モデルで人気タレントのローラが、所属事務所「LIBERA」との専属契約をめぐって世間を騒がせている。誰に対してもタメ口で話すハーフタレントとしてブレークしたローラだが、あのビートたけしが、ローラやダレノガレ明美ら、いわゆる“タメ口ハーフタレント”に激怒しているのだ。 先日、筆者がたけしと会ったときのこと。ローラのトラブルの話を受け、たけしは「ローラって、ダレノガレなんとかと同じ事務所なんだって? ダレノガレといえば、春にフジテレビの『平成教育委員会』に出たんだけど、バカで一問も当たんない。あんなバカ見たことなかったな。“犬”って字が書けないんだよ。信じられない。『“大”という字を書いて、点を打つんだぞ』と教えてあげてるのに、点の位置が違って“太”になっているんだ。もうね、バカもある程度にしてくんねーかな」と、あきれた様子。 さらに「最近のバラエティだと、ハーフのちょっと見た目のいいやつを出すじゃん。タメ口でもしゃべればいいだろうと思ってるんだろうけど、この間も怒鳴り散らしちゃったよ。『うるせぇーバカヤロー。くだらねぇーことばっかし言いやがって!』って」と怒りをあらわにした。 また、ローラ本人については「彼女のキャラが当たっちゃったから、かわいい子が生意気な口きけばウケるっていう流れができちゃったんだよな。事務所の方針としても、それがいいと思って、『生意気なこと言って、目立ってこい』って番組に送り出す。たまんないよ」とこぼしつつ、「俺はそんなの許さないから、『ふざけんな、コノヤロー、バカヤロー。マネジャー呼んでこい』『誰に口きいてんだ。このバカ』と言ったことあるもん」と苦言を呈した。 これまで女性に対して、ここまで辛辣な発言をすることはなかったたけしだが、目上の人たちに対する言葉遣いの悪さだけは我慢ならなかったのだろう。確かに、ローラやダレノガレらのタメ口を聞いていると、筆者も不愉快になる。テレビの中だけならまだしも、こうした風潮が一般社会にまで浸透してはシャレにならないし、最近ではキャラクターとしても新鮮味がなく、戦略としても時代遅れだろう。単なるオヤジの愚痴とはいえないはずだ。 事務所は一体、どういう教育をしているのか? と疑問を持っていたら、今回のトラブルが発覚。タメ口問題も、今回の契約トラブルも、事務所が長期的な視点でタレントのことを考えていれば、こんな事態にはならなかったはずだ。事務所はもっと自らの社会的な責任を踏まえて、タレントとの契約や売り出し方を考えていくべきだろう。(文=本多圭)
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ポケモン映画20周年記念作『キミにきめた!』に隠された、初代脚本家・首藤剛志の“幻の最終回”
8月も終わってしまった。ということで“夏休み映画”もまもなく上映終了だ。夏休みといえば、大作映画や話題作が一挙に公開される季節。今年も各映画会社が社運を懸けたであろう邦画・洋画がめじろ押しだった。 僕も、全国ツアーの合間にいろいろと夏休み映画を楽しんだ。たとえば洋画では、なんといってもマイケル・ベイの『トランスフォーマー/最後の騎士王』がやりすぎですごかった。猛烈なジェットコースターっぷりでありながら、なぜか3時間もあり、まったく理解の範疇を超えていて、マイケル・ベイは頭がどうかしているとしか思えないクレイジームービーだ。 そして邦画では、ポケモン映画の20周年記念作『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』が最高だった。これがどれくらいよかったのかというと、ポケモン映画の金字塔と呼ばれる第1作『ミュウツーの逆襲』に匹敵するほどの「最高傑作」だと思うわけだ。 それも、最新作としての面白さ、「今のポケモン」としてのメッセージを保ちつつ、初期のポケモンのイメージも乱反射させた、長年のファンへのサービスもたっぷりの正しき「アニバーサリー映画」になっている。 というわけで、間もなく上映終了してしまうであろうポケモン映画のコラムを、まだ見てない人向けの「ネタバレなし編(赤)」と、もう見た人向けの「ネタバレあり編(緑)」の2本立てでお送りしたい。 ■「ネタバレなし編(赤)」 今年の劇場版は、ポケモン映画としては異例だった。ポケモン映画は、毎年新しい「伝説」や「幻」と呼ばれる特別なポケモンを主役に添えて公開され、すでに子どもたちの夏の風物詩となっているわけだが、今回は予告から「おや!? ポケモン映画の様子が……?」である。まず、ポケモン映画は第1作『ミュウツーの逆襲』から、昨年公開の『ポケモン・ザ・ムービーXY&Z ボルケニオンと機巧のマギアナ』(これもいい映画だった)に至るまで、タイトルに主役となる「伝説」「幻」のポケモンの名前を必ず冠してきた。19年間、一度の例外もなく、必ず、だ。 それが、今回初めて“ない”。代わりにタイトルに冠されたのは「キミにきめた!」。テレビアニメ版ポケモンの主人公・サトシが仲間のポケモンを繰り出す時に叫び続けてきた、定番のセリフだ。 さらに、パンフレットに目を向けてみると……。ポケモン映画の劇場パンフレットというのもまた、タイトルと同じように必ずメインとなる特別なポケモンが表紙を飾ってきた。しかし今作の表紙は、「サトシとピカチュウ」だ。 今作にも新しい幻ポケモン・マーシャドーが登場するのだが、主役はあくまでサトシとピカチュウということなのだ(それも、昨年までパンフレットの表紙を飾ってきた伝説ポケモンたちと同じく「横顔のアップ」の構図になっているのがニクい)。 これだけでも、今年のポケモン映画が「いつもとは違う」ことがテレキネシスのように伝わってくる。 そして最初に解禁されたキービジュアルは、サトシとピカチュウが夕景の空を見つめる姿だ。その先には、優雅に飛んでいく伝説ポケモン「ホウオウ」。これだけでピンとくる人もいるだろう。 アニメの世界でサトシとピカチュウの旅立った日、すなわち1997年の4月1日に放送された第1話のクライマックスで、サトシたちの前に姿を現したのがホウオウだった。この「ホウオウ」は、その当時まだ開発中だったゲーム「ポケットモンスター」シリーズの2作目『ポケットモンスター金・銀』に登場が告知されていた、言うなれば「まだ見ぬ」新ポケモンだった。 そのウワサの新ポケモンの登場にくぎづけになると同時に、当時ホウオウは「歴史に残るような天才の前にしか姿を現さない」という設定が語られていて、この前途多難そうなサトシとピカチュウのコンビにこれからどんな大冒険と栄光が待っているのか、僕らは胸を躍らせた。 サトシは言う。 「いつか一緒にあいつに会いに行こうぜ!」 そういうわけで、「ホウオウ」はポケモンアニメにとってちょっと特別なポケモンなのだ。そんなホウオウとの出会いをキービジュアルに添えたことからわかるように、今回のポケモン映画は20年前と同じ「サトシ旅立ちの日」が舞台。言うなれば、アニメ『ポケットモンスター』第1話のリメイクなのだ。 