『ザ・ノンフィクション』男親の正論と女親の意地「奇跡の夏に輝いて ~ピュアにダンス 待寺家の18年~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。10月24日の放送は「奇跡の夏に輝いて ~ピュアにダンス 待寺家の18年~」。

あらすじ

 番組が18年取材を続けている、神奈川県小田原市で動物病院を営む待寺家。待寺家の3人兄弟の末っ子、優は生後1カ月でダウン症が判明する。母の幸は当初、優の「顔を見たくなかった」ため、奥の部屋にほったらかしにしていたこともあったと、「今考えるとかわいそうですけど」と涙ながらに話す。

 合併症で心臓疾患もあった優は生後9カ月で呼吸が止まり、緊急手術の末に生還する。そのときのことを父、高志は「生涯何があっても、この子と一緒に生きていく」と決意したと振り返る。

 優は13歳でダンスに出会い、ダウン症のある人のためのエンタテイメントスクールLOVE JUNX(ラブジャンクス)の中で頭角を現していく。逆立ちをした状態で脚を巧みに動かす優のダンスは「障害者のダンス」と聞くとイメージされがちなものとは一線を画しており、ダウン症患者は筋力が弱い、というそれまでの定説を覆すものでもあった。

 優はセンターポジションで踊るようになり、活動の幅を広げていくが、「ダウン症のダンサー」という言葉が前に出るのを嫌がり、一時ダンスから遠ざかる。しかし、再びダンスに戻り、幸の送迎で小田原から東京に通う日々を送る。

 現在、優は31歳。ダンサーとしてのピークは過ぎ、LOVE JUNXのセンターポジションも今は若手だ。できるだけダンスをやらせたい幸と、自分たち親が亡きあとも、優が一人で生活できるように自立の準備をしてやりたい高志の間で、意見が食い違う日々が続く。そんな2人の空気を読んだ優も、自ら皿洗いを始める。

 ある日、憧れのダンサー・植木豪(Pani Crew)から、優の人生をテーマにしたダンス舞台の出演オファーが来る。トップダンサーたちの動きに当初ついていけない優だったが、懸命な練習で食らいついていく。

 舞台の初日は2020年3月24日。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2月26日には政府からイベントの中止要請が出る。優の舞台も中止となり、幸は涙し、優は何も言わずに舞台で使われる予定だった歌を歌い続けていた。その後、8月の再演が決まる。

 また、優は東京パラリンピックの開会式でのパフォーマーに採用されたが、新型コロナの影響で1年延期される。開会式が迫る中、新聞の一面では開催反対の都民が60%と書かれており、逆風の中での開催となったものの、優は無事に大舞台でダンスを成功させた。ギタリスト・布袋寅泰も参加するロックショーのダンサーで、ソロもある大役だ。

 優の両親、高志と幸は優の人生の方針において意見が対立していた。まとめると、それぞれの意見は以下のようになる。

高志:親はいずれ先に死ぬ。優が一人で生きていけるよう、ダンス以外のことをさせて自立の準備をさせてはどうか。
幸:優にできる限りダンスをさせてやりたい。優のことを周りに、社会に、福祉に伝えていかないといけない。

 高志は、幸の抱く「伝えていかないと」との思いについて、それは優のためではなく「自分のため」なのではないか、と話していた。視聴している私もそう思ったし、高志の言い分のほうが納得できるものだった。

 一方、幸は意地を張っているようにも見えたが、しかし意地を張る気持ちも想像できるのが切ない。

 高志はいい父親だと思う。優が皿洗いを始めると、それを監督するなど行動が伴う人でもある。番組スタッフのインタビューには言葉少なげな優も、高志がカメラを向けているときは、にこやかにリラックスして話していて、父と息子の間に積み重ねられた日々を感じさせた。

 しかし、実際的に優と一番長く一緒に過ごし、優の世話を一番しているのは幸だろうし、幸が「あなたに何がわかる(私が一番わかっている)」となる気持ちも想像できるのだ。

 この様子には覚えがあった。『ザ・ノンフィクション』10月3日放送の「母と息子のやさしいごはん」だ。そのときも、障害(この時は発達障害)を持つ成人した息子の今後を前にして、父の正論と母の意地がぶつかり合い、結果として「母の意地が勝る」という状況だった。

 今回の高志は、「一言いうと機関銃のようにぶわーと言うから、諦めちゃう」と話し、「やさしいごはん」の回も、女親のマシンガントークを前に男親は何も言えなくなっていた。

 そして、「意地のマシンガントーク」は障害を持つ子どもの女親に限らず、女性がとりがちな手法に思う。

 男性の一部には、いわゆる亭主関白型な、自分の不機嫌さを隠しもせず立場の弱い周囲に気を使わせようとするタイプが一定数いて、こういった人の厄介さは社会的に共有されつつある。

 しかし、女性の「意地のマシンガントーク」の厄介さ、というのはあまり共有されてない印象を受ける。不機嫌で周囲をコントロールするのも、マシンガントークをするのも、「対話を拒む」という点は似ている。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「愛する人、見送る私 ~看護師僧侶と3つの家族~」。看護師、玉置妙憂は夫を自宅でみとったことをきっかけに出家し「看護師僧侶」として患者や家族の心のケアを続けている。玉置が出会った3組の家族の見送りの形とは。

 

ドラマ『二月の勝者』、金で「不可能を可能にする」のは受験だけではない【最強最悪の中学受験塾講師!痛快人生攻略ドラマが始まる!】

 中学受験をリアルに描く連続ドラマ『二月の勝者-絶対合格の教室-』(日本テレビ系/土曜午後10時~)の放送が10月16日にスタートした。原作は、2017年12月から「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)で大ヒット連載中の同名漫画。

あらすじ

 第1話(サブタイトル「最強最悪の中学受験塾講師!痛快人生攻略ドラマが始まる!」)では、中堅中学受験塾「桜花ゼミナール吉祥寺校」の新校長に、スーパー塾講師の黒木蔵人(柳楽優弥)が赴任する。黒木は大手中学受験塾「ルトワック」から、合格実績の振るわない桜花を立て直すべく迎えられたのだ。

 保護者や新6年生の生徒たちに「全員を第一志望校に合格させる」と高らかに宣言する黒木。その一方で、桜花の塾講師たちには「合格のために最も必要なものは、父親の経済力と母親の狂気」であり、生徒の親は「スポンサー」「金脈」「金のなる木」「ATM」、塾は教育者ではなく「サービス業」「子どもの将来を売る場所」と言い切る。

 6年生からの入塾を考えるサッカー少年の三浦佑星(佐野祐徠)は、学校の成績はクラスで一番だが、桜花のオープンテストの結果は偏差値40の最下位。というのも、「中学受験模試の偏差値」は、首都圏の6年生の約2割にあたる中学受験生のみで算出される。

 その多くが4年生から塾に通い、5年生までに6年間のカリキュラムを終えた成績上位者。そういった子たちに混ざって受けたテストで偏差値40(一般の偏差値60に相当)が取れた佑星は、むしろ6年生全体の中では優秀なほうなのだ。

 とはいえ、中学受験とサッカーの両立は厳しい。サッカークラブのコーチを務める佑星の父は、小6の伸び盛りでサッカーを中断するのはもったいない、偏差値40ならサッカーを続けたほうが可能性があると中学受験に反対する。

 そんな父親に対して、佑星のサッカーの実力を「平凡」と評し、「凡人こそ中学受験すべき」と力説する黒木。サッカー人口から考えてプロになれる確率は0.1%もないが、中学受験で名門私立に入れる確率は10%。勉強はスポーツや芸術よりも努力のリターンが得られやすく、中学受験で受かれば15歳の「伸び盛り」にサッカーを中断しなくてよい、大学付属なら18歳での中断もなし、と説く。

