ニコール・キッドマンが大女優を演じる! 映画『グレース・オブ・モナコ』DVDプレゼント

 かの有名な女優マリリン・モンローと同時代に活躍した女優であり、モナコ公国の公妃となったグレース・ケリー。今回は、そんな彼女の人生を題材にした映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』をご紹介いたします。主演を演じたのは、『めぐりあう時間たち』や『奥さまは魔女』など、さまざまなヒット作に出演しているニコール・キッドマン。オスカー女優である彼女が、伝説の大女優を演じた渾身の主演作は、一体どのような内容となっているのでしょうか。早速あらすじを見ていきましょう!

 人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主・レーニエと結婚し、女優業から引退したグレース・ケリー。それから6年、彼女はいまだにモナコ宮殿のしきたりに馴染めずにいた。そんなある日、グレースはヒッチコックからハリウッドへの復帰を誘われる。しかしその頃、レーニエは、国の存続をも危ぶむ過去最大の危機に直面していた。愛する家族を守るため、そして慣れない環境で見失っていた自分を取り戻すため、覚悟を決めたグレースは、自分にしかできない秘策を考え出すことに……。

 本作は、歴史的事実にフィクションを織り交ぜたサスペンス作品。また、ヒッチコックやマリアカラス、オナシスなど、歴史を動かしたセレブリティも登場し、まるでタイムスリップした過去の世界を見ているかのよう! しかし、どうやらモナコ公国の王族たちには評判が悪かったようで、同作が上映された「カンヌ映画祭」に不参加だったことが話題になっていました。

 今回は、映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』のDVDを3名の方にプレゼント。「梅雨でなんだか気分が上がらないわ~」という方、ぜひ華やかな映画世界に浸ってください。 ご応募お待ちしております。

※7月2日〆

ご応募はこちらから
カテゴリー: 未分類

ニコール・キッドマンが大女優を演じる! 映画『グレース・オブ・モナコ』DVDプレゼント

 かの有名な女優マリリン・モンローと同時代に活躍した女優であり、モナコ公国の公妃となったグレース・ケリー。今回は、そんな彼女の人生を題材にした映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』をご紹介いたします。主演を演じたのは、『めぐりあう時間たち』や『奥さまは魔女』など、さまざまなヒット作に出演しているニコール・キッドマン。オスカー女優である彼女が、伝説の大女優を演じた渾身の主演作は、一体どのような内容となっているのでしょうか。早速あらすじを見ていきましょう!

 人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主・レーニエと結婚し、女優業から引退したグレース・ケリー。それから6年、彼女はいまだにモナコ宮殿のしきたりに馴染めずにいた。そんなある日、グレースはヒッチコックからハリウッドへの復帰を誘われる。しかしその頃、レーニエは、国の存続をも危ぶむ過去最大の危機に直面していた。愛する家族を守るため、そして慣れない環境で見失っていた自分を取り戻すため、覚悟を決めたグレースは、自分にしかできない秘策を考え出すことに……。

 本作は、歴史的事実にフィクションを織り交ぜたサスペンス作品。また、ヒッチコックやマリアカラス、オナシスなど、歴史を動かしたセレブリティも登場し、まるでタイムスリップした過去の世界を見ているかのよう! しかし、どうやらモナコ公国の王族たちには評判が悪かったようで、同作が上映された「カンヌ映画祭」に不参加だったことが話題になっていました。

 今回は、映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』のDVDを3名の方にプレゼント。「梅雨でなんだか気分が上がらないわ~」という方、ぜひ華やかな映画世界に浸ってください。 ご応募お待ちしております。

※7月2日〆

ご応募はこちらから
カテゴリー: 未分類

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

 「表現の自由はどうなるんだ」「現実とフィクションの違いもわからないなんて」「じゃあサスペンスドラマも全部放送中止だね」――テレビ朝日が6月18日、7月開始予定の連続ドラマ『幸色のワンルーム』の放送を取りやめることを発表した途端、ネット上には、こんな激しい言葉が飛び交うこことなった。

 同ドラマの原作は、もともと2016年9月より『世の中いろんな人がいると言う話』というタイトルでTwitterに投稿された作品で、翌17年2月からは漫画サイト「ガンガンpixivコミック」にて連載が始まり、コミックスは重版含め累計75万部を突破している。

 両親から虐待、同級生からイジメ、教師から性的暴行を受け、行き場を失った14歳の少女が、ある日、マスク姿の“お兄さん”に誘拐され、“幸”という名をもらい、同居生活を送る――というストーリーだ。原作漫画が公開されているサイトでは、「その日、少女は誘拐された。しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。 少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?」といったあらすじ紹介が確認できる。

 今回、テレビ朝日が放送を取りやめた背景には、同作が、「実際の誘拐事件をモチーフにしているのではないか」「被害者を傷つける」「誘拐を肯定している」などと批判されたことが関係するとみられる。ネット上では以前から、埼玉県朝霞市で誘拐された少女が2年の監禁生活を経て、16年3月に保護された事件を想起させるといわれ、原作のはくり氏は事件と作品は無関係だとしつつも、物議を醸していたのだ。

 しかし、ひとたび放送取りやめのニュースが流れると、一転してネット上には異論が噴出することに。あくまでフィクションの作品であり、これまでも犯罪を扱った作品は多数あるにもかかわらず、なぜ『幸色のワンルーム』だけ……といった論調で、『ルパン三世』『名探偵コナン』といったアニメ作品、また実際に起こった犯罪をモチーフにしたドラマや映画作品などの例を出し、「これらも放送してはいけないことになる」と声を上げたのだ。

 そこで今回、『幸色のワンルーム』の実写ドラマ化が発表された際、Twitter上で、“反対”を表明した弁護士・太田啓子氏に取材を行った。なぜ、同作を実写ドラマ化すべきではないのか、「あくまでフィクション」と主張している人が見落としている“視点”を詳しく解説してもらった。

 太田氏は、同作のキャラクター・幸について、「誘拐された方も喜んでる」という描かれ方をされていることに対して、疑問を抱いているようだ。

「『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。例えば、現実で殺人事件が起きたときに、『殺害された方も喜んでる』なんて言う人はいませんが、女の子が誘拐されたとき、『誘拐された方も喜んでる』『家出した女子を家にかくまっただけ』『女子も男の心につけこんで、いい思いをしていた』などと言う人が出てきます。『誘拐は、被害者の意思に反している』『被害者は、怖くて誘拐犯から離れられなかった』という当たり前のことを、当たり前だと思えない人がいるのです」

