「パンケーキ食べたい」でブレーク? 『おもしろ荘』で話題の夢屋まさる、イタイ芸人だった過去

 毎年、元日未明に放送されている『おもしろ荘』(日本テレビ系)。2017年にはブルゾンちえみ、18年にはひょっこりはんが出演しブレークのきっかけとなるなど、その年のお笑い界を占う番組として、業界内での注目度も高い。19年の元日にももちろん放送されたが、そこから果たしてブレーク芸人は出てくるのだろうか。お笑い関係者が言う。

「今年は、すべてを肯定していく漫才の『ぺこぱ』が優勝しました。ネタはすごく面白いし、ビジュアル系のようなルックスは“キャラ物”としてもアリだと思います。ただ、ブルゾンちえみやひょっこりはんほどキャッチーかと言われれば、そうでもないですね」

 そんな中、ネット上でほんのりとバズりつつあるのが、ピン芸人の「夢屋まさる」だ。『おもしろ荘』 では、「かわいくってインスタ映えするものだけが好き」と言って、「パンケーキ食べたい、パンケーキ食べたい」という歌を交えながら、「新宿は汚い」「蒲田は地獄」などと毒舌を吐くネタを披露した。

「もともとTikTokで流行っているリズムを取り入れているということもあって、ネットとの相性はとてもいい。バズり始めたら、一気にブレークするかもしれません(同)

 そんな夢屋は、現役の慶應大学生。AbemaTVの恋愛リアリティー番組『受験恋愛リアリティーショー 勝負の夏!~先生、勉強も恋も教えてください~』には女子高生に勉強を教えるエリート現役大学生として出演した。

「ネタのキャラと普段のキャラはだいぶギャップがありますね。今後、ネタのキャラだけのほうで進んでいければブレークもあるかもしれませんが、キャラがブレるようだとちょっと難しいと思います」(同)

 また、夢屋は高校時代から芸人として活動しているが、当時は全く違うキャラだったという。

「最初は鳥居みゆきのパクリみたいなネタをやっていたんですよ。事務所も鳥居と同じサンミュージックなので、鳥居みゆきに憧れているのかと思っていたら、夢屋本人は『鳥居みゆきのネタは見たことがない』などと言い張っていたそうです。それも含めて不思議キャラなのかもしれないけど、相当イタイ芸人だったことは確か。そういう部分をちゃんと笑いに変えられるようになっていれば、ブレークするかも」(放送作家)

 一筋縄ではいかなそうな夢屋まさる。今年の『おもしろ荘ブレーク枠』の座を確保することはできるのか?

河野景子、フジ独占「初告白番組」がゴールデンで6%台の大爆死! 需要は“熟女ヌード”のみ!?

 昨年10月、元貴乃花親方(花田光司)と離婚した河野景子の芸能界復帰計画が、早くも暗礁に乗り上げた。

 離婚が明らかになった後、沈黙を続けていた河野は、昨年12月28日に古巣フジテレビで放送された『バイキング・ザ・ゴールデン ~河野景子が独占初告白!2018年ニュースの主役に直撃SP~』に出演し、メインキャスター・坂上忍のインタビューに応えた。

 ところが、同番組の視聴率は第1部(午後6時~)が6.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)、第2部(7時~9時55分)が6.9%と大爆死。裏の日本テレビ系では、水卜麻美アナと有働由美子アナが初タッグを組んだ『平成ニッポン瞬間映像ランキング30! 報道記者1000人が選ぶ決定的スクープ』(7時~10時54分)がオンエアされ、11.8%をマークし、『バイキング・ザ・ゴールデン』は惨敗を喫した。

 この数字を見る限り、さほど世の関心はないようで、河野のタレントとしての“商品価値”に疑問符が付く格好となった。

「番組のサブタイトルに、『河野景子が独占初告白!』と謳ってあったわけですから、フジとしては2ケタを期待したはず。ところが、2ケタどころかゴールデン帯で6%台ではお話になりません。フジは古巣の特権で、今年、河野の積極起用を考えていたようですが、この視聴率では軌道修正を余儀なくされそうです」(テレビ関係者)

 思えば、河野が“花形女子アナ”として活躍していたのは、1980~90年代前半。95年に元貴乃花親方と結婚してからは、おかみさん稼業と共に、事業や講演などを中心に活動してきた。芸能界と一線を引いてから20年以上たつだけに、正直30代以下の人は、女子アナとして活躍していた頃を知らず、その芸能活動には険しい道が待っているかもしれない。

「元貴乃花親方や、息子・花田優一氏絡みで、バラエティ、ワイドショーなどに呼ばれることも、今はあるでしょうが、そのうちネタ切れになって、飽きられます。20年以上もブランクがある人に、キャスターや番組MCなどを任せようという局はそうそうないでしょう。そう考えろと、いちばん“需要”がありそうなのが、その美貌を生かした熟女ヌードになりそう。そういうオファーがあっても、簡単に受けるとは思いませんが、カネに困ったら実現する可能性もあるでしょうね」(スポーツ紙記者)

 4日付で、ブログを開設し、芸能活動にも意欲満々な河野。果たして、本人の思惑通り、かつての輝きを取り戻せるのだろうか?
(文=田中七男)

“キングオブアウトロー”が世相を斬る! 瓜田純士『ゴッドニュース』ってナンだ!?

 自らを神と名乗る瓜田純士(39)が、YouTubeで世相を斬る新たなコンテンツをスタートさせた。その名も『ゴッドニュース』。

 今回は、スーパー銭湯アイドル「純烈」メンバーのDV事件、NGT48山口真帆の暴行事件、鹿児島で中学生がマグロと格闘したニュースなどを題材にお届けする。特派員を現場に派遣するなど、今年の瓜田は本気だ!

