【エッセイマンガ】統合失調症にかかりました~自己紹介編~

 インスタグラムで、日常系のマンガやイラストを更新しているたかもりさいこさん。エッセイマンガ『統合失調症にかかりました』では、発症から精神科受診、治療の様子など自身の統合失調症の闘病経験を描いており、現在18話まで公開されている。たかもりさん本人の素直な感情が描かれる同作品に対し、「自分だけじゃないんだと思えた」「同じ病気で悩む知人と接するにあたって参考になる」など、同じく精神疾患を抱える人やその身近な人を始めとした読者から共感を呼んでおり、現役のナースからも「読みやすさの中にも、本人のつらさがよく描かれている」と評価する声が上がっている。

 日本での統合失調症の患者数は約80万人といわれており、世界各国の報告によると、生涯のうちに発症する人は全体の人口の0.7%と推計されている。統合失調症は100人に1人弱が発症する非常に身近な病気であるにもかかわらず、多くの人が病気に対する知識や理解が不足しているのが現状で、社会的な差別や偏見には根深いものがある。

ー「統合失調症がどういう病気かわからない人に対し、自身の経験を通して理解が深まれば嬉しい」

 たかもりさんのメッセージを受け、決して他人事ではない統合失調症という病気を“知るきっかけ”の一端としてこの度サイゾーウーマンにて『統合失調症にかかりました』の先行配信を19話よりスタートすることが決定。

 19話の配信に先がけ、今回はたかもりさんの自己紹介編をお送りいたします。

 統合失調症にかかりました ~自己紹介編~ /作・たかもりさいこ

統合失調症

ー次回は、現在たかもりさんのインスタグラムにて公開中の1~18話のまとめ読みを前編・後編の2本立てでお送りします。更新をお待ち下さい。

※本作品は個人の経験に基づいたものです。統合失調症の症状もあくまでもその一部であり、絶対ではありません。個人差がありますことをご理解ください。

たかもりさいこ/@takamorisaiko
インスタグラムにて、統合失調症にかかった自身の体験マンガを日々投稿。
https://www.instagram.com/takamorisaiko/

「取り返しのつかないオナニーをしている」死を見て興奮する“わたし”の苦しさとは

 

 23歳、処女。「泣くまでボコボコにされた」ことで芽生えた初恋――。自身の“被虐趣味”という性癖と、その根底にある“性自認の不一致”を描いたコミックエッセイ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(新潮社)。

 その著者・ペス山ポピーさんに、自身の“性別への違和感”について伺うと、おのずと浮き彫りになるのは、“女”という性を破壊したい衝動と、それに伴う特殊な性癖について。「殴られて性的興奮を覚える」著者がとった行動とは、どんなものだったのか。前編に続き、話を伺った。

(前編はこちら:「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

――オナニーを覚えたのは、いつですか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) だいぶ早くて、それが“オナニーである”と気づいたのは中1くらいでした。オカズにしていたのは、自分が某ゲームの主人公にぼこぼこにされる妄想です。3~4歳頃からネタにしていたけど、はっきりと「わたし、ヤバくない?」と自覚したのも、中1くらいです。それまでは、「自分が殴られているところを想像すると、股間のあたりがムズムズするなあ」くらいの認識でしたが、はっきりと「オナネタだ」と認識した瞬間、「わたし、ヤバイ人じゃん」と。

――ヤバイと思っても、自制できるものではないですもんね。

ペス山 まったく止められなかったですね。

 オカズは、イケメンにただ殴られ蹴られ締められる妄想か、イケメン出演率の高い暴力系ゲイAV。ときには地上波のボクシング生放送を目にしてしまい、「地上波で無修正セックス生中継!!」と股間が反応してしまったことも。そこに愛やセックスは、とことん無用だった。

――妄想やオカズに、女性は登場しなかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。妄想の中に女性が入ってくると、なぜか違和感があるんですよ。でも、レズっ気もあって。もしかしてバイセクシャルなのかもしれません。女性のストッキングの脚も、じーっと見ちゃったりするんです。恋愛対象ではないけど、性的対象ではあるというか。

――女性の脚のフェチAVは、M男の性癖にマッチしがちですが、ペス山さんはオカズにしますか?

ペス山 持ってます! ヌケちゃうんですよね! 暴力系ゲイAVの方が、7:3くらいで好きなんですけど。これはものすごく失礼な言い方ですが、暴力AVは“高級フレンチ”で、女性のフェチAVは“ファストフード”といいますか……。てっとり早くヌキたいときは女性モノというか……ああ、ごめんなさい! 心の底から興奮したいときは暴力AVを見て、「今日は良かったなあ」と終え、女性の方は「終わった終わった! すっきり! さあ寝よう!」という感じでしょうか。

 ペス山さんが主食にする“暴力AV”だが、性欲が掻き立てられる一方で、「暴力に心を痛めるし大嫌い なのに股間だけがいうことをきかない」と、健全な倫理観が自分の首を締めた。幼少期から「自分がものすごく気持ち悪い」と、幾度となく自己嫌悪に陥った。あげく、祖母からの「(結婚や恋愛をしないと)人として生まれた意味がない」との言葉が、さらに自罰傾向を加速させた。孤独感がペス山さんの足に、いくつもの囚人鉄球をつけた。

――暴力モノのAVで性的興奮することに関しての、「自分の倫理観と股間で葛藤する」という描写が印象的でした。ポップに描かれていますが、実際はとても苦しんだのではと思います。

ペス山 正直、今でも苦しいですね。だいぶ笑えないAVで興奮するんですよ。引かれると思いますが、ザリガニを踏んだりするフェチモノAVもありまして。グロテスクで可哀相で吐きそうになるのに、興奮してしまったことがあります。「わたしは、取り返しのつかないオナニーをしている」と、生きていてはいけない気持ちになりました。実は、『くらげバンチ』に掲載している作品バナーや、わたしのTwitterアイコンにザリガニがいるのは、それなんです。「わたしの興奮の裏には、必ず犠牲がある。あのザリガニを忘れまい」と、心に刻もうと思ったんです。今後、作品を発表していく上で、その感覚を麻痺させたくないというか。

――そうしたAVには、どうやってたどり着くんですか?