 『幸色のワンルーム』のモチーフになったのではないかとされる朝霞市の事件でも、同様のことを口にする人はいた。少女が閉じ込められていたアパートの周辺は住宅街で、コンビニや交番などもあり、少女が1人でスーパーに買い物に行くこともあったなどと報じられると、「少女は逃げたくないから逃げなかった」といった声も出てきたのだ。しかし実際、「怖くて逃げ出せなかった」と少女は供述している。

 また太田氏は、「殺人犯」「強盗犯」と「誘拐犯」では、その行為自体への認知に違いがあると指摘する。

「現実の殺人事件、強盗事件の犯人は『これは人を殺す行為だ』『これは強盗だ』ということを通常は認識しているでしょう。その上で『こんなひどいやつは殺されて当然なんだ』『金に困っていたんだから仕方なかったんだ』『あいつは金持ちなんだから、これくらいとられてもどうってことないはずだ』などと、その行為を正当化したり軽く考えようとするようなことはあるかもしれませんが、行為そのものが『人を殺す行為だ』とか『無理矢理財産を奪う行為だ』という認識は普通はしているはずです」

 しかし一方で、誘拐犯はというと、「例えば、朝霞市での事件や新潟で女児を9年監禁していた事件などでは、犯人は『仲の良い友達として暮らしていた』『自分と一緒にいることを嫌がっていたはずはない』などという趣旨の供述をします。罪を軽くしたくて嘘を強弁しているというより、行為自体への認知が歪んでおり、本気でそのように思い込んでいるのではないでしょうか。強盗や殺人と違い、そもそも自分の行為が、被害者の意思に反する誘拐であること自体、認識していないことが往々にあります。行為自体への認知に歪みがあることが、よく見られるという点……それが、『殺人や強盗』と『誘拐』の重要な違いです」。

 例えば『名探偵コナン』や『ルパン三世』の中で描かれる殺人や強盗は、「殺人、強盗として描かれており『人を殺したけれど実は殺人じゃない』というような歪んだ認知に基づく描写はされません。ところが『幸色のワンルーム』では、幸が『お兄さんがしたことは誘拐だ』と言いつつも、それが幸の意思に反することだとは描かれていないのです。幸は、お兄さんと一緒にいることを喜び、肯定しているという描写になっています。これは、実際の女児誘拐犯が『こうであってほしい』と勝手に思い込んでいる歪んだ認知そのものの描写です」と、太田氏は述べる。

 太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者や一部の人が事件に抱いたであろう妄想を作品にしたものであり、「実在の被害者に対する中傷そのものだと思う」という。作者が「事件とは関係ない」といった発言をしている点についても、「本人が言えばいいっていう問題ではないですよね」と、太田氏は疑問を投げかける。

 実際、作品を発表したタイミング的に、同作と朝霞市の事件を重ね合わせる人は少なくなかった。作者としては、作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要なのかもしれない。

 太田氏は、ドラマ制作サイドの姿勢にも違和感を覚えたそうだ。ドラマの公式SNSが、女優・山田杏奈の写真に「#背景はお兄さんが撮った盗撮写真」「#1000枚近くあります」というハッシュタグをつけて宣伝活動を行っていたという。

「盗撮やストーキングは、人権を脅かすということが、現代日本では“共通認識になっていない”からこそ、ああいうことをすると思うんです。フィクションも世の中の社会規範を作っていくものなわけで、『好きな女の子を盗撮する、それも純愛の1つの形なんだ』という考えを肯定的に描くのはどうなのかと。社会規範を作るうえで、そういった影響を持ってしまう作品を“公共の電波に乗せる”のはよくないと思います」

 太田氏は、この“公共の”という点を強調し、「例えば、一部の人が楽しむ同人誌とは訳が違う。公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と語る。

 表現者が考えることが重要

 同じ犯罪でも、「殺人」「強盗」といった確固とした社会規範があるものと、「誘拐」といった確固たる社会規範がないもので、その扱いを変えなければいけない――。太田氏の話からは、そんな公共の電波に乗せる作品についての指標が見えてくる。

「なぜ、誘拐における、歪んだ認知の肯定的な描写を問題にすべきなのかですが、どのような状況下であっても歪んだ認知を肯定的に描いてはいけない、とは思いません。現状の社会でその描写をすることの意味を、表現者が考えることが重要です。現実の事件の被害者への揶揄、中傷にあたるような表現は、同人誌のような閉じた空間であればともかく、公共空間で行うことは社会的に許されるものではないでしょう。例えば、すでに『性的な目的がある誘拐は悪い』『誘拐された側は、第三者と接触する機会があっても、怖くて助けを求められないのが当然。助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない』ということが、誰も疑わないような常識だ、というような社会であれば、また話は、違うかもしれないと思います」

 しかし、今の日本社会ではそうした“誰も疑わないような常識がない”のが実情だろう。

「現に朝霞の事件でそうであったように、『女子中学生も逃げなかったんだから一緒にいられてよかったんだろう』というようなことを誰でも見られるSNSなどで公言し、そう信じたい人たちが少なからず存在する社会です。例えば性的被害を訴えた場合もそうで、『本当は合意があったのにはめたんだな』などと、女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」

 『幸色のワンルーム』放送取りやめに異議を唱える人は、「同作に反対する人がどの点を問題視しているのか、把握できていないのではないかな、と思ってしまいます」と語る太田氏。

「表現の自由って批判をされない権利ではないし、公共の空間で何をやってもいい権利でもありません。また、重要なこととして、表現物発信における社会的責任意識を問うことは、公権力による表現の自由の弾圧とは違います。東日本大震災後、サザンオールスターズの桑田佳祐さんは、ライブ『TSUNAMI』を自粛していたそうですが、それは『自分の意図と関わりなく、大津波で家族を失うなど、つらい思いをしたファンに、自分の言葉がどう感じられるかを思いやった上での判断』だったのだと思います。これにも是非の論争はあるようですが、社会の中で生きる表現者としての1つの見識だと感じます。永遠に公の場で歌わないと決めていらっしゃるわけでもないでしょうし、社会の中で自分の言葉がどう受け止められるかが変われば、また違う判断をされてもおかしくないですよね」

 太田氏は、『幸色のワンルーム』放映に関しても「そういう、今の社会の中で自分が発信する表現物がどういう意味を持つか、どういう影響を与えるかという“社会の中で表現する者としての責任意識の有無を問うという範疇の問題”」であると考えているという。

