錦戸亮、ソロデビュー初登場1位も、“あの失言”にジャニーズファンが一斉ドン引き

 またぞろジャニーズを退所するタレントが出てくるかもしれない⁉

 元関ジャニ∞のメンバーでソロ歌手として活動をスタートさせた錦戸亮のアルバム『NOMAD』がオリコンの週間アルバムランキングで初登場1位を獲得した。

 錦戸といえば、先日KAT-TUNの元メンバー・赤西仁とタッグを組み、共同プロジェクト「N/A」を2020年にスタートさせることを明かしているが、期待が持てる結果となったようだ。

「一足先に関ジャニを脱退し、ソロデビューを果たした渋谷すばるは発売初週で約7万枚を売り上げていますが、錦戸はそれを上回る7.6万枚で1位に。アルバム発売に先立ち、11月からツアーをスタートさせていますが、全会場とも発売開始とともにソールドアウト。錦戸自身が音楽と向き合っている感じが伝わってきたことで、ファンからも好感を持たれているようです」(音楽ライター)

 しかし、音楽関係者は「楽観視はできない」といってこう続ける。

「ツアーでファンの呼び方の話になった際、錦戸は『(ファンの)呼び方決めんのもサブいし』と発言したんです。関ジャニのファンを『エイター』、KAT-TUNのファンを『ハイフン』と呼ぶなど、ジャニーズグループのファンにはそれぞれ愛称があるのですが、そういう行為を『サブい』と一刀両断されたことに、ファンが引き気味になっているんです。ツアーには関ジャニファンもいたはずですから、ショックを受けた人も多かったのでは。2枚目以降もファンが付いてきてくれるかは微妙な雰囲気です」

 いずれにせよ、錦戸が成功すれば、ジャニーズにとっては大きな脅威となりそうだ。

性別で組分けは時代に逆行!? 氷川きよしの“衝撃カミングアウト”でNHK紅白が存続の危機に?

 今年のNHK紅白歌合戦に20回連続の出場が決まった氷川きよし。「箱根八里の半次郎」でデビューし「演歌界のプリンス」の名をほしいままにしてきたが、今年になって突然、フェミニン路線に急旋回したことが話題となった。

「きっかけは8月、神宮球場で行われたプロ野球、東京ヤクルト・スワローズvs.阪神タイガース戦の始球式でのこと。和服やスーツのイメージの強い氷川が、ウェーブがかった長髪、ショートパンツで細いすべすべの生脚を露わにし、遠目ではグラビアアイドルと見まごう姿で現れて騒然となりました。以後、吹っ切れたように11月には自身のインスタグラムで、純白のウエディングドレス姿を披露。ついには『週刊新潮』(新潮社・12月19日号)で純粋な思いを告白したのです」(芸能担当記者)

 同誌では「男の世界で生きていこうとやってきたけれど、なにか違うと思って」と吐露。「自分で言うのもなんだけど、アタシ足がきれいなの。キレイすぎて困っちゃうわ(笑)」と堂々口にしたのである。

「氷川といえば2010年に松村雄基との”仲”が『FRIDAY』(講談社)で報じられました。やがて2人は別々の道を歩んだそうですが……。当時からイケメン記者に取材される時は、ボディタッチをしながらオネエ言葉となっていました。事務所側は“演歌のプリンス”としてのイメージを壊さないよう抑え込んできましたが、デビュー20周年を機に彼らしさを出すように。ただその後も、囲み取材で、ネイルの話といった女性的なやり取りがあると『記事に書かないでほしい』と記者らにストップをかけています」(同前)

 こうした中、氷川の動きに戦々恐々なのが、当のNHKだ。

「美輪明宏が2012年に紅白に出た際、『桃色組で出ます』とジョークを飛ばしましたが、男性軍と女性軍が競うという構図が時代に逆行しています。氷川の今後の言動によっては、番組そのものを疑問視する声が増えていくのでは」(NHK関係者)

 かつては視聴率80%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)を誇ったお化け番組も、近年は40%前後を推移しており、時のNHK会長が公然と中止を口にするようになった。70回を迎え、役割を終えることになるのだろうか。

女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

サイテー映画との出会いは人生を大きく変える!? 『死霊の盆踊り』ほか映画史に残る珍作奇作たち

 日本におけるサイテー映画の歴史の発火点となったのが、米国映画『死霊の盆踊り』(原題『Orgy of the dead』、1965年製作)だった。死霊化したトップレスダンサーたちが墓場で延々と踊り続けるだけという超低予算のホラー映画だが、1987年に日本で劇場公開された『死霊の盆踊り』は邦題のセンスのよさもあって劇場が満席になるという珍事となった。ちなみに『死霊の盆踊り』は、カンヌ国際映画祭常連の配給会社ギャガ(当時の社名はギャガ・コミュニケーションズ)の配給第3弾作品だった。

 80年代の日本ではまだ知られていなかったが、観た者の脳みそを空っぽにしてしまう『死霊の盆踊り』の脚本を書いたのは“史上最低の映画監督”として名を馳せることになるエド・ウッドだった。エド・ウッドの代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』(59)と共に『死霊の盆踊り』も年末年始にリバイバル上映される。サイテー映画の仕掛け人である映画評論家の江戸木純氏と、これまでに『八仙飯店之人肉饅頭』(93)や『ムカデ人間』(09)など数々の鬼畜映画を配給してきた映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が、30年以上にわたって関わってきたサイテー映画について語り尽くした。

