V6・三宅健、木村拓哉の差し入れに「すごいうれしかった」と感動! 『六本木歌舞伎』秘話

 V6・三宅健と市川海老蔵が共演する舞台『六本木歌舞伎-第三弾-「羅生門」』が、3月24日に大千秋楽を迎えた。25日深夜放送の『三宅健のラヂオ』(bayfm)では、公演中に“ある先輩”から差し入れがあったと明かされた。

 同舞台は2月22日に公演が始まり、約1カ月をかけて東京・大阪・札幌をめぐっていたが、この日の放送は、札幌公演を行う前に収録されたものだそう。公演中は、滝沢秀明やV6メンバーをはじめ、さまざまな人が観劇に訪れたようだが、中でも三宅が「すごくうれしかった」と話したのが、劇作家であり演出家の野田秀樹。

 「僕がこよなく愛してやまない、日本を代表する演出家の野田秀樹さんに『見に来てほしい』って言ったら、わざわざ見に来てくださって」とのことで、野田は大阪公演を観劇したそう。しかも、正午から始まる公演だったらしく、「12時公演ってことはですよ。(東京から)朝8時、9時の新幹線で来ないと間に合わないわけですよ。わざわざ早起きして見に来てくださって。そう、客席に野田さんがいて。なんかうれしかったなぁ……」と、三宅はしみじみと喜びを噛み締めていた。

 また、舞台に誘ったがスケジュールの都合で来られなかったという笑福亭鶴瓶とは、大阪公演最終日に食事へ行ったそう。「会える時に会っとかないと、会えなくなっちゃうんだなっていう後悔がたくさんあるから。鶴瓶さんとご飯食べにいって、お寿司をご馳走になって、2人でカウンターでなんかしゃべって」と、鶴瓶とはたわいもない会話をして過ごしたようだ。

 さらに三宅は、公演中に木村拓哉から差し入れがあったことを告白。三宅と木村は昨年、西日本豪雨の被災地支援のため、生田斗真と3人で広島県などを訪問した間柄だ。この時に連絡先を交換したそうで、2月14日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した三宅は、「木村くんがみんなで撮った集合写真を添付してくれて」と木村から絵文字つきのメッセージが送られてきたことを明かしていた。

 三宅はラジオで「僕知らなかったんだけど、(木村から)マネジャーさんに『差し入れしたいから、なんか好きなものとか喜ばれるものはなんなの?』って連絡が来たみたいで。『いつも飲んでるお水があって……いいお水なんだけど。それがあると助かります』と伝えたんだって。そしたら木村くんから3箱、お水の差し入れをいただいて」と、差し入れをもらった経緯を説明。「すごいうれしかったから、すぐに(お礼の)LINEをしましたけど。だから大事に飲んでるの水を、毎日」と声を弾ませる三宅だった。

 この放送にネット上では、「わざわざリサーチして差し入れしてくれる木村くん、優しいなあ……」「本人には言わずにこっそり差し入れする木村先輩、カッコよすぎる!」「木村くんからもらったお水を大事に飲んでる健ちゃんかわいい。SMAPは大好きな憧れの先輩だもんね!」などの声が投稿されていた。

吉田沙保里『ZIP!』出演へ……急激な“セレブ化”でレスリング界から心配の声も

 レスリング女子でアテネ、北京、ロンドンとオリンピック3連覇を果たし、今年1月に現役を引退した吉田沙保里が4月より朝のワイドショー番組『ZIP!』(日本テレビ系)の金曜パーソナリティーでレギュラー出演することとなった。

 自ら“霊長類最強パーソナリティー”と名乗り「あまりしゃべることに自信がないので、私で大丈夫かなと不安もあります」「自分なりに頑張ってみたいと思っています。見ている方に楽しさを伝えられるような曜日にしたいですね」とコメントした。

 引退特需と東京オリンピック効果で、吉田へのオファーは殺到中。テレビの特番やCM出演、さらにイベントと、ひっぱりだことなっている。

「よほど稼いでいるのか、イベント出演する際にはブランドモノに身を包み、上品な身なりで会場入りしています。まるでセレブです。これまで活動していた愛知県を離れ、東京で過ごす時間がほとんどとなり、行動エリアは都内の一等地が中心。その周辺で生活し、仕事に出向いていますよ。最近では都心の超高級タワーマンションに引っ越しして優雅な生活を送っているようです。芸能人のタレント仲間も増え、このままいくと吉田とその周辺が、芸能界の一大派閥になるのではないか? なんて言われていますよ」(テレビ局関係者)