ペス山 そういったジャンルは“クラッシュ系”と呼ばれていて、たいていピンヒールを履いた女性が何かを踏んで壊したりするんです。わたしはたまたま、とあるAVサイトに貼ってあったスニーカーの画像のリンクをポチったら、「あっ! こ、これは……!」と。

――ザリガニなど、小さな生き物を潰して興奮することについて、性癖に理解のない人が聞けば、「酒鬼薔薇聖斗」を連想するかもしれません。

ペス山 実は、『絶歌』(太田出版)を読んで、他人事と思えない部分もあったんです。私がサディストだったら、こっち側だったかもしれない、と思ってしまって……。もちろん酒鬼薔薇の場合、反社会的な人格や、先天的なものや環境的なものも大きく作用していると思いますが、わたしは“ザリガニの死”で興奮できてしまうし、「まったく他人事というわけではない」と思いながら読みました。

――自分もそっち側に転んでしまうかもしれない、と。

ペス山 そういう怖さが、すごくありました。そんな性癖と付き合わなきゃいけないことや、漫画家としてなかなかネームが通らないこと、漫画のアシスタント先でセクハラにあったりで、急激に太ったり痩せたりを繰り返して、精神のバランスを崩し始めたのが、20歳の頃です。

――具体的に、どんな状況だったのでしょうか。

ペス山 漫画を読んでも面白くなくなり、当然描いても面白くないから描けるわけがないし、毎晩涙が出てくるようになりました。そうした症状を鬱病経験者の友人に相談すると、「それは鬱の症状かもしれない。そういうときは、あがかずにじっとしていろ」と言われ、毎晩泣いてじっとする日々が続きました。そうやって、だいぶ沈みきったところで、「もういいや!」と思ったんですね。「殴られよう! 人生、捨てよう!」って。もう人生最後だと思って、妄想は妄想のままにしておかず、体現して楽しんでみるのもいいか、と思ったんです。

 “牢獄”のような孤独さを、オナニーでやり過ごす日々に限界が来たペス山さんは、「あたいだって性生活 楽しみたい」と壁を突き破る。解き放たれるかのように、“倫理VS股間”で、股間が勝者となったのだ。「わたしはボコられたいんだ」という自分の欲望と向き合うべくペス山さんが選んだ手段は、変態が集う出会い系掲示板への投稿だった。「暴力系プレイのパートナーを探しています」と書き込んだ。完全に開き直ったのだ。

ペス山 何人かとチャットでやりとりしたあと、最初に通話したのは、自称・医者の男性でした。すごく色っぽい声で、「殴られると、興奮するの……?」って。エロい声だから、こりゃあいいと思って「殴ってくれるんですか!?」と言うと、「いや……僕はそういうんじゃない……」と言われてしまって。「殴ってくれないなら媚びる必要はない!」と思い、ドライに対応したものの、その男性はいろいろな知識を与えてくれました。「君の理想とするプレイは危険だね。それで病院にかかる人もいる。まず、肝臓、膵臓、脇腹を殴られるのはやめなさい。セーフワードも決めなさい」

――理想のプレイというのは、とにかくボコボコにされたい、というものですか?

ペス山 ボッコボコですね。それまでフィクションを見てきて、血を吐くまで殴られるので興奮していましたが、実際に血を吐くまでとなると、そりゃあヤバイですよね。

――そうして最初に出会ったのが、ボクシング経験者の、声がフリーザのような、通称”フリーザ様”だったんですよね。実践し、理想通りいきましたか?

ペス山 いえ。やっぱりそうはいかないです。それから4~5人と出会いましたが、難しかったですね。

――相手は、”殴る“=SMの前戯的な段階だけど、ペス山さんにとっての“殴る”はそうではない、と。というか、ペス山さんの性癖はSMなんですか?

ペス山 それが、わからないんですよね。SMには同好のコミュニティと、楽しむための“哲学”があるでしょうし、そういう場所に“所属”したら「自分の性癖はこうであるべき」と決められそうで、自分から距離を置いてしまっています。だから、SM界隈の人が、わたしの行為をSMだと思うのかはわかりませんが、わたしは自分をマゾヒストだと思うし、わたしが選ぶ相手はサディストだと思うから、「SMでいいんじゃないか」と思っています。

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 殴られたいが、服を脱ぐことと、体に触れられることは徹底的に拒絶した。なぜか。作中で、ペス山さんは「自分の肉体を、女性として扱われる違和感」があり、「嫌で仕方がない受け入れられない肉体を 暴力で壊す」ために、殴られたいのかもしれないと、自己分析している。

――出会い系で会った相手には、よくイラマチオを要求されていたと描かれていましたね。
ペス山 正直、めんどうだし痛いし吐いてしまうし、「なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう」という気持ちもありました。むしろ、わたしに生えていたらしゃぶってほしいわ! と。

――女性として扱われるのは苦痛だけど、フェラチオは受け入れられるんですか?

ペス山 手や口に、性別は関係ないじゃないですか。自分の体に触られなければ。それに、わたしが服を着ているというのが重要で、自分の“女性”の肉体から逃げるために、いつもぶかぶかの服を着て、彼らと出会っていました。

――イラマチオも、苦痛を与えるプレイのひとつです。殴られる時のような興奮は得られないのでしょうか。

ペス山 そうでもないですね。そもそも、「イラマチオをしてくれ」と言う男性の殴り方は甘くて、相手はもう殴り終え、「さあヌイてくれ」状態でも、わたしは「まだまだ殴られ足りない!」状態だから、齟齬が生まれてしまう。これは仕方がないことだと思いますけれど。

――とても初歩的な質問ですが、殴られる=濡れる、ではないんですよね?

ペス山 違いますね。痛くて泣けてきて悲痛な気持ちになると、そこではじめて興奮できるんですが、泣くと心配されてしまう。「いや、違うんだよ! もっと来いよ! ここからなんだから!」と、もどかしかったです。でも、“彼”はそこをやすやすと超えてきたんですよ。最高でした。天才ですよ。本当に死ぬかと思いました。

「彼」とは、ペス山さんが“恋”に落ちた相手。第1話冒頭と、第10話以降登場する「彼」と出会ったのは、いつもの掲示板だった。美しい容姿に可愛らしい雰囲気。「この子が本当に殴れるのか」と不安になった。

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ペス山 それまで、何人もの男性とプレイしてきて辟易していたので、期待はしないようにしていました。いやあ、舐めてました。最初の一撃で、「ちょ! まって!」とか言ってしまいましたもん。そうすると、「待ってじゃねえよ」と、また一撃。すべて容赦しないんです。特に膝蹴りはキツかったです。糸が切れたように、地面に吸い込まれるように倒れこみました。そんなふうに殴られている間、「ああ、これって“好き”ってやつだなあ」と、自分が恋に落ちたことを実感しました。

 2時間のプレイを終えると、2人の距離は縮まり、まるでピロートークのように事後の余韻に浸った。そして「ハグ、しない?」と持ちかけるペス山さん。彼は抱きしめ、言った。「会えてよかった」

――女性でも男性でもない、“ペス山さん”自身が受け入れられたのだということが、読者であるこちらにも伝わってきました。

ペス山 このとき、抱きしめられながら大泣きしました。「うわあ――――! 今までつらかったああああ!」と。わたしは妄想の中で自分のことを、男でも女でもない、某ゲームのモンスターとして登場させているんですが、そんな“私”をそのまま「受け入れられた」気持ちで胸がいっぱいだった。そこが嬉しかったんです。

――彼と出会って以来、性癖や性自認に変化はありましたか?

