皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
殺害疑惑で天皇をクビ……ドSすぎる狂王の悲しき人生
――10月22日、「即位の礼」に行われましたね。前回のお話に出てきた「高御座」が、テレビに映し出されるたびに、花山天皇と女官が“セックス”したという強烈なエピソードを思い出してしまいましたが、堀江さんはどのようにご覧になりましたか。
堀江宏樹(以下、堀江) 前日夜から降り続いていた雨が、儀式がはじまったらやみ、虹まで出ましたよね。新帝陛下のカリスマに敬服する思いです。儀式当日まで心配されていた台風20号もいつの間にか温帯低気圧に変わったし、さすがは「日の御子」……。天皇家の血脈、そしてパワーは新帝陛下にも確実に受け継がれているなぁと感じた人も多いのでは。天皇を支えるパワーの源は、ミステリアスな存在に秘められた“カリスマ性”であり、それは理屈とか科学とかでは説明できない“スピリチュアル”な力ですね。
――カリスマ性に問題があった場合、退位につながることはあるのしょうか?
堀江 「狂王退位」という強烈な逸話が残っている、陽成天皇(第57代)のお話は有名。『小倉百人一首』に歌が選ばれる優秀な歌人としての一面と、驚くほど粗野で、不安定な面を兼ね備えた方でした。ちなみに、百人一首をテーマにしたコミックエッセイ・『超訳百人一首 うた恋い。』(メディアファクトリー)では、悪ぶった影のあるイケメンとして描かれているものの、実際は奇行がひどく、裸にした商人を塔に登らせた挙げ句、矢で射殺したり、縄で縛った女官を池に放り込んで溺死させたこともあったそうです。
―――ドSというか、まさに狂王! 「こんな天皇は嫌だ」という大喜利の答えにありそうな奇行の数々……。
堀江 陽成天皇は、生後3カ月で皇太子となり、数え年9歳の若さで天皇に即位します。陽成天皇の母君は、権勢を誇っていた藤原家の“お嬢様”・藤原高子(ふじわらのたかいこ)。母親の藤原家の手厚いサポートあっての幼年即位でしたが、彼の内面は荒んでいたようです。
先ほどお話したように、暴力的なエピソードをお持ちの陽成天皇ですが、退位させられた理由は、なんと「殺人」。陽成天皇が15歳の時、彼の乳兄弟(ちきょうだい)が、宮中で撲殺されました。乳兄弟とは、陽成天皇の乳母の子。つまり、彼にとっては兄弟のように育てられた存在です。その乳兄弟を殴殺したという嫌疑を、事件現場の状況証拠からかけられたのでした。しかし、周囲からの“忖度”が働き、「犯人捜しはしないけれど……陽成天皇、あなたにはとりあえず退位していただく」ということになりました。つまり「天皇にふさわしくないからクビ」です。その後、亡くなるまでの65年間を、陽成上皇として過ごすのですが、裏を返せば人生の残りの膨大な時間を、無為無策のまま生きていかざるを得なかったのです。
奇人だった一方で、彼は相当な文化人だったとも言われます。彼の代表歌といえば、『百人一首』にも選ばれた「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」という有名な歌。「筑波山の峰から落ちる水が、たまりたまって川になるように、あなたへの恋心は、積もり積もって淵のように深くなる」といったくらいに意訳しておきましょうか。でも、彼の歌はこの一首が残されているだけで、理由はわからないものの、それ以外は何もありません。
――いっそう闇を感じてしまうエピソードですね。でも、どうしてそんな悲しい結末になってしまったんですか。
堀江 母君・藤原高子から狂気めいた血脈を受け取っていたのかもしれませんねぇ。彼女は、名門武家の一つである「清和源氏」の祖・清和天皇(第56代)の元に、中宮(≒皇后)として嫁ぎます。高子は結婚前から、その美貌を人々に見せつけていたといい、公卿・国司の子女の中から、5人の未婚の少女が選出される「五節(ごせち)の舞姫」に抜てきされました。そして、宮中の儀式・新嘗祭(にいなめさい)で、舞い踊ったそうです。当時、「五節の舞姫」に選ばれることは、とても名誉なことだったといい、権力者の男性の目に止まれば、良縁にも恵まれますからね。その結果、高子は一族の思惑通り、清和天皇の心を射止め、結婚することになりました。ちなみに、そこにいた男性たちは、あまりの彼女の美しさに、熱を出してしまったという、ウソみたいなエピソードも残っています(笑)。