 タレント活動に積極的で、完全に芸能人の仲間入りをした吉田だが、肩書はレスリングの日本代表コーチを兼ねている。

「多忙ということもあり、以前は頻繁に顔を出していた母校の大学にあるレスリング練習場に姿を見せることは、あまりなくなりました。アスリートからはかけ離れた生活をしている吉田の姿に、スポーツ関係者の間では『選手に競技以外で悪影響を及ぼさないか』『チャラい雰囲気を持ち込まれると困る』『悪い遊びとかを教えないといいんだけど』といった声すら上がっています」(同)

 代表のコーチ業とタレント業の両立はできるのか、心配されているようだ。

実写映画『アラジン』、ジーニーの日本語吹き替えキャストが「予想通りすぎる」と話題

 3月26日に実写映画『アラジン』の日本語版予告映像が解禁。日本語吹き替えのキャスト陣も発表されたのだが、ジーニー役の声優が「予想通りすぎる」と話題になっている。

 同映画はディズニーの人気アニメ『アラジン』を実写化した注目作。監督は『スナッチ』や『キング・アーサー』などでお馴染みのガイ・リッチーで、ランプから出てくる青色の魔人“ジーニー”役にはウィル・スミスが抜擢された。既にジーニーのビジュアルはUS版予告映像などで公開されており、日本でも「ただの青くなったウィル・スミスで笑った」「ウィル・スミスの成分が濃すぎる」と話題に。ちなみに同映画は6月7日に公開される。

 そんな実写映画『アラジン』の続報として日本語吹き替えキャストが発表されたのだが、ジーニー役に起用されたのはレジェンド声優の山寺宏一。彼は今回のキャスティングを受けて、「きっと“これぞ最高のエンタテインメント!”という素晴らしい作品になると確信しています。吹替版でもそれがしっかりと伝わるよう、出演声優の1人として全力を尽くします」と意気込みを語っていた。

「ジーニー役を山寺が務めるとあって、SNSなどでは『なんかすごい安心した』『むしろ山ちゃんじゃなかったら暴動が起こるレベル』『これは当然のキャスティングでしょ』『まだ映画見てないけど脳内で再生できる』と納得の声が。というのも山寺はディズニーアニメーションの『アラジン』でも、ジーニーの日本語吹き替えを務めてきました。それだけではなく、彼は『インデペンデンス・デイ』などの映画でウィル・スミスの吹き替えを担当したことでもお馴染み。今回はジーニー×ウィル・スミスの吹き替えなので、2重の意味で山寺が適任と言えるでしょう」(芸能ライター)

 ネット上では「映画は字幕派だけど、『アラジン』は山ちゃんがジーニーだから吹き替えで見たい」という人もおり、山寺の起用は映画そのものの期待値を上げている様子。それだけ日本では、“ジーニー=山寺宏一”というイメージが強いのだろう。

「山寺はジーニーについて『愛おしいくらい大切で特別な存在。僕を声優として成長させてくれたのも、“声優って難しいけど、最高に楽しい!”と思わせてくれたのもジーニーです』と語っており、本人にとっても思い入れが強い様子。予告映像では『ショータイムだ!』といった台詞を聞くことができるのですが、『完全にあの頃の“ジーニー”だ!』と感動するファンも少なくありません」(同)

 アニメーション映画『アラジン』が公開されたのは1992年で、現在山寺は57歳。それでも“あの頃”の演技ができるのは、彼の卓越した技術があってのことだろう。

ビートたけし、ピエール瀧の“ドーピング”を指摘 不謹慎ネタで『いだてん』スタッフからは顰蹙

「週刊ポスト」(小学館)にて連載コーナー「21世紀毒談」を抱えるビートたけしが、25日発売号において、今月12日に麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたピエール瀧について言及。2017年公開の映画『アウトレイジ 最終章』で瀧の異変を察知していたことを明かした。

 たけしいわく「オイラの映画に出る俳優は、結構な大物でも最初は緊張してトチっちゃうことが多い」ものの、「ピエールは最初からやけに落ち着いてやがった」とのこと。当時は“肝の据わってるヤツ”という印象を受けたが、振り返ってみて薬物使用によるものだったのではないかと指摘した。

