「20年くらい前かな、事務所の様子が変わっていってしまった」
「恩義のあった前社長が引退して会長に、その息子が新社長になってから、私のマネジャーが動いていない状態なんです。ほら、今もひとりでしょ? もう末期的なのよ」
所属事務所『太田プロダクション』との関係が「末期症状」であることを明かしたのは、1980~90年代に国民的人気者となった山田邦子。
4月27・28日、長唄の名取・杵屋勝之邦を襲名する『長唄杵勝会』が銀座・歌舞伎座で行われたのだが、
〈39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした〉
と、これに事務所の関係者が誰も顔を出さなかったことを自身の公式ブログで明かしたのだ。
「山田は、今年がデビュー40年の記念イヤー。GWには記念公演『山田邦子の門』を東京と愛知で行うなど、いつになく精力的に活動をしていますが、ほとんど事務所はノータッチ。現在の仕事のほとんどは自分で企画して行っている状態で、それでもギャラの30%を事務所に入れ、自分の仕事で後輩らにもチャンスを与えてきたといいますから、山田が不満やさみしさを抱くのは当然でしょう」(芸能プロ関係者)
所属タレントが増えて、一人のマネジャーが何人ものタレントの管理を行うのが当たり前という時代で、太田プロの事情もわからないでもないが、事務所の最大の功労者である山田への態度としては、とても褒められたものではないだろう。
「山田は、一時は人気絶頂を極めながら、95年からはバッシング報道が相次ぎ、芸能リポーターの井上公造に追い回されて、『お前、モテないだろう』『バカじゃないの』と罵倒したシーンがワイドショーで放送されて好感度を一気に下げてしまい、一時は14本あったレギュラーが97年にはゼロになってしまいました」(テレビ雑誌記者)
この転落の原因は、やはり当時の山田の態度にあったようだ。
「“女帝”としてテレビ界に君臨し、わがまま放題をしていた山田に泣かされたテレビマンは多いですからね。バッシングにあった山田に手を差し伸ばして一緒に頑張ろうという人がほとんど現れませんでした」(番組関係者)
性格の悪いタレントの代名詞といってもいいくらいの存在だったというから、当時、かかわっていた若いスタッフが出世してディレクター、プロデューサーとなっていった00年以降、声がかからなくなるのも当然だったのだ。
「事務所の様子が変わってきた20年前というと、ちょうどこの時期。社長交代の影響もあったかもしれませんが、自業自得でテレビから干された山田のマネジメントに情熱を失っていったのでは」(芸能記者)
では、最近の山田はどうなのか?
「これが、かつての悪評がウソのように評判がいいんですよ。スタッフ、演者、ファンにまで、物腰柔らかく接し、そこまでしなくてもいいのにというくらい気が遣える。しかも、それが嫌味なく、包み込むような包容力もある。かつての悪評を知らない人は、『この山田さんがそんなにわがままだったってウソだろう』と、驚くんじゃないでしょうか」(放送作家)
今回の山田と事務所の確執を報じる記事も、どちらかというと山田に同情的なのは、直撃取材にも山田の対応が良かったからだろう。
「とくにプロレス界では山田の大恩を感じている関係者は多いですよ。かつては、バラエティとの融合を狙ったプロレス番組『GIVE UPまで待てない! ワールドプロレスリング』(87年/テレビ朝日系)の司会が酷評されてプロレスファンから総スカンに遭いましたが、彼女のプロレス愛はホンモノで、毎年、『NOAH』をはじめ、『全日本プロレス』や『みちのくプロレス』など、インディー団体まで年間60本以上もの大会を生観戦。試合後には若手を食事に連れていってはステーキを切り分けて食べさせるといった母親のような優しさで、ときに興行を買ってまで団体を支援しています」(プロレス関係者)
もう“わがまま女帝”ではなくなったのはいいが、いまのバラエティ番組、お笑いに対応できるだけの現役力がアップデートできているのか。これから太田プロとの話し合いだというが、10年の空白ののちに復帰を果たし黄金期を迎えているヒロミのように、第一線への復帰がかなうかどうかは、そこ次第だろう。

『パンドラ映画館』