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――1987年に『死霊の盆踊り』が日本で劇場公開されたことで、我が国でのサイテー映画の歴史が始まった。江戸木さんにとっても、思い出深い作品ですね。

江戸木 “史上最低”というフレーズは、実は僕が苦し紛れで付けたものです(笑)。当時のギャガは今と違って、ビデオの版権を売るエージェントだった。創業直後で、社員は東北新社から移った僕も入れて3名だけ。創業者の藤村哲哉社長がマニアックな映画を扱う米国の会社ライノ・エンタテインメントから、中身を観ないで10本まとめて買ってきた中の1本が『死霊の盆踊り』だった。女性のヌードがあって、狼男やミイラ男も出るホラーものだから、ビデオ化したら売れるだろうってことだったんだけど、観たら本当にひどかった。セールスポイントがまるでないので、仕方なく“史上最低”と呼んで売った。当初は『ディスコ・ハカバカーナ 亡霊たちの盆踊り』という邦題を考えていたんだけど、あるプレゼンの際に「“死霊の盆踊り”みたいな映画です」と説明したら大ウケしたんで、『死霊の盆踊り』に決まったんです。ビデオは5000本も売れました(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』は東京ファンタスティック映画祭でも上映したでしょ? 会場に人が溢れていて、すごい盛り上がってた。訳が分からなかった。当時の俺、学生だったけど、あの異様なノリにはついていけなかったから。

江戸木 ホラーマスクをみんなで被って、渋谷の歩行者天国で踊ったの、『トゥナイト』(テレビ朝日系)が取材に来てくれるっていうから。でも、本当は『死霊の盆踊り』は東京ファンタの正式参加作品じゃなかった。東京ファンタの小松沢陽一プロデューサーに「面白い映画ない?」ときかれて、『死霊の盆踊り』があるよと話したら、東京ファンタでやろうと言ってくれて。当時の東京ファンタは渋谷でいちばん大きな劇場だったパンテオンでやっていたけど、上映するのに35ミリフィルムを用意しなくちゃいけなかった。そのことをA・C・スティーブン監督に国際電話で伝えたら大喜びして、自腹で日本に来ると言い出した。ところが、東京ファンタを主催していたニッポン放送が「いくらなんでもコレはだめ!」と怒って、東京ファンタで上映できなくなって。それで急遽、パンテオンのすぐ近くにあった渋谷松竹を借りて上映したんだよ。東京ファンタ“惨禍”作品ということにして。スティーブン監督はもう亡くなったけど、最後まで東京ファンタで上映されたと信じていたと思うよ。「こんなに感動的な上映会は初めてだ」と感激してたから。その後、『死霊の盆踊り2』の台本まで渡されたし(笑)。日本で製作費を集めてくれって。

叶井 『死霊の盆踊り2』? 誰も映画化しないよ!

江戸木 話の内容はまったく同じ。舞台が宇宙になって、音楽がロックになるだけ。『エドウッド』(94)を映画化したティム・バートン監督を取材した際に、「スティーブン監督が書いた続編の台本があるけど興味ないか?」と尋ねたら、「すごくある」っていうから渡したんだけど、それっきりになった(笑)。

叶井 『エドウッド』で描かれて、有名になった『プラン9・フロム・アウタースペース』も劇場公開するんだ。江戸木純というペンネームは、エド・ウッドが由来なわけでしょ。エド・ウッドが好きなんですね。

江戸木 「死霊の盆踊り』は映画を売るサラリーマンの仕事としてのベストを尽くして、最善の結果になったと思う。でも、決してサイテー映画が大好きで、サイテー映画ばかり観ているわけじゃないから(笑)。まぁ、『死霊の盆踊り』はこれまでに50回以上は観て、愛着はあるよ。江戸木純は確かにエド・ウッド・ジュニアから思い付いたペンネームなんだけど、売り込んだ雑誌や出版社から原稿も書いてくれと頼まれて、会社員だったから本名を名乗ることができず、便宜的に付けた名前。エド・ウッド作品は『死霊の盆踊り』以外は観たことがなかったのに、いつの間にか「江戸木純」としての仕事が僕の本業になってしまった(笑)。

叶井 でも、なんで今、『死霊の盆踊り』と『プラン9』なの?

江戸木 サイテーの時代だから、サイテーな映画で盛り上がってほしい。というのは冗談だけど、時間をかけて準備していたものがこの年末にたまたまできることになった。『死霊の盆踊り』は日本公開から32年とすごく中途半端なんだけど、カラーライズ化された『プラン9』も一度きちんと劇場公開したいとだいぶ前から計画はしてた。2018年は僕が日本に紹介したインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)の4K版を公開したんだけど、これがけっこーしんどかった。インド映画界と仕事するのは、なかなか大変なの。その分、面白い体験もいっぱいするけどね。『ムトゥ』の権利を買うためにインドに渡ったときも、プロデューサーがサイババの信者で「君たちが日本から来ることはサイババが予言していた。この映画は日本で必ず大ヒットする」と言われた。そのときは「大丈夫か、この人」と思ったけど、本当に大ヒットしたからね。インド映画は配給自体が一種の神秘体験でもあるんだけど、いろいろと体力や神経をつかう。『ムトゥ』がひと段落したことで、ようやくこの2本の上映ができることになったんだ。

叶井 今回の『死霊の盆踊り』と『プラン9』の売りは何なの?

