッキー3』の最後にロッキーとアポロが誰もいないジムのリングで行なった決着戦の勝敗を尋ねる。2人だけの秘密を知っている若者が現われたことにロッキーは目を丸くする。若者がアポロの息子で、アポロの正妻が彼を育てたことを知り、ロッキーはさらに驚く。アドニスにとって、父とトランクス一丁で拳を交じえたロッキーは誰よりも信頼できる存在だった。ボクシングを教えてほしいと懇願するが、『ロッキー5/最後のドラマ』(90)で新人育成に一度失敗しているロッキーは固辞する。それでも、ミッキーのジムで孤独に汗を流すアドニスを見ているうちに、ロッキーは放っておけなくなる。自分の若かった頃にそっくりだからだ。ロッキーもアポロやミッキーが声を掛けてくれなかったら、どれだけ暗い人生が待っていたか分からない。また、ロッキーには息子ロバートがいるが、「ロッキーの息子」と呼ばれることを嫌って街から出ていった。父を知ら ないアドニスとひとりぼっちで暮らすロッキーは、やがて“荒ぶる魂”で結ばれた師弟関係となっていく。  さらにもうひとりの“荒ぶる魂”の持ち主が現われる。アドニスが引っ越した先のアパートには、夜中まで大音量で音楽を流している迷惑な住人がいた。朝が早いアドニスが注意しようとドアを叩くと、若い女性ビアンカ(テッサ・トンプソン)が顔を出す。ビアンカは売り出し中の歌手だった。アドニスは大音量の文句を言うつもりが、意に反して彼女を食事に誘ってしまう。見た目のゴージャスさとは裏腹な彼女の意外な素顔を、アドニスは食事をしながら知ることになる。ビアンカは進行性の聴覚障害を抱え、それでも歌手としての成功を目指していた。障害の進行と夢の実現との熾烈なレースを闘うタフな女性だった。いつか完全に聴覚がなくなるかもしれない。その日に備えてビアンカは手話を学んでいる。アドニスの前で、ビアンカは口にはできないお下品な四文字熟語を手話で表現してみせる。××野郎。自分の障害を笑い飛ばすビアンカは最高にチャーミングだった。2人が恋に陥るのに時間はさほど掛からなかった。やがて、ロッキー、アドニス、ビアンカは、肌の色も生い立ちも異なるけれども、本当の家族のような関係となっていく。“荒ぶる魂”でつながった新しいファミリーの誕生だった。
creed03
ビアンカ(テッサ・トンプソン)もまた闘う女性だ。アドニスの波長にシンクロするように“荒ぶる魂”の持ち主たちが彼の周りに集まっていく。
 映画はコドクな人間に優しいメディアだ。暗闇のシートに身を沈めていると、スクリーンの向こう側から顔なじみの映画スターがこちらに向かって親しげに話し掛けてくれる。本作の中でロッキーは、若いアドニスに、そして我々にトレーニングの極意を伝授してくれる。それは鏡に向かってのシャドーボクシングをひたすら続けろというものだ。鏡の中の自分はこちらがジャブ、フックを放てば、瞬時に同じパンチで応酬してくる。鏡の中の自分は、要は心の中にいるもうひとりの自分だ。心の中にいる狡猾で、怠惰で、臆病な自分に打ち克つことができれば、どんな強敵にも負けることはないと伝説のチャンプは説く。このときのロッキーはアドニスだけでなく、『ロッキー』シリーズを長年愛してきたファン、本作で初めてロッキーに触れた新しいファンに向けても熱く真摯に語り掛けてくる。  激闘となったプロデビュー戦を終えたアドニスは、恋人ビアンカを伴ってロッキー宅でささやかなお祝いをするが、このシーンは何ともいえない映画的な温かさに満ちている。普段のトレーニングやら仕事やらで疲れきっている3人は、気持ちよく酔って、ソファーで一緒にうたた寝している。本当の家族のように仲がいい。付けっ放しのテレビでは深夜映画が流れている。『ロッキー』と同時期に劇場公開されたヒット作『大陸横断超特急』(76)のラストシーンっぽい。映画を観ているうちに眠ってしまった3人は、それぞれどんな夢を頭の中で思い描いているのだろうか。部屋の奥に置いてある水槽では、大きなカメがその様子を見守っている。シリーズ第1作で、ロッキーがペットショップに勤める後の妻エイドリアン(タリア・シャイア)から買った小さなミドリガメは40年を経てすっかりデカくなっていた。  新しい家族になったのは、ロッキーとアドニスとビアンカの3人だけではない。このシーンを観ている映画好きな人間ならば、誰もがロッキーたちの仲間になることができる。血縁でも地縁でもない、映画を介して人と人とが繋がる温かさを『クリード』は与えてくれる。 (文=長野辰次)
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『クリード チャンプを継ぐ男』 監督・脚本/ライアン・クーグラー 出演/マイケル・B・ジョーダン、シルベスター・スタローン、テッサ・トンプソン、フィリシア・ラシャド、アンソニー・ベリュー、グレアム・マクタビッシュ  配給/ワーナー・ブラザーズ映画 12月23日(水)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー (C)2015 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. http://wwws.warnerbros.co.jp/creed/