「たけしの論理ではコカインは瀧のみに効く妙薬として片付けられていますが、17日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)では松本人志が、『ドーピング作品になってしまう』と、出演作自体に影響を及ぼすと拡大解釈。一般論だけでなく芸術論でも倫理観を問う事件に発展しているようですね。その他にも、出演映画の公開やCD回収の是非を巡って議論が飛び交うなど、今回の事件は業界全体に大きな影響を及ぼし、芋づる式の逮捕のウワサも含めて今後しばらく尾を引くことになりそうです」(芸能関係者)

 作品を“浄化”すべく、NHK大河『いだてん~東京オリムピック噺~』では現在、三宅弘城が瀧の代役となり、DVD発売や再放送のためにこれまでの放送分を撮り直しているとのことだが、その現場での失敗談もたけしは明かした。

「瀧の逮捕後、撮影現場はてんやわんや状態のようですが、そこへたけしは、『どうも、ピエールたけしです』と挨拶して入ったため、スタッフからドン引きされ、『笑えません』と顰蹙を買ってしまったそうです。同ドラマはただでさえ、歴代最低記録更新が視野に入るほど視聴率が悪く、現場はピリついているでしょうから、さすがに不謹慎な発言だったのではないでしょうか」(同)

 役者が1人でも代わることによって作品の“味付け”に影響を及ぼすと語ったたけし。NHKとしては、三宅の代役出演がケガの功名となることを期待するしかないだろう。

TOKIO・松岡昌宏、数珠ブレスレット愛用者として「5個も10個もつけてる人」への見解語る

 TOKIO・松岡昌宏がパーソナリティを務めるラジオ『TOKIO WALKER』(NACK5)。3月24日の放送では、松岡がいつも身につけている“数珠ブレスレット”について語る場面があった。

 「つけているとパワーを感じたり、いいことが起こったりするブレスレットを作る友人がいるんです。松岡さんがしているブレスレットは、なにか意味があるのですか?」という趣旨の質問をリスナーから受けた松岡は、「僕もまったく同じ」と言いながら、「これは、京都のあるオバちゃまが作ってくれてて」といつも自身が着けている数珠ブレスレットについて説明。“オバちゃま”とは松岡が16歳の頃から付き合いがあるそうで、数珠ブレスレットはお守りとして身につけているとのことだった。

 数珠については、つけ方や種類がさまざまあり、「難しいんですけど……」と悩む松岡。しかし、「人それぞれ価値観が違うから思ったりするんだろうけど、その人が良ければいいのよ!」とキッパリ。「たまに、(数珠を)5個も10個もつけてる人もいるじゃない? もう、その人はその人でいいのよ!」と続け、「あんま気にしすぎると、ちょっと疲れるからね」と語った。

 また、松岡は占いやスピリチュアルに関連して、過去にいろいろ助言されたことがあったそう。しかし、「ある程度で聞いておかないと。全部信じちゃうと、自分がいなくなっちゃうからさ。占いもそうなんだけど、こういった類いのものは、あの〜、ホント、心のちょっとアレに」とほどよい距離感で付き合うことを推奨していた。

 そして「ま、全然違うとこの(数珠)を前もしてたし。その時その時でいいんじゃないっすか。(自分に)合わないと思ったら、しなきゃいいだけであって」と話し、数珠ブレスレットはお守りではあるが、それほど大きな意味はないとまとめていた。

 また、友人の子どもから、ビーズで作ったブレスレットの“お守り”を渡された経験も告白。松岡は、そのブレスレットをしばらく着用していたらしく、子どもから「テレビでつけてるの見たよ! つけててくれてありがとう!」と喜びの報告があったとか。それを聞いて松岡は安心し、「もういいか」と思って外したものの、「邪険にはできないでしょ?」と、ブレスレットをつけた状態で写真を撮り、子どもに送ったのだそう。「すげえ気ぃ使うのよアレ! 子ども心は一生残るからね!」と笑いながら振り返ったのだった。

 お世話になっている人が作った数珠をお守りにしていたり、子どもの気持ちを慮ったり、松岡の人柄がよくわかる放送回であった。
(小沢由比子)

デビュー曲から規格外! 平成という時代を駆け抜けたSPEEDの光と影 

平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

 昨年末、仕事でとあるジャズ系のクラブを訪れた時のこと。その店に掲示されていたのは島袋寛子のライヴの案内だった。明けて2019年の早々にソロでのライヴをするという告知だったのだ。

