――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『子育てとばして介護かよ』(島影 真奈美、KADOKAWA)
別居している義母からのかみ合わない電話をきっかけに、義父母の認知症が立て続けに発覚。「仕事は続ける」「同居はできない」という前提で挑む、「介護1年生」エッセイ。義父母が拒む中でどう認知症の認定を受けてもらい、ケアサービスまでこぎ着けるか、お役所仕事の介護申請とどう折り合うか、夫との危機感の差をどう受け止めるか――。初めての介護に振り回された日々を、イラストを交え、軽やかにつづる。現在も仕事と大学院研究と介護の「3足のわらじ」をはく著者の、途中報告リポート。
『親の介護をしないとダメですか?』(吉田 潮、ベストセラーズ)
コラムニスト・吉田潮が、自身の父の老化を見つめ、母による介護の限界を経て、特別養護老人ホーム(特養)に入所してもらった日々を、母と共同の介護日誌とともに振り返る。元新聞記者で闊達だった父から意欲が減少し「文化」がなくなる経緯や、頻繁な転倒や排泄の失敗を家族で介護する困難さ、施設選びに際する注意点や特養の実態、実際にかかった費用など、介護の現実が淡々と書かれている。「美談でもないし、悲惨な状況にも陥っていないし、自宅介護は一ミリもお勧めしない」、異色の介護エッセイ。
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年に1度か2度会うたびに、親が小さくなり、老いていく。一定の年齢になれば、それは当たり前のことなのに、普段親と離れて暮らしていると、その事実に心ひそかにうろたえてしまう。それは、私が「老い」をよく知らないからだ。
「老い」とは、年を取ることで体や精神的機能が衰えていくこと。頭では理解していても、核家族で育ち、進学で地元を離れそのまま就職し、仕事でも私生活でも高齢者と深く関わらない日常を過ごしていると、老化が具体的にどういう状態なのか、実はまったくわかっていない。「老い」という科目を履修しそびれたまま大人になっている不安が、時折頭をよぎって、しかし「まだ大丈夫」と先送りにしている。
9月中旬に、そんな老化と介護の現実の一端を見せてくれる本が、2冊ほぼ同時に刊行された。『子育てとばして介護かよ』と『親の介護をしないとダメですか?』は、どちらも40代女性著者による、「親の介護」「親の認知症」の始まりを書いたエッセイ。前者は、別居する義父母の認知症に気づき、ケアサービスを受けるまでを振り返り、後者は、急激に身体機能が衰えた実父が特養に入所する過程を語っている。状況はそれぞれ異なっているが、両作とも「仕事を辞めない、同居もしない」というスタンスをとっている点が共通する。
大学院で老年学を研究している島影氏と、過去にホームヘルパー2級を取得している吉田氏。ある程度の知識があるといっていい両者が、エッセイを通して強く訴えているのは、介護において「自分(もしくは家族)が『少し無理すればなんとかなる』」という考えの危うさだ。
別居したまま、義父母の介護の窓口となった島影氏は、「少し無理すればできること」を重ねて、次第に精神的に追いつめられる。彼女は、介護への対応を強制されたわけではない。しかし、周囲の空気を読んで「自分がやったほうが早い」と対処しているうちに、無意識のうちに抱えきれない負担を抱えてしまう。そのような状況は珍しくはないだろう。そんな彼女が、小さなことからでも周りに「できない」と発信することで、新たな選択肢が増え、環境が変わった過程も丁寧につづられている。
一方、『親の介護を―』は、「同居介護はしない」「介護はその道のプロに任せるべき」という著者の姿勢は当初から一貫している。しかし、著者の母の根強い「夫の介護は妻がやるもの」という意識を変えることは難しい。病に倒れて身動きが取れなくなった両親を助けながら、安易な「自宅介護」が、悲劇を生み出す種になり得ることに警鐘を鳴らす。
「自分がやらなくては」という精神は一見美徳だが、“火事場の馬鹿力”は永遠には出せない。介護者が疲弊してしまえば、最終的には被介護者も十分なケアを受けられなくなってしまう。被介護者のためにも、持続性のある介護環境を作るために、どのように情報を集め、公共サービスをどのように活用していくか、両作にはその対策がちりばめられている。
手続きや費用面の解説など、実用的に役立てられる面も多くあるが、両作の一番の魅力は、「要介護」に至る前の段階から、日常生活を送ることが困難になるまでの「老い」の実態の一端が、美化されず、深刻にもなりすぎずに具体的に描かれている点だ。『子育て―』には、身体的には健康で一見何の問題もないように見えるのに、会話に妄想が入り込む「認知症」と向き合う難しさが、『親の介護を―』には、身体的な衰えに加え、好奇心旺盛だった父から「文化」が削がれていくさまがつづられる。
老化とは、普通にできたことが、まだらに欠けていくこと。本人も自覚しないまま、約束や待ち合わせが守れなくなる。理路整然と会話ができているのに、行きたいところに自力でたどり着けなくなる。それまで好きだった娯楽が楽しめなくなる。予備知識なしに直面すると戸惑ってしまうような、わかりにくい老化を、両者とも時にユーモアを交えながら描写することで、さりげなく読者が「老い」に向き合う心構えをも軽くしてくれる。
老化は、生きていれば誰もが通過する自然現象だ。さらに言えば、自分もいずれ歩む道でもある。親も、自分自身も、できないことが増えていく中、限られた時間で何ができるのか改めて見直すきっかけにもなるだろう。
現在進行形で別居介護に直面している人にとっては、心強い友人を得たようなエッセイになっているであろう両作。しかし私は「介護はまだ先の話だから」と、親の老いの兆しと向き合うことそのものも先送りにしている人にも、読んでおくことを勧めたい。ある日突然、「親 介護」「両親 認知症」で検索する必要に迫られる前に。
(保田夏子)
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