江戸木 これまではスタンダードサイズで上映されていたんだけど、もともとは横長のビスタサイズで上映されることを前提にして撮影されていたもので、初めてのビスタサイズでの一般上映。横長のビスタサイズで観ると、案外計算された映画だということが分かる。裸で踊っているダンサーたちも当時の米国のストリップダンサーたちで、けっこうレベルが高い。猫のコスプレで踊る女性がいるんだけど、作家の岩井志麻子さんのコスプレ姿にそっくり。岩井さんのコスプレは、『死霊の盆踊り』の影響じゃないかな?

ー1980年代に流行ったミュージカル『キャッツ』だと思います。

江戸木 そうか。でも、「キャッツ』の元ネタは『死霊の盆踊り』だという説もある。『キャッツ』も『死霊の盆踊り』もストーリーはほぼ同じ。ただ、猫が踊っているかトップレスダンサーかの違いくらいだよ(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』も実写版『キャッツ』も、気持ち悪いという点ではよく似ているよね。

――叶井さんは90年代に映画業界に入り、香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』(93)を大ヒットさせて映画業界の名物男に。

叶井 江戸木さんがきっかけですよ。僕がいたアルバトロス社に、江戸木さんがアドバイザーをしていたJCAという会社が「こんな映画があるんだけど」と『人肉饅頭』を売り込みにきた。当時のアルバトロス社はフランスの文芸映画を扱うような会社だったけど、ビデオ部門を立ち上げることになり、『人肉饅頭』しかないと俺も猛プッシュした。江戸木さんとの付き合いは『人肉饅頭』からだよね。『人肉饅頭』が当たったんで、『人肉天婦羅』(93)、『人肉竹輪』(93)、『香港人肉厨房』(92)とひどい映画を次々とリリースしたよね。

江戸木 90年代前半の香港は、97年の中国返還を直前に控え、「三流片」と呼ばれるトンデモない映画がどんどん作られていた時期だった。『実録 幼女丸焼き事件』(93)は中国大陸から流れてきた元人民解放軍が香港でマフィア化しているという内容で、サイモン・ヤムが主演。今の中国では絶対に無理。『人肉饅頭』で犯人役を演じたアンソニー・ウォンは、主演映画『淪落の人』の舞台あいさつのためについ先日、東京に来てた。僕は舞台あいさつの司会をしたんだけど、すごくいい人で驚いた。『淪落の人』も感動必至の感動作(2020年2月公開予定)。アンソニー・ウォンが出演した『エボラ・シンドローム 悪魔の殺人ウィルス』(96)や『ザ・ミッション 非情の掟』(99)の宣伝プロデュースをしたことを本人に伝えると、笑っていたけどね。

叶井 最近、アンソニー・ウォンはあまり映画に出てないんじゃない?

江戸木 香港のデモ運動を支持するようなコメントをSNSでしているから、映画に出れなくなっている。反体制的な発言をするタレントは、中国政府が映画会社に圧力を掛けて、映画に出演できなくしてしまうから。それでもアンソニー・ウォンは男気のある人で、低予算で制作された『淪落の人』にはノーギャラで出演している。逆にジャッキー・チェンは中国でシネコン・チェーンのオーナーとして大儲けして、中国寄りの発言ばかりで、今の香港ではかなり嫌われている。

叶井 アンソニー・ウォンはタブーのない、自由を愛する人なんだね。

――ネクロフィリア(死体嗜好家)を主人公にした『ネクロマンティック』(87)も、映画マニアの間で話題を呼びました。

叶井 江戸木さんが雑誌で“ヤバい映画”の特集記事を組んでいて、そのときに紹介していたのが『ネクロマンティック』や『ラットマン』(93)だった。俺、江戸木さんが紹介した映画は全部日本でリリースしようと使命感に燃えていたから(笑)。でも、江戸木さん、ドイツで発禁扱いされていた『ネクロマンティック』をよく発掘してきたよね。

江戸木 ホロコースト問題で廃刊になった、月刊誌「マルコポーロ」に書いた「マジで危ないビョーキ映画コレクション」を読んだんだね。以前から『ネクロマンティック』というドイツ映画があることは知っていたけど、観る手段がなかった。それでカンヌ映画祭に行ったときに、『ネクロマンティック』を知らないかと尋ねて回ったら、うまく当たった。映画マーケットは「松・竹・梅」となっていて、お金のある映画会社はホテルの一室をブース代わりにしていて、お金のあまりない会社は会場を仕切られたブースを使って営業している。それより、もっとお金のない人はスーツケースの中にビデオと資料を詰め込んで営業している。『ネクロマンティック』を持ってた売人は、さもヤバイもののようにこっそりとスーツケースからビデオを取り出してみせた。あのときはドキドキした(笑)。

叶井 『ネクロマンティック』の主演俳優ダクタリ・ロレンツは、たまたま日本にいて「NOVA」の英会話講師のアルバイトをしていたんだよね。死姦映画に主演したせいでドイツで俳優業を続けられなくなって日本に来たらしい。「日本で『ネクロマンティック』をリリースされると、英会話の講師ができなくなってしまう」と泣きつかれたんだけど、「5万円あげるから」って言ったら緊急来日記者会見に出てくれることになった。結局、「NOVA」はクビになってドイツに帰ったんだけど、俺のところに『モスラ』のラジコンを送ってくれと電話を掛けてきて、渋谷のパルコで買った5~6万円するモスラのラジコンを送ったら、『キラーコンドーム』(96)のうねうね動く巨大コンドームとして使われていた。俺の送ったラジコンが『キラーコンドーム』の小道具になったかと思うと、ちょっと感動したね。