地縁血縁とは異なる新しい家族の形。ロッキーのもとに集う“荒ぶる魂”たちの物語『クリード』

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ボクシング界から足を洗っていたロッキー(シルベスター・スタローン)だが、かつてのライバル・アポロの息子を鍛えることに生き甲斐を見出す。
 フィラデルフィアのダメボクサーが全力で人生の扉をこじ開ける『ロッキー』(76)から、人生は死ぬまで闘いであることを描いた『ロッキー・ザ・ファイナル』(06)に至るまでのシリーズ全6作のうちのどれか1本でも観たことのある人なら、いや主人公ロッキー・バルボアの名前を一度でも耳にしたことのある人なら、誰もがこの物語を通してロッキーファミリーの一員になることができる。『ロッキー』シリーズの新章となる『クリード チャンプを継ぐ男』は、そんな不思議な力を秘めた映画だ。世界中の人々の心を沸き立たせた往年の人気ボクサー・ロッキーのもとに、自分の居場所を見つけることができずにもがき苦しむ若者が弟子入りを志願し、親子関係とも会社組織とも異なる新しい家族像が生み出されていく。  アポロ・クリード(カール・ウェザース)は『ロッキー』『ロッキー2』(79)で“イタリアの種馬”ロッキー・バルボアと大激戦を繰り広げたシリーズ屈指の名キャラクターだ。ボクシング史上最高の王者モハメド・アリをモデルにしたアポロは、『ロッキー3』(82)ではマネージャーのミッキーを失ったロッキーを支え、トレーナー役を買って出た。ロッキーにとって最高のライバルであり、得難い親友だった。太陽神にちなんだ名の通り、陽気で派手好きだったアポロには息子がいた……。『フルートベール駅』(13)でデビューした、1986年生まれの新鋭ライアン・クーグラー監督のそんなアイデアから本作は生まれている。  アドニス(マイケル・B・ジョーダン)は、偉大なボクサーとして活躍したアポロの愛人の息子としてこの世に生を受けた。母親のお腹にいるときに、アポロは『ロッキー4/炎の友情』(85)で描かれたようにリング上で帰らぬ人となった。シングルマザーだった母親も早くに亡くなった。天涯孤独の身となった彼は施設をたらい回しにされたが、幸いにもアドニスに愛情を注ぐ養母メアリー・アン(フィリシア・ラシャド)と出会い、学歴を身に付け、一流企業に就職することができた。大切に育ててくれたメアリーには感謝している。でも、子どもの頃にぽっかりと空いてしまった心の空洞は今もまだ埋まってはいない。アポロがロッキーと戦うタイトルマッチの動画をプロジェクターで壁に投影し、父の影と拳を交える。父の厳しさも温もりも知らずに育ったアドニスが、唯一父と触れ合うことができる方法だった。
creed02
フィラデルフィアでボクシング修業に打ち込むアドニス(マイケル・B・ジョーダン)。親の七光りを嫌い、「クリード」の名前は封印する。
 男子にとって父親は越えるべき大きな山である。大きな山を越えようと日々琢磨することで、男子は大人の男へと成長を遂げていく。でも、アドニスが生まれる前にアポロはあの世に逝ってしまった。越えるべき山が生まれたときからすでにない。これは辛い試練だ。見えない山を求めて、果てしなく坂道を登り続けなくてはいけない。そんなアドニスの空っぽな心の中には、空虚さを埋めるかのように“荒ぶる魂”が宿っている。いくら好条件の職場で働いていても、住み心地のよい自宅があっても、アドニスは自分の中の荒ぶる魂を抑えることができない。会社を辞め、自己流トレーニングを積んできたボクシングの世界に身を投じることをメアリー・アンに告げる。肉親以上の愛情を注いでくれた育ての親は勘当すると言い渡すが、それでもアドニスの決意は変わらなかった。  LAの自宅を出たアドニスは、フィラデルフィアのあるイタリア料理店を訪ねる。「エイドリアンズ」というその店のオーナーは、年老いたロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)だった。ロッキーに初めて逢ったアドニスは、『ロッキー3』の最後にロッキーとアポロが誰もいないジムのリングで行なった決着戦の勝敗を尋ねる。2人だけの秘密を知っている若者が現われたことにロッキーは目を丸くする。若者がアポロの息子で、アポロの正妻が彼を育てたことを知り、ロッキーはさらに驚く。アドニスにとって、父とトランクス一丁で拳を交じえたロッキーは誰よりも信頼できる存在だった。ボクシングを教えてほしいと懇願するが、『ロッキー5/最後のドラマ』(90)で新人育成に一度失敗しているロッキーは固辞する。それでも、ミッキーのジムで孤独に汗を流すアドニスを見ているうちに、ロッキーは放っておけなくなる。