他人の免疫細胞を患者に移植? 画期的がん治療法に期待

 世界で年間1,000万人の命を奪っているがんに、近い将来、画期的治療法が確立されるかもしれない。

 英紙「デイリーメール」(12月27日付)が、がん細胞を攻撃する免疫細胞を他人から移植するというまったく新しい治療法が、近い将来、何百万人ものがん患者の命を救う可能性があると報じている。

 がん細胞を攻撃する免疫細胞を患者の血液から取り出し、人工的に数を増やしたり効率的にがんを攻撃するよう育成したのちに体内へ戻す免疫細胞治療は、化学療法に見られるような副作用がない治療法としてすでに実用化されている。しかし、他人の免疫細胞を患者に移植することは、拒絶反応の懸念から不可能とされてきた。

 ところが、ロンドンにある生物医学研究機関、フランシス・クリック研究所による最近の研究によると、拒絶反応なしに他人の免疫細胞を移植することが可能だというのだ。

 同機構研究チームのリーダー、エイドリアン・ヘイデイ教授は「まだ実現段階に達していない」としながらも、「がん患者が自らの体でがんを治癒できるように訓練する、実験段階の治療法が発展途上にある」と明かす。免疫細胞が移植されると、患者がもともと持つ免疫細胞と協力し、がん細胞を攻撃し始めるという。

 同機構は、ドナーから採取した免疫細胞を貯蔵する世界初の免疫細胞バンクの設置に動いている。実現すれば、健康な免疫細胞を数時間以内にクリニックに届け、治療が必要ながん患者に移植することが可能になる。早ければ今年中に、がん患者への免疫細胞の移植が行われる可能性もあるという。

 1981年以来、がんは日本人の死因のトップの座に居座り続け、いまや3人にひとりの命を奪っている。臨床実証が待ち遠しい限りだ。

子宮筋腫、“切らない”手術とは? 子宮を残す「UAE」のメリット・デメリット

 40代女性の3~4人に1人は持っている「子宮筋腫」。子宮筋腫は症状により処置が必要なケースもあるが「下腹が出ている」程度では、なかなか手術に踏み切れない人も多いだろう。子宮筋腫の悩ましさはこの「命には別状はない」という点にある。

 当連載では、1)社会復帰の早さと、2)対応医院の多さの観点から、「子宮動脈塞栓術(以下、UAE)」と「腹腔鏡手術」、2つの術式について取材を行っている。4回目となる今回は、UAE手術を1998年から行い3,500症例の実績を持つ調布keijinkaiクリニック・瀧康紀医師に話を伺った。

子宮筋腫を兵糧攻めにして「ミイラにする」UAE

――UAEは、カテーテルを脚の付け根から入れ、子宮筋腫につながる血管を塞いで血流を止めるという、いわば「子宮筋腫を兵糧攻め」にする治療方法とのことですよね。

瀧康紀医師(以下、瀧) はい。血管を塞ぐ物質にはエンボスフィアやゼラチンスポンジなどがあり、エンボスフィアなら健康保険が適用されます。当院ではゼラチンスポンジをどうしても希望する、というケースでなければ保険適用内のエンボスフィアを適用しています。

――子宮筋腫は女性ホルモンであるエストロゲンにより、大きくなるといわれていますよね。子宮筋腫への血管を塞いでも、エストロゲンの分泌自体は止まらないのでは?

瀧 通常エストロゲンの分泌は止まりません。エストロゲンを止めると生理もなくなってしまいますから。子宮筋腫につながる血管を塞ぐことで、「子宮筋腫を壊死」させてしまえば、いくらエストロゲンが出ても子宮筋腫は大きくなりません。ただし、データ的には45歳以上の方の約10%が、エストロゲンの分泌が低下することがあります。これは、UAEにより卵巣を栄養している血管もふさがれることがあるためと考えられています。

――「壊死」というのはどのような状況だと考えればいいんでしょうか?

瀧 「枯れる」というイメージですね。たくさん水が含んだスポンジから水が抜け、ミイラになるような状態です。「水」に該当する血液が送られなくなりますので。それに応じて、子宮筋腫の容積も小さくなります。平均するともとの3~4割の大きさになりますね。ただ、非常に小さくなるのもあれば、さほど小さくならないものもあります。

――術後、どのくらいで子宮筋腫は小さくなりはじめるのでしょうか?

