石田純一・理子&理汰郎親子、次のターゲットは“スポーツ営業”か?

 タレントの石田純一、理汰郎親子が先日、都内のイベントに揃って出席したが、芸能関係者の間では「次なる稼ぐターゲットを定めたのでは」と話題になっている。

 大手出版社の通信教育PRのイベントに出席した2人。その場で理汰郎くんが司会者からの質問に、「野球に興味がある」と発言。さらに、好きなチームを聞かれると「西武!」と即答。祖父で元西武ライオンズ監督の東尾修氏を意識した発言に、石田も胸をなで下ろしていた。

 だが、これに反応したのはイベント制作などにも携わる、芸能関係者たちだ。

「幼少期から“石田ファミリー”の一員としてイベントに出ていた理汰郎ですが、あそこまで成長したのかと思った」

 さらに「お爺ちゃんの教育が行き届いている(笑)。となれば、次は野球を中心としたスポーツ関係者のPRイベントに親子揃って仕事してもらうという企画は確実に多くなる」とみている。

 球界関係者からも「今の時代の子どもたちの好きなスポーツは、どうしてもサッカーだったり、個人競技が選ばれる傾向が強い。反対に、野球人気が下火になっている状況ですが、親子揃ってアピールできる人材がでてきたのは大きい」と歓迎ムード。

 新・石田親子は、新たな「稼ぎ口」を見つけたようだ。

ピエール瀧は愛されているか。三度の覚せい剤逮捕にもかかわらず蘇る岡村靖幸のように

3月12日に麻薬取締法違反の疑いで逮捕された、電気グルーヴのメンバーであり俳優のピエール瀧(本名:瀧正則・51)被告。4月2日に起訴されたのち、翌日に弁護人が保釈を申請。4日にこれが認められ、瀧被告は400万円の保釈保証金を支払い、5日夜、勾留先の湾岸署から保釈された。地検の発表によれば瀧被告は3月12日ごろ、東京・世田谷区にあるマンション一室でコカイン若干量を使用したとされている。調べに対し「20代の頃からコカインや大麻を使っていた」と罪を認めている。

 電気グルーヴは結成30周年を迎え、1月にはアルバム『30』をリリース。『電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”』の真っ最中で、東京公演を控えたタイミングでの逮捕だった。俳優としても精力的に活動していた瀧被告の逮捕を受け、テレビ・映画業界は出演見合わせや配信停止、代役への交代など、おおむね消極的な方向の対応を取ったことは既報の通り(https://wezz-y.com/archives/64364)。追い討ちをかけるように、起訴された同日、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツは瀧被告のマネジメント契約解除を発表した。

 逮捕から起訴まで、“芸能人・ピエール瀧”を抹消するかのような対応が各社でなされたが、唯一、5日公開の映画『麻雀放浪記2020』だけは公開に踏み切られた。だが今後、瀧被告の公判が終結し罪を償い終わったとしても、そして薬物依存を治療できたとしても、彼の俳優としての居場所はないだろう。少なくともテレビドラマは難しいのではないか。

 電気グルーヴとしての活動はどうか。逮捕直後からCDの発売や音源のリリースは中止となっており、過去作まで及んだ。企業がイメージやコンプライアンス遵守を重視する昨今、違法行為に手を染めた“芸能人”の禊が終わるのはまだ当分先のはずだ。

 瀧被告をめぐる業界の厳しい対応を目にする中、時折目にする意見は「昔はもっと甘かった」というものだ。ライター近藤正高氏による記事『槇原敬之が覚醒剤事件から復帰できたワケ』https://president.jp/articles/-/28222(プレジデントオンライン)では、過去に芸能人が不祥事を起こした際の復帰までの道のりを詳しく記している。これによると芸能界においては1960年代から不祥事が度々見られたが、禊の期間は短く、ペナルティも軽かった。ミュージシャンの不祥事でCDの販売が初めて停止となったのは1999年、槇原敬之(49)が覚せい剤取締法違反で逮捕された頃からだ。尾崎豊が1987年に覚せい剤取締法違反で逮捕された際も、半年で復帰を果たした。

