2005年(平成17年)から、主に刑事裁判を見つめ続け、傍聴ライターとして活動してきた高橋ユキが、これまで傍聴してきた刑事裁判を紹介してゆく。
今回振り返るのは「京都・神奈川 親族連続強盗殺人事件」。2007年の冬、京都府長岡京市と、神奈川県相模原市で、親類を殺害し、金品を奪った男が逮捕される。のちに2件の強盗殺人罪で起訴されたが、初公判の罪状認否では「2人の冥福を祈るつもりはない」と述べる。彼は強盗目的ではなく「社会への仕返し」として事件を起こしたのだというのだ。
京都・神奈川 親族連続強盗殺人事件
<2008年傍聴@京都地裁>
2007年1月16日夜、京都府長岡京市のある民家から「妻が浴室で血を流して倒れている」と110番通報があった。署員が現場に駆けつけたところ、その家に住む岩井順子さん(57=当時)が服を着たまま水を張った浴槽の中に顔をつけた状態でうつぶせに倒れており、すでに死亡していた。遺体には約10箇所刺し傷があり、家からは財布がなくなっていた。
同月23日17時ごろ、府警捜査本部は東京都練馬区の路上で、順子さんの甥で住所不定の無職、松村恭造(逮捕当時25)を発見し、逮捕する。
この直前である16時55分、神奈川県相模原市に住む加藤順一さん(72=当時)宅を訪れた長男から110番通報がなされていた。「室内に血痕があり、父親が行方不明になっている」。現場に駆けつけた相模原署員が2階和室の押し入れで加藤さんの遺体を発見。頭部に鈍器で殴られた跡が数10箇所あった。
順一さんは松村の母方の祖父の弟。のちの調べで松村は順一さんも殺害していたことがわかる。
松村は逮捕当初から、一貫して“反省しない”姿勢を貫いていた。順子さんに対する強盗殺人罪で起訴され、身柄が神奈川県に移される際に弁護人が開いた会見で、事前に「伝えたいことはないか」と松村に尋ねた際の返答を代弁した。
「25年間歩んできた人生の中で、反省すべきことは一つもない、と言っておいてほしい」
“反省すべきことが一つもない”松村の半生は、どんなものだったのか。公判で明らかにされたことを書いていく。
「次に殺す相手も具体的に考えていた」
大阪市阿倍野区で両親、弟、妹と暮らしていたが、暴力事件を2度起こした事で高校を中退。その頃から家庭でも暴力をふるうようになった。その後大倹に合格し、2000年4月に東京都内の私立大学芸術学部に入学。ところが同級生に数回暴力を振るったことから処分を受け、翌年9月、中退した。実家に戻ってからは、バイトをするも長続きせず、父の収入で長く暮らしていた。
事件前年の2006年、バイト先の店長に暴力をふるい、バイト仲間の財布を奪ったことから、9月4日に懲役2年、執行猶予4年の判決を受ける。
その翌月に実家で暴れて、父に勘当されてしまう。別居中の実母を頼り、高知に身を寄せた。だが、その時実母と交わした「モノを壊さない、飲酒しない」という約束を速攻で破ったことから、11月7日に家を追い出され、以後、母も頼ることが出来なくなっていた。
11月中旬に滋賀県内の養豚場に住み込んで働くようになったが、家畜を殴って傷をつけたことから翌月に解雇となる。住む場所と仕事の両方を失った松村は、祖母に金を無心したが断られていた。
さて松村は祖母から金の無心を断られた直後の12月20日、1人目の被害者が住んでいた長岡京市の岩井さん宅を訪ねた。家に上げてもらったが、順子さんの夫から生活態度を注意されてしまう。岩井さん宅を出た松村は六甲へ向かい、翌日に「入水自殺を試みたが断念した」と119番通報をする。これにより、実父に保護を求める連絡が入ったが、実父はこれを拒否した。
移動や治療費で所持金が底をついた松村。実父には保護を断られたが、実母に連絡をすると、金を送ってくれた。この金で関東まで移動。クリスマスイブに、2人目の被害者となる加藤さん宅を訪ねる。泊まらせてほしいという松村の求めに、加藤さんは応じてくれたのだが、27日には1万円を渡され「年末年始に人が来る」と遠回しにそれ以上の延泊を断られてしまった。また別の親戚を訪ね、宿泊を願い出るが断られ、1万円を渡される。
いよいよ八方塞がりとなった松村は、ついに28日、東京都内の保護施設に入所を申請し、その許可を得た。滋賀県内での住み込みの仕事も決まり、入寮を済ませた。だが、事件前日の1月15日。
「面接時に担当者に抱いていた不満を思い出した」
と、結局、入社初日の朝に寮を出てしまう。家族が不在の時に実家に忍び込み、夕食の残りを勝手に食べたりしながら、夜は野宿をして、事件の日を迎えた。
松村は京都地裁で開かれた初公判において、1人目の被害者、岩井さん殺害の理由を「恨みがあったから」と語る一方、加藤さんについては「勘定合わせで殺した」と不可解な供述に終始した。これについて再び弁護士は記者会見で「『1人だけ殺して自殺するのはバランスが悪かった』と本人は言っているが、私にはよくわからない」と困惑しながら弁明している。
さらに続く公判では、“第3の殺人”まで計画していたことを明かす。松村曰く、2件目の強盗殺人ののち、自暴自棄になり「さらに悪いことをしよう」と「次に殺す相手も具体的に考えていた」というのだ。その相手は東京都に住むある男性で、小学校・中学校時代の同級生だった。相模原市で2件目の殺人を犯したのち、同級生を殺すために東京に向かった松村だったが、殺害の前に、母校を見に行くことに。その際、身柄を確保されたのだった。