 結果、佑星の父は「サッカーも勉強もやるのは本人」と考えを改め、佑星は正式に入塾した。実際にやるのは子ども。けれどお金を出すのは親。それも、多くは父親。そのことを見据え、黒木は佑星の父、つまり「ATM」を揺さぶったのだ。

 実は黒木は、オープンテストを受けた佑星に「解こうと粘ったのがよくわかる答案です。スポーツか何か長い期間取り組んできたものがあるでしょう。粘って頑張った経験のある人は受験でも強いですよ」と激励していた。

 佑星にかけた言葉も、黒木にとっては「新規顧客」を獲得し、父親という「ATM」から金を引き出す手段のようだ。それでも、期待をかけてくる父親の顔色をうかがいながら長らくサッカーに打ち込んできた、11歳の子どもである佑星にとって、自分個人に向けられた「自分のこれまで」を明確に肯定する言葉はうれしく、背中を押してくれるものとなった。

 黒木は桜花の生徒たちに「不可能を可能にする。それが中学受験です」とも語っていた。「中学受験」のドラマと聞くと、都会の一部の子どもたちの話と思いそうだが、親が経済力を使って子どもの「不可能」を「可能」にする場所は受験塾だけではない。

 たとえば、我が子をスイミングスクールに通わせる親は珍しくない。私もその1人だ。小学校の水泳の授業だけで泳ぎを習得するのは「不可能」かもしれないから、あえてお金を払い「可能」にしようとしている。

 スイミングは比較的親の負担が軽いほうだ。サッカー、ピアノ、バレエなどは、親のエゴであろうが子どもの意思であろうが、子どもがある程度の技術を習得するには、親も熱心にならざるを得ないだろう。

 スケジュール調整、送迎、係や役員の負担、関係者とのコミュニケーション、食事管理。自宅練習が必要なら子どもに促す。レッスンについていけているのか、適切な指導を受けられているのか、気を配る。「経済力」以外にも求められることがあるのだ。

 塾にしろ習い事にしろ、親がある意味自分自身の時間を犠牲にし、我が子をサポートする行為は、「教育熱心」を通り越して「狂気」に駆り立てるリスクが確かにあると思う。そして子どもは基本的に弱者で、親の価値観や状況次第で、自分の不可能を可能にする機会を得られるかどうかも左右される。

 我が子に少なからず期待を持ちながら子育てをしている親の立場からすると、黒木の過激な言動は、一言でいうと「だよね」というような共感を持って刺さるのではないか。「子どものやりたいことをやらせたほうが」「そこまでしなくても」とか、きれいごとを言われるよりずっと。

 『二月の勝者』は、現代の子育てで生じがちなジレンマをリアルに映し出していく。超現実主義の黒木はいかにして中学受験に挑む親子の「狂気」と対峙し、「勝者」へと導いていくのだろうか。

 次回の第2話は、退塾を希望する生徒とその家族の悩みを描く。

『ザ・ノンフィクション』若年性アルツハイマーの父親をケアする高3の息子「ボクと父ちゃんの記憶 ~家族の思い出 別れの時~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。10月17日の放送は「ボクと父ちゃんの記憶 ~家族の思い出 別れの時~」。

あらすじ

 千葉県南東部、緑豊かな睦沢町で暮らす高校3年生の大介は、若年性アルツハイマー型認知症になった父親を日常的に介護している「ヤングケアラー」だ。

 大介の父親、佳秀はもともと東京で映像制作の仕事をしており、ディレクターとして多忙な日々を送っていたという。1999年、43歳の時に妻の京子と再婚してからは、大切な約束を忘れてしまうなど仕事でミスが出始めるも、疲れからくるものだと思っていたという。

 その後2003年に大介が産まれ、このころから車で出勤したのに、それを忘れ電車で帰ってくるなど日常生活にも影響が出始める。大介が2歳、佳秀が50歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断される。

 病気の進行を遅らせるため、一家は千葉に越して仕事を減らしたため、幼少期の大介のそばにはいつも佳秀がいたという。かつてはラグビーを大介に教えるほど、心身とも安定していた佳秀だったが、大介が中学校、大介の下の妹たちが小学校に上がるころから、症状は坂道を転がるように悪化していく。症状が悪化する前の佳秀について、大介は「まだ父ちゃんが父ちゃんだったな」と話す。

 現在の佳秀は、会話がほぼ成り立たず、トイレも一人で行けない。日中はデイサービスに通っている。認知症の症状の一つとして、機嫌のいいときはにこやかだが、唐突に腹を立てることもあるという。京子が働いて一家を支えており、仕事で遅くなる京子に頼まれて、大介が佳秀を寝かしつける様子も映されていた。

 京子は、大介を介護の助け手にしていることに悩んでいた。京子の友人たちが、自分の子どもが20歳になったら家から出すと話しており、大介もそうだと伝えたところ、「出てっていいの?」と喜んだ反応が返ってきたそうで、「家にいなくちゃいけないと思ってたみたい」と番組スタッフに思いを話す。

 京子は佳秀を受け入れる施設を探すも、コロナ禍の状況であり、さらに、コロナがなくてもインフルエンザなどの感染症を防ぐため、希望する施設は11月から4月までは面会謝絶だという。

 一度、施設に入れたら、もう佳秀から家族の記憶は完全になくなってしまうだろうとためらいもあったようだが、京子は施設に入れることを決断する。

 京子の決断を聞いた大介は「(佳秀には)入ってほしくはなかったけど、お母さんが限界だからね」と、便まみれになっていた佳秀を京子が介護していたことをスタッフに話す。

 施設に入る前に、京子は家族や、佳秀と前妻との息子一家を集めパーティーを開いたが、佳秀は久しぶりに会う長男がまったくわからない様子で、自分が主役なのに何のパーティーなのかもよくわかっていないようだった。

 施設に行く当日、涙をこらえハンドルを握る京子と、父親を見つめる大介の横で佳秀はただニコニコしていた。感染症予防のため施設内に家族は入れず、玄関で別れを告げることになったが、佳秀は自分の状況を把握できていないようで、にこやかにスタッフと歩いていった。その背中を、残りの家族は見守った。

 番組内で京子は以下のように話していた。

「みんな(佳秀が)認知症で大変っていうけど、大変なことがあっても必ずプラス・マイナス・ゼロぐらいいいことあるじゃない。『子どもたちしっかりしてるね』って言う(言われる)けど、認知症のお父さんがいてそれで育ててくれたんじゃないのかな」

 外的要因で、年の割にしっかりせざるを得なかった子どもというのは切ない。それぞれの家族固有の事情や歴史があるだろうし、大介や妹たちがどう思うかはわからないが、私は、この京子の発言には共感できなかった。

 むしろ共感できたのが、介護施設のスタッフが、佳秀を預けたあとに大介にかけた「夏休み楽しんでください」という言葉だ。大介が中学に入るころから佳秀の症状は悪化したとあり、大介の思春期は、ほぼ佳秀のケアとともにあったのだ。

 大介は高校卒業後に就職が決まっているため、すぐに社会人となる。残りの半年、子ども時代の終わりを気ままに過ごしてほしいと願う。

 厚生労働省のホームページでは、ヤングケアラーは「一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」とされており、その範囲は広い。

・障害や病気のある家族に代わり家事をしている
・家族に代わり幼いきょうだいや、障害や病気のある家族の看病、世話をしている
・(認知症などで)目の離せない家族の見守り、気遣いをしている
・日本語が第一言語でない家族のために通訳をしている
・家計を支えるために労働をしている
・アルコール、ギャンブル、薬物など問題を抱える家族に対応している
・慢性的な病気の家族の看病や身の回りの世話をしている