江戸木 イタリア映画『ラットマン』もひどかった。

叶井 世界一小さい人ネルソン・デ・ラ・ロッサさんが、人を殺しまくるというひどい内容。日本テレビの「世界の奇人さん大集合」みたいな番組に出演することになって来日させたんだけど、空港まで取材に来ていた女性誌のカメラマンがロッサさんに「スーツケースの中に入って」とか無茶なことを頼んで写真を撮っていた。今だったら、大問題でしょう。ロッサさん本当に小さくて70センチくらいしか身長がなかったんだけど、そんなに小さいならホテルに泊まらなくてもいいんじゃないとか誰かが言い出して、俺のアパートに泊めることになってさ。浴室のバスタオルとか入れる籐籠で2日間寝てもらった。ひどい話だよね。

江戸木 その話は初めて聞いた。サイテー映画にはサイテーなエピソードがいろいろとあるもんだね。

――江戸木さんが発掘した北朝鮮映画『プルサガリ 伝説の大怪獣』(85)も、忘れられない作品です。

江戸木 別に僕が発掘したわけじゃないですよ。これはJCAから新しいビデオ・レーベルのプロデュースを頼まれて、よくその事務所に出入りしていたんだけど、たまたまその会社が北朝鮮映画の窓口という人から相談を受けていて、『プルガサリ』の35ミリフィルムがその事務所に積まれていた。見せてもらったら新品のきれいなフィルムで、映画も面白い。これはちゃんと公開すべきだと思ったので新レーベル「レイジング・サンダー」の配給で劇場公開したんです。『ムトゥ』と同じ年、1998年の7月公開で、キネカ大森1館の公開だったけど予想以上のヒットになった。でも、その数週間後、北朝鮮がテポドンを発射した途端、劇場はガラガラになっちゃった。(笑)

叶井 「レイジング・サンダー」がなくなったのは残念。『プルサガリ』はリメイクされたんでしょ?

江戸木 そう、脱北したシン・サンオクというプロデューサーが、米国に渡ってルーマニア・ロケでつくった。『ガルガメス』(96)という題名で、日本でもビデオ発売されたことがあります。舞台は中世のヨーロッパなんだけど、物語はまったく同じ。けっこう、よくできたファミリー映画だったよ。

――お話を聞いていると、江戸木さんの映画紹介が叶井さんの映画人生を大きく左右したようですね。

江戸木 叶井くんと僕には共通の知人がいて、その人からの影響が大きいと思う。

叶井 映画宣伝会社イーグルスカンパニーの梶原和男さん! 僕が映画業界に入ったのも梶原さんから声を掛けられたから。ラジオ局でバイトしていたら、ちょくちょく梶原さんが映画の売り込みに来て知り合って、梶原さんの紹介でアルバトロスに入社することになった。すごい宣伝マンだった。

江戸木 どの映画にも「これは実話だ」「5分に一度は必ず~」というキャッチフレーズをつけてしまうし、香港映画やフランス映画だと売れないとかいって、香港・米国合作映画とかフランス・米国合作映画に勝手に変えてしまう人だった。ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』(85)の邦題を考えたのも梶原さん。

叶井 梶原一騎と一緒に「三協映画」を立ち上げた人で、角川映画『犬神家の一族』(76)などの宣伝もやってた。うさん臭い映画宣伝といえば、梶原さんの独壇場だった。梶原さんの宣伝スタイルを受け継いだのは、今や江戸木さんと俺のふたりだけですよ。

江戸木 梶原さんが映画人生を賭けてつくったベトナム戦争アクション『ブルドッグ』(92)もすごい映画だった。フィリピンで撮影したんだけど、撮影がずるずると延びて製作費に2億円くらい費やしてしまったという。すごくチープな『エクスペンダブルズ』(10)みたいな話なんだけど、全編突っ込みどころ満載のすごい怪作だった。

叶井 そうそう! 『ブルドッグ』もリバイバル上映するべきですよ

ー日本にも知られざるサイテー映画があったわけですか。映画評論家の水野晴郎さんが撮った『シベリア超特急』(96)と比べてどうですか?

江戸木 どっちも同じくらい、楽しい映画です(笑)。水野さんの『シベ超』シリーズはいつかちゃんと再評価されるべき作品だと思いますね。

 

――叶井さんはアルバトロス時代に『アメリ』(01)を大ヒットさせ、その後独立。トルネード・フィルムは残念なことになりました。

叶井 残念な結果でした。みなさんには大変ご迷惑をお掛けしました。河崎実監督の『日本以外全部沈没』(06)はヒットしたんだけど、全国公開した『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』(08)で調子に乗りすぎてしまいました。

江戸木 『日本以外全部沈没』は面白かった。「日本のエド・ウッド」を自称している河崎監督は特殊な才能の持ち主だと思う。

叶井 本人には言えないけど、河崎監督は製作費が100万円でも1億円でも、完成させる映画のクオリティーは変わらないと思う。それってすごい才能だよね。河崎監督の最新作『ロバマン』は2020年1月10日(金)公開なので、こちらもよろしくお願いします。

――その後の叶井さんはトランスフォーマー社に再就職し、『ムカデ人間』(09)がヒット。2018年からはサイゾー社に席を置き、パリ人肉事件で有名な佐川一政のドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』(17)を劇場公開。『人肉饅頭』から手がけてきた作品は、すべて鬼畜系一色で一貫しているのはすごい。

叶井 最初にやった『人肉饅頭』がやっぱり大きい。『人肉饅頭』の宣伝のために、佐川さんに応援コメントをもらったりしたからね。やっぱり、佐川さんのことはずっと気になっていたから。『カニバ』はヒットとは言えないけど、赤字にはなってないよ。今は『ムカデ人間』を撮ったトム・シックス監督の新作を日本で公開できないか検討しているところ。他人が死ぬ瞬間を見て、オナニーする人たちを描いた本当にひどい映画。デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』(96)のオナニー版みたいな感じ。配給権が高すぎるのがネックだね。

江戸木 クローネンバーグと『ムカデ人間』の監督を同列に語っていいのかという問題もあるような気がするけど(笑)。

叶井 江戸木さん、12月20日(金)から『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』も公開するんでしょ。どうですか、チャールズ・ブロンソンのそっくりさんは?