 「時代が違う」というが、時代性だけなのだろうか。その人物の人脈、居場所、そして愛され度によるところも大きいのではないか、と筆者は思う。槇原敬之に坂本龍一が手を差し伸べたように。そして10年ほど前でも、覚せい剤取締法違反で三度逮捕され、服役の後、復活したミュージシャンがいる。岡村靖幸(53)だ。

 1986年に「OUT OF BLUE」でデビューした岡村靖幸は、その後「だいすき」「カルアミルク」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」など、名曲をリリースし続けたが、2005年7月、覚せい剤取締法違反で起訴されたことが唐突に報じられた。岡村の逮捕は、これが初めてではなかったのである。実はこの2年前である2003年2月にも、同罪で逮捕起訴され、翌月に執行猶予付きの有罪判決を下されていたことが、2005年の逮捕の際に初めて公表されたのだ。

 執行猶予中の再犯であったことから、懲役1年6カ月の実刑判決を受けた岡村は服役。出所後の2007年、小林武史が主催するイベントにて復帰を果たすが、その翌年には三度目の同罪での逮捕となる。懲役2年の実刑判決を受け、服役。それでも岡村はミュージシャンとして復活する。出所後の2011年に2枚のアルバム発売とツアーを発表し、本格復帰を果たし、今に至る。何事もなかったかのように楽曲はタイアップされ、一流オシャレ雑誌「GINZA」(マガジンハウス)で“結婚したい”をテーマに対談連載を持ち、テレビ『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にだって出演しちゃうのだ。

 もう少し詳しく逮捕から復活までの経緯を見ていこう。

 2005年までひた隠しにされていた2003年の逮捕時は、奇しくも瀧被告の相棒である石野卓球(51)とのユニットでシングルとアルバムのリリースが予定されていた。これらは発売中止となり、またエピックソニー25周年記念コンサート「LIVE EPIC 25」の出演もキャンセルとなった。同年3月には有罪判決が下され、所属していたEPICソニーを離れているのだが、なんと同年の夏には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003」に出演。その後ツアーも行われている。つまり逮捕から裁判終結までは活動を停止していたが、これは周知せず、落ち着き次第すぐに活動を再開する措置が取られたようだ。その後は吉本興業所属となり、アルバム発売や書籍刊行など精力的に活動を続けるが、2005年の逮捕が公となったことも影響したか、このときは所属事務所との契約も終了し、ファンサイトも閉鎖となった。

 三度目の逮捕の際も、予定されていたツアーの中止や、発足したばかりのファンクラブの解散など、それなりの措置が取られはしたが、先述の通り出所後はまもなく活動再開している。書籍を出版するなど文化人の側面もあるものの、あくまでもミュージシャンとしての活動がメインだったためか、不祥事からの復帰は概ね早い。三度も繰り返しているなか、三度目の復帰すらも出所から長い時間を要さなかったのは、彼がかかわる企業のイメージダウンやコンプライアンスを問われるような事態にならなかったことも幸いしている。

 そして何といっても、岡村の音楽的才能を愛するファンの多さが決め手なのだろう。そしてファンは業界内にも非常に多いのだ。不祥事を起こしたのちの復帰の道のりは、その芸能人がどれだけファンに愛される存在だったか、そして周囲の同業者に愛されていたかで決まると言えよう。

 翻って、ピエール瀧はどうか。電気グルーヴのメンバーとして30年活動してきた。すでに起訴前の3月26日には、ライブストリーミングサイトdommuneで、配信・出荷停止となった電気グルーヴの楽曲のみを配信する特別企画が組まれ、この日の視聴者は46万人にのぼった。少なくともミュージシャンの瀧被告を愛し、その復帰を待つファンや同業者は、多いと言えるかもしれない。

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ピエール瀧は愛されているか。三度の覚せい剤逮捕にもかかわらず蘇る岡村靖幸のように