「私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが」

 『幸色のワンルーム』は、テレビ朝日での放送は取りやめとなったものの、制作した朝日放送では予定通り放送が決定している。こうした判断が下った背景について、「被害者少女が関東に住んでいるから、関西だけの放送になったのでは」と見る向きもあるが、「被害者の少女が見なければいいという問題ではない」と太田氏は指摘する。ドラマ開始後、再びこの問題は議論を呼びそうだが、果たして、どんな意見が飛び交うことになるのだろうか。

太田啓子(おおた・けいこ)
弁護士、湘南合同法律事務所。国際基督教大学を卒業後、2002年に弁護士登録(神奈川県弁護士会)。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバー。13年4月より憲法カフェを開始するほか、14年11月より「怒れる女子会」呼びかけ人。

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

 「表現の自由はどうなるんだ」「現実とフィクションの違いもわからないなんて」「じゃあサスペンスドラマも全部放送中止だね」――テレビ朝日が6月18日、7月開始予定の連続ドラマ『幸色のワンルーム』の放送を取りやめることを発表した途端、ネット上には、こんな激しい言葉が飛び交うこことなった。

 同ドラマの原作は、もともと2016年9月より『世の中いろんな人がいると言う話』というタイトルでTwitterに投稿された作品で、翌17年2月からは漫画サイト「ガンガンpixivコミック」にて連載が始まり、コミックスは重版含め累計75万部を突破している。

 両親から虐待、同級生からイジメ、教師から性的暴行を受け、行き場を失った14歳の少女が、ある日、マスク姿の“お兄さん”に誘拐され、“幸”という名をもらい、同居生活を送る――というストーリーだ。原作漫画が公開されているサイトでは、「その日、少女は誘拐された。しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。 少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?」といったあらすじ紹介が確認できる。

 今回、テレビ朝日が放送を取りやめた背景には、同作が、「実際の誘拐事件をモチーフにしているのではないか」「被害者を傷つける」「誘拐を肯定している」などと批判されたことが関係するとみられる。ネット上では以前から、埼玉県朝霞市で誘拐された少女が2年の監禁生活を経て、16年3月に保護された事件を想起させるといわれ、原作のはくり氏は事件と作品は無関係だとしつつも、物議を醸していたのだ。

 しかし、ひとたび放送取りやめのニュースが流れると、一転してネット上には異論が噴出することに。あくまでフィクションの作品であり、これまでも犯罪を扱った作品は多数あるにもかかわらず、なぜ『幸色のワンルーム』だけ……といった論調で、『ルパン三世』『名探偵コナン』といったアニメ作品、また実際に起こった犯罪をモチーフにしたドラマや映画作品などの例を出し、「これらも放送してはいけないことになる」と声を上げたのだ。

 そこで今回、『幸色のワンルーム』の実写ドラマ化が発表された際、Twitter上で、“反対”を表明した弁護士・太田啓子氏に取材を行った。なぜ、同作を実写ドラマ化すべきではないのか、「あくまでフィクション」と主張している人が見落としている“視点”を詳しく解説してもらった。

 太田氏は、同作のキャラクター・幸について、「誘拐された方も喜んでる」という描かれ方をされていることに対して、疑問を抱いているようだ。

「『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。例えば、現実で殺人事件が起きたときに、『殺害された方も喜んでる』なんて言う人はいませんが、女の子が誘拐されたとき、『誘拐された方も喜んでる』『家出した女子を家にかくまっただけ』『女子も男の心につけこんで、いい思いをしていた』などと言う人が出てきます。『誘拐は、被害者の意思に反している』『被害者は、怖くて誘拐犯から離れられなかった』という当たり前のことを、当たり前だと思えない人がいるのです」

 『幸色のワンルーム』のモチーフになったのではないかとされる朝霞市の事件でも、同様のことを口にする人はいた。少女が閉じ込められていたアパートの周辺は住宅街で、コンビニや交番などもあり、少女が1人でスーパーに買い物に行くこともあったなどと報じられると、「少女は逃げたくないから逃げなかった」といった声も出てきたのだ。しかし実際、「怖くて逃げ出せなかった」と少女は供述している。

 また太田氏は、「殺人犯」「強盗犯」と「誘拐犯」では、その行為自体への認知に違いがあると指摘する。

「現実の殺人事件、強盗事件の犯人は『これは人を殺す行為だ』『これは強盗だ』ということを通常は認識しているでしょう。その上で『こんなひどいやつは殺されて当然なんだ』『金に困っていたんだから仕方なかったんだ』『あいつは金持ちなんだから、これくらいとられてもどうってことないはずだ』などと、その行為を正当化したり軽く考えようとするようなことはあるかもしれませんが、行為そのものが『人を殺す行為だ』とか『無理矢理財産を奪う行為だ』という認識は普通はしているはずです」

 しかし一方で、誘拐犯はというと、「例えば、朝霞市での事件や新潟で女児を9年監禁していた事件などでは、犯人は『仲の良い友達として暮らしていた』『自分と一緒にいることを嫌がっていたはずはない』などという趣旨の供述をします。罪を軽くしたくて嘘を強弁しているというより、行為自体への認知が歪んでおり、本気でそのように思い込んでいるのではないでしょうか。強盗や殺人と違い、そもそも自分の行為が、被害者の意思に反する誘拐であること自体、認識していないことが往々にあります。行為自体への認知に歪みがあることが、よく見られるという点……それが、『殺人や強盗』と『誘拐』の重要な違いです」。

 例えば『名探偵コナン』や『ルパン三世』の中で描かれる殺人や強盗は、「殺人、強盗として描かれており『人を殺したけれど実は殺人じゃない』というような歪んだ認知に基づく描写はされません。ところが『幸色のワンルーム』では、幸が『お兄さんがしたことは誘拐だ』と言いつつも、それが幸の意思に反することだとは描かれていないのです。幸は、お兄さんと一緒にいることを喜び、肯定しているという描写になっています。これは、実際の女児誘拐犯が『こうであってほしい』と勝手に思い込んでいる歪んだ認知そのものの描写です」と、太田氏は述べる。

 太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者や一部の人が事件に抱いたであろう妄想を作品にしたものであり、「実在の被害者に対する中傷そのものだと思う」という。作者が「事件とは関係ない」といった発言をしている点についても、「本人が言えばいいっていう問題ではないですよね」と、太田氏は疑問を投げかける。

 実際、作品を発表したタイミング的に、同作と朝霞市の事件を重ね合わせる人は少なくなかった。作者としては、作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要なのかもしれない。