 NHKの公式サイトにはヤングケアラーの特集ページがあり、精神疾患を持つ親の世話をする子どもなど、実際の声が紹介されている。

 ヤングケアラーの「しっかりせざるを得ない」子どもたちは、年相応に子どもらしくのほほんと、気ままにワガママに甘えて過ごす同級生たちがどう映るのだろう。当事者の自分の境遇の理不尽さへの怒りと諦め、深い孤独を思うとやるせない。

 私事だが、40歳を過ぎて健康保険料が急に上がって驚き、思わずネットで検索してしまったが、同様に驚いている人も多く見つかった。これは、介護保険料が加わったためだ。自分がこの恩恵にあずかれるかは不透明だが、少なくとも大介のようなヤングケアラーは個々人がなんとかする問題ではなく、社会がなんとかする問題だと私は思う。

 ヤングケアラーの負担が少しでも減るために自分の介護保険料が使われるなら、個人的には納得のいく使われ方に思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「奇跡の夏に輝いて ~ピュアにダンス 待寺家の18年~」。番組が18年見つめてきたダウン症のあるダンサー、待寺優31歳。ダンサーとしてのピークは過ぎ、どう自立への道を進んでいくのか。優と家族を見つめる。当作は令和3年度(第76回)文化庁芸術祭参加作品でもある。

『ザ・ノンフィクション』息子べったりだった母が「もうママは面倒を見れない」と変わるまで「母と息子のやさしいごはん ~親子の大切な居場所~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。10月3日の放送は「母と息子のやさしいごはん ~親子の大切な居場所~」。

あらすじ

 東京大学がある文京区本郷。2020年1月、この地に開店した小さな定食屋「菊坂のやさしいごはん」は開店直後からコロナ禍に見舞われ、客足は伸びず赤字続きだ。定食屋は料理担当の息子・大貴27歳と、接客担当の母・貴美子63歳の親子二人で切り盛りしている。

 大貴は幼いころ、成績優秀で将来は弁護士になると夢を語っていたが、中学生で突然、不登校になってしまう。理由を話したがらない大貴を前に、貴美子は自分の育て方に問題があったのかもしれないと大貴を厳しくしつけたこともあったという。

 原因のわからない日々が続いたが、精神科を受診した大貴はアスペルガー症候群(発達障害のひとつ)の疑いがあると診断される。大貴が記した当時の日記と思われるノートには「学校へ行くとクラスの冷ややかな視線、家へ帰ると親の冷ややかな視線」と心境が記されていた。

 大貴は15歳以降は学校に行っておらず、自宅で引きこもっていたが、初めて作った料理を貴美子に褒められたことで料理人になろうと専門学校に通う。大貴を一番近くで見てきた貴美子は、神楽坂で経営していた自分の料理屋を閉め、息子を支える。

 しかしこだわりの強い大貴は、一般的に飲食店において「食材の原価は値段の3割」が目安と言われる中、980円のアジフライ定食に一匹200円のアジを2匹使うなど採算度外視の仕入れをする。都心の店舗の家賃もひと月20万円と重い。

 貴美子は店を開くために娘(大貴の姉)から借金もしていたようで、返済する様子も放送されていた。81歳で現役歯科医師でもある父・充明の稼ぎも、定食屋の運営に補填されていたと思われる。

 しかし、頼りの充明の歯科医院もコロナ禍により患者が減少。定食屋は1日も客が来ない日もあり、貯金はいよいよ底をつく。次回の家賃更新のタイミングで、店を閉めることを貴美子は充明に告げた。

しゃべらない息子と息子の世話を焼きすぎる母

 今回は、「私がいないと、あの子は無理だから」と息子の世話を焼きすぎていた母親が、「今度はパパもママも助けてやれないよ」と息子に話すまでに至る、母親の変化の話だったように思う。

 息子・大貴はとにかくしゃべらない。大貴が「可能性あり」と診断されたアスペルガー症候群は社会性・コミュニケーションにおいて困難を抱える障害であり、「自分の考えを話すこと」への抵抗は相当なものなのだろうと想像する。

 貴美子が買い出しでちょっと店をあけただけでも、大貴はその間にもし客が来てしまったらどうしよう、と明らかに動揺していた。

 そしてしゃべらない大貴の分、貴美子が大貴役まで引き受けて、しゃべりにしゃべっているように見えた。さらに貴美子は、大貴には甘いが、ほかの家族(夫、娘)の意見はほぼ聞かない。

 本郷は家賃がかかりすぎるから、もっと安いところに移転したほうがいいのでは、という娘(開業資金を貸している)のもっともな意見も一蹴。おそらく、店の運営費を出しているであろう高齢の夫・充明の、大貴に相談できる相手でもいてくれたら安心して死ねる(要は、彼女でも見つけたら)、という意見も、貴美子は大貴でもないのに「大貴は女の人に興味がないの」と返していた。

 貴美子も、大貴を不憫に思ったり、なんとかしなくてはという思いが口から出ているのだろうし、また、自分が一番大貴のことを理解しているし一番面倒を見ている、という自負があるからこそ、ほかの家族の正論を腹立たしく思うのだろう。

 だが、この様子を見ていて思い出すのが、先週(9月26日)放送回の「ちょっと心配な家族がおりまして……」の家族のことだ。

 先週の放送は、発達障害でなく精神障害の家族がいるケースだったが、家族だけでなく行政の力も頼る姿が映っていた。障害を持つ本人が、支援団体から就職先を紹介してもらったり、本人の金遣いの無計画さを心配する家族に、福祉関係者は「家族が(解決するって)言うってよりは、医療(の分野)になってくるんです」と訪問看護師を頼ることを勧めていた。

 この発言は、「家族でなんとかしようとせず、行政や医療という第三者に頼ったほうがいい(≒家族内でなんとかしようとしても、かえってうまくいかないこともある)」ということなのではないだろうか。

 先週の家族は、本人も周りも第三者とつながっているが、今週のケースは家族しか出てこない。定食屋が立ち行かなくなったのは「第三者」の目線がない、「家族でなんとかしよう」が悪い形で出てしまった結果のように思う。

 家族会議で充明はもっともなことを言っているのだが、貴美子がそれに聞く耳を持たないし、大貴は固まったままなので、会議になっていないのだ。

 定食屋の開店のタイミングとコロナがほぼ重なってしまったのは不運なことだったと思う。ただ、コロナがなくても飲食はもともと多産多死型の非常にシビアな業界だ。980円のアジフライ定食で、アジの仕入れだけで400円になってしまうことにまるで危機意識を持っていないように見える大貴と、本来はそれにブレーキをかけるべき立場なのに、まるで止めない貴美子。

 貴美子は金勘定という経営の心臓を見て見ぬふりをしてズルズル来てしまっているように見えたし、大貴に至ってはその意識も希薄なように見えた。

 充明が家族会議で話していた「いろいろ(母親が決めないで)選択肢を」という言葉が、これから大貴が生きていくためにかみしめた方がいい言葉のように思える。「引きこもっているよりは」「雇われて働くのは難しいだろう」という思いから貴美子は大貴に店を持たせたのかもしれないが、番組の最後で貴美子は、事前に障害があることを伝えたうえで、雇われて働く選択肢もあるのではないかと話していた。さすがに今回、金がかかりすぎたという反省があったのだろう。