※瓜田大明神が庶民の悩みを解決する「ゴッドカウンセラー」も同時始動!
瓜田純士に相談したいことがある人は、以下のいずれかの方法でメッセージ(具体的な悩みの内容)をお送りください。採用された投稿者には、瓜田が動画内にて無料で解決策を授けます。

(Twitterでの相談方法)
瓜田純士&麗子のTwitter(https://twitter.com/junshiurita)をフォローし、「#瓜田純士」のハッシュタグを付けて、瓜田純士のYouTubeから共有でツイートの上、 ダイレクトメッセージでお悩みをお送りください。

(Instagramでの相談方法)
瓜田純士&麗子のInstagram(https://www.instagram.com/junshi.reiko/?hl=ja)をフォローし、瓜田純士のYouTubeの動画数秒をアップ。キャプション(文章)に動画のURLを記入し、「#瓜田純士」のハッシュタグを付けてから、ダイレクトメッセージでお悩みをお送りください。

コテコテの浪花男から敏腕プロデューサーへ……平成J-POP史における、つんく♂の軌跡

平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

 つんく♂の影がないなあ、と。大みそか、『紅白歌合戦』を観ながら、思った。

 平成最後の紅白は、サザンというか桑田佳祐とユーミン(+サブちゃん)の共演があり、かたや米津玄師や2019年早々に注目度がピークを迎えるであろうあいみょんなど、大ベテランから新勢力までが魅力を発揮した。最後を飾った歌が「勝手にシンドバッド」だったこともあり、むしろ昭和の匂いのほうが強めに残ったが、これは視聴者層を考えると仕方ないか。

 たぶん平成時代をテーマにした構成案もなくはなかったと思うが、仮にそれにこだわっていたら、何かとスケールダウンしたり、いろいろと足らないところが出てきていたに違いない。

 さて、J-POPという呼び方は平成の初期に生まれたものである。それだけに今回の紅白でこぼれ落ちてしまったJ-POPの才能は数多く存在する。

 冒頭の「つんく♂の影がないな」という感想は、そんなことを思う中で湧き出てきた。彼が率いたシャ乱Qはもとより、ハロプロ勢も不在。というか、モー娘。だってずっと出てないんだな、紅白。

 そう感じてしまうくらい、つんく♂はJ-POP全盛期を牽引した存在である。そして、昔と今とで、彼ぐらいイメージが変わった人も珍しいと思う。

 なにせ、世間に知られ始めた頃のつんく(当時は♂マークがなかったので、しばらく省略して書く)は……つまり、最初にシャ乱Qで出てきた頃の彼のイメージは、あまり良くなかった。かといって嫌悪感を覚えるほどでもなかったが、音楽ファンとしては、どうにもチャラそうな印象があったのだ。

 僕がシャ乱Qを知ったのは、音楽について書く仕事に就く前の、90年代の初め頃。TVの深夜番組か何かで演奏する彼らを観て、どこか水商売的なバンドのムードやその歌に「これ、歌謡曲だよな」と感じたものだ(当時を覚えている方ならわかってくれるだろう)。ライヴハウスで活動をしてきたというが、ロック・バンドらしさはあまり感じなかった。大阪時代にはウルフルズ(もちろん彼らも有名になる前だ)とも対バンしていたらしいが、ウルフルズに比べ、シャ乱Qをロックとして捉える見方はほとんどなかったと思う。まあ、それは今も大差ないか。

 デビューからしばらくは下積みのような低空飛行を続けた彼らだが、地道な努力が実って、スマッシュヒットを放つ。それが94年初頭に出た「上・京・物・語」だった(下の動画、歌のスタートは1:39頃~です)。

 この歌は当時の人気TV番組『浅草橋ヤング洋品店』(浅ヤン)のエンディング曲に選ばれた。この次作シングル「恋をするだけ無駄なんて」も同じく『浅ヤン』で起用されている(1:06頃~)。

 もっとも僕個人は「おお、シャ乱Qもやっと売れ始めたか」なんて感慨に浸ったわけでもなかった。最初の印象の延長で、相変わらず歌が好きになれなかったからだ。ベタで、コッテコテで、やっぱり歌謡曲のアクの部分を抽出してるみたいで。この、人情というか、過剰に人間くさいところが苦手だったのだ。それも、表面的なところでなく、心の根っこまで掘り起こされるくらいの感情が込められているのが。

 しかも、つんくを筆頭に、メンバーの見た目もケバケバしく、それはもう関西の最も濃い部分をあえて盛っているかのように見えた。何もかもが下世話なバンドじゃないか、と。僕は関西の大学に通ってたし(詳細は後述)、親戚も多いし、なんたって阪神ファンなので、かの地の風土は大好きなのだが、時たま出会う個性が強烈すぎる人にはついていけないことがあるのだ。

 そうこうしているうちに、シャ乱Qはついに大ブレークを果たす。1994年秋、世間に認知される決定打となったのが「シングルベッド」だった(1:04頃~)。

 前述した、僕がどうにも苦手な部分をさらに濃厚にしたラブ・バラードだ。涙、失恋、未練……もはや歌謡曲というより演歌に近い。この歌でシャ乱Qは見事にヒットチャートの上位進出を遂げたのである。

 それ以降の彼らはあらゆるメディアに露出するようになり、メンバーのキャラクターやバンドの背景もだんだんと知られるようになっていった。そんな中、何かの記事で彼らが近畿大学の出身であることを知り、驚いた。そう、僕と同じ大学なのである。マジかいな!? まあシャ乱Qのほうが数年下で、僕とはほぼかぶってないくらいだけど。しかも、さらにのちにわかったのは、つんくは僕と同じ経営学部の学生だったということ。MIPS(当時の学生向けのコンピュータールーム)とか使うてたんかなぁ。僕は入り浸ってました。

 とはいえ、僕は相変わらずつんくに親近感を覚えたわけでもなく、「シングルベッド」のヒットについても冷めた目で見ていた。それどころか、下積みの時期には、自分たちの曲を有線放送に電話リクエストしていたという、これまた浪花節的なエピソードが聞こえてきたりして、「ま~たまた、コッテコテなことしよってからに」などと思っていた。

 ところが次に、洋楽好きとしてはソソられるヒット曲が出たのである。翌95年の「ズルい女」だ(1:04頃~)。

 ホーンのフレーズがインパクトのある曲で、この繰り返しがじつにカッコいい(サンプリング的だとも感じたほどだ)。また、バンドが奏でる分厚いリズムは、当時のハウス・ミュージックを通過したUKロックの影響さえ感じさせた。歌やメロディは相変わらず歌謡チックだが、「アゥ!」と叫ぶつんくは、もしかしたらプリンスを意識していたのだろうか。