 太田氏は、ドラマ制作サイドの姿勢にも違和感を覚えたそうだ。ドラマの公式SNSが、女優・山田杏奈の写真に「#背景はお兄さんが撮った盗撮写真」「#1000枚近くあります」というハッシュタグをつけて宣伝活動を行っていたという。

「盗撮やストーキングは、人権を脅かすということが、現代日本では“共通認識になっていない”からこそ、ああいうことをすると思うんです。フィクションも世の中の社会規範を作っていくものなわけで、『好きな女の子を盗撮する、それも純愛の1つの形なんだ』という考えを肯定的に描くのはどうなのかと。社会規範を作るうえで、そういった影響を持ってしまう作品を“公共の電波に乗せる”のはよくないと思います」

 太田氏は、この“公共の”という点を強調し、「例えば、一部の人が楽しむ同人誌とは訳が違う。公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と語る。

 表現者が考えることが重要

 同じ犯罪でも、「殺人」「強盗」といった確固とした社会規範があるものと、「誘拐」といった確固たる社会規範がないもので、その扱いを変えなければいけない――。太田氏の話からは、そんな公共の電波に乗せる作品についての指標が見えてくる。

「なぜ、誘拐における、歪んだ認知の肯定的な描写を問題にすべきなのかですが、どのような状況下であっても歪んだ認知を肯定的に描いてはいけない、とは思いません。現状の社会でその描写をすることの意味を、表現者が考えることが重要です。現実の事件の被害者への揶揄、中傷にあたるような表現は、同人誌のような閉じた空間であればともかく、公共空間で行うことは社会的に許されるものではないでしょう。例えば、すでに『性的な目的がある誘拐は悪い』『誘拐された側は、第三者と接触する機会があっても、怖くて助けを求められないのが当然。助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない』ということが、誰も疑わないような常識だ、というような社会であれば、また話は、違うかもしれないと思います」

 しかし、今の日本社会ではそうした“誰も疑わないような常識がない”のが実情だろう。

「現に朝霞の事件でそうであったように、『女子中学生も逃げなかったんだから一緒にいられてよかったんだろう』というようなことを誰でも見られるSNSなどで公言し、そう信じたい人たちが少なからず存在する社会です。例えば性的被害を訴えた場合もそうで、『本当は合意があったのにはめたんだな』などと、女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」

 『幸色のワンルーム』放送取りやめに異議を唱える人は、「同作に反対する人がどの点を問題視しているのか、把握できていないのではないかな、と思ってしまいます」と語る太田氏。

「表現の自由って批判をされない権利ではないし、公共の空間で何をやってもいい権利でもありません。また、重要なこととして、表現物発信における社会的責任意識を問うことは、公権力による表現の自由の弾圧とは違います。東日本大震災後、サザンオールスターズの桑田佳祐さんは、ライブ『TSUNAMI』を自粛していたそうですが、それは『自分の意図と関わりなく、大津波で家族を失うなど、つらい思いをしたファンに、自分の言葉がどう感じられるかを思いやった上での判断』だったのだと思います。これにも是非の論争はあるようですが、社会の中で生きる表現者としての1つの見識だと感じます。永遠に公の場で歌わないと決めていらっしゃるわけでもないでしょうし、社会の中で自分の言葉がどう受け止められるかが変われば、また違う判断をされてもおかしくないですよね」

 太田氏は、『幸色のワンルーム』放映に関しても「そういう、今の社会の中で自分が発信する表現物がどういう意味を持つか、どういう影響を与えるかという“社会の中で表現する者としての責任意識の有無を問うという範疇の問題”」であると考えているという。

「私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが」

 『幸色のワンルーム』は、テレビ朝日での放送は取りやめとなったものの、制作した朝日放送では予定通り放送が決定している。こうした判断が下った背景について、「被害者少女が関東に住んでいるから、関西だけの放送になったのでは」と見る向きもあるが、「被害者の少女が見なければいいという問題ではない」と太田氏は指摘する。ドラマ開始後、再びこの問題は議論を呼びそうだが、果たして、どんな意見が飛び交うことになるのだろうか。

太田啓子(おおた・けいこ)
弁護士、湘南合同法律事務所。国際基督教大学を卒業後、2002年に弁護士登録(神奈川県弁護士会)。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバー。13年4月より憲法カフェを開始するほか、14年11月より「怒れる女子会」呼びかけ人。

夫婦別姓反対派にTBS宇垣美里アナが意見「名前だけでつながっているわけじゃないですからね」

 今月18日、選択的夫婦別姓を求め、映画監督の想田和弘氏と、舞踏家・映画プロデューサーの柏木規与子氏夫妻が、国を相手に提訴した。夫婦別姓を認める立法を国が怠っていることは憲法違反であることや、婚姻関係の確認などを求めている。

 二人は1997年にニューヨークで結婚。日本の法律でも、海外で結婚する場合は現地の法律に則って手続きすれば婚姻が認められるため、二人は別姓を選択していても事実婚ではなく、国内でも婚姻が成立しているとみなされる。

 しかし、日本では別姓で戸籍をつくることができない。そのため、法律婚しているのにも関わらず、戸籍上で婚姻を証明することができず、税制や相続などの面で不利益が生じてしまう。

 そこで二人は、この法の不備は結婚の自由を定めた憲法に違反するとして、訴訟を起こした。

 そんな想田和弘監督が、ライムスター宇多丸がパーソナリティーを務める帯番組『アフター6ジャンクション』(6月19日放送分/TBSラジオ)に生出演。今回の訴訟の経緯を説明しているのだが、そこで『アフター6ジャンクション』火曜パートナーを務めるTBSの宇垣美里アナウンサーが鋭い発言を連発していた。

 急きょ、電話にて番組出演した想田監督は、まず、本稿で述べてきたような訴訟理由を説明したうえで、<僕らは同姓を選びたい人たちは同姓を選べばいいと思っているし、彼らの自由なんですよ。だから、僕らにもその自由を保証してください、認めてくださいと言っているだけなんですけど、なぜか反対派の人たちは……。(反対派は)いらっしゃいますね。ツイッターでもすごいやっぱり来るし>と語り、この訴訟のニュースが報じられて以降、保守派の人々からひどいバッシングを受けていると明かす。

 事実、ネット上には、<同姓がもたらす家族としての結束、ひいては日本人としての結束。そういう強さをバラバラにしたいと願う人々、もしくは近隣諸外国が存在するんでしょうね>といった偏見の強い書き込みが散見される。