 一方の大貴は番組の最後で、いずれは自分の店を持ちたいと話し、近隣の空き店舗を探すなど「飲食店オーナー」を諦めきれてない様子に見えた。コロナは本当に不運だったと思うが、この店が立ち行かなかったのはコロナだけのせいではないし、金は湧き出てくるものではなく親が工面したものだ。

 大貴の姿は、今回の閉店という結果について特に反省する意識はないようで、危うさを感じる。飲食店オーナーの適正はないように見えるため、その立場に固執すればまた同じことの繰り返しになってしまうのではないだろうか。

 次週は「ボクと父ちゃんの記憶 ~家族の思い出 別れの時~」。子どもながら人の世話をしなくてはならない境遇にある子どもや若者を「ヤングケアラー」という。若年性アルツハイマー型認知症と診断された父親を介護する高校3年生の大介やその妹たちもそうだ。病状の進行で介護が限界を迎える中、家族の下した結論は……。

KinKi Kidsドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』、ユーモアあふれる2人の軽妙なやりとりと年相応の男の子らしさの魅力

――ドラマにはいつも時代と生きる“俳優”がいる。『キャラクタードラマの誕生』(河出書房新社)『テレビドラマクロニクル1990→2020』(PLANETS)などの著書で知られるドラマ評論家・成馬零一氏が、“俳優”にスポットを当てて90年代の名作ドラマをレビューする。

 新型コロナウイルスのパンデミックが起きて1年以上たつが、緊急事態宣言やワクチン接種をめぐる悲喜交々を見ていると『ぼくらの勇気 未満都市』(日本テレビ系、以下『未満都市』)のことを思い出す。

 1997年に作られた本作は、感染すると大人だけが命を落とす微生物(ウイルス)が蔓延する街を舞台に、親を亡くした子どもたちが、徒党を組んで生き残ろうとする姿を描いたサバイバルドラマだ。自衛隊によって封鎖された街、姿の見えないウイルスに対する恐怖、何より先が見えない閉塞感によって疑心暗鬼に陥っている子どもたちの姿は、当時とても衝撃的だった。

 外出自粛が叫ばれるコロナ禍の現在、改めて本作を見ると身に覚えのあることばかりで背筋が寒くなる。同時に、大人がいなくなった街で子どもたちが共同生活をする姿には修学旅行のような楽しさもあり、青春ドラマとしても面白い。

『金田一少年の事件簿』で定着した「土9」

 同作の主演はKinKi Kidsの2人。正義感の強いヤマトを堂本光一、飄々とおどけているが、頭の切れるタケルを堂本剛が演じた。そして、後に『ケイゾク』(TBS系)や『池袋ウエストゲートパーク』(同)といった問題作を手掛ける堤幸彦がチーフ演出を担当している。

 本作が放送された「土9」(日本テレビ系土曜午後9時枠、現在は土曜午後10時に時間が移動)は剛が主演、堤がチーフ演出を務めたミステリードラマ『金田一少年の事件簿』の成功以降、ジャニーズアイドル主演の若者向けドラマを作る枠として定着した。

 『未満都市』もそんなジャニーズドラマの一つとして企画されたものだが、1995年に起きた阪神・淡路大震災と、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の衝撃を物語の中に取り込むことで、社会派テイストのサバイバル青春ドラマに仕上がっていた。

 同作の舞台となった幕原は、千葉県幕張市をもじった架空の都市だが、圧巻だったのはロケ撮影を多用したクールでショッキングなビジュアル。無数の自衛隊員が子どもたちに銃を向ける姿や、ヘリで行われる食糧配給の場面はスペクタクルな映像で、テレビドラマとしては破格の豪華さだった。また、汚れた子どもたちが集団で集まっている姿はストリートチルドレンのようで、いつ暴動が起きてもおかしくない緊張感が画面から伝わってきた。この映像を見るだけでも意味のある作品だ。

 なお、KinKi Kidsの2人がドラマで共演するのは1994 年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』(TBS 系、以下『人間・失格』)、96 年の『若葉のころ』(同)に続いて3作目。前2作がデビュー曲「硝子の少年」の世界に通じる、少年の繊細な内面を描いた少女漫画テイストの青春ドラマだったのに対し、『未満都市』は2人の中にある年相応の男の子らしさが全面に出た少年漫画的な作品となっていた。

 何より2人の軽妙なやりとりは物語にユーモアと救いを与えた。真面目だが抜けたところがあるヤマトに対し、関西弁でボケたりツッコミを入れたりするタケルのやりとりは微笑ましく、人が理不尽な形で死んでいく救いのない世界において、一服の清涼剤となっていた。

 劇中では、タケルがアコースティックギターで弾き語りを披露する場面もあるのだが、本作の2人は1996年10月から始まったKinKi Kids が司会を務めた『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)等のバラエティ番組で見せる素の姿に近かったと思う。

 劇中では、街に閉じ込められた子どもたちが危機意識から徒党を組み、グループ間で抗争を繰り広げるようになる。その際に、弱くて幼い子どもが真っ先に犠牲になっていくのだが、その状況を本作は、いじめの構造に重ねて描き、「ほかに道はないんか? こっから出られへん限り道はないんかよ!」とタケルに叫ばせ、いがみ合う子どもたちに共闘する道を模索させる。これは「いじめ」をテーマにした『人間・失格』に対する返答に感じた。

 弱者が犠牲となる「いじめの構図からの脱却」というメッセージは、最終回にも強く現れていた。冬になり、気温が低下したことでウイルスはあっけなく全滅する。子どもたちは解放され家に帰されるが、事件を隠ぺいしようとする政府に反発し、ヤマトたちは幕原に残る。政府に抵抗するために廃墟に立てこもる姿は、東大安田講堂事件やあさま山荘事件といった学生運動を彷彿とさせる。

 これは学生運動末期に参加していたという、堤ならではのこだわりだろう。何より重要なのは「正義のためにカッコよく死のうぜ」という仲間の意見に反論し、幕原であったことを忘れず大人になるため、降伏する道をヤマトたちが選ぶ場面だ。おそらく堤は、どんなに無残な姿でも「生きのびる道」を子どもたちに選ばせたかったのだと思う。

  ヤマトたちは事件の証拠となる人工衛星の破片を分け合い、「20年後」に会おうと約束して別れる。

 それから20年後、続編となるSPドラマ『ぼくらの勇気 未満都市 2017』が放送された。主演はもちろんKinKi Kidsの2人。すでに芸能界を引退していた元ジャニーズJr.の小原裕貴や、当時は子役だった嵐の松本潤と相葉雅紀も出演しており、同窓会的な楽しさがドラマにはあったが、何より大人になった彼らが活躍する姿が見られたことがうれしかった。

 生き延びて大人になれば未来を切りひらくチャンスはある。コロナ禍でなかなか先が見えない今だからこそ強く染みるメッセージである。
(成馬零一)

『ザ・ノンフィクション』YouTubeと小説で稼ごうとする68歳、浮世離れした存在「ちょっと心配な家族がおりまして~母と私と姉夫婦の話~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。9月26日の放送は「ちょっと心配な家族がおりまして~母と私と姉夫婦の話~。

あらすじ

 茨城県鹿嶋市の実家で産休中の「私」の元に仰天の知らせが飛び込む。資産家と結婚し埼玉で暮らしている44歳の姉、千恵(以下、チエ)が貯えを使い果たし、夫・茂樹(以下、シゲキ)の親から譲り受けた一戸建てを売るというのだ。夫婦の預金通帳の残高はわずか4,873円。もともと実家の母からも金を借りていたようで、その金額は番組では公開されていなかったが相当な額だと思われる。