 そして曲の大きなポイントは、彼のファルセットだった。サビ頭の「♪Bye-Bye ありがとう さよなら 愛しい恋人よ~」の「さ」のところで声を裏返らせている。歌謡曲の色気を、そして自分のチャームポイントをよくわかっているんだなぁと思った。

 シャ乱Q、案外やるやん。そう思ってたところに、今度は自分のツボをさらに突かれるタイプの曲が来てしまった。「空を見なよ」である(0:47頃~)。

 メロディも親しみやすいこの曲だが、僕が惹かれたのはギターの音色だった。これ、もろにフォークロックと呼んでいいサウンドである(60年代のザ・バーズとかね)。シャ乱Q得意のコテコテではなく、ちょっと叙情的な歌。作曲はギタリストのはたけで、なるほど納得だ。シャ乱Q、こんな叙情的な音が作れるんか? と驚愕したものだった。

 このへんから、シャ乱Qのサウンドへの視線を変えざるを得なくなった。そう思うと、「上・京・物・語」なんかは繊細なギター・サウンドが明らかにU2の影響下にあるし、粘っこいキーボードもニューウェイヴ的だと気づく。

 どの曲も歌メロは歌謡曲だし、大っぴらにロック・バンドを気取ってはいないし、彼らが目指していたのはロック・ファンよりも大衆的な層からの支持だっただろう。なのに音楽的には、じつに巧妙に洋楽ロックを取り入れていたのだ。もっと早く気づかんかい、という声が聞こえてきそうだが、当時の僕はやっと今の仕事を始めたくらいだったのだ。それに言い訳めくが、このバンドについては先入観があまりに大きすぎた。

 こうなると、もう次の曲が楽しみになってきたくらいである。濡れしょぼったメロディを持つ「My Babe 君が眠るまで」のギターのカッティングが響く音像は、ザ・ポリスの「ロクサーヌ」を意識しているに違いない(0:28頃~)。

 96年春のシングル「いいわけ」の焦点は、ハードなサウンドも際立っているが、むしろディスコ的なリズムの感覚に注目したい。これは、のちのつんく♂のプロデュース・ワークでも生かされるからだ(0:30頃~)。

 こうしてヒットを連ねていくシャ乱Qが気になってしょうがなくなった僕は、この頃、取材という名目で彼らのライヴを日本武道館に観に行った。あくまで興味本位的ではあったが、生での演奏を一度体験しておきたかったのだ。

 そのステージは本当にエンタテインメント性にあふれていて、彼らはお客さんを楽しませることに全力を尽くしていた。歌や演奏が優れていたのはもちろん、クライマックスではキーボードのたいせいが宙吊りになり、上空でグルグルと回転するというすさまじい演出があった。

 何をバカなことやってんだよ! とツッコみたくもなったが、冷静に振り返れば、KISSだって宙吊りになったりはしているわけで。そうしてみると、あのケバい衣装はグラム・ロックとかニュー・ロマンティックを独自に解釈したもの? なんてふうにも思えてくる。また、そうして体を張ってでも盛り上げようという意思は、叩き上げの彼ららしさでもあるように感じた。

 また、この頃、確か音楽雑誌の『GB』(ソニー・マガジンズ)で見かけたつんくのインタビューで、せっかく使いこなしていた携帯電話をなくしてしまったという話をしていたのを覚えている。そこには多くの女性の連絡先を入れていたようで、彼はそれらが自分の手元から全部なくなったことを残念がっていた。そんなふうに「ズルい女」ならぬ「チャラい男」を気取るつんくには、ちょっとしたプロ根性を感じたものだ。まあ内心、「ま~たまた」と警戒はしていたのだが。

 ともかく、自分たちの音楽やパフォーマンスを徹底的に磨き、そこで徹底的に突き抜けたことで、シャ乱Qは大成功を手に入れたのだと思う。

 しかし、シャ乱Qの人気も90年代の後半には落ち着き、バンドとしての動きは徐々に静かなものになっていった。メンバーは個々の活動に入っていく中、つんくは今度はプロデューサーとしての手腕を発揮し始める。

 そこでの最大の成功例がモーニング娘。だった。今回は彼およびシャ乱Qに特化した記事なので詳しくは書かないが、このグループが1999年にリリースした大ヒット曲「LOVEマシーン」(もちろん作詞・作曲はつんく)がアイドル・ポップの枠を大きく超えた名曲には間違いない。

 2000年から「つんく♂」表記となった彼は、こうしたプロデュース・ワークでもヒットメーカーとなった。特にサウンド面は、前述のディスコ・ビートへの志向が特徴のひとつとなっていた。といっても、つんく♂が網羅する音楽的なレンジは幅広いもので、コテコテとかベタではないポップソングもたくさん世に出していったのである。

 この後、つんく♂はソロで作品を出したり、シャ乱Qが再び活動したりもあったが、その頃の彼は昔のイメージからはかなり変わっていた。先見の明を持ち、新しい才能を発掘~育成し、数々のグループやユニットをヒットに導く売れっ子プロデューサー。また、会社という組織を運営する有能なビジネスマンとしての評価もされるようになっていったのだ。

 そんな最中だった2015年の春、衝撃的な発表がされる。つんく♂は喉頭がんによって声帯を失い、歌うどころか普通に話すこともできなくなったというのだ。この件は、彼がプロデュースした近畿大の入学式で発表され、大きなニュースとなった。

 当時のことは、同年秋に出版された彼の著書『だから、生きる。』(新潮社)にもつづられている。つんく♂はそれまでも本を何冊か出しているが、この『だから、生きる。』にはシャ乱Qのことからプロデューサー/ビジネスマンとしての姿勢、さらに闘病記とともに、家族への思い、そして彼個人の内面についても多く書かれている。その中には、読んでいて、腑に落ちる点も多かった。

 病気についてはツラく生々しい描写もあり、じつにリアル。それこそ「ズルい女」のファルセットの「さ」が思うように歌えなくなった時のことなんかも書いてある。それからシャ乱Qをはじめとした彼の行動原理には、ロックへのこだわりが強くあること。これは精神論的な側面が強く、非常にユニークだ。また、すべてにおいて高いプロ意識を貫いていて、その仕事への徹底ぶりはじつに力強い。いずれにしても、他の大多数と並ぶのをよしとしない意思は、シャ乱Qをはじめ、すべての彼の活動に通底していると感じた。