しかし、キャラクターにサトシの初期の旅の仲間たち(タケシ、カスミ)がいないことからわかるように、ある種のパラレルワールド、サトシとピカチュウの「もう一つの旅立ちの可能性」を描いている。 そしてその旅は、今の子どもたちはもちろん、サトシと一緒に旅をしたことがあるすべての世代に届く、感動的でちょっとビターなものになっている。 僕は、最初のポケモン赤緑からプレイした世代なので、20年前のポケモンアニメ第1シーズン(通称・無印)の第1話が放映された日、テレビの前で正座してワクワクしながら待っていた。あれ以来、20年間、ポケモンアニメはずっと側にあって、特に意識せずともふとした時にテレビを見たり、映画を見に行ったり、つかず離れずのいい関係性で一緒に歩んできたと思う。 そして、最新作『キミにきめた!』を見て、20年間好きでいられたポケモンアニメへの一つの大きな区切りがつけられた感じがしたのだ。 おそらくポケモンのアニメは、その人気が続く限り終わらない。サトシとピカチュウは、サザエさんやドラえもんのキャラクターのように永遠に年をとらないまま、終わらない旅を続けるだろう。 つまり、ポケモンアニメに真の意味での「最終回」はやってこないわけだが、今回の映画は一つの「最終回」の可能性を見せてくれる。少なくとも僕にとっては、あの日に見届けた旅立ちの、20年越しの終着点だった。「いつか一緒にあいつに会いに行こうぜ!」の「いつか」がやってきたのだ。 そんなわけで、サイゾー読者にもぜひ見てもらいたい今年のポケモン映画なのであった。 ■「ネタバレあり編(緑)」 さて、まだ見てない人はここから先に進んではいけない。 ピカチュウがしゃべった。 これは衝撃だったと同時に、とても感動的だった。 ピカチュウの想いが通じたことを表すシーンで、おそらくサトシのイメージの中の出来事なのだが、どんなにピンチになってもモンスターボールに入らないピカチュウが、その理由を「ずっと一緒にいたいから」という“言葉”でサトシに伝えるのだ。 ある意味、禁じ手とも思えるこのシーン。もちろんこんな演出は、ポケモンアニメ20年の歴史で初めてである。そもそもピカチュウは、なぜモンスターボール=ポケモンの捕獲装置の中に入らないのか? これについては、初代ポケモンの脚本家・シリーズ構成であった首藤剛志さんがこんなことを言っている。 「いつまでも自己を失いたくないのだ。“自己を見失うな”ということも、このアニメのテーマにしたかった。ピカチュウは、サトシとは仲間であっても、サトシの所有物になりたくないのである」 ポケモンアニメを語る上で、初期のポケモンアニメを支えた首藤さんは決して無視することのできない存在だ。 今作のエンドロールにも「一部脚本・首藤剛志」のクレジットが映るので、多くの初代ポケモンアニメのファンたちを落涙させたとか、させないとか。 ポケモンアニメを貫くテーマや世界観の基礎は、この首藤さんの手による部分が大きい。原作ゲームの「ポケモン」と「トレーナー」の関係は、ともするとモンスターボールで捕獲したポケモンを「道具」のように扱って代理戦争をしているように映る。 実際にポケモンがどんなに戦い傷つき敗北しても、トレーナーは傷つくことはなく、(なぜか)お小遣いを巻き上げられて敗走するだけで、ポケモンもまたどんなに酷使されても死ぬことも文句を言うこともない。 対戦ゲームなのだから当然だが、首藤さんはこの「所有」の関係性がアニメに極力反映されないようにシリーズ構成を行った。「バトル」をアニメの主軸にせず、ポケモンとの「出会いと触れ合い」をアニメのメインテーマにしたのだ。 その結果が、ボールに入りたがらない=所有物になりたくない=自分の意思でサトシと旅をするピカチュウであり、ポケモンのために自分が傷つくことをいとわないサトシのキャラクターなのだ。 ポケモンの第1話、そしてそのリメイクでもある『キミにきめた!』で、出会ってからずっとサトシの言うことを聞かなかったピカチュウがサトシのために戦うことを決意するきっかけとなったのは、身を投げ出し、自ら傷ついてでもピカチュウを守ろうとするサトシの姿だ。 本来のゲームでは絶対に選択できないこの行為があることで、あくまでサトシとピカチュウはそれぞれが傷つき認め合った対等のパートナーであり、お互いの意思でこれからの旅がスタートすることを印象付けた。 首藤さんの作り出したこの導入がなければ、もしかしたらポケモンアニメは強力なポケモンを道具のように繰り出すバトルだけが延々と続く、ありがちな少年向けアニメになってインフレの末に短命で終わっていたかもしれない。 あくまでポケモンアニメのテーマは「勝利」ではなく「信頼」であること、それはシリーズが首藤さんの手を離れてからも繰り返し語られる。 そういう意味でも、このピカチュウがしゃべり「自分の意思でサトシと共にいる」と伝えるシーンは、長い年月を共に旅してきたからこそ成り立つシーンであり、かつポケモンアニメの根底に流れるテーマをもう一度浮き上がらせ言語化する、まさに20年間のポケモンシリーズのハイライトだった。 このシーンに象徴されるように『キミにきめた!』は、初代シリーズ構成の首藤さんの脚本を直接的にリメイクしただけにとどまらず、ちょっと味付けは甘めだが、首藤さんのイメージを受け継ぎつつ、「今のポケモン」として描き出したシーンが多く見受けられる。 ここで、ポケモンアニメにおける首藤さんについて、もう少し書いておきたい。 首藤さんの最大の功績は、サトシとピカチュウの関係性を作り上げたことともう一つ、あるキャラクターたちを創造したことにある。 悪の組織に属しながら、落ちこぼれでマイペース、あくまで独自の美学に基づいてサトシとピカチュウを付け狙うラブリーチャーミーな敵役、ロケット団のムサシ、コジロウ、そして人間の言葉をしゃべるポケモン・ニャースだ。 首藤さんは、子ども向けアニメの「優等生」的な制約の中で自由がきかない主人公チームに対比する、「遊び」がきく大人のキャラクターとしてロケット団の3人(?)を創造した。この存在が、ポケモンアニメにさらなる「抜け」を生んだのは間違いない。 かくいう僕も、ロケット団の3人が大好きで、何度も笑わされ、感動させられてきた。彼らの魅力は、「間抜け」で「落ちこぼれ」で「情けない」敵役キャラクターでありながら、やる時にはやる「自分たちの基準」を持っていて、実は本当の部分では孤高の存在であることだ。 だからこそ、どんなに間抜けでもかっこよく、その結果として何度空の彼方に吹き飛ばされようと、その敗北は清々しく希望に満ちている。アニメの文法にしたがった単純な「悪いやつ」でもなければ、「やっぱりいいやつ」でもない、自分たち自身でもどっちかわからないで画面の中でドタバタ右往左往しながら、その都度自分たちの信じる行動を選択していく。 首藤さん風に言うなら、迷いながらも「自己存在を失っていない」キャラクターたちなのだ。そう、ポケモンアニメのキャラクターたちからは、「自己存在」というテーマが見えてくる。