ペス山 ストライクゾーンが広がりました! 以前はBLの普通のセックス描写に興味はありませんでしたが、「セックスもいいじゃん」と読めるようになったり。すごい進歩です!

――ややこしい事情を抱え、常に死を意識していた中で、「受け入れられた」と思えたことで、自身に希望が持てるようになったのでしょうか。

ペス山 そうですね。「生きていてはいけない」とまで思ったこの性癖は変わりませんが、ゾーンが広がったことで、「生きていちゃいけない、なんてことはないな」と思えるようになったのは大きいですね。私は友人に恵まれたこともあって、いろいろな面で救われたけど、ひとりでは這い上がれなかった。そういったこともひっくるめて、“奇跡”だったと思います。

(文=有山千春)

ペス山ポピー(ぺすやま・ぽぴー)
新潮社のWEBマンガサイト『くらげバンチ』にて
本作『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』を連載中。

「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

 若い男性に、「命がログオフする」ほど腹を殴られて「恋に落ちた」――。

 連載1話目から、衝撃的な描き出しで話題となり、またたくまにフォロワーを増やしたコミックエッセイ『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)。

 23歳の処女でありながら、暴力を受けることでしか興奮できないという著者・ペス山ポピーさんが描くのは、「誰からも理解されない」被虐趣味に対し、正面から向き合っていく自分と、そんな自分の性別が“女性”であることを受け入れられず、女性という肉体を「破壊」したい衝動に駆られる著者のもとに訪れた、恋について。

「きっと中々 誰もわかってくれないだろうな」と諦めかけていた著者が“奇跡”と語る出来事、それに至るまでの経緯と心情、取り巻く環境はどんなものだったのか。4月9日の単行本1巻発売を踏まえ、作中では語られなかった背景を、著者本人にうかがった。

――ご自身でも描かれている通り、ペス山さんは“個性が渋滞”していらっしゃいますよね。ひとつひとつ紐解いていけたらと思います。まず、ご自身の性について違和感を覚えたのは、いつ頃でしたか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) 3~4歳くらいですね。変わっていて周囲から浮きやすい子どもでした。「マイペース」「我が道を行く」といった言葉をポジティブに、ときにネガティブに通知表に書かれていて。自分でも、周囲との馴染めなさを感じることが多かったです。

――小学生くらいになると、女子はグループ作りが主流になりますが、そういった輪に入るような子どもではなかった?

ペス山 そうですね。それでも小学校の1、2年生までは、一緒に遊ぶ女子に頑張って合わせていて、おままごとに参加したりしていました。だけど、やりたがる役は“お父さん”。美少女戦士ごっこをやるときも、どうしても美少女戦士役はできませんでした。だから、「敵やるから倒して」と、率先して敵役になっていました。それが図らずも、“女の子になれない+マゾヒスティック”な自分に合っていましたね。実際、「おのれ~!」なんて言いながら倒される感じがちょっと良かったりして(笑)。でも、やっぱりうまくいかなくて、女子グループにいじめられたこともありました。

――どんないじめですか?

ペス山 こそこそと陰口をたたかれたり、下校中に途中で仲間はずれにされたり、遊んでいる途中で「帰って」とか言われたり、まあ定番ないじめですが。「ああ、苦痛だなあ」みたいな。

 いじめの経験を「苦痛」と語りながらも、どこか余裕のある表情で回顧するペス山氏。しかし、そうしたいじめよりもペス山氏が「傷ついた」と作中に描く、こんなエピソードがある。小4のとき、男子と口喧嘩をしていると、クラスメイトの女子が現れ、こう言い放ったのだ。「やめなよ! ポピーちゃんだって女の子なんだよ!?」自分は“女の子”なのか? そうなのか……? 釈然としない感情が、涙となって溢れた。

――「女の子」に、そこまで強い違和感を覚えていたんですね。そんなふうに善意で「女の子」扱いされることについて、悔しかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。このときの言葉は強く印象に残っています。かばってもらったのにつらくて泣いている。でも周りは、かばわれて嬉しくて泣いていると思うから、なおつらい。「違う! 私は嬉しいんじゃないんだ! 悔しいんだ!」と。

――だけど、当時は言葉にできなかった。

ペス山 それでも「わたし、“女子”に属するの、キツイなあ」って、当時からなんとなく、意識としてはわかっていたんですよね。たとえばテレビCMの女性は、“女性の完成形”が映し出されているじゃないですか。「わたしもこうなるの!?」と思うと、「イヤだ! なりたくない!」と拒絶の気持ちが生まれる。むしろ、サラリーマンになりたいと思っていました。自分の中での自然な将来の姿が、男性なんです。人生がものすごくうまくいったらロックスターになりたかったですが、さすがにそれは難しいかもしれない。せめてサラリーマンにはなれたらいいな、という感じで。“女性”になるという想像はできませんでした。

 そうした思いが確立したのは、のちにペス山氏が出会い系で募ったM男に対し、ペニバンでアナルを掘ったときだった。事後、ペニバンを装着した自身の姿を見て、「私、これ、めっちゃ似合ってるな!!」と爽やかにひらめいた。そして、「私の性自認は、ほとんど男性なのだと思う」と、思い至っている。

ペス山 たとえば、路上でイケメンを見ると「わたしはなぜ、こんなふうに生まれなかったんだろう」と嫉妬しますけど、きれいな女性を見ても、「きれいだと、生きるのが大変だろうなあ」と思ってしまうだけなんです。極度に「“女性”としてしか扱われない」、つまり「人間として扱われないのでは」と。ならば、そんな人生はキツイのではないか、と。反面、おばあちゃんにはなりたいです。性別から解放されていると感じるから。

――“女性”という性別そのものに、怖さを感じていたんですね。進学すると制服でスカートを着用しなければいけなくなります、どうしていたんですか?

ペス山 スカート着用に対してというよりも、小6までは男女混ざり合って遊んでいたのに、中学校で制服になった途端、男女が分かれるのがキツかったですね。制服によって“分断”された、という感覚で、悲しかったです。だからわたしは、スカートを長くしたり、下に体育ズボンを履いたりしていました。それで、スカートの留めが甘くてズルっと落ちて笑われて、「タカラジェンヌみたいで面白いでしょう?」なんてふざけたリアクションをとったり。

――わざと道化を演じるような、“面白キャラ”だったんでしょうか。

ペス山 そうですね。それには背景がありまして。小5のときが一番大変だったのですが、友達がいない上に先生が「キツかった」んです。

――「キツかった」とは、どういうふうにですか?