 ほんとに熱い男なんだなぁ、と思った。ただ、初期のイメージを持っている自分からすると、やっぱり「ま~たまた」と警戒もしてしまうのだが(すみません)。

 そして、ちょっと蛇足的な話ではあるのだが……15年にこの本が出てから、しばらくあと、つんく♂を間近で目撃したことがあった。

 あれは3年と少しだけ前の、秋だった。障がいを持つ子どもたちを支援するNPO法人「勇気の翼」の主催イベントが開かれることを知り、筆者はそこに家族で参加した。そもそもこの団体についてはハロー!プロジェクトも支援しており、ハロプロのメンバーも参加する予定になっていた。

 会場にわりと早めに到着した僕たちは、前から4~5列目に座った。イベントは「勇気の翼」の理事である細川元総理の夫人、佳代子さんのあいさつから始まったのだが……彼女が「今日、つんく♂さんがここに見えてるそうです」と言ったのだ。

 そして彼は手を挙げた。つんく♂本人が、そこにいたのだ。それは最前列の、ど真ん中の席だった。つまりそこは、これから出し物をする子どもたちの正面になる席で、僕のほんとに数列だけ前という場所だった。驚いた。

 イベントは数時間にわたって行われ、子どもたちの歌やファッションショーなどが開かれていった。そこにハロプロの女の子たちも入って、子どもたちと交流する。つんく♂はイベントの最初から最後までずっと、子どもたちに拍手を送っていたのである。

 その後ろ姿を時々見ながら、思った。忙しいだろうに、大変だろうに、大したものだなあ、と。つんく♂の活動の全容まではとても把握していないけど、こういう福祉的な側面を持つ場にも参加するんだな、と感心した。

 思えば生の彼を初めて見たのは、この20年近く前の、武道館以来だった。あの頃とはさまざまなことが変わっていたのだ。

 と、自分にはそういうこともあったりで、この長い間に、つんく♂へのイメージはかなり変化したという次第である。

 時間というのは、さまざまなものを見せてくれる。最初はよくわからない人だったり、いい印象がなかった奴でも、そこからの出来事やドラマによって、その人間の本質的な部分や根本、あるいは成長した姿を見せてくれたりする。

 あのチャラい男にしか見えなかったシャ乱Qのつんくが、今ではミュージシャン、プロデューサー、ビジネスマンとして有能で、しかもひとりの人間としても魅力的なつんく♂に感じられるのだから。これは僕だけじゃなくて、世の中的にもきっとそうだと思う。

 なんとなくでしかシャ乱Qを、つんく♂を見ていなかった自分が、今さら偉そうなことを言うつもりはない。それに、繰り返しになるが、先日の紅白で振り返られなかった平成のポップスは、シャ乱Qやハロプロ関連以外にも、たくさんある。ただ、つんく♂の影の不在を感じて、ちょっと残念な思いがよぎったのは、確かだ。

 あれこれと好きなことを書いたが、音楽やその活動を通じて、これだけ多くの思いを巡らせ、感じさせてくれた、また人生についてまで考えさせてくれたつんく♂には、感謝している。

●あおき・ゆう。
1966年、島根県生まれ。男。
94年、持ち込みをきっかけに音楽ジャーナリスト/ ライター業を開始。
洋邦のロック/ポップスを中心に執筆。
現在は雑誌『音楽と人』『テレビブロス』『コンフィデンス』『 ビートルズ・ストーリー』『昭和40年男』、
音楽情報サイト「リアルサウンド」「DI:GA online」等に寄稿。
阪神タイガース、ゲッターロボ、白バラコーヒー、ロミーナ、 出前一丁を愛し続ける。
妻子あり。
Twitterアカウントは、@you_aoki
 

【タイ移住マンガ】タイの職場を初公開! ローカルな「タウンハウス」ってどんな場所?【19話】

フツーに日本で生まれ育ち、フツーに日本人男性と付き合っていたはずの80年代生まれ女子・ふっくらボリサットが、いつのまにか「バンコク在住」に至るまでのゆるっと顛末と生活をレポート。

あんまりリゾートじゃないけど、やっぱり東南アジアな気配ただよう、タイの日常へようこそ! 

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タイの仕事場へ潜入!

――毎週金曜日に、最新話を更新。次回をお楽しみに!

ふっくらボリサット
80年代、東京都生まれ。南の国の漫画家。2013年からタイ・バンコク在住。FROGGY×note「お金マンガ投稿コンテスト」で佳作受賞。生々しい内容を描いても生々しくなりすぎないのが強み。腹筋の割れた富豪になりたい。筋トレばっかりしています。懐メロが好きな腐女子です。

インスタグラム:https://www.instagram.com/fukkuraborisat/
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<『ふっくらタイ移住まんが』バックナンバーはこちら>

【第1章】バンコク在住になったワケ

【第2章】タイと日本、それぞれの新生活

【第3章】まさかの「タイ起業」!?

【第4章】
■とうとうバンコクに招かれた!?
■はじめての国外脱出!
■タイのおもてなし大作戦

 

純烈・友井雄亮の“DV疑惑”に、ジャニーズファンがざわつき……「この人元ジャニーズJr.だよね?」

 1月10日発売の週刊誌「週刊文春」(文藝春秋)が、男性歌謡コーラスグループ・純烈の友井雄亮の“DV疑惑”を報じた。記事によると、友井は2014年ごろに同棲していたA子さんにたびたびDVを働いていたそうで、謝罪の意を記した“誓約書”を交わしたとのこと。そこには友井の本名「牧山雄亮」の署名と指印が押されていたが、「文春」の取材で友井は、誓約書にサインしたことは「ないです」と否定している。しかし、11日には友井がグループから脱退すると発表。一部では「芸能界引退」とも報じられている。

 昨年末、純烈は『第69回NHK紅白歌合戦』に初出場し、まさに今、彼らに注目が集まっているタイミングだった。それだけに、このニュースはワイドショーなどでも大きく取り上げられ……