そして、そのテーマが結実したのが、首藤さんが脚本を担当した劇場版第1作『ミュウツーの逆襲』だ。 この映画は、コピーされた生命を題材にとった「自分とは何か?」というダイレクトな「自己存在への問いかけ」がテーマだ。作られたクローン生命であるミュウツーとコピーポケモンたちは、自分の“本物”と戦い勝つことでしか“自己存在”を見つけられないと考えている。こうして自己存在を懸けて、コピーポケモンと本物のポケモンが傷つけ合う。ミュウツーも、自らのクローン元であるミュウと激突する。 そんな中、相手を傷つけることを拒否するポケモンがピカチュウと、クローンと一緒にただ月を眺めているニャースだ。ロケット団のニャースは、人間になりたくて、人間の言葉をしゃべれるようになった、非常に変わったポケモンだ。人語習得という大技に力を使い果たしたばかりに、進化したり、新しい技を覚えることすらできない=もはやポケモンとしての機能を持っていない、という設定もある。ピカチュウと同じくモンスターボールには入らず、ムサシとコジロウともあくまで「同僚」であり「対等な仲間」だ。彼はポケモンでありながら、人間でもある、言うなれば「境界線上のポケモン」といえる。そしてそれは、ポケモンでもなければ、人間でもない、「何者でもない」ことでもある。 そう、「自己を見失わない」ということは、「誰の所有物にもなれない=どこにも属することができない」ということと背中合わせなのだ。ピカチュウもまた、トレーナーの所有物でもなければ、野生のポケモンでもない。 彼らは、自分たちの自己存在の曖昧さを抱えながら、それでも「自分でいよう」という選択を続けてきた。だから、「何者でもない」葛藤を恐れないし、そのために他者を傷つけることを選ばない。この戦いを見て「昔の自分を見るようで、今の自分を見るようで、やな感じ~」と嘆く、ムサシとコジロウ。彼らも「悪役」でもなければ、「正義の味方」でもない。組織の中で出世することもできなければ、誰に感謝されるわけでもない。それでも「自分」でいようとしてきた彼らは、「他者」の存在を否定しない。 「自己存在を失わない」者は、「他者との共存」を選択できるんじゃないか。これもまた、首藤さんがポケモンシリーズに込めた想いの一つでもある。実は、ポケモンアニメは放送開始の段階では1年、そのあとも長くとも4年で終わる予定で、首藤さんはすでに最終回の構想を持っていた。 この『ミュウツーの逆襲』にも、幻の最終回へとつながる要素がちりばめられているという。このプロットは、いろいろなところに掲載されていると思うので、ここでは手短に話そう。 *** ある日、「ポケモンと人間の共存は不可能」という結論に達した両者が対立し、大きな争いになっていく。ポケモン側のリーダーに担ぎ上げられたピカチュウは、サトシと共に戦いを止めようとするが事態は改善せず苦悩する。 そんな中、奮闘するのが、あのロケット団の3人だ。彼らの存在が、人間とポケモンにとっての「共存」の道標になり、さらにミュウツーも現れる。 ピカチュウ、ロケット団、ニャース、ミュウツー……みんなその葛藤を抱きながらそれでも「自己存在」を求めて旅を続けてきた。次第に彼らは「自己存在への問い」に答えを見いだしていく。 「自己存在のある限り、我々はどんな者たちとも共存できる」という答えを。 ……年月がたち、老人になったサトシが過去のことを回想している。ピカチュウとの冒険の日々は、少年時代の幻想だった。 ポケモンたちは、少年時代のサトシの目を通して見ていた架空の存在だったのだ。翌朝、目を覚ましたサトシは、また少年の姿。しかし、その世界にポケモンはいない。今度は現実の世界で、自分を探し、他者との共存を目指す旅が始まるのだ。 *** このプロットには、いつか虚構(ゲーム)の世界と別れ、現実へと回帰して自分の世界で一歩を踏み出してほしい、そしてその世界で「自己存在」と「他者との共存」を目指してほしいという首藤さんのメッセージが感じ取れる。 さらに、この幻の最終回のプロットを見ると、今回の『キミにきめた!』の中にいくつかのイメージが反映されているのがわかる。 特に、「老人になったサトシ=サトシのような服装の老人・ボン」「ポケモンのいない世界=マーシャドーによりサトシの見た夢(?)の世界」の2つは顕著だ。 しかし、映画ではこれらの意味合いが反転して使われているのも面白いところだ。首藤案では大人になりポケモンのいる世界に別れを告げている老人サトシだが、映画に登場するボンという老人はホウオウを20年間追いかけ続ける「ポケモンを卒業できない大人」なのである。 これは、首藤さんの言うところの「虚構の世界で夢に酔いしれている、外見だけは大人で心はいつまでも子ども」そのものである。 そして、20年たった今もポケモンの世界を卒業しないでいる、僕を含むファンの姿でもある。さらに、「ポケモンのいない世界」がマーシャドーの見せた「悪夢」的な空間として描かれているのも印象的だ。最終的にサトシは、ピカチュウの存在を思い出すことで、ポケモンの世界へと回帰する。 しかし、ここの描き方に違和感を覚える人もいるのではないだろうか? これ、もしかしたらポケモンの世界のほうが夢なのではないか、マーシャドーの影響で少年の純粋さを失いかけたサトシが「ポケモンの夢」から覚めかけてしまったのではないか……などと、妄想すればきりがないが、とにかく首藤さんのイメージを乱反射させつつ、その解釈は逆になっているのもまたこの映画の面白いところなのである。 首藤案では、最後にポケモンのいない世界での冒険が始まるところでエンドマークとなる。「ポケモンの世界」と決別しながら、これから視聴者の子どもたちが飛び込んでいく現実の世界に希望を持たせるエンディングだ。 対して『キミにきめた!』のラストシーンは、いつも映画の冒頭に流れる「ポケットモンスター、縮めてポケモン」から始まる「ポケモン」の存在をもう一度再確認するナレーションが流れる。 これはサトシと、それを見守る僕らの旅がこれからも続いていくことを予感させる、虚構の世界(ポケモンワールド)の希望に満ちたものだ。 この2つのエンドマークが指し示しているものは、大きく違う。 ポケットモンスターは、スタートした時からは想像できないくらい長い歴史と多くのファンを持つようになった。アニメのポケットモンスターも、もちろん首藤さんだけのものではないし、首藤さんが関わらなくなってからのポケモンアニメの歴史のほうがはるかに長いのだ。 多くの人々が共に歩んできて、これからも歩んでいくポケモンにとっては、今のエンディングがふさわしいのだろうと思う。 『キミにきめた!』は、首藤さんをはじめ、原点であった「かつてのポケモンアニメ」へのリスペクトと、「今のポケモンアニメ」としてのメッセージや挑戦が融合した映画だ。その2つが、まったくの別物だとは思わないが、やはり同じものであるともいえない。 ポケモンアニメは変わり続けてきた。これからも今の子どもたちに届くような新しい進化を続けていくだろうし、それを願っている。 ただ、20周年という節目に、過去と現在のポケモンをつないでくれた『キミにきめた!』は、20年に一度のポケモンアニメからの素晴らしいギフトだった。それだけは記しておきたい。 ※首藤剛志さんの発言等については、「シナリオえーだば創作術 だれでもできる脚本家」(http://www.style.fm/as/05_column/05_shudo_bn.shtml)からの引用です。首藤さんが自身のキャリアについて独特の筆致で書き残した素晴らしいコラムです、興味のある方はご一読を。『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』公式サイトより