その“第3の殺人”を決意したのも「昨年12月に『会おう』と電話したのに軽くあしらわれ、畜生と思った」「自分は大学中退なのに、大卒で会社にも勤めていて、嫉妬があった」という理由からだったと語る。
「私は世の中に対して貸しはあっても借りはない」
初公判から一貫して反省のそぶりなど見せない松村は、最終意見陳述でも一貫していた。検察により死刑が求刑されたのち、速報のためか、司法記者らが一斉に出て行き、法廷には数えるほどしか傍聴人は残っていなかった。そんな中「長いですが……」とスーツのポケットから紙を何枚か取り出し、高い声でスラスラと陳述を始めた。
「今回の出来事の原因は、自分の中のエリート意識です。自分は特別な存在だから何をやってもいい、という思いが根底にありました。しかし、そう思うことは、必ずしも間違っているとは言えません。
というのも私は今まで対等に付き合うに足りない相手ばかりに囲まれてきたからです。同世代の人間と比べ、私はダントツに理解力がありました。つまり私は1を聞いて10を知る事ができるのです。1を聞いて1を知る事しかできない同世代の連中とは、まるで会話が成立しなかったのです。
高校のときの同級生が今日傍聴に来ています。Sという男なのですが、周囲がいかに幼稚であったか、このSを例に挙げて述べます」
傍聴席最前列に座るスーツ姿の若い男性が、おそらくそのSさんだった。松村は続ける。
「私は高校の頃、教師を殴る暴力事件を起こしましたが、その事件のあと、Sはこの事件のことを4コマ漫画にし、周囲に見せてまわりました。
またその後、全校集会のあと、私たちの学年だけ残され、教師が私の暴力事件を取り上げ、暴力はダメだという話をしました。そのときSは隣のクラスだったのにわざわざ私のほうを振り返り私にニヤリと笑いかけてきたのです。
要するに何が言いたいかと言いますとSは、面白ければ何をやってもいいという、年齢は私と同じでも中身は数段劣る低級な男なのです。
私の今回の裁判でSは毎回傍聴に来て最前列に座っていますが、なんでこんなカスに事件の全容を知られなくてはいけないのか、と、腹立たしく思いました。
私にさらしもの気分を味わわせているということをSが認識していない事が腹立たしい限りです。私の神経を逆撫でしている事を本人が全く理解していないこと、腹立たしくて仕方ありません」
こき下ろすのは毎回傍聴に来ていた同級生だけではなかった。続く陳述で松村は、同世代の人間、そして関西の人間と、批判の対象を拡げてゆく。
「大学に入るまで、周りの同世代の人間が、中身は全く幼稚なのに私と対等だと思っているということが不愉快でたまりませんでした。大学に入って東京に行き、その後大阪に戻ってきてからは、周りの人間すなわち関西人がバカに見えてしかたありませんでした。
関西の人も街も言葉も大嫌いです。東京を知ってから関西人は全て嫌悪の対象になりました。関西にいる自分は間違った自分なのです。もとは東京に生まれ、東京で教育を受けた私ですが、それでもこれだけ引け目を感じているのだから、関西に生まれ、関西に住む関西人どもは、もっと劣等感を感じるべきなのです。
『私は○○だからガラがいい』などとお互いに足を引っ張り合う関西人、バカの集まりです。自分たちが特別だと思っている関西人は、一人残らず殺してやりたいです。
私は死刑になると思いますが、私が死んだら、東京の神田川に遺骨をまいてほしいです。死んだあとも東京にいれるなら本望です」
阿倍野区で育った松村は、この陳述を標準語で行なっていた。そして、批判の対象は、松村に金を渡してくれた親戚や、泊めてくれた被害者にも及ぶ。
「被害者や遺族についてですが、全く反省していません。ザマミロと思っています。岩井順子と加藤順一を殺して当然だと思います。X(加藤さんの長男)は私に死刑を望んでいると、自分でケリをつけたいなどと言っていますが、アンタ自分の手で殺すだけの根性あって言ってんのかよと言ってやりたいです。
遺族には、事件から時間が過ぎて、笑いながら過ごしている日にも、ふいに私のことを思い出して、どんよりとした暗い気持ちになり落ち込むような人生を送ってほしいです。なぜなら、私が今までそのような人生を送ってきたからです。
今回、人の事を悔しがらせる事ができて本当にうれしいです。私のことを許さないとか言っている人もいますが、許さなきゃいいじゃないかと言ってやりたいです。
結局私は世の中に対して貸しはあっても借りはないんです」
傍聴席最前列に座っていた女性は、顔を覆って泣いていた。この1月の最終意見陳述ののち、同年3月に開かれた判決公判で、京都地裁は松村に死刑を言い渡した。のちに松村は控訴するが、「身辺整理のための時間が必要。判決に不満はない」と、弁護人を通じて、身辺整理が終われば控訴を取り下げる意向であると表明。その言葉通り、同年4月8日、控訴を取り下げ、死刑が確定した。松村には2012年、自身が最も嫌う関西・大阪の拘置所で、死刑が執行されている。