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松坂桃李がデュエリスト“キング”に! ラジオ番組で“遊戯王コーナー”を持ってしまう

 1月18日放送の『松坂桃李のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)で、「桃★戯★王」という企画が実現。松坂桃李が大好きな『遊☆戯☆王』のコーナーを持つことになり、ファンからは「とうとうキングが成し遂げてしまったか」と歓声が上がっている。

 同番組について、松坂は「昨年『菅田将暉のオールナイトニッポン』で語った妄想告知がまさか実現するとは。今は驚きと不安が同居しております。確実に僕の中で事故物件なラジオになるんじゃないかと思います。リスナーの皆様、僕に力をお貸しください。お手柔らかに」とコメント。趣味全開の番組企画に不安を覗かせているようだった。

 松坂は度々『菅田将暉のオールナイトニッポン』(同)にゲストで出演し、アツい“遊戯王トーク”を披露。番組内では「菅田★戯★王」という企画を勝手に立ち上げ、第44回から実際にコーナーとして登場した。当初は菅田将暉も呆れぎみだったが、松坂の熱意に押され“遊戯王”にドハマり。今回はそんな松坂がメインパーソナリティーとして、待望の“遊戯王”コーナーに挑戦する。

「現在松坂はスマートフォンでも遊戯王が楽しめる『遊戯王 デュエルリンクス』をプレイしているのですが、『ちょっとゲームが上手いとかそういうレベルじゃない』と評判。同ゲームのランクは『ビギナー』『シルバー』『ゴールド』『レジェンド』『キング』と分けられているのですが、松坂は最高位の『キング』に無課金で昇りつめたと語っています。Twitterでも度々“遊戯王ツイート”を投稿しており、1月9日には『最近コアキメイルが悪さをしてますね。今月はこのカードでレジェから上がれました。色々対策あると思いますが、よかったら試しに』とカードを紹介。『捕違い』というカードの画像が添付されており、『なんのことかわからないけど楽しそうで何より!』『これはいいチョイス。さすがキング』『コアキメイルは親の仇なのでボコボコにしてください』とさまざまな層からリプライが殺到していました」(芸能ライター)

“デュエリスト”として新たなファン層の指示を集めている松坂。「桃★戯★王」の放送決定にも祝福の声が相次いでいる。

「『桃★戯★王』がメディアで取り上げられるや、SNSなどでは『キング! おめでとうございます!』『菅田ANNリスナーだけど楽しみにしてる』『デュエリストとしてこの放送は聴かなきゃ』といった声が。また『遊戯王 デュエルリンクス』公式Twitterも、『松坂桃李さん、オールナイトニッポンGOLDメインパーソナリティー就任おめでとうございます』と反応していました」(同)

 我が道を進み続ける松坂。ゲーム好きが高じてYouTuberになった本田翼のように、新しい活躍を期待したい。

“男はつらいよ”がボリウッド映画になった!? 感涙作『バジュランギおじさんと、小さな迷子』

『男はつらいよ』シリーズの主人公・寅さんが迷子の女の子と出逢い、彼女の家を探して旅を続ける。インド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のストーリーを、思いっきりざっくり説明するとそんな感じだ。“インドの寅さん”ことバジュランギおじさんは、根っからのお人よし。たまたま自分になついた女の子を連れて、インドの首都デリーから国境を越えてパキスタンまで700kmの旅をすることになる。行く先々で毎度のように大騒ぎを起こすが、最後にはみんなが“インドの寅さん”のことが大好きになる。お正月くらい、こんな映画を観てもいいんじゃないかという気にしてくれる、踊りあり、笑いあり、ホロリありの感涙作なのだ。

 寅さんが柴又帝釈天(もともとはヒンドゥー教の武神)で産湯に浸かったように、バジュランギおじさん(サルマン・カーン)も信心深い。ヒンドゥー教徒である彼は、孫悟空のモデルとも言われる猿の神さま・ハヌマーンを信仰している。浅草の雷門みたいなところで、ハヌマーンを讃えて踊っていたバジュランギを見て、迷子の女の子ヒシャーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)は「この人は絶対にいい人!」と直感。バジュランギの後をついていく。困ったバジュランギは、ヒシャーダーを警察に預けようとするも、彼女は口が不自由なため警察はまともに対応しようとしない。幼いヒシャーダーを放っておくこともできず、ひとまず下宿先へと連れて帰ることに。

 下宿に戻ったパジュランギはびっくり。クリケットの国際大会のテレビ中継を大家一家と一緒に観戦していたところ、ヒシャーダーはパキスタンチームが得点すると大喜びする。ヒシャーダーはパキスタン人だった。しかも、ヒシャーダーがモスクで祈りを捧げていたことから、イスラム教徒であることも発覚。国籍も宗教も異なるヒシャーダーの家を探そうとしていた自分のおめでたさに、愕然とするバジュランギだった。

 寅さんにマドンナがいるように、バジュランギにも想いを寄せている美女がいる。下宿先の大家の娘ラスィカー(カリーナ・カプール)に男としての度量の大きさを見せようと、「ハヌマーンさまが見守ってくれるさ」と何の手掛かりもないままヒシャーダーを連れてパキスタンへ向かうことに。しかも、諸事情あって旅券もお金もないまま、パキスタンに密入国する。インドからのスパイに違いないとパキスタン警察に追われるバジュランギは、冒険を楽しむかのようにニコニコ顔のヒシャーダーの手を引いて、珍道中を繰り広げるはめになる。

“インドの寅さん”バジュランギは、旅を続けることでいろんなことを学んでいく。パキスタン警察から逃れるためにモスクの中に隠れようとするが、扉の前で一瞬ためらう。バジュランギは敬虔なヒンドゥー教徒だからだ。イスラム教の礼拝堂に、他教徒が足を踏み入れていいものかと。そんなバジュランギを、老司祭は「モスクはあらゆる人を歓迎します。誰でもいつでも入れるよう、モスクの扉は鍵が掛かっていないんです」と温かく迎え入れる。バジュランギが旅に出ることなくインドで平穏に暮らしていれば、ずっとそのままだっただろう、イスラム教徒やパキスタン人に対する誤解や偏見が少しずつ消えていく。そして、その分だけ、ヒシャーダーの故郷へと近づくことになる。