瀧 縮小の傾向を見ると、UAE直後から縮小を開始し3~6カ月までは急速に縮小します。1年半ぐらいまでは縮小を続けますが、その後は縮小しないことが多いです。

――「小さい子宮筋腫がたくさん」の人もいれば、「大きいものが一つ」という方もいますよね。タイプによって、UAEの効果が違うことはありますか。

瀧 効果で見ればどういったケースでも大体一緒ですね。ですが「大きな子宮筋腫が1つ」より「子宮筋腫が多発」している方がUAEの出番とも言えます。「(子宮全体を摘出せず)子宮筋腫だけを核出する」手術の場合、数が多ければそれだけ核出の手間が増えてしまいますが、UAEなら一網打尽にできますので。なお、子宮筋腫は多発している方が再発はしやすいですね。

――UAEの治療のメリットについて教えてください。

瀧 社会復帰の早さです。入院は3泊4日、術後1週間でデスクワークができます。子宮全摘手術の場合1カ月ほどの入院になりますからね。手術時間も短く、1時間程度です。また、UAEは右の鼠径部(脚の付け根)からカテーテルを入れる手術になり、おなかに傷がつきません。鼠径部の跡も3週間もすれば消えますよ。注射をしたようなものですから。

 ほか、子宮をなくす喪失感がないことや、二度、三度とUAEが繰り返しできるのもメリットと言えます。腹腔内操作がないため癒着が起きにくいという医学的なメリットもあります。

――UAEを受けられる患者さんの中で「子宮を残したい」という動機はやはり強いんですか

瀧 強いです。ですが、UAEといえども100%子宮が残る、というわけではありません。UAE後に感染を起こせば子宮の全摘出を行わざるを得ないケースもあります。僕は20年間で3,500件UAE手術を行いましたが、2例そういったケースがありました。

――手術を受けられる方は何歳くらいの人が多いのでしょうか。

瀧 平均すると43歳くらいですね。ただ、20代の方もいますし50代後半の方もいます。

――更年期が近い年代の方は、閉経になって子宮筋腫が小さくなるのを待てなかったのでしょうか?

瀧 はい。50歳で閉経するとは限りませんから。なお、アメリカのライス元国務長官も50歳で子宮筋腫のためUAE手術を受けたと公表していましたね。日本でも森三中の大島美幸さんがUAEを受けましたが、日本だと隠したがる人も多いですね。

――矢部みほさんもUAE手術を受けたとブログで公表していましたね。隠したがる人が多いのはどういった背景からなのでしょうか?

瀧 まず、子宮や卵巣、つまり女性生殖器の病気は隠したがります。またUAEという手術方法を知らず子宮そのものを摘出してしまった方にしてみれば、「あの人だけズルい」「知っていたら、私も全摘しなかったのに」という思いが生まれ、やっかまれてしまうからかもしれません。
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 後編(1月12日公開)では引き続き瀧医師に、気になる費用や再発率についても話を伺う。
(石徹白未亜)

調布keijinkaiクリニックホームページ

志村けん『バカ殿』の露骨な性差別ぶり 水着女性を敷いて寝る“肉布団”

今月9日放送のバラエティ番組『志村けんのバカ殿様(以下、バカ殿様)』(フジテレビ系)で、水着姿の女性が志村けんの布団になるという映像が放送され、視聴者から非難の声が上がっている。

 同番組のコントのなかで志村演じるバカ殿様は、「普通の布団では寒くて眠れない」「人肌が恋しいから“肉布団”はどうか」と家来に提案。すると家来は水着姿を着た8人の女性を呼び、まず、敷布団として呼ばれた4人が仰向けで布団の上に寝そべり、その上に志村が横たわる。次いで掛け布団として呼ばれた4人が志村の上にうつ伏せで乗るという演出であった。

 この“肉布団コント”は女性の身体を“肉”と表現し、布団という物として扱っている。こうした女性蔑視的な演出に、一部の視聴者からは「全然笑えない」「気持ち悪すぎる」といった批判的な意見が出ている。

志村けんには“セクハラ”や“女性蔑視”といった感覚がない?
 『バカ殿様』は、1986年から現在に至るまで不定期に放送されている長寿番組であり、志村けん本人も台本作りに参加しているようだ。志村演じるバカ殿様は若い女性が大好きであり、出演者の女性とのハグや添い寝といった演出が定番となっている。なお、女性が胸を露にした姿で出演していた時代もあったが、現在はさすがに水着や服を着用している。

 長年、下ネタ満載の『バカ殿様』を続けてきた志村だが、最近では彼自身の“セクハラ”や“パワハラ”が話題になることもあった。

 2017年10月に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で「芸能界におけるセクハラ問題」が取り上げられると、「よく女の子の尻を触る人」として志村の名前が挙がった。番組によると志村は「カメラが回っていない時間に共演者の女性の尻をよく触っている」という。

 その際、東野幸治が志村の件をフォローするように「女の子に気安い雰囲気をつくってあげている」と意図を紹介したが、ヒロミや松本人志は「いやいや、それはもう通用しない!」と否定。ヒロミ、松本の言うとおり、それはセクハラをする側の勝手な解釈だろう。

 また志村は、優香などお気に入りの女性タレントを自身の冠番組に出演させ寵愛するとも言われてきた。昨年9月に『バカ殿様』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)に出演し、一部では志村の愛人疑惑も出ていたグラビアタレントの小林恵美が芸能界引退を発表した際には、「志村けんの機嫌を損ねて芸能界を干されたのでは」という憶測も飛び交った。