自分の若かった頃にそっくりだからだ。ロッキーもアポロやミッキーが声を掛けてくれなかったら、どれだけ暗い人生が待っていたか分からない。また、ロッキーには息子ロバートがいるが、「ロッキーの息子」と呼ばれることを嫌って街から出ていった。父を知ら ないアドニスとひとりぼっちで暮らすロッキーは、やがて“荒ぶる魂”で結ばれた師弟関係となっていく。  さらにもうひとりの“荒ぶる魂”の持ち主が現われる。アドニスが引っ越した先のアパートには、夜中まで大音量で音楽を流している迷惑な住人がいた。朝が早いアドニスが注意しようとドアを叩くと、若い女性ビアンカ(テッサ・トンプソン)が顔を出す。ビアンカは売り出し中の歌手だった。アドニスは大音量の文句を言うつもりが、意に反して彼女を食事に誘ってしまう。見た目のゴージャスさとは裏腹な彼女の意外な素顔を、アドニスは食事をしながら知ることになる。ビアンカは進行性の聴覚障害を抱え、それでも歌手としての成功を目指していた。障害の進行と夢の実現との熾烈なレースを闘うタフな女性だった。いつか完全に聴覚がなくなるかもしれない。その日に備えてビアンカは手話を学んでいる。アドニスの前で、ビアンカは口にはできないお下品な四文字熟語を手話で表現してみせる。××野郎。自分の障害を笑い飛ばすビアンカは最高にチャーミングだった。2人が恋に陥るのに時間はさほど掛からなかった。やがて、ロッキー、アドニス、ビアンカは、肌の色も生い立ちも異なるけれども、本当の家族のような関係となっていく。“荒ぶる魂”でつながった新しいファミリーの誕生 だった。
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ビアンカ(テッサ・トンプソン)もまた闘う女性だ。アドニスの波長にシンクロするように“荒ぶる魂”の持ち主たちが彼の周りに集まっていく。
 映画はコドクな人間に優しいメディアだ。暗闇のシートに身を沈めていると、スクリーンの向こう側から顔なじみの映画スターがこちらに向かって親しげに話し掛けてくれる。本作の中でロッキーは、若いアドニスに、そして我々にトレーニングの極意を伝授してくれる。それは鏡に向かってのシャドーボクシングをひたすら続けろというものだ。鏡の中の自分はこちらがジャブ、フックを放てば、瞬時に同じパンチで応酬してくる。鏡の中の自分は、要は心の中にいるもうひとりの自分だ。心の中にいる狡猾で、怠惰で、臆病な自分に打ち克つことができれば、どんな強敵にも負けることはないと伝説のチャンプは説く。このときのロッキーはアドニスだけでなく、『ロッキー』シリーズを長年愛してきたファン、本作で初めてロッキーに触れた新しいファンに向けても熱く真摯に語り掛けてくる。  激闘となったプロデビュー戦を終えたアドニスは、恋人ビアンカを伴ってロッキー宅でささやかなお祝いをするが、このシーンは何ともいえない映画的な温かさに満ちている。普段のトレーニングやら仕事やらで疲れきっている3人は、気持ちよく酔って、ソファーで一緒にうたた寝している。本当の家族のように仲がいい。付けっ放しのテレビでは深夜映画が流れている。『ロッキー』と同時期に劇場公開されたヒット作『大陸横断超特急』(76)のラストシーンっぽい。映画を観ているうちに眠ってしまった3人は、それぞれどんな夢を頭の中で思い描いているのだろうか。部屋の奥に置いてある水槽では、大きなカメがその様子を見守っている。シリーズ第1作で、ロッキーがペットショップに勤める後の妻エイドリアン(タリア・シャイア)から買った小さなミドリガメは40年を経てすっかりデカくなっていた。  新しい家族になったのは、ロッキーとアドニスとビアンカの3人だけではない。このシーンを観ている映画好きな人間ならば、誰もがロッキーたちの仲間になることができる。血縁でも地縁でもない、映画を介して人と人とが繋がる温かさを『クリード』は与えてくれる。 (文=長野辰次)
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『クリード チャンプを継ぐ男』 監督・脚本/ライアン・クーグラー 出演/マイケル・B・ジョーダン、シルベスター・スタローン、テッサ・トンプソン、フィリシア・ラシャド、アンソニー・ベリュー、グレアム・マクタビッシュ  配給/ワーナー・ブラザーズ映画 12月23日(水)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー (C)2015 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. http://wwws.warnerbros.co.jp/creed/