 インドの人気俳優サルマン・カーンは、アクション映画『タイガー 伝説のスパイ』(12)でも本作を撮ったカビール・カーン監督とタッグを組んだ。『タイガー 伝説のスパイ』はサルマン・カーン扮する凄腕のスパイ・タイガー(寅さん)が、パキスタンの女スパイと禁断の恋に陥るというラブロマンスものだった。印パ戦争やカシミール紛争など争いが絶えない隣国パキスタンとの政治問題を、一般市民レベルでより掘り下げて考えてみたのが『バジュランギおじさんと、小さな迷子』だと言えそうだ。

 もともと宗教は慈悲の心で他者と接することを説いていたはずなのに、いつの間にか神さまの呼び名の違いや形式の違いを咎め、争いが起きるようになった。ヒンドゥー教の熱心な信者だったバジュランギが、イスラム教徒のヒシャーダーと仲良くなったように、もっと大らかでズボラでもいいんじゃないだろうか。インド版『男はつらいよ』を見ながら、そんなことを考える。

 マッチョなアクションスターとして人気だったサルマン・カーン。本作でもインド相撲クシュティーを披露する場面があるが、これまでとは違った父性を感じさせる抱擁力のあるキャラクターに挑戦した。困っている人、泣いている子どもを見つけたら、自分のことは後回しにしてしまうイノセントな存在だ。サンマン・カーンやカビール監督が、『男はつらいよ』を観たことがあるかどうかは分からない。でも、寅さんが旅先でバジュランギおじさんと出逢ったら、きっと言葉の壁を軽~く乗り越えて意気投合し、朝まで呑み明かすことだろう。騒ぎすぎて、とんでもないことになるはずだ。『男はつらいよ』の公開50周年となる2019年正月に、インドから粋な客人が現われたことを歓迎したい。
(文=長野辰次)

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
製作・監督・脚本/カビール・カーン
出演/サルマン・カーン、ハルシャーリー・マルホートラ、カリーナ・カプール、ナワーズッディーン・シッディーキー
配給/SPACEBOX 1月18日(金)より全国順次ロードショー
C)Eros international all rights reserved.C)SKF all rights reserved.
http://bajrangi.jp

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売れない芸人の意外な才能がYouTubeで開花! 「無駄づくり」発明家・藤原麻里菜のほどほどな生き方

「歩くたびにおっぱいが大きくなる靴」「社会人のための会社を休む理由をランダムで生成するマシーン」などなど、発明というか工作というか……、とにかく人類の進歩にあまり役立つとは思えない「無駄」なものを作り続けているYouTuber藤原麻里菜。

 2013年にYouTubeチャンネル「無駄づくり / MUDA-ZUKURI」を開設し、5年間で200
以上もの「無駄」を生み出している。

 初の著書となる『無駄なことを続けるために ~ほどほどに暮らせる稼ぎ方~』(ヨシモトブックス)では、そんな活動を通じて彼女が編み出した、スターYouTuberのように数億円は稼げないけれど、「好きなこと」を続けられる程度には稼げる、ささやかなマネタイズ戦略を紹介。

 同じく、食えるんだか食えないんだかよくわからない活動をしているフリーライターのボクが、「若いのにいろいろ考えてて偉いなぁ~」と感心しながら話を聞いたぞ!

■「すごく暗いけど面白い」お笑いをやりたい

――藤原さんって、どんな子どもだったんですか?

藤原 鬱屈してました。友達は目立っている子が多かったんで、一緒にカラオケ行った
り、マックでだべったりとかリア充っぽいことをしていたんですけど、家に帰ったらネッ
トで「デイリーポータルZ」とかを見て……。 ネットの影響で中学の頃からサブカルも加速しちゃって。漫画も「週刊少年ジャンプ」じゃなくて「つげ義春」とか。音楽も「ORANGE RANGE(オレンジレンジ)」じゃなくて「くるり」とか「SEX PISTOLS(セックス・ピストルズ)」を聴いていました。

――ああー……。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の芸人さん だったそうですけど、そんなサブカルっ子が、どうして芸人になろうと?

藤原 『あらびき団』(TBS系)が好きで、そこから若手芸人のライブにも行くようになったんです。テレビってキラキラした人が出ているけど、ライブだと「すごく暗いけど面白い人」もいっぱいいて。私も、心の底が暗いので、「こういうお笑いをやってみたいな」と思ったんです。で、大喜利のラジオにハガキを書いたら読まれて、「才能あるんじゃないか?」と思ったり(笑)。それで勘違いしてNSC(吉本総合芸能学院) に行った感じですね。でも入ったら入ったで、批評にさらされるわけで……。「つまらない自分」を受け止めなきゃならなくて、すぐに「お笑いやりたくない」ってなっちゃいました。

――コンビとかは組まなかったんですか?

藤原 一度組んだんですけど、私、メチャメチャ厳しくなっちゃうんですよ。自分でもイ
ヤになるくらい相方にいろいろ言っちゃって。でも、ピンになって最初のネタ見せで褒められたんで、「私、ひとりのほうがイケんじゃん」って(笑)。

――どんなネタをやっていたんですか?

藤原 往年のギャグの中に、フリーメイソンの陰謀が隠されている……みたいな、ネガテ
ィブなネタをやっていました。

――(笑)。

■YouTuber一本にしたほうが、道が開けるんじゃないか!?

――そんな頃、よしもと内で「YouTuberのオーディション」が行われたそうですけど、YouTuberなんて勝手になるもんじゃないですか?

藤原 私自身もそう思っていましたが、よしもとから経費を支援してもらいつつ、YouTuberになれる「オーディションに受かった人だけYouTuberをやっていい」という企画だったんです。。5年前なんでYouTuberも今ほど知られてなかったんですけど、「何かのチャンスになれば」くらいの感じで、若手芸人はほとんど、そのオーディーションを受けていました。

――オーディションでは、どんなことを?