 チエは妹の「私」が物心ついたときからすでに心の病を患っており、中学2年生のとき不登校になり、のちにうつ病と診断されたという。チエは今も服薬と治療を続けているようだ。体調のいい時のチエはおっとり、のんびりとしてひょうきんな人、という感じだが、うつでふさぎこみ部屋にこもっている様子も伝えられていた。

 チエは通信制の大学に通い出した26歳の時、講師をしていた24歳年上のシゲキと出会い結婚する。シゲキは資産家の息子で、大学で法学を教えておりと、家族もこれで安心と胸をなでおろしていた。

 チエ夫婦は家だけでなく、シゲキの親から経済的援助を受けながら暮らしていたが、シゲキの両親は亡くなり、遺産も使い果たしてしまう。現在のシゲキは非常勤講師で月収は10万円程度。さらには年金を十分に払っていなかったようで、それもあてにならないようだ。

 ところが、シゲキはYouTuberや時代小説家として生計を立てるつもりでいると豪語し、小説は出版社から不採用の連絡が続くが、新作を前に「直木賞のパターン」と謎の自信をのぞかせる。YouTubeでは学問の話をテーマにしているようだが再生回数は振るわない。少しでも引っ越し費用の節約になればと、母と私はチエ一家の不用品の処分に行くが、2人が働いているのをよそに、シゲキはYouTubeの撮影をするからと言って部屋にこもる。

 家は無事売却となり、それに伴う事務手続きは全てチエが担当。慎ましく暮らせば数年暮らせるだけの蓄えを手に入れたものの、シゲキはほとんど弾かないグランドピアノを手放すのを嫌がり、新居まで持っていくことになる(ピアノだけで輸送費12万円で、母や友人に借りたという)。

 新居も都内の4LDKだ。シゲキよりは経済的な逼迫状況に自覚的なチエも、引っ越しに伴い家具を次々に買い足してしまう。チエ夫婦二人の引っ越した月の食費は月15万で、引っ越して3カ月後の生活費は月40万円を超えた(家賃は別)と番組では伝えられていた。なお、2人とも飲酒、喫煙はしないという。

 シゲキよりは経済的な心配を抱えているチエは、障害者就労支援により高齢者施設で時短勤務の体験就労を行う。ほとんど働いたことがないチエだが、職場ではにこやかで丁寧な対応をしていた。しかし、気持ちが落ち込む状況のときはマスクをしていても見るからにしんどそうな様子で、別の日は欠勤してしまう。

 一方、経済的な状況が心配な「私」はチエの相談員(おそらく福祉関係者)に話を聞く。相談員は「(精神的な問題を抱える人が遺産などの大金を手にしてしまうと)気分が上がった状態で、気が大きくなって、金銭感覚がすごく緩くなっていって、結構破綻しちゃう方もいたりするんで」と話し、対策として「家族が言うってよりは医療になってくるんです」と話し、訪問看護師が金銭管理の手伝いもしてくれるので、対策は早いほうがいいと話していた。

 その後、訪問看護師がチエの家を訪ねている様子や、番組の最後では4LDKの今のマンションより安い部屋を探そうと不動産屋を回るチエの姿が映された。

 今回は、キャラクター性が強い「中高年」かつ「金の問題」と、『ザ・ノンフィクション』らしい内容だと感じた。

 予告を見ていた段階ではチエが浮世離れしているのかと思ったが、シゲキのそれはチエとは桁違いだった。少しでもチエ夫婦の引っ越し費用が浮けばと「私」と母が引っ越しの手伝いにきたときも、シゲキは、自分はYouTubeを撮影するからと、まったく悪気なさそうに部屋に引っ込んでしまった。

 「面倒くさいこと(金策含む)は誰かがしてくれる」という意識で、悪気も罪悪感もゼロで70歳近くまで生きてこれたのがすごい。箸にも棒にもかからなそうな自作の小説に対し「直木賞のパターン」と言ってのけたときも、ジョークではなく本気に見えた。

シゲキのYouTubeチャンネルが炎上状態に

 シゲキが学問について語るYouTubeチャンネル「ブルース・ポチ」のチャンネル登録者数は、番組放送中は48人だったが、翌日朝には327人となっていた。これだけ数を伸ばしたのは番組出演の成果だろうが、案の定というか、高評価の10倍ほど低評価が入っており、コメント欄は炎上状態だ。

 低評価やコメントを残した人は、番組を見たあとに「まだシゲキを見たい」と思ってわざわざ視聴しにきたのだろうし、そう思わせるのは並大抵のことではない。売れっ子YouTuberになるためには、絶対にあったほうがいい素質だろう。

 しかしシゲキは「自分の浮世離れ感」に自覚的でなく、とても天然な人に見える。シゲキの小説が認められないのもシゲキの「面白い」のアンテナがずれているからなのだろう。

 本当に天然の人は、天然だからこそ自分の持ち味がさっぱりわかっておらず、上手にそれを料理してくれる人がいてこそ輝く。シゲキがこうして視聴者の関心を集められたのも、『ザ・ノンフィクション』という名シェフあってこそであり、天然のシゲキ自身がYouTubeで作った動画では面白さが伝わらないだろう。

 しかし、「酒もたばこもやらない中高年夫婦ふたりの生活費が月40万、食費が15万円になってしまう理由」という動画があったら見たいし、毎日の生活費を報告するだけで人を集められる人はそうはいない。あらためて「チエとシゲキ」はシリーズ化してほしい。

次回の『ザ・ノンフィクション』は「母と息子のやさしいごはん ~親子の大切な居場所~」。東京、本郷で定食屋を営む親子。成績優秀で弁護士を目指すと話していた息子は中学生のときに突然不登校になり……。

『ザ・ノンフィクション』終の棲家ではないホスピス「人生の終わりの過ごし方 ~『ダメ人間マエダ』の終活~ 後編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。9月19日の放送は「人生の終わりの過ごし方 ~『ダメ人間マエダ』の終活~ 後編」。

あらすじ

 44歳のパチスロライター、マエダは2020年2月に余命は3カ月から半年と宣告を受ける。過去に手術で取り除いたと思われた口腔がんが全身に転移してしまったためだ。

 マエダは都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ一人大学に進学せず、ギャンブルにのめり込み、職を転々としてきた。現在はバツ2で、実家で母と2人で暮らす。

 マエダがパチスロライターという天職に出会ったのは30代半ば。記事の執筆だけでなく、スーツ姿をトレードマークに番組やDVDにも出演し、仕事仲間とも良好な関係を築けていた中での突然の余命宣告となった。マエダは痛む体を抱え、大量の薬を飲む中でも酒もタバコもやめず、仕事仲間たちと一緒に食べたいものを食べ、行きたいところへ旅をする。

 2021年の正月、マエダは「生前葬」としてパチスロ仲間たちとライブ動画配信を行う。飲み食いしながらで、最後まで明るい調子で番組は終わっていた。しかし番組スタッフの前では、大量の薬を飲みながら「今敗戦処理をしてるんだなあと思うと悲しくなっちゃう、悔しくなっちゃう。本当にがっかりです」と胸の内を漏らす。

 マエダはホスピス候補を母と回り、医師から「ホスピスにずっといること自体は基本的には不可能です。一応原則として2カ月間というのがひとつの決まり」「(自分の)力が徐々に落ちてくる感覚がどこかで皆さん来ます」と説明を受ける。

 2月1日、マエダは45歳の誕生日を大好きなプロレス観戦をして過ごすが、その帰り道、脚の激しい痛みに襲われ、電信柱に手をつき、それでもつらいのかしゃがみこんでいた。

 4月28日、ホスピスを退院し自宅療養になったマエダは車いすで病院から出てきて、首からは医療用の麻薬を下げていた。そのまま母親と天ぷら屋に行くが、エレベーターの前の段差が上れず、母親の介助を受けていた。