 傍から見れば、志村の行動は“ハラスメント”。しかし現在68歳で、昭和の芸能界でスターだった志村は、その感覚を持ち合わせていないのかもしれない。相手の許可なく一方的に体を触ることも、歪んだパワーバランスも、至極当然のことだと認識している可能性がある。

 今回の「肉布団コント」に関しても、それが“ちょっとエッチで面白い”“笑える”と捉え、企画しているのだろう。

 そんな『バカ殿様』を時代錯誤だと非難する声がある一方、視聴者からは「今の時代にしては攻めていてよい」「バカ殿はそのままでいて欲しい」など、好意的な意見も見られる。あくまでテレビバラエティの演出なのだから、カタいことを言うな……というわけだ。

「今のテレビはつまらない」と昔のテレビを懐かしむ人々
 今月6日放送の『ワイドナショー』では「2019年、どうなる?TV番組」をテーマにして、議論が交わされた。その際、松本人志は以下の発言をしている。

<スピード違反を起こさないような番組ばっかりで。制限速度60kmっていわれてるのに、もう50(km)も出さないですもんね!30、40 kmしか出さない番組で>
<主導権を視聴者からTV局が取り戻すことが大事>

 この意見に賛同した人からは、「昔のテレビは面白かった」「今は視聴者を気にしすぎている」など、昔を懐かしむ意見も出ている。

 たしかにネットが発展した今、テレビ番組は些細な視聴者の苦情がSNSに書き込まれただけでも“炎上”と報道され、過敏になりすぎているところもあるかもしれない。しかし、だからといって、性差別や暴力、人種差別等が横行し、「ハラスメント」という言葉すらなかった昭和~平成初期に回帰することはできない。

 再びテレビでそうした演出を垂れ流しにしたところで、果たして私たちは「面白い」と盛り上がるのだろうか? そもそも、過去の時代であっても、そういった番組の裏には必ず、理不尽な“我慢”を強いられていた人がいたはずだ。

 テレビ業界がすべきは過去を美化して今を嘆くことでも、過剰に萎縮することでもなく、ハラスメントによる笑いに頼らない“面白い番組”づくりだろう。

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「こんな美人でもオバサン呼ばわりなの?」“オバサンいじり”されてしまった女性芸能人3人

“オバサン”という言葉にはなんとも失礼な響きがあるものの、芸能界ではオバサン呼ばわりされる女性有名人が多い。フリーアナウンサーの加藤綾子もそのひとりで、嵐の二宮和也からオバサンいじりを受けてしまった。

 加藤と二宮は2018年12月に、「平成31年用年賀状 引受セレモニー」に登壇。年賀状にまつわるトークを展開するなかで、二宮が「若い世代もそうですが、加藤さんみたいなオバサン世代にも」と発言した。二宮のほうが年上とツッコまれて笑いながら謝罪したものの、ネット上では「ちょっと待ってこんな美人でもオバサン呼ばわりなの?」「オッサンがなにを言うか!」「これはないわ。女性に対してさすがに失礼」と批判が相次いでいる。

 今回は加藤のように、“オバサンいじり”された女性芸能人を紹介していこう!

 

●牧野光子

 元NHK静岡ニュースキャスターで、“温泉マイスター”の称号を持つ牧野光子。彼女は2018年4月放送の『有吉反省会』(日本テレビ系)に出演時、バスタオル姿で登場してスタジオをざわつかせることに。温泉好きで入浴中の写真をネット上でも公開している牧野だが、これに噛みついたのがお笑いコンビ・オアシズの大久保佳代子だった。

「バスタオルの下にはなにを着ているのか」と尋ねられた牧野は、「ご想像にお任せします」と意味深発言。そんな彼女に大久保は「古ッ!」とツッコみ、MCの有吉弘行から牧野の話を振られると「このババアですか?」と斬り捨てた。大久保と舌戦を繰り広げた牧野だが、ネット上では「バスタオル姿で需要があると思ってるこの人のメンタルを見習いたい」「ほんと誰得なの? って話よ」「20年遅かったですね…」「熟女専ぐらいしか喜ばんやろ」といった意見が多い。

 

●菊地亜美

 タレントの菊地亜美は、2016年10月放送の『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)で若槻千夏とテリー伊藤から集中砲火を浴びている。この日のテーマは“イマドキ女子VSおじさん・おばさんSP”で、菊地はイマドキ女子枠として出演。そこでおばさん枠の若槻が「菊地亜美の26(歳)はグレーゾーンだと思います」と指摘した。

 若槻の発言に菊地は「私はイマドキですよ!」と反発したものの、すかさずテリーが反論。「菊地はオッサンですから」と性別まで変わり、続けて「11kgも太った」と菊地のオッサン要素を暴露した。オバサンだけでなくオッサンいじりまでされた菊地に、ネット上では「グレーゾーンどころか男になっちゃったよwww」「菊地亜美は悪い意味じゃなくほんとオッサン気質な感じあるよね」といった声が並んでいる。