藤原 その場で企画を書いて、「家の中にあるものでピタゴラスイッチを作る」「商店街の婦人服屋に行って、今風のコーディネートをする」みたいなものを提出したら、「ピタ
ゴラスイッチ、いいね!」と言われて、YouTuberになれる50組に選ばれたんです。でも、工作なんてやったことないし、ピタゴラスイッチなんて作れなかったので、無駄なものを作る「無駄づくり」に方向転換しようと。

――特に工作がやりたかったわけではなく「たまたま選ばれた」だけだったんですね。

藤原 当時、お笑いをやってても全然褒められなくて……。そんな時にYouTubeで「無駄づくり」をやったら、社内での評価がよかったんです。……というのも、ほかの芸人さんはネタ動画みたいなものばっかりだったんで。

――まあ、普通はそうなりますよね。

藤原 私はヘンな工作を作る、シュールすぎる動画だったんで逆に目立って(笑)。

――最初から再生数もよかった?

藤原 初期に「再生数を伸ばすためには下ネタをやれ」って言われて、「乳首を永遠に気持
ちよくさせる装置」を作ったんです。みんなYouTubeで「乳首」って検索するんでしょうね。すぐに1,000再生くらいまで行った記憶があります。ド素人なんで、イメージしたものが全然作れないし、メチャメチャ時間もかかるし……工作するのはつらかったんですけど、だんだんと自分の中で好きなものになっていったという感じですね。

――芸人よりも「無駄づくり」のほうが向いているんじゃないかと?

藤原 私、水道橋博士の本とかを読んでいたんで、中途半端にYouTuberをやっているのが、自分の中で許せなくて……。だったら芸人をスパッと辞めて、YouTuber一本にしたほうが、道が開けるんじゃないかと。

――でも結果的に、今でもよしもとに所属しているんですよね?

藤原 偉い人に「辞めたいです」と言いに行ったら「ここは興行会社だから、芸人じゃなくてもいいんだよ。面白いことをやりたいんだったら、絶対ウチにいたほうがいいから」って言ってもらえたんです。

――YouTuber一本に絞るに当たって、何か戦略はあったんですか?

藤原 とりあえず「新しい面白いことをしよう」とは思っていました。そうなると技術が
必要になるので、電子工作の勉強もして。

――面白い工作というと「見た目を面白くする」という方向もありますけど、中身を工夫
する方向に行ったんですね。今でも、ガワはわりとガラクタみたいですし……。

藤原 そうですね、骨組みだけで(笑)。私が作る工作は、コンセプトが面白いのはもちろん、それとは別の軸で「ヘンな動きをする」という面白さも出したいと思っていて。そういう意味でも、電子工作のほうが向いていると思ったんですよね。

――工作のテーマとしては「鬱屈した感情」が大きいということですが、普段、そんな
に鬱屈してるんですか?

藤原 してますね! 「人に対してメチャメチャ嫉妬心が強い」とか「承認欲求がすごい」とか。生活している中で、格好つけている自分が嫌になったり、ダメな自分に気づいたりした時に、「無駄づくり」として昇華させるとスッキリするんです。

――「壁ドンされたいけど相手がいないから、マシーンを作った」みたいに、欲望を具現
化した工作が多いですけど、別にマシーンに壁ドンされたところで欲望は解消されないで
すよね……?

藤原 されないですね(笑)。「こういう欲望を抱えて、こんなモノを作っているヤバい女がいる」みたいなところまで含めて、ネタとしてウケれば満足です。ウケなかったら、またフラストレーションがたまりますけど。

■何か稼げる方法があるんじゃないか

――芸人をやったり、ヘンな工作をしたり、稼げるんだか稼げないんだかわからない活動
を続けてきて、今回の本のように「続けていくには、稼がないと!」という意識に目覚め
たのはいつ頃なんですか?

藤原 2年くらい前ですね。某ウェブライターさんと話す機会があって「YouTubeで、
月5,000円ぐらいしか稼げてないんです」みたいな話をしたんです。お金がない上に東京で一人暮らししてたんで、メチャメチャ借金してて。そうしたら、「俺は自分のことを面白いと思ってるし、世界中のみんなが俺の記事を待ってるって信じている。それなのに『お金がない』という理由で面白いことができなくなったら、みんなかわいそうじゃん。だから、ちゃんと稼いでいかないと!」って言われて。それでハッとしました。芸人出身なんで、稼げないことが当たり前だと思ってたんですよ。

――芸人の世界って、スターになるかバイト生活か……みたいなところがありますもんね。

藤原 だからYouTuberでも、メチャメチャ人気者にならないと稼げないと、ずっと思っていたんです。でも、何か稼げる方法があるんじゃないかと思って、ブログを一生懸命更新するようにしたら、それを見たウェブメディアの人が仕事をくれたり。Twitterのフォロワーを増やしたら、プロモーションの仕事が入ったり。 そういうのがドンドンつながっていって、原稿料やプロモーションのおかげで、「無駄づくり」だけで普通に生活できるようになったんです。

――「とりあえず生き抜いて続けていく」って重要ですよね。芸人でもライターでも、長
くやってると売れるか、やめるか、死ぬか……になっちゃうんで。

藤原 やめるのは何回も考えたんですよ。続けていても、全然お金にならなかったし……。

――その時期に辞 めなかった理由は?

藤原 うーん、「場所がそこしかなかった」からですかね。辞 めてもほかにやることがなかったから「とりあえず『無駄づくり』やっとくか」みたいな。たとえばその頃に、いい企業から「ウチに入らない?」と言われていたら、辞 めてそっちに行ってたかもしれません。

■ずーっと続けていけたら、すごくいい人生

――今回の本の企画は、よしもとから?

藤原 そうです。昨年のお正月に書いた「稼ぎ方」の記事をきっかけに声をかけてもらいました。。

――この本って、「ヘンなことをやってきた人が、手の内を明かしちゃう」みたいな部分もあるじゃないですか。そこはイヤじゃなかったんですか?

藤原 メチャメチャ悩みました。こんなふざけてる人が真面目なことを書くなんて……。
「でも、本出して~しな~」と(笑)。そんな感じで引き受けたんですけど、「私、『無駄づくり』のこういうところが好きなんだ」「こういう理由で続けてるんだ」と、書けば書くほど自分のことがわかってきて、面白かったです。

――若いのにちゃんと考えてて、偉いな~と思いましたよ。今のところ「とにかく続ける」を第一にやってるわけですが、今度の展望としては?

