ゆずは12月17日、サイト上で「今年も残りわずか。12月19日(水)には、ゆず2018年を締めくくる映像作品『LIVE FILMS BIG YELL』が発売になります。そんな中、ゆずから今後の活動について重要なお知らせがあります。発表日時は12月19日(水)21:00。同日、ゆずのオフィシャルSNSをチェックしていてください。よろしくお願いします」との文章を連名で発表。ネットニュースで取り上げられると、SNS上には「まさか解散!?」「不倫じゃないよね」などと、心配の声が多数上がった。
また、アルバム『SWEET 19 BLUES』の前後は、安室の音楽性も転換点を迎えていた。そもそも安室はダンス・グループのSUPER MONKEY’Sの一員としてデビューした人である。やがてグループのメインに抜擢され、大きなヒットを放つようになったのは95年の「TRY ME~私を信じて~」から。この後からは彼女のソロ名義となり、その後、続いた「太陽のSEASON」「Stop the music」といったヒット曲の核にあったのは流れるようなユーロビートだった。これらは、いずれも洋楽のカバー曲である。
それが、95年の後半からは小室哲哉のプロデュース、楽曲も彼の書き下ろしとなる。ここからのヒット・シングルは「Body Feels EXIT」、次の「Chase the Chance」と、ユーロビートの感覚を踏襲しながらも、そこにハウス的なビートとロックな音色を配合し、より太いサウンドへと変化していっている。
そして鮮やかだったのは、「Chase the Chance」から3カ月後に出た「Don’t wanna cry」だった。シェイクするようなビートの反復、ソウルフルに唄い上げるヴォーカル、それにコーラス。ホットな一体感が情熱を浮き彫りにするこの楽曲は、安室自身がかねてから憧れていたジャネット・ジャクソンに代表される当時のブラック・ミュージック~R&Bを志向したものだった。
この後にはハウスのビートが疾走する「You’re my sunshine」と、先述のアルバムからのバラード「SWEET 19 BLUES」のリカットを挟み、晩秋、ブラック路線をさらに推し進めたポップ・ナンバー「a walk in the park」が登場する。
プロデューサー・小室は、この後も挑戦を怠らなかった。翌97年の初頭にはかの名曲「CAN YOU CELEBRATE?」が誕生する。今も万人から愛され続ける、祝福の歌だ。
また僕個人は、その後のシングル「How to be a Girl」にも強く魅了された。当時「デジタル・ロック」と呼ばれたケミカル・ブラザーズあたりのサウンドを意識したと思われる、ダンサブルでクールなナンバーである。こうして小室は、合間にバラードを挟みながら、主にアップテンポの曲で安室の歌の世界を広げていった。この時期、現代的なブラック・ミュージックを主体にしながら、小室とともにあらゆる方向性にアプローチしたことは、安室というアーティストにとって貴重な糧になっているはずである。
以後の安室は、結婚・出産という人生の一大イベントが起こったことで、活動としてはひとつの区切りを迎える。そこからの休止期間を経て、シーンに復帰したのは98年の暮れのこと。翌99年の春には「RESPECT the POWER OF LOVE」というゴスペル的なコーラスも印象的な曲を出している。しかし彼女の歌は、小室哲哉という巨大な才能の手のひらからも次第にあふれ出ていくことになる。
この年にエポックだったのは、9月、もろにR&B路線の「SOMETHING ‘BOUT THE KISS」をリリースしたことだった。TLCやモニカなど、すでに世界的な知名度を誇るダラス・オースティンをプロデューサーに迎えての楽曲だった。安室はここから本場の、ホンモノのプロデューサーたちとも仕事をするようになっていったのだ。そして結果、彼らとも堂々と渡り合うのだから、本当に大したシンガーだと思う。
21世紀に入ると、安室は完全に新しい制作態勢へと移行していった。小室とのコラボは2001年のシングル「think of me/no more tears」までとなり、その後は新たな作家陣に託したり、また彼女自身が詞を書くケースも出てくる。特に02年の「I WILL」は、ファンに対する純粋な思いが表れたバラードだ。ちなみにこの年には、プライベートではシングルマザーになったことも報道されている。