「パンケーキ食べたい」でブレーク? 『おもしろ荘』で話題の夢屋まさる、イタイ芸人だった過去

 毎年、元日未明に放送されている『おもしろ荘』(日本テレビ系)。2017年にはブルゾンちえみ、18年にはひょっこりはんが出演しブレークのきっかけとなるなど、その年のお笑い界を占う番組として、業界内での注目度も高い。19年の元日にももちろん放送されたが、そこから果たしてブレーク芸人は出てくるのだろうか。お笑い関係者が言う。

「今年は、すべてを肯定していく漫才の『ぺこぱ』が優勝しました。ネタはすごく面白いし、ビジュアル系のようなルックスは“キャラ物”としてもアリだと思います。ただ、ブルゾンちえみやひょっこりはんほどキャッチーかと言われれば、そうでもないですね」

 そんな中、ネット上でほんのりとバズりつつあるのが、ピン芸人の「夢屋まさる」だ。『おもしろ荘』 では、「かわいくってインスタ映えするものだけが好き」と言って、「パンケーキ食べたい、パンケーキ食べたい」という歌を交えながら、「新宿は汚い」「蒲田は地獄」などと毒舌を吐くネタを披露した。

「もともとTikTokで流行っているリズムを取り入れているということもあって、ネットとの相性はとてもいい。バズり始めたら、一気にブレークするかもしれません(同)

 そんな夢屋は、現役の慶應大学生。AbemaTVの恋愛リアリティー番組『受験恋愛リアリティーショー 勝負の夏!~先生、勉強も恋も教えてください~』には女子高生に勉強を教えるエリート現役大学生として出演した。

「ネタのキャラと普段のキャラはだいぶギャップがありますね。今後、ネタのキャラだけのほうで進んでいければブレークもあるかもしれませんが、キャラがブレるようだとちょっと難しいと思います」(同)

 また、夢屋は高校時代から芸人として活動しているが、当時は全く違うキャラだったという。

「最初は鳥居みゆきのパクリみたいなネタをやっていたんですよ。事務所も鳥居と同じサンミュージックなので、鳥居みゆきに憧れているのかと思っていたら、夢屋本人は『鳥居みゆきのネタは見たことがない』などと言い張っていたそうです。それも含めて不思議キャラなのかもしれないけど、相当イタイ芸人だったことは確か。そういう部分をちゃんと笑いに変えられるようになっていれば、ブレークするかも」(放送作家)

 一筋縄ではいかなそうな夢屋まさる。今年の『おもしろ荘ブレーク枠』の座を確保することはできるのか?

河野景子、フジ独占「初告白番組」がゴールデンで6%台の大爆死! 需要は“熟女ヌード”のみ!?

 昨年10月、元貴乃花親方(花田光司)と離婚した河野景子の芸能界復帰計画が、早くも暗礁に乗り上げた。

 離婚が明らかになった後、沈黙を続けていた河野は、昨年12月28日に古巣フジテレビで放送された『バイキング・ザ・ゴールデン ~河野景子が独占初告白!2018年ニュースの主役に直撃SP~』に出演し、メインキャスター・坂上忍のインタビューに応えた。

 ところが、同番組の視聴率は第1部(午後6時~)が6.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)、第2部(7時~9時55分)が6.9%と大爆死。裏の日本テレビ系では、水卜麻美アナと有働由美子アナが初タッグを組んだ『平成ニッポン瞬間映像ランキング30! 報道記者1000人が選ぶ決定的スクープ』(7時~10時54分)がオンエアされ、11.8%をマークし、『バイキング・ザ・ゴールデン』は惨敗を喫した。

 この数字を見る限り、さほど世の関心はないようで、河野のタレントとしての“商品価値”に疑問符が付く格好となった。

「番組のサブタイトルに、『河野景子が独占初告白!』と謳ってあったわけですから、フジとしては2ケタを期待したはず。ところが、2ケタどころかゴールデン帯で6%台ではお話になりません。フジは古巣の特権で、今年、河野の積極起用を考えていたようですが、この視聴率では軌道修正を余儀なくされそうです」(テレビ関係者)

 思えば、河野が“花形女子アナ”として活躍していたのは、1980~90年代前半。95年に元貴乃花親方と結婚してからは、おかみさん稼業と共に、事業や講演などを中心に活動してきた。芸能界と一線を引いてから20年以上たつだけに、正直30代以下の人は、女子アナとして活躍していた頃を知らず、その芸能活動には険しい道が待っているかもしれない。

「元貴乃花親方や、息子・花田優一氏絡みで、バラエティ、ワイドショーなどに呼ばれることも、今はあるでしょうが、そのうちネタ切れになって、飽きられます。20年以上もブランクがある人に、キャスターや番組MCなどを任せようという局はそうそうないでしょう。そう考えろと、いちばん“需要”がありそうなのが、その美貌を生かした熟女ヌードになりそう。そういうオファーがあっても、簡単に受けるとは思いませんが、カネに困ったら実現する可能性もあるでしょうね」(スポーツ紙記者)

 4日付で、ブログを開設し、芸能活動にも意欲満々な河野。果たして、本人の思惑通り、かつての輝きを取り戻せるのだろうか?
(文=田中七男)

“キングオブアウトロー”が世相を斬る! 瓜田純士『ゴッドニュース』ってナンだ!?