藤原 「やめようかな」と思いながらも続けてきた結果、本を出せたり、台湾で個展をや
れたり、自分が全然想像していなかった方向に「無駄づくり」がメチャメチャ大きくなっ
てる気がして。 これからも、とりあえず続けていって「無駄づくり」がもっと広がれば面白いなと思います。

――特に「コレがやりたい!」とかはない?

藤原 自分から「やりたい!」ということは少ないんですが、「無駄づくり」をやっていると時々、ヘンな依頼が来るんですよ。そういうのに一個一個丁寧に食らいついていって、ヘンなものが出来上がって、それがまた別のヘンな話につながって……みたいなことをずーっと続けていけたら、すごくいい人生なんじゃないかと思っています。
(取材・文=北村ヂン)

「ハローキティ」は仕事を選ばないってホント? サンリオ広報が明かす“知られざるNG項目”

 サンリオの看板キャラクターである「ハローキティ」は1974年に誕生し、来年でなんと45周年を迎える。芸歴45年と考えるとかなりのベテランだが、いまも彼女は「仕事を選ばない」といわれるほどの働き者。あらゆるグッズに顔を見せたと思えば、自らをさまざまな有名キャラクターと一体化させたようなコラボビジネスにも精を出している。そんな様子について、ネット上では「キティちゃんは節操がない」ともいわれているが、実際にキティは仕事を選ばないのか? 株式会社サンリオの広報課に話を聞いた。

■タイアップ案件はサンリオ側からも声をかけている

 サンリオが生み出したキャラクターたちの人気投票である「サンリオキャラクター大賞」の本年度1位は「シナモロール」が獲得、昨年に続き2連覇を達成した。近年、台湾では「マイメロディ」(5位)の人気が伸び、中国でも「ぐでたま」(8位)の新商品開発が進むなど、振興のキャラクターが勢いづいているという一方、サンリオの顔である「ハローキティ」は最終4位とトップ3に入ることができなかった。

「今年は4位に甘んじてしまいましたが、弊社のエースは間違いなく『ハローキティ』です。サンリオの商品は世界130カ国で販売されていますが、どの国でも売り上げ1位はキティ。それだけ全世界にファンがいるという証拠です」

 「キャラクター大賞」はアイドルの総選挙のように、ひとりで複数投票が可能などさまざまな理由から、「キャラクター大賞の順位=実人気」ではないという。

 キティちゃんは売り上げトップだけでなく、ライセンス契約、つまり企業などとのタイアップ件数も社内トップの稼ぎ頭だ。そもそもサンリオが他社とタイアップするというコラボレーション路線を切り開いたのもキティちゃんであり、2000年代に入って、その案件数は飛躍的に増えたという。こうした他社との共同グッズ開発は、どのように進めているのだろうか?

「先方からお話をいただくこともありますが、こちらからお声がけをする場合も多いですね」

 大ベテランのキティちゃんから、国内外の企業・アーティストへタッグを組もうと持ちかけるとは意外だが、これにはサンリオの企業理念が関係しているという。

「弊社のキャラクターを使用して、他社さまが新規のファンを獲得できれば――というのが基本思想です。例えば老舗の食品企業は顧客層が高齢化していて若い客層を取り込みづらいということが多いのですが、パッケージにキティがいるだけで、幅広いお客さまが手に取ってくれるようになるんです」

 今年6月の株主総会でサンリオの辻信太郎社長が「良い商品なのに売れていない商品があれば、サンリオとコラボすれば売れる」という趣旨の発言をし、話題になったが、世の売れていない商品をも盛り上げることが、キティちゃんが仕事を選ばないといわれる理由なのだ。これはまさに「世界中がみんな“なかよく”」というサンリオの企業理念に基づいているともいえる。キティちゃんは多くの相手と「なかよく」することでライセンス使用料を得て、自社の経営を支えているというわけだ。

 さまざまな商品に顔を出し、他のキャラクターとコラボするときには原形をとどめないほどの仮装ぶりを発揮しているキティちゃんだが、「NGナシ」というわけではないという。

「弊社の企業理念の『世界中がみんな“なかよく”』に反するものはお断りしています。例えば包丁は悪意のある人が手にすれば人を傷つける道具になってしまう恐れがあるため、要望があっても作らないようにしているんです」

 過去に一時期カッターナイフを製造していたこともあるが、現在は刃を研いでいない子ども用の練習包丁を除き、ナイフ・包丁類は商品化しないという。

「キティをはじめ、サンリオキャラクターたちが人を傷つけたり、暴力を振るったりする姿は絶対に描きません。このポリシーを守るために、バトル要素のあるゲームなどにも出演は難しく、『仕事を選んでいる』というのが本音です」

■「仕事を選ばない」あまりに困ったことも

 NGナシのように見えたキティちゃんでも、実際には会社のルールによって仕事を選び、断っていた案件もあった。しかし、それ以外では、かなり柔軟に対応していることも事実。では、ファンである“キティラー”たちは、キティちゃんの七変化を、どう思っているのだろうか?

「キティファンの皆様はキティの可能性や柔軟性をご存じなので、キティがどんな姿になっても、あまり驚かない方が多い印象があります」

 過去のさまざまなコラボで鍛え上げられたキティラーたちは、どんな風貌のキティちゃんを目にしても、動じることはないらしい。しかし、キティラーたちの順応力が高すぎるがゆえに、困ってしまったケースもあるという。

「以前、キティの姿をした『会話型ロボット』を開発した際、ネット上にこのキティを塗り替えた『ガンダムバージョン』や『ダースベイダーバージョン』といったフェイク画像が出回ったのです。弊社では関わっていないニセグッズなのですが、弊社がいろんな企業さんとグッズを開発しているため、多くの人が公式のグッズだと受け入れてしまい、対応に追われたことがあります」

 仕事を選ばなそうにみえるキティちゃんだが、すべてのコラボは「世界中がみんな“なかよく”」というポリシーに基づいている。なので、これはどうなの? と感じたサンリオグッズがあったら、公式かどうかを調べてみてほしい。たぶん、1割くらいはニセ物で、あとのほとんどはオフィシャルだろう。きっとキティちゃんの懐の深さ、サンリオの「みんな“なかよく”」精神の意味を改めて知ることになるはずだ。