3月12日に麻薬取締法違反の疑いで逮捕された、電気グルーヴのメンバーであり俳優のピエール瀧(本名:瀧正則・51)被告。4月2日に起訴されたのち、翌日に弁護人が保釈を申請。4日にこれが認められ、瀧被告は400万円の保釈保証金を支払い、5日夜、勾留先の湾岸署から保釈された。地検の発表によれば瀧被告は3月12日ごろ、東京・世田谷区にあるマンション一室でコカイン若干量を使用したとされている。調べに対し「20代の頃からコカインや大麻を使っていた」と罪を認めている。

 電気グルーヴは結成30周年を迎え、1月にはアルバム『30』をリリース。『電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”』の真っ最中で、東京公演を控えたタイミングでの逮捕だった。俳優としても精力的に活動していた瀧被告の逮捕を受け、テレビ・映画業界は出演見合わせや配信停止、代役への交代など、おおむね消極的な方向の対応を取ったことは既報の通り(https://wezz-y.com/archives/64364)。追い討ちをかけるように、起訴された同日、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツは瀧被告のマネジメント契約解除を発表した。

 逮捕から起訴まで、“芸能人・ピエール瀧”を抹消するかのような対応が各社でなされたが、唯一、5日公開の映画『麻雀放浪記2020』だけは公開に踏み切られた。だが今後、瀧被告の公判が終結し罪を償い終わったとしても、そして薬物依存を治療できたとしても、彼の俳優としての居場所はないだろう。少なくともテレビドラマは難しいのではないか。

 電気グルーヴとしての活動はどうか。逮捕直後からCDの発売や音源のリリースは中止となっており、過去作まで及んだ。企業がイメージやコンプライアンス遵守を重視する昨今、違法行為に手を染めた“芸能人”の禊が終わるのはまだ当分先のはずだ。

 瀧被告をめぐる業界の厳しい対応を目にする中、時折目にする意見は「昔はもっと甘かった」というものだ。ライター近藤正高氏による記事『槇原敬之が覚醒剤事件から復帰できたワケ』https://president.jp/articles/-/28222(プレジデントオンライン)では、過去に芸能人が不祥事を起こした際の復帰までの道のりを詳しく記している。これによると芸能界においては1960年代から不祥事が度々見られたが、禊の期間は短く、ペナルティも軽かった。ミュージシャンの不祥事でCDの販売が初めて停止となったのは1999年、槇原敬之(49)が覚せい剤取締法違反で逮捕された頃からだ。尾崎豊が1987年に覚せい剤取締法違反で逮捕された際も、半年で復帰を果たした。

 「時代が違う」というが、時代性だけなのだろうか。その人物の人脈、居場所、そして愛され度によるところも大きいのではないか、と筆者は思う。槇原敬之に坂本龍一が手を差し伸べたように。そして10年ほど前でも、覚せい剤取締法違反で三度逮捕され、服役の後、復活したミュージシャンがいる。岡村靖幸(53)だ。

 1986年に「OUT OF BLUE」でデビューした岡村靖幸は、その後「だいすき」「カルアミルク」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」など、名曲をリリースし続けたが、2005年7月、覚せい剤取締法違反で起訴されたことが唐突に報じられた。岡村の逮捕は、これが初めてではなかったのである。実はこの2年前である2003年2月にも、同罪で逮捕起訴され、翌月に執行猶予付きの有罪判決を下されていたことが、2005年の逮捕の際に初めて公表されたのだ。

 執行猶予中の再犯であったことから、懲役1年6カ月の実刑判決を受けた岡村は服役。出所後の2007年、小林武史が主催するイベントにて復帰を果たすが、その翌年には三度目の同罪での逮捕となる。懲役2年の実刑判決を受け、服役。それでも岡村はミュージシャンとして復活する。出所後の2011年に2枚のアルバム発売とツアーを発表し、本格復帰を果たし、今に至る。何事もなかったかのように楽曲はタイアップされ、一流オシャレ雑誌「GINZA」(マガジンハウス)で“結婚したい”をテーマに対談連載を持ち、テレビ『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にだって出演しちゃうのだ。