――それだけ美しかったら、男性もたくさん近づいてきそうですね。
堀江 高子は恋愛体質で、“肉食系”だったと言われていますが、こんな逸話が残っているんですよ。結婚後、数え年で16歳になった高子は、8歳年下の清和天皇をほったらかして、「絶世の色男」と言われている在原業平と愛の逃避行をしたんです。つまり、不倫の“駆け落ち”の旅。少年のお相手は退屈だったのでしょう。結局、藤原一族の手で、彼女は連れ戻され、何事もなかったかのように清和天皇の元に送り返されます。そして、成長した清和天皇との間に生まれたのが、後の陽成天皇こと貞明(さだあきら)親王でした。高子は、二条后(にじょうのきさい)と呼ばれ、人々の尊敬を集めるようになったものの、また奇行に走ります。後宮で権力を得た高子ですが、貞明親王を授かった時の祝いの席に、元カレ・在原業平を呼び、親しく接するという、大胆な行動を取るんです。誰もが、恋人同士だったことを知っているんですよ。どこか狂的に見えませんか?
ちなみに『百人一首』に採用された、在原業平の歌は、その時に詠まれたもの。ここでは、割愛しますが、未練どころか、高子への現役の愛情を感じさせる“熱烈”な恋歌なんです。
――夫・清和天皇から見て、高子はさぞかし扱いにくい妻だったでしょうねぇ。
堀江 資料によると、清和天皇は31歳という若さで、お亡くなりになっています。自由すぎる妻に、ストレスが溜まったのでしょうか。ただ、高子は、陽成天皇のほかにも、重要な皇子たちを生み、清和天皇の血統を次の世代につなげたので、その点では苦労はなかったかもしれません。
話は少々、脱線しますが、清和天皇は妹の件でも苦労しています。妹・恬子(てんし)内親王は神に仕える“斎宮”として、三重・伊勢で静かに過ごしていました。が、そこに例の在原業平が高子との破局後、傷心旅行で伊勢に訪れ、恬子内親王とデキてしまったのです……。歌物語・『伊勢物語』に出てくるエピソードですが、どうやら実話だったとか。
――妻と妹が、同じ男を好きになるなんて、清和天皇がかわいそうになります。
堀江 しかも、在原業平の色男ぶりに心がざわついた恬子内親王が、美しい10月の朧月夜の深夜に「夜這い」をかけたといいます。歴史学者・角田文衛の緻密な論考もあるので、僕の妄想というわけではありませんよ(笑)。そして、ワンナイトラブの結果、恬子内親王は見事にご懐妊。その子は、学者の家柄である高階家に養子に出され、高階師久(たかしなのもろひさ)として一生を送りました。
――在原業平って、歴史や古文の時間に聞いたことがある名前でしたが、なかなか激しいエピソードを持っている方だったんですね。
堀江 なんせ日本史を代表する色男ですからねぇ。ちなみに高子は、50代の時にも恋愛事件を起こし、その罪によって「廃后」つまり、皇太后を“クビ”にされています。彼女は自分が建てさせた東光寺の座主(代表者)だった善祐(ぜんゆう)といったお坊さん“たち”と男女関係に陥ったそうな。
――複数形!? 高子、50代でも現役バリバリ……。寺を建ててくれたパトロンの皇太后から迫られたら、お坊さんたちも断れないでしょうしね……。お坊さんたちは、どうなってしまったのでしょうか?
堀江 善祐は伊豆に流刑にされました。当時の感覚でいうと、処刑より一等軽いだけの“重罪”。それにしても高子は、欲望に忠実すぎる人生を送っていますよね。当時の感覚では40代が引退の年齢とされているので、50代はかなりの老女ということになります。「生涯現役」といった感じの、意味“パワフル”と言える、しかしだいぶアウトな一面を、息子・陽成天皇は受け継いだのかもしれませんね。
堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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