 番組では、選択的夫婦別姓に反対する人々から寄せられている論拠として、想田監督が<家族の絆が壊れるとか、日本の文化が破壊されるとか>との意見を紹介するのだが、これに対し宇垣アナは、<日本の文化(笑)。そんな、昭和か明治ぐらいから始まったことなのに>と述べた。

 確かに、義務教育レベルの日本史の教養があれば、夫婦同姓が「日本の文化」などではないことは誰でも知っているはず。明治民法によって夫婦同姓が定められたのは明治31(1898)年で、たかだか120年ほどしか経っていない。

 また、想田監督が結婚したアメリカ合衆国はもちろん、現在でも選択的夫婦別姓を認めていない国はほとんど存在しない。そのため、国連の女性差別撤廃委員会から、2003年および2009年に、夫婦同姓の強制について改正を求められている。

 では、夫婦別姓を認めた国は、それによって家族の絆が崩壊して大変なことになっているのかといえばそんなことはない。これに対しても宇垣アナは<名前だけでつながっているわけじゃないですからねぇ>とコメント。

 宇垣アナは<それこそね、共働きの方も多いですから。そっち(別姓)のほうが仕事にも不利益出ない方、絶対多いと思うんですけどね>と語り、夫婦別姓がもたらすであろう社会的メリットを指摘するが、それに対し、夫婦別姓反対派の意見は非論理的なものばかりではないだろうか。

 では、反対派の本音はいったいどのようなものなのか。弁護士の打越さく良氏は以前Wezzyで行った夫婦別姓に関する講義のなかでこのように解説している(リンク)。

<反対意見はいずれも根拠のない、ふわ~っとしたことばかりですが、これを主張する人たちは、家族ひとりひとりが家に対して忠実であり、それぞれ夫や妻、父や母という役割をきちんと果たすことは、国家に対して忠実であり、国民ひとりひとりが国に奉仕することに繋がる、と考えているようです>

 これは、憲法24条を改正し、「家族は互いに助け合わなければいけない」という家族条項を付け加えようとする動きと軌を一にするものだ。日本会議をはじめとした保守層が押し進めるこの家族条項は、家父長制を復活させて女性差別を温存し、さらに、国が担うべき社会福祉を「自己責任」のお題目のもとで家族に押し付けるものになる。夫婦別姓を強行に認めたがらない人々が望む社会は、「父への忠誠」「国への忠誠」を求める、戦前回帰を指向する社会であろう。

 夫婦別姓禁止についての民法規定が憲法に反するという裁判はこれまでも起こされており、2015年には最高裁で争われたが、その際は合憲の判決が出ている。しかし、夫婦別姓に対する社会的要請は強い。2018年に内閣府が行ったアンケートでは、賛成(42.5%)が反対(29.3%)を上回った。夫婦別姓を求める裁判も、今年だけで3件目となる。今後もこの裁判の行方を注視したい。

(倉野尾 実)

「握手会で求婚」から5年――元AKB48・岩田華怜、ストーカー逮捕に時間要したワケを弁護士が解説

 元AKB48・岩田華怜につきまとい行為を繰り返したとして、警視庁は6月19日、ストーカー規制法違反容疑で、42歳の男を逮捕した。2012年頃から岩田のファンになったというこの男は、AKBファンの間では有名な人物で、13年、握手会の会場で当時中学生だった岩田にプロポーズをして、運営から“出禁”を食らったほか、その後も、ブログで岩田の家族を脅迫するような文章を書き連ね、岩田の仕事先などにつきまとうなどしたという。警視庁は、口頭や書面での警告を複数回行い、また昨年4月には、ストーカー規制法に基づく警告を発出したが、男は今年4月に岩田出演の舞台会場に押しかけるなどした容疑で、今回逮捕に至った。

 岩田は公式Twitterにて19日、「お騒がせしています。そして今までご迷惑をおかけした全ての人に心からの謝罪申し上げます。一緒に闘ってくれたファンのみんな、苦しい思いをさせたね。それでも一緒にいてくれてありがとう」などとツイート。長年悩まされていたストーカー被害が「終わりになることを切に祈ります」と述べた。

 そんな岩田には、ファンを中心に「本当によかった」「長い闘いだったね」「これで落ち着くといいですね」などと励ましのコメントが寄せられているが、一方で、「なぜこんなに逮捕まで時間がかかったのか?」「華怜ちゃんがどれだけ悩んできたと思ってるんだろう」などと、長期化したことに疑問や怒りの声も散見される。

 岩田サイドが、どのタイミングで警視庁に相談をしたのか、詳細は明かされていないものの、最初に握手会でトラブルが発生してから、実に5年もの歳月がたっていると考えると、やはり「なぜ?」と感じてしまうのは当然ではないだろうか。今回、弁護士法人ALG&Associatesの山岸純弁護士に、ストーカー規制法について話を聞いた。

 ストーカー規制法は、00年11月24日に施行された法律で、同法によって逮捕されるのは、「1.ストーカー行為をした場合(1年以下の懲役、または100万円以下の罰金)、2.ストーカー行為を行わないように禁止命令が出されたにもかかわらずストーカー行為をした場合(2年以下の懲役、または200万円以下の罰金)などが挙げられます」とのこと。今回、ストーカー規制法違反としか報道されていないため、どのような罪名で逮捕されたかは不明だが、「いずれにせよ、この法律で逮捕されるには相当の時間を要する」そうだ。

「理由はいくつかあります。法律は、『押しかける』『待ち伏せ』『面会の強要』『乱暴な言葉をかける』『性的な言葉をかける』などを、“つきまとい等”と定めるのですが、これらの行為を1回行っただけでは、“つきまとい等”と判断してくれません。これらが複数回行われて初めて“つきまとい等”と判断されます。しかし、この“つきまとい等”が1回でも行われれば、ただちに逮捕できるというわけではありません。法律は、さらにこの“つきまとい等”を繰り返し行うことを“ストーカー行為”と定めており、この“ストーカー行為”が行われた場合に、初めてストーカー行為法違反として逮捕することができるのです。だから時間がかかってしまいます」

 一度や二度「待ち伏せ」が行われただけでも、当人は大きな恐怖を感じることだろうが、それだけでは逮捕にはほど遠いという現実があるようだ。

「また、こういう行為は、証拠として残りにくいという点があります。警察は、証拠がなければ動きませんので、押しかけてきた、待ち伏せされた、面会を求められた、脅迫文が届いた、といった証拠を一つひとつ集めないと、“繰り返し行われた”と判断してくれないわけです。“刑罰”を科す以上、慎重さが求められるのはわかりますが、警察がろくに仕事をしないで発生した桶川ストーカー殺人事件もあったことですし、なかなか難しいところです」