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
HP:http://www.owarikara.com/
ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/
Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw
ド派手なアクション、スピード感、血しぶき舞う肉弾戦! 見るとスカッとする海外ドラマ3選
ジャニーズ退社の元SMAP香取・草なぎ ・稲垣、飯島女史が新事務所設立に動くも「暗礁に……」
元SMAPのチーフマネジャー・飯島三智女史が、9月8日にジャニーズ事務所を退所した 香取慎吾、草なぎ剛、稲垣吾郎のため、水面下で新事務所作りに奔走しているものの、暗礁に乗り上げていることが明らかになった。 「飯島女史が新事務所社長に就任を依頼した人物がいるのですが、結論を半年待たされた挙げ句、土壇場になって断られたんです」と明かすのは、社長候補と親しい広告代理店関係者だ。 昨年1月に起こったSMAPの独立・解散騒動の責任を取って、翌月にジャニーズ事務所を追われるように退社した飯島女史は、「今後、芸能界に戻ることはない」と公言。昨年12月には、中国企業傘下である日本国内大手総合免税店「ラオックス」の関連会社の代表取締役に就任し、ラオックスが中国不動産最大手「緑地集団」と共同で買収した複合施設「千葉ポートスクエア」(千葉県 中央区)のシアターに中国圏の観光客を誘致するビジネスに着手している。 そのビジネスを成功させるためには、中国圏最大のソーシャルメディア「微博」の協力が必要だということで、飯島女史は今年2月、同サービスの窓口である新浪日本総合ネットワークグループの周帆代表に接触したが 、現段階では協力を得られていない。 「香取らの面倒を見てくれないかという話もあったようですが、周代表は以前、飯島女史に『中国人にSMAPのコンサートチケットは売らせない』と言われて、メンツを潰されていますからね。協力する気はないみたいですよ」(前出・広告代理店関係者) その一方で、飯島女史は香取と頻繁に連絡を取っているという。「芸能界には戻らない」と言った手前、自らは表に出ることはできないものの、香取を含めた3人が9月にジャニーズ事務所を退所する気持ちを知って、昨年の夏頃から3人のために新事務所作りに奔走し始めた。その中で、田辺エージェンシーの田邊昭知社長に相談に乗ってもらったという情報もあったが、協力を断られたという。 芸能界の重鎮に断られた飯島女史が次に頼ったのが、大手音楽出版会社の元役員であるY氏だった。Y氏は芸能界のしがらみがない上に、芸能界のドンと呼ばれる大物社長とも太いパイプを持っているため、3人の新事務所の社長としては適任。今年の春頃、飯島女史から依頼を受けたY氏は「しばらく、考えさせてくれ」と言ったという。その後、期待して待つこと約半年、Y氏の結論は「できない」というものだったという。 もはや、ジャニーズを割って出た3人のために新事務所を引き受ける社長を見つけるのは至難の業。かといって、中国ビジネスが軌道に乗っていない飯島女史が自ら新事務所の社長になれば、3人に対するジャニーズからの風当たりは当然強くなることが予想される。3人が共同で事務所を作るというウワサもあるが、マネジャーが見つからない限り、仕事が入る見込みはない。退所後の3人の前途が暗いことだけは確かだ。 (文=本多圭)
関ジャニ∞・丸山隆平は、なぜブレークできないのか? 不遇の歴史を徹底検証
どうしてあのタレントは人気なのか? なぜ、あんなにテレビに出ているのか? その理由を、業界目線でズバッと斬る「ズバッと芸能人」。 今回は関ジャニ∞・丸山隆平を取り上げてみたい。グループのムードメーカーとしてメンバーを和ませ、またライブにおけるファンサービスは誰よりも一生懸命だ。まさに名字のごとく、みんなの心を丸くさせてくれる、ジャニーズタレントの中でも稀有な存在である。 だがテレビ業界では、彼の評価は残念ながら高くない。それは彼一人の責任ではないのだが、貧乏くじを引きやすいタイプなのかもしれない。 2012年、竹内結子主演の刑事ドラマ『ストロベリーナイト』(フジテレビ系)の湯田康平役で注目されると、翌13年の『泣くな、はらちゃん』(日本テレビ系)では、主演のTOKIO・長瀬智也に負けない“受け”の演技で評価を高めた。 その余勢を駆って、14年には『地獄先生ぬ~べ~』(同)に主演。原作は「週刊少年ジャンプ」(集英社)の人気漫画で、ちょうど「ぬ~べ~世代」だった彼にとって思い入れのある作品だったのだが、ドラマがスタートしたあとの顛末は推して知るべし。原作ファンから「改悪」と大ブーイングが起きてしまったのだ。平均視聴率は10.2%(ビデオリサーチ調べ、関東/以下同)で終わった。 もちろん、これは丸山だけに責任があるわけではないが、もしもう少しいい形で終わっていたら、丸山へのドラマオファーは続いていただろう。以降、ドラマオファーはどの局からもかかってきていない。 ではバラエティはどうだろう? 『関ジャニ∞のジャニ勉』(関西テレビ)などを見ていてもわかるが、丸山はカメラが来ると必ず反応してくれる。こうした存在は、スタッフからすると非常にありがたい。 だが、グループを離れて一人になったとき、どのくらい魅力が伝わっているのだろうか? その試金石となったのが、15年から司会を務めている『サタデープラス』(MBS、TBS系列)だった。 毎週土曜朝に放送されているこの番組は、人々に必要な「お金」「健康」「心」の3つをプラスできることをさまざまな形で届けている情報番組。 だが最近、この3本柱が撤廃され、ただのワイドショーのような番組になってしまった。かつては「健康」というテーマにちなんで、さまざまな体操をスタジオでやっていたのだが、その影もない。 さらに丸山は、当初こそエンディングで一発ギャグをしていたのだが、お偉いさんから直々に「あれはやめたほうがいい」とアドバイスされ、封印したという。 もし彼の魅力を1つ消してしまうのであれば、スタッフは新たに1つ足すような努力、工夫をするべきなのに、あろうことか彼の魅力を殺してしまっている。 