 これ以前に今井絵理子や上原多香子が、あまり気持ちのよくない話題でマスコミを騒がせていたのを耳にしていたところだった。だから大人になった島袋を見て、連鎖的にSPEEDのことを思い出してしまったのだ。いつかこの連載であの子たちのことを書かないとな、と思った次第である。

 僕は25年ほどこの仕事をしているが、小学生、どころか、中学生相手にインタビュー取材をしたことすらほとんどない(アイドルの仕事をたくさんしているライターやジャーナリストなら珍しくないかもしれないが)。

 唯一の例外が、SPEEDへの取材だった。それもデビュー直後、2枚目のシングル「STEADY」のリリース時。彼女たちが勢いを一気に増していく頃だった。

 取材の目的は雑誌内のクリスマス向けの企画ページで、4人と話したのはこのシングルが出たのと同じ、1996年の11月だったと思う。都内のスタジオの中にそれこそクリスマスツリーのセットが作られて、彼女たちがそこにたたずんで撮影をするという状況。インタビューの内容としては、それぞれのクリスマスの思い出とか、グループでは何をしたとか、そんなゆるい話だ。

 デビューしたばかりの4人本当に若くて……というか、幼くて、まったくスレてなかった印象が残っている。何しろ無邪気だった。あと、みんな、小さかった。当たり前だが。

 そしてそれは、4人それぞれの個性が見えた時間でもあった。今井絵理子は明るくて社交的で、この中では一番アイドルっぽかった。集合インタビューでは声の判別をつけるために最初にレコーダー(当時はカセットテープ)に向かって名前を言ってもらうのだが、今井の最初の声が小さかったので、僕が「あっ、もう1回!」とお願いしたら、「今井絵理子で~す!」とものすごく明るく、おどけて言ってくれた。キュートだし、グループの中心でやっていく素質がある子だろうなと、すぐに感じた。

 島袋寛子は、明るくはあるのだが、話をしているさまは、とてもナチュラルだった。頑張って笑うようなことはないし、どちらかというとクール。でも前向き。当時この中では唯一の小学生(6年生)だったが、そんなイメージはあまり受けなかったほどで、やや落ち着きも見えた。

 上原多香子は、存在感が薄かった。ほとんど話さないし、主張することもゼロ。僕はその時、「この子、かわいいけど、性格は地味なのかな。もしかしたら暗いほう?」と感じたくらいだった。あとで1ページ分の記事を仕上げたら、彼女は2回ほど、それも短く発言しただけで、大丈夫かな? と思ったくらいだ(雑誌にはそのまま載った)。後年、たいへんな美女へと成長を遂げた時に「一番地味だったあの子だよな?」と驚いたものだ。

 そして新垣仁絵は、島袋とは違う意味でナチュラルというか、かなりマイペースな雰囲気の子だった。話はちゃんとしてくれるけど、これまた頑張って笑顔を作るようなこともほとんどなく、むしろ淡々としている。あんなに踊る子なのに、ふだんは落ち着いてるのか、と思った。

 こうして各人を見ると、あまり明るくなさそうだが(笑)、それは僕が場を強引に盛り上げるようなインタビュアーじゃないからかもしれない(活字媒体の書き手は、だいたいそういうもんだ)。撮影に入ると、クリスマス風の衣装になった4人は、にこやかだった。若々しく、元気なグループの陽性のエネルギーが、スタジオの中心で輝いていた。その時の写真の出来があまりに良くて、試し撮りを見たマネージメントのスタッフが「写真チェックはなしで大丈夫です」と編集者に言っていたほどだ。今みたいに画像データをPCで直すこともないし、まだ、ゆるい時代だったんだな。それに、SPEEDというグループを取り巻く環境も、おそらく。

 ただ、こうして思い出すと、取材の場での彼女たちの姿は、グループの本質の一端だった気もする。なにしろSPEEDは沖縄アクターズスクールの出身。つまりこの連載でも書いた安室奈美恵やDA PUMP、それにMAXと同じ出自を持つのである。ダンスが好きで、幼い頃からそれを志してきた子たちが集まったグループなのだ。

 ただ、いざデビューして芸能界というところに来ると、ダンスや歌だけやっていればいいわけではなく、それなりの対応力を身につけることが求められる。TVカメラの前ではおどけた姿ができたらいいだろうし、人に面白がられるトークもすべきだろう。それが本分ではないものの、要求される場面で応える能力はあっていい。

