こんにちは、保安員の澄江です。
先日、執行猶予中にもかかわらず万引きを繰り返して、逮捕起訴された元マラソン選手の原裕美子元被告に対して、再度の執行猶予判決が下されました。原元被告は、現役時代から続く摂食障害、また、衝動を抑えられずに万引きを繰り返してしまう窃盗症(クレプトマニア)の治療を受けているそうで、今回、執行猶予判決となった理由は、「治療の継続は再犯防止に一定程度効果がある。社会内での更生に向けた態勢が整っている」からとのこと。執行猶予中に再度犯罪を犯せば、実刑判決というのが司法のセオリーですが、近頃は窃盗症という病名により、再度の執行猶予判決を得る摂食障害系万引き常習者が増えているのです。
しかし現場で多くの万引き犯の言動を目撃している私たちは、昨今の“クレプトマニアへ救済の手を”という流れがどうしても理解できません。今回、前後編に分けて、なぜベテラン万引きGメンである私がそう感じているのかを、お伝えしていきたいと思います。前編では、香川大学教育学部准教授で教育心理学・犯罪心理学・社会心理学をご専門にしている大久保智生先生にお話をお聞きしながら、私がクレプトマニアに抱いている違和感を紐解いていこうと思います。
大久保先生いわく、「クレプトマニアはアメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアルで疾患として認められていますが、日本だけではなくアメリカなどでもクレプトマニアについての診断は難しいととらえられています。日本ではクレプトマニアの基準について、一部の精神科医が疑問を投げかけていて、診断が難しいにもかかわらず、積極的に診断が行われている現状があります」とのこと。やはり日本のマスコミで取り上げられている状況を、そのまま受け止めるのは難しく思えてきます。
テレビに出ていた精神保健福祉士によると、万引きを止やめたくてもやめられなかったり、気がついたら盗ってしまっているとか、自分の気持ちだけではコントロールできないという症状のある人は、窃盗症の疑いがあると話していました。家族関係や家庭環境に問題を抱える人が多く、摂食障害による過食嘔吐を繰り返して経済的に苦しくなると、食べ吐きを繰り返す目的のために商品を盗むようになるのが窃盗症の典型例だそうです。ですが、大久保先生は「厳格に診断基準を適用すると診断がつかないというのはアメリカも日本も同様です」と言われており、このような理由だけでは簡単に診断ができない事実もあるといいます。
確かに、万引きする人は孤独で、経済的に恵まれないような状態にある方ばかりなので、精神科医などが病気だと認めれば多くの被疑者が何かしらの疾患に該当してしまうことでしょう。しかし、それらを全てクレプトマニアだと決めるのは、専門家の目からするといささか疑問に感じると大久保先生は言います。。
「日本では現在、一部の精神科医と弁護士を中心として、万引きを繰り返す常習者を積極的に疾患としてとらえていく傾向がありますが、クレプトマニアを疾患ととらえることが何をもたらすのかについて議論されていないのが現状です。全米万引き防止協会(National Association for Shoplifting Prevention)によると、アメリカではクレプトマニアの診断が裁判所の判断に影響を及ぼすことはないそうです。しかし、日本では一部の精神科医と弁護士が疾患を理由に減刑させるための活動を行っています。私の行った調査によると、クレプトマニアのふりをしている人もいると思う精神科医は約8割存在しており、その結果をみても現状に違和感を覚えます」
医療現場においてクレプトマニアの診断は難しく、また減刑目的の詐病者がいる可能性がある。それにもかかわらず「刑罰より治療を」とする声を、多くのメディアが取り上げていました。先生の話を聞いていると、それがクレプトマニアではない万引き犯に対する免罪符にもなりかねず、言い訳による犯罪格差のようなものまで感じてしまいます。
大久保先生も同様に危惧されています。
「万引きとは、悪いことはわかっているが、言い訳ができてしまう犯罪であると私は思います。クレプトマニアという診断がつけば、とても都合の良い言い訳になってしまうわけです。専門的に言うと、現在の日本では、クレプトマニアが万引きの動機の語彙として用いられてしまうということではないでしょうか」
さらに、クレプトマニアに関係する一部の医療関係者や法曹関係者について、先生はこう指摘されました。
「私の調べで、『診断は難しい』と考える精神科医は約8割存在し、積極的に診断をしていくことの賛否は、ほぼ半々です。非常に診断が難しい現状であるにもかかわらず、一部の精神科医が積極的に診断し、そうした被告の弁護を専門的に受任する弁護士が存在している。つまりクレプトマニアが利用されている、言ってしまえばビジネスになりつつあると感じています」
万引きの現場を知る保安員からみても、果たして「現代の医療現場ではっきりと診断できない病気を、犯行理由にしていいものだろうか」と、大きな疑問を覚えます。
報道によると、クレプトマニアと診断された原元被告は、化粧品なども盗んでいたそうですが、摂食障害系の万引き常習者の女性が食料品以外の商品に手をつけることは滅多にありません。また、万引き実行後には、捕まえてほしくて店員と目を合わせたこともあったと、原元被告は涙ながらに話していましたが、現場に立つ私たちの観点からいえば、捕捉を恐れて店内の様子を見まわす事後動作(周囲を窺い、不自然に後方を振り返る動作)ともいえ、それこそが彼女の抱える犯意の表れだと考えてしまいます。
原元被告のように「気がついたら盗っていた」「頭の中が真っ白になり、パーッとなった」と言い訳する常習者も多く、でもその割には巧みな手口で多くの商品を盗み出していくので、このような弁解を信じたことはありません。例えば認知症患者による万引きの場合には、悪意がないためなのか、周囲を窺うなど不審な挙動を示さないまま、まるで自分の家にあるものを扱うように堂々と実行していきます。たとえ頭の中が真っ白になったり、パーッとなったとしても、善悪の判断基準があるにもかかわらず、その衝動を制御できずに一線を越えてしまうことが犯罪だと思うのです。
さらに、原元被告は、最後に捕まる時まで数えきれぬくらい万引きしてきたと、過去の犯行も告白していました。果たして、過去に盗んだ商品の賠償は、どうするつもりなのでしょうか。どこでどれだけ盗んだか、正確にはわからないでしょうから、全てを賠償することは、およそ不可能なこと。たとえ彼女の贖罪や治療が済んだとしても、その被害が消えることはないのです。
「私、本当はこんなことする人間じゃないんです。病気の影響なんです」
これは万引きして捕捉された中年女性が、よく言うセリフの1つですが、原元被告は、このタイプなのかもしれませんね。一連の発言を聞いていて、病気の影響を理由に、その罪が軽減されることに、現場で彼らと関わる者として、大きな違和感を覚えたのは言うまでもありません。
後編では、私が実際に経験した「摂食障害を主張する万引き常習犯」について語ろうと思います。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)
(後編につづく)