「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体

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金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
 “優しい”ドラマである。  今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。  舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。  一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。  これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。  ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。  不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。  さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」  伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」  生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」  自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。  医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。  新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」  まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」  両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体

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金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
 “優しい”ドラマである。  今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。  舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。  一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。  これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。  ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。  不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。  さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」  伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」  生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」  自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。  医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。  新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」  まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」  両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

PM2.5もお構いなし!? 広場で踊り狂うおばちゃんと、“早死に覚悟”で働く出稼ぎ民たち

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PM2.5で視界が最悪となった北京市内の様子。いつまで続くのか?
 中国で猛威を振るっているPM2.5。北京市内の学校や企業では休校や出勤停止などの措置が採られ、市民は極力、外出を避ける生活を余儀なくされている。ところが、そんな状況下でも、普段通り生活を送る人たちがいる。 「網易新聞」(12月8日付)によると、PM2.5の汚染指数が最悪となる「赤色警報」が出た日、北京市内の広場に中年女性数十人が集まり、普段通り音楽に合わせてダンスをしていたという。この「広場ダンス」は健康向上を目的とし、中国各地の広場や公園で日常的に行われ、もはや中国の風物詩となっているが、大気汚染さえものともしないおばちゃんに対して、中国版Twitter「微博」にはこんなコメントが寄せられている。
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赤色警報をものともせず、広場でダンスに興じるおばちゃんたち
「ダンスこそが健康向上と妄信している。大気汚染より、ダンスをやめるほうが危険なのかもしれないね」 「健康のために命を削ってダンスをするおばちゃんに、敬意すら覚える」 「汚い空気吸いまくって、早く成仏してほしいね。騒音もなくなるから」  一方、大気汚染の中、命懸けで仕事をする人たちもいる。中国最大手の配送サービス「餓了麼(ele.me)」によると、北京市では大気汚染の影響を受け、多くの市民が外出を控えるようになり、出前や配送サービスの利用者が急増しているという。買い物宅配サービスの一番の売れ筋商品はマスクで、12月の売り上げは、すでに11月の9倍にもなるという。飲食店の出前も、赤色警報が発令された日は15%も増え、ドライバー不足に陥っている。北京市在住の日本人大学講師は言う。 「僕もPM2.5で出前を頼むようになりましたが、届けに来るライダーのマスクは、みんな真っ黒です。本人たちも『早死に覚悟だよ』と、自虐的に言っていました。彼らの多くは地方からの出稼ぎで、PM2.5で時給が上がり、臨時ボーナスを支給されるので、健康被害など考えずに危険承知でライダーをやっている。また路上のゴミ清掃員や、建設作業員など外での仕事を強いられる人たちも、同じように健康被害にさらされて大変です。出稼ぎ労働者や貧困層が、PM2.5の最大の被害者ですよ」  視界ゼロの中、命を削ってダンスをするおばちゃんたちは、まだお気楽なのかもしれない。貧富の格差は、大気汚染の現場にも大きな影を落としている。 (取材・文=青山大樹)