 そういうことも、彼女たちは徐々に体得していったに違いない。僕が受けた、決して明るすぎない4人のイメージは、デビュー直後の、まだ無邪気でもよかったタイミングゆえのものだろう。

 さて、SPEEDのデビューはこの少し前の1996年の8月、シングル「Body & Soul」にて。その頃から彼女たちは並のグループとは違う印象があった。何においてもレベルが違ったのである。

 この歌は、ギターのカッティングはシックの「おしゃれフリーク」を彷彿とさせ、そうして連ねられるファンキーな感覚に乗っていく島袋と今井のヴォーカルが秀逸である。当時「これ唄ってるの、ほんとに小学生か!?」と驚いたものだ。のちに多数のカバーも生んだ曲であり、いきなり大ヒットを記録した。プロデューサーは伊秩弘将で、彼の存在もここからクローズアップされていく。

 2枚目のシングルは先ほどの「STEADY」で、今度は横ノリの楽曲で実力を示した。もともとSPEEDは当時のアメリカのR&Bで大人気だったTLCに憧れを持っており、この曲のミディアム寄りのリズムにはその傾向が見られる。時おり聴こえるピーヒョロロ~みたいなキーボードの音色はGファンクを意識しているはずで、そのくらいSPEEDの音楽性にはR&Bやファンクの影が大きかった。そしてそれを小中学生が唄って踊っているという事実が、めちゃくちゃセンセーショナルだったのだ。

 SPEEDは、名曲をどんどん世に送り出していく。歌詞も話題になったのは「Go! Go! Heaven」。伊秩の詞は、あざとさ直前のところでそれをポップに昇華させるバランスがあるが、時々「そこまで唄わせるんか!」ってものもありで、しかしそれもSPEEDには合っていた。そこには彼女たち自身のテーマ、たとえば枠をはみ出して生きること、自分たちにとって大切にしたいことなどが反映されており、リスナーはSPEEDの実像と重ねながら楽しむことができたのだ。

 デビュー曲のニュアンスをさらに発展させたかのような曲は「Wake Me Up!」。この頃の彼女たちは、こういうファンキー感がほんとにお得意だ。ちょうどこの歌の頃にライヴを見る機会があり、それはじつに爽やかな、気持ちのいい空間だったことを記憶している。

 この頃になるとSPEEDの存在は一般レベルにまで知られていて、歌やダンスとは別に、ファッションにも注目が集まっていた。当時はストリートファッション全盛で、その波はそれこそローティーンにまで押し寄せつつあり、子どもたちもクールな雰囲気の服を着るようになっていた。僕が渋谷の街中でお茶をしていた時、ちょっとカッコいい服を着た子どもたちが通りを歩いていて、それを見た隣の席の大人たちが「SPEEDみたいな格好してるよね」なんて言ってたのを覚えている。そんな時代だったのだ。

 そしてSPEEDをトップグループの座に押し上げたのはデビュー2年目に放った「White Love」だ。クリスマスというモチーフが若さとみずみずしさ、その一方で、せつなさも漂わせながら、ひとつの実を結んでいる。結果的にこの曲はダブルミリオンというSPEEDのシングルの中で最大のセールスを記録した。

 1998年の初頭には「my graduation」をリリース。満を持しての卒業ソングで、もはや貫禄すら感じられる。

 ただ、あとで知った話だが、グループの活動については、もうこの時期から伊秩をはじめとしたスタッフたちがどうしていくべきなのかを考えていたようだ。確かにあまりに急激に成長した彼女たちは休むことをずっと許されず、さまざまなことが飽和状態になっていた感を受ける。

 この段階では「ALL MY TRUE LOVE」がいい出来の歌だと思う。

 ただ、もはや新鮮味はなく……いや、それはキャリアを重ねれば当然のことなのだが、その代わりの突破口になる何かも見えてこない。相変わらずヒットを飛ばしていたSPEEDだが、それが少しずつ落ち着きを見せ始めた時期でもあった。

 やがてメンバーのソロ曲、そしてソロ活動も始まり、グループの一体感は低下していった。そうなってからも活動を続けたものの、結局SPEEDは2000年の春に解散という節目を迎えることになる。