 もう少し詳しく逮捕から復活までの経緯を見ていこう。

 2005年までひた隠しにされていた2003年の逮捕時は、奇しくも瀧被告の相棒である石野卓球(51)とのユニットでシングルとアルバムのリリースが予定されていた。これらは発売中止となり、またエピックソニー25周年記念コンサート「LIVE EPIC 25」の出演もキャンセルとなった。同年3月には有罪判決が下され、所属していたEPICソニーを離れているのだが、なんと同年の夏には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003」に出演。その後ツアーも行われている。つまり逮捕から裁判終結までは活動を停止していたが、これは周知せず、落ち着き次第すぐに活動を再開する措置が取られたようだ。その後は吉本興業所属となり、アルバム発売や書籍刊行など精力的に活動を続けるが、2005年の逮捕が公となったことも影響したか、このときは所属事務所との契約も終了し、ファンサイトも閉鎖となった。

 三度目の逮捕の際も、予定されていたツアーの中止や、発足したばかりのファンクラブの解散など、それなりの措置が取られはしたが、先述の通り出所後はまもなく活動再開している。書籍を出版するなど文化人の側面もあるものの、あくまでもミュージシャンとしての活動がメインだったためか、不祥事からの復帰は概ね早い。三度も繰り返しているなか、三度目の復帰すらも出所から長い時間を要さなかったのは、彼がかかわる企業のイメージダウンやコンプライアンスを問われるような事態にならなかったことも幸いしている。

 そして何といっても、岡村の音楽的才能を愛するファンの多さが決め手なのだろう。そしてファンは業界内にも非常に多いのだ。不祥事を起こしたのちの復帰の道のりは、その芸能人がどれだけファンに愛される存在だったか、そして周囲の同業者に愛されていたかで決まると言えよう。

 翻って、ピエール瀧はどうか。電気グルーヴのメンバーとして30年活動してきた。すでに起訴前の3月26日には、ライブストリーミングサイトdommuneで、配信・出荷停止となった電気グルーヴの楽曲のみを配信する特別企画が組まれ、この日の視聴者は46万人にのぼった。少なくともミュージシャンの瀧被告を愛し、その復帰を待つファンや同業者は、多いと言えるかもしれない。

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横浜流星、金髪でもイケメンと話題!『はじ恋』“ゆりゆり”の看板を背負って今年ブレイク俳優NO.1に

 今年冬に放送された人気ドラマ『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)でピンク髪の不良少年・“ゆりゆり”こと由利匡平役でブレイク。深田恭子演じる主人公の塾講師・春見順子とのピュアな恋愛模様が視聴者を魅了し、現在はInstagramのフォロワーが78.5万人と人気急上昇中の横浜流星。

 そんな横浜が4月2日、都内で行われた映画『L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』(公開中)の舞台あいさつに出演し、新たなヘアスタイルと髪色を披露したことが話題となっている。横浜がピンクの髪色から茶髪に変化した姿で登場し、「ニューヘアーの横浜です」と笑顔を振りまくと、会場は女性客からの「かっこいい!」の嵐が。黄色い声援が止まらぬ中、横浜は「ありがとう」とはにかんだ笑顔を見せていたという。

「髪色を変えても“ゆりゆり効果”は抜群ですね。横浜は今年大ブレイクする俳優NO.1と言われており、所属事務所のスターダストプロモーションも、今年は横浜に力を入れていると聞きました」と語るのは、芸能事務所関係者。

「横浜はその美形っぷりから、同時期に出てきて先にブレイクした“顔面国宝”俳優・吉沢亮と比べられることが多くなりました。しかし吉沢に関しては、たしかに顔はとても美しいのですが、身長が170cmと小柄な上に足も短め。スタイルが悪いのが残念と言われています。加えて、吉沢に関しては彼の演技がヒットに繋がったと言えるような、いわゆる代表作のドラマや映画がパッと思い浮かばないのも弱点だと言えましょう」

 知名度に関しては現時点で吉沢が勝っている印象があるが、横浜のほうに分がある部分は多い、と関係者は熱く語る。

「吉沢に比べて横浜は元モデルということもあり、身長は174cmですが足は長く小顔とスタイル抜群。演技力にも定評がありますし、代表作も『初めて恋をした日に読む話』がある。ミステリアスな雰囲気や放っておけない魅力があるとして、“ポスト中村倫也”などと言われていますよ」

 今年は横浜流星の年になりそう!?