江戸木 ロバート・ブロンスキーは、本当にブロンソンにそっくりで驚くはず。ハンガリー出身の元軍人で、馬の調教師などをやった後、スペインの西部劇村のショーに出ていたところを、スカウトされて映画デビューした人。来日したときはずっと一緒にいたんだけど、話しているうちに「もしかしたら、本当のブロンソンじゃないのか」と思えてきた。約束した時間には1秒も遅れないし、超マジメでブロンソンを全身でリスペクトしている、すっごい律儀な人。今回の『野獣処刑人』はブロンソンの代表作『狼よさらば』(74)シリーズの超絶オマージュ作で楽しめる。ブロンスキーのそっくりさんぶりは海外でも話題になっていて、出演オファーが殺到しているらしい。チャールズ・ブロンソンの新作はもう観ることはできないけど、ブロンスキー映画はこれからも期待できそう。きっとさらに面白い映画がつくられると思う。

叶井 若い人は観にくるかな?

江戸木 若い世代にも、この機会にブロンソン映画の面白さをぜひ知ってほしい。『野獣処刑人』の初日には、ブロンソンの熱烈ファンのみうらじゅんさんと田口トモロヲさんのブロンソンズが来てくれることになってます。映画鑑賞って、予告やチラシを見て「どんな映画なんだろう」とワクワクしながら劇場に向かうのも含めての楽しさだと思う。いかがわしさもないと、映画はつまらない。

叶井 見世物小屋に行くみたいな、何が待っているか分からない面白さがないとね。

江戸木 最高の映画があれば、最低の映画もある。サイテー映画は映画としては最低でも、決してつまらない映画ではない。自宅にいたんじゃ出会えない楽しさを、ぜひ映画館で味わってほしいな。

(取材・構成=長野辰次)

●江戸木純(えどき・じゅん)
1962年東京都生まれ。東北新社、ギャガなどで日本語版制作や宣伝を行ない、数々の邦題やキャッチ・コピーを担当。日米合作映画『カブキマン』(90)では企画・キャラクターデザインを手掛けた。独立後は映画評論家としての執筆活動の傍ら、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、スウェーデン映画『ロッタちゃんとはじめてのおつかい』(93)などの国内配給を手掛けた。著書に『龍教聖典 世界ブルース・リー宣言』(洋泉社)、共著に『バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争』(洋泉社)ほか。

●叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
1967年東京都生まれ。91年に洋画配給会社アルバトロスのグループ会社ニューセレクトに入社。94年よりアルバトロスに異動し、洋画バイヤー兼宣伝マンとして活躍。『アメリ』(01)を大ヒットさせた後、独立。ファントム・フィルム、トルネード・フィルムなどの映画会社を立ち上げた。その後はトランスフォーマー、レスぺを経て、2018年よりサイゾーへ。ドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』の国内配給を手掛けた。2020年2月7日(金)より、観ると死ぬ映画『アントラム/史上最も呪われた映画』が公開。著書に『突然、9歳の息子ができました』(サイゾー)、江戸木純との共著『映画突破伝』(洋泉社)ほか。

 

『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』
監督・脚本・撮影・編集/レネ・ペネス
出演/ロバート・ブロンジー、リチャード・タイソン、エヴァ・ハミルトン、レイア・ペレス、ダニエル・ボールドウィン、ストミー・マヤ
配給/エデン 12月20日(金)より新宿武蔵野館にてロードショー
(c)2018 Action Film Partners LLC.All Rights Reserved. 
http://www.eden-entertainment.jp/thebronson

『死霊の盆踊り』
製作・監督/A・C・スティーヴン 脚本/エド・ウッド
出演/クリスウェル、ファウン・シルバー、パット・バリンジャー、ウィリアム・ベイツ
配給/エデン 12月28日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

 

『プラン9・フロム・アウタースペース』
製作・監督・脚本・編集/エドワード・D・ウッド・ジュニア
出演/グレゴリー・ウォルコット、クリスウェル、トー・ジョンソン、ヴァンパイラ、ベラ・ルゴシ
配給/エデン 2020年1月11日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)Legend films.
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

レコ大、ジャニー前社長に贈られる「特別音楽文化賞」と近藤真彦のステージに注目集まる

 今月30日にTBS系で中継番組が放送される年末恒例の音楽界最大の賞レース『輝く!日本レコード大賞』を巡って、周辺が慌ただしくなっている。

 今年は、米津玄師がプロデュースする音楽ユニット・Foorinの『パプリカ』や乃木坂46の『Sing Out!』、欅坂46の『黒い羊』、日向坂46の『ドレミソラシド』、氷川きよしの『大丈夫』などが優秀作品賞に選出されており、「レコード大賞」を競うことになる。
 
