
テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(5月26~6月1日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
野村克也「みなさん、奥さんいらっしゃるでしょ?」
26日の大相撲夏場所、千秋楽。NHKの中継にチャンネルを合わせると、安倍首相と観戦に来ていたトランプ大統領が、升席の櫻井よしこらと握手をする姿が映し出されていた。当事者の間でどういう段取りがあったのかはわからないけれど、交わりそうなものが交わったこういう瞬間をテレビで目にすると、そのあまりの当てはまりの良さに「お!」と思ったりもする。でも、テレビを見ていてより興奮するのは、本来交わるはずのないものが交わるときだったりする。
たとえば、28日放送の『ごごナマ』(NHK総合)のひとコマ。元プロ野球選手・監督の野村克也氏が、一昨年に亡くなった、サッチーこと沙知代夫人との思い出についてトークをしていた。そして、最愛の妻が不在となり「男の弱さ」を感じる日々だとボヤく中で、野村はその場の男性たちにこう問いかけるのだった。
「みなさん、奥さんいらっしゃるでしょ?」
困ったのは、番組ホストの船越英一郎である。野村から唐突に話を振られ、「えーと、ハイ……あ、ハイじゃない」と、うろたえながら答えるのだった。
芸能人のゴシップなど知らないのだろう野村と、いろいろあって同じく一昨年に調停離婚が成立した船越の、衝突事故のような交わり。ただ、この船越のうろたえに、予定調和的なものを感じなくもない。一連の離婚騒動の受け流し方もすでに心得ているであろう船越は、女性から電話がかかってくるとサッチーによく携帯を折られたという野村のエピソードに、「どうして女の方は、そう携帯電話を折るんでしょうね?」と、積極的に自虐で応じるのだから。
もっと素朴な偶然の出会いは、街の中にある。27日放送の『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)。地方から上京してきた新入生や新社会人への街頭インタビューの企画で、青森出身の女子大学生2人組がマイクを向けられていた。どんな大学生活を送りたいか聞かれた2人は、「チャランポランな大人になりたくない」と返答。そこに割って入ったのが、通りすがりの高齢女性だ。自分も青森出身だと話す彼女は、「結構私、有名でさ」と自己紹介を始めた。
「テキーラババアで有名。テキーラをガバガバ飲むの。今日も5時まで飲んでた」
そんな“テキーラババア”は、自炊に悩んでいるという2人に、こう助言するのだった。
「吉野家があるから。300円の定期買えば80円引き」
チャランポランな大人になりたくない。そんな思いを抱いて地方から東京にやってきて、人生をここから始めようとする若者が、チャランポランの見本のような人に出会ってしまう。そして、自分がなりたくない大人、しかも自分と同じ青森から数十年前に上京してきたのであろう高齢女性から、都市生活者のライフハックを教わる。
街では、本来交わるはずのなかったものが交わる。日本で最も大きな街、東京で起きた小さな偶然の交わりに、人生の哀愁を感じつつ、笑ってしまった。
街は偶然の出会いを演出する。そんな街は、人から名前を奪う場所でもある。今からコンビニに買い物に行くとして、路上ですれ違った人たちや、店内で出会った客の名前を、僕はひとりも知らないだろう。見えているのに、わからない。ある程度の大きさの街であれば、人はみなそこで匿名になる。
そんなどこかで聞いた話を、27日放送の『5時に夢中!』(TOKYO MX)を見ていて思い出した。マツコ・デラックスが、自分の名前についてこんなことを話していたからだ。
「アタシはもうほとんど……そうね、99.9%、『マツコ』か『マツコさん』かで呼ばれるじゃん。なんかね……なんていうんだろう、これが本名みたいな感覚なんだよね、もう今。たまに公的な場所とか行くとさ、本名で呼ばれるじゃない。『バカじゃない?』って思うの。自分で自分のことをね」
マツコがテレビで活躍し始めたのは2000年代の後半から。10年ほどで、その名前は全国津々浦々、老若男女に知れ渡った。かつて『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で日本の著名人の知名度ランキングが作られた際、マツコは7位、知名度は93.9%。これは、笑福亭鶴瓶(知名度93.0%)の上、黒柳徹子(同94.1%)の下である。
そんなマツコは言うのだ。「マツコ」という芸名は、すでに自分の感覚では本名のようになっている。本名を公的な場所で呼ばれると、自分で自分のことを「バカじゃない?」と思ってしまう、と。
つまり、マツコは本名でいるときのほうが、匿名になっている。この逆説。東京で生きるマツコには、誰もが本名を持ちながらも匿名になってしまう都市の本質が、濃縮されているかのようだ。さまざまな知識(情報)や食べ物(欲望)を内に抱えた大きな体が、東京の縮図としての印象をさらに強くする。名前も知らない青森出身の女子大学生と“テキーラババア”の出会いもまた、そんなマツコの番組内で起きた。
マツコには、ほかの著名人とは大きく違う点がある。プライベートの姿をほとんどの人が知らないし、想像も難しいことだ。ゴシップ写真などで「素顔」を目にする機会はあるかもしれない。けれど、プライベートを過ごす実物を街で見かけて「マツコだ!」とすぐに気づくかというと、難しいところだろう。これが鶴瓶や徹子なら、多くの人が気づく。
ほとんど誰からも芸名を知られたその人は、ほとんど誰からも本名を呼ばれることがない。姿を認知されることもない。そして数少ない本名で呼ばれる機会も、本人からして違和感を覚えてしまっている。体から本名が、剥離してゆく。
マツコはよく、こんなことを口にする。
「いま仕事しか生きがいないから。だからたぶん、いま神輿に担がれてる状態が終わって、パーンって突き飛ばされて、地べたに転がったら、みんなからボコボコに蹴られて、そのときに初めて『あぁ私は孤独なんだ』って、やっとホントに認識できるんだと思うのよ」(『行列のできる法律相談所』日本テレビ系、2015年4月12日)
テレビの外に、マツコはいない。テレビの外にいるのは、名もなき大きな人だ。マツコがテレビで幾度も口にする自身の孤独。僕などがその孤独を理解できるわけではないけれど、巨大な街のどこかにいるその人の深い孤独のほんの一端を、ひとりの都市生活者として垣間見た気がした。
(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)