
5月下旬、とある女性がつづったブログがネット上で大きな話題となった。ゲームの大会に出場し、優勝するほどの実力があったにもかかわらず、容姿に対する誹謗中傷を受けたために、大会への出場を辞めたという内容だ。彼女はブログの中で、「不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」「全部私の容姿のせいなので」などと謝罪の言葉をたびたびつづり、この内容が話題になると、「本当にひどい話……地獄すぎる」「なぜ頑張ってる人が批判されて傷つかなきゃいけないのか」といった同情の声が多数寄せられ、ゲーム業界のみならず広く議論を呼んだ。
この件以降も、容姿がその人の評価や能力と関係ない場面で、勝手に“審判”されることに違和感を表明するケースが増えてきているが、明らかなセクハラを受けていたのに、なぜ彼女が謝らなければならなかったのだろうか。容姿を評価するという“空気感”が生む不当な損失や差別、組織としてとるべき対応について、東京新聞の記者であり、ハラスメントやジェンダーの問題に取り組んでいる、望月衣塑子氏に寄稿いただいた。
容姿への誹謗中傷が生んだ大損失
ビデオゲームの対戦競技「エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)」。日本でも若い世代を中心に盛んで、さまざまな大会が開催されている。プレイヤーの大半は男性で、大会賞金で生活するトップ選手は、国内外を見てもほぼ男性で占められている。女性はまだマイノリティだ。将来的にオリンピックの公式競技となる可能性も取り沙汰されているという。そういう意味で、気になる出来事があった。
あるeスポーツの公式大会に参加していた女性プレイヤーが、容姿について心ない中傷をネット上で受け続けた結果、競技から「逃げる」選択をしたという。
5月に公開された本人のブログを読んだ。高校2年生の時に地方大会で優勝し、多くの称賛を受けた。だが、同時に容姿や服装など、競技の成績と関係ないところで誹謗中傷を受け始めたこと、競技で得た喜びよりも嫌がらせへの悲しみがそれを上回り苦しくなったこと、つらいのを我慢してまで競技を続ける必要がないという結論に至ったこと、それに気づくのが遅れたせいで、苦しんだ過去の自分に対して申し訳ない思いを持っていることなどが、綿々とつづられている。ひどい話だ。何よりも悲しいのは、彼女が「自分自身が悪い」と責めていること。全然、違うよ。あなたはちっとも悪くない。
彼女は当初、Twitterで誹謗中傷をしてくるアカウントをブロックしたり、自分に対する評価をネットで調べる「エゴサーチ」をしないように努めたりしたという。だが、容姿にまつわる他人の目に敏感になる年頃だ。気にするな、というほうが難しい。他人が「不条理な中傷と戦え」などと軽々しく言えないし、そんな苦労をする必要もない。彼女がその場から去るという選択は間違っていない。でも、eスポーツ競技とそれに関わる人たちにとって、大きな才能の損失だったことは、はっきりしている。
近代オリンピックで女性選手の参加が認められたのは1900年の第2回パリ大会からで、最初はテニスとゴルフのわずか2種目。その後、女性が参加できる競技は少しずつ増えたが、男性で占められた大会役員の「女性らしさを損なわない」という価値観の時代が続いた。94年に世界スポーツ会議で「ブライトン宣言」が採択され、ようやく男女の機会均等の機運が高まった。現在の日本選手団を見れば、女子選手の活躍は周知の通りだ。裏を返せば、高い能力があっても、こうした歴史と環境があったために、今まで五輪の夢をあきらめていた女性アスリートたちがいたのだと思う。
eスポーツは黎明期で、これから競技人口は増えていく。筋肉量や心肺機能の差が成績に直接結びつくわけではないので、他の競技よりも女性が参加しやすい。ましてや、子どもの頃からゲームに親しめる日本ならば、能力の高い女性プレイヤーが頭角を現すチャンスは多いだろう。でも、このような“陰湿ないじめ”を見せられれば、「次に狙われるのは自分かもしれない」と誰だって思う。女性が参加をためらうのは、目に見えている。
団体が連携して、ネット上の心ない攻撃の拡散を防ぐ方策を練ることはできないか。たとえばサッカーは、問題行動を起こしたサポーターの入場をクラブが自主的に禁止・制限している。スタジアムで子どもや女性が安心して観戦を楽しめることで、「おらがチーム」の応援につながり、子どもが安心してサッカーを始めることができる。eスポーツもその環境づくを学び、取り入れるべきだと思う。
そんな環境を生んだ責任の一端は、マスコミにもある。「美人作家」「美しすぎる弁護士」などといった報じ方はやめてほしい。「ミスコン」のように外見の美しさを競うジャンル(その是非についても議論があるが、紙幅の都合上、ここでは触れない)を除けば、本人の能力や努力と外見は何の相関も因果関係もない。なのに、マスコミが見た目のイメージをセットにして伝えれば、受け取る側は「女性は容姿も問われて当然」と思ってしまうではないか。