 そうした中、大賞の行方以上に業界内で注目を集めているのが、今年7月に亡くなったジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長に贈られる「特別音楽文化賞」に関する演出だという。
 
「ジャニーズ事務所といえば、かつては1987年に近藤真彦さんが『愚か者』で、88年に光GENJIが『パラダイス銀河』で大賞を受賞するなど、レコ大にも参加していましたが、90年に忍者が、美空ひばりの名曲『お祭りマンボ』をカバーをした際、同曲の扱いが希望していた演歌・歌謡曲部門ではなく、ポップス・ロック部門に振り分けられたことに激怒。それ以来、自社アーティストやその楽曲が賞の対象になっても“辞退”を繰り返し、距離を置いてきました。そうした歴史があるだけに、特別音楽文化賞の話を聞いた時は正直驚きましたね」(大手レコード会社スタッフ)

 実際、こうした経緯から多くの業界関係者はジャニー喜多川前社長の偉大なる功績を鑑みても、音楽界に大きな貢献をした故人に贈られる既存の賞の特別功労賞が贈られるものだろうと考えていたようだ。

 そこで気になるのが、受賞時の演出だ。当日は事務所を代表して近藤真彦が同賞を受賞することがすでに発表されているが……。

「ステージに登場した近藤が、かつての大賞受賞曲である『愚か者』を歌唱するのではないかと噂になっているんです。近藤といえば、87年のレコ大直前に、前年亡くなった母親の遺骨盗難事件が起き、『レコード大賞を辞退しろ。辞退しないとどうなるか、横浜の墓の下をよく見てみろ』という脅迫電話や脅迫文が届く中、『きっとお母さんなら辞退するなと言うと思う』と、事件を公にせずステージに立ち、同曲で大賞を受賞してステージで号泣した一件は今も語り草になっています。それに、ジャニーズ事務所がレコ大と距離を置いていたにもかかわらず、10年には『心 ざんばら』で最優秀歌唱賞も受賞している。そんな因縁浅からぬレコ大に久々に姿を現すわけですから、今は亡き天国の恩人に捧げるサプライズの演出があったとしても不思議ではないでしょう」(スポーツ紙記者)

 マッチがどのようにステージ上で振る舞うのか、ジャニー喜多川氏も天国から見守っているに違いない。

安住紳一郎も苦言……「好きなアナウンサーランキング」は、なぜ女子アナの首を絞めるのか?

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「アナウンサーは人気じゃないってことをね、何度も言ってるんで」安住紳一郎
『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ、12月15日)

 以前に比べ、アナウンサーたちは、テレビの“数字至上主義”によって、窮地に追い詰められているのではないか。最近、私はそんなことを感じているのだが、その理由を掘り下げるため、より危機に瀕しているように見える “女子アナ”に焦点を絞って考えてみたい。

「シロウトが女子アナに」がウケる時代は終わった

 1990年前後、女性は前に出ない方がいいという時代の影響か、女子アナたちが「自分はごくフツウの人間だ」「たまたま受かってしまった」とアピールしていた。例えば、元フジテレビアナウンサー・中村江里子。『女四世代、ひとつ屋根の下』(講談社文庫)で、フジテレビ受験の顛末を語ったことがある。どんな仕事に就いたらいいのかわからなかった中村は、就活をまったくしていなかったが、知人の勧めでテレビ局を受験することに。履歴書に貼る写真も用意していなかったので、スナップ写真。しかも、ノーメイクで受験をしたのに内定を得る。中村の先輩にあたる河野景子も、フジテレビは記念受験であり、ほかのテレビ局は一切受験していないと『バイキング・ザ・ゴールデン』(フジテレビ系)で明かしている。

 超難関試験である女子アナ試験に「フツウの女子大生」がこんな簡単に受かってしまうなんて、「夢がある」話ではないだろうか。しかし、事情をよく聞くと話は変わってくる。フジテレビの女子アナはお嬢さまが多いことで知られているが、中村の実家も銀座の老舗楽器店であり、お嬢さま育ちである。一方の河野は、お嬢さまだったという話は聞いたことがないものの、上智大学のミスコン「ミス・ソフィア」の覇者であり、「週刊朝日」(朝日新聞出版)、「CanCam」(小学館)の表紙モデルにも選ばれている。就活こそ精力的に行わなかったかもしれないし、テレビ局をたくさん受けたわけではないが、2人とも「フツウの女子大生」ではないのだ。

 元フジテレビアナウンサーで言うと、このほかにも、有賀さつきさんは、高校時代から芸能事務所に所属していたそうだし、佐藤里佳アナは運輸省「海の記念日」のキャンペーンガールをやっていたなど、学生時代から芸能活動をかじっていた人もいる。しかし、それは名前と人気が定着した頃に明かされる事実。なぜ隠すのか……その理由については不明だが、恐らく、当時の女子アナはシロウトっぽさが人気であったことから、「私たちは会社員である」というスタンスを押し出したかったのではないだろうか。

 しかし、シロウトが女子アナになって有名人になる、という図式はだんだんと崩れ始める。『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)で最前列の中央に座っていた小林麻耶が、2003年にTBS入社。このほかにも、元アイドルの平井理央が05年フジテレビに、最近だと元乃木坂46・市來玲奈が昨年、日本テレビに入社している。

 すでにテレビに出ていたり、芸能活動をして、ある程度の知名度を持つタレントたちが女子アナの内定を得た理由は、放送局側の都合だろう。放送局は看板になる人気女子アナがほしい。しかし、そういう人材を一から育てるのは手間がかかる。アナウンサーを育てるより、タレントをアナウンサーにする方がラクだと考えるようになったのかもしれない。この手っ取り早く人気女子アナがほしいというテレビ界の風潮は、当事者である女子アナに、大きなプレッシャーを与えかねないのではないか。