 自らを神と名乗る瓜田純士(39)が、YouTubeで世相を斬る新たなコンテンツをスタートさせた。その名も『ゴッドニュース』。

 今回は、スーパー銭湯アイドル「純烈」メンバーのDV事件、NGT48山口真帆の暴行事件、鹿児島で中学生がマグロと格闘したニュースなどを題材にお届けする。特派員を現場に派遣するなど、今年の瓜田は本気だ!

※瓜田大明神が庶民の悩みを解決する「ゴッドカウンセラー」も同時始動!
瓜田純士に相談したいことがある人は、以下のいずれかの方法でメッセージ(具体的な悩みの内容)をお送りください。採用された投稿者には、瓜田が動画内にて無料で解決策を授けます。

(Twitterでの相談方法)
瓜田純士&麗子のTwitter(https://twitter.com/junshiurita)をフォローし、「#瓜田純士」のハッシュタグを付けて、瓜田純士のYouTubeから共有でツイートの上、 ダイレクトメッセージでお悩みをお送りください。

(Instagramでの相談方法)
瓜田純士&麗子のInstagram(https://www.instagram.com/junshi.reiko/?hl=ja)をフォローし、瓜田純士のYouTubeの動画数秒をアップ。キャプション(文章)に動画のURLを記入し、「#瓜田純士」のハッシュタグを付けてから、ダイレクトメッセージでお悩みをお送りください。

コテコテの浪花男から敏腕プロデューサーへ……平成J-POP史における、つんく♂の軌跡

平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

 つんく♂の影がないなあ、と。大みそか、『紅白歌合戦』を観ながら、思った。

 平成最後の紅白は、サザンというか桑田佳祐とユーミン(+サブちゃん)の共演があり、かたや米津玄師や2019年早々に注目度がピークを迎えるであろうあいみょんなど、大ベテランから新勢力までが魅力を発揮した。最後を飾った歌が「勝手にシンドバッド」だったこともあり、むしろ昭和の匂いのほうが強めに残ったが、これは視聴者層を考えると仕方ないか。

 たぶん平成時代をテーマにした構成案もなくはなかったと思うが、仮にそれにこだわっていたら、何かとスケールダウンしたり、いろいろと足らないところが出てきていたに違いない。

 さて、J-POPという呼び方は平成の初期に生まれたものである。それだけに今回の紅白でこぼれ落ちてしまったJ-POPの才能は数多く存在する。

 冒頭の「つんく♂の影がないな」という感想は、そんなことを思う中で湧き出てきた。彼が率いたシャ乱Qはもとより、ハロプロ勢も不在。というか、モー娘。だってずっと出てないんだな、紅白。

 そう感じてしまうくらい、つんく♂はJ-POP全盛期を牽引した存在である。そして、昔と今とで、彼ぐらいイメージが変わった人も珍しいと思う。

 なにせ、世間に知られ始めた頃のつんく(当時は♂マークがなかったので、しばらく省略して書く)は……つまり、最初にシャ乱Qで出てきた頃の彼のイメージは、あまり良くなかった。かといって嫌悪感を覚えるほどでもなかったが、音楽ファンとしては、どうにもチャラそうな印象があったのだ。

 僕がシャ乱Qを知ったのは、音楽について書く仕事に就く前の、90年代の初め頃。TVの深夜番組か何かで演奏する彼らを観て、どこか水商売的なバンドのムードやその歌に「これ、歌謡曲だよな」と感じたものだ(当時を覚えている方ならわかってくれるだろう)。ライヴハウスで活動をしてきたというが、ロック・バンドらしさはあまり感じなかった。大阪時代にはウルフルズ(もちろん彼らも有名になる前だ)とも対バンしていたらしいが、ウルフルズに比べ、シャ乱Qをロックとして捉える見方はほとんどなかったと思う。まあ、それは今も大差ないか。

 デビューからしばらくは下積みのような低空飛行を続けた彼らだが、地道な努力が実って、スマッシュヒットを放つ。それが94年初頭に出た「上・京・物・語」だった(下の動画、歌のスタートは1:39頃~です)。

 この歌は当時の人気TV番組『浅草橋ヤング洋品店』(浅ヤン)のエンディング曲に選ばれた。この次作シングル「恋をするだけ無駄なんて」も同じく『浅ヤン』で起用されている(1:06頃~)。