 現状こうしたつきまとい行為に悩んでいる当人にとって、“逮捕までに時間がかかる”という現実は受け入れがたいものだろう。何かが起こってからでは遅いだけに、山岸氏は証拠集めに関して、次のようなアドバイスをする。

「“証拠”というと、監視カメラなどの映像や脅迫文そのものが挙げられますが、“つきまとい等”に対しては、そういうことがあったことを日記に記す、というのも立派な証拠となります。警察に証言する時には、時間もたっており、忘れてしまっていることもあるでしょう。その日にあったことを日記にまとめて、これが繰り返されていることを警察に伝えるということが大切です」

 岩田にストーキング行為をしていた男は逮捕されたが、どのような刑が下るのだろうか。岩田との示談成立、不起訴という可能性もあるが、山岸氏は「被害者は一般人ではないので、なかなか示談は難しいでしょう」と見解を述べる。

「この場合、これまでの例からすれば、程度にもよりますが、6カ月程度の懲役刑が宣告されることと思います。同種前科がなければ執行猶予も3年ほどつくでしょう」

 最後に、近年アイドルの刃傷沙汰を含むストーカー事件が起こっている件について、「本来、“遠くに輝いていて、近づきがたいアイドル”を、あえて“身近なアイドル”として売り出しているのであれば、近さと反比例するぐらい警護は厳重にすべきと思います」と、運営に対する意見を述べた山岸氏。二度とこのような事件が起こらないよう、アイドル業界全体の意識改革も必要となるのかもしれない。

平成の世に起きた第二の「阿部定事件」なのか!? 佐藤寿保監督が女の多面性を描く『可愛い悪魔』

 1936年は日本が軍国化していくきっかけとなった「二・二六事件」の起きた年であり、「阿部定事件」が世間を騒がせたことでも知られている。料亭で働く定が不倫相手を窒息プレイで殺害した後に男性器を切り取ったこの猟奇的事件は、大島渚監督の『愛のコリーダ』(76)、大林宣彦監督の『SADA』(98)など、たびたび映画化されている。1980~90年代に“ピンク四天王”のひとりとして活躍した佐藤寿保監督の新作『可愛い悪魔』も、実在の事件にインスパイアされたものだ。2015年に起きた「弁護士局部切断事件」をモチーフに、佐藤監督は事件を招いた女性の多面性、現代社会における人間関係の希薄さを感じさせる官能サスペンスに仕立てている。

 本作のモチーフとなった「弁護士局部切断事件」だが、「阿部定事件」と違って殺人には至っていない。司法試験を目指していた大学院生の夫のために弁護士事務所で働いていた妻だが、やがて職場の上司と不倫関係に。夫にその事実を問い詰められ、妻は「無理矢理に関係を迫られた」と自己弁護。妻の言葉を信じ切った夫は弁護士を殴り倒し、枝切りバサミで局部を切断した。妻は黙って、その様子を眺めていたとされている。ピンク四天王時代、ホラー映画『華魂』(14)、日米合作『眼球の夢』(16)と過激な作品を次々と発表してきた佐藤監督がこの事件に惹かれたのは必然だったのかもしれない。

佐藤「この事件を最初に聞いたとき、やはり阿部定事件に似ているなと思いました。でも阿部定が切り取った男の局部を大事に持ち歩いていたのに対し、今回の事件では女性は直接手を下さず、切り取った局部はすぐに捨てている。即物的というか、現代的というか、時代の違いみたいなものを感じさせますよね。ワイドショーや週刊誌に当時はよく取り上げられたものの、どれも三面記事的な扱いばかり。事件の表層部分をいくら追っても、何も見えてこない。それならば、事件を招いた女性を中心にしたフィクションとして掘り下げてみようと考えたわけです」

 本作のファムファタールとなる美穂を演じるのは、佐藤監督作には初出演となる七海なな。城定秀夫監督の『舐める女』(16)がピンク大賞最優秀作品賞に選ばれるなど、近年その演技力が評価されている女優だ。10代の少女のような面影を残す七海だが、本作では法科大学院生で稼ぎのない夫・小塚(鐘ヶ江佳太)との生活を支えるために健気に働く貞淑な妻の顔、上司である弁護士の桑田(萩野崇)の前ではコスプレやSMプレイに応じるエロティックな女の顔、そして犯行直後には悪魔のような笑顔……といくつもの顔を見せる。自称ルポライターの法月(杉山裕右)は美穂の本当の顔を知ろうと事件について調べ始めるが、素顔の美穂について知れば知るほど真相は藪の中へと消えていく。思いあまった法月は美穂に直接接触するようになるが、美穂の妖艶さに取り込まれてしまう──。

佐藤「七海さんは『眼球の夢』のオーディションで初めて会ったんです。彼女は高校時代に生徒会長を務めていたこともあり、頭がよく、勘もいい。年齢を重ねても少女のような雰囲気を持ち合わせている。『眼球の夢』のイメージには合わなかったのですが、犯罪ものにはよく合うだろうなと感じていました。ある意味、犯罪って、人間の純真さが引き起こすものだと僕は考えています。純真無垢な少女は、その存在自体がすでに犯罪です(笑)。女がつく嘘は必ずしも自己弁護のためではなく、相手を傷つけたくない優しさから生まれることもある。でも、女がついた嘘のために、男は妄想を一方的に膨らませ、狂気に陥ってしまいかねない。ミステリアスな女ほど、男たちを魅了してしまうものです。映画的にとても魅力のある女性像を、七海さんは限られた撮影日数の中でうまく演じ切ってくれたと思います」

 佐藤監督によれば、そんな女の嘘に翻弄され、振り回される男たちも、ある意味では不器用であり、純真な存在であるらしい。中村淳彦原作のノンフィクションシリーズを原作にした『名前のない女たち』(10)の社会の欲望に消費されるだけの女たちと同じように、本作の男たちも人間関係が希薄になった現代社会でうつろい、目の前にある刹那的な関係性にしがみつこうとする。寄る辺なき現代人たちの浅はかさと哀しみが感じられる。