この番組では丸山のほかに小堺一機と小島瑠璃子がMCを務めているのだが、この3人の取り合わせは、見た感じは良いが、実は息が合っていない。それぞれが勝手に話している印象だ。 また丸山は、MCとしての実力に欠ける部分もある。8月19日のオンエアで、一発屋芸人のヒロシが富士山に登り、疲れからか投げやりな中継レポートをしていたときは、丸山より小島のほうがうまくフォローしていた。 つまり極論、丸山をメインに据えるからダメなのだ。ここは思い切って、小島・小堺というコンビを真ん中にして、3番目に丸山を置いたほうが、彼はもっと自由に立ち回れるはずだ。 ちなみに『サタプラ』の最高視聴率は2015年6月27日、大山のぶ代さんの認知症について放送したときの7.3%。それ以降、7%台をマークしたことは一度もない。最高視聴率が更新されないのは「伸びしろ」がないと見なされてしまい、あまり良い状態ではない。 そんな丸山に、俳優としての実力が試されるチャンスが再び巡ってきた。11月に、単独初主演映画『泥棒役者』が公開されるのだ。この興行成績次第では、またドラマ・映画製作者からの注目度も上がるはずだ。 だが、この撮影に関しても、ひと悶着があった。もともと清水富美加が出演予定だったのだが、彼女の「幸福の科学」への出家騒動のあおりを受け、急きょ石橋杏奈が代役を務めることになった。 こうして、「売れそうで売れない」「うまくいきそうでいかない」「なんだかツイてない」男・丸山隆平。だからこそファンは、彼をますます応援したくなるのだろう。とにかく目が離せない存在であることは確かだ。 (文=都築雄一郎) ◆「ズバッと芸能人」過去記事はこちらから◆
「叱られたい」新規ファンが急増!? ももクロの“あかりん”が、女優・早見あかりになるまで
金曜深夜に放送されている『デッドストック~未知への挑戦~』(テレビ東京系)は、テレ東の深夜ドラマならではのカルトな作品だ。 物語の舞台はテレビ東京。新人ADの常田大陸(村上虹郎)は、2016年の社内移転の際に発掘された大量の番組素材を整理する部署・未確認素材センターに配属される。 VTRを整理する日々の中で、常田は心霊現象の映った映像を発見する。常田の同僚で、同センターに配属された女性ディレクター・二階堂早織(早見あかり)は、心霊映像を素材にして新しい番組を制作しようと思い、常田と共に取材を開始する。 過去の映像を元に怪事件を調査する常田たちは、どんどんひどい事件に巻き込まれていく。物語はもちろんだが、昔のVTRを多用した映像が不気味で、唐突に終わることも多いためか、後味がめちゃくちゃ悪い。 それも含めて、深夜に見るにはもってこいのホラードラマなのだが、違う意味で大きな見どころとなっているのが、二階堂を演じる早見あかりの存在だ。 二階堂は常田を振り回す“困ったお姉ちゃん”という感じ。色白で目鼻立ちがくっきりしているため、海外のホラー映画で悲鳴を上げる美女のようで、本作のようなホラーテイストの作品とは相性がいい。 身長は165cmと、今の女優としては決して高くはないのだが、肩幅が広いためか、どのアングルから見ても普通の女優より大きく見える。そのたくましい感じが、それこそ二階堂のような大人の女を演じると見事にハマる。 二階堂が「あんた、しっかりしなさいよね」と上から目線で常田に言う場面は、見ていて気持ちがよく、ついつい自分も叱られたいと思ってしまう。 早見の声には迫力があり、いつも怒っているように聞こえるのだが、それが身内に心配されているようで、妙な親近感を抱いてしまう。 筆者は現在40歳で、2倍近く年が離れているのに、早見を見ていると「お姉ちゃん、ごめんなさい」と、年下の弟のような気分になってしまうのだ。 これは、彼女がアイドルだった頃から感じていたことだ。 今ではAKB48と並ぶメジャーアイドルとなったももいろクローバーZが、まだ“ももいろクローバー”だった時代、早見はサブリーダーとしてグループを支えていた。 リーダーの百田夏菜子を筆頭に、ももクロは子どもっぽさが前面に出ていたアイドルグループだったのだが、そんな中、一人だけ大人っぽい雰囲気を漂わせていたのが早見だった。 今、当時のライブ映像を見返すと、子どもの中に一人だけ思春期の少女がいるみたいで、そのアンバランスな立ち位置が彼女の魅力だった。 アイドルというのは不思議なもので、元AKB48の前田敦子や島崎遥香のように、アイドルの世界になじめずに違和感を抱えて苦悩している女の子のほうが、魅力的に見えることがある。そこに思春期の葛藤が交わるとなおさらで、つまり最もアイドルに向いていない人がアイドルとして輝いてしまうのだ。それは早見も同様で、本人はアイドルに向いていないと思っていたが、ももクロ時代の早見は誰よりも、アイドルとして輝いていた。 だからこそ、女優として成功して、(できれば朝ドラで主演を務めて)ももクロとNHK『紅白』で共演してほしいと多くのファンは思っていた。 だが、ももクロ卒業後、早見は女優としてすぐに成功したわけではなかった。 アイドルグループに所属していた時は、女優やファッションモデルのほうが似合っていると思われたが、いざ、女優として活動するようになると、何をやっても同じ口調で独自のぎこちなさが残る。普通に話していても芝居がかって見えたので、現代を舞台にしたリアルな作品だと、どうしても、その存在が浮き上がってしまうのだ。 逆に相性がよかったのは、朝ドラ『マッサン』(NHK)や『ちかえもん』(同)といった時代劇だった。着物を着てかしこまった言葉で話している時のほうが、物語にうまくハマっていた。 おそらく早見は、自然な演技よりも、極端にキャラクターを作り込んだ時のほうが、女優としての魅力が際立つのだろう。その意味で、極めてアイドル的な女優だったといえる。 映画『百瀬、こっちを向いて。』や連続ドラマ『ラーメン大好き小泉さん』(フジテレビ系)などで演じた、クールなキャラクターが多かったが、こういった役柄はももクロ時代の“あかりん”の立ち位置の延長線上にあるものだった。 10代後半は、大人と子どもの間で揺れ動く思春期の不器用な少女を演じることがあった早見だが、最近は『デッドストック』の二階堂のような、大人の女性を演じる機会が増えてきている。早見自身も22歳となり、大人っぽくなった外見に、ようやく内面が追いついてきたのだろう。 相変わらずぎこちなさはあるが、それはもはや、彼女の個性といっていいだろう。 『デッドストック』がきっかけで、「早見あかりに叱られたい」という新規ファンが増えるのではないかと、ひそかに期待している。 (文=成馬零一) ●なりま・れいいち 1976年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。 ◆「女優の花道」過去記事はこちらから◆スターダストプロモーション公式サイトより
「野球 vs サッカー」という不毛な企画を繰り返すバラエティ、テレ朝『◯◯総選挙』シリーズを見習え?