横浜流星、金髪でもイケメンと話題!『はじ恋』“ゆりゆり”の看板を背負って今年ブレイク俳優NO.1に

 今年冬に放送された人気ドラマ『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)でピンク髪の不良少年・“ゆりゆり”こと由利匡平役でブレイク。深田恭子演じる主人公の塾講師・春見順子とのピュアな恋愛模様が視聴者を魅了し、現在はInstagramのフォロワーが78.5万人と人気急上昇中の横浜流星。

 そんな横浜が4月2日、都内で行われた映画『L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』(公開中)の舞台あいさつに出演し、新たなヘアスタイルと髪色を披露したことが話題となっている。横浜がピンクの髪色から茶髪に変化した姿で登場し、「ニューヘアーの横浜です」と笑顔を振りまくと、会場は女性客からの「かっこいい!」の嵐が。黄色い声援が止まらぬ中、横浜は「ありがとう」とはにかんだ笑顔を見せていたという。

「髪色を変えても“ゆりゆり効果”は抜群ですね。横浜は今年大ブレイクする俳優NO.1と言われており、所属事務所のスターダストプロモーションも、今年は横浜に力を入れていると聞きました」と語るのは、芸能事務所関係者。

「横浜はその美形っぷりから、同時期に出てきて先にブレイクした“顔面国宝”俳優・吉沢亮と比べられることが多くなりました。しかし吉沢に関しては、たしかに顔はとても美しいのですが、身長が170cmと小柄な上に足も短め。スタイルが悪いのが残念と言われています。加えて、吉沢に関しては彼の演技がヒットに繋がったと言えるような、いわゆる代表作のドラマや映画がパッと思い浮かばないのも弱点だと言えましょう」

 知名度に関しては現時点で吉沢が勝っている印象があるが、横浜のほうに分がある部分は多い、と関係者は熱く語る。

「吉沢に比べて横浜は元モデルということもあり、身長は174cmですが足は長く小顔とスタイル抜群。演技力にも定評がありますし、代表作も『初めて恋をした日に読む話』がある。ミステリアスな雰囲気や放っておけない魅力があるとして、“ポスト中村倫也”などと言われていますよ」

 今年は横浜流星の年になりそう!?

AbemaTVで生中継の“アッコ飲み会”和田アキ子の伝説とは?

 インターネットテレビ局・AbemaTVにおいて、和田アキ子の誕生会が4月10日に『和田アキ子:史上初の誕生会生中継』として放送される。和田はこの4月で69歳を迎える。これを受け、幹事を務める出川哲朗は「やらないほうがいい」と憂慮し、勝俣州和も「中継とか絶対無理。大問題」とコメントしている。

“アッコの飲み会”を巡っては、まことしやかな都市伝説がささやかれている。

「よく知られているところでは、X-JAPANのYOSHIKIとの一触即発事件がありますね。1990年代に和田宅で行われた新年会に顔を出したYOSHIKIが高級シャンパンとして知られるドンペリを飲んでいたところ、焼酎を飲めと強要し、YOSHIKIが激怒したというものです。この話は、浅草キッドが『お笑い男の星座』(文春文庫)でネタにし、煽っている部分もありますが、YOSHIKIは『ケータリングのカレーが辛い』だけで激怒し現場から帰ったエピソードもあり、さもありなんな話でもあるでしょう。YOSHIKIがサングラスを最後まで外さなかったことにも和田は怒ったようです」(業界関係者)

 さらに和田は酔っ払うと、より「めんどくさく」なるようだ。

「和田は子どももいないため、かなり寂しがり屋として知られています。ナインティナインの岡村隆史が家に連れ込まれたときには、メイクを落としながらら『売れたら孤独』のフレーズを何度も聞かされたそうです。さらに、意外にも倹約家として知られ、飲み物を残す、食べ物を残すといった行為はマナー違反となります。『アッコの飲み会』は細かい『マイルール』でがんじがらめなのです」(同)