ペス山 先生が作曲して、みんなが作詞した「笑顔の5年B組~♪」みたいな内容のオリジナル“クラス歌”を歌わされました。さらに、先生がみんなの呼び方を決めるんです。「あなたはルミルミ。あなたはマナっち。名字で呼び捨てすることは許しません」と。わたしは性別から逃げるために名字の呼び捨てを好んでいて、友達にも「なるべく名字で呼んでほしい」とお願いしていました。“名字呼び”で過ごしていた時期は、心地よかったんですが、下の名前で呼ばれるようになってしまって、精神的な自由がどんどんなくなっていくんですよ。……さらに追い詰められた理由は、その当時“トレジャーシステム”というのがありまして。

――なんですか、それ!?


ペス山 
“トレジャーシステム”は、クラスで良いことをした子がいたら、「◯◯くんがこんなことをした」と先生に報告するシステムなんですが、それが悪いことにも適用されて、“通報”されるんです。わたしは友達がいないことが原因で、「この中に友達がいない人がいます! 手をあげなさい!」と、先生に吊るし上げられました。自分もみんなも、わたしに友達がいないことを知っているから、チラチラと見てくるんですよね。「すいません、友達、いないです……」と手を上げざるを得なくて。それで立たされた上「みなさん! この人には友達がいません! 仲良くしてあげてください」と……。なんだこの私刑は、と感じました。

――すごい体験をされましたね。

ペス山 その時期は全てがトラウマで、自分の中でも「わたしは友達がいない」という印象が強いです。だけど今はなんだかんだ、4人の友達に恵まれていますから、結構“逃げどころ”がある人生だと考えてはいますけどね。

――「友達がいない=悪」と刷り込まれてしまったんですね。それが、中学校の“面白キャラ”とつながっていくんですか?

ペス山 そうなんです。小6になって、無理に性格を変えました。スポ根漫画のように、バラエティ番組をずっと見て、明石家さんまさんや土田晃之さんみたいになりたくて、話し方や返し方を真似するようにしました。「こう話せば人気が出る!」と思って。それで実践して、最初はうまくいかないけど、小学生でそんな勉強する人なんていないじゃないですか。だからちょっとずつは、当社比としては面白くはなっていくんですよ(笑)。それが功を奏して、友達がいない状態から抜け出すことができました。躁的な、ピエロ的な明るさを身につけて、でも無理矢理だから痛々しいんですよね。「おまえ、ずっと演技しているみたいだよな」と見抜いて去っていく人もいました。それでも結局は限界が来てしまい、中学の後半では暗い性格に戻りましたが。

話を伺うほど、ひたすらストイックに自分を“追い詰める”エピソードばかりが出てくるペス山さん。「私は 私の手で 自分を投獄する」と作中で綴るように、繰り返し出てくる“牢獄”のイメージは、そのまま心の中の描写なのだろう。そんな、自身を律する気持ちが人一倍強いペス山さんが「わたし、ヤバくない?」と自覚しつつも止められなかった“性衝動”とは、どのようなものだったのか。

(後編に続く・4月10日公開予定)

現代の男は宮本成分が足りない! サラリーマンのバイブル『宮本から君へ』で仕事と恋愛を学ぶ!!

 今日もお仕事ご苦労さまです!! 日刊サイゾー読者の皆様の中には、ビジネスマンの方も多数いらっしゃると推察されます。近年のデキるビジネスマンと言えば、スマホ片手にノートPCを携え、スマートに仕事をこなすITサラリーマンのイメージですよね。しかし、スマートなだけがビジネスじゃありません。今時のビジネスマンがもう一皮むけるために、ぜひ読んでもらいたい作品があります。この4月からテレビ東京でドラマ化もされた『宮本から君へ』というマンガです。

 バブル時代の浮かれきった風潮に、冷水を浴びせるような衝撃的なシーンで、当時の読者をドン引きさせた悪名高い作品である一方、後年はサラリーマンのバイブルとして評価されたマンガでもあります。今回は読む人によって評価が真っ二つに割れてしまう伝説のマンガ、『宮本から君へ』で、現代のビジネスマンが知らない、仕事と恋の成功の秘訣を学んでみたいと思います。

 主人公・宮本浩は、マルキタという文具メーカーの新人営業マン。営業成績は決していい方とはいえず、取引先との人間関係もうまくいかず、同僚たちと居酒屋で愚痴を言い合う日々。スマートじゃないし、非モテだし、出世とも無縁で、おまけに自己中で頑固という、島耕作の対局のような生き様のサラリーマンです。

 そんな宮本は、通勤電車でいつも見かけるトヨサン自動車のOL・甲田美沙子にひと目惚れしてしまいます。それからというもの、毎日同僚に恋の相談してはイジイジしていて、仕事もままならない状況でしたが、ついに勇気を出して声をかけ、それがキッカケで次第に美沙子と親密な中に……そんな出だしのストーリー。ずいぶんとヌルい展開で、なんてことのない普通のダメサラリーマンマンガじゃないか……という印象を持ってしまうかもしれません。しかし、この前半で読むのをやめてしまうと、この後に待っている熱い超展開を見逃してしまうことになります。

 というわけで、『宮本から君へ』の何がスゴいのか? その名シーン・衝撃シーンをご紹介していきましょう。

 

■女に振られてパンツ一丁で極寒の海に入水、そして絶叫

 

 ひと目惚れした甲田美沙子との距離が次第に縮まったある日、会社をサボって2人で海を見に行くという、もうこれ完全に付き合えるだろという雰囲気のデート。美沙子の肩を抱き寄せて、ついに告白するぞ……というその瞬間、美沙子は付き合っていた男に捨てられたばかりだという告白をし始めます。なんでそのタイミングで! ワザとか? ワザとなのか?