佐藤「ピンク映画の頃から、僕は犯罪ものをいろいろと撮ってきました。犯罪を犯す人間って、純真すぎるほど純真なことが多いんです。純真がゆえに思い込みも激しく、狂気へと走ってしまう。決して、僕らの日常から遠いものではないと思います。僕が28歳のとき、パリで事件を起こした佐川一政さんと知り合い、パリの事件を題材にした映画の脚本をお願いしたことがあります。あくまでもフィクションとして書いてもらったのですが、やはり映画化は難しく、完成には至りませんでした。でも、その後も佐川さんとはお付き合いが続き、僕が撮った『夢の中で犯して殺して』(92)や『眼球の夢』などに出演してもらっています。佐川さんも純真で、それゆえに思い込みが強く、またマスコミに書き立てられたことで勘違いもされやすい人。でも、そんな部分も含めて魅力的な人物です。それに狂気は、生きている人間なら誰しもが持っている一面だと思いますね」

 本作のヒロイン・美穂は、それぞれの男たちに対して理想の女性像を演じようと努める。それゆえに男たちは妄想を掻き立てられ、無意識下の欲望まで顕在化させ、やがて破滅を迎えることになる。自分の魅力に無自覚な女、可愛い悪魔に出会ってしまった男は、どうにも抗うことができない。もがけばもがくほど、その悪魔的な魅力の虜になってしまう。
(文=長野辰次)

『可愛い悪魔』
監督/佐藤寿保 脚本/いまおかしんじ 撮影/鈴木一博
出演/七海なな、杉山裕右、鐘ヶ江佳太、後藤ちひろ、志賀龍美、志村彩佳、
南久松真奈、ニシイアキラ、萩野崇
配給/アイエス・フィールド 6月23日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
(c)2016「可愛い悪魔」製作委員会
http://is-field.com/kawa-aku

『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』
が電子書籍になりました。
詳細はこちらから!

 

平成の世に起きた第二の「阿部定事件」なのか!? 佐藤寿保監督が女の多面性を描く『可愛い悪魔』

 1936年は日本が軍国化していくきっかけとなった「二・二六事件」の起きた年であり、「阿部定事件」が世間を騒がせたことでも知られている。料亭で働く定が不倫相手を窒息プレイで殺害した後に男性器を切り取ったこの猟奇的事件は、大島渚監督の『愛のコリーダ』(76)、大林宣彦監督の『SADA』(98)など、たびたび映画化されている。1980~90年代に“ピンク四天王”のひとりとして活躍した佐藤寿保監督の新作『可愛い悪魔』も、実在の事件にインスパイアされたものだ。2015年に起きた「弁護士局部切断事件」をモチーフに、佐藤監督は事件を招いた女性の多面性、現代社会における人間関係の希薄さを感じさせる官能サスペンスに仕立てている。

 本作のモチーフとなった「弁護士局部切断事件」だが、「阿部定事件」と違って殺人には至っていない。司法試験を目指していた大学院生の夫のために弁護士事務所で働いていた妻だが、やがて職場の上司と不倫関係に。夫にその事実を問い詰められ、妻は「無理矢理に関係を迫られた」と自己弁護。妻の言葉を信じ切った夫は弁護士を殴り倒し、枝切りバサミで局部を切断した。妻は黙って、その様子を眺めていたとされている。ピンク四天王時代、ホラー映画『華魂』(14)、日米合作『眼球の夢』(16)と過激な作品を次々と発表してきた佐藤監督がこの事件に惹かれたのは必然だったのかもしれない。

佐藤「この事件を最初に聞いたとき、やはり阿部定事件に似ているなと思いました。でも阿部定が切り取った男の局部を大事に持ち歩いていたのに対し、今回の事件では女性は直接手を下さず、切り取った局部はすぐに捨てている。即物的というか、現代的というか、時代の違いみたいなものを感じさせますよね。ワイドショーや週刊誌に当時はよく取り上げられたものの、どれも三面記事的な扱いばかり。事件の表層部分をいくら追っても、何も見えてこない。それならば、事件を招いた女性を中心にしたフィクションとして掘り下げてみようと考えたわけです」

 本作のファムファタールとなる美穂を演じるのは、佐藤監督作には初出演となる七海なな。城定秀夫監督の『舐める女』(16)がピンク大賞最優秀作品賞に選ばれるなど、近年その演技力が評価されている女優だ。10代の少女のような面影を残す七海だが、本作では法科大学院生で稼ぎのない夫・小塚(鐘ヶ江佳太)との生活を支えるために健気に働く貞淑な妻の顔、上司である弁護士の桑田(萩野崇)の前ではコスプレやSMプレイに応じるエロティックな女の顔、そして犯行直後には悪魔のような笑顔……といくつもの顔を見せる。自称ルポライターの法月(杉山裕右)は美穂の本当の顔を知ろうと事件について調べ始めるが、素顔の美穂について知れば知るほど真相は藪の中へと消えていく。思いあまった法月は美穂に直接接触するようになるが、美穂の妖艶さに取り込まれてしまう──。

佐藤「七海さんは『眼球の夢』のオーディションで初めて会ったんです。彼女は高校時代に生徒会長を務めていたこともあり、頭がよく、勘もいい。年齢を重ねても少女のような雰囲気を持ち合わせている。『眼球の夢』のイメージには合わなかったのですが、犯罪ものにはよく合うだろうなと感じていました。ある意味、犯罪って、人間の純真さが引き起こすものだと僕は考えています。純真無垢な少女は、その存在自体がすでに犯罪です(笑)。女がつく嘘は必ずしも自己弁護のためではなく、相手を傷つけたくない優しさから生まれることもある。でも、女がついた嘘のために、男は妄想を一方的に膨らませ、狂気に陥ってしまいかねない。ミステリアスな女ほど、男たちを魅了してしまうものです。映画的にとても魅力のある女性像を、七海さんは限られた撮影日数の中でうまく演じ切ってくれたと思います」

 佐藤監督によれば、そんな女の嘘に翻弄され、振り回される男たちも、ある意味では不器用であり、純真な存在であるらしい。中村淳彦原作のノンフィクションシリーズを原作にした『名前のない女たち』(10)の社会の欲望に消費されるだけの女たちと同じように、本作の男たちも人間関係が希薄になった現代社会でうつろい、目の前にある刹那的な関係性にしがみつこうとする。寄る辺なき現代人たちの浅はかさと哀しみが感じられる。

佐藤「ピンク映画の頃から、僕は犯罪ものをいろいろと撮ってきました。犯罪を犯す人間って、純真すぎるほど純真なことが多いんです。純真がゆえに思い込みも激しく、狂気へと走ってしまう。決して、僕らの日常から遠いものではないと思います。僕が28歳のとき、パリで事件を起こした佐川一政さんと知り合い、パリの事件を題材にした映画の脚本をお願いしたことがあります。あくまでもフィクションとして書いてもらったのですが、やはり映画化は難しく、完成には至りませんでした。でも、その後も佐川さんとはお付き合いが続き、僕が撮った『夢の中で犯して殺して』(92)や『眼球の夢』などに出演してもらっています。佐川さんも純真で、それゆえに思い込みが強く、またマスコミに書き立てられたことで勘違いもされやすい人。でも、そんな部分も含めて魅力的な人物です。それに狂気は、生きている人間なら誰しもが持っている一面だと思いますね」