 映像でのマエダの姿はそれが最後になり、それからはマエダのTwitterのつぶやきが紹介された。マエダは「怖い」と率直な気持ちをつづり、最後のつぶやきは5月8日の「ありがとう」という一言だった。5月14日、マエダは45歳で亡くなる。

 少年時代のアルバムで笑顔の写真が1枚しかなかったマエダだったが、居間には母親が撮った晩年の笑みを浮かべるマエダの写真が飾られており、マエダが記事を書いていたパチスロ雑誌はマエダの追悼特集を掲載していた。

 今回番組を見ていて知ったのは、「ホスピスは退院する施設」であるということだ。ホスピスは終の棲家であり、ホスピスを出るのは亡くなったときだとばかり思っていた。

 だが、マエダはホスピスの医師から、ずっといることは不可能、原則として2カ月間がひとつの決まりと説明を受けた。実際、マエダ自身も4月28日にホスピスを退院し、自宅で母親に看取られ亡くなっている。これは退院せざるを得なかったのか、それともマエダが家で最期を迎えたいと希望したかは不明だ。

 ホスピスが終の棲家ではなくなったのは、診療報酬の減少が大きいようだ。「緩和ケア病棟から追い出される? ケアの現場に持ち込まれた『連帯責任制』」(※1)によると、診療報酬の改定により長期の入院は診療報酬が減額され、患者の滞在が長引くほど病院経営は苦しくなる。言葉を選ばずに言えば「予定通り短期で死ねないと追い出される」状況にあるようだ。

 マエダはホスピスからの退院時、おそらく痛み止めのためであろう、医療用の麻薬の注入器を体につけていた状態だった。自分の人生の終わりが見え、体力が消失していく満身創痍の状況で「ホスピスの次の生活」を考えねばならないのはきつい。

 天寿を全うしピンピンコロリが理想だが、なかなかそうは逝けないのだ。死ぬことの大変さを思った。

 マエダは余命宣告を受け、『ザ・ノンフィクション』のカメラが入った当初は「死ぬところまで撮ってほしい」と番組スタッフに話していた。しかし実際は、カメラが最後にマエダの姿を撮影したのはホスピスから退院した2021年4月28日で、そこから亡くなる5月14日までの映像はなかった。

 カメラが入らなかった理由は番組内では伝えられなかったが、マエダ側が撮ってほしくなかったのかもしれないし、それは誰もが想像できる心境の変化のように思う。

 その2カ月以上前、2月の時点で、マエダはプロレス観戦の帰り道に「痛い、痛い」と脚の痛みに悲鳴を上げながら、電信柱にもたれ、休み休み歩いていた。背中を丸めて脚をかばうように、よろめいて歩く姿は痛々しかったが、ようやくたどりついたコンビニの店先で痛み止めを飲み、そこで番組スタッフとこのようなやりとりをしていた。

スタッフ「(目の前に痛がっている人がいたら)できることがないかなと思っちゃう」

マエダ「ないんだもん、ないからこっちも『何かして』って言わないし、放っといてほしい、放っとけないんだろうけど」

 スタッフの気持ちも、マエダの気持ちもわかる。マエダは母親の本音を知りたくないとも話した。本音を知ると、それに対しマエダ自身が気を使い、母親がそれにまた気を使い……という状態になってしまうからだ。マエダは気を使うタイプで、それゆえに他人の気持ちによく気がつくのだろう。

 ホスピスの医師はマエダに対し、「力が徐々に落ちてくる感覚がどこかで皆さん来ます」と説明していた。そしてマエダ自身、5月5日のTwitterで「身体に力が入らない もうダメなのか」と投稿している。体力や気力が日々失われていく状況を前に、「死ぬまで撮ってほしい」という気持ちが変わっていったのかもしれない。

 SNSでの表現は、それを発しているときに目の前には特定の相手はいない。マエダのTwitterを見ると「ガンばろうマエダ。そして世の中で私と同じことをしてるであろう同士たちよ。歩こう。もっともっと歩こう。まだまだ何かがあるはずだから。」(4月22日、一部抜粋)と前向きな日もあれば、「にか何か下さい何か下さいこわいこわいこわい」(5月5日)と揺れ動いており、マエダ自身「病気のせいなのかもしれないけど、心に波があるね 昨日は『気にならなかったこと』が今日は『気に入らないこと』になったり史上最低の困ったクソ野郎ですね、私」(4月19日、一部抜粋)と自分の心境を明かしている。

 別にクソ野郎でもなんでもなく、遠くない日に自分を失ってしまう、という中で気持ちは揺れ動いて当然のように思う。感情が激しく揺れ動く最期の日々において、明確な相手のいないSNSのほどよい遠さが、マエダにとってはラクだったのかもしれない。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ちょっと心配な家族がおりまして~母と私と姉夫婦の話~」。子どもを産み実家で産休中の「私」の元に、資産家と結婚して将来も安心だったはずの44歳の姉のチエから、生活資金を得るため暮らしている戸建を売るという仰天の連絡が来て……。

※1 緩和ケア病棟から追い出される? ケアの現場に持ち込まれた「連帯責任制」

『ザ・ノンフィクション』44歳で始まった終活「人生の終わりの過ごし方 ~『ダメ人間マエダ』の終活~ 前編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。9月12日の放送は「人生の終わりの過ごし方 ~「ダメ人間マエダ」の終活~ 前編」。

あらすじ

 44歳のパチスロライター、マエダは2020年2月に余命宣告を受ける。過去に手術した口腔がんが全身に転移してしまったためだ。医師から告げられた余命は3カ月から持って半年で、通院は続けているが、それは治すためのものではなく、痛みを緩和するものとなった。

 マエダは都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ一人大学に進学せずギャンブルにのめり込み職を転々としてきた。現在はバツ2で、実家で母と2人で暮らす。

 元妻たちとの間には3人の子どももいるが、自分は死んだものと子どもに伝えてほしいと別れたため、いまさら子どもたちに会えないという。

 マエダの今は亡き父親は東大卒のエリート官僚で、その後、起業しても成功したやり手だ。マエダは父親が56歳の時の子どもで、父親のことは社会人として尊敬しているが、人として、父親としては尊敬していない、と複雑な思いを話す。母親は、マエダの写真は幼少期から笑顔のものがほとんどないと振り返る。

 一方で、父親もギャンブル好きだったようで、まだ幼いマエダをパチスロに連れて行っていたという。職を転々としてきたマエダがパチスロライターという天職に出会えたのは30代半ば。記事の執筆だけでなく、スーツ姿をトレードマークに番組やDVDにも出演し、仕事仲間とも良好な関係を築けていた中での突然の余命宣告。

 マエダは痛む体を抱え、大量の薬を飲む中でも酒もタバコもやめず、仕事仲間たちと一緒にうまいものを食べ、行きたいところへ旅に出る。一方、体調が悪いときは起き上がることもできない状態が続き、横になりながら「『お前の体は朽ち果てるんだよ』っていう、朽ち果てるところに向かっている感じ」と話し、その状況に対して「すごい嫌」「あらがいたい、でも無理」「怖い」と思いを話す。

 20年6月には新型コロナウイルスにも感染したが、回復後9月には沖縄へ旅に出る。旅行中も体の痛みで起き上がれない日もあったものの、小康状態のときにビーチへ足を運び、ビールとタコライスを堪能する。番組最後のナレーションではこれがマエダの最後の旅行だったと伝えられていた。