 美沙子に男がいたとは知らず、告白する気マンマンだった宮本は、不意をつかれて気が動転。突然服を脱ぎ出してパンツ一丁になり、極寒の海の中に入って波に打たれながら絶叫を始めます。

「甲田美沙子が普通のやつなんかに捨てられちゃだめだろ!!」

「こういう時!! 側にいて!! 優しくするのが俺は!! 許せないから」

 傍から見るとマジ異常行動。彼氏にフラれたって言ってるんだから、別に告白してもいいと思うんですが、そこは男としてのプライドが許さない宮本。わかる、それはわかるが、突然パンツ一丁になるのは、よくわかりません。しかし、この後ぐらいから宮本は急激にモテはじめます。本当の愛には狂気が宿るもの……時には行動が異常なぐらいのほうが逆にモテる、そういうことじゃないでしょうか?(異論は認めます)

 

■謝っているはずなのに、いつのまにか相手を威嚇している攻撃的土下座

 

 宮本が働いている文具業界は、新規取引先には仲卸業者を仲介してクライアントに納品するため、仲卸業者には頭が上がりません。しかし、その仲卸の担当者・島貫部長がスゲー嫌なヤツなのです。常に全力で常に真っ直ぐな男・宮本は、露骨に賄賂を要求してくる島貫部長の要求を頑として呑まず、正攻法で営業をしてくるため、徹底的に嫌われます。

 自分の提案内容をなんとかクライアントにプレゼンしたい宮本、しかし島貫部長が見積書を書いてくれない限り、プレゼンができない……嫌がらせで見積書を書いてくれない島貫部長に対して取った、宮本の行動は……なんのひねりもない怒涛の土下座攻撃。

 オフィス街の路上のアスファルトに頭を擦り付けた土下座スタイルで、逃げようとする綿貫部長の行く手を阻みます。避けようとすると、四つん這いのまま高速移動して、再び行く手を塞ぎ土下座。最終的には道路のど真ん中で土下座をして渋滞まで引き起こし周囲の大注目を浴び、ついに島貫部長が根負けするのです。

 どうせ土下座するなら相手が嫌がる「攻めの土下座」をするべし、そんなビジネス土下座道を宮本から学ばされるシーンです。(周囲はすごい迷惑ですが)

 

■付き合う女をイイ女にしてしまう究極能力

 

 甲田美沙子にフラれた後、職場の先輩・神保の紹介で出会った年上の女、中野靖子は宮本にとって人生を左右する重要なパートナーになります。

 靖子の初登場シーンは、どう考えても二軍以下のルックスで、ツリ目のおせっかいババア。性格は気が強くてかわいげがないサバサバ系。いくらなんでも、これはヒロインにはなりえない、ただの脇役だろう、という存在でした。しかし、登場シーンを重ねるごとに、靖子のババ臭さが少しずつ減衰されていき、魅力的になっていくのです。しかも、ちょっと見ただけでは変化がわからないところがポイント。ほんの少しずつジワジワとイイ女になっていき、気がついたら作品中で最もカワイイ女に変貌を遂げていました。

 付き合う女をいつの間にか美人にしてしまう、この宮本の持つ謎のフェロモンこそ、最高の男である証明ではないでしょうか。

■サラリーマンにあるまじき異常なケンカっ早さ

 

 宮本は、新人営業マンでありながら、まっとうな社会人とは思えないほどのケンカっ早さで、そんじょそこらの任侠マンガのヤクザよりも、よっぽどキレやすい性格かもしれません。

 ライバルの文具メーカー・コクヨンの営業マン、益戸の挑発に乗って、客先で取っ組み合いになったり、カラオケスナックで酔った勢いでボクシング経験者と殴り合ったり、しかもケンカが強いかというと、別にそうでもなく、ほぼ全敗。作品中盤以降は、スーツ姿なのに頭に包帯を巻いていたり、腕にギプスをはめていたり、前歯が折れていたり、いつも満身創痍の状態で、どう考えても堅気のサラリーマンとは思えません。

 しかし、そのケンカっ早さにより仕事も恋愛も結果として好転してしまうのが宮本のすごいところです。もしかしたらサラリーマンが不利な状況を打開ために、時には後先考えずケンカをしてみるというのも一つの手なのかもしれません。(逆に会社クビになるかもしれませんが)

 

■作品後半の地獄のような鬱展開にドン引きする読者が続出

 

 本作品最大の問題シーンは、作品後半、宮本と靖子がラブラブで幸せモード全開、おまけに仕事も絶好調、という状況の中、突如として靖子が屈強なラガーマンにレイプされてしまうシーンがやってくるところです。しかも恋人であるはずの宮本が酔いつぶれているその横でのレイプ、という二重の意味での衝撃。

 以前ご紹介した『愛しのアイリーン』同様、幸せの絶頂から不幸のドン底に叩き落して読者をビビらせる、新井英樹イズムの真骨頂とも呼べるシーンですが、連載当時はあまりに凄惨なこのレイプシーンが原因で、連載終了が早まったともいわれています。

 本作品では何かとこのシーンが取りざたされがちなのですが、その後に宮本が、肉体的にも人格的にも別キャラクターとして進化し、壮絶な闘いの末に因縁のラガーマンに復讐を果たすシーンまでをセットで読むことで、作品の印象がだいぶ変わってきます。

 

■相手のことを一切考えない、超自己中なプロポーズ

 

 レイプシーン以降、誰の子かわからない子どもを身ごもった靖子。宮本は、誰の子であっても受け入れると、靖子へプロポーズするつもりでした。一方で靖子は誰とも結婚せず、シングルマザーとして生きることを決意していました。

 ラガーマンへの復讐を果たした後、それまでの人格とは全く変わって豪快なキャラになった宮本は、”俺が幸せになれば結婚相手も幸せになる理論”で、恐ろしいほど自己中なプロポーズを繰り返します。

「いいじゃねえか結婚、してちょうだいよ靖子ちゃん、チマチマ考えてねえでさっさと返事しやがれこのクソったれ」

 なんという斬新なプロポーズ。このセリフでどうやったら相手がOKすると思えるんでしょうか。しかし、その後の自己中プロポーズは、もっとすさまじいものでした。

「あきれようが嫌おうが、そんなこと屁でもねえ、お前がどんなに思おうと知ったこっちゃねえ、でも俺がこの先一生ずっと死ぬまで側にいてやる」

「子供は俺の子、俺こそがすげえ父親ら、大盤ぶるまい、お前らまとめて幸せにしてやる、俺の人生バラ色だからよお」

 あくまで根拠のない自信で押し切る宮本。そして、ついに受け入れる靖子。本作品で最も泣けるシーンですが、やはりここまで自信たっぷりに押されると、女性も思わずOKしちゃうものなんでしょうか。宮本流、最高にロックなプロポーズ。結婚する予定のある方はぜひ使ってください!(無責任)

 というわけで、賛否両論ありまくり、破天荒すぎるサラリーマンを描いたマンガ『宮本から君へ』をご紹介してみました。結局のところ、本作品のテーマはほぼ仕事と恋愛のみ。今回ご紹介したシーンにかかわらず、ほぼすべてのシーンで常に全力、常に熱くて、常に自己中という宮本の姿を見ると、良くも悪くも、心の中に強烈な何かが残ることは間違いありません。サラリーマンなら一度は読んでみて損はない作品です。
(文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん <http://ablackleaf.com/>)