 さらに、テレビをはじめとする数字至上主義の世界の人たちは、「この人を使えば、数字が見込める」という“裏付け”を欲するものである。その資料として一番使いやすいのが、ランキングではないだろうか。アナウンサーに関しては、オリコンや「週刊文春」(文藝春秋)が「好きなアナウンサーランキング」を毎年開催しており、これがまた女子アナたちを苦しめているように感じる。

 アナウンサーの立場からすれば、ランキングに名前が出ると、仕事に起用される率が高くなる。となると、名前を憶えてもらうためにも、テレビに出たときは、とにかくインパクトを得たいと思うようになるのではないだろうか。そのせいか、ある時期を境に、特に女子アナたちがタレントと同じようにキャラを立てる傾向が出てきた。そういう時代だから仕方ない部分もあるだろうが、これで名前が売れることはあっても、アナウンサーという技能の面でプラスになるのかは疑問である。

 テレビだと気づかないが、女子アナの原稿読みや発言を、ラジオや音声だけで(テレビ画面を見ずに)聞いていると、その技術力がわかる。はっきり言うと、ランキング上位の女子アナでも聞いていられない人はいる。ランキングに投票する人たちは、容姿やキャラを重要視するので、原稿読みのうまさを求めているわけではないと言われればそれまでだが、若いうちにアナウンサーとしての能力を高めないで、目立つキャラ作りばかりやっていると、いざアナウンサーとして大きな仕事を任された時に困るのは、本人ではないか。また、しっかり原稿が読めない女子アナが増えることで、タレントでも十分ではないかという“アナウンサー不要論”が出てこないとも限らない。これも彼女たちの首を絞めることになるだろう。

 と思っていたところ、TBS・安住紳一郎アナウンサーが、ラジオ『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)で、「アナウンサーは人気じゃないってことを何度も言っているので、そろそろ、こういう(好きなアナウンサー)ランキングは、やめにしていただきたい」と話し、その理由を「人気を気にすると、言えない一言が出てくる」「嫌われると思っても、言わなくてはいけない一言がある」と説明した。人気ランキングがあるがために、アナウンサーとしての本分を全うできなくなっていると現役アナが直々に異を唱えるというのは、異例のことだろう。

 人気の局アナはフリーになるという定説がある中、安住アナは「好きな男性アナウンサー」5連覇を果たし、殿堂入りしてもなお、局アナを貫いている。その姿勢を評価されたのか、「週刊新潮」(新潮社)によると、今年の夏に局次長とかなりの出世を遂げたそうだ。ランキングの悪影響に関しては、力のある人が言ってくれなければ、誰も聞く耳を持たない。安住アナでなければできない発言と言えるだろう。

 でも、残念ながら来年も再来年もランキングはなくならないと思う。放送局にスポンサーがいて、視聴率を取ることが仕事としている以上、こういう“証拠”に似たものがないと企画が通せないという考え方にも一理あるからだ。せめて、女子アナのみなさんが、ランキングのためにキャラを作りすぎて、自身の女子アナ生命を短くしないことを祈るばかりだ。

Hey!Say!JUMP・伊野尾慧、「加齢」によるメンバーの食生活の変化を『めざまし』で暴露

 Hey!Say!JUMPの伊野尾慧が木曜レギュラーを務める情報番組『めざましテレビ』(フジテレビ系)が12月19日に放送され、伊野尾のコーナー「伊野尾ピクチャー」では、「イノ調」ロケの合間に食べたという、広島風お好み焼きを指さした自身の写真を披露。

 伊野尾は、お好み焼きのほかにも「牡蠣、たこ、帆立……」などいろいろ食べたようで、同番組のメインキャスター・三宅正治アナウンサーから「ちゃんとロケやってんの!?」とツッコまれる。その後、伊野尾が「この時はこの、もんじゃ焼き……じゃねえや」と言い間違いをし、再び三宅アナにツッコまれるとスタジオは笑いに包まれ、そのままコーナーは終了。

 次に放送された「イノ調」では、「ギルトフリーグルメ」を伊野尾が調査。「ギルトフリー」とは低糖質・低カロリーで、罪悪感なしで食べられる食事のこと。飲食店でも少しずつ広がり始めているといい、伊野尾は揚げないロースカツカレーや “罪悪感ゼロのスイーツ”ブリスボール、ベジソバなどを試食し、食レポをこなしていく。

 体にいい上においしいと大満足の伊野尾だったが、ベジソバを食べている際、店長から「最近は男性客も増えている」と聞き、「やっぱりここ数年で男性の意識も変わってきてますよね」とコメント。「だって(Hey!Say!JUMPの)メンバーとかも、やっぱり年齢が上がってきたのもあるけど、本当にサラダとチキンばっかり食べてるもんね」と、メンバーの食生活の変化を暴露。続けて、「本当にここ1〜2年で『米は玄米だ』『食べるのはサラダだ、チキンだ』って」と話し、「ずいぶん変わっちゃった」とグループを客観視していた。

 この日の放送に視聴者からは、「JUMPのみんな、意識高い!」「ケータリングにも玄米入ったらしいし、時代は変わるね」「メンバーの食生活は気になる」という声が集まった。

なにわ男子・長尾謙杜、「ずっと楽しみにしてた」お仕事ロケとは? ジャニーズと“兼業”宣言も!?