 以降の彼女たちは、それぞれの活動の合間に再結成~再活動を幾度か繰り返しており、新作も出している。若さいっぱいの言葉とメロディが躍動するあの歌を、大人の年齢になった彼女たちが唄うと、どんなふうに感じるものなんだろう? 再結成のライヴを見たりしたファンは、そんな時の流れを実感したことだろう。

 現在は4人が4人とも、あまりにそれぞれの道を歩んでいて、最初に書いたような報道が多いことを思うと、彼女たちがまた集まり、唄って踊るようなことは難しいのかなと……思ったりする。

 ただ、このことは書いておこう。

 間違いなくSPEEDは、日本の音楽史上に残るローティーン・グループだった。近年、とくにスポーツや将棋といった世界で10代前半の子たちが稀有なパワーを見せているが、J-POPにはSPEEDがいたのだ。その事実は強調しておきたい。

◆「平成J-POPプレイバック!」過去記事はこちらから

●あおき・ゆう。
1966年、島根県生まれ。男。
94年、持ち込みをきっかけに音楽ジャーナリスト/ ライター業を開始。
洋邦のロック/ポップスを中心に執筆。
現在は雑誌『音楽と人』『テレビブロス』『コンフィデンス』『 ビートルズ・ストーリー』『昭和40年男』、
音楽情報サイト「リアルサウンド」「DI:GA online」等に寄稿。
阪神タイガース、ゲッターロボ、白バラコーヒー、ロミーナ、 出前一丁を愛し続ける。
妻子あり。
Twitterアカウントは、@you_aoki
 

Hey!Say!JUMP・有岡大貴、『ヒルナンデス!』生放送中も「我慢できない」コトとは?

 Hey!Say!JUMP・有岡大貴と高木雄也がパーソナリティを務めるラジオ『JUMP da ベイベー!』(bayFM)が、3月22日深夜に放送された。

 この日もさまざまな話題が紹介されたが、その中でリスナーからもっとも注目を集めたのは、“くしゃみ”についての話題。「静かなところでくしゃみができず、我慢してしまう」というリスナーからの告白が読み上げられ、2人が自身の対処法を披露した。

 まず有岡が「どうしてます? くしゃみ我慢する?」と聞くと、高木は「しない!」と断言。再び「思いっきりする?」と有岡が聞くと、高木はまた元気よく「する!」と答えていた。有岡は昼の情報バラエティ『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)にレギュラー出演しているが、「俺も全然しちゃう。なんなら『ヒルナンデス!』の生放送中にもしちゃう」「結構出ちゃう。仕方ない」と、“生理現象”として我慢はしない様子。

 「解除っていうかさ、結構みんなあるよね。独自の解除の仕方。“くしゃみキャンセル”みたいな」と言い始めた有岡は、「(八乙女)光くんとかさ、内側にくしゃみ放つじゃん」と、八乙女のくしゃみを説明。いわく、八乙女は豪快なくしゃみではなく、比較的小さなくしゃみをするそうで、「体の中で(くしゃみを)止めちゃってるよね」と高木も同意。「あれ、気持ち悪いだろうなと思う。思いっきりしたいだろうに」と、八乙女に同情を寄せる有岡だった。

 また、「まわりを気にしてくしゃみがしづらい」と言っていたリスナーに共感するように、有岡は「(番組で)誰かがコメント中とかさ、くしゃみしちゃうとさ……」と、どうしても我慢しなければならないシチュエーションがあると言及。同じように、“あくび”もなかなか人前ではできないといい、有岡は「舌で上唇を触ると(あくびが)解除できる」と対処法を披露。生放送のレギュラーを持っている有岡ならではの話題であった。

 この日の放送にリスナーからは、「テレビとかだと、くしゃみやあくびは絶対できないもんね。生理現象なのに大変だなあ」「大ちゃん、『ヒルナンデス!』のワイプでよくくしゃみしてる~。本当に我慢しないんだね」「テレビに映る人ならではの苦労話って感じだった。家では気にせずくしゃみもあくびもしてほしい(笑)」との声が集まっていた。
(福田マリ)

アジアン旋風を巻き起こす88risingの映画が公開! 世界的な躍進を続けるアジア人ラッパーたちに迫る

 さまざまなカルチャーをサポートしてきたRed Bullと、アメリカ発の音楽レーベル/メディアである88risingの共同製作による長編ドキュメンタリー『Asia Rising – The Next Generation of Hip Hop』が、3月29日(金)から世界同時公開され、それに伴い渋谷のシアター・イメージフォーラムで、メディア向け試写会が同月22 日(金)に実施された。