一体、いつまでこんな不毛な議論を繰り返すのか? 26日に放送された『ジョブチューン』(TBS系)の2時間特番「野球 vs サッカー 国民的スポーツNo.1はどっち!? プロ大激論&全国投票で今夜決着SP!」のことだ。 放送を受け、早速スポーツ系媒体や各ウェブメディアでは内容のダイジェストが紹介され、それに対してSNS上では賛否が巻き起こっている(まあ、筆者が見た限り、賛はほぼないのだが……)。 それぞれの、野球押し、サッカー押しの意見。そして、野球のダメなところ、サッカーのダメなところはあえてこの稿では振り返らない。 兎にも角にも疑問なのは、野球とサッカー、戦ってどうするのよ!? ということ。たとえば、ラーメンというジャンルの中でどの店がNo.1かを決めることはあっても、「ラーメンとうどん(そばでも可)、国民的麺料理No.1」はどっち? なんて議論、テレビでやろうものなら「比べるものではない」とバカにされることは目に見えている。 同様に今回の番組も、スポーツ好きからすれば比べる必要性も、戦う必要性も見いだせないのだ。 確かに、バラエティとして楽しめた部分はあったかもしれない。アスリート個々のエピソードは豪快だし、考えさせられる議論もあった。旬の“サッカー芸人”ともいえる小柳ルミ子をブッキングしていたあたりは納得だし、もはやバラエティの住人でもある前園真聖と松木安太郎はしっかりと笑いを取っていた。 ついでに言えば、前園の伝説のCM「いじめ、カッコ悪い。」が見られるとは思ってもいなかったので、その点、資料的な価値はあったかもしれない(どうせなら、「ラ王」も見せてほしかった)。 ただ、野球人気も、サッカー人気も決して安泰ではないのに、争っている場合なんかないはずなのだ。 この「野球vsサッカー」、定期的にテレビ番組の企画になるのだからタチが悪い。記憶に新しいところではちょうど1年前、『ナカイの窓』(日本テレビ系)で、野球好き芸能人3人とサッカー好き芸能人3人がそれぞれの競技の魅力を語り合い、貶し合うという企画を放送し、案の定炎上していた。 確かに、野球とサッカーをことさらに比較し、サッカーファンのことを「サカ豚」、野球ファンのことを「焼き豚」とののしる狭量なファンが一部ではいるだろう。だが、昨今のほとんどのスポーツファンは野球もサッカーも好きだし、見る競技、応援する球団・選手をいくつも持っているほうが大多数だ。 なのに、メディアはこの2つを対決構図で見せようとする。野球にも、サッカーにも、それぞれのファンにも失礼でしかない。 1993年、Jリーグが開幕し、サッカーブームたけなわだった頃。ドーハの悲劇によってワールドカップ出場を逃してしまったサッカー日本代表。日本中が悲嘆に暮れる中、野球選手や野球記者(の一部だとは思う)がガッツポーズして喜んだ……という逸話がある。あれから四半世紀がたとうというのに、同じところでとどまってどうしようというのだろう。 ひとつ救いだったのは、番組の最後で松木氏が大人のコメントを残していたことだ。 「サッカーのいいところ、野球の素晴らしさ。できれば両方やって、楽しんで、あ、自分は野球にいこう、サッカーにいこう、ほかの競技にいこう……という選択肢ができたことがいいことかな」 このひと言が番組最後を締めくくったという点にこそ、2時間を要した対決構図の不毛さが端的に表れていたように思う。 最後に。批判ばかりしても芸がないので、今ならどのような番組が求められていたのかも書いておきたい。ヒントは、テレビ朝日系で不定期に放送される『◯◯総選挙』シリーズではないだろうか? この半年だけでも、「プロレス総選挙」「大相撲総選挙」というスポーツネタで特番が組まれたが、過去から現在まで、個々の競技の名場面を総ざらいで見せてくれて、その競技に詳しくなくとも楽しめる構成になっていた。 競技や選手をけなすシーンを作るくらいならば、もっともっと「素晴らしさ」や「すごさ」を伝えてほしい。アスリートにまつわる豪快なエピソードや失敗談も楽しいが、スポーツで見たいのは、やはり超人的なプレーのはずなのだ。 (文=オグマナオト)TBS『ジョブチューン ~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』公式サイトより
「野球 vs サッカー」という不毛な企画を繰り返すバラエティ、テレ朝『◯◯総選挙』シリーズを見習え?