調子に乗ったら必ずしっぺ返し! ネットの「身元特定能力」を侮るなかれ

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イメージ画像(「Thinkstock」より)
 よくネットは匿名といわれるが、実はそれほど匿名性が高いわけではない。さまざまな手法で身バレする。ネットで調子に乗ったことをしていると、身元を特定されて炎上騒ぎになり、一生汚点を残すことになるリスクがあるというわけだ。  特定の初歩としては、IPアドレスを手がかりにする方法がある。メールやメッセージを送ったり、掲示板に書き込んだりすると、そのシステムにIPアドレスが記録される。これは、ユーザーの端末もしくはネットワークそれぞれに割り振られたアドレスで、その時そのアドレスを使っている端末は一台だけ。このアドレスを割り振っている、インターネットサービスプロバイダーや携帯電話会社に聞けば、ユーザーを特定できるのだ。とはいえ、掲示板やブログの運営会社からIPアドレスを聞き出したり、IPアドレスから個人情報を聞き出すには、法的な裏付けが必要となる。個人の興味本位では無理だが、誹謗中傷や犯罪予告など法に触れることをしていれば、開示されるケースも多く、特定できるのだ。警察は主にこの方法で、ユーザーを特定している。  さらに、2ちゃんねるの「特定班」と呼ばれるユーザーたちは、それどころではない調査能力を発揮する。調査する「人数」と「時間」が突出しているのが理由だ。粘着して積極的に調査・書き込みするのは10~100人程度だと思われるが、炎上するとスレッドを閲覧する人数は数万~数百万人に及ぶ。すると、高い確率で、その知り合いの目に留まるのだ。こうして、個人情報や卒業アルバムがさらされることになる。  ブログやSNSで炎上の元になる投稿をした場合、ハンドルネームを使っていたとしても、過去の写真や文章にいくらでも手がかりがあるので、速攻で特定される。Twitterでバイトテロと呼ばれるバカな投稿をしたり、飲食店で不衛生な悪ふざけをするヤカラが特定されるのは、個人情報を防御するリテラシーさえないからだ。  さて、中級者になると、自宅のネットワークや自分で契約したスマートフォンを使うことはない。野良Wi-Fiと呼ばれるセキュリティをかけていない無線LANを利用したり、端末登録していないノートPCを使って悪さをする。もちろん、自分の名前や所属などは絶対に書き込まない。単発のいたずらであれば確かにバレにくいのだが、ここまでするヤカラはネットの中で強烈な自己主張をすることが多い。すぐに身元がバレない安心感から、ネットを荒らしまくるケースが多いのだ。このレベルのヤカラでも、わずかなほころびから破綻する。  ネットでいきがるヤカラは、匿名(と信じている)アカウントで暴れるほか、普通に利用しているSNSアカウントも持っていることが多い。この内容が似通っていることで、身バレにつながることがある。例えば、通常アカウントでは「本日はイタリア出張で~」と書き、匿名アカウントでは「貧乏人はゴミでも漁ってろ、俺はイタリアで優雅に~」などと書き込むのだ。これが重なると、同一人物なのでは? という疑惑が出る。  本人疑惑が出ると、あらゆるSNSをほじくり返され、数日で住所が特定される。10年以上前に炎上したケースでは3日で特定され、第三者が自宅に突撃している。3年前に起きた炎上ケースでは、大学の合格通知書のごく一部を投稿しただけですべての個人情報を特定され、ものすごい嫌がらせを数年にわたって受けることになった。盗撮はもちろんのこと、覚えのないデリバリーサービスを注文されたり、ゴミを漁られたりする。もちろん、違法行為だが、警察がすべてを取り締まれるわけでもない。  上級者は、IPアドレスからは身元にたどり着けないTorというツールを使って悪さをする。しかし「ありとあらゆるダークサイト情報が満載! 賢い『ディープ・ウェブ』の歩き方」で紹介したように、Torユーザーでさえ身元を特定することは可能。今年9月には、Torを使って児童ポルノを購入した3人が逮捕され、ニュースになったばかりだ。  とにかく個人を特定されて逮捕されたり、炎上させられたくないなら、ネット上では調子に乗らないことが重要。掲示板やブログを荒らしたり、他人を攻撃したり、違法行為をしていると必ずしっぺ返しをくらう。もし数回のいたずらで捕まっていなくても、綱渡りをしている状態というのは肝に銘じておこう。さらに、今は大丈夫でも、将来問題視されて、数年後に特定されて炎上・逮捕されることだってある。その時、足を洗っていても、言い訳にならない。リアルと同様ネットでも、常識を持って行動するという当たり前のことが、トラブルを防ぐために最も有効なのだ。 (文=柳谷智宣)