◆「ザオリク的マンガ読み」過去記事はこちらから

「彼氏の親友と、彼がいない家で」「15年来の幼なじみと」女が“一線を越えた”夜の話

 「親公認、家を気軽に行き来できる関係の幼なじみと、ついに一線を越えてしまいました」――東京は新宿のフォトジェニックなカフェで、開口一番女友達にカミングアウトされました。動揺した私は、「詳しくお願いします」とつられて敬語に。それを皮切りに、友達はつらつらと話し始めました。

「お互いに恋人はいるけど、“幼なじみ”っていう建前で家に遊びに行ったり、どこかへ出かけたり。その日も家に行って晩御飯をごちそうになって、食べ終わってから幼なじみの部屋でくつろいでたんだけど、ベッドに寝転がって漫画を読んでたら『おまえ、そんな無防備な恰好でいつまでいんの? 襲われても文句言えねえよ?』って、ふいに言われて。今まで家族のように接してきた人が、急に男になった気がしてすごくドキドキして、思わず『どうせ襲えないでしょ~』ってちゃかしたら、覆いかぶさってきて……『ああ、今しちゃったら、もうこの幼なじみって関係は崩れちゃうのかな』って頭の片隅で考えながら、そのまましちゃったの……」

 デロデロに溶け始める生クリームを気にも留めずに話し続ける彼女の表情は、どこか悦に入っていて、むしろ背徳感を楽しんでいるようにさえ見えました。彼氏とはマンネリでドキドキなんてご無沙汰らしく、そんなところへ“ずっと一緒にいた幼なじみと一線を越える”なんて、確かに想像しただけでもドキドキです。幼なじみなんて、もう連絡さえ取れない私からすると、正直、非常に羨ましいお話なのでした。

 15年来の幼なじみの家で……

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 家に帰宅してからも、この妙な羨ましさは消えず、ついにはネットで検索した幼なじみモノのコミックを読みふける始末です。『Hメイト』はその1つ。15年来の幼なじみである未央と公平は、愚痴を言い合ったり下ネタで盛り上がったり、男と女でありながら親友でした。しかし、彼氏に裏切られた未央が公平の家に転がり込んできた日から一変。

 傷心の未央は、どうしても1人で眠ることができず、「私たち昔はよく一緒に寝たじゃない。お願い、隣にいてくれるだけでいいの」と、公平のいるベッドの中へ。“幼なじみの関係”を壊したくない公平は、胸元をさらけ出し無防備な未央を前にしても、必死に理性を保ちますが、未央の「公平の“それ”……私に入れてくれない?」という言葉で、ついに“オス”が目覚めてしまうのです。

 この作品は、絵柄や描写がとてもきれいで生々しく、女性はリアリティのある体つきで、ガリガリなのに“胸だけメロン”のような、男性向け漫画とは違い、感情移入しやすい雰囲気。また、描写もリアルで、長年の幼なじみという大切にしたい関係だからこそ、葛藤に苦しむ心が手に取るように感じられます。

 理性を失ってしまった2人は、やがて獣のようにお互いを求め合い――“明日”から2人の関係はどうなるの? ……と思わずページをめくってしまうこと間違いありません。

 彼氏の親友(21歳・童貞)と「同居」した場合……

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 “背徳感のある関係”といえば、幼なじみのほかに「彼氏の親友」と一線を越える……という、これまた絶妙な距離感の関係を思いついてしまいました。そして、まさにドンピシャな漫画『同居』という作品を発見です。

 性欲旺盛だけど童貞で彼女もいない21歳の慎之介が住む部屋に、高校時代の親友・倫太郎がカワイイ彼女・由衣を連れて転がり込んできちゃうところから話が始まります。倫太郎はオープンな性格で、慎之介の目の前でイチャつきまくるわ、夜は由衣が喘ぎ声を隣の部屋から響かせるわで、童貞には厳しい日々を送っていたのですが、倫太郎が仕事でしばらく帰れない状況になったから、さあ大変。「苦しくてイヤ」とブラもつけない由衣と童貞が2人きりなんて、どうなっちゃうんでしょう……。

 猫のように自由きまますぎるヒロイン・由衣のかわいさと、ヘタレだけど真面目で優しい慎之介との、もどかしい関係性に引き込まれていくばかりです。

 だって、由衣ったら、一緒にテレビを見ている慎之介の膝に頭を乗せたり、あろうことか愚息をスリスリしたり、くっついて一緒に寝ようとしながらも、慎之介がソノ気になると、「彼氏が知ったら殺されちゃうよ」といわんばかりに、背を向けるんですよ! これは、相当楽しんでいらっしゃる。

 女友達から引き続き相談ラインがきていましたが、通知をオフにして漫画を楽しむ夜なのでした。『Hメイト』『同居』の2作ともに配信中ですので、皆さんの夜のお供にいかがでしょうか?
(ヨコシマリンコ)

※当記事はPRです。

また調整能力のなさが露呈……『ブギーポップは笑わない』緒方剛志氏の怒りは電話一本ですんだハズ

 待望のアニメ化が話題となっている『ブギーポップは笑わない』。その盛り上がりに水を差す騒動になっているのが、原作小説でイラストを担当している緒方剛志氏の怒りのツイートだ。これをめぐって、またぞろKADOKAWAの調整能力のなさに呆れる声が出ている。

 この問題の発端となったのは、アニメ化が発表された直後からの緒方氏の一連のツイートだ。

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 緒方氏は「僕は一ミリも仕事をさせていただいていない」などと発言。さらに、ティザービジュアルが公開されると「てめー誰だ。一回も見たこともない。家にコピー紙一枚、JPEG一枚来たこともない絵が公式とか言ってて笑う。笑わないのに」と激怒のツイートを繰り返したのだ。

 緒方氏の怒りの原因は、アニメ化にあたり、まったく携わることができていないこと。現在公開されているスタッフ一覧では、緒方氏は「原作イラスト」と表記。キャラクターデザインには澤田英彦氏の名前がクレジットされている。澤田氏はマッドハウスに所属し『ワンパンマン』の作画監督などを担当してきた人物。今回が初のキャラクターデザインでの参加となっている。

 どうも20年あまり読み継がれた名作のアニメ化でありながら、緒方氏本人は何ひとつ関わらせてもらえていない怒りが爆発した様子だ。

「もちろん原作のイラストレーターがアニメに口を出す権利なんてありません。とはいえ、緒方氏はキャリアも長いですし、作品もラノベ史上に名高い名作。当初注目されたのは、緒方氏のイラストも大きな要因でした。なのに、1ミリもアニメに関われないとなれば、あまりいい気分じゃないでしょう。編集者にはそれを察知して、話くらいつけておく余裕がなかったんでしょうか。またKADOKAWAか……と思ってます。電話の1本でもしておけばよかったのに、していなかったんでしょうか?」(あるラノベ編集者)

 なお、緒方氏の記した「ねじ式のキャラがわたせせいぞうの世界に来た気分」の作品は、江口寿史氏の短編集『江口寿史の爆発ディナーショー』(双葉社)に収録された「わたせの国のねじ式」で読めることは、記しておきたい。
(文=特別取材班)

『HUNTER×HUNTER』冨樫義博の“欅坂46愛”が止まらない! 従来読者も「休載よりは……」と納得顔

 あの“ジャンプ作家”が、人気アイドルグループと“勝手にコラボ”を展開し始めた!?