一体、いつまでこんな不毛な議論を繰り返すのか? 26日に放送された『ジョブチューン』(TBS系)の2時間特番「野球 vs サッカー 国民的スポーツNo.1はどっち!? プロ大激論&全国投票で今夜決着SP!」のことだ。 放送を受け、早速スポーツ系媒体や各ウェブメディアでは内容のダイジェストが紹介され、それに対してSNS上では賛否が巻き起こっている(まあ、筆者が見た限り、賛はほぼないのだが……)。 それぞれの、野球押し、サッカー押しの意見。そして、野球のダメなところ、サッカーのダメなところはあえてこの稿では振り返らない。 兎にも角にも疑問なのは、野球とサッカー、戦ってどうするのよ!? ということ。たとえば、ラーメンというジャンルの中でどの店がNo.1かを決めることはあっても、「ラーメンとうどん(そばでも可)、国民的麺料理No.1」はどっち? なんて議論、テレビでやろうものなら「比べるものではない」とバカにされることは目に見えている。 同様に今回の番組も、スポーツ好きからすれば比べる必要性も、戦う必要性も見いだせないのだ。 確かに、バラエティとして楽しめた部分はあったかもしれない。アスリート個々のエピソードは豪快だし、考えさせられる議論もあった。旬の“サッカー芸人”ともいえる小柳ルミ子をブッキングしていたあたりは納得だし、もはやバラエティの住人でもある前園真聖と松木安太郎はしっかりと笑いを取っていた。 ついでに言えば、前園の伝説のCM「いじめ、カッコ悪い。」が見られるとは思ってもいなかったので、その点、資料的な価値はあったかもしれない(どうせなら、「ラ王」も見せてほしかった)。 ただ、野球人気も、サッカー人気も決して安泰ではないのに、争っている場合なんかないはずなのだ。 この「野球vsサッカー」、定期的にテレビ番組の企画になるのだからタチが悪い。記憶に新しいところではちょうど1年前、『ナカイの窓』(日本テレビ系)で、野球好き芸能人3人とサッカー好き芸能人3人がそれぞれの競技の魅力を語り合い、貶し合うという企画を放送し、案の定炎上していた。 確かに、野球とサッカーをことさらに比較し、サッカーファンのことを「サカ豚」、野球ファンのことを「焼き豚」とののしる狭量なファンが一部ではいるだろう。だが、昨今のほとんどのスポーツファンは野球もサッカーも好きだし、見る競技、応援する球団・選手をいくつも持っているほうが大多数だ。 なのに、メディアはこの2つを対決構図で見せようとする。野球にも、サッカーにも、それぞれのファンにも失礼でしかない。 1993年、Jリーグが開幕し、サッカーブームたけなわだった頃。ドーハの悲劇によってワールドカップ出場を逃してしまったサッカー日本代表。日本中が悲嘆に暮れる中、野球選手や野球記者(の一部だとは思う)がガッツポーズして喜んだ……という逸話がある。あれから四半世紀がたとうというのに、同じところでとどまってどうしようというのだろう。 ひとつ救いだったのは、番組の最後で松木氏が大人のコメントを残していたことだ。 「サッカーのいいところ、野球の素晴らしさ。できれば両方やって、楽しんで、あ、自分は野球にいこう、サッカーにいこう、ほかの競技にいこう……という選択肢ができたことがいいことかな」 このひと言が番組最後を締めくくったという点にこそ、2時間を要した対決構図の不毛さが端的に表れていたように思う。 最後に。批判ばかりしても芸がないので、今ならどのような番組が求められていたのかも書いておきたい。ヒントは、テレビ朝日系で不定期に放送される『◯◯総選挙』シリーズではないだろうか? この半年だけでも、「プロレス総選挙」「大相撲総選挙」というスポーツネタで特番が組まれたが、過去から現在まで、個々の競技の名場面を総ざらいで見せてくれて、その競技に詳しくなくとも楽しめる構成になっていた。 競技や選手をけなすシーンを作るくらいならば、もっともっと「素晴らしさ」や「すごさ」を伝えてほしい。アスリートにまつわる豪快なエピソードや失敗談も楽しいが、スポーツで見たいのは、やはり超人的なプレーのはずなのだ。 (文=オグマナオト)TBS『ジョブチューン ~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』公式サイトより
千鳥・大悟とノンスタ・石田が即興漫才!? 『イッテンモノ!』が見せる、漫才師のすごみ
「ほぼ20年戦士なのに、サンパチマイクの横で足がちゃんと震える!」 いまや押しも押されもせぬ実力派芸人としてテレビ界を席巻する千鳥。漫才師として、さまざまな修羅場をくぐってきた。 それでもノブは、この番組でマイクの前に立ち、漫才をした感想をそう語った。 漫才師の実力を測る舞台は『M-1グランプリ』をはじめ、いろいろある。が、これらは基本的に練りに練って完成したネタで競い合うものだ。 もちろん、それが漫才の実力を測るコンテストとしては正統だ。だが、一方で、漫才師の“すごみ”を感じさせてくれるひとつに、“即興”がある。 フリートークとは一味違う、漫才の文法に則った上で繰り広げられる漫才の即興はめったに見られるものではないが、それを見事に見せつけられると、“やっぱり漫才師って、すげーっ”とあらためて感じてしまう。 そんな驚きを毎回見せてくれるのが『イッテンモノ!』(テレビ朝日)だ。これは、もともと月曜深夜2時台の「キタイチ」という枠で放送されていたもの。「キタイチ」という名の通り、その後のレギュラー化を期待される実験番組を放送する枠。ここで『イッテンモノ!』は1カ月分、7月4日~8月8日まで全4回放送された。 しばらくは完全レギュラー化に向けてお休みかと思いきや、早くも8月26日から、土曜深夜で放送が再開された。 月曜深夜時代は、千鳥、サンドウィッチマン、三四郎の3組、8月26日の放送からは、千鳥は変わらず、ほかの2組はNON STYLEとハライチにバトンタッチ(サンドウィッチマン、三四郎は今後も登場予定だとアナウンスされている)。いずれも、漫才師として超実力派コンビだ。 この番組は、旬なゲストを招き、そのゲストとトーク。そのトークで引き出したキーワードを元に、“オーダーメイド”となるイッテンモノの漫才を仕立て披露するというもの。 漫才を披露する2人はゲストが指名する。その際、コンビは関係なくシャッフルされる。つまり、ボケ×ツッコミだけではなく、ボケ×ボケという組み合わせも、その逆もある。また、普段ネタを書いていない同士になってしまうことだってあるのだ。 指名された2人は制限時間わずか10分の間にネタ合わせをし、即興で漫才を作り上げていく。 視聴者にとっては、これまで見たことがない組み合わせの漫才が見られる“ドリームマッチ”感も楽しめるが、漫才をするほうにとっては、ネタを練りに練って完成させていくのとはまったく違う、漫才の筋力が試される過酷な番組である。 「今日ぐらいスベっておきたい」 大悟は、土曜深夜版の初回(通算5回目)のオープニングでそう語った。 月曜深夜版の初回は伊達×ノブ、2回目は富澤×小宮、3回目は富澤×大悟、4回目はノブ×相田という組み合わせで指名された。もちろん、この組み合わせで漫才をしたことなどない。小宮と富澤に至っては、これまで楽屋などでもほとんどしゃべったことはないという。にもかかわらず、それぞれが持ち味を発揮し、大きな笑いを取っていたのだ。 成功を続けると、ハードルはどんどん上がってしまう。それくらい、月曜深夜版の時の4回の漫才は見事なものだったのだ。 土曜深夜版・初回ゲストは「太眉ガール」として話題の現役女子高生タレント・井上咲楽。「オナラを我慢しない」「水虫をもらいにいく」「お笑い芸人を目指していた」「Mr.ビーンのものまねが得意」「ハニカミ笑いが好き」などといった話が引き出されていく。 そして、彼女が指名したのは、NON STYLE・石田と千鳥の大悟。ボケ×ボケの組み合わせだ。 「正直、石田が一番難しい」 と困惑する大悟が打合せの席に着くと、石田が事もなげに言ったという。 「ボケとツッコミ、どっちでもできます」 そして10分後、出来上がったのは、大悟がボケ、石田がツッコミの漫才。 「彼氏の前でもオナラを我慢しない」という漫才コントの中に、「Mr.のものまね」や「ハニカミ笑い」などキーワードを見事に取り込んだものだった。まさに漫才師のすごみを見せつけた。 だが、完璧に見える石田もサンパチマイクの前に立つと震えたのだろう。自らつかみのボケを提案したのに、それを飛ばしてしまったのだという。 『イッテンモノ!』は、漫才師のすごみと人間味を同時に見せてくれる番組なのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから 笑福亭鶴瓶論 スキマさんの新刊、好評発売中です!