 インターネット番組は、テレビに比べて放送コードはゆるい。10日の放送でどこまで和田の本性があらわになるのか、恐れつつも期待したいところではあろう。
(文=平田宏利)

“ゴクミ”後藤久美子の復帰ロードに暗雲……娘・エレナの「ゴリ押し」に冷ややか目線

 ゴクミこと女優の後藤久美子の戦略が裏目に出ているという。ゴクミといえば昨年10月に23年ぶりに女優復帰を発表。スイス・ジュネーブから拠点を東京に移し、今年12月27日に全国にて公開される映画『男はつらいよ50 おかえり、寅さん』に出演することとなり、大きな話題を呼んでいる。

「女優復帰をめぐっては映画監督の山田洋次氏から手紙でオファーをもらったことで決めたと明かしていますが、実のところは娘のエレナを売り出すためだといいます。娘をゴクミと同じオスカープロモーションに所属させ、親バカと言われながらも猛プッシュしていますよ。以前、上戸彩を担当していたスタッフをエレナにつけさせ、先日も『娘に仕事を入れてやってください』とゴクミがお願いして回っていましたよ」(芸能関係者)

 昨年は母娘一緒にバラエティー番組『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演、ファッション雑誌の表紙を2人で飾るなど、ゴクミがエレナの芸能生活の基盤を作るためにサポートしたことが有名な話。

「ただ、ゴクミが娘をプッシュすればするほど、世間からは『親の七光』『コネを使っている』『ゴクミのゴリ押し』といった批判にさらされ、エレナの芸能活動はうまくいってないようです。それどころかオファーがくるのは、エレナよりも本格芸能復帰したゴクミばかりで、本人も頭を抱えているといいます」(同)

 元レーシングドライバーのジャン・アレジの家族で、美人母娘としてフランス・パリの社交界隈の一部では名が知れた存在だというゴクミとエレナ。逆輸入2世タレントとしてエレナは日本の芸能界で成功を収めることができるのか、果たして。

元欅坂46・志田愛佳がSNS開始? 芸能界復帰を思わせる“officialアカウント”の真偽は……

 元欅坂46の志田愛佳のものとおぼしきSNSアカウントが発見され、ファンの間で騒然となっている。

 4月1日、志田の“official(公式)”を謳うInstagramのアカウントが、彼女と思われる写真とともに「しだまなかです。インスタ始めました。!」と投稿。また、同様の内容で、Twitterも開始している。志田は昨年11月にグループを卒業後、芸能界を引退したと見られていただけに、突然のSNS開始には「エイプリルフール?」の声も上がっていた。

「SNSを始めたのが4月1日のエイプリルフールということもあって、ネット上では彼女のアカウントが本物であるかどうか疑う声もあります。ただ、実姉や昨年8月に欅坂を卒業した今泉佑唯と相互フォローし合っているので、本物ではないでしょうか。語尾を『。!』で締める文体も、彼女独特のものですしね。もっともファンなら、その辺の模倣はお手のものなのでしょうが」(アイドル誌ライター)

 志田は、欅坂の1期生として2015年にオーディションに合格。2ndシングル「世界には愛しかない」では1列目に抜擢されるなど、グループの初期を支えた人気メンバーだった。アイドルらしからぬクールな佇まいは、清楚が売りの坂道シリーズにあって異彩を放っており、テレビ出演のたびに髪型や髪色を頻繁に変えて運営に注意を受けるといった“反逆児”のイメージも、欅坂が楽曲を通して訴えかけるメッセージを体現していた。

 そんな志田がスキャンダルに見舞われたのは、昨年4月のこと。「週刊文春」(文藝春秋)が、地元・新潟で一般男性宅に宿泊したことを報じた。報道を受けて、志田は体調不良を理由に休養を発表するも、さらに文春による続報で、彼氏とのキスプリクラが流出してしまう。

「結局、休養から復帰することなく、昨年11月にグループからの卒業を発表。卒業のセレモニーもなく、発表されたコメントも『これからも応援お願いします』という素っ気ないものだったことから、運営との確執もうかがわせました。卒業後は消息が知れることもなく、芸能界を引退したと思われていましたが、インスタのアカウントに“オフィシャル”の表記があることから、芸能界復帰を予想する声もあります」(同)

 果たして、アカウントは志田本人のものなのか。もし本物なら、芸能界復帰はあるのか。今後の展開が注目されるところだ。

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視聴率右肩下がりの石原さとみ 7月期主演ドラマ次第で結婚に拍車も?