 本作のヒロイン・美穂は、それぞれの男たちに対して理想の女性像を演じようと努める。それゆえに男たちは妄想を掻き立てられ、無意識下の欲望まで顕在化させ、やがて破滅を迎えることになる。自分の魅力に無自覚な女、可愛い悪魔に出会ってしまった男は、どうにも抗うことができない。もがけばもがくほど、その悪魔的な魅力の虜になってしまう。
(文=長野辰次)

『可愛い悪魔』
監督/佐藤寿保 脚本/いまおかしんじ 撮影/鈴木一博
出演/七海なな、杉山裕右、鐘ヶ江佳太、後藤ちひろ、志賀龍美、志村彩佳、
南久松真奈、ニシイアキラ、萩野崇
配給/アイエス・フィールド 6月23日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
(c)2016「可愛い悪魔」製作委員会
http://is-field.com/kawa-aku

『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』
が電子書籍になりました。
詳細はこちらから!

 

エロマンガでは、すでに電子書籍がメインに……マンガ単行本の「紙と同時発売」は売上を増やすのか

 紙の本とその電子書籍版の発売日がズレることは、売上にマイナスを及ぼすのか。マンガ家の問題提起が注目を集めている。

 この問題を提起しているのは『映像研には手を出すな!』(小学館)などで知られる大童澄瞳氏だ。

 大童氏は自身のTwitterで、根拠はないとしながらも「電子版と紙版の販売日ずらしたところで、書店にも出版社にも作者にもなんの意味もない。むしろ悪い影響しかない。」と発言。「電書読者に発売日の油断やミスを誘う事で起きるマイナス効果が大きい」のではないかと記している。

 最近、マンガに限っても電子書籍の需要は伸びている。電子書籍の大手イーブックスなどでは「紙と同時発売」と記された新刊も、当たり前の存在だ。それでもなお、電子書籍版は紙の単行本が出てしばらくしてからという作品も多い。このブランクを生んでいる要因は何か?

「出版社内でも同時に出すか、電子書籍版はしばらく時間を置くか作品によって対応はさまざまです。読者の傾向から見て、紙の単行本を求めるほうが多いのではないかと判断できる場合、電子書籍版を遅らせることが多いのです。ただ、明確な根拠となるデータがあるわけではありません」(編集者)

 判断材料はさまざまだが「作品によっては、紙でないと読みづらい場合がある」「巻数が増えた作品は本棚を圧迫するため電子版で揃えている人が多い」といった事例をもとに考えているという。

 ただ、これは一般向けマンガでの話。18禁の場合は事情がまったく異なる。18禁では、もう「紙よりも電子書籍」が当たり前になりつつあるのだ。

「すでに、エロマンガの市場は電子書籍が紙よりも増えています。紙で出版するのは、電子で売上がよかったものだけという方針の出版社も多いんです」

 そう話すのは、エロマンガ大手の編集者。エロマンガの場合、もはや紙の単行本は秋葉原などの専門書店が売上の大半を占めている状況。紙のほうはコレクターアイテム化しており、一般では電子書籍のオマケのようになっているのである。

「エロマンガの場合、実用重視ですから、いつでもどこでも買うことができる電子書籍版の需要が高いのは当然。それに作家ごとに、単話で買うこともできますし」(同)

 ネットで発売を知った時、すぐに買えるという利点が電子書籍にはある。それは、エロマンガに限らず、一般向け作品でも変わらない。読者が手に取る機会を増やすためにも、もっと「紙と同時発売」が増えてもよいのかもしれない。
(文=特別取材班)

エロマンガでは、すでに電子書籍がメインに……マンガ単行本の「紙と同時発売」は売上を増やすのか

 紙の本とその電子書籍版の発売日がズレることは、売上にマイナスを及ぼすのか。マンガ家の問題提起が注目を集めている。

 この問題を提起しているのは『映像研には手を出すな!』(小学館)などで知られる大童澄瞳氏だ。

 大童氏は自身のTwitterで、根拠はないとしながらも「電子版と紙版の販売日ずらしたところで、書店にも出版社にも作者にもなんの意味もない。むしろ悪い影響しかない。」と発言。「電書読者に発売日の油断やミスを誘う事で起きるマイナス効果が大きい」のではないかと記している。

 最近、マンガに限っても電子書籍の需要は伸びている。電子書籍の大手イーブックスなどでは「紙と同時発売」と記された新刊も、当たり前の存在だ。それでもなお、電子書籍版は紙の単行本が出てしばらくしてからという作品も多い。このブランクを生んでいる要因は何か?

「出版社内でも同時に出すか、電子書籍版はしばらく時間を置くか作品によって対応はさまざまです。読者の傾向から見て、紙の単行本を求めるほうが多いのではないかと判断できる場合、電子書籍版を遅らせることが多いのです。ただ、明確な根拠となるデータがあるわけではありません」(編集者)

 判断材料はさまざまだが「作品によっては、紙でないと読みづらい場合がある」「巻数が増えた作品は本棚を圧迫するため電子版で揃えている人が多い」といった事例をもとに考えているという。

 ただ、これは一般向けマンガでの話。18禁の場合は事情がまったく異なる。18禁では、もう「紙よりも電子書籍」が当たり前になりつつあるのだ。

「すでに、エロマンガの市場は電子書籍が紙よりも増えています。紙で出版するのは、電子で売上がよかったものだけという方針の出版社も多いんです」

 そう話すのは、エロマンガ大手の編集者。エロマンガの場合、もはや紙の単行本は秋葉原などの専門書店が売上の大半を占めている状況。紙のほうはコレクターアイテム化しており、一般では電子書籍のオマケのようになっているのである。

「エロマンガの場合、実用重視ですから、いつでもどこでも買うことができる電子書籍版の需要が高いのは当然。それに作家ごとに、単話で買うこともできますし」(同)

 ネットで発売を知った時、すぐに買えるという利点が電子書籍にはある。それは、エロマンガに限らず、一般向け作品でも変わらない。読者が手に取る機会を増やすためにも、もっと「紙と同時発売」が増えてもよいのかもしれない。
(文=特別取材班)