「週刊少年ジャンプ」(集英社)連載中の冨樫義博氏による人気漫画『HUNTER×HUNTER』が、欅坂46ファンから熱い視線を浴びている。同作は1998年に連載がスタート、ジャンプでは『ONE PIECE』に続く2番目の長期連載で、単行本の累計発行部数は7,000万部と、元より老若男女にファンが多いが、いったいどういうことなのか? 芸能ライターが解説する。

「冨樫氏が欅坂46にどハマリするあまり、ここにきて作中が“欅坂ネタ祭り”となっているんです。冨樫氏の欅坂愛はアイドルファンの間では有名で、今年1月の武道館ライブには祝花を送っています。昨年あたりから作品内に欅坂ネタをブッコミ始め、人気メンバーの平手友梨奈にそっくりなおかっぱ頭の女性が『サイレントマジョリティー』なる能力を発動し、平手ファンを歓喜させました」

 それが、ここにきて、さらにエスカレートしているという。前出の芸能ライターが続ける。

「登場人物の能力名に欅坂のアルバム曲『猫の名前(ネコノナマエ)』を使用。さらには殺し屋が自己紹介で『けやき坂46(ひらがなけやき)』のお約束ポーズをとったり、船内のエリアを表すのに『SRCL-9041』『SRCL-9488』と欅坂46のCDの商品番号を使うという細かいネタまで入れてきている。『ジャンプ』の巻末コメントには最新シングル『ガラスを割れ!』を購入したことを報告しており、『帰路のワクワク感は異常』と完全に心を奪われてしまっている様子がうかがえます」

 このまま次週以降も欅坂ネタが続きそうなテンションとあって、ファンは目を皿にしてネタ探しをすることになりそうだ。しかし、あからさまな作品内の公私混同だけに『HUNTER×HUNTER』ファンは、どう感じているのだろうか?

「戸惑いの声もありますが、おおむね歓迎されているようです。というのも、『HUNTER×HUNTER』は、とにかく休載が多いことで知られています。しかし、欅坂にハマっているうちは連載が続くことが予想され、ファンも“それならよし”としているようですね。一方で、現在の展開は暗く難解で評判が悪い。欅坂のイメージを引きずっているからではないかといぶかる読者もいるだけに、逆流して欅坂批判に向かわなければいいのですが……」(サブカル誌ライター)

 冨樫氏にしては連載再開してから長続きしている『HUNTER×HUNTER』。主人公・ゴンはすっかり姿を見せていないが、欅坂に没頭するあまり、登場させるのを忘れてしまっていないか?

『HUNTER×HUNTER』冨樫義博の“欅坂46愛”が止まらない! 従来読者も「休載よりは……」と納得顔

 あの“ジャンプ作家”が、人気アイドルグループと“勝手にコラボ”を展開し始めた!?

「週刊少年ジャンプ」(集英社)連載中の冨樫義博氏による人気漫画『HUNTER×HUNTER』が、欅坂46ファンから熱い視線を浴びている。同作は1998年に連載がスタート、ジャンプでは『ONE PIECE』に続く2番目の長期連載で、単行本の累計発行部数は7,000万部と、元より老若男女にファンが多いが、いったいどういうことなのか? 芸能ライターが解説する。

「冨樫氏が欅坂46にどハマリするあまり、ここにきて作中が“欅坂ネタ祭り”となっているんです。冨樫氏の欅坂愛はアイドルファンの間では有名で、今年1月の武道館ライブには祝花を送っています。昨年あたりから作品内に欅坂ネタをブッコミ始め、人気メンバーの平手友梨奈にそっくりなおかっぱ頭の女性が『サイレントマジョリティー』なる能力を発動し、平手ファンを歓喜させました」

 それが、ここにきて、さらにエスカレートしているという。前出の芸能ライターが続ける。

「登場人物の能力名に欅坂のアルバム曲『猫の名前(ネコノナマエ)』を使用。さらには殺し屋が自己紹介で『けやき坂46(ひらがなけやき)』のお約束ポーズをとったり、船内のエリアを表すのに『SRCL-9041』『SRCL-9488』と欅坂46のCDの商品番号を使うという細かいネタまで入れてきている。『ジャンプ』の巻末コメントには最新シングル『ガラスを割れ!』を購入したことを報告しており、『帰路のワクワク感は異常』と完全に心を奪われてしまっている様子がうかがえます」

 このまま次週以降も欅坂ネタが続きそうなテンションとあって、ファンは目を皿にしてネタ探しをすることになりそうだ。しかし、あからさまな作品内の公私混同だけに『HUNTER×HUNTER』ファンは、どう感じているのだろうか?

「戸惑いの声もありますが、おおむね歓迎されているようです。というのも、『HUNTER×HUNTER』は、とにかく休載が多いことで知られています。しかし、欅坂にハマっているうちは連載が続くことが予想され、ファンも“それならよし”としているようですね。一方で、現在の展開は暗く難解で評判が悪い。欅坂のイメージを引きずっているからではないかといぶかる読者もいるだけに、逆流して欅坂批判に向かわなければいいのですが……」(サブカル誌ライター)

 冨樫氏にしては連載再開してから長続きしている『HUNTER×HUNTER』。主人公・ゴンはすっかり姿を見せていないが、欅坂に没頭するあまり、登場させるのを忘れてしまっていないか?