稲田朋美は「物事を気分で決める」、防衛大臣は“場違い”だった!【THE 筆跡鑑定ファイル】
一時は“最も総理の椅子に近い女性”ともいわれた稲田朋美氏。防衛大臣という立場でありながら、都議会議員選挙の自民党公認候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と、防衛省や自衛隊があたかも自民党の候補を応援しているともとられかねない失言をして、引責辞任した。今回は、そんな稲田氏の筆跡を鑑定。筆跡鑑定人で、筆跡心理学に基づいた書籍『名前を書くだけ 自分のイヤなところは直る!』(東邦出版)の著者・牧野秀美氏に、人物像を読み解いてもらった。
■稲田朋美は、おっとりとした貴族的な気質
――不適切発言などを受け、稲田朋美防衛大臣が引責辞任しましたが、稲田さんの筆跡から、どのようなことが読み取れますか?
牧野秀美氏(以下、牧野) 彼女の筆跡から、人となりと、また防衛大臣は稲田さんにふさわしい役職であったのかを考えてみたいと思います。まず、新大臣のものに差し替えられる前の防衛白書のサインを見ると、横書きで「稲」の字のみ行書(少し崩した書き方)、ほかの字は楷書(崩さない書き方)で書かれています。一方、書籍へのサインは縦書きの行書で書かれています。
――多かれ少なかれ、誰でも横書きと縦書きだと、ちょっと字体は変わってしまいますよね。
牧野 はい。稲田さんも縦書きと横書きでの書体の違いについては、深い意味はありません。横書きは格式ばった防衛白書へのサインですから、意識して楷書的に書いたのでしょう。これからは縦書き、横書きを超え、共通する特徴を読み解いていきます。
まず、稲田さんの文字は横に広がらず、かつ字間がのんびりと開いており、おっとりとした貴族的な気質であることがうかがえます。プライドが高く「なりふり構わず」や「修羅場」は苦手で、汚れ仕事には携わりません。
――確かに、修羅場であるほど輝きを放ち、汚れ仕事を辞さない松居一代さんは字間がみっちりしていましたが、それとは正反対ですね。
牧野 稲田さんは皆と汗水たらして一緒に労働するような、庶民的なタイプではないのでしょう。文字が軽い右上がりなので、考え方は保守的。さらに起筆(書き始め)に軽いひねりがあるので、意地っ張りな面もあります。しかし、それは「自分の強い信念がある!」という芯の強さからではないようです。なぜなら、へんとつくりの間の空間が広めなことから、物事にこだわりなく、上からの指示には素直に従うと思われるからです。

――メガネや網タイツなど、一見、こだわりがあるように見えましたが……。
牧野 稲田さんの「こだわりのなさ」は名字の「田」の字の接筆部(線が交わる部分)が閉じていたり開いていたりと一貫性がないことからもうかがえます。
防衛白書のサインは接筆部が閉じ、転折部(横から縦に折れ曲がるところ)が角ばっていますが、書籍へのサインは接筆部が大きく開き、転折部も丸く書かれています。ほかの画像でも数点確認していますが、稲田さんの「田」の接筆部は閉じていたり開いていたりとバラバラなんです。しかも、「田」をはじめ、四角い文字の下の接筆部(線が交わる左右の角)が開いているものが数多く見受けられます。これは詰めの甘さにつながります。防衛大臣としては必須の危機管理能力が不足しているといえるでしょう。
――その時の気分や、急いでいたなどの状況で、書き方が変わってしまうことはないのでしょうか?
牧野 同じ文字で、しかも書き続けているはずの「自分の名字の文字」でここまで変動することは珍しいです。
筆跡診断の経験から、こだわりが強い人は文字の形も固定していることが多く、特に書き慣れた自分の名前は開くなら開く、閉じるなら閉じると安定して出てくるものです。まれに接筆部が閉じたり大きく開いたりと混合型の人もいますが、それでも文字によって「閉じたり、開いたり」が決まっていることが多いです。文字と心はリンクしていますので、稲田さんはこだわり(例えば政治的信条など)があまりないのではないかと読み取ることができます。
――稲田さんの名前にもある「美」は、女性の名前でよく使われる漢字です。「美」の筆跡鑑定のポイントについて教えてください。
牧野 いくつかありますが、ここでは横棒の間隔に注目です。間隔が均等なら物事を理詰めで決めるタイプ、非均等なら気分で決めるタイプですね。稲田さんの場合は非等間隔ですので、物事は気分や感覚で決定するタイプです(「朋」の横棒の間隔も非均等です)。
もちろん、もともと弁護士で政治家なのですから、理詰めで主張を組み立てることはできるでしょう。しかし、素の状態での決定は、気分に左右されることが多いようです。押しに弱く、その気になりやすいともいえます。
さらに、「朋」の横画の部分に、自分らしい工夫を加えています。これはお手本の形にはないもので、自己流でしょう。稲田さんは「人からどう見えるか」という視点よりも、「自分流のアレンジを加えたこと」に満足するのでしょう。そういう意味では、視野は狭いといえそうです。また、ハネも弱いです。防衛白書のサインは標準程度にハネていますが、ほかの画像では縦書きの「朋」の字に見られるようにハネが全くない形がほとんどです。これは良く言えば切り替えの速さ、悪く言えば責任感に乏しい、飽きっぽいということができます。
■場違いなポストに任命した側にも責任はある
牧野 まとめますと、稲田さんの文字からは、このようなことが読み取れます。
・のんびりおっとり型で、エネルギッシュに行動するタイプではない
・危機管理能力に乏しい
・客観的視点に乏しい
・弱いハネから見る責任感のなさ
・諦めや切り替えは速い
――上に挙げた気質は、もし稲田さんが「強くワンマンなリーダーの秘書」であるとするなら、むしろ生かせそうな点もありますね。あと、「貴族的で出すぎたところがない、おっとり型」って、モテそうな気質です。
牧野 はい。ただ、ハードでシビアな防衛省のトップは場違いでしょう。しかし彼女を責めるのは酷です。もっと適した場所があったはずなのに、これでは彼女を任命したのは何か意図でもあったのかと勘繰りたくなります。稲田さんらしさをフルに生かせるような場所で、政治家として力を発揮されることを願います。
(石徹白未亜)
牧野秀美
筆跡鑑定人。筆跡アドバイザー・マスター。筆跡心理学をもとにした鑑定と診断を行う。著書に『名前を書くだけ 自分のイヤなところは直る』(東邦出版)
・ほっかいどう筆跡鑑定研究所