もちろん、男性も「イケメン」などと書かれることはある。だが、女性のほうがより顕著だろう。かわいければたくさんのスポンサーがつくから? “美人”と見出しに入れれば媒体を手に取る男性が増えるから? 見目麗しい人を愛でるのはその人の勝手だ。ただ、「『美人』『かわいい』と書いておけば本人も嫌がらない。ハラスメントにならない」という安易な考えで、気軽に使ってはいないだろうか。それは外見を「抱き合わせ」で報じることの免責理由にはならない。このような報じ方をすれば、同時に「ブスのくせに」「女らしくない」という差別意識を生むからだ。この点、広告をはじめマスコミ業界が率先して自省し、抑制するべきだと思う。
ジェンダー問題の後進性が損失を生んでいるケースは、他の分野でも見られる。私がこのブログを読んで思い返したのが、ブロガー・はあちゅうさんのケースだ。
17年秋以降、米・ハリウッドから世界に広がった「#MeToo」のムーブメントで、日本ではジャーナリスト・伊藤詩織さんの会見を皮切りに、作家の森まゆみさん、元厚生労働事務次官の村木厚子さん、はあちゅうさんらが次々と過去の被害を打ち明けた。はあちゅうさんは、告発に7年を要したとし、その理由について、「忘れられない私が人間的に未熟だ」と思っていたから、と語った。自分の責任に落とし込んでしまうのが、今回の件と共通している。その分析は誤っている。でも、そう思い込まされてしまう環境に、私たちはいまだに置かれている。私はそのことに最も怒りを感じるし、一抹の後悔がある。
男女雇用機会均等法が1986年に施行され、女性の社会進出が進んだが、日本は長らく“男社会”が続いてきた。男女平等の度合いを指数化して世界順位を示す「ジェンダーギャップ指数」を見ると、日本の2018年の順位は149カ国中110位で、まだまだ遅れている。1989年の流行語大賞は「セクハラ」で、2018年は「#MeToo」が新語・流行語大賞のトップテンに入った。女性への性的いやがらせは、平成の約30年の間、ろくに解決していないことになる。
均等法第一世代の女性はパイオニアだった。「だから女はダメだ」と周囲に言わせないため、諸々を犠牲にしてむちゃくちゃ働いた。結婚や出産を選択しなかった先輩もいる。彼女たちの多くは、取材先や社内でのセクハラに耐えてきた。嫌な気持ちを押し込んで、なかったことにしようとした人もいた。先輩の昔話を聞くと「男性の2倍働いて、ようやく半分の評価がもらえるぐらい」というから、いかに苛烈だったかがうかがえる。
私が採用された2000年当時、同期のうち女性は3割まで増えていた。それでもまだ警察、自治体の幹部、政治家など取材先は、自分より年上の男性だらけで、女性記者は目立つ存在だった。名前と顔をすぐに覚えてもらえたし、携帯電話を聞き出すのもラクだったと思う。代わりに、夜の食事や飲み会にしつこく誘われることも多かった。一度会っただけの人からつきまとわれ、「つきあいたい」と会社にまで電話がかかってきたこともあった。
セクハラの被害にも遭ったが、仕事と割り切って適当に受け流してきた。うまく情報を取ったときだけ「女は得だね」、弱音を吐けば「泣けばいい」と思われるのが嫌だと当時は思っていたから。個人として評価されたかったし、弱みを見せないようにしてきた。
でも、自分が傷つかないようにするため、「セクハラ被害を無かったことにしよう」「早く忘れてしまおう」と問題を矮小化すると、加害者にも周囲にも、その言動がセクハラであり、ひどい行為だと気付いてもらうチャンスがなくなってしまう。昨年、テレビ朝日の女性記者が福田淳一財務事務次官(当時)から受けたセクハラ被害を告発したが、福田氏はセクハラを否定していた。「胸触っていい?」「キスしていい?」などという福田氏に対し、「いやいや、正真正銘のセクハラだよ」と誰しもツッコミを入れたと思うが、財務省内でもこれまで、福田氏の行為が“即アウト”レベルのセクハラだと認識されてこなかったのかもしれない。
それは、私たちの世代が悔しさを押し込め、我慢したせいかもしれない。女性が「嫌なことを忘れるのが当然だ」と思い込ませる環境をつくってしまったのだとしたら。声を上げず、問題を積み残しにしてしまったのではないか――。若い後輩記者からセクハラ被害の相談を受けることが増えた今になって、そう悔やんでいる。
セクハラを我慢せずに「おかしい」「いやだ」と声を上げていくことが必要だが、それには勇気がいる。各企業や団体も「女性活用」をうたうのであれば、悩み相談レベルからサポートする窓口を作らなければならないだろう。ただし、片方の主張だけで判断はできないだろうし、一方を処分して「おしまい」にするだけでは次につながらない。組織上層部は、セクハラを当事者同士の限定的な問題として扱うのではなく、被害者が自分を責めたり、組織から逃げ出したりしないよう、環境の改善に役立てる意識を持ってほしい。
■望月衣塑子(もちづき・いそこ)
1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。また09年には足利事件の再審開始決定をスクープする。東京地裁・高裁での裁判担当、経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材している。二児の母。