 もっとも僕個人は「おお、シャ乱Qもやっと売れ始めたか」なんて感慨に浸ったわけでもなかった。最初の印象の延長で、相変わらず歌が好きになれなかったからだ。ベタで、コッテコテで、やっぱり歌謡曲のアクの部分を抽出してるみたいで。この、人情というか、過剰に人間くさいところが苦手だったのだ。それも、表面的なところでなく、心の根っこまで掘り起こされるくらいの感情が込められているのが。

 しかも、つんくを筆頭に、メンバーの見た目もケバケバしく、それはもう関西の最も濃い部分をあえて盛っているかのように見えた。何もかもが下世話なバンドじゃないか、と。僕は関西の大学に通ってたし(詳細は後述)、親戚も多いし、なんたって阪神ファンなので、かの地の風土は大好きなのだが、時たま出会う個性が強烈すぎる人にはついていけないことがあるのだ。

 そうこうしているうちに、シャ乱Qはついに大ブレークを果たす。1994年秋、世間に認知される決定打となったのが「シングルベッド」だった(1:04頃~)。

 前述した、僕がどうにも苦手な部分をさらに濃厚にしたラブ・バラードだ。涙、失恋、未練……もはや歌謡曲というより演歌に近い。この歌でシャ乱Qは見事にヒットチャートの上位進出を遂げたのである。

 それ以降の彼らはあらゆるメディアに露出するようになり、メンバーのキャラクターやバンドの背景もだんだんと知られるようになっていった。そんな中、何かの記事で彼らが近畿大学の出身であることを知り、驚いた。そう、僕と同じ大学なのである。マジかいな!? まあシャ乱Qのほうが数年下で、僕とはほぼかぶってないくらいだけど。しかも、さらにのちにわかったのは、つんくは僕と同じ経営学部の学生だったということ。MIPS(当時の学生向けのコンピュータールーム)とか使うてたんかなぁ。僕は入り浸ってました。

 とはいえ、僕は相変わらずつんくに親近感を覚えたわけでもなく、「シングルベッド」のヒットについても冷めた目で見ていた。それどころか、下積みの時期には、自分たちの曲を有線放送に電話リクエストしていたという、これまた浪花節的なエピソードが聞こえてきたりして、「ま~たまた、コッテコテなことしよってからに」などと思っていた。

 ところが次に、洋楽好きとしてはソソられるヒット曲が出たのである。翌95年の「ズルい女」だ(1:04頃~)。

 ホーンのフレーズがインパクトのある曲で、この繰り返しがじつにカッコいい(サンプリング的だとも感じたほどだ)。また、バンドが奏でる分厚いリズムは、当時のハウス・ミュージックを通過したUKロックの影響さえ感じさせた。歌やメロディは相変わらず歌謡チックだが、「アゥ!」と叫ぶつんくは、もしかしたらプリンスを意識していたのだろうか。

 そして曲の大きなポイントは、彼のファルセットだった。サビ頭の「♪Bye-Bye ありがとう さよなら 愛しい恋人よ~」の「さ」のところで声を裏返らせている。歌謡曲の色気を、そして自分のチャームポイントをよくわかっているんだなぁと思った。

 シャ乱Q、案外やるやん。そう思ってたところに、今度は自分のツボをさらに突かれるタイプの曲が来てしまった。「空を見なよ」である(0:47頃~)。

 メロディも親しみやすいこの曲だが、僕が惹かれたのはギターの音色だった。これ、もろにフォークロックと呼んでいいサウンドである(60年代のザ・バーズとかね)。シャ乱Q得意のコテコテではなく、ちょっと叙情的な歌。作曲はギタリストのはたけで、なるほど納得だ。シャ乱Q、こんな叙情的な音が作れるんか? と驚愕したものだった。

 このへんから、シャ乱Qのサウンドへの視線を変えざるを得なくなった。そう思うと、「上・京・物・語」なんかは繊細なギター・サウンドが明らかにU2の影響下にあるし、粘っこいキーボードもニューウェイヴ的だと気づく。

 どの曲も歌メロは歌謡曲だし、大っぴらにロック・バンドを気取ってはいないし、彼らが目指していたのはロック・ファンよりも大衆的な層からの支持だっただろう。なのに音楽的には、じつに巧妙に洋楽ロックを取り入れていたのだ。もっと早く気づかんかい、という声が聞こえてきそうだが、当時の僕はやっと今の仕事を始めたくらいだったのだ。それに言い訳めくが、このバンドについては先入観があまりに大きすぎた。

 こうなると、もう次の曲が楽しみになってきたくらいである。濡れしょぼったメロディを持つ「My Babe 君が眠るまで」のギターのカッティングが響く音像は、ザ・ポリスの「ロクサーヌ」を意識しているに違いない(0:28頃~)。

 96年春のシングル「いいわけ」の焦点は、ハードなサウンドも際立っているが、むしろディスコ的なリズムの感覚に注目したい。これは、のちのつんく♂のプロデュース・ワークでも生かされるからだ(0:30頃~)。