人に恵まれた終活

 気の置けない人たちとうまいものを食べ、酒を飲み、行きたいところに行って楽しく過ごす、というマエダの姿は「終活かくありたい」という一つの姿だったと思う。しかし、「気の置けない人たちと」のハードルはかなり高い。

 実際、高齢者でこれができている人はどのくらいいるのだろう。強制的に人と会う「仕事」や「子どもがらみの付き合い」などの環境を離れると、人づきあいはマメさが必要になってくる。「孤立する高齢者」は何も人嫌いな人に限らず、人づきあいの細かなメンテナンスがだんだん面倒になっていった人も少なくないだろう。

 マエダの終活が人に恵まれていたのは二つ理由があるように思う。一つは自分の余命をあっけらかんと伝え、快気祝いを自分で企画してしまうマエダの人柄だ。マエダの友人はマエダのことを寂しがりだと話していた。「寂しさ」はこじらせると厄介な感情だが、マエダの寂しさの表現方法は「だから人に会いたい」という素直なもので、愛嬌を感じる。

 マエダは父親に対しては複雑な思いを抱えており、また元妻や子どもたちに対しては連絡も取っていない状況のようだったが、友人に対してはむしろ積極的に関係を持ちたがる印象を受けた。

 もちろん全員が全員そうではないが、友人との関係に対し積極的な人の中には「家族仲に複雑なものがある(だから友人関係をすごく大切にする)」のだろうな、という人をたまに見かける。安心できる場を求めているのだろう。

 そしてマエダの終活が人に恵まれていた二つ目の理由は、マエダの年齢、それも実年齢というよりは、社会的な年齢も大きかったのではないかと思う。

 紆余曲折の末に、パチスロライターという天職にマエダが出会えたのは30台半ばとのことで、マエダは「相性のいい仕事をはじめて10年弱」というタイミングで終活を始めることになってしまった。

 仕事をして10年目くらいになると右も左もわからないころを経て、責任ある仕事が出来始める時期だと思うし、それに応じ人間関係も広がってくるころだろう。一方で、マンネリや疲れなどはまだ出てきていない。「学校を卒業し社会に出て、そのままいい感じに仕事をして30すぎ(10年目くらい)の人」も、肩で風を切っているように思う。

 これが高齢になれば仕事から離れる人も多く、人間関係が疎遠になっていき「人に恵まれた終活」の難易度は跳ね上がるだろう。

 しかし、充実した終活などよりも、マエダは仕事をしたかったはずだ。番組内で、パチスロ雑誌を出している出版社への道のりを、自分が読んでいる雑誌を作っている場所なのだとワクワクしながら歩いたと、思い出話をしていた。

 これから、という時期で終活が始まってしまったマエダの無念はいかほどのことか。

 なお「自分の興味を極める」という終活のスタイルも『ザ・ノンフィクション』で紹介されている。

 次回の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。20年2月に「余命は3カ月から半年」と告げられていたマエダ。その半年を超えたあとのマエダの生活を見つめる。

『ザ・ノンフィクション』高卒の元キャバ嬢、昼職を目指す「夜の街に別れを告げて~人生を変えたい彼女たちは・・・~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月29日の放送は「夜の街に別れを告げて~人生を変えたい彼女たちは…~」。

あらすじ

 中卒・高卒者限定で就職支援を行う「ヤンキーインターン」。6カ月間の研修生活中は食事と住まいが提供されるが、その期間は厳しい研修があり、有名企業に転職を果たした卒業生もいる一方で途中で脱落していく人も多い。この就職支援に参加し、「夜の街」から昼職に変わろうとする二人の女性を見つめる。

 静岡で暮らす真莉佳、21歳。18歳の頃からやガールズバーやスナックで働いてきた。昼職を希望する理由として、新型コロナウイルスの感染拡大による収入減を挙げていたが、子どもができたときに夜の仕事をしていたと言えるだろうか? という思いもあったようだ。

 もう一人は瑠花、24歳。18歳でキャバクラに入店以来、夜の仕事を転々としてきた。高校の時に「イケイケグループ」にいたというが、可愛い子が多く、顔を比較され、つらい青春期を過ごしたという。整形費用を捻出するため大船のキャバクラで働き、50万円を貯めて3カ月後に整形、その後ナンバーワンになるも、横浜の繁華街にあるキャバクラに移ると、自分よりもきれいで気の利くキャバクラ嬢を大勢目の当たりにしてしまう。番組内でも自分に自信がないと話し、6カ月のインターンで自信をつけたいとヤンキーインターンに応募する。

 2020年11月から始まったインターンでは早速電話セールスの研修が始まる。美容室やネイルサロンに向け、店を自動で紹介するシステムを売り込むというものだ。勘がよく、物おじしない真莉佳は流暢なセールストークを繰り出し講師も感心する。

 一方、瑠花のトークは押しに欠ける。1日200本の電話を来る日も来る日も繰り返すのだが、なかなか成約には至らずで、1週間後、余裕すら感じさせる真莉佳の横で瑠花はマスク越しでもわかる浮かない表情で電話をしていた。

 瑠花は「メモ魔」であり、どうしたらよりよいセールスになるのかを事細かに書き留めていた。キャバクラ時代から客の特徴をつけていたという。瑠花のこういった努力や細やかさを、ヤンキーインターンの講師や瑠花の母も評価していた。

 ようやく契約を1件取れると、瑠花は外部企業への出向を依頼される。出向先でも電話セールスを行うが、インターン会場とは異なり、実際に働く男性社員ばかりの雰囲気に瑠花は気圧され気味で、昼食も一人公園で食べていた。

 21年3月、真莉佳がヤンキーインターンを辞めてしまう。子育てなどでブランクがあっても復職できる仕事をしたいと、IT系の通信大学への進学を決めたという。

 一方の瑠花はインターンも終盤を迎え、希望するITベンチャー企業への面接に挑む。面接では過去のホステス時代にメモで客の特徴を覚え、ナンバーワンを取ることができたとアピールするなど、当初の自信なさげな態度は一変していた。

 5月、ヤンキーインターンは卒業式を迎え、7人いたインターン生は3人になっていた。真莉佳は無事希望企業に採用され、8月、笑顔で働いている様子が伝えられていた。

 ヤンキーインターンで研修として課せられていたのは電話営業という仕事だ。さらにその内容は、美容系サロンに対し、サロンを紹介するウェブサービスを提供する、といったもので、コロナ禍で厳しい業界のはずで、コロナ以前に電話営業をするよりさらに厳しかったのではないかと思われる。

 そんな状況の中で、ほぼ半年間も1日200本もの営業電話をかけていたのは、「ガッツがある」ことの根拠に十分だと思う。瑠花は自分に自信がないとひたすら言っていたが、大抵の人は持ち得ていない「コツコツやる」「諦めない」ができていて、また、それは客の特徴を事細かにメモするホステス時代からすでにできているように見えた。

 私もどんな人が「できる人」なのだろう、と社会に出てからさまざまな人を見てきた。弁が立つ人、人とうまくやれる人、頭がいい人、ハートが強い人など、いろいろあると思うし、それらも大切な要素だと思うが、その根っこに「コツコツできる」がないと結局、長続きはしないのではないかと思っている。

 「コツコツ」は全てのベースだ。瑠花はそれができていて、講師や母親に評価もされているのに、なぜいつまでも自信がないと悩んでいるのか、とやきもきするほどだった。

 しかし「コツコツ」の能力はぱっと見目立たない。特に華やかなものに目を引かれがちな若い世代だとさらにそうだと思う。ただ番組終盤の面接では、自分がホステス時代に客の特徴をメモしていたことなどをアピールするなど、自分のコツコツという強みを自覚し、一皮むけたように見えた。