「チンギス・ハン侮辱表現」が掲載されたホントの理由は「人権・障害者団体の抗議・糾弾が減ったから」

 小学館の看板雑誌「コロコロコミック」2018年3月号で、チンギス・ハンの肖像画に落書きするという内容が、侮辱であると抗議を受け、販売中止と謝罪に追い込まれた問題。これは、予期しなかったトラブルなのか。問題をめぐって、編集サイドのクレーム対応能力の劣化も指摘されている。

「文庫とコミックは<差別・不適切表現>の宝庫だと思え!」

 そう章タイトルで記しているのは、小学館で編集総務部長を務めた堀田貢得の『編集者の危機管理術』(青弓社)。この本では「差別・不適切表現が発覚すると人権団体に<抗議・糾弾>される場合がある」「糾弾にいたれば、担当編集者、編集長、担当役員は絶対に逃げられない」として、人権団体や障害者団体などから抗議された実例が記されている。

「人権に絡む問題や、民族・宗教などの尊厳を毀損すること。病気を揶揄するような表現には、細心の注意を払わなくてはならないのは、出版社にとっては基礎中の基礎のはずなのですが……」

 そう話すのは、ある大手出版社のOB。たいていの大手や老舗と呼ばれる出版社は、過去の膨大な抗議を踏まえて表現には細心の注意が払われている。

「編集段階で『この表現は大丈夫か』と考えた時には、編集長、さらには、編集総務などに確認して判断を仰ぎ協議するのは、ごく当たり前のことです」(同)

 だが、今回のケースでは、そうした協議に諮ることなく掲載され、抗議されることになってしまった。つまり、編集サイドでは、チンギス・ハンの顔に落書きすることが、抗議される可能性のある表現だと、まったく考えていなかったのだ。

 前出の出版社OBは「編集者の抗議に対するスキルは低下している」と指摘する。その理由は、団体に抗議されるケースが減ったことだという。

「かつては、人権団体や障害者団体による組織的な抗議活動は盛んに行われていました。私自身も確認会や糾弾会へ出席したこともありますし、そこまで至らなくても、呼び出しを受けたことは無数にあります」(同)

 ところが、近年ではそうした団体による組織だった抗議活動は、稀だ。

「かつての抗議や糾弾というものは、実際に顔を合わせて行われる対面均衡でした。ところが今では、抗議の主流はネットで匿名で行われるものになっています。編集者自身が、不適切な表現をするとどういうことになるのか、我が身を持って体験することができなくなっているんです」(同)

 過去の人権団体や障害者団体の抗議や糾弾の手法には、さまざまな評価がある。とはいえ、それが表現する上での「覚悟」を醸成していたのも事実。SNSでの誰とも知れぬ発言を相手に、そうしたスキルを学ぶことはできないのか。
(文=昼間たかし)

フィギュア少女の「孤独」に私たちは救われる……『スピン』の描く苦しみ・喜びの福音

 張り詰める冷気。ほのかに漂う汗の香り。誰よりも早くリンクへと降り立った彼女は、確かに孤独ではあったのだが、ブレードが氷を削る音を聞きながら、不思議と心が満たされていくのを感じていたことだろう。何者にも邪魔をされることがない、私だけの清潔な王国。その感覚を、アイススケートになどついぞ縁がない私も、なぜか知っているような気がした。

 『スピン』(河出書房新社)は著者、ティリー・ウォルデンの自伝的作品であり、将来有望なフィギュアスケーターであった少女の視点から、練習に明け暮れる日々、得恋の喜び、悲しい恋の終わり、息苦しい母との関係を描いたグラフィックノベルだ。

 彼女には秘密があった。同性愛者だったのだ。

「5つのときから自分がゲイ※だとわかっていた。わたしはもうすぐ12歳になる」
「スケートは奇妙な敗北感をわたしにつきつけてくる。女らしい要素のすべてに嫌悪を抱きながらなおも惹かれた」
「とっくに気づいていたからといって、楽になるわけじゃない」
「いけないことだとわかっていたから誰にも胸の内を明かさなかった」
「だから密かに恋をした。何度も何度も。報われるなんてただの一度も考えなかった」

 心を削り出すかのような痛切なモノローグが読む者の胸を締め付ける。あきらめることで自らを守ろうとしていた彼女は、しかし恋に落ちた。

「初恋は誰にとっても特別だ。だが年の浅い秘密のゲイ同士となると、話はまったく違ってくる」
「覚えているのはスリルでも自由な感覚でもなく―」
「恐怖だった」

 保守的なテキサスの地で、彼女たちの孤独感はいかばかりのものだったろう。同性愛者に対してヘイトを叫ぶ映像に一抹の不安を覚えながらも、気持ちだけは止められなかった。やがてその関係は親たちの知るところとなり、突然の終局が訪れる。悲しい恋の終わり。だが後に、彼女はこう振り返るのだった。

「誰かがわたしに好意を返してくれるなんて思いもしなかった。でもレイの気持ちは本物だった」

 彼女は懸命に世界と和解しようとしていた。思い出すのは大島弓子の『バナナブレッドのプディング』(白泉社)のこのセリフだ。

「わたし 薔薇の木は大好きだった でも 薔薇の木から 好きだよなんて いってもらえるなんて 夢にも思わなかった 夢にも 思わなかったわ……」

 国や人種を超えてマンガの魂が共鳴する。主人公の在りよう、世界と対峙するスタンスは、どこか大島や岡崎京子の作品に似ている。

 思えばフィギュアスケートは本邦の少女マンガにおいても格好のテーマであった。槇村さとる『愛のアランフェス』『白のファルーカ』、おおやちき『雪割草』(いずれも集英社)、川原泉『銀のロマンティック…わはは』(白泉社)、小川彌生『キス&ネバークライ』(講談社)……。その多くにあってフィギュアスケートは、人生そのもののように描かれていた。

 本作も紙幅の大半はフィギュアスケートの描写に割かれているが、心に響くのは主人公の葛藤や悲しみを綴るモノローグだ。それはフィギュアスケートというスポーツの特異性に因るところが大きい。「このスポーツは生き方とセットだ。そこに選択の余地はない」のだ。滑ること、踊ることは運命のようなものだと、ある種のスケーターは見る者に思い知らしめる。そして華やかさとは裏腹なその残酷さが、人々をまた惹きつけるのだった。

 脆弱な繊細さを抱えた私たちは、あるときは孤独でありたいと思いながら、またあるときはそれを寂しいとも思う、わがままな存在だ。人は1人では生きていけないこともわかっているのだが、他者の無神経や悪意に傷つけられたくはない。消去法として選んだ孤独にとって、恋は福音なのか、猛毒なのか。

 本作は明確な答えを提示する類のものではなく、ただ1人の女性の青春時代を描く。私たちはそこにかつての自分自身を見るだろう。たとえ30歳、40歳になっても消化しきれない、あの頃の苦しみや喜びが、ただそこに表現されているというだけで、今の私も、あの頃の私も救われるのだ。確かに私は孤独だった、でも私は孤独ではなかったのだと。

 12年間続けてきたフィギュアスケートに別れを告げ、二度とスケートはしないと誓った2年後のある日、主人公はふらりとアイスリンクを訪れる。スケートをするためではない。「立ち去れることを自分に証明する必要があった」のだ。鮮やかなアクセルジャンプを着氷した彼女は、そそくさとリンクを出る。フィギュアスケートのジャンプの中で、アクセルは唯一前を向いて踏み切るジャンプだ。跳ぶたびに彼女はこう願ったという。「ターンして踏み切る一瞬、今度こそうまく行きますようにと全身全霊で祈った」。私たちは今日も祈りながら跳んでいる。

※原文ママ。同性愛者全般を意味する。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。