「金日成マンセー」「天皇陛下マンセー」……韓国大学に何度も掲示される“異様なポスター”の怪

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 2015年下半期に入って、韓国では歴史教科書問題や労働市場改革に対する国民の不満が高まっている。11月14日にも、ソウル光化門広場で大規模デモが行われたことは記憶に新しい。しかし、このデモでは、身元を隠すために覆面をした一部デモ参加者たちが、警察と衝突して負傷する事態にまで発展した。  この一件を機に朴槿恵大統領は、「覆面デモ禁止法」を提案するが反発も大きく、12月5日には約4万人による反対デモが行われている。だが、問題はこれだけではない。  なんと韓国の大学では「金日成マンセー」と書かれたポスターが何度も掲示され、大きな問題となっているのだ。  もちろん、北朝鮮スパイの暗躍というわけではない。これは、学生たちによる自主的な活動だ。問題となっている「金日成マンセー」というフレーズは、1960年に表現の自由と過度の検閲を批判した詩人、金洙暎が作った詩である。  詩の内容を簡単に意訳するならば、「韓国の言論の自由は、(北のトップである)『金日成マンセー』と言うのを認めることから始まる」と、当時の厳しい言論統制を痛烈に批判したものだ。    11月30日、この詩が慶熙大学の大学掲示板に掲載され、12月9日には同じ内容のチラシが高麗大学の裏門に数十枚も貼りつけられる事態となった。しかも、同大学では何度撤去されようと、チラシが消えるばかりか、それをマネた風刺ポスターが続々と貼り出されているのだ。  高麗大学での風刺ポスターの中には、詩のフレーズを「朴槿恵は独裁者の娘」に変えた直接的な批判に始まり、「全斗煥マンセー」や「天皇陛下マンセー」など皮肉を交えて書かれたものまであった。  こうした事態が広まるとともに、韓国中で「表現の自由を尊重して認めないといけない」「少なくとも常識的な基準を守らなければならない」といった意見が噴出している。その一方で、ネット民の多くは高麗大学の学生に対して否定的で、「言論や表現の自由を振りかざしてインテリぶる前に、よく考えろ」「こいつらはドイツで『ヒトラーマンセー』と言って許されると思っているのか?」など、冷たい意見も飛び交っている。  いまだ終わりが見えない言論統制の問題。否定派と肯定派で盛り上がるのはいいが、前回のデモのように負傷者が出なければいいのだが……。

「金日成マンセー」「天皇陛下マンセー」……韓国大学に何度も掲示される“異様なポスター”の怪

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 2015年下半期に入って、韓国では歴史教科書問題や労働市場改革に対する国民の不満が高まっている。11月14日にも、ソウル光化門広場で大規模デモが行われたことは記憶に新しい。しかし、このデモでは、身元を隠すために覆面をした一部デモ参加者たちが、警察と衝突して負傷する事態にまで発展した。  この一件を機に朴槿恵大統領は、「覆面デモ禁止法」を提案するが反発も大きく、12月5日には約4万人による反対デモが行われている。だが、問題はこれだけではない。  なんと韓国の大学では「金日成マンセー」と書かれたポスターが何度も掲示され、大きな問題となっているのだ。  もちろん、北朝鮮スパイの暗躍というわけではない。これは、学生たちによる自主的な活動だ。問題となっている「金日成マンセー」というフレーズは、1960年に表現の自由と過度の検閲を批判した詩人、金洙暎が作った詩である。  詩の内容を簡単に意訳するならば、「韓国の言論の自由は、(北のトップである)『金日成マンセー』と言うのを認めることから始まる」と、当時の厳しい言論統制を痛烈に批判したものだ。    11月30日、この詩が慶熙大学の大学掲示板に掲載され、12月9日には同じ内容のチラシが高麗大学の裏門に数十枚も貼りつけられる事態となった。しかも、同大学では何度撤去されようと、チラシが消えるばかりか、それをマネた風刺ポスターが続々と貼り出されているのだ。  高麗大学での風刺ポスターの中には、詩のフレーズを「朴槿恵は独裁者の娘」に変えた直接的な批判に始まり、「全斗煥マンセー」や「天皇陛下マンセー」など皮肉を交えて書かれたものまであった。  こうした事態が広まるとともに、韓国中で「表現の自由を尊重して認めないといけない」「少なくとも常識的な基準を守らなければならない」といった意見が噴出している。その一方で、ネット民の多くは高麗大学の学生に対して否定的で、「言論や表現の自由を振りかざしてインテリぶる前に、よく考えろ」「こいつらはドイツで『ヒトラーマンセー』と言って許されると思っているのか?」など、冷たい意見も飛び交っている。  いまだ終わりが見えない言論統制の問題。否定派と肯定派で盛り上がるのはいいが、前回のデモのように負傷者が出なければいいのだが……。