 関西地方で放送されている夕方の報道・情報番組『キャスト』(朝日放送)に、水曜レギュラーとして出演している関西ジャニーズJr.内ユニット「なにわ男子」。メンバー7人の中から週替わりで2人がロケに出て、関西のさまざまな仕事に体当たりでチャレンジするコーナー「なにわの仕事を学びまSHOW」を担当している。

 12月18日放送回では、道枝駿佑と長尾謙杜が「クエ漁のお仕事」に挑戦。関西で有数の「天然クエの町」で知られる、和歌山県・日高町へやって来た2人。釣り好きの長尾は、このロケを心待ちにしていたようで「ついに来ました! 漁のお仕事です! 僕ずっと楽しみにしてたんですよ!」とハイテンション。一方の道枝は早朝5時からのロケということもあり、テンションが低め。長尾に「釣る気はある!?」と詰め寄られた道枝は「あるっちゃあるけど……」とタジタジの様子だ。ここで長尾がクエについてのクイズを出題するが、相変わらず道枝のテンションは低調で、「もっと興味を持てー!」と一喝する長尾だった。

 漁獲量が少ないことから、「幻の高級魚」と言われているクエ。2人はこの道50年という名人に、クエ漁について教えてもらうことになった。海底に潜むクエを釣り上げるためには、「食事をするタイミング」を狙わなければならず、捕獲はかなり難しいという。説明を聞いた長尾が「クエ食うたら、ほかの魚は食え(クエ)ん!」というダジャレを言うと、名人から「もうそのギャグ古いで」と冷静なツッコミが入り、スタジオのレギュラー陣も大爆笑。

 早速、2人は船に乗り込み出港。クエがいると思われるポイントを目指す。しかし、「幻の高級魚」というだけあって、どれだけ待っても釣ることができない。開始から3時間が経過し、根気強く粘っているが何も起きず、道枝が「クエってこんなに釣れないもんなんですか?」と尋ねると、名人は「なかなか釣れんよ。釣れたら大金持ちなるわ」と一言。道枝は「そう考えたら、すごいものを釣ろうとしてるんですね」と、今回のお仕事の難しさをようやく実感した様子だった。

  その後もクエを待ち続けること6時間。今年クエが釣れたというゴールデンポイントで最後のチャンスを狙ったものの、2人の思いは届かず、クエを釣ることはできなかった。悔しそうな2人だが、名人によると1年間粘らないとクエを釣ることはできないとのこと。長尾が「1年間、僕来ます!」と、ジャニーズと漁師の“兼業”も辞さない覚悟である一方、道枝は「僕はちょっと、遠慮させていただきます」と最後まで温度差のある2人だった。

 ネット上からは「長時間釣りをしたのに1匹も釣れず……。それでも腐らずに頑張ってて偉い!」「テンションが真逆の2人で面白いしかわいい」「ジャニーズの副業に漁師!?」という声が寄せられた。

有安杏果、『今くら』出演で“洗脳説”再浮上! 関係者が「明らかにウソをついている」と指摘

 元ももいろクローバーZの有安杏果が、結婚後初となるバラエティー番組に出演した。今年2月に交際宣言し、11月に結婚した40代後半の医師で、有安の個人事務所「アプリコット」代表を務める夫との馴れ初めや、グループ脱退について赤裸々に語ったが、ネット上ではかねてから指摘されていた“洗脳説”が再浮上しているようだ。

 有安は12月18日放送の『1周回って知らない話&今夜くらべてみました 強い女が集結3時間SP』(日本テレビ系)に出演。夫とは元々“患者”として出会ったこと、ももクロの脱退については「1回休みたいっていうのがあって。体調面もよくなくて、1回自分でブレーキをかけなきゃなって思った」と初めてテレビで語った。

「その後、医師と交際に発展した経緯を聞かれると、少し困った表情を浮かべたように見えました。するとMCの東野幸治が『いろいろ相談したりとかして、食事に行ったりして。波長も合う』とフォローを入れ、有安が『大まかに言えばそう』と返事をしたため、本人の口から詳細は語られず。しかし、このシーンを見た視聴者からは、交際発覚当時から言われていた『脱退は医師にそそのかされたのでは?』『脱退と結婚も医師による洗脳?』という声が再浮上したんです」(芸能ライター)

 また、放送を見たマスコミ関係者は、有安が「明らかにウソをついていた」と指摘する。

「それは、ももクロ脱退後に『芸能界をやめるか、続けるか決めずに過ごしていた?』という質問に『そうですね』と答えた部分です。ももクロ在籍時から、有安は脱退と所属していたスターダストプロモーションから『いち早く抜けて、個人で活動したい』と考えるようになっており、その手助けをしたのがほかならぬ医師だった。スターダストは退所者に圧力を掛けるなど、厳しい一面がある事務所のため、ソロ転身後にトラブルが発生しないよう、彼は芸能事務所など各方面に調整を行っていたんです」(芸能プロ関係者)

 当時の有安の動向を知っていた関係者からすると、二人の関係性において主導権を握っていたのは有安のほうで、医師を利用しているように見えていたという。

「自分が望んだ形で、ももクロと事務所から“脱出”し、医師の作った個人事務所で活動再開。身近な関係者からすれば、むしろ『医師が有安にコントロールされているのでは?』としか思えなかったんです」(同)

 新境地となる“ぶっちゃけバラエティー”番組への出演は、有安に新たなステージを用意するきっかけになるのだろうか。