 2017年から制作の構想がスタートしたという『Asia Rising: The Next Generation of Hip Hop』は、ここ数年、世界的なムーブメントとして躍進を続けるアジアン・ヒップホップにフォーカス。この現象を象徴する88rising所属の各国のアーティストをはじめ、数多くの若手アーティストが登場し、世界中のステージで居場所を獲得してきたアジア人ラッパーたちの成功や乗り越えてきた困難の数々、アイデンティティや素顔を約52 分間にわたって描かれている。

 上映後には、88risingに詳しいジャーナリストの森川潤氏をモデレーターとして、本作に出演するラッパーのAwich(エイウィッチ)とJin Dogg(ジンドッグ)、88risingのフィルムディレクターで本作の監督を務めたJonathon Lim(ジョナサン・リム)によるトークセッションも行われた。

アジアン旋風を巻き起こす88risingの映画が公開! 世界的な躍進を続けるアジア人ラッパーたちに迫るの画像2

 ジョナサンは作品を通して、「アメリカの文化が世界中を周って、また、それがアメリカに戻ってくるのがおもしろいなと思った。それをひとつの“ジャーニー(旅)”と捉えて、どういう形になるかを表現したかった」とのことで、「こうしたヒップホップアーティストたちが、アジア人にとってもロールモデルになるということは、世界中の多くの人たちの考え方が変わってきているということだと思っている。特にこの2人(AwichとJin Dogg)は自分のカルチャー、日本の文化の中からブレイクアウトしているアーティストであることが、若者にインスピレーションを与えるのではないか」「インターネットのおかげで、(世界中で)同じ世代の人たちが同じアーティストから影響を受けてきている。そういう意味ではグローバリゼーションにつながっている」と語った。

 またアジア・ヒップホップの躍進の背景については、Awitchも「ネットがめっちゃ強いというか大きな役割を果たしていて。曲だけじゃなく、その人のストーリーや動画もすぐ観られるような時代なので、ネットのおかげでアーティストとして世に知られて、世に愛されることが可能になっている」と指摘。

アジアン旋風を巻き起こす88risingの映画が公開! 世界的な躍進を続けるアジア人ラッパーたちに迫るの画像3

 日本の音楽シーンは比較的特殊で、海外のシーンに関心が薄いとも言われているそうだが、「(世界と日本で)ギャップがもしあるのであれば、それを埋められる人が勝ちじゃないですかね。日本のオーディエンスを疎かにすることはイヤだし、どっちにも聴いて感動してほしいから。そこに目指して挑戦するのが楽しい。日本でバズって、世界のチャートに入るというのが実現できたらいいなと思います」(Awitch)と語っていた。

 Red BullはRed Bull Music Festival Tokyo 2019 内で、88rising とコラボしたライブイベントを4 月10 日(水)にWWW X(渋谷)で開催する予定だ。

(文=伊藤綾)

ジャニーズJr.・SixTONES、関西の番組で「全員帰れ!」と共演者絶叫の事態に

 関西ジャニーズJr.のメンバーが出演し、毎回さまざまなテーマでトークを展開するバラエティー番組『まいど!ジャーニィ~』(BSフジ)。3月24日は前回に引き続き、東京・帝国劇場で2018年12月6日~19年1月27日に上演された舞台『JOHNNYS’ King&Prince IsLAND』特集が組まれた。

 ジャニーズJr.内ユニット「Snow Man」向井康二と室龍太が、本番直前の出演者にインタビューをするコーナーには、人気急上昇中のJr.内ユニット「SixTONES」のメンバーが登場。向井&室とSixTONESは気心の知れた間柄とあって、インタビューも和気あいあいとした雰囲気に。まず向井がSixTONESに「本番前はなにをしているのか」と質問すると、松村北斗が「呼吸とかしてるけどね、基本的に」と早速ボケを繰り出し、ここからトークはわちゃわちゃした展開に……。

 続いてジェシーが「音楽聞いてます」と答え、突然、玉置浩二のモノマネを披露。この流れに室が「急にブッこんでくるな!?」と強めのツッコミを入れると、なぜか一番端にいた田中樹が「龍太くん怖い……」と室に怯えだし、これに向井が「許して! 久しぶりの東京で張り切ってんねん!」とフォロー。便乗して田中が「今日、絶対渋谷行くじゃん!」と室をからかうなど、徐々に“全員が室をイジる”という図式へと突入していく。