 ヤンキーインターンは中卒、高卒を対象にしたものであり、こちらを運営しているハッシャダイは「選択格差を是正し、すべての若者が自分の人生を自分で選択できる未来をつくる」ことを目的に一般社団法人HASSYADAI socialを設立している。

 社団法人では予算の限られている公立高校へ向けた、学生が就職や進路を考えるためのプログラムの無償提供や、児童保護施設、少年院などでの講演を行っているという。

 「そもそも大学進学なんてうちの経済的にあり得ない」ことを幼少期から悟ってしまった子どもは、あまり勉強する気も起きないだろうし、それは格差の世代連鎖へとつながる。そこで、「大学に行きたい学生に進学支援」もあると思うが、「大卒じゃなくても職業選択の幅を広げる」というアプローチもあるのだ。

 文部科学省令和3年度学校基本調査(速報値)によると、大学生の数は291万8,000人とのこと。文科省ページで確認できる平成12年(20年前)の大学生の数は274万人だった。少子化でも大学生は増えているのだ。

 進学の理由として、学びたいことがある人はもちろんいるだろうが、大半の学生の動機は有名だったり高給な企業の採用基準のほとんどが大卒以上であることに起因すると思う。それゆえ、「就職のため大学に行っとかないとまずい」あるいは「いきなり就職するのは嫌だから大学へ」という心理が働というのが実情ではないだろうか。

 しかし大学に行くことがそもそも家庭の経済的な事情でかなわない人もいるのだ。奨学金という選択肢もあるが返済に苦しむケースは社会問題にもなっている。ヤンキーインターンはそんな今までの「なんとなく大学」という暗黙の了解に風穴を開けていると思う。

伝説のドラマ『NIGHT HEAD』に詰まった90年代前半の“空気感”――豊川悦司の「怒り」と武田真治の「弱さ」が、暗い輝きとなった

――ドラマにはいつも時代と生きる“俳優”がいる。『キャラクタードラマの誕生』(河出書房新社)『テレビドラマクロニクル1990→2020』(PLANETS)などの著書で知られるドラマ評論家・成馬零一氏が、“俳優”にスポットを当てて90年代の名作ドラマをレビューする。

 7月14日よりフジテレビ系の「+Ultra」枠で放送されている深夜アニメ『NIGHT HEAD 2041』は、1992~93年にかけて放送された伝説の深夜ドラマ『NIGHT HEAD』(同)をリブートしたものだ。

 超能力者ゆえに15年もの間、研究所に隔離されて育ってきた霧原直人・直也兄弟。外に出た彼らを持ち受けていたのは、超能力者が取り締まられ、超常現象を題材にした創作物が思想統制された日本だった。

 物語は霧原兄弟のエピソードと同時に、危険思想を取り締まる国家保安部の特殊部隊に所属する黒木タクヤ、ユウヤ兄弟の物語が描かれ、やがて彼らにも超能力が備わっていることが明らかになる。

 アニメ版の脚本はテレビドラマでも監督・原作を担当した飯田譲治。霧原兄弟の物語はドラマ版の展開をなぞっているのだが、舞台を2041年の日本をとすることで、全く違う物語になっている。

 筆者は高校生の時に『NIGHT HEAD』をリアルタイムで見たのだが、アニメを見ているとドラマが放送されていた当時のことをいろいろと思い出す。深夜に偶然目にした『NIGHT HEAD』は衝撃だった。オープニングとエンディングでは怪しげな奇声の入った民族音楽が流れ、映像も不気味で生々しい。物語は超能力者の兄弟が行く先々で人間のおぞましい一面を覗き込んでしまうというもので、後味の悪い話が描かれ、毎回ブツ切りでドラマは終わる。

 兄の直人(豊川悦司)は、感情が高ぶると周囲のモノや人を傷つける念動力の持ち主。弟の直也(武田真治)は、他人の心を読み取るリーディング能力の持ち主で、2人は普通の生活に憧れていた。

 劇中では「精神世界」「変革」「100匹目の猿」といった意味ありげな言葉が飛び交い、ほかのドラマと比べた時に宗教的、哲学的なテーマを扱っている難解な作品に思えた。現在の視点から見ると、思わせぶりでハッタリの演出にすぎないのだが、当時は世界の真実を知らされたようなショッキングな映像体験だった。まだネットが普及する前に作られた深夜ドラマだからこそ成立した、カルトドラマだったと言えるだろう。

 こんな怪しい深夜ドラマが隠れたヒット作となり、のちに映画化されたことに当時は驚いたが、人気の大半を占めていたのは謎に満ちた物語ではなく、霧原兄弟を演じた豊川悦司と武田真治が醸し出す色気だったのだと、今ならよくわかる。

 豊川と武田は90年代を代表する人気俳優だが『NIGHT HEAD』出演当時はまだ無名だった。

 豊川は、渡辺えり子(現・渡辺えり)が主宰する劇団3〇〇に所属していた俳優で、1989年に退団した後、中原俊監督の映画『12人の優しい日本人』(91年)などの作品に端役として出演。翌92年に主演ドラマ『NIGHT HEAD』で大きく注目され、95年に北川悦吏子脚本の恋愛ドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)の主演を務めたことで大ブレーク。「トヨエツ」という愛称で親しまれるようになり、アイドル的な人気を博すようになった。

 一方、89年に「第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテンスト」 のグランプリを受賞して芸能界入りした武田も駆け出しだったが、『NIGHT HEAD』と同時期に放送された「ボクたちのドラマシリーズ」第1作の『放課後』(フジテレビ系)に出演したことをきっかけに、若者向けドラマの常連となっていく。

 ひたすら暗鬱としたマニアックなドラマだった『NIGHT HEAD』に出演していた豊川と武田が、同作を機にあれよあれよと連続ドラマで主演を務める人気俳優に変わっていく姿に当時は戸惑ったが、今振り返ると、2人がまとっていた独自の雰囲気が、あの時代の気分をいち早く反映していたからこそ、一気に受け入れられたのだと思う。 

 『NIGHT HEAD』が放送されていた90年代前半は、今振り返っても奇妙な時代だった。まだまだ日本は豊かで明るかったが、昭和から平成に時代が移り、バブルも崩壊し、世紀末ということもあって、世の中が暗くなる兆候が次々と現れ始めていた。

 そんな、暗い影が差し込みはじめた時代の気分をいち早く捉え、人間の心の闇を描いたドラマが『NIGHT HEAD』だったのだ。豊川も武田も、80年代のトレンディ俳優とは違う、独特の暗さを身にまとっていた。

 豊川の場合は、それが怒りで感情が爆発した時に見せるドスの利いた迫力となって現れており、武田の場合は人の悪意に触れる度に心を病んでいく弱々しさへとつながっていた。

 2人とも端正な顔立ちだったが、美しさの背後に「怒り」や「悲しみ」がにじみ出ていた。それはとても病んだものに見えたが、そうしたマイナスの感情をテレビドラマでここまであらわにできること自体に爽快感があった。

 現在の武田は筋トレを売りにするマッチョなタレントとなり、豊川は偏屈なおじさんを演じる怪優になっている。不健康な怒りや弱さを全面に打ち出していた『NIGHT HEAD』の頃の面影は、もはや存在しない。そのことを寂しく感じる時もあるが、だからこそ当時の2人の芝居は、あの瞬間にしか成立しない暗い輝きとして、ドラマの中に刻印されているとも言える。

 おそらく今回のリブートがアニメだったのは、霧原兄弟は当時の2人にしか演じられないと作り手が思っているからだろう。生涯に一度しか出会えない完璧なハマり役だったと、あらためて感じるのである。
(成馬零一)