 7月から放送されるドラマ『Heaven?~ご苦楽レストラン~』(TBS系)で主演を務めることが決まっている石原さとみ。今回の作品は、いろいろな意味で重要なものとなりそうだ。

「最近の石原の主演ドラマの全話平均視聴率を見ると、完全に右肩下がり。残念ながら、年齢を重ねるとともに人気は低下していると言わざるをえない状況です」(テレビ局関係者)

 実際に、石原がここ数年の間に主演したドラマの全話平均視聴率を見てみると、2016年の『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ系)が12.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)、17年の『アンナチュラル』(TBS系)が11.1%、18年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が9.5%となっている。そこまで“爆死”しているわけではないものの、間違いなく低下傾向となっているのだ。

「この『Heaven?』の視聴率が悪かったら、石原の事務所内序列も下がってしまうのでは」(同)

 ホリプロが抱える主演級の女優といえば、石原、綾瀬はるか、深田恭子といったところ。その後輩格として高畑充希が控えている。

「3人の看板女優の間に高畑が入り込むとなると、あまり数字を持っていない石原が“格下げ”になる可能性が高くなる。まさに7月期の『Heaven?』は、石原にとっての試金石になると思います」(芸能事務所関係者)

 尻に火がついた状態の石原だが、一方でプライベートを充実させたいという気持ちもあるようだ。

「昨年交際が報じられたSHOWROOMの前田裕二社長との結婚を考えて、仕事をセーブしていたという噂もあります。ただ、今回ドラマの主演をするということで、気持ちが揺れている部分はあるのでは。もし、『Heaven?』が好評だったら、女優への熱意が復活してくるかもしれないけど、コケてしまったら、いよいよ結婚に向かっていく可能性も高いでしょう」(同)

 いずれにせよ、石原にとって、『Heaven?』というドラマが今後の人生を左右することとなりそうだ。

産休宣言の“ショーパン”生野陽子アナは「フジテレビ最後の希望の星」?

 フジテレビの人気女子アナウンサーである“ショーパン”こと生野陽子アナウンサーが4月1日から産休に入った。生野アナの夫は、同期入社の中村光宏アナである。

 生野アナといえば、「ニュース読みよりもバラエティ番組で目立つ」と揶揄される、ほかのフジ女子アナと違って、ニュース番組を中心に活躍している正統派アナウンサーといえる。“ショーパン”は視聴率不況にあえぐフジテレビにとっては“最後の希望の星”といえる存在かもしれない。

「何しろ、現在のフジテレビには報道番組をこなせる硬派な女子アナが皆無ですからね。秋元優里アナは報道畑の人間として将来を期待されていましたが、“かぐや姫不倫”で失脚してしまいました。秋元アナと2トップの報道系アナであった大島由香里アナもすでに退社していますし、最近は他局のバラエティ番組にも出演しており、方針転換をしたといえるでしょう」(業界関係者)

 生野アナは、猫顔のルックスにもファンが多い。もっとも2018年に発生した鳥取地震の報道特番では「すっぴん姿」をさらしてしまったこともあるが、アイドルアナとしても生野アナには期待を寄せる声が多い。

「生野アナの後輩で、アイドルアナであったカトパンこと加藤綾子アナは16年にフリーになっていますが、この春からフジの夕方の帯ニュース番組『Live News it!』に起用されていますが、初回から視聴率は爆死しており、早期打ち切りの懸念もあります。フジテレビの最後の賭けとして自局アナウンサーである“ショーパン”に望みが託される可能性は高そうですね」(同)

 本人としてはプレッシャーでありつつも、名誉でもあるのではないだろうか。いまのところフリー転身の噂もまったくない、生野アナのこれからの活躍に期待したいところだ。

(文=平田宏利)