 その後も、ボケ続けて収集がつかなくなったSixTONESに室が「オマエら全員帰れ~!」と叫び、ジェシーを筆頭に「じゃあ帰ろ、帰ろ」とカメラの前から消えようとしたり、突然Jr.内ユニット「Travis Japan」中村海人が収録に乱入したり、大盛り上がりのインタビューが繰り広げられた。

 そして最後に、森本慎太郎が「室へどうしても言いたいことがある」と切り出す。なんでも、この収録の前日、夜中に森本が室に連絡し、お土産に“たこ焼き”を買ってきてほしいとお願いしたそう。しかし、室は「(東京に)着いたころには、たこ焼き冷めとるやんけ!」と反論し、たこ焼きを買ってこなかった理由を説明したが、メンバー全員がこれをスルー。終始、最年長の室がイジられるという展開で、コーナーが終了したのだった。

 短い時間ながらも、仲の良さがにじみ出た向井&室とSixTONESの共演には、ファンも大興奮していた様子。「るたこじ&ストの団体芸最高すぎる! 一生やっててほしい!」「SixTONESと絡むと室くんのツッコミが忙しいね(笑)」「るたこじ×SixTONES最高だったな~。みんな龍太くんのこと好きすぎかよ!」という声がネット上に投稿されていた。
(アズマミサト)

関ジャニ∞・横山裕、『関ジャム』で「何回聞いたか」と村上信五の“十八番”を暴露

 関ジャニ∞が毎回さまざまなアーティストを迎えてトークを繰り広げる音楽バラエティ番組『関ジャム完全燃SHOW』(テレビ朝日系)。3月24日は、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治と、ロックバンド・JUN SKY WALKER(S)のベーシストで音楽プロデューサーでもある寺岡呼人をゲストに迎え、「グッとくる!上京ソング特集」が放送された。

 番組内では「地方出身者が選ぶ上京ソングランキング」が発表されたのだが、17位にランクインしたケツメイシの「トモダチ」(2002)には、横山裕が「きた! ケツメイシは多いと思うよ」と反応。ケツメイシは01年にメジャーデビューした男性4人組グループで、4枚目のシングル「トモダチ」で初のオリコンシングルチャートトップ10入りを果たすと、当時の若者を中心にまたたく間に人気となった。

 そんな中で、当時関西ジャニーズJr.として活動していた関ジャニ∞も、02年にグループを結成すると、04年に「浪花いろは節」でCDデビュー。全員が関西出身の関ジャニ∞は、デビュー前後にそれぞれ上京しているため、横山にとってはまさにその時期に流行していたケツメイシの楽曲が、“上京の思い出”と共に刻まれているようだ。

 そして同じく「ケツメイシ」の曲を“上京の曲”としてあげていたのが、村上信五と安田章大。11位で再びケツメイシの「東京」(05)がランクインすると、「出た~、これやわ!」と横山が懐かしそうにつぶやき、安田は「村上くんがカラオケで歌ってるのを何回聞いたかな」とコメント。そして村上は「まさに友達が歌ってくれたもん。そう、同級生が」と明かしていた。

 安田にとっては“村上がカラオケでよく歌っている曲”という印象が強いようだが、村上は「僕の友達が歌ってくれて、僕も覚えたんですよ。本格的に関ジャニ∞が結成決まって、『拠点が東京になんねん』みたいな話をしたときに、なんか軽く送り出しみたいな感じで歌ってくれた」と、当時を振り返った。村上にとっての“上京の曲”は、親しい友人との思い出でもあるのだろう。

 このエピソードにファンからは「ケツメイシの『東京』、私も昔よく聞いてたなあ。上京してきた人には刺さる歌詞だよね」「村上くん、なんかちょっとウルウルしてない? 余程、心に響いてるんだね」「今回はすごく関ジャニ∞らしい話が聞けた。いろんな思いを抱えて東京に出てきたんだね」という声が集まっていた。

 ちなみに村上が「東京」をカラオケで歌っていることについて、横山も「何回聞いたか」とコメントしており、相当歌いこんでいる様子。いつか番組内で披露されるのを楽しみにしたい。
(華山いの)