 こうしてヒットを連ねていくシャ乱Qが気になってしょうがなくなった僕は、この頃、取材という名目で彼らのライヴを日本武道館に観に行った。あくまで興味本位的ではあったが、生での演奏を一度体験しておきたかったのだ。

 そのステージは本当にエンタテインメント性にあふれていて、彼らはお客さんを楽しませることに全力を尽くしていた。歌や演奏が優れていたのはもちろん、クライマックスではキーボードのたいせいが宙吊りになり、上空でグルグルと回転するというすさまじい演出があった。

 何をバカなことやってんだよ! とツッコみたくもなったが、冷静に振り返れば、KISSだって宙吊りになったりはしているわけで。そうしてみると、あのケバい衣装はグラム・ロックとかニュー・ロマンティックを独自に解釈したもの? なんてふうにも思えてくる。また、そうして体を張ってでも盛り上げようという意思は、叩き上げの彼ららしさでもあるように感じた。

 また、この頃、確か音楽雑誌の『GB』(ソニー・マガジンズ)で見かけたつんくのインタビューで、せっかく使いこなしていた携帯電話をなくしてしまったという話をしていたのを覚えている。そこには多くの女性の連絡先を入れていたようで、彼はそれらが自分の手元から全部なくなったことを残念がっていた。そんなふうに「ズルい女」ならぬ「チャラい男」を気取るつんくには、ちょっとしたプロ根性を感じたものだ。まあ内心、「ま~たまた」と警戒はしていたのだが。

 ともかく、自分たちの音楽やパフォーマンスを徹底的に磨き、そこで徹底的に突き抜けたことで、シャ乱Qは大成功を手に入れたのだと思う。

 しかし、シャ乱Qの人気も90年代の後半には落ち着き、バンドとしての動きは徐々に静かなものになっていった。メンバーは個々の活動に入っていく中、つんくは今度はプロデューサーとしての手腕を発揮し始める。

 そこでの最大の成功例がモーニング娘。だった。今回は彼およびシャ乱Qに特化した記事なので詳しくは書かないが、このグループが1999年にリリースした大ヒット曲「LOVEマシーン」(もちろん作詞・作曲はつんく)がアイドル・ポップの枠を大きく超えた名曲には間違いない。

 2000年から「つんく♂」表記となった彼は、こうしたプロデュース・ワークでもヒットメーカーとなった。特にサウンド面は、前述のディスコ・ビートへの志向が特徴のひとつとなっていた。といっても、つんく♂が網羅する音楽的なレンジは幅広いもので、コテコテとかベタではないポップソングもたくさん世に出していったのである。

 この後、つんく♂はソロで作品を出したり、シャ乱Qが再び活動したりもあったが、その頃の彼は昔のイメージからはかなり変わっていた。先見の明を持ち、新しい才能を発掘~育成し、数々のグループやユニットをヒットに導く売れっ子プロデューサー。また、会社という組織を運営する有能なビジネスマンとしての評価もされるようになっていったのだ。

 そんな最中だった2015年の春、衝撃的な発表がされる。つんく♂は喉頭がんによって声帯を失い、歌うどころか普通に話すこともできなくなったというのだ。この件は、彼がプロデュースした近畿大の入学式で発表され、大きなニュースとなった。

 当時のことは、同年秋に出版された彼の著書『だから、生きる。』(新潮社)にもつづられている。つんく♂はそれまでも本を何冊か出しているが、この『だから、生きる。』にはシャ乱Qのことからプロデューサー/ビジネスマンとしての姿勢、さらに闘病記とともに、家族への思い、そして彼個人の内面についても多く書かれている。その中には、読んでいて、腑に落ちる点も多かった。

 病気についてはツラく生々しい描写もあり、じつにリアル。それこそ「ズルい女」のファルセットの「さ」が思うように歌えなくなった時のことなんかも書いてある。それからシャ乱Qをはじめとした彼の行動原理には、ロックへのこだわりが強くあること。これは精神論的な側面が強く、非常にユニークだ。また、すべてにおいて高いプロ意識を貫いていて、その仕事への徹底ぶりはじつに力強い。いずれにしても、他の大多数と並ぶのをよしとしない意思は、シャ乱Qをはじめ、すべての彼の活動に通底していると感じた。

 ほんとに熱い男なんだなぁ、と思った。ただ、初期のイメージを持っている自分からすると、やっぱり「ま~たまた」と警戒もしてしまうのだが(すみません)。

 そして、ちょっと蛇足的な話ではあるのだが……15年にこの本が出てから、しばらくあと、つんく♂を間近で目撃したことがあった。

 あれは3年と少しだけ前の、秋だった。障がいを持つ子どもたちを支援するNPO法人「勇気の翼」の主催イベントが開かれることを知り、筆者はそこに家族で参加した。そもそもこの団体についてはハロー!プロジェクトも支援しており、ハロプロのメンバーも参加する予定になっていた。

 会場にわりと早めに到着した僕たちは、前から4~5列目に座った。イベントは「勇気の翼」の理事である細川元総理の夫人、佳代子さんのあいさつから始まったのだが……彼女が「今日、つんく♂さんがここに見えてるそうです」と言ったのだ。

 そして彼は手を挙げた。つんく♂本人が、そこにいたのだ。それは最前列の、ど真ん中の席だった。つまりそこは、これから出し物をする子どもたちの正面になる席で、僕のほんとに数列だけ前という場所だった。驚いた。

 イベントは数時間にわたって行われ、子どもたちの歌やファッションショーなどが開かれていった。そこにハロプロの女の子たちも入って、子どもたちと交流する。つんく♂はイベントの最初から最後までずっと、子どもたちに拍手を送っていたのである。

 その後ろ姿を時々見ながら、思った。忙しいだろうに、大変だろうに、大したものだなあ、と。つんく♂の活動の全容まではとても把握していないけど、こういう福祉的な側面を持つ場にも参加するんだな、と感心した。

 思えば生の彼を初めて見たのは、この20年近く前の、武道館以来だった。あの頃とはさまざまなことが変わっていたのだ。

 と、自分にはそういうこともあったりで、この長い間に、つんく♂へのイメージはかなり変化したという次第である。

 時間というのは、さまざまなものを見せてくれる。最初はよくわからない人だったり、いい印象がなかった奴でも、そこからの出来事やドラマによって、その人間の本質的な部分や根本、あるいは成長した姿を見せてくれたりする。

 あのチャラい男にしか見えなかったシャ乱Qのつんくが、今ではミュージシャン、プロデューサー、ビジネスマンとして有能で、しかもひとりの人間としても魅力的なつんく♂に感じられるのだから。これは僕だけじゃなくて、世の中的にもきっとそうだと思う。

 なんとなくでしかシャ乱Qを、つんく♂を見ていなかった自分が、今さら偉そうなことを言うつもりはない。それに、繰り返しになるが、先日の紅白で振り返られなかった平成のポップスは、シャ乱Qやハロプロ関連以外にも、たくさんある。ただ、つんく♂の影の不在を感じて、ちょっと残念な思いがよぎったのは、確かだ。

 あれこれと好きなことを書いたが、音楽やその活動を通じて、これだけ多くの思いを巡らせ、感じさせてくれた、また人生についてまで考えさせてくれたつんく♂には、感謝している。

●あおき・ゆう。
1966年、島根県生まれ。男。
94年、持ち込みをきっかけに音楽ジャーナリスト/ ライター業を開始。
洋邦のロック/ポップスを中心に執筆。
現在は雑誌『音楽と人』『テレビブロス』『コンフィデンス』『 ビートルズ・ストーリー』『昭和40年男』、
音楽情報サイト「リアルサウンド」「DI:GA online」等に寄稿。
阪神タイガース、ゲッターロボ、白バラコーヒー、ロミーナ、 出前一丁を愛し続ける。
妻子あり。
Twitterアカウントは、@you_aoki
 

【タイ移住マンガ】タイの職場を初公開! ローカルな「タウンハウス」ってどんな場所?【19話】

フツーに日本で生まれ育ち、フツーに日本人男性と付き合っていたはずの80年代生まれ女子・ふっくらボリサットが、いつのまにか「バンコク在住」に至るまでのゆるっと顛末と生活をレポート。

あんまりリゾートじゃないけど、やっぱり東南アジアな気配ただよう、タイの日常へようこそ! 

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タイの仕事場へ潜入!

――毎週金曜日に、最新話を更新。次回をお楽しみに!

ふっくらボリサット
80年代、東京都生まれ。南の国の漫画家。2013年からタイ・バンコク在住。FROGGY×note「お金マンガ投稿コンテスト」で佳作受賞。生々しい内容を描いても生々しくなりすぎないのが強み。腹筋の割れた富豪になりたい。筋トレばっかりしています。懐メロが好きな腐女子です。

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<『ふっくらタイ移住まんが』バックナンバーはこちら>

【第1章】バンコク在住になったワケ

【第2章】タイと日本、それぞれの新生活

【第3章】まさかの「タイ起業」!?

【第4章】
■とうとうバンコクに招かれた!?
■はじめての国外脱出!
■タイのおもてなし大作戦

 

純烈・友井雄亮の“DV疑惑”に、ジャニーズファンがざわつき……「この人元ジャニーズJr.だよね?」

 1月10日発売の週刊誌「週刊文春」(文藝春秋)が、男性歌謡コーラスグループ・純烈の友井雄亮の“DV疑惑”を報じた。記事によると、友井は2014年ごろに同棲していたA子さんにたびたびDVを働いていたそうで、謝罪の意を記した“誓約書”を交わしたとのこと。そこには友井の本名「牧山雄亮」の署名と指印が押されていたが、「文春」の取材で友井は、誓約書にサインしたことは「ないです」と否定している。しかし、11日には友井がグループから脱退すると発表。一部では